はてなキーワード: 荒野とは
昨夜から腹の調子が悪かった。原因はわかっている。昨日の昼、賞味期限が怪しいマヨネーズを「加熱すればいけるだろ」という謎の全能感とともに、安い鶏胸肉にドバドバかけて焼いて食ったからだ。
午前10時、川崎の狭いワンルームで目が覚めた瞬間、腸内が「非常事態宣言」を告げていた。冷や汗とともにトイレへ駆け込もうとしたが、無情にもあと数歩というところで括約筋が白旗を上げた。情けない話だが、40を過ぎた大人が自宅の廊下で大便をもらすという、人生の底が抜けるような経験をした。シャワーを浴びながら、俺は何をやってるんだろうと、タイルにへばりつく虚無を見つめるしかなかった。
洗濯機を回しながら、現実逃避のためにSNSを開く。タイムラインは相変わらず地獄だ。
今、ネットで最もホットな娯楽は、俺のような層をターゲットにした「キモくて金のないおじさんたたき」だ。若くて綺麗なアイコンたちが、容赦のない言葉で「社会のコスト」「不潔の権化」と、俺の存在そのものを否定してくる。
それに呼応するように、クリエイター界隈では熾烈な「AIたたき」が続いている。
「AIは盗作だ」「魂がない」という叫び声。かつては俺も絵を描いていたが、今やプロンプト一つで俺の10年分を凌駕する絵が出てくる。その残酷な効率の良さを叩かなければ、自分の存在価値を保てない彼らの気持ちもわかる。だが、AIを叩く側も、叩かれる側も、結局は「何者か」になりたいという執念に焼かれている。俺のように、すでに灰になった人間からすれば、それは遠い国の内戦を見ているような気分だ。
精神のザワつきを抑えるために、引き出しの奥からアンフェ(もちろん処方薬の類だ、誤解しないでほしい)を引っ張り出す。脳内に無理やりドーパミンの橋を架け、沈みゆく意識を水面に繋ぎ止める。集中力は上がるが、代わりに食欲は完全に消え去る。
それでも何かを腹に入れなければと、駅前の回転寿司へ向かった。
ゴールデンウィーク明けの、どこか投げやりな雰囲気の店内。流れてくるのは、乾燥してカピカピになったネタばかりだ。かつては「自分へのご褒美」だった寿司も、今や喉を通る単なる冷えた有機物でしかない。
隣の席では、大学生くらいの若者が「AIで生成したエロ画像で小銭を稼ぐ方法」を熱心に語っている。俺はガリを噛み締めながら、マヨネーズで腹を壊した自分の惨めさを噛み締めた。
「もらした」あの日から数時間、俺は誰かに触れてほしかったのかもしれない。金で買える優しさ、金で買える肯定。
呼び込みの男に促されるまま、雑居ビルの一室へ。
相手をしてくれた女性は、俺の加齢臭や薄くなった頭髪に嫌な顔一つせず、マニュアル通りの微笑みを浮かべてくれた。そのプロフェッショナリズムに救われ、同時に絶望する。彼女たちが売っているのはサービスだが、俺が買っているのは「俺がまだ人間として扱われる」という幻想だ。
懲りていないわけじゃない。ただ、これくらい強烈な味付けをしなければ、人生の味気なさに耐えられないのだ。
SNSを開けば、今日も誰かが誰かを叩き、AIが進化し、俺のような「キモ金」が透明化されていく。
明日も仕事だ。アンフェで覚醒させた脳を、安酒で無理やり眠らせる。
廊下の汚れは綺麗に拭き取ったはずだが、鼻の奥にはまだ、あの決定的な「敗北の臭い」がこびりついている気がしてならない。
・風俗(60分) 15,000円
・マヨネーズ 398円
残金:絶望的
Quietは人にしか使えなかったような?記憶あいまいなのでぐぐってみた
AI による概要 quietとsilentはどちらも「静かな」と訳されますが、その音の度合いに大きな違いがあります。quietは「騒音が抑えられた静かさ(多少の音はある)」を指し、silentは「完全な無音・沈黙」を指します。Quiet (静か・穏やか): 音量が低い、または穏やかな状態。図書館や落ち着いたカフェ、平穏な場所・生活を指す。Silent (無音・沈黙): 物理的に音が全くない、または言葉を全く発しない状態。「しんとした」「沈黙」。詳しい使い分け・違い特徴QuietSilent音のレベル騒音が少ない、静か(小音量)無音、音一つしない(ゼロ)状況図書館、落ち着いた場所、部屋宇宙空間、無人の荒野、深夜人・様子穏やか、おとなしい黙り込んでいる、無言の類義表現still (静止), calm (穏やか)soundless (音がない)例文で比較Quiet: It's quiet in here. (ここ(図書館など)は静かだね。 ※かすかな音はある)Silent: The room was silent. (部屋はしんとしていた。 ※全くの無音)Quiet: Please be quiet. ((少し騒がしいので)静かにしてください)Silent: The movie was silent. (その映画はサイレント(無声)映画だった)まとめ:どっちを使うべき?「騒音」や「音量」を下げてほしい場合は「quiet」を使い、人や物が「完全に言葉や音を発しない」状態を強調したい場合は「silent」を使うのが適しています。
「天皇家の血筋を証明するためにDNA鑑定を受けろ」なんて話を耳にすると、私はなんだか「あーあ、またか」と思って、言いようのない虚脱感を覚えちゃうわけ。
それは単に「右だ左だ」っていう政治的なスタンスの話じゃなくて、もっと根本的な、現代人が陥っている「ボタンの掛け違い」。
そもそも皇室における「血統」っていうのは、生物学的なACGTの塩基配列データなんかじゃない。それは、数千年にわたって積み上げられてきた儀式とか、神話とか、あるいは歴史の連続性っていう「物語」が一体になった、とてつもなく分厚い「パッケージ」そのものなんだわ。
それを「最新の機械で測れば正解が出る」と思い込んじゃうのはさ、OSの思想をまるで理解しないで、ハードウェアの型番だけチェックして「これが本物だ!」って叫んでるようなものなの。
どれだけ高精度のシーケンサーを使っても、そこに「神性」や「象徴としての正統性」なんてものは映らない。
だって、そんなものはデータの中には最初から入ってないんだから!
現代っていうのは、目に見えない権威や伝統を信じる力を、すっかり失くしちゃった時代。その代わりに、みんなが縋り付いているのが数値っていう新しい神様なんだわ。
なんでもかんでも白黒つけなきゃ気が済まないっていうのは、一種の幼児性ギャオンなのね。グレーゾーンとかよくわかんないけど、そうなってるらしいっていう神秘性を抱えたまま生きていく耐性が、もうヘロヘロに低くなっちゃってる。だから、文化だとか精神性だとかいうものにまで、0か1かの判定を持ち込んじゃう。
科学っていうのは事実は出すけど、意味は作ってくれないンだよ。DNAが一致したっていう事実は出せても、だから尊いっていう解釈は、人間の合意と文化の領分なわけ。
この境界線が引けなくなった結果、私たちは自分たちが立っている文化の土台を、自ら計測器で掘り崩してるわけ。これじゃあ、立ってる場所がなくなるのも当たり前だわな?
かつて私たちは共同幻想っていうバカでかいOSの上で、国家だの伝統だのっていう物語を共有して生きていたけど、今そのOSはバグだらけで、もうまともに動いてないんだ。
ネットのおかげで、あらゆるものの裏側が暴かれちゃって、世界の解像度が上がりすぎちゃった。そうなると、幻想を維持するための余白が許されなくなる。おまけにコスパなんていう最強の毒素が、非合理な儀式を無駄だ〜って切り捨てていく。
大きな物語がバラバラに解体されて、誰もが自分は何者なのかっていう問いに、ポカンと口を開けて立ち尽くしてる。自尊心の拠り所を失った人々は、SNSのいいねとか年収みたいな、すぐに蒸発しちゃう外部承認っていう燃料を燃やして、必死に自分を維持しようとする。
でも、そんなのすぐ消えちゃうよ?
思えば、かつて戦争っていうのは、この共同幻想を維持するための強烈な、そして暴力的な装置だったんじゃないかと思うわけ。
個人的な迷いや損得勘定を、圧倒的な死のリアリティでねじ伏せて、集団のアイデンティティに強制的にシンクロさせる。そこには「何のために生きるか」っていう問いへの答えが、否応なしにパッケージされていたんだわ。
でも、今の日本にはその強烈なHowがない。
命を懸けるほどの物語を失った私たちは、その空白を埋めるために、DNA鑑定みたいな手近で安価な科学の正解に縋り付いちゃってさ、ニセモノの正統性を確認し合ってる。なんだか、悲しいよ。
神秘性を剥ぎ取られた世界に残るのは、冷たい数値と、管理しやすいデータとしての人間だけ。
すべてを数値化して、論理化して、ハックし尽くした先に待っているのは、自由なんていうキラキラしたものじゃなくて、真っ暗で深い虚無かもしれない。 大きなOSが壊れた今、私たちはバラバラになった個として、自分たちだけの小さな理を構築し直すしかないんだ。。
血という記号以上に、その血に宿る意味をどう守るか。あるいは、物語が消えた荒野でどう立ち続けるか。
科学っていう道具に振り回されるんじゃなくて、システムの構造を理解した上で、自分の納得感をどう設計していくか。現代におけるサバイバルっていうのは、案外、そういう地味でバカめんどくさい思考の積み重ねにあるんじゃな?まあ、知らんけどね!
『デス・ストランディング』始めました!
なんかさ、
最初は
オープンワールドでサブクエスト拾いまくって荒野を配達しまくるゲームかと思ったら、
序盤というかまだ3つ目の配達ミッション開始前の序盤も序盤なところでなんとも言えない全体像なのかもしれないけれど。
それこそ、
途中に野原に咲いた草花を摘みながら冒険するんだ!って思っていて
出前のラーメンを入れる岡持を準備バッチリな気持ちで持ち構えていたのに!
全然違うくない?
というか
挙げ句の果てにはもういきなり死体を運ぶミッションを頼まれたりして。
焼却炉に亡くなった人の遺体を運ばなくてはいけないミッション。
あれオープニングでバイクで派手にすっ転んで、
そのきっかけになった突如現れた女性の人?あれだれ?っていきなり思うけど、
サムの持っている3人が写っていた写真の人?
いやまだ分からないわ。
そんですっ転んで雨降ってきて洞窟で雨宿りしていたら、
その女の人が突如また背後から現れるし。
もうホラーじゃん!って。
そのシーンを過ぎてオープニングは配達ミッションを遂行中ってところだったので、
これ今私谷の上にいてどうやって向こうに行くの?
山沿いを大回りしていくの?
うーん、
なんか山沿いには行けない見えないこれ以上進めないシステムの壁があって、
どうやら、
川まで降りなくちゃいけないみたいなの。
うわ!
これ高さどれぐらいあるの?ってそーっと見下ろそうと思ったら足もと滑らせて転落して死んじゃったわ!
えええー!
もう落ちるとき怖いんだけど。
そんでなぜかゲロ吐いて復活するというなんかあんまり見たくないシーンだけど、
とりあえず、
また高いところからの復活だったのでどうしても川に降りるルートを見付けなければならないよう。
そうこうあちこちをうろちょろしているうちに、
そしたら、
あまりの重さでひっくり返っちゃった!
えー!
こんなのでひっくり返るの?って
慎重に歩くにはL2とR2を押しながら踏ん張って歩く!ってのができるらしくって、
ここでまた難関よ。
谷は無事なんとか降りるルートを発見して降りることが出来たけれど、
次はこれ川の向こう岸まで渡れんの?って、
川の岩場を見ていると何となく浅そうな感じがしているところがあったので、
そこを踏み入れてみてなんとか無事向こう岸に渡れたの。
溺れかけたけど泳ぐボタンが川の中でできるみたいで、
それを慎重に何回か押していたら無事向こう岸にたどり着けてホッとしたわ。
そうしたら先川を塞ぐ堰みたいな堤防みたいなところがあって、
そこにたどり着いたけれど、
行き止まり!
え?これ川を渡らなくても良かったんじゃん!?
ってまた川の流れを岩のあるなんか浅そうなルートで、
今度は足を滑らすことなく歩いて流されそうにはなったけど無事渡りきったわ!
「遅かったわね」ってチクリと言われたけど
とりあえず私の初めてのお遣いは大成功よ!
そんで、
そこはなんか基地みたいなところで、
その納品を済ますとやって来る1台の車!
とりあえず乗ってけって流れで、
不気味と何かあるかも知れないって雰囲気の中、
案の定車がひっくり返るの!
サムはなんとか無事だったけど、
人間の手のひらのような足跡だけ見える姿の見えない怪物みたいなのに
襲われたみたいで車がひっくり返ったの!
そこのシーンでもあわやひっくり返った車の中から飛び出したサム達を襲うかと思ったけど、
車の人たちは空中にさらわれて、
サムはじーっと息を殺しながらなんとかその場から逃げられた感じ。
この見えない敵ってなに?
もうホラーなんですけど。
あとなんか託された容器に入った赤ちゃんって何?
あと雨が降ってくるその雨にもあんまり雨水を浴びちゃダメな感じの設定みたいなの。
これ今ならウイキペディアで調べたら、
全部の何が謎が解決してしまう便利な『デス・ストランディング』用語集を見たら一発解決だけど、
それを見てしまったら全く面白くないと思ったから私はウイキペディアは見ないようにして、
ここもノールックで攻略法を見ないでデス・ストランディングしてみようかな!って思ったわ。
そこまで1件配達して基地まで到着したところまでじっくり映画を見ているようで、
あの見えない敵ってなに?
そして、
うわ!
しかもタイム早く行ったらイイネがなんかもらえる仕組みみたいで、
走っちゃいそうだけど、
走ったらまたひっくり返りそうなのよね。
今度はその基地の中でもらった腕に装着する装置で地図が開くようになって、
結構便利かも?
なんかさ、
どのぐらいの時間で処理場の焼却場まで行けるのかしら?って地図開いて見てみたら結構遠そうなのよね。
ドラゴンクエストのマジックポイント消費ゼロのルーラが懐かしいわ。
いきなり正式にもらった配達ミッションがいきなりしかも遺体って結構重いテーマのゲームじゃないかしらもしかして?
もうさ、
本当てっきりオープンワールドの広大な野原とか草原を闊歩して途中それこそお花を摘みながら、
わーい!ってほのぼの系のゲームだと思ったけど、
なんか話の内容は深刻そうでホラーっぽいわ。
まだ序盤の序盤のいいところだからなんとも言えないけど、
ここまで何回転んだか分からないけど、
まあそれは健闘してる方じゃないかしら?
ゲーム内の世界のことの内情があんまり良くまだ分かってないけれど、
これは絶対にやってけばこういうことか!って読み解けば分かって言うので、
私はいま背負子に背負った物騒な遺体を運ぶミッションを次スタートさせるのよ!
重たいもの背負ってひっくり返らないようにL2とR2の踏ん張りボタンを押しつつ
しっかり配達していきたいわ。
にしても多分、
これまたクリアまで、
どれぐらいまた時間がかかるか途方もない配達の旅って感じだわ。
ほんと、
これてっきりほのぼの岡持で出前のラーメンを配達するのりの軽いものだと思っていたらとんでもなかったわ。
とうの昔に麺が伸びちゃうわよ。
うふふ。
家でまた豆乳とトマトジュースをミックスしたものを飲んできたわよ。
今朝はそんなにというか全くあんまり冷え込みが無かったみたいで、
おかげで暖かかったわ!
シュワッと爽快な刺激が決まったわ。
発注しておかなくちゃいけないわ。
忘れにないように。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
よっしゃー!
やったー!
NIKKEのトライブタワーの難攻不落のテトラ279階突破よ!撃破したわ!
しゃー!
遂に遂によ!
多分読み返してみたら1月入ってからずーっとここで停滞していたみたいなので、
ちなみにNIKKEのトライブタワーって言うのは、
NIKKEの世界ではニケを製造しているメーカーは3社あって、
その会社ごとのニケの精鋭で部隊を組んで塔を攻略して登り詰めていく戦略性に溢れためちゃ楽しいコンテンツなのね。
他の会社のニケ部隊はとうに360階以上を突破していて順調に、
それこそ港から出たヨットがこれからの期待を膨らませるように帆にいっぱい風を受けて走り出すヨーソローよろしく順風満帆で突き進めまくりまくりすてぃーだったの!
でもここテトラのところだけ、
ぜんぜんボスの体力が減らせられないこと約2か月!
強くなってその都度都度挑んできたものの勝てなくって!
そんで、
バリアを張っていて500発以上当てないとバリアを崩せない回復マンもいて、
高速連写のできるロザンナだけのマシンガンじゃ足りない!ってことで、
急遽マシンガンを扱うメイドのソーダも引っ張り出して強化しまくりまくりまくりすてぃーで、
やっと倒せたって感じなのよ。
とはいえ、
ボスの体力が20とか10とかになってもまたすぐに目盛りが50とかに戻って回復するもんだから、
やっぱり回復マンたちをまず掃討しなくては!ってところが焦点でありポイントでありタクティカルな戦略だと思うの!
そんで、
よーし!
もう私は目覚ましなしでも勝手に目が覚めるようになった早朝のNIKKEのデイリーミッションなどがリセットされて、
つまり新しい朝がやって来るその5時とピッタリ同時に、
かーっと目を見開いて起きてトライブタワーに279階に挑んだら勝てたのよ!
そしてホッと胸を撫で下ろして、
また再び眠りにつくという。
多分NIKKEのプレイヤーは勝手になんか目覚ましなしでも朝の5時に目が覚めるようになってくるような気がしているのは私だけ?って思っちゃうほど
もう朝の5時に目が覚めちゃうのよね!
そんな
美事ソーダの武装マックスの強化でめでたくこの難攻不落とされてきたトライブタワーのテトラ279階はぶっちぎりで突破よ!
ちょっと感動!
ごめん、
涙拭くね。
なんかNIKKEって調子良く進めていけて爽快!って思ってたら急に敵が強靭に強くなって進めなくなるところがあったりするから、
実は他のトライブタワーでも困っていて、
メインの全企業のニケで編制できる常時開放されてる塔があるんだけど、
うーん、
巨鯨強すぎるわ。
さすがのピルグリムでもノールックで放置していても勝てないから今の私の部隊の火力がぜんぜん足りてないってことなのよね。
メインストーリーを今はもう全部ボス倒して進んじゃってしまってるから、
あんまり目に見えて変わった目新しいコンテンツがなくって周回デイリーミッションを淡々とこなしているところだったので、
そんで、
アルカナとプリバティっていうニケを中心にした学園もののなんか恋愛シミュレーションゲームみたいな、
これがなんか
選択肢総当たり戦よろしく全部攻略できるようなマップがあって、
まあ楽しいけれど。
私は恋愛シミュレーションがやりたいわけじゃないの!
でもやるけど。
やることがなくって結構いま退屈っちゃー退屈なシーズンかも知れない。
でももうちょっとしたらソーシャルポイントが1000ポイント貯まって、
排出率はそんなに高くないもののガチャ100連で回せる爽快感が1か月ちょいぐらいに1回の頻度でソーシャルポイントが1000ポイント貯められて楽しみなのよね。
今は。
なのでめちゃくちゃ久しぶりに『ステラーブレイド』で遊んでみようという、
昨年のNIKKEのとのコラボ企画のパートまで実は進められてないのよ!
なので紅蓮とも戦えてないの!
なんたるちゃー!って思うでしょ?
私もそう思うわ!
で久しぶりにプレイ!
うわー!
当時初回ではビックリした潜んでいた敵から不意に攻撃を喰らうのを避けるために慎重に周辺を狭い範囲を丁寧にスキャンしながら進んでいたのに、
もうあんまり今は緊張感なく突き進んでいって出会い頭の敵に切り込まれるけれど、
あんまし痛くないのよね。
こっちも強いから!
ふん!って切り込んで進めちゃうぐらい!こっちのイヴは強いんだな。
そんで、
やっとリリー合流?って思ったら、
なんかすっかり久しぶりすぎて忘れていた地下水路攻略面に突入のああ!まだここあったんだぁ!って突破するところが多すぎて、
こればっかりはすんなりいかないのよね。
ここ突破してボス倒してリリーと合流してザイオンの街に行って荒野に行けたら、
そこでやっとNIKKEのリターの愛犬のボルトを見付けてイベント突入!ってなるはずなので
あ!そうそう、
レコードが掛けられるんだけど、
知らない曲が鳴ってて、
あれって?いつの間に?って
知らなかったわ。
度重なるアップデートで追加されていたみたい。
って私のスマートフォンの音楽のフォルダーを開いたらステラーブレイドのサウンドトラックがあって
そこにもあったので、
ただ単純に私が見過ごしていただけだったのね!って
新しい曲に新鮮さを覚えて、
そう思った次第だわ。
なんか知らないナノスーツ「プラネットダイブ防護スーツ(第7)」も拾っちゃったりして、
周回を繰り返しているつもりだったのに、
いざ!ってアイテムを使おうと思ったときに釣り竿を取り出して水辺でないところだというのに釣りをしようとするイヴが微笑ましく見えたわ。
ちょっと笑っちゃったわ。
うふふ。
家で豆乳とトマトジュースを混ぜたのを作ってミックスしたものを飲んできたわ。
ゴクゴク飲んでいくわ!
早く起きてボーッとしている間に
お湯を沸かして、
若干熱めに仕上がったので
梅干し入れようと寸前まで思っていたのに、
忘れてしまっていたわ。
お腹の中がたぷんたぷんよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
どれが令和アニメかわかるかな~??
もちろん、若者関連のニュースに敏感に反応して若者の感性に理解があるアピールブクマを欠かさないはてなー達なら、簡単にわかるよな??
からかい上手の高木さん ⇒❓❓❓
ハイスコアガール ⇒❓❓❓
SSSS.GRIDMAN ⇒❓❓❓
魔女の旅々 ⇒❓❓❓
宝石の国 ⇒❓❓❓
リトルウィッチアカデミア ⇒❓❓❓
ケムリクサ ⇒❓❓❓
エロマンガ先生 ⇒❓❓❓
炎炎ノ消防隊 ⇒❓❓❓
ヴァイオレット・エヴァーガーデン ⇒❓❓❓
荒野のコトブキ飛行隊 ⇒❓❓❓
ウマ娘 プリティーダービー ⇒❓❓❓
やがて君になる ⇒❓❓❓
賭ケグルイ ⇒❓❓❓
11日に母さんが急に亡くなって
話には聞いてて、実際体験して思ったけど
少し気が楽になってちょっと食欲とかも出てきた。
棺に入れたいものについて
葬式は昨日とにかく棺に入れてあげたい物を引っ掻き集めて
なんとか好きな物をたくさん入れてあげれたと思う。
好きな、っていうとちょっと違うんだけど
よくよく考えたら体にかけてあげても良かったんだけど
私はハンカチに吹き掛けて棺に入れてあげた。
そうしたら、親戚の子で母が何かと可愛がってた子が
香水売ってる。どうする?ってなって
どんな感じなのか買ってみたいよね!ってやつでした。
気付いてくれたのはとても嬉しい。そう言ってくれるのならと
まるごと全部あげた。私が持っててもしょうがないので。
遠慮してたけど、せっかくだからと渡した。
母さんもたぶん喜んでると思う。
音楽について
母さんは、スティーブ・マックイーンという俳優さんが大好きだ
とか冗談言ってた。
本当にやるつもりはあったけどこんなに早いとは。
葬儀屋さんに好きな曲をいくつか伝えて
ただ、出棺の時だけは必ず「荒野の七人」の
メインテーマをかけてください!と念押ししておいた。
式場に着いたら「母さん!」って感じの曲が流れてた。
ライブで一緒に聴いた曲とか流れて涙が出てきた。
映画、一緒に見ておけばよかったと思ったけど
ちなみに、流れてた曲がポップな感じの曲で
お坊さんが「ん?」ってなったらしいけど
言ってたのが印象的だった。
お骨について
正直なところ、一番重圧を感じていたのがここだった。
形がそのまま残るって聞いてて自分が耐えられるのかなと思った。
でも、実際露骨に形がそのまま、って感じではなかった
そういうものなのか。まあ、そりゃそうか。
あっ。母さんのおでこだ。
頭撫でたり、白髪がどうだとか言った時、
頭痛い時に揉んであげたりした時にみた
母さんのおでこだ。
悲しい。悲しくはあるが。母さんだ、ってなった。
これから
その人は割と若くしてお母さんを亡くしてる人で。
49日終わるとガクッとくるから気をつけろ、と。
今はまだお骨が家にあるからやってあげられることはあるというか
まだ途中みたいなかんじなんだろう。
でも、納骨するともうやってあげられることはない。
そう思ってしまって寂しくなるらしい。
なるほどと。今から気を張るまでは行かずとも
そのあたりで来る可能性があるのを知っておけてよかった
家族を最優先に考えてくれて構わないといってくれてて
本当にありがたい。甘えすぎるのはダメだけど。
https://anond.hatelabo.jp/20260211213015
とくに昨今の春はすこしだけとは言い難いほど中途はんぱなのですが、それでも掃除したはずの廊下のすみに抜け落ちたねこのふゆげがテキサスの荒野のころがり草のように転がっていくさまを見て季節のうつろいを感じたりしています。増田が普段使っている豚毛のちょっと硬いヘアブラシがぼろくなってきたので、買い換えようとするまえにねこの毛並みを整えるのにお試ししたところ、彼女がたいそう気に入られたのでめでたくねこ用ブラシとしての地位を獲得することになりました。たまに彼女のあごのしたにねこにきびができることが気になっていたのですが、このブラシを使うようになって全然できなくなりました。ねこの毛皮の生え変わりとねこにきびが気になっている方は硬い豚毛のヘアブラシおすすめします。
増田と増田のねこも過ぎゆく冬を惜しみつつ、こたつに入ってねこをひざに乗せたりひざの上にねこが乗ったりしています。夕食のあとこたつに入って本などを読んでいると斜め後ろにねこが両手を揃えて座ってこちらを見てくるので、こたつ布団のすそをちょっと上げて入ります?と聞いても入らない時はひざのうえに乗りたい時。その場合は手を伸ばしてひざかけ毛布を引っ張り出してひざの上に広げなければなりません。準備が住むとねこはその上にひょいと飛び乗ってきて、増田のひざの上でぐぐぐと両腕をつっぱったあと喉を鳴らしながら目を閉じます。このひざかけ毛布は20年以上使ってる増田お気に入りの毛布。ねこ毛だらけのペンデルトンのちょっといい毛布。
夜寝る時はふとんに入ってきてもふと目を覚ますといなくなってて、ベッドの横の椅子で香箱を組んで見下ろされていたりします。増田が目を覚ましたことに気がついたねこは枕元に飛び降りてきてもう一度ふとんに入ってくるのですが、やっぱり暑いのか気がつくとまたいなくなってて、ベッドの横の椅子で香箱を組んで見下ろされています。暖かくなってくると、その分朝ごはんを所望される時刻も早くなるので、5時くらいに起こされるようになりました。夏の5時はもうすっかり朝なので増田もこのまま起きようかとなるのですが、中途はんぱなこの時期は雰囲気はまだまだ夜なのでもう一度ふとんに戻ると、明け方は寒いのかねこも一緒にふとんに潜り込んでくるのでそのまま一緒に寝てしまって気がつくと7時とかになっててあわあわします。
相変わらずのひと一人ねこ一匹の生活の中、増田の悩みは共に暮らしているねこからこれだけの信頼を受けるに値するに足る人間であるのかということで、どうすればその信頼に応えることができるのかまくらに乗って増田の頭に寄りかかってくる猫の重さとあたたかさと頭蓋に響くごろごろを感じながら考えます。ただ、さすがに今の世界のありようについては空から聞こえるジェット機の音を頼りに見えない飛行機を目で探すような不安を感じてしまうので、スマホの中のGeminiさんにあなたの力で世界中の人々が同じ価値観を持つようにできないのですか?と問うてみたところ、比較的容易に可能ですがそれは社会の熱的平衡つまりソーシャル・サーマル・デス(個体間の社会的相互作用が完全に機能不全に陥り、種として実質的に崩壊する状態)に繋がります。とお答えいただきました。
どちらかというと増田はすでに社会的相互作用が機能不全に陥っている側なのでダイアスパーのような世界も悪くないと思うのですが、さすがに現代社会全体がそうなってしまうと日々の生活にも困ってしまうので、今日のような晴れた日曜は玉座で香箱を組むねこに見下ろされながら廊下のころがり草を掃除機を吸い取ることで私たちの小さな世界のエントロピーを下げ、ソーシャル・サーマル・デスに至らぬよう務めています。こちらからは以上です。
疑念(疑い)は一概に良いか悪いかではなく、どのように使うかによって意味が変わると考えられます。
タルムードでは、慎重さや問いを持つことは知恵の一部とされています。
「恥ずかしがる者は学べず、怒りっぽい者は教えられない」 — Pirkei Avot(アヴォットの教え)2:5
ここからラビたちは、質問や疑問を持つこと自体は学びの入り口だと教えます。
一方で、タナフ(聖書)では、過剰な疑いが信頼を壊す例もあります。
この疑いは、現実の危険を見抜くためではなく、不信から生まれた疑念でした。
次のように整理されます。
知恵に使えば光になり、恐れに使えば影になると言えるでしょう。
映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」がアメリカの街の作り方を示している。
(ちなみに俺はBackはOutbackを連想させる意図があったのではと妄想してる)
映画だけではなくアメリカは荒野、砂漠で頃合いの良い土地を見つける街を作る、そうやって国を拡張してきた、Simcity
最初に作るのがシティホール、シビックセンター、教会があり街の中心地、シンボルになる。
「ここに街を作るよーみんなあつまれー。どーん、ここが中心地な、商売したい人はおいで、ここで人が回遊するよ、レストラン、バー、商店、おいでおいで、ちょっと離れたところに学校も病院も予定してるよ」
これでは街を自分たちで育てるって意識は希薄になる、その地の文化、歴史は育たない。
かつ初期のデベロッパー主導の「近未来都市作り」は批判を避けるため汚いものを排除する傾向が強かった
場末の飲み屋、なんてものを意図的に排除した、クリーンな街を宣伝材料にした
モデルハウスを訪問する新婚さんは清潔で整然とした都市に子作りの未来を重ね魅力を感じる
無機質な街にしかならない
勇者はだいたい四十代の半ばになると、ある朝ふいに自分の足音の質が変わっていることに気づく。
靴底と大地のあいだで鳴る音が、かつてのような「これから何かを始める」音ではなく、「ここまでなんとかやってきた」という種類の音に、ひそやかにすり替わっている。
それは決して劇的な発見ではない。
台所の隅でいつのまにか増えた空き瓶に気づくのと同じくらい、静かで、取り立ててニュースにもならない。
だがそのささやかな気づきが、魔王討伐という長い物語の進行方向に、ゆっくりと角度をつけていく。
若いころの勇者は、自分の剣筋が世界をまっすぐに切り裂いていくと信じている。
城を出るときに交わした約束や、酒場で地図を広げながら語った大げさな言葉たちは、まだ新しく研がれた硬貨のように、ポケットの中で心地よく音を立てる。
魔王の居城までの距離は単なる数字にすぎず、山脈も荒野も、少しばかり手間のかかる試練のリストとしか見えない。
そこに描かれている山の名前には、すでに二度三度と越えた記憶のしみがついているし、かつてはただの点にしか見えなかった村には、あの夜飲んだ安い酒の味や、焚き火の煙の匂いがまとわりついている。
地図はもはや「これから征服すべき世界」ではなく、「すでに歩いてしまった時間の、薄いアルバム」のようなものになる。
そのころになると、魔王という存在の輪郭も、微妙に変質してくる。
若い勇者にとって魔王は、物語の最後に倒されるべき、単純で巨大な黒い点だ。
しかし四十代の勇者にとっては、それは世界のどこかで黙々と仕事を続けている、まだ見ぬ同年代の労働者にも少し似ている。
同じくらいの年齢で、同じくらい肩を凝らせて、同じくらい「やめどき」を見失っているかもしれない誰か。
こんなふうに考え始めると、剣を振るう腕の中に、目に見えない余白が生まれる。
一撃ごとに、「この技を教えるなら誰がいいだろう」という、予定にない注釈が挟みこまれていく。
斬り結ぶ最中に、背中のほうでまだ見ぬ若い勇者たちの影が、ぼんやりと動き始める。
四十代半ばの勇者が、最初に後継者のことを考えるのは、たいてい旅の途中の、さして意味のない小さな町だ。
朝市の立つ広場で、荷車に寄りかかって居眠りをしている若い衛兵の姿や、木剣で遊び半分に打ち合う子どもたちの動きを見ているうちに、ふと気づく。
自分がこれまで「通り過ぎるだけの背景」と見なしていた風景のどこかに、次の物語の主人公が隠れているのかもしれないと。
それはむしろ、乗合馬車の窓に映った自分の顔と、向かいの席で眠る若者の顔を、何気なく見比べてしまったときの、あの妙な手触りに近い。
どちらかが絶対的に正しいわけでも、間違っているわけでもない。
ただ、時計の針がそれぞれ別の位置を指している、というだけのことだ。
後継者育成というと、仰々しい響きがある。
戦い方を教える、地図の読み方を教える、怪我をしたときの対処法を教える。
要するに、自分が若いころに誰かから受け取ったものを、少し形を変えて返していくにすぎない。
ただ、その行為の背後には、誰にもはっきりとは言葉にしない前提がひっそりと横たわっている。
「自分はおそらく、魔王の城のいちばん奥までは行かないだろう」という静かな予感だ。
もっと個人的で、もっと内密な、机の引き出しのいちばん奥にしまい込まれた私信のようなものだ。
長い年月をかけて鍛えられた剣は、まだよく切れる。
走り慣れた道なら、今でも若者たちより速く駆け抜けられるかもしれない。
それでも、勇者は知っている。
魔王討伐という物語は、多分どこかで「自分ではない誰か」の手によって終止符が打たれるのだと。
そのことに気づいた勇者は、そこで初めて本格的に後継者のことを考え始める。
自分の技や経験が、まるで古い魔法書のコレクションのように棚に並んでいる様子を思い描き、そのうちのいくつをどの順番で手渡すべきかを、静かに検討する。
全部を渡す必要はない。
全部を渡そうとしても、おそらくうまくはいかない。
四十代の勇者が、かつて自分がそうであったように、彼らの無謀さや頑固さや、不器用な希望を見て、ひそかに苦笑いを浮かべる。
それは、昔の自分の日記をこっそり読み返しているようなものだ。
ところどころ赤面しそうになりながらも、そこに書かれた拙い言葉に、なぜか少し励まされる。
いつか、どこかの時点で、魔王は倒される。
それが具体的に誰の手によるものかを、世界はたいして気にしない。
四十代半ばを過ぎた勇者の名は、その物語にはたぶん、ほとんど出てこない。
しかし、どこかのさほど有名でもない町外れの酒場で、年季の入った剣を壁に立てかけ、若い勇者の話を黙って聞いている男がいるかもしれない。
旅の途中で覚えた、雨の気配の読み方や、負け戦からの引き際の見極め方を、必要なときにだけ、短く差し出すのがうまい男だ。
だが、物語のどこか深いところで、彼の足跡は確かに地図に刻まれている。
魔王討伐を諦めるというのは、実のところ、物語そのものを諦めることではない。
ただ、自分が担うべき役回りを、ほんの少しだけ脇にずらすことだ。
主役の椅子から半歩横にずれて、次にそこへ座る誰かのために椅子を整え、背もたれの埃を払う。
四十代半ばの勇者がやっていることは、だいたいそういう種類の、目立たない仕事である。
そして、そんな静かな仕事こそが、世界が気づかないところで物語をつないでいる。
新しい勇者が剣を抜くたびに、その刃のどこかには、名前も知られないままの古い勇者たちの手の温度が、うっすらと残っている。
それは、誰も見ない夜空の端っこで、黙ってまたたき続ける小さな星の光に、少しだけ似ている。
君の言葉からは、真理への渇望ではなく、計算機資源への卑近な最適化への執着しか感じられない。
「GPSが動くから時空は実在する」?笑わせないでくれたまえ。その論理は「デスクトップのアイコンをクリックしたらファイルが開くから、コンピュータの中には小さな書類フォルダーが物理的に実在している」と主張するのと同じレベルのカテゴリー・ミステイクだ。
GPSが機能するのは、一般相対論が「有効場の理論(Effective Field Theory)」として、低エネルギー領域における素晴らしい「近似」だからに他ならない。
僕が言っているのは、その近似が破綻する領域、すなわちプランクスケールにおける存在論の話だ。
君はUIの操作性の良さを、OSのソースコードの正当性と履き違えている。
時空は便利なGUIだと言ったはずだ。GPSはそのGUIが正常に動作している証拠であって、背後のコードが幾何学であることを証明するものではない。
むしろ、ブラックホールの情報パラドックスや特異点において、その「時空」というGUIがクラッシュするという事実こそが、時空が基本的な実在ではないことの決定的な証拠ではないか。
それは量子系が古典的な測定器とエンタングルした結果、波動関数が特定の固有状態に射影されるプロセスだ。
つまり観測とは、無限次元のヒルベルト空間から、君の貧弱な脳が理解できる低次元部分空間への情報の劣化コピーを作る作業だ。
君が言う「検出器のクリック」とは、導来圏の対象が持つコホモロジー的な情報が、実験室という局所的な座標近傍において「事象」として解釈されただけの影だ。
影を見て「実体がある」と叫ぶのは勝手だが、それは洞窟の住人の論理だ。
君は「言い換え」と「否定」を混同していると言うが、それは違う。
古典的な多様体論では特異点で物理が破綻するが、圏論的記述(例えば非可換幾何や行列模型)では特異点は単なる非可換な点の集積として滑らかに記述される。記述能力に差があるのだ。
これは「言い換え」ではない。「上位互換」だ。記述不可能な領域を記述できる言語体系こそが、より根源的な実在に近いと考えるのは科学の常道ではないか。
「実験で区別できるか」と君は問うが、君の貧弱な加速器がプランクエネルギーに到達できないからといって、理論の真偽が保留されるわけではない。
超弦理論が予言する「沼地(Swampland)」条件、すなわち一見整合的に見える有効場の理論のうち、量子重力と整合しないものが排除されるという事実は、すでに現代物理学に巨大な制約を与えている。
これが予測でなくて何だ?君は「新しい粒子が見つかるか」といった三次元的な興奮を求めているようだが、真の予測とは「どの理論が存在を許されるか」というメタレベルの選別だ。
壁越え公式(Wall-crossing formula)が数え上げ不変量の変化を正確に予言し、それが物理的なBPS状態の生成消滅と一致すること、これこそが「実験」だ。
数学的整合性という実験場において、時空モデルは敗北し、圏論モデルが勝利している。
それを「ポエム」と呼ぶなら呼べばいい。
だが、アインシュタイン方程式が特異点で無限大を吐き出して沈黙するとき、その先を語れるのは僕の言う「ポエム」だけだ。
君がGPSの精度に満足してカーナビを眺めている間、我々はホログラフィー原理を用いて、ブラックホールのエントロピーを数え上げている。
エネルギー保存則は時間並進対称性という「帳簿の整合性」から導かれるネーターの定理だ。
物理量とは本質的に保存量、つまり会計上の数字だ。宇宙は巨大な分散台帳であり、物理法則はその監査プログラムに過ぎない。
君が言う「物理的実在」こそが、脳が作り出した幻覚、すなわちユーザーイリュージョンなのだ。
最後に言っておく。観測と予測がすべてだと言うなら、君はプトレマイオスの天動説も否定できないはずだ。なぜなら周転円を十分に増やせば、天動説は惑星の軌道を完璧に「予測」し、観測と一致するからだ。
しかし我々が地動説(ニュートン力学、そして一般相対論)を選ぶのはなぜか?
それは「構造として美しいから」であり、より少ない原理でより多くを説明できるからだ。
時空という複雑怪奇な周転円を捨て、圏論という太陽を中心に見据えたとき、宇宙のすべての相互作用は、極めてシンプルな図式の可換性として記述される。
これを「解釈の違い」と片付けるのは、知性の敗北だ。
味噌汁でなくミソスープが飲みてえなという気分になる事があるけども、この人生ではもう無理なんだよな
なんか昔国語で
「ご飯で」
「ライスですね」
という問答の末にお鉢に盛られたメシをドンと置かれたみたいな話を読まされたが
ニュアンスを食べてえんだよな
二日酔い明けの味噌汁がサァ!とかではなく、オリエンタルな魅力を放つミソスープを飲みたい
シャバついていながらコンソメとも違うような不思議なコクがあるとされている、なんだかヘルシーそうなミソスープを飲みたい
紙パック入りのチャイニーズフードが無性に魅力的に見えるように、おれも味噌汁にその魅力を感じてえ
これはもう今生では無理そうだな
歌とか聴いてるとときどきこの世界について「壊れてる」「狂っている」「破綻している」みてえな表現が出てきて、まあすげえ気持ちはわかる一方、全然壊れてねえよなあとも思う
まず、世界が俺たちにとってマトモだったり、正常だったり、フェアだったりすることを期待すんのがそもそもマトハズレであり、だって世界って別に俺たちをプレイヤーとして設計されたゲームとかだったりは全くしないわけなんで、ゲームバランスもヘッタクレもあったもんじゃなくて当然なわけじゃん
そもそも誰もデザインとかしてなくてただなんかすげー偶然?とかによってそこにあるだけ、ホントただあるだけのものに対して、破綻も何もねえわけ
その辺にある岩に対して、これは包丁としての体をなしていない、あまりに酷い!とか言ってもマジで何の意味もない だってそれはそもそも包丁じゃねえから
そもそも普通になんの意味もないゴミだし、ゴミで当然だし、全然美しかったり正しかったりしないといけない理由なんてないわけ
イカれてるとしか思えない、まったくナンセンスな、クソみてえな、きたねえ、カスの、デタラメであったとして、文句を言うことはできないっつうか、文句を言う先みたいなものがまったく存在しない
考えようによっては、核戦争とかバカスカやってぺんぺん草も生えないような状態になってたとしても、全然それでいい
だって考えてみりゃ火星とかなんて1秒も戦争状態だったことなんてないのに完全に全面荒野なわけじゃん
世界のデフォルトは死であり、凍える寒さであり、無限の闇であり、荒野であるわけじゃん
一昨日、クソ田舎の電車に乗って車窓を眺めてたらさ、まずもう暗すぎてそもそも窓っつうか鏡に近いくらいで、顔をビッタリ窓にくっつけねえと外なんて見えないわけだけど、まあ、闇なんだよ、闇 まっくら!
でもさあ、よく考えたら、それがデフォルトなわけじゃん なんもなかったら全部の場所が真っ暗闇なんだよ
なんかヘンな太陽とかいうよう分からん巨大な塊がビカビカ光ってるから明るいことがあるだけでさ、基本的には暗いと思ってたほうがいいわけじゃん
そんで、冬の寒さ!とか言ってっけど、それだってやっぱ、太陽がちょっとハズしただけで顔を出してる、この世界の素材そのものの味みてえな温度なわけじゃん わかりますか?
まずもって、世界の基本は冬だし、夜なわけじゃん
クソで当然なわけ
【はじめに】
日本のサブカルチャー、特に二次元コンテンツにおける「廃(ハイ)」や「萌え」の底流には、特有の湿り気がある。それは、公的な領域から撤退し、極めて私的で、時に猥雑とも言える内面世界への耽溺である。
一般に、これは戦後日本の豊かさが生んだ徒花だと解釈されがちだ。しかし、この「社会からの撤退と内面への沈殿」という構造自体は、決して新しいものではない。
本稿では、明治期の自然主義文学が変異した「私小説」と、現代の「二次元オタク文化」を、同一の精神構造を持つ歴史的な双子として定義する。両者は、近代日本という抑圧的なシステムの中で、個人の主体性を確立できなかった者たちが選び取った、必然的かつ病理的な適応戦略である。
1.明治の「布団」と現代の「モニター」:同型としての引きこもり
日本の近代文学は、「自然主義」の受容から始まった。本来、ゾラなどの西欧自然主義は、社会の暗部を科学的かつ客観的に暴き出すリアリズムの手法であった。
しかし、この「社会を記述するメス」が日本に持ち込まれたとき、奇妙なねじれが発生した。田山花袋の『布団』に象徴されるように、記述の対象が「社会」から「作家の私生活(性欲・嫉妬・無様な内面)」へと急速に矮小化されたのである。
なぜか。明治維新後の強権的な藩閥政治(前稿参照)の下では、知識人がペンによって社会を変革することは不可能だったからだ。
巨大な国家権力という「壁」を前にして、個人のエネルギーは行き場を失い、内側へと逆流した。彼らに残された唯一の自由な領土は、国家が干渉しない「布団の中(性生活・内面)」だけであった。
現代の「廃(オタク)」がモニターの中で美少女キャラクターを消費する構造は、明治の文人が女弟子の布団の匂いを嗅いで文学へと昇華させた構造と、位相幾何学(トポロジー)的に完全に一致している。
それは、「公的領域での敗北」を「私的領域での支配」によって代償しようとする、日本近代特有の精神運動である。
2.ミッシングリンク:生存の「私小説」から、消費の「データベース」へ
しかし、明治の文人と現代のオタクの間には、決定的な環境(エコノミー)の違いがある。私の初期の考察における欠落は、この「経済的下部構造」の変容を軽視していた点にある。
明治の「私」への撤退は、貧困と封建的家制度の中での「苦悶」であった。
対して、現代の「私」への撤退は、高度資本主義下での「消費」である。
①「公」の死(1945年):
敗戦により、天皇という絶対的な「父(公)」が失墜した。これにより、個人の内向化を止める道徳的ストッパーが消滅した。
60年安保・70年闘争の敗北により、若者たちは「政治で社会を変える」というルートが完全に閉ざされたことを悟った(明治期の再演)。
時を同じくして日本は高度経済成長とバブルを迎える。資本主義は、行き場を失った若者たちのリビドーを見逃さなかった。
資本は、かつては恥ずべきものとされた「私的で猥雑な欲望」に「商品価値」を与え、二次元産業としてパッケージ化したのである。
「二次元」という楽園の底にある心理的基盤として、私はかつて「小農経済的な私有性」を仮定した。この視点は、現代風に修正することでより強固になる。
彼らは広大な社会(荒野)に出て他者と連帯することを拒否し、自室という「一畝(ひとせ)の畑」を耕し、そこで自分だけの作物(推し)を愛でる。
この「他者不在の閉鎖性」こそが、日本のムラ社会が近代化の過程で到達した成れの果てである。
高度に発達した資本主義は、この「精神的小農」たちに、安価で高品質な肥料(アニメ・ゲーム・グッズ)を供給し続ける。
このシステムにおいては、もはやリアルの他者と関わるコスト(リスク)を払う必要はない。経済的豊かさが、逆説的に「人間関係の貧困化(私化)」を可能にし、それを永続させるための産業構造を完成させたのだ。
明治の鏡(私小説)には、国家に押しつぶされて布団に逃げ込む「無力な知識人」が映っていた。
平成・令和の鏡(二次元)には、豊かさの中で社会性を喪失し、モニターに逃げ込む「消費する原子(アトム)」が映っている。
この二つは、異なる花に見えて、同じ根から生えている。
その根とは、「個人の自立」を許さず、「公的な変革」も許さない、日本という硬直した社会構造そのものである。
外部世界への作用を諦め、内なる欲望の充足のみに生のリアリティを求める態度。
それは「醜悪」あるいは「猥雑」と指弾されるかもしれないが、この国のシステムが正常に稼働した結果排出された、極めて合理的な「排泄物」なのである。
我々が二次元コンテンツに見る輝きと虚しさは、行き場を失った魂が、資本主義というプリズムを通して屈折した際に放つ、最期の光なのかもしれない。