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はてなキーワード: 明治以降とは

2026-05-11

明治維新以来、日本人白人コンプレックスアジア人差別で代償しようとした、というのは的確で、150年経ってもその心理に気づいていない、気づきたくない人が多すぎる根深問題

東博で今やっている加賀百万石展、前田家が東洋である日本の文化蒐集し保存し、美意識を磨いていた長い歴史を、明治になって似合わない洋装洋画像や日本風土にあわない欧州工芸生活を切り替えて日本独自文化と美に上書きしたのを見て悲しくなった

必死脱亜入欧しようとしたことには理由があり、変化の正の面を否定はしない。だからこそ確実に負の面があったことも認知すべき

明治日本の根幹がグラグラになったまま、アイデンティティのより所を補填する愛国戦争に突き進んで、完全敗北から文化がほぼ完全に欧米配下に入っていったのも大きい

それでも日本文化を保存したり生活の中で江戸以前から風習として息づいている「日本」を何とか保っているが

本来日本文化明治以降にくいこんだ白人コンプレックスに上書きされて、アジアへの共感帰属意識を失い、西洋の敗北とアジア興隆文化的な帰属先もなく一人負けのガラパゴス精神鎖国になっている。そして貧しくなってまた根のないアイデンティティのより所を排外愛国に求める空気がある。かなり危険状態

2026-05-04

anond:20260504094602

金銀掘りつくしたか自分で作ろうとなって明治以降の発展につながったので

金銀自体日本衰退の要だったともいえる

今も資源国には成金しかいないだろ

2026-04-10

[]天皇というタブラ・ラサ

天皇は長らく「便利な神輿(みこし)」として担がれ、権力者イデオロギー勢力に利用されつつ、本人の意思伝統的な神社とのつながりはしばしば無視・切断され、時には「拗らせた連中」のクーデター暴走の口実にされる——という皮肉な状況が、江戸後期から戦前まで繰り返されました。以下でまとめます

「便利な神輿」としての天皇:担がれるが実権は薄い

中世江戸時代

天皇将軍摂関家武家政権正当性を与える「権威の源泉」として機能。実際の政治軍事幕府貴族が握り、天皇本人は宮廷内の儀礼文化に留まるケースが多かった。後醍醐天皇建武の新政(1333-36年)は珍しい親政試みでしたが、武士の不満・恩賞問題現実離れで3年で崩壊足利尊氏の反乱を招き、南北朝分裂へつながりました。天皇の「意思」が尊重されたというより、理想論暴走した例です。

尊王思想時代江戸後期〜幕末):

水戸学国学天皇を「国体の中心」「神聖なる君主」に再定義吉田松陰ら志士はこれを倒幕の論理に利用しましたが、天皇孝明天皇など)の実際の意向より、論者たちのナショナリズムが優先。結果、天皇は「尊王」の象徴として担がれ、維新後の権力闘争の道具にされた側面が強い。

明治維新以降、この「神輿」性はさら近代的に洗練されました。

明治国家神道天皇神社のつながりを「バッサリ切る」

決定的な切断点です。

明治政府は「祭政一致」を掲げつつ、神社を「国家宗祀(非宗教公的祭祀)」に位置づけ、神職官選世襲廃止しました。伝統的な神社勢力吉田家白川家などの既得権)や神仏習合の慣習は剥奪排除

天皇伊勢神宮を頂点とする全国神社象徴的頂点に据えられましたが、実務的なつながりは官僚内務省神社局など)が管理天皇意思より、国家国民統合イデオロギー装置としての利用が優先されました。

真宗浄土真宗)側の「神社宗教論」策謀も絡み、神道勢力を抑えつつ、天皇祭祀だけを「宗教未満」として残す形に。結果、神社国家管理下で「便利に」使われ、天皇神社伝統ネットワークは大幅に切断されました。

伝統を「スッパリ切る」ことで、天皇近代中央集権国家の柔軟な象徴に再定義したのです。

戦前昭和:「拗らせた連中」のクーデター理由にされる

昭和期になると、天皇さらに「意思尊重されにくい」立場に置かれました。

• 大アジア主義八紘一宇

軍部右翼天皇を「世界の親」「万民の赤子」の象徴勝手拡大解釈記紀神話を都合よく世界普遍主義に読み替え、侵略イデオロギー正当化に利用。

二・二六事件1936年):

皇道派青年将校らが「昭和維新」「尊皇討奸」を掲げ、首相大臣らを暗殺占拠。「君側の奸」を排除すれば天皇親政が実現すると信じ、行動を起こしました。しかし、昭和天皇激怒し、「朕自ら近衛師団を率いて討つ」とまで言い、鎮圧強硬に命じました。将校たちは天皇の「大御心」を勝手解釈していただけで、実際の天皇意思無視・逆手に取られた形です。事件後、統制派が台頭し、軍部の独走を加速させる皮肉な結果に。

ここでも、天皇は「尊皇」の神輿として担がれましたが、拗らせたイデオロギー勢力青年将校ら)の暴走の口実にされ、本人の明確な意思表示(稀だった)がなければコントロール不能でした。終戦時(1945年)の聖断のように、天皇が明確に意思を示した例外は少なく、ほとんどの時代で「担がれる側」でした。

全体の構造問題

権威 vs 権力の分離:天皇万世一系神聖性の「権威」を持つが、政治実権は少ない。これが「神輿」の便利さを生み、江戸尊王論→明治国家神道昭和軍国主義で繰り返し利用された。

意思尊重されにくさ:後醍醐天皇のように親政を試みても失敗し、明治以降は国家軍部天皇イメージを「勝手付託」。神社との伝統的つながりも切られ、孤立した象徴に。

ナショナリズムの道具化:水戸学国学から始まる再定義が、天皇を柔軟なイデオロギー装置に変え、「意味不明な主張」(世界万民天皇の赤子など)を可能にした。

戦後神道指令で国家神道解体され、天皇象徴天皇制にシフトしましたが、この「神輿」としての歴史的遺産は、象徴性として残っています

2026-03-14

そういえば昔の日本に花壇って無いな

朝顔園芸品種栽培とかしてたか園芸趣味自体はあったはずなのだ

鉢植え栽培イメージ

あるいは庭木、低木のイメージ

意外だな

これは面白そうなテーマだな

西洋園芸文化いか日本に定着したのか、みたいな話

そもそも「いや、花壇あるよ?」という可能性はある 自分が知らないだけで

西洋的な枠で囲ったそれのイメージバイアス

しかしもはやその問いの答えに意味はない

関心は歴史に移った

取り急ぎメモスマホ電池やばい ああ早く調べたい!

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・レンガで枠を囲ってパンジーとかを植えるような花壇はすごく最近成立したのでは、という勘

園芸趣味日本において町民の嗜み、であれば花壇の土地を確保困難、一方で西洋園芸趣味を行ったのは……のような論立てを仮置きできそう、その予断をとっかかりとして調べる

園芸シミュレーターみたいなゲームを思い出したとき西洋文化圏の温室内も鉢植えだらけだったような……(そりゃ温室内に普通花壇は作らん、自分サボテンやってるからそこらへんの事情想像はつく)

しかし「園芸趣味」と一口に言ってもいろいろあるから断言はできんよな……温室内に地植えとかすることもあるし

中華圏のそれも調べたい

気候の話は関係ないような気がするという勘

・「庭園史」の話まで広がるかも、っていうか関心は庭園史そのものだな

用語定義勘違い庭園史が指す範囲理解誤り、関心対象にズレ(Wikipediaのページ内容流し読みする限り)庭の中の植物の取り扱いが関心だもの

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チューリップバブルの頃の、投機目的ではなく花を咲かせて鑑賞するときチューリップはどのように栽培していたのか?

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一息ついたし花壇のWikipedia見るか

花壇 - Wikipedia

うむ、めちゃくちゃ参考になる情報が書いてあるな

明治以降に定着、やはり

やっぱりモノの史を調べるのは楽だな……

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まりこうだな

明治以降市民住宅事情がどのように変わり、いかにして現在の「庭」が誕生し、その中で花壇はどのような立ち位置だったのか?

あるいは公共空間……学校の花壇や歩道沿いの花壇がいかにして作られ市民に受け入れられたのか?

園芸植物の苗や種の販売史、というのも面白そう

(「つまらない“史”など無い」とも言える(これに具体的な反例をいくらでも挙げられるかもしれないが、それをするのは無益だ))

2026-03-09

日本ネットリンチが「機能してしまう」のは必然だという話

ネットで誰かが炎上し、大勢に叩かれる光景は珍しくなくなった。参加者個別に責めることは簡単だが、それで問題解決しない。なぜなら日本ネットリンチが被害者救済の手段として機能してしま構造が、文化法律の両方に深く埋め込まれいるからだ。

まず文化的な背景から話す。

日本農村では古くから国家権力個人を守る仕組みが弱かった。農民共同体に頼って生きるしかなかったため、その秩序を乱す者への制裁が非常に厳しかった。村八分という言葉が残っているが、これは単なる無視ではなく、水や土地使用を禁じて生活できなくさせる苛烈制裁だった。

ここで重要なのは制裁対象が「加害者」だけでなく「和を乱す者」全般だったという点だ。被害を訴えることも、共同体の秩序を乱す行為とみなされた。

この構造明治以降も変わらなかった。科学技術政治制度近代化されたが、人間関係の在り方だけは近代化されなかった。「なぜ今さら言うのか」「なぜその場で言わなかったのか」という被害者批判は、この文化の直接の産物だ。声を上げることより、黙って耐えることが美徳とされてきた。

次に法律問題だ。

明治期に作られた刑法の条文の並びを見ると、国家への罪、社会への罪、個人への罪の順になっている。最初から国家個人より優先される設計だった。戦後は一転して、戦前国家による人権侵害への反省から加害者権利を守る方向に振れた。これ自体歴史的に正当な流れだったが、結果として被害者保護が完全に置き去りになった。

どれほど置き去りにされてきたか欧米被害者人権に取り組み始めたのは1950年代だ。日本でこの問題最初論文で指摘したのは1975年で、当時の専門家から厳しく批判されて全く受け入れられなかった。性犯罪被害者告訴なしに罪に問える制度になったのは2017年のことで、ごく最近だ。

そして現在も続く構造的な問題がある。検察権限だ。

日本では被害者が自ら加害者を訴追する手段を持たない。起訴できるのは検察官だけで、しか検察官の判断でどんな犯罪でも不起訴にできる。この制度をあらゆる犯罪適用しているのは世界日本だけだ。被害者検察が動かなければ何もできない。

文化的に「声を上げるな」と抑圧され、法律的に「声を上げても動かせない」構造が重なった結果、被害者正規ルートを信頼できなくなった。いじめ問題学校より先にネットに流した方が警察が動く、性犯罪の揉み消しがネット拡散することで初めて防げる、そういった事例が繰り返されるのはこの構造必然的帰結だ。

ネットリンチには重大な問題がある。冤罪リスクだ。無関係人間加害者とされた場合、一度貼られたレッテルは剥がれない。正規ルートには冤罪を防ぐ手続きが整備されているが、ネットリンチにはそれがない。

からネットリンチは問題だ。しかしそれを生み出しているのは個人の悪意ではなく、被害者を守ることを長年怠ってきた社会構造だ。被害届を受理しない警察、不起訴を乱発できる検察被害者支援制度を持たない法体系、声を上げることを美徳としない文化。これらが変わらない限り、ネットリンチは止まらない。批判されるべきは参加する個人ではなく、その選択を生み出している制度の失敗だ。

2026-02-24

ざるそばは「海苔がのっているそば」、もりそばは「海苔がのっていないそば」 ← デマ

ざるそば海苔あり」「もりそば海苔なし」という区別は、現代蕎麦屋では一般的ルールとして定着していますが、歴史的本質的視点で見れば、海苔の有無は本来の決定的な違いではありません。

なぜ、この「海苔ルール」が絶対的な違いであるかのような誤解(あるいは単純化された定義)が広まったのか、その主な原因を紐解きます

1. 差別化のための「後付け」の記号

江戸時代中期、蕎麦品質提供方法で差をつけるために「ざるそば」が誕生しました。

当時の違い: もともとは、竹ざるに盛られ、「御膳粉」という真っ白で高級な蕎麦粉を使い、さらにコクのある特別なつゆ(みりんを多く使った辛汁など)を添えたものが「ざるそば」でした。

海苔の登場: 明治時代以降、さらに高級感を出すためのトッピングとして「海苔」が載せられるようになりました。

しかし、戦後食糧事情コスト管理の中で、蕎麦粉の質やつゆの作り分けをする店が減り、「見た目で一番わかりやす海苔」だけが区別基準として残ってしまったのが最大の原因です。

2. メニュー表の簡略化と合理化

飲食店側にとって、客に「粉の質が違います」「つゆの出汁が違います」と説明するのは手間がかかります

視覚的な納得感: 「海苔がのっているから100円高い」という図式は、客にとっても店にとっても非常に分かりやす差別化でした。

一般化: この商習慣が全国に広まった結果、消費者の間で「海苔あるかないか」が唯一の定義であると誤認されるようになりました。

3. 辞書メディアによる「便宜上定義

百科事典や初期のグルメ紹介記事などで、複雑な歴史的経緯を省き、「現在一般的海苔の有無で分けられる」と解説されたことも、この説を固定化させる一因となりました。

本来の違い(おさらい)

歴史的定義に基づくと、本来の差は以下の通りです。

項目 もりそばざるそば本来
せいろ・皿 竹ざる
蕎麦並粉(挽きぐるみ更科粉(真っ白な高級粉)
つゆ 一般的なつゆ コクの強い「御前つゆ」
トッピングなし 海苔明治以降付加価値

結論として:

海苔の有無」は、本来の「品質の差」を簡略化した代用記号に過ぎません。現在ではその代用記号の方が有名になりすぎてしまい、本来定義を飲み込んでしまったというのが真相です。

2026-02-23

明治以降神道がクソなのは全部キリスト教が悪い

明治維新外国文化を取り入れる過程でだいぶキリスト教の影響うけてるのは間違いないよな

どう見ても「国家神道」のコンセプト自体キリスト教というヨーロッパ国家背骨としての宗教を見本にしてる。

八百万の神世界観天皇を頂点にしたピラミッド構造にしたし

他の宗教とは別格に位置付けた(神社宗教論)のもキリスト教国家道徳になってるヨーロッパ世界観の真似。

それまで家庭で行っていた結婚式から神前結婚式一般化したのもキリスト教教会モデルっぽい。

国家統制のための道徳ツールとして、諸外国国家道徳をめちゃくちゃ研究した結果として日本キリスト教価値観インストールすることにして、それまでの伝統になじみやすいようにガワを神道で固めたのが実情だよな。

歴史ある神社地域祭り実態国家統制ツールのガワとして利用されているだけだと考えたらムカっとくるよな!

俺は無宗教だけどキリスト教有害だと思っているのでキリスト教有害性を取り除くためには今の日本神道をブッ潰して昔の神道もっとなじみやすくして普及させる必要があると思うんだけどどうかな?

2026-02-15

明治維新前(江戸時代まで)の日本人は何日出勤の何日休みだったか

江戸時代まで(明治維新前)の日本には、「安息日」という宗教的・週周期の休み概念存在しませんでした。

西洋の「週7日周期+安息日(日曜など)」とは異なり、日本太陰暦を使っていたため、曜日という概念自体日常的に定着しておらず、統一された「週休」制度もありませんでした。休み基本的に以下の形で決まっていました。

 

身分職業別の休み実態(大まかな目安)身分職業

休みのサイクル例

年間休日数目安 

備考・特徴

 

下級武士江戸城番など)

2日勤務 → 1日休み(三日勤め、当番2日・非番1日)

約120200日以上(交代制による)

公務は三交代制が多く、実質週休5日に近いケースも。だが低給で休みに内職必須

 

中・上級武士老中など)

月番制・短時間勤務(例: 朝10時〜午後2時)

かなり多い(月単位のローテ)

勤務自体が短く、藩務も並行。多忙だが「毎日出勤」ではない。

 

農民百姓

村ごとに定めた「村中休日」+正月・盆・五節句・祭礼・農事行事

20〜80日(地域・年による)

平均30〜60日程度

農繁期(田植・稲刈)はほぼ無休。農閑期や雨天は自然休み信州など休み多めの村も。

 

町人職人商家丁稚奉公人

年2回の「藪入り」(正月16日・7月16日)中心

非常に少ない(年2〜10日程度)

住み込み奉公人は基本年中無休。祭礼や臨時休みはあったが稀。

 

共通点休みは「年中行事・神仏祭礼・農事の節目」が中心で、現代のような「毎週決まった休み」は皆無。

違い:武士特に交代制の現場職)は意外と休みが多かった一方、農民町人は天候・繁忙期次第で実質労働日が300日超になることも普通

1日の労働時間現代より短め(農民職人は実働4〜8時間程度+休憩多め)の記録が多く、「働きすぎ」イメージ明治以降工業化で強まった側面が大きいです。

 

まとめると江戸時代までの日本人は「何日出勤・何日休み」という固定パターンがなく、

武士の一部 → 2勤1休(またはもっと休み多め)

農民 → 村の決めた行事日+天候次第(月0〜10休み程度、年平均30〜50日くらい)

町人奉公人 → ほぼ年中無休(年2回の藪入りがメイン)

 

というバラつきが激しかったのが実態です。

安息日」のような週1休み全国的に定着したのは、明治9年1876年)に日曜日休みを導入してからで、それ以前は本当に「休み概念希薄」だったと言えます現代週休2日と比べると驚くほど少ない地域もあれば、武士のように「休み多め」なケースもありました。

文献:東洋経済オンライン三重県文化資料歴史研究書など)

2026-02-09

日本国家制度に対する信頼が高く、対立より協調を優先する

■ ① 国家が「支配者」より「秩序維持者」として存在してきた

多くの国では国家

支配する存在

として成立しました。

例:

欧州王権市民対立

米国独立戦争国家権力を警戒

日本場合

歴史的国家

社会秩序を調整する存在

として機能することが多かったです。

理由

天皇宗教的象徴権威が中心

武士政権地域統治を重視

地方自治共同体自律性が強かった

結果:

国家=敵という感覚形成されにくい

■ ② 村社会構造共同体優先文化

日本社会長期間

小規模共同体

を基盤としていました。

特徴:

水田農業(協力が必須

灌漑管理の共同作業

村内の相互監視

この環境では:

対立より協調合理的

になります

■ ③ 法制度より慣習が重視されてきた

欧米社会

契約権利・法闘争

日本社会

空気合意・調整

この違いにより

国家との関係も対抗型になりにくい

■ ④ 宗教観の影響

欧米一神教の影響が強く、

神の前で人間平等

という思想から

権力批判

個人権利主張

が発展しました。

日本宗教観は:

神道自然共存

仏教調和思想

結果:

権力対立する倫理が弱い

■ ⑤ 近代化成功体験

明治以降日本

国家主導近代化

成功しました。

軍事近代化

工業化

教育普及

この成功体験により

国家社会を良くするという認識

が強化されました。

■ ⑥ 戦後復興モデル

戦後日本では:

国家 + 企業 + 国民

が協力して経済復興しました。

結果:

所得が大幅に向上

社会が安定

この成功経験

制度信頼をさらに強化

しました。

■ ⑦ 源泉徴収社会制度の影響

日本制度は:

税金天引き

社会保障自動加入

行政サービス高安定性

この結果:

国家との直接対立が起きにくい

■ ⑧ 移民比率の低さ

文化的同質性が高い社会では:

制度への共通理解が成立しやす

社会的摩擦が少ない

これは国家信頼に影響します。

■ まとめ

日本国家信頼が比較的高い理由は、

国家が秩序維持者として機能

共同体協調文化

③ 慣習重視社会

宗教観

近代化成功体験

戦後経済成功

制度設計天引き等)

社会同質性

長期間重なった結果です。

重要な補足

国家信頼が高い社会は:

メリット

社会安定

犯罪率低下

公共インフラ維持が容易

デメリット

制度改革が遅れやす

個人権利意識が弱まりやす

経済変化への適応が遅れる可能

2026-01-31

anond:20260131062522

AIによる補足解説 親子と性の距離感の変遷

日本の歴史を振り返ると、親と子のあいだの「性の距離感」は、社会構造の変化(ムラ社会→家制度核家族個人化)と強く連動しながら、大きく形を変えてきた。

この増田で語られている「気まずさ」は、個人感情問題というより、明治以降につくられた「清潔で無垢家族像」と、現代の「個人自由」が同時に存在してしまっていることによる摩擦音だと考えることもできる。

以下、かなり大ざっぱだが、親子と性の距離感の変遷を整理してみる。

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親子の「性の距離感」の変遷

1. 江戸時代:地続きで生活に近い性

江戸時代庶民社会では、性は「隠すべき罪」というより、笑いや日常に近いものだったと言われる。

大人同士の性的冗談や、男女の関係の気配は、子ども生活から完全に切り離されてはいなかった。

  • 親子の関わり

娘への性の知識は、主に母や年長の女性から実用的に伝えられた。春画(嫁入り本)がその一例。

  • 特徴

現代的な意味での「純潔」への強い執着は薄く、性は共同体生命活動の一部として扱われていた。


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2. 明治大正:家父長制と「恥」の形成

近代化とともに、西洋道徳観と国家による家族規範が導入される。

性は「表に出してはいけないもの」「家庭の外に漏らしてはいけないもの」へと再定義される。

  • 親子の関わり

父は家の規範体現する存在となり、母は家庭の「清潔さ」を守る役割を担わされる。

  • 特徴

親の前で性を連想させること自体が「家の恥」とされ、親子間に強い沈黙ルール生まれる。

ここで、「父=性から最も遠い存在規範)」という構図が固まっていく。

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3. 昭和戦前・戦中):国家と結びつく性

性は家の問題にとどまらず、国家政策とも結びつく。

性は「純潔を守り、結婚し、子を産む」という義務的文脈限定される。

  • 親子の関わり

性そのものについて語られることはほとんどなく、「節制」「慎み」といった態度だけが教えられた。

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4. 昭和戦後高度成長期):秘め事としての性

核家族化と個室化が進み、性は家庭内さらに奥へと押し込められる。

恋愛結婚が結びつき、「愛があるからセックスする」というロマンチック物語が広まる。

  • 親子の関わり

親は子どもの性を「見ないふり」をし、子どもは親の性を考えないことで、「清純な家族」というフィクションを互いに守る。

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5. 平成・令和:情報は開放、関係性は昭和のまま

インターネットにより、性の知識は親を介さずに容易に手に入るようになった。

性は個人ライフスタイルの一部として語られるようになった。

  • 親子の関わり

ただし家族関係だけは、昭和的な「無垢で清潔な親子像」を理想として引きずっている。

結果として、

「親も子も実態は分かっているが、その事実を互いに言語化しない」

という、妙に高度な沈黙ゲームが成立している。

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時代別まとめ(かなり粗い整理)

時代 性の扱われ方 父親母親 娘の感覚
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江戸日常・笑い 距離を取る 実用的伝達 比較自然
明治大正 恥・秘匿 規範象徴 家庭の管理者 抑圧
昭和義務密室沈黙権威代理管理 断絶
令和 ライフスタイルメタファー共犯 気まずさ

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結論:なぜ今、こんなに気まずいのか

現代は、

江戸のように性を生活の一部として共有できる社会でもなく、

明治昭和のように本気で性を「悪」と信じ切れている社会でもない。

実態としては自由なのに、親子関係の場面だけは「無垢家族」という近代様式美を演じ続けなければならない。

そのねじれが、増田に書かれている「父と彼氏話題へのギクッとした感覚」を生んでいるように見える。

彼氏セックスメタファーだ」と気づいてしまった瞬間に、その演技の不自然さが見えてしまった。

からこそ、理屈では問題ないと分かっていても、感情けが追いつかない。

この違和感自然に消えるには、もう少し世代交代が進むのを待つしかないのかもしれない。

2026-01-25

なぜ日本白人と相性が良いのか?

※「相性が良い」は

個人レベル善悪ではなく、日本社会構造白人に有利に働きやすいという意味

1. 歴史的に「白人先進国」という刷り込み

明治以降日本欧米を「追いつくべきモデル」としてきた

教育科学法律経済成功例=欧米

敗戦後もアメリカ中心の価値観が浸透

結果

白人先進的・合理的知的

黒人比較対象として語られにくい

👉 無意識ヒエラルキー形成された

2. メディアにおける白人の「安全露出量」

よく見る白人

英語教師

旅行者

ビジネスパーソン

映画主人公知的

ポイント

普通に生活する白人」を何度も見る

脅威・異質として描かれる頻度が低い

👉 “慣れ”が圧倒的に違う

3. 日本人が安心する「見た目の近さ」

肌の色が比較的明るい

髪質が直毛に近い

格差黒人より目立ちにくい

無意識レベルでは

自分たちに近い」

「怖くない」

説明やすい」

👉 これは理屈より本能判断に近い。

4. 白人は「個人」として見られやす

白人場合

性格職業・考え方で判断される

「その人はそういう人」で完結しやす

黒人場合

黒人から〇〇」

集団イメージが先行しやす

👉 個人化されるか、属性化されるかの差

5. 恋愛市場での圧倒的アドバンテージ

白人男性が持つ要素

国際的」「おしゃれ」

ハーフの子ども=ポジティブ幻想

SNS映え

家族説明やす

実際の心理

白人ならまあ理解される」

黒人だと話が長くなる」

👉 恋愛心理的・社会的コストが低い

6. 日本人の「差別していない感」を守ってくれる存在

白人好意的自分差別主義者じゃない

外国人OK」の証明になりやす

逆に

黒人距離を取っても

自分の中で矛盾が起きにくい

👉 無自覚ダブルスタンダード

7. 日本は「白人向けに最適化されてきた」

英語教育欧米モデル

観光ビジネス欧米基準

マナー解説白人想定が多い

👉 白人は「想定された外国人

👉 黒人は「想定外

まとめ

日本白人と相性が良いのは

好意ではなく“慣れと構造”の結果

個人の優劣ではない

白人「楽」なのは社会がそう設計されているか

補足(大事

これは

白人が悪い

日本人が意地悪

という話ではない。

構造が誰を楽にして、誰を消耗させるかの話。

2026-01-13

成人、ご愁傷さまです。

これからはキミたちには法的な責任納税責任、そして人生責任が、がっつり肩にのしかかってきます

希望? まあ、ある人にはあるでしょう。でも、黙っているだけで勝手に明るい未来が降ってくる時代ではありません。

 

人生の先輩として僕から言えることは、ひとつだけ。

「一刻も早く、海外へ出なさい」。

 

「この国は大丈夫」「なんとかなる」と、偉い人たちは甘い言葉をささやきます

でも、それを真に受けて動かない若者が増えるほど、彼らは楽になります

言い換えると、あなた時間と労力は、じわじわ固定化”されていきます

 

経済は厳しい。社会は窮屈になり、負担は増え、余裕は減っていく。

そして、あなたが生まれて二十歳になるまでがあっという間だったように、二十歳のあなたが四十になるのもあっという間です。

 

体力も、知力も、加齢とともに衰えます

自分だけは例外で、歳を取らない」——そう思いたい気持ちは分かる。でも、残酷ですが、例外はありません。

あなたが今、嫌悪している“無知無責任怠惰な年配者”に、あなたもなります

 

からこそ、若いうちに動け。

動けるうちに、海外を見ろ。

一年様子見しているうちに、胆力も行動力も、少しずつ削られます

好きな人ができたり、守るものができたり、「離れられない理由」は勝手に増えていく。

その前に、さっさと外へ出なさい。

 

なぜ、この国は斜陽し続けるのか。

 

政治が悪い」? それなら救いがある。政治を変えればいい。

でも、問題政治だけじゃない。

社会慣性空気同調圧力リスク回避責任回避。そういう“国全体の体質”が、変化を拒み続ける。

全員振り袖、同じ化粧、髪型、話し方、それがまさに日本です。変わろうとする異端者は排除されだけ

 

国民性民族性みたいな大きな括りで語るのは乱暴だと分かっています

ただ、それでも言います

個人努力突破できない壁」が、分厚い。

から環境を変えるほうが合理的です。

 

国家繁栄を続けるには、変化への適応必要です。

ところが日本は、歴史的に“運の良い局面”が何度かあって、その運に最適化してきた。

島国で、外圧の痛みを先延ばしにできた。

明治以降資源人口時代追い風があった。

戦後外需為替国際秩序の中で、経済だけは発展できた。

 

でも、追い風が弱まった瞬間に、構造の弱点がむき出しになる。

そして今は、追い風が強く吹く時代ではない。

 

……なぁ?

こんな国に、君は未来が見えるか? 明るい希望が見えるか?

 

逃げるのが正解だ。

負担は上がり、社会の余裕は減り、窮屈さは増える。

ちょいと良い大学を出て、ちょいと良い会社就職しても、同じ能力海外で使えば、所得生活も上がる可能性が高い。

合理的に、コスパで考えろ。

 

君は二十歳になった。

自分人生意思決定権利と義務を、全部手に入れた。

逃げるチャンスはある。

惰性で棒に振るか、ちょっとした勇気と行動力で手にするか。

 

ガチで、真剣に考えて選んでください。

2025-12-09

anond:20251209110951

明治以降日本で新しい漢字語が作られたので併合された韓国日本で作られた漢字語どころか発音文法すら日本語に寄っちゃったのだ(自然言語なので多くの例外があり)

2025-11-25

台湾に関して中国の言い分も分からんではない

日本日清戦争で勝って台湾中国から獲ったわけだけど(1895年)、それまでの長い間台湾はずっと中国領だったわけでしょ?

(今調べると17世紀から中国支配下にあったらしい)

日清戦争終結(1895年)から日中戦争の終わり(1945年)までの日本支配の120年間は

中国からすれば、わずかな期間という見方になるのかもしれない。

明治以降中国武力進出してきた「憎き日本に切り取られた領土」として台湾特別な執着を見せるのも理解できないこともない。

彼らは日中戦争で、日本中国大陸から追い出して勝った!と認識しているわけだから台湾は当然中国に戻されるべきだと考えるのだろう。

このような歴史的経緯がまるっと抜け落ちた最近日本報道違和感がある。

日本人が戦争放棄した後も、台湾中国の間では武力衝突があり、直近までバチバチ関係だったことも報じられていないのも心もとない。

(日本学校歴史教育において、近代ぽかっと抜け落ちている、

もしくは意図的に抜け落ちさせている現状が、東アジアにたいする理解の甘さを招いているんだろう)

とはいえ台湾は80年の間何とか独立のような形を維持し、中国併呑されるのは嫌だと継続的・明確に意思表示しているので、

その意思は最大限に尊重されるべきだし、いつかは独立国家として認められるべきだと思う。

なにせ政治体制全然違うし、日本にとっても民主主義国家が近くにあるのは利益になる。

日本人としては中国ラインを超えない範囲でこっそりチマチマ台湾支援していくべきなんだと思う。

そうしてのらりくらり、あと半世紀も粘れば台湾独立は既成事実化し、中国本土の執着も薄れるんじゃないだろうか。

習近平も早晩死ぬしね。中国の新しい支配層が、台湾への興味を失うか、執着するのがバカらしいと思うようになればいいのだ。

から日本中国歴史的意識を刺激せず、のらりくらりやっていればいいものを。高市不勉強にして挑発した。

なんというか、馬鹿だよね。浅はかだよね。中国いじめられている台湾を助けよう!っていえば日本人はみんな喝采してくれるもの

気持よくなっちゃうよね。でも長期的には日本の為にも台湾の為にもならない。

みんな、あんまりバカ首相は選ばんようにしよう。

上のような私の歴史的解釈について間違っていたら、詳しい人は突っ込んでくれ。

2025-10-15

なぜ男子が優先して教育を受ける必要があるのか

女は教育を受けなくていい、というのは女は教育がなくてもさして悪いことをしないからです

男は教育を受けさせないと自律できず社会を壊す暴力犯罪に走りやすくなる

歴史的にも名のある家の跡継ぎは低俗な影響を受けないよう周りにまともな大人を配し智や徳を修めさせた

それでも失敗例が少なくないのだから、そうでない男は言わずもがなです

明治以降日本の一部教育鉄拳制裁体育会系序列暴力を含んでいるのは、対象となる一般男性の多くが暴力しか理解させられないレベルからです

男の方が人としての程度が低いか教育必要なんです

そこのところを勘違いしたのがそもそも間違いです

同じ教育を受ければ女の方が総じて優秀なのは当たり前

元々の知能平均値もですが有害性のスタート地点が違うのです

ですから男子を優先して教育機会を与えるべきだと思います

ただしその教育は金稼ぎやテストの点取りといった浅いものではなく、まず基本的人間としてどうあるべきかの教育ですが

2025-08-23

関東差別はない”と言う人にモヤモヤする話

部落差別問題が一時期ネットで話題になってて気になっていたのだが、自分の中で消化しきれてなかったので完全に乗り遅れた。思ったことを忘れないために書き起こした。

いわく、関西以外の地域では部落問題を軽く扱いすぎているのでは、という話だ。

元のポストでは、言語差別地域差別職業差別が混在していたので議論がかみ合ってなかったように思う。

私はどちらかというと、うちの地域部落差別なんてありません!と無邪気に投げつける数々のリプライにかなりギョッとさせられた。

自分が気になったのは関東特に東北地域から反論だった。

そして体感8割くらいのリプが「部落」という単語差別的な意識はありませんが?という的外れな内容ばかりでさら愕然とした。

いやそうじゃねえだろ、と。

元々差別的な意味合いのない単語差別的に使われる例なんていくらでもある。身体的特徴(つんぼ、かたわ)、地域名・国名福島朝鮮)、など言い始めれば枚挙にいとまがない。

構造でとらえるならば、部落差別のことの起こりは、職業で人を差別し、隔離することだ。

言い換えると、人を職業出身地差別する言動こそが本質だ。


そうするとモヤモヤの正体が見えてきたような気がした。


最大のモヤモヤポイント:他の地域部落差別はないはウソでは?

歴史的経緯の話。

穢多非人」と呼ばれた人々は関西だけに存在したわけではなく、日本全国に見られた。江戸幕府の作り上げた身分制度から外れ差別された人々である

関西問題として認識されることが多いのは、その規模の問題である近世以前、江戸より先に栄えていた関西地域人口も多く、また文化の中心地であった。

自然集落規模が大きくなったことで、明治以降解放運動の中心地となっていく。

地域においては規模が小さいゆえに「なかったこと」になった問題が、関西ではそうではなかった、というのが正しいだろう。

うちの地域にはありません、という人間は、はっきりいって不勉強もいいところである

今回調べて初めて知ったが、特に一部地域においては、差別をなかったことにして解消しようとする動きがあるというのは90年代には指摘があるようだ。

地域差別

ここから現代の話である

関西人は差別をする蛮族、自分地域にはそんな差別ない」という趣旨の、自分で言ってておかしいと思わないのか?と思うようなリプが多く見受けられた。

どうにも関西人は殴ってもいいサンドバッグのように思っているらしい人間が少なからずいるっぽい。地域によって人をラベリングして貶めようとするのは差別以外の何物でもない。

職業差別

現代日本、とくに都心部においても、職業差別が無いなんてのも嘘だ。東京に居ればしばしば見かける、「勉強しないとあん仕事しかできなくなるよ」と子供に声をかける母親、なんていうのはもはや典型的差別主義者だ。

私も作業服公共電車に乗ったとき、周りのサラリーマンたちが私を避けるように分散したのがとても印象的だった。綺麗にクリーニングされ、他の作業者申し訳いくらい綺麗で、そして良い匂いになってた作業でもこれだ。

普段よれよれの汗臭いスーツ電車に乗ってもこうはならない。大なり小なり他人を見下して生きているのだろう。

いけしゃあしゃあ差別なんてありませんなどよく言えたものだと思うが

かくいう私も恐らく危険を避けるという名目のもとで誰かを見た目で判断して意図的に避けたりしているのだから同じ穴の狢である


からといって言葉を気にする必要はあるか?

地域人間関西に行った時に、部落という言葉を使うことの是非というのも話題に出てきたが、答えとしては、気にしろという他ないだろう。

気に食わないという人は、アトランタに来てニガー!と叫んでみればいい。その代わり生きて帰れると思わないことだ。

言葉というのは生き物であり、本来意味がどうであれ、現在用法やその集団における意味に注意して使わなければ大きな誤解を招く。

日本はともすれば単一民族単一言語国家と思われがちだが、少数民族も多く、方言というにはあまりにも異なる複数言葉が混在する、非常に複雑な社会だ。

共通語での意味がどうであれ、その地域における文脈で異なる意味を持ち、誤解を招く表現であればそれは避けるのが理性的だろう。決して、自分所属集団では問題いから!などと押し通すものではない。

間違えてはいけないのは、方言禁止しようという話ではなく、自分の話す言葉暴力性を指摘されたら次から気を付けようね、という程度の話なのだと思う。決して難しいことではない。

余談:単に関西人が嫌いなだけの人?

自分我慢して標準語を話しているのに、あいつら関西人は自由方言を話していて気に食わないと主張している人間もいて、さすがにもはや元ポスト関係ねえけどこれも何かの本質だろうと思った。

5匹の猿の実験でググって欲しい。いまだに方言札を首から下げて、意味も分から方言を叩くルールに従っている人間もいるのだろう。

そんな卑屈な感情を日々抱くより、もっと自由に生きてほしい。



どれだけ書いても文章の読めない人間はいるが念のために書いておくと、関西先進的とかいう話をしているのではない。日本全国どこでも発生している問題の一部を取り上げて、いち地域差別性をことさらに取り上げるのは間違ってるのではないかと言いたい。

過去から学ばないことほど愚かなことはない。

そもそも恐らく人間本質的に差別的な生き物なのだから、そこを否定しても仕方ないと私は思っている。

私は東京周辺の関東地域しか住んだことがないので関東人間には申し訳ないがやり玉に挙げさせていただく。又聞きではその他地域においてもいろんな例を聞いている。これは自分自身に対する戒めでもある。

我々が意識したいこと

部落差別関西特有問題」というのではなく、人間社会全体に根を下ろす差別意識の一形態にすぎないのだと思う。

身近な例を出すと、派遣社員区別して休憩室を使わせないようにする正社員、というのも、差別スタート地点だろう。

自身差別性と嗜虐性に少し自覚的になり向き合うことで、昨日よりはマシな人間性を得られるのではないかと私は期待している。

愉快な作業ではないが、差別意識をなかったことにして綺麗に見せかける人生よりはよほど有益だろう。

歳を取るにつれ日々考えるのが億劫になる一方なのだが、隣同士ちょっと気を遣う丁寧な生き方を心掛けたいと思ってここに記す。

・・・しかするとこれもXで見かけたポスト投稿者を見下し言葉で責めその愚かさを指摘してあざ笑いたいというサディズムの発露なのかもしれないが。

2025-08-18

特に神戸の街には女性の裸体彫刻が多く、改めて考えると不思議だ。なぜ、公共空間女性の裸体を置きたがるのか。取材を進めると、戦後日本の歩みに深く関わっていることが分かった。

 神戸三宮フラワーロード三宮北側から遊園地東側にかけて、35の彫刻作品が点在する。うち女性裸体像は13点で4割近い。男性裸体像は1点なので、明らかに多い。

 帽子かぶり体をくねらせる女性、直立してこちらを見つめる女性、座って体を洗っているように見える女性…。いずれも全裸だ。

 神戸文化交流課によると、市内にある銅像モニュメントは500点以上。多くは1960年代後半以降の一時期に集中して設置されたという。戦災から復興し、「彫刻の街」を目指した同市は大規模な彫刻展を何度か開いて入選作を買い取り、神戸ゆかり彫刻からも寄贈を受けた。

 しかし、なぜ裸の女性なのか。担当者は「裸婦像には平和象徴のような意味合いがあったと聞いています」と話した。どういうことなのか。専門家取材することにした。

     ◇

 インターネットで「裸婦像 平和」を検索し、たどり着いたのが亜細亜大国際関係学部の高山陽子教授文化人類学)だ。専門の記念碑研究の傍ら、15年ほど世界各地の銅像を見て回っている。

 「公共の場に、これほど若い女性の裸体像が多いのは日本だけ」と高山教授。数年前に「国内でも多いと聞いた」神戸も実地調査した。公共空間女性彫像についての考察を2019年にまとめた。

 高山教授によると、いわゆる「銅像」が輸入されたのは明治以降軍国主義が進むと軍人像が増えたが、戦中の金属供出や、戦後軍国主義排除を目指したGHQ政策で大半が撤去された。代わって登場したのが、歴史性、政治性の薄い「乙女の像」だという。

 日本で初めて公共空間に置かれた女性裸体像は東京三宅坂の「平和群像」(1951年)で、以前は陸軍出身首相寺内正毅の像があった場所高山教授は「ここで平和意味けがなされた」と指摘する。

 70年前後には地方自治体都市整備事業の一環で設置を進め、高山教授は「駅前などに脈絡なく女性裸体像が立つことが増えたのではないか」と説明する。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.yomiuri.co.jp/national/20250818-OYT1T50020/

かによくわからん

70年前後といえばブルマもぴっちりしたやつになったあたりか

変態が当時のお偉いさんにいたんだろな(苦笑)

2025-08-12

anond:20250812153113

まぁそれ言っちゃ保守大事にしてるものほとんどは明治以降産物だしな

それでも祭り含めた儀式伝統は支持するポーズ見せないと

保守意味ないじゃない

2025-06-30

anond:20250630160644

AIコーラの瓶、あるいはバギンズの一つの指輪

日本というこの小さき列島には、つねに二種類の人間が棲んできた。一つは、文明の諸相を「言葉」に還元し、歴史を「制度」で見ることができた者。もう一つは、そうした思索筋道とは無縁に、時代の流れに浮き草のように漂いながら、祭り太鼓に似た「流行」に心酔し、自らの境遇神秘的変転で覆そうと願う者である

令和のこの国にあって、後者は増殖した。もはや街には実存の根がない。その象徴が、かつての秋葉原である

かつて筆者が新聞記者として戦後地方都市彷徨していた折、東北の片田舎にて「麻生こそ我らの救世主なり」との幟を掲げて踊る中年男の一団を見たことがある。その情景は、笑い話として済ませられるようなものではなかった。そこには、敗戦後の日本内面にひそかに抱えていた「無位無冠の庶民の救済幻想」が、赤裸々に顕れていたからだ。

この「新しき神具」に、人々はかつての八幡大菩薩の霊験と同じものを見ている。

特に秋葉原に憑かれたる中年男たち――無位無官、知もなく徳もなく、

ただ「人生逆転」と称して妄執を握りしめて生きる“雑輩”どもにとって、

AIは救済であり、赦免であり、自己憐憫宗教装置となっている。

彼らは、かつてホコ天で「俺たちの麻生!」と叫び秋葉路上で怪しき舞を踊った。

見よ、あれこそが日本文化腐蝕の断面図である

そして今、彼らは再び「AIなら人生逆転できる」「レムちゃんと結ばれる」などと真顔で語る。

その情景は、もはや戯画を通り越して、歴史惨劇である

その幻想は、IT革命という「民衆のための産業」が立ち上がった時、再び姿を変えて甦った。曰く――「AI人生逆転の神器である」と。

AI可能性を託し、やがて全知の装置にでもなるかのように錯覚した人々は、いずれも情報の下層にうごめく者たちであった。すなわち、X(旧ツイッター)にて「脱獄!」と叫び匿名掲示板にて「俺のレムちゃんAIで蘇る!」などと涙ながらに書き込む者たちである

だが、彼らの情熱は浅ましい。AIという道具は、人間の知と経験と徳を試す「文明試金石」であり、誰彼を救済する神の右腕などではない。むしろ逆に、それは知を持たぬ者にとっては、魂を溶かす毒となる。

筆者は試しに、軍事マニュアルの一節を質問してみた。するとAIは、まるで古老の如く答えた。資料名、刊行年、PDF所在――すべて明確である。なるほど、これは使える。だが、これを真に活かせる者は、もともとその文脈歴史的背景を理解し、操作できる者でなければならぬ。すなわち、AIは「既に1を持つ者」にとってのみ、百を得る術となる。ゼロしか持たぬ者には、何も教えぬのだ。

ここに格差がある。そしてこの格差こそが、かつての新自由主義よりも冷酷である

明治以降日本文明という名の西洋制度採用し、庶民に「努力すれば報われる」という物語を配給した。だが、AIという魔器の登場によって、この物語崩壊した。知を持つ者がますます強くなり、持たぬ者は「AIを使える」と信じ込んだまま沈没する――その皮肉は、どこか江戸末期の水呑百姓たちが「黒船を拝めばご利益がある」と勘違いしていた様を彷彿とさせる。

筆者は言いたい。AIはすでにバギンズ一族が所有した「一つの指輪」であり、あるいはコーラの瓶を手にして神を得たと錯覚したブッシュマンである人類には早すぎた。あるいは、日本のこの文化土壌には毒であった。

なぜなら、現代弱者男性なる一群は、かつての維新志士のように徳と決意を以って新時代を拓こうとしたのではない。ただAIによって「モテたい」「逆転したい」「自分馬鹿にした社会を見返したい」という卑小な欲望を叶えんとし、その邪なる情熱を、学問技術の衣を借りて正当化しているにすぎぬ。

司馬が『竜馬がゆく』のなかで描いたような、「身を賭して時代を変える男」は、ここにはおらぬ。あるのは、自己愛妄想に溺れたデジタル廃人の群れである

されば、AIの普及は、いよいよこの国の精神頽廃をあらわにするであろう。かつての刀がそうであったように、それは使う者によっては国を興し、また滅ぼす。

その前に、せめてわれわれは問わねばならぬ。果たして今、この国に「AIという剣」を持つ資格がある者が、どれほどいるのかを。

問われているのは、技術進歩ではない。

人間成熟である

そして、悲しいかな――

この国の雑輩たちは、その成熟を拒み続けてきた。

彼らの人生は、つねに「誰かが救ってくれる」という信仰で成り立っていた。

それがウルトラマンであり、グリッドマンであり、AIであった。

だが現実には、英雄は来ない。

救済もない。

あるのは、己の問う力、探る力、そして歴史に連なる自覚だけである

そして、そうした覚悟を持つ者のみに、AIは口を開く。

問う者が愚かであれば、AIもまた愚かに答えるだけ。

逆に問う者が哲人であれば、AIもまた賢人となる。

この構図に、救済はない。

あるのは「文明の冷たい選別」だけである

この選別を見誤る者に、AIを持つ資格はない。

しろ資格なき者にとってAIとは、

世界さらに惨めにするだけの“知の拷問器”となるであろう。

それは封印されるべき魔具である

日本という、幼児性の抜けぬ国においては、特に

2025-05-31

日本庶民は、いつ頃から日常的に白米を食べ始めましたか

非常に良い質問です。では、時代背景を踏まえて、丁寧に解説しましょう。

🏯 日本人が白米を日常的に食べるようになった時期

日本庶民が 「白米(精白米)」を日常的に食べる ようになったのは、明治時代後期から大正時代にかけて、都市部を中心に普及したとされています

全国的一般庶民食卓に白米が浸透したのは、おおむね大正時代末期〜昭和初期(1920年代1930年代) とされています

太平洋戦争から見て、10年〜20年ほど前 のことですね。

🌾 それ以前(江戸時代以前)の庶民主食は?

白米は、江戸時代までは高級品であり、主に武士富裕層食べ物でした。

庶民特に農民主食は、以下のような 雑穀や未精白の米(玄米・分搗き米) が中心でした。

江戸時代以前の庶民主食

特に地方農村部では、米が貴重だったため、麦や粟、稗などの雑穀を中心に、少量の米を混ぜた「雑穀飯」が主流 でした。

江戸町人などは、比較的白米を食べられることもありましたが、それでも贅沢品として扱われ、日常的に食べる家庭は少なかったのです。

🌿 補足:白米が普及した理由

これらの要素が重なり、明治後期〜大正期にかけて、白米食が徐々に浸透していったのです。

🍚 まとめ

時代庶民主食 白米の普及状況
江戸時代雑穀、麦飯、玄米 高級品、特権階級食べ物
明治時代(後期) 雑穀+米の混合 都市部で白米が広がり始める
大正時代昭和初期 白米(都市部中心) 広く普及し、農村部にも浸透
太平洋戦争 白米の供給制限 米不足で麦飯や芋飯が主流に
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