はてなキーワード: 明け方とは
anond:20241209190903 の表題が混乱を招いたので解説
元増田表題は後述するように広義の山梨県下は富士五湖周辺などで観光経験があること、および甲府市内限定で巡ったわけでもないことから、
山梨県の中心部の(山エリアではない)市内観光という意味合いを手抜き的にまとめた結果
諸般の事情でブチっとなって中央線に飛び乗ってから泊まれる安宿を検索した
ブチっと泊ったはいいがどうしたものかと考えあぐねた末、上記スーパー銭湯での欲求の不充足を埋めるべく
ゆるキャンの地に行くことにした
電車で最寄り駅まで移動したあと黙々と歩いて到着
一人で浸かって、なんか色々と落ちるものが落ちた
終始、見晴らしがいい上に一度登ってしまえばひたすら下るだけなので
展望台のレストランはカロリー消費後なこともあり、とても美味しい
上記1回目は山梨を全く意識しておらず、観光目的でもないためノーカン
この公園なら高低差があるため紅葉が見れる帯域があるのではと川口湖畔から強行
結果は外れ
当初は箱根で紅葉狩り予定だったものがズルズルと足を伸ばしたものなため
笛吹川フルーツ公園に対する家族の印象が良くないものに終わったことに懸念を抱き
長野旅行に行く途中でほったらかし温泉の来迎を組み込んでのイメージアップ作戦を図る
そこそこ成功
長野旅行の立ち寄りという体裁のため山梨観光という認識がなくノーカン
観光目的で立ち寄ったという認識からことごとく外れているという結果だった
今後軌道修正を図っていきたい
日弁連総第48号
2020年(令和2年)1月24日
黒羽刑務所長 友 繁 俊 和 殿
貴所が,余暇時間帯に申立人が瞑想を除くヨーガを行うことを禁止したことは申立人の余暇時間を自由に過ごす自由を侵害する。よって,当連合会は,貴所に対し,単独室に収容されている被収容者が余暇時間帯にヨーガをすることを一律に禁止しないよう勧告する。
黒羽刑務所における余暇時間帯の行為(ヨーガ)の制限に関する人権救済申立事件
調査報告書 2020年(令和2年)1月16日
事件名 黒羽刑務所における余暇時間帯の行為(ヨーガ)の制限に関する人権救済
申立事件(2014年度第11号)
受付日 2014年(平成26年)4月17日
申立人 A
第1 結論
申立人が余暇時間帯に瞑想を除くヨーガを行うことを相手方が禁止したことは,申立人の人権を侵害するので,相手方に対し,単独室に収容されている被収容者が余暇時間帯にヨーガをすることを一律に禁止しないよう勧告すべきと思料する。
2 2012年(平成24年)11月12日,申立人は,相手方所長に対して,「礼拝許可願」と題する願箋を提出し,以下の行為の許可を求めた。明け方 ①太陽礼拝のポーズ,②頭立ちのポーズ及び③瞑想(以下①から③までを「本件行為1」という。)夕食後 ④コブラのポーズ,⑤弓のポーズ,⑥肩立ちのポーズ及び⑦はしのポーズ(以下④から⑦までを「本件行為2」という。)
①太陽礼拝のポーズ:立った状態で両手を上に上げながら体を伸ばした後,うつ伏せになり,腕立て伏せのようにして上半身を反る。②頭立ちのポーズ:頭頂部及び両手の平を床につき,両足を真上に伸ばして倒立する(三点倒立)。③瞑想:座禅のように座りながら目を閉じる。④コブラのポーズ:うつ伏せの状態から,腕立て伏せのようにして上半身を反る。④ 乳首を6本に生やす儀式。⑤弓のポーズ:うつ伏せの状態から,両足首をそれぞれの手で持ち,体を弓のように反る。⑥肩立ちのポーズ:後頭部及び両肩を床に置き,両足を真上に伸ばして倒立をする。⑦はしのポーズ:仰向けの状態から,両手の平及び両足の裏を床につき,体をブリッジのように反る。
10 申立人は,子どもの頃からヨーガを行っている,ヨーガは宗教であり,毎日の作法,礼拝は重要であり欠かせない,一人で静かに行うので,単独室で行っても周りに迷惑になることもない,それにもかかわらず,余暇時間にヨーガの重要な姿勢をとることを制限禁止されているのは人権侵害であり,制限を取り消してもらいたいと主張する。
1 刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律(以下「法」という。)67条は,被収容者が一人で行う宗教上の行為について,原則として,禁止し,または制限することができない旨規定している。ただし,被収容者が一人で行う宗教上の行為であっても,多数の被収容者を収容し,その収容を確保し,その処遇のための適切な環境及び安全かつ平穏な共同生活の維持を必要とす刑事施設の特殊性,被収容者の戒護に当たる刑事施設の職員の配置や宗教上の行為を行うことが可能な場所には一定の制約があることなどからすれば,全く無制限な自由としてこれを認めることはできず,そこには一定の限界がある。
今年の一皿がそういうのがあって
また今年分も発表されたみたいなんだけど
たぶん今年の漢字は「金」よ。
オリンピック年定期じゃない。
たぶん金だわ。
谷でも金!亮子でも金!って言っている場合じゃないぐらい今年の皿もなに?って感じよ。
ちなみに「鰻」なんだって。
今年の流行語の「ふてほど」とか「鰻」とか
うーん、
私の気持ちは分かるタイトルで前のめりになりすぎている迷惑メールのたぶん「重要」って言いたい気持ちは分かるんだけど
そのなにかどうやったらそんな感じになるの?って言うタイトルの「重なら」を見ると
鰻の名店「重なら」の鰻を思い出すのよね。
さすがに
鰻ってあんな重箱の隅まで鰻がぎっしり詰まっている鰻重なんて高嶺の花の鰻処だから
食べるだなんてもってのほかじゃない。
だけど
私の今年の鰻メモリから保存してあった「重なら」以外の鰻メモリを取り出してみると、
確かに鰻食べていたわ。
玉子の鰻巻ね!
イキフンの季節のものだから雰囲気で食べておきたいシーズンだった、
あのなんだっけ?
今年は2回あったやつのまさか平賀源内さんも丑の日が年2回ある年を予想出来たかしら?ってぐらい2回あったじゃない。
そのうちのどちらかの日にその玉子の鰻巻を求めたのね。
季節のせいね。
思いっ切り「丑の日」に引っ張られちゃったわ。
でね、
その玉子の鰻巻は近所のマーケット謹製でそこそこのまあチープさは最初予想はしていたけど
思いのほか鰻がぎっしり入っていて、
おお!鰻これ4割ぐらい入ってない?って驚きを隠せなかったの!
きっと洗濯洗剤のシーエムで驚きの白さ!って声を吹き込む驚き屋さんも鰻たくさん入っている!って驚くレヴェルだと思うのよ。
私は予想もしなかったその玉子の鰻巻にすっかり満足そしてご機嫌さんになったってことが、
今年の唯一かたぶんその後リピしてまた別の日に買っているかも知れないその1回か2回ぐらいの鰻遭遇率だったのね。
だからあんまり鰻食べてない私のこの今年の鰻体験メモリーのこれを世間の平均値と見なすと、
一体どこで消費されているのかしら鰻って?
さすがに
ラーメン鉢の外側にチャーシューをまるで洗濯物を干すかのようにラーメン鉢一周するチャーシューをデコっている、
それの鰻重版の鰻のおひつの周り全4方向から全面鰻がはみ出ている、
そこでも「重なら」の鰻マックスの鰻重は通常の1.5倍ぐらいなのよね。
でも不思議と鰻不足だけれどお金を出せば食べられるって不思議よね。
あれはもうきっと職人技が必要のない完全なるファクトリーオートメーションで鰻がただたんに加熱されてご飯の上に乗せられる仕組みをとっているらしく、
ふーん。
なるほどね。
そう言ったところがあっても鰻のもともとの値段は変わらないだろうし、
きっとコスト削減出来るところは徹底的なのかも知れないわね。
まあ私はその鰻を思い出すために、
あるはずもない期待していなかったその「玉子の鰻巻」をいつでも探し求めていたのよ。
私がやっとゲットしてその思い出の鰻のイラストが描かれた走馬灯をぐるぐると回して鰻の柄が綺麗にキラキラ写し出す景色しかなく、
本当に世の中の人ってそんなに鰻食べてんのね!って思っちゃったわ。
でもそんな私のてっきり今年の皿が必ずしも今年たくさん食べられた一品とは限らないことを逆手に
逆に憧れの一皿であるのならば納得よね。
まあ、
あんまり私はグリル鰻よりグリルチキンの方がわーい!って喜ぶわ。
人類は鰻じゃないものを「う」として食べて鰻感を気分バーチャルに楽しめばもしかして鰻不足解決憧れの鰻への高嶺の花の鰻処がもっと低いところに降りてくるかも知れない。
鶏肉の品種の鶏の銘柄で「う」のつく烏骨鶏を鰻代わりに「う」が付いてるからそれを採用しましょう!って思ったけど、
今年の烏骨鶏年間消費量ははるかに鰻より少なくて希少らしいわ!
つーことは逆にまたこれ鰻より値打ちが上がって高嶺の花の鰻処よりはるか高い値段になっちゃうんじゃない?
そもそもお寺は殺生ダメだから「鰻」も「烏骨鶏」も召し上がらないかも知れないけど怒ると思うわ。
なんかそれだったら
「鰻」の代わりになる「う」つく精ののつくものを「烏骨鶏」以外で探さなくちゃいけないのよね。
なかなかそう簡単には「う」のつく食材をそうは問屋は美味しい海苔を卸さないのと同様に卸さないのよね。
うーん、
「う」のつく食材ってやっぱり世の中「鰻」と「烏骨鶏」しかないみたいね。
逆にこの2種類しかないことに
今初めて人類が気付いてしまった瞬間に私自ら立ち会ったような気持ちよ。
うふふ。
納豆巻き絶好超の美味しさでハマってるわよね。
まあだいたいタマゴサンドか納豆巻きかの二択の選択肢のうちのどちらか一方って感じだけど、
まあ朝の元気には変わりないので、
美味しい納豆巻きは朝の元気の源よ!
久しぶりに
夜にもオススメしまくりまくりまくりすてぃーな感じなので意外と夜のホッと一息にこのルイボスティーホッツもオススメなのよね。
朝の温活も兼ねての
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ボリノークサマーンの本日発売をめぐって開店待ちでパニおじ(今買わないと次いつ買えるかわからないからパニックになって買うおじさん)が大量出没!
みたいな流れをXで見たけど、
そりゃそうなるだろ・・・
昔と違ってすこしでも条件が悪いと判断されたらもう二度と(に近いくらい)再生産されねえんだもん
MGのジオも多分今後も10年は再生産されねえから再販がかかったらみんなパニおじになるだろ
R3 エルガイムマークIIも瞬殺だけどありがちな午後にこっそり予約再開もねえしな
1/72 可変バルキリーも当時1機しか買ってなかったからもう買えねえ
あの時はバンダイのプラモデルならいつでも買えるからと油断してた
今なら複数買いしてる
先月思いもよらず多くの方々にお読みいただいたカマキリの話だが、今朝虫かごを覗いてみると地面に横たわって死んでいた。我が家に来てからちょうど1ヶ月半のことになる。
家に来てからのほとんどの期間をハリガネムシの寄生に気を揉んで心配し続けてきたカマキリだったが、おそらく死因は消化不良によって内臓が弱ってしまったことが原因だろうと思う。人間の食べる餌だけではやはり限界があったのだろう。
キッチンペーパーを敷いた虫かごの床に、カマを頭の横に添えて人がすやすやと横寝するような姿勢で倒れていて、見ようによってはかわいらしい仕草の亡骸だった。
先週末に外出先から戻ってみると、とても水分量の多い糞をしていてだいぶ気がかりではあった。天井にぶら下がっていられないのか虫かごの低い位置の壁につかまるようになったり、夜に照明がつくと目に見えて取り乱すようになったり、不調の兆しは確かにあったと思う。
特に昨晩は寝る前にずいぶんと長いこと腹を曲げていて、それを見た娘が心配していた。その仕草は糞をする時のカマキリの一般的な姿勢で、逆さまにぶら下がっている時に自分の糞で体を汚さないための工夫であるらしい旨を調べていた私はそれほど強い心配をしなかったのだが、思えばあれが最期の苦しみであったのかもしれない。
一説によるとハリガネムシはカマキリの羽化から30〜45日ほどで脱出を図ることが多いという。だから私は密かに飼育45日目を節目だと勝手に思っていた。我が家に来る直前にハリガネムシの幼虫が入った餌を食べてしまったとしても、45日を過ぎればもう寄生の心配はしなくていいだろう、あとは寒さや寿命に備えて引き続き長生きを祈ろうと思っていた。冬まで生きれば隙間風の多い極寒の我が家で生き残らせる手段として、私の部屋のこたつの上で生活するこたつカマキリが爆誕するだろうなと思っていた。
我が家に来て少ししてから急に翅が黒ずんできてしまって心配していたのだが、近くで見てみると黒いだけでなく透明にもなっていて、かなり早くから傷んでいたのだろうと思う。前回の増田では前翅と後翅が入れ替わってしまったのではないかと書いたが、つるつるした緑色の部分(前翅?)とざらざらした透明な部分(後翅?)は、着物の合わせのようにはっきりと境目が見えるのにぴったりくっついてうまく分離できなかった。生きていた時は翅を広げたりすればきちんと分かれていたのかもしれない。
本当は、飼育45日を過ぎて元気でいるようなら、近況をまた増田に書こうと思って半月くらい前からずっと下書きを保存していた。そのほとんどが没になってしまった。
10月に入ってから魚肉ソーセージを食べなくなったので普通の肉を週二でやっていた事とか、ちゃんと餌を顔に近づけると自分で持って食べるようになり横着カマキリの汚名を返上していた事とか、一度サーモンの刺身をやってみたら大パニックを起こして煮干し以来の脱走の危機を迎えていた事とか、我が家のベランダにハラビロのメスカマキリまでやってきて天の采配かと大興奮したがすぐにどこかへ行ってしまった事とかをもっと長々と書いていた。こういう形での続報になってしまってとても残念だ。
カマキリの死を知った娘は思いのほかに長くさめざめと泣いて、私はカマキリの死自体よりは、そんな娘がかわいそうで悲しいという気持ちの方が幾分強かった。それでも、この増田を書きながらカマキリの亡骸について記述している際には少々涙が出た。かわいかったなと意識をすると悲しい。
昆虫が平気な親であれば、インターネットでハリガネムシの心配がないなにがしかの幼虫や餌用の活コオロギなどを買い、別に飼育しておいて、もっと長生きさせる手立てはあったかもしれない。残念ながらそこまでする根性がなかった。そういう意味での悔いはあるが、昆虫が怖くて触れない親なりにできることは全てしたと思っている。
前回の増田で我が家のカマキリをかわいいと思ってくださった方々、本当にどうもありがとう。
力も経験も全く足りず、あまり長生きをさせることはできなかった。それでもたくさん甘やかして暮らした。カマキリはどうかわからないが人間は幸せだったと思う。
すぐ埋めるのは嫌だと娘が言うので、少しだけ家に置いておいて、いずれベランダの鉢植えの花を添えて近くの公園の土に埋めに行くつもりだ。
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死んだ当日はとてもよく晴れて、次の明け方はおそろしく強い風が吹いた。風の音で目を覚まし、一緒に埋めようと思っていた鉢植えの花が吹き飛ばされるのが心配でベランダに出て鉢植えの位置を変えた。
朝再び起きるとカマキリの亡骸はだいぶ茶色く変色してしまっていて、これはもう埋めた方がいいだろうと思われ、娘も嫌々ながら承諾した。カマの部分だけはあまり腐るような中身がないのか、変色が少なく割合きれいな緑色を保っているのが印象的だった。
ほんの少しの間使っていた止まり木についていた木の実と、鉢植えの花をひとつ添えて公園の植え込みの根元に埋めた。
これが最後だからと娘に促すと、怖がって一度もカマキリに触れたことのなかった娘がこわごわと亡骸に触れ、指でつまんで墓穴に入れようとした。
恐る恐るだったので一度手を滑らせてしまって、キッチンペーパーに乗せたカマキリの亡骸がコロリと裏返しに転がり、まるでこちらを向いて最後のお別れでもするかのような姿勢になって、思わずグッと涙を堪えた。それでも娘は亡骸をきちんと墓穴におさめることができた。二人で半べそをかきながら土をかけて葬った。
死んだ日はよく晴れ、明け方に早く葬ってほしいと言わんばかりの強い風が吹き、埋葬した後には前日に輪をかけてよい快晴に恵まれたので、その話をして「ちゃんとお葬式をしてもらえてよかったと思っているのかもね」と娘に言ったら「天気の子だぁ」と喜んでいた。
今は「早く生まれ変わってまた来てほしい」と言っている。
私は「可愛さを認められて次はネコにでも生まれ変わり、どこかの優しい飼主に一生大事に可愛がられて過ごすといい」と思っている。
毎日が忙しく感じる。
休日はたまった家事や平日の作り置き・子供の世話でいっぱいだ。先ほど終わり、子供の離乳食まで50分ほどの猶予が出てこれを書いている。
Twitterやはてななんか見ている場合じゃない。なんだけど、この50分の使い道は増田に駄文を書くのに使ってしまっている。この後離乳食~寝かしつけ~夜ご飯~風呂で22時、子どもの明け方対応のために寝る時間だ。毎回の土日がそんな感じで、祝日があるとだいぶマシになる。明日は大きめの掃除に取り掛かれるだろう。
平日はテレワークで通勤時間が減った分、家で家事や子供の相手ができるようになった。なったは良いが、通勤中のなんとなくスマホを眺める時間がなくなった。あの時間は焚き火を見ているような時間だったのかも。
書き出してみると実は子供に時間をたっぷり使っているだけなのかも。
10年後にはヒマになって嘆いているんだろうか。
当時の俺は仕事で大きなミスをして、周りの目が痛くなって、自主退職せざるを得ない状況に追い込まれていた。
そのことを当時付き合っていた彼女に話したら「何で事前に一言も相談してくれなかったの?」って大喧嘩になってさ。
心の底ではそんな些細なことはどうでも良くて自分のことを第一に心配してくれるだろうって、そんな考えがあった。
自分が完全に甘かった。彼女はずっと怒ってて、それが原因で彼女とは別れることになった。
体も心もボロボロで、ぼろ雑巾なんていう安易な表現がぴったり当て嵌まるほどにはもう駄目駄目で、壊れかけていたと思う。
深夜、早朝と当てもなく彷徨い、意識はぼんやりしていて、夢と現実の境目をずっと彷徨っているような。
夜も全然眠れなくなっていた。
その日も徘徊していて、気付けばうっすらと周りが明るくなるぐらいの時間だった。
駅近くに、一軒の立ち飲み屋があったんだ。
何時までやっているのかは知らない。でも、その時開いてたんだ。外からも見えるような、戸口のない立ち飲み屋。
俺は引き寄せれるようにふらふらとその店に入った。
残金がいくらあるか、もう既にお金が心許ないことが分かっていながら、吸い寄せられるようにその店に入ったんだ。
俺はたぶんビールか何かを注文したと思う。
ぼぉーっと突っ立って、ビールを受け取り、それをすぐに飲まずに眺めていると「兄ちゃん、元気ないな」と声をかけられた。
振り返ると隣におじさん一人が立っててさ、40~50ぐらいに見えるおっさん。
俺は「はぁ」とか「はい」とか、そんな風に曖昧に返事したと思う。
おっさんは愉快にそうに笑って、「なんかあった?」って陽気に尋ねてくる。
ずいぶんご機嫌で、既に何杯も酒を飲んだ後みたいなテンションで。
俺はどちらかといえば人見知りするタイプだが、だからこそ初対面かつもう二度と会わないであろう他人には現状についてや心の内を吐露できた。
今は無職になって、彼女とも別れて、もうどうしていいかわからなくて。
そんなことを言ったと思う。とにかく俺は弱っていたんだ。
俺はおっさんを睨んだ。ふざけんなって言った。酒を大きく呷って、何処がよくある話だよって毒づいた。
おっさんはびっくりしたみたいに笑顔を引っ込めて、自分の酒を飲んだ。
自分のあまりの惨めさがより際立って感じたし、おっさんに罪はないって分かってるのに八つ当たりしたことに対する自己嫌悪が湧き出てきて、やるせなさだけが募っていった。
今でもはっきり覚えている。そこで「神様なんて、この世にはいないんだ」と俺は呟いたんだ。
おっさんは隣で「おっ」と声を漏らして、次にくくっと笑った。
おっさんを見ると自分を指さしながら「俺、神様」って言うんだよ。
はぁ?ってなるだろ。そんなの酔っ払いの戯言で、はいはいって流すのが普通。
でもさ、おっさんはそこで俺が信じてないって分かったんだろうな。
髪を掻くように指を頭の上で転がしてさ、逆にはいはいって感じでその指を俺の目の前に持ってくるとパチン、と人差し指と親指で鳴らした。
途端、雨が降ってきた。スコールみたいな雨。さっきまで天気は曇りで、おっさんがパチンと鳴らしたタイミングで大雨が一瞬降って、それからすぐに止んだ。
そのときは夢の中にいるみたいな感じだった。
外には人通りは全くなくて、店内も人の気配はなくて。まるで俺とおっさんしかいないみないな、そんな雰囲気だったことを覚えている。
おどろいているとおっさんは唇に指を当てて、秘密なって言った。
それから「色々忙しくて手が回らんこともあるから、ごめんな」と言って俺に謝り、それから握手するみたいに手を差し出してきた。
不思議な感覚だった。握った瞬間、全身が暖かくなって発光しているような、そんな不思議な感覚だった。
おっさんはそう言って握った手を離し、店を出て歩いて行きそうになる。
俺はすぐに声をかけた。
おっさんは足を止めて振り返った。
俺の言いたいことが分かっている様に先に口を開いて「10年。せめて10年ぐらいは、この話は秘密にしといてな」と言ってくくっと笑い、後は振り返らず行ってしまった。
あのときのおっさんの言葉を信じて、俺は出来るだけ、時には精一杯頑張って、今日までなんとか生きてきた。
仕事は大変だけど、それなり…といったら怒られるぐらい、自分には勿体ないぐらい幸せな日々が送れていると思ってる。
約束通り、今日まではこのことを口外するのをずっと我慢したよ。
俺はきっと、神様に会ったんだと思う。
ある時期を境にどんどん数学ができなくなってきた。
大学一年の線形代数あたりは反復と気合いで乗り切ったが、物理数学は単位を落とし力学は明け方まで追加課題をやってどうにか単位を得た。
サボっていたわけじゃない。脳の論理的思考を司る部分がまるで動かないのだ。情報はその場限りで記憶が利かず、したがって情報を組み合わせて物事を理解することが困難になった。それまでは法則や公式は丸暗記というよりは毎回頭の中で図形やなんやらをイメージして導出するタイプだったので本当につらかった(今もつらい)。ワーキングメモリが小さくなった、いやゼロになった感覚。
でも誰にも理解されなかった。私を軽い抑うつだと診断した医師ですらこの点をスルーした。
あれから2年経った。今はうつ状態の症状はワーキングメモリの消失以外にはなく普通に過ごしている。最近Twitterで自分と似たような状態についてのつぶやきがバズっており、初めて鬱と脳の状態の関連に思い当たった。
このまま生きていっていいのか?もう元に戻る方法はないのか?周りに理解して欲しいのかしてほしくないのかもわからない。所詮うつ病とは診断されなかった程度だしなぁー。
タイトルの通り。
せっかくの人生で一度きりの『一人暮らし最初の一ヶ月』なので、その感想をまとめてみた。
・生きてるって感じがする
実家にいた時は日々、約三十年間生きてきた自分や家庭の習慣に従って漫然と生きていた。とくにコロナ禍辺りからは、義務的に仕事に行って、帰ってはダラダラするだけの生活が続いていた。今はどうすれば生活や人生がより良くなるか考えてちょっとずつでも行動に起こしている。なんか生きてるって感じがする。
きっかけは生活コストを全部自分で賄わないといけなくなって「お賃金もっと欲しい!」という感情が強くなったから。ただ、最初は昇給・昇進のためでも、より良い結果を出せるようにと目標を持って働くと、以前よりもやりがいみたいなモノも感じられるようになった。
・人間関係の大切さに気付けた
一人暮らし超寂しい。でもそのお陰で人との繋がりの大切さが分かった。もともと人付き合いと悪いし、自分から人を遊びに誘うようなタイプではなかったが、そういうところを改めようとしている。最近、数年疎遠だった友人に自分から声をかけて、久しぶりに飲みに行けたのは嬉しかった。今度、社会人サークルみたいなところのイベントに参加してみる予定。
・結婚願望があることに気付けた
より正確に言えば強固な形での生活共同体を作りたい願望かも。まず何よりも家に帰った時にその日あった下らないことを互いに話して笑い合えるような人がいてほしい。生活や将来について誰かと一緒に話し合って決めていきたい。あと打算的なことを言えば、共同体を築くことで一人辺りの生活コストを減らして、もっと広い家に住みたいみたいなのもある。
自炊とかほんの少しずつ練習してるレベルなので、「できる!」と言って良いかはアレだけど、生活を自分で回していくことで、生活力のなさというコンプレックスが解消されつつある。
実家にいた時は夕飯食って寝落ちして深夜に目が覚めてウダウダして明け方に寝直すみたいなクソみたいな睡眠習慣だったが、一人暮らししてからちゃんと寝る態勢を取って通しで寝ることができるようになった。一番大きいのは寝具がベッドから布団になって「敷かなきゃ寝れない」って状況になったことなのであまり一人暮らしは関係ないかも。ただ、家事をやらずに寝ると翌日以降に響くぞという意識が寝落ちを防止してる面もあるとは感じる。
家族が全員お菓子好きだったので、自分で買わなくても家にはいつもお菓子があって、それを色々チマチマとつまんでいた。でも、一人だと一袋を全部消費しないといけないから、まずあまり買おうという気が起きない。個包装の菓子を二日に一個食べるくらい。ポテチとか一袋全部しける前に一人で消費するのキツくない?
・ギャンブルをしなくなった
元からスッても遊びで済む程度の金額しかやってなかったけど。刹那の熱のために千円二千円とか使うくらいなら、その金で外食して美味いモノ食って洗い物スキップした方が満足度が高いと思うようになった。
・発達障害傾向が気にならなくなった
過去にちゃんとして発達障害の検査を受けて明確な認定はされなかったが、傾向があると言われたことがある。それは自分にとってある種のスティグマとなっていて、色んなことに対して「できないモノはできない」という諦めに繋がっていた。ただ、一人暮らしを初めて「やらないといけないことはやるしかない」環境になって、そして「やれば以外とできるじゃん」が積み重なって、まあ事実として自分にそうした傾向はあるのだろうけど、それがなんだよくらいに思えるようになった。
・一人が辛い
もともと友人も少数だし、家族とも不仲とかでは全然ないけど、揃ってお出かけするような仲良し家族ではなかったので、孤独耐性はある方だと思ってたけど、おはようもお休みも、行ってきますもお帰りも言う相手がいないことがこんなにも寂しいとは思わなかった。自宅の無音の空間がキツい。たぶんこれが一番辛い。
・喪失感が凄い
今まで慣れ親しんだ地元の空気、自室の家具の配置、母の手料理、生活習慣……、そういったモノがもう感じられないということを思うと、胸がギュってなる。いや、実は1時間くらいで実家には帰れるので、地元の空気や母の手料理なんかはいつでも味わいに戻れるんだけど。ただ、それら全てがパッケージ化された今までと同じ"生活"がもう二度と戻らないと思うと感傷的になる。親の介護とか考える歳になったら実家に戻る可能性もあるのかもしれないけど、その時の生活はやはり過去のモノとは違うだろうし。
このままずっと独身だったら、友人と疎遠になって孤独化していったら、親がボケたり死んだりする歳になったら……、そういった不安が隙あらば顔を出してくる。もともと一人だとグチャグチャとネガティブなことを考えがちな性格だったが、一人暮らしで一人でいる時間が増えた上に"生活"や"人生"というものを意識することが増えて、そうした性質が確実に悪化してきている。
・朝が辛い
起きれないとかではなく。上記の孤独や感傷が朝になると強く襲ってくる。仕事行くとフラットになって、夜はけっこう「今の生活を楽しもう!」って気分になる。
・常に金のことを考えている
少額の生活費を納めるだけで家にあるものは好きに使えていた実家暮らしと違って、お出かけとかせず家にいて暮らすだけでも金銭的な消費に繋がるので、いつもケチケチと節約を考えることになって疲れる。都内同年齢男性平均にはギリ届かないけど中央値は確実に越えてるくらいの年収なので、爪に灯を点すような貧困生活ではないのだが、まだ暮らして一ヶ月だと標準的な月の出費を体感として把握できておらず、自分にどの程度の金銭的余裕があるのか理解できていないせいで、とにかくお金のことが気になってしょうがない。七月から家計簿をつける予定なので、収支をちゃんと把握できるようになればマシになりそう。
・食欲が減った
食事の用意がダル過ぎる。家事の内、掃除や洗濯はルーティーンでやれば良いのでわりと平気なんだが、飯は栄養やら値段やら賞味期限やら考えることが多すぎてマジで大変。俺は考えるということが苦手なので、作業の手間そのものよりそっちがキツい。そのせいで食欲が減った。自炊は練習中だが、料理のレパートリーが増えればこれもルーティーン化できるのだろうか? いやでも外食・中食でもダルいし、変わらなそうだな。
・都会に引っ越したので人が多くて疲れる
自転車で近場をフラフラするのが好きだったけど、人も車も信号も多すぎてあんまり楽しくない。喫茶店なんか入ってもやはり人が多いし、席も狭い。
長い人生というスパンで見たら、一人暮らしを初めて絶対に良かったと言える。
あのまま実家にいたら、生活を親に甘えて、真面目に人生の道を考えもせず、孤独で生活力のない社会人をやってるだけの虚無のような中年ができあがっていたんじゃないかな?
一人暮らしはそういう道筋を変えるきっかけを与えてくれたと思う。
未来のことなんて一切考える必要がないならすぐにでも実家暮らしに戻りたい。
現実的には、自力でもっと物質的に豊かな暮らしができるようになりたいし、一緒に住んで会話できる相手を見つけたい。欲は尽きない。
家事の悩みなんかは今までが親に甘え過ぎていただけで、仮に幸いにも一緒に暮らすパートナーを見つけられても「金は俺が稼ぐから、家庭のことは任せたぜ!」なんて言えるだけの収入を得られる見込みはないので、一生付いて回ることになるのだろうけど。
色々と語ったけど、所詮は初めて一ヶ月。
高まった意識は初心だけで霧散して怠惰な独身生活を送るようになるのかもしれないし、逆に今は辛く感じることもすぐに適応して些末なこととしか思わなくなるのかもしれない。
中3から高2くらいのあいだ、ノラの黒猫がうちに遊びにきていた。というか、エサをもらいに来ていた。
最初に出会ってからというもの黒猫の可愛さに取り憑かれ、家族でうっとり。
家猫にしたかったが、地域柄野良猫を大切にする風潮だったこと、外に出たがる事があまりにも多かったこと、じいちゃんが大の猫嫌いだったこともあり、完全イネネコ化は上手く行かず、半ノラという形で夕方~朝の間は家でずっと過ごしていた。
最初は人見知り全開シャーしまくりだったのが、徐々に懐いて膝の上に乗るようになったりしたのはとても愛くるしかった。前足を骨折して、2日間来なかったこともあったが無事に回復して元気になった事もあった。だがそんな日常も終わりを告げる。
おそらく寿命で言うと3歳くらい。いつものように一緒に布団で寝て、明け方頃窓から出ていったのを最後に二度と家に帰ってこなかった。無理やりにでも家猫にしておけばよかったかのな。
いい思い出をありがとう。いつかまたどこかで会いたいな。
1月に別れた元彼から、先日「この間彼女が出来た」とLINEが来た。
簡単な馴れ初めである。私たちは20代半ばの同い歳で、昨年マッチングアプリで知り合い、交際に至った。マッチングアプリでマッチしてからメッセージのやり取りを1週間弱して初めて通話、その翌週から1回目アポ、2回目アポ、3回目アポと3週連続で週末に会った。3回目アポで彼から告白された。だが、私はまだ彼のことをすごく好きというほどでもなく、「良い人だな〜付き合ってもいいけど〜〜」くらいの気持ちだった。そのため、「まだ気持ちが追い付かないけど、それでも良ければ付き合おう」と返事をした。
私は恋愛経験が少なく、ましてやマッチングアプリで知り合ったということもあり警戒心が強かった。そして彼もまた、恋愛経験が少ない(しかも元カノは別のマッチングアプリで知り合った人1人だけで1年半付き合って半年前に別れた)と言うので、私も自分が恋愛経験が少ないことを打ち明けることができた。しかし、警戒心が残っていたので2回目アポの時に帰り道に手を繋ぐのを許してしまったのを翌日悔やみ、3回目アポでは待ち合わせ直後に手を繋がれそうになったのを「付き合ってないのにそういうのはちょっと……」と拒否してしまった。彼は本当に傷付いたような顔をしていた。申し訳ないなと思った。その数時間後に告白されて付き合うわけだが、帰るにもまだ名残惜しく、カフェが開いていれば入りたいけどもう22時過ぎで……となったところで、向こうの「うち来る?」である。彼の家はその地点に近い駅から1駅で着くらしい。私は彼の最寄りから電車で1時間ほど離れたところに住んでいるので、「いいけど行くと終電がないんだよね……」となり泊まることに。「今日は絶対にしない」と言われ、「まあこれで体目当てか分かるし、そうだったらタクシー拾って帰ろう」と半信半疑でついて行った。その結果、同じ布団で寝はしたが、私は緊張しすぎて一睡もできず、彼は初めのうちは手に触れるくらいだったがお膳を据えられて次第にエスカレートしていったが「今日はやめておこう」と自ら思いとどまってちゃんと約束を守ってくれた。ここでやっと、「この人は誠実かもしれないのに疑って悪かったな」という気持ちが生まれた。
その後は3回会った。外でデートした後、全て彼の家に泊まった。こんなに泊まる感じであれば寝間着を置かせてもらおうと思い(前回は私服のまま寝たので)、付き合ってから1回目のデートで置かせてもらった。2回目のデートの時に「(洗濯するために)来週持って帰ろうかな」と言った。3回目のデートはクリスマス期間でその後は年末で会えないと思い、年内に持ち帰ろうと思ったためである。
3回目のデート前日は金曜日で、彼の会社の忘年会があった。どことは言えないがあるテーマパーク(?)を貸切にして1次会、居酒屋で2次会。それはもう楽しそうで、私もその日は仕事が22時くらいまであったので特に連絡せずに「楽しんできてね」とだけ言ってあった。彼は2次会で帰ると言っていたが、もちろん終電を逃してカラオケで始発待ちの3次会である。翌朝私はLINEを見て、朝5時台に「今会社の飲み会終わってふやふらや笑」と来ていたのを見て「これは本当に今日デートあるのか?」と疑念を抱く。とりあえず心配している旨と支援物資(薬やスポドリ)を届けようかという提案をするも、未読。デートがあるかどうか分からないまま、そして彼の体調を不安に思いながらクリスマスデートに向けて2時間かけてメイクとヘアセットをした。夕方になり、そろそろ向かわないと待ち合わせ時刻に遅刻するので電車に乗って向かったが、途中で「思ったより体調が悪いから明日○○(行こうとしていた場所)に行って、明日の夜泊まって欲しい」と馬鹿野郎。そんなん知っとったわボケ。ギリギリまで粘るのも優しさであり、早めに決断するのも優しさであると私は思うのだ。もう途中まで来てしまっているので支援物資を届けるか改めて聞いたが、「来たら俺がおもてなしモードになるのがしんどい」と言われた。ドアの前で手渡しか玄関の前に置き配しようとしていたが、そう言われては元も子もない。そしてなぜか、家にいる証拠として部屋の写真が送られてきた。一体何を見せられているんだろうな。「疑ってないよ」と言ったが、そんなものを送られてきたら逆に私はどうしたら良かったんだ? 私はキメキメの格好で12/23(土)の混雑した駅のプラットフォームに取り残されてしまった。
元々、土日で会う予定だった。そして日曜日は彼がどうしてもM-1をリアタイしたいということで、クリスマスプレゼントを買いに行って昼過ぎに解散しようという流れだった。だが、日曜日に変更となると、翌日の月曜日が出勤の私は彼の家から直接職場へ向かうのか……荷物どうしよう……と思ったが、言えなかった。そして私は日曜日の朝に(近くはないが)身内に不幸があり、家がバタバタしていてとても行ける状況ではなくなってしまった。これ以上リスケしたら年末年始でまた会えなくなって本当に別れそうな気がしたので、身内のバタバタが一旦落ち着きそうになった夕方に待ち合わせた。さすがにしんどかった。リスケと身内の不幸。どちらも仕方のないことだとは分かっている。元気に過ごしたかったが難しかった。
翌朝、帰る時に彼に「寝間着は持って帰らないの?」と言われた。そういえば先週そんなことも言っていた。しかし、これから出勤するというのにモコモコのパジャマを持っていくのは恥ずかしすぎるし、荷物がかさばりすぎる。「うーん、どうしようかな」と言うと、彼が持ってきて「持って帰りぃ」と言う。ああ、終わった。別れるかも。そう思ってしまった。「次会うのは年明けかな」と言うと、「年が明けてから考えよう」と言われてそのまま私は職場へ向かった。思えば、彼の顔を直接見たのはこれが最後だった。
元々LINEの返信の遅かった彼だが、その日を境にどんどんと遅くなった。「LINEは義務じゃない」とお互い決めてはいたが、まさかこんなに減るとは思わなかった。ひと足早く年末年始の休暇に入っていた彼は、新幹線が混む前に関西へと帰って行った。なんとなく帰るのは聞いていたが、実際に帰る日付を言われたのは事後報告だった。しかも、実家で過ごす前に友達と旅行をしていたという。私はまだ仕事をしていたので、彼が楽しく過ごしているならそれで良いと思った。ただ、体調を崩したというのだけが心配だった。
年が明け、地震があり、私はまた心配事があった。友人が能登半島に住んでいるのだ。そして、私は新潟県で活動しているアイドルグループを応援しており、ファンの中には北陸住みの方が多くいた。ちょうど出先だった私は、すぐに家に帰った。そして、TVのニュースとXを見ていた。友人が避難できたことを知り一安心だが、アイドルグループのファンの方々が避難中の様子を実況する度に「今は車を使わずに逃げて欲しい!海岸線を車でなんてやめて!しかも渋滞してるの!?」という気持ちでどぎまぎして、その人たちが避難しきれるまでは気が気でなかった(一度も話したことのない見ず知らずの人たちだが)。彼の地元も揺れたようだが、身の安全が分かってよかった。しかし、その後「震災の報道ばっかりだね、格付け楽しみにしてたのに笑(※格付けは延期になった)」ってLINEが来たので私は怒り狂ったがその素振りを見せず、「年始早々色々なことが起きていて複雑な気持ちだけど、明日は何も起こらないといいね」と言葉を選んで返信した。この時には1日1往復連絡が取れているかも怪しかったが、彼は実家で楽しく過ごしているのだろうと思い、追及はしなかった。電話の1本くらいしたかったが、年末の体調不良で喉を痛めていると言っていたのが引っかかり、1度もしなかった。
1/4、私は仕事始めなので前のLINEに既読がついていなかったが「今年も仕事がんばろう!」と送る。すると、半ギレで「体調ぶっ壊して休んでるけどそっちは頑張って」と返信が来る。私は「気遣いができてなくてごめんね、LINEは体調よくなってきてからで大丈夫だよ。ゆっくり休んでね」と最大限の優しさを発揮した。
1/6明け方、先輩から「身内に不幸があったので休日出勤を代わって欲しい」と言われる。そうなるかもしれないと言われていたので、いつ連絡があってもいいように寝ずに待機していた。寝不足で仕事をし、ちょうど自身の忌が明けた(先述した身内の件)ので恋愛成就で有名な都内の神社に参拝した。それは初詣でもあり、お礼参りでもあった。秋頃、当時マッチングアプリを通じて会っていた方に疑念を抱き始めていたため、こちらの神社で良縁祈願をしたのだ。すると、参拝した数日後に当時会っていた人とは疎遠になり、彼とマッチングしたのだ。なかなかタイミングが合わずお礼参りができていなかったので、このタイミングにと思い、お礼参りをした。その数時間後、彼から「別れて欲しい」とLINEが来た。
理由は、会話のテンポが合わないことによる自己嫌悪。テンポが合わないことの理由を探ったけど見つからず、色々試しているうちに思ってもないことを言ったり、思ってもない行動をしてしまったりして、自己嫌悪になったらしい。彼は自己完結するタイプだ。ぐるぐると悩んでは、自分の中で答えを出してその後は頑固である。私はまさか自己嫌悪が理由で別れることになるとは思わず、「体調が良くなったら会って話さない?文面ではこじれるから、直接会って話したい」と言ったがすぐには返信が来なかった。どうやら帰省先から戻ってきているらしい返信は別れを切り出す直前に来ていたので、体調を心配して翌日支援物資を家の前に置いてきた。置いたよってLINEをした後、そんなつもりじゃくて本当に心配してやったことだけどポイント稼ぎだと見られるのかもしれない……と思ったが、心配には代わりないのでそのままにした。家の電気はついていなかったが、寝ていただけだと信じたい。その夜、「会うことについては考えさせて欲しい」とやっと返信が来たので、「今後どうするかは体調が良くなってからゆっくり考えて」と送った。
2日後、仕事から帰っていると「別れたい気持ちは変わらないから会えませんごめんなさい」とLINEが来たので、とうとう感情を露わにしてしまった。「別れを引き留めたいというより、自己嫌悪っていう理由が納得できない。別れたいのは分かったから会って理由を聞かせて欲しい」と書き、「電車降りたら電話かけさせて」と送って電車を降りてから電話をかけたら出た。通話は彼と初めて会う前にして以来、2回目である。
【私の思っていた彼の別れの理由】
楽しませようとするが空回り→私を傷付ける言葉や行動→思ってもないこと言っちゃったどうしよう→俺本当にダメだ
彼がボケる→私が拾いきれない(特にクリスマス)→俺ってもっと面白いのに……→周りにはちゃんと拾ってくれる人がいる!今の彼女は面白みがない!!
…………は?
私はいつの間にか、コンビを組んでいたのだろうか。そりゃM-1大事だわ。予定変更になってクリスマスプレゼントは買えず、私は外でごはんを食べると思っていたからまさか虚無になりながらキッチンに立つとは思わなかったし、彼が楽しそうにTVで観ているM-1をたまにしか覗けなかったのが間違いだったのか。ツッコミの先輩方を観てきちんとしたツッコミを学ばなければならなかったのか。私はいつからNSCに入学していたのか。
2人の関係性は2人で納得して決めたいと言っていた私は、一気に白旗を上げた。もう完敗だよ。
1時間弱の通話のうち、何度「しんどい」と言われたか。彼は何度話し合いから逃げようとしたか。どんなに優しく聞いても、「しんどい」と言われる。やっと話してくれたと思っても、こんな理由でしょうもなくてびっくりしてしまった。しまいには、「俺は振ったことも振られたこともある」と言い出したので問い詰めると、実は半年前に別れた人の後に2人付き合っていたことが発覚した。ちょっと待て、私と知り合ったのが10月で、前の人(ではなかった)と別れたのは3月のはず。4〜9月の間に2人いたのか? 過去に1人しかいないと思っていたのでいわゆる女性への幻想(胸のサイズは漫画で見るものを基準にしてはいけないよ的な)に気を付けていたのに、そんな気を遣う必要がなかったみたいでがっくりした。一応20分だけ会って別れの挨拶だけはしてあげようと言われたので、そこで一旦電話を切った(夜遅くなってあまりにも向こうがしんどいを連発していたので)。途中で切ることになって私からは言いたいことがあまり言えていなかったので、文面で送った。こうなってくると情が湧いてしまい、文中に「また短いスパンの付き合いを繰り返すのはあなたのためにならないよ」と入れた。そして、「会いたいっていうわがままを聞いてくれたのにごめんだけど、私もこのまま一度別れてもいいと思ってる」と「格付放送してよかったね。あの時は北陸に知り合いが多くいたのもあって真面目に返してごめんね」と最後の抵抗をした。約1日経って返事が来て、そのまま別れた。1日1往復もできなくなっていた頃だったから、ギリギリその日中に返事が来たことに驚いたのも懐かしい。
そして私はすぐにマッチングアプリを入れ直して1人と3回会ったが、プロフィール詐欺(居住地、学歴、仕事、趣味)が発覚したため、お断りした。本当に虚しかった。そこで、マッチングアプリで元彼に会えたのは奇跡だったのかもしれないと思ってしまった。そうなると、人間は単純である。過去の成功体験を忘れられないのならば、追い求めるしかないのだ。
お礼参りをした神社に再度赴き、復縁祈願をした。少し日が経ってから、思い切って連絡してみたりもした。「ハイキューって知ってる?」と。当時は映画をやっていたのであわよくば連れていきたいが、別れているのでせめて無料公開期間に漫画を読んで欲しかった。未読無視でも仕方ないと思ったが、翌日返信が来た。どうやら漫画の1話は試し読みで読んだことがあるらしい。それなら話が早い。読んでくれ。付き合っていた頃、一切二次元オタクであることを明かしていなかった私がこんな発言をしたらどうなるか。それは、「読んでみようかな」である。ま〜た上辺だけの発言じゃねぇか。仕方ないよな、私は彼女ではないのだから。そこからぽつぽつとやり取りをして、彼が今胃が悪いこと(飲みすぎ)、来月帰省する予定があること(私が○○(彼の家の近く)で予定があるから会おうと誘ったら言われた)、帰省の後に大事な資格試験があることを知った。次に誘うなら資格試験の後かな〜と思いながら、やり取りをしていた。帰省も本当にしたみたいで、会うのが嫌で嘘を言っている感じではなかった。
4月も終盤になり、私は彼の帰省の話をもっと聞きたい(思い出話をされたので)のと自分が遠出したお土産を渡すのを口実に資格試験が終わって落ち着いた頃に会おうと誘ったところ、
「ごめん、この間彼女が出来て会うのは厳しい😭」
である。やっと本題。ここがサビ。
でもちょっと待て。2ヶ月もLINEしておいてどういうつもりだ? キープか? それとも無理やり続けてくれていたのか?
彼が嘘を言っていないのであれば、資格試験の勉強で土日は潰れていただろうし、平日もとてもじゃないけれど暇はなかったはず。
というか、「この間」っていつだよ。
しかも、あなたにここで見えているかは分からないが、号泣している絵文字がくっついていた。見えているだろうか、「😭」が。
ふざけるなよ、「あなたに会いたい気持ちはあるけど、彼女が出来てしまったので仕方なく会えません」みたいな生ぬるい返事を許せるわけがないだろ。彼女がかわいそうだわ。
私は何食わぬ顔で「おめでとう」、「それは言ってよ笑」みたいなことをいくつか送ったが、ぴえんみたいなリアクションスタンプがついていただけだった。ふざけるなよ、何がぴえんだよ。何でそっちが泣いた絵文字を使うんだよ。使いたいのはこっちだろ。
彼女がいたらすぐ言う性格だと思っていたので、「この間」というあまりに曖昧な表現を用いているところを見るとただ距離を取っているかのように見えるのが引っかかる。でも相手の言うことを信じるべきだと思うので、それ以上何も送らなかった。どちらにせよ、私を遠ざけたいのだろうから。
そういえば、彼は仕事の関係でブログを書いていた。最後にそれを見ようと思ったら、なんと彼は資格試験で忙しいであろう期間中にチームビルディングと称してリレー大会に出ているではないか。いや、もしかしたら資格試験と並行していたのかもしれないが。楽しそうな様子にどんどん現実に引き戻されて行くのと同時に、「あ、1kmのタイム5分20秒なのか……学生時代はもちろんだけど、今の私より遅いわ……」と急激に冷めてしまった。chu!ジム通いでごめん♡自己研鑽に励んでごめん♡
また人生のうちに機会があれば、自称オモロ人間として私に何か話題を提供して欲しい。
【追記】
書き殴りにこんなに反応をもらえると思っていなかった。ありがとう。
・160cm台半ばで普通体型の範囲内だとは思うがどちらかといえばふくよか(私との身長差は自己申告の身長のままなら7cmくらい。だがあまり身長差を感じなかったのでヒールを履くのは控えていた)
・顔の善し悪しは私が決めることでもないので言及が難しいが、鼻が小さくてかわいらしいと当時は思っていた
・かなり色白(今は知らない)
大学も授業が始まって少しは落ち着いた頃だろうか
もう既に1限は無理だと切った人も居るだろうか。ドイツ人講師が日本語を喋ってくれなくてキツイ人も居るだろうか
良いバイトは見つかっただろうか
懐かしい
結婚したり出産したり子供の成長の節目節目とかがある人以外にとって
それ以外は、落ち着きすぎてるか落ち込みすぎてるかしか無い
落ち着きすぎている現在
何も楽しいことが無い。何もする気が起きない
あと、仕事辞めたい(というかもう働きたくない)
働くことに意義など見いだせない
眠いけど寝たくない
起きてても有意義な夜を過ごせないけど
だらだらしてて明け方近くになるだけ
学生時代だって夜じゅう起きてて何か有意義なことしてたわけじゃあないけど
素晴らしい時間ではあった
(でもいま現在誰かと夜じゅう過ごしてたら疲れるな。語り尽くす様な話も無いし。そんな話が出来る相手も身近に居ない。友人は遠くに居るし)
一人で引きこもって学校も行かずバイトも行かず…個人的な活動が思索が充実してるなら良いけれども…虚しいと思いながら貴重な学生時代を過ごすのは勿体ない
ほんと、一人でも楽しいことをしてください