はてなキーワード: ミクロとは
気を悪くしたなら申し訳ない
首都圏も良いところばかりじゃないし、住みやすい街なんて首都圏以外にいくらでもあるんだけど、文句垂れてるオタクって「好きなイベントに行きやすい」っていう明確な首都圏のメリット(首都圏外のデメリット)を理解してる層なわけだよ
首都圏にメリットを感じないなら東京なんて無理に住むようなところじゃないし
僻地勤務の公務員でもなければ、別に首都圏外に住む人も日本の産業や社会を守るためにそこに住んでるわけじゃないだろ。
首都圏にばかり人が住んだら社会は立ち行かなくなるけどそんなマクロな視点で普通住む場所決めないだろもっと個人的なミクロな視点で決めるものだろ
ミクロの合理性を追求した場合、「自分の幸福度を高めることをゴールとし、他人のことは考慮せずに個人の欲求を追求する」行動を取ることになる。
マクロの合理性を追求した場合、「人類の幸福の最大化を目指し、富やリソースの再配分を追求する」行動を取ることになる。
実際の世界では、このような両極端の追求を行う人間はまぁおらず、ミクロとマクロの間、個人幸福 × 社会的協調のハイブリッド型になるのが自然。
個人利得の最大化をしつつ、全体効用の向上を妨げない、むしろ促進する範囲で行動する。
こういう二階建ての合理性は、本音と建前と言われることもあるし、矛盾と言われることもあるが、両極端に走る人でなければ、自然と矛盾を抱えることになる。
漫画・ワンピースはずっと一貫して「構造そのものを疑え」という話をし続けているんだと思う。
世界政府は秩序のためだと言いながら、横暴な最高権力者集団の天竜人を守り、歴史を隠し、気に入らないものは海軍がバスターコールで消す。それを全部「正義」と呼んでしまう。これは現実の国家が「法の名のもとに暴力を正当化する」構図を批判している。
海賊は制度的に「悪」と決めつけられているけど、実際は住民を守ったり、奴隷を解放したり、抑圧に抵抗している側だったりもする。その時点でもう、善悪ってシンプルなものでは無くなっている。
魚人差別もかなり直球で、肌の違いを理由に奴隷にされ、暴力と制度で身分を固定されてきた歴史は、どう見ても現実の人種差別の比喩だし、「太陽のタトゥー」が焼き印を塗り替えるシンボルになるのも、「奪われたものを自分たちの誇りとして取り返す」っていう政治的な意味そのものだし。
ドレスローザでは、支配者が人々の「記憶」まで弄って抵抗できなくするし、ワノ国では労働と資源と物流を握って、武器工場に人を縛りつける。どれも単なる悪役じゃなくて、「階級と搾取の構造」をそのまま物語に落とし込んでいる感じがする。
象徴的なのは「空白の100年」の設定。世界政府が一番恐れているのが、武力でも思想でもなく「過去の記録」そのものだというのがもうすごく象徴的で、ロビンが歴史を読むって行為そのものが、「支配されないためには記憶にアクセスできなきゃいけない」というメッセージになっている。ポーネグリフは、権力に奪われた過去そのもので、学問とか言論の自由の象徴でもある。
革命軍が出てくる意味も、悪の親玉を倒すためじゃなくて、世界の仕組みそのものを変えるため。敵は海軍じゃなく、世界体制そのもの。ルフィが個人として自由を求める存在なら、父親のドラゴンは社会の構造ごと自由にしようとする存在で、この親子の違いがそのまま「自由にはミクロとマクロの両方がある」ってことを示している感がある。
おもしろいのは、作者がインタビューとかで、一切そういった表現の意図について話していないところ。これだけ明確かつ繰り返し色んなかたちで描かれる以上、確実に作者は意図して描いているんだけど、それを説明しようとしていない。おそらく、それを話してしまうと、漫画が説教くさく見られてしまうこと、陳腐に見えてしまうことが分かっているんだろうな。
率直に言うと、映像は最高なのに、どうしてもテーマの“重み”が弱く感じられた。
ネットを見ていると
みたいな言説を目にするけど、僕はそういう話じゃないと思っている。
むしろこれは 作家の“方向性の違い”が、今回は裏目に出た というだけなんじゃないか、と感じた。
以下、自分なりに整理してみる。
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■ 1. 宮崎駿の映画は「人生の重み」がそのままテーマになる
宮崎駿の作品って、あれはもう寓話じゃなくて 本人の人生 だと思う。
「作ること」への罪悪感と執着
こういう“背負ってきたもの”が、作品のあちこちに生々しく滲む。
『君たちはどう生きるか?』なんて説明ほぼないけど、それで成立してしまうのは、
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■ 2. 一方の細田守は「日常」「関係性」に特化してきた作家
ちょっとした心の揺れ
日常の中のズレ
成長の痛み
『時かけ』『おおかみこども』『サマーウォーズ』などが評価されるのは、
世界の大義よりも、目の前の関係性を丁寧に描いてきたからだと思う。
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■ 3. そんな細田が“飛躍・説明放棄”の映画を作るとどうなるか
『果てしなきスカーレット』は、
時空が飛んだり、死者の世界が出てきたり、
でも、細田守は 人生の闇や歴史の重みを背負うタイプではない から、
たとえるなら、
これは“器が小さい”とか“作家性が浅い”とかではなく、
「寓意の飛躍」ではない。
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■ 4. 今回は“本来の武器を自ら置いてしまった”映画だった
『果てしなきスカーレット』に対して
なぜなら、
そこから急に“死者の世界の旅”とか“大河ドラマ的な復讐劇”をやられると、
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■ 結論
今回の作品は、細田が本来得意とする作家性と噛み合っていない。
どうしても“重みの差”が出てしまう。
それは才能の優劣の問題ではなく、
PlayStation CEO Pushed Through Cut-Price PS5 in Japan After Seeing System Slump Against Switch 2
・Switch2の日本限定価格を見て、自分らもやるべきと4ヶ月の期間を要して実現した
・SIEの前CEOジム・ライアンは日本市場は捨て置いてもPlaystationは勝てるという算段だった
・今のSIE社内でも世界的にPSのシェアが伸びている一方、日本のシェアが低下するのは仕方ないという空気感がある
・しかし現CEOの西野氏は、日本でのPSブランドの衰退に強い危機感を抱いていて日本チームと協力してこの施策を実現した
・この値下げは大きなリスクを抱えていて、SIEは損失を出しながらハードを販売する事になるかもしれない
どうなんだろうなと思う。個人的に前CEOの日本軽視路線でジャパンスタジオ等が閉鎖に追い込まれたり
TGSのカンファレンスのような主要なイベントも廃止したりと、日本におけるPSブランドは徹底的に破壊されたと感じているので
(ミクロな視点ではPS専門誌の廃刊、PS独占だった主要サードパーティのマルチプラットフォーム化もこの空気感に拍車をかけている)
Switchがどうこうより、まずはPlaystation自体の立て直しを図らないと空回りに終わるんではと思う。
世界中でみて禁煙運動の広がりで国民の平均寿命が上がった国って無いんだよ。
喫煙率と寿命が相関ありそうだなってデータはどうやっても取れない。
端的に言えば、禁煙を言い出したのはアメリカ、1970年代からやりだして
イギリスがすぐに後に続いた。
イギリスは北海油田ウハウハで高福祉国家を始めたのと同時期。アメリカとは医療制度で真逆だが。
一方で、世界の禁煙ムードに最後まで抵抗したのが日本とフランス。
で、現在、先進国の寿命ランキングは日本とフランスがトップワンツーで、英米がワースト
途上国、中進国で見てもシンガポールとか早かった。マレーシアやインドネシアは遅い。
寿命の伸び率はどこも変わらない、むしろ喫煙大国のインドネシアは寿命も健康も高スコアを維持してる。
単純に国ごとの寿命と喫煙率の推移データを見ていくとタバコはむしろ健康を増進するって結論しか出ない。
もちろんタバコが健康を害することは否定しない。30年吸っているがこんなもん体に良いわけが無い。
しかし直接的な害とは逆に健康を増進する見えない効果があるとしたらどうする?
別の言い方をするとヒステリックに禁煙を押し付ける社会に副作用があるのでは。
かつその副作用は喫煙する人よりもむしろ元から非喫煙者に作用する
マクロな結果、ハレーション、副作用を無視して短期的、ミクロ、細分化した観察で「害」が認定されたものを一つづつ規制して行く社会。
生きづらい世の中ってようするにタブーを追加していくことで、あれもダメこれもダメを容認する社会。
責め合う社会。
議論するまでなくすでに半世紀かけた社会実験で結論が出てるんだよ。
先進国の寿命の伸び率と喫煙率の変化を見ればどうみても逆相関で、
健康増進を言うなら、科学的、統計的には国民の喫煙率を上げるべき、喫煙を推奨すべき。
ちなみに寿命の伸び率がダントツのフランスは喫煙年齢制限が無い。
普段、データは?ソースは?エビデンスは?なんて口を尖らさてる論理派連中はこれらのデータを頑なに受け入れない。
まじ謎。
最近、フェミニズムの話題を見かけるたびに思うんだけど、なんか議論がどんどん「正義ポジションの取り合い」になってない?
ジェンダー構造を見直すのなんて当たり前だし、女性軽視が残ってるのも事実。でも、最近は「問題の是正」じゃなくて「勝ち負けのゲーム」に変質してる気がする。
SNSを見ていると、
・構造の話をしてるはずが、いつのまにか個人攻撃にすり替わってる
これ、フェミニズムが求めていたのって「公平な社会」じゃなかった?
「アカウント同士の代理戦争」でマウントを取ることじゃないよね。
面白いのがさ、はてブ民って普段は炎上に突っ込んでいくくせに、ジェンダー話になると急に社会学者みたいな顔をするんだよね。
フェミニズムは本来、「生きづらさを語っていい」ためのムーブメントのはずなのに、
いまは「生きづらさを語った人を叩くための武器」になりつつある。
・文脈抜きで吊るし上げ
・意識の高さで殴り合い
これじゃ誰も本音を言わなくなる。
結果として残るのは、「ギリギリ燃えない無難なことだけ言うフェミニズム」
それってただの宗教じゃない?
性別じゃなくて、「正義の旗を振りたいだけの構造」が問題なんだよね。
「正しい側に立ちたい」
「加害者になりたくない」
「批判されたくない」
そんな気持ちが肥大化して、誰もがいい人の仮面をかぶって殴り合ってるだけ。
フェミニズムを掲げてる人も、フェミニズムを叩く人も、根っこは同じで、
「自分が傷つきたくない」
「自分が劣位に立ったと感じたくない」
本来は「みんなが少し楽に生きられるようにしようぜ」ってムーブメント。
そこに戻れたら、議論ってもっと柔らかくなるはずなんだけどな。
正義を維持するために誰かを殴るの、もう疲れない?
経済学、特にミクロ経済学に対するご意見をありがとうございます。
ミクロ経済学は、意思決定の原理や最適化といった個々の目的が明確な主体(消費者や生産者)の行動を、意思決定理論やゲーム理論といったより一般性の高い理論的枠組みへと拡張・一般化できる強力な側面を持っています。
ミクロ経済学が唯一信用できると感じられる理由は、その分析が個人の合理的行動(合理的意思決定)という明確で検証可能な公理に基づいている点にあります。
これらの分析は、オペレーションズリサーチ (OR) や最適化問題として捉えることができ、目的関数(何を最大化・最小化するか)と制約条件(予算や技術)が明確に定義されます。
一方でマクロ経済学が抱える困難さについても、鋭く指摘されています。
マクロ経済学が扱う国民経済全体の利益(国家の利益)は、ミクロの効用や利潤ほど単一で明確な目的関数として定義することが非常に困難です。
国家の利益には、経済成長、失業率の低下、物価安定、所得分配の公平性など、複数の目標が関わり、しかもそれらはトレードオフの関係にあることが多いです。
どの目標を優先するか、またパイの分け方(所得分配)をどうするかは、規範的・政治的な判断を伴うため、ミクロのように単一の最適解を導出することが難しくなります。
このため、マクロ経済学の重要な研究分野は、ご指摘の通り以下の点に集中します。
要するに、ミクロ経済学が最適化の論理という数学的厳密性を武器にしているのに対し、マクロ経済学は集計と実証という統計的・実証的な検証に多くを依存せざるを得ない、という構造的な違いがあると言えます。
ミクロ経済学の知見をマクロに応用しようとする動学的確率的一般均衡(DSGE)モデルなどの発展もありますが、集計の困難さや期待形成の不確実性が常につきまといます。
ミクロ経済学を唯一信用できるとされる根拠は、分析の基礎となる前提と目的が明確であるという、その科学的厳密性に起因している、と解釈できますね。
https://anond.hatelabo.jp/20251107092750
https://anond.hatelabo.jp/20251106165719
仮にこれがね?こんな危険なミッションをどうしてもやらないといけないと仮定した場合ね?この手の弱男氷河期がヤりてーと思ってる、マリーローズたんレベルの極上のロリ美少女でもなければ、マジでつり合い取れないとマトモな頭してる奴なら思うだろ?
だってそれくらいのリターンないとマジでやる意味ないもん。だけどこいつみたいなのは、頭が悪い故に、自分でも楽にヤれそうなロリだの女だのを見つけることに執着して、こういう事しちゃうわけ、こんなのいっぱいいるよ、俺の事嫌いで執着してる同類種の弱男のオッサンらとかね
20世紀に入って輸出メーカーだけが得するという構造もなくなってきてるで
貿易摩擦回避のために現地生産を進めてるからそもそもドル円為替は決算の名目上の数字以上の意味を持たない
むしろ国内生産向けに設備投資しようとしても資材高と電気代高騰で経営上のリスクになりつつあるのが最近の潮流や
これは資材に関税かけまくって設備投資が延期しまくってるアメリカを見ればわかりやすい
概していうとマクロで見れば円安は今や輸出産業にもメリットが薄く、むしろ貿易赤字国である日本にとって外貨流出となりさらなる円安要因となる
ミクロで見ると設備投資ができない、物価高で生活が苦しいといった感じやな
円安は簡単に誘導できるが、円高は誘導が難しいので円高誘導が間違いなく良手や
言いたいことは分からんでも無いが、いくつか事実と違う部分がある
今の「政党政治をやっていない」状態が続く場合、国民民主党はじかんをかさねようとも「間に合う」時は来ないので、間に合っていないと言う表現は間違っていると考える。
私としては、国民民主党が最終的に目指しているような共産党のようなポジションで、いつも一見申し上げる、第三の視点を提供するのは上手いが、最前線には立たないと言う所をのらりくらりとやっていく連中だと思っていた。特に幹事長の榛葉なんて共産党の記者会見にそっくりなテンションでいつもやっているから。
個々間といったミクロの世界で有利となる行動をより多くの人がとれば、社会全体というマクロの世界がより良くなるはず、といったタイプの間違った考え方。
たとえば地方自治体が地域特有の手厚い子ども手当を導入すれば、周辺自治体のうち出産適齢期のカップルを引き寄せるからその自治体では子供の数が増えるだろう。地域特有の子ども手当が大きい自治体ほど出生数が多いといったことも観察できるだろう。しかし、当然ながらそういう自治体に出産適齢期を取られた側の自治体では出生数は減少するので、この子ども手当によって全体の出生が増えたかは不明である。人の集まった自治体では広く余裕のある住居が欠乏気味となり、カップルが一人っ子を志向するようなことが起きれば全体ではマイナスにさえなり得る。
増田の言う「高学歴の女性の方が結婚する率が高く、その結果子供を産む率も高いんだよ」というのはこの例で言えば、地域特有の子ども手当が大きい自治体ほど出生数が多いということに相当する。そして、自治体の子ども手当を厚くすることが社会全体の少子化対策になっているとは限らないのと同様に、高学歴の女性ほど結婚して子供を産むことが多いということでは、高学歴の女性が増えるほどに社会全体の出生が増えることを示せないし、増田の言いたいような、高学歴の女性が増える(女性の社会進出が進む)ほどに出生数が減ることの否定、すらもできない。
そもそも中国という国が2000年(笑)にわたる侵略と内輪揉め、民族闘争の泥沼で形成されていてその、、なんか、、苦笑😅だし
ちょっと前にBappa Shotaも話題になったけど、2025年現在になっても進行形で国家的な言論・思想統制がまかり通っていて激キショ、そんな政治体制を生み出した国民(笑)性もガチキショで嫌い
で、そいつらが隣の大陸でうごうご繁殖する分には構わないけど日本に来られるとマージできしょくて無理。中野にある中華系マーケットとか最近街中に現れるようになったガチ中華系料理屋とかも独特の臭いと衛生感でシンプルに近づきたくない、生理的に受け付けられない。
何より許せないのが、金持ちの中国人が「教育環境が良いから〜」みたいな理由で日本に来ること。
今年東大を卒業したけど、同級生にたくさん中国人がいて最悪だった
日本国民の税金が使われた、日本人が100年前に世界に追いつくために建てた大学で、この小汚い外部者が同じお金を払って勉強しているの、わけわからん。
しかも実家が太いのでバイトをほぼせずに大学近くのタワマンで生活をして、可処分時間を勉学と遊びに費やし、大学の特待生枠で海外大学に格安で留学しているの意味わからない。
今日は疲れたからタクシーで来た、とかほざくあのニキビ面を思いっきり叩いてやりたかった。
ミクロ単位で見たらそれぞれ素敵な人で、努力家で、家族思いで偉いと思います。魅力的な人間だってきっとたくさんいます。
でもマクロで見たら私の国に土足で入ってきて勝手にくつろいでいる侵略者でしかない
日本人より遥かにお金を持った外国人が、日本人と同じ条件で大学に入って、勉強して、留学して、日本企業に就職するの。
シンガポールという国がある。
元々はマレーシア随一の経済都市だったシンガポールは、マレーシア政府のマレーシア人優遇政策に反感を抱いた金持ちの中国人によって独立して、ひとりでに裕福な、アジア一の楽園都市を築いた。
きっと、中国人ってそういうひとたちなんだろうな。
2000年間にわたって侵略して、ひとの文化を奪って、ひとの国を支配して歴史を作ってきた人たちだから、DNAがそういうふうにできているんだろうな。