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2024-12-12

フランツ・リストピアノ名曲重要曲七選(中期)

 anond:20241212205415の続きである

 マリーとの破局よりもピアニストとしての活動を選び、欧州中をわかせていたリストだったが(何しろリスト風呂の残り湯を飲もうとして待機しているファンがいるとかいレベルである)、1847年にポーランドの大地主の娘であり、キエフ軍人ザインヴィトゲンシュタイン侯爵夫人カロリーヌ出会う。コンサートツアーリストキエフに来ることを知ったカロリーヌ(別居中)は、娘の誕生日のためという名目リストを招待し(誕生日に大スターを招待できるというわけでだからどのくらいのレベル金持ちかがよく分かる)、急速に二人は深い関係になっていく(意味深)。リストピアニストとしての活動打ち切りカロリーヌと一時の同居生活を経たあと、48年からヴァイマール宮廷楽長としてカロリーヌと共に腰を落ち着けることになる。カロリーヌは長い訴訟を経て婚姻無効を勝ち取るが、リストとの結婚は認められなかった。ちなみに、カロリーヌ博覧強記で雄弁な人だったらしく(リストの多くの作品にも口を出している)、あのワーグナーが引くほどだったということであるカロリーヌ身分を巡る微妙問題に加えて、音楽界の動向的にもリストドイツに居づらくなり、約10年で宮廷楽長を辞任する。つまりリストの「中期」は短い。宮廷楽長になったことで、オーケストラ作品が多く書かれるようになった一方、新規ピアノ曲はこの時期にはあまりない。大スターの座を捨てて半分隠退生活に入ったようにも見える。しかし、この時期こそが作曲家としてのリスト確立する重要時代である。前期の作品の少なくない曲(巡礼の年パガニーニ練習曲もそうだ)はこの時期に改訂され、より演奏効果は高まり、内容も充実することになる。

1. 超絶技巧練習曲 S.139(1852年出版

 リスト代表作の一つ。この時期に改訂を経て完全版になった。長年の改訂を経て磨きに磨き抜かれ、チェルニーの影響下にあった「48」や、パガニーニの影響で改訂した「24」と比べてみると明らかに内容的に充実し、演奏効果も増大している。

 この曲集の決定的な録音はウラジーミルオフニコフ(EMI)だろう。どの曲も非常に質が高く、穴がない(この練習曲集は多彩な技巧のデパートなので、どこか苦手なものが出るのが常)。が、残念ながら入手性は悪い。世間的に有名なのはラザール・ベルマン(Melodiya)で、新旧二種類あるが、新版1963年)が気合いが入っている。ただ、キンキンとぶっ叩くような録音で、そこまで好きにはなれない。横山幸雄SONY)は録音も良く、やはり穴も少ない。特に第5番「鬼火」の演奏が素晴らしい。

2. パガニーニによる大練習曲 S.141(1851年出版

 この曲もこの時期に改訂されて完全版になった。初版第4曲は単音アルペッジョになりおとなしくなったが、それ以外の曲については、難易度を落としつつ、同等以上の演奏効果を発揮できるようになった。第3番「ラ・カンパネッラ」はここで非常に完成度を上げたおかげで今日までよく知られている。

 パガ超と違い録音が多い。有名なのはアンドレワッツEMI)だと思う。昔図書館で借りて聴いたことがあるが、穴がなく安定している。その他だとフィンランドピアニスト、マッティ・レカリオ(Ondine)の激烈な演奏があるが、残念ながら廃盤で入手困難(Naxos Music Libraryにはあったかな?)。フィリペツのパガ超のCDNAXOS)にも入っており、これまた大変安定した演奏で、パガ超と合わせてフィリペツを買えば良いだろう。あと、「ため息」で紹介した福間洸太朗(アコースティカ)のCDにも入っている。非常に高水準の演奏だと思う。

3. ピアノソナタ ロ短調 S.138(1854年出版

 ピアノソナタが量産されていたのはベートーヴェン(32曲)までの時代であり、19世紀半ばにはピアノソナタ落ち目ジャンルであった。一方、気合いの入った大曲を書く時にピアノソナタという古典的様式を敢えて選ぶことはその後もあり、ショパンリストソナタはその例だろう。リストソナタは、単一楽章という異例の様式だが、単一楽章の中で多楽章形式の要素とソナタ形式提示部・展開部・再現部)の要素を融合させ、しかも一つの動機(冒頭のタッタラ~タ~ララタラララ~というつかみ所のないアレ)によって全体が統一されているという極めて斬新で前衛的な曲だった。そのため当時はよく言って賛否両論といったところで、現在ではリスト最高傑作の一つとして評価されている。

 リスト最高傑作であるからして録音も非常に多く、推薦音源を挙げるのは難しい。取り敢えずクリスティアン・ツィメルマン(Deutsche Grammophone)の演奏が端正であり、技術的にもハイレベルで良いと思う(難所でタッチが浅くならず、深く充実した響きが聞こえるのが良い!)。ぶっ飛び系なので好みは分かれると思うが、カティア・ブニアティシヴィリSONY)の演奏をよく聴いている。

 なお、この曲と関連する重要作品としてスケルツォマーチ S.177がある。面白い曲だが泣く泣く割愛した。デミジェンコHyperionHelios)が良い演奏している(ソナタや「伝説」とカップリング)ので聴いてほしい。

4. バラード第2番 ロ短調 S.171 (1854年出版

 ショパン1832年パリデビューし、特にサロンでの繊細な演奏女性たちの心をわしづかみにした。リストショパン演奏に狂った一人である(またかよ)。リストショパンのことを友人と思っていたが、ショパンの方は割と適当にあしらっていたという話もあり、リスト片思いだったのかもしれない。ただし、ショパン練習曲作品10リストに、作品25をマリーに献呈している。つまりリスト夫妻にショパン練習曲は捧げられたわけで、結構親しい関係にあったことが分かる。リストショパン死後にショパンの本を書くくらいにショパンには思い入れがあり(最近新訳が出た)、弟子にもショパンを弾けと言っていたようであるが、作曲面でもポロネーズバラードなど明らかにショパンの影響と思われる様式の曲を書いている。中でもバラード第2番は大変な傑作で、冒頭の重苦しい主題が終盤にロ長調になって戻ってくるところは本当に感動的である

 これまたあまり推薦音源が思いつかないが、アンスネスEMI)のCDがかなり良かった覚えがある。前期で出したノンネンヴェルトの僧房も入っている。

5. ハンガリー詩曲第1~15番(1851/53年出版

 トムとジェリーで有名なハンガリー詩曲もこの時期に改訂が終わって現在の形になっている。リスト採録しているのはハンガリーマジャール)ではなく、ロマ音楽なのだが、リストは、ロマ民謡を素材に使ってハンガリー民族叙事詩を作り上げようとしていた(それがバルトークのようなマジャールからドイツ人が勝手なことやりやがって・・・という風に見えていたわけだが)。どの曲も重々しいラッサンと華やかなフリシュカという二つの舞曲的なパートから成り立っていて、構造的に単純で、しかピアニスト時代のようにド派手で豪快な曲が多く、リスト入門に良いと思われる。

 ミッシャ・ディヒター(Phillipes)が全曲では有名だと思う。ハンガリーリストの再来とされていたかシフラ・ジェルジの録音もあったはず。第2番はホロヴィッツ編曲版を弾いているスルタノフの爆演が好き(https://www.youtube.com/watch?v=_BFalOtwUy8)だが、スルタノフを聴くと大概の演奏が物足りなくなるおそれがある。残念ながらスルタノフは若くして亡くなってしまった。ホロヴィッツ編曲版ではない場合、第2番はカデンツァを挿入する部分があるので、独自カデンツァが見物になる。その点で一番に言及しなければならないのは我らがスーパーヴィルトゥオーゾのアムラン(Hyperion)で、アルカンの大練習曲 op.76の引用が入り3分以上続く頭のおかしいぶっ飛んだカデンツァだ。日本公演の映像もある(https://www.youtube.com/watch?v=pIMzL2-4bjg/8:30あたりから)。あとは自作ジャズカデンツァを用いて全体にやる気がみなぎるデニスマツーエフBMG)、ラフマニノフカデンツァ使用し爆演系のレオニード・クズミン(Russian Disc)がお勧め。ただしクズミンのCD廃盤倒産で入手困難であり、今後他社からの再発が望まれる。

 第15番「ラコッツィ行進曲」は何よりもホロヴィッツ本人のいかれた演奏聴くべきだろう(古い音源なので検索すればすぐ出てくる)。音質は悪いが、聴く価値がある。昔ホロヴィッツ編曲版にチャレンジしている勇者を見つけていたく感動したことを思い出した(https://www.nicovideo.jp/watch/sm10176725)。

 なお、15番以降19番までハンガリー詩曲はあるが、晩年様式なのでこれ以上は紹介しない。

6. タンホイザー序曲(1849年出版

 リストドイツ宮廷音楽家として、新ドイツ派(当時のドイツにおける管弦楽の停滞(と彼らは考えていた)を問題視し、ロマン主義音楽再生を志す人々)の頭目的な存在だった。そのため、同じような立場にある人々、特に売れっ子とは言い難かったワーグナー作品積極的に上演・紹介したのだが、40年代以降ピアノ編曲もいくつも作っている。リストの最も有名なワーグナー編曲は「トリスタントとイゾルデ」の終曲(愛の死 S.447)だが、自分タンホイザー序曲が単独では最上作品だと思う。何よりも前期のオペラ編曲もの同様、豪壮無比な超絶技巧を聴かせてくれるのが良い。

 ちなみにリストの次女コジマは夫のハンス・フォン・ビューローワーグナーにとっては恩人)を裏切ってワーグナー不倫し、リスト激怒する(後に和解)のだが、自分マリーやカロリーヌやらせいたことだ。

 タンホイザー序曲の録音は意外とない。ユーリ・ファヴォリン気合いが入った演奏https://www.youtube.com/watch?v=xJYkouNnuwo)が一番良いのだが、CDは手に入りにくい(一応、ヴァン・クライバーンコンクールでの演奏があるらしいのだが・・・)。スタジオ録音が望まれる。前期作品の時に名前を挙げたロルティ(CHANDOS)も美しいが、技巧的には前者が圧倒的。実は、ワーグナー本人もピアノ編曲を作っているが(https://www.youtube.com/watch?v=KdXPFBcP1bQ/カツァリスのCD「ワグネリアーナ」に入っている)、リスト編曲と比べると一目(耳?)瞭然、どちらが音楽的に充実しているかは明らかである

7. 詩的で宗教的な調べ(1853年第3稿出版

 30~40年代から書かれている曲だが、やはり最終版になったのはこの時期。もっとも早く書かれた「死者の追憶」(第3稿第4曲)を聴くと、非常に調性が曖昧な曲で、30年代から既に晩年様式が準備されていたことが分かる。第3曲「孤独の中の神の祝福」はリスト敬虔さが音楽昇華された隠れた傑作。アムランが好んでおり、2回も録音している(ノルマが入っているMusic & Arts盤とソナタや「補遺」がセットになっているHyperion)。

 この曲の中で最も有名なのは、第7曲の「葬送――1849年10月」だろう。非常に暗い曲だが、タイトルが指す通り、ハンガリー革命で奮闘し、鎮圧され死んだ人たちのための追悼音楽

 全曲では先のユーリ・ファヴォリンが録音しているが、筆者は未入手。配信で聴けたかと思う。どうでもいいことだが、デミジェンコライブ録音(Hyperion/7番のみ)を聴くと、明らかに鼻歌で歌っていて面白いグバイドゥーリナシャコンヌでも結構はっきり聞こえる)。

 宮廷楽長としての生活の中でリストの前期作品の多くが音楽的に充実されたが、音楽界での軋轢劇場でのトラブルカロリーヌ身分を巡る問題で長くは続かなかった。そろそろ次の時代に進もう。

追記

 前期のところに、ベートーヴェン交響曲ピアノ編曲についてのコメントがあった(anond:20241212215414)。

 リストベートーヴェン交響曲を全曲編曲しているが、初版出版1865年で、時期的には後期にあたる。ただし、3、5-7番の編曲は1837年には出来ており、個別出版されていたようだ。リストピアニスト時代からベートーヴェン作品布教に熱心に取り組んでおり、その一環として作られた。ボンベートーヴェン記念碑建設のために多額の資金提供したりもしている(ちなみに同様に寄付を呼びかけるためにシューマン作曲したのが「幻想曲 ハ長調」だ)。

 リスト作品の中でも記念碑的なものになるが、コンセプトは幻想交響曲編曲同様なので泣く泣く割愛した。

2024-12-04

韓国政治ゼロサムゲーム 解決より対決!

項目保守派進歩派
主要政党国民の力(現政権民主党
外交方針アメリカとの強固な同盟、対中強硬路線アメリカとの協調維持、中国とのバランス外交
安全保障北朝鮮を脅威と見なし、軍備増強を支持北朝鮮との対話を重視、平和構築を目指す
政治理念伝統的価値観、反共主義経済成長優先改革志向人権重視、福祉政策拡充
地域基盤慶尚道釜山大邱など)、地方都市全羅道(光州など)、首都圏ソウル京畿道など)
世代支持層高齢者層が中心、軍事政権時代の安定志向若者層が中心、社会改革や公正を求める
経済政策大企業財閥支援を通じて成長を重視中小企業支援雇用創出を重視
福祉政策別的福祉財政負担を抑える普遍的福祉高齢者貧困層を手厚く支援
歴史的背景日本統治時代に協力したエリート層や地主層をルーツ日本統治時代独立運動を行った人々や民主化運動の流れを継承
文化政策伝統文化保護保守的倫理観を重視多様性尊重した現代文化の発展を重視
教育政策学力主義競争重視、伝統的価値観を強調創造性や多様性を重視した教育改革を推進
環境政策経済成長を優先、環境問題への対応は控えめ再生可能エネルギー推進、持続可能な発展を重視
司法制度厳格な法秩序を重視、社会の安定を優先司法独立性と透明性を強調
移民政策移民受け入れに慎重、自国民雇用保護を優先労働力確保のため、移民政策前向きに検討

2024-12-02

ケータイキャリアがムダな投資をして迷惑をかける様子に名前をつけて

ケータイキャリアビジネスというか、地主みたいな存在なのでなにも考えなくてもお金が入ってくる。

お金が余ってると外聞が悪いのでなにかに投資をしようとするが、地主ボンボンリクルートのイケイケ兄ちゃんとうまくいくはずもないのと一緒でかならず失敗する。「ドコモとか au って何兆円もの利益が毎年でるけど、あれってどうなってるんだろう」と不思議だが、実際は周りに迷惑をかけながら失敗して消えているだけだ。地主ボンボンなので工夫したり努力したりはできない(見たこともやったこともない)ので、帰結としてはそうなる。

自分お金で損してるんだからいいじゃないか」というかもしれない。たしかにムダ遣いされてるのはお金なんだけどそれはつまり労働資本だ。労働はたとえば「父親家族と過ごす時間」などを削って発生している。労働のムダ遣いは「無為自由時間を奪う」という観点殺人に等しいくらい悪いことだ。ムダだとわかってる労働資本の投下は社会悪であり許される道理はない。

もちろん「成功することだけやれ」というのは現実的ではないのだが、いっぽうでは「かならず失敗することを何回も繰り返す」というのも現実感が薄いというか浮世離れした話なのでできない方がよいと思う。

そんなルールなんてつくれないだろうけど、せめて、「地主ボンボン周りに迷惑をかけながら同じ失敗をする様子」に名前がついて欲しい。「ブラック企業」や「マタハラ」みたいに、社会悪名前がつくと逃げられなくなる。キャッチーなよい名前を考えてください。

2024-11-24

なぜ世界で唯一日本けが奴隷性のない国だったのか

奴隷制がなかった日本、何が違う?

まず、日本にはなぜ奴隷制がなかったかって話な。「人を奴隷にするなんて考えられない!」って文化的理由デカかったと思う。特に儒教仏教が影響した感じ。

儒教の影響

儒教ってさ、「家族大事上下関係はあるけど、みんなそれなりに役割あるよね!」みたいな教えがあるだろ?その結果、「どんな立場の人でも役目があって、単なる所有物じゃない」みたいな考えが広まったんじゃね?つまり、誰かを奴隷にして完全に支配するっていうのが、文化的にハマらなかったって感じ。

仏教の影響

仏教さらに強烈。「みんな平等仏性(ぶっしょう=仏になる可能性)があるよ」って言うからさ、人をモノ扱いするのがめちゃくちゃタブーになるわけ。仏教僧が「奴隷を持つとか、人間としてどうなの?」みたいに説教して回ったかもしれない。

封建制度ってどうだった?

次に封建制度日本では中世以降、武士が中心の社会ができて、農民職人もきっちり役割が分かれてた。でもさ、これって奴隷制とは違うんだよ。農民地主年貢を納める義務はあったけど、「お前は俺のモノな」ってわけじゃないから。むしろ封建制度って、上下関係尊重しつつも「みんなが役割を果たす社会」だったから、奴隷制みたいな極端な支配関係は生まれにくかったんだろうな。

西洋中国韓国はどうだったの?

さて、日本以外の国ではどうして奴隷制があったのかって話だけど、それぞれの事情があるわけ。

西洋ヨーロッパとかアメリカ

西洋では、農業の規模がデカくて、特にプランテーション大量生産する農場)がめちゃくちゃ重要だった。労働力を確保するために奴隷を連れてくるのが効率的だったんだな。さらキリスト教の中には「異教徒奴隷にしてOK」みたいな考えもあったし、経済的利益優先で奴隷制が発展しちゃった。

中国

中国は巨大な帝国から戦争捕虜になった人たちとかが奴隷として使われてた。儒教の影響である程度の人権は認められてたけど、人口が多い分、貧しい人たちを酷使する仕組みがなくならなかったんだろうな。

韓国

韓国朝鮮半島)も儒教文化が強かったけど、「奴婢(ぬひ)」って呼ばれる奴隷階級普通にいた。土地を持たない人や捕虜なんかがこの身分に落ちて、農作業とか家事をやらされてたんだよ。

日本の「奴隷制ゼロ」が作る世界観

日本は「奴隷制ゼロ」を貫いた、世界でもかなり特殊な国だった。他の国が奴隷を輸出してた時代日本だけは「人間をモノ扱いするなんてヤバくね?」って孤高の存在日本の国際イメージが「道徳的クリーンな国」とか「人権先進国」みたいに超ポジティブ外国から労働力必要だったとしても、契約平等に働いてもらう仕組みが発展してたのだ。

2024-11-22

anond:20241122164127

営業はそういう側面もあるんでしゃあないが…

不動産もある地主から土地仕入れに行ったら、御用聞きみたいなことをさせられたなんて話も聞くには聞く

ただ、転職市場での価値はどうなんだろうなあ…

2024-11-18

地方人達って、そんなに公務員が憎いもんなの?

あいつら既得権をむさぼっていい思いしやがってムカつく!みたいな感じなの?

東京に住んでると公務員はいい思いしてるって感覚全然無い(もっといい仕事がいっぱいある)のでよくわからない。

東京典型的既得権益者だと思うのは地主なんだけど、俺たちが地主を見る感覚地方では公務員を見てる感じなのかな?

2024-11-14

anond:20241114171517

田舎階層って地主とか小作ってこと?

夜這いに関してはむしろ教師や有力者の家に男は行かなかったので蚊帳の外だよ。

男は一定の年齢で一人前と証明されれば若衆の仲間入り。

2024-11-13

私文院生地主一人っ子アイコス吸ってる25歳イケメン

何回か海外留学経験があってパーソナルトレーニング通っててサウナには否定的で。

酒好きアイコス(アイコスじゃないやつかも。あれ区別つかない)好きで、学部時代に一瞬インターンしたことあるけどバイトみたいなことは一回もしたことないって言ってた。

富裕層ってヤツ、なんだろうなと思う。でも本当に不思議なんだけどイケメンなのに性的な魅力を一切感じなくて、話してる間何度も「この人は男より女に生まれてたほうが絶対モテた」って繰り返し思った。

明治時代大正時代貴族階級女性無職家事お手伝いさんやらせていたけど、男性資産で食っていけたとしても職があることが多かった。

自力で歩けないほど足が小さい女が最も性的とされた纏足のこととか、「戦争は女の顔をしていない」に出てきた兵隊として国のために戦った女性復員後に男性から女性から忌避されたエピソードを思い出した。

小学生の頃に通ってた自宅教室型のピアノ先生のことも思い出した。今思うと、音大を出て自宅に有孔ボードが貼られた防音室作って良いピアノを置いて、安い月謝とって、単体で生活成り立つわけがなかった。

こういう人って、強者男性奥さんしかいない。強者男性自身が、お姫様とかお嬢様かいう、高貴な生まれ教養だけをやっている女性に魅力を感じる傾向でもないとこうはならない。

女は金で男を選ぶ!みたいに言われるけど、稼ぐ能力があって男性から認められている男性性的に反応するのであって、仕事ができなさそうな相続人だと違うんじゃないかって思ってしまう。

金持ちイケメンなのにこんなに何も感じないとは、って思った。叩き上げ的なバックボーンを持つ人に対してのほうが反応してしまう。

2024-11-09

ガチ猪名川町民だけどいじめは前からあるから来るな

今回ニュースになった自4の件、まずはお悔やみ申し上げます。(知らない方はニュース見てください)

自分からすると「ついにか」という感じです。

自分が件の学校に通っていたのは、10年ほど前ですが自分いじめられていました。クラスメイトいじめられていました。なんだったら、教師いじめていました。

「菌が移る」という定番のものから自分だけプリントを渡してもらえず指摘したら「は?ちょっとからかっただけでいじめ判定ww」

「ブスなんだから」という理由で、運動会の並びも後ろに回されます。ブスだと積極的トイレ掃除を回されたりもします。

酷い人だとトイレで殴る・蹴るの暴行を受けていました。

いじめっ子が「うちの親はヤ◯◯だよ」と脅していたり悪質でしたが、「子供のやったコトなので…」と謝罪で終わりました。

「この子小学生並の知能しかいからw」と教師クラス内で1人を罵倒したり、生徒の描いた絵を「ゴミ量産してて草」と言ったりします。

また、教師主観で歌が下手・運動が下手だと「わざと下手にやっているから来てないのと同じ」と言われ、不登校とみなされ評価は1を付けられます

しかし、対象者不登校になったら評価を気にして教師は優しくなります

「そこまで辛いと思ってなくて💦じゃれてるつもりなの、〇〇くんは繊細だね💦(他責)言ってくれないと分からないよ💦」

これを教師が言ってくる。

言わない教師もいますが、諦めているのか「あの人はそういう人だから」と改善はされません。

多分今回もそうでしょうね。

田舎なので地主などの力も強く、嫌われたらやっていけない。また、その子いじめてくるパターンもある。

田舎なので塾などのサービスも少なく、転校するには引越し必要なくらい遠いので家族ハードルも高い。

ちなみに教師いじめられています過去には同町の教頭が自4しています。みんな陰湿なのです。

ニュータウンがあるけど、絶対に子持ちはこないでください。こんな町と学校は潰れた方がいいです。

2024-11-08

anond:20241106232300

血の滲むような努力をしているか富裕層富裕層なわけ

まあ日本特に本人の努力必要でない地主のご子息が最強なんですが・・・

anond:20241108160901

高学歴高学歴低学歴や低属性排除してるから

ChatGPTさん、こっちの世界で働いてみないか

不動産賃貸業というChatGPTの賢さを生かせる仕事がありまして…

そうですね

まずはお客さんの対応をやってもらいましょうか?

なお、うちのお客さんは外国人や低属性の方たちばかりで、こっちがいくら下げても大家排除するので、紹介できる物件そもそもないことがあります

そして、大家はえてして高学歴地主の方々が多いです

ただ、大家はお客さんからヘイトを向かうのをものすごく嫌います

なので、大家ヘイトが向かわないように、物件が見つからなくても、うまいことなだめすかし、わが社や大家さん、一般住人に被害が及ばないようにしてほしいです

最近生活が苦しいの中身

とりあえずIT系仕事がしたい!→能力がないから土方より儲からないIT土方

職場の近く、駅の近く→地主家賃を納めるだけの人生

子供教育費が高い→塾通わせて私立に入れさせようとしている

物価が高い、家賃が高い、駐車場が高い→東京に住んでいる

貯金も少ししかできない→そもそも赤字じゃないから苦しくない

まとめ

苦しさの中身は欲に能力が追いついていないのが大半

高卒トヨタ自動車入社したライン工が30で一国一城の主になって奥さんが働きたいなら働けるけど旦那の儲け的に専業主婦でも問題なくて子供オール公立なのに1年河合大学に通って旧帝に入学しちゃったりする世界も知るべき

アメリカ大統領選の時と同じで上流階級生活しか分かってない奴が多すぎる

2024-10-27

FIREしようとする人ってマジでバカなんじゃないの?

anond:20241102083243

ここで俺がバカにしてるのは莫大な富を得た経営者とか先祖代々の地主とか富豪とかじゃなくて、労働収入をコツコツためて何%ルールだかで取り崩していこうとしている人ね 自分の最低限度の生活費の何十倍かを用意して、その運用益で生きていこうというわけだ

いや、なんで残りの人生何十年間で自分生活費が変わらない前提なの?現代経済の最大の問題世代人口比の偏りによる生産人口の不足で、要はお金があっても人がいない社会になるわけじゃん

GDPに占める第三次産業割合が高まり続ける現代では、自分のために何人の人間を金払って働かせられるかが豊かさの源泉になるわけで、人手不足で人を雇うコストが高まれば、当然生活コストインフレ圧力は加速的に高まり最低限度の生活費はどんどん上がっていく さらに現状住居費が安い田舎の方から人手不足ゴーストタウンになっていくわけで、近い将来大多数の人間は住居費の高い都市部へ段階的に移動せざるを得ない

年金だって国家の安定を維持するために一定所得代替率を保とうと思えば、支給開始年齢を後ろ倒しにすることは避けようがないわけで、自己資金で賄わなければならない期間は長くなる一方だ

さらに、FIREしようとする人は当然独身子なしがほとんどだ。少子化が進むなかで、国家独身老人の社会保障を保つインセンティブはどんどん薄くなるため、自分介護や高度医療必要になるころにはそれらを享受するコストが爆上がりする可能性が高い

今後の日本で生き残るのは、金銭のやり取りを介さない人的資本と、社会保険の世話にならない程度の健康体と、70代まで安心して働ける場所を持つ人間になるわけだが、労働の苦しみから逃れようとしてFIREする層がそれらを獲得したり代替する戦略を練ってる感じはしない FIREする人は社会がどんどん悪くなっていくという確定的な未来に目を背けて、もっとも頭も体も元気な時期に金銭収入を得ないツケを老後の自分に払わせることになるだけだと思う

2024-10-26

anond:20241026130753

どうせ羨むなら駅近の地主いいなあー

くらい言ったらいいのにー

レベルの闘いすな

2024-10-22

anond:20241022105553

これさあ、作者が地主と考えてさ作品土地として

そこにデベロッパーとかが施設を立てさせてください

諸々の費用を引いてこのくらい利益差し上げられますってところの

費用地主がなんかデザインしたとかでその分の費用払えって言ってる訳よね

名作といわれる昭和映画「はなれ瞽女おりん」(1977年)を観たので感想を書く

最近昭和ドラマ映画を観るようになった。解像度の高い映像で当時の作品をじっくり楽しめる環境が整ったこともあり、作品の細部にある仕掛けや意図が見えるようになり、改めて面白さを感じている。そんな中で観た「はなれ瞽女おりん」(1977年)は、篠田正浩監督の名作といわれる一本だ。

正直、この年齢になるまで篠田監督作品を観たことがなかったが、この映画は素晴らしかった。明治から大正にかけての日本の「原風景」を映し出すという監督意図は、見事に画面に現れていた。しかし、単に美しい風景を描くにとどまらず、登場人物人間性時代矛盾を深く掘り下げた内容に感銘を受けた。おそらく20代若いころにみていたら、おりんカワイソス以外の感想が残らず、忘れさられてしまっていただろう。年齢を重ねて初めてわかる名作というのがある。

映画の中心となるのは、瞽女であるおりん(岩下志麻)と脱走兵鶴川原田芳雄)の物語だ。二人とも社会から周縁化された存在だが、その中でもおりんの「はなれ瞽女」という立場は二重の周縁性を持っている。彼女瞽女共同体である高田の一座から追放された理由は、禁制の「男との関係」があったためだが、それは彼女自身選択ではなく、レイプによるものだった。

そんなおりんに寄り添い、導き手となる鶴川は、物語が進むにつれてその人物像の不整合が明らかになっていく。「天涯孤独」と語りながらも、家族存在がほのめかされ、ついには母親存在告白するシーンは映画クライマックスとなる。この告白が、おりんにさらなる絶望をもたらす。

時代背景と家制度矛盾

この物語が描かれる背景には、明治維新に始まる天皇を頂点としたイエ制度による国民統合矛盾がある。家父長制のもと、人々は家や国家という枠組みに縛られていた。おりんと鶴川共通するのは、このイエからの周縁性だ。

天皇を頂点としたイエ制度は、乱暴にいってしまえばそもそも江戸時代の「家中=藩」にならって編み出された。江戸時代においては「家中」が人を従わせ、結束させる機構だった。幕末の志士たちが思いつくことのできた次の時代国民統合の在り方は、やはりイエだったということだ。この点が王を承認する倫理的な神を持つヨーロッパ統治と異なっている点だ。国の危機を前にしても藩同士がいがみ合うならば、ということで、もっと大きな家中=イエにしてしまえばよい、という発想が明治維新だ。天皇を頂点として、家父長制に結合させ、国、地域共同体世帯すべてのレベルで上から下まで論理的整合する入れ子構造にするために、寺子から氏子へと転換する廃仏毀釈という荒業まで行った。イエの主従関係は、現代にいたるまで日本人のDNAとまでいえるほど根深い。嫁姑上司部下、先輩後輩など。どんなに言っていることがおかしくても絶対である、という点で共通倫理だ。この「家」の概念は、主君への忠誠のもと、等しく苦労するフィクションを生み出し、社会の不平等を覆い隠すことになった。

大正デモクラシーはそうした不条理解決する機運として盛り上がりを見せたが、やがて不況日本を襲い、財閥と大地主の利害を代弁した立憲政友会に幻滅し、人々の失望とともに大正デモクラシーは終焉を迎えるのだ。当時、腐敗した政治毎日新聞をにぎわせた。

脱走兵であることが官憲についにバレて拷問されたとき鶴川叫び「何が、国民皆兵だ。金持ち徴兵逃れで、俺が引き受けただけだ」というセリフは、その矛盾を端的に表している。明治維新で構築された家制度矛盾を背景に、映画鶴川叫びやおりんの境遇を通じてその時代不条理を描いている。

また、瞽女たちが社会の中で次第に居場所を失っていく様子もこの映画は巧に表現している。鉄道の普及が、農村部を含め人々の娯楽へのニーズの変化をもたらし、ひいては彼女たちの文化を衰退させたことや、彼女たちが生き残りをかけて変化を迫られた様子は、急速な近代化による価値観生活の変化を象徴している。

そうした社会状況のなか、おりんは一座から破門され、「はなれ瞽女」となってからは一人で生きてゆく覚悟を決めた女性だった。旅の途中で長岡のはなれ瞽女若いころの樹木希林)と出会うシーンでは、斜陽化する瞽女文化のなかで自立を模索する様子がうかがえた。またおりんも同じ境遇のはなれ瞽女出会いを通じて、自立して生きてゆく勇気と自信を得ていたように見えた。しかしやがて愛する男との別れを契機に、おりんは猛烈な不安に襲われる。それは周縁であるがゆえの存在論的な不安だ。

男女の非対称性

この映画特に印象的だったのは、男女の「帰る場所」の非対称性だ。

鶴川官憲連行される直前、おりんは鶴川から思わぬ告白を受ける。

鶴川の、ごめん実は家族がいるんだ、という告白に、留置所の小窓にかけたおりんの手が崩れ落ちるような衝撃を受ける。このとき岩下志麻の演技すごい。

このシーンに二重写しで思い出した映画がある。それは「駅station降旗康男監督1981年)。大晦日に一人飲み屋のおかみさんと熱燗を飲むシーンでおかみさん役の倍賞千恵子がいうセリフだ。

水商売やってる子には暮れから正月にかけて自殺する子が多いの。なぜだかわかる? 男が家庭に帰るからよ。どんな遊び人もこの時期は家庭に帰っちゃうからね。

好きな男には帰る場所別にある、迎え入れてくれるホームグラウンドがある、という、この同じ寂しさがおりんを襲う。

おりんは、そのさみしさを押し殺して、よかったじゃないかあんたにお母さんがいても不思議はないと思っていた、自分もいるんだ、と幼少期に記憶の残る唄を口ずさむ。エンタメ的には、涙腺崩壊のシーンだ。

鶴川がなぜうそをついていたのか。おりんを深く愛しながらもなぜ夫婦になるのを鶴川は拒んでいたのか。これは推測だが、おそらく母親瞽女を娶ることを認めないことを鶴川はよくわかっていたからだろう。失恋でつきつけられる差別社会現実瞽女文化の衰退、はなれ瞽女であるおりんの存在論的な不安定はここに極まってゆく。

鶴川には母親という寄る辺があり、天皇を頂点としたイエ制度の中で一定の救いが残されている。しかし、おりんにはそのような場所がない。かつての瞽女共同体も失われ、彼女はどこにも属することができない存在だ。この非対称は、映画終盤の「親不知の岬」で息絶えるという結末に象徴されている。

女はひたすらアウエイを強いられ帰る場所はない。これは同時代の歌でいうと、中島みゆきの「生きていてもいいですか」「エレーン」や山崎ハコの「望郷」と同じ世界線だ。一方で同時代男性歌手では、何気に上京してもふるさと愛にあふれている、という世界線の歌が多い。男には、失敗してもいざとなったらふるさとに抱かれる、というまなざしだ。「母に捧げるバラード」の海援隊松山千春の「旅立ち」が典型

この男女の人生の非対称は、先日来観ていたドラマおしん」でも同様にみることができた。

おしん物語では、農民運動に熱を入れていた浩太は官憲拷問され転向余儀なくされる。夢破れ傷ついた浩太は傷をいやしに実家の世話になる。浩太の実家父親貴族院で太かったのだ。事業に失敗したおしんの夫・竜三を救うのも佐賀実家だ。一方、おしんにはセーフティネットとしての故郷はない。振り返るという選択肢は存在せず、ただただ前を向いて歩く以外に救いはなかった。

水上勉の描く世界と非常にシンクロした世界観だと思う。



映像表現演出の巧みさ

「はなれ瞽女おりん」の映像表現は見事で、セリフに頼らず映像感情や状況を語る部分が多い。例えば、鶴川告白した後のおりんの行動や、瞽女屋敷を訪れるシーンの演出は、彼女の焦燥や絶望を鮮烈に伝えている。

男の告白ですべてを悟ったおりんは、まず瞽女屋敷に向かい自分の育った場所を確かめに行く。しかし、時がたち、すでに瞽女時代は終わりを告げていた。屋敷がもぬけの殻だとわかると、男を待つことも探すこともせず、心身ボロボロになって、一人はなれ瞽女として宿場町を回る日々。おりんの着物がボロキ状態になっていることから、はなれ瞽女としての暮らしが何年も経過していることがうかがえる。この映画終盤のテンポ絶妙だ。

また、ラストシーン親不知隧道での描写は、観る者の解釈に委ねる余韻があり、深い感動を呼び起こした。私の解釈になるが、ズームアップされるトンネルの測量機器と遠くの岬に見えるおりんの着物の切れ端の遠近感は、鉄道の普及と瞽女文化終焉を見事に演出している。さすがだわ、この演出家、そしてカメラワークに感嘆ぜざるを得なかった。映像を学ぶ人にはぜひみてもらいたい作品

おりんの物語は、単なる一人の女性悲劇ではない。社会の中で周縁化される女性たちの象徴であり、家制度という枠組みの中で矛盾を抱える日本近代のものを映し出している。家父長制のもと、妻には銀行口座を持つ権利すらない時代、周縁化された存在であるはなれ瞽女の自立と恋、その挫折を通じて、その背景に潜む不平等や抑圧を丹念に描いた篠田監督の手腕に心から感服した。

篠田正浩監督が描きたかった「日本原風景」とは、単なる美しい日本風景ではなく、矛盾や悲哀に満ちた人々の生き様のものだったのではないか。この映画を観て、初めて彼の作品に触れたが、もっと多くの作品を観てみたいと思った。そして、昭和ドラマ映画が描く時代背景の奥深さに、改めて心を動かされた。

また、ドラマおしん」と時代が重なるところでは、国民統合や周縁性に関して、もう少し思うところがあるので、またそのうち増田で。


2024-10-19

anond:20241019123257

頑張って高所得になったんだから狙うなよ。狙うなら地主みたいな何の努力もしてない資産家にしろよ。

2024-10-14

anond:20241014172638

年収5000万の医者だと責任大変そうだから

先祖代々地主の息子で働いたことないですとかのがいいなあ

2024-10-13

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く その4

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911から続く

おしん物語根底を流れているのが、「恩」であり「仁義であるということをこれまでの感想でも書いてきた。おしんイコール辛抱する精神というイメージが広く流布するなか、金儲けに走った息子の根性を叩き直すために、田倉家を滅ぼしてでもライバル会社に利する行動に出た、という物語ハイライトは、意外にもあまり注目されていない。私も正直なところ、全話を通してみるまで知らなかった。

今回は、物語類型としての「おしん」をみてみたい。

流浪するおしん股旅物としての評価

おしんは一代記ものとしては、タイムスケールがとても長い。おしん1901年昭和天皇と同年に生まれた設定である

そしておしんが生きた少女時代から後期高齢者の83歳になった1984年まで、それぞれの時代があまりにも違い過ぎるので、1983年の田倉家のシーンから明治回想シーン時代を一気に2世代くらい遡るときタイムトリップ感が半端ない

1983年おしんが息子・仁を裏切って、並木商店への説得どころか、積極的大手スーパーへの並木土地の売却を進めてくれとお願いした背景には、並木商店隠居の大旦那並木浩太に対する並々ならぬ恩があるからである

それは、どのような恩だったのか。おしんは息子たちには何も過去を語ってこなかったので、仁には知る由もなかった。そもそも並木浩太とは何者なのか。

おしんも誤解されるのが嫌でそれまで息子には一度も語ってこなかった。しかし、前年の1982年17号店進出を知ったおしんが息子の行動を阻止しようとしたとき、仁は、それが母の初恋の人への配慮であることを悟る。そして、仁はいう。商売ってそういうものじゃない、「母さん、みっともないよ。」と。今風にいえばいい歳してエモいことを言い出してんじゃねえよと思われたのであろう。案の上、誤解されてしまったおしんであったが、なすすべなく工事は進み、ついに開店当日を迎える。おしんはこれまでの人生の回顧の旅に出るのである

おしんと人の縁

おしんと浩太のいきさつをかいつまんでかくのも、がっつり書くのもいずれもけっこうしんどいしかし、今回のテーマの「股旅物」がわかるように、ややガッツリ目に書いておこう。股旅とは、大正時代に生み出された物語類型ひとつで、一宿一飯の義理人情に従って流浪する物語であり、多くは渡世人やくざなどが主人公である股旅物の元祖長谷川伸は、その後の日本小説戯曲、そして映画テレビドラマに至るまで多大な影響を与えた人物である。「飢餓海峡」で知られる水上勉は、長谷川伸の「夜もすがら検校」を読んで作家を志したことはよく知られている。「夜もすがら検校」を発表したのは1924年である明治が遠く過ぎさり、大衆大正デモクラシー自由への過大な期待から人々が少しずつ醒め始め、もう一度生き方を見直そうしていた時代である

おしん回想シーンだけをみると、浪花節にあふれた、まごうことな股旅であるしかし、おしん物語面白いところは、浪花節陳腐化し、古臭いものになってしまった現代1980年代)と交差している点である

キーワード加賀屋への恩】

並木浩太とおしん最初出会いは、おしん16歳、山形酒田の米問屋加賀屋奉公へ来てから7年が経った頃だ。おしんは、加賀屋の跡取りの長女・八代加代と姉妹同然に育ちながらも、大奥様・八代くにからは、肉親の孫娘・加代よりも商売イロハから茶道裁縫など良家の子女としての教養を徹底的に教え込まれていた。このときにの指導によって身に着けたものの考え方や教養が、のちのおしん人生で役に立つのである。加代はというと、将来は良家から婿をもらって加賀屋をどうせ継がさせられる自分のつまらない運命うんざりしていた。絵画が好きだった加代は、東京で別の”自由”な人生があるのではと夢をみる少女だった。そんな折、農民運動活動家・浩太と出会った。酒田訪問した際、官憲の目を逃れるためにおしんとお加代に助けを求めたのが最初出会いであるおしんとお加代は同時に、浩太に恋心をもってしまう。大正デモクラシー時代だった。インテリかぶれした加代は平塚雷鳥の本を手元におき、人形の家を著したイプセンなどに憧れを抱いていた。当時、大衆のなかで勃興していた人権運動先進的だと中身もわからず憧れていたのである農民運動、カッコいい!加代は浩太の活動ロマンを感じて恋に落ちてしまった。一方、おしんは、土地を持たない小作農民の自立を助けたい、という浩太の純粋な思いに心を打たれていた。おしん小作の娘であった。小林綾子が主演した「おしん少女編」では、おしんの母・ふじが冬の川に下半身を沈めて妊娠中絶を図ったり、小作農民の悲哀がこれでもかというくらい暗く描かれていた。そしておしんは冬の川に入った母の姿をみて、6歳で材木問屋奉公へ行く決心をしたのであるいかだに乗って、母ちゃんと叫ぶ、有名なシーンのアレである

ともあれ、加代とおしんは同時に同じ男性に恋をした。そしておおらかで情熱的な性格の加代は恋心を隠すことができず、おしんに打ち明けていた。そしてやがて加賀屋の跡取り娘でありながら、何もかも捨てて浩太へ会いに東京家出してしまう。しかし、おしんは、奉公先の跡取り娘であるお加代様の恋を大切に思い、自分の思いはそっと封印した。一方の浩太は、東京に出てきた加代の猛烈な求愛を受け止めつつ(東京で加代と同棲までした)、本心最初からおしんが好きだったのである

おしんは加代の家出理由加賀屋に伝えることが忍びなく、おしん加賀屋から暇をもらって帰郷する。帰郷したおしんを待っていたのは、おしん女郎部屋へ売り飛ばそうとする父・作造と口利きの男であった。さら実家で目にしたのは、奉公先の製紙工場の過重労働健康を害し、肺結核で放り出され、今や死を目前にした姉・はるの姿であった。いまわの際に、はるは女衒に騙されそうになっているおしんを救うべく、自分の夢が髪結いになることだったことをおしんに告げ、東京の知人の髪結い師匠長谷川たかの住所を訪ねるように、伝えて息絶えた。

一方、加代は、浩太の心がおしんしか向いていないことを悟り、浩太のいない東京を去り、加賀屋を継いで見合い結婚する。

キーワード日本髪結いのおたかへの恩】

こうして、はる姉ちゃんが叶えなかった夢を託されたおしん東京へ出た。女郎部屋を売り飛ばそうとした父のいる故郷に心を残すものはなかった。髪結い師匠たかは、江戸時代から続く髪結いの昔気質職業観を持った女性だった。一人前になるための6~7年の下積みの苦労は当然であり、弟子には甘えを許さなかった。

しかし、大正という時代は、江戸から明治まで続いてきた日本髪の伝統の衰退期であった。大正浪漫とか大正モダンと言われる時代が到来しており、洋髪が東京流行し始めていた。おしんが修業している3年間の間に大きく時代が変わりつつあったのである

大衆身分から解放され、より自由髪型を求めるようになっていた。髪型をみれば、人妻なのかそうでないのか、はたまた、その人の職業身分がわかる、という時代は終わりつつあった。弟子入りなんてせず洋髪の専門学校をでて、理髪を仕事にする時代がきていた。おしんには洋髪のセンスがあった。たかおしん独立をすすめる。たかはいう。「昔は厳しかったんですよ。6年も7年も修業してやっと一人前になったら、それからまた、お礼奉公をして。10年近くもただ働きをして覚えたもんなんですよ。そんなことは今は通んなくなっちまったけど。やっぱりご時世ってもんですかね」。これは紆余曲折を経ておしんたかの元から独立し、その後、客先で出会った男性・田倉竜三と結婚挨拶たかを訪れたとき言葉である。その時、5人いたたか弟子はついにたった一人だけになっていた。

田倉商店を竜三の妻として支えるようになったおしんであったが、商売は順風ではなかった。おしん夫婦を陰で支えていたのはたかであった。田倉の経営が傾くと、おしんたかを訪れ、髪結いをして夫を支えた。たかもまた、洋髪の時代おしんの才覚を必要としていた。客商売は人の縁、ひととのつながりを大切にすることだと心に刻んだのはこの頃である

一方、田倉商店開店休業状態に陥るほど経営悪化していたが、おしん髪結いで稼いでいたので竜三はプライドを傷つけられ、すっかりおしんが稼ぎ出した金で遊び歩くようになってしまった。師匠たか相談すると別れちまえという。「ダメな男はどこまでいったってダメなんだよ」とすっぱり切り捨てるが、おしんは亭主をダメにしたのは自分だとと気が付いた。夫の更生のために妻の自分は黙って夫についていく姿勢を示すことを決意し、長谷川洋髪をやめることをたかに申し出る。稼ぎ頭のおしんに辞められるのはたかにとってもつらいが、受け入れる。やがて蓄えもつき、明日食べるコメもないどん底におちて初めて竜三は再起を決意する。しばらくは順調に田倉商店再生が進んで、おしん洋裁の才能も手伝って、田倉は子供服店を開店することになった。しかし、その直後、関東大震災おしん夫婦の夢を完膚なきまでに打ち砕いてしまうのである工場火災で焼かれ、絶望した竜三は「佐賀ゆっくり休みたかおしん佐賀はいいとこばい。。。」といって佐賀への帰郷の心を固める。竜三は大地主の三男坊なのである。こうしておしんにとって地獄佐賀編がスタートすることになった。

さて、佐賀に三男の嫁として入ったおしんを待ち構えていたのは、姑による徹底的な虐待だった。数か月もすると、おしん佐賀地獄から脱出を心ひそかに誓い、東京師匠たかのもとに、東京に戻りたいと手紙を書くのであるたかの元にいけば助かる、自分の腕一本で生きていると信じた。必死の決意で脱出し、やっと髪結いを再開しようとするも、さらなる不幸がおしん絶望に突き落とす。佐賀で夫に振るわれた暴力が原因で、右手の神経に麻痺が残ってしまっていた。髪結いを諦めざるを得なくなった。

こうしておしん流転の人生が始まる。屋台出店からまり故郷山形酒田と流れ流れ、ついに浩太の紹介で三重伊勢の魚の行商に落ち着き先を見出すのである佐賀に残った夫といつかは一緒になれると信じて手紙を書き続けるのである

キーワード:浩太の恩】

浩太の実家貴族院議員の父を持つ、太い実家だと先に書いた。しかし、浩太にとって本当のやすらぎのふるさとは、おばの伊勢実家網元のひさの家であった。浩太は、流浪人生を送るおしんを見かねて、伊勢網元をやっているおばのところに下宿し、行商を勧めるのである。これまで米問屋での奉公に始まり、ラシャ問屋子供服洋裁、洋髪・日本髪、農家の嫁地獄酒田の飯屋をやってきたおしんめし加賀屋は加代とおしんが切り盛りし、おしんにとって加代の元気な姿をみた最後の思い出となった。その職業遍歴に今度は魚売りが加わることになった。

伊勢に来て、笑顔を取り戻したおしん。竜三もおしん魚屋をやる決意をしてくれ、おしん人生好転し始めていた。

一方、加代の人生は、暗転した。加賀屋本体が夫の先物取引の失敗で負債を抱え倒産した挙句、夫は自殺してしまう。八代家の両親は過労で衰弱、入院費を工面するために加代は借金のかたに売春宿に沈められてしまう。両親は相次いで亡くなり、生まれたばかりの希望を抱えた加代をみて、おしんは救出を誓うが、借金の額に手が出せなかった。加代は翌日酒を煽って死んでしまった。希望は田倉で引き取ることにし、加賀屋の再興を果たしたい思いから、養子にはせず、八代苗字も変えなかった。

一方、浩太は長く続けてきた農民運動に行き詰っていた。治安維持法により、弾圧が厳しくなり、ついに6年間も投獄され、苛烈拷問の末、転向を迫られた。敗北者となった浩太は、心身の傷をいやすために伊勢のおばのところに帰るのである。すっかり引きこもってしまい、おしんとも口を聞こうとしなかった。やがて、浩太は実家の縁談に応じて、並木家へ婿入りすることになって静かな人生を送るのである。やがて少しずつおしんとも再び心を開くようになるまで十数年を要した。

田倉家では、雄、次男の仁、そして希望がすくすくと育っていった。雄は戦争で亡くなるが、戦後も仁と希望兄弟のように母おしん魚屋を支えていた。大人になった仁が商才を発揮する一方で、希望商売に向いていない自分を見つめ直し、自己実現のために陶芸の道を歩みだす。

屈折10年、陶芸師匠の元で修業した希望がようやく独り立ちできる時期が来た。そのときに、希望のための釜・新居の支援をしたのは浩太である。お加代さんとの縁を思い出してのことである。浩太は、折に触れて田倉家のおしんを見守るように生きていた。おしんセルフサービスの店に挑戦するときも、銀行からの借り入れにあたって、浩太は並木の自宅を抵当にいれてくれたこともあった。

股旅物を取り込んだ現代劇~義理人情は古臭い観念かという現代人への問いか

さて、長いことおしんの半生を振り返ってきたが、一旦冒頭の仁のセリフ1983年の場面)に戻りたい。

仁が17号店の出店を並木商店の近くに計画していることを知っておしんが反対したときのことである初恋のひとに迷惑がかかる?「母さん、みっともないよ。」というのが仁の反応であった。しかし、もし仁が母おしんの半生をもう少し知っていればそんな言い方はなかっただろう。おしんは人の恩に深く支えられて生きてきたのである。田倉スーパーの出発点となったセルフサービスの店にしても浩太の支援があってこそであった。

ここには、自ら築き上げてきたスーパー廃業も辞さなおしんの思いは、長谷川伸の「夜もすがら検校」で大切な琵琶を燃やしてまで恩に報いたい思いと通じるものがある。

ドラマ構成として興味深いのは、おしんの半生を、徹底的に(一年間のドラマの大半部分を費やして)一宿一飯の義理人情で「世話物」的に(つまり当時の生活感覚として)描いておきながら、おしん戦後現代にいたる高度経済成長おしん自身義理人情を忘れてしまたことに気が付く、というメタで重層的な構成であるおしんにしても、商売は食うか食われるかだ、という厳しい姿勢戦後を突っ走り、16号店までたのくらスーパー事業拡大させてきた戦犯なのである。それが今になって17号店は昔に世話になった人に迷惑がかかるから反対、はない。突然反対し始めた母を見た1983年の仁の目からは、義理人情なんて古臭いものだという感覚であり、母の物語は「世話物」ではなく完全に「時代物」なのである。大切なものを置き忘れてしまった気がしたおしん問題17号店開店当日、失踪する。この世話物時代物が交差する、ところもドラマおしんの魅力である

2024-10-12

anond:20241012153659

あああ~~~地主が憎い~~~~~~~~~~~~~

2024-10-07

anond:20241007194925

俺が前住んでた荻窪だと、新しく建つ家は一帯の地主一族の家ばっかりでエグかったわ

2024-10-06

anond:20241005215239

裕福な地主の娘と、貧乏セールスマン結婚した結果、

娘の親は、娘を盗られたと言って娘には生前はビタ一文も渡さず、遺言にすら2人には何も残さないと書いたそうだ。

あなたが気にせず結婚しても、あなた親族が許さないかもしれない。

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