はてなキーワード: 国際関係学とは
理系クラスで1番頭がいい友人だった。同じクラブに一時所属していて、帰り道も同じだったからクラブを家庭事情でやめた後も仲が良かった。小柄で理系で、特に地学や生物が好きで運動神経が良い、文系の筆者と何もかも真逆なのに不思議と馬があったから、大学生になってからも社会人になってからも帰省のたびに遊んだ。
彼は育った環境や自分の好みもあり、首都圏の国立大学でも余裕で進める内申点や成績を誇りながらもやりたいからと地方の農学部に進んだ。私も地方の大学に進んだが、海外に興味があるので留学できるように尽力した。うまくいかない就活の時期も電話して支え合い、なんとか2人して地方の小さな企業に就職した。
筆者は首都圏への憧れや、趣味もあってやがて転職したが、その当時彼も鬱になり、退職した。
そこから、大学のあった地方に彼は戻り、農家に住み込むことになった。彼も好きで彼に合う、自然豊かな土地で気が済むまで好きなことをして、メンタルをゆっくりと癒してくれればいいと思っていた。
筆者はその後首都圏で働くようになったが、彼は日々のどかな農業風景や森林の写真、そこに居た動物の様子をSNSにあげており、癒されていた。無農薬にこだわり、自給自足を目指しているようで、帰省のタイミングでよくおこぼれをいただいたりもした。だが、微笑ましかったのはそこまでだった。
もう勘のいい人なら気づくだろうが、無農薬=オーガニック。そこから彼は転げ落ちるように陰謀論に染まった。無添加無農薬、発酵食品、常蔵菌とか言ってるうちはまだ良かった。やがて反ワクチン、人工地震、フラットアース、電磁波。ストラックアウトでもしてるのか?と言うほど順調に突き進む彼。もちろん、彼のポストでよく使われる漢字ツートップは「氣」と「體」だ。
お前、地学が1番好きだっただろ!人工地震とかおかしいって思わないのか?それに筆者の経歴に乗る会社は微々たるものではあるが、全て医薬品に関係する。もちろんそのことは彼も知っている。だから筆者は営業で出向いた際に、ワクチンの製造も見学したことがある。どこに5Gを仕込む隙があるのだろうか。
そして政治についても対面・ポスト問わず語ることが増えた。昨今の世の中で、20代のうちからしっかり考えるのは素晴らしいと思う。しかしやがてそれは、今夏話題だった某右派政党への傾倒を招いた。
彼のポストは100%農作業絡みだったところから、やがて作物のこと6割、陰謀論2割、怪しげな右派絡み2割になった。そしてこの夏はやたらとオレンジ色に染まっていた。
おそらく住み込みの農家関係でそういったものを勧める人とのコネが増えたのだろう。農家は会社ではないかつ、比較的そのコミュニティでは貴重な若年なのもあり、同年代の友人やそれがおかしいと止めるようや先人はいなかったのだろう。
先日のポストでは、グローバリストを批判していた。筆者は国際関係学部卒で、留学経験もある。筆者もだが、彼に話したことのある筆者の友人や先輩後輩はまさにそれに該当する。もうこちらのことは見えていないのだろうか。考えてみたら、留学前に会った時も面と向かって海外に興味はないと言っていたな。そりゃあ日本大好き、日本人の誇りを持とうに突き進むわけだ。
そんな彼もいろいろあったようで、地元に戻ってきた。農業で生きている彼にはとんとん拍子で配偶者ができ、なんとまもなく親になる。配偶者は地元にいる彼の妹の同級生で、同じクラブに所属してまるで兄妹のように育ったというギャルゲーでも今時見かけない夫婦となった。これもたまたま、2人とも前のパートナーと別れたタイミングが同じで、久々に再会したらとんとん拍子に話が進んだとのこと。
彼の配偶者はというと、会ってみると普通の真面目な人だった。彼のポストから漏れ聞こえる様子だと、少なくとも彼の趣味ではないあるアニメのフィギュアなんかもテレビの近くに飾っているようで、ごくごく普通の生活を送りたそうだ。だが、性別の違いやそもそも大学は出ていないなこと、また年下なのも相まって彼を止める様子はない。このままじゃ生まれる赤子は間違いなく母子手帳真っ白コースだ。親の思想がどうであれ、子供は巣立つまでは自由を選びにくい。今から彼らが毒親として子供に嫌われないかと不安になる。
社会人歴も長くなり、部下を持つようになったこの年代。筆者のことも、海外旅行・出張の多い、外国人の知り合いが多いグローバリストと認識しているのだろう。高校の時からの友人なので、家族絡みでも付き合いがある。筆者の両親も彼のことは気にかけており、ひっそりSNSをフォローしているから常にあの思想は見ているわけだ。特に母はうまく宗教やマルチに染まる友人をいなしながら生きている人だから問題はないと信じたいが、彼も結構母を尊敬しているようで帰省する筆者より先に連絡を取っていたりする。幸いにも関係は良好な親戚が多いため、地元や親元を離れている筆者や妹の代わりにひっそりと目を光らしてもらっている。今のところは特に勧誘らしいことはされていない。
ライフステージが上がるにつれて気軽に遊べる友は減るもの。筆者もだいぶ減って、貴重な友人だったが、彼とも縁を切るしかないのかと思わされる日々。もちろん、筆者も彼をぶん殴ってでも更生させるような気力はない。自分の家族や生活が何より大事だから。
次の帰省で、彼と飲むことはないだろう。
特に神戸の街には女性の裸体彫刻が多く、改めて考えると不思議だ。なぜ、公共空間に女性の裸体を置きたがるのか。取材を進めると、戦後日本の歩みに深く関わっていることが分かった。
神戸・三宮のフラワーロード。三宮駅北側から東遊園地東側にかけて、35の彫刻作品が点在する。うち女性裸体像は13点で4割近い。男性裸体像は1点なので、明らかに多い。
帽子をかぶり体をくねらせる女性、直立してこちらを見つめる女性、座って体を洗っているように見える女性…。いずれも全裸だ。
神戸市文化交流課によると、市内にある銅像やモニュメントは500点以上。多くは1960年代後半以降の一時期に集中して設置されたという。戦災から復興し、「彫刻の街」を目指した同市は大規模な彫刻展を何度か開いて入選作を買い取り、神戸ゆかりの彫刻家からも寄贈を受けた。
しかし、なぜ裸の女性なのか。担当者は「裸婦像には平和の象徴のような意味合いがあったと聞いています」と話した。どういうことなのか。専門家に取材することにした。
◇
インターネットで「裸婦像 平和」を検索し、たどり着いたのが亜細亜大国際関係学部の高山陽子教授(文化人類学)だ。専門の記念碑研究の傍ら、15年ほど世界各地の銅像を見て回っている。
「公共の場に、これほど若い女性の裸体像が多いのは日本だけ」と高山教授。数年前に「国内でも多いと聞いた」神戸も実地調査した。公共空間の女性彫像についての考察を2019年にまとめた。
高山教授によると、いわゆる「銅像」が輸入されたのは明治以降。軍国主義が進むと軍人像が増えたが、戦中の金属供出や、戦後、軍国主義の排除を目指したGHQの政策で大半が撤去された。代わって登場したのが、歴史性、政治性の薄い「乙女の像」だという。
日本で初めて公共空間に置かれた女性裸体像は東京・三宅坂の「平和の群像」(1951年)で、以前は陸軍出身の首相寺内正毅の像があった場所。高山教授は「ここで平和の意味付けがなされた」と指摘する。
70年前後には地方自治体が都市整備事業の一環で設置を進め、高山教授は「駅前などに脈絡なく女性裸体像が立つことが増えたのではないか」と説明する。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.yomiuri.co.jp/national/20250818-OYT1T50020/
変態が当時のお偉いさんにいたんだろな(苦笑)
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ソース: https://emilkirkegaard.dk/en/2013/07/intelligenceiqgre-by-academic-field/
特に左派はパレスチナ応援アピールのパレスチナ国旗マークやスイカアイコンを掲げながらどうして無関心でいられるのだろうか
アサド政権はこの10年でサリンなどの化学兵器を用いた大量虐殺や、多くの対立者を刑務所に送り片っ端から死刑にするなど、数十万人のシリア人を死に至らしめており、冷戦後で見ても最悪の指導者だったが日本では岩波がアサド政権のプロパガンダを垂れ流したりしていた影響なのか、状況がよく理解できていないようだ
今回のシャーム解放機構による宗教や民族や外国に依存しない政権打倒はそれこそ韓国のデモなんかよりもよっぽどすごいことで、ロシアとイランとヒズボラの弱体化が生んだ奇跡とも言うべき出来事なのだが…
[追記]
そもそもシリアの事を知らない人が多いようなので、端的にわかりやすく識者のアカウントをいくつか紹介しておきます。信頼できる人、留保がいる人、プロパガンダな人と色々いるので見比べるといいと思う
〈信頼できる人々〉
アサドとプーチンを追ってきたジャーナリスト。シリアについてフラットに一番詳しいと個人的には思っている
・石田昌隆
リベラル写真家。中東には以前から詳しく、特定のイデオロギーに偏っていない貴重なリベラル
・直立演人
・露探【円谷猪四郎】
・内藤正典
トルコをメインとするイスラム学者。トルコについては信頼がおけるがシリアに対してもトルコ寄りの視点なのは留意しないといけない
・異常者
イスラエルを中心とした中東事情に詳しい現地人物。視点としては基本的にイスラエル寄りだがイスラエル全支持とまではいかない
〈信頼出来ない人々〉
・青山弘之
アサドべったりのプロパガンディスタ。アサド政権と深い関係を築いていた
https://news.yahoo.co.jp/expert/authors/aoyamahiroyuki
・青木健太
・篠田英朗
キングス・カレッジ・ロンドン(KCL)には、社会科学・公共政策学部に戦争学科があります。この学科は、政治・国際関係学科が所属する学部です。
KCLは、1829年に設立されたイングランドで4番目に古い大学です。ロンドン中心部のストランドにキャンパスがあり、26,000人以上の学生が在籍しています。2019年度のQS世界大学ランキングでは31位にランクされています。
KCLの戦争学科の修士課程では、現代の戦争関連のトピックに特化したコースがあります。
KCLの学費は、大学院の場合、平均$ 21,628(1$=110円換算:約238万円)です。イギリスでの生活費(居住と生活費で年間で約300万円)も含めると2年間で約1076万円程度は必要です。
1970/10/22 朝刊 1段 6頁 777組が国際集団結婚式 ソウルで原理運動の青年_韓国
1975/1/23 朝刊 1段 22頁 親も知らぬうちに指名で集団結婚式 信者二千人 近く韓国で やめさせて…父母訴え
1975/1/23 朝刊 3段 22頁 信じねば親も悪魔…が教義 宗教評論家荒井氏の分析_統一教会(原理運動)
1975/1/23 朝刊 6段 22頁 統一教会_統一教会(原理運動)
1975/1/23 朝刊 8段 22頁 時間かけ納得へ努力_統一教会(原理運動)
1975/1/27 朝刊 1段 22頁 「統一協会」の集団結婚騒ぎ 反対派の子弟が帰宅 説得で20人_統一教会(原理運動)
1975/1/28 朝刊 4段 22頁 抗議はあっても 結婚式予定通り 統一教会スポークスマン
1975/1/29 朝刊 8段 22頁 さらに十数人帰る_統一教会(原理運動)
1975/2/4 朝刊 9段 18頁 日本人は800組 原理運動の合同結婚式_統一協会(原理運動)
1975/2/8 夕刊 1段 6頁 父母の反対押し切って 799組の日本人も 合同結婚式 ソウル
1975/2/8 夕刊 7段 6頁 父母の会が抗議声明_統一協会(原理運動)
1975/2/19 夕刊 1段 8頁 統一教会に 仏でも“嘆きの親”「盗まれた子返せ」300人が抗議の集会
1975/12/7 朝刊 7段 22頁 統一教会燃える 墨田_火事
1976/6/4 朝刊 7段 7頁 米国税庁が調査に乗り出した統一教会の 文鮮明牧師_ニュースの顔
1976/6/21 朝刊 9段 7頁 文牧師、米の銀行を支配? 議会、政府に調査要請へ_韓国
1976/11/1 朝刊 9段 3頁 統一教会関係機関も捜査中 米議会へのわいろ事件_韓国実業家の米議員買収事件
1976/12/18 朝刊 9段 18頁 統一協会支持派が客を招き晩さん会_宗教
1977/1/31 朝刊 1段 4頁 大学生「右向け右」 勢力急成長の原理研グループ 続々、独自の学内新聞 賛同教授も七百人握る
1977/2/6 朝刊 4段 3頁 統一教会系会社を手入れ 脱税で韓国治安本部_統一教会
1977/2/6 朝刊 9段 19頁 「原理被害者更生会」顧問 若い男女に襲われる 練馬_暴力・おどし
1977/2/8 朝刊 1段 3頁 与野党の大物ねらい撃ち 解明進む、韓国の対米工作 贈り物や宴会攻勢 政財界ぐるみ 宗教もからむ?
1977/2/12 夕刊 3段 8頁 ジ・エンド「ティファニーで朝食」 ニューヨーク 統一教会がビル買収
1977/2/15 朝刊 1段 18頁 統一教会 KCIAとの接触認める 見解発表「弾圧され理解得るため」
1977/2/16 朝刊 9段 22頁 贈賄も摘発 韓国の統一教会系会社_統一教会
1977/2/22 朝刊 9段 7頁 韓国系財団に流用の疑い_犯罪
1977/2/23 朝刊 4段 4頁 統一教会の素顔 120カ国に200万人の勢力 反共が理念、会員が献金
1977/2/23 朝刊 9段 22頁 「KCIAが弾圧は誤り」統一教会訂正_統一教会
1977/3/4 朝刊 9段 20頁 「統一教会系の集会に、北区教育長が激励文」 区議会で共産党が追及
1977/3/7 朝刊 7段 22頁 原理に泣く親心デモ_宗教
1977/3/16 朝刊 1段 4頁 米の人権基準 韓国では疑問(李東元韓国元外相)_世界の声
1977/3/18 朝刊 7段 3頁 (4)反共複合体 話題まく統一教会 豊富な資金で多角経営_日韓不透明の構図
1977/4/5 夕刊 1段 2頁 “共働関係”を追求 米議会が調査 KCIAと統一教会
1977/4/12 夕刊 9段 7頁 世界基督教統一神霊協会本部員を傷害で逮捕_宗教
1977/4/19 朝刊 9段 22頁 原理運動被害で直訴_宗教
1977/4/25 朝刊 9段 22頁 統一教会の178人に国外退去の手続き 米移民局_統一教会
1977/5/7 夕刊 5段 6頁 文鮮明氏を一時逮捕_統一教会
1978/2/26 朝刊 10段 3頁 統一教会が白人女性使い日本でも議会工作? 日韓疑惑で橋本議員語る
1978/3/16 朝刊 1段 3頁 KCIA、統一教会を設立 「米韓関係の報告書」を公表 米下院委
1978/3/17 朝刊 1段 3頁 日本でも食い込む 統一教会 27万人幅広い活動_下院国際関係委
1978/3/17 朝刊 5段 3頁 統一教会に関するCIAの秘密報告_下院国際関係委
1978/3/18 朝刊 10段 3頁 CIAは事実誤認 日本の統一教会が反論_下院国際関係委
1978/3/23 夕刊 1段 2頁 KCIAとの関係否定 米下院委 韓国文化自由財団の理事長
1978/4/16 朝刊 10段 3頁 国際文化財団援助の団体が平和会議 七月に日本で_国際
1978/5/19 朝刊 1段 22頁 統一教会がらみの映画「仁川」 東宝が製作に協力 労組などは強く反発
1978/6/23 夕刊 1段 2頁 フレーザー委員長らを 統一教会が提訴「結社・信仰の自由侵害」 米議会、全面対決へ_下院国際関係小委(フレーザー委)
1978/8/5 朝刊 5段 3頁 統一教会の疑惑否定 文鮮明師の特別補佐役 朴氏が記者会見
1978/9/28 朝刊 1段 22頁 千六百組の合同婚約式 統一教会また実施
1978/11/11 朝刊 2段 22頁 文鮮明師の入国拒否 成田入管_出入国査証
1978/11/14 朝刊 6段 22頁 原理運動に厳しい目 「憂慮する会」スタート_宗教
1979/5/19 朝刊 6段 22頁 統一教会で集団婚約_米国
1979/8/13 朝刊 10段 3頁 統一教会がアフリカ進出 30数カ国に拠点_アフリカ
1980/8/27 夕刊 1段 3頁 ある入信女性の軌跡 何が娘を変えたのか 独自の価値観との出会い 宗教は受けざら役_検証
1981/8/24 夕刊 3段 12頁 原理運動 ブラジルでも問題化 未成年の参加禁止州も_ブラジル
1982/5/19 夕刊 8段 10頁 文鮮明師ら脱税で有罪 ニューヨーク連邦地裁_裁判・訴訟
1982/7/12 朝刊 1段 4頁 変わる米社会の反応 統一教会の大合同結婚式_ルポ82
1982/7/17 夕刊 9段 9頁 脱税で懲役18月の判決 統一教会の文鮮明_裁判・訴訟
1982/8/12 朝刊 10段 7頁 文鮮明師、国外退去は免れる_裁判・訴訟
1982/10/9 夕刊 1段 12頁 統一教会 ソウルで“集団結婚”1万人 14日、日本から最多の3千組
1982/10/12 朝刊 9段 4頁 (解説)目的は組織の強化 団結誇示し飛躍も_統一教会合同結婚式
1982/10/15 夕刊 5段 18頁 六千組が集団挙式_統一教会合同結婚式
1982/10/25 朝刊 7段 4頁 合同結婚の若者たち_風車
1983/10/17 夕刊 6段 2頁 正体不明の中東紙「統一教会」が全面的に支援 元記者が告発_キプロス
1983/10/22 朝刊 1段 3頁 夢か可能か「日韓トンネル」 九州-釜山230キロ 進む調査 統一教会が音頭取り_深層 しんそう 真相
1983/12/12 夕刊 8段 15頁 「原理研」に入会した娘 引き戻した親は正当 徳島地裁判決_訴訟
1983/12/30 朝刊 1段 18頁 統一教会を前幹部が批判_NEWS三面鏡
1984/5/15 夕刊 1段 2頁 最高裁 文鮮明の上告却下_裁判・訴訟
1984/7/19 夕刊 8段 14頁 文鮮明師収監 米地裁が命令 停止申し立て却下_文鮮明師を収監
1984/7/21 夕刊 8段 13頁 文鮮明師を収監へ_文鮮明師を収監
1984/7/22 朝刊 1段 3頁 岐路に立つ統一教会 教祖収監_文鮮明師を収監
1984/7/22 朝刊 1段 3頁 一層閉鎖的になるのか 世間の常識に沿うのか_文鮮明師を収監
1984/9/1 朝刊 3総 003ページ 02442文字 写真図表有 筑波大の国際関係学類 どこか偏った感じの教授陣(真相・深層)
1984/11/27 夕刊 1総 001ページ 00330文字 韓国、銃撃事件で中断の板門店ツアーを再開
1984/11/28 夕刊 2社 018ページ 00772文字 FBI、文鮮明師の側近誘拐で韓国人6人を逮捕
1984/12/10 夕刊 月曜ルポ 005ページ 03262文字 写真図表有 中止された筑波大学祭 企画表の提出、学生が拒否し紛糾(ルポ´84)
1985/4/9 朝刊 2社 022ページ 01850文字 アフリカ救援募金めぐり苦情 無届け・使途不明も 難民救援連絡会など指摘
1985/5/20 夕刊 月曜ルポ 005ページ 01517文字 筑波大の学生処分(深海流)
1985/7/10 朝刊 3総 003ページ 02555文字 論議呼ぶ臨教審委員の統一教会系会議出席(深層・真相)
1985/10/23 朝刊 3総 003ページ 02228文字 写真図表有 法案成立狙い持久戦(国家秘密・スパイ・知る権利:1)
1986/2/21 朝刊 解説 004ページ 02220文字 写真図表有 筑波大構想に転換の機運 次期学長に福田体制批判派
1986/7/14 夕刊 月曜ルポ 007ページ 03196文字 写真図表有 若者に新オカルトブーム(ルポ86)
1986/7/23 朝刊 2社 022ページ 00390文字 「週刊ポスト」訴訟、統一教会側が敗訴 記事は名誉棄損せず
1986/9/3 朝刊 1社 023ページ 01477文字 国家秘密法制定運動に勝共連合がスポンサー 政治資金報告書
1986/10/7 朝刊 解説 004ページ 01064文字 写真図表有 国家秘密法案・靖国問題(焦点再録 参院予算委・6日)
1986/10/30 朝刊 解説 004ページ 00369文字 国際勝共連合(ことば)
1986/11/25 朝刊 1総 001ページ 02153文字 国家機密法、増える反対議会 促進議決に目立つ議論不足
1986/11/25 朝刊 特設ニュース面 011ページ 02709文字 写真図表有 勝共連合が活動を支えている 国家秘密法・地方の動き実態調査
1987/1/13 朝刊 解説 004ページ 02672文字 写真図表有 国際勝共連合の足取り 「国家秘密法」制定に照準
1987/2/14 朝刊 1社 023ページ 00659文字 霊感商法で被害連絡会
1987/2/25 朝刊 1社 023ページ 01165文字 写真図表有 霊感商法、根は1つ? 10日間の被害訴え500件、20億円
1987/3/6 朝刊 3総 003ページ 02186文字 写真図表有 被害深刻な霊感商法 救済の動き、全国に(時時刻刻)
1987/3/7 朝刊 2社 022ページ 00500文字 文芸春秋の千葉会長、秘密法促進懇を退会
1987/3/17 朝刊 3総 003ページ 02310文字 写真図表有 「霊感商法」はこんな手口 典型的な被害例から(時時刻刻)
1987/3/20 朝刊 2社 022ページ 00589文字 霊感商法、慰謝料を 札幌の女性が提訴 「洗脳され職失う」
1987/4/2 朝刊 4社 025ページ 01472文字 秘密法論議かすむ地方選 売上税花ざかりで
1987/5/6 夕刊 1総 001ページ 00580文字 写真図表有 本社に薬きょう・脅迫状が届く 朝日新聞記者殺傷事件
1987/5/7 朝刊 1総 001ページ 00393文字 本社への脅迫状、阪神支局襲撃事件と無関係 警視庁が断定
1987/5/12 朝刊 1社 027ページ 01029文字 霊感商法をまた提訴、組織的行為と主張 被害救済弁護士連
1987/5/15 朝刊 特設ニュース面 027ページ 07818文字 写真図表有 衝撃…無言の銃弾 阪神支局襲撃事件、24時間ドキュメント
1987/5/20 朝刊 2社 026ページ 00666文字 「合同結婚式中止を」と統一教会信者の親が法務省に要望
1987/5/29 朝刊 1社 031ページ 00442文字 「原理」被害者の会に嫌がらせ電話殺到 代表は職場に辞表
1987/6/5 朝刊 2社 030ページ 00535文字 霊感商法根絶も検討 被害防止で遠藤法相答弁 衆院委
1987/6/6 夕刊 1社 011ページ 01140文字 霊感商法批判したミニコミの発行人、撃たれけが 長崎
1987/6/15 夕刊 2社 014ページ 00631文字 統一教会の女性会員、フォーカス側に勝訴 間違い写真掲載で
1987/6/18 朝刊 2社 026ページ 00253文字 「統一教会員の子供を返して」 広島・山口の親も訴え
1987/6/24 夕刊 1社 015ページ 00941文字 霊感商法、千葉と東京で提訴 合わせて3400万円払え
1987/6/27 朝刊 2社 030ページ 00328文字 原理研めぐり学生同士衝突 神奈川大
1987/7/10 夕刊 1総 001ページ 00642文字 「行革の精神貫く」 参院で首相答弁
1987/7/11 朝刊 解説 004ページ 01632文字 写真図表有 参院代表質問と政府答弁要旨(10日) 佐藤昭夫氏 共産
1987/7/26 朝刊 1社 031ページ 02589文字 写真図表有 霊感商法、各地で守る集会 国会議員が祝電、福田元首相の名も
1987/7/27 夕刊 らうんじ 003ページ 03523文字 写真図表有 「霊感商法」私はこう売った 元販売員・霊能者16人の証言
1987/7/29 朝刊 1社 027ページ 00582文字 霊感商法集会への議員の祝電、国会でも論議
1987/8/20 夕刊 1社 015ページ 01344文字 「霊感商法」で統一教会など相手に賠償請求・調停申し立てへ
1987/8/21 朝刊 2社 026ページ 00250文字 「霊感商法で訴えられ心外」 統一教会コメント
1987/8/28 夕刊 1社 019ページ 00936文字 霊感商法卸元の警察訪問、自民県議が仲介 静岡
1987/10/13 夕刊 2社 010ページ 00173文字 日本基督教団が原理問題相談会
1987/12/21 夕刊 2社 012ページ 00351文字 霊感商法被害、1年で157億円 対策弁連が集会で報告
1988/1/20 夕刊 らうんじ 003ページ 02866文字 写真図表有 世界反共連盟“ワクル”の実態に迫る 米書ルポの日本語版発売
1988/2/10 夕刊 2社 014ページ 00490文字 長崎県弁護士会、いやがらせ電話は「人権侵害」と判断
1988/2/29 朝刊 1社 027ページ 01458文字 写真図表有 霊石愛好会、宗教法人に変身 「天地正教」名乗る
1988/3/1 朝刊 3総 003ページ 02652文字 写真図表有 巧妙化する霊感商法 霊能者、研修で特訓(時時刻刻)
1988/3/19 朝刊 1総 001ページ 00144文字 統一教会<用語>
1988/3/19 朝刊 1総 001ページ 01835文字 写真図表有 霊感商法背後に統一教会の存在推認 日弁連、販売網調べ意見書
1988/3/19 朝刊 1社 031ページ 01415文字 「販売会社に多数の Permalink | 記事への反応(1) | 18:07
日本には、パレスチナみたいな宗教紛争もないし、人種紛争もない、中東みたいな資源もない、地理的に国境を接している国もないですよね。
北朝鮮がミサイルを打ち込んでくることをさも前提のように書かれていますが、国際社会の力関係を学んでるなら北朝鮮が実際にミサイルを打つリスクも、もう少し根拠を持って予想できるのではないですか?(帝国主義の終わった時代に、北朝鮮が国際社会の非難を浴びてまで日本を攻撃する意味があるのでしょうか?中国韓国も同様です。日本は主要な貿易国ですね)
筆者の出来るだけ主観を排除して述べようという姿勢は尊重するけど、「北朝鮮の核攻撃を主要都市に受けた場合」を想定してそれを日本にとってのhigh politicsな課題とするのは短絡的な思考のように感じます。(国際関係学を学んでる方でさえその評価なのだとしたら、ネットで真実界隈などはもう救いようがないくらいそう言った想定を盲信しているでしょうね。)
「自民党が外交的・安全保障的に安定してるから」というより、「人間は本能的に仮想敵を作りやすいものであり、安全保障のリスクも過大評価しやすい。そう言った人間の欲望を「愛国」や「敵国」といった概念を使って上手く利用しているから」が適切な仮説なのではないでしょうか。
以下私の感想ですが、
保険屋がもしもの時の危機感を煽るのと一緒で、軍事関係の最先端の関係者は「今アジアが危ない」と言うでしょう
KAMEI Nobutaka
@jinrui_nikki
『#コクリコ坂から』みたいな映画は、注釈なしに放送してはいけないのではないかと思います。
男子生徒たちが好き勝手議論して方針を決めていく中、なぜ女子生徒たちばかりがただ働きさせられているのだろうか。
「1960年代当時を描いたバイアスある描写です」みたいな説明を付けないといけないと思う
午後10:59 · 2020年8月21日·Twitter Web App
https://twitter.com/jinrui_nikki/status/1296809095379337217
高齢男性の理事長が、居並ぶ男子生徒たちの前を通り過ぎ、女子生徒に対してだけ肩を叩いて去っていくというのも、色濃くバイアスが出ていたシーンです。
こういう絵が、注釈もなしに流通することに、不愉快さと危惧を覚えます
午後11:12 · 2020年8月21日·Twitter Web App
https://twitter.com/jinrui_nikki/status/1296812541205602317
『風と共に去りぬ』だって、今や、注釈なしに上映することがはばかられる時代になっているでしょう。
作品を否定するつもりはありませんが、ただ流せばよいというものではない、という感覚はもっておきたい。過去を描いた作品が、同時代の私たちにもたらす影響を考えてのことです
KAMEI Nobutaka
@jinrui_nikki
文化人類学者。愛知県立大学の国際関係学科在職。「ジンルイ日記」を書いています。
Japan / Africa
https://www.law.nihon-u.ac.jp/article/5581/
https://www.chs.nihon-u.ac.jp/other/2018-05-25/7982/
http://www.eco.nihon-u.ac.jp/topics/4941/
http://www.bus.nihon-u.ac.jp/news/detail_20180524004074.html
https://www.ir.nihon-u.ac.jp/topics/1343/
こういう記事、良記事なのに余り広まらないのは何故なんだろうかと思った。
第三回 南北首脳会談(2018/04/27-板門店)に於いて出された共同声明『板門店宣言』について国際関係学者の解説 - Togetter
4月27日に板門店で行われた南北首脳会談で発表された板門店宣言の解読記事。
テレビやネットのニュース等では「非核化」「朝鮮戦争終結」という所ばかり注目されているけれど
実際に読んでみると「非核化」は韓国に駐留している米軍の撤退を条件にされている様だし、「朝鮮戦争終結」は
国際法上朝鮮戦争の休戦条約を動かす権限の無い立場である韓国が「朝鮮戦争を終結させたい」と言っても無意味。
この結果、一言で言えば「何の成果も得られませんでした」なのでは?
ブスであるという自意識のせいで、がんじがらめになって、なにも出来ないでいる。
ブスだからスカートがはけない、ブスだから国際関係学を専攻できない、ブスだから無視された、ブスだから、ブスだから…
でも意識が高くて、ボランティアやTOEICやセミナーなどに積極的だ。スタバも大好きだ。
彼女は肌も白くてきれいで、やせているので、分厚い黒縁眼鏡とおかっぱ頭をやめれば、そこそこ垢抜けると思う。
でも絶対に黒縁眼鏡をやめたくないし、美しい黒髪のおかっぱ頭も気に入っている。らしい。
彼女は非常に、優秀な人だ。
企業が優秀な学生に与えるとかの何かの奨学金をもらって大学に来ているし、学生団体の代表だし。
TOEICの点数は高いし、真面目で、裕福な家庭と女子校で大切に育てられたので、品もある。
けれどブスへの執着は異様なほどである。
核燃料廃棄コスト、補助金投入まで含めた維持、管理コスト 以下のように明記してあるため、加筆修正の必要なし。 税金・補助金関係は、詳しくは「資源・エネルギー関連予算案の概要」「電気事業と税金 2010」を参照。 5.9円/kWh程度と、低コスト。これは廃棄費用(原子力発電施設解体引当金総見積額と原子燃料サイクル・コスト)も計算に入れている。 現在は原発は補助金に頼っていない。原子力関連の補助金は1,816億円で、電力会社が払っている電源開発促進税は3,292億円。
だが、以下のように、増田の「論理的」主張を完全に否定する見解が研究者から示されている。
ゆとり脳は、どっちなんだろう。
http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20110403ddlk26040355000c.html
東日本大震災で発生した東京電力福島第1原発の事故。放射性物質の流出や拡散は多方面に巨額の経済的被害をもたらし、他の電力会社も含めて安全対策の大幅な見直しを迫られている。事故前からエネルギーの費用計算で原発政策の問題点を指摘し、昨秋に原子力委員会で識者として提言した大島堅一・立命館大国際関係学部教授(経済学)に原発に関する問題点などを聞いた。 【聞き手・太田裕之】
◆原発では、(1)発電に直接要する費用(燃料費、減価償却費、保守費など)の他に、(2)原発に特有の「バックエンド費用」(使用済み燃料再処理費、放射性廃棄物処分費、廃炉費)(3)国からの資金投入(開発・立地のための財政支出)(4)事故に伴う被害と被害補償費--を考える必要がある。
(1)(2)は料金原価に算入されており、この合計を発電単価とする。電力9社が公表している有価証券報告書総覧のデータ(1970~2007年度の合計)を経済産業省の料金算定規則に基づき電源別に推計すると、1キロワット時当たり、火力9・80円▽原子力8・64円▽水力7・08円だった。
ここで注意が必要なのは、原発は出力調整が出来ないため、需要の少ない深夜電力で水をポンプで上げて貯水し、昼間に発電する「揚水発電」をしている点だ。原発のコストは「原子力+揚水」で見なければいけない。水力のうち、揚水は51・87円、一般水力は3・88円。「原子力+揚水」は10・13円となり、火力を上回り最高額となる。
--(3)の財政支出はどうなってるのか?
国家財政からの資金投入は、一般会計と電源特会から行われている。電源別に計上された財政資料は存在しないため、「国の予算」を基に可能な限り再集計した。1970~2007年度の合計で見ると、95%が原子力に費やされていた。火力の106倍、水力の27倍だ。
そして、(1)(2)に(3)を加えた「総単価」を電源別にみると、原子力10・68円▽火力9・90円▽水力7・26円。一般水力3・98円、揚水53・14円で、「原子力+揚水」は12・23円に跳ね上がる。原発は安価ではないどころか、国民にとっては最も割高であることが明らかになった。
原発の最大の課題は放射性廃棄物の処理・処分を含む発電後の放射性物質の扱いだ。使用済み燃料の再処理を含む核燃料サイクル事業、放射性廃棄物の処理・輸送・処分、原子炉の廃止措置など(2)の「バックエンド費用」は04年の政府審議会報告書で総額18・8兆円とされた。前述の単価計算でも含んでいる。
ここで問題なのは、劣化ウラン、減損ウランは高速増殖炉で利用できるとして廃棄物に分類されていないことだ。だが、高速増殖炉の見通しが立たない現状では廃棄物として加わる恐れがある。また、使用済みのMOX燃料(ウランとプルトニウムを混ぜた混合酸化物燃料)の再処理または処分の費用も含まれていない。さらに再処理費(11兆円)に算入されたのは使用済み燃料の半分しか対応しない六ケ所再処理工場だけで、単純に考えて全量では倍額になる。高速増殖炉サイクルに関する事業も含まれていない。
そして、これらの事業は世界でも大規模な実施例がない。高レベル放射性廃棄物とTRU(長半減期低発熱放射性)廃棄物は処分地が未定だ。不確実な再処理工場の稼働率も考慮すると、現在のバックエンド費用の見積もりは過小評価ではないか。海外の再処理工場の実績稼働率は07年で仏56%、英4%。政府が想定する100%は不可能で、実際には数倍に膨れ上がる恐れがある。
--こうした指摘に対し、反応はどうか。
これらの調査・分析の結果は講演会などで報告し、昨年3月に東洋経済新報社から出版した。昨年9月には原子力委員会が原子力政策大綱を見直すかどうかの検討で識者として意見を述べた。その場でも疑問や反論があれば議論して正確にしたいと要望したが、特に大きな反論はない。公表データに基づいているので、反論しようがないのではないか。
http://anond.hatelabo.jp/20070131154754
の書き主です。TB先をDisったつもりが、私がエサになるなんて、ヒィ~。なんていうか万人の万人に対する闘争というか、自ブログでこれやっちゃってたら泣いてるし。なんだけどここではdisるなり電波飛ばすなりがお作法のようなので、迷うことなく電波飛ばしてやる。
とり合えず志望校先に書いとく、上智大学の神学部神学科。志望動機は端的に言うと神学とラテン語両方勉強できるから。
長くなるけど以下に志望したまでのいきさつというかグダグダと、前に書いたエントリについて書きます。
まず先のエントリを書いたのは、向こうの書き主がうじうじしてたのでdisりたくなったから、あと受験生って立場から見てどんな大学であれ大学入ってる人がうらやましかったから、あと遊んでる子が気になるとか三流私大がなんだって自分も思ったことあるしょうのないこと気にしてるから当てこすってやろうと思ったの、ってこれなんて反省文。なのに当てこすり部分きつくして書いたもんだから(タイトル含めて)、TBもらうは、ブクマコメこんなにもらったことないというか手厳しいコメもらうとやっぱ凹むね、匿名でも。というか、TBくれた人みたいに素直に書けばよかったわけね、ほんと私は素直ではとってもない。
あとリアルで学歴云々の話がタブーであるのもよくわかった。というかTB先の人の不満というかその大元になるもに私‘も’3年曝され続けたわけですがといまさら被害者面かよ!といわれるのイヤだし、そういう後ろ向きなもの持ったままでいるのいやなので全部はいちゃう。
にしてもたくさんTBいっぺんにもらったことないのでちょっと困惑する。
http://anond.hatelabo.jp/20070131162229
http://anond.hatelabo.jp/20070131170249
まずはこのお二方のTBから、先に書いたように私の志望大学は上智大学の神学部神学科です。試験は英語、世界史、現代国語のペーパテストに加えて学科での学習の適性を計る小論文と面接です。あと、願書出すために司祭(神父様なり牧師様)の推薦状が必要です。受験資格にキリスト教徒である必要はありませんが、その場合でも在学校の教員の推薦状がいるようです。(できれば学部、学科の教育内容について熟知してる方が望ましいと書いてありましたが、願書に)
偏差値の方ですが各予備校のボーダーを確認すると、40後半から50前半です。例年合格最低点は学科試験の50パーセント程度です。いちよう上記の理由があって(受験者が限られる)偏差値が低いものと心得ています。
あと、、高校二年生のときにオープンキャンパスの際ではありませんがキャンパスの方は見学しました。身近にOBが幾人かいましたのでその人たちからも大学の雰囲気などについて伺ってはいます。
大学での講義の内容については、大学のシラバス、担当教官のホームページなりブログについては一通り目をとうしました。さらに大学、学科名でググって、在学生のホームページも3っほど読んでみました(というか二つはブログ)。
予備知識については、ミッション系の学校での倫理の時間と課外活動でカトリック研究会に所属していましたし、昨年洗礼を受ける際にも勉強しましたので十分備えているつもりです。無論、一次の学科試験が終わればそのあと神父様に紹介していただいた書籍も読んでいくつもりでが。
大学に入学後にはキリスト教倫理学、日本での教会およびミッション系の学校での教育活動について学びたいと思っています。また、宗教科教員の免許習得を目指したいと思います。
とここまで書けばOK?・・・・・・・・・・・・・・・・これじゃつまんないでしょ?あれだけきつい事書いたのに。
これ一般の人向けの説明、予備校のチューターとかあんまし親しくない友人にはこの説明で押し通してる。正直神学部志望と言うだけで驚かれるから、無論上に書いたコトには一字一句ウソはありあません。宗教科の教員免許はとるつもりだし、日本において教会が関わってる教育活動は私が学びたいことの一つであるし、キリスト教倫理学は信者の一人としてカトリックの考え方もっと深く学びたいと思ったから。でも、上に書いたことはやりたいことの一部でしかありません。
http://anond.hatelabo.jp/20070131174254
お言葉に甘えて書かしてもらいます。自分の志望動機きちんと全部話をした相手は父親と母親あと推薦書書いてくれた神父さまの3人だけです今のところ、あとは二次の面接で試験官にできる限りのことを伝えようと思います。
というかキー打つのに少し疲れた。ごめんなさい書きかけだけどいったんうpする。あと誤解されてるのいやだから先に書くけど、私地方在住だし、Fランだの地方の中堅国立大なんて気にしてません、でも自分の選択にうじうじして割り切れてない人はどんな人だろうと嫌いです。
お昼早めに食べたので書き足します。長くなる気がするので読みにくいかも・・・・。
まず、神学部を志望するまでになったいきさつというか、自分語りうざいって人は時間の無駄なので読まないようにね。
上にも書いたように私は中学受験してミッション系の中高一貫校に入りました。中学受験は自分自身で決めたものでなく、母親に強く勧められて決めた物です。塾に通い始めたのは小学校5年生の三学期から、受験する子たちに比べとても遅かったと思います。もともとは、塾の進学コースでなくて補習コースからでした。小学校の算数のテストで酷い点を取ったのがきっかけです。確か比だとか単位換算?だったかな確か。でも点数はよく覚えてる、たぶん相当怒られたからだと思う。65点だった。塾行くの初めはすごく嫌だった。たったの週三回、学校終わってから8時ぐらいまでだったけど。でも、国語は得意いだった。基本的に本読むの好きだったから。6年生の5月ごろの学力テストでかなりいい点数を取って、上のクラスに上がらないかと塾の講師に薦められた。母親がセールストーク真に受けたのと、たぶんその時褒められたのが相当うれしかったんだと思う、私も承諾して上のクラスに上がることになった。それから週三だった授業が週5、学校終わってからと土曜日は朝から、日曜日も私、算数と理科の電気だとかの物理分野苦手だったので補習があった。きつい時あったけど、そんなにイヤではなかったと思う、今思い返してみても。ちっさいころから母親私の教育に入れ込んでた気がする。夏休みのドリルとか、なかなか進まないですごく怒られたりだとかした記憶があるから、すごく嫌だった。そういうことあっての反動だと思うけど、夏以降も成績上がっていって期待されたり褒められたりするのが当時はとてもうれしかったんだと思う。秋ごろの試験で今までは考えられなかったような学校の合格が見えてきて挑戦するかどうか決めないといけなくなった結局滑り止め含めて挑戦校も受けることになった。結局受けたところは全部受かった。挑戦校は受験したあと正直落ちたと思ってた。算数ぜんぜんできなかったから。合格発表のときはすごくドキドキしたし、自分の受験番号が掲示されてるのはとてもうれしかった。
春になって、新しい制服に袖通して、晴れやかな気分で入学した。でもすぐに勉強ついていけなくなった。特に厳しかった英語と算数同様に苦手だった数学、正直できない勉強を教室で受け続ける苦痛はすごく分かってるつもりです。一年生の時から落ちこぼれですから。でも、それ以外の科目は基本的に社会であろうが理科であろうが大好きだったからそれに対しては不満持たなかった。でもほんと泣きそうだった。あの時学年でアルファベットとか負の数の入った計算学校に入る前にきちんとやってなかったの私ぐらいだと思う。意識の高い家とかだったら、入学後も勉強しないといけないのわかってるから、家で教えたり、早い人は中一から塾行ってたりするし。私結局中学一年の二学期に数学と英語アカ点食らうとかすさまじいことして、落ちこぼれがこれで確定・・・・・三者面談だよいきなり、入学して一年目で、挙句英語担当の外国人教師に親子ともども死ぬほど流暢な日本語で1時間近く説教されるし。大きなお世話かも知れないけど自分の娘、息子の勉強の面倒見れない人はこいう学校に入れない方がいいと思う。得るものたくさんあったし、これから書くけど勉強面では親子ともども苦労すると思うから。
そんなこんなだったけど、三学期はがんばったのと数学の先生のお情けがあったのでアカ点は免れて進級できました。2年生から本格的にクラブ活動だとか委員会活動できるようになったので、もうほんと逃げるように打ち込みました。勉強の方は試験前のできる子のノートのコピーに一夜漬け、平常点のある教科は稼げるだけ稼いでおくとか、あと数学とかは、はなっからアカ点救済の追試を見越してまったくやらなかったり。追試は本試とまったく同じ問題なので前日に丸暗記したし。こいうの学んだのはクラブの先輩だと委員会の先輩、中高一貫なので似たような人はどこかにいるわけで、だれそれ先生はこういった傾向の問題ばっかり出すとか、甘いから何点最悪取ってればアカはでないだとか、以下略。正直補講だとか補習のある先生のテストで悪い点取ったら、委員会とかクラブに支障出るので必要悪だとも思うけど、だけどこのつけ払うために浪人するはめになったけど。友達づきあいも比較的楽しくできたと思うし、親友と呼べる子は少なくとも5人はいる。この子たちには学校の間だけじゃなくて卒業して浪人してる時も心配してメールくれたり、手紙くれたり、はてはお守りまで贈ってくれたりしてほんと感謝してる。
色々得たし楽しかったんだけど、私中学卒業して同じ高校に行くかどうかはかなりなやんだ。学校の勉強に正直付いていける気がしなかったから。ここでもネックになったのが英語と数学、中学三年生ごろから数学は高校の内容になってたし、英検の準二級全員で受けさせられたし、ほんと私一人だけ落ちるんじゃないかと心配した。それにクラブのほうも高校生と一緒に練習するようになったんだけど、高校のクラブの顧問が最悪のことに私の数学の担当の教師だったの、ほんといちいちいやみ言ってくるしクラブ中三でやめちゃった。あと、公立の高校進学しようかと悩んでて親に行ったら当然止められるし、挙句そこそこのレベルの高校ですら受かるわけないって言われた。うん、なんか前にTB送った人と似てる気がするからなんか突っかかりたくなったんだと思う。なんかすごいそのころイライラしてて友達とも仲悪くなった。というよりも、クラブやめないように説得してくれたり、苦手な勉強手伝ってあげるだとかの気遣いがすごく負担に感じられたから、今思えばすごく身勝手。
心理的な負担がたたって、拒食症気味になるは不眠、貧血、リスカはしなかったけど、内科で自律神経失調症って診断されてお薬もらう、でも病人扱いされるのイヤだったし薬いっさい飲まなかった。学校休むこと多くなって母親と延々喧嘩した。喧嘩するのイヤで、遅刻上等というか重役出勤して、保健室入りびたり、おしゃべりしたり本読んだり、保健室の本読み飽きたら、図書室こっそり行って本読ましてもらったりした。図書委員で司書さんにかわいがってもらっていたので、あと好きな科目の授業だけでることはあった。でもその授業に出るとその後の授業にも必然的にでないといけなくなるのでなるだけいやな数学と英語の授業サボれるような時に教室行くようにしてた。当時は体の状態ほんと悪かったのもあるけど病弱で押し通してた。でこのプチ不登校というかメンヘルというかは、中三の一学期でおしまい。担任と父親と校長と面談して高校に進学することになった。夏休みの英語と数学の補講つきだったけど。中三はこのまま終わった。数学の時間は一番前の窓辺だったけど授業一切聴いてなかったし、英語は授業中いろんな子にあてる先生だったけど、私には一切当てることなかった。まあなんです、自堕落の生活はそれはそれですごく苦しいです。精神的にきつい人は無理する必要ないと思うし、そういう人に向けての「がんばれ」は善意からのものであるのはわかるけどほんときついし、ただ相手を追い込むだけなのは身をもって体験した。やめよう、ねほんと自分で自分で追い込んでるワケだし、そっとしてあげるのがいいと思う、個人的には。
高校に入って気分一新、クラスもたまたまメンバーががらっと変ったので勉強の方も立て直して結句がんばった。高一のときは成績真ん中ぐらい。相変らず数学の点数は悪かったけどね。だってIAまともにできてないの??Bなんてできるわけがない。三角関数とか言われても三角比からわかりません、下手すると因数分解もやばひぃ。でもまあ、そこそこがんばった。でそこそこ勉強やろうって子達とも友達になってこのまま高2、高3と勉強すればよかったんだけど、よりにもよって文化祭の委員に巻き込まれ、こういうイベントというか企画して実行するのってすごく好きだから入れ込んじゃってほぼ高2のときの気力やら何やらを吸い取られ、そのあとすぐに修学旅行あって遊びほうけて、高三春先の模試でみんな頭が受験生になってるのにボーっとしてて気づいてたら最後の模試の成績表が手元にあってE判定にわれに返って、勉強始めたら年明けすぐにセンター試験で卒業式で二次試験で不合格でなんか終わってしまってた。高校まではこんな感じ。
で自分の将来について考え始めたのは、中学3年生の時のグダグダから、なんかやったらめったら本読んだんだけど、どの本から影響を受けただとかは当然はっきりはわかんないし、父親にしろ母親にしろと喧嘩するたびに将来どうするんだって言葉を投げつけられたりしながら考えてるのもあるのではっきりは自分でもやっぱしわかんない。なので、自分が意識できてる原因だとかきっかけだとかしかかけない。
今でももっているのだけど私の志望は国際政治を勉強したい、これは基本的には変ってない。これがどうして神学部志望になるかは自分でも少し不思議に思うけど、自分の進路確認するためにも長くなると思うけど書いていきます。
影響を与えた本というか、色々悩んでた時期に図書室にあったマーガレット・サッチャーの自伝を読んだのがある意味国際政治を勉強してみたいと思ったきっかけだと思います。ほんとはもっとあるとも思うのですが、少なくとも当時の私はサッチャーの生き方にかなり心動かされた。あと家の父親が学校の勉強はできる必要ないけど、本と新聞だけはよく読んどけ、あとは好きに遊んでろ、って言っていたのも下地になっているとは思います。中学受験の頃から社会科はとても好きでしたし、中学校に入ってからも基本的に得意科目だったし、好きでした。あと、カトリック研究会に入ったのも社会化の先生が国際化の世の中だしわざわざミッション系の学校に通っているのだし、キリスト教のこと勉強するのもいいのじゃないのかと授業中に紹介されたのがきっかけだったし、当時はクリスチャンになるなんて思ってもいなかった。カルチャースタディーぐらいのつもりだったのに。
中三ぐらいからなんとなく国際的な仕事となんか勘違いしてつんつんしてる子が抱きそうなゆるい願望から始まったわけですが、一度これと思ったら結構こだわってしまうタイプなので、図書室の政治だとかあと関係ありそうな新書だとかはその当時かなり読みました。
当時読んだ中で心に残っているのは、アルビントフラーの「第三の波」と「戦争と平和」がかなりよかった。あと父親の書斎にもぐって文芸春秋のバックナンバー読んだり、あと小室直樹とかいわゆるオヤジビジネスマンが読みそうな本をかなりがりがりと読んで、父親に生意気だとか結婚できなくなるとか、ガキがグダグダぬかすなとか言われてむくれる。全共闘崩れで心情左翼でそのくせ、根が女性蔑視だし、オヤジだし封建的だと反発して、日曜の朝だとかにやってる報道番組のたびに父親と喧嘩するようになる。朝まで生テレビならぬ、朝から生焼け討論。この当時母親あきれかえって口出しせず、弟は朝から難しい話すんなって愚痴ってました。小さな政府に安全保障上の懸案の解決になぜか固執してた。当然ながら小泉首相は支持してた。ついでだから書くけど、安倍政権は支持してない。
父親とのdisりっこもあったんだけど、当時読んだ文言春秋の北朝鮮問題について扱った記事が引き金になって、安全保障論とか本格的に勉強したくなる。たしか、この記事「希望の国のエクソダス」とか巻末で連載されてた頃の記事だと思う。確かミサイル開発、核開発、麻薬だとか拉致についても書いてあったと思う。(調べたら1998年の記事みたい、読んだのはたぶん2001年ごろ)
あと、2001年は私にとって大きな年だと思ってる。その年の4月に小泉政権になって、9月にはワールドトレードセンタービルはなくなってたし。12月には不審船事件もあった。かなり短絡的だあったことは今から思えばそうだけど、当時何度も何度も繰り返しハリウッドのそれこそCGじゃないかと思うような映像見せ付けられて、そのすぐ後に日本が国籍不明とは言え外国船に実弾を打ち込む有様見せられて危機感を抱かない方がどうかしてると思う。で当時の私は防衛庁の国家二種試験を受けて、安全保障についてかかわりのある仕事につこうと考えるようになった。当時から、防衛庁は防衛省になると思ってたし、外交分野でも安全保障に関する必要性は増すと思ってた。なので、それを扱える人材の受容も増すとまで考えてた。その頃からネット使い始めてたので、検索して安全保障論できそうな大学探して志望校にしてた。きちっと決まったのが高二の時、国立大と私立一校ずつ当然両方とも受けます。第二志望と第三志望ですから。なのでこの時点ではまったく神学とかは考えに入ってすらいなかった。後すごいたまたまなんだけど、TBくれた人のTB先の江畑健介さんは知ってます、書籍も二冊ほど手元にあった気が・・・・・頭の上がチャーミングな方ですよね。
そんなこんななんだけど、人より志望校早くに決まってたはずなのに上で書いたように学園生活をまんぴつしすぎて、現役の時は不合格でした。センターのボーダーマイナス40点だったと思う。
で当時はホンと凹んだのと父親に口ばっかし達者だし、考えに偏りがあるから反省しろといわれていたのですが、ほんと反省できました。同じ大学の後期試験を受けたのですが、志望動機などについての面接があったのですが、面接官は3人、一人は英語での面接担当、後でググッたりして調べたら、英語の授業の教官で結構右より、英語帝国主義論?みたいのこといってた気がする。とり合えずアメリカに媚媚するのが嫌いな人。もう一人は国際政治学が専門、残念なんだけど調べてもどなただかがいまだにわかんない。質疑応答主にした人だったのだけど、東アジアの地域安全保障について将来貢献したいしそのためにこの大学で勉強したいといったらいたく気に入ってくれた気がする。そんでもってもう一人が一年次の導入の講義の担当教官、国際関係学と国際法が主な研究領域かな?というかこの人によりにもよって大学の面接で噛み付いてしまったんです。ほんと、センターの成績たいしてよくないから点数稼がないといけないのに、NGOだとかNPO、ようするに国境無き医師団のような活動についてはどのように考えるかと聴かれて、その役割過大評価する必要はない的なことをいってしまって、前の二人の面接官とは4,5回内容についてどんどん突っ込んだ質問が出てそれに答えって感じでうまくいってたのに、その質問いついては私が一回答えてそれでおしまい。一瞬にして部屋の空気が凍りついたというか、すごく不機嫌そうでした三人目の教官、なんか残り二人の教官のアチャーという空気も感じられ、いたたまれなくなったのか、少しの沈黙のあと、真ん中の教官におずおずとこれで終了ですといわれて退出しました。
そのあと、校舎出て携帯取り出して即カトリック研究会で面倒見てもらってた神父様に電話して洗礼受けたいってなきながら電話してた。何というか懺悔ってこういうことを言うんだなというか、父親にも言われてたし自分でも少し先鋭化しすぎてたのもわかってたけど、自分の根拠のないプライドと自信はここで崩壊。ほんと帰りの電車で周りドン引きするのかまわずおお泣きしてました。情けないやら、悔しいやら、後悔やらほんとなんかよくわかんない感情。で上に間違って昨年と書いてたけどもう年越してるから一昨年です。なんか今までちゃんとしてこなかったことやらに反省して、他人に頼っちゃダメだとこの期に及んでまだ我をはって、周り止めるのかまわず自宅浪人した。うん、馬鹿なのわかってる。自分でも。
まだ、一浪の時は自分で自分の責任で周りに頼らずがんばんないとなんてこだわってた。ほんと死ぬ気でやった。そこでわかったのは自分は自分の習慣なり感情なり欲望を完全に意志によってコントロールほど強くないってこと、正直自分自身をマネージメントできるのは一握りの人間だけだし、ほんとの意味で賢い人はこういうことできるんだろうな。あと、自分がいかに多くのもに頼らざるえないかも身にしみてわかった。家族にしろ気を使ってくれたし、教会に行くようになったけどそこの人たちにも励まされたし、友達にも心配してもらったし。自分で何か一人でやりきったというのは、ある年齢ぐらいまではそれでいいし自身を持つためにも必要だと思うけど、大人になるには捨てないといけないものだと思う。やれるだけやって大学受けて落ちた時は頭真っ白、センターの英語でいまいちの点数しか取れなかったのが敗因といえば敗因ですが、言い訳にはならないと思う。一発勝負なのははなっから分かってたワケだし、テンパってぐずぐずになるのはやっぱし演習が足ってなかったわけだし。
で、正直地元の国立の試験終わってから出願できる大学考えてたんだけど、父親にもう一年やれその代わり予備校にも行って最善尽くせって言われた。ほんと贅沢だと思う。心配かけてるし。すぐに予備校に入るしたくして、昨年できてなかった数学といまだに苦手意識のあった英語がんばった。成績も一浪の時に比べたら少ししかあがってないけど、やることはやってきた。というか試験もうすぐだからこういうことは合格してから書けとか言われそうですね。というかあとは第一志望に受かれば万事OKなわけですが、上智の神学科に志望変った理由を書いてもう終わりにします。というかほんと長いね。相当フラストレーションたまってるんだ、わたし。
神学部に志望が変った理由を端的に述べると、2001年にもってた危機感というかそういうものが変質したからだと思う。当時は隣の危ない国のことがかなり気になっていたけど正直それは些細な問題でもっとまずい物というか大変なことが起きそうだなと、予備校行きつつも読書はしてきてつもりだしなるだけいろんなところにアンテナ張ってきたつもりなのだけど、正直言うとまだぜんぜんはっきりしないでもなんかとってもまずい気がする。これじゃほんとただの電波だよな。なんか色んな人が色んな場所から変化が起きる起きるというけど言ってる当人たちもなんかよくいまいち分かってないみたいだし、そのなんだかよく分からない変化に対して自分の価値観だとか行動規範を固めたいのが一点。
もう一つはキリスト教自他が宗教改革というかたちで大きく変化したけど‘その変化’自体を知りたいというか、いろいろアプローチの仕方は考えてみてるけど、たぶんこの先起こる大きな変化と同じぐらい大きな変化であると思っているので、そのとき生きてた人たちがどうやって考えて行動してたか知りたいから。
なんだか長々と書いてて本題の部分が短いしあいまいでごめんなさい。
でもう少し、前のエントリーはきつい当てこすりにしても、正直過去を後悔してぐずぐず言うのはあまり建設的ではないと思う。そんなことしてたら私後悔しっぱなしで持たなくなるし、やれることをやれるだけ、他人に頼りながら少しずつでもやるしかないと思う。
長くなったけどこれでおしまい。かける機会をもらえたことに感謝。時間少なくなってるのでこれで切り上げます。読んで下さってありがとうございます。