はてなキーワード: 牛島とは
どうも増田です。
以前鬱状態で死をも考えた中、独り言が言いたくて【スタートアップという蟻地獄で死にゆくザマ】を書いた者です。
https://anond.hatelabo.jp/20230515224250
その後、生きてんのかどうなったのかわからんままだとちょっと後味悪いなと思って続報を書きます。
会社は亡くなりました。俺の財産は全く無かったのですが自己破産になりました。
重度の鬱と自律神経失調になったんですが生きました。
なんか最後の方はVC担当の論点のすり替えと業界構造の話してんのに人間性云々になってたのでイラッとして「あの、それって論点ズレていませんか。まずこの件に関しては」と虚無で反論した結果ブチ切れられたけど淡々と「落ち着いて下さい、まずここの論点をクリアにしてそこからです。俺の人間性はまず置いて、物事についてを語らないとどうしようもないでしょう」と伝えたらブチ切れられちった⭐︎
そういえば他の会社が例のVCと揉めて色々あったらしいのですが内部で揉み消そうとしてたので証拠も丁寧に集めて親切心でLP殿達にこっそり遠回しに教えてあげました。
何故か俺は事業会社の方々とは仲良くしてもらう事が多かったんで、GP(つまりVCにお金出す会社)とは繋がりがあったんですよね。
もうお分かりでしょうが、少しでも煙が立つ所にはお金出したくないんですよね。特に偉い人はね。
胡座をかきすぎると何が起こるか、モラハラパワハラしすぎると巡り巡って自分の首を絞めるんだなと思って俺は頑張って生きることにしました。
俺自体の責任もあったけど、VCとかスタートアップとかいう奴らの「お前…それはだめなやつだ…」という事を見てきてしまった事もあり離れました。
ストックオプション()とか IPOガー()とか頭の中ディズニーランドかよと最近では思ってます。
キッシーはスタンスとしてスタートアップ()とか言ってますが日本の市場なんぞ知れてて、しかもこのグロース市場とかの市況で IPOとかどう考えても…
役員報酬10万で24時間労働でIPO IPO!!!みたいなトチ狂った世界よりも遥かに中小企業や大企業の中を少しでもどうにかした方がまだ日本の為になると思ったので違う場所にいます。
やっぱり零細ビジネスをマーケ回しながら計算してやってくのは楽しいぜ!会社勤めしながら、そこでは今までの経験を活かせる仕事に就いてるよ。
雇われたくないから起業したとか言う人じゃないのと、昔から株主がほぼ上司かよって感じだから違和感ない。
あと、はっきり言って経営者はサイコパスとかだからお前は社長に向いてないみたいなこと言う人も沢山居たけど、親兄弟親類が中小零細経営者なんだが別にサイコパスだから成功したわけではないと思うぞ。
みんな愚直で真面目で本質を捉えて実直かつ戦略的だったから成功してるよ。スタートアップは知らないけど。だったら俺はスタートアップよりは中小企業になりたいよ。
何が言いたいかっていうと、VCから投資受けて諸々あって失敗したやつの顛末は寧ろ明るい未来でした。破産したけど⭐︎って言う話。
色々と相談に乗られる事はまだ多いんだが、ありのままのことを伝えてるよ。
起業したい、お金が必要、VCが出資する事が必要、VCに入りたい…諸々相談に乗るのだが、「本当にVCからの出資が必要か?VCから出資を受けずにやれる方法を考えてみないか?」と結構ちゃんと親身にやってると思う。
ちなみにヤミ金で資金作ってくるのを提案したVCさんよ、お前はなんだよ…牛島くんかよ…
最後に、みんなコメントしてくれて生きていていいって言ってくれてありがとうな。
無価値で、ショボくて、最悪で、終わってからも地獄だと思ってたけどんなこた無かったような気もする。本当にありがとう。では。
回避とHSPの併発って言われると、それもう回避じゃなくてNPDの過敏型が正体じゃないの?
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回避傾向を持つ群
騒々しく見栄っ張りで、傲慢で人を利用するという明確な自己愛性パーソナリティ障害の人物像とは対照的に、過度に傷つきやすく、失敗を恐れ、恥をかかされることを心配するために人前に出ることを避ける過敏なタイプの自己愛性パーソナリティの人々がいる[48]。彼らは周囲の人が自分にどういった反応をするかに非常に敏感で、絶えず人に注意を向けている。批判的な反応にはとても過敏で、容易に侮辱されたと感じる。人に非難されたり、欠点を指摘されることを恐れ、社会的に引きこもることで葛藤を避け、自己の万能世界を築きあげようとする一群である。自分は拒絶され軽蔑されるだろうと確信しているために、スポットライトを浴びることを常に避ける。表面的には内気で抑制的に見えるが、その実、精神内界には誇大的な幻想を抱えており、自己愛的活動の大部分を空想の中で行い、それを人に知られないようにしている。彼らの内的世界の核心には、誇大的で顕示的な秘められた願望に根ざした、強い羞恥心がある。
一見すると慎み深く、ときに深く共感的に見えることもあるが、それは他者に純粋な関心があるように見せたいという彼らの願望を取り違えているだけである。彼らは自分の心的防衛の最終段階にある抑制的な行動しか目に入らず、自分のことを恥ずかしがり屋で自己主張ができない人間であり、当然受けるべきものも得られない性格だと考えていることがある。現実には持続的な人間関係を持つことが出来ず、共感性の欠如を示し、内に秘めた誇大的な自己像は慎重な面接を繰り返していくことで徐々に明らかになっていくのが、潜在型のナルシストの特徴である[48]。
アメリカ精神医学会は精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)において、自己愛性パーソナリティ障害の人物は批判や挫折に伴う傷つきに非常に敏感なため、社会的ひきこもりの人々にも見られることを報告している[49]。グレン・ギャバードは、潜在型の自己愛性パーソナリティ障害の人々は回避性パーソナリティ障害や社交恐怖と多くの点で関連していることを指摘している[50][51]。また牛島は、現代の操作的診断基準(DSM)においては顕在型の傲慢なタイプは自己愛性パーソナリティ障害と診断されるが、潜在型の過敏なタイプは回避性パーソナリティ障害(あるいはスキゾイドパーソナリティ障害)と診断されてしまうことが少なくないと述べている。これらは精神力動的には同じもので、単なる表裏の問題に過ぎず、背景にある自己愛性の問題を把握することが必要であることを指摘している[52]。また丸田は、典型的な症例は無関心型と過敏型の特徴のどちらかを示すが、臨床的にはほとんどが両者の混合型であり、ひとつの症状軸である「他者の反応に意を介さない vs 他者の反応に対して非常に敏感」を取り上げても、その反応は振り子の両極のように大きく揺れ動くのが特徴(健康な人は揺れが少ない)という点を指摘している[53]。現実の自己愛性パーソナリティ障害は、ギャバードの分類した無関心型の極から過敏型の極へと至る線上のいずれかにプロットされると考えられる。
自己愛性パーソナリティ障害は、対人関係における搾取的行動、共感性の欠如、激しい羨望・攻撃性・自己顕示欲という諸々の特徴を示す[57][58]。彼らの持つもう一つの側面は、その傷つきやすさである。意識的なレベルでは、それは無力感、空虚感、低い自尊心、羞恥心に由来するものである。それは彼らが求めたり、期待する支持が与えられない状況や、自己主張が不可能なために退避するような状況において、親しくなることを回避するという行動で表現されることがある[58]。自己愛の病理は軽症から重症まで連続的な広がりをもち、その自己表現形式も多様である。
石井閘門 - 宮城県石巻市。北上川にある閘門。1880年(明治13年)に完成した、日本初の西洋式の本格的な閘門。現在日本国内で稼動する閘門の中では最古のものであり、国の重要文化財に指定されている。
脇谷閘門 - 宮城県石巻市。1931年12月竣工。北上川本川と旧北上川間の船の通行のために、脇谷洗堰に併設された。
見沼通船堀 - 埼玉県さいたま市。見沼代用水と芝川とを結ぶ閘門式運河である。昭和初期以降から使用されておらず、現在はさいたま市緑区にその復元された遺構が残る。1982年(昭和57年)、国の史跡に指定された。
荒川ロックゲート - 東京都江戸川区小松川。東京都を流れる荒川と旧中川を結ぶ。大震災時などの災害時に水上交通が有効であることから改めて水路が見直されることになり、2005年10月に供用開始された比較的新しい閘門。
扇橋閘門 - 東京都江東区猿江一丁目。1976年(昭和51年)完成。小名木川に設置されている。
中島閘門 - 富山県富山市。1934年(昭和9年)8月完成。富山駅北側付近から富山湾の河口まで南北に続く、富岩(ふがん)運河中流にあるパナマ運河式閘門。現在も運用されており、観光船が運行し往来できる(冬季運休)。国の重要文化財に指定されている。
牛島閘門 - 富山県富山市。中島閘門と同時着工し1934年(昭和9年)8月に同時完成。富岩運河最上流部(南端)の富岩運河環水公園(旧 船溜まり)内にあり、並行するいたち川とを結ぶ現在も運用可能なパナマ運河式閘門。国の登録有形文化財に登録されている。
松重閘門 - 愛知県名古屋市中川区。堀川と中川運河とを結んでいた。1968年に閉鎖され、現在は閘門としては使用されていない。名古屋市の有形文化財、1993年(平成5年)には名古屋市の都市景観重要建築物等に指定されている。
船頭平閘門 - 愛知県愛西市立田町福原。木曽川と長良川の間をつなぐ。1899年(明治32年)に着工、1902年(明治35年)に完成した。1994年(平成6年)にはそれまでの手動から電動への近代化・改修工事が行われた。2000年(平成12年)5月には明治期に建設されて現在でも使用されている貴重な閘門であるということで重要文化財に指定された。冬季を除き、木曽川上流の葛木港より観光船が運航。一般には無料での往来解放がされている。
三栖閘門 - 京都府京都市伏見区。宇治川と濠川を結ぶ伏見港に1929年(昭和4年)に建設された。いまは遺構が三栖閘門資料館として開放されている。
毛馬閘門 -大阪府大阪市北区。淀川と旧淀川(大川)を隔てる閘門。明治40年(1907年)8月に完成した旧第一閘門は1976年(昭和51年)まで使用され、現在は重要文化財に指定されている。
尼崎閘門(尼ロック) - 兵庫県尼崎市西海岸町地先。日本初のパナマ運河式。物流機能としての運河を今なお支える船舶の重要な玄関口となっている。
下関漁港閘門 - 山口県下関市の本土と彦島を隔てる小門海峡(関門海峡小瀬戸)にあるパナマ運河式水門。1936年の設置以来、現在も稼動中。
三池港閘門 - 福岡県大牟田市。1908年(明治41年) 完成。2008年機械遺産に指定。2015年世界文化遺産に認定された明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業構成資産の1つ。
一般には「集団自決」と言われているが、実態は親が子を殺し、子が老いた親を殺し、兄が弟妹を殺し、夫が妻を殺すといった親族殺しあいの集団虐殺の場面であった。
これは皇軍の圧倒的な力の押しつけと誘導がなければおきる事柄ではない。
「自決」というのは自ら決意して「責めを負うて命を絶つ」ことである。
「自決」という言葉は死を選ぶ人の「任意性・自発性」を前提として使われる。
乳幼児が自決をすることはできないし、肉親を喜んで殺す者もいない。これは牛島司令官ら皇軍の「自決」とは全く別の次元の事柄である。
「強制され」あるいは「追いつめられた」人びとの死を集団自決と言うことは出来ない。
▼注意▼
【商用利用について】2019/02/04更新
もし商用利用される際は必ずTwitterのDM経由でご連絡、ご相談頂きたく存じます。
ご連絡がないまま使用されているのを見つけた場合使用料100万円を請求致します。
また、商用・個人利用のラインがわからない場合はお手数ですが検索等して頂いたうえでどうしてもわからない場合のみご連絡いただけますと幸いです。
【個人利用について】
自作発言・アダルト・二次配布以外の利用はお好きな形で楽しんでください!本メーカーのイラストの加筆修正(加工)、作成したキャラクターをもとにしたイラストや小説、アイコンや壁紙、コスプレ、なんでも大丈夫です。
ただし、お金が発生しない場での使用に限らせて頂きます。同人誌や同人グッズにつきましては、個人で楽しむ、または無配の場でのみ利用可能です。
調べてみたら、こんなこと書いてあったよ。
100万円の価値があるんだろうか……?
1 はじめに
強い女メーカーに関して、現在、著作者(Twitterアカウント:@agt87の管理保有者)の代理人弁護士として、著作権侵害を理由に、法的な請求を各所に対して行っております。
強い女メーカーは、著作者が、個人利用の範囲で、皆様に自由に利用して楽しんでいただきたいという意図で制作したもので、著作者は、商用利用を明確に禁止しております。このことは、強い女メーカーの説明ページやQ&Aを 見ていただければ、一目瞭然です。
また、商用利用を希望する場合は、著作者に対して、Twitter上のDMで連絡をするように記載があります。著作者は、強い女メーカーの商用利用を希望する方から、DMがあった場合は、DMのやり取りを通じて、個別に承諾するなどしておりました。
しかしながら、著作者から何らの承諾もとらずに、商用利用と考えられる利用方法により、強い女メーカーで作成した画像を使用しているブログ・ウェブサイト等が散見されました。
著作者は、きちんと承諾を取っている方がいる中で、無断で商用利用している方を放置しておくことができず、当事務所に対して依頼をし、当事務所は依頼者の権利を守るべく、これを受任し、本件に着手いたしました。
なお、商用利用というのは、著作物や二次創作物自体を販売する場合の他、著作物や二次創作物を、アフィリエイト・広告収入等で経済的利益を得ることができる、ブログ・ウェブサイト等で利用することを含みます。
2 現在の状況
多くの方から、謝罪を含めた連絡をいただいており、ライセンス契約の締結の可否を含め、円満な解決を目指しお話合いを進めております。
しかしながら、一部の方から、不当な請求をされている、金儲けをしようとしている、強い口調で脅されているといった内容の書込みがなされ、拡散されております。こうした書込みは、著作者及び当事務所の名誉を毀損するものであり、著作権侵害とは別に違法行為を構成するものと考えております。
なお、当事務所が、強い口調で、被請求者を脅しているという事実はございませんし、そのような書込みをしている方と、そもそも直接口頭で連絡をとったことはございません。
規約等をきちんと確認せずに著作権を侵害してしまったということは、著作権侵害に基づく責任を逃れる理由にはなりません。もちろん、真摯に連絡及び謝罪のあった方々には、こちらも誠意をもって、対応をしておりますし、その際に、わざとではないという事情も斟酌しております。
インターネット社会において、著作物の円滑な利用が重要視されていることは承知しておりますが、著作権法に違反する利用を是認することはできません。
また、著作者が正当な権利を主張しているにもかかわらず、「なぜこの著作者だけ権利を主張するのか」、「脅して金を儲けようとしている」といった論調は、全くもって失当であると考えております。
上記のような、悪意のある書込みにつきましては、発信者情報の開示及び損害賠償請求等然るべき手段によって、毅然と対応をいたします。
4 最後に
善良な利用者の方々には、本件を通じて、ご心配・ご不便をおかけしていることを、申し訳なく存じます。著作者を代理してここに謝罪いたします。
「何かを身につけて卒業できること」「ゼミ生の雰囲気が良いこと」などを条件に絞り込み、50近くあるゼミの中から、今5つのゼミで迷っています。
http://news.fbc.keio.ac.jp/~fbc-zemi/seminar.html
http://news.fbc.keio.ac.jp/~onosemi/
学生の本分は勉強であることを考えると、しっかりと学問に励めるという印象です。学会での発表や、大会への出場、英語論文など、本当に充実しているゼミだと思います。ゼミ生の方が、自信を持って説明しているのが好きです。
http://www.keio-shimizu-semi.com/
高校生の頃、オープンキャンパスにも参加したことがあるゼミで、やはり教授とゼミの活動内容が面白すぎます。所属しているゼミ生の方も、学生生活を充実させているようで、キラキラ眩しいキャンパスライフにも憧れます。
http://isamuyamamoto.com/wordpress/
ゼミ生の方の振る舞いがゼミの魅力をまさに体現されています。私の話を聞きながら、何を話せばより良いゼミ選びができるかを一緒に考えてくださり、ゼミ生の方とお話しする度にゼミ選びが前へ進む実感があります。経済学はあくまでツールというのも共感しています。
・田邉勝巳研究会
http://news.fbc.keio.ac.jp/~winsnake/professor.html
オンとオフの切り替えができる、スマートで要領のいいゼミ生ばかりでかっこいいです。三田に入るとすぐに就職活動が始まることを考えると、身につく力と、得られる意識の高い仲間がものすごく魅力的です。アットホームな雰囲気も好きです。
学問領域にとらわれず、「社会」を意識して、学生だからこそできること、学生のうちに身につけておくべき力を大事にしているゼミだと感じています。どのゼミ生の方も個性的で行動力があるところが好きです。
これらのゼミの卒業生の方がいらっしゃれば、実際の経験を踏まえたアドバイスがいただきたいです。
その他のアドバイスも大歓迎です。
このへんの話。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170907/k10011129891000.html
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20170908/p2
事情に詳しくない人からすると「なんでそんなにカタルーニャは熱くなってるの?」って感じだろうと思うので、簡単に解説したあとで補足説明をつけます。
背景を説明するためには、時代をいっきに40年ほどさかのぼる必要があります。
1975年に、スペイン総統フランシスコ・フランコが亡くなりました。その結果スペインは王政復古し、現国王の父であり当時国王だったフアン・カルロス1世のもとで民主化への道を歩んでいくことになります。この王様、退位前の数年間はひどく評判が悪かったんですが、民主化に反対する軍将校が起こしたクーデターを鎮圧したことで即位直後は民主化の守護者としてたいそう人気がありました。ちなみに現国王のフェリペ6世は当時10歳にもならない子供だったので深夜に行われた国王とクーデター首謀者との会談の席ではおねむだったのですが、船を漕ぐたびに「おまえは王様になるんだから王様のつとめをよく見ておきなさい」と父君に優しく揺り起こされていたそうです。なにそれ萌える。
閑話休題。このフランコ政権ですが、典型的な「スペインは単一民族国家だもん!」派の政権でした。彼が在世中はカタルーニャ語やバスク語をおおやけの場で用いることはひどく抑圧され、内戦前のカタルーニャ州政府首脳陣は殺されるか投獄されるか亡命するかという感じでした。そのフランコが死んだことで、亡命州政府のトップがスペインに帰国し、民主化が進展します。このとき、フランコ体制下で抑圧されてきた「スペインは多民族国家になるべきだもん!」派が一気に声をあげはじめます。
(ここでいう「民族」ってのは、英語のネーションにあたる、スペイン語のnación、カタルーニャ語のnacióのことで、「自分で国を作れる権利や能力のある集団」みたいな感じなんですよね……うまく説明できないんですが。なので移民とかは勘定に入れてません。この文脈だと「国民」と訳した方がいいのかも。「スペインは単一民族国家だよ」というのは「スペインにいるのは『スペイン国民』だけであり、カタルーニャ人もバスク人もひとしく『スペイン国民』だよ」ということで、カタルーニャ人たちは「スペインには『カタルーニャ国民』や『バスク国民』もいるんだ」と主張してるわけですね)
民主化したからにはちゃんと民主的な憲法を作らないといけませんが、これが紛糾します。単一民族国家というのはフランコだけの思想ではなく、熱心なスペイン・ナショナリストはフランコ死後も消えてなくなりはしなかったわけです。彼らは頑強にスペインの統一、つまりスペインが単一民族国家であることを守ろうとします。一方でこれまでさんざん煮え湯を飲まされてきた地方の側もそれでは収まりません。そんななか、妥協として制定されたのが1978年憲法でした。条文の英訳をウィキソースからコピペします。
Section 2
The Constitution is based on the indissoluble unity of the Spanish Nation, the common and indivisible homeland of all Spaniards; it recognises and guarantees the right to selfgovernment of the nationalities and regions of which it is composed and the solidarity among them all.
太字にしたところはテストに出るので覚えておいてください。ここではスペインがひとつのネーションからなり、不可分であること、そしてネーションの他にいくつものナショナリティが存在することが謳われています。ナショナリティっていわれると普通は「国籍」って意味なんですが、この文脈では「準ネーション」みたいな意味だと思ってください。つまり、ネーションはひとつしかないけど、準ネーションっぽいものはいくつもあるよ! ってことですね。
(ところで、この憲法からもわかる通り、スペインは連邦制国家ではありません。連邦制かと見紛うばかりに地方に権限委譲がなされてはいますが、それでも「連邦制=国の集まり」ではなく「スペインは不可分のひとつの国!」ということになっているのです。これを専門用語で「自治州国家体制」といいます)
この憲法にのっとってカタルーニャは自治州の地位を得、フランコ体制下で迫害されていたカタルーニャ語を復活させるための政策に着手します(これを「言語正常化」といいます)。使用が弾圧されただけでなく、工業化が進む中でスペインの他地方からの移民が来て、カタルーニャ語を解さない州民が増えていたのです。また、なにせ相手は数億人の使用人口を誇る言語ですから、話者数数百万人のカタルーニャ語など放っておいたら自然淘汰されてしまいかねません。州政府は公教育にカタルーニャ語を導入し、様々な場面でカタルーニャ語使用を義務づけ、カタルーニャ語の使用に助成金を出し、結果として今ではほとんどの州民がカタルーニャ語とスペイン語の見事なバイリンガルに育つようになっています。
(助成金は、たとえばパソコンのOSのカタルーニャ語訳とかに出されています。数億人が使ってるスペイン語は経済的にペイするのですぐに翻訳されて、なおかつ州民はみんなスペイン語ができるので、放っておくとみんなそっちを使っちゃうんですよね……)
ところでこの憲法、実はもうひとつトラップがあります。それは公用語について定めた条文です。
Section 3
C1. Castilian is the official Spanish language of the State. All Spaniards have the duty to know it and the right to use it.
C2. The other Spanish languages shall also be official in the respective Self-governing Communities in accordance with their Statutes.
C3. The wealth of the different linguistic forms of Spain is a cultural heritage which shall be especially respected and protected.
そう、カスティーリャ語(つまりスペイン語)は、スペイン市民(たとえバスク人やカタルーニャ人であっても)にとって知る「義務」があり、使う「権利」がある唯一の言語なのです。逆に言えば、それ以外の言語を使う「義務」を州が課すことは違憲になります。
この時点で、たとえばカタルーニャ州が州内の教育をカタルーニャ語だけで行おうとしたら違憲です。カタルーニャ州が州民に高度なバイリンガル教育を施しているのは、理想が高いのではなくそうせざるを得ないということです。またカタルーニャ州の言語政策も、たとえば「お店のメニューにカタルーニャ語を使う義務」「商品のラベルにカタルーニャ語を使う義務」「企業の広報活動でカタルーニャ語を使う義務」といったものを法で定めたりしていますが、これは個々人に対する義務ではないのでギリギリ合憲ということになっています。なっているはずでした。
ところで、カタルーニャも極楽ではなく、何をするにも先立つものがいることには変わりありません。つまりお金です。ところが、スペインの自治州には基本的に徴税権がありません。バスク自治州とナバラ自治州には歴史的な事情(ありていに言うとスペイン継承戦争で官軍についた)によって徴税権があり、その一部を国庫に納入していますが、カタルーニャはあくまで国が徴税して配分するお金を受け取る立場です。そしてカタルーニャはスペイン全体でみても豊かな地域であり、多くの税金がカタルーニャから徴収され、多額の税金がカタルーニャに還元されています。
しかし、その収支が赤字だということが大問題なのです。カタルーニャから徴収される税金は、カタルーニャに交付されたり還元されたりする際に8%ほど目減りしています。しかも、これだけ払っていながらもインフラ整備は後回しにされているのです。カタルーニャだけ高速道路は有料で列車の老朽化も放置、EUから勧告されたカタルーニャの高速道路整備も中央政府は拒否っておきながらマドリードなどカスティーリャのインフラはしっかり整備しています。他州より高く払っているのに他州より低いサービスしか受けられないのは何事だと、カタルーニャ州民が怒るのももっともです。
こうした状況を受け、2000年代に入ると自治憲章(要するに自治州の憲法ですね)改正の動きが活発化します。自治州議会は、徴税権やカタルーニャがネーション(nació)であることを盛り込んだ憲章草案を可決しますが、中央政府(当時は左派の社会労働党)との交渉で徴税権は削られ(かわりに公平な交付金の支給を約束。結局実施されてませんけど)ネーション条項は前文のみ。妥協のすえ2006年にようやくスペイン国会を通過して新自治憲章が成立します。
これに待ったをかけたのが国民党(現・与党)です。彼らからしてみれば、「一地方の自治権強化はスペインの統一に反する」というわけですね。彼らはこの自治憲章が憲法違反だと憲法裁判所に提訴、これに対抗してカタルーニャではデモが盛り上がり、「我々には自決権がある」という主張が登場します。そして2010年、憲法裁判所は自治憲章の多くの条文に違憲判決を下しました。しかもその判決は、これまでカタルーニャが行ってきた自治権強化政策を否定し、自治権をより縮小する方向のものでした。カタルーニャ語を行政において優先させる規定は違憲となり、カタルーニャをネーションとした前文は、スペインにおいてネーションはただひとつとして法的拘束力はないとされたのです。そしてこの違憲判決に基づいて、カタルーニャの学校ではスペイン語で教えるべし、という判決も出されました。
ここまで妥協しても憲法違反になるのか……という絶望が、一気に民意を独立へと傾けていきます。それまで20%前後を行ったり来たりしていた独立への支持率が、この違憲判決を境に一気に30%を超え、2013年には60%に達しました。今の憲法がある限り、スペイン国家に留まっている限り、カタルーニャは自由にはなれない、と多くの人びとが考えるようになったのです。移民の子孫だってカタルーニャに暮らしているわけですから独立に傾きます。
2014年、カタルーニャ自治州は「法的拘束力のない」住民投票の実施を計画しますが、違憲とされて差し止めが命じられました(提訴したのはもちろん中央政府です)。じゃあ非公式の模擬投票やろうぜ、と言ったらそれも違憲とされて差し止め命令が出されます(模擬投票も認めないなんて表現の自由に対する攻撃だと国際的に抗議が殺到した模様)。結局自治州は非公式の投票を決行しましたが、中央政府は憲法違反の投票を強行したとして当時の州首相らを刑事裁判にかけます。ちなみに裁判期日として指定されたのは、フランコ政権によって内戦前最後のカタルーニャ自治政府首相が銃殺された日でした。煽り力高い。州首相だけでなく州議会議長まで訴追するよう憲法裁判所は命じています。民主主義とは。
このような国民党政府の対応が火に油を注ぐ結果となり、今回の住民投票実施に至るわけですが、この期に及んでなお国民党は「カタルーニャ自治州に毎週会計報告を義務付け、違反した場合は交付金を停止する」と表明したり(http://www.pressdigitaljapan.es/texto-diario/mostrar/775503/)、プッチダモン州首相を訴追する準備を進めていたりして(http://www.politico.eu/article/catalonia-independence-referendum-spain-the-carles-puigdemont-factor/)、まあある意味通常運転です。「やっぱスペイン国家の枠内では自治権保証されないじゃん……」とカタルーニャ人に思わせるだけの簡単なお仕事。こうして着々と独立に向けたフラグが立っていくのでした。
スペイン政府はオプションとしてカタルーニャ自治州政府の停止も視野に入れているという報道があります。根拠となるのはスペイン憲法155条です。
Section 155
1. If a Self-governing Community does not fulfil the obligations imposed upon it by the Constitution or other laws, or acts in a way that is seriously prejudicial to the general interest of Spain, the Government, after having lodged a complaint with the President of the Self-governing Community and failed to receive satisfaction therefore, may, following approval granted by the overall majority of the Senate, take all measures necessary to compel the Community to meet said obligations, or to protect the abovementioned general interest.
2. With a view to implementing the measures provided for in the foregoing paragraph, the Government may issue instructions to all the authorities of the Self-governing Communities.
ぶっちゃけこのオプションが採られた場合投票は物理的にはできなくなるでしょうが、まあスペイン国家とスペイン憲法へのヘイトをためるには十分すぎるほどなので、余計に独立への意志を強めるだけですよね……という辺りが現状言えることです。部外者としてはワクテカが止まらない祭り出来事ですが、楽しむためには背景知識が必要だろうと野暮を承知で解説してみました。部屋を明るくして画面から離れて住民投票をお楽しみください。
そもそもなんでカタルーニャがスペインの一部になってるの? とか、カタルーニャの栄光時代はいつだよ……ジャウマ1世の時か? とかの疑問が湧いてきた時にオススメです。住民投票は……住民投票は今なんだよ!