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はてなキーワード: 自然科学とは

2026-05-01

anond:20260430220416

自分AI質問しまくってるけどな

宇宙の話でも自然科学でも工業製品構造の疑問でも何でも答えてくれる

機能uvとpipの違いについてローカルAIに延々と質問してた

炎炎のツッコミに対してめちゃ優しく丁寧に回答してくれる

人間先生を有料で雇ってもここまで丁寧に教えてくれる人は居るのか疑問に思うレベル

anond:20260501012816

ノートPCで動く9BくらいのローカルAIでも完全に先生だわ

パソコンでも自然科学でもGoogleのと大差ないくらいに答えてくれる

アガサ博士小学生説明するように親切丁寧で際限なく優しい

2026-04-20

はいないが、人類誕生必然だったと考えている

はいないので、神は人類を作っていない。

でも宇宙誕生した時点で人類誕生必然だったと考えるようになった。

人類奇跡的な偶然によってたまたままれたという解釈もあるが、「物質の発生→星の誕生→原始細胞誕生人類への進化」という過程物理化学法則に則って起こったのであるからある意味必然だったと言える。

そう考えると「このようにして生きるべき」という人類道徳も、この宇宙誕生時に「自然科学的に」決まっていたとも言える。

その道徳は神が設定したものではなく、客観的法則である

挨拶をした方が人から好かれやすい」みたいな法則である

何が言いたいかというと、もし地球人類以外の知的生命体と出会った場合相手は同じような道徳価値観を持っているのだろうか?という話だ。

宇宙誕生時に「この宇宙法則だと人類はこのようなものになる」ということが決定していたのなら、その知的生命体は人類とある程度似たものであろうし、価値体系も似ているだろう。

それなら分かり合える(少なくとも交渉できる)可能性が高い。

私は神はいないとこの世を定義したのち、どうやって生きるか迷っていた。

しか宇宙誕生時に人類の発生が決まっていたのなら、ある道徳価値観「真実」だとは言わないが、「ある程度決定されたもの」とみなせるのではないか?と考えるようになった。

たとえば人に親切にするべき、という信条は、真実だとは言えないが、「宇宙誕生後、人類が発生したら、ある程度真実だと言える法則である」と言えるのではないか?そんな事を考えている。

2026-04-19

結局文系論理性が重視される世界じゃないんだよ。

間違っていてもそれを証明するツールが無くて、文系しか通用しないロジック類型が数多く罷り通ってる。

やっぱり一度は自然科学を修めて、一見正しそうな自分論理自然現象という文句のつけようないグラウンドトゥルースによって誤謬を明らかにされる経験をしないといけない。

2026-04-04

dorawii@新刊発売(予定)

よほどの天才でないかぎり科学技術根拠を完全に理解するのは難しい。ただ、自分飛行機が飛んで目的地に着いたというのは事実から、その飛行機科学理論によって作られているというのなら、その理論も正しいんだろう、という程度の解像度科学の正しさを判定している人も多い。

数学だって公理に基づく純粋数学なら、そのほかの自然科学根本的に観測というブラックボックスとして振舞うもの内包しているのと違って、完全に明晰にその理屈を追って理解できると原理上はなっているが、実際はかえってほとんどの人にとってはそれ以外の学問以上に理解できるところ少なしのちんぷんかんぷんになるという趣である

完全には技術理解できてない人がその技術を種に商売しているというのなら、仏教理論を修めた寺の僧侶が日々来客の相談に応じて常識的な代金をとるというのも別に経済的にはもとより人としてもなんら間違っていないんじゃないかと思える。

証明できないという部分においては根本的に理解されることを拒むもの、つまり理解されていないことという点では科学と変わず、適切に利用すればなんらかの満足感を与えられることも両者とも変わらない。

dorawiiより


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2026-03-29

[]本が読めなくなりつつある?

僕は元来知識を求めるのが好きで、月に10冊ほどのペースで読み続けている。大学に入ってからずっと記録しているのだが、このペースはほとんど崩れていない。記録の一部は2020年以降カテゴリ[読書]でまとめている(ただし別の方のも記事もある)。御覧の通り、文学自然科学社会学歴史学と、ジャンルにこだわりはない。

だが、ここ数か月、知識を増やすことに対する関心が途絶えてかけている。というか、何か新しい知識を得ることに対してうんざりするような感じが出てきた。閉塞感というか、「これ以上何かを知ってどうするんだ?」という懐疑の念だ。

仕方がないので、昨年の年末からは頭を切り替えるために十代にハマった「指輪物語」の原書を読んでしのいでいた。実際、頭の別の場所を使っている実感があり、非常に楽しかったのだが、読み終わった今でも次の知識をどんどん増やそうという熱意が昔ほど出てこない。アファーマティブ・アクション社会活動についての新書を読もうとしていたのだが、どうもドキドキワクワクしてこない。一応「独学大全」を買って積んであるが、読むかはわからない。

知的読書をしたいと意識をしてから20年以上経過していて、これだけ続いてきた習慣が変わろうとしているのは、自分の身に何か大きな変化が起きようとしている兆候可能性がある。まったく読めなくなるというのは大げさだが、明らかにペースダウンしている。

原因を知りたいため、いくつかの仮説を立てて、それぞれを検討してみたい。

1. 冬なので日照量が足りず、気力が落ちている。

実際に真冬には気力が落ちる体質で、特に日の出時間が遅くなる時期は睡眠時間が延びて布団から出るのに苦労する。弱い季節性感情障害の傾向もある。ただし、読書のもの継続できているので、冬ゆえのデバフがかかっているにせよ意欲の低下の一因でしかないし、仕事ちゃんとできている。というか、春になっても(最初に原因を考え始めたのは真冬だがこれを書いているのは3月読書の意欲は完全回復していない。

2. 中年危機

仕事の内容に変化が少なく、日々を単調に感じている。だから今までの習慣にしがみつくのが嫌になっている。今までの行動パターンと変わったことがしたくなる。実際、土産物を買うために職場近くの駅で和菓子屋を探したときや、会社を早退して美術展に向った時、または食器を買うために乗換駅で下りときは、頭がすっきりしているし、翌日の仕事のやる気は増えている。

これは中年とはあまり関係いかもしれない。ルーチン的な日常が好きな割に、一か月に一度は降りたことがない駅で下りたいという願望が元からある。そんな中、今までの読書という時間をかけてきた趣味ルーチンが相対化され始めており、風穴を開けようとしているか

3.生活環境の変化。

パートナーを見つけて引っ越したが、それの伴うゴタゴタや生活の疲れが数か月遅れで出てきた。実際、結婚や転居はストレス指数が高く、仮説としては十分に有効。ただし、日常的な家事仕事普通にできており、知識欲だけがピンポイントで失われる理由がわからない。

4. 新しい人間関係趣味開拓する時期が来ている。

ただ知識を増やすのはあまり意味がないとうんざりし始めている。多少知りたい分野はまだあるものの、若いころのような焦燥感はない。映画漫画を大量に読みたいとも思えない。

20代30代は、何者でもない自分を守るため、そして混沌として暴力的にも見える世界理解するため、あらゆる知識必死になって吸収しようとしてきた。

今はそこまで鎧で武装しなくても生きていけると実感できるようになった。パートナーがいて、自分生活をきちんと組み立てている。人間関係が良好になってきて、抽象的な知識よりも生きた人間のほうが面白くなってきている。

社会不正義に対する感覚も、恐怖や怒りから人間の弱さへの共感に変わってきた気がする。

5. 自覚の全くないうつ病兆候

かに趣味に対する関心の消失うつ病の主要な症状だが、仕事生活ができない状態ではないし、かなりのエネルギーを使う英語の読解はできている。メンタル調子モニタリングするのは大事だが、可能性としては高くない。

6. 読書に求めるものが変わった。

徒に知識を集めるだけではなく、昔読んだものを振り返り、より深く読解したくなっているのだろうか。それこそ若いうちには気づかなかった暗示や、知識が不足していた頃には知りえなかった作者の意図がわかるようになる。これは実際に「指輪物語」の原文を読んで感じたことだ。母語でない言語で読むことでペースが強制的に落とされ、精読を強いられる(余談だが、面白いことに、英語で長文を読んだ後、日本語小説を読むことを考えると、いくばくか気が重くなった)。

人生後半戦、再読を中心に行うことになるだろうか。ただ、「ノスタルジーに浸っているだけってどうなのか」とは思う。だが、再読だけに浸ることもないだろう。ドストエフスキーのように感情を揺さぶものを好む度合いは減っている。

音楽趣味にしたって、最新の曲には全然心動かされず、クラシックオペラアリア、僕が生まれる前のロック保守的である。そう、歌詞のない(または理解できない言語の)音楽は、言語疲れた僕を癒してくれる。あるいは、幼い頃の思い出と結びついた言語情報は、感情の層に素直に届く(幼少のころ英国に住んでいたのだ)。

「脳の言語と異なるエリアを使いたい」というのは芸術でもそうで、相対的言語化が容易なタイプ現代アートマグリットのような言語実験よりは、異質な文化の未知の造形や、インスタレーションのように空間演出するタイプ作品に関心が向かっている。

7. 全く異なった脳の領域を使いたいと無意識に思っている。

ドイツ語をやって、昔読んだ児童書を原文で読みたくなっている。

このドイツ語に関してだが、やってみて今のところ調子がいい。実は今年の目標は①「指輪物語」の原文読破、②ドイツ語の開始だった。①は成功したので②を3月15日(日)から始めているのだが、久しぶりに暗記の勉強をしていると、明確な目標が与えられた気がしてとても気持ちがいい。

それに、大学時代に1年間だけ学習したため、文法は少々覚えている。なので、単語帳と例文を照らし合わせて読解するときも、調べる量が少なくて済む。まだ初歩の初歩だからかもしれないが楽しい。昼休み小説を読むよりも、単語帳に定冠詞複数形を書き込んでいるほうが生き生きしている。自由時間をずっと読書にあてるという行動に変化が起きているので楽しんでいる面もあるだろう。

知識を増やすことそのものに対する忌避は、ドイツ語をやっている時には出てこない。あとは未知の都市を歩くことに憧れがあり、春か夏に行こうと持っている場所ガイドブックも読めている。知識というよりもデータベースに近いからかも。つまり書籍でいろんな知識を学ぶときのように、直接人間が出てこないので、感情を動かさなくて済む。逆に言えば、こういう単純な知識記憶するときは、哲学社会学のように新しい概念を頭に入れる必要がない。それを面倒くさがっている面もあるだろう。

(そういう意味では自分資産管理方法医療保険についてもちゃん勉強したいのだが、実利と程遠いことのほうがやる気が出るのはなぜだろう?)

続きはトラバに。

2026-03-27

anond:20260327173903

大学院では科学哲学なんて学ぶカリキュラムの余裕はないし、広く自然科学を学んだ人ではなくて、医師から転向して2、3年実験しただけの人が「オレは生化学者だ」などと言い出して、しかもその手の人はロジックによる実証主義者のことが多いしで、モデル化できる現象のみが生物学だと思ってるからね。

実証的な態度は大事だけど、証明するまで信じないという論理実証主義があまり行きすぎると、くだらない仮説の反証認知コストを費やすことになって、実に不合理。

2026-03-10

日本文系理系も)が終わっているところ

日本では文系知識人というのは「これからは◯◯だ」「◯◯はもう終わり」と週刊誌キャンペーンを張って予言者ぶるタイミングを競っているだけの穀潰しにすぎないが(東浩紀平野啓一郎など)、最近は「理系」(自称…と言いたいが、実際学位を持っていても)もそんな程度の奴ばかりが台頭するようになってしまった。

その際たるが、そう、チーズみらい系AI驚き屋の類いである。

 

理系」が発見発明もせず、業界通ぶるゴシップ論壇で名を競い合っている時点で国の衰退を物語っているようなものだが、それを客観的に感じ取ることすらもはや誰もできないくら日本という文明は終わっている。

 

日本欧米にも中韓にもまったく太刀打ちができない低文明国になったのは、要するにこれだけのことである

自然科学すら文学ゴシップ)にしてしま純文学信仰

純文学こそ日本宗教である

2026-03-06

「クソデカ主語警察」が心の底から嫌いという話

クソデカ主語警察とは

Twitter(現X)には「クソデカ主語警察」なる存在がいる。クソデカ主語警察というのは何かというと、ある文章主語が指す集合が大きい場合にどこからともなく湧き出てきて「主語がクソデカですよw」などのリプを残していく存在である。そして、このリプには「主語がクソデカですよ(なので、あなた発言は間違っていますよ)」という含意がある。例えば、「女性は〜なとき暴力的である」といったツイート炎上していると、決まってリプ欄(あるいは引用欄)には、こういったクソデカ主語警察が湧いて出てきて、毎度のごとく論破芸を披露してくれるのだ。

そして、私はこのクソデカ主語警察が本当に嫌いだし、この世から消えて欲しいとさえ思っている。正直、台所の隙間から這い出てくる黒い虫よりも嫌いだ。見た瞬間に全身の毛が逆立つレベル。ただ、誤解のないように予め述べておくと、私自身はこうした主語の大きい発言をすることはほとんどない(ではどういうときにするか、ということは後述する)。むしろ、「女性は〜である」のような、ジェンダーバイアスを明確に再生産する言説が蔓延っている現状には、正直かなり辟易しているし、こうした不健全な状況は是正していくべきだとさえ思っている。にもかかわらず、では何故そんな私がクソデカ主語警察が嫌いなのか。

クソデカ主語警察が嫌いな理由を先に述べておくと、まったく問題本質を捉えられていないくせに、紋切り型の指摘を繰り返して、問題所在不明確にするからである。このことについて以下で詳細に述べる。

クソデカ主語警察の何が問題

クソデカ主語警察害悪であることを話す前に、そもそもクソデカ構文とは何かについて確認しておこう。

クソデカ構文には当然ながらアカデミック定義存在しないので、ここではさしあたり「主語がある属性を指す文」としておく。この定義にも異論はあるだろうが、暫定的定義なので一旦受け入れてほしい。例えば「リンゴは赤い」とか「インターネットはクソ」とか「日本オワコン」とか、そういう文のことだ。

さて、我々は実はこうしたクソデカ構文というもの日常的に用いている。例えば「リンゴは赤い」という文章は、日常的な文脈使用される場面が想像できるだろう。友達と会話をしているとき相手が「リンゴは赤い」と言ったとして、我々は別に何の問題もなくそれを受け入れるはずだ。逆にそこで「いやいや、主語がでかいですよw青いリンゴもありますからw」などと言おうものなら、LINEブロックされ、あなたの表示名は「クソデカ主語警察」に変更され、そしてあなただけのいないLINEグループで一生そのことをいじられ続けるだろう。

これは何故だろうか? つまり、何故クソデカ構文に対して「それは違う。◯◯なものもある」という反論妥当ではない場合があるのだろうか。これに回答するためには、そもそもクソデカ構文という文章がどういう性質のものかを明らかにしておく必要がある。小々専門的な話題になり恐縮だが、「◯◯は〜〜である」という形式文章は、「すべての◯◯は〜〜である」という全称命題解釈と、「◯◯は典型的には〜〜である」という総称文の2通りの解釈があり得る。前者の典型的な例は数学命題だろう。例えば「2以上の素数奇数である」という文章は通常「2以上のすべての素数」として読まれる。後者典型的な例は統計的文章だが、性質を表す日常的な文にも見られる。例えば「犬は吠える」という文章は通常「犬は典型的には吠えるという性質をもっている」として読まれる。そして、全称命題総称文の両者には、ある重大な違いがある。それは、全称命題解釈場合には反例が一つでも見つかれば元の文が誤っていると言うことができるが、後者場合にはそうではない、ということだ。「2以上の素数」かつ「奇数ではないもの」はもしもあったとしたら、先ほどの数学命題は一気に誤りになる。他方、「犬」かつ「吠えない」ような存在がいたとしても(そして実際にいるのだが)、そのことは「犬は吠える」という総称文をただちに誤りにはしない。これは「犬は吠える」という文章意味するところが、「典型的な犬」についてに文だからであり、根本的に例外を認めているからだからだ。先ほどの「リンゴは赤い」の例で言えば、この文は「典型的にはリンゴは赤い」という意味であって、青いリンゴのような存在は初めから想定しているのである。クソデカ主語警察は、このような総称文を勝手全称命題に都合良く読み替えることで、いわば藁人形を叩いているのである

おそらく、クソデカ主語警察からは「全称命題であるかのように話すのが悪い」といった反論が飛んでくるだろう。これにも反論しておく。我々がコミュニケーションを行う際には、我々は通常「必要な量の情報だけを話す」という量の格率に従っている。これは円滑なコミュニケーションのために我々が従っているルールのうちの一つとされている。クソデカ主語警察検閲に引っかからないように発話をしようとすると「​私がこれまでに観測した範囲内、かつ統計的有意と思われるデータ、および社会通念上の傾向を鑑みると、リンゴのうちかなりの割合リンゴが、赤い傾向があると言えるかもしれない(※ただし青いリンゴ存在する)」となるが、これでは円滑なコミュニケーションは成立しない。むしろ我々は、「リンゴは赤い」という文章全称命題解釈するとすぐに不整合が生じるという事実と、発話者が量の格率に従っているという前提に基づき、発話者総称文を意図しているというチャリティを発揮して、コミュニケーションを行っているはずだ。

つまるところ、クソデカ主語警察というのは、総称文を勝手全称命題に取り違えるカテゴリーミステイクを犯している上、そのミステイクに気づかずに「自分コミュニケーションができません」と大声で宣伝する、非常に恥ずかしい行為なのである

クソデカ構文の本当の問題

さて、ということでクソデカ主語警察が実はコミュニケーション原則をまったく理解できておらず、それ故、紋切り型コピー・アンド・ペーストすればお手軽に相手論破できると思っているだけの単なる凡愚であることは明らかになったわけだが、クソデカ構文がまったく問題がないというわけではない。むしろ、ここからが本当に自分の言いたいことになる。

クソデカ構文というのは本質的に問題含みのものであって、それ故、慎重に使わなくてはならないことは事実だと思う。たしかに、主語デカいことによって必然的問題が生じるわけではない。例えば「2以上の素数はすべて奇数である」という文章主語の指す集合は無限であり、考え得る限りほぼ最大のクソデカ主語(とは言え高々加算ではあるの)だが、普通にである。だから主語デカいことそれ自体一般問題にはならない。しかし、世の中には問題になるクソデカ構文というものはたしか存在している。それは大きく分けて2種類あり、①そもそも事実とは異なるクソデカ構文②仮に事実だとしても望ましくないクソデカ構文、である

まず1つ目について。クソデカ構文には、単純に事実誤認になっているケースがある。そうしたクソデカ構文の典型例を挙げると「B型自己中心的である」のようなものがそうだろう。もはや常識となっていると思うが、血液型とその人間性格にはまったく関係はない。こういった血液型診断は事実とはまったく異なるデタラメであるので、完全に間違えている。ただし、注意が必要なのは血液型診断が誤っているのは、主語がクソデカから「ではない」ということである。こうした疑似科学が誤っている根本的な理由主語デカさではなく、科学的な根拠の無さに由来している。他にも「若者は本を読まない」といった例も考えられる。統計的には不読率は全世代を通して年々減少傾向にあるし、むしろ学校読書教育を考えれば若者の方が読んでいる可能性すらある。

しかし、仮に事実だとしても問題のあるクソデカ構文というもの存在するし、これこそが一番の問題だと思う。それが問題となるクソデカ構文の2種類目「仮に事実だとしても問題のあるクソデカ構文」である統計的事実マジョリティ傾向)が仮に含まれていたとしても、それをクソデカ主語で語ることが社会的な害悪を引き起こすことはある。例えば、「低学歴犯罪を犯しやすい」という事実が仮にあったとしよう。強調しておくが、これは仮の話であり、そういった事実が実際にあるかは知らない。あくまで「もし事実だとしたら」という体で話を進める。つまり低学歴典型的には犯罪者予備軍の性質がある」という総称文を確証する統計的相関が仮にあったとしよう。そうだとしても、このクソデカ構文には問題存在する。それは、「統計的相関」と「属性への本質化」のすり替えである。「低学歴ほど犯罪を犯す傾向がある」という事実は、「低学歴から犯罪を犯す」という因果関係説明にはならない。例えば「貧困」や「劣悪な成育環境」といった第3の変数教育機会を奪い、それが同時に犯罪への原因にもなっている可能性は十分にある。このとき、もしこの言説の問題点が「主語デカいこと」にあると主張してしまうと、「学歴の低さそのもの犯罪を誘発する性質がある」という本質主義的な前提を暗に認めることになってしまう。そうではなく、本当の問題は「低学歴」と「犯罪率」には相関はあるが因果はない、ということのはずだ。「アイスの売り上げが増えると溺死者が増える」という相関データからアイス溺死を招く悪魔の食い物だ」と騒ぐ馬鹿がいたとして、そいつに対して「主語がでかいから間違ったことを言っている」などと、もっと馬鹿なことを言う必要なんかないのだ。

そして、第2種のクソデカ構文が余計に問題なのは、それが差別助長するからに他ならない。例えば先ほどの統計的相関に従って、「低学歴=危ない」という言説が流布すれば、おそらく企業採用担当はは低学歴雇用を控え、周囲は低学歴偏見の目を向けるだろう。その結果、彼らは正当な労働から不当に排除され、生活のために余計に犯罪に手を染めるしかなくなる。これは少し誇張して書いてはいるが、好ましくない事実自体が、その事実さら悪化させる機能果たしてしまうこと自体は往々にしてある。

この記事を読んでいるあなた高等教育特に自然科学)を受けた経験があるとしたら、おそらくこの論点は受け入れにくいかもしれない。つまり科学的な事実事実であって、社会的な価値とは無関係だ、という科学価値自由性を引き合いに出されるかもしれない。しかし「事実から言っても構わない」という態度は、自分が石を投げて相手を転ばせておいて「ほら、あいつは転びやすいという事実は正しいだろ」と言い張るようなものであって、それは事実公表に伴う社会的影響をあまりにも軽視しすぎていると思う。

クソデカ主語警察は何故ゴミ

話を戻そう。では結局、何故クソデカ主語警察インターネットに漂うゴミなのか、一言で言えば、それはクソデカ主語警察自身が、彼らが批判している奴らの「共犯者」になってしまっているからだ。以上で確認したように、問題のあるクソデカ構文には大きく分けて2つの類型がある。そして、それぞれが問題である理由は異なっており、発言ごとに核となる部分を潰していかなくてはならない。にもかかわらず、クソデカ主語警察の指摘は、批判相手問題含みの前提は基本的にすべて無視している。 本来ならば「その相関は教育格差や貧困という社会問題の結果であり、属性のせいにするのは筋違いだ」と論理的欠陥を指摘するか、あるいは「その発言差別助長するヘイトだ」と倫理的視点から叩くべき場面であるにもかかわらず、だ。結局、クソデカ主語デカ警察は、差別発言の内容には目もくれず、発言形式だけをたしなめることで、本来問題点そのものを温存する共犯者に成り下がってしまっている。彼らの「主語がクソデカですよw」などという空っぽの指摘は、問題を本当に解決したい側からすれば、救いでも何でもない、ただのノイズしかない。

さいごに

ここまでクソデカ主語警察が何故害悪かを、かなり憎悪混じりで書いたが、もしもあなたが今現在クソデカ主語警察であって、あなたがリプを送りつけようとしているツイートの内容が本当に問題だと思っているのだとしたら、これからは「主語がクソデカですよw」などというクソリプを送りつけて悦に入るのをやめることを強くオススメする。差別助長するようなツイートに強く反発し、憤りを覚えるという点では私はあなたを強く支持する。しかし、それを表明するために「主語がクソデカですよw」などという薄っぺらな借り物の言葉脳死で使えば、むしろ相手の主張を助長することになる。もし本当に、クソデカ主語警察あなた良心があるなら、ちゃんと何が問題なのかを一つ一つ見極めてほしい。我々の社会に本当に必要なのは盲目警察ではなく、不条理に立ち向かう勇気と理性なのだから

2026-02-28

トマト野菜果物ではない

トマト果物(fruit)か野菜(vegetable)かという議論は、しばしば法的、文化的、または科学的な視点に基づいています特に、エンゲルハルト(Engelhardt)の議論に基づく視点説明するためには、彼がどのように「果物」と「野菜」の定義を扱ったか理解することが重要です。

エンゲルハルトの立場

エンゲルハルト(Engelhardt)は、物事の分類が単に自然科学的な事実に基づくだけでなく、社会的文化的な背景にも大きく影響を受けることを指摘しています。彼は「果物」と「野菜」の区別が必ずしも一貫しているわけではないことを認識しており、これが日常的な使い方や法的な分類にどのように影響を与えるかを探っています

具体的には、エンゲルハルトは、植物学的な定義一般的な使われ方とのズレを指摘しています科学的には、トマト果物です。植物学的には、果物は「植物の花から発生した成熟した卵巣であり、種子を含む部分」を指します。トマトはこの定義合致します。しかし、一般的食文化や法的な枠組みでは、トマトはしばしば「野菜」と見なされます。これは、トマト料理で使われる方法サラダソースなど)に起因する分類です。

トマトの分類

植物学観点: トマトは、花から成長する果実であり、その中に種子を含んでいるため、果物として分類されます。これは、エンゲルハルトが指摘した「物事の分類が必ずしも直感的なものではない」という考えに合致します。科学的にはトマト果物です。

• 法的観点: アメリカ合衆国の「Nix v. Hedden」(1893年)の判例では、トマト関税法に基づいて「野菜」として分類されたことがあります。この判決は、食品料理でどのように使われるかによって分類されるという社会的基準に基づいています。エンゲルハルトの観点から見ると、これは社会的文脈依存する分類の一例と言えるでしょう。

結論

エンゲルハルトの議論を踏まえると、トマト科学的には果物であるが、社会的・法的な文脈では野菜として扱われることがあると理解できます。このように、物事の分類は文化的、法的、そして科学的な枠組みの違いによって大きく異なることを示しており、トマトの例はその良い証拠です。

2026-02-09

おまえらが言ってる「正しさ」を証明してるのがおまえらなんだからトートロジーになっていて何の担保にもなってないんだよな

やはり「正しさ」を証明を出きるのは自然科学のみ

2026-02-06

anond:20260206230239

少数でも自称学者権威主義蔓延っているのが左翼界隈だからなあ

社会学者自然科学分野の専門家よりでかい顔してるのが左翼界隈

anond:20260206081225

宇宙それ自体無限に生まれては消滅を繰り返していて、

たまたま宇宙定数やヒッグス真空期待値がいい感じだった、この宇宙が今の宇宙

から自然科学法則は偶然そうなっただけ。

自然科学法則はどうやって決まったの?

ここが分からん

宇宙が生まれた時点で決まってたってこと?

じゃあ宇宙が生まれた時、どうやってこれらの法則が決まってたんだろう?

AIの回答

結論から言うと、**「宇宙誕生の超短時間ビッグバン直後)に、今の形に固まった」**というのが現代科学の主流の考え方です。

しかし、**「なぜその数値になったのか?(誰がサイコロを振ったのか?)」**については、まだ誰も決定的な証拠を掴めていません


やっぱりよく分かってないみたい。

ここが分からないとなんか納得いかない。

わかったからといって何も変わらないかもしれないけど。

みんなはどう思う?

2026-01-28

anond:20260127205647

ふとした疑問を質問してる。

「なぜこうなっているんだろう?」「これの由来はなんだろう?」「どういうしくみなんだろう?」みたいな、知的好奇心から来る素朴な疑問が大半。自分自然科学系の質問が多いかな。

答えを見る限りわかりやすいし、必要な時は情報ソースも示してくれる。

自分複数情報ソースにあたって調査するよりもずっと速いし楽。ウィキペの使い方に近い。

かに日常では、料理レシピ

冷蔵庫にコレとコレがあります。手軽に作れる料理を教えて」みたいに聞くと複数の案を出してくれるし、調理法ポイント説明も丁寧でわかりやすい。自分料理経験がとぼしいので助かってる。

それらとは別にプログラミング補助(仕事趣味も)。

ヴァイブコーディングとも言うけど、指示を出してコードを書いてもらったり、自分が書いたコードのチェックをしてもらったり。

つってもチャット聞いたりエディタ付属アシスタントをそのまま使ってるだけなので基本的には無料範囲

それでも生産性で言うと1020倍くらいにはなってるし品質も上がってる。

込み入ったことをじっくりやらせたい時だけ一時的課金してる。

2026-01-14

世の中の「自称論理的な人」ってたいてい自分公理正当性についてはあまり深く考えてないよな。

原因はおそらく情報における正当性意味を把握していないからで、文系ありがちなやつ。

まり理系公理と人文系公理を同じ位置に置いてるっていうか、前提の正しさを自然科学的に考えがちよね。

から度数理系論文を書いてみるといいかも?

2026-01-10

anond:20260109184703

提示いただいたはてなブックマークコメント群は、記事テーマであるミソジニー女性蔑視女性嫌悪)」に対する、典型的な反応のサンプルとして非常に興味深いものです。

記事自体が「構造差別」や「感情のあり方」を扱っているため、コメント自体がその実証の場となっている側面が見受けられます

以下に、記事定義されているようなミソジニー的な態度、あるいはミソジニーを維持・強化する構造を含んでいると考えられるコメント分析・分類しました。

1. 「物言う女性」への攻撃トーン・ポリシング

記事内の「『物言う女性』に対し、言葉暴力排除制裁する」という指摘にそのまま合致するコメントです。フェミニズム女性の権利主張を「正義に酔った暴走」とみなして攻撃する態度は、ミソジニー典型的な発露(既存の秩序を乱す女性への懲罰)と分析できます

gkdjgmcnvirgj 「ほとんどの人はツイフェミみたいなイカレタ女が嫌いなだけだと思う 正義に酔って自分は偉いと勘違いしたバカ進歩思想本来目的台無しにしていることがsns可視化された結果嫌悪が強まった」

分析: 「イカレタ女」「バカ」といった侮蔑的言葉を用い、女性の主張の内容ではなく、その態度や存在自体攻撃しています。これは「弁えた(わきまえた)態度をとらない女性は叩いてもよい」という心理の表れと言えます

2. 女性の「人格」と「身体」の分離(性的客体化)

女性を一人の人間としてではなく、性的資源としてのみ価値を認め、人格否定するという態度は、ミソジニーの根幹にある「客体化」です。

gebonasu30km 「ケンドー・コバヤシの『女は嫌いだが女体は好き』という至言を思い出す。」

分析: この発言を「至言(素晴らしい言葉)」として肯定的引用している点に、女性を対等な人格を持つ他者として認めたくない、しか性的には利用したいという歪んだ欲望聖女娼婦の分離、あるいは人格無視)が見て取れます

3. 被害者性の強調と「逆差別」論(マノスフィア的言説)

女性差別について語る場で、「男性こそが被害者である」「女性優遇されている」と主張し、議論無効化しようとする動きです。これらは「インセル」や「弱者男性論」の文脈で語られることが多く、構造差別否定するための防衛機制として機能します。

Seitekisyoujyo 「単純に性別で割引が受けられるか否か、入試優遇がされるか否かの形式的差別が横行し、データからでも男性の不遇さが明るみに出ているのに、この差別的状況に対する不満を言う男性の口を塞ごうとする醜悪騎士言説」
kiiroiinko 「そりゃミサンドリーフェミという言葉で甘やかしたのだからしょうがない。」

分析: 女性差別の解消を目指す動きを「男性への攻撃」と解釈し、敵対心を露わにしています。これは記事にある「剥奪感」によるミソジニーの増幅の実例と言えます

4. 概念矮小化無効化

ミソジニーという概念のものを「レッテル貼り」や「カルト」として処理し、その背後にある社会構造問題から目を逸らそうとする態度です。

timoni 「カルト宗教教義についての解説ですね。あたか学問のような顔をしている。そもそも女性を『嫌悪』することが問題視されること自体おかしい。嫌悪自由だ。制度差別殺人問題視せよ。」
zbun6ugf9t 「フェミから見て気に食わない男達の総称として使われているイメージ。」

分析: 「嫌悪自由」と個人感情問題すり替えることで、その嫌悪社会構造と結びついて差別再生産している事実記事主題)を無視しています

5. 話題すり替え(Whataboutism)

ミサンドリー男性嫌悪)はどうなんだ」と繰り返すことで、ミソジニー議論妨害する行為です。これも広い意味で、女性問題を軽視するミソジニー的態度の一種と捉えられます

OeThousandmiles 「ミソジニー前後編で詳しく解説する一方、ミサンドリーミソジニーの関連用語として極短い説明がなされているだけ。(中略)男性学が女性学の付録しかない状況と相似している。」

分析: 記事ミソジニー主題にしているにもかかわらず、男性への配慮が足りないと批判することで、女性差別議論の重みを相対化しようとしています

まとめ

コメント欄全体を見ると、「ミソジニーという言葉男性攻撃されている」と感じて防衛的・攻撃的になる男性と、「まさに記事に書かれている通りのことがコメント欄で起きている」と冷ややかに観察する人々(nina19, funifunix, yourmirror など)にはっきりと分断されていることがわかります

また、u_eichi氏が言及している「ピラミッド図」はおそらく「暴力ピラミッドPyramid of Hate/Violence)」のことだと思われます

この図は、底辺にある「偏見による態度(ジョークステレオタイプ)」が、頂点の「物理暴力」を支えていることを示すものですが、これを「幾何学的に非論理的」と批判することで、本質的な「差別構造」の議論拒否している点も興味深い反応です。

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ミソジニー女性嫌悪)の有無という「ジェンダー論的な視点」を一旦脇に置き、コメント投稿者たちの心理機序社会経済的背景、あるいはネット文化的な側面から分析します。

こうして見ると、単なる「差別意識」だけではなく、**「公平性への渇望」「経済的閉塞感」「コミュニケーションの断絶」**といった複数の要因が絡み合っていることが浮き彫りになります

1. 「対称性への希求」と「公平世界仮説」

多くのコメントに見られるのが、「ミソジニー女性嫌悪)があるなら、ミサンドリー男性嫌悪)も同じ重みで論じられるべきだ」という対称性への強いこだわりです。

コメント例: replier, ken530000, timetrain, OeThousandmiles

分析:

社会学では「差別には権力勾配(強者から弱者へ)がある」と考えますが、一般感覚直感的な正義感)では「どっちもどっち」「悪口双方向で悪い」という対等な対称性を求めがちです。

記事が「女性差別」に焦点を絞っていることに対し、「片手落ちである」「不公平だ」と感じる心理は、差別をしたいというよりは、「自分の苦しみも同じように認めてほしい」という承認欲求や、世界は公平であるべきだという「公平世界仮説」に基づいている可能性があります

2. 「弱者男性論」と社会経済的剥奪

「男だから偉い」と思っているのではなく、むしろ**「男なのに何の特権もなく、社会底辺で苦しんでいる」**という自己認識を持つ層からの悲痛な叫びです。

コメント例:

naka_dekoboko: 「いまの社会で弱男にゆるされたのってけっきょく憎悪だけ…憎悪けがエンパワーして力をくれる」

gun_kata: 「実際にキャリアを奪われた若年男性に対してもお決まりの『新自由主義こそが真の敵』みたいな何の意味もないお題目

分析:

これはミソジニーというよりも、**新自由主義経済下における「持たざる者」のルサンチマン怨恨)**の表出です。

男性特権」という言葉を投げかけられても、自身貧困孤独という現実乖離しているため、フェミニズムを「既得権益層(あるいは勝ち組女性)による弱者いじめ」として認識し、反発しています特にnaka_dekoboko氏の「憎悪けがエンパワーする」という指摘は、孤独現代人の深刻な病理を鋭く突いています

3. 「理系論理的思考」と「社会学的アプローチ」の衝突

記事提示された図表や論理展開に対し、定義整合性の甘さを指摘して拒絶する反応です。

コメント例:

u_eichi: 「頂点の角が鋭角だったり鈍角だったり…正三角形底辺短=相似で頂点下がるとか、非論理

golotan: 「アドラー心理学とか精神分析的な言ったもの勝ち感…客観的エビデンスを欠きジャーゴンの羅列になってしまいがち」

分析:

これは**「認識論の衝突」**です。社会学や人文知的な「概念モデルメタファーとしての図)」に対し、厳密な定義定量的エビデンス幾何学的な整合性を重んじるエンジニアリング的・自然科学的な思考様式を持つ人々が、生理的拒否反応を示しています

彼らにとって記事は「非論理的」に見えるため、内容の正誤以前に「信頼に値しない」と判定されています

4. 言葉遊びによる「心理距離化」と「ネタ消費」

ミソジニー」という聞き慣れないカタカナ語に対し、わざとダジャレで返すことで、話題の深刻さを無効化あるいは回避しようとする反応です。

コメント例: zzteralin (miso=憎しみ), nande_nande_boy (三十路おっさん), tym1101, asada1979

分析:

はてなブックマーク特有の「大喜利文化」の一種ですが、心理学的には**「茶化し(ユーモア)」による防衛機制**とも取れます

自分にとって耳の痛い話や、理解範疇を超える難解な話を、「三十路(ミソジ)」という卑近単語に変換することで、自分とは関係のない「ネタ」として処理し、心理的な負担を軽減しています

5. メディア論としての「イミダス生存確認

記事の内容そのものよりも、掲載媒体に注目する層です。

コメント例: qdkmqJut, trashcan, ET777

分析:

imidas』が集英社の分厚い用語辞典として有名だった時代を知る世代(おそらく30代後半〜50代)が多く含まれていることが推測できます

「まだあそこが生きていたのか」という驚きが先に立ち、記事の中身は二の次になっています。これはネット古参ユーザー特有コンテキスト依存の反応です。

総合的な分析まとめ

このコメント欄は、単なる「男女対立」の場ではなく、以下のような現代日本の断層可視化された場であると言えます

エリート概念を操る側) vs 大衆生活実感を持つ側): 「構造」や「ミソジニー」といった抽象概念で語る記事と、「俺たちは今辛いんだ」という具体的な生活実感を持つ読者の乖離

文系解釈的) vs 理系実証的): 社会的な「正しさ」の語り口に対する、論理的科学整合性を求める層の苛立ち。

被害者性の奪い合い: 「女性こそが被害者」という記事の前提に対し、「いや、現代では男性特に弱者男性)こそが被害者だ」と主張する層の対抗。

これらを踏まえると、コメント欄の混乱は、**「共通言語喪失」と「余裕のなさ」**によって引き起こされていると言えそうです。

2025-12-02

東大生仕事で使えない理由

よく言われてるけど、東大入試って課題解決能力としては抜群に難しいんだけど

課題発見能力の見極めには全然使えないんだよね

問題を与えられたら抜群に解けるんだけど、そもそも問題を見つけてくることができない

作業員必要なのは前者の課題解決能力なんだけど、ビジネス必要なのは課題発見能力なのよ

そんで東大に限らず大学の中でも課題発見能力は頑張って教育してて

自然科学の中で何が課題か、みたいなことをやって論文書いて社会に出てくるんだけど

ビジネス相手にするのはほとんど人間自然科学であることは少ないわけ

本当に一部の研究開発とかでは自然科学相手になるんだけど

今や技術が進みすぎて技術分野であっても1人で解くより集団で解く方が圧倒的に強くなってしまって

結果的には仕事必要になるのは対人関係ばっかなんだよ

から対人関係における課題発見能力が求められるんだけど、そんなの教えてる学校は無いからみんな経験でどうにかしてる

こういう事情があるからJTCとかは「コミュニケーション能力だ!」とか言ってるんだけど

そもそも課題解決能力がないのにコミュニケーション能力だけあっても解決できない課題を量産するだけでクソの役にも立ってない

まぁ最近東大生は基本的実家が太くてこの辺のコミュニケーションもしっかりできるから

残念ながら仕事ができるやつが凄く多いけどね

2025-11-22

自然科学の基礎は反証されない限り揺るがないが、社会学はいくらでも揺らぐので基礎とかいものがほんとに存在してるのか?

2025-11-21

自然科学公理として議論をした方が建設的じゃない?っていう話が話題になってるけど、

そもそも人間自体非線形なんだよなぁ

2025-11-14

石油が尽きるより経済が恐ろしく感じた

子供の頃から石油が無くなるのでは」と漠然と考えていた。

そういうことをChatGPTに聞くべきだと思い、聞いてみた。すると、

石油が無くなるよりも、高価になって使われなくなる」方が先に起きる可能性が高いという。

そう考えると「経済ってヤバいな」と。

自分ガソリン車に乗っているのも、ガソリンを燃やすのが好きなのではなく、便利で他の車種より安いからだ。これがEVが普及してスタンドも整備されたら乗り換えるかもしれない。

環境問題も人の行動も経済という力?仕組み?が作用している。

人類はかつて氷河期を乗り越えてきた。その後も様々な問題を乗り越え今に至る。

だとすると、石油エネルギー問題もまた乗り越えるんだろうなと希望が持てる。

ただ新たに、経済という価値のやり取りが恐ろしく感じた。

何でも価値として換算してしまう力が恐ろしい。

以下チャットコピペ

結論から言うと、「石油が100年以内に“完全に枯渇する”可能性はかなり低いですが、

“今のように安く豊富に使える状態が続く”とは限らない、というのが現在科学的・経済的な見方です。

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■ なぜ「完全枯渇」は起きにくいのか

石油は以下の理由で、理論上はすぐには尽きません。

● ① 採れる場所可採埋蔵量)が常に増え続けてきた

技術が発達すると、

「昔は採れなかった場所や深さ」

コスト的に採算が取れなかった油田

から石油を回収できるようになります

→ その結果、埋蔵量はむしろ増えることがある現象が続いています

---

● ② 「経済的に採れる石油」が変動する

石油存在量そのものより、

採掘コストより高く売れるかどうか” が重要

  • 原油価格が高ければ → 採算が取れる油田が増えて“埋蔵量が増える”

  • 原油価格が低ければ → 採算が取れない油田が減り“埋蔵量が減る”

石油の“埋蔵量”は自然科学というより、

経済技術関数になっています

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● ③ シェール革命などで供給源が増えた

2000年代以降、アメリカシェールオイル大量生産できるようになり、

石油ピーク説(ピークオイル)”は大幅に後ろ倒しになりました。

---

■ では、100年後も今と同じように使えるのか?

これは NO になる可能性が高いです。

理由

まり

■ 枯渇ではなく「高価になって使われなくなる」方が先に起きやす

という見方が最も一般的です。

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科学者・エネルギー機関予測のまとめ
予測者 / 機関結論
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IEA国際エネルギー機関需要2050年以降減るが、完全枯渇は見えない」
BP Energy Outlook技術進歩により埋蔵量は長期的に維持される」
多くの地質学採掘コスト上昇が先に来る“経済的枯渇”が本質
科学的・経済的には、

“100年以内の完全枯渇”はほぼ起きない

“100年以内に安く大量に使える時代は終わる”可能性は高い

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もっと簡単にまとめると

石油が“安く”使えなくなったとき、何が代わりになるか?」

—これはすでに世界中で議論されており、用途ごとに代替候補が違うのがポイントです。

用途別にもっと現実的代替エネルギーを分かりやすくまとめます

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■ 1. 発電の代替

電気をつくる用途石油依存がもともと小さく、代替豊富です。

第一候補再生可能エネルギー太陽光・風力)

  • 国によっては太陽光発電が最安の電源(日本以外では多数)

○ 補助候補原子力(小型モジュール炉SMRなど)

△ 補助:地熱・水力・バイオマス
  • 地域制約が大きいが、長期的には安定

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■ 2. 自動車輸送)の代替

石油が最も使われている分野。ここが一番大事

第一候補電気自動車EV

○ 対抗:ハイブリッドHEV
  • 当面は石油を使うが、使用量は大幅に少ない

特定用途水素燃料電池

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■ 3. 船・航空の代替

ここは石油依存が「ほぼ避けられない」分野。

第一候補:SAF(持続可能航空燃料)

船舶は:LNGメタノールアンモニア

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■ 4. 化学製品プラスチックなど)

石油が「材料」として使われる分野。

第一候補バイオプラスチック

○ 対抗:リサイクル技術進化

△ 長期的には:CO₂から合成するプラスチック

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■ 5. 暖房工場の熱源

ここも石油依存が大きい。

第一候補電化ヒートポンプ

○ 補助:水素・合成燃料(e-fuel
  • 高温の産業炉など、電化が難しい分野で有望

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■ 最終結論(用途別に一言で)

まり

石油の全用途を一つで代替できる“万能エネルギー”はない

用途ごとに最適な別エネルギーに置き換わっていく

これが、世界の主流の見方です。

■ 1. 「石油のもの物理的に消える」未来ではない

多くの人が心配するような

地球から石油が完全に無くなって文明崩壊

というシナリオは、現在科学的知見ではほぼ起こりません。

理由シンプルで、

→ 完全枯渇より先に「高くて使えない」状態になる

という構造からです。

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■ 2. 不安本質は「物理的枯渇」ではなく「エネルギー転換の過渡期」

実際のリスクは、

  • 車の燃料が高くなる

といった、移行期間のコストと混乱の方です。

でも、これは長い期間(数十年スパン)でゆっくり進むので、

普通生活者にとっては「徐々に切り替わっていく」感覚になりやすいです。

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■ 3. 世界はすでに“石油のない世界”の準備に入っている

実際、世界中のエネルギー政策

  • SAF(航空燃料)

への転換を前提に動いています

石油を使わずにどう暮らすか」は、

もう “未来想像”ではなく“今の計画” になっています

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■ 4. 技術が進むほど、むしろエネルギー豊富になる可能性が高い

原子力や再エネ、水素、蓄電などの技術進歩は早く、

エネルギーの「質」と「量」はむしろ増える可能性さえあります

まり

● これから不安は“消滅”ではなく“変化”の不安
● でも変化はすでに想定されていて、代替策も多数ある

という状況です。

2025-11-08

経済学学問ではない」というのは自分の学の無さを宣伝する行為なんだけどな

 

経済学人間社会の中での資源配分や行動を、理論データに基づいて体系的に分析する社会科学で、自然科学のように実験室で再現はできないけど、仮説を立て、データを用いて検証する科学手法を取るわけだし

物理学が「摩擦のない世界」で法則を考えるように、経済学も「合理的人間」という前提でモデルを作って、そこから現実とのズレを検証して修正する

実験が難しい分、統計分析シミュレーションを使って再現性を確保している

 

そういう構造や知見の積み重ねを全部無視して「経済学学問ではない」と言い切るのは、専門性の軽視であり学問の軽視だわな

2025-10-23

自閉スペクトラム症の子を育てて思ったこ

子供ってさ、いろんなものをいろんないじり方をして、そこから学ぶわけじゃん。

いろんなものを水に投げ込んで、これは浮かぶ、これは沈む、ということを学習する。

高いところからモノを落とすと壊れるのをみて、落下中に加速するということを学習する。

叩いて、切って、落として、水没させて、風や水流に乗せて、そういうことが学習なんだけど、そういうことって、なかなかできない。

現代社会には、叩いちゃいけないモノ、切ってはいけないモノ、落としてはいけないモノ、水没させてはいけないモノが多すぎる。

というより、家の中のほとんどのモノはそうだ。

じゃあ、野外に行けばいいのかといえば、野外だってうそ自由にできるものは少ない。

歩道橋から道路に石を落としていいはずがないし、川に紙やビニールを投げてはいけない。

草木は抜くな、動物は殺すな、他人のモノは触るな、と言われてしまう。

自然科学よりも、人間社会ルールを先に覚えなければ生きていけない。

禁止事項が多すぎる。

というよりも、許可されたエリア許可されたモノに対して許可されたことだけしかしちゃいけないようになってる。

現代社会は、子供には危険がいっぱいだ。

例えば、赤信号では止まる、それを覚えないと都会で生きてはいけない。

もちろん、とりあえず理屈は抜きに周りの真似をするということは、現代社会じゃなくたって必要スキルだ。

たとえ、サバンナ暮らしたって、不用意にライオンに近づかないとか、そういうことは覚えないといけないだろう。

しかし、それにしたって、現代社会ルールの数は子供には多すぎる。

理解も納得もないまま、周りと同じように振舞う必要がある。

まり空気を読む力が、まず第一必要なのである

前置きが長くなった。

自閉スペクトラム症の子供を育てるのは辛いよ。

本当につらかった。

興味が向くまま全部やって、怒ってもぜんぜん効かないんだもん。

2025-09-23

anond:20250921232944

エンジニアテクニカルアーティストの応募者に対して現場サイドから面談結構な回数出たことがあるので、特に業界から転職希望者の方に求めていた要素(1+)2つを書いてみようと思う。

最低限のスキル

当たり前だけれど一応。募集要項に書かれている言語やらツールやらのどれか一つくらいは精通してないと面談までいかない。

自然科学的な視点

ゲームは動く絵を作るのでアーティストさんでも科学思考大事時間/空間方向に変化する画面を破綻なく成立させるには理屈がないとしんどい

物理セルルックのような非現実なら不要かというとそんなこともなくて、むしろこんなトリックでなら実現できますというマジシャンのような思考必要でなおさら難しい。

といっても別に数式とかそういう話ではなく、例えばエンジニアならのシミュレーションの話、アーティストなら色の錯視の話など、それぞれの得意分野での理屈スコープにあわせて説明できれば良い。

面談としては、ポートフォリオから技術的に苦労した点を聞いてその返答から測る事が多かったと思う。

ゲームに対する分析

日頃から分析グセがあったり、それを他人説明するのが上手い人は貴重。天才トップに居でもしないかぎりゲーム仕様書通りに作っても完成せず、下につく開発者制作からフィードバックを返したり企画書に書かれていない部分を補間しながら作る必要があるので。

わかりやすい例でいうとプレイヤーキャラクタージャンプ。スピーディなゲームといっているのに丁寧な踏み切りモーションの指定が来たら作業開始前に発注側に確認したいし、ジャンプの細かな挙動に対する"ゲーム上での"気持ちよさを作業者が感じ取れないと何度も差し戻しになったりする。

幸いこのあたりの話は、桜井さん動画のおかげで必要性がだいぶ伝わりやすくなった。

こちらは、最近遊んで面白くなかったゲーム、あるいは楽しんだけれど言いたいことがあるゲームを聞いてどう返すかで判断していた。

2025-09-04

使っているやつがいると「あ、こいつバカだな」と思う単語

自然科学での文脈でない「ベクトル

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