「政治学者」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 政治学者とは

2024-11-20

自分投票することで政治が変わると思っている奴は馬鹿だと思う

「一票を投じたとて政治に変化をもたらすことは不可能であり、にもかかわらずなぜ大勢の人が選挙に行くのか?」と疑問を呈したのは大学政治学者で、要するに自分の一票が物事を決める状況というのは、他の票が奇麗に分かれているときに限られる。例えば一万票と一万票といった状況で、自分投票したほうが勝つ。なんて状況だが、そんなものが稀であるのは説明するまでもないだろう。

実際、ほとんどの場合選挙結果は圧倒的な差で決まっているわけで、選挙の結果を見てみても自分の一票が果たす役割ほとんど無いといっても過言ではない。

それでも、なぜみんな選挙に行くのか?

この問いを深く掘り下げてみてほしい。するとその答えが一つ見つかり、結局「自己満足」に行き着くことだと気づくはずだ。

例えば、ガーシー氏が当選した時、「そもそも民主主義って機能してるのか?」という議論が一瞬だけ広がった。けどその議論はすぐにフェードアウトして、誰も本質的なところまで突っ込んで考えなかった。民主主義が本当に機能しているのか? 投票という行為自体が、今の政治にどう影響を与えるのか?それを考えることがなかった。なぜなら、そのほうが楽だからだ。無責任選挙に行って、「自分政治を変えたかもしれない」なんて錯覚に浸っているほうが、楽なんだよ。

そして、この「自己満足」の仕組みがどれほど強力か。

投票をした自分安心感を与えてくれる。やれるだけやったという一種の達成感を与える。それはパンとサーカスのようなものだ。

人々が目の前の娯楽に満足し、生活が豊かに見えたとしても、その背後で本当に大切なことが進行しているのを無視してしまう。それと同じように、投票という行為も、私たちが本当に求めていることから目を背けさせ、無理に心を満たすための手段に過ぎない。

実際、投票によって政治が本当に変わるかなんて、ほとんど期待できない。

政治が変わるためには選挙だけではなく、もっと深いところでの戦いが必要なのは誰もが分かってはいるはずなのに何もしない。

要は皆、夢を見ているだけなんだよ。

投票あくまで「自己満足」のためのもの。少なくとも、政治を変えるための本当の力にはならない。それを理解せずに、ただ「自分選挙に行って投票たから、何かが変わるはずだ」と信じ込むのは、正直、救いようのない馬鹿だと思う。だって投票したところで、実際にはその一票が何かを変えるわけではないから。政治を動かすためには、もっと強い意志と行動力が求められる。選挙だけで解決できる問題なんて些細なものしかないんだ。

そしてその些細さは、そもそも投票せずとも解決できたかもしれない問題なんだ。

結局のところ、選挙に行って投票することで「自分はやれるだけやった」と満足することは、ただの幻想に過ぎない。

政治は変わらないし、そんな幻想に浸ることで、我々は本当の問題に目を向けることなく、満足してしまう。

まり政治の変化を本気で望むなら、選挙で一票を投じる以上のことをしなければならない。

そのことを真剣に考えたとき、「投票政治が変わる」という信念は、単なる幻想に過ぎなかったのだと気づくべきだ。

それでも気づかずに、のうのうと、今でも投票することで政治が変わるなんて本気で思っている奴は、救いようのない馬鹿だ。

そう、だから政治は救わない。

2024-11-16

anond:20241116151110

人の過去だけを見て悪いと断じるのはおかしいと思う。

泉房穂氏も、斎藤知事パワハラを痛切に批判しているよ。

泉房穂氏、斎藤兵庫県知事パワハラ疑惑で苦言 「知事は脈々と官僚出身県庁“ヨイショ体質”が…」

https://news.yahoo.co.jp/articles/a3752194071c2bbe1e43cda0061bf829c9b8f265

 斎藤知事尋問で、職員に対するパワハラ自体を認めずに、「至らない点はあった。過去は取り戻せないので、もっと良い知事としてやっていく。言動はより慎重に、襟を正していく」と、反省言葉を述べつつ続投への思いを口にした。

 こうした斎藤知事言葉に、泉氏は「本人は開き直っている。『自分が悪い』とは全く思ってない。むしろ自分被害者のような感じだ」との印象を持ったという。

 そして、「最後まで(パワハラなどの疑惑を)認めないだろう。時間が経っても、スタンスは変わらない。(百条委を)漫然と続けても平行線をたどるだけ。今後、事実が明らかになるのは難しい」と述べた。

 さらに、「政治家必要なのは、(ドイツ政治学者マックスウェーバーが言うように)情熱判断力、そして責任感。斎藤知事には責任感が欠けている。責任転嫁、という言い方のほうが良いかも知れない」と指摘した。

 そのうえで、「次のステージとして不信任決議案提出という流れになるだろう。県議会の動きが注目される」とした。

 泉氏はこうした事象について、「こうした“モンスター知事”を生み出したのは、古い兵庫県庁の体質も原因だ」とも指摘した。

 「兵庫県では、1962年から62年間も、官僚出身者が脈々と知事であり続けている。これは全国でも珍しい。こうした土壌で、職員知事を『ヨイショ』する、持ち上げる文化が、こうさせてしまったのではないか斎藤知事本人のみならず、兵庫県庁組織自体が本当に県民を見ているのか、今の時代に合った政治をしているのかと思う」 と、自身明石市長だった12年間の政治家時代と重ね合わせた。

 そのうえで、「知事だけを変えれば良くなるという問題ではない。県庁組織としての体質が変わらなければ」と述べた。

斎藤知事の下の名前「元彦」に思うところもあると表明している。

https://x.com/izumi_akashi/status/1832384122167407034

泉 房穂(いずみ ふさほ)

@izumi_akashi

斎藤元彦知事」の「元彦」という名前の元となった「金井元彦知事」は、優生思想に基づいて『不幸な子どもが生まれない運動』を提唱し、障害者の見殺しも含めた理不尽差別政策を、兵庫県庁をあげて強硬推し進めた人物。正直、何かと思うところもある・・・ https://news.yahoo.co.jp/articles/41ac1d7e044a89c4ca4e28ba2c3dd4931a832115



これを読んで、私だったら自分の子供に「元彦」より「房穂」って名前を付けたいなと思ったよ。

何が何でも東大出や医学部などのエリートになってほしい訳じゃない。

泉房穂氏のように、弱い人のために動き、強い者には強い言葉であらがえる力を持った子に育ってほしい。

2024-10-31

anond:20241029192437

総裁選の時点で自民党が負けることは決まっていました。あの総裁選のあり方は国民の声無視して党内の政治総裁を決める自民党姿勢岩盤保守層が嫌気をさした、ということを政治学者の藤井聡氏が指摘していましたが、それが当たっていると思いますね。

2024-10-02

女性閣僚官僚がふえればいいの?

ある政治学者女性閣僚官僚が増えることは大切だとX(旧Twitter)に投稿していました。

しかし、問題は”弁えたひと”は結局傀儡としてしか役割を果たさない、また、女性用のポストができて、

そこを次々と襲っていくだけでもしょうがないということですね。

特に女性就任した時にだれかの傀儡ではないのかというのは結構重要な点に思います

そしてそれは意外とリベラル政党でも感じるところです。

(たとえば某政党女性議員がつぎつぎと選挙区を変えていくとか)

2024-09-28

政権交代あると思う?

自分野田の立憲でも政権交代して欲しいと思ってるんだけどXの野党寄りの政治学者ポスト読むと政権交代は無理だけど立憲の議席は伸びるけどぐらいな感じ?なんかそんなに今の政治に満足してるんかな。値上げヒーヒー言ってる人ばかりなんだけど

2024-09-20

日本共産党、突如第一党に──悲劇日本政治大転換

「振り返ると、あの時代はやはり、日本近代政治において最も暗い時期だったと思います。」

203X年、政治学者や社会評論家たちは、202X年に起こった日本共産党(JCP)の政権奪取について語る時、その口調には重い沈黙が伴う。彼らは、あの時代がどれほどの混乱と失望に満ちていたか、そしてその後遺症が今なお日本社会に影を落としていることを痛感している。

自民党崩壊国民の「絶望選択

202X年、日本は長年の自民党政権が突如として崩壊し、JCP第一党となった。この大転換の背景には、経済の長期停滞、深まる経済格差、そして自民党政権に対する国民の信頼崩壊があった。特に若者たち未来希望を見出すことができず、自民党保守的政策が彼らの生活改善することはなかった。就職難、住宅価格の高騰、少子化の進行、そして年金問題が絡み合い、多くの若者は「変革」しか道はないと感じていた。

JCP政権を取ったのは、国民積極的共産主義を支持したわけではなく、既存政党絶望した結果です。彼らは、もはや失うものがないと感じていたのです」と、ある政治学者は語る。国民の多くがJCPに託したのは希望ではなく、破壊的な変革によって何かが変わることへの淡い期待だった。しかし、それがどのような結末をもたらすか、誰も理解していなかった。

政権奪取後の初期混乱

JCP政権を取ると、直ちにその理想主義的な政策が打ち出された。最低賃金の大幅引き上げ、労働者権利強化、累進課税の強化、大企業への規制強化が次々と施行され、政府は「労働者のための新しい時代」を謳い上げた。しかし、その影響はすぐに経済に現れた。中小企業は増大するコスト負担に耐えられず、倒産が相次ぎ、雇用が急激に縮小した。

労働者保護しようとする政策が、逆に労働市場全体を破壊してしまいました。企業資本海外に移し、失業率は急上昇。残された労働者たちは、希望があったはずの政策失望していました」と、当時の経済学者は述懐する。失業者の増加は、JCPが掲げた「平等社会」という理想とは程遠い現実を突きつけ、社会的な混乱が一気に広がった。

外交防衛崩壊

国内経済問題に加えて、JCP外交政策もまた重大な転換点を迎えた。日米安保条約廃止という政策は、彼らが政権を握る前から掲げていたが、政権奪取後にそれが実現に向かって進み始めると、国内外で強い反発が生じた。アメリカ政府日本防衛義務放棄するかのような動きに対し、厳しい態度を取り始め、日本は一気に国際社会から孤立し始めた。

防衛の空白をどう埋めるのか、政府は明確な答えを持っていませんでした。非武装中立を掲げたものの、現実の脅威に対して無策であることが露呈しました」と、元防衛省高官は述べている。中国北朝鮮軍事的脅威が増大する中、日本は自らの安全保障担保できなくなり、防衛力強化に急遽乗り出す必要があったが、それはJCP理念と大きく矛盾していた。

政党内部の分裂と無力化

さらに、JCP内部では早くから対立が生じていた。理想主義を貫こうとする急進派と、現実路線模索する穏健派の間での争いが激化し、党内の団結は次第に崩壊していった。当初、改革旗手として国民の期待を集めたJCPであったが、内部の混乱が続く中で政策一貫性を失い、党内の一部は離党を示唆するに至った。

「党が掲げた理想が実現できず、むしろ国民生活悪化させてしまったという自覚が、党内の若手議員たちに広がり始めました。改革が進まないどころか、全てが行き詰まっていたのです」と、元JCP党員が当時を振り返るように、政党内部での分裂が政権運営に大きな打撃を与えた。

社会失望政治的幻滅

こうした混乱の中で、国民の間には急速に幻滅が広がった。JCP政権に期待をかけていた層は、経済悪化外交問題に直面し、自分たち選択が間違っていたことに気付き始めた。特に地方経済は完全に崩壊状態に陥り、失業率の上昇と福祉の低下が重なり、国民生活は次第に悪化していった。

私たちはあの時、変革が希望になると信じていました。しかし、現実は違った。私たち選択が、むしろ日本さらに苦しめる結果になったのです」と、当時若者だった国民が述べるように、社会全体が「変革の失敗」を痛感するに至った。もはや希望はなく、政治に対する信頼も完全に失われていた。

失われた時代の教訓

「あの時代は、私たちいかに無力だったか象徴している」と、203X年の社会評論家は語る。JCP政権運営は理想現実乖離によって破綻し、日本社会は深刻な分断と停滞に陥った。この経験から得た教訓は、「政治選択いかに国の未来を左右するか」という厳しい現実であり、今後の日本社会がこれを乗り越えるためには、あの「悲しい時代」の失敗を忘れてはならない。

日本があの時、何を失ったのか。そして、それを取り戻すのがいかに難しいか。それを思い出すたび、私は胸が痛むのです」と、識者は静かに言葉を結んだ。

「どうすれば変えられたのか、悔やんでも悔やみきれない」

多くの識者がこのように反省の念を抱きながらも、振り返れば、それはもはや手遅れであることを知っている。あの時、何かが変わっていれば――もっと早くに、目の前の問題が見えていたならば――日本は、異なる未来を手にしていたかもしれない。だが、その「もしも」は、今となっては叶わない夢であり、選び取った結果の重さを受け入れるしかないという現実に、人々は否応なく直面している。

私たちは無力だった。しかし、もっと無力だったのは、あの危機が目前に迫っていたにもかかわらず、誰もがそれを本気で直視しようとしなかったことです。無知や油断、そして過信が日本をあの道へと進ませたのです。」

振り返って見えるのは、自らが選び取った決断の結果であり、それを避けることができたはずだという後悔の念に駆られた国民の姿だ。もしも当時、もっと冷静に、もっと現実を見つめていたら――この反省未来日本に引き継がれなければならない。

屈辱と後悔、それが我々の未来への教訓である

識者はそう締めくくりながらも、その言葉には、深い屈辱悔恨がにじんでいた。失われた時代に何もできなかった無力感が、未来への一歩を踏み出すべき教訓として刻み込まれた。そしてそれは、次の世代に託された希望への道標となることを願っているかのように、静かに語られていた。

2024-08-30

教養についての雑感

https://anond.hatelabo.jp/20240829195553

を読んだ。部コメもたくさんついて、ツリーでも教養メリットって何よ的な話題が盛り上がっているので、個人的になぜ教養必要か感じていることをざっくりまとめてみる。

対人関係を円滑にするための知識としての需要

話のきっかけとして全国の地名や名所・名物を知っていれば、初対面の人との会話のきっかけになる。

「××市のご出身ですか、カニうまいところですよね。え、地元の人は漁師さんから余ったやつをタダでもらえるんですか?うらやましい!」

的な感じで無難話題の引き出しのストックが増えるので、うわさ話や下ネタのような『ゲスい』話題に頼らずに関係構築ができるようになる。

地理的知識だけでなく、文学映画音楽等のカルチャーでも同じことは言えるけど、古典作品に限らずファーストガンダム北斗の拳といった昔のアニメ漫画現在では教養扱いになっているといえると思う。

また、テーブルマナーのような知識を知ることで、場にふさわしい行動をとれて恥をかかないという側面がある。一例として、フィンガーボールは指を洗うものという知識があれば、中の水を飲んで会食に居合わせた人たちから奇異の目で見られずに済む。

そんなわけで、教養は人と仲良くなるためのプラス要素を増やす材料にもなるし、不快な行動をとって嫌われることを避けるためのマイナスを減らす材料にもなる。

人生の楽しみを増やすための需要

コロナ禍後に旅行支援企画がたくさん行われたので、その機会に旅行に行った人も多いと思う。

旅行に行く際に、教養がなければ新し目できれいなホテル温泉に泊まって、「あー温泉入って飲み食いして楽しかったな」で終わってしまうと思う。 (それでも十分な娯楽だと思うけれども)

この時に、高知カツオとか、氷見ブリとか、地域特産品を知っていると東京大阪といった都市圏では体験できない食の奥深さに触れることができたりする。

また、建築に関する知識があると、駅前建物建築家の○○の作品だとわかって旅先で散歩するだけでも楽しくなったり、その町出身小説家を知っていれば、作家の△△はこの環境で育ってあの作品を書いたのだなと感慨にふけることもできる。

そんなわけで、教養人生の楽しみを増やすのにも役に立つ

概念を簡潔に伝えるための需要

岩をくりぬいた住居が立ち並ぶ不思議光景があったとして、「カッパドキア」という地域を知っていれば「カッパドキアのような光景」というだけでカッパドキアを知っている人同士には話が伝わる。

シェイクスピアヴェニスの商人を知っていれば「シャイロックのような強欲な商人」という表現だけでどんな人物か伝えることができる。

まあ、この文脈で差す教養メリットでもやはり、オタクカルチャー教養化しているなと思う。「シャイロックのような強欲」という言葉も、「範馬勇次郎のような怪物」という言葉も、イメージが沸く人の間で概念を簡潔に伝えるという目的は同じだからだ。

ネットミームにしてもそうで、事故が起きうる危険シチュエーション概念を指すネットミーム現場猫」なんてのは広く使われるようになっているし、これも現代では教養範疇になっているといってよいだろう。

有識者の真贋を見抜くための需要

ここ数年の間に、世界では新型コロナウィルス流行したり、ロシアウクライナ侵攻といった事件が縦づ付けに起こった。

こういう大事件が起きた時には専門家メディアに登場するわけだけども、どんな専門家発言が信頼できるか見抜くのにも教養は役に立つ。

大喪の礼」ということばを「たいものれい」と呼んだ政治学者がいたが、教養があれば「この人は基本的知識が不足しているのにメディア露出しているんじゃないか?」と疑うことができる。

また、研究者がどういうライフスタイルを過ごして、どういう活動が実績として評価されるか知っていれば、専門分野外の話題にも軽々しく回答する有識者や、メディア露出を優先するあまり研究業績が一切ない「ひやっしー」のような人を怪しいと判断することができる。

こういう自分とは異なる職業生活を知っているというのも、教養の一つの側面といえるだろう。

2024-07-20

昔は高校生飲酒喫煙OKだったとか書いている人がいます

河野某という政治学者の人のツイートが流れてきて、

昔は高校生飲酒OKだったようなことを書いてますが、

小生が知る限り、1970年代には、小生の先輩で喫煙がばれて、高校生のある球技地方大会個人で出場禁止になったひとがいました。

なので、大目に見られていたといっても公にはダメだったということでしょう。学校によりですかね。

これは、見つかれば辞退や謹慎になった学校もあったということです(東京多摩地区学校)。

あと今回の件はキャンセルカルチャーではないような。むしろネットでは出していいという人が多いように見えます

もっとすごいのは、行動規範に反したことについて、法より厳しいものを作るのはおかしいというようにいってますが、

体操協会だかJOCだかが、五輪の出場にあたって、こういうものを定めるのは別におかしくもなんともないと思いますが。

もちろん個人自由範囲はあると思いますけど、この期間は集団行動になるし、ぴりぴりしているので、お互いのためにこれは守ろうよ、ということじゃないでしょうか。

内部告発があったということは”目に余った”ということですよね。被害を受けた人がいたということです。

また、この機にいいたいですが、よく取り上げられるバスケット選手の件は、現地の警察犯罪として逮捕したわけでもないので、

しろかなり微妙と思ってます。正直にいろいとろしゃべった結果バスケット協会記者会見に出して、

記者が法を犯したかのように攻撃しまくった選手のほうがよっぽどかわいそうだったと思います

小生は三屋さんが一緒に会見で謝罪して、当人たちも出させたことは、そのあとを考えるととてもいいとは思いました。そこまではよかったと思うのですが、

ただ、法的な犯罪かどうかははっきりとダークであることを言ってあげたほうがよかったと思いました。

2024-07-15

橋下徹学問とか研究予算に対しては(良くも悪くも)大して興味なくて、

政治学者みたいな奴が文句だけ言ってくるのが腹立っただけでしょ

必死反論してもしょうがないだろと思うけどな

2024-07-13

anond:20240713094050

これか。

http://rbnet.jp/shiryo/opinion10.pdf

いうたかてこの人は生命科学者っしょ。社会学者でも犯罪学者でも政治学者でもないじゃん。京都大学名誉教授からといって「社会の悪」の話を正しく語れる保証にはならない。

(まあそうだとしても必ずしも正しいこと言うわけでもないけどな。)

しろ増田が「ちなみに文系の人じゃないからね?」とかわざわざ言ってて、文系じゃなかったら正しいことを言うはずって思ってるのもうける。ネットの言説に追従しすぎだろ。

そんでこの名誉教授の人はつまり、『福島原発事故の原因究明について国家予算委員会東電が責められてるけど、東電いくら無理だっつったってそれを押しても調査に入るのがわざわざそのために独立機関にしてる国会事故調査委員会のやるべきことだし東電ちょっと無理じゃねって言われたくらいで諦めちゃうのは論理的判断ではないでしょ、専門性いくらあったかてそれを使えないようにしてるのはそういう「俺の専門じゃないから」っていう個々の無責任判断が積み重なった結果なんじゃね?それが知的怠惰ってことなんじゃね?』って言ってるんでしょ?

まあそんで専門家ってことなら俺も呼べよってことだったのかね…ちょっとその辺はよくわかんないけど、とにかく専門家自分の専門外かもしれなくても社会貢献のためにいっちょかみしていけよ、それしないことが悪とか社会的愚行に繋がるやぞってことが言いたかったんじゃないかねー。しらんけど。

まあそれなりにいいこと言ってはると思う。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E9%82%89%E6%AD%A3%E5%B7%B1

でもそれが親に虐待されたり虐められたから育まれたっていう「病的ナルシシズム」とどう関係するのかはこの文章からは全くわからん

マジでなんであの文章の枕にこれ持ってきたのかわからん

そんでその本題じゃない冒頭を読んでああい感想になる元増田ちょっとよくわからん

とにかく多分増田の持論である「世の中の悪は毒親持ちかいじめられっ子によって作られてる」っていう理屈を補強してくれそうなものチェリーピッキングしてるに過ぎない。

ちょっとしろ面白くなってきちゃったんだけど、もう書けば書くほど増田自身権威追従してるし、それこそが知的怠惰なのではないのか。

まあ毒親とかイジメ茶化すような問題じゃないっていうのは正しいと思うけど、そういうネットに転がってる文章から自分の気にいる部分をつまみ食いして「自分の持論が正しかったのだ」って悦に浸るのこそがつまり知的な感じがするもの」に執着しているってことだとは思わんかね?まあネットではよく見るやつだけど。

元増田はその気持ちが一番わかってて実践してるほうの人だと俺は思う。

2024-07-07

もっとヤバいのは40歳独身女性

他害性が高まるのをヤバいというなら、女性30代のそれは入り口かもしれん。もっとヤバいのは40歳前後定職についてない人だと思っている。実家にそこそこ金があったり、親の価値観が古く女は結婚が当たり前で必死で働かなくても良いとされたりして、いわゆる家事手伝いか、バイト程度の拘束時間仕事しかしてこなかった女。

若い時に少し美人とか、文系学歴が少しあったり、家が少し立派とか、何か周りよりちょっと上の意識がある。でもぬるま湯の中で何も苦労せずに40まで来てしまった。そういう女が、アイドルではなく微妙アクセスできるマイナー著名人、著者や学者などにハマる。そしてSNSで何かを勘違い相手好意を持たれていると思い込み(時には1回寝ていることも)、講演会学会に現れてトラブルを起こす。ストーカー化する。何らかの病気だろうと思うが、社会的繋がりが少なく、親も高齢対応ができない。

ある意味かわいそうな『天人唐草』のキェエェェ女系統だが、他害するところが恐ろしい。もっとも、こういうのは10年ほど前に某心理学者政治学者金融作家学会マイナー作曲家などの周りで起きていたことであり、時代世代が変われば状況も少し変わってくるかもしれない。

https://anond.hatelabo.jp/20240704113754

2024-06-22

政治学者ポスト

選挙でのポスターについて、政治学者赤瀬川源平が同じことをやったら左の人たちは喝さいしたんじゃないか

というようなことを投稿していたけど、実際は赤瀬川氏は今そのようなことをやっていない。

固有名詞を出してそういうことをいうのはなんだか”非政治学的”な気がする

2024-06-19

筑波大の外山文子准教授に関するブコメの誤解

当該発言を庇うつもりはまったくないけど、事実関係が違うのはどうかと思うので。

『「そろそろ薬で男性の性欲をコントロールすべきでは」准教授の訴え』へのコメント

文系素養のある(はずの)人間素面発言できる内容か、これ

人文学アカデミズム現代司祭

この人、人文系じゃないよ。専門はタイ政治、つまり政治学者であって、政治学は社会科学系なので、文系ではあっても人文系ではない(文系は、文学哲学歴史学などの人文系と、政治学・社会学経済学などの社会科学系におおまかに分類される。もちろん境界的な研究領域はあるけど、下で書いたようにこの人は直球の社会科学系)。

Synodosでも色々タイ情勢に関する記事を書いてらして、普通に面白いのでみんな読むといいと思う(正直、これらの記事を通して認知してた人だったので、twitterでの発言を見て「Oh......」となってしまう感じ。作者と作品は……別だから……!)>https://synodos.jp/expert/toyamaayako/

筑波大の「人文社会系」というのは、人文系社会科学系の教員所属する集団という意味であって(cf. https://www.jinsha.tsukuba.ac.jp/about)、そこに所属しているからといって人文系研究者とは限らない。同大学の「数理物質系」に所属しているからといって物理学者とは限らない(数学者化学者かもしれない)のと同じ。

大学も貢献してますよ感出すためだけにジェンダー系のポスト設けてあげてるのにどんどんヘイト集めるからかなり煙たいだろうなぁ

上述の通り、専門はタイ憲法とかクーデターとかそういう話なので、ジェンダー系のポスト採用されたわけじゃなく東南アジア研究とか比較政治学とかの枠で採用されてる人。大学ウェブサイトに載ってるご本人の研究キーワードが「憲法改正と民主化政治司法化、汚職取締と民主化、新しい強権的政治リーダーの登場と体制変動、政軍関係立憲君主制の国際比較研究」だからね。ゴリゴリ政治学者ですわ。ジェンダー研究門外漢やろ……

え?フェイクで准教授名乗ってるんでなくマジでアカデミアの人間として本気で?

学者が専門外のことでいっぷう変わった発言をするの、みんな心当たりのあることだと思う。統計力学の分野で名を上げた大阪大学大学理学研究物理学専攻の教授財務省についてどんな発言をなさっているか、皆さんはよくご存知でしょう。

学者は同時に市民でもあるので、学問の追求者として厳格であっても市民としては偏見まみれみたいな人は大勢いるんすよね。ほら、国際日本文化研究センター助教の人だって本業日本中世史ではマトモだったじゃないですか。

なかなかの逸材が登場したな。ポリタスTVに登場するのも近いだろう。

上述の通り、現代タイ政治の分野では有名なセンセなので、たとえばタイでまたクーデターが起きたりしたらそういう場に出てくることもあるだろうし、それは全く問題にすべきではない、とは思う。不適切発言してる理系研究者でも、たとえばノーベル賞解説番組なんかに出るのは全然問題ないだろうし。

ブコメへの応答

「人文系」という定義の話だけで外山先生所業に関しては何も言及していないのだが、ご専門が「タイ憲法学」と聞くと、憲法学という括りではあんまり大差ないかもしれない

まんこれはこちらの説明も悪かったんだが、彼女憲法学者でもないんだ……憲法学は法学の下位区分だけど、このセンセの場合憲法のもの研究というよりも、憲法で決められたシステムがどんなふうに現代タイ政治に影響しているかを論じているので憲法学者ではなくてあくまでも政治学者なんや……

(「9条を素直に解釈すると自衛隊違憲になる」みたいなのが憲法学で、「9条規定がどんなふうに与野党対立に影響しているか」みたいなのが政治学)

いわゆるダメな人文系代表格としてあげられるのが社会学者なんだか社会科学から文系じゃないは通らないでしょ。むしろ哲学倫理学の人たちはこの手の狂い方する人少ない気がする

??????

それは、まず社会学を「ダメな人文系」扱いしてバッシングしてた人たちがカテゴリエラーを起こしていただけなのでは??????

何で他者によるカテゴリエラー責任を呼び間違えられた側が取らないといけないんですか??????

政治学や社会学ふつうは人文系には分類されない、のは単なる事実ですが??????

仮に社会学ダメであったとして、

ってだけの話ですがそんなに難しいですか??????

仮に日本人ダメであったとして、

ってなるでしょ??????

文系内部の細かい違いがわからん場合は、人文系とか社会学とか言わずに素直に文系って言っておけばよいのでは。社会学者でも何でもない文学研究者や歴史家社会学者って言われてる光景、浜の真砂ほど見たので。

社会学社会科学ではないというのは分かるけど人文科学社会科学の線引きは何なのだろう?法学政治学や経済学など社会科学は「技術」を論ずるもので、人文系は「価値観」を論ずるみたいなこと?

人文学に分類されているもの人文学社会科学に分類されているもの社会科学です(進次郎構文)

……いやマジでこれはそうとしか言えない。文学哲学歴史学宗教学ってだいぶ違うし、伝統的に人文学にまとめてます以外の説明しづらい……(アジア本質って何ですか? って聞かれてる感がある。日本パキスタンモンゴルインドネシア共通本質……? とりあえずヨーロッパアメリカではないです、あとワールドカップでは同じ地区で予選してますね、みたいな……)なので、線引きがわからんって人は、こういうもんだと割り切って「人文学に含まれ学問リスト」を丸暗記するか、無理に人文学とかの言葉を使わず個別学問名前で呼べばいいと思います

何を思って増田がこれ書いたのか分からんが、学部とかどうでも良くて差別的発言するって教育者としてどうなの?てだけの話です/コロンブスの時と良い、最近話をわざわざややこしくする人多いね

盗人猛々しいな。話をややこしくしてんのは政治学者を人文系学者と誤認した連中だろ。そいつらが間違った認識を振りかざしてなけりゃ訂正記事書く必要もねえんだよ。話をややこしくしたくないなら間違った事実認識に基づくコメントをつけんじゃねーよ。

学問カテゴリーとかどうでも良くて、人として言ってはいけない差別発言をしてしまったというだけの話。

カテゴリけがどうでも良いなら指摘されたら直せば良くないですか??????

「外山准教授人文学者やジェンダー研究者と間違って呼ぶ人がいなければこんな増田を書く必要はなかった」という当然のことを忘れないでもらっていいですか??????

初代ガンダム描写批判するのはいいけど、「これだから萌えアニメは」とか言ってたらおかしいし突っ込まれるでしょ? マジでそのレヴェルの話であるのを分かってほしい。萌えアニメ定義わからんなら「これだからガンダムは」とか「これだから日本アニメは」って言っとけよってこと。

外部から一般人視点では社会学は人文扱いされがち。

そんな「アジア系以外の一般アメリカ視点では日本人チャイニーズ扱いされがち」とか「非オタ以外の一般人視点では宇崎ちゃんエロ漫画扱いされがち」みたいなこと言われても……

スコットランド平原の真ん中に黒い羊がいるのが見えた。 天文学者:ここの羊はみんな真っ黒なんだね。 数学者:少なくとも1匹の羊が居て、さらこっち側の片面が黒いということが分かるだけさ。

ぼく「そこはイングランドです」

2024-05-28

anond:20240528134343

書いてないことを妄想してるだけなのわかるか?

見てるモノである程度想定できるだろ



ひろゆきにハマる奴、転スラにハマる奴、反ワクチンにハマる奴、水素水にハマる奴、ネット右翼言論人にハマる奴、アムウェイにハマる奴

経済学者アムウェイにハマらないし、医師水素水にハマらないし、政治学者ネトウヨにハマらない

特定認識知識感覚をあるレベル以上に欠いている人間であることを指しているにすぎない

anond:20240528134343

書いてないことを妄想してるだけなのわかるか?

見てるモノである程度想定できるだろ


ひろゆきにハマる奴、転スラにハマる奴、反ワクチンにハマる奴、水素水にハマる奴、ネット右翼言論人にハマる奴、アムウェイにハマる奴

経済学者アムウェイにハマらないし、医師水素水にハマらないし、政治学者ネトウヨにハマらない

特定認識知識感覚を欠いている人間であることを指しているにすぎない

2024-05-25

信条自由プライバシー

このふたつは同じものではないのでは。

政治的意見の表明や信仰についてはもともとパブリックに表明して、そのうえで差別されないことが憲法の定めでしょう。

表明していない信条国歌保護しようがないように思いますが。

そこで思うのはやはり憲法が定めているのは恩恵的にどの宗教信仰してもいいという自由を与えているのではなく、国家はどういった宗教を信じようと、それによって差別があってはいけない、ということなんだと思います

そうなると、例えば国家戦没者慰霊するときに、特定宗教排除しちゃいけないという意味なのかなと。

で、それは亡くなった人の信条にも当然配慮すべきですが、配慮することはどういうことなのかは微妙問題あるかなという気がします。(例えば遺族年金対象外などにしたら問題だけど、慰霊碑に記名するのはやめてほしいという遺族の依頼をどう対応するかなど)

政治学者某氏たちの投稿を見ていると、何かプライバシー政治的信条は同じものであるように思われているような気がする。

しかし、確かに政治的信条アイデンティティの一部ではあるけど隠されるべきプライバシーとは違うのではないか

ちなみに小生は教会という場所法人としてパブリック場所なので宗教法人としての保護に値すると思ってます

2024-04-28

anond:20240427031516 「0歳児から投票権」はドイツでどのように議論されているのか? の補足

 ブックマークコメントを読んで再び考えたことがあった。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240427031516

gryphon 面白く読んだが2点。「…付託されたが、その後本格的な審査…ない」は議会が駆引と日程で動く以上あり得る話で「付託」時点で一定水準の議論推定可能か/米上院(各州2議席)等「平等選挙原則」は前提にせずとも可

 平等選挙原則の話はあとに回す。議会駆け引きと日程で動くのであれば、付託政治的取引の結果と解することもできるような気がするというのはともかくとして、確かに議会駆け引きの結果たなざらしにされているという可能性はある。そこで、先の2008年提案をもう少し細かく読んで見た。

https://dserver.bundestag.de/btd/16/098/1609868.pdf

 よく読むと、この提案は、基本法や関連法規改正連邦政府に促すべきだという「決議」の提案であり、基本法改正の条文を並び立てる案ではない。条文も具体的な制度設計も伴わない提案一定水準の議論と言って良いのか。だから賛否も問われずにたなざらしにされたのではないだろうか。以下の文章以外は、提案理由(いわゆる「世代正義」の実現が主のようだ)が長々述べられているに過ぎない。

II. Der Deutsche Bundestag fordert die Bundesregierung auf, einen Gesetzentwurf zur Einführung eines Wahlrechts von Geburt an durch Än- derung des Artikels 38 des Grundgesetzes und erforderliche weitere gesetzliche Änderungen, insbesondere im Bundeswahlgesetz, vorzulegen. Für den Fall, dass die Eltern sich in der Ausübung ihrer Stellvertreterposition in Bezug auf das Kindeswahlrecht nicht einigen können, wird die Bundesregierung aufgefor- dert, eine einfache und beide Eltern möglichst gleichberechtigende Regelung zu schaffen.

連邦議会は、連邦政府に対して、基本法第38条と他の必要法律改正特に連邦選挙法の改正を通じて出生時から選挙権を導入する法案を提出するよう求める。両親が子の選挙権についての代理行使[の方法]について一致できない場合のために、連邦政府には、簡単かつ両親双方に可能な限り同権的な規則作成することを求める。

 ちなみに、Wikipediaドイツ語版(https://de.wikipedia.org/wiki/Familienwahlrecht)を見て知ったのだが、2003年にもほぼ同じ提案がされている(https://dserver.bundestag.de/btd/15/015/1501544.pdf)。

 こうして経緯を調べてみると、議会妥協ゆえにたなざらしにされているというよりも、5年経って具体的な案も詰められなかったというのが現実であるように思われる。

kappa9 結果はともあれ海外で真面目に議論されたというのは本当の話では。

 「国会で」とか「政府で」という枠を外して学界に目を転じると、確かにドイツ人らしく(?)真面目に議論されているみたいだ。前回の調査局の報告書には、数は少ないながらこの問題を直接的に取り扱った論文がいくつか引用されていた。彼らが議論しているのは基本法の定める民主国家原理に反するのか、それを促進できるのかという点である問題は、そうした真面目な議論をきちんと踏まえた上でドイツ人ができなかった(ように見える)平等選挙原則に反しない提案を考案するどころか、子が3人だから私は4票(吉村氏)などと賛成派のドイツ人も避けようとしている発言をしてしまっていることだ。

 さて、平等選挙の話に戻る。アメリカ上院人口にかかわらず一州に2議席であるしかし、このような例があるから平等選挙は必ずしも民主主義の前提ではないというのに私は強い疑問がある。

 第一に、合衆国憲法上院議席分配については、アメリカ連邦特有のものであるアメリカのような連邦制をとらない日本でこの例を出すことは不適切だろう。

 第二に、アメリカ上院議席分配が不平等であることは、当のアメリカ人も不満を持っている。たとえば有名な政治学者ロバートダールの『アメリカ憲法民主的か』(邦訳岩波書店からある)は、上院議員が人口に比例していない「顕著な不平等代表であると述べる(邦訳58頁以下)。この仕組みは合衆国憲法制定時に諸州の妥協(いわゆるコネティカット妥協)で作られたわけであるが、そもそも合衆国憲法民主主義大事にされる時代に制定されたわけではないというのが時代背景としてある。合衆国憲法が制定された時代には、不平等選挙制度普通に見られた。ダールは一例として、19世紀存在した悪名高いプロイセンの三級選挙法を引き合いに出している。三級選挙法は、平等選挙を求める激しい非難を浴びながらもしぶとく生き残っていたが、第一次大戦の敗北と共に消え去ったのである選挙権は与えるが露骨ユンカー資本家の票を優遇するこの仕組みは極めて有名であり、今でも平等選挙の反対概念である差等選挙の一例として三級選挙法はよく言及される。今さら民主主義大事にされていたわけではない時代にできた妥協として生き残っているものを引き合いに出すのは、民主主義者の行動としてはおかしものだと思う。ちなみに、ドイツ連邦参議院(上院)は、ある程度の人口比例的に各州に議席が割り振られることになっている(また、そもそも連邦参議院はアメリカ上院ほどの権限はない)。

 ケルゼンも言っているが、民主主義は人々の平等をもって本旨とする(古代ギリシア民主政も突き詰めれば平等に行き着くだろう。民主政を表すもう一つの言葉はイソノミア(平等の法)である)。選挙権の平等民主主義と切っても切れないのであり、ドイツ人平等選挙に反しないように「代理」と言っているのは、ドイツ基本法憲法20条に抵触するのを避けるためだけではないだろう。もし平等選挙理念を取っ払うのだとすれば、金持ちが結託して再び三級選挙法のような仕組みを導入されても文句は言えない。むしろ今般の眠たい提案よりも金持ちを守るための露骨提案の方が議会を通りやすいだろう。平等選挙を引っ込めてはならない。

 選挙権の平等に歪みを加えるような制度改正をしても、政治的影響力を増すのは「代理」する大人であり、子どもではないという現実を見るべきだ。若年者の「世代平等」とやらを図りたいのであれば、方法は一つである。「代理」などという回りくどいことなどせず、選挙権の年齢を下げることだ。16歳、(オーストリア検討されている)14歳、あるいはその下でもいいが、子ども投票意思表示をすることができるギリギリまで下げてみることを提案されたい(ちなみに私は、14歳くらいまでなら割とすぐにでも引き下げて良いのではないかと思う)。

(ついでに)

 意思表示能力がない子ども排除されるのになぜ意思表示能力のない人(たとえば重度な認知症の老人)が選挙から排除されないのかという疑問を持つ人もいるらしい。理論的にいえば、確かに意思表示能力のない人は選挙、つまり国家意思形成参与する資格はない(実は理論的にいえば子どもか老人かは選挙権の決定に直接関係するわけではない)。そうすると、なぜ2013年の法改正成年後見人の選挙権が回復されたかという疑問がわきそうだが、後見あくま財産管理上の能力があるか否かの問題であり、政治的意思表示能力があるかとは厳密にいえば関係ない※。要は、現状、意思表示能力のない大人選挙から排除する仕組みはないと考えなければならない(もっとも、実際には政治的意思表示が一切できないなら投票所に来られまいし、投票所に来ても何もできないだろうが)。

 憲法が成年(ここでいう成年とは民法上の成年をいう)に選挙権を保障するのは、成年であれば政治的意思表示能力があるだろうという線引きを採用しているかである。こうした年齢によって能力の有無の線引きにするのは、一見すると確かに問題がある。子どもでも賢い子はいるし、大人でも愚鈍な人はいる。思考実験としては、年齢にかかわらずすべて政治的意思表示能力がある人をテストで判定し、テスト合格した人にみに選挙権を与えるということも考えられる。ただ、どのような方法テストを組めば公正に政治的意思表示能力があると見なせるかという問題が生じる。このようなテストを実際に恣意的活用して実質的黒人投票権を奪っていたのがかつてのアメリカ南部諸州であったことを忘れてはならない。

 結局、年齢によって形式的に線引きする方が、ヨリ問題はすくないように思う(年齢よりも問題を起こしにくい線引きの方法があったら教えてくれ)。あとはどこまで下げられるかを真剣に考えることだ。

 なお、日本憲法15条3項は、成年者には選挙権を与えなければならないとだけ言っており(公務員選挙については、成年者による普通選挙保障する)、未成年者に選挙権を与えることを禁じていない。これは、ドイツ基本法38条2項が、「満18歳の者は、選挙権を有する」と定めていることと対照的である。年齢の引き下げなら日本では憲法改正など必要なくすぐさまやれることなのに、わざわざ憲法改正どころか民主主義根本原理を改変するような提案をしてくるのは、何かおかしな底意があるのだろう。

※これは思いつきだが、禁治産者選挙から排除されていたのは、財産を持つ有徳の者にだけ選挙権は与えられるべきであるという制限選挙時代のBesitz und Bildungの観念に由来するのかな。いずれ調べてみたい。

2024-04-26

0歳児に参政権

という某さんの発言に対して、政治学者法律学者などは割とまともにとりあっているのか?

あるひとの投稿では被成年後見人にも選挙権があることと比較していっていた。

しかしそれは違うだろうと思う。”成人”であればいくら後見人がいたとしても”成人”だ。

しかし0歳児は成人ではない。

もし0歳児に選挙権を認めるのであれば義務教育の中での公民教育はどういう意味を持つというのだろう?

学者にとっては公民教育なんてアリバイみたいなもの無意味といいたいのだろうか?

一応日本では”義務教育”で公民教育をやることになっていて、たとえば義務教育を終えていれば新聞なども読めて、

日本国憲法の大枠も理解して、政治的意思を表すことをできるようになって”成人”ということだ。

河野某や大屋某などにとっては、自分たちのような高度な知識をもって初めて政治を語れるのであり、

それ以外は0歳児も同じようなものってことか?

2024-01-26

金光翔 『<佐藤優現象批判

インパクション』第160号(2007年11月刊)掲載

目次

1.はじめに

2.佐藤優右派メディアでの主張

 (1)歴史認識について

 (2)対北朝鮮外交について

 (3)朝鮮総連への政治弾圧について

3.佐藤優による主張の使い分け

4.佐藤優へ傾倒する護憲派ジャーナリズム

5.なぜ護憲派ジャーナリズム佐藤を重用するのか?

 (1)ナショナリズム

 (2)ポピュリズム

 (3) 格差社会

 (4)「硬直した左右の二項対立図式を打破」―〈左〉の忌避

6.「人民戦線」という罠

 (1)「ファシズム政権樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤擁護する

 (2)「論壇」での生き残りを図るために、佐藤擁護する

7.「国民戦線」としての「人民戦線

8.改憲問題と〈佐藤優現象

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

10.おわりに

1.はじめに

 このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。

 だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディア排外主義のものの主張を撒き散らしている。奇妙なのはリベラル左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。

 佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場記述検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。

 「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動共鳴する特定編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチ共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社カラーや論壇の左右を超えて小さなリスク共同体が生まれ編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞社会面を中心に、従来型の検察官邸主導ではない記者独自調査報道が始まる。」「この四者(注・権力民衆メディア学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論公共圏形成していく。」

 馬場見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点であるある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義体制下の護憲派が、イスラエルリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。

 以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮武力行使在日朝鮮人団体への弾圧必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的ものである。「戦後民主主義」が、侵略植民地支配過去とまともに向き合わず在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象しか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。

 私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤右派メディアで主張する排外主義を、リベラル左派容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在ジャーナリズム内の護憲派問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。

 馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である佐藤自身は自ら国家主義であることを誇っており、小谷野敦言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本右翼なんか一人もいない」。

 佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店朝日新聞出版物では、排外主義ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?

 この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。

2.佐藤優右派メディアでの主張

 まず、佐藤排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。

(1)歴史認識について

 佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本ロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立日清戦争日露戦争引き起こした。もし、日本ロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮にらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージ金正日に送るのだ」。朝鮮植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのもの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢反論することは当然のことだ。」と述べている。

 特に大川周明テクスト佐藤解説から成る日米開戦真実大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本近現代史に関する自己歴史認識開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である

 「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国アメリカイギリスによる植民地支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種棲み分け理論である日本人はアジア諸民族との共存共栄真摯に追求した。強いて言えば、現在EUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカ日本妥協を繰り返せば、結局、日本アメリカ保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民活動家の眼には、日本列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリスアメリカはつけ込んだ。日本こそが中国植民地化と奴隷支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。

 右翼たる佐藤面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。

(2)対北朝鮮外交について

 佐藤は、「拉致問題解決」を日朝交渉大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエル国権侵害でもある。人権国権侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在北朝鮮ミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義選択肢には戦争問題解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題解決」においても、戦争視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。

 さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮米ドル札偽造問題が、アメリカ自作自演だった可能性が高いという欧米メディア報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカ情報源情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証根拠も示さずに(反証必要性を封じた上で)、「北朝鮮情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤現在右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。

(3)朝鮮総連への政治弾圧について

 佐藤は、「在日団体への法適用拉致問題動く」として、「日本政府朝鮮総連経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネス利益を得ている勢力牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。

 漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件摘発拉致問題解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮日本交渉する気にさせるのが警察庁仕事。そのためには北朝鮮資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関民族学校などへの強制捜索に理論根拠提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。

3.佐藤優による主張の使い分け

 排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。

 佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。

 一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループサイト上での連載である地球を斬る〉では、「慰安婦問題をめぐるアメリカ報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的立場から日本政府謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題 Permalink | 記事への反応(1) | 18:32

2023-12-03

こんなんもあったわ

Change.org




#軍拡より生活 !~未来の子どもたちのために平和を!

24,488人が平和を求め 軍拡を許さない女たちの会さんのオンライン署名賛同しました。目標賛同数25,000を一緒に目指しましょう!

ワンクリック賛同

岸田政権は、5年で43兆円、GDP比2%という防衛費の増額を打ち出しました。しかし、防衛費は、その詳細が明らかにされておらず、どう捻出するかも決まっていません。むしろ、この軍拡周辺諸国の緊張を高めました。これが、私たちの国のためになるのでしょうか。

 政府がこれまで掲げてきた、少子化対策労働者賃上げ女性や1人親家庭、非正規労働者性的マイノリティ子どもなど、社会的弱者のための公的支援政策が、マイナスの影響を受けるのは明らかです。

 政府の全世代社会保障構築会議は昨年末改革の方向を示しましたが、働く女性過半数を占める非正規労働者子育て支援のための財源論は先送りされました。現状の日本教育への公的支出先進国で最低レベルです。大学までの教育無償化給食費無償化は、3兆円でできると言われながらも先送りされました。これでは物価高の中、子育て世帯負担は重くのしかかるばかりで、この国の喫緊課題である少子化が防げません。

 ところが、自民党税制調査会は、こうした課題真剣に取り組まず、軍事費増額については、法人税所得税たばこ税の3税を増税して財源の一部にあてることを大筋合意しました。

 子ども女性少子化対策なおざりにした軍拡は、この国を衰退させ、諸外国に敵を作るだけです。軍拡の前にもっと外交努力を積み重ね、平和模索してください。

 今こそ、軍事に進む政治から脱し、生活平和を守る「女性目線政治必要です。軍需産業の育成でなく、平和のための産業技術人材投資してください。女性安心して生活し、働ける環境なしでは、男性子ども貧困します。

 戦後安全保障原則の大転換が、国会審議も、総選挙国民投票もなく、特に女性社会的弱者の声を聞くこともなく進められています私たちはこの歯止めのなき軍拡の決定を認めません。

 私たちは、岸田文雄首相政府与党野党各党の代表連合代表に対し、

 1、軍事費GDP比2%を撤回すること

 2、歯止めなき軍拡を押し進めることをやめ、そして女性子ども若者社会的弱者目線に立った政策を進めること

 この2点を行うことを強く求めます。   

平和を求め軍拡を許さない女たちの会

竹信三恵子 ジャーナリスト和光大学名誉教授

杉浦ひとみ 弁護士

上野千鶴子 WAN理事長 東京大名誉教授

前田佳子 日本女医会長

田中優子 法政大前総長

奥谷禮子 ザ・アール創業者

伊藤和子ヒューマンライツナウ副理事長 弁護士

和田静香 ライター

菱山南帆子 市民運動家

福田香子 アクティビスト

平井美津子 大阪大学立命館非常勤講師

浜矩子 経済学者

東村アキコ 漫画家

代表賛同人(順不同)

望月衣塑子 新聞記者

島田雅彦 作家

駒井知会 弁護士

中島京子  小説家

狩野史枝  与那国島の明るい未来を願ういそばの会

高橋済   弁護士

吉永みち子 コラムニスト

米澤明憲 東京大名誉教授

武市正人 東京大名誉教授

西山誠子 弁護士

長谷部大介 DJ/サウンドプロデューサー

井上春生 映画監督

向井徹 編集者

鳥越俊太郎 ニュース職人

平嶋彰英 立教大学経済学部研究所研究員

安彦恵里香 Social Book Café ハチドリ舎

木村医師・文筆人        

古橋綾 大学准教授

渡部睦美 記者編集者

三牧聖子 同志社大学

本田宏 NPO法人利用制度研究会理事

前田亜紀 ドキュメンタリー映像作家/プロデューサー

小野川文子 北海道教育大学教授

吉岡正晴 音楽ジャーナリスト

宮嶋みぎわ 音楽

津山恵子 ジャーナリスト

黒部エリ 叙述業

三上智恵 映画監督

佐々木芳郎 写真家映像作家

加藤雅司 歯科技工士

五野井郁夫 政治学者

髙橋済 弁護士

石田多叡子 自営業

疋田哲夫 放送作家

海北由希子 自営業 

川口真由美 シンガーソングライター

松井寛子 映画宣伝 

柏崎智子 新聞記者

大坂恭子 弁護士          

西山温子 入管面会活動フレンズ」        

出田阿生 新聞記者          

小林由比 新聞記者

奥野斐 新聞記者

藤原恵美子 映画製作 

青木正美 医師   

元橋利恵 大阪大学大学人間科学研究科招へい研究員

清末愛沙 室蘭工業大学大学教授

星野親行 僧侶 

丸川司文 僧侶

加藤真悟 僧侶

那須野あつ子 僧侶

森祐昭 僧侶

徳正俊平 僧侶

木山響心 僧侶

永井康子 一般社団法人 WITH理事

原田冨美子 編集者 

大袈裟太郎 ジャーナリストラッパー

高瀬毅 ノンフィクション作家

中山和郎 合同会社 きろくびと

米田龍也 日刊ゲンダイ 

まのあけみ 名古屋入管人権侵害をなくす市民の会

高田健 総がかり行動実行委員会共同代表

岡田元治 株式会社リンク 代表取締役社長

アルテイシア 作家

朝岡晶子 団体職員

佐治洋 CL代表取締役

豊島智子 ふくふく女将

山田厚史 ジャーナリストデモクラシータイム同人

志葉玲 戦場ジャーナリスト

山岡淳一郎 ジャーナリスト

進藤榮一 筑波大名教授

小林三四郎 配給会社代表       

山崎雅弘 戦史・紛争研究家

小泉朋 映画プロデューサー

北原みのり 作家

庵逧由香 立命館准教授

富岡Grico ドラマー

宮子あずさ 看護師

猪股哲 南西諸島ピースネット共同代表

中津留章仁 劇作家演出家 

石山悦子 演芸作家

大川和子 遺品3Rディレクター

橋本智子 弁護士

馬場紀子 医師 

生田あい 沖縄意見広告運動事務局長

上原公子 元国立市

秋山則子 新聞記者

小林美穂子 つくろい東京ファンド

比企敦子 日本キリスト教議会(NCC)教育主査

中谷臣 東山高校教師

浜田真理子 音楽

深月ユリア ジャーナリスト女優

白井聡 政治学者

高田昌幸 大学教員

海野雅威 音楽

ジョー横溝 『君に問う』編集長ラジオDJ

松元ヒロ スタンダップ・コメディアン 

田中稔 社会新報編集長

藤井誠二 ノンフィクションライター

島薗進 NPO東京自由大学学長

前川喜平 元文科事務次官

三枝成彰 作曲家

打越正行 社会学者

長間信子 与那国島の明るい未来を願ういそばの会

福浜美津子 与那国島の明るい未来を願ういそばの会

山口京子 与那国島の明るい未来を願ういそばの会

増田雅昭 会社員音楽ブロガー

川上真二 社会福祉士

立岩陽一郎 InFact 編集長

北丸雄二 ジャーナリスト作家

宮崎亮 新聞記者

竹田昌弘 通信社記者

鈴木耕 一般社団法人ジン代表理事

岡田行雄 刑事法研究者

恭子 矯風会グループ代表

永尾佳代 熊本原発止めたい女たちの会代表

シェリーめぐみ ジャーナリスト

松本圭介 歌手

有田芳生 ジャーナリスト

工藤剛史 CL取締役

中田亮 音楽

柏尾安希子 神奈川新聞記者

黒田貴子 歴史教育者協議会副委員長

丹羽雅代 一票で変える女たちの会

後藤弘子 千葉大

2023-11-14

anond:20231114172241

お前はアンフェの例に漏れず致命的な池沼から人権とか法律とか分からないんだろうけど正しい順序を教えてあげるね



世界人権主義になった


差別格差への批判の中で、AV風俗グラビアレースクイーン児童婚も、当然アカデミアにも話題になり、批判される

民俗学者社会学者憲法学者政治学者女性学者、批判者は様々。


大学生大学教授海外在住者、などが日本人権意識の低さ、平均的な教養のなさ、女性地位の低さ、に驚いて発言する



④①〜③が何一つ分からない、知能が極めて低く無学でバカジャップオスでもインターネットに書き込める

バカジャップオスが意味不明なことをインターネットに書く

だよ

2023-10-31

anond:20231031142049

日本政党政治の話で難しいのって、未だにコテコテの一党優位政党制を守り続けてる国なんて日本くらいしかいからなかなか他国比較できなんだよな

冷静期なんかは自由主義的な与党社会主義的な野党うまいことバランス取れてた国もあったんだけど、そういう国はだいたい冷戦終結後に野党が崩れて与党も拠り所の社会主義への恐怖が消えて崩れた。けど自民党はこれが起きた細川内閣発足後に一時の民主党政権以外自民党政権を握るって長期政権を維持してる

冷戦後の一党優位政党制なんてどこもやれてないから、良くも悪くも日本自民党先駆者となってどういう顛末を迎えるのか世界に見せる立場になってる。

日本政権交代の話は結局この特異な状態をどう評価するかという話になるから難しいし、これに明確な答えを出せるなら政治学者になれワンチャン歴史に名を残せるぞ

2023-09-26

万物黎明』は人類歴史を誤解している・続きの続きの続き

農業の到来

平等から階層へ、男女平等から著しい男女不平等への転換は、一般農業と関連しており、このことはグレーバーとウェングローにかなりの問題を突きつけている。彼らは選択に関心があるため、唯物論的な議論を避けたり、環境が人々の選択を条件づけ、制限する方法について考察したりすることに固執しているようだ。

農業は、約1万2千年前から世界の多くの場所独自発明された。狩猟採集民は食料を共有し、持てる以上のものを所有することはできなかった。しか農民たちは定住し、畑や作物に投資するようになった。そのため、一部の人々が自分の取り分以上の食料を手にする可能性が生まれた。

やがて、凶悪犯やいじめっ子集団が集まって領主になることもあった。窃盗や略奪、家賃小作料、労働力雇用税金、貢納、什分の一など、さまざまな方法でこれを行った。どのような形であれ、このような階級的不平等は常に組織的暴力依存していた。そしてこれこそが、ごく最近まで階級闘争が対象としてきたものなのだ

農民狩猟民族にはない弱者だった。彼らは自分土地、畑を開墾し灌漑するために費やした労働、そして作物の貯蔵に縛られていた。狩猟採集民は離れることができた。農民はそうではなかった。

しかし、グレイバーとウェングローは、農民が余剰を生産し、蓄えることができたからこそ、階級社会搾取国家、そして偶然にもジェンダーによる不平等可能になったのだという、この物語に立ち向かった。

フラナリーとマーカス

2012年考古学者のケント・フラナリージョイス・マーカスは『不平等創造』という素晴らしい本を出版した。彼らは、世界のさまざまな地域農業がどのように不平等をもたらしたかをたどっている。

しかし彼らは、その関連性は自動的に生じたものではないと主張する。農業階級可能にしたが、多くの農民平等主義の社会暮らしていた。農業発明階級発明の間のギャップは、数世紀単位で測られる場所もあれば、数千年単位で測られる場所もある。

フラナリーとマーカスはまた、地元凶悪犯や領主権力を掌握しても、後に打倒されることが多いことを、注意深い実例を通して示している。多くの町や都市では、エリート考古学的記録に現れ、その後何十年も姿を消し、また現れる。事実上階級闘争は決して止まらないのである[5]。

ジェームズ・C・スコットフラナリーとマーカスの壮大な比較研究は、人類学根本的に変えた1954年エドモンド・リーチの著書『ビルマ高地政治制度』や、アナーキスト政治学者であり人類学者でもあるジェームズ・C・スコットの研究において先取りされていた。[2009年、スコットは『統治されない技術』(An Anarchist History of Upland Southeast Asia)を出版した。同書は数世紀にわたる東南アジア全域を対象としている。

スコットは、平原王国の稲作農民の多くが丘陵地帯に逃亡したことに関心を寄せている。彼らはそこで、「焼畑」移動耕作者の新たな民族集団として再出発した。彼らの中には、より小さな階級社会を作り上げた者もいれば、階級を持たずに生活した者もいた。そのすべてが、下の王国国家からの絶え間ない奴隷化軍事的襲撃に抵抗しなければならなかった。

技術

ある意味では、グレイバーとウェングローはリーチ、スコット、フラナリー、マーカス仕事を土台にしている。ウェングローは結局のところ、フラナリーとマーカスが要約している考古学の変化の一端を担っている。そして『万物黎明』には、スコットの影響が随所に見られる。

しかし、グレイバーとウェングローは、一方では技術環境と、他方では経済的政治的変化との間にある、他の著者たちの結びつきを好まない。

フラナリー、マーカス、スコットの3人は、テクノロジー環境が変化を決定するのではない、と注意深く述べている。それらは変化を可能にする。同様に、穀物農業発明自動的階級格差国家をもたらしたわけではない。しかし、それがそうした変化を可能にしたのである

階級関係階級闘争技術環境の変化は、階級闘争の舞台を設定した。そして、その階級闘争の結果が、平等と不平等のどちらが勝利するかを決定した。グレーバーとウェングローはこの重要な点を無視している。その代わりに、彼らは常に、そのような変化を即座に必然的ものとする段階論の粗雑な形式問題にしている。

この生態学思考に対するアレルギーが、彼らが人類進化に関する新しい文献を扱おうとしない背景の一つであろう。

これらの文献はすべて、人類となった動物たちが、自分たちの住む環境自分たちの身体、競合する捕食者、自分たちが発明できる技術生計を立てる方法に対して、どのように社会適応を築いたか理解しようとするものである。偶然にも、彼らはその生態系と状況に対処するために平等主義的な社会を築いた。それは必然的な結果ではなかった。しかし、それは適応だったのだ。

一方、グレーバーとウェングローは唯物論者ではない。彼らにとって、生態系技術について考えることは、彼らが望む選択革命不可能にする恐れがある。例えば、古代メソポタミアに関するスコットの本が、特に穀物農業が不平等をもたらした物質的な理由を強調しているため、彼らが満足していないのはこのためである

これは些細な問題ではない。私たちが今直面している気候危機は、人類が新しい技術と新しい環境適応するために、社会をどのように変えていくかという問題を浮き彫りにしている。平等人類存続のための政治は、今や深遠なまでに唯物論的でなければならない。

ジェンダーの不在

グレーバーとウェングローが環境人間存在物質的基盤にほとんど関心がないことは、これまで見てきたとおりである

同じように、彼らは階級という概念や、階級関係階級闘争についての議論ほとんど宗教的に避けている。グレーバーは確かに、そしておそらくウェングローも、階級関係階級闘争について理解している。彼らは、階級が何をするのか、そして実際、自分がどの階級人間なのかを知っているが、階級関係社会変革の原動力として扱うことはできないし、また扱おうともしない。

これと同様に目を引くのは、グレーバーとウェングローがジェンダー社会的構築に対して関心を示さないことである。彼らはミノア・クレタ島における母系制のほぼバコフェンを再現する一方で、女性は養育者であり、男性はいじめっ子であるという家父長制的なステレオタイプ散見する。

平等は常に私たちとともにあったというのが彼らの主張であるため、グレーバーとウェングローは、人類性別による不平等起源についてほとんど何も語っていない。

男女関係進化については、基本的に3つの学派がある。まず、進化心理学者たちであるが、彼らの主張は非常に保守的であるジャレド・ダイアモンドナポレオン・シャグノン、スティーブン・ピンカーは、不平等暴力競争人間の本性の基本であると主張する。彼らは、男性進化によって他の男性競争するようにプログラムされているため、強い者が女性支配し、より多くの子どもをもうけることができるからだと言う。これは残念なことであり、幸いにも西洋文明はそのような原始的感情部分的に手なずけてきたとピンカーは言う。

偉大な生物学者であり、トランス活動家であるジョーン・ラフガーデンは、こうした考えを『薄く偽装されたレイプ物語』と正しく表現している。このような議論は実に忌まわしいものであり、そのためだけにグレーバーやウェングローが否定したのは間違いない。

非常に長い間、フェミニスト人類学者の間では、第二の学派の考え方が支配的であった。この学派もまた、女性男性の間の差異本質化し、女性男性の間に何らかの不平等があることをあらゆる社会で当然のこととして受け入れていた。

私たちが支持するのは第3の選択である歴史学人類学考古学の記録に顕著な特徴がある。人々が経済的政治的に平等社会暮らしていたほとんどの場合女性男性平等であった。また、経済的に不平等階級社会存在したところでは、そこでも男性女性支配していた。

私たちにつきまとう疑問はこうだ:なぜなのか?

グレーバーとウェングローはこの問いに取り組んでいない。彼らは性差別について何の説明もしないし、男女関係がどのように、あるいはなぜ変化するのかにも関心がない。しかし、彼らは性差別主義者ではない。彼らは何度も女性抑圧の事例に触れているが、それは一過性のものである。彼らの関心事の中心にはないのだ。だから私たちには印象的な一致に見えるが、彼らにとっては蜃気楼なのだ

複雑な採集

グレイバーとウェングローの説明重要な部分は、農耕と階級的不平等、そして国家の出現との関連を軽視しようとする決意のもと、階級的不平等戦争さらには奴隷制さえも存在した狩猟採集民のグループに焦点を当てている。考古学者は彼らを「複合狩猟採集民」あるいは「複合採集民」と呼んでいる。

レバーとウェングローは、先史時代の人々が無国籍平等主義的であったか暴力的で不平等であったかのどちらかであったという証拠として、これらの人々を取り上げている。それは証拠が示すところとは違う。[7]

典型的な例は、フランツボースによって研究されたクワキウトル族と、カナダ西海岸コロンビア川フレイザー川の近隣の人々である。この川と海岸では、莫大な数のサケ遡上していた。限られた数の隘路や漁場を支配する者は、莫大な余剰を蓄えることができた。コロンビア川のギャレスがその一例だ。少人数で10ポンドサケを獲ることができた日もあった。

それは例外的なことだった。場所によって差はあった。しかし、沿岸部河川全域にわたって、サケ資源豊富であればあるほど、考古学や文献記録には階級間の不平等が表れている。富の不平等はしばしば極端であった。また、これらの人々は複雑な軍事技術を持っており、大勢戦士を乗せ、数人で何カ月もかけて作るような大きなカヌーを使っていた。

事実上農民田畑に囚われていたように、これらの人々は漁場に囚われていた。そして農民と同じように、サケ漁師たちにとって貯蔵は不可欠だった。考古学上の記録を遥かに遡ると、彼らの骨や歯を調べると、年間の食生活の40%から60%がサケからもたらされていたことがわかる。サケは数週間しか獲れないので、その食生活の大半は乾燥サケによるものだったに違いない。

農民と同じように、環境的制約と新技術階級社会可能性を開いていたのだ。こうした過程は、『万物黎明』にはまったく見られない。そのかわりに、50年前の学部生がクワキウトル族について語った、浪費的で貪欲ポトラッチ饗宴の民という、お決まり説明がなされている。この説明は、その後の膨大な研究成果を無視している。

天然痘梅毒人口の6分の5を失い、金鉱探鉱者によって征服され、そして蹂躙され、最終的にはカナダ政府によってポトラッチの宴が禁止された人々の中で、あの無秩序な宴は、権力にしがみつこうと必死だった支配階級によって管理された伝統的な生活の祭典であったことが、今ではわかっている。深い物質的な悲劇が、非合理的茶番劇として語られている[8]。

西海岸漁民けが「複雑な採集者」だったわけではない。世界中には他にも例がある。しかし、それがいかに少ないかは注目に値する。さら考古学者たちは、現在より7,000年前より古いものひとつも見つかっておらず、14,000年前より前に戦争があった証拠もない。

複雑な採集民の数が少なく、その起源が新しいのは、技術問題かもしれない。確かにカリフォルニア沿岸のチュマシュ族が不平等戦争を発展させたのは、紀元600年以前に大型の外洋用板カヌーの建造を習得してからである

彼らは「複合型採集民」の第三の例として、フロリダ南部カルーサ族を選んでいる。ある意味では、これらもまた、支配的な首長戦士階級格差奴隷制度、高価な戦争カヌー、海の哺乳類、ワニ、大型魚の漁業依存する漁民であった。

グレーバーとウェングローは、カルサ人を「非農耕民族」と表現している。しかし、彼らが認めているように、カルサの漁民もっと大きな政治の中で支配的なグループであった。他のすべての集団は農耕民であり、カルサ人の支配者に大量の食料、金、奴隷にされたヨーロッパ人アフリカ人捕虜を貢納していた。その食料によって、カルサ族のエリートたち、そして300人のフルタイム戦士たちは働かずに生活することができた[10]。

続き→https://anond.hatelabo.jp/20230926143955

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん