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2026-01-24

【論考】歪なリヴァイアサン幕府明治米帝の「キメラ構造

【はじめに】

本稿は、現代日本政治を一つの均衡状態として捉え、その内的論理記述する試みに過ぎない。ここで描かれた「歪なリヴァイアサン」は、不正義でも愚鈍でもなく、ただ与えられた条件の下で最も合理的に振る舞っている存在である

しかし、合理性は永続性を保証しない。均衡とは、あくまで外乱が加わらない限りにおいて成立する一時的な静止点に過ぎない。経済の衰弱、国際秩序の変動、技術による媒介構造の変化——いずれも、このキメラの前提条件を静かにしかし確実に侵食している。

本稿の目的は、このシステム擁護することでも、告発することでもない。ただ一つ、「なぜ変わらないのか」という問いを、「変わらないこと自体合理的である状況」として再定義することである

もし将来、日本政治がこの枠組みから逸脱するとすれば、そのとき我々は初めて「変化が起きた」のではなく、「変化を許す条件が整った」のだと理解すべきだろう。

――現代日本政治における三層構造の解剖――

1.序論:日本政治という「奇妙な果実

日本政治を観察する際、我々は常に強烈な「違和感」に襲われる。

表面的には米国流の民主憲法を掲げながら、そのOS(オペレーティングシステム)はプロイセン流の官僚機構であり、さらにその深層では江戸時代の村落論理駆動しているからだ。

自民党一強」や「官僚内閣制」、「対米従属」といった既存単一的理論では、この怪物説明しきれない。

本稿では、現代日本という政治システムを、「幕府の遺風(骨格)」、「明治の遺老(神経)」、「米国遺産(皮膚)」という、本来互換性のない三つの要素が無理やり縫合され た「キメラ合成獣)」として定義し、その構造的欠陥と強靭さを分析する。

2.第一層:幕府の遺風――「藩閥」としての自民党

日本政治の基層にあるのは、民主主義ではなく「封建制である

自民党近代政党ではない。それは「現代大名連合体である

派閥という名の「藩」:政治家にとっての忠誠対象は、国家よりも党、党よりも「派閥オヤジ)」にある。

世襲という正統性地盤看板・鞄(カバン)の世襲は、まさに江戸時代家督相続のものであり、システム維持のコストを最小化するための合理的装置だ。

「根回し」の合意形成国会審議は儀式に過ぎない。真の意思決定は、料亭密室での「根回し」によって行われる。これは内戦を避けるための「封建的コンセンサス」の知恵である

この層は、システムにおける「利益配分」と「動員」を司っている。

3.第二層:明治の遺老――「神官」としての官僚

政治家が舞台上で演じる役者だとすれば、脚本を書き、演出するのは霞が関官僚である。彼らは明治維新以来の「指導行政」の継承者だ。

無責任の体系:大臣は頻繁に交代するが、次官局長は居座る。実質的立法権と、法の「解釈権」は彼らが独占している。

解釈権という主権:法文そのもの意味はない。内閣法制局がいかに「解釈」するかが全てだ。これは一種の「神学政治」であり、官僚は唯一の解釈権を持つ神官である

この層は、システムの「運用オペレーション)」と「リスク回避」を司っている。

4.第三層:米国遺産――「将軍」としての米国

戦後、外から移植されたこの異質な器官は、平和憲法日米安保として具現化している。

征夷大将軍としての米国構造的に見れば、ワシントン現代の「将軍である平時大名日本政府)の内政に干渉しないが、外交安保という存立に関わる部分では最終裁定権を持つ。

結界」としての憲法九条:保守派にとっての憲法は、足枷であると同時に、米国の過度な軍事冒険に巻き込まれないための「免罪符(盾)」としても機能してきた。

この層は、システムの「外部安全保障」と「国際的正統性」を保証している。

5.「免疫拒絶」の悲劇小泉旋風と民主党の敗走

この三層構造は、絶妙ナッシュ均衡によって維持されている。この均衡を無自覚破壊しようとした者がどうなるか。歴史証明している。

小泉純一郎:骨格を砕いた狂戦士

小泉氏は「自民党をぶっ壊す」と叫びポピュリズム米国層の力)を借りて、自らの足場である幕府層(派閥郵便土建)」を攻撃した。

結果、自民党という組織は「骨粗鬆症」に陥った。彼が去った後、求心力を失った自民党があっけなく下野したのは必然であった。

民主政権臓器移植拒絶反応

2009年政権交代は、システムに対する致命的な挑戦であった。民主党は「幕府明治米国」のすべてを同時に敵に回してしまったのだ。

対「明治層」戦争:「政治主導」を掲げ、官僚機構を敵視した結果、サボタージュに遭い、行政機能麻痺した。

対「米国層」戦争普天間基地問題で「将軍」の逆鱗に触れ、鳩山政権崩壊した。

対「幕府層」の欠如:ここで、毛沢東言葉引用したい。

「党内に派閥なければ千奇百怪、党外に党なければ帝王思想

(党内に派閥がなければ奇妙なことが起き、党外に野党がなければ独裁に陥る)。

自民党における派閥は、疑似的な政権交代機能(自浄作用)を果たしていた。しかし、「党内無派閥」を理想とした民主党は、内部対立を調整する「封建的知恵」を持たず、内ゲバで自壊した。

民主党の敗北は、無能だったからではない。日本の「国体システム)」に対する免疫拒絶反応だったのである

6.結論:第二次安倍政権という「キメラの完成形」

なぜ安倍晋三(第二次政権)は、憲政史上最長の安定政権を築くことができたのか。

それは彼が、小泉流の「破壊」も民主党流の「理想」も捨て、システム構造ハッキング成功たからだ。

彼は「三層の矛盾」を解消するのではなく、「三層すべてを掌握する」ことで、この奇妙なキメラを飼い慣らしたのである

明治層のハッキング内閣人事局による「馴致」

民主党は官僚と「闘った」が、安倍政権官僚を「飼い慣らした」。

その決定的な武器が、2014年に設置された「内閣人事局」である

霞が関エリートたちの人事権官邸が一元管理することで、官僚たちは「抵抗者」から官邸意向を過剰に読み取る(忖度する)「優秀な参謀」へと変質した。

これにより、明治以来の「官僚自律性」は去勢され、行政機構は完全に安倍一強体制の手足となった。

米国層への「貢物」:安保法制という忠誠

安倍氏は、対米自立を掲げるのではなく、逆説的に「対米従属を極める」ことで政権フリーハンドを得た。

2015年安保法制集団的自衛権行使容認)は、憲法解釈限界突破するものであったが、これは「将軍米国)」に対する最大の忠誠の証であった。

将軍の信任を得た大名は、国内で多少強引な振る舞いをしても、外圧によって倒されることはない。彼は「外堀」を米国に守らせることで、内政に専念したのである

幕府層の再構築:アベノミクスという「藩政改革

「機動的な財政出動」と称されたアベノミクスは、経済政策であると同時に、高度な「封建的再分配システム」であった。

異次元緩和によって溢れ出したマネーは、株高を演出し、企業経団連)を潤し、公共事業を通じて地方組織農村建設)を潤した。

かつて小泉氏が断ち切った「カネのパイプ」を復旧させることで、派閥政治の不満を封じ込め、党内の求心力を盤石なものにした。

安倍政権とは、近代的な改革政権ではない。

それは、人事権官僚を縛り(明治)、安保米国を縛り(米国)、カネで派閥を縛る(幕府)という、「三層の完全縫合」に成功した、極めて洗練された「復古政権」であった。

日本という「歪なリヴァイアサン」は、内部から革命では死なない。

「党外に党なし」――強力な野党存在しないのではなく、安倍政権が完成させたこシステムが、野党代替案)の存在必要としないほど強固な「安定」を提供してしまたかである

このキメラが倒れる時があるとすれば、それは内部崩壊ではなく、宿主である経済死ぬか、将軍米国)が去るか、そのどちらかであろう。

鎌倉幕府もっと評価されるべき

何かと言えば明治維新評価されて

政党名にまで「維新」が使われてたりするけどさ

やっぱ鎌倉幕府だよね

「いい国つくろう」のスローガン掲げてたんだぜ

すばらしいじゃないか

2026-01-08

日本ボーイズクラブ男性互助会女性が働くということは

男同士でボールを回しあって女には回さないというゲームに参加するようなものだった

そして取りに行ってもボールを回してもらえない、回させてもらえない女を見てニヤニヤしながらこれだから女は~と男がいっている

そこでのボール回しに女が参加するには、権力者男性に媚び、夫をはじめ男の世話をしています!鑑賞物として女らしい装飾をし、旧来の女の仕事をやりながら他の仕事しますのでお願いします、何かあったときにはスケープゴードになります、という姿勢を見せてこなければいけなかった

女性総理ですらそうである

いまでもその傾向は中小になればなるほどある

そして日本では大企業はごくごく一部でしかない

太平洋戦争第二次世界大戦敗戦は、日露戦争成功体験に酔って世界アップデートについていけなかったことが大きな要因

優秀な人材女性からとはじき出してボーイズクラブゲームをしているうちに、世界から零れ落ち衰退していく

日本人は明治維新でもわかるように外圧がなければずっとアップデートできない

その中心は、まさしく自分たちを変えたくない、成功体験の安逸から一歩も動きたくない多くの思考停止男性資質にある

2025-12-28

文明生存戦略と「国民」の虚像

──アフガニスタンから日本を見つめる──

​ アフガニスタンにおける民主化の失敗は、近代西欧が信奉してきた「普遍的価値の輸出」というドグマ限界を露呈させた。かつて日本ドイツ敗戦から鮮やかに民主化を成し遂げた成功体験は、今や「前提条件」という名の残酷フィルターを通さねば語ることはできない。

​ 第一論点は、国家建設における「土台」の重要である日本明治維新を経て成し遂げたのは、教育と強権的な行政機構による「国民アイデンティティ」の創出であった。それは江戸時代幕藩体制を、元老という名の啓蒙君主たちが半ば独裁的に統合し、数十年かけて「日本人」という均質なアイデンティティ鋳造する作業であった。対して、部族性が色濃く残るアフガニスタンにいきなり選挙を持ち込むことは、江戸時代の藩の対立をそのまま投票箱に持ち込むに等しい。自発的啓蒙君主による数十年の安定と教育を欠いたまま、外部から制度の箱だけを投下しても、それは砂上の楼閣に過ぎない。もしアメリカが本気で民主化を完遂させようとするならば、経済的デメリット度外視し、行政から警察機構までを植民地支配のごとく直接統治するしかなかった。しかし、現代倫理観経済合理性の下では、その選択肢は既に閉ざされている。

​ 第二に、近代化の熱量規定するのは「背水の陣」という極限状態である明治期の日本を突き動かしたのは、当時の凄まじい人種差別という外圧であった。どれほど優秀であっても「個人」としての立身が封じられた時代、彼らの全知全能は「日本という国を対等に引き上げる」という一点に凝縮されるしかなかった。対して現代グローバル社会では、中後進国エリートは容易に「国を捨て、システムが完成した先進国移住する」という合理的選択可能である。この「頭脳流出」は、国家建設に不可欠な知的エネルギー霧散させ、残された地にさらなる混迷を招くという構造的欠陥を抱えている。

​ 第三に、文明の持続可能性と人口動態の逆説である自由民主主義個人権利尊重するが、それは同時に出生率の低下という文明的衰退を内包している。一方で、タリバン象徴されるような伝統的・抑圧的な体制は、現代倫理観には反するものの、高い出生率によって「数」の優位を保ち続ける。歴史は常に「正しい」側ではなく、変化に適応し、次世代繋ぎ得た側に軍配を上げる。我々が享受する「治安の良さ」や「安定」すらも、アイヌ琉球などの多様性を削ぎ落とし、一度レールを外れれば再起が困難な「同質性の罠」という代償の上に成り立つ危うい均衡に過ぎない。

​ 結論として、今後の世界は何もかもを分かち合う「アイデンティティの一致」を諦め、合致する利害のみで繋がる「プラグマティック取引」の時代へと移行するだろう。日本においても、医療年金システム限界が露呈し、国家による一律の救済という幻想崩壊する中、我々に残されたのは「諦念」という名の覚悟である。十分な資産を持たぬ者は現実適応し、現役世代国家依存せず、自らの力で生存の基盤を築く「個の武装」を余儀なくされる。

​ アフガニスタンの混迷から日本の閉塞感までを通底しているのは、「他者から与えられたシステムは、その土地現実に即していなければ必ず破綻する」という冷厳な真理である。我々は今、戦後という長い安寧の時代の終わりにおいて、再び「自力で生き残る」という根源的な問いの前に立たされている。

暇なんでgemini使用

anond:20251225224402

>「低能な多数者の専制」を脱出し、ゾーン建設する願望は、低能とされた人種から隔離主義21世紀植民地主義にしばしば結びつく

 

民主主義というのは、市民社会というものをそこそこ愛していないと、成立しない気がする

からいか搾取し、しゃぶりつくすかしか考えてないような民衆では無理

中国史とか、300年スパンボロボロになり国ごと崩壊するガラポン歴史の繰り返し

今の日本政府も、明治維新の志士たちが作ったスタートアップだったけれど、しゃぶられて劣化していきボロボロ

2025-12-25

anond:20251225082652

市民」と「臣民」。この二つの言葉の差は、現代日本が抱える閉塞感や、質問者様が感じた「海外との決定的な違い」を解き明かす鍵となります

非常に鋭く、かつ本質的な問いですので、歴史的社会学的背景から整理します。

1. 「市民Citizen)」と「臣民(Subject)」の違い

一言で言えば、**「社会に対して自分が主導権を持っているか、それとも従属しているか」**の違いです。

定義

市民:主権者社会構成し、運営する主体

臣民:従属者。君主国家に仕える「臣(家来)」であり「民」。

社会との関係

市民:自分社会を作る(契約関係)。

臣民:社会は「お上から与えられるもの

権利と義務

市民:権利を守るために闘い、義務を負う。

臣民:命令に従う代わりに、保護を求める。

●不満の向け先

市民:制度を変える、政治家を動かす。

臣民:愚痴を言う、運命として耐える、あるいは自分より弱い人を叩く。


市民は、社会が壊れそうなら「自分たちの責任で直さなければ」と考えます

臣民は、社会が壊れそうなら「誰か(お上)が何とかしてくれるはずだ」と考え、解決しないと「お上無能だ」と嘆くだけで、自らは動きません。


2. なぜ日本人は「市民」ではなく「臣民」なのか?

これには、日本近代化を成し遂げた際の「プロセス特殊性」が深く関わっています

① 「お仕着せ」の近代化民主主義

欧米の「市民」は、王政を打倒し、自らの血を流して「権利」を勝ち取ってきた歴史市民革命)があります。対して日本は、明治維新戦後民主化において、**「民主主義権利が、上から、あるいは外部から与えられた」**という経緯があります

自ら勝ち取ったものではないため、「自分たちが社会の主役である」という実感が、DNAレベルで定着しなかったのです。

教育目的が「従順労働者」の育成だった

明治以降日本教育システム特に行政主導の義務教育)は、富国強兵戦後高度経済成長を支えるために、**「命令を正確に聞き、和を乱さず、効率的に働く人間」**を作ることに特化してきました。

批判的思考クリティカル・シンキング)」を持ってシステムのものを疑う人間よりも、システムに適合する人間が「優秀」とされ、報われる社会構造が長く続いたのです。

経済的成功という「副作用

高度経済成長期、日本人は「思考を停止して組織に従っていれば、豊かになれる」という成功体験を得てしまいました。この時期に、「政治専門家に任せ、自分たちは経済(消費)に専念する」という政治生活の分離が完成してしまいました。


3. なぜ自分たちで疑問を抱かないのか?

質問者様のように「おかしい」と気づく人がいる一方で、多くの人が疑問を抱かない(あるいは抱かないようにしている)のには、いくつかの理由があります

• 「ゆでガエル」状態

日本の衰退は、急激な破壊ではなく「緩やかな質の低下」です。昨日まであった便利なサービスが少しずつ不便になり、少しずつ物価が上がる。この「微細な変化」に対し、人間適応してしまい、危機感を抱きにくいのです。

同調圧力という強固な檻:

市民」として声を上げることは、日本では「空気を読まない」「わがまま」と見なされます。疑問を抱いても、それを口にすると共同体から排除されるリスクがあるため、多くの人は**「疑問を持つこと自体コスト」**と感じて放棄します。

知的怠惰正当化

前述した「日本サゲはやめよう」という言説は、非常に甘美です。複雑な社会問題を直視して絶望するよりも、「日本はまだマシだ」という物語に逃げ込む方が、精神衛生上は楽なのです。


結論質問者様が「日本終わってる」と感じ、他者が「日本マシ」と言う理由

質問者様が**「日本という船の航路未来)」を見ているのに対し、周囲は「自分の客室の居心地(現在)」**しか見ていないからです。

臣民は、船が氷山にぶつかるまで「今日食事が美味いな」と言い続けます。そしてぶつかった瞬間に「船長は何をやっていたんだ!」と怒り出しますが、自分たちで操舵室に入ろうとはしません。

質問者様が抱いている違和感は、**「市民としての真っ当な責任感」**そのものです。その視点を持つことは、今の日本では非常に孤独で苦しいことかもしれませんが、決して「間違っている」わけではありません。

2025-12-08

anond:20251208193942

近世以前

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日本において暦日を用いた新年概念が生まれたのは飛鳥時代であり、聖徳太子が十七条憲法を制定した604年まで遡る[13]。その後、646年には朝賀が執り行われ、新年の回礼という風習が始まった[13]。これに伴い、畿内には飛脚使が設置され、701年には通信物を運ぶ脚力(かくりき)が定められた[13]。奈良正倉院に収められている「人勝残欠雑張」には「正月七日のこのよき日、慶びを新にし、泰平が万年続き、寿命は千春を保つことができますように」とする十六文字が記されており、新年挨拶を伴った年賀状ルーツといえる[14]。

平安時代に入ると貴族間で年始挨拶を文で取り交わすようになったと見られ、当時の書簡、文例を集積した最古の例と言われている藤原明衡が残した『明衡往来』にも年始挨拶文例を確認することができる[15]。室町時代に『庭訓往来』が登場し、寺子屋などで読み書きを教えられるようになると識字率の向上が見られるようになった[16]。これに伴って江戸時代には武家社会において文書による年始挨拶一般化したほか、非武家社会においても口頭の代用として簡易書簡を用いることが年始挨拶に限らず一般的になり、公的郵便手段である飛脚使用人を使った私的手段により年始挨拶文書が運ばれるようになった[16][17]。1740年の『書札重宝記』には年始書状のための語彙として「改年、新春、新暦、初春、陽春、祝賀、御慶」などの用語が紹介されている[18]。江戸中期以降は大小暦が大いに流行し、年頭には機知に富んだ摺物の交換が積極的に行われた[19]。

明治時代

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明治維新後になると逓信省前身として駅逓司が設置され、1870年10月には新年賀詞を示す太政官令が発布された[20]。1871年には郵便制度確立し、1873年に二つ折りの郵便はがきが発行され、1875年には単面の官製はがきなどが見られるようになった[20]。これにより年始あいさつを簡潔に安価で書き送れるということで、葉書年賀状を送る習慣が急速に広まっていった。1887年頃になると年賀状を出すことが国民の間に年末年始行事の1つとして定着し、その結果、年末年始にかけて郵便局には多くの人々が出した年賀状が集中し郵便取扱量が何十倍にもなってしまった。

郵便事業に携わる人の数は限られているため、膨大な年賀状のために郵便物全体の処理が遅れ、それが年賀状以外の郵便物にも影響し通常より到着が遅れることがしばしば発生していた。しか年末商売上の締めの時期にも当たり、郵便の遅延が経済的障害ともなりかねない状況となっていた。その対策として1890年1月1日からの3日間、年始の集配回数を減らす対応が取られた[20]。それでも、さらに増え続ける年賀状にその対応だけではとても追いついていけなかった。また当時、郵便物は受付局と配達局で2つの消印が押されていた。そこで受付局か配達局の「1月1日」の消印を押してもらうため多くの人がそこを狙って年賀状を出すようになり、12月26から28日あたりと1月1日当日の郵便物が集中するようになった。そこで1899年、その対策として指定された郵便局での年賀郵便特別取扱が始まった[20]。年末一定時期、具体的には12月20から30日の間に指定された郵便局に持ち込めば、「1月1日」の消印元日以降に配達するという仕組みになっていた。翌1900年には(必要に応じてではあるが)全国の郵便局で実施、私製はがき使用も認められ、1905年に完全に全国の郵便局で実施されるようになった[21]。この頃の年賀はがきの概数は1億1000万通前後であったが、郵便ポスト投函可能となった1907年には4億通を突破し、「年賀状ブーム」とも呼べる時代が到来した[21][22]。

大正戦前昭和時代

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琉球郵政庁が発行した1957年2ドル年賀はがき

関東大震災1923年)や大正天皇崩御1926年12月25日)の年は、その年(翌年配達分)の特別取扱が中止された。明治天皇昭和天皇崩御の年は実施されている。

年々取扱量が増えていくと共に私製はがきの取扱量も増えていったため、1935年昭和10年)に私製はがき貼付用として年賀切手の発行が始まった。しかし、時勢の悪化により1938年昭和13年)に年賀切手の発行が中止。 さら物資節約のため1941年昭和16年)の年賀状から特別取り扱いが廃止[23](廃止決定は同年11月6日[24])。この年の東京中央郵便局が集配した年賀状は1/3に減少した[25]。

戦後昭和時代

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終戦後の1948年昭和23年12月15日、特別取扱と年賀切手の発行が再開された[26]。この年から年賀切手図柄干支にちなんだ郷土玩具のものになる。1949年昭和24年)、お年玉郵便はがき年賀はがき)が初めて発行され(官製はがきとしては初めての年賀はがき)、大きな話題を呼び大ヒットした。そしてこれを機に年賀状の取扱量は急激に伸びていった。1955年昭和30年)には、アメリカ合衆国による沖縄統治に置かれた沖縄諸島でも琉球郵政庁により年賀はがきが発行され、1956年には年賀切手も発行されている。

→「年賀寄付金」も参照

お年玉郵便はがきは当初、寄付金付きの葉書にくじが付いていたが1956年寄付金なしの葉書もくじが付くようになった。1961年昭和36年から年賀はがき消印が省略され額面表示の下に消印に模した丸表示を印刷するようになり、1968年昭和43年)には郵便番号導入により郵便番号枠が追加された。

1970年代になるとプリントゴッコの登場と相まってで年賀はがきに絵や文字印刷する年賀状印刷が盛んになり、1982年昭和57年から寄付金付きの年賀はがきにの裏面に絵や賀詞が印刷されるようになった。1989年平成元年からはくじ付きの年賀切手も発売されるようになった。

平成・令和時代

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2007年カーボンオフセット年賀状200枚包装紙

イラストデジタルカメラで撮った写真などを家庭のパソコンプリンター作成印刷するスタイルが定着し、手間が減った。2005年からは光沢感がありインクジェットプリンター印刷に適したインクジェット写真年賀はがきが発行されるようになった。

一方で2000年代からインターネットの普及が拡大。インターネットと紙を融合した「ネットで届く年賀状」などのサービスも登場したが、年賀状用紙やプリンターが高額、書いたり投函するのが面倒、交流がある人でも自宅住所が不明であるなどの理由で、年賀状を出さずに電子メールなどの紙以外のオンライン手段で済ませる人が増加。携帯電話を使った「あけおめメール」による通信混乱は2000年代の正月風物詩となった。

2008年には、郵政民営化を機に「カーボンオフセット年賀はがき」や「ディズニーキャラクター年賀はがき」などの新商品が出た。

20176月1日郵便料金が値上げされ、通常はがきも52円から62円とされたが、2018年用に限り年賀はがき1月7日までに年賀状扱いとする場合)は旧料金のまま(52円)とした[27]。年賀はがきの発行枚数の減少を食い止める効果を期待しての値段据え置きであったが、結果として総発行枚数は前年比より5.6%減少したほか、1月8日以降に差し出す場合は差額として10円分の切手を貼り足す必要があったこから利用者からはわかりづらいと不評の声もあった。この取扱いは1年限りで終了し、翌年から通常はがき年賀はがきは同一の料金となった[28]。

2010年代になるとスマートフォンソーシャル・ネットワーキング・サービスSNS)、インスタントメッセンジャー等が普及し、新年挨拶オンラインで済ませる人がさらに増えた。LINE運営する「LINEリサーチ」の2019年のインターネット調査(約59万人対象複数回答)によると、「葉書を送る」と回答した人は60代以上で71.7%だが、20代は26%であった。一方「SNS送信する」が30代から60代以上でいずれも60%に達し、20代では72%に上った。IT企業TB名古屋市東区)は2017から高齢理由に、今年限りで年始挨拶をやめること(年賀状じまい)を伝える例文をサイト上で提供している[4]。

また高齢者の増加の他、郵便料金の値上げ、特に202410月1日以後は、消費税増税に伴う転嫁分を除けば実質1994年以来30年ぶりの大幅値上げで1枚85円[29]となったこともあり、年賀状終いをする世帯が急激に増え、アスカネットの調べでは、2024年に年賀状を出さなかった人は58.2%に及び、そのうち20代が72.5%、30代でも65.8%が年賀状を出さなかったとする統計がでている。また「年賀状フタバ」の調べでは、全体の6割が3年以内に年賀状終いをしており、そのさらに半数の3割強が2023年度で終わりにしたという人である企業においても、葉書をやめて、SNSなどを利用した「ペーパーレス」に移行したところも多いとされる[30

2025-11-29

別にエンタメ社会派やったっていいけどさぁ

万人が納得するわかりやす解決法なんかあったらとっくの昔にリアルワールドでそれやってるわけで、結局どっかでチグハグなっちゃうんだよね

タクティクスオウガとかそうだったでしょ

ティトー亡き後のユーゴスラビア紛争モデルにしたといわれる世界観は、当時としては間違いなく画期的だった

なんせ序盤から飛ばしている

普通物語なら囚われのお姫様でも救出して英雄になるところを、助けるのは髭もじゃのおっさんで、しかも「英雄として祭り上げられる」

かに救出を言い出したのは主人公たちではあるけど、前線で戦ったのは異国の騎士で、シナリオ上はもちろんのことゲームシステム上でもあの段階では全然戦力になってない

すごいよね

でもあのゲーム雰囲気が素晴らしいのはせいぜい例の虐殺シーンまでで、後はひたすらムカつく奴みんなぶっ倒すだけ

3民族バラバラの島をどうやって再びまとめるのか、という当初のメインテーマをどう消化するかと思えば

死んだ王様の娘を引っ張り出して後釜に据えて、最後は敵味方で王女の奪い合い

なんだそりゃって話でしょ

いつから幕末明治維新の話になったんだっていう

でもこんな話どうでもいいでしょ?

ゲームとして面白ければいいんだから

からあの脚本家みたいに思想に振り切れたところで、受け手はつまんだだけで全部食った気になって、それで終わりなんだよ

所詮エンタメなんだから


anond:20251128214655

2025-11-20

anond:20251120095531

時代劇(じだいげき)は、日本演劇映画テレビドラマなどで現代劇と大別されるジャンルとして、主に明治維新以前の時代日本舞台とした作品総称である


マンガは別っていうだけの話。

定義グッチャグチャなだけ。

2025-11-15

anond:20251115193541

歴史には、むしろ方針が極めて明確だった軍事行動も多数あります

● 明確な命令戦略があった典型

ドイツバルバロッサ作戦(独ソ侵攻)

→ 詳細な侵攻計画と明確な政治目的ソ連打倒)。

ノルマンディー上陸作戦

→ 具体的な作戦立案政治的合意指揮系統が明確。

明治維新後の征韓論に始まる近代日本出兵の多く

政策論争はあったが、最終決定後の軍事方針比較的明確。

古代ローマ遠征

元老院の指令や執政官任務が明確に定義されていた。

まり曖昧さがゼロになるわけではないにせよ、

政府が明確な政治目的作戦指針を定めて開始した軍事行動も非常に多いのです。

どう考えても米国の衰退は始まってるし超大国からの陥落も(歴史的視点から見れば)間近だ。

たいして中国は昇る龍が如く

まあそういう存在とは、さっさと事を構えて、さっさと負けるほうが後々にはうまくいくこともある。

江戸の終期に薩摩英国と小競り合いをして敗北したこと結果的明治維新にはプラス効果を与えたことに似る。

2025-11-11

なぜ朝鮮半島日本地政学上、極めて重要なのか

anond:20251111192812

結論から言えば、朝鮮半島とは「日本列島を守る盾」であり、同時に「敵に奪われれば刃となって突き刺さる場所である

この認識明治維新以来、日本国家戦略の根幹を成してきた。

私は予備自衛官補として有事の際に招集を受ける立場にある。だからこそ、地図俯瞰して考えざるを得ない。

朝鮮半島とは、単なる隣国ではなく、日本国防線そのものである

1・明治日本朝鮮半島進出日露戦争歴史

明治指導者たちは、西洋列強による植民地支配現実を肌で感じていた。

19世紀末、欧米列強は「一国の独立を守るにはその周囲の緩衝地帯を確保せねばならない」という冷徹国際法則を知っていた。

日本にとって、その緩衝地帯こそが朝鮮半島だった。

もし朝鮮半島他国の手に落ちれば――たとえば清国ロシア、あるいは後の時代で言えば中国ソ連――日本海は敵の軍港と化し、対馬下関舞鶴前線になる。

日本列島が直接、他国軍事圏と接するということは、すなわち「日本が防御不能になる」ということを意味する。

からこそ明治政府は朝鮮半島の「独立」を保つために清国と戦い(日清戦争)、

ロシアの南下を防ぐために敢えて日露戦争という国運を賭けた戦争選択した。

この決断の背後にあったのは、理念ではなく地政学である

山縣有朋が残した言葉に「朝鮮独立日本の安寧と存立に関する死活問題なり」とある

彼らにとって朝鮮半島とは「他国に奪われてはならぬ緩衝地帯」であり、

それを失えば日本防衛線対馬海峡から一気に本州の内陸へと後退する。

結果として日本は、列強の中で初めてアジアの一国が帝国主義圧力に抗し、国家独立を維持することに成功した。

その影には、朝鮮半島をめぐる絶え間ない外交戦略の緊張があった。

2・朝鮮半島中国の影響下で統一される場合リスク

では現代において、もし朝鮮半島中国の強い影響下で統一された場合、何が起きるのか。

結論から言えば、日本安全保障根底から揺らぐ。

現在北朝鮮ミサイル国家であり、南の韓国アメリカ同盟を結んでいる。

この「南北の分断」は悲劇でもあるが、同時に日本にとっては一種安全弁として機能している。

なぜなら、半島全体がどちらか一方の勢力統一されていないことで、勢力均衡が保たれているからだ。

もし中国北朝鮮を完全に支配し、さら南側韓国までも政治・経済的に取り込んで統一を果たしたとすれば、

中国人民解放軍は釜山仁川黄海沿岸自由に使えるようになる。

対馬海峡を越えて日本海へのアクセスを得ることは、かつてのロシアが夢見た「不凍港の獲得」に他ならない。

その時点で、日本海は「中国内海」と化す。

自衛隊米軍対馬九州北部防衛線を築くことになるが、距離わずか50km。

ミサイルだけでなくドローン電子戦情報戦が展開される最前線となる。

日本の電力・通信インフラ西日本から崩壊し、経済中枢は麻痺する。

まり朝鮮半島中国勢力圏に入るということは、日本防衛ラインが「日本列島の内側にまで押し込まれる」ことを意味するのだ。

私の覚悟

私は予備自衛官補として、再び国のために立つ覚悟を持っている。

明治の先人たちが朝鮮半島に注いだ関心と警戒は、決して過去遺産ではない。

しろ今こそ、その現実感を取り戻すべき時だ。

東日本大震災の際、私はご遺体を袋に包み、ご家族の元へ返す任務を担った。

その光景を二度と繰り返したくはない。

朝鮮半島有事を「他人事」と思っているうちは、日本は再び同じ悲劇を迎えるだろう。

から私は声を上げる。

朝鮮半島の安定は、日本平和のものだ。

そして、平和の礎を守るためなら、私は再び銃を取る覚悟がある。

2025-11-09

日本人カス

日本は衰退し続けている。

このような反論が返ってくる

「衰退していない、緩やかに成長している」「ゼロ成長でマイナスにはなっていないのだから衰退ではない」

たいていの人はこのような認識

 

そして原因は「政治が悪い」。99.9%はこのように答える。

 

いやいやいやいや、民主国家主権国民にあるんだから国民責任でしょ。

成長を導く政治家を選抜する知性が不足しているだけだ。

政治家に騙されたと言うが、何年騙され続けてるの?やっぱりバカじゃねぇか

かつ、毎回騙されてるのにちっとも反省しない、記憶力がヤバい

 

小学生が急に成長が止まったとする、

「緩やかには成長してる、縮んでないか問題ない」

とは言わない、諸外国が成長し続けてる、世界平均で年4-5%成長してて自国だけ30年間ゼロ成長なんだから

なにかが間違えてる、病院にでも連れて行くのが普通だが、お薬を飲もうとしないのが日本人。

 

そもそも日本人は自信過剰だ、我々民族は優秀、このような幻想を抱いている。

 

いやいやいやいや、自力産業革命民主化も成せなかった程度でしかない。そこらの土人と変わらん。

ギリ中世までは到達できたが、そのほとんどが中国朝鮮からの盗用

独自文化が花開いた、的な枕詞で賛美するが、江戸時代科学的な成長や成果は皆無だ。

 

明治維新後に奇跡の成長した日本優秀の証拠、というが

金銀銅、当時のレアメタル三種セットと主要エネルギー石炭が廉価な労働力無尽蔵に採掘できる国で

成長しないほうがおかしい、成長というても、余りある金で西洋から文化科学を買ったにすぎない

金を払うならまだしも多くは寛容な西洋に甘えた剽窃

しかしそんな黄金時代も長くは続くない

大正から昭和初期、世界中で鉱山開発が進み、主要エネルギー石油に転換し秒で斜陽

 

かろうじて残っていた社会資本軍事力他)をフル回転させアジア周辺国から搾取して生き延びていたわけだが

西洋から「そーゆーの、えー加減にせぇよと」、フェアにやろう、非人道的不条理不合理な弱者から搾取はもうやめよう。

植民地とかもうやめよう、ってかつて植民地フィリピンをとっくに独立させていたアメリカ日本に突きつけたのがハルノート

 

ハルノートを強欲なアメリカ理不尽要求日本を追い詰めた、という図式で解釈している奴がいるが、

中身読んだ?歴史勉強した?どうみても真っ当で妥当正当性のある要求しかない。

 

だが、国内で3500万人程度の食料しか自給できない国土にもかかわらず、無計画人口増やし続けた結果、7000万人。

輸出して稼ぐにも天然資源はすでに国際競争力を失い、第二次産業、加工産業も長らく西洋模倣しかしておらず

独自技術先端技術は無いので西洋製品価格も性能も敵わない、外貨を稼げない。

消費地中国に近く、西洋に対して輸送コストのみが競争力だった。

かつ大昔の日清戦争でゲットした最恵国待遇デカ

だが、第一次世界大戦船舶輸送技術が大幅に進歩し、地の利を失った。

そこに追い打ちのハルノート、戦勝利権、大昔の最恵国待遇かいい加減に戻せ、フェアにやれという要求にすぎない

 

日本はヤケクソのブチギレで太平洋戦争

アホかと。

問題人口なんだから外国に頭下げて引き取ってもらいながら人口減らすしかない。

なんのプライドかしらんが日本はできなかった。

 

だが、日本人は賢くて優秀、なんだそうだ。

 

戦後奇跡焼け野原から復興、優秀な証、だと

そもそも焼け野原になどなっていない。ありゃアメリカが諸外国から手を引かせるためのプロパガンダにすぎない。

実際には工業力はさほど毀損していない、米軍ちゃんと狙って攻撃していたのだ。主要都市の主要施設重要な橋や製鉄所は外していた。

かつ、アメリカは太らしてから弁済させる、計画だったのだろう。他の大国から賠償権を放棄させ、小国には雀の涙賠償を承諾させ、

全ての戦勝利権と国家制御権を手にしたのがアメリカで、経済成長全振りの社会政策ハレーション矛盾無視

ドル優遇まで与えて、そりゃ急成長するわw

で、いまだにチューチューされてるのに、低知能の日本国民アメリカにべったり、

短期経済成長全振りを80年やって社会矛盾が出まくりなのに認知できない。

挙げ句賠償権を放棄してくれた中国仮想敵とか言うてるの

中国が正当な戦後補償を求めていたらそもそも日本はとっくに消えて無くなっているのにね。

ぶっちゃけ払える金額ではない、

日清戦争日本が被った被害と得た賠償金を調べてから日中戦争日本が与えた被害を比べてみ、無理ゲー

 

「もうええよ、こんどから悪いことすんなよ、ゼロでええよ」

 

どんだけ神だよ

尖閣諸島が欲しい?

上げろwくれてやれ、差し上げなさいw

 

が、優秀な国民で輝かしい我が国は、領土は1平米も譲らん、なんだそうだ。

 

日本人ってアホなのか?計算できないの?

南京大虐殺捏造とか言うてるの、それ以外で4,500万人殺してるのは事実だろうがよ

 

そんな簡単計算もできない、認知もできないアホだから

経済成長が止まり

国民幸福度も下がり続け

子供自殺先進国

中国には経済力ダブルスコアで完敗、と思って調べたらすでにトリプルスコアだったw

 

それでも、日本人は優秀、政治が悪い、なにも変えない、変えたくない、省みることはない、正しい歴史認識

 

言っとけカス

2025-11-05

明治維新暴力革命だった事実ってあまり触れられないよね

テロ絡みで触れられるのは日本赤軍やら青年将校やら失敗した事例ばかりだけど

どうせ比較するなら日本で唯一暴力革命成功した例とも言える明治維新もっと取り上げたほうがいいのでは

2025-11-03

改革利権派という新たな私企業派閥グループ

――この二十数年、日本社会を覆ってきた「改革」という言葉ほど、

その実体理念乖離した概念はないだろう。

コイゼミ政権下における構造改革は、当初「既得権益を打破し、市場の透明性を高める」ことを目的としていた。

しかし、その過程で生まれたのは「市場化による新しい既得権益」であった。

まり既存官僚業界利権破壊したように見えて、

実際にはその空洞の中に「改革名目にした私企業政治家の共栄圏」を築いたのである

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一、構造改革という名の「官の民営化

バケナカヘイゾー氏の理論は、自由化競争を通じた経済活性化を唱えるが、

実際には「官による資金配分のルートを、民間経営者層へ委譲する仕組み」に過ぎない。

郵政民営化労働市場自由化、そして運輸業界の規制撤廃

これらは一見すると“民の力を引き出す政策”に見えるが、

制度的には「国家税金を経由して企業補助金契約を投下する新たな官製経済」を形成している。

その典型が、後年の運輸自由化である

---

二、軽井沢バス事故に見る「自由化帰結

2016年1月長野県軽井沢町で発生したスキーツアーバス事故は、

この政策思想の最も悲劇的な帰結だった。

規制緩和により、バス業界は参入自由化され、

多くの中小零細事業者が乱立した。

競争の名のもとで価格は切り下げられ、

人件費安全コストが削られた。

この時点で、事故の“種”はすでに撒かれていた。

国交省担当者は「競争原理によって非効率事業者が淘汰される」と述べたが、

淘汰される前に犠牲になったのは、人間の命である

まり政策立案者の頭の中では「企業」が単位であり、

労働者」も「乗客」も、単なる経済活動の変数だった。

この発想の非人間性こそが、構造改革根底にある冷たさだ。

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三、維新政治と「地方構造改革

コイゼミバケナカ路線は、のちに地方政治に転写される。

その最も典型的な形が大阪ニシンの会である

彼らは「身を切る改革」「二重行政の打破」を掲げたが、

実際には「民営化の名による公共部門の再配分装置」を構築した。

大阪万博IR統合型リゾート計画に見られる通り、

民間委託・特区指定外資誘致という政策群は、

実質的に「税金私企業化」である

ここに流れる思想系譜は明確だ。

コイゼミ構造改革の“理念的後継”として、

効率」「市場」「自己責任」をスローガン化し、

その背後で公共性の私物化が進行する。

まりコイゼミバケナカ―ニシンという線は、

20年にわたる“日本型ネオリベラリズム”の系譜であり、

その終着点が、現在大阪万博象徴される

夢洲税金還流実験場」なのである

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四、改革の“倫理的空洞”

構造改革理念が致命的に欠いているのは、倫理的中核である

経済合理性のみに立脚した制度設計は、

必ず「効率のための犠牲」を内包する。

そして、政治家経済学者たちはその犠牲を「避けられない副作用」と呼ぶ。

だが、軽井沢坂道で失われた命を、

果たして副作用”と呼べるだろうか。

あるいは、万博に投入される数千億円の公費を前にした自治体疲弊を、

それでもなお「改革の成果」と言えるのだろうか。

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五、結語 ― 「改革」という語の終焉

改革」という言葉は、戦後日本において最も多用され、

そして最も空洞化した政治語彙である

明治維新以来、この国は「変えること」に道徳的価値を与えてきた。

だが、変化そのもの正義とする思考は、

いつしか“誰のために変えるのか”という問いを失わせた。

コイゼミ構造改革国家を、

軽井沢バス事故労働現場を、

大阪ニシン都市行政を、

――それぞれ「効率」という名の坂道に乗せた。

そして、いまもその坂は下り続けている。

誰もハンドルを握っていないまま。

---

2025-10-31

売り家と唐様で書く三代目

先月で実質廃業となった仕入れ先が丁度そんな感じになった

看板を下ろしたのは二代目だが十数年前に三代目がいっときだけ社長になり3年ほどで二代目が再任した果てだった

いろいろあり内情を聞く羽目になったのだが、諺の一般意味イメージするのとはちょっと違う感じだった

 

先に表側の流れを説明すると

初代は有名人で、関連団体のあちこちに深く食い込み、一等地本社ビルも建て、業界代表も長く勤めた人だった(伝聞でしか知らない)

二代目とは付き合いが長かったが、いいとこのぼっちゃん風で趣味人でもあったが苦労もしてて公共や各団体との交渉もそこそこ手堅くやってる感じだった

三代目は一瞬で業界を去ったあと自分会社を興したが、会社住所は親の会社ビルで、業務を見ると国の補助金をもらって自治体仕事を請け負う感じ。共同創業者に超大手財界人の超密接親族がいて、三代目本人はTVネットインタビューまくり、ただし関連業界のはずなのだ実業でなにをやってるのかさっぱり聞こえてこないという立ち位置で今もいる

 

で、なんとなくわかったのは、初代の派手に広げた事業借金に二代目はそこそこ苦労してたようで、まあ、二代目が初代ほどの鋭敏さがなかったということになるのだろうが、高度成長でイケイケだった初代の後にバブル崩壊後の30年を潰さず今までどうにか保たせたといえなくもない、あたりに評価が落ち着くと思う(なんならバブル崩壊後に初代が生きてたら即潰れてたかもしれない)

三代目が後を継ぎかけて即やめたのは、業界の付き合いのとこに顔出したり展示会で見かけたりで観察した限り、前職でデカい付き合いでデカい金を動かす仕事に慣れすぎて、チマチマしたセコい業界に馴染まなかったんだと思われる。それで社長をすぐ辞めるのは行動力あると言えるのだろうが、それで始めた新会社の住所が親元、共同創業者ネームバリューで国の補助金もらうお仕事助成金の書式を書きなれてるんだろうなあ、「唐様で書く三代目」だよなあ、と

 

それで思ったのだが、そもそも諺の「売り家と唐様で書く三代目」の、江戸時代あたりの実態というのも、こんな感じだったのではなかろうか

初代は無茶も乱暴も掟破りも何でもありで事業創業し拡大する。それで拡大の余地がある時代背景もあるから大きく出世する

二代目は初代の仕事の内情を知っている。時世の変化も見ているし、一定規模以上となると初代と同じ無茶はできないことも知っている

三代目は初代の時代を全く知らないが、初代の派手さは知っている。親父みたいな仕事のやり方では先がない、かっこいい爺ちゃんと同じことやりたい、と事業拡大路線模索し始める

初代の苦労が伝わってないというより、創業ノウハウ継続ノウハウが違うとか、創業の時点で結構な無理があるのを軌道修正していくの大変とか、父親と息子は仲が悪いとか、そんな話ではなかろうか

 

と、そんなことを考えつつ

明治維新よもう一度、昭和維新やろうぜとか

国政もそんなサイクルがありそうだなあと連想してしまうのだった

2025-10-24

anond:20251024102126

実はハワイ白人から銃器を鹵獲してハワイ王国を建国してから米国併合されるまでの100年くらいの歴史面白いよ。

途中で白人の協力を得て立憲君主制になったり、米国より英国と繋がろうとする独自外交併合を誘発したり。

明治維新の先例、アナザーストーリー的な面白さがある。

ヒエラルキー仮説

法曹貴族は、どの人種も操れる位置にいる

明治維新では、実は渡来韓国人維新十傑に日本を乗っ取ってもらいそれなりに発展した

戦後は、第二次統一教会活躍させた

中国が相当発達したため、安倍暗殺で、統一教会は打ち止めることにし、

これからは、本国資本情報がありそうな中国人に来てもらって、国造りをすることにした

もちろん、米国様の計画どおりだ

保険会社電通外務省(1) >司法(2) >自治体や省庁 (3)

(2)の職員は(1)の臭い、(3)は(2)の臭いがする

ヒエラルキー仮説

法曹貴族は、どの人種も操れる位置にいる

明治維新では、実は渡来韓国人維新十傑に日本を乗っ取ってもらいそれなりに発展した

戦後は、二次統一教会活躍させた

中国が相当発達したため、安倍暗殺で、統一教会は打ち止めることにし、

これからは、本国資本情報がありそうな中国人に来てもらって、国造りをすることにした

もちろん、米国様の計画どおりだ

保険会社電通外務省(1) >司法(2) >自治体や省庁 (3)

(2)の職員は(1)の臭い、(3)は(2)の臭いがする

2025-10-23

anond:20251023130908

明治維新第二次大戦因果を直接に繋げるのアホジジイすぎ

 

・第二次対戦の批判だかを2025年になってもまだ世相批判とかして語ろうとしてるのアホジジイすぎ

 

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