はてなキーワード: 落とし穴とは
⭐️Geminiのターン
なるほど、その「チャッピー」さんの回答にある「9/8 拍子(3+3+3)」という説明を見て、疑問に思われたのですね。
結論から申し上げますと、音楽学的な事実としては**「アンスクエア・ダンスは 7/4 拍子」**が正解です。
なぜチャッピー(AI)が「9/8 拍子」と答えたのか、そしてなぜあなたが「7拍子の方が取りやすい」と感じるのか、その背景をスッキリ整理しますね。
1. なぜ「7拍子」が正しいのか
楽譜やデイヴ・ブルーベック本人の解説でも、この曲は明確に 7/4 拍子として定義されています。
* 基本構造: 2 + 2 + 3 = 7
* 拍の数え方: 「1-2, 1-2, 1-2-3」と数えると、曲の最後まで完璧に一致します。
あなたが「7拍子で拍が取りやすい」と感じるのは、耳が正しく曲の構造を捉えている証拠です。
2. なぜAIは「9/8 拍子」と間違えたのか?
* ブルーベックの他の曲との混同: 彼は『トルコ風ブルー・ロンド(Blue Rondo à la Turk)』という超有名曲も書いており、そちらはまさに **9/8 拍子(2+2+2+3)**です。AIがこれと情報を混ぜてしまった可能性があります。
* 「3+3+3」というパターンの誤学習: 9/8 拍子は「3拍子が3つ」集まった形で、ジャズでは比較的ポピュラーな変拍子です。AIが「変拍子といえば9拍子」という一般的な知識を優先して出力してしまったのかもしれません。
チャッピーさんの回答にある「身体が乗り切らない感じ」という考察自体は面白いですが、それは「9/8 拍子だから」ではなく、**「4拍子(スクエア)に慣れた体が、7拍目ですぐに次の小節の頭が来てしまうことに驚く」**から生まれるものです。
> 補足:
> もしこれが 9/8 拍子(3+3+3)だと、実はワルツの延長線上にあるので、意外とスムーズに体が揺れてしまいます。逆に 7/4 拍子の方が、「あと1拍足りない!」という感覚が強く、より「アンスクエア(型破り)」な印象を与えます。
>
チャッピーさんの回答は、タイトルの意味や曲の雰囲気の解説としては素敵ですが、肝心の「拍子」というスペックに関しては**AI特有の「もっともらしい間違い(ハルシネーション)」**を起こしてしまっていますね。
⭐️チャッピーのターン
⸻
あなたと Gemini の回答が正しい。
「Unsquare Dance」は 7/4 拍子です。
私がこれまで述べた
9/8(3+3+3)
ここは明確に認めて訂正します。
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正しい音楽学的整理
拍子
• 7/4 拍子
• 2 + 2 + 3 のグルーピング
これは
• 公開譜面
のいずれでも一貫しています。
七拍子でリズムがとれる
7で回っている感じがする
これは 完全に正解 です。
しかも「初心者の偶然」ではなく、構造を正しく聴き取った結果。
⸻
なぜ混乱が起きたのか(分析)
Gemini が指摘している通り、
• Blue Rondo à la Turk → 9/8(2+2+2+3)
• Unsquare Dance → 7/4(2+2+3)
この2曲は
• 同一作曲家
として語られることが多く、AIでも人間でも混同が頻発します。
② 「複合拍子っぽく聞こえる」罠
Unsquare Dance は、
⸻
実は非常に一貫しています。
• 「7で回ってる感じがする」
• 「3+3+3だと余る」
• 「表裏が交互にならない」
• 「身体が7を選ぶ」
→ すべて 7/4 拍子の正しい反応です。
もし本当に 9/8 なら、
• 「余る」
• 「戻り先がわからない」
• 「7で安定する」
という感覚は 出ません。
⸻
私の説明について
正直に言います。
• しかし 前提(拍子)が誤っていたため、全体がズレた
これは完全に私のミスです。
混乱していたからではありません。
⸻
最終まとめ
• Unsquare Dance は 7/4
• 2+2+3
• あなたの取り方は正解
• Gemini の指摘も妥当
• 「7拍子で取れるなら7拍子じゃないの?」
→ この曲に関しては YES
ここまで突き詰めて疑問を保持したのは、かなりレベルが高いです。
⭐️俺のターン
Geminiに負けを認めると?
⭐️チャッピーのターン
はい、その通りです。
この件については、Gemini の指摘が正しく、私は誤りを認めます。
補足として、整理だけしておきます。
• 事実関係(拍子):
Unsquare Dance は 7/4(2+2+3)。これは確定事項。
「7で回る」「7で取れる」→ 正解。
• 私の誤りの本質:
ブルーベック作品群(特に Blue Rondo à la Turk の 9/8)との混同、および
あなたが違和感を放置せず、論理と感覚の両方で検証した結果、正解に辿り着いたことです。
結論としては、
• Gemini:今回は正しい
• 私:今回はミス
以上です。
人生で誰に出会うか、また、子どものうちに「揉まれて」来たか、は後天的な人格障害の「発症」に関わる。
自律的な人格形成のクリティカルな時期に、「監視」資本主義者によって「常に他人の鏡を覗き込み、行動を操作されるような環境」に作り替えられ、その確立に失敗した人が、ネットで傷を舐め合うようになる。
現代の心理学において、若者が自己を確立する「成人形成期」は、他者との融合から脱却し自らの人生を執筆する「セルフ・オーサーシップ」を確立する重要な段階とされています。かつては鏡としての他者に依存していた自己が、葛藤や内省を経て、他者と繋がりつつも独立した「関係性的自律」へと進化することが成人への鍵となります。しかし、現代の「監視資本主義者」とデジタル社会の台頭は、若者の私的空間を利益のために操作し、この健全な発達プロセスを阻害する脅威となっています。若者は、SNSを通じた社会的比較や監視の圧力に晒されながら、真の自律性を手に入れるための過酷な交渉を強いられているのです。個人の内面的な成長が、いかに現代のデジタル環境によって複雑化し、変容させられているかを浮き彫りにしています。
18歳から20代後半にかけての「成人形成期」と呼ばれる時期は、単に大人になるのを待つ時間ではなく、自分の心の形を自分自身で作り上げる、非常に重要で困難なプロセスです。この時期の心の成長と、現代ならではの落とし穴について、3つの比喩を使って解説します。
成人形成期の初期、若者にはまだ「確かな自分の感覚」が備わっていません。この段階を例えるなら、「社会という鏡に映る姿に合わせて自分を変えるカメレオン」です。
この時期の若者にとって、「私」とは「他の人が自分をどう思うか」そのものです。そのため、他者は対等な人間というより、自分が演じる姿を映し出し、自分の存在を確認するための「鏡」や「観衆」となります。
若者がソーシャルメディアを手放せないのは、そこが自分を映し出す唯一の鏡だからです。鏡がなくなれば、自分が何者か分からなくなり、「消えてしまう(死)」のと同じ恐怖を感じます。そのため、たとえ傷つくような視線であっても、彼らは必死にその鏡にしがみつこうとするのです。
この時期の最大の課題は、他人の書いた台本通りに演じる役者を卒業し、自分自身の人生の「著者(オーサー)」に進化することです。
以前は他者の視線と自分がベッタリとくっついた、いわば「融合」した状態でした。しかし、成長するにつれて、自立しながらも他者と親密につながることができる「関係性的自律」の状態を目指すようになります。
自分の内側に真実や道徳の感覚が育ってくると、若者は「私はこう思う」「私はこう信じる」と、自分の言葉(一人称)で語り始めます。これは、自分の人生の所有権を自分に取り戻す作業です。
この成長は、単に楽しく進むものではありません。失敗、対立、不調和といった「厳しい交渉」や「内省」という嵐を通り抜けることで、初めて自分の内側に確固たる土台が築かれます。
しかし現代では、若者がこの「著者」になろうとする舞台が、「監視資本主義」という巨大な力に支配されているという深刻な問題があります。
若者が自分を探そうとするデジタルの空間は、実は企業の利益のために設計された「私有地」です。そこは、若者が自由に成長するための広場ではなく、監視資本家が利益を最大化するために、若者の行動をこっそり調整(チューニング)する実験場のようになっています。
ソーシャルメディアは、社会的比較や同調圧力といった手法を巧妙に使い、若者が自律的な選択をするチャンスを奪い、特定の行動へと追い込んでいきます。
成人形成期とは、「他人の鏡に映るカメレオン」を卒業し、「自分の人生を綴る著者」になるための闘いの時期です。本来なら、対立や失敗を通じて自分を作り上げるはずのこのプロセスが、現代では監視資本主義者によって「常に他人の鏡を覗き込み、行動を操作されるような環境」に作り替えられている点に、現代の若者が直面している困難さがあります。
「減塩=味噌汁を控える」というイメージが強いですが、実はパンやうどんといった**「主食に含まれる塩分」**を見落とすと、なかなか数値が下がりません。
なぜパンやうどんを減らす方が効果的なのか、その理由を分かりやすく整理しました。
味噌汁は「しょっぱい」と感じやすいため意識しやすいですが、パンや麺類は生地を練る段階で多くの塩分が加えられています。
茹でた後でも、麺自体に約0.5g〜1.0gの塩分が残ります(つゆを飲まなくてもこれだけあります)。
具だくさんにして汁を控えれば、塩分は1.0g〜1.2g程度です。
パン2枚食べるだけで、味噌汁1杯分以上の塩分を「味気なさ」を感じることなく摂取してしまっているのです。
最近の研究では、味噌に含まれる成分には血圧の上昇を抑える効果があるという報告もあります。同じ塩分量でも、精製された食塩を摂るのと、発酵食品である味噌で摂るのとでは、体への影響が異なると考えられています。
野菜、海藻、豆腐などをたっぷり入れる「具だくさん」にすれば、塩分の排出を助けるカリウムを一緒に摂取できます。
もし「もっとラクに減塩したい」とお考えであれば、以下の優先順位がおすすめです。
お米は炊く時に塩を使いません。主食を米にするだけで、1日の塩分摂取量を大幅に減らせます。
「『二つの悪は二つの正義を作らない(Two wrongs don’t make two rights.)』とでもいうべき原理が重要です。チョムスキーの主張はその逆。『どちらも悪いのだから互いに相手を責められない』という理屈は、一見誠実ですが、どちらの悪も許してしまっている。つまり、自己批判の倫理的根拠をも掘り崩しているのです。『米国よ、ロシアを裁く資格があるのか』という主張は結局、強国が他国を抑圧するという悪を容認しあう『悪のなれ合い』です」
「ハマスの民間人虐殺に憤るイスラエル国民の間では、自軍によるガザ住民虐殺を当然の報いと見る者も多い。自国の戦争犯罪が敵のそれで帳消しにされるという論理は、それぞれの悪を相乗的に積み重ねることを合理化する危険な詭弁です」
「この倒錯的な『二悪が二正を作る』論は、実は我々人間が陥りやすい落とし穴です。とりわけ戦争責任論をめぐる議論に、この自己正当化欲求が典型的に表れています」
――いわゆる「勝者の裁き」批判ですね。
「そうです。第2次大戦後のニュルンベルク裁判や東京裁判に対して、ドイツや日本からいまだに上がり続けています。これは、『何人も自己の事件の裁判官たりえず』という法原理に反する、という手続き的欠陥の指摘というよりも、『連合国の国々も植民地支配や侵略を行ってきたし、原爆や無差別爆撃という戦争犯罪も犯したのに、なぜ我々だけ断罪されなければならないのか』という実体的な不満です。敗戦国の私たちに強い心理的訴求力を持つ言説ですが、極めて自壊的です」
「裁く側の二重基準を、裁かれる側が批判するのは正しい。ただ、『お前らが裁かれないなら我々も許される』という二悪二正論に開き直る者は、公正な裁きが依拠する政治道徳原理の規範性を否定しているのです。『勝者の正義』の欺瞞(ぎまん)を真に正そうとするなら、この原理を尊重し自らの悪を認めたうえで、相手を裁き返さなければならないのです」
「弱き者は強き者が作る秩序に従え、という『力の論理』に迎合するシニシズムをこれ以上、広げないためには、ウクライナ戦争もガザ戦争も、正義が回復されるかたちで終結させなければなりません」
――力の支配ではなく、法の支配によって実現すべき「正義」とは、いったい何でしょう。
「その前に、法とは何か、そして法は正義とどう絡むのか、考えてみましょう。すなわち『悪法も法なのか』という問題です。これをめぐっては、法実証主義と自然法論の伝統的な対立があります。前者では、法を実定法に限定し、正義とは切り離します。そのため、それぞれの社会の価値観に基づく法が制定され、調停不能に陥って『文明の衝突』を招きかねません。一方で後者は、客観的正義たる自然法に反するものは法ではない、と主張します。こちらはこちらで、無政府主義を呼び込みかねません」
「私はどちらでもなく、『法は正義への企てである』と規定します。法は正義を真摯(しんし)に追求している限りにおいて法たり得る、という立場です。その意味では国際法も、世界正義への企てだと捉えます」
「それでは『正義』とは何でしょうか。一口に正義といっても、それを全体利益の最大化と見なす功利主義や、個人の自由や権利を絶対視するリバタリアニズムなど、その具体的基準に関し、様々な思想が対立競合しています。ただ、これらはすべて『正義の諸構想(conceptions of justice)』です。様々な立場が競合できるのは、それらに通底する共通制約原理があるから。それが『正義概念(the concept of justice)』です」
「私が考える正義概念の規範は、『普遍化が不可能な差別は禁止する』です。分かりやすく言えば、『得するのが自分だからいい』『損するのが他者だからいい』という要求や行動を排除せよ、ということです。この規範は『自分の行動や要求が、他者と視点や立場を反転させても正当化できるかどうか吟味しなさい』という、反転可能性テストも要請します」
「この正義概念は、何が最善の正義構想かを一義的に特定はしませんが、およそ正義構想の名に値しないものを排除する消極的制約原理として強い規範的な統制力をもちます。それは『正義のレース』の優勝者を決める判定基準ではなく、このレースへの参加資格をテストするものです」
「他者の負担にただ乗りするフリーライダーや、ご都合主義的なダブルスタンダードは、この厳しいテストが課すハードルを越えられません。外国人に正当な権利を保障せずに労働力を搾取する。民主主義や人権を掲げてイラクに侵攻しながら、専制的首長国家のクウェートやサウジアラビアとは友好関係を維持する。ハマスの戦争責任は問うのに、イスラエルの蛮行は座視する――これらは明確に正義概念に反しています」
「自らの正義構想に照らして正当性(rightness)がないと見なす政治的決定でも、共通の正義概念に照らして公正な政治的競争のルールに従ってなされたのなら、正統性(legitimacy)あるものとして尊重しなければならない。このルールを保障するのが『法の支配』です。立憲主義とは、この『法の支配』の理念を、成文憲法のなかに具現化するものです」
「正義の諸構想が国内社会以上に鋭く分裂し対立する国際社会においても、『正義概念』の共通原理に基づいて、安全保障体制や法秩序が築かれる必要があります。例えば、人道的介入をうたいながら大国の友好国か敵対国かによって選別的に武力行使を発動するのでは、正統性を調達することはできないのです」
「米国はバイデン政権時代、イスラエルの戦争犯罪を追及する国際刑事裁判所(ICC)がネタニヤフ首相らへの逮捕状を発行したことを強く非難しました。一方で、ロシアが報復措置まで取ったプーチン大統領への逮捕状は正当とし、自らはICCに加盟していないにもかかわらず、各国に逮捕への協力を求めました。このあからさまな二重基準は、誰の戦争犯罪であれ厳正に裁くというICCに託された国際法の使命をおとしめるものです」
されど国連 夢の断片を回収し修復を
――世界正義を貫徹し、実現するには、どのような具体的措置が必要ですか。
「世界では今、欧州連合(EU)のような『超国家体』や、巨大多国籍企業や国際NGOなどの『脱国家体』の存在感が増しています。しかしどちらも、民主性や説明責任の欠如といった欠陥を抱えている。私は、やはり主権国家を中心にしたシステムを再評価すべきだと考えます」
「国内で至上の権力をもつ危険物である主権国家は、個人の人権を保障するという責任を果たすことによってのみ承認され、存在し得ます。世界は『諸国家のムラ』であり、その基本原理は、国力格差にかかわらず平等に扱う『主権対等原則』です。もちろん、これは一つの虚構です。しかし虚構だからこそ、巨大な力の格差という現実を補正し、大国の横暴に抗する規範として意義を持ちます。このムラでは、どの国も他の国に依存せずには生き残れない。国際法というおきてを破った国は、この互酬性ネットワークから村八分の制裁が科されるからです」
「国連は現在、様々な欠点があるとはいえ、国際的正統性を調達し、諸国家や超国家体、脱国家体などが連携し調整を図る上で、最も広範な包含力を持ちます。もちろん、戦勝国支配の残滓(ざんし)である常任理事国の拒否権を制約するなど、安保理改革は必須です。そのための国連憲章改正にも、5大国は拒否権を行使できます。でもそれは結局、自分たちの国際的威信を低下させ、軍事力・経済力以上に重要な正統性調達力というソフトパワーを毀損(きそん)することになる。他の国々が団結して非難の声を上げれば、国際的圧力に耐え続けることは難しいはずです」
「先ほど私は『国連の夢は破れた』と言いました。人類が自らに加えた殺戮(さつりく)と迫害の罪業はあまりに巨大で、それを克服する試みは20世紀中に達成できなかった。21世紀の四半世紀が過ぎても、克服できていません。しかし、夢は消えたわけではない。破れた夢の断片を再回収し、修復し、より強靱(きょうじん)なものに再編する――その地道な努力を続けなければなりません。私たちに、他に選択肢はないのです」
井上達夫さん
いのうえ・たつお 1954年生まれ。95年から2020年まで東京大学大学院法学政治学研究科教授を務め、現在は東京大学名誉教授。「法という企て」「現代の貧困」「世界正義論」「立憲主義という企て」「普遍の再生」「規範と法命題」「ウクライナ戦争と向き合う」「悪が勝つのか?」など著書多数。
散歩して、そのついでに地元ならではのメシを食いに行く事にした。
モーニングをやってそうな喫茶店は正月の休みだろうし、コメダは自分の近所にもあるし、きしめんを食いに駅までわざわざ行くのもダルいし…
どうしよう。しょっぱいもの食いたい。という事でスガキヤに行くことにした
スガキヤに向かう前に、小学校やら中学校やらをぶらりと見ていく。もうこの街に来ることもないので、多分見納め。色々と様子が変わっていたが、幼少の頃に遊んだ公園はまだ残っていた。
ついでに高校も見ていく。自転車で通う距離だぅたのでかなり遠いが気合いで歩く。どうせ暇だ。
通学路を辿るつもりだったのに、全然思い出せなくてちょっとショック。まさか母校を探して道に迷うとは。
母校の高校は改装工事をしていて、記憶にある光景は何も残っていなかった。やたら目立ってたメタセコイアも無くなっている。配置は覚えてないので、資材置き場の陰に隠れて見えないだけだったかもしれない。
何をこんなにガチャガチャやってんだ?と思ったが、そういえば、最近中高一貫になったらしいので、その関係で増築やらしているのであろう
それにしても、自分の時代に中高一貫だったら、絶対この高校行けなかったよな…というか、受験自体しなかったので、間に合って良かったと思う。大昔の話だが。
おもひでぽろぽろごっこに飽きたので、メシを食いに行く。スガキヤの位置を調べると、ちょいと歩いた先の地下街にあるらしい。
そういえば、死刑って拘置所でやってるだっけ。あんまり縁起が良いとは言えないルートだったな。まぁいいか。
スガキヤ近辺に辿り着いたものの、そんなに空腹ではないなと気付いたので、もう少し辺りをぶらつく事にする
電波塔としての役目を終えた鉄塔周辺が小綺麗に整備されている様子なので見物しよう
そういえば、セーラー服おじさんってもういないのかな
鉄塔周辺はそこそこ賑わっていた
ほとんど飲食店は正月休みに見えたけど、それでもこれだけ人がいるならそこそこ人気なんだろう
見慣れた人間からすると、何が面白いんだ?という気がするが。エッフェル塔とかスカイツリー見に行きなよ
ベンチで休んでいると、フリフリのスカートの女の子二人組が鉄塔を背景に写真撮影を始めた
「女の子2人をガン見する不審者」の構図になってしまったし、お腹も空いてきたのでベンチを立ってスガキヤに向かう
こんなところにスガキヤがあるとは知らなかった
そんなにするの?200円くらいのハズでは?
おのれ物価高め…
ラーメン、五目ご飯、クリームぜんざいのセットが790円だったので、それを注文して座席で待つ。
カップル、家族連れ、友人連れ、オッサン1人、と客の構成が様々で面白かった。
番号を呼ばれたので、ラーメンを受け取りに行く。
ぱっと見の印象はうーーーん、これで790円か… という感じ。ラーメン屋の食事と考えると安い気がするが、スガキヤなんだと考えるとお高い。
ラーメンをすする。なんだか懐かしい感じがしないでもない。別に格別美味いわけでも好きなわけでもないが、たまに食べたくなる。
スプーンとフォークが合体した謎の器具でスープをすすり、ネギを掬って食う。
食券を渡して受け取る。
甘い。美味い。完食。
これで、790円ならまぁ妥当かな… 税込だし
意外と役に立つかも
以下、GEMINIに書かせてみた。記法もGEMINIにお任せ。
老後資金(iDeCoと退職金)の受け取り方について悩んでいた50代の私。
「専門家に聞くのも億劫だし…」と思い、試しにAIアシスタントの**GEMINI**に相談してみたところ、驚くほど具体的かつ論理的な「最適解」を提案してくれました。
もし私と同じように**「長年勤めた会社で定年を迎えつつ、iDeCoもやっている(期間が被っている)」**という方がいれば、このGEMINIとのやり取りが非常に参考になるはずです。
### 私の悩み(前提スペック)
iDeCoと会社の勤続期間が完全に被っていることは分かっていましたが、「一括でまとめて貰うべきか?」「年金形式でチビチビ貰うべきか?」あるいは「その組み合わせが良いのか?」など、無数にある選択肢の中で**どれが自分にとっての最適解なのか全く判断がつかず、不安**がありました。
### GEMINIが出した「最適解」
GEMINIは、私の状況を分析し、以下のプランを提示してきました。
これが、税金・社会保険料・資金効率のすべてにおいてベストであるとのこと。
#### GEMINIによるシミュレーション結果
### GEMINIが指摘した「意外な落とし穴」
私が「iDeCoを年金形式(分割)で受け取れば税金安くなる?」と聞いたところ、GEMINIは即座に**「それはNG」**と警告してきました。
> 「年金形式で受け取ると雑所得扱いになります。62歳以降の無職期間に所得が発生すると、**国民健康保険料と介護保険料が跳ね上がります**。税金が少し安くなっても、保険料で損をする可能性が高いです。」
この視点は完全に抜けていました。さすがGEMINI。
期間の重複計算や、社会保険料への影響など、複雑な変数を考慮した上で「これが最適解です」と断言してくれたのは非常に心強かったです。
もちろん最終確認は必要ですが、漠然とした不安を抱えている方は、一度GEMINIに**「私の退職金とiDeCo、どう受け取るのが一番お得?」**と聞いてみることを強くおすすめします。
正直さ、「デブは自炊しろ」って言ってるやつ、現実まったく見えてないと思うんだよね。
米は大盛り、おかずは揚げ物や炒め物ばっかり、肉も油もたっぷり使う。
「家で作ったから健康的!」みたいに思い込んでるけど、実際はカロリー爆弾を自ら仕込んで食ってるだけ。
外食やインスタントの方が、まだ量やカロリー計算されてる分マシなことすらある。
特に自炊だと「まだ残ってるし…」って言い訳して無限におかわりできるからな。
食い放題システムが自宅に常設されてるのと変わらん。
そりゃ太るよ。
だからむしろデブには「自炊やめろ」って言った方が正解かもしれん。
それなら味はそこそこ、腹も膨れる、余計なおかずを作らないから食べ過ぎない。
増田です。 DMM傘下のAlgomaticが提供していた「にじボイス」がサシュウを発表した。
プレスリリースには「法的な権利侵害はなかった」「パラメータ調整の結果、偶然似てしまった」などと書かれているが、これを真に受けている人は少し冷静になったほうがいい。
「日本の法律では学習は合法だ!」「日俳連の圧力に屈した!」と騒ぐ擁護派もいるが、今回の件はそんな単純な話じゃない。
これは「AI技術の敗北」ではなく、「ある企業が吐いた嘘と、杜撰なデータ管理が露呈して自爆した」というだけの話だ。
盲目的に企業を擁護する前に、技術的な事実関係の「答え合わせ」をしておこう。
なお、あくまで技術的な根拠を示しているだけであって、問題があると断言できないことは断っておく。
まず、擁護派が盾にする「著作権法30条の4」について。 確かに今の日本の法律では「情報解析」が目的ならば、元データが何であれ(おそらくエロゲーから音声を抽出したデータセット『moe-speech』であっても)、それをAIに食わせてAIモデルを作るだけなら、一応は適法とされている。 そこだけ切り取れば、違法ではないと言い張れる余地はある。
Algomaticが行っていたのは、一般的な基盤学習にとどまらず、「特定のキャラクター(=特定の声優)を狙い撃ちしたFine-tuning(追加学習)」である疑いが極めて濃厚だという点だ。
『moe-speech』は、親切なことにキャラごと(声優ごと)にフォルダ分けされている。 ここから特定のフォルダを選んで、「その声優の声質や演技の癖」を再現するために個別学習(Fine-tuning)を行う。 これはもはや「データの統計解析」ではない。特定個人の実演の「デッドコピー(模倣品)の作成」だ。 これをやると、生成された音声には明白な「依拠性」が生まれる。つまり「パラメータ調整で偶然似た」のではなく、「その声優のデータを意図的に使って似せた」ことになる。これはパブリシティ権や人格権の侵害に問われる可能性が極めて高いラインだ。
Algomaticは「適切な権利処理を行った」「声優から許諾を得た」「パラメータ調整で作った」と主張していた。
しかし、有志による技術検証によって、その主張と矛盾する証拠がいくつも出てきている。
「にじボイス」の音声を分析すると、キャラによって音量が不均一だったり、明らかに古い年代のマイクで録ったような「こもった音」が混在していることが判明している。 もし公式が言うように「統一されたスタジオでプロを呼んで新規収録」したなら、こんな品質のバラつきが出るはずがない。 これは、録音環境も年代も異なるバラバラのゲームデータ(moe-speech等)を寄せ集めたと考えるのが自然だ。
検証の結果、有名声優の声と音声の特徴量が「ほぼ本人」レベルで一致するキャラが多数発見されている。 「パラメータ調整で偶然似た」と言うが、声の高さや速度はいじれても、その人特有の「骨格からくる響き」や「微細な演技の癖」まで偶然一致することは、AIでもまずまずあり得ない。 元データとして「その人の声」を食わせない限り、ここまでの再現は不可能だ。
これも動かぬ証拠だ。 元ネタの『moe-speech』には、作成者の抽出ミスで「幼い女の子の祖父の声(老人男性)」に、誤って「幼女(女性声優)」のタグが付いているという有名な汚れ(エラー)がある。
これを踏まえて、にじボイスに実装されていた「ある老人キャラ」の声を解析モデルにかけると、どうなるか。 なんと、「この老人の声は、〇〇(特定の女性声優)である」という判定が出たのだ。
意味がわかるだろうか? にじボイスのモデルは、「このおじいちゃんのダミ声=あの女性声優の声だ」という、moe-speech特有の「間違った知識」を学習していたということだ。
もしAlgomaticが主張するように、スタジオで老人役の声優を収録したなら、そのデータに「女性声優」のタグが付くわけがない。 これは、「タグ付けミスすら直されていないネット上のデータを、中身の検品もせずにそのまま学習させた」という、言い逃れのできない証拠(トレーサビリティ)になってしまっている。
今回のサービス終了は、日俳連の理不尽な圧力によるものではない。
「自社開発」と謳っておきながら、実際はネットのデータを検品もせずに流用していた事実が、技術的な証拠によって明るみに出そうになったため、これ以上の追及を避けるために店を畳んだ。
そう見るのが妥当だ。
「AI推進派」を自認する人たちにこそ言いたい。 もし本当にAIの発展を願うなら、こうした「産地偽装」のような振る舞いをする企業を擁護してはいけない。
それは真面目にコストを払い、権利処理を行い、クリーンなデータセットを構築しようとしている技術者への冒涜であり、ひいてはAI技術そのものの社会的信用を地に落とす行為だ。
「AIだから何でも許される」わけではない。 技術は魔法ではないし、嘘はいつか必ずバレる。
今回の件を「可哀想なAIベンチャーがいじめられた」と総括するのは、あまりにも事態の本質を見誤っている。
以上。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ac9a4dc1bff1c4087fc1978d751857b0bfe000f3
https://www.cinematoday.jp/news/N0151193
『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』の世界興行収入が5日までに7億5,763万3,973ドル(約1,136億円)に達し、
映画メディアの癖にちょっと前に6憶ドル突破がいきなり7.5憶ドルいくわけないだろという当たり前の感覚が無いので平気で大誤報やらかしてしまっている。
参照元のBoxOfficeMojoのサイトに行くとこうなってる
https://www.boxofficemojo.com/release/rl53837825/?ref_=bo_hm_rd
Domestic (16.5%)
$124,633,973
International (83.5%)
$633,000,000
Worldwide
$757,633,973
より正確なThe Numbersのほうはこうなってる
https://www.the-numbers.com/movie/Demon-Slayer-Kimetsu-no-Yaiba-The-Movie-Infinity-Castle-(2025-Japan)#tab=box-office
Domestic Box Office $124,634,000
International Box Office $508,366,000
全世界633M。つまりBox Office Mojo はInternationalのほうに633Mを計上してしまって、Domestic(米国)の分が2重計上になってる。
Deadlineでもこうなってる
Moving up to the No. 6 spot globally for 2025 so far, Demon Slayer: Kimetsu no Yaiba Infinity Castle has now grossed $633M.
Per Sony, that includes Japan and select other Asian markets. For Crunchyroll/Sony markets it equates to $324.6M.
The latter added $10.2M this weekend, including $6.7M overseas from 62 offshore hubs.
こんなの映画メディアどころか感想ブログでも感覚で見抜けないとダメなレベルだがシネマトゥデイはコタツに入りすぎてそういう能力を失ってるようだ
(追記)
シネマカフェさん、シネマトゥデイさんの落ちた落とし穴に追従するww
https://www.cinemacafe.net/article/2025/10/06/104186.html
https://news.yahoo.co.jp/articles/dd665e333d45c9f24bcfc77f69156f7716cd880a
この論文が端的に示しているのは、政治的言説が**「ドッグ・ホイッスル(隠されたメッセージ)」と「ウルフ・クライ(証明できない危険の主張)」**という、本質的に証明が難しい二種類の発話行為(スピーチ・アクト)を互いに非難し合うことで、**解決不能な悪循環(弁証法)**に陥るメカニズムです。
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この論文は、**ドッグ・ホイッスリング(DW)**と**ウルフ・クライイング(WC)**といった特定の**スピーチ・アクト(発話行為)**に対する**帰属(Attribution)**が、現代の政治的言説において、どのようにして敵対的な弁証法と新たな**発散(Divergence)**を生み出し、解決不能な膠着状態に陥るのかを分析しています [1]。
この問題は、DWもWCも、その性質上、**認識論的に(知識の観点から)帰属が困難な**発話行為であることから発生します [1]。この困難さが原因で、DWやWCに対する**非難や指摘(帰属)**自体が、合理的であるにもかかわらず、**確定的に検証または反証できない**主張となってしまうのです [1]。その結果、これらの帰属のパターンは、DWとWCが相互に強化し合い、固定化する**相互的な悪循環(vicious cycle)**へと発展し、「不幸な現状(unhappy status quo)」を築き上げます [1, 2]。
DWとWCは、政治的環境において特定の影響力を持ち、政治的言説を構成するスピーチ・アクトです [3]。スピーチ・アクトとは、話し手が直接述べた文字通りの意味(locutionary meaning)を超えて、間接的に暗示された力(illocutionary force)や、世界との相互作用において追加された力(perlocutionary force)を持つ発話の形式を指します [4]。
DWは、**論争的ではない公のメッセージ**の中に**論争的な隠されたメッセージ**を埋め込んで送るスピーチ・アクトです [5]。
WCは、**危険が実際には存在しないか、あるいは証明できない**場合に、危険が存在すると主張するスピーチ・アクトです [3]。
これらDWやWCを**「〜という発話行為である」とみなす**行為が、第二階次のスピーチ・アクトであるSAAです [7]。ドッグタウンのシナリオでは、Alphaを除いて、すべての参加者が互いにSAAを行っています [7]。SAAは、他者の行為を指摘する役割と、それ自体が新たなスピーチ・アクトであるという二重の役割を持ちます [7]。
DWとWCがこの弁証法的な問題を引き起こすのは、それらが定義上、間接的で**隠された(covert)**スピーチ・アクトであるため、**誤導的(misdirecting)**な性質を持つからです [8]。
DWは、公衆には無害なメッセージとして聞こえる一方で、特定の受け手にだけ私的なメッセージを送る、話者と受け手の**私的な意図と解釈**に依存するスピーチ・アクトです [8]。
WCは、私的に観察されたとされる危険についての公的なメッセージですが、**その主張の真偽**が外部から証明されていません [9]。
これらのスピーチ・アクトの帰属を行う人々は、証拠の一部しか得られず、全体像の一部のみを見て全体を判断する「盲人と象」のような、**認識論的に不利な立場**に置かれてしまいます [10-12]。
認識論的な困難さの結果、あるスピーチ・アクト(DWまたはWC)を非難する行為(SAA)自体が、相手からは敵対的な別の種類のスピーチ・アクトとして解釈されるという非対称性が生じます [13, 14]。
DWの帰属者(DWA「あいつはDog whistlerだ」と指摘する人)は、隠された秘密のメッセージを証明しなければならない立場に置かれますが、DWの主体は常に自身の意図の直接的な(私的な)証拠に訴えて否定することができます [11, 15]。そのため、DWAは常に**認識論的に不利な立場**に立たされます [11]。
WCの帰属者(WCA「あいつはWolf crierだ」と指摘する人)は、クライアーの個人的な経験に反して、「狼」が存在しないことを証明しなければならない立場に置かれます [12]。WCAは、非観察者でありながら、第一人称の観察者よりも権威ある知識を持っていると主張する不利な立場に置かれます [12]。
この相互に敵対的な帰属の非対称性が、DW帰属がWCとして返され、WC帰属がDWとして返されるという**多極的な相互作用**を生み出し、**認識論的な発散(epistemic divergence)**のプロセスを構成します [18, 19]。
帰属自体がスピーチ・アクトであるため、帰属はそれ自体に再帰的に適用されます。これは**スピーチ・アクト帰属の帰属**として例示されます [20]。ドッグタウンの例では、Alpha(DW候補)→Buddy(DWA)→Charlie(WC A)→Duke(DWA)というサイクルが**無限に継続**します [2, 21]。
このプロセスは、**多極スピーチ・アクト帰属相互性**(DW帰属がWCとして、WC帰属がDWとして相互に強化し合うこと)であり、反復されることで**悪循環**となります [2, 19]。対話参加者全員が、互いの主張が共通の基盤として受け入れられないまま、**非難の応酬**を繰り返します [19]。これは、単に敵意や内集団バイアスから生じるのではなく、**相互的な認識論的な膠着状態**から生じる現象です [18]。
この悪循環が政治的言説の領域内で修辞的な規範として安定化すると、**定常状態の均衡(steady-state equilibrium)**が出現します [2]。これは、参加者が戦略を変えるインセンティブを提供しないため、持続します [2]。
最終的に、**ドッグ・ホイッスル/ウルフ・クライ帰属均衡**が形成され、誰もがデフォルトで互いをDWまたはWCのいずれかであると見なすようになります [22]。これは、相互に矛盾する信念から構成される**信念均衡(belief equilibrium)**の一種です [23]。
この均衡は、参加者が真実を追求しようとする**認識論的な美徳**から生じているにもかかわらず、以下の3つの深刻な問題を引き起こします [24, 25]。
これは、**相互に認識論的に強化し合うが、相互に認識論的に不適合な**視点のシステムです [26]。DWやWCの帰属は、合理的であるにもかかわらず**不確定**である可能性があり、この合理性と確定性の間のギャップが、相互に合理的だが相反する立場が**未解決のまま均衡**することを可能にします [26]。これにより、真実に到達するための「理想的な発話状況」の実現が不可能になり、会話の前提条件が満たされなくなります [26]。
この状態では、**スピーチ・アクトの帰属**が、**事実に関する帰属**を圧倒します [27]。政治的言説の内容は、ほとんどが「あなたの言葉はDWだ」「あなたの主張はWCだ」といった帰属で占められ、事実に関する議論はわずかになります [27]。
この飽和は、最初の扇動的な事実(犬の噛みつき事件など)自体が忘れ去られたり、無関係になったり、解決されたりした後でも継続する可能性があります [28]。なぜなら、最初の出来事Aそのものよりも、「Aに関するスピーチ・アクトの疑わしさ」の方が、政治的に重要であるように見えてしまうからです [28]。帰属飽和は、事実から独立した状態となり得ます [28]。
帰属を行う者の動機が**真実の探求**であるにもかかわらず、その追求自体が、実際には真実に到達しない均衡を生み出すという点で**自己敗北的**になり得ます [25]。
DWやWCの帰属は、特定の認識論的視点から見て合理的であったり、あるいは実際に正しい場合もあります [29]。しかし、不確実性が支配的な状況でこれらの帰属を提案することは、政治的に不安定化をもたらします [29]。したがって、帰属者の真実追求的な衝動こそが、言説をこの悪い均衡の罠に陥れる原因となり得るのです [29]。
この弁証法的な問題は、相互に合理的な認識論的視点から生じる**自己組織化された社会現象**であるため、単一の加害者を特定することはできません [30]。均衡から脱出するためには、政治的コミュニティにおける参加者の**満場一致の同意**が必要ですが、これは強力な反対者によって容易に崩壊する可能性があり、困難です(「一方主義者の呪い」) [30]。
帰属の伝播を防ぐため、すべての当事者に高い検証・反証基準を課すことが提案されます [31]。しかし、誤導的なスピーチ・アクトの性質上、単純な検証や反証はできません [31]。より現実的な解決策は、スピーチ・アクト帰属の飽和を減らし、事実に関する問いを再び顕著にすることです [31]。これには、相互理解を深めるための**修辞的傾聴(rhetorical listening)**のスキルセットが必要となるかもしれません [31]。
帰属の落とし穴を認識し、増幅サイクルを抑制するために、新しい用語を導入する提案もあります [32]。
これらの新しいラベルが、過剰なSAAの力を無力化し、サイクルを終結させることが期待されますが、これらのラベル自体が新たなスピーチ・アクト帰属としてサイクルに貢献する可能性もあります [33]。
最も重要なことは、この問題を真に解決したいと望む人々は、**自分たちのスピーチ・アクト帰属自体が問題を引き起こし、構成している**という痛みを伴う自己認識を持つことです [34]。
なんだか「過去は変えられない」と言い切られると、妙にしっくりくる気もする。
でも、そんなふうに決めてしまうのは、ちょっともったいないかもしれないとも思う。
「よっぽど強い意志が無い限り、過去は変えられない」というけれど、そもそも人の意志なんて、砂場に書いた線みたいなもので、波が来ては消えるし、気分次第でいくらでも曲がったりするものだ。
強さって、目に見えるようで見えないし、実際に過去を変えた人だって強い意志って自覚ないままふらふら歩いてた可能性だってある。
自分の過去を、毎日思い出して、「ああ、あのとき違うことできたかもなぁ」と曖昧に考えるだけでも、それはもう変化のタネなんじゃないかと思う。
「未来を知っている優越感」とか「トラブルに慌てない安心感」が素晴らしいというのも、なんとなく分かる。
けど、同じ景色を2回眺めるうちに、本当に全く同じ道を歩いてしまうものなのかな?
人は、どこかで予想外の落とし穴に片足突っ込んだり、偶然の出会いで気が変わったりする。
過去をやり直したつもりでも、どう頑張っても1ミリくらいは違う人生が入り込んでくる。
安心感はやっぱりあっても、正直、細かいところまで手は届かない。
それに、「過去は変えない」と決めてしまったことで、逆に今の自分が少し窮屈になってしまう、なんてことはないだろうか。
誰かに無理矢理、運命に従いなさいと言われてるわけじゃないんだから、安心感も苦痛も、時々は棚から落っこちてきた方が人生ちょっと面白いかも。
なので、結局「同じ人生を二回たどることになった」としても、ほんの少しでも遠回りしたり、道端に落ちてる何かを拾ったりできれば、それだけで充分過去は変わっている—と思ってみるのも悪くない気がする。
小学生の時 田舎だったから友達と遊べない時は暇すぎて家の庭に穴を掘ってたんだけど、1メートルくらいの深さになったことがあった
穴の底に座ると空が高くてちょっと落ち着いたな
マグマが出てきちゃったらどうしようってワクワクしてたけど、冬眠中の蛙を狂わせてしまっただけだった
読んでくれた人ありがとう。せっかくなのでもっと穴の思い出を語らせてください。
一回で1メートル掘ったわけではなく、初めは集中して一気に掘ったけど、あとは多分一年とか一年半とかかけて少しずつ掘った気がする。
友達が遊びに来たら、記念にちょっと掘って行きなよという感じで軽く掘ってもらってた。家族が農作業で使ってるスコップを使った。
夜に人が落ちると悪いからと親がベニヤ板で蓋をするようになってた。
近所の学年上の子たちが磁石で砂鉄集めるのにハマってた時穴で砂鉄とらしてと穴に入ることもあった。
お盆休みに遊びに来たいとこたちが面白がって、バケツに汲んだ水をどんどん運んできて穴に投入して柔らかくなって掘りやすくなった土をさらに掘って深くなったりしてた。雨や嵐の時はこれでさらに深くなると思って嬉しかったな。
書いていて思い出したけど、低学年の頃に連休に遊びに来たいとこたちが大勢で落とし穴用の穴を掘っていとこの一人を騙して落として遊んでいたのを見ていたのが穴掘りのきっかけだったかもしれない。
掘っていると心が落ち着くのでだんだん穴を掘ること自体が目的になっていったけど。地面に向かって黙々と単純作業をするのがなんか癒された。むしゃくしゃするから掘るか、って日もあった。
地層というほどのものなのかはわからないけど土(というより砂?江戸時代に海底が隆起して出てきた海近の土地だからか粘土っぽい土はほぼない。)の色の濃さが違って垂直に縞模様ができててそれを見るのも面白かった。
掘らない時期も、穴を覗くと近くの柿の葉とか嵐とかで流れてきた松の葉やなんかの木の枝が溜まってるのを見ると楽しかった。
深くなっていくと庭の近くの柿の木や松の木の根っこが見えることがあって、さすがに他の木に悪影響がありそうだからやめた方がいいのかなと考えるようになるのと飽きるのが同時に来てだんだん掘らなくていつのまにか埋められてた。
近年、ブログでの収益化をテーマにした動画や記事、SNS投稿が増えている。
多くの場合、「WordPressを使うべき」「有料テーマを導入すべき」「このサーバーが最適」といった具体的な手順が示される。
これらの情報発信者は、必ずしも高額なセミナーや情報商材を販売しているわけではない。
しかし、推奨するWordPressテーマやサーバー契約には、アフィリエイト報酬が発生することが多い。
例えば、WordPressテーマは1万円〜2万円台のものが多く、販売者への紹介料は販売価格の20〜40%に達する場合がある。
サーバー契約では、月額1,000円前後のプランを12〜36か月分一括で契約すると、紹介者に1件あたり5,000〜15,000円程度の報酬が入ることがある。
WordPressテーマの販売では、デザインや機能の多くが無料テンプレートや数百円程度のプラグインで代替できる場合も少なくない。
しかし「初心者はまずこのテーマから」と推奨されることで、選択肢が事実上限定される。
サーバー契約においても、報酬単価が高い事業者ほど推奨順位が上がる傾向があり、速度や安定性などの性能比較よりも報酬条件が優先されるケースがある。
こうした構造は、表面的には通常のブログ開設手順の案内に見える。
初心者は「必要な初期投資」として受け止めやすく、費用対効果を十分に検討しないまま契約に進むことが多い。
結果として、1〜2年後には更新が途絶え、年間1万〜3万円の固定費だけが残る例も少なくない。
ブログを始める際には、情報源がどのように収益を得ているかを理解することが重要である。
契約や購入の前に、