はてなキーワード: 養成とは
日本基督教団(UCCJ)では、牧師の生活基盤は各教会の信徒献金(けんきん)を主財源とする謝儀(しゃぎ)で成り立っています。以下に資金の流れを具体的に説明します。
◦ 教会員の月定献金、特別献金(例:デナリオン献金、救援募金、社会委員会献金など)が教会の経常収入となります。23
◦ 教会予算の大部分(小規模教会では8割超)が牧師関連支出に充てられます。
◦ 「謝儀」は給与相当で、税務上は宗教活動対価として非課税扱いになるケースが多いです。
◦ 教団・教区の互助制度(謝儀支援)もあり、財政難の教会の牧師謝儀を教区が一部補助します。
◦ 教団関連研究所(例:沖縄キリスト教平和総合研究所)や社会委員会の嘱託研究員・コーディネーター報酬。
◦ 牧師活動費、交通費、研究費なども教会会計から支出可能です。
佐敷教会牧師としての謝儀+沖縄キリスト教平和総合研究所コーディネーター(2010〜2021年)としての嘱託報酬。
2014年に抗議船「不屈」購入のため、全国の教会・信徒に募金を呼びかけ(目標200万円達成)。研究所名義で募金活動を行い、船を購入・運用。
船長業務、平和学習プログラム(同志社国際高校など)の案内、抗議行動。これらを「祈りと行動の一致」「社会正義の実践」「伝道活動」として位置づけ、牧師職務の範囲内としていました。
献金 → 教会・研究所会計 → 牧師謝儀+活動費 → 抗議船運用・平和学習提供、という循環が成立していました。
専従牧師として生活が保障されつつ、活動時間を政治・社会運動に充てやすい。
教団の「戦争責任告白」(1967年)以降、社会派牧師を中心に「解放の神学」「現場での証し」が強調され、抗議活動が「伝道の延長」と解釈されます。
教団の社会委員会・平和研究所、関係学校(同志社など)、外部団体との連携で持続可能な活動基盤が形成されます。
この資金構造は信徒献金 → 教会・教団機関 → 牧師謝儀・活動費という資金循環により、宗教活動の名目で政治的・抗議活動を職業的に継続できる環境を生んでいます。
特に沖縄の反基地運動や平和学習分野で顕著に見られ、2026年の辺野古沖事故でその実態が注目されました。教団全体が一枚岩ではなく、多様な教会が存在することは事実ですが、社会派牧師の活動形態は教育基本法第14条(政治的中立性)との緊張を生む要因となっています。信徒献金(宗教法人としての税制優遇を受けやすい資金)が、結果的に特定政治運動を支える構造になっているとの指摘もあります。
(出典:日本基督教団公式資料、産経ニュース、クリスチャントゥデイ、沖縄キリスト教学院大学声明など、2026年4月時点の報道に基づく)
サラリーで飯を食ってるみなさーん
って冷静に考えると永田って滅茶苦茶言ってるよなYouTubeとは言え
めっちゃ話が逸れたけど2026年令和最新版フランチャイズビジネスの話である
日本では某悪辣なコンビニのせいでフランチャイズ偵察兵は捨て駒扱いのイメージがあるが、それは過去の話である
いや某うなぎ店とか某立食いステーキ店とか某高級食パンとか某コロッケやさんからあげ屋さんゴーストキッチンと今もやってるやんけ!と言われればそうなのだが、
いわゆる初期費用が1000万円を超えるようなフランチャイズビジネスにおいては古いトレンドである。
現代の大手フランチャイザーは個人オーナーはほぼ求めていない。
1店の浮き沈み、オーナーの健康状態に左右される経営基盤への投資など、株主が許さなくなった。
いまこの規模のFCをやるなら確実に「2店目と3店目をいつ出しますか」の話が最初に出てくる
夫婦でコンビニ? いや次の店長3人用意してください、5店舗超えるんなら自前でSVとトレーナー養成してね
某バーガー店も当然その方針であるので、無職とサラリーマンはあまり気にしないで大丈夫ですよ。
看板違うけど運営会社は一緒です、みたいなのがまとめて入ってたりする
フードーコートのうち半分は同じ会社、服屋も1つの会社が5ブランドくらいやってたりする
現代のメガフランチャイジーは1店舗どころか1ブランドだけやってても追いつかない
以前こんなことを書いた。
12年前のフリゲをスチル540枚で刷新したが、Vectorで一桁しかDLされない
https://anond.hatelabo.jp/20260210231318
友人にも愚痴ったら、さすがにそれはちょっとSteamが少なすぎる、何か変なことになっていないのかと言われて、調べてみたらなんと過去に登録したものが無料で長時間遊べるということでスパムアカウント養成用に使われていてそれでペナルティを受けていたらしきことがわかった。(詳細は下にまとめた)
https://note.com/studio_wasp/n/n24bdce3ee0f3
とにかくSteamでのデベロッパーとしての信用スコアを上げないと2作目以降のリマスター版を出してももっと酷いことにしかならない。
そこでnoteに上のような開発秘話をまとめた連載記事を書いて、Steamへのレビュー投稿を募った。
必死のお願いが通じて徐々にレビューが集まって、今日ついに「好評」フラグが正式につく10件に到達した。
自分にできるのはここまで。でも旧版はほとんど海外からの荒らしレビューしかついていなかったのでこれだけまともなレビューが10件ついたことでSteamの内部評価が変わると信じたい。
実際にどんなレビューが集まって「好評」フラグがついたのか、興味がある人はここから読める。
興味を持った人は是非プレイしてみて欲しい。Steamは体験版で全てのストーリーが読める。AndroidやiOS版は最初から完全無料。
前回の記事でも書いたけれど、「エストポリス伝記」シリーズの塩生康範さんによる書き下ろしの音楽を聴きに来てもらうだけでも構わない。
科挙制度の拡大は、単なる人材登用改革ではなく、地方門閥の軍事力を弱体化させるという、政治的な意味合いも持っていました。
南北朝時代までの貴族階級は、土地を基盤に私兵を抱え、地方で半独立的な軍事力を保持していました。九品中正制の下では、家柄がそのまま軍事・行政の権力に直結していたため、地方門閥は朝廷に対して強い交渉力を持っていました。
隋・唐が科挙を推進した背景には、この地方門閥の軍事力を中央に回収する狙いもありました。
能力試験で官僚を登用することで、血統ではなく皇帝への忠誠と学問で選ばれた人材を中央に集め、地方の私兵・私権を削いでいく——これが唐代以降の中央集権強化の重要な手段となりました。
しかし、この変化は必ずしも一方的な成功とは言えませんでした。
特に宋代では、文官が軍事を軽視する風潮が強まり、北方遊牧勢力に対する防衛力が低下する要因の一つとなりました。
中国で生まれた科挙制度は、東アジアの周辺国にも導入されましたが、それぞれの社会構造や軍事力のあり方によって、異なる結果を生みました。
奈良・平安時代の律令制で一時的に課試(科挙に似た試験)が導入されましたが、すぐに蔭位の制(貴族の子弟を試験なしで官位に登用する制度)が優先され、形骸化しました。 地方の軍事力は、荘園を基盤とする在地領主(後の武士階級)に移行し、科挙的な能力主義はほとんど根付きませんでした。
高麗時代から科挙を積極的に導入し、李朝(朝鮮王朝)ではさらに整備されました。しかし、両班という世襲的な貴族層が実質的に科挙を独占する構造が続き、血統重視の価値観が近代まで残りました。 地方門閥の軍事力も、中国ほど中央に回収されず、両班や地方豪族が一定の私兵・影響力を保持していました。
ベトナムは中国の影響を強く受け、科挙をかなり忠実に導入しました。特に李朝・陳朝以降、科挙合格者が官僚の中核を占め、士大夫に近い階層が形成されました。 しかし、地方の村落共同体や在地豪族の軍事力が強く残り、中央集権は完全には達成されませんでした。中国のように「地方門閥の軍事力を徹底的に解体する」までには至りませんでした。
六朝の出自主義から始まった貴族階級の変質は、隋・唐の科挙拡大と宋代の士大夫成立によって、大きな転換を迎えました。これは東アジアで最も早いメリトクラシーの事例であり、中国社会の価値観を根底から変える歴史的意義を持ちます。
しかしその一方で、帝国の軍事力弱体化という負の側面を生み出しました。
https://anond.hatelabo.jp/20260423130021
https://anond.hatelabo.jp/20260423123541
https://anond.hatelabo.jp/20260422180001
はい、戦時中(特に昭和10年代後半~1945年頃)に「国家神道」という具体的な用語が使われていたのは、ごく一部の限られた場面だけでした。一般的・日常的に広く流通していた言葉ではなかった、というのが正確な理解です。
gendai.media
「国家神道」という言葉は、帝国議会での一部議員の発言(例:1908年・1911年の小田貫一議員の発言)や、神道学者・内務省・陸軍省関係者の専門的な議論、軍部や学術文書の中で散発的に見られる程度でした。
しかし、一般国民向けの新聞・雑誌・教科書・プロパガンダ、学校教育、日常会話ではほとんど登場しませんでした。代わりに使われていたのは「神道」「神社神道」「国家の祭祀」「皇道」「国体」「惟神の道」などの表現です。
軍国主義が強まる中で、神社参拝・遥拝・戦勝祈願・八紘一宇・聖戦などの実践やイデオロギーは確かに国家的に推進され、国民生活に深く浸透しました(教育勅語の読み上げ、神社への強制的な寄付や参拝、靖国神社の位置づけなど)。
しかし、それらを一括りにして「国家神道」と呼ぶ用語自体は、依然として専門家・官僚・軍部内の限定的な文脈でしか使われていませんでした。
一般大衆やメディアでは「神ながらの道」「天皇の道」「国体精神」といった言葉が主流で、「国家神道」というカテゴリー名はほとんど普及していませんでした。
なぜ「ごく一部」だったのか当時の公式スタンスは「神社神道は宗教ではない」(国家の祭祀・道徳教育・愛国心養成のための非宗教的施設)というものでした。これを「宗教の一形態」として「国家神道」と名付けてしまうと、憲法上の信教の自由と矛盾する恐れがあったため、用語として避けられていた側面があります。
GHQの神道指令(1945年12月)で、初めて「国家神道(State Shinto)」が明確に定義・命名され、戦後の歴史叙述で一気に広まったのです。それ以前は、実態(国家管理の神社体系+天皇中心のイデオロギー)はあっても、統一的なラベルとして定着していなかった。
まとめ実態(国家が神社を管理・利用し、天皇崇拝を国民統合のツールにした体系) → 戦前から戦時中まで強く存在し、特に戦時中は軍事動員に活用されました。
「国家神道」という用語 → 戦前・戦時中はごく一部の専門的・官僚的な文脈でしか使われず、国民一般には馴染みの薄い言葉でした。
つまり、あなたの理解「戦時中に使われていたのはごく一部だけ」は、用語の使用頻度・普及度という点では正しいです。ただし、実態としての「国家神道的な仕組みや思想」は戦時中にかなり強力に機能していた、という区別が大事です。戦後のGHQがこの用語を導入して「軍国主義の源泉」として批判的に総称したことで、今日のイメージが形成された部分が大きいと言えます。
40近い歳ですでに子供を持つ身であるにもかかわらず学歴コンプレックスを感じ始めた。
実家が世帯年収500万円の三人きょうだいで学習塾や私立高の受験に縁のなかったわたしは、高校に上がるまで大学というものが認識の圏内になかった。一年生の夏にはじめて県内の国立大学や「東京大学」という名前の施設で高校卒業後も勉強を続ける人がいるそうだという他人事としての捉え方をした。
高校二年生の秋、運動会が終わって進路選択を迫られる時期にようやく、大多数のクラスメートへの同調という消極的な動機で大学進学すると決めた。そのころには大学の名前を10個以上は知っていた。そのなかから志望大学を決める段で初めて気が付いたのは、東京大学、京都大学といった一部の大学はほかの大学よりも受験科目数が多く、それらを履修していない私では受験の入り口に立てていないというハードルだった。
その頃の模試でわたしは東京大学B判定、京都大学A判定を出していた(最近実家の遺品を整理したときに模試の結果を親が保存していたのを発見したのだ。それが学歴コンプレックスのきっかけともなった。高卒の親にとってはあるいは誇るべき記録だったのだろうか?)。 科目数が少ないのにどうやって判定したのか、分からないが、国数英くらいの主要科目の採点に基づく判定だったのだろう。
そのときに思い返すと、東大京大志望者は放課後の追加授業に集められて追加科目を勉強していた。大学というものをほとんど意識していなかったわたしは当然参加していなかったのだが。
わたしの成績は東大京大志望者たちと比較しても上位にあったが、東大京大受験を諦めて大阪大学に進んだ。入試は簡単だった。
大人になった今思い返すと高校二年の秋からでも追加授業への参加を頼み込むことは可能だっただろうし、わたしであれば独学で合格レベルまで到達しえただろう。
家庭の経済事情や友人間の風潮から浪人は絶対悪と信じていたのも挑戦リスクを取らなかった理由だろう。
妹が別の高校で三年生になったとき、担任からこう言われたそうだ。
「お姉ちゃん(あるいはお兄ちゃん。ここでは性別をぼやかしておく)はセンター試験の結果がこんなに良かったのに東大に行かなかったんだね」
わたしの自己採点の結果が、わたしの担任を経て妹の高校に転送され、当時の平成中期には許容されるも現在では無神経とみなされるそのような言葉を発させるに至ったのだろう。
ともかくわたしの試験結果は客観的にみて十分に優良だった。自己採点では得点率が95%近かったと記憶している。試験結果を開示請求しなかったので本当の点数は分からないが。
これを書きながら思い出した。小学四年生のときに当時の担任から「君なら東大に行ける」と言われた。受験マシーン養成所たる私立中高一貫校が県内にありそこへの進学を勧められた。だから東大という単語は少なくとも聞いたことがあったのだ。それを自分の人生で実現しうる進路だとは認識できなかっただけで。
東大京大にいった友達は、大企業の社外取締役を務めているとか、一流大学の教員をしているとか、弁護士になって親の法律事務所を継いだといった者もいる。
わたしは家系で最初の大学進学者だった。その機会をもっと活かして家運を飛躍させることができたのかもしれない。
わたしにもそれが可能だったのだろうか。そうはならなかったけれど。
自分の子供に対して勉強を強制するつもりはない。しかし情報を与えようとは思う。
加えて、わたしのようにある程度よい成績を出せるなら、さらに高い場所へ行くためのサポートもしよう。
しかし勉強ばかりではつまらない。勉強ばかりして入試に対して自己を最適化していく子供時代では、勉強熱心な他の子供たちと似た経験だけをすることになってしまい、個性がないからつまらない。
子供時代にさまざまな物事にふれて子供の感受性を通してでしか得られない思い出を形成することが人生の本当の財産であり、自分がしたいこと・すべきことを見つけるのに必要な価値観を作ることになるとも思う。
「大学を学部ごとに三つ星で評価する」みたいなニュースを見て、「へえー、ミシュランみたいですねえ」と思った人もいるかもしれない。
でも文科省の資料を何本か追っていくと、これ、単なる「受験生にわかりやすい情報提供をしましょうね」という話ではあんまりない。
いや、建前としてはそうなんです。
「偏差値じゃなく教育の中身を見よう」とか、「在学中にどれだけ力が伸びたかを見よう」とか、言っていること自体はまっとう。実際、2025年の中教審答申 [1] でも、新しい評価制度は「適合・不適合」だけじゃなく、大学教育の質を数段階で示すべきだ、と書いてある。しかもそこで、在学中にどれくらい力を伸ばせたかみたいな観点を入れるべきだ、とまで言っている。
で、問題はその次。
同じ答申 [1] には、さらっと、でもかなり重い一文がある。
「教育の質が十分に担保されていない機関については撤退を促していくことが望ましい」
しかもこの話、急に湧いたわけじゃない。
2018年の答申 [2] ですでに、「学修成果の可視化」「大学教育の質に関する情報公表」「比較可能な形での提示」といった方向は打ち出されていた。さらに認証評価の結果に応じて改善措置を強化する話も出ていて、つまり昔から「見える化して、言いっぱなしでは終わらせない」構想ではあった。
じゃあ、今の「学部ごとの星付け」は何なのか。
制度の直接の検討の場が、このワーキング [3]。資料を見ると、文科省はかなり露骨に学部単位の段階別評価を検討している。ニュースで「三つ星」と呼ばれているものの元ネタはこれで、大学全体ではなく、教育の基本単位である学部ごとに評価を出す設計。
要するに、
ではなく、
を細かく切る方向。
ここまではまだ「教育の質」の話に見える。
私立大学の在り方検討会議の中間まとめ案 [4] を見ると、少子化のもとで2040年には現在ある法人の全てが存続することはあり得ず、相当数の法人が縮小や撤退を余儀なくされるとかなりはっきり書いてある。
なかなかすごい言い方だけど、ほんとにそう書いてある。
さらに、大学改革の現状を整理した文科省資料 [5] では、もっと踏み込んで経営体力がある段階での撤退を慫慂するとまで書いている。
潰れそうになってからでは遅い、まだ動けるうちに撤退判断もしろ、という話。
このへんまで来ると、「三つ星評価」はただのレビューサイト化ではなくて、
として理解した方がたぶん正しい。
しかも、これが「すべての大学に等しく厳しい」のかというと、そこも違う。
地方で看護や教員養成を担う大学とか、研究力の高い大学とか、そういうところは「残ってくれ」側。
じゃあ、逆にどこが圧を受けるのか。
ここは名指しはされていないけど、資料を読んでいくとかなり見えてくる。
さっきの中間まとめ案 [4] では、私立大学について人文科学・社会科学が半数近くを占め、文系に偏っていると書く一方、国公私立全体でも理工系入学者割合は17%でOECD平均27%よりかなり低いと問題視している。
という話。
人文14.9%
社会科学35.9%
に対して
理学2.3%
という数字が出ている。
と言いたくなる構造。
加えて中間まとめの要旨資料 [8] では、労働需要の推計として
というかなり踏み込んだ話まで出てくる。
ここまで来ると
というより
「その定員、本当に今後も必要?」
でも政策の大きな流れとしてはたぶんこう。
文系偏重で、教育成果や社会的必要性の説明が弱い私大には、評価と助成で圧力をかけるので、どんどん潰れていってね⭐︎
まあ、言い方は悪いけど。
資料を読むと、だいたいそういうことではある。
出典
[1] https://www.mext.go.jp/content/20250221-mxt_koutou02-000040400_1.pdf
[3] https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/mext_02266.html
[4] https://www.mext.go.jp/content/20250728-mxt-sigakugy-000043581_01.pdf
[5] https://www.mext.go.jp/content/20260225-mxt_koutou01-000047433_2.pdf
[6] https://www.mext.go.jp/content/20251219-mext_sigsanji-000046210_02.pdf
[7] https://www.mext.go.jp/content/20250310-mxt_sigakugy-000040820_6.pdf
[8] https://www.mext.go.jp/content/20250728-mxt-sigakugy-000043581_02.pdf
資格取らせても若手は次々転職…「これでは運転士養成機関だ」 人員不足で運休続く肥薩おれんじ鉄道 利用者離れ拍車を懸念
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/373news.com/news/local/detail/229852
田舎で暮らしていると意識して多くのことを諦めていると感じる。
ブコメにあるような
「sevenspice 新卒にこだわるのやめたら?ブラックほど若いの欲しがる傾向強いけど人生経験少ないやつほどコントロールしやすいと思い込んでるのが透けて見えてて若い子はそう言うのしっかりわかるから転職するのだと思うよ」
「uunfo さすがに退職者が多すぎるのでよっぽど待遇が悪いか、異常な若者いびりが行われてるかのどちらかでは…/非婚化晩婚化少子化で子供で若い親を地域に縛り付けることができなくなった影響はあるかも」
「itotto 辞めてるのは20,30代が多いらしいので若い人が魅力を感じにくいのかも。採用はもう少し上の世代をターゲットにしたらよいのではと思う。若い方が長く働いてくれるという期待なのかもしれないけど結局辞めてるしね。」
と「鉄道会社の待遇が悪い」「若者が魅力を感じにくい」など、全部当たっている。当たっているけどそれを悪意とか怠惰だと言わないでほしい……。
過疎地域に生まれるという珍しい出自で、それを捨てたくなるような環境で、家族や地縁の人間関係で生きている。
田舎は無職が生きてられるような環境ではない。若い世代はより良い待遇を求めて出ていき、上の世代は適応しきって既に暮らしがある。
日本の足を引っ張っているだけの生産性の無い田舎かもしれないが、生まれたからにはここで暮らしていくしかない。
そういえば最低賃金が1000円を超えたらしい。感慨深い……。
元来日本人というのは野球、とりわけバッターが得意な人種なのである。
戦争時代には軍人精神注入棒というものを用いてバッターを養成していたとの記録もある。
それを大和魂を忘れた平民どもは「大谷は凄い」「イチローは凄い」などと囃し立てる。
仕事もお金もなく、数千円しかないどん底の30手前の頃、地元の本屋で辻仁成氏の小説『代筆屋』に心を動かされ人生が動き出す。当時のほぼ全財産をはたいて1300円の小説を買い代筆屋を始める。半年後に初めての依頼が入り代筆屋として書き続ける決意をした。心を動かす文章とは何かを追い求め10年以上書き続けた結果、テレビ、新聞、雑誌でプロの代筆屋として紹介され文章術の本を出版し心を動かす代筆屋作家となった。
「復縁」「謝罪」「お礼」「遺言書」「キャッチコピー」「セールスレター」「プロフィール」「WEBコピー」など、心を動かす魔法の文章を求める依頼者からあらゆる依頼が殺到している。また心を動かす文章術と人生を変えるコーチングを融合させた日本で唯一の文章コーチングを提供するコーチ、プロの代筆屋を養成する心を動かす代筆屋養成講座の講師としても老若男女問わず人気を集めている。
星野源さんは、「海外の音楽ジャンルを複数取り入れてミッスクし、国内用の音楽に作り替える」という点で、過去の日本の伝統に則った「輸入型ミュージシャン」そのものだと思う
そして、これは日本という音楽においてガラパゴスな市場で、海外の音楽をあまり聞かないリスナーに対しては、外への耳を養成するという面でも効果がある
一方で、グローバルな市場に対して売り込めるかというと、海外には影響元の尖った音楽がいくらでもあるという点で厳しい
この「輸入型」にプラスして、日本の独自性を打ち出すことで海外でも評価されたのが、大先輩の細野晴臣さんのYMOだったわけで、輸出型への転換は音楽やビジュアルイメージに相当の先進性とアイデアがないと難しいということになる
仮説:ストレッサーからのストレスで、前頭葉の機能が弱まって攻撃性が上がっている? 闘争・逃走反応によってストレッサーを敵視している?
・ストレッサー以外の陰口を叩く
仮説:ストレッサーの矛先を自分以外に向けるための行動? 自分のストレスを間接的に弱めるため?
仮説:他人から受けたストレスの矛先を外部に向けず、自分の中で解消しようとしている?
仮説:継続的にストレス(命の危険)を与えられたことによって、ストレッサーを排除しようとしている?
人はストレスを避けたがる生き物だ。
だから、高ストレス環境においてはストレスのはけ口になる人を用意するのが合理的に見えてしまう。これを限定合理性(=認知できる情報が限定された状況において、もっとも合理的に見える選択)と説明することができる。
高ストレス環境下において孤立すると、反撃コストの低い人と見なされて集団から攻撃されやすくなる。そのような光景を見るたびに、人は猿の延長線にいる生き物だと痛感する。
高いストレスを意図的に与えることでストレス耐性を高めようとする試みがある。警察官学校や営業職などはその筆頭だろう。ゾス! 体育会系とされる職場にありがちな文化だ。
けども、実態は周りに嫌がらせしてでもいかに自分がストレスから耐え抜くかを試験しているようなものだ。選抜型の教育、とも言える。それは営業マンとしては理にかなっているが、使命感を身につけさせるために必要な“倫理のある”競争だろうか?
俺からしたら、「他人に嫌な思いをさせてでも組織にしがみつける人間を養成してる組織」にしか見えない。そういう環境ではむしろ、他人のために何かをしようとする行為に限定非合理性を帯びる。良貨が悪貨を駆逐する、というやつだ。
無知は幸福だ。脱落させた人達はきっと辛い思いをして生きてるよ。あるいは、もう…
お前たちが殺したようなものだ。
『イナズマイレブン 英雄たちのヴィクトリーロード』(以下『イナイレV』)に出演しているゲスト声優が色々な意味で話題を呼んでいる。本作のストーリーモードには「セレクトキャラ」というシステムがあり、主人公が所属する南雲原中イレブンのうち5人を15人の候補から選ぶことができる。このセレクトキャラのうち10人をゲスト声優が演じているのだが、その演技力や、そもそもイレブンのメンバーという大事なポジションにゲスト声優を起用したことに難色を示す人が多く見られたのである。
そこで本記事では、実際にストーリーモードをプレイしてみた感想も交えつつ、おすすめできるキャラをTier表形式で紹介したいと思う。あくまで演技力に関してのみ評価するため、キャラを演じたゲスト声優の皆様や、そのファンに対する攻撃的な意図はないので悪しからず。
初めに言っておくと、セレクトキャラ15人のうち残りの5人は本職の声優が演じているため、その5人を選べばゲスト声優演じるキャラがイレブンに入ることはないので安心して欲しい(セレクトってなんだよとはなるが)。しかも、本職の方々は基山ヒロト(グラン)役の水島大宙氏をはじめとするイナイレゆかりの声優陣である。つまり本来は古参ファンもゲストに釣られたファンも嬉しいシステムのはずだったのだ、セレクトキャラは。宣伝の仕方もあってゲストだけが独り歩きしてしまったが…。
本題に戻ろう。こちらが私の考えるTier表である。左右差アリ。
・妖士乃 銀郎 CV:宮田俊哉(Kis-My-Ft2)
便宜上TierSに置いたが、4クール放送されたアニメで主演を務めた人間はもう本職である。キャラの見た目もカッコいいし、それに合った演技も完璧。いい意味で論外。ここはお前の来ていい場所じゃない。
声を抑えた演技はかなり難しいのだが、それをさらりとこなせている時点で文句のつけようがない。また、女性が男性キャラを演じることはよくあることのように思えるが、それはプロがやるからであって、ゲスト声優が当たり前に出来ることではない。声優養成所かそれに準ずるものに通った経験があるのだろうとお見受けする。
ゲスト声優だと言われないと気づかないレベルで自然な演技。本人の声質と合ったキャラということもあるのかもしれないが、それを加味しても上手い。
快活なキャラに合った声質をしており、そこに関しての違和感はない。ただ、ゲスト声優の域を超えているとは感じなかった。演技も上手いほうだが、抑揚の付け方がいまいちで棒っぽく感じる場面もあった。
・雨道 未理科 CV:一条莉々華(hololive DEV_IS)
演技と声質は悪くないが、サ行の発音の甘さがかなり気になる。おそらく直そうと思って直せるものではないと思うので悪く言うつもりはないのだが、声優としてフラットに評価するならばどうしてもマイナスになってしまう。
抑えた演技の難しさを感じるキャラ。かなり上手くないとどうしても棒っぽく聞こえてしまう。それに加えて、イコラブは代アニ発のアイドルグループであり、声優としての教育も施されているはずなのだが…といった印象も拭えない。
言ってしまえば声を張っているだけなのだが、演技未経験者は下手に演じようとするより地声を張ったほうがマシということが往々にしてある。今回はまさにその典型例と言える。
女性が男性を演じることの難しさを感じるキャラ。キャラを演じようという意識が悪い方向に向かっており、滑舌もいまいち。
おそらく一番槍玉にあげられているキャラ。演技もクソもなくただHIKAKINが喋っているだけなのだが、ゲゲゲの鬼太郎に出演した時の棒読みは見るに堪えないレベルだったためかなりマシになっている。変に演じることをやめたのが功を奏した(?)パターン。
理知的なキャラを演じるために抑えた演技っぽいことをしようとして全部裏目に行ってる!!上で指摘してきた悪いパターンがだいたい詰まってる!!!いらないんだよそんな伏線回収は!!!!
伊勢谷要、一見伊沢拓司が演じるために用意されたキャラのようにみえて全然違う。ニンが全く合ってない。書類の上の伊沢から作られている。それに伊沢が合わせに行った結果大惨事が起きてる。
伊勢谷はしりとりで平然と最後に「ん」のつく言葉言わなさそうだし、企画のルールを理解せずに初っ端からドボンマス開けて脱落しなさそうだし、闇鍋クイズの答えにアネクメーネを持ってきたりしなさそうじゃん。逆伊沢なんだよ、伊勢谷は。
レイトンの新作をQKが担当してるから呼んだのは分かるんだけどさ。こういうのやらせるのは須貝さんあたりにしとこうよ。でもまあ稟議通んねえよな。分かるよ。いや、ほかのコラボ相手はグループの中からある程度できる奴が選ばれてんなこれ。じゃあ分からねえよ。なあ。おい。なあ……。
「大国には逆らうな!」というメッセージはシンプルで全否定はできないけど、世の中はそんなに単純ではない。アメリカは力を誇示して好き放題やってるとも言えるし実力のわりに結局何も思い通りにできてないとも言える。周りはまつろわぬ小国だらけ。
コイツが直接中国に指令受けてる工作員だというのではないけど、情報工作で踊らされてる一人なのは間違いない。
「中国に逆らったらこわいぞ〜!」「高市政権のままだとこわいぞ〜!」
社会の中で不遇をかこつ能無しや単なる馬鹿を使嗾して単純なメッセージを繰り返し発させる。
ロシアが好むやり口とも似ている。ロシアは細々言い訳しない。誰が信じるんだというムチャクチャなことを一方的に繰り返し言い募る。それが情報空間の場を荒らして「もう聞きたくもない」という無関心や、信じるもの信じないものの分断を生むのに効果的だと知っている。
60年代、70年代は細かいマニュアルや教育法まで考えて論破マシーン養成しようとしてたけど、そんなのは労多くして効果ないと学習したんだな。
https://togetter.com/li/2626979のやつ
昔親の都合でバレエ習ってた男だけど(幼稚園〜中2まで週1以上)、その経験からちょっと解説。
20年以上前だけど、クラシックバレエの風土ってそう変わらんと思うので、参考になれば。
バレエのレッスン着は
→ 体の線を出すため。俺のいた団では腰のフリルすらNGだった。
この格好でトイレ行くと、全部脱ぐことになる。
3歳とか、トイレのタイミング見失いがちだし、漏らすリスクはある。
漏らしたら指導者が後片付けするのでその間はレッスン中断になる。
レッスンの構成は以下の通り。
しかも
飲むタイミングは「レッスン前後」か「バーとセンターの間」くらい。
バーレッスン中グビグビはしなかった。足元に置いてたら邪魔だしそんな暇も無い。
コンクール対策や講演会の練習の時はもう少し自由で割と好きに飲めたけど、これは常に動いてる訳ではなくメインで指導を受けてる人ら以外は脇の方で自己連してたからだろうね。
私語禁止はベラベラ話してると「〇〇さんと〇〇さん、おしゃべりしたいなら外でどうぞ(うるさいから出ていけ)」って名指しで怒られていた。
その他は例えば髪型はお団子頭限定(ショートは伸ばさせられていた)なんかも特徴的かもね。