はてなキーワード: 物言いとは
なんで日本除くのか?
まず投資の基本なんだけど、自分の場合は「生活が破綻しないこと」。
大きく儲けて遊んで暮らすとかじゃない。
世の中が大変になっても、自分と家族生きて行けるって事が一番にある。
これをベースに話していくんだが、
この時、自分の働いている会社が潰れたり、収入が減ったりする可能性が高い。
株式も値下がりする・給与も下がるっていうと、これは非常にマズい。
日本人の生涯賃金って大体1-2億程度、投資で得られる利益も数千万から1億程度になると思う。
一番大きいのは労働の賃金。日本経済が落ち込んでる時は賃金が大きく落ち込む可能性があって、こういう時に日本株式インデックスファンドに投資しているのは非常に危険だよね。っていう話。
これがダブルリスクっていうこと。自分の仕事を収入も下がって、投資収益も下がってて、この2つのリスクが同時にやってくるのが危ないよ。っていう話。
では、逆の状況を考えてみる。日本経済がものすごく良くて日本株式が上昇し、インフレが起きるっていう状況。
日本経済がめちゃめちゃ良くなっても、実際のところ賃金はそんなに上がらない。
だから景気が良くなりすぎるっていうのもリスクではあるんだが。
ただ、日本経済が良くなる時、同時に世界経済も良くなる可能性が高い。こういう時には世界株式インデックスファンド(除く日本)に投資をしておけば、そこから利益が上がるので問題はない。問題なのは日本経済が世界を上回って圧倒的に成長し、日本株式だけが圧倒的に成長するっていう事態。
ただ、これが起きる可能性が非常に低いので、やはり日本株式に投資する必要はない。
なぜかと言うと、日本は世界一の高齢化国家でまた少子化も世界的に見てかなり高い水準にある。
労働人口の減少と高齢化率の上昇は経済にとって圧倒的にマイナス。
移民を受け入れも進んでおらず、将来的に労働人口の減少から日本経済は徐々に停滞する可能性が高い。
そもそも日本の経済成長に期待しにくいのだが、仮にものすごく経済成長した場合にはアメリカさんが文句言ってきて、日本経済を抑圧するからね。
実際にそれがあったわけでしょ。1980年代に Japan as No.1 な時代があったけれども、プラザ合意で円高。バブル崩壊。
これだって別にリーマンショックみたいなもんで。適切に対処すりゃここまで傷は大きくならなかったと思うんだけど。
現在までその傷が尾を引いてるわけだからね。親からの相続でよくわかんない北海道の山野とかが出てきて唖然とした人は結構いるんじゃない??
当時の公定歩合なんか見てもなんで日銀もっと早く売り上げしなかったんだって本当イライラするよ。
今だって10月に利上げすべきだったと俺は思ってるんだが、まだ利上げしてないしね。
利上げをすれば多額の住宅ローン背負っている人とかが苦しむのはそれはそうなんだけど、そういう経済的に失敗した人たちはある程度切り捨てていかないと経済ってのは成長しないんだよ。
社会主義・弱者救済と経済成長とは両立しにくい。弱者切り捨てをしながら全力で経済成長に振り切った国家には経済成長で負けちゃうんだよね。
で、次に、日本のシルバー民主主義の話だが。日本は高齢者が多くて年金に頼って生活してる人が多い。
めちゃめちゃ株式が上がるときはインフレも起きるけど、年金生活者はインフレに耐えられないんで、色々政策的に揺り返しが起きる。
現在、高市政権でインフレが起きてるけど、高齢者から反発を食らって落ち着いてくると思いますね。高齢者生活できなくなるからね。
で、今書いたように政策的な部分でも日本っていうのは経済成長に全振りできない要素がある。
めちゃくちゃ株が上がって経済成長したとしても高齢者やアメリカさんから物言いが入ってどこかでストップになる。
そもそも日本株、既にバブルなんじゃないかっていう話もある。安倍政権下でものすごい量的緩和をしてきたことだとか。日本銀行が日本株式インデックスの ETF を相当買い入れた結果、日本株式インデックスが上がっているとかね。
たまに「日本は世界で最も成功した共産主義国家だ」なんて冗談も見ますが。あながち間違っていない。
理想的ポートフォリオみたいな話があって、時価総額通り均等に投資すればそれが一番良いリスク少なく大きなリターンを期待できるっていうそういう理論があるんだけど、それって世界中の株式市場が理想的に運営されてる場合の話ね。規制とかがない場合。
こういう理論を無邪気に信じられるのって Z 世代の人なのかな。就職氷河期世代には日本の成長を信じろって無理だよ。社会は氷河期世代を救ってくれなかったんだ。次に切り捨てられるのは君かもしれないよ。
実際には各国に色んな規制があり、日銀による日本株ETF 大量購入とかがあるわけで理想的な状況ではないのよ。
理想的ポートフォリオを達成するための理想的条件が現実世界には存在しないのよ。現実世界は理想からずれているわけ。
あとはテクニカルな面もある。
元の記事にも書いた通り、我々の年金っていうのは結構大きな部分が日本株に投資されている。
だから自己資金では日本株式を減らさないと理想的ポートフォリオからズレてしまう。
だから理想的ポートフォリオ追求しようとするとしても、自分の年金金額を考えて、日本株投資分を除いて投資しなきゃいけない。やっぱり一定程度は日本株を除く投資をしなきゃいけないって話になる。
経済が発展するには自由な競争が必要なんだけども、自由にしちゃうと競争に破れた人がいっぱい出てきて治安の悪化とか問題も出てくる。どの国も自由競争と弱者保護との間で揺れ動いているんだけれども、日本は社会主義的要素、弱者保護の要素が強い。だから、経済発展が期待しにくいっていう風に見ている。
「日本はサービスを受けるのは最高、働くのは最悪」って言葉があるけど、日本は弱者保護、社会主義的な要素が強い。
だから経済成長はあまり期待できないし仮に圧倒的に経済成長したとしても、高齢者とかアメリカさんからの横やりが入って経済成長できない。
だから経済成長しすぎる可能性っていうのはあまり考えにくく、日本株への投資はしていない。
日本銀行は日本株式インデックスファンドをかなり購入していて、それによって実際の価値よりも価格が上昇している。競争が適切でないため、理想的ポートフォリオの一部分を担うには厳しい。
仮にそういったことに全部目をつぶって、日本株を含めた理想的ポートフォリオを追い求めたいと思った場合も、国民年金がかなりの部分を日本株式に投資している。
国民年金が日本株式に大きく投資している部分を差し引いて、日本株を除いて投資しないと理想的ポートフォリオも維持できないって話になる。
とはいえ、元記事も書いた通り、日本株に含むか含まないかっていうのは投資収益の大きな部分ではない。だから含んだって構わない。
これを書いたのは「日本株除く」に疑問が多く出ていたからで、別に「この投資が唯一絶対の正しい投資方針だ」なんて俺は思っていない。
自分がうまくいった方法だし、再現性高く、他の人も実践できると思っているし。だから、自分の妻の資金も子供たち(未成年)の資金もこの方針を運営していて、家族全体でも投資は成功している。
この法を制定する意義が果たしてあるのかどうか?
こういう意見さぁ
すげぇ幼稚だよね
カオスラウンジがそうであったように(2011年7月26日にカオス*ラウンジのメンバーのアカウントを停止)
で、そうされない集団が自主規制もなく活動してるとどうなるかっていうと、法規制の話になるんだよ
意識高い系バカは「ひょーげんのじゆー」と唱えりゃ守られるみたいな九条神話にも似たナニカを唱えてるが
業界団体が自主規制を行ったり、いろんな攻防の末に今がある訳ヨ
きちんと公共に配慮してますよってスカシテみせるのがゾーニングとかでしょ
全然仕事出来ないけど、出来てる風にみせるやり方を自分なりに考えました!
①メールの返信はとりあえず即する
朝出勤したら、まずメールをざっと見て返信の必要なものに返信します。回答が必要だけど即回答出来ないものは『後ほど回答します』とメールします。基本的に定時内に来たメールには即返信する事で、相手が無視されてないと安心してくれるのでオススメです。後ほど回答のメールは忘れないように工夫してください!私はアナログなので付箋に書き出してパソコンに貼っています。
タスクが減る感覚があって気持ちいいので私はこれを出勤してすぐやってます。メール文もテンプレ化しておくともっと楽です。
何か資料作成などを依頼されたらとりあえず即動きます。聞かれてないのに途中経過を報告したり、めちゃくちゃ雑に仕上げた資料を、見てくださいと提出します。雑でいいのでやってます感を出します。面倒見のいい上司ならこの途中経過報告で助言をくれますし、何なら資料に手を入れてくれたりします。それで自分の労力がかなり軽減します。直接言うのが難しい場合はメールやチャットで送りつけて、お手隙の時にご確認お願いしますと丁寧なメッセージを添えるといいかと思います。
上司や同僚に分からない事を聞く時は、一旦自分で軽く調べてから聞くと心象がいいです。ここまでは調べて分かりましたが、ここからが分からなくて、という様な聞き方です。または、過去を調べてみましたが今のやり方と違うところありますか?などです。調べる時間は少しでいいです。時間をかけて調べても結局分からない事が私は多かったです。
聞いた方が早いですが、何もせずに聞くだけだと周りは、楽をしてるという風に捉えられます。
なので一応努力はしました、という姿勢を見せると印象を悪くしません。
④あまりはっきりとした事を言わない
何か意見を求められる場面では、はっきりした事を言わない様にしています。周りとの意見が食い違っている可能性があるからです。全然内容が分かっていないので当てずっぽうではっきりした物言いをすると、検討違いの事を言ってしまい、不審な目で見られます。
こんな場合は『なんかしっくりこないですよね』とか『〇〇がちょっと引っかかる気がします』とか意見が分かれそうなところを見つけてこう言っておくと他の人が勝手に乗ってきてくれます。
いつのまにか議論が盛り上がっているので、その時間で自分の理解を周りに追いつくようにしていきます。結局最後まで確信は掴めない事も多いですが、この場を凌ぐ事ができます。
意見が分かれそうなところ、上司が気になりそうなところ、今の仕事に関係するところなどの視点を持って探すといいです。マジで何も出てこない時は、『概ね理解は出来るのですが違う視点とかありますか?』などと自分から質問し返します。そうする事で自分のターンが終わるので気が楽です。
雑談をするタイミングで行き詰まっている仕事があるなら軽く話してみると助言を貰えたり、手伝って貰える可能性があります。あくまで軽くです。それに自分でやり抜く姿勢は必ず見せる必要があるし、何度もやると相手に悪印象を与える可能性があります。一回話して、とりあえずやりきります、と答えておくと後日どうなったか聞いてくれたりお世話好きな人なら代わりにやってくれたりします。
これは同僚達とちゃんとコミュニケーションを図って良好な関係を築いておかないと難しいですが、愛想よく自分が出来そうな雑用とかやっておくと好印象です。
⑥定時前に出勤
朝早く来ると仕事出来る風に見えます。ただそれだけいいです。仕事はやらなくてもいいので、とりあえずパソコンを立ち上げておきます。私は1時間〜30分前に出勤しています。ここでメールをざっと見たり軽く今日何をするかとかを考えたりもしますが何もせずとも座っているだけでちゃんとした人に見えます。新聞とか読むと尚いいです。
また、朝早く来ているので定時に帰っても視線が痛くありません。
国会議員の役割は、本来であれば予算編成の審議と制度設計であるはずだ。
では、不正防止のために、彼らはどのような法案を提出したのか。
少なくとも当時の国会では、立法府としての責務よりも、“検事ごっこ”のような追及パフォーマンスが優先されていたようにしか見えなかった。
さらに、この明らかに生産性のないサボタージュを持ち上げていた一部の層は、国民を見下すような態度ばかりが目立っていた。
これで「仕事をしたつもり」になっているのであれば、立憲民主党とその支持者には無能しか居ないと言わざるを得ない。
プログラマーがコーディングを放り出して、毎日焼きそばを焼きながら“働いた気”になっているようなものだ。
逆に、実効性のある提案済みの法案が本当に存在するのなら、今こそそれを堂々と喧伝すべきだろう。
もし成立していないのであれば、今こそ成立を目指して声を上げるべき時である。
それこそが誇るべき仕事であり、政治家として得るべき正当な手柄だ。
もう少し広げると、同じメンツで結果のでない同じ話を繰り返す国会や揚げ足取りばかりで動かない政治に飽きているから。
まぁ、わからなくもない。
もし自分が勤めている会社で毎日同じ内容の結論のでない同じ話題のミーティングを見せられてたら「この会社大丈夫かな」って嫌になるだろう。
だから、良くも悪くも「政治が動きそう」に見える高市首相の支持率が高まる。
日本初の女性総理大臣だし、短絡的で思慮にかける発言も「率直」と映る。
「"台湾に中国が武力行使すれば日本は抵抗するよね"と大方の人間が思っていても中国を刺激しないために曖昧に返答すべきだ」という政治的な態度はむしろ、「じゃあ、そんな決まり切った曖昧な答えを求めてるならなんのためにその話題について議論するんだ」と考えて、それだったらむしろ率直な物言いの方がよほど好感を得る。
そんな感じで、"政治が動きそう/今までの政治と変わりそう"だから支持されている。これまで政治に関心がなかった若者に人気なのも多分これ。
ある意味、小泉首相のブームに似ているかもね。何もかもが停滞してみえる時には何でもいいから動かしてくれそうな人が求められる。
なので、相対する側が「やっと動きそうになっていたものを、今までと同じ方法で停滞させようとする勢力」として映ってしまうので支持が得られない。
いつものネタで、いつもの方法論や態度で、同じ攻撃を繰り返す、見飽きた絵に見える。
はてサの物言いは、何事かにつけて問題だとか、間違っているだとの主張する割に、危機感が全く無いよね。
危機感があるなら冷笑しとる場合じゃ無いってのが普通の人間の反応だと思うのだが。
自分らの理想がどのような経緯からどのような結果を生みうるかについて一切の言及が無い。
理念の解説としても発端となる事案に対する言及としても半端で、
はては信仰の表明に留まって事態に対する結論が無く、こうなってはもはや机上の空論ですら無い。
危機感を持って向き合っている際は、このような説得的でない言及で満足することは考えづらい。
当人は説得的な言及をしているつもりかもしれないが、であれば片手落ちです。
嘘がなければ説得可能か?
正しければ説得可能か?
これはどちらも否だからです。
なぜなら、昨今の話題でいえば、
台湾が中華人民共和国に蹂躙されることを是とするか否とするかにより、
このため、これを伏せたままに終わった言及によって、
はてサにとっての真実を押し付けることは不可能あるいは欺瞞的と捉えられることでしょう。
当然、侵略を是とするならその時点で世論の納得を得ることは難しくなることでしょう。
否であるなら否であるだけの蓋然性を持たせた説明が必要であり、決してぼかしてはいけない要素であるのですが、
そこにすら至らない言及で満足してる向きが多い時点で論外なのです。
同盟国の危機に際して出撃することを言明しない、はぐらかす、消極的であるメッセージを発信する。
これを安全であると断言する人々がどういう了簡であるのか、誰にもわからないのだから説得できようハズも無い。
というか、言ってる当人が自分の主張がこのようになることを解って無い可能性さえある。
このザマで馬鹿にされたって、そりゃあ何も言い返せませんよ。
なんなら言い返す価値さえも無い。
おフランス映画版ジョーズ良くできてはいると思うんだけど俺が見たかったサメ映画ではなかった。55点。
おフランスの海辺の田舎町に初めてのサメが出る。定年寸前の海岸憲兵のマジャは海岸封鎖を申し出るも観光業に打撃が出るだろとか、サメなんか出たことないし気のせいやったらどうするんやと周囲からはさんざん反対される。マジャは定年を延期しサメと対決、麻酔銃を打ち込み生け捕りに成功。しかし2022年という時世を鑑み、苦情を恐れる市長の意向もありインド洋にサメを放牧しマジャは無事定年。しかしサメは帰ってきて新たな犠牲者が。するとたちまち周囲は「マジャがサメを殺さなかったからや」と一転攻勢。犠牲者の子供たちにボコボコにされたりで危機を感じたマジャは町を離れるも再び帰ってきてサメと対決、見事サメを討ち取るのだった。
おフランスらしい意識高い系サメ映画だった。どうやらフランス初のサメ映画だったらしく、のちに「セーヌ川の水面の下に」という傑作サメ映画の礎になったと考えればそれだけで、まぁ。
序盤は本当にバカバカしいヨーロッパ系コメディ調で話が進む。どいつもこいつもオーバーリアクションでやることもガキっぽく、サメを捕まえるシーンとかウスノロ黒人がサメ釣っていて海に引きずり込まれるところを女二人は井戸端会議してて全く気付かなかったり、背びれに向けて麻酔銃を撃ったら腹に刺さって浮いてくるとか、それどういうテンションで見ればいいんだよみたいな展開が続く。
う~ん、ハズレだったかなぁと思っていたら、後半急に牙をむきだす。
あらすじにも書いたけど、マジャは炎上状態に。序盤の自己中心的で何もせんくせに他責思考で文句ばっかり一人前の市井の醜さをこれでもかと見せつけてくる。
最終的にはラジオでも「マジャは批判されて当然」「マジャのせいで人が死んだんだから責任を取るべきだ」「マジャは暴力を受けるべきだ」と流れてくる始末。まぁこれは追い詰められたマジャの夢だったんだけど。でも実際にSNS炎上で「こいつは叩いていい奴だ」とされてしまった相手に対してはこれくらいの物言いしてる奴いっぱいいるからね。フランスもたぶん同じなんだろう。フランス人って陰湿っぽいもんな(唐突な偏見)。
サメ放牧展開からの復帰被害で実害に対する環境活動家のバカバカしさを風刺したりしながらも、自己利益のことしか考えていない政治家や商人、町のために労を尽くした英雄を何か問題が起こったらそんなことはなかったとばかりに叩きに走る人間の醜さ、叩いていいと思ったら何してもいいと思ってしまう軽薄さ、そして炎上が収まったら何事もなかったかのように別の問題を探し出すさもしさ。
マジャの夫が唯一の両親としてマジャを支え続けるんだけど、結局実際に何かできたかって言うと何もできてないのが哀しい。
第一被害→第二被害→対決→打ち取り→第三被害→最終決戦という構図はかなりジョーズを意識しているし、初期の町でのいざこざもかなりジョーズリスペクト。
「サメ映画をやるにあたってやるべきことやってまっせ!」という姿勢と「せやかておフランスとしてやるべきことはやらせてもらいます」という姿勢はよかった。
ただ、どうしても近代サメ映画に慣れきっている身からすると展開がゆるかったり、アクションが弱かったり、あとはまぁ主張があからさますぎる部分はあんまり好きじゃなかった。「セーヌ川」が面白かったからね、しょうがないね。とはいえ、序盤のナニコレってなるコメディ展開からは考えられないくらい社会派の映画になって最終的に落ち着くべきところに落ち着くのはマジメに映画撮ってるなって感じで悪くはなかった。
問題無いよ。俺は馬鹿であることを恥じる必要は無いと確信しているから。
人間は誰もが愚かだし、その向きと程度が違うだけ。
その中でも、こうして不必要に言い返す程度には、俺は酷く愚か者なんだ。
それでも社会の中で役割を持って生きていけている人、ただ生きたいと願って生命を繋ぐ人、みな尊いものだ。
あなたの物言いは優しいが、しかし、むしろガイジであることを恥じろと強いている点は不適切なのです。
でも、ありがとね。
そうやって読み手に負担を掛けることについてちっとも悪びれない態度を見た周囲は君のことを「ワー賢い」ではなく「鼻持ちならねぇ」としか見てくれないことに気付きなさいな。
カシコイ人なら挙証責任そのものの意味について説明を省くにしても、それがどのように関わってくるかぐらいは最低限書くだろうけど、書けねえんだろ?
わかるわかる。細かく書くほどボロが出るもんな。書かなくてもボロだから誹謗中傷はやめようね。
ああ、あとこちら精神障害年金受給のガイジですんで、言われるまでも無く社会保障のお世話にはなってますんでお気遣い無く。
一般的に君みたいな物言いは誹謗中傷にあたると思うけど、精々開示請求されたりで周囲の人に迷惑かけないように生きてくれよな。
回答が揃ってないとのことだが、一旦現時点のトコまででメモっとくわ。
これは「学界の有力説」
政府は1950年代から一貫して “限定的な集団的自衛権は可能” という立場
国会答弁にも大量に残っている
つまり:
などの影響で「違憲」が学界で強勢になった時期はあるが、
1954年の自衛隊法制定時から現在まで “合憲の範囲内での集団的自衛権の可能性” を残している。
むしろ「ズルズル変えた」のは
● 国民投票で決着させたい
など複合しており、
● “正しくあるべきだった姿”
● “本来こうだったはず”
● “自民党が歪めた”
そのため:
● 政府答弁の実際
● 国際法の実務
● 自衛隊法の制定経緯
某生物学者の名誉教授とやらの発言を見ていて、この手の人達が今の日本や世界の状況を作り出したんだなとよくわかった。
多分変わらないからせめて口閉じてほしい。
何だその親に向かってなろう系が好きそうな物言いはw
知り合いの男性とホテルで同室になったがセックスする気はなかったので拒んだら
相手方はそれを受け入れたが強い物音を立てた。
男性側は「酔っていたために身体の自由が利かずに手が強くものに当たってしまった」と供述しているが
これに関しては検証のしようがないので「女性は強い恐怖を感じた」という主張を認めるとして。
でも、その結果が「強姦未遂にあった」は明らかに過剰な物言いだろう。
強姦未遂は相手に強姦するという意思が明確に認められ、その上で行為に移そうとした際に認められることであって
話し合いの結果、相手がそれを受け入れて引き下がったのであれば、
話し合いの前に相手が襲い掛かってきたとかでない限りは明らかに成立しない。
脅迫性のもの感じたということであれば成立する可能性があるのはかろうじて暴行罪。
男性が威嚇の意味で強い物音を立てたと認定されれば成立する可能性が高い。
次が強要罪。暴行罪よりも罪が重く、男性が強い物音を立てることで
今回の場合は女性に性交渉を強要する意図があったと認定されれば成立する可能性が高いが
男性は女性の性交渉の拒否を受け入れているという点に関しては男女ともに供述が共通しているため
この時点で男性は女性との性交渉を強要する意図は低いと判断される可能性が高い。
なので強要罪が成立する可能性は暴行罪が成立する可能性よりもかなり低いと考えられる。
あとはまぁ脅迫罪があるけど強い物音のみで明確な加害の告知にあたると判断される可能性は低いだろう。
「台湾への武力侵攻は内政問題だから他国は台湾に手を貸すな!」
ってのはさ、
「ウクライナへの侵略は内政問題だから他国はウクライナに手を貸すな!」
ってのと大差無いってことに、はてサは気付いて無いんだろうか?
こう言ったら「ウクライナと違って台湾はサンフランシスコ講和条約でうんたらかんたらー」って言い訳を始めるんだろうけど、
そうだとしても内政問題だろうが内戦だろうが、武力による現状変更は国際法上認められるものではないハズですよね?
あとサンフランシスコ講和条約でハッキリしてるのは放棄であって移譲先ではないので、
統計はとれない。なので客観的で定量的なデータ持ってこいと言われたら無理としか返しようがないのだが。
「他の表現を攻撃しない腐」はいる。何%だとかは言えないが、確実にいる。
男女カプ、夢小説、男性向けエロ、ネットミーム、そういった界隈外の創作について、「よそはよそ、うちはうち」というスタンスで、一切文句を言っていない腐は確実にいる。
しかし、非腐に認知されるのは界隈外の創作に殴りかかる腐だけだ。
バズる腐の投稿というのも、学級会であったり、「逆カプ被弾して号泣、体調崩した」「主人公とヒロインが最終回発情期したのは同性愛嫌悪のジャンプ編集部による悪意の捻じ曲げであり本来は主人公とライバルが同性愛関係だった」のような、かなり病的な投稿ばかり。
腐の中でも極度に異常性が強くて目立っているようなのが、衝撃的でキャッチーだということで、腐趣味が一切無い界隈外にも「見世物小屋系(もみあげチャ~シュ~、れてんジャダム等)」の文脈に乗り拡散される。
これがひたすら繰り返され、腐の中でも特に他責他害傾向が強い者、自他境界が曖昧なメンタルが病的な状態の者が、外から見た腐の代表的イメージとなっている。
構造上これがどうにもならないので、外部から見た腐女子といえば他責他害傾向が強いダブスタ異常者という風潮になっている。そして対策が一切思いつかない。
mmaka2787 たぶんまともな腐女子は非腐の前で腐女子アピールしないし異常な言行もしないんだと思う。認知されないものはないことにされるという意味でこれもまた一種の生存者バイアスなのだろう。
kensetu ルール守ってる喫煙者は隔離された場所でしか吸わない・吸わない人にとってはルール守らないクズ喫煙者ばかり認識されてしまう現象 etc.(これ名前とかないの?)
言いたいのこれです。
英語ではToupée Fallacy(かつら誤謬)という言葉があるようです。
「すべてのかつらは偽物だとわかる。私は見破れなかったかつらを見たことがない」という発言に由来。ひどいかつらだけがかつらと認識され、良いかつらは地毛に見えて気づかれないため観測されないという、選択バイアスの一種。
「知的にしろ精神にしろ発達にしろ、多数派に迷惑をかけていない障害者は障害者だと認識されていない」とかも似たようなやつですね。
薬飲みながらクローズ就労でなんとかやれている人とか、施設にいて出てこない人なんかは、健常者にそうと認識されていない。周囲に迷惑かけながら居直ってるケースだけが「これが○○障害者ってやつか」と認識される。
「すべてのトランス女性は一目でわかる」。これも自然なトランス(パス度が高いトランス)は女性と認識されていて、醜く不自然な失敗例だけがトランスバレしている。
「すべての美容整形は不自然だから一目でわかる」。これも成功例は天然美形と認識されて流されており、失敗例・異形の整形顔のみが整形バレしている。
かつら誤謬シリーズです。他界隈の表現に殴りかかる腐ェミのみが、外部から腐女子と認識されるのです。
ekusax にしても腐は夢に比べて界隈外で暴れすぎだろと思う、夢もまあ中では結構ヤバいと聞くがそんな出てこないから男からすると空気
夢にも当然ながら、同担拒否や作者への攻撃などするヤバい人はいるし、男女カプにもBLEACHの一護×ルキアの人が一護×織姫を公式にした久保帯人に直接喧嘩売ったり、コナン×灰原の人が新一×蘭を優遇する青山剛昌の悪口を延々言ったりはあります。ただ夢と男女カプはLGBTQ+やジェンダー問題やフェミニズムと関係ないんですよね。ただ、五条を殺しやがって!織姫よりルキアルートが良かった!蘭より哀ルートが良かった!って作品の文句言ってるだけで、社会批判にまで害を広げない、界隈外の物を殴り回らない。結果、界隈外では目立ちようがないという仕組みです。キチガイはどこにでもどんな趣味にでもいるとしか言いようがないですが、夢と男女はキチガイの毒が界隈内部に留まって外にバレにくい傾向にあります。(個人的には原作者の人格批判や誹謗中傷をしている人についてはどんな趣味であろうが出版社あたりに開示されて訴訟されてほしいですけど)
腐趣味はジェンダークレーマーとの親和性が非常に高く、腐の理論で社会批判を始めるので、外部で目立つ有害さがあります。
saihateaxis これに関してはありとあらゆる界隈で起きてるからな。野球ファンやサッカーファンに撮り鉄にドルオタに。ネットで話題になりやすい問題に口を挟むのが腐女子が多いんだと思う。
marilyn-yasu そりゃ異常者だから行儀が悪くて観測されるんだろ。ただ異常腐女子で観測されるほとんどがツイフェミ案件だから腐女子であることで炎上してる案件はほとんどない。
サッカーファンはフーリガンの暴動事件や逮捕などで目立つし、撮り鉄も電車を止めたり民家に不法侵入したり撮影のために器物破損して逮捕されることで目立ちますよね。界隈を一切追っかけてない人の視界にも、逮捕の報道によって入ってくる。サカオタや撮り鉄の全員が違法行為しているわけではないのですが。
腐女子の場合、「ジェンダー課題に自信ネキ」的なムーブをすることでBLに何の興味もない人の視界に入ってくる。まなざし云々言うならあなたたちゲイに性的なまなざしを向けてるだけですけどって話なのに、気が狂っているから社会正義側から説教するんですよね。そのせいで夢や男女カプよりも外部での悪目立ちをしている。
ジェンダークレーマー腐には、正直、はやく死んでほしいって思ってます。でもそういう物言いをすると過激派ってことになってしまうし、名誉男性扱いをされる。ジェンダークレーマー腐に殺意向けてる書き込みの中に、本当は「好きなものを腐に貶されたネナベ」もいるんじゃないかと私は思っています。ジェンダークレーマー腐こそ女性を舐めてる節があるんですよね。
同じ腐から穏健な言葉づかいで冷静な指摘を受けるというのでは効かないです。粗暴な男性集団から一斉に誹謗中傷や殺害予告などを受ければ効くでしょうね。でも犯罪なので。なんていうか、痛い目を見ないと効かない、動物みたいなものだと思っています。ジェンダークレーマー腐は語彙は豊富ですが動物的です。熊に「人を殺さないで」と説得しても意味がなく、増えたら撃つしかないのに近いです。
江口寿史が無断トレス常習でありながら、自分で写真を用意して漫画の背景に使用していた浅野いにお(完全に合法!!)を批判していたのって本当に意味不明なダブルスタンダードですけど、注意する気起こりますか?さすがに理解不能すぎて話が通じない気がして怖くなってきて諦めて、「関わりたくない」ってなってしまいませんか?
異常腐女子が大暴れしている状態についてもだいたいそうです。「男性集団に一斉に口汚く袋叩きされ、恐怖でメンタルボコボコになる」以外で異常腐女子がおとなしくなることは無いです。理性的で穏健な注意が有効だったパターンってゼロなのでは?穏健な注意をした側が異常腐女子からブロックされて陰口を言われるだけで、何の意味もなく終わるのが現実の帰着ですからね。対話重視の穏健な姿勢をとる女性のことを一番動物の感覚でナメてるんです。異常腐女子たちの死を祈っています。
重要なのは江口寿史がああいうムーブしても、江口寿史を庇う同業者が表れても、「これだからイラストレーターは」とはならないってことです。イラストレーターという職業が被差別階級ではないので、「江口寿史の行動」という個別事例にフォーカスされ、人格攻撃や職業蔑視ではなく行動が適切に批判されるわけです。12歳の人身売買があっても「さすが文京区(笑)」とはならずに「湯島という場所は…台東区上野に近く…」という切断処理されたのと同じですね。
撮り鉄やカードゲーマーや腐女子は被差別階級なので、累犯障害者・不潔悪臭・ジェンダークレーマーなどが界隈の責任になります。そもそも界隈の自浄って無理なんですよ。江口寿史をイラストレーター界隈が自浄するなんて不可能でした。ただ、界隈には階級があって、「下」の界隈から異常者が出ると蔑視をより強める根拠として使えるというだけです。イラストレーターは「下」ではなかったので連帯責任になりませんでした。どの界隈にも異常な人間はいるので、ことさら連帯責任が要求される界隈については、蔑視が先にあります。
ボスニアで金持ちが人狩りしていた報道もありましたが、これで金持ち差別が起きるかというと無いでしょう。「文京区」のイメージも守られます。上下のイメージが先にあります。
サッカーファンの粗暴逮捕案件、サッカー選手の強姦案件、アメフトプレイヤーの輪姦事件などもありますけど、スポーツは被差別どころか特権的な影響力を持ち続けますよね。スポーツ、特にチームスポーツが、「上」だからです。
「下」の界隈、被差別属性となっている撮り鉄やカードゲーマーや腐女子について考えると、ASD、自認「生きづらい系」の含有率が高そうだなというのを感じます。ASDはチームスポーツ無理です。
カードゲーマーの身だしなみを男性カードゲーマーが具体的に指摘するnoteが出ていましたが、カードゲーマーに叩かれていましたよね。ただ当たり前に風呂に入れと書かれているだけのことなのに、クソフェミに阿った裏切り者であるかのような言われ方をしていた。
腐女子に問題を指摘されたジェンダークレーマー腐女子も同じような動きをします。「名誉男性」認定するだけで人の言うことなど聞きやしません。そこに自閉性を感じもするのですが。集団で振り切れた暴言で袋叩きにされて「恐怖」を感じたときだけは効きます(己のダブスタを理解しているわけではなく、怖くて縮こまっているだけ)。それ以外ではナメてかかるので無理ですね。
「私たちがこういうことするから、こういうこと言うから、外部でも悪目立ちして叩かれるんだよ嫌厭されるんだよ」ってことを指摘して自浄しようとする動きがあっても、自閉は癇癪起こすだけです。
要するに女叩き男叩きジェンダークレーム関連って、異常腐女子や不潔カードゲーマーなどの被差別階級が言い合いしてるだけなんです。あとはニートや、時間を守れない脳障害があるので性風俗店で働いている女などですね。
「下」しかいない界隈なので、健常者にとっては関わるだけ時間の無駄です。
明確な差別を受けている被害者でありながら、不愉快なふるまいをするので嫌われるというのは、みいちゃんを感じますね。みいちゃんも勉強ができなくて癇癪起こしてましたね。
(みいちゃんと同じようにできないことが多い子でも「嫌われないほうの子」の比較用サンプルとしてムウちゃんを出すことに作者の底意地の悪さを感じます。でもムウちゃんも出さないと知的障害者像の網羅性に欠けるんですよね)
🔹全体のトーン
「“金を出せばサービスを受けられる”というのは受け身な“客の考え”にすぎない」と上から目線・批判的に言っているので、
「は?? 金さえ出してればも糞も 金払わなきゃ何のサービスも得られねえだろ」
意訳すると:
「何言ってんだ? “金さえ出せば”も何も、そもそも金を払わなきゃサービスなんて受けられないだろうが。」
それを「客の考えだ」「主体じゃない」とか言う発言は、現実を無視した綺麗事や理屈っぽい言い方に聞こえる。
「金を出す」ことがサービス関係の前提なのに、それを“受け身”扱いするのはおかしいだろ、と。
🔹最後の部分
「無職極めて気が狂ったんかお前」
Aの「主体じゃない」という哲学っぽい物言いを、「現実を知らない/働いたことがない人間の発想」と決めつけて嘲笑している。
つまり:
「そんな理屈を言ってるのは、仕事したことない無職だからだろ。頭おかしいのか?」
という罵倒です。
🔹まとめると
主張 サービスは金の対価であり、「金を出すのは受け身」などという理屈はナンセンス
背景 「主体性」や「構造的批判」を持ち出す相手を、現実知らずの理屈屋と見ている
言語スタイル 俗っぽく荒いネット口調(は?・糞も・ねえだろ・狂ったんか)
つまり、
「“金を出せばサービスが得られる”のは当然の話で、それを“受け身”だと批判するのは現実感のない発言だ」
という現実主義的な苛立ちをぶつけている、
と捉えると分かりやすいです。
ボルトの脚がどれだけ速いっつったって、そこらの大人と比べてもたかだか5秒かそこらの違いだろうし。
それは陸上の世界では大きな違いだろうけど、別に世界のすべてが陸上競技ではないし。
蟻の歩く速さとの、マグロが泳ぐ速さとの違いに比べたらなんてことはない。
ナンセンスな比較による矮小化だとかなんとか、そんな言葉はいくらでも並べられるけども。まあでも、なんかそんなもんだよなという感じがする。
ピアノだって、特に天才ではなくたって何年もやってる人なら、プロの演奏と並べてもどっちがどっちか分からん人の方が多いんだろうし。初めて数日のド素人ならともかく。
そうでなきゃ年末の格付け番組みたいなのだって盛り上がらんだろうし。
フリークスどもは全然違うと言うのだろうけど。まあいくらか嗜んでればそう感じる人もいるにせよ、そうと言わない人間の数を見れば「全然」は大袈裟な気がする。
テレビのお笑い芸人をツマンネーと嘲笑する人間はゴロゴロいる。
じゃあそういうあんたは、特に気心も知れてない大人数の前で一つ小噺打って笑いを取れるかって話で。
まあ大抵は無理だと思う。
というのは何も「じゃあお前がやってみろ、出来ないなら口を挟むな(こういうの詭弁って言われるけど、心象的にそう言いたくなるのは珍しいことでもないし。論理学じゃそうでも政治においては全くナンセンスな物言いだとは言えない気がする)」という事でもなく。
陸上で言うたかだか数秒が実際に走ってみればすごく遠いように、大した事なさそう(なさそう、というか実際に見て実際にそう感じる)なことも、真似しようとすると結構難しかったりする。
それは結局、人間のポテンシャルの振れ幅なんてごく狭い範疇にしかないからそうなるんだという気がする。
漫才のチャンピオンのネタ見て、なんだ1位でもこんな程度か、大したことないな。
それはそれとして、その大したことないレベルに至る僅かな距離が実に遠いというのもまた多分事実なんだろうな。
まあでも、大したことないなとか言われたらムカッ腹は立つ。
自分のやっている事を大したことないと思われたくない。その手のプライドは少なからずの人にある。
ただそれはやってる側の都合の話であって、実際見ててショボいと思ったものはショボいと言いたくなっちゃうし。
そして誰もが各領域のプレーヤーであるなんて事はまったくない訳で。
それこそ、芸人が素人素人言ってると、いや素人も何も元から目指してねーよ、ってアレみたいな話で。
聴いている分には伝わり辛いテクニカルなフレーズをたどたどしいながらコピーしてみて、そんな地味なフレーズもまともに弾けねえのか、ヘタクソだな笑
とか言われたら泡吹いて死んじゃいそうだけど。なんだテメー弾けもしねー癖に、ってfenderで殴っちゃいそうだけど。
でもなんかやっぱり、ああこの難さも分からないのか、素人さんなんやね笑
みたいなのもダサいというか。
いや実際聴いててヘタクソではあるじゃん。っていう。
努力してる人間がどうたら、とかなんか別なところの美徳をわざわざ引っ張ってきてまでして取り繕うのもなんかアレっていうか。
別にそうとも思ってないのに、美徳や共感性や予防線で「いや至らぬ素人には分からない、スバラシイ技があるのだろう」とか言うのもなんか違う気がする。
まあそれはそれで反感を買うんだろうし、いざ自分が「何がええねん」とか言われたら素直過ぎるだろって思っちゃうだろうし。
社会性があれば、敬意があればそういう思いを抱きはしない。
思ったところで言わなければいいまで。
そうしないのは愚か。