はてなキーワード: 公言とは
学生時代から同人サークルで漫画同人誌(ニ次創作)を書いてコミケとかで出すのが趣味で、
副業に厳しい御社(禁止ではない)に就職してからはオンラインでの活動だけにして様子見してたんだけど、
去年退職した職場の先輩に会ったときに副業申請のあれこれについて意を決して聞いてみた。
年に1回やるかどうかくらいで、確定申告もいらないレベルの活動を想定。要は単純に趣味でやってるだけ。
正直副業と言える内容じゃないもの思っているが、後々問題になっても困るから申請して通れば安心。
結果、「バレないようにうまくやれ」だってさ。以下、先輩の個人的考え(まとめ)。
・弊社はグレー案件に対して寛容でない。周りで同人活動公言してるやついないだろ?
・すべての担当者は、OKとNGの線引きが難しいからグレー案件の対応は面倒
・テキトーにNGを判断して訴えられても困る。弊社は基本全部NGにするだろう
・社内規則で副業の定義をしろといっても、何が副業か、どこからNGかの明文化は困難
・仮に社内規則の明文化をしたとして、社会情勢が変わるたびに誰が規則変更をするんだ?
・副業と見なされうる趣味にもいろんな実態があり、一律に判断できないからあえて規定せず、グレーにしておくことがこの世にはたくさんある
・ただしグレーや副業申請全てを個別検討する余裕も気概も弊社にはない
・ほとんどの担当者は「聞かれたらNGって答えるしかないからバレないようにうまいことやってくれ」と思っている
・これは副業云々だけじゃなく全てのグレー事案に対してそう思っている
・ニュースで話題になる同人活動で懲戒くらう人は、圧倒的にアウトな活動内容か、勤務態度に問題があるとか別の問題があるんじゃないかと思う
・アウトな副業ならともかくグレーな同人活動ギリギリ副業判定して懲戒って難しいと思う、訴えられたら大変だから
・副業申請が藪ヘビな場合もある。真正面から正規の手続きしてNG判定くらったら同人活動できないぞ
・営利目的じゃない、趣味の範囲と思っていて、やましい事がないなら隠れてうまくやればいい
・正義感が強くちゃんとしてる人から公益通報を食らう場合はある
先輩が言うことはすごいよく分かって、個人の正直ベースで話してくれてるのはすごい分かる。
分かるんだけど、この「うまいことやれ」って凄い嫌いなんだよな昔から。
「バレない限りは見逃してもらえる」という意味ではこちらに恩恵があるようにも思うけど、なんだかなあ。
世の中のみんな、隠れて要領よくうまいことやってるのかな〜。
俺、サボるのも苦手なんだよな〜。
まず初めに言っておくけど、僕、昔、ある女性アイドルと付き合っていたんだよ。そう、あの彼女のこと。もちろん、普通のファンだったら絶対に手が届かないような存在だよね。でも、僕は運が良かったのか、それとも僕自身が特別だったのか、まあ、いろいろな事情でね。
どうしてこんなことを公言するかって?もちろん、あまりにも多くのオタクが「推しが近すぎて怖い」「現実を見ろ」とか言ってくるからさ。まあ、オタクたちの気持ちもわかるけどね。でも、ちょっと言わせてもらうと、推しと付き合うのって意外と普通のことなんだよ。オタクたちは「アイドルは手が届かない存在だ」とか言ってるけど、実際には人間だからね。全然遠くないよ。
「でも、どうして僕じゃなくて、あなたなの?」って疑問が湧くかもしれないね。それについては、正直に言うと、運とかタイミングとか、まあいろいろな要素が重なった結果だよ。だって、アイドルだって普段の生活では普通の人と変わらないし、彼女だって自分と同じように普通の人間なんだ。
ファンの皆さんには悪いけど、正直に言うと、推しのアイドルが普通の人間で、彼女との関係が普通に思えることに気づいたんだ。もちろん、アイドルオタクの皆さんが「俺も付き合いたい!」と思うのはわかるけど、現実には運命とかタイミングが大事だよ。君たちがどんなに応援しても、その距離感を埋めることはできないんだよね。
そんなわけで、僕が言いたいことはただ一つ。「アイドルは遠くにいる存在」なんて幻想だよ。君たちが握手会で手を触れたからって、それが特別だと思っているのは、ちょっと考え直したほうがいいかもね。
じゃあ、今日はこの辺で。もちろん、オタク文化を尊重しているつもりだし、みんなが楽しむことが大事だと思ってる。でも、僕の過去の経験を通して言えるのは、「現実は想像以上にシンプル」ってことだね。
またね!
レッドブルはエイドリアン・ニューウェイが抜けた穴を埋めることが出来ない。
あれだけ「答え」を見つけることが出来なかったマシン開発陣営が、
2025に向けてはピタリと正答を得たなどと考えるほうがどうかしている。
またレッドブルとホンダには距離ができていることが予想される。
それはさまざま要因によるものだが最早偽りの親密さは必要ない。
マクラーレンはランド・ノリスがエースとしてどこまで戦えるのか?
ピアストリはあまりに新人離れしていて忘れられがちだがキャリア2年目を終えたばかりだ。
通常なら新人ドライバーは、3年間はFormula-1では見習い期間としてカウントされる場合もある。
それにしたってピアストリの昨年の10年目のベテランドライバーがするような走らせ方は非凡としか言いようがない。
そういう彼がどの程度、ノリスと対抗していくのか?
ただ一般的に、コンマ1秒の速さを持つほうしかチャンピオンにはなれない。
比較的最近の例外としてロズベルグがいるが、……彼より前となると?いったい誰なんだ?
何にしろノリスとピアストリが互いに争うようならフェラーリにも大いにチャンスが芽生えるだろう。
今年のマシンにも期待できるはずだ。
この4人のうちに誰がチャンピオンになるのか?
現在の接近したチーム間競争力では誰かに焦点を絞ってタイトル獲得に向けてのチームオーダーを組まなければ勝てないのは事実だ。
うまくチームの舵取りを出来たほうが当たり前だが有利になる。
メルセデスは期待の新人アントネッリの走りっぷりが楽しみである。
大いに無茶苦茶をして欲しい。
レッドブルはRBのシートを再び新人育成として使うと公言しているからだ。
また契約年数の関係から、来年はそれほどF-1のシートが空かない。
だから今年強力な輝きを見せたとしてもシートを失う可能性がある。
ましてや凡庸さが発揮されるようであれば。
リアム・ローソンは迷走するだろう。
誰にしてもフェルスタッペンの横に立つのは難しいがフルシーズンの経験もないドライバーに務まるわけもない。
逆説的だが、ローソンは1戦1戦経験を積むごとに悪くなっていくだろう。
彼のような才能を使い潰すレッドブルの罪は重い。
中段勢は見所満点だ。
高名なミック・ドゥーハンの息子はシーズン途中でシートを失う可能性が高い。
唸るような南米マネーを抱えているリザーブのコピラントが控えているからだ。
数戦戦ってマシンを何度も壊すようなら早々に交代させられるだろう。
トヨタと提携しているハースは昨年非常に強力なアップデートを投入して力強さを発揮している。
ときにチームの和を乱すようなオコンが新規加入するが、彼は速い。
面白い時もかっこいい時もあり、応援ソングや間抜けな曲も全部新鮮で一気に好きになった。
全部新鮮で一気に好きになった。
当時はいじめられていたから、家に帰って彼らの番組を見るのだけが楽しみだった。
その時期は嵐が全盛期で回りはみんな嵐ファンばかりだった。そのため逆張りもあったけど、いじめを助けてくれたのは大人の人たちばかりだったので、結構な年上のSMAPが大好きだった。しかも面白くて、応援してくれる。
笑って泣いて、ドキドキして、たくさん未来に生きていきたい夢をみた。
コンサートには中々当たらなくて、中学生の時に一度当たってそれが最初で最後だった。
県外だったけど親も「せっかくSMAPのコンサートが当たったし、行こう!」と新幹線代も宿泊代もグッズ代まで出してくれた。
今でも昨日のことのように思い出す。メンバーみんな歌いながらも一生懸命にファンサしてくれて、途中コントも挟んでくれて、面白くて楽しくて、また行きたいと思ってた。
メンバーみんな大好きだけど、一番好きな中居さんがポジション的にずっと目の前にいてくれた時は本当に涙を流した。他のメンバーが歌っている時にずっとファンサをしてくれた。しかも一席一席にちゃんと指さして、可能な限りファンサをしてくれた。中居さんは口パクを公言しているので、賑やかな曲の時は歌を無視してファンサをしてくれることもあった。初めてのコンサートだったけどSNSでは優しいお姉さん方がコールを教えてくれた。現地でも隣のおばあちゃんが「ほら!あっちから来るよ!」って教えてくれた。たとえ仕事上しかたなくやっていたとしても、そんなプロの優しさが当時の私は嬉しかった。
メンバー同士のエピソード、家族の話やトーク、そこから感銘を受けることだってあった。中居さんがメンバーを気遣う話も、メンバーが中居さんを気遣う話も。リーダーとして大変な彼がもっと好きになった。
いじめを耐えられたのも彼らのおかげだし、自分も夢を与える人になりたいと志したのも彼らのおかげだった。
そうなってからはあまり食いつく様には彼らを追わなくなった。テレビをつけていたら嬉しいくらいだった。現実が忙しくなって、充実したっていうのもあった。でも彼らがくれたキラメキや夢はずっと心に残ってた。
解散の時は何も思えなかった。解散するちょっと前から何か雰囲気が怪しいのが感じ取れて、私はTVやネットを全部閉じた。明らかに円満解散じゃない。だから今も解散時の内容はよく覚えていない。
そのころからネットのバッシングが目立つようになったし、ファン同士でも争うので、私はSMAP用のSNSアカウントを消した。彼らが選んだこと、それに批判・否定する権利なんて一般人の私にありはしない。だから「彼からが生きていてくれれば」と願うだけだった。
今、一番推している中居さんが問題を起こして総バッシングされている。
人生の中で、いろいろな芸能人の問題を見ているが、裁判や示談があるならそれに一任しているし、それが法の在り方だと思っている。第三者、ましてや一般人が騒ぐ必要はないと思っている。芸人の闇営業だって、不倫だって、女性問題だって、法が動いているなら(または奥さん・被害者)それ次第であると思っている。
これが「じゃあお前は許すっていうのか」という話になるが、許す許さないじゃなくて本人たちや法が対応しているというのなら、私刑の必要はあるのかと思う。そもそもその芸能人と私には接点がない。一般人の私刑なんて、正義を振りかざして正義面に酔っているだけだけじゃないかと思う。犯罪者に人権が本当に無いと思っている人がいる。もしその法の在り方に不服なら本人への誹謗中傷ではなく、法に訴えろと思う。
スポンサーが降りるのは別に構わない。でも突然出てきた一般人の第三者が騒ぎ、過去の嘘かほんとかわからない話題を持ち上げ、二度と社会復帰を許さないような発言、人格否定はなんなんだろう。多少の嫌気を吐くのは全然構わない。でも過剰な批判や誹謗中傷はなんだよ。
ファンが激怒するのならまだわかる。今までの応援は被害者を生むためじゃない!とか言うなら。でもファンではない、今まで中居さんに対する発言もしたことない人がボコボコに誹謗中傷するのは怒りより悲しみが来ている。
どうして私刑をしたがるのだろう。ファンなら嘘だとわかる過去の捏造された発言や言動・噂を真と流す奴もいる。そしてそれに乗っかる人も大勢いる。そして誹謗中傷のネタにする人もいる。お前はなんなんだよ。お前は何の権利があって過激な誹謗中傷をするんだよ。なんで広めるんだよ。お前は何か貢献したのかよ。何か、誰かの心を大きく揺さぶって、誰かの人生を輝くものにしてきたのかよ。SNSで噂を拡散して、「だからこいつはクズなんだよ。叩け叩け」って広めて意味があるのかよ。
私が今まで貰ってきたキラメキと夢は、こんな身もふたもない酷い誹謗中傷なんかに押しつぶされてしまいたくない。
私が得てきた彼らのキラメキや夢は事実であり、その過去は確かにあった。それは紛れもない真実だし、それを享受してきた。だから私は今、夢を叶えられている。今もあの時に現地で買ったコンサートのペンライトと切られたチケットを枕元に飾っている。彼に罪をかぶせ責任を負わせるのは私ではなく法である。
アイドルとして彼らがしてきたことをみんなは受け入れ、あんなに曲も流して、番組にも出して、笑って、感動して、あんなに受け入れていたくせに、どうして落ちぶれたら寄ってたかって叩くのかと。そして何もできない自分に悔しくて悲しくて泣いてる。
最後の最後まで義援金を呼び掛けていたのも、エンタメに残したものだって、この世に貢献していたこともあったのに。
復帰しない、する、どっちでもいい。へ~そっち選んだんだくらいにしか思わない。
もし自分の親友が道徳的に背く罪を犯して法的処置を被っても、私が第三者である限り責め立てる必要もないし、する気もない。私が安全圏から石を投げる意味なんてあるのだろうか。何のための法治国家なんだ。
落ちぶれたからサンドバッグのように叩くネットのコメントはやめてほしいし、他の芸能人にだってするなと思う。刑は法が決める。
ただただ一方的に石を投げる関わりのない第三者の私刑なんて何の意味があるんだ。最悪の事態になったらどうするんだといつも思う。私刑する人なんて責任を負わないくせに。
耐えられなくなってこれを書く前にSNSを全部アンインストールし、テレビもNHKの845しかみてない。こんなちっぽけな画面で自分の心が荒れてしまう。仕事中も笑顔な自分なのに、涙が出そうになる。
私を生かせて、夢に向かわせてくれた人が、示談が成立したのに、真偽不明のうわさで叩かれ、ただの暇つぶしでポッと出の人に過激な誹謗中傷されなきゃならないんだ。
被害者の傷は癒えないし、酷いことで、許されないことだけど、こんな過激に誹謗中傷する必要は第三者にあるのか?
なんで当事者同士で話し合っている途中で叩かれなきゃいけなかったんだ。なんでどんどん関係ない話が広がってしまうんだ、一緒になってなんでそんなに過激に叩くんだ。こんな無責任な誹謗中傷がなんで、何でいつも消えないんだ。
ブラックだったりヘンな慣習があったりと、色々とめんどくさい日本の仕事習慣。
ふと思いついたので、何がめんどくさいか考えてみた。
先述した通り、日本では管理職は同じ組織の現場プレイヤーから引き上げていく。
当然ながら、MBAなどでマネジメントスキルを習得する機会もほぼない。
そして現場仕事は優秀でも管理業務は得意ではない、という場合が少なくない。
また昇進には拒否権がないかったり、逆に現場プレイヤーに戻ることもできない場合が多い。
これが災難を生むのである。そう、「自分の感覚で他人を管理しようとする」のである。
やる気も能力も体力も自分と同じと考えてしまうので、それを当たり前と思っていたり、ひどい時には部下に自分と同じパフォーマンスを強制するのである。
やる気・成長意欲といえば、それを押し付けがましく喧伝してくる管理職の存在がうっとうしい。
日本では、ある程度までは年齢や勤続年数に応じて自動で上がれるケースが多いが、
・それより先を目指したい
・早く出世したい
・昇進試験がある
なので、「やる気のある管理職」が生まれるが、これが問題なのだ。
当然だが、全員がやる気にみなぎっているわけではない。
やる気のない人はそれなりに多くおり、仮に当初はやる気があっても時間で低下することも大いにある。
やる気のない人を自己都合退職に誘導するなどして排除したとしても、環境などの変化でやる気のない人は一定数出る(要するに2:6:2の法則)。
ところが、日本の職場はこのような「やる気のない人」を認めないのである。
確かに、パワハラやセクハラ、機密漏洩、警察のお世話になるなど迷惑行為を繰り返す人は退場してもらった方が賢明だろう。
しかしながら、恐ろしいことに「みんながやる気を持っている」と錯覚しているのである。
日本型の管理職はただやる気がない人(指示されて与えられた仕事はする)もいないものどころか「あってはならないもの」として扱うのである。
あるいは、そのように見える人がいたとしても一時的にスランプに陥っているだけと思い違いをしている。
なので、やる気のない人に対しては「仕事のやりがいや楽しさを伝える」「責任感を出すよう指導する」ことしか考えていない。
何とかしてやる気を引き出そうと考えているようだが、ないものはない。
契約しているだけの時間は仕事をするから、その分の仕事だけ割り振って後は放置してくれた方がうれしいのだが、そうは思わないらしい。
このような人たちは、やる気のない人に対して必ずこう言う。
「でもこれはやったほうがいい」
と返す。なんなんだ。仕事の報酬は仕事というのもいただけない。
「面接では一生懸命やりますって言ったでしょ」…これもよく言われることだ。
だが、これは「言った」のではなく「言わされた」のだ。
となると、答えは「言わされましたが、あれは嘘です」となる。
ところで、やる気がないのを表現する場はどこにあるのだろうか。
年度初めの挨拶で「やる気がないし定時に帰りたいのであまり仕事は任せないでください」と公言すべきか。
やる気とほぼ同意義の言葉に「成長」というものがあり、その成果としての昇進があるそうな。
やる気がない人の存在が認められないのであれば、仕事を通じて成長したくない人や昇進したくない人の存在も認められなくなる。
言い換えると、金をもらうかわりに一定時間作業しているという労働の目的を理解しない人が多いのである。
もっというと、生活(と休んで遊ぶため)に必要な金が手に入ればそれ以上の労働は必要ないということが理解できないのである。
なぜか、労働にやりがいだの奉仕だのとよくわからないものを取りつけ、それを他にも強要するのである。
なので、早出や残業が推奨されるし、休憩時間も労働に励むなどの姿勢が好まれる。
逆にいえばon-offをはっきり分けて所定時間外は労働しないという姿勢は好まれない。
昇進についても同様だ。昇進することが唯一のアイデンティティとなっており、それ以外の価値観が認められない。
つまり、昇進はせず、仕事はそこそこにとどめて定時に帰り、家でのんびりするという価値観が認められにくいのである。
確かに欧米でもエリート層はバリバリ働き、ほとんど休みがないのは事実だ。
しかし、それは対価を十分に払った一部のメンバーに限られる話だ。そしてそれも始めのうちにどちらになるか決まっている。
日本の場合、全員がエリート層を目指す前提となっていることが問題なのである(人数が多くなるので、給与も低くなる)。
もちろん業績などによってどこかで昇進は止まるが、それは40-50代と遅い時期になる。
入社時か、せめて25-30歳でコース分けし、バリバリ働きたい人はどんどん昇進し、そうでない人はのんびりというわけにいかないのだろうか。
日本では「総合職」といった職種を限定しない枠組みで人を集める場合が多い。
このため、どこで勤務するか(そこまで通いやすいか、そこでの人間関係はどうか)は赴任直前までわからない。
業務も同様で、赴任して実際に割り振られるまで何をするかわからない。
業務内容は日によって変わることもあるし、突然降ってくるのが常態化していることも多い。
というか、各従業員に業務が割り振られていても、それは便宜的なものであるケースもしばしばある。
一応希望は聞くも「希望は通らないと思いますが自分の成長のためと思ってください」と。だったら聞くなよ。
一応労働契約書があり、業務内容も明記されてはいるものの、結構漠然としている。
また、「その他当社に関係する業務」などと記載し担当業務を無制限に広げることが横行している。
人を増やして業務を分散すればいいのに、なぜか限られた従業員に業務を集中させるのも不思議な点だ。
業務内容が全くわからない募集の段階ではなおさらで、「未来を作る仕事」「成長できる仕事」などとふざけたことを抜かす。
おそらく、業務外の飲み会など、「給料は出ないけど仕事のうち」という価値観もこれが原因と思われる。
年功序列もその結果の一つであり、新人や若年者に雑用やら難しいことやらを押し付けるのが流行っている。
やはりこれも「あなたの成長を期待してあえて難しい仕事を与えている」という建前がある。
管理職の項目にも書いたが、なぜか「与えられた仕事を時間だけする」という労働の本質が理解されにくいのも変なところだ。
「時間で仕事をする人」を見下し「成果で仕事をする人」が正しいと考えている。
雇用契約では時間で給与が出ている。成果で仕事するのは委任契約とかフリーランスの方だが。
なので、資格や専攻分野は法律で定められたものを除き参考程度にしかならず、やる気だのコミュニケーション能力だのと変なものばかり推すようになる。
転属もありいろいろな業務を浅く広く経験して管理職に上がるキャリアパスが一般的だ。本人の適性はほぼ考慮されない。
ちなみに、これに年齢と比較した経験値判定が加わってくるのが新卒偏重の原因となっているそうだ。
これは法律で資格保持者しか従事できないようになっている職種も同様だ。
資格に関係する業務のみ行っていればよいわけでなく、無資格者でも可能な業務をやらせるパターンが多い。
労働者の権利は権利である。行使する条件を満たしていれば行使して全く問題ない。
例えば有給休暇は、6カ月以上8割以上の出勤率で5日以上付与せねばならず、労働者は利用できるようになる。
もちろんそれ以前から付与したり定められている以上に付与した場合は労働者は自由に使える。
時季変更権はあるが、かなり条件は厳しい。
さて、労働者と経営者は利害が対立するのは当たり前だ。権利を行使されると人員調整をすることになるからだ。
だから経営者が嫌な顔をするのは理解できる。しかしながら、ここ日本ではなぜか同じ立場の労働者が足を引っ張ってくるのである。
有給休暇だけでなく病気休暇などあらゆる面でお互い足を引っ張っており、経営者に都合がよいようになっているのである。
色々な建前はあるが、要するに権利を使う人が妬ましいのだろう。「みんなで不幸になろうキャンペーン」とも呼ばれていたっけ。
下手すると「人間性」だのと持ち出して権利を使う人を批判するようになる。
これが行き過ぎると、「権利を使うのは仕事ができるようになってから」ととんでもない基準が出来上がってしまう。
この精神が、穴が開かないこと前提の無茶な計画を押し出すことになる。
誰でも病気にはなるし、機械は壊れる。なので計画に穴が開くことは避けられない。
しかし、日本ではなぜか全員が最大限稼働していることを前提とした計画が組まれてしまう。
当然この計画は簡単に破綻するのだが、破綻しないように監視しあったり、負担を強いるなどして無理やり押し切ろうとしている。
人を増やすか余裕を持った計画にすればいいのに。それで会社や社会が潰れるなら潰れてしまえばいいのに。
おそらく同じ原因だろうが、「社会は厳しくあらねばならない」という謎の価値観がある。
別に緩くても何も実害はないのに、勝手に厳しさを演出しては人を縛り付けて自己満足に浸る。
それだからか、労働環境の改善はリストラや格差社会の予兆と不安視しだす。
うるさいお客様、要するにクレーマーがいて会社側が折れてしまうことも原因といえる。
もちろん海外でもクレーマーや無茶な要求をするお客様はいる。しかし会社側が毅然と断り、ひどいようなら出禁にして対応している。
一方日本は長らく要求をのんできた経緯があるため、お客様が調子に乗るのである。結果、サービスの範疇にないことや無料サービスを強制されるのである。
労働者の権利を主張する最後の手段がストライキなのだが、それを迷惑行為と判断するのも日本人らしい。
というか、「権利を主張する人がしてくるサービスなんて嬉しくない」というお気持ちでしか考えられないのも不思議なところである。
あくまでサービスは対価にと交換で定められたことをするだけのはずで、そこに気持ちはないはずだが。
自分の適性がわからないうちからナビサイトが流布した与太話につられて手探りで自分史やら意図不明の面接やらがある就職活動を始める。
既卒者になったら一気に不利になる(だから意図的に留年することもある)のはよく知られた話だ。
他の分野が合いそうだからと別の大学に入りなおすのも認められない。
とにかく懲役40年(それ以上か)を過ごすことは日本人のステイタスらしい。
今はそうでもないが、昔は成人男性が平日昼間に外を出歩いていることがおかしいこととされていたらしい。
その証拠に団地ふもとの公園でビールをすすっていたら通報されたらしく職務質問にあった話があるとか。
おそらくみなさんが感じていることと大差ないと思うが、いつになったら改善するんだろうね。
Xでなんか見かけたけど、燃やした奴が燃やされた側の華麗な振る舞いに無様な感じになって愉快な感じになっているのはさておき、
自分も当事者だし状況も似たところがなくもないので適当に思ったことを書く。
俺も10年ぐらい前にパイプカットしたんだけど、何でこれそんなに叩かれるの?って今回の騒動を見て驚いてる。
ざっくりしか追ってないけど、今回の件は4x歳の奥さんが10歳年下の旦那さんにお願いしたことが燃料になってるみたいね。
…何の問題があるんだろう?
別に伴侶にお願いしようが、仮にそれがお願いという名のDVであろうが、別にどうでも良くないか?
それが必要なことなら結婚しなきゃいいのに、もしくは別れれば良いのにとしか思えないな。
反応の中で一番えぇ…って思ったのは、
『年齢的に子供を産むのが辛くなった4x歳の女が、まだ未来のある男に不可逆なことを迫ったのが許せない』
みたいなやつ。
この反応した人は未婚なんかなー。結婚って一生添い遂げる覚悟でするんですよ?知らなかった?
ていうか30歳?過ぎた良い大人の選択に口出しするのってどこから目線なんだろう、不思議。
伴侶が絶対に子供が欲しくない、産むわけにはいかないって言うんならそれで良いでしょう。
もし数年後に離婚して、今度は再婚時に子供が欲しいってなっても遅いって?
後悔するぐらいなら結婚も離婚もするべきじゃないし、別に後悔ぐらいすれば良いじゃないんですかね、自分の選択なんだから。
それでもどうしてもって言うなら確率は低いけど再建?も抽出?もできるみたいだから頑張れば良いだけよね。
そもそもパートナーとセックスせずに過ごせるなら一番簡単だけど、子供は絶対に欲しくないけどセックスはしたいっていうのもまぁあるし、
あと『女のほうが産みたくないんならお前が子宮摘出すればいいじゃん』みたいな反応。
俺は全然医学詳しくないけど、パイプカットとの大変さの違いは義務教育の保健体育レベルでわかると思ってるぞ。
どっちも同じ結果なら、簡単で楽な方選んだ方が良いでしょ。個人的には奥さんにそんな負担かけたくないけどね。
うちの話を少しだけ書くと、当時付き合ってた年下の彼女(現・奥さん)が『子供は絶対に欲しくない、未来永劫欲しくならない』と言っていて、
それでもお互いセックスを求めてたし、そんな中、俺がコンドーム付けたくないって言ったのに対して(今思うと本当にクズ)
『それならパイプカットしたら?』と言われたのがきっかけ。かなり簡単に「あ、それいいね、そうする(その手があったか)」って決めた。
籍を入れるかどうかまではその時は考えていなかった(し、実際思い立って急に入籍したのだけどそれはまた別のお話)上で、
俺がちょっとしたお金と少しの痛みを超えたら彼女(現・奥さん)が安心してセックスできるって素晴らしいじゃん、って割と合理的な判断だったと思ってる。
なので、勿論俺は全く後悔も憂慮も何もなく過ごしてるんだけど、
今回の騒動を見て奥さんが俺がパイプカットをするきっかけを作ったことに対して胸を痛めてないかなと思って、
奥さんに直接言っても良いけど、まだ奥さんからこの話題出てないから先に文章に書いておくことにした。
大丈夫、叩いてるやつが100%変だよあれ。…騒動主もちょっと変な人だなとは思うけどね。
うちは俺も奥さんも基本的に下ネタは嫌い寄りの苦手で、家庭の夜の事情なんて他人に言いたくないので
奥さん以外の誰も俺がパイプカットしていることを知らないし、そんなノリなので騒動主とは多分友達にはなれないなとも思った、どうでも良いけど。
パイプカットあるあるとか話したいけどね。俺は精子観察キットで観察してたけど面白かったよ。
それはさておいても、騒動主が公言したことは何一つ悪くないし、燃やしてるやつは本当に性格が悪いくて最高にXだなって思った。
それでも時折、怒りを覚える。
なんでこの作品が受賞するんだよとか、百万部売れた有名な芥川賞作品は特定の障害をモチーフにしているようだが、作者は当事者じゃないっぽいし、こいつは「文化の盗用」ってやつじゃないのかとか、演技の下手な俳優が障害者を演じるとミンストレルショーみたいで馬鹿にしているようにしか見えないから個人的には当事者に演じてほしいが、キャンセルするのは表現の規制につながるし他人の自由は奪いたくない、だがクリエイターの良識に任せるのも信頼できないとか、そういえば文学賞を取ったあの作品に障害ネタを使われちまったなとか、女性視点男性視点とかそういうのには飽きたとか、まあいろいろと矛盾した感情を抱え込んでいて我ながら面倒くさい(関係ないけれど、イーロン・マスクは優れた才能を持っているのに好きになれないのは、きちんとした診断を受けていないのに自閉症だと公言しているからだ。彼の欠点が自閉症の持ち主全員に共通しているって思われたらどーすんだ)。とはいえ、他人に非難がましいことを言うのはあまり美しくはない(性癖について語っておいて今更美しいも何もあったもんではないが!)。
創作意欲がほぼ消えて以来、落ち着いた暮らしをしているのだが、それでもなお、時折作家になりたいと空想している(「何かを書きたい」ではないことに注意! カズオ・イシグロは、おのずと書いてしまう人が結果的に作家になってしまうという趣旨のことを書いている。まったくその通りだ。自分も心が折れる前は何もせずとも一日原稿用紙五枚書いていた。今となっては何も行動せずに空想しているに過ぎない)。
そして、書くことが思いつかず、こんな感想を書き散らしている。僕は中島敦「山月記」のように半ば虎になっている(他人の小説を批判ばかりしているくせに、今でも有隣堂や紀伊国屋書店で自分の書いた小説が平積みになっていることを空想することがある!)。
これだけ時間と愛情をかけても評価されなかったことで、文学そのものを嫌いになってしまいそうなほどだった。それに、文学という梯子でたどり着いた境地の先に行くには、一度梯子を捨てて距離を置かなければいけないのではないか?
自分が正気を保つためには創作や乱読が必要だったが、依存先を変えるときが来ているのではあるまいか? 感情や本能を爆発させる場所が変わったのか?(おそらく毎日日記を原稿用紙五枚分書いているのも、正気を保つ手段の一つな気がする)
それとも、これらすべてはただの思い出話、酔っぱらったおっさんが過去の栄光をいつまでも忘れられずに管を巻いているだけか。昔は甲子園に行ったけれども今は野球とは離れた人生を送っている、しかし酒を飲むといつまでもその話をやめないみたいな。とある文学賞の最終選考に複数回残ったという実績はあっても、たとえば最後の十人に選ばれたということでしかなく、受賞のためにはそこからさらに十分の一で選ばれねばならないのだ。
小説に関する愛憎をここまで書いてしまっては、自分が将来創作するのに役立てるであろう豊かな土壌を売り飛ばしてしまうことになり、小説という野菜が作れなくなるのではないかって気がしないでもないのだが(この比喩については私生活をそのままネタにすることへの批判を扱った沙村広明「シスタージェネレーター」所収「制服は脱げない」参照)、自分が愛しているジャンルは小説くらいで、それ以外のものがないとデビューも難しかろう。小説家は、物語を書かずにはいられない人間が、おのずとなってしまうものだが、小説について書く小説家の想いに共感できる読者は、まれな存在だ。小説以外に熱く語れるものが作家には必要だ。スポーツ、恋愛、仕事、サイエンス、なんでもいい。
じゃあ自分の障害について書いたっていいわけだが、そうやって毎日己の姿を見つめ続けて幸福になるかは疑わしい。モテない苦しみをはじめ、疎外感をネタにして創作をしていたころ、果たして幸福だっただろうか? 自分の負の感情を言語化し、現実的に対処するのには役立ったが、小説にするよりも、素直に現実を直視し、言語化していくほうが手間もかからない。それに、自分の気持ちを綴っただけでは文学にならない。自分の感情の垂れ流しの更に先に行かねばなるまい。
これだけ書き綴ってもなお、自分が抱えている欠落は何だろう。久しぶりにこれだけの長文を書きなぐって、何かが成仏してしまったような気もするが、一時的な緩解に過ぎないってこともありうる。ああ、ダメな人間がダメなまま存在することが許される話が読みたい。愚かさを包み込んでほしい。
これだけ「もう小説なんて読めない」とぼやき、「他人の人生について読んで何になるのだ!」と叫びながら、またいつか発作的に文学を読みたくなるに違いない。よくよく考えれば半年前に新人作家のを含めて小説をちょっとは読んでいたので、読める周期と読めない周期があるってだけかもわからない。
ここまで書いてきて思うのは、くやしいことにまだ文学に対する愛が残っているってことだ。憎んでいる対象に対して、ここまで語れるだろうか? 二十代や三十代のように文学にハマることはできないかもしれないが、またいずれ読めるようになるかもしれない。こうして、何が好きで何が嫌いかが言語化されたのはまちがいなく小説のおかげだし、自分の感受性を形作っているのは間違いなく乱読の結果だ。時々忘れてしまうけれども、これだけ語れるものがあるってことは間違いなく財産だってことはわかっている(映画はさほど見ていないことが若干のコンプレックスではあるものの!)。そしてそれゆえに出会ったサークルの友人もいるのは、間違いなく恵まれている。正規の文学教育を受けず、正当な読解の仕方がわかっていないが、友人を得られただけでも幸福だ。それがわかってきて、だんだんひがみも十年以上かけて薄れていった。
それに、まだ読んでいない「ハツカネズミと人間」をはじめとした名作だってある。ディケンズさえろくに読んでいない。フォークナーもほとんど読んじゃいない。これ以上体力が落ちる前に熱量のある物語に齧りついてやるべきだろうか。いや、再読すればいい。「百年の孤独」をはじめとして、楽しかったけれど細部を忘れてしまった作品が多い。これ以上新しい物語を読まなくても、再読の楽しみがある。
あるいは友人からのオススメを読んだっていい。フォークナーを勧めてくれた友人が教えてくれた阿部昭「大いなる日、司令の休暇」はマジでよかった。おかげで手が出ていなかった野坂昭如「火垂るの墓」が読めた。
(一方、ろくに本を読まずに芥川賞を取ったとうそぶいている作家もいるっちゃいるのだが、名前を忘れてしまった。こういう人を思い出すとプリプリしてしまうので忘れよう。芥川賞は通過点に過ぎない。受賞してから、継続して書けるかどうかが問題である。その点では、数年後にまだ書いている芥川賞作家のを読んでいけばいい気もする)
SFだってやっぱり好きだ。QUEEN「’39」を聞くと感傷的になるもの。理系で研究者になれなかった僕が、日本人の理系の青少年が夢をかなえるSF小説を読むのが、時々ひどく辛くなることはあるけれどね。
そして、嫌な面ばかり見て愚痴をこぼしながら暮らしていると、目の前の幸福を見過ごしてしまうことだろう。嫌なことはすべて過去のこととしてしまえばいい。忘れたほうがいい。そう、重い感情はすべてここに置いて行ってしまおう。すべてのひがみにさよならだ。楽しければそれでいい。ここに、十代から引きずってきた感傷マゾを捨て去ることを決意する。三十代、四十代の鑑賞態度を身につけよう。
今望むのは、他の増田にも池澤夏樹世界文学全集の感想を書いてもらうってことだ。全部じゃなくていい。好きな作品を一つだけでいい。いや、なんでもいいので愛する作品の感想文を読みたい。文学に対して持っている愛を、そして含まれていれば憎しみも、読みたいのである。世間がどう叩こうとも、時代が移り変わろうとも、自分の愛する作品は常に最高である。過去の作家は生まれた時代の偏った思想と社会という制約の中で最高の作品を著し、現代の作家はそれを批判的にしかし愛を込めて継承し、それ以上の高みを目指して己の作品を書く。たとえ古典には弁護できない箇所があったとしても、己のすべてを賭けて高みを表現しようとした黄金の精神は必ずや受け継がれる。作者を非難するのは下策、愛を込めた批判を含んだ評論を書くのは中策、それを超える次世代の作品を書き上げるのが上策である。加点法で評価しろ、好きな物で自分を語れ。言いたいのはそれだけだ。
俺は年食っても若い時の曲をそのまま聴きがちなおっさんだ。たまに若いヤローや、若いガールズバンドなんかでええやんと思う事があるのだが、若いヤローには何となく負けた感があるし、若いガールズバンドにハマったおっさんというのは気持ち悪い気がして、ハマったことを公言しにくいため、自分の中にしまいがちなのだが、そんな風に考えてしまうのは俺だけだろうか。大体、男女ともにアイドルグループに嫌悪感があるし、人間は歳を重ねて出汁が凝縮してきたくらいが良いのではという気がしてるのだが、琴線に触れてしまったものは無視できないのだ。そんなわけで、気不味く思いながらもハク。をこっそりリピートして楽しむのであった。
https://m.youtube.com/@haku_circle
今年になってからはハク。ばっかり聴いてる。
きっかけは以下
https://m.youtube.com/watch?v=J76S5q_ETfo
これも好きだ。
増田なんかを読んでると「子供が生まれてから夫婦間がギスギスしてる」「奥さんが子供に一喜一憂」みたいなのがよく出てくる。
なぜそんなに入れ込んでいるのか?
子供が3,4人いるのが普通だった昔とは違って、1,2人しかいないから、全神経を注いで全力で育てようとしちゃうのかね?
喜劇的だと思うのは、そうやって親が入れ込むことが、恐らく子供の教育上よろしくないことだ。
①子供が育つ環境として1番大事なのは安心感。両親が信頼しあってないとか、言い争っているとか、自分を100%愛してると信じられないとかは、それを損なう。
「よく育てようと躍起な親」よりも「どう育とうがお前は大切な存在だと公言するおおらかな親」の方が、子供は安心できる。
②世の中は自分中心に回っているのではない、という感覚も①の次に大事。だが親が子育てに入れ込み過ぎると子供は無意識にそう考えてしまう。親には親の人生がある、自分はその一部でしかない、と思えた方がいい。これは少子化でなければ当たり前だが、少子化の今、親がかなり意識してないと達成できない。
①と②が矛盾しているように感じる人がいるかもしれないが、両立させなければならない。要は溺愛するが、甘やかさず、親は親の人生を生きろ、ということだ。
増田なんかを読んでると「子供が生まれてから夫婦間がギスギスしてる」「奥さんが子供に一喜一憂」みたいなのがよく出てくる。
なぜそんなに入れ込んでいるのか?
子供が3,4人いるのが普通だった昔とは違って、1,2人しかいないから、全神経を注いで全力で育てようとしちゃうのかね?
喜劇的だと思うのは、そうやって親が入れ込むことが、恐らく子供の教育上よろしくないことだ。
①子供が育つ環境として1番大事なのは安心感。両親が信頼しあってないとか、言い争っているとか、自分を100%愛してると信じられないとかは、それを損なう。
「よく育てようと躍起な親」よりも「どう育とうがお前は大切な存在だと公言するおおらかな親」の方が、子供は安心できる。
②世の中は自分中心に回っているのではない、という感覚も①の次に大事。だが親が子育てに入れ込み過ぎると子供は無意識にそう考えてしまう。親には親の人生がある、自分はその一部でしかない、と思えた方がいい。これは少子化でなければ当たり前だが、少子化の今、親がかなり意識してないと達成できない。
①と②が矛盾しているように感じる人がいるかもしれないが、両立させなければならない。要は溺愛するが、甘やかさず、親は親の人生を生きろ、ということだ。
私には最近付き合いだした彼氏がいるのだが、彼氏には10年来の友達がいて、どうやらその友達は彼氏のことを恋愛的な意味で好きらしい。私はBL好きを彼氏に公言しているからなのか、彼氏はネタとしてその友人のことをラインしてくるのだが、ここに詳細は書けないけれど、どう考えてもその友人は彼氏のことが好きなのだ。
極めつけはこの間のクリスマスデートで、彼氏と2人で飲んでいた時、その友人からひっきりなしに彼氏の元へラインが来た。私の彼氏になる前は毎年クリスマスは2人で過ごしていて、何度も一緒に旅行していたそうなのだ。彼氏は同性愛者では無いのだが、彼氏によるのその友人は精神的に脆いところがあり、退学や退職の経験も持っている。わたしは彼氏が大好きなので別れたく無いのだが、彼氏の友人にとって唯一の心を許せる相手は彼氏しかいないので、恋人になれないと分かって変な気を起こさないか本気で心配している。
殆どの男はその理由を分かってるんだけど中々公言しないからここで言おうと思う。
世の中の女は男が「定期的に」射精をしないとダメだって事を理解してない。
男の性欲を低く見積りすぎている。
今周りを見渡して男がいるだろ?
そのうちの9割5分の男が少なくとも3日以内には何らかの方法で射精している。
信じられないけどこれ本当。
だから嫁がセックスを含む射精活動に付き合ってくれないとどこか他でその欲を満たさないといけない。
女と射精前のコミュニケーションをとった方がより射精が気持ちいいから不倫できる男はそっちを選ぶ。
あとオナニーしろって女がいるけど、オナニーとセックスって全くの別物なんだよ。
だから旦那に不倫されたくなかったらちゃんとセックスなりフェラチオなりして射精させなさい。
これをちゃんと実行出来れば旦那は不倫しないし、何なら仕事を今までよりも頑張るまである。
セックスの力を女は低く見過ぎているんだよ。
私の家には私の昔から大好きなバンドの、周年記念ライブでもらったセットリストが飾ってある。それを見るとその最高だったライブが頭に浮かぶ。
だがしかし、同時にそのライブで起こった最悪な出来事をも思い出してしまう。後者は時間が経てば忘れられるかと思っていたが、どうやらそうでもないようなので、どこかでこの鬱憤を浄化したいと思い、これを書く。
ライブがあったそのとき、私はライブハウスの中央あたりでお目当てのバンドを見ていた。大好きなバンドであるとはいえ、私がライブをよく見ていたのは学生の頃であり、それから社会人になってからはめっきりライブへ行く機会も減ったので、彼らのライブを見るのはおおよそ十年ぶりとか、それくらい時間が経っていた気がする。
久しぶりに彼らのライブが見れる、そして周年ライブということもあり(おそらく)代表曲をメインとした豪華なセットリストが期待できるであろうということで、開始前から私の期待は高まっていた。それはフロアの他のファン達も同じだったようで、周年ライブという特性上おそらく来場している人のほとんどは昔からのファンだったのだろう。そうしてライブが始まった。
ジャンルとしてはパンクやハードコアではないが、それなりに盛り上げる曲も多いバンドなので、開始早々フロアでは前方後方関わらずモッシュが起こっていた。自分も揺れる観客の肩にぶつかり押され、その勢いで別の人にぶつかったりした。当然のことだが敢えて言うが、隣の観客も私も、故意でぶつかっている訳では決してない。こういうことを言うのも本当にダサいと思うが、バンドのライブというのはまあこういう文化なのだ。
当然、ライブが始まると私たちの周り以外でもフロアはそこかしこで似たような盛り上がりを見せていた。
そこで私はある違和感に気付く。何度かぶつかった(と思われるが、強くぶつかったとか、足を踏んだとか、そういったことは断じて無い)近くの女性が、ものすごく嫌な顔をしてずっとこちらを見ているのだ。私はこれに大変不愉快な思いをした。
許せない点は以下だ。
●周年ライブということでおそらく?そのバンドのファンなのだと思うが、ファンならライブがどいうものかは知っているはず。なのに現場に来てその顔はなんだ…?もし仮にそのバンドのライブに来るのが初めてだったとしても、彼らはお世辞にも知名度が高いとは言えないので、他のバンドのライブとか、似たようなバンドのライブがどういうものかは流石に知っていよう。(まずあり得ないが、)それすらも知らなかったとしても、ライブが始まった瞬間フロア全体で起こったモッシュを見てどんなライブかは察するところであり、その雰囲気が嫌なのに最後まで正面のステージを見ずにこちらにずっと嫌な顔を向ける地蔵と化してまでフロア中央に居座る道理はないだろう。一度フロアを出るとか、最後方に移動してみるとか、色々自身で出来ることはあるのに、それらを放棄して、この女は自分が不愉快だからという理由でバンドのライブを見もせずこちらを見ているのだ。ただただ理解ができず、気持ち悪い。
●こっちを見る暇があったら前を向いてバンドを見ろ。その程度の好きで来ているならもう二度とライブに来るな。
●そして突然だが私はゲイだ。女性に性的な魅力は全く覚えないし、寧ろ嫌悪し、気持ち悪いとさえ思う。勘違いしないでほしいが、これはゲイ全員がというわけではなく、私個人の感じ方の話であるが、自分だって女性に触れられたりすると時に吐きそうなくらい気持ち悪くなるし、満員電車等でも可能な限り女性に接触したくない(それは、痴漢冤罪に巻き込まれる可能性があるから等ではなく、性的嫌悪の理由から)。トイレも女性清掃員の方が入ってくると本当に気分が悪いし(これに関しては性差だけでなく雇用の問題等も絡んでくると思っているので仕方ないと思いつつも、嫌なものは嫌)、電車で長い髪を纏めてない女性がぶつかってきたりして髪の毛が触れたときの気持ち悪さたるや。他にも気分の悪くなる思いをした経験は数知れない。
しかし、私はこのことを相手(女性)に面と向かって公言したり、態度に表したりはしてこなかった。なぜなら、感じ方は人それぞれ自由であっても、それで相手を傷付けることはあってはならないと思うからだ。まあ、もうすでにこちらは気分が悪くなったり傷付いているのだが、理不尽だなあと思いつつもそれらは基本的に故意、悪意があってやっているわけではないため、仕方がないと思っている。
話を戻して、件のライブハウスの女性はどうだ?自分だけ被害者のような面をしていたが、私だって女性に触れるのは一瞬だって嫌なのだ。気分が悪く、吐きそうになるから。その長く纏めていない髪が私の肌に触れるのが、とてつもなく不快だ。でもそんなことをどうにか頭の中から消し去って、精一杯目の前の好きなバンドのライブを楽しもうとしているのだ。なのに、このバンドのライブを楽しもうともしていないお前に、何故そんな顔をされなくてはならない?そもそも、バンドに背を向け続ける行為はバンドに対して失礼ではないのか?
こういう態度や言動を、女性だけ許されているのは何故なのだろう。男性が同じことを言ったらネットで袋叩きにされるのに。はあ。
あまりに気持ち悪く得体が知れないので、その時はその人から少し離れたが、なぜバンドのことも考えずライブ中後ろを向き続ける阿呆のせいで自分が楽しみを制限されなくてはいけないのか、という思いでライブは全力では楽しめなかった。本当に最悪な思い出だ。
来年1月18日にサービス終了が決まったブループロトコルについてモヤモヤしていたことを増田のみんなにも共有したいです。
テイルズシリーズなどバンダイナムコのゲームには慣れ親しんでいました。
自慢したいわけじゃなくてこういうこと書かないとアンチが低年収がどうとか国産おじさんとかうるさいからね(´・ω・`)
ブルプロの衣装・マウントには大体課金していて運営に貢献しつつ
アチーブメント達成数は500台後半でアドボは全コンプリートでガッツリ楽しんでました。
MMOたるものコミュニティに参加し、ゲームも楽しみ、運営に感謝も欠かさず楽しんでました!
なんと開発費推定130億!エグゼクティブプロデューサーである下岡聡吉氏(以下、下岡EP)曰く、予算は青天井!!
あるようでなかったアニメ調のMMOが売りのまさに日本の象徴とも呼べるMMOでございます(安倍さん風w)
ゲーム界の戦艦大和のような巨大なゲームで国と企業の威信をかけたゲームでもありました。
キャッチコピーは「操作できる劇場アニメ級グラフィック」。 基本開発コンセプトは「劇場アニメに入り込んだような圧倒的グラフィック表現で紡がれる世界と、オンラインゲームの特性を活かしたマルチプレイアクションのオンラインゲームタイトル」
予算青天井のブルプロも長いこと赤字が続いているんじゃないかと噂が立ち、目に見えて人がいなくなった時期もあったが
単月黒字を達成するなど逆襲とも呼べる巻き返しを果たしたものの2024年9月、突如サ終発表。
Xでのトレンド1位を記録するなど惜しまれつつ有終の美を飾ることができたのかと思う。プロ野球でいうところの晩節を汚さず引退する名選手のような出立でした。
課金衣装として出すはずだったストックが多数あったことや、ハウジング機能の開発を行っていたことから下岡EPをはじめとした開発陣もサ終意識していなかったと思われる。
おそらく下岡EPよりも裁量を持っている人たち、つまりは経営陣クラスが大したリサーチなく決定を下したんじゃないか、というのが私の推測です。
ブループロトコルはずっとガチャが高いだのゲームがつまらないだ、障害者専用ゲームだの的外れなコメントが目立っていて(おそらくパヨクや五毛による工作)
それを偶然見た経営陣が先行きが短いと判断したんじゃないかなと思う。
単月黒字も続けばペイできたのに(´・ω・`)
若年層がKPOPを聴いていたり、原神やゼンレスゾーンゼロ・鳴潮といったようなコピペ中華ゲーをやっていることから帰属意識が低い傾向にあると思う。
帰属意識がないから国産ゲーに対する無関心があって、中華ゲーや韓国ゲーみたいな国民総出で工作やってるインチキゲームに負けちゃったわけです。
悲しいけど国産が優れているからこそありがたみを感じない時代なのかな〜。
なんといっても日本は経済大国。オタクといえば独身貴族で経済を回す存在を自称しているので正直どうなのかな〜って感じw
パヨクが最近日本経済終わったとかどうとか言ってるけど大好きなガチャを回さないところまで来てるのか?っていうと正直眉唾。
ま、お金に余裕がないっていうよりは気持ちに余裕がないってことなのかな( ´△`)
みんな原神のどこが面白いのかわからないくせに流行ってるからって理由で遊んでたりします。スパイウェア疑惑があるのにもかかわらずですよ??
ネットでも何でもかんでも正しそうな意見に流される傾向にあるので、数の多さが売りの中華工作に負けてしまったわけです。
意地でもブルプロ面白いとかすごいっていうと馬鹿にされちゃうからね。(´・ω・)
ブルプロやってる人は変態であたしでシコシコしてぇーんおじさん(略して”あたシコおじさん”)だとか、子供のいない中年独身おじさんだの低年収やら精神障害者なんやら言いたい放題なわけです。
そういえば2023年の秋ぐらいからブルプロ好きを公言する人がいなくなったなあって思いました。そういう工作に負けちゃった人がたくさんいると思うと悲しいです。
みんな良い人ばっかりなのに。
国産超大作をネガキャンで潰すところが大パヨク時代だな〜って感じがしつつ、衣装ガチャにお金かけられないのが貧困のせいだったら悲しいなって感じです。
日本人としての誇りもなければオタク=独身貴族=経済を回す!みたいな意識もないって何!!?って感じです。
そういう反日思想やオタクのモラル低下によってバンダイナムコオンラインという一つの大企業が消滅したっていうことは忘れないで欲しいです。