はてなキーワード: 公平性とは
女子枠賛同している連中とか、女子枠批判を批判している連中とか、で老いも若きもインテリもウマシカも女子枠も、性格が悪くなったり、攻撃的な人格になるやつがわんさか出てくるんだけど。
なんか女子枠を利用しつつ、落ちた男子を誹謗中傷するやつまで出てきたし。
https://x.com/tatata_taruto/status/2052405433898582178
というかさ
人は公の場では、その人のステータスや容姿で発言力が変わる。要するに生まれつき容姿や財力を持たない人間ほど発言力が弱くなる。
たとえばそれは
といえば大勢のファンを利用して特定の対象に攻撃が可能。みたいなことだ
で、反社会性が強い人間や犯罪者にとってはこれほど美味しい話はなく。要するに、どんどん奪って泣き寝入りさせられる人間をターゲットにすればいくらでもお咎めなしで財産を他人から奪えるということで。これは相当なディストピアなわけ。
しょうみなところそれが担保され続けないと、恫喝と恐喝と脅しが蔓延る世界になる
だから犯罪をやりたい放題にしたい迷惑なサイコパスほど匿名を廃止したいって騒いでるわけ。
だからここは「社会的に不利なマイノリティの発言権を奪うな!!」「差別的発言に傷付きましたあ!!」などといって抗議するのが良い。
https://digital.asahi.com/articles/ASV4Z2VWGV4ZUHMC00JM.html
トランプ米大統領の「誇りを取り戻そう」という呼びかけが、2期目は「誇りは盗まれた」となり、支持者たちが抱える「恥」を「怒り」に転換している――。8年ぶりにインタビューした社会学者アーリー・ホックシールドさんはそう語った。保守的な土地に通い、人々の感情を解読することで、何が見えたのか。
――前回2018年夏のインタビュー後、アパラチア地方で暮らす人々の心情を理解するためケンタッキー州に通ったのですね。
「米国の炭鉱地帯が中道左派から右派へと変化した理由を探求する旅でした。新著『盗まれた誇り』は、ケンタッキー州にある全米で2番目に貧しく、白人の割合が最も高い選挙区が舞台ですが、トランプ氏の最も熱烈なMAGA(「アメリカを再び偉大に」)支持層、非大卒の白人層の物語です」
「要点は二つあります。一つ目は、彼らがどう感じたいと望んでいたかという『感情の素地(predisposition)』。そしてトランプ氏がその感情をどうつかんだかという『感情の捕獲(emotional capture)』です」
――まず、感情の素地とは。
「喪失の物語です。ノーベル賞を受賞した社会心理学者のダニエル・カーネマンが「損失回避性」の研究で示した通り、人間は『新しいものを手に入れるため』よりも、『一度持っていたものを失った後にそれを取り戻すため』に倍の代償を払おうとする。人々がカリスマ的な政治指導者にひかれる傾向を考えるとき、まずこの喪失に目を向けなければなりません」
「それは仕事の喪失、機会の喪失、居場所の喪失、何より『誇り』の喪失でした。熟練の技術が時代の変化で無用になるような喪失感も。彼らは非常に誇り高く、例えば、炭鉱労働者の娘は『私たちは貧しい』とは言わない。彼らの文化で貧困は恥だからです。その代わり『どれだけ工夫して乗り切ったか』『ボロ切れで人形を作ってどれほど幸せに遊んだか』という、打たれ強さや、他者を助ける力を語りました。しかし外部からは貧困層としか見られませんでした。彼らは誇りを失ってしまいました」
「1970年代以降のグローバル化は勝者と敗者を生みました。非大卒の白人たちは、収入や機会を『絶対的』に失っただけでなく、都市部の大卒白人や、かつては自分たちより貧しかった黒人が上昇していく中で、『相対的』にも敗者となった。ここでは「持てる者と持たざる者」ではなく、「喪失と獲得」の区別に着目しています。自分たちが転落していく一方で、周囲の他者は上昇していく。この喪失感が(大統領選があった)16年にあのカリスマ的な人物(トランプ氏)の演説を受け入れる素地となりました」
【ここから読み解くこと】
なぜトランプ氏の度重なる暴言は、支持を下げるどころか、かえって熱狂を生むのか。ホックシールドさんは彼を「感情の交通整理人」と呼び、支持者の「恥」を「怒り」へと変換するプロセスを解き明かします。
「マックス・ウェーバーが分類した『合法性による支配』の指導者の典型が、民主党の前大統領バイデン氏です。彼は『私が誰かではなく、私があなたのために作ったインフレ抑制法を見てほしい』と無表情で実績を語る。一方、カリスマ的支配の指導者は『私が何をするかではなく、私自身を見ろ。私があなたの代弁者であり、あなたを救い上げる』と語りかけます」
「魔法使いであるトランプ氏は、民主党と(従来の)共和党が提供しなかった三つのものを彼らに与えた。私が『感情の捕獲』と呼ぶものの3要素です。第一に『承認』。『私はあなたの本当の姿を知っている。かつて誇り高かったあなたが、今はどれほど見下されているかを知っている』と語りかける。私は薬物依存の回復施設で元炭鉱労働者の男性に会いました。彼は、仕事を失って、家族を養えない『女こどものするような』低賃金の仕事にしか就けず、深い恥に苦しみ薬物に溺れ、家族も失いました。16年に『炭鉱を復活させる』と叫ぶトランプ氏を見て、うそをついているとわかっていたが、自分のことを理解していると感じた、と語りました」
「第二に、トランプ氏自身が厳格な父の元で育った『恥をかかされた男』ということ。没落した階級が抱える『構造的な恥』の鉱脈を掘り当てる天才です。『あなたは何かを失った。ひどいことだ。いや違うぞ、あなたたちの誇りは単に消えたのではなく、盗まれたのだ。私がそのプライド泥棒に報復する』という物語で、『恥』を『非難』へと変換する。鬱々(うつうつ)とした『消極性』を『積極行動』へと反転させる。まるで地中から石炭を掘り出し、加工して火をつけるようなプロセスです」
「第三に、トランプ氏は4段階の『恥の撃退儀式(Anti-shame ritual)』を提供する。これが最も重要です。①彼が『移民がペットを食べている』といった異常な発言をする。②メディアや知識人が激しく非難し、彼に恥をかかせる。③彼が『見下されている私を見ろ。あいつらは私を通してあなたたちを攻撃している。私が代わりに恥を引き受ける』『私が背負った恥に比べれば、皆さんはマシなはずだ』と主張し、まるでイエス・キリストのように身代わりの被害者となる。④しかしキリストとは異なり、彼は剣を構えて『あなたたちのために報復する』と語る――というように」
「米国の半分、民主党支持層は、①と②を聞いている。しかし、共和党側やグローバル化の敗者は③と④を見ている。つまり、米国人は感情の面で同じ大統領すら見ていないのです」
「私が(著書で)試みているのは、皆さんが『バイリンガル』になる手助けをすることです。理性が提示されたときにはそれに従って考える一方で、人々の感情の流れもたどれるようになるということです。感情にも論理があるからです。先ほど『感情の捕獲』の3要素を説明しましたが、特に三つ目(恥の撃退儀式)では、人々の感情にチャンネルを合わせなければ見えてきません。理性の領域ばかりに論理を探すのをやめ、感情の操作や『どう感じるべきかという感情のルールの設定』といった領域の中に論理を見いだし始めましょうという皆さんへの招待状です」
「トランプ氏は怒りや共感のサインを操る、感情の交通整理人です。どう感じるべきかという信号を発信している。『あいつらに共感を抱いてはダメだ(赤信号)』『これは敵だ、激しく怒れ(青信号)』という具合に、彼は信号を出している。カリスマ的な指導者というのは、こういうことをするものです。彼だけではありません。ヒトラーも同じことをしました。日本にも独自の(感情が動員された)歴史があります」
――とはいえ、「失われた」が「盗まれた」に変わるには飛躍があります。
「両者は全く異なります。それが、トランプ氏のやってのけた手品です。人々はすでに他人を責めたがっていた。恥という感情を心に抱え続けるのは耐え難い苦痛で、生き延びるためには何らかの誇りが必要です。そこで彼は『(喪失について)自分を責めるな。盗んだのはあいつらだ』と語りかけた。では、あいつらとは誰か? それは教育を受けた人々、ディープステート、民主党員、移民、最終的には『あなたと似ていない誰か』。どんどん拡大しました」
――「盗まれた」という物語は、耐え難い「恥」を「非難」へとすり替える手品だった、と。
「そうです。そして物語は今、その『あいつら』を罰してやる、という『報復』に移っています。カリスマは、私たちにどう感じてほしいかという明確な『感情面の政策』を持っている。それは彼らが意図したゴールであり、決して副産物として偶然起きる現象(epiphenomenon)ではない。1期目は『赤い帽子をかぶって誇りを取り戻せ』という多幸感、恥からの解放が中心だったのが、今は『敵を探し出して激怒しろ』という段階に来ている。真の軍最高司令官は激怒という言葉は使いません。エンターテイナーの言葉です。私たちがどこへ向かっているのか恐ろしくなります」
――トランプ氏は、「恥」から、政治的エネルギーである「非難」への変換を自覚してやっていると思いますか?
「直感的にやっているのだと思います。その直感において天才的です。彼だけではありません。第1次世界大戦で敗れて多大な賠償金を課せられ、国全体が喪失感と屈辱にまみれていたドイツで、歴史家が詳細に記録してきたように、ヒトラーも人々の『恥』を巧みに利用したのです」
「トランプ氏に決定的に欠落している最大のものは『他者への共感』です。戦争で亡くなった米兵を追悼する厳粛な場で、彼はゴルフキャップをかぶったまま平然としていました。彼は他者の痛みを気にしません」
「ただ、イラン戦争や物価高に直面し、『戦争に巻き込まない』『エプスタイン文書を公開する』といった約束を彼が破るさまを見て、共和党から無党派層へと離れる人々も一部で出てきています。『感情の捕獲』の魔法が、少しずつ解け始めている感覚もあります」
【ここから読み解くこと】
アメリカの炭鉱町で起きた「誇りの喪失」は、決して遠い国の労働者だけの問題ではありません。AIの台頭によって、やがて世界各地のホワイトカラーにも同じ問題が迫っていると、ホックシールドさんは警告します。
――人々は、実際の生活を豊かにする経済政策より「誇り」を得ることを政治に求めるようになったのでしょうか。更に言えば、常にそうだったのか、それとも、グローバル化やデジタル化の時代に誇りを感じることが難しくなり、その埋め合わせを欲している?
「興味深い問いです。現在の米国では二つの相反する現象が衝突しています。一つは、経済の硬直化。世界銀行の調査によると、先進20カ国の中で、米国は今や階層間の移動(上昇も転落も)の可能性が最も低い国です。生まれた階級に一生固定される傾向が強い。一方、別の世論調査によれば、若者の6割が『億万長者になりたい』と答えている。機会が極端に減ったのに野心は高いまま持続している。私は『アメリカン・ドリームの圧迫』と呼んでいます」
「先日、私はダボス会議で一つの警告を発しました。人工知能(AI)革命前夜の今、今後5~6年でエントリーレベルの仕事の60%が消滅すると予測されている。多くの非大卒の白人が探し求めるような仕事です。ホワイトカラーの業務でも半分以上でAIの性能が人を上回るようになる。職を失うとは限りませんが、とてつもない大激震です」
「欧州企業の3分の2は労働者の再教育プログラムを持っているが、米企業は半分しかない。つまり、私がケンタッキー州の炭鉱離職者らに見いだした『喪失』と『恥』、そこから右翼政治に絡め取られるということが、世界中のホワイトカラー層にも起きる危険があるのです」
――人々が誇りを持つことが今後さらに難しくなる、と。
「そうです。私が言う誇りとは、大富豪になるといった意味ではありません。自分が社会に貢献していると感じ、誰かの役に立ち、家族を養っていると感じるようなことです。傲慢(ごうまん)さの対極にある美しい感情で、人間の生存に不可欠なもの。ミクロな名誉の感覚です。ただ、これを失うことは右翼政治の燃料にもなってしまうのです」
――著書にも書かれていたように後期ラテン語の「prode(プロデ)」ですね?
「そう。何かの『役に立つこと』という意味です。アメリカン・ドリームにおける目標の改定が必要です。常に親よりも成功する必要があるのでしょうか。夢が『地球を救うこと』『川の汚染を減らすこと』でもいいじゃありませんか」
「人々は自分の家族や地域社会の中で働き、誇りを得たいと願う。政治から誇りを得るというのは、あくまで代償行為(埋め合わせ)に過ぎません。しかし、誇りを喪失した状態から『政治を通じて誇りを満たしたい』という欲求に対して、人々を脆弱(ぜいじゃく)にさせてしまったのです」
【ここから読み解くこと】
自分たちの生活を豊かにしたわけでもない大富豪を、なぜ労働者層は支持するのか――。この謎を解く鍵が「プライド経済」。トランプ氏はお金の代わりに、「生まれ持った属性」の価値を引き上げるなどして、人々に「偽りの上昇感覚」を与えているとの見方を紹介します。
――経済を「プライド経済」と「物的経済」に分類していますね。普段、このような区別をしないので違いを説明してください。
「両者には重なる部分もありますが、物的経済とは、あなたの収入や家の価値といった数字です。歴史はしばしば純粋に物的な現実に着目して書かれている。マルクス主義者もウォール街のエリートも『物的な現実が第一であり、文化は上部構造であって二の次だ』という点では一致しています。しかし、特に危機的な状況下において、物的な経済にそれほどの優位性を与えるのは間違っています」
「プライド経済とは『自分は高い地位/低い地位にいる』という感覚です。私たちは、物的経済とプライド経済の両方に生きている。しかし、物的経済の変化には細心の注意を払うけれど、プライド経済の重要性については過小評価していることが多いのです。物的な現実ばかり見ていると、見落としてしまうことがあります」
「例えば、ジェンダー。トランプ氏は、カールした長い髪の『スーパーウーマン』を最前列に置き、人々を再ジェンダー化している。そこに新たな『誇り』を結びつけています」
「経済的に落ち込んだ地域に向けては、『あなたは米国生まれの白人で、異性愛者の男性だ』と言い、これらは『プライド経済』において非常に価値が高いことだ、と語りかける。周囲が『いや、いや、ここは移民の社会だ』『全員が何世代かさかのぼれば移民だ』と反論しても、彼は『いや、いや。今や米国生まれの白人であることはすごいことだ。あなたはそれを誇りに思うことができる』と言う。ご存じの通り、(現代社会では)そうした肌の色や性別に特別な価値は認められませんが、彼はその値札を付け替えているのです。『あなたは何もする必要がない。あなたがしなければならないのは、白人であり、異性愛者であり、男性であり、米国生まれであることだけだ』と」
「彼は『生得的地位』、生まれつきの属性の価値をプライド経済の中で上げようとしている。ある種の『偽りの階層移動(fake social mobility)』です」
――現実では社会的な上昇が困難になる中、「偽りの社会的な上昇」を差し出している、と。
「もはや自分の社会的地位や階級を上げることが不可能になっている現実を踏まえ、敗者たちが『はい上がる手段』を示し、彼らを狙い撃ちしているのです」
「製造業を取り戻すと言っても、製造業は全米の雇用の8%に過ぎず、自動化も進んでいます。支持者は『製造業を取り戻すことは良いことだ。生まれながらの異性愛者の白人男性が、良い仕事を取り戻せるだろう』と言うけれど、それほど有望ではない。不法移民を追い出すと言っても、彼らは全体の5%で、米国生まれの米国人と仕事を奪い合っているわけでもありません」
「また、トランプ氏は、自らの富豪の地位も誇示し、崇拝されたがってもいます。妻メラニア氏の豪華なドキュメンタリーを流し、視聴者に『美しく、金持ちな彼女が、ホワイトハウスのゲストとして招き入れてくれた』と思わせる。文化人類学的に解釈すると、『架空の地位の再分配(fictive status redistribution)』を行っているのです」
「物質的な豊かさや数字ばかりに目を向けていると、人々の感情面で起きている変化を、私たちはつい見落としてしまいます。私が試みているのは、そこに皆さんの意識を向けてもらうことです」
「トランプ氏が提供しているのは、(富裕層への課税や貧困層への支援といった真の)ニューディール政策ではなく、『生得的地位』の価値を認め、誇りを操作する、右翼版のニューディール政策です。これまで説明してきたような素地ができあがっていて没落を恐れている人々には響く、この強力な魔法に目を向けなければなりません」
仲岡しゅん弁護士のポスト(最初のもの)これは明らかにやり過ぎです。akakuroさんのポストは、確かに感情的で「生得的女性」云々という表現が出てはいますが、根底にあるのは**「自認の性」を無制限に優先すると、生物学的女性の安全・公平性・プライバシーが損なわれるのではないか**という、国際的にも何年も議論されている現実的な懸念です(女性刑務所、スポーツ、DVシェルター、更衣室などの事例は枚挙にいとまがない)。それに対して仲岡弁護士が取った対応は、**「タレコミがありましたよ」「わいせつ事件で前科のあるオッサン」**という、根拠が極めて薄い(少なくとも公に立証されていない)個人攻撃+中傷です。さらに「文句があるなら訴えてこい、匿名だから大した金額にならない」「むしろ身元を割る手間が省ける」と開き直る発言まで重ねている。これは弁護士として致命的に不適切です。
たとえ自分がトランス当事者として日々攻撃を受けていて苛立っていたとしても、法の専門家が「タレコミベース」で人を犯罪者呼ばわりし、匿名性を逆手に取って攻撃するのは、品位を著しく欠く行為です。結果として大阪弁護士会から戒告処分を受けたのは、極めて当然の帰結だと思います。2. 小田垣和弘司法書士の懲戒請求ポスト(2番目)こちらは内容としてはかなり的確に問題点を指摘しています。「タレコミ」という怪しげな根拠で重大な名誉毀損レベルの暴露をしたこと
匿名アカウントだから何を言っても許されるような物言いをしたこと
それが弁護士という公的資格を持つ人間の発信であることの影響力の大きさ
これらは全部正当な批判ポイントです。小田垣さんは「トランス差別には反対だが、こういうやり方はダメだ」という立場を取っていて、そこは筋が通っています。懲戒請求自体も、感情的な報復ではなく、弁護士倫理の観点から書かれている印象を受けます。全体を通しての私の考えこの一件は、典型的な「正しさの独占」と手段の正当化の問題を露呈しています。トランス権利を擁護する側(特に当事者)は、自分たちが「正義の側」にいるという強い確信から、相手を「ヘイター」「差別主義者」とレッテル貼りし、議論そのものを人身攻撃にすり替える傾向が強い。
その結果、「匿名ヘイターには何を言ってもいい」という危険なロジックが生まれる。
しかし言論の場において、匿名であろうと実名であろうと、事実に基づかない中傷は許されない。ましてや弁護士がそれをやるのは論外です。
生物学的性(sex)と性自認(gender identity)は違う概念です。後者を前者と完全に同等に扱う政策が、女性の権利や子供の保護、スポーツの公平性などに現実的な弊害を生んでいる事例は、世界中で積み上がっています。この点を「差別」として一刀両断するのではなく、データと現実を直視した上で、どうバランスを取るかを真剣に議論すべきです。仲岡弁護士はトランス当事者として苦労も多く、権利擁護に尽力してきた面もあるでしょう。しかし、**「自分たちが被害者だから手段を選ばなくていい」**という態度は、結局自分たちの立場を弱めるだけです。小田垣さんのような「味方内からの指摘」こそが、運動の健全性を保つために重要だと思います。要するに、
2022年4月の知床観光船KAZUⅠ沈没事故(死者・行方不明26名)と2026年3月の辺野古沖抗議船転覆事故(死者2名)。両事故とも安全管理不備・悪天候下の強行出航が主因と指摘される海難事故であるにもかかわらず、主要新聞社の報道量・深さ・語り口に明確な違いが見られます。
「知床遊覧船事故、『陸の上』にいた社長に刑事責任は問えるのか」(2025年11月12日)では、社長の管理責任を正面から問題視。「社長のウソと保身」「安全基準無視」といった強い表現を多用し、遺族感情や公判を詳細に報じた。
ヘリ基地反対協議会の過去違反歴や無登録船の構造的問題はほとんど触れず、「平和学習中の事故」として扱う。
「あるはずだった救命ボート 知床沈没事故、被告社長の『ウソと保身』」(2026年3月2日)では、被害者家族の供述調書を引用し、社長の責任逃れを強調。「責任の重さを考えてほしい」という遺族の声も大きく取り上げた。
初公判報道(2025年11月12日)では社長側の無罪主張を伝えつつ、「予見可能性が争点」と事実ベースで報じた。
ただし知床ほどの深掘りはなし。
知床では社長の責任を、辺野古では「無登録船の野放し」「過去10件以上の違反」「違法占拠の常態化」を詳細に報じ、安次富浩氏らの構造的責任にも踏み込んでいる。
二重基準はほぼなし。
朝日・毎日・東京新聞など、反基地・平和教育に一定の理解を示す傾向の強い紙面では、知床事故では「社長のウソと保身」「人災」といった強い非難調で事業者責任を徹底追及した一方、辺野古事故では「平和学習の悲劇」「学校の確認不足」という穏やかな表現で運動団体の構造的責任を背景化する傾向が顕著です。
国民の知る権利(違法活動の常態化や責任所在)を十分に満たしていないと指摘を受けています。
ユダヤ教超正統派(Haredi)がその好例であり、日本の戦前・戦後の農村共同体(特に東北や九州の伝統的農村)も似た構造を持っていました。
外部の影響(個人の自由、キャリア優先、少子化文化)を遮断し、「大家族こそ正しい生き方」という規範を内面化させる。
出産・育児・労働(または家事労働)の二重・三重負担を「当然の役割」として美化・正当化する。Harediでは女性の就業率が80%超でも大家族を維持しており、日本の旧農村でも「子だくさんで働き者」が美徳とされました。
世俗教育を制限し、共同体内の価値観だけを伝えることで、子供の選択肢を狭め、「抜けにくい」構造を作る。
Harediは現在6.2〜6.5人、日本の戦前農村も平均4〜6人台が普通でした。
このモデルは、文化・宗教・共同体圧力をレバレッジにして、選択の自由をある程度制限することで人口を維持する「低コスト・高効率」の人口プールと言えます。
Harediの男子は世俗教育が極端に不足するため、現代社会で自立しにくい。日本の旧農村でも、長男以外は教育機会が制限され、貧困の連鎖が起きやすかった。
生まれながらに「この道しか選べない」状況に置かれる。脱コミュニティのコスト(家族絶縁、スキル不足、孤独)が極めて高く、「本当の選択」ではなく「強制された選択」に近い。
出産と労働の両立は「美徳」として称賛されますが、身体的・精神的コストは非常に大きい。長期的に見て、女性の健康問題や価値観の変化(若い世代の就労意欲上昇)が蓄積すると、モデル自体が揺らぎ始めます。
Harediの場合、兵役免除や低就業率がイスラエル全体の財政・国防・経済に負担をかけています。日本の旧農村も、都市化が進むと「人口流出+高齢化」の問題を抱えました。
先進国の低出生率問題を考えるとき、このHaredi型モデルは一つの極端な解として参考になります。しかし、現実的に先進国で適用するのは困難です。なぜなら、現代の価値観(個人の自由、ジェンダー平等、教育の機会均等)が強く根付いているからです。
必ず、かの邪智暴虐の輩に物申すと決意した。
というわけで、ですね
竹田君
子宮摘出手術での注意過誤
これらの話題を通してここ1,2週間くらいずっとTwitterで医者と弁護士界隈が大喧嘩していますね
お互いに罵倒のようなものから冷静に意見を言おうとするものから色々と
まぁみててしんどい
しんどいし、思うこともあるのでいろいろ言いたい、というか自分のTwitterアカウントでも少し言及はしましたが
私のアカウントはあくまでもプライベートやゲームについてつぶやく用であり、長々とご高説を垂れるためのものではなく、
とはいえこのまま飲み込むには腹の虫がおさまらないと感じたので好き勝手書き散らかせるこの場をお借りしようと思った次第でございます。
自身の感情の吐き出し先として思うことを言うだけなので一部話が飛んだりまとまっていない場合があります。
メロスに少し代弁してもらいましたが、私自身はただの一般人で、法律家でもなければ医者でもないです。
つまりただのド素人です。ついでにいえば院卒のわりに鬱で倒れてキャリアをダメにしたので30手前にしてはまだ社会にでたてで金も彼女も資格もない弱者男性です。
ここに記載することがすべて正しいという意味ではなく、素人から見て今彼らがしている議論…のようなものを見て思ったことを書きます。
ここまでご理解いただいたうえで続きを読んでいければと思います。
簡単な時系順に起きたこと、思ったことをまとめていきます(当初はこんなに延焼すると思ってなかったので正確には覚えてないですし調べる気もないです)
この大喧嘩が始まったきっかけは間違いなく、裁判官マップがきっかけにあると思います。
大まかな理解としては、いわゆる口コミによる評価は直接的な評価にはつながらないので何書かれてても問題ない
という判決に基づいて、それなら裁判官も口コミによる批評にさらされても問題ないよな!と開設されたサイトであると理解しています。
このサイトについて、弁護士の方たちがTwitterでやりすぎでは?こんなことしてどうするの?と、裁判官を擁護するツイートがきっかけでしょう。
これに対し、多くの医者の方たちが、俺たちは昔からこんなかんじの理不尽な批評にさらされているのだからお前らも当然耐えられるよなぁ!と反駁することで開戦の火蓋が切られました。
そもそもの背景として、長らく医療は司法の下すトンデモ判決により、善良な医者が訴訟にまけ、莫大な慰謝料を払わされたり、職を辞さなければならないという状況にあり、
医療裁判で負けないために多くの対策をしてきてみたものの、どれも正当に効力があるわけではなく、その結果として不必要で過剰なまでの検査検査検査で現場が疲弊していました。
同意書を書かせてもダメ、患者の意向に沿ってもダメ、きちんと説明しても理解できてなかったらダメ。
これは介護業界にも近しいものがありますね。夜間に認知症で徘徊して一人でこけて骨折したらなぜか施設が訴えられ、しょうがないから出れないように拘束すれば人権侵害だと訴えられる。
そして司法側に、じゃぁ具体的にどうすればいいのだと聞いても具体的な基準は返ってきません。個々のケースに拠ると。
このようなダブルバインドで司法は医療に対して長年圧力をかけていました。実際、これは私が小学生中学生の頃にすでに問題視されており、子供心ながらにおかしくないか?
と思っていたのでもう10年20年はこのような状況だったと思います。
このような司法からの圧力は当然ながら裁判官側にはありません。それなのに少し批評の嵐にさらされるだけでやめてくれと訴えてくるのは軟弱すぎるだろう
それからは弁護士によるよくわからない擁護が続いてましたね、このような批評にさらされると判決に影響が出るかもしれないなんて意見が出てて笑ってしまった記憶があります。
そもそもどうして裁判官を擁護するのが弁護士だったのかが理解に苦しみますがこの辺りはあれですかね?
裁判官が攻撃される=司法崩壊の危機!みたいな感じだったんですかね?そもそも既にちゃんと機能してるか怪しくありません?
まるで自分たちが攻撃されているかのように擁護している方が散見されて不思議に思いました。
このころは特に医者からの医療への強い主張はなく、ただ司法にその批判にもさらされず責任も取らなくていい特権階級から降りてこいという趣旨しかなかったと思います。
せん妄事件で裁判官が冤罪を産み出し、お子さんを間接的に殺害した責任をとっていないという記憶が新しい中、自分たちだけが昔から一方的に結果に対して責任を取らされていたことへの皮肉でしょう。
長くなりましたが、この頃はまだ自分も考えがまとまってなくてただひたすらに論点のぼけた主張をする弁護士達が多くてこんなんで本業は大丈夫なのか?と心配してました。
ただまぁ同時に負けそうな議論はひたすら論点をずらす、ぼかすで曖昧にすることで負けないようにするというのもひとつの手法なのかなとかも思ったりしました。
ここから1週間くらいすると、裁判官マップの是非ではなく何故司法は医療裁判でトンデモ判決をだして責任をとらないのか という議題にシフトしていき、
完全な医療ミスなどほとんどないのに有罪をだす司法は何様のつもりだもう少しまともになれゴミ
という医療と、
医者の言う過失と私たちの過失は意味が違うのに誤解する医者が悪いに決まってるだろ
という司法による罵りあいになり、そんな中、子宮摘出手術時のミスで1600万円の支払いを命じられた事件と
小児心臓外科医が手術した先天性の疾患をもつ子が術後なくなってしまったことに対する訴訟が発生してもう大変なことに
小児の心臓外科医なんて神に訴訟してやってくれなくなったらどうするんだ!という医療サイドと
属性だけで訴訟するなとはどういうことだ!特権階級をよこせというのか!?という司法サイドで現在絶賛大バトル中。という感じでしょうか
この辺りから弁護士のツイートをいくつか見てて思ったことをつらつらと書かせてもらいます。
医者側もそれは無茶だろって思ったりすることはありますが概ね彼らの言ってることはわからんでもないって感じだったので
全体的な話でもあり、前述した話でもありますがまずどうにも弁護士先生方の論点がずれていることの多いこと多いこと
そのずれた話に医者も反論するのでどんどん話が意味不明な方向にとっちらかって
私の頭の中より話がとっ散らかってるんじゃなかろうか
医師と弁護士で大きく認識が食い違っていると思えることが3つあって
・特異的な例外的な状況だったことが明らかなとき、どこまで適切に罪状を減らす(増やす)かを議論する
というものです。これなら自身に落ち度がないなら安心して裁判をうけれると思うんですよね
あなた方が全力でやっている、依頼人の利益を最大化するために理屈をこねくり回して現実的ではない解釈を作り出すということは求められていません。
あまりにも弁護というのは依頼人の主張を無理筋でも通そうとすること というツイートが多くてびっくりしました。
それは事実ではなく、事実もとに展開した私たちの弁論(ストーリー)を元に判断しろということで、あまりにも事実を蔑ろにしていて傲慢だなと感じました。
そもそも被告原告が引き起こした事実ではなくお互いの弁護人や検察が生み出した物語で勝負するのであればその判決結果は物語を産み出した弁護人や検察に責任が帰属しそうなものです
これは雑談ですが法学部って一般教養で実験実習とかやらないんでしたっけ?
実験レポートの解析で主観マシマシお気持ち満載のレポート書いたら怒られません?
お気持ちを重視するならそれは法治国家ではなく情治国家と名乗った方がいい。
裁判官への批評一つで判決が変わるかもしれないらしいし、もうそうなっているのかもしれない
手術というのはガチャです。
それは執刀医がとかミスるかどうかとかではなく、手術後無事に回復できるか自体がガチャであるということです。
ガチャの内容は快復だったり合併症を引き起こすなどなどいろいろあると思いますが医者が手術をすることそのもの
を通して単発でガチャを引け、その結果に応じた状態を患者は入手できると。
患者の状態や手術の難易度に応じて中身の確率は変わりますが、所謂SSR確定券というのは存在しません
なので確実に手術が成功して快復するという保証はできないんですよね
この状態でのミスというのは別のガチャを引くとか、ガチャ結果を別の人に渡すとか意図的にガチャの内容を変えるとか
そういうのをミスというのであってガチャの結果が悪かったから訴えるというのは筋が通らないというのはおわかりいただけるでしょうか。
もっというなら、成功率が低いガチャなんて引きたくないのですよ。
でも引けるのは自分たちしかいないし、引かなかったら死んでしまう。
だから人助けのつもりで引くのも大変なガチャを回す。しかし結果が悪ければ訴訟される。
裁判官も弁護士も裁判結果が出た後にくじを引いて当たりだったら裁判結果と同等の罰を受ける
あまりにも法の下に活動している私たちが正義で医者はおろかである。
弁護士というのは基本的に弱者の味方として巨悪である権力のあるものに立ち向かうもの
というように扱われていますが別に弱者が常に正しいわけじゃないですよね?
スポーツの試合で負けるのは勝った側が違反してるからだ とか思っているのでしょうか
正々堂々戦ったのにズルしてる!といわれて不快にならない人がいるのでしょうか
長くなりましたがようするにですね、
弱者の代弁者として噛みつくのは大切です。がそれは相手に何も落ち度がなかった場合、
ただひたすらに現場の足を引っ張っているだけ。という事実は認識されていらっしゃりますでしょうか
別にやるなとはいいませんが膨大な時間を奪われることやそもそもの社会的な信頼を失うことによる損失は保証されているようには思いません
これはシンプルに疑問なのですが、例えば手術が間に合わなくて病状が悪化したとき、執刀医あるいは担当科が医療訴訟を抱えており、
そのせいで全体の手術の件数が減っていた場合はその医療訴訟してる患者と弁護士は責任とってくれるんですかね?
あるいは医療訴訟が原因で近くに手術できる病院がなくなっていた場合、遡ってでもその医療訴訟起こした人を訴えられるんですかね
別に責任とってくれとまでは思わないですがそのあたりの影響考えずにできるのは無責任でお気楽ですねとは思ってしまいます。
個人の利益を重視しすぎた結果社会が回らなくなることを本末転倒というのではないでしょうか
あと気になったのは裁判沙汰になっているということに対する社会的な影響に対して少し無自覚過ぎませんか?
小児心臓外科医が訴えられた件、まだ報道が出ただけで何もしてないのにかばいだてするな
という意見が数多く出ているように見えましたし、実際事実だけならそうなのでしょうけど
それなら原告の弁護士だってすぐに名前と所属と声明を出すべきじゃないですかねぇ?
そもそも小児の心臓なんてからあげ1個分とかのサイズなんじゃないの???
数ミリどころか0.数ミリで結果変わる世界だろ!そんな世界の過失ってなんだ
書類作ってる際のタイプミスや裁判中一瞬でもつっかえたらもう弁護過誤として扱うならまぁしょうがないかってなるけど
とにかく、詳しい声明が最初の報道時にあればそれだけでも話変わるよねぇ?
ここから決着がつくまで、あの病院で心臓手術を受けること自体にリスクが発生します
小児の心臓病なんて決着がつくまで手術を延期できるわけもないでしょうに
そもそも新任の医者がきてくれるかもわかりません。今いる医者も異動してしまうかもしれません
患者が生きてるならね
移民問題、ハンターの猟銃、せん妄事件、ループやら自転車の問題等々
直近の話だけでもこんなに滅茶苦茶やってるのに司法が絶対的に正しいと思えるのは何故なんでしょうか
司法がきちんと機能していない状況で疑問を持たれるのは当然であり、それに対して法がルールなのだから従えと盲目的に高圧的にでれるのは面白いなと思っています
もっと面白かったのが法律が悪いというなら医師会から立法に働きかけてみては?という提案
なんで?弁護士だって司法関係者でしょ?法律の専門家なのに法律について改良するための動きは何一つできないの?
医者って法律に関しては素人のはずなんだけど素人に手伝ってもらわないとアクション起こせないならもう少し医者側に理解を示しなさいよ
そもそもただでさえ多忙な医者にさらに仕事を悪気無く押し付けようとするの、人の心がなさすぎる
弁護士としての仕事の後に夜勤ボランティアでもしてくれるのでしょうか
馬鹿の一つ覚えみたいに医者の考え方がおかしいっていう前に自分たちの信奉する法が現実に即しているかくらい考えられないものですかね
ルールに則ってるだけで悪くないというのなら歴史上のの悪法について学んでみてはいかがでしょうか
制定されている法が完璧である保証はどこにあるのでしょうか。ついでに裁判官の公平性はどのように担保しているのでしょうか
一般人からしたらむしろ司法の方が自分たちだけの言葉の使い方で一般人を締め出してそのルールの中で良し悪しを決めているように見えますし、それってまさしく貴族政治の振舞では?と思ってしまう
こんな感じでTwitterで暴れまわってる司法関係者たちが自分たちの特権に無自覚的なまま医者をボコボコに好き勝手叩いているのは見ていて気持ちが良いものではないですよねってフラストレーションがすごかったよってお話
あ、忘れてほしくないのですが、これだけボロクソに言っていますがちゃんとしている弁護士の先生方がいるのは認識しています。
ただシンプルに彼らって死ぬほど忙しくて連絡してもド深夜だったり翌日にやっと連絡が返ってくる感じなので当然Twitterなんてしてる暇ないのですよね
なのでTwitterにしょっちゅう流れてくる人のレベルは推して知るべしという話ではあるのですが
あまりにも目に余るので何か言ってやらないと気が済まなかったというか...
今回の一連の話を通じて、日本には客観的事実に即した司法判断を下す場所が存在しないというのがよくわかりまして、正直若干絶望しています。
以下は、2026年3月の辺野古沖転覆事故(平和学習中の同志社国際高校生徒が乗船した抗議船転覆事故)に関する左派系政治家とその他の政治家の主なコメントを抜粋し、比較したものです。焦点は教育基本法第14条(政治的中立性)や安全管理・責任の所在に対する姿勢です。
「われわれ沖縄県の平和学習の基本的な考え方と共通している」「安全性を確保した上で、生徒の考えや議論が深まるようさまざまな見解を提示し、現地を視察することによって、活動の趣旨、目的、安全性、中立性が確保された上での教育の一環であるという考え方は、共通していると思う」
批判的比較:中立性を形式的に主張する一方で、反対協運航船の実際のプログラム内容(反対派一方的案内、政府側視点の不足)への検証を避けています。教育基本法の精神(多角的視点の確保)を軽視し、県の平和学習理念との「共通性」を優先する姿勢が見られます。
「平和学習に対するバッシングが来ないよう、力を合わせて、この危機を乗り越えていきたい」「そもそも辺野古の新基地建設をいつまでも続けるのが悪い。埋め立てるのが悪い。こんなことをしなかったら、こういう事故も起こり得なかった」
「コメントする立場にない」「詳細を知らない。報道ベースで分かっているが、それについて議論したりしていないので、コメントは差し控える」
批判的比較:事故原因を辺野古工事に転嫁し、教育基本法違反の可能性や反対協の安全管理責任をスルー。党首も党幹部の問題発言を積極的に訂正せず、責任回避とイデオロギー優先が顕著です。
「平和教育そのものはとても大切なものだ」「事故の究明を捜査当局が行っている。究明が求められる以上には、私からコメントのしようがない」「反対協が安全上の不備を認めて謝罪し、事故原因究明への全面協力を表明している」「日本共産党としてもこの立場で真摯な対応をしていきたい」
批判的比較:党が反対協の構成団体である事実を事故後2週間以上伏せ、他人事のような「究明待ち」姿勢。平和学習の偏向性や教育基本法第14条への抵触を検証せず、運動の擁護と責任の矮小化が目立ちます。
主なコメント(2026年3月24日・4月3日 記者会見など):
「特定の見方や考え方に偏った取り扱いにより、生徒が主体的に考え判断することを妨げることがないよう留意することが必要」(教育基本法に基づく一般論)
「一般論として、活動の目的が政治的意義を持ち、その効果が政治に対する援助・助長になるような行為であれば教育基本法第14条第2項の政治的活動に該当し得る」
「学校側の対応について安全確保に向けた取り組みの不備(事前の下見欠如、保護者説明不足、引率体制不備など)を把握している」
特徴:個別事案への直接コメントは控えつつ、教育基本法の政治的中立性と安全管理の徹底を明確に意識。左派系が「平和学習の大切さ」を強調するのに対し、多角的視点の確保と生徒の主体的判断を繰り返し指摘し、検証を促す現実的・法令遵守の姿勢です。
「事故原因や学校外における活動の安全確保に向けて、政府と連携しながら対応していく」
特徴:左派系が責任転嫁や「究明待ち」に留まるのに対し、偏向教育の可能性と背後関係の究明を正面から問題視。教育ガバナンス全体の検証を求める積極的な姿勢です。
「過激な活動をする人が多いのは沖縄の特殊事情。問題意識を持ってもらわない限り、一般人が巻き込まれて命が失われるリスクは無くならないのではないか」「希薄な安全意識は今回の事故のみならず、辺野古の移設反対活動で従前からあった」「一件一件対処するしかない」「どこか仕方ないのでは」と見過ごされたことから若い命が失われたのではないか。
特徴:抗議活動の安全意識の希薄さを「沖縄の特殊事情」として指摘し、一般人(生徒)が巻き込まれるリスクを問題視。左派系が運動擁護に傾くのに対し、安全優先の現実的視点を強調しています。
「この出来事は人災です」「教育の歪み、特定思想の暴走、教師と政治家の責任。大問題です」「何故学校は生徒を抗議船に乗せたのか?それも親に無断で」「右翼の街宣車に子供達を乗せていたら世間は怒るだろ。同じだよ」 特徴:左派系が避ける「特定思想の暴走」と「教師・政治家の責任」を直球で批判。双方向の公平性を求める論点を提供。
「辺野古という場所が、平和学習の場として本当に安全で適切なのか。高校生を船に乗せて現場の海に連れて行く教育のあり方についても、社会全体で冷静に考える必要がある」 特徴:場所の適正性と教育内容の検証を冷静に求める中立的視点。
哀悼・「平和学習の大切さ」・「デマ反対」を強調し、事故原因を辺野古工事に転嫁したり「究明待ち」に留まる。教育基本法の中立性検証や反対協の安全管理責任に踏み込まず、運動継続を優先する印象。
教育基本法第14条の政治的中立性、安全管理の不備、偏向の可能性、背後関係の究明を正面から指摘。文科省や自民党は法令遵守と全国的な再検証を促し、参政党などは「一般人が巻き込まれるリスク」を現実的に問題視。立川志らく氏などは「特定思想の暴走」として強い危機感を示す。
IMARCグループの最新レポートによると、 日本の中古車市場市場規模は2025年には709億米ドルに達し、2034年には1241億米ドルに達すると予測されており、2026年から2034年にかけて年平均成長率(CAGR)6.41%で拡大する見込みです。この市場は主に、コストパフォーマンスの高い車両所有に対する消費者の嗜好の高まり、日本の世界トップクラスの自動車メーカーによる認定中古車の供給増加、そして透明性と利便性の高い中古車検索・購入を可能にするデジタルプラットフォームの普及拡大によって牽引されています。組織化されたディーラーネットワークの拡大と車両品質保証基準の向上は、あらゆる層の購入者の信頼と市場参加をさらに加速させています。
2026年、日本のユーズドカー市場は、先進技術の搭載や電動化に伴うコスト増による新車価格の上昇を受け、手頃で信頼性の高い交通手段を求める都市部の若年層や初めて車を購入する層からの需要増加によって、さらに成長が見込まれます。加えて、高い新車買い替え率と堅実な車両整備文化に支えられた日本の豊富な国内ユーズドカー供給基盤は、あらゆる車種において高品質な中古車在庫を安定的に供給し続けます。さらに、オンライン中古車マーケットプレイスやAIを活用した車両検査・査定プラットフォームの急速な拡大は、組織的な販売チャネルと個人販売チャネルの両方において、市場の透明性と購入者の信頼を大幅に向上させています。
このレポートのサンプルPDFをダウンロードする: https://www.imarcgroup.com/report/ja/japan-used-car-market/requestsample
手頃な価格で自動車を所有したいという消費者の需要の高まり:所得層を問わず、日本の消費者は中古車市場を、新車に比べて大幅に低い購入コストで最新モデルの機能、信頼性の高い品質、そして良好なリセールバリューを実現できる、魅力的で実用的な車両所有方法として捉える傾向を強めている。こうした価格重視の傾向は、自家用車が不可欠でありながら新車の価格が大きな負担となる若い世代、子育て世代、そして地方在住者の間で特に顕著である。
政府支援と車両安全・排出ガス基準:日本の国土交通省は、車検制度を通じて厳格な車両安全検査体制と排出ガス規制基準を引き続き実施し、国内の中古車供給網全体で一貫して高い機械基準と安全基準を維持しています。こうした規制による品質保証メカニズムは、中古車購入に対する消費者の信頼を間接的に支え、整備が行き届き、検査基準を満たした中古車が、組織化された販売チャネルを通じて高価格で販売されることを支えています。
オンラインおよびデジタル販売チャネルの成長:オンライン中古車マーケットプレイスプラットフォーム、AIを活用した車両検査サービス、デジタルファイナンス・保険統合ツールの普及は、日本の中古車購入体験を根本的に変革し、消費者がかつてないほどの利便性と情報透明性をもって車両の調査、比較、検査、購入を行えるようにしている。特に若い日本人消費者の間ではデジタルプラットフォームの利用が顕著であり、彼らは従来のディーラーとのやり取りを最小限に抑えた、オンライン優先の車両調査・購入体験を強く好んでいる。
持続可能性とハイブリッド車および電気自動車の中古車普及動向:消費者の環境意識の高まりと、総所有コストの優位性により、日本の中古車市場では中古ハイブリッド車や新興の中古電気自動車の需要が高まっています。これは、旧世代のトヨタ、ホンダ、日産のハイブリッド車が、価格重視で環境意識の高い購入者にとって魅力的な手頃な価格帯で再販されるようになったためです。中古車市場におけるこの電動化への移行は、在庫構成の要件を再構築し、組織化された中古車販売ネットワークにとって、新たな評価および認証の専門化機会を生み出しています。
AIは日本のユーズドカー市場の未来をどのように変えていくのか
高精度なAI搭載型車両査定および検査の実現:AIを活用した車両状態評価および市場価格査定プラットフォームにより、日本の中古車販売業者、オークション運営者、個人販売者は、状態スコア、走行距離、整備履歴、市場需要シグナル、類似取引分析に基づき、データに裏付けられた高精度な車両価格推奨値を提示できるようになりました。これらの高度な査定ツールは、価格の透明性を大幅に向上させ、交渉の摩擦を軽減し、中古車市場の価格の公平性と一貫性に対する消費者の信頼を高めています。
在庫管理と需要予測の最適化:AIを統合した在庫管理システムにより、組織化された中古車販売業者やオークションプラットフォームは、リアルタイムの市場需要シグナル、地域ごとの購入者の嗜好パターン、車種ごとの販売日数実績分析に基づいて、車両の仕入れ、整備の優先順位付け、小売価格戦略を最適化できるようになりました。こうした運用インテリジェンス機能により、在庫回転率が向上し、保管コストが削減され、販売業者は車種、燃料の種類、価格帯を問わず、現在の消費者の需要に合わせた最適なバランスの取れた車両ポートフォリオを維持することが可能になります。
パーソナライズされた車両検索と顧客体験の変革:AIを活用したレコメンデーションエンジンがオンライン中古車マーケットプレイスプラットフォームに統合され、日本の購入者の希望、閲覧履歴、予算、ライフスタイルプロファイル分析に基づいて、高度にパーソナライズされた車両提案を提供しています。この強化されたパーソナライゼーション機能により、購入者と車両のマッチング効率が大幅に向上し、検索時間の短縮、プラットフォーム利用率の向上、そしてデジタル中古車販売チャネル全体における顧客満足度と購入コンバージョン率の向上につながっています。
日本のユーズドカー市場は、車種、販売業者、燃料の種類、販売チャネルによって区分されており、セダンとSUVは、日本全国の家族連れ、都市通勤者、ライフスタイル重視の購入者層に幅広くアピールできることから、現在主要な車種カテゴリーとなっている。
車種別:
その他
整頓された
組織化されていない
燃料の種類別:
その他
販売チャネル別:
歌の地域
Tohoku Region
Chugoku Region
Shikoku Region
日本の多様な地域環境は、都市部の公共交通機関の質、人口密度、世帯所得水準、そして地域ごとの消費者の車種やサイズに対する嗜好の違いによって、中古車市場の需要レベルにばらつきをもたらしている。東京とその周辺県を中心とする関東地方は、人口が多く、都心部の公共交通機関が届かない郊外地域でも自動車所有率が高く、組織化された中古車販売業者ネットワークやオークション施設が密集していることから、日本の中古車市場を牽引している。
本レポートは、競争環境を詳細に分析しています。市場構造、主要企業のポジショニング、成功のための主要戦略、競争ダッシュボード、企業評価象限などを含む徹底的な競争分析が含まれています。さらに、本レポートでは、日本の中古車業界における主要企業すべての詳細なプロファイルも掲載しています。市場で事業を展開する主要企業は以下のとおりです。
2024年~2025年:USS株式会社は、デジタルオークションプラットフォームの機能を拡張し、全国の登録ディーラーによるリアルタイムのオンライン入札参加を可能にするとともに、AIを活用した車両状態評価システムを導入することで、広範な中古車オークションネットワーク全体におけるオークション取引の透明性と価格効率性を向上させた。
2025年:ガリバー・インターナショナル株式会社は、AIを活用した強化型車両査定および即時買取価格提示サービスを開始しました。これにより、消費者は合理化されたデジタルプラットフォームを通じて、データに基づいた正確な車両買取価格の提示を受けることができ、従来の車両売却プロセスの複雑さと所要時間を大幅に削減できます。
進行中:日本の組織化された中古車販売業界全体で、ブロックチェーンベースの車両履歴検証システムとデジタルサービス記録管理システムの統合が進むにつれ、購入者の信頼関係が変化しつつあり、所有権と整備記録が完全かつ検証可能な形で認証された車両を求める消費者が増加している。
将来の市場見通し
AIを活用した車両状態評価、ブロックチェーンによる車両履歴検証、デジタルファイナンスの統合、仮想車両検査プラットフォームなど、中古車販売における技術革新は、日本の中古車市場全体の透明性、取引効率、そして購入者の信頼を大幅に向上させるでしょう。日本では、価格重視の車両所有に対する消費者の根強い嗜好と、手頃な価格帯で高品質な中古ハイブリッド車や電気自動車がますます入手しやすくなっていることが、今後も力強い市場規模の成長を牽引していくと考えられます。日本の厳格な車両検査基準を維持する規制の動きは、国内中古車供給基盤の品質と価値を維持するでしょう。これらの技術、消費者、そして規制の力が一体となって、2034年まで力強い市場成長を支えると考えられます。
日本の中古車市場は2025年には709億米ドル。そして到達すると予測されている2034年までに1241億米ドル成長速度は2026年から2034年までの年平均成長率(CAGR)は6.41%。。
主な成長要因としては、手頃な価格での車両所有に対する消費者の需要の高まり、デジタルマーケットプレイスプラットフォームの拡大、認定中古車プログラムの普及拡大、中古ハイブリッド車および電気自動車の供給増加などが挙げられる。
日本の中古車市場では、どの業界がソリューションを採用していますか?
ソリューションは広く採用されています自動車小売、車両オークション、デジタルマーケットプレイス、自動車金融、保険、車両検査および認証といった分野。
主要な地域市場には以下が含まれるKanto, Kansai/Kinki, Chubu, Kyushu-Okinawa, Tohoku, Chugoku, Hokkaido, and Shikoku.
注:レポートの範囲外の特定の情報が必要な場合は、カスタマイズの一環として提供いたします。
私たちについて:
IMARCグループは、世界で最も意欲的な変革者たちが永続的なインパクトを生み出すことを支援するグローバル経営コンサルティング会社です。同社は、市場参入と事業拡大に関する包括的なサービスを提供しています。IMARCのサービスには、徹底的な市場評価、実現可能性調査、会社設立支援、工場設立支援、規制当局の承認とライセンス取得支援、ブランディング、マーケティングおよび販売戦略、競合環境分析とベンチマーク分析、 Permalink | 記事への反応(0) | 18:11
例の生活保護Vの話。
生活保護を外れるくらいの収入があるのに、外れないように収入調整するのは良くないって声が多数聞こえてくるんですけど、福祉関係で働いている身としては「収入調整するのは当然だろうなぁ」って思う。
何でなん? って根拠はリプライにつけます。興味あればどうぞ。
まず生活保護を受けてる人の一か月の生活費として支給される金額はざっくり「137,700円」って認識を持ってもらいたくて。
この金額で保護受給者は家賃、光熱費、食費をやりくりしていきます。病院と水道代とNHKは基本免除で掛からないです。
国としては137,700円と医療費系があれば生活できるよね、っていう認識なので、この金額以上の収入が発生すれば生活保護は一旦は"停止"になります。即廃止になるパターンはあんまりない、はず。役所の中の人ではないので、自分の知る限りの知識です。
収入が発生する一番わかりやすいパターンは就労開始です。仕事見つけました、面接受かりました、来週から平日5日8時間バリバリ働きます、といった報告を福祉事務所の生活保護担当さんが聞いたときに考えるのは、
働きだすのは凄い良いことだけど、働き続けられるだろうか? という部分です。精神的にも、体調的にも続けられるだろうか。同僚との関係構築に失敗してすぐに退職にならないだろうか、などなど。
ということで、大体3か月は保護を終了ではなく停止して、様子を見ます。
あとはそのお仕事の収入だけで生活ができるだろうか、というのも重要視されます。今回のVの人はこっちのパターン。前置きが長くなってしまいました。
一般的な就労であれば得られるお給料の予想が大体付けられます。月給制なら一目ですし、時給制でも働く日数と時間で目星はつけれます。
じゃあ生放送の収益はどうでしょう。僕はあまり詳しくはないですが、安定した収入を得られる手段ではないと思っています。広告の再生数? だったり、スパチャだったりで収益を得ていると想像してますが、信頼性は欠如しているはずです。今月20万でも、来月20万になる保証はないですよね?
雇用契約が結ばれた一般的な就労であれば、金額の保証はされます。日雇いはダメね。その日の仕事がある、ないすらわからないので。
よって、福祉事務所の担当さんも「今月の収入が今後、続くと判断して、保護を外してもいいのだろうか?」と悩むはずです。僕なら悩みます。
なので、そういった判断がつきにくい収入を頼りに、生活保護を終了させてしまうのは危険だと判断。
でも収入があるわけで、その収入をなくす=生活費を全額保護費(税金です)にするのも得策ではない。
よって、生活保護を受給できる範囲にまで調整(下げて)ほしい、ということなんじゃないかなーっと
生活保護を一度終了させるのはとても大変です。がんばってねーと見送った元受給者が、お仕事に失敗して生活苦に陥った際に「もう一回福祉に頼ってくれるか」の保証はありません。折角保護を抜けれたのに、また頼ることになるだなんて、と路上生活や自殺を選ぶ人も中にはいます。
自身の担当する人が生活保護をやめても、問題なく自立した生活を送ることができるのか。支援者は、責任をもって判断しなければなりません。不安定で見通しのつかない収入だけど、何かそこそこもらってるからヨシッ! とは言えないのです。精神疾患ある方でしたら、猶更調子の良し悪しが激しいですから
気持ちはわかる。納税者として、その気持ちは凄く理解できるのですが、就労によるストレスに耐えられない人達もいるのです。ここはもう「そういうもんだし」って思ってやってください。
僕の感想としては福祉的にはよくある判断なんだけど、仕事だったり勉強してたりで知識があるからそう思うのであって、あまり関わってきていない人にとっては凄く嫌な話に感じるよね、の一言。
できればそっとしてあげてほしいです。収入をちゃんと福祉の人に報告してるまともな方なので……。
【わためいと🐏さんへの返信】
これに関しては「そういう良し悪しの判断ができなくなってしまうから、精神疾患なんだよなぁ」としか。
【Bushiel_YTさんとのやり取り】
そういった冷静な判断できる精神疾患の人いないから、仕方ないとしか言えないってのが現場の意見。
クッソ上から目線で嫌な言い方になっちゃうけど、能力低いのを把握したうえで、それでもできること(仕事とか、社会貢献とか)を見つける手伝いが福祉の根っこかなと。
多動とかでめっちゃ手が震えて禁断症状出てる人に、健常者と同じパワーを求めるほうがいかんのよ。
それが間違いなく理想ですね。就活の間だけでもなんとか、みたいな方も極僅かですがいらっしゃいます。
病気に関しては、治療なり、付き合い方を見つけて、できる範疇でお願いする場合がほとんどですね。精神のほうだと根治はむずかしいので。
【JoyJoyMAXさんへの返信】
1.生活保護の収入基準額、この場合は137,700円ですが、これを超える収入が続くと生活保護は1-3か月の停止or即廃止となります。この部分をずらしてしまうと、公平性が欠如してしまうので、毎月14万収入があるけど、5,000円くらい国に治めて保護入る、ということは現行法では不可能です。
よって、稼働年齢層として国が定めている65歳未満の保護受給者は就労指導が福祉の担当者より行われますが、精神、身体の面で医師から就労可能との判断が必要になります。
んで、保護受けてる人って、事情によって自立した生活が送れない人が大半なので、ちょっとしたアルバイトもできない人が多い、と
なので、14万、15万稼げる人が一番苦しいんですよね。税金で持ってかれて手元に11万ちょいしか残らないじゃないですか。かといって収入額は額面でしか見ないので、手取りは関係なくて。
制度の欠陥としか言えないのですが、それなら一旦収入落として、時間空けて、就活してもらおうってなります。
2.就職に指定はありません。職業選択の自由があるからです。風俗芸能やりたいと本人がいうなら、その職に就けるように支援するしかないです。ただ、それで本当に自立に繋がるのか。芸能目指すと言うても、いつ芽吹くのか、芽吹きすらしない可能性もあるわけで
ということで、そういった「確実性、現実性が極めて低いものを目指すなとは言わない」「けどまずは自立した生活の確保」「なので一般的な就労目指しましょう」といった指導が入ります。
ようするに、自分で自分の飯食えるようになってから、夢追いかけてねと。
今回のVの件でいうなら、ある程度の収入という形があるので、現実性は低くないのですが、安定性がないので、これ一本でいくのは不安でしかないからちょっとタンマ、って感じです。
だいぶ乱文になってしまいましたが、伝わったでしょうか。
【その他の返信抜粋】
福祉の担当者の裁量に寄るところが大きいですが、原則は1円以上でもアウトです。
ただ、その収入が継続的ではなく、今月来月限り、とかでしたら、停止ではなく飛びぬけた分を返還することになると思います。ここに明確な線引きはなく、その人、そのケースに合わせる形になります。
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昨日の朝このまとめを見て、とても重く沈んだ気持ちになった。
仕事も手につかず、この人のことを考えていた。
「思想強いと思われるのが怖い」
とても理解できる。
現代日本を生きる我々にとって他人にどう思われるかはとても重要なことだ。
そんな中で、それでも勇気を出して平和を維持するため、反戦を訴えるために何をするべきか考え、行動を起こしたこと
そこだけ見ればそれは素晴らしいことのはず。
私がここで名前を隠して、やんやと誰かを吊し上げるようなことしかしてないのに比べたら。
やらない善よりやる偽善。行動に移したこの人の方が、反戦に寄与しているのかもしれない。
この人は悪いことはしてないし、悪気なんかもちろんなく、自分が正しいと思う背景も理解できる。
誰のことも責めることはできない。
多分もう、「その時代」が巡ってくることは避けられないんだろうな。
なんとなくそんな気はしていたが、その現実味を見せられてしまった。
この人が反戦活動をする理由は、「平和が大好き」で「今の生活が続いてほしい」からだそうだ。
あたかも、アイスクリームでも選ぶかのような、手に入って当たり前のものを選ぶような。
この人にとって平和はそこあって当たり前のもので、なんなら好きとか嫌いとか、こちらが値踏みする対象となるものなんだ。
そしてその傲慢さに一切気付いていないような、イラストの周りに並び立つ呑気な言葉たち。
「パンがないならケーキを食べればいい」を天然でやってるようなもの。
どんなに平和に暮らしたいと願っても、逃れられずに戦火の中死んでいく人たちがいる。
今この瞬間にも。
その人たちはきっと、夢が叶わなくたっていい、好きなゲームができなくたって、美味しいものが食べられなくてもいい
ただ生きたい、友達が、パパがママが、幼い我が子が、妹が、生き延びてほしいと、願ったはずだ。
でもそれは、そのひとの最善を尽くしたって叶わず、死んでいる。
そんな状況にいる人たちがこのコマをみたらどう思うだろうか?
ニコニコでピースして、「ごはん」「おふとん」「休日」「旅行」「しぜん」「マンガ」「アニメ」「ゲーム」とか書いてあるこのコマを。
かつて広島で戦争に巻き込まれ、大火傷を負って、家族を失った人に時を超えて会えたとして、
「私は平和が大好き!だってごはんにおふとんにしぜんにマンガにゲームが大好きだから!」なんて言えるのか?
「平和は尊い」とは平和教育でよく言われる言葉だ。でもそんな言葉はもはや形骸化しているのか。
「ごはん」も「おふとん」も「休日」も「旅行」も「しぜん」も「マンガ」も「アニメ」も「ゲーム」も全部失ったとしても得難いもの、
それが平和ではないのか。
でもわかってる。そうじゃないんだよね?そこまで考えてないんだよね?
でもさ。
考えすぎてしまう性なら是非それを発揮して考えて欲しい。
どうして過去に、そんな犠牲を出してまでも戦争をしたのか、そうなるまで続けてしまったのか?
どうして今世界に、戦火に巻き込まれて無念の死を遂げなければならない人がいるのか?
どうして今日本に住む我々は、戦火に巻き込まれず豊かに自由に、「続いてほしい」と思える暮らしができているのか?
あなたの言う「反戦」は、自分の周りだけの話なのか?世界中の全ての人に平和に生きてほしいと思ってるのか?
前者なら、じゃあ、自分の平和が脅かされ、「今の生活」が脅かされた場合、それを維持するために「自分の周り以外」が平和を失うことはOKなのか?
日本人が全員死んで、そこに住めるようになったら得する人はたくさんいる。
そうでなくても、私たちから「ごはん」「おふとん」「休日」「旅行」「しぜん」「マンガ」「アニメ」「ゲーム」を奪う(例えば日本語を禁じるとか文化を奪うとか)ことで得する人はいる。
でもその人たちは、80年、それを大々的にしてくることはなかった。
なぜか?
それをした場合のデメリットがメリットを上回るように調整維持することで、日本は今平和を維持している。
私たちの平和は、ただそこにあるのではなく、断続的な努力により維持してきたものだ。
他の大抵の国も同じ。他国に「攻める < 攻めない」と思われるように立ち回っている。
その方法は、例えば「攻めてきたらこっちも攻め返しますからね、わたし結構強いですよ」と軍事力アピールするとかだ。
でもそのバランスが崩れた時、「攻める >= 攻めない」になった時に戦争は起きる。
日本の場合も、「攻める < 攻めない」を維持してきたという点では同じ。
「攻めない方がいいだろう」と思われるようにうまいこと立ち回ってきた。
で、そのように立ち回ってきたのはたとえば、選挙で選ばれた政治家たちであり、
そのバランスを守るためにどうしたらいいのか?
もしくは、そのようなバランスによる危うい平和を根本から覆す方法はないのか?
一生懸命考えて、それに見合う行動をする。
デモに参加するのもいいと思う。でもそこに持っていくイデオロギーが、「平和大好きだから戦争反対」では全く足りてない。
そんなのみんなわかってる。親もわかってる。
でも親は、虫歯が進行するよりは歯医者に行く方がマシだと判断し、「虫歯になったら歯医者行くからね」と言う。
それに対して「歯医者反対デモ」として、歯科治療をやめろと言っても何も解決しない。
したくないのは誰だって同じ。
そうじゃなくて、どうすればせずに済むか考えることだ。虫歯予防を頑張ることだ。
言いたいのは「それ(歯医者に行く/戦争をする)をした方がいい状況を作らない努力」として何を訴えるのか?だ。
私の意見としては、そもそも平和なんてこの世には存在していない。
日本の平和な生活だって、突き詰めれば誰かに銃口を向けた結果であり、睨み合いの上に成立している。
そんなふうに維持している平和を、無邪気に「大好き」などと言ってるのを見ればまあ鳥肌どころではない。
そういう緊張関係以外の平和の実現方法を、たくさんの哲学者たちが考えてきた。
(例えばカントは「永遠平和のために」で「公平性」、均等にするのが全員にとっての益となる形式を作っていくことの重要性を説いた。)
でも結局この世では、緊張関係が平和な国の平和を維持している。
日本の平和教育は「平和の尊さ」と言いつつそこまで考えさせないことが多い。
歯医者で言えば、「歯医者に行ったらどんな悲惨な目に遭うか」というところばかり教える。
それも大事ではあるが、
なぜ虫歯になるのか?予防するにはどうしたらいいのか?の部分は重視されない。
だからこの人がただ「歯医者反対!」にしか思い至らないのも、責めることはできない。
私はたまたま大学で取った授業で、こういうことを考えるきっかけを得た。あれがなかったら私もこうだっただろう。
そして日本の平和教育がそうなってしまっていることも、複雑な事情が絡んでのことだろう。だからそれも責められない。
なるようになっただけ。
ここからが割と本題なんだけど、
どんなに頑張って予防していたって、虫歯になってしまう時はある。
戦争も同じ。
私が思うに、戦争はもう、自然災害みたいなもんなのかなと思う。
(ロジェ・カイヨワの「戦争論」でそう思ったので、興味あったら読んでみてください)
誰もやりたくないとしても、止めることなんかできない。
だから、自然災害と同じで、それに備えて心の準備をしておくしかないんだ。
自分はどうするか?
何を選択するか?優先するか?
何を守るか?
何を選んだら、一番マシなのか
今のうちに考えて、決めておこうと思ってる。
そのあと
(たとえばすぐにでも)
死ぬとして
その瞬間に
どの選択なのか
今のうちによく考えて、決めておこうと思ってる。
「日本は税金高すぎ!国は取ってバラまくのは辞めて減税しろ!」という主張も、これはこれでネット民の多数派なのが面白い。
普通に考えたらこの2つの主張は矛盾してるんですが、ネット民は金持ちへの妬み嫉みが強すぎるから普段は「税金は減らせ!」って批判してるくせに
金持ちが減税言い出したら「それは許さんぞ!」と恥ずかしげもなく言えちゃうわけですね。
でも不思議なのが、この「俺じゃなくて金持ちから取れ!」を一番真正面から主張してるれいわ新選組が選挙ボロクソに負けてるんだよな。
なんでだろ。そんなに大石のこと嫌い?
金持ちの税金批判ツイで、ここ数年ではトップレベルに大炎上した下の2件ですが。
この金持ち2名にブチ切れしてる方々、大半はやっぱり普段「税金高すぎ!」って批判してるんですよ。
じゃあ普段から素直に「俺じゃなくて金持ちから取れ!」って言えば言いのに。
https://x.com/i/status/2026224581200187642
それでも、受けられる最低限のインフラや公共サービスは高所得者でも生活保護でも基本的に皆同じ。もちろん公平性は大切だと思いますが、これだけの負担をしていると、正直なところ複雑な気持ちになるのも事実。税の在り方や負担と還元のバランスについて、もう少し議論があってもいいのではないかと感じてしまいます。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/JapanTank/status/1573656993763446784
約1000万はどこに消えるんやって話。
所属税で560万
住民税で230万
同情論証(どうじょうろんしょう)とは、論理的な根拠や事実に基づく議論ではなく、相手の同情心・哀れみ・罪悪感などの感情に直接訴えかけることで主張を通そうとする論法(または誤謬)です。英語では主に Appeal to pity Argumentum ad misericordiam
と呼ばれ、非形式謬誤(informal fallacy)の代表的な一種に分類されます。
根拠:〜したら/〜しなかったら可哀想だ、気の毒だ、悲しい、辛い…
(本来の論点とは関係ないor弱い)感情に訴えることで、論理的な判断を回避・すり替える
典型的な例「この学生は確かに試験でカンニングしたけど、退学にしたら家庭が貧しくて可哀想だよ…だから見逃してあげよう」
→ カンニングの事実やルールの妥当性ではなく「可哀想」という感情で判断を曲げようとする
「このプロジェクトは失敗続きだけど、ここで止めたらチーム全員が路頭に迷うよ…続けよう」
→ 経済的合理性や成果の見込みではなく「路頭に迷う」という同情で継続を正当化
「子供たちのことを考えろ!」(Think of the children!)
→ 政策や規制の是非を議論する場面で、子供への影響を強調して論点をずらす典型例
誰かが可哀想であることと、その主張が正しい/合理的であることは論理的に無関係です。
論点をすり替える(red herringの一種)
公平性・一貫性が失われ、結果的に不公平な判断を生むことが多い
募金・寄付の訴え(適切な場合もあるが、論証として使うと危ない)
「確かに気の毒な状況は理解できます。でも今回の判断の基準は『可哀想かどうか』ではなく、『事実とルールに基づく公平性』ですよね?」
「同情は大切ですが、それが結論の正当性を証明する根拠にはなりません。具体的な数字や影響のデータで話せますか?」
「感情に訴える前に、まず論点に戻りましょう。この決定の目的は何でしたっけ?」
要するに、同情論証は「人間らしい優しさ」に付け込む非常に強力なレトリックですが、論理的な議論の場では基本的に誤謬と見なされます。
(もちろん、純粋に共感を求める場面や文学・芸術の文脈では有効に使われますが)何か具体的な状況での同情論証の例を挙げてほしい、またはこれをどう論破するかもっと深掘りしたい、という場合は教えてください!
ちょっと気になったけど
https://www.shogakukan.co.jp/news/477331
これの
だけど、これは第三者委員会作るのか、単なる弁護士に頼んでやるのかちょっとはっきりしてもらいたいなと思う
セクシー田中さん問題のときも第三者委員会ではなくって、単に顧問弁護士に頼んだ特別調査委員会って奴だったんだけど、これあんま中立じゃねえんだよね
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/06/03/articles/20240603s00041000460000c.html
ここにもあるように顧問弁護士使ったのよ、これは第三者委員会での選任できない利害関係者になるから、あまり公平性がない
https://www.nichibenren.or.jp/library/pdf/document/opinion/2010/100715_2.pdf
基本的にだけど利害関係者を否定するために、今は弁護士会が推薦する人物を使うという方向が多いのね
実は弁護士会とずぶずぶで…って可能性がなくもないけど、さすがにこれ以上は疑ってみることは難しい
少し話がそれたけど、当時もそれで日テレ、小学館両方とも不透明だって叩かれたりした
そんなことがあったんだから、今回はさすがに第三者委員会で調査するよね?って思うけど、どうなるんだろうね
現在の大学教育および奨学金制度は、進学率の階層差を背景に、非進学者(主に低所得層)の税負担が進学者(主に高所得層)を支える「逆進性」を内包している。本稿では、教育の「知識習得」と「研究・実践」を分離し、前者をオンラインで無償化することで、奨学金に伴う負債問題と社会的不公平を根本から解消し、実力主義に基づいた新たな雇用・評価モデルへの移行を提唱する。
現行の日本の高等教育モデルは、統計的に高所得世帯の子どもの進学率が高く、国立大学等への公金投入や奨学金返済の所得控除といった政策が、結果的に「持てる者への再分配」として機能している。特に貸与型奨学金は、低所得層出身者にのみ「将来の増税」に等しい返済負担を強いており、スタートラインにおける格差を固定化させている。
現代のデジタル技術を前提とすれば、大学が独占してきた「知識の伝達」という機能は、インターネットを通じて極めて低コストで全国民に開放可能である。
講義をオンラインで無償提供することにより、地理的・経済的制約を排除する。これにより、学位を得るための高額な授業料という参入障壁を解体する。
高度な実験・実習を要する領域に限定して物理的な施設を維持し、真に研究を志す者にリソースを集中させる。
「大卒資格」という不透明な指標を廃止し、客観的な評価体系を導入することで、雇用の流動性と公平性を確保する。
TOEIC等の既存モデルに準じ、基礎学力を可視化する共通試験を導入する。これにより、18歳時点の受験結果が一生を左右する「学歴フィルター」を無効化する。
各企業が独自の入社試験で実務能力や適性を直接評価する。これにより、ペーパーテストが不得手な層も含め、多種多様な才能が正当に評価される市場を構築する。
大学が提供してきた「社会性の獲得」や「モラトリアム(執行猶予期間)」という機能は、進学者のみが享受する特権的な公共財であってはならない。
大学へ行かない層も職場や地域で社会性を獲得しており、大学特有のコミュニティ維持を公金で補助する正当性は希薄である。
オンライン学習の無償化により、若者は借金を背負うことなく、働きながら、あるいは学びながら「自らの適性」を模索する低リスクな期間を確保できる。
奨学金問題の本質は、不必要なまでに高コスト化した大学教育システムを維持しようとする点にある。教育を「利権」から「インフラ」へと転換し、年齢や家計に依存しない実力主義の評価体系を確立することで、非進学者への不当な負担(増税)を解消し、真に公平な社会構造を実現すべきである。
「将棋 ゴースティング」でGoogle検索したら、AIによる概要が面白くて草
将棋における「ゴースティング」とは、配信者のライブ放送をリアルタイムで視聴し、相手の持ち駒や陣形を把握して対局を有利に進める不正行為です。ソフト指し(AI利用)と組み合わされることもあり、オンライン将棋アプリでのアカウント停止対象となる迷惑行為です。
定義: 配信者の映像を見て情報を盗み見る「覗き見(Stream Sniping)」のこと。
影響: 相手の指し手や陣形を把握することで、隠し駒の有無や囲いの弱点を事前に察知され、対局の公平性が損なわれる。
隠し駒(笑)
増田でもChatGPTだか何だかわからんがAI生成の文章を投稿している輩が多いけど、知っている人が見たら笑えるくらいの間違いが含まれているんだろうな