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2026-04-27

息子の作文(嘘)

「将来の夢」についての思索 

4年C組 10番 胡蝶 夢

​ 僕の将来の夢は、サッカー選手になることだった。しかし、昨日の夜、寝ている間に僕は自分サッカー選手になった夢を見てしまった。つまり、もう夢を叶えてしまったのである。夢を叶えてしまったのだから、新しい夢を考えるべきだと感じるし、実際に考えようともするが、また寝ている間に夢で夢を叶えてしまったら意味はない。ということで、僕の将来の夢は「睡眠中の夢によって実現不可能ものであるべきだと直感したが、そんなもの存在しない。僕はこれからどう生きていけばいいのだろうか。

​ 母について考える。生まれてきてから、僕は比較的いい子だったと思う。この私立小学校に在籍できているのも、僕がいい子だったからだ。母が「いい子にしなさい」ということを強く強調していたので、非常に重要ことなのだろうと、僕はいい子をしてきた。母がいい子になることを求めるのはおそらく、僕が将来いろいろな選択肢を持てるようにということだろう。つまり、将来僕が色んな夢を実現可能状態になっていることが望ましいと判断たから、いい子であることを求めたのだ。それは非常に愛のある態度だと思う。しかし、僕はもう夢を叶えてしまった。

​ 父についても同じことが言える。父は美人な母を手に入れるため努力してきたのだと思うし、そこは尊敬する。しかし、もし父がその過程を「睡眠中の夢」として先取りしてしまっていたらどうなっていただろう。その場合、今こうして呼吸をしている僕は、父が見ている夢の登場人物に過ぎない。僕が「僕はここにいる」と主張したところで、それは父の脳内物質が見せているバグのようなものだ。そして当然、その父自身も、さらに高次な存在が見ている夢の一部である可能性を否定できない。世界は誰かの夢の連鎖であり、僕たちは実態のないホログラムかもしれないのだ。そう考えると、現実とは一体何なのだろうか。

​ 先生課題として出されたのでこの作文を書いたが、僕は「将来の夢」を考えることを通して、この世には意味がないことに気が付いてしまった。起きている間に叶えた夢でないと意味がないという大人理屈が、僕にはよくわからない。僕は寝ている間の夢の中で努力し、サッカー選手キャリアを全うした。時間的にもしっかりと数十年単位の苦労と努力経験したのだ。だからもう、僕は人生を全うしたも同然である

​ もろもろ説教を垂れてくる大人がいることは理解するが、根本的な問題は「生きる意味」そのものであり、惰性で生きている僕たちではこの問題解決することはできないのだ。僕の思索は、ここで終わる。ただ一つ言えることは、夢とは夢程度で実現可能なのだから、夢が叶わないこと、現実が思い通りにいかないことに対して悲観する必要もないということだ。これは人類安息意味すると思う。

 話は変わるが、今日の二十分休みは、チャペルに行って神父様にこの話をしようと思う。マリア様はこの話をどう思うのかどうか知りたくなった。

2025-12-07

学生時代、という歌について

ある本を読んでいたら、「学生時代」という歌をペギー葉山さんが歌っていた、ということが書かれていた。

私の中でペギー葉山と言えばウルトラの母だったので、ペギー葉山さんの歌だったのかと驚いた。

Wikipediaを読むと「学生時代」は1964年の歌。私が生まれるより前の歌だ。

自分がなぜこの歌を知っているのかと言えば、小学校音楽時間に習ったからだ。

私が小学校に通っていたのは1970年代だが、そのころはこういった歌謡曲学校の授業で合唱していたのだ。

(ほかにも「虹と雪のバラード」とか「クロネコタンゴ」などを歌った記憶がある)

件の本には「学生時代」の歌詞の一部が書かれていた。

 〽秋の日の図書館の ノートインクのにおい

読んでいて、確かにこんな歌詞だったな、続きは何だったか…そうだ「枯葉の散る窓辺 学生時代」と続くんだった、とメロディーとともに思い出した。

小学生だった当時はここで歌われているような情景は知るはずもなく、この歌詞が何を意味しているのかも分からないまま歌っていた。

蔦の絡まるチャペルが何なのか、懐かしい友の顔が浮かぶのはなぜなのか、歌詞意味を考えもせずただ歌っていた。

何十年もたったのに今でも歌詞を覚えている。雀百まで踊り忘れずというが、歌の力というのはすごいのだなと感心する。

そんなことを考えていてふと気が付いた。

いまならこの歌詞意味が分かる。大学生の頃の思い出をたどれば、確かに懐かしい友の顔が浮かんでくる。

図書館の日々も、枯れ葉が散る秋も、自分学生時代として我が事として思い出せる。

小学生の頃に歌った歌の内容を、実際に大学生として体験した。

学生の頃にはそんなことは気にもとめず、何十年もたった今になってそのことを発見した。

とても不思議な感じだ。ノスタルジーとは違う、疑似タイムリープとでもいうのか…。うまく言えない。

子供時代学生時代、そして老年差し掛かった今が「学生時代」という私が生まれる前の曲でつながっている。

自分もずいぶんと長いこと生きてきたのだなと不思議な実感がある。

本を読んでいると書かれている内容にハッとしたりワクワクしたりすることは多い。

しかし今回のように、本の内容と全く関係のない事柄、それも自分人生と深くかかわるような気付きを与えてくれるようなことはめったにない。

こういうことがあるから本を読むのはやめられない。

※ もとの本に書かれていたのは「図書館はいいよね、独特の匂いがあるよね、「学生時代」という歌を思い出すんだよね」という内容だった。

2025-08-02

anond:20250801214852

幸福の機会を売ってるんであって、差別心の尊重じゃない。

あさっ

もっとマシなこと言えよww

軽井沢ウェディングチャペルAV撮影に利用されたら

得意満面で共有した挙式の画像が「例の教会ww」と嗤われるわけだよ

そんなの許されないだろ

そういう話だよ

ウェディングチャペルAV撮影禁止するのは、差別で許されないのか?

この勢いで炎上すると思うか?

帝国ホテル東京プレミアデラックススイートAV撮影許可されるべきか?

少しは頭に詰まってるもの使えよ

2025-08-01

anond:20250801112132

全然いいけど?

というかキリスト教徒でもないのにウェディングドレスきてチャペルでやってるのがバカバカしい

ちょっと着飾ってパーティーするくらいで十分

2025-03-23

ピンクポニーガールと、その母親

チャペル・ローンのピンクポニークラブという曲がある。

田舎にどうしても馴染めないが、都会に出たからと言って故郷のすべてを捨てたわけではなく、土地母親への気持ちが残っているけれど、新天地にいる自分肯定する歌だ。刺さる人も多いんじゃないかな。

私も田舎学校では少し浮いた存在で、大学進学を機に東京に出てからこちらで就職した。私がどうしても馴染めなかった当然異性の恋人を作って結婚するという価値観はここ東京でもあるけれども、田舎より他者への興味が薄いのか、そのように振る舞うようにしている人が多いのか実際のところはわからないけれども、それでもだいぶ過ごしやすく、きっと何事もなければこのまま東京で暮していくのだと思う。

母親昭和の頃の価値観の人で、帰省時にそのように生きることは私にとってはとても難しく、辛いことなのだと伝えては理解してもらえず口論になり、東京へ帰る日を早めることもしばしばあった。

そういうことをするたびに母親から電話が来て、本当は口論なんてしたくなくて、増田のあり方を肯定したいのに、自分が生きてきた価値観押し付けしまうと涙声で語られる。

どうすれば良かったんですかね。

もし私がアロマンティックじゃなかったり、バリキャリ志向じゃなかったら母親を傷つけることもなかったのかなとも思うけど、じゃあ母親のためにそうではないふりをして生きていけるかというとそんなことはない。なるべく他者を傷つけずに生きていたいけれど、それで自分を押し殺すのは違う。

結局、今の距離感のままでいるのが良いんだろう。母と言い合いすることもなく、私も母もその土地楽しい時間を過ごし、数年に一度帰省して口論が勃発する前に故郷を離れるくらいの距離感が。

でもお母さんの九州弁が恋しくなることもあるのは事実なんだよな。

2025-03-02

Happy Wedding

大学時代の友人の結婚式

まり多くない人数ってこともあり新婦友人で男なのは自分だけ、浮くだろうなと思いつつも誘われてすぐに飛行機を予約した。

当日、チャペルでは目立たぬ様最後列に座った。

チャペルのドアが開いた時、構えたスマホが震えた。動画だったらバレてたか写真でよかった。

結婚おめでとう。

2025-02-03

トランス女性女性です

チャペル・ローン、グラミー賞2025で「トランスジェンダー女性たちなくして私はここにいない」と連帯を表明

2日(現地時間)、チャペル・ローンはグラミー賞2025授賞式前のレッドカーペットに登場し、トランスジェンダーコミュニティへの連帯を表明した。

GLAADのインタビューに答えたチャペル・ローン。第二次トランプ政権による一連の反トランスジェンダー政策に関し、LGBTQ+コミュニティに伝えたいメッセージを聞かれると、現状が「残酷であることを認めた後、「トランスジェンダーの人々は常に存在してきたし、これから永遠に存在し続けます。何が起ころうとも、トランスジェンダーとして生きる喜びが奪われることは決してありません」と強調。

さらに「トランスジェンダーガールズたちなくして、私はここにいなかった」と続け、「ポップミュージックあなたたちのことを思い、気にかけているということを知っておいてください。私はできる限り全てを尽くして、あらゆる方法トランスジェンダーコミュニティとともに立ち上がります」と力強く述べた。

https://www.vogue.co.jp/article/grammys-2025-chappell-roan-trans-rights

2024-07-22

始めてプレイしたアサクリは、epicで配布されてたシンジケートだった

産業革命期のイギリス舞台なのだが、たまに現代パートが挟まる

人類が発生する前に「来たりし者」という現在人類より進んだ技術(ほぼ魔法)を持った存在がいて

その存在が残した科学を超えるアイテムを一部の組織が求めている

そんで転々とするアイテム所在を求めて産業革命期の人の思考アクセスして当時の事情を探るみたいなストーリー

肉体の損傷を治す不老不死アイテムがあって、それを探していたが敵組織に奪われて

敵は入手していた「来たりし者」の遺体を布で復活させてしまい、てんやわんやという話だった

要するにアサクリシンジケートはファンタジーとかSFかいジャンルになる

一方epicでのアサクリシンジケートの紹介文はこう

若き無謀なアサシンジェイコブ・フライとなりスキルを活かして、進歩の歩みに虐げられた人々を助けよう。

産業革命最盛期の街を巡り、伝説的な歴史上の人物出会おう。ウェストミンスターからホワイトチャペルまで、ダーウィンディケンズヴィクトリア女王といった多くの偉人出会える。

ギャングリーダーとして拠点を強化し、ライバルギャングメンバーを味方につけ、テンプル騎士団の手から首都を取り戻そう。

産業革命期にテンプル騎士団?」とは思うかもしれないが、紹介文だけだとSFファンタジーと無縁な時代劇に思える

時代劇かと思ったら魔法みたいなのとか現代パートとか出てきた!?」というある種の引っ掛けもアサクリの魅力

実際そういう要素が出てきた時は驚いた

その引っ掛けが悪い方向に作用し「アサクリのことよく知らないけど今までは歴史に忠実なノンフィクションのお硬いゲームだったんでしょ?」と誤解した人たちが怒ったのが今回の騒動

フィクション魔法とか進みすぎたSF技術とか出てくる作品なんだ

歴史上の実在人物が敵キャラとして不思議アイテムを駆使したバトルを仕掛けてきたりするんだ

許してくれ

2024-05-07

anond:20240507102727

横並びの席って味気なくないか・・・

久々にあった人と話したくても移動しづらいし

食事は仕出弁当のみ。チャペルの席で食べた。

anond:20240507102409

ガチキリスト教形式であればそうだな

一般的な女が憧れてるエセキリストチャペル式は70万とかかかる まぁカメラマン代とかも含めてだが

https://www.mwed.jp/articles/13481/

挙式・披露宴で300万くらいかかるそうだ

https://zexy.net/mar/manual/kiso_souba/

事情によってはご祝儀を3万ずつ貰っても尚ローン組まないといけないレベル

親戚は更にそれで離婚たか馬鹿か?と思った

anond:20240507102409

姉妹お姉ちゃん(本人も夫も文系博士)もクリスチャンだったので教会チャペルでの結婚式だった。

食事は仕出し弁当のみ。チャペルの席で食べた。

ちなみに15年後に離婚文系博士のようなエリート同士でも離婚するんだなと思った。

2023-10-23

ジャニーズ事務所デビュー曲音楽出版社情報

曲名リリース出版社1 出版社2 出版社3
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STAR LIGHT1987年ヤマハミュージックEH(CMロックダムアーティスツ
Can’t Stop!!-LOVING-1991年ジャニーズ出版
LOVE YOU ONLY1994年フジパシフィックミュージック
MUSIC FOR THE PEOPLE1995年 CONTINI ED MUS DI CONTINI ALBERTO
硝子の少年1997年ジャニーズ出版
A・RA・SHI1999年ジャニーズ出版
NEWSニッポン2003年フジパシフィックミュージックジャニーズ出版
浪花いろは節2004年ジャニーズ出版
Real Face2006年ジャニーズ出版
Ultra Music Power2007年ジャニーズ出版フジパシフィックミュージック
Everybody Go2011年 日音 Synch事業部ジャニーズ出版
Sexy Zone2011年ジャニーズ出版
ZaABC~5stars~ 2012年ワーナーチャペル音楽出版 株式会社 Synch事業部ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス ジャニーズ出版
ええじゃないか2014年ジャニーズ出版
シンデレラガール2018年 日音 ジャニーズ出版
Imitation Rain / D.D. 2020年ジャニーズ出版
初心LOVE2021年ジャニーズ出版
JUST DANCE! 2022年フジパシフィックミュージックピアミュージックジャニーズ出版

2023-09-28

五条悟に普通結婚をしてほしかった

呪術廻戦の最新話のネタバレを含みます







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呪術廻戦の五条悟が死んだ。

外見上は幼い頃から世話を焼いていた教え子に殺された。

五条悟は「六眼」を持って産まれたため産まれた瞬間から特別だった。

おそらく物心付く前から危険と隣り合わせだっただろう。

その危険五条自身に対しても、その周囲の人間に対しても及んでいたと推察される。

それゆえに五条悟は「大事もの」を意図的に持たず、作らずいたのではないだろうか。

(夏油傑(本物)に関しては自分と同様「最強」なので、「親友」でいられたのではないか。)

呪術廻戦の公式ファンブックには、既婚者について作者である芥見下々氏が回答を載せているが、五条悟は既婚者に挙げられていない。

まりジョジョスピードワゴンと同じく、五条悟も生涯独身でこの世を去った。

五条悟が未婚だったのは呪術師ゆえの忙しさもあるだろうが、元担任である夜蛾正道はバツイチ婚姻歴があるため、それだけではないと思う。

前述した推察の「大事もの」をあえて作らない、というところにあるのではないだろうか。

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突然だが、私は五条悟が好きだ。

呪術廻戦で最初に好きになったキャラである

からこそ、今回の五条悟死亡を受けて、五条悟には普通結婚をしてほしかったと強く思った。

家柄的にお見合いだったかもしれない。たまたま通っていたカフェ店員だっていい。

付き合って1年か2年くらいでプロポーズをして、チャペル併設の結婚式場で婚姻届出してから半年くらいで結婚式を挙げてほしい。

参列者には今まで担任してきた生徒たちを呼んで、元担任であり元上司である夜蛾正道(この世界線では生きている)が男泣きのスピーチをして、それを見て馬鹿笑いしていてほしい。

2年後くらいには子供を設けていてほしい。男の子でも女の子でも。

男の子だと危険な遊びを教えて配偶者に怒られて、

女の子だと扱いに慣れてなくて雑に扱って配偶者に怒られてほしい。

忙しさ故に配偶者ともめてしまって仲直りの方法伊地知潔高に相談したりしてほしい。

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まれときから特別」だったせいでずっと気を張っていただろう五条悟に普通生活経験してほしかった。

初めてちゃんと仲間と出会えた高専時代でもたくさんの仲間の死を経験して、そこから「最強」になってしまった五条悟の人生に、普通のことを添えてほしかった。

30年にも満たない人生ほとんどを人のために過ごしてきた五条悟に自分のためだけの平凡な人生をすごしてほしかった。

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これで来年くらいになんやかんやで生き返って、宿儺も羂索もいなくて平和ハッピー!に過ごしだしたらどうしよう。

2023-09-26

上にいる姉2人が仲良しで、それぞれ別の地方大学を経て現在都内でそれぞれ別の沿線暮らしるけど、多いと週三、少なくても月1は会ってるみたい

自分末っ子で、地元大学に家から通ってそのままデキ婚してしまたか実家で夫子供と同居してる

うちの家族がいるのもあってか、姉2人は季節の贈り物とかはくれるけど、帰省は年に一度帰ってくるか来ないか…くらいの頻度

姉2人は毎年2人で誕生日旅行とかディズニーとか高級ディナーとかをやるのを計画してお金かけてやってると聞いてたけど、今年の誕生日ソロウエディングの写真撮影する予定〜って言ってた

姉2人結婚意思無しで2人とも四捨五入したら40になる歳だから1秒でも若いうちにドレス着てオシャレな写真撮っておきたいし!と。

前々から計画してて本当はハワイ旅行してドレス持ち込みでセルフフォト予定だったしいけどコロナのこともあるから…と延期して、国内の街中撮影チャペル撮影のあるプランにするそうだ

えー…?いやぁ…好きにしたらいいけど…えぇ…?高齢未婚でウエディングドレス着て楽しいの…?そこは正攻法相手探すとかじゃないの…?とか疑問が尽きない

姉2人が仲良しの反面うちだけあんまり仲良くないからなんでそんなことするのかとか全然聞けないし…

何かこの人たち前から思ってたけど奇妙だな…って思った

2023-08-23

遺品を整理していたら新婚時代父親写真が出てきた

なんかクソダサいロンゲで「えぇー似合ってねーwwww」って笑ってたら

母親から「当時、吉田拓郎結婚しようよがすごく流行っててね。その中に『僕の髪が肩までのびて君と同じになったら約束どおり 町の教会結婚しようよ』って歌詞があって、お父さんそれに影響されて髪伸ばしてたのよ」って教えてくれて、なんか泣いてしまった。

ちゃんチャペルで式上げてる写真も出てきた。

あの、男らしさの権化みたいな父親にもそんな時代があったんだなぁ……

2023-04-10

結婚式場口コミ

結婚式に招待されたので結婚式場の口コミ見たら、

結婚式した人側の口コミが「コスパ最高」「やりたいことができてコスパよかった」ばかりで、

参列した人側の口コミが「チャペルだけは素敵だった」「料理はなんの印象もない」ばかりで、

なるほど表裏一体だなと思わされた。

結婚式感想コスパ連呼するの、矛盾感がすごい。

コスパなんか気にするなら結婚式やるなよ。

人生最大の自己満足無駄遣いでしょ。

予算内でうまく収まった、とかならわかるけど。コスパってなんだよ。

個人的結婚式は結局ホテル結婚式が一番好きである

招待される側としても設備が整っているし食事サービスも安定している。

飯の味という点ではレストランウエディングも悪くないんだが、設備面が貧弱だったりしてただでさえ着慣れないドレス疲弊してしまう。

2023-03-21

なんで、そんなに結婚したいのか分からない。

子供欲しいので結婚するんなら、理解できる。

日本制度だと、結婚していた方が子供にとってクリーンだし行政の補助も受けられる。

補助に関してはシングルでも受けられるけど、そもそも、ある程度の稼ぎが無いとワンオペ育児しんどいだろうし。(金があれば人を雇えるので)でもシングル対象の手当も出るし実際はイケるのか?わからんけど。

たとえば夫が積極的オムツを変えなかろうが他の部分で補完しあえていれば良いのだろうし、このへんは個別事情として。とりあえず手は増えている。


んで、別に子供は考えてないけど結婚したいって、なんで?って思う。

結婚行政から補助金出るとはいえ、一回だし。扶養手当なんかも共働きだったら誤差の範囲では?という気もする。


私は他人と暮らす労力がしんどいので、別に結婚したくない。

子供特に生みたくない。十ヶ月も行動制限されたあげく、生んでも母乳が止まるまで乳から液体が垂れ流しになるとか未知すぎて気持ち悪いタイプ人間なので。あと無事に生んでもホルモンバランス崩れるし体の線も崩れるし、とにかく体弱るし老ける。芸能人が生んでも美しいままなのは産後ケア努力根性と金かけてやってるからだよ。あと一部の特異体質。

骨盤がもとに戻るまで赤ん坊に構ってられません、とか一般人には許されない。

生んで即退院じゃん、普通病院は。

そもそも結婚相手の三等親までクリーンな経歴かって、わりと博打

なにしろ面倒じゃん、結婚にまつわるアレコレ。

結婚式も、特にしたくない。

というか神前式とかならまあ七五三とか成人式とかの流れで馴染みもあるし、神仏習合意味で死後は仏教の墓に入ってきた家の育ちが殆どであろう日本で、まあ不思議でもないんだけど。

ドレス着てファッション牧師チャペルもどき特に信仰してない唯一神に誓いを立てる意味が分からない。コスプレ撮影会の豪華なやつとしか。あと披露宴親族に友人知人に職場関係者晒し者になるの楽しくない。余興とか別に、ほんと楽しくない。友人にうすらさむい賛美のスピーチしてもらうの楽しくない。

やりたいやつがやればいい、趣味問題しか思えない。

でも親類縁者に結婚報告は何かしらの形で必要かもしれないので、やっぱり趣味形態が違うだけ、としか。そんで私はドレスを着る趣味がない。



子供を成人させるのに掛かる費用と、老後に適度なホームに入る費用と、どっちもどっちでは?とかも思う。

骨はまあ、粛々と無縁仏にしておいてもろて。


で、なんで結婚したいの?世の中の人

2023-01-27

結婚式は挙げたくないな


先日、わが弟の結婚式があった。

実は当方結婚式は初めてだ。子どもの頃に招かれたことはあるかもしれないが、全く憶えていない。

当初は出ないつもりだったが、貴重な機会だと思って参加させてもらった。父、母、妹、俺の四人だ。

以下、数百字にわたって感想を述べたい。

チャペルの隣にあるホテル風の建物に入った時は、まあそんなもんかって感じだった。親族側なので、ほかの招待客よりも早めに行く必要がある。待機時間は長かったな。二時間くらい待ったよ。小ぢんまりとしたホールで、スタッフの人が泡でふわっふわのコーヒーを持って来てくれた。あれはコーヒーだったのか?

ああ、そうだ。トイレに行こうとしたら別のスタッフに停められたんだよな。すぐそこを新郎新婦(弟と嫁)がリハーサルで歩いていたらしい。やっぱり、事前に姿を見そうになると止めるものらしい。

時間が経って、ほかのスタッフの人がホールに入ってきて、親族その他参加者を呼んだ。そんでチャペルに着くと、牧師の人や讃美歌のチームがいて、青が基調ステンドグラスがあって、ドラマで見るのと一緒の光景だった。

それで、式が始める前に参加者みんなで記念写真を撮って、外国人牧師挨拶をして、いよいよ新郎新婦が登場するわけだよ。

いやあ、恰好よかったね。新郎は細身のタキシードがシャンと決まっていた(追記:よく思い出してみると、ズボンの右ポケットスマホが入ってるのが明らかだった。人によっては萎えポイントかもしれない)。その次に入ってきた新婦も、ドレスめっちゃ清楚にまとまってる。お父さんと一緒に、ゆっくり牧師の前まで歩いていくんだが、その後ろで参加した親戚の女の子たちがさ、新婦ウェディングドレス尻尾のところを持ち上げながら歩いてるんだ。いや、あれには参ったね。はっきりいってお洒落だった。

それで、讃美歌があって、聖書の言葉を読み上げるのがあって、「やめるときも、すこやかなるときも」っていうのがあって、あとは流れだった。くちづけの時、弟が相当に緊張していた様子が伝わってきた。その辺は兄弟からな、わかるのだ。

それらの儀式は、テレビドラマで見るのとほとんど一緒でびっくりした。そういうものなんだな。ドラマと違うのは、花嫁がほかの男に奪われないことくらいだ。

最後に、一時間半ほどの食事会があった。出てくるものは、ワインでもジュースでも刺身でもパンでもステーキでも、とにかく何でもうまかった。ほかの参加者ともしゃべりたかったけど、俺はわけあってあまりしゃべることができない。

ほかの親族とか、参加者人達は大騒ぎしていた。新郎新婦を囲ってやりたい放題だったし、小さい男の子らもやっぱり楽しそうだった。はしゃいでいた。

小中学生女の子らは、新郎の方に駆け寄っていて、いっしょに二人並んでの記念撮影を求めていた。弟はイケメンで、はっきりいっていい会社に勤めている。性格もいいのを知っているのだろう。

父も母も妹も、新郎新婦記念撮影をしていた。俺もそっちに呼ばれたけど、結局行かなかった。俺にはいくつか障害があるから、あまり動けないのだ。できれば人前にも出たくないが、たぶん人生最後結婚式参加だからなあ。

俺は、ひたすらに烏龍茶飲んで、パンを食べていた。食べ物が小さいので油断していたけど、お茶漬けが出てくる頃にはお腹いっぱいになっていた。もしかして食べ物サイズが小さくても、上等なものだとお腹いっぱいになりやすいのだろうか。

宴も竹縄な感じになって、新郎新婦最後にみんなに挨拶をしていたっけ。親への感謝が主だった。ふたり音楽とともに退場して、俺達一家もさあ帰るかとロビーに降りて、父母の着替えを待ちながら妹とゆっくりしていると、新郎の弟が帰ってきた。妹と話をしている。互いの労をねぎらっているようだ。

弟は、その後こっちに話してきた。「兄ちゃん。来てくれてありがとうだって。「おめでとう」とだけ言って、ちょっと会話をして、「じゃあ、またな」で締めた。あいつは、俺の結婚のことは口にしなかった。したくてもできないとは思うが、ハレの場で考えることではない。

新婦側の親族がまだ残っていた。さっきの子ども達が新郎に群がっていた。男の子スプラトゥーン攻略法を聞いていたし、女の子はやっぱりツーショット写真を求めて並んでいた。

それから新婦方の親族ちょっとだけ雑談をして、それで解散になった。


しかったなあ。いい式だった。一生の思い出になった。

ところで、もし俺が健常者で、弟みたいにイケメンで、いい会社に勤めていたとしたら、結婚式は挙げなくないな。だって、恥ずかしいだろう。あんなに見られて。写真を撮られて。耐えられそうにない。恥ずかしすぎる……。

とまあ、いろいろ想像をしてみたが、こんなのだって結婚式に参加しなければ得られなかったものだ。参加してよかったと今では思える。弟よ、どうか幸せに。 兄より。

2022-12-17

『あの時好きだった子の結婚式』のダメージ、でか過ぎて息ができん

時間は止まらない。ハレルヤ・チャンスは来なかった。一度だけスポットライトを眩しく感じて、もしかして、と、一縷の希望を抱いてみたりしたけれど、キザなシルクハットの初老妖精が私の前に現れることも、テーブル芽キャベツを摘んで飲み込み、私の過ちを揶揄することも、「後悔しているか」、と問われてどうしようもなく狼狽える瞬間も、ついに空想のままで終わった。当たり前だ。

彼女は数少ない私の貴重な友達の内の一人だった。そしてそんな私とは反対に、彼女にはたくさんの友達がいた。学生時代というのはこの世で最も尊く煌めいて、同時に最も残酷な数年である特に女の人生にとって。

女の子は可愛ければ自然友達ができる。綺麗な女は同性の好意さえ簡単に集める。綺麗でなくては、女の子特別にはなれないのだ。というのは、私が散々惨めな高校生活を経て脳裏に刻み込んだ偏屈極まる私見である。器量が悪くても幸せな女など無限存在していることに薄々いや割合はっきり勘付きながら、私はなんとブスであることに諦めがつかないとんと哀れなブスだった。要するに学校で一番痛ましい存在である悲劇はブスに生まれた所からではなく私だって美人になりたいと望み始めたところから始まる。一軍になりたい二軍、美人になりたいブス、男にモテたい喪女、目立ちたい陰キャ…………。

そんな救いようのない私の目前に彼女はまるで天使のごとく現れた。今で言う「たぬき顔」みたいな甘たれた顔立ちで、柔らかく日焼けしたセミロングの髪を緩やかに編んで両耳の下から下げ、私より背が高かった。本当にかわいい子だと思った。入学と同時にバスケ部に入部し、放課後はいつも臙脂色ハーフパンツを履いていた。

私の何を気に入ったのか知らないが、彼女は私に本当に良くしてくれた。二人で写真を撮ってくれたし、連絡もマメに取り合った。ビタミンカラーペンケースは色違いでお揃いだった。勉強で多数の上に立つことにしか一生懸命になれない私だったが、彼女に誘われればテスト前だろうと遊びに出かけた。

当時の私は所謂一軍グループに属することしか考えていなかった。そしてその野望は結論から言えば5割方は達成されていた。要するに、キラキラグループには入れたが当然自分自身キラキラにはなれず、なぜか一軍にいるぱっとしない子、という塩梅にそれでも自分立ち位置にそれこそしがみつくようにして生きていた。自分自身の最も忌むべき点は、身の程知らずに一軍になりたいと望んだことより、そこにいる友人たちをステータスしか捉えていなかったことにある。

7人グループは8年の時を経て解体し、彼女の式に呼ばれたのは私を入れて3人だった。

彼女と遊ぶとき、私はいつも憂鬱だった。

何人かで約束した日は良かった。でも二人きりの日は不安だった。なんのために私と二人で会い、何を求められているのかまったく不明だったからだ。私にとって、彼女かわいいというだけで彼女を好く理由は有り余るほどにあった。だからその逆が本当にわからなかった。けれど、顔を見れば不安は消えた。彼女はいつも本当に楽しそうに笑う。

好きな人がいるの、と、仲良くなってすぐ彼女は私に打ち明けた。あいつに可愛いって思ってもらえたら、他の誰に思われなくても構わない。校外学習に行くバスの中でひっそりと告げられた声の温度も、一緒に口ずさんだ阿部真央の曲も、午後3時半頃のあつい夕日も全部はっきり憶えている。

私も気になる人がいる、と、口から出まかせのように呟いた。そうしないと彼女がどこかに行ってしまう気がした。彼女好きな人がいたから、私にも男の子必要だった。彼女と恋話をするために必要だった。クラスメイト脳内で全員スキャンして一人の名字を口にした。彼女のくりくりしたタレ目がおおきく見開いて、絶対いいよ、とひどく嬉しそうに笑った。

咄嗟名前を上げた男の子ホームベースのような顔の形がバスの前の方に見えていた。彼女の「絶対いいよ」、を聞いて、私もなんか、そんな気になった。

同じ教室で過ごしたのはたった一年のことだったが、その後の文理選択教室棟ごとクラスが離れたあとも、彼女と私の友人関係は変わらず続いた。休みの日には二人でカラオケに行ったし、相変わらず毎日のようにラインも続けた。何でも話せるふたりだった。けれども、いつまでたっても彼氏ができない私に気を遣ってか、いつしか恋愛の話だけはしなくなった。

高校3年生の頃、私が隣町から通っていたその市で一番のお祭りに一緒に行こうと誘われた。テレビ取材もくる大きなお祭りで、5月連休という時期的条件もあり、受験の年を迎えた同級生たちが最後の楽しみにと、こぞって一番の関心を寄せるお祭りだった。その高校生にとって特別な1日に、彼女はどうしてか私を選んだ。彼氏でも気になる人でも他の多くの華やかな友人たちでもなく、私を。やはり意味がわからなかった。

彼女がお揃いにしようと言ったから、一緒に服を買いにいった。その頃の私は醜形コンプのまさにピークにいて、服屋の商品に触れるときすら手が震えた。それでも、明るい彼女に悟られたくなくて我慢してひょうきんに振る舞った。

当日のことはよく覚えていない。彼女が知り合いとすれ違って挨拶するたび居た堪れない気持ちになっていた気がする。その日もやはり最後まで、彼女がどうして私なんかといたかったのか、ほんの少しもわからなかった。ただ、群衆を避け、駅前の寂れかけのイオン屋上で見た小さな花火だけはなんとなく覚えている。幼い日の名残りか、彼女はいつまでもその建物ダイエーと呼んでいた。いつ行っても盛れないプリクラ機のある小さなショッピングモールだった。

いいのか、と問うと、いいのだと答えた。疲れたからいいよと。彼女にとっては、十数年住んだ街での最後祭りだった。それなのに、小さな花火でいいと言った。暗がりの中の少し眺めの顎先まで好きだった。

長く続いた私達の友情がぷつりと途切れたのは大学入学してすぐのことだった。互いに遠く地元を離れたあとも私達はまめに連絡を取り合っていたと思う。夏休みに私が彼女の家まで行き、二人で遊園地に行った。例のごとくおそろいのワンピースを着て、髪を染めてまた綺麗になった彼女はとても目立っていて、キャストによく声をかけられた。それっきりだった。

その後私は整形をし、地元に顔を出さなくなった。加えて、正しくいなくても済む大学での人間関係に夢中だった。何より、また性懲りもなくその内の一人のことをしごく特別に感じていた。その子もまた、私には釣り合わないくら可愛い子だった。

たまにインスタで見る彼女はやはりあの本当に楽しそうな顔で笑っていた。気がつけば同じ高校の別の友人とおそろいの服を着て旅行していることもあった。もしかしたらそこにいたのは私だったかもしれない。そういう写真を見るとき、私はいつもそういうことを未練がましく考えた。自分から手を離しておいて全く自分本意な話である。けれども横に写っているのは私達の高校で一番かわいかった女の子で、その方がずっと彼女釣り合っている気がした。

彼女から招待状が届いたのは、それから数年後、すっかり社会に出て2年が経つ頃だった。

式は、まったく素晴らしいものだった。

私のイメージにあるステレオタイプな挙式とは全く違って、カジュアルで、愛に溢れ、来てくれるすべての人に楽しんでもらおうという新郎新婦の人柄がこれでもかというくらい詰め込まれた温かな数時間だった。遊び心とホスピタリティに溢れ、ほんのひと時も漏らさず楽しめる、本当にいい式だった、と、思う。円卓に集められた同じ高校の友人たちは皆美しく、ドレスの中で綺麗だった。

数名の友人代表が立ち上がり、彼女のために手紙を読んだ。どの子もとても綺麗で、どの子も同じように泣いていた。泣いていたのだ。チャペルのドアが開いた瞬間、披露宴に現れた瞬間、新郎が亡き父親手紙を読む瞬間に、その場にいる大勢が泣いていた。

ついに私は親友にもなれず、それでもなぜかここに呼ばれて、のこのこ顔を出しては無理に笑って突っ立っていた。

ありえないほど似合わないドレスに妙な頭に、他の友人達とはとてもじゃないが釣り合わない不器量な面構えで、たった一度も笑顔で手を振る花嫁の目を見れないまま。

久しぶりに会いたくて、と、彼女電子招待状と一緒に添えてきた。思い切って招待状を送ったのだと、だから、こ断ってくれても構わないのだよ、と。

そういうところが好きだった、私の臆病も偏屈も一息に飛び越えてなんでもないような顔で笑うあなたの、正しいところが好きだった。数年言葉をかわさない友人を、同窓会キャンセルするような私を、逢いたいと言う一言で誘ってくれるような貴方のその身軽さが、屈託のなさが、あなたのことが好きだった。

"嬉しいときは私より喜んで、悲しいとき自分の事のように泣いてくれる"

名前も知らない友人代表は立ち上がってそう読んだ。

知っている、と思った。

知っている、そんなこと。だから好きになったのだ。そういうあなたから、私はあなたを好きになった。

もしも私が男だったら、と、百万回近く考えた。もしも私が男なら、私はあなたと付き合いたい。

本当は違った。本当は、女のままでも、私のままで、私はあなたと添い遂げたかった。真っ白なドレスを着たあなたの、あなたの立っているのは私が良かった。スポットライトの当たるソファに私と一緒に腰掛けて、私の物語に泣いて欲しかった。

名前の知らないたくさんの参列者が、かつて同じ制服を着ていた友人達が、あなた幸せを願って涙する中でたった一人わたしが、私だけが、私のためだけに泣いていた。あなたのことが好きだった。たった一つ、その気持ちだけで泣いていた。ピンクグレーのカクテルドレスに身を包んで笑う、彼女世界一綺麗だった。

性格の悪い私は、あわよくばこれを読んでくれないだろうかとさえ思っている。ほんの小さな爪痕でも残せたら。

それでも、正しい彼女ははてぶなんて見ない。だからこのまま私の恋はここでゆっくり死んでいく。

祝儀袋に手紙を入れた。マナー違反かもしれないが、知るかと思ってぶち込んだ。「あなたのことが大好きだった」「今も、そしてこれからも」

大好きだよ、愛してるよ。

高校時代彼女はよくハグをしながらそう言った。大好きだよ、愛してるよ。

何でもないことのように付け加えた、大好きの意味はきっと伝わらない。それでも、私はあなたが好きだった。今も変わらず、好きだった。

2022-12-16

anond:20221216094826

親族控え室からチャペル(系)結婚式会場移動する段で、出席者と鉢合わせないための謎の小部屋とかあるしな。

2022-10-14

anond:20221013181356

結婚式場チャペル程度のニセ教会」は明らかに神道の『勧請』の考え方だな

どんなチャチな社でも神様を勧請したら神社になる、ってやつ

葬式の曲、は明らかにプランナーミスだが

2022-10-13

なぜ日本では偽物の教会結婚式をするの?と聞かれたら答えられるようにしておこう

外国から言われてみれば奇妙な日本結婚式

アメリカ人友達「偽物の教会で、お葬式の曲が流れる不思議結婚式に出たのよ」「それ、日本標準的結婚式です…」

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1956479

これはつまりブライダル業界結婚式」だが、なんでこうなったのか?。

 

イエから逃避行

今主流のこういう結婚式の始まり1970年代なんだが、その元は60年代にある。

日本のイエ制度明治に出来たようなもんだが(武家を除く)、昭和初期には堅固なものとなり、更に国家天皇がイエに擬製されて人間はそこから逃れる術はほぼ無かった。ゲマインシャフト国家有機体論の合体だ。

戦争に負けるとおせっかい焼きのアメリカ自由の形だけを作って置いていった。国家権力だけは縛ったからあとは勝手に使うがよいと。

それで戦後時代下り生活レベルが向上すると段々と生活人生上の自由が増大化していった。

 

イエというのは家督であり、継げるのは長男一人だけだ。しかしその他の女子次男以下も生き方制限された。

長男は適齢期になると親が勝手に縁談をまとめて「あの家の娘と一緒になれ」。断った場合勘当されて死ねと言われる。

次男以下は中学尋常小学校)を出ると「小僧」の勤め先を親が決めてくるので、そこに入る。小僧っていうのは商家に住込みの店員見習いだ。然程の長時間労働ではないが「仕事」ではなくて24時間主人に仕える事が求められる。全人格労働だ。

こういう風習があったので会社勤めが一般化しても昭和中期まで独身者会社の寮に住込みが基本だった。勿論集団生活で雑居だ。プライバシーかいう事を気にする者はアメリカかぶれの不良である

女子妙齢になるとやはり親が勝手に嫁ぐ先を決める。断るのはアメリカかぶれの不良であるそもそも断ると生きていく術が無い。本人が何とかなっても家族村八分になる。

商家に女版小僧として働くというケースもあった。勿論住込みの全人格労働だ。これも妙齢になると主人が見合い相手を見つけてくるので恋愛期間なく結婚せねばならない。

 

都会と田舎の落差と中島みゆきの『ファイト

戦後まれ団塊世代が成人する60年代末になると都会ではそういう古いイエに縛られない核家族が増え、子供用個室が出来たりもした。

でもそれは都会の話で、田舎の方ではまだ古いイエに縛られたままの人間が多かったのだ。

例えば中島みゆきの『ファイト』は1982年の歌だが、「薄情もんが田舎の町に砂かけんのか、出てくならお前の身内住めんようにしちゃる」と言われて長距離切符燃やそうとしたが出来なかった。東京行の文字が滲んだ切符をまだ持ってる、っていう節がある。

なんでこんなキツイ歌詞を考えつくの…と思うがこれは中島みゆき深夜ラジオに送られて来たリスナーハガキの内容を切り貼りした歌詞なんである

まり1970年代末~1980年代頭にもこういう思いをした人は居たという事だ。

「ファイト」の語感だけで元気を振るう歌だと思っていると衝撃を受ける事と思う。苦難や挫折が生々しいのだ。

 

それで団塊世代は色々な方法田舎因習から逃れようとした。

勉強を頑張って東京大学に進む事が出来るように先生に親を説得してもらう(余計な勉強なんかして更に大学に進もうなんて親不孝のアメリカかぶれの不良である)。

集団就職に参加する。

一度商家に入り、数年奉仕し18or20歳年齢制限クリアして暇を貰い、水商売に入る(増田の親のパターン。単に不良である)。

 

ロマンチックラブイデオロギー

そういう状況だったから古い世間では自由恋愛=不良であった。それは流行恋愛歌に乗せられて人の道を踏み外すアメリカかぶれの不良である

一方、若者からすれば自由恋愛とは誰と恋愛してもいいよという状態の事だけじゃなくて因習から逃れる解放テーゼだ。

人は好きな人と結ばれる権利がある。それを称揚すべきであるロマンチックラブイデオロギーだ。

そういう訳で沢山のフォークソング自由恋愛称揚されるようになった。1960年代には社会への異議申し立てという歌詞が多かったのが、70年代になると安保闘争挫折相俟って現状肯定恋愛称揚などのポジティブ系にシフトしていく。

 

有名なのが吉田拓郎の『結婚しようよ』1972年で、僕の髪が伸びたらチャペル結婚式を挙げよう、というもの

チャペルキリスト教会礼拝場の事なのだが、実際に多く使われるのはミッション大学礼拝場だ。要するに学生結婚したいねという欲求惹起する歌だ。

もう一つ有名で披露宴でも使われるのがチェリッシュの『てんとうむしのサンバ』(1973年)で、夢の国の森の小さな教会結婚式を挙げました、という歌詞

 

こういう曲のヒットにより「小さなキリスト教会での挙式」というのが憧れとなり、実際にミッション大学併設の教会での挙式が多く行われた。因みに式の前に洗礼を行って形だけでも「キリスト教者」になっておく。

ただ、ミッション校の教会は限られていてパイが少ないし両方の親族が沢山来たら礼拝堂に入らない。

でもそれがまた「イエvs.イエ」の結婚式へのアンチテーゼとして働いた訳だ。

 

なんでキリスト教会なの?と言えば、それは第一西欧への憧れであり、第二に「日本古来の神式仏式でないから」だ。神式仏式にはイエの因習表象をまとっていた。

今は厳かな神式も人気で特に鎌倉鶴岡八幡宮の舞殿で行われる神前式は人気だ。これには団塊/全共闘の残した軽いノリへのアンチテーゼ権威的なものを好むというテイストもあるだろう。

でも今の神前式を選ぶのと60年代の仏/神前式意味が違うのだ。現代のは一度因習との結びつきが嫌われて廃れ死んだ後に、「博物館入り」して個人にとって安全になったものだ。安全になったので「自由意思で選択」しているのである

 

花嫁夜汽車に乗ってとついでいくの」という『花嫁』(はしだのりひことクライマックス 1971年)なんか歌詞をよく確認してみたら駆け落ちなのな。こいつを披露宴で掛けるのはヤバそうだ。

 

それ以前の結婚式はどうだったのか

それ以前の結婚式仏式/神前とあったが、特に都市部だと著名な特徴があった。

それは「祝言(しゅうげん)として能の演目高砂』の一節の謡いを仲人がやる」という事。俗にいう「高砂や~」である

https://www.youtube.com/watch?v=Zm1Se2fRnvU

これをこの調子仲人が謡う。これは都市部では必ずやる。絶対にやる。だから仲人はこの祝言を暗記して慣れない能の謡い方を練習した。それを笑った落語もある。「高砂や~」って練習してる時に「とうふ~」と豆腐売りが来ちゃって混じって覚えちゃうのな。

これは恐らく江戸時代後期には一般化していたと考えられるが、廃れた時期ははっきりしてて団塊世代の適齢期だ。

 

老松という地名

ちょっと脱線だが老松町という地名があったり地名変更で無くなったが祭り町内会名や祭り神輿山車の提灯なんかで出てきたりする。

それらは長寿を願った年寄臭い地名に見えるかも知れない。

でも昔は結婚式では「必ず」高砂祝言を謡ったのだ。『高砂』の内容とは、神主兵庫県高砂で老女老男に出会い、我らは片や高砂の、片や大阪市住之江区住吉大社老松だと言われる。小舟に乗って去った老夫婦の後を追って船で住吉に向かうと、住吉明神が神々しい舞を見せた、というものだ。

まぁ今は埋め立てで遥か内陸になってしまって阪堺電軌じゃないと行けませんがね…。

この「老松」なのですよ。昔は結婚式で必ず仲人高砂を謡った。故に門出の歌なのですな。

関東大震災下町が壊滅すると多くの人が板橋区とか池袋世田谷杉並などの郊外に移り住んだ。すると農村人口が増えて村から町になり区画も分割される。そこでめでたい瑞祥地名として新婚の門出と長寿と願って老松町というのが増えた。

でもその後字面年寄臭いって事で消えてしまった。『高砂』が廃れた現在から見るとやっぱ年寄臭く見えるけど、それは習俗が途絶えて常識が消えたせいなんでありますな。

団塊結婚式に戦中戦前派は大憤慨

会場が教会だったり披露宴フォークソングとか歌うし高砂やはやらないしで、この新しい結婚式保守的な人らは憤慨していた。

どのくらいかというと、わざわざ入試問題に新型披露宴批判したり、親戚のオヤジマイクを渡されてフォークソング披露宴への憤懣ぶちまける説教演説したのを現代文の問題で出したりするくらい。そんなのを入試に出すなよ。過去問としてアーカイブされて10年以上参照されるんだぞ。

 

定着と業界

しか芸能人などが次々とキリスト教式で挙式するようになる。するとこれは大きな需要であるからブライダル業界」が立ち上がり、洗礼とかがない宗教的に気軽なキリスト教結婚式提供するようになったのだ。それまでは互助会のような組織が主だった。

ホテルなどでの挙式よりは断然安い。しか教会での式よりは断然高い。

 

から団塊のイエへの抵抗から始まったブームが大きくなって70年代中頃に業界化し、80年代には完全に一般化してこっちが主流になったのである。だが80年代には色々行き過ぎて珍妙な式が行われており、それでまた年配者の顰蹙を買ったようだ。ハイジみたいなブランコ新郎新婦が登場とかラブソングカラオケ熱唱とか色々おかしい。

 

から「なんで偽物の教会でやるの?」と聞かれたら「それが昔は近代的な解放だったんだよ」「その意味社会から消えても形式業界がそのままになってるんだよ」「貴方の国の若い人らもハングルひらがなを混ぜて書く事があるけど、それも同じ抑圧からサブカルチャー解放意味があるんじゃないの」と言えばよい。

 

それとは別にやっぱあの形式結婚式にはダサさを感じるし、偽物の教会中途半端教会建築への理解の少なさが出ちゃってる。標準的形式の練り直しはすべき時期かもしんない。

2021-11-21

アナザーラストパーティー

スカイステージ I

スタジオ: 1920年代世界観

  • 橋の上

めっちゃ恥ずかしいです

  • 旧桜宮公会堂

スタジオ: 物語の流れに沿って撮れたら

スタジオ: 出てきたのか着いたのか、最初の2人での撮影

わたくしのMrs. Fitzgeraldこと

うれしいです

ステキステキとってもステキ

久々に20年代スタイル

20年代スタイル 女のかた

うれしい れいこさんステキです

出会い始め 一番燃えてた時

もうドキドキしすぎてどうしようかと

息止まってる

れいこさんがお綺麗すぎて

あげてくる

そんな(肩タッチ

スカイステージ II

スタジオ: 幸せだったところに少し翳りが見え始めた

パーティーしすぎて疲れちゃってる、飲み過ぎた

オフの化粧で男役フィッツジェラルドっぽく見えてたらいいんですけど

(傾いて)見えてます。すごく思い出します(月城氏はにかむ)。結構前 [1年弱?] なんですけれども、ラストパーティー終わるのが嫌なぐらい好きだったので、あの時の雰囲気を思い出せてうれしいです。

セットがないと難しいね

終わりましたー

お疲れさまでしたー(寄せる)

写真集撮影これで全部?!終わりましたー!!

どうでした?(肩に手を置く)

れいこさんのフォトブックに出させていただけたことが嬉しかったんですけど、大好きなラストパーティーの題材で、最後撮影は2幕を思い出して涙が出てきそうになりました。

美女に来ていただけて、写真集も華やぎました。よかったです。ありがとうございました。

DVD I

ラストパーティーといえば、のあの方も、今回特別に出てもらえるので、2人の絡みも、お楽しみに!

めっちゃ撮られてる、近い

スタジオ: 接近、近付き具合

DVD II

恥ずかしくなく、撮れてます

最初は緊張しすぎて息止まってたんですけれども、少しずつ落ち着いて撮影できてるかなと、思っております

20年代雰囲気が好きだったので

スタジオ: 20年代大人っぽい女性がとても似合う、オフのお化粧でも素敵になるんじゃないか

大人っぽい雰囲気を持ってるので、シンプルにすっきりさせたほうがいいかな。これが一番彼女大人っぽさに合ってるかな

スタジオ: ほんとにとてもきれいで、華やいだ

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