はてなキーワード: 認知症とは
一段と寒い夜、久しぶりに発作があって苦しかった。今ちょっと怠い。
うちは毒親ってほどではないのかもしれない。
衣食住は十分に与えてもらったし。
ただ味の素を毛嫌いして、だって普通の塩はナトリウムだから!(?)と言って天然塩に拘り、白砂糖使用者を馬鹿にしているカサンドラ母と、ガチガチの自分ルールの中でしか生きられない単身赴任の父という環境だった。
幼い頃は熱と咳が出る日が多くて、雪国で車もない中、母がバスに乗って何度も病院に連れて行ってくれたという話は聞いてる。若い頃の父は、朝起きて着替えが出されていないとブチギレていたそうだから当時の母の苦労と苛立ちはそれはもう大変なものだったと思う。
ここで特に診断がないのは小児喘息ではなかったということなのかな、ちょっとわからない。
小学校時代は咳が落ち着いていた記憶だけれど、鼻も悪くて耳鼻科には連れて行ってもらってた。副鼻腔炎にもなった。
喘息というのを知らなないまま運動部に入って、3キロ走るのが苦しかった。
そもそもの運動神経の悪さによるいじめや苦しさもあって辞めたが、後に私が会社を鬱で辞めた時、「部活辞めさせなきゃよかった」と言っていた。そういう父である。
単身赴任の父が帰ってくる土日、両親はよく喧嘩した。険悪な空気の中で母の機嫌を直さなければならない使命感に駆られていて、心臓がばくばくして、その夜は喘息が起こる。お湯とゲロ袋を持ってきて背中を撫でてくれる母に安堵していた。
高校。体育のあとは先生に背中を撫でられながら授業を受けていた。静かにしなきゃと思うほど咳が出る悲しみ。周りも大変な迷惑だったと思う。
冬は苦しくて眠れなくて、母が起きては背中を撫でてくれた。
でも病院には連れて行ってもらえなかった。
ほとんど寝不足のまま、雪降る中を自転車で通学すると学校でまた発作が出た。でも病院には行かなかった。
ベポラップを塗ってもらった。コップのお湯の蒸気を吸わせてもらった。あと蒸気が出る吸入機だったかな、買ってくれてそれでやり過ごしてた。
一度だけ、どういうきっかけだったか病院で診てもらうか、となって婦人科を兼ねてる小児科に行ったことがある。「症状が出てる時にこないとわからないよ」。二度と病院に行くことはなかった。
大学では咳で授業抜け出してた。一人で暮らしていたけどその頃はもう、喘息じゃないっぽいし、病院も諦めていて、治療もないんだと思い込んでいた気がする。もうこういうもんなんだと。今思うと入院するほどの重症じゃなくてまだよかった。
就職後、職場で咳と鼻水が尋常じゃなく、そこで心配してくれた(迷惑もあっただろう)上司たちに、その咳はおかしいから病院紹介してあげると言われて、慣れない土地に暮らしていたこともあって色々と面倒を見てもらいながら通院した。
迷惑かけておいて歪すぎるけど、通院を勧めてもらったのがちょっと嬉しかった。
いきなり良くはならなかったけど初めて喘息の薬をもらって安心感があった。真剣に検査してもらえたことも嬉しかった気がする。
その後いろいろあって心が折れ、実家に戻ることになった。
また発作が起きては吐いて、母が起きてきて背中を撫でられる生活の始まりだ。
子供の頃と違うのは母自身が内科にかかっていたことで、私も連れて行ってもらえた。早朝に点滴を打ってもらうことも何度もあった。毎日吸入してたけど、全然コントロールできなかった。
カレーも味噌汁も作ってる最中に全然匂いがしない。鼻もぐずぐずで痰が溜まるし、顔面が痛い。食事がなんの味かわらかない。味覚が甘い、しょっぱい、酸っぱい、辛い、ざっくりとしかわからなかった。生姜のすりおろし食べながらこれニンニク?とか言ってた。
鼻水も咳も限界で新しい耳鼻科に行った。鼻をカメラで見ながら「これは苦しかったでしょう」と言われた。恥ずかしいけど泣いちゃった。
あまりにも症状が続くから母は話を聞き流していたし、父はほぼ現代医療を信じていないし、まぁ親といえど大人になったら病気なんて自己責任だよな。
けど、大袈裟だけど、それまで数十年間の苦しさをそこで初めて認めてもらえたような気がした。
喘息も鼻水も適当に扱ってきたせいかどうかはわからない。完治しないのかという最悪の気分と、やっと原因がわかった安心感で、家に帰ってまたちょっと泣いた。
幸いにして何度かの手術と治療しつつ嗅覚は継続して快調だ。喘息もだいぶいい。人生で今が一番身体が楽。冬も平気。運動もできる。医師に感謝。
なんでもっと早く、苦しんでるとき、喘息ってわからなかったんだろうなぁ。
後に母が咳喘息になって。吸入薬を見せてきたり、たまに咳してまた喘息かもと言ってる姿見たり、鼻詰まりの時にお母さんもその病気かな!とか言われて。
もう、なんだか、素直に寄り添えなくなっていく自分がいて苦しくなった。色々と私の真似したり、会話泥棒する人なのだが、病気まで自分のものにしたいのかと、そう歪んでとらえてた。
幼少期にかけた苦労と、夜通し寄り添ってくれた日々があるから何も言えない。両親がコロナにかかれば看病した。そのことすら忘れられちゃったけど。認知症じゃないのに。同居してるのに家事をすることのない兄が看病してたら、きっと死ぬまで語り続けて感謝するのに。
父が歳とって風邪引くようになっていた。さすがに病院に行って人生で初めての咳止め薬を飲んでいた。これ飲めばお前の咳も良くなるんじゃないかとか言ってきた、びびった。
今まで咳をしては薬なしで治ると力説されるたび喘息だと何度も説明してる。咳き込めば背中を撫でてくれる優しさはある。ただどうしようもなくゲームの村人会話しかできない。会う度話す度リセットされて、忘れっぽくて、無理解なのだった。
キャベツ頭に被せろとかそういった方面の知識もなかったのがせめてもの救いである。
今更親に苦しさをわかってもらおうとすることが論外なんだろう。
なのに離れた今も執着してしまう。兄の部活には必死に付き添いしてたのに。なんで学校で苦しいって話聞いてくれなかったの。あとついでにブラも買ってくれなかったなとか余計なことまで芋蔓で思い出して恨みを募らせる。夜通し世話させたのにね。それとこれとは別だと思って良いんだろうか。小遣いで内科にかかる発想がなかったのが悪かったんだろうか。ブラを買うのも病院にかかるのも親の許可が必要だと思い込んで。
70歳から入れる学校を作って、強制力を持って登校させてください。
病気の人は通えなくても仕方がありませんが、それは小学生だって同じです。
でも今のお年寄りはとでも元気です。
毎日病院やショッピングモールや無料のバスに乗って出かけています。
70歳からは学区の老人学校に通うように制度を作ってください。18歳からしか運転が出来ないのなら、70歳からは運転出来ないように法律を変えてください。
代わりに学校へは徒歩かスクールバスで通ってもらってください。全国の小中高生はそうしています。大人に出来ないわけがありません。
仕事をしている人は休学でも構わないですが、定期的に週一程度は通わせるようにしてください。土曜でも平日でも、来れる時で構いません。必ず所属する学校とクラスを作れば、日本人なら来ます。仕事が忙しい時は学校に連絡を入れて休みにしてもらって構いませんが、小中高生のように会社で経済活動に参加していますという証明書を総務に発行してもらってください。偽装や偽造には罰を与える法律にしてください。子供の保育園や学童のために必要な就労証明書はそうなっています。
お年寄りは毎日暇です。でも自律できる人ばかりではありません。あとお年寄りは毎日孤独な人もいます。健康なのにちゃんとした生活を送れない人もいます。
だから、学校に通わせてください。頭を使って、手を使って、嫌な奴でもクラスメイトとして付き合う、毎日誰かに会う、栄養バランスの良い給食をたべる、体に良い運動をする。
これだけで人生に張り合いが生まれて元気になり、医療費も削減できると思います。
お金のある人は私立の学校に行けば良いです。お料理教室やゴルフ練習などの素敵なアクティビティを用意してくれると思います。
認知症予防のために勉強も少しはしてもらいますが習熟度別にして、実技科目の方を充実させます。今までの人生でそれぞれ培ってきたことが生かされて全員が活躍できます。きっと楽しいよ。
保健室も健康診断もあるので、病気が酷くなる前に気づくことができます。
子供の時に毎日学校へ行けたのだから、大人になっても行けるはずです。
個人の尊厳が、自由が、なんて騒ぐ人もいると思いますが国がある程度の強制力、例えば老人教育基本法などを持って実行すれば特に昭和世代の日本人なら従います。
どうしても無理な人は不登校老人として、子供たちと同じように行政が介入して世話を焼けばいいです。そうすれば、誰がどんな困り事や悩みを持っているか分かります。
今の状態は、老人がただぼんやりと目的もなく余生を消費するために私たちの税金が無駄に使われています。
でも学校を作って、お年寄りを集めて、みんなが過ごす場所を作れば税金の無駄にはならずに、お年寄りが無駄に歳を取ってしまうことも防げます。
人と話せばボケにくいし、張り合いがあれば国にも活気が生まれます。
放課後は好きに過ごせばいい。サークル活動のようなクラブ活動なら、仲間ができます。日本人は無作為に1箇所に集めても何かしら気を遣って仲間の輪が作れるのが良いところです。
そこに学童を併設してもいい。誰かしら子供好きなおばあちゃんおじいちゃんは居ますし、子供と触れ合えば元気になるし、子供たちも色々なことを学べてお互いに良い影響があるのではないでしょうか。
もちろん集団生活は気疲れもするだろうし、喧嘩もあるでしょう。そこで介護職の出番です。介護職を教員並みの給与で使うのです。介護福祉士は国家資格です。教職と同じ扱いにして、給与を上げましょう。
本当に介護が必要になったお年寄りには、既存のシステムを利用して介護が出来る施設に入ってもらいましょう。
小中高と同じように年齢別で輪切りにします。同じ歳なら、あいつには負けないと言う気持ちや私も頑張れるんじゃないかと言う気持ちが生まれて、要介護になる時間を引き延ばせると思います。
お年寄りは勤労の義務からは解放されるのですか?逆に解放してしまうから、問題が山積みになるのです。
だったらまた就学の義務を全うしてもらいましょう。
70歳までの人生で色々なことを学び、経験したことを、また一つの教室に集めて分かち合ってみたら余生も楽しくなるでしょう。もちろん休日は好きに過ごせばいいし、具合が悪い日はお休みすればいいんです。
人間は自分の居場所が強制的に固定されると、意外と順応します。全国の小中高生はただ住んでいる地域が同じというだけで、学校のそれぞれの教室へ詰め込まれます。でも、楽しいじゃないですか。
これは、とても有効な国策になると思います。色んな個性があることは決して悪いことではありません。仲良しになる人、仲が悪くなる人もいるでしょう。でも皆、私たち日本国民は誰しもが15年、18年、22年とそれぞれ経験してきたことです。出来ないなんてことはありません。
街に溢れるお年寄り、皆んな暇そうです。
ある大規模な調査では、孤独のリスクは喫煙や肥満を有意に上回るとさっき医師がやっているYouTubeで聞きました。それなら、そのリスクを下げてみてはどうでしょう。
大人になったら自由が保障されるような風潮があります、でもお年寄りはその自由を謳歌できる人ばかりではありません。
どうしても自由に生きたい人は、生きればいいと思いますよ。積極的不登校でいいと思います。だってやりたいことや自分が出来ることが明確にあるのですから。例えば登山家の三浦さんのように。
それぞれに家族もあるでしょうし、60代はまだまだ若いし孫の面倒も見ていたりします。
でもその孫が成長したら?日がな一日テレビを見て、散歩に行く。老人会やシルバー人材センターに自分から参加できるアグレッシブな人ばかりではありません。
日本政府にお願いです。
どうかこれ以上に老人の医療費介護費が増えないよう、また運転の失敗による事故が起きないよう、孤独死が増えないように、どうか老人の学校を作ってください。
きっと、他のどの国からも賞賛されるような素晴らしい試みになると思います。
ゆりかごから墓場まで、ではないですがどうか国民に保育園から老人学校まで居場所を作ってください。
日本はとても良い国です。
私はこの国が大好きです。
どうかこの東洋の素晴らしい文化を持つ国を守るためにお願いします。
歳を取ってもみんなが笑顔で過ごせる国になって欲しいです。
ってことでしょ?😟
まあ、理解できるよ、他人が描いた漫画だから意外性を感じるわけだし、音楽もそう、
自分が描いたもの繰り返し読んだって、次のページどころか、描いてない次の展開まで考えてるわけで、
でも、うちの母みたいにメシマズの人が料理を作ってくれたとしたら、悪い意外性が発動するじゃん…😟
リハーサル映像を観て確認してるときに、もうエンドレスエイトみたいに、同じことをループしてる感がある、
それは分かるけど、でも、それで、番組制作ってくだんねーな、とはなんないじゃん…😟
自炊に意外性を求めるなら、これとこれって混ぜたらどうなるんだろう、みたいな実験をするとかかな…😟
ただ、予想できない味を求めるときはあるけど、それで失敗して、しかも鍋一杯作ってしまったりすると、
敗戦処理がつらくなるので、精神的に余裕がないときには自分はやらない
精神状態がハイテンションのときに、味に意外性を求めたりしてドバドバ作って、失敗して、
そのあと、躁から鬱になったような状態で、残務処理が遅々として進まない、
予想外にマズい出来になってしまった大量のスープが冷蔵庫に余ってる、みたいになるのは嫌なので、
あと、偉そうなこと言える立場じゃないけど、なんか物を作り上げたときって、ハイテンションになってて、徹夜明けとか、
そのあとバタンと倒れるように寝て、起きて自分の成果物見ると、あれ?駄目じゃん…、みたいに愕然としたり、
逆に、物を作り上げたとき、逆方向でハイテンションというか、うまくできねー!と思って、ふて寝して、
起きて、改めて成果を見てみると、あれ?よくできてるけど、ほんとに俺がこれ作ったのか?みたいなこともあるので、
最近の自分は、マジで認知症なんじゃないの?と思うことが増えたので、寝る前に敢えて明日やるべきことを残しておいて、
それをどっかにメモしておいたり、立ち上げっぱなしのパソコンならメモ帳に書いて、ウィンドウを一番上にしておく、
パソコン立ち上げたら、付箋とか、なんかマークダウン書くエディタでTODOファイルが自動で立ち上がる、
そういう状態にしておいて、物事に詰まったら、さっさと寝る、うだうだ考えて夜更かししない、
寝て起きたら、きっと明日は明日の別の人生があるはず、なんか物語の超展開が起こるかもしれないわけで、考えたって仕方ないし、
みたいな感じで寝るようにしてる…😟
あー、つまり、料理も一度作ったら、それを冷凍するとかして、忘れた頃に取り出して食べれば、
自炊で作った料理も、他人が作ったみたいな意外性が楽しめるのかもしれない…😟
10年前の自分が描いた絵の方が今より上手いじゃん、とか、昔の自分が作ったミニゲーム面白いじゃん、とか、
なんとなくその原因を「自分が自分じゃなくなる恐怖」とか思ってたが、それって更にどういうことなんだ?とつきつめると
「脳という自分の根本から変化してしまうことによって、今まで積み上げてきた自分についての考察とか信念とか、そういうものが全て一旦崩れ去る危険性に冒されるから」と思った
裏を返して言うと「自分がずっと同一の脳を持っている」ことを暗黙の前提として積み上げてきた思考ってかなり多いよなきっと、みたいな。
思考とかまで行かなくとも「わたしはこういうことが好き」とか「わたしはこういうときこういう感覚だから、こうするのがいい(マイルール)」みたいな、そういう、自分の「特性」からにじみ出て内面化済みのアイデンティティが、消え去ってわたしがわたしを説明できなくなるのがこわい、みたいな
(これは認知症とかにも共通するのかもしれないが、、どうなのかな)
なんつーか、自分がずっと同じ脳であり続けるのはありがたい事なんだなーと変なことを思った
村の嫌われ者の葬式で毒入りマッコリによる殺人事件が発生。認知症の妻が犯行を自供するも証拠は薄く何かおかしい。ソウルで弁護士をする娘が緊急帰国し弁護を開始するも閉鎖的な村民や市長、警察、輩の妨害に合い、事件の裏の巨大カジノ建設に関わる陰謀に近づいていく。
最初は何となく日本でいうところの「刑法第39条」的な認知症の人間の罪をどう裁くべきなのかとか、無実の認知症の人に自供させた場合その真実をどうやって確かめることができるのか的な社会的な作品かと思って見てたけど実際にはそんなことは別になく、韓国特有の文化である「恨(ハン)」の映画だった。
主人公は死んだ父親(母親が再婚した継父)から虐待を受けておりそれが原因で自殺未遂→村を捨ててソウルへというバックボーンがあり、ソウルでは正義感の強い敏腕弁護士として鳴らしている。村を捨てた人間として村の人間からはうっすらと疎まれており、また村八分にされていた人間の残った一分の葬式に行ったらその嫁に毒殺されるという悲劇からほとんど協力が得られないという村ホラー的な展開が良い。
その被害者の中で一命をとりとめた市長は何やらこの事件を早々にクローズドしたいらしく、無能な弁護士をよこしたり警察に圧力をかけたり部長検事を引っ張り出してきたり地元のチンピラを雇ったりとあらゆる手段を講じてくる。そして死亡した人たちは彼が推進していたカジノ計画に何らかのかかわりがあることが分かり、こいつがやったのでは?という疑念が立ち上る。だったらしょうもないなぁとちょっとこの辺で不安になってくる。
しかしその後、証人喚問に呼ばれた自閉症の弟が検事に「お前以外は誰もマッコリが入ったヤカンに触ってないんだな」と詰問され弟は「はい」と答え、それを見た母親が半狂乱になり「私がやりました!!!」と絶叫しだす。弟は常々検事のことを悪い人だ!と言っていたので、エッ、悪人を罰するために自閉症の弟がやったのを認知症ながら母の愛で庇ってたっていう一番おもんないパターン!?となるもそのまま話は進む。
巨大カジノ建設の闇がこの事件に関わっているのではと追う中で、知事、父親、被害者たちを含めた仲良しチンピラーズが大昔に仲間割れを起こしてうち1人を事故に見せかけて殺害したことが発覚する。そしてそれは主人公の母親の元夫だった。悲しみに暮れて自殺を図った母親を死んだ父親が救い、妊娠していた子供のためもあって彼と結婚した母。
しかしその後、仲違いした知事と父親の会話から真実を知ってしまう。
ブチ切れた母親は父親の食事に農薬散布を開始、父親を殺害。そして父親の葬式にのこのこやってきたチンピラーズに毒を盛ったマッコリを飲ませて復讐を果たしたのであった。いや、このストーリーで実際に母親が犯人なことありえる!?
真実を知った主人公は「知事を恨んでいた父親が自分の死を悟って死後強まる念を使った、もとい葬式で使われるであろうマッコリに農薬を仕込んでいた。実際に死亡時に来ていた服に農薬が付着していた(農薬は母親が父親に食わせていた者の残滓)」と陳述し自閉症の弟、認知症の母親を操り法廷を支配し無罪を勝ち取る。
ロジックがしっかりしているのが良い。
冒頭、水に沈んでいく謎の男が映し出され、これが死亡する父親なのかなと思ったら違って誰やねんと思っていたら公判で元夫(やっぱり死亡した父親ではあった)であることがわかると、あぁ冒頭のあのシーンはこういう意味だったのかというのがわかるし、同じく冒頭にある父親による虐待シーンも「自分が殺した元夫の子だったからか」と判明するのも「母親の元夫を殺したところからすべてが始まっていた」と理解できる構成が美しい。
また母親?→知事?→弟?→母親!→父親へという犯人が二転三転する法廷サスペンスを頼ませてくれたうえで、市長がガッツリ警察に影響力があって汚職まみれで暴力も辞さないというイヤ村展開も見せてくれるのも、あと幼馴染のデブは善き警官として登場しコメディリーフとして主人公に手を貸してくれる展開もエンタメとして強度が高い。
当初正義感が強く「悪の弁護はしたくない」と当初述べていた主人公が、弟が撮影していた母が父を殺害した状況証拠を握りつぶし、敏腕弁護士ぶりを発揮し「冤罪をでっち上げて」自身と母親と本当の父親の復讐を果たし無罪を勝ち取るという展開はこの作品のタイトルが「결백(潔白)」ということを顧みても趣があってよい。
主人公は冤罪に手を染め、母親は元夫の仇である父親含めたチンピラーズを殺害し、自閉症の弟は父殺しを黙認し、父親も市長も被害者たちも元夫殺しの犯人で、無能弁護士も警察も検事も汚職にまみれている。潔白などないという作品なのかなと思った。
個人的に好きだったシーンは主人公が集めた証拠から母親に真実を追求にしに行く接見シーン。
互いに向かい合って話すんだけどカメラを互いを一人一人しか移さないのだが、ガラス越しに反射した相手の顔を同じ向きに重なり合うように映す。そして主人公が最後の真実を明らかにするシーンで「主人公」と「反射する母親」のそれぞれの顔が輪郭レベルで完全に一致する。
最初、象徴的な絵面だなと思ったけどその告白は母親によるマッコリ混入だったのでこの母親と主人公を同一化する意味って何だろうと思って見続けていたらその後、主人公は死んだ父親の犯行だったことにするという戦略をとり「夫・父親の復讐を遂げる人間」になったんだなということが分かり、いい演出だなーって思った。
母親は父親とチンピラーズの多くを物理的に殺害し、主人公は彼らを法的に再度殺害した。
役者さんもよかったし何よりプロットがしっかりしていて法廷劇映画に必要な要素はたぶん全部入ってた。
まぁ後の知事も含めたチンピラーズの犯行がずさんすぎる問題はあるんだけど、でもこれってトリックが重要な本格ミステリ(Howdunit)じゃなくて人情ミステリ(Whydunit )なのでこんなもんじゃない?少なくとも明確に矛盾してるなぁって部分はなかった。
しっかり作られた良作。オススメ。
心の中に渦巻いてる感情を、ただただ吐き出したい。
そしてまだ傷口は完全にふさがってないし、どうすればいいのか分からない。
本当に分からない。誰に言ったら良いか分からない。言っても良いか分からない。
書き捨てではなく、見返し続け、この感情と向き合おうと思う。
前書きが長かった。
先日、おかあさんが、出発した。
いつもおかあさんといっしょに過ごしていた飼い犬(6匹)に囲まれながら、出発した。
自分が買い物の声掛けに行ったら、もう、息をしていなかった。
ひとめで分かった。もう、出発したんだと。
目が動かなかった。手が緩んでいた。身体を支える生命が抜けていた。
それでもこっちに戻ってきてほしかった。やれることは全部やった。
知人が店長をしている近くのコンビニからAEDを持ってきてもらった。
救急隊と警察の方が曰く、「残念ながら…(以下覚えていない)」と。
慣れているのだろう。警察の方から「今日は美味しいものを食べてください。」と警察的な励まし言葉をいただいた。
誰彼構わず、この旨を連絡した。
それでも、クリスチャンの親戚や知人は「彼女のために祈ります。」とクリスチャンとしての言葉を送ってくれた。
検視の結果は、なんとも言葉を選んだものだった。脳出血?だと。
それ以上は解剖しないと分からない。解剖は、やめてもらった。
おかあさんは帰ってきた。
町内会を介してつながりがある、ということだ。
夏だった。おかあさんの部屋に冷房をかけた。
おかあさんが好きだった曲を流した。流し続けた。
ここまで、全くこころが動かなかった。
いいや、こころを石で封じていたのだろう。
なんとうか、そうしなければならないと思った。
お通夜はしなかった。
お袋さんが好きだった曲を流し続け、親父が徹夜でお袋とのアルバムを見ていた。
焼香を済ませた後、
と声をかけた。
それを聴いた瞬間、涙を流しながら腰を落とした。
それまで封じていた何かがものすごい勢いで流れ出た。
腰が抜けるとはこのことだと知った。
そして、祖母が来た。おかあさんのおかあさんだ。
そうした方の介護をするひとでがない。
残念ながら参加はできないと特養に連絡した。
夜勤の枠を開けるわけにはいかない。施設の方々のご厚意だろう。
駅係員がなりわいだからだ。
いつも通りに車いすのブレーキをかけた。これを身体が覚えていた。
そして、祖母は「かなしい、かなしい、なんだろう、かなしい。」といった。
そこでまた腰を抜かした。
普段のこと、いつもと違うことのふたつが相まって、こころが分からなくなった。
ただただ、車いすの取っ手を握りしめながらも、そこに腰を抜かした。
このためにサービス介助士を取ったわけではなかった。
叩き込んだしぐさはこのためにあるわけじゃなかった。
いまもそれを何といえばいいのか分からない。
自分の中で探し続けたい。
何年さきになるかは知らない。それまで向き合い続けなければならないし。向き合い続ける。
これを書いたいまもなお、「先生、早すぎるよ!」の言葉が反響して涙が止まらない。
享年65。
やっぱり、こういうネタで盛り上がる世界であってほしい、平和であってほしいですよ…😟
あと、自分は絵が下手で…、と思ってる人、たまには絵を描いてみませんか?
こういう、アオリのフリーレン描きたい、みたいなのは、難易度が高いです、というか高すぎます、
私もプロではないので経験からコツは語れるけど、正解かは分からない…😟
脳の右側で描け、みたいな本を参考にするのもいいですね…😟
今は100均でアクリル絵の具も、コピックのコピー品も、油彩の道具さえ手に入ります
まあ、100均クオリティなので、量が少ないとかありますが…😟
大人もときどき童心に戻るの大事だと、最近もつくづく思うんです…😟
そんなノリでいいんです
下手なんだか、凄いんだか分からない、抽象画を描いてみるでもいいんです
他人に見せるとか、自慢するためでもなく、描く過程を、体験を楽しむべきなんです
描いたらすぐゴミ箱でもいいので、何か作ることを楽しみましょうよ
俺的傑作の定義=描かれていたキャラの考え方やセリフが自分の中に残っていて、自分を形作る一部になっている作品
『21エモン』:藤子F不二雄の最高傑作。相対的価値観。意外とカネの話ばかりするところ。木星編は最高。
『スローニン』:吉田聡の最高傑作。どのエピソードもいいが「スクラムトライ」は何度でも泣ける。「どうしてそんなにいつも強くなきゃいけないんですか?」
『グリーンヒル』:古谷実の最高傑作。宇宙人を追って屋根を走る彼を見て「私は彼が好きだ」のシーン。あれ以上の恋愛漫画は存在しない。
『レベルE』:冨樫義博の最高傑作。彼が生み出したキャラの中で一番狂っているのが王子。あれを超えるキャラクターは前にも後にもいない。
『花田少年史』:一色まことの最高傑作。泣かせにきてる作品だがきっちり泣かされる。5巻は番外編なので実質4巻まで。
『プラネテス』:幸村誠の最高傑作。宇宙を日常として描き、それを成立させる画力。2話目が出色。ハチマキはわりとどうでもいい。
『度胸星』:山田芳裕の最高傑作ではない。残念だよね。これが連載続けられない世界。『望郷太郎』は納得のラストを迎えてほしい。
『呪文よ世界を覆せ』:最近ではこれ。短歌×芸人って、界隈ではありそう感のあるテーマだが、中身は全然違う。さすが認知症の著書が多い著者。
京都だけど、「ボク、生活保護ウケてるよ!」と路上で酒飲んでる赤バンダナおじさん外国人(白人)がいるんだよね
あれどうなってるんだ?とは疑問に思う
路上で酒飲んで見知らぬJKに話しかける生活保護おじさんって、違法ではないけどヤバいだろ
あと生活保護関係ないけど、今どき巨大なコンボを抱えてクソデカ音量で街を練り歩くガタイのいい黒人もいる
カオスかここは
ただここで朗報がある
日本人の老人で、多分認知症なんだが元気だけは有り余ってるジジイがいる
スタバにいる客にガラス越しに叫んだりするし、クソデカい声で歌いながら街を練り歩くんだよ
あいつ強いな
なんか良い案ない?
そこまで憤るなら自分が仕事辞めて実家住み込みで母親の面倒見ればよかろうに
父親は母親とは血がつながっていない赤の他人だが、貴方と母親は血縁じゃん
実家に戻り、実家の資産を食いつぶしながら介護すりゃいい、資産が尽きたら生活保護でも受けりゃいい
父親の町内会は趣味で、自分は仕事、社会的価値が違う、とでも言うのだろうが
結局は自己実現、みたいな趣味の領域にすぎない、どんだけ稼いでいるんだ?
介護を外部委託できるほどの稼ぎは無いんだろ?そんなもん俺に言わせりゃ趣味の延長や
あるいは、(人)母親を一分一秒でも長生きさせたい、という価値観を捨ててみたら?
自分の足で移動できない、自分の手足で食事が取れない、認知症でリスク行動を制御できない
そりゃ寿命や
「初回の介護認定は重めに、更新時は軽めに」という運用が蔓延してきている。
例えば、ある人が体調を大きく崩して介護が必要となり、今回「要介護2」の認定を受けたとする。
そして良くはならないが何とか現状維持出来ている状態だと、翌年に「要介護1」、翌々年に「要支援1〜2」、に格下げされてしまうというものだ。
要介護度に応じて使えるサービスは変わり、例えば要介護3から2以下に変わったら特養から追い出され、要介護1以下なら介護ベッドは自費になり、要支援ならデイサービスの回数制限が厳しくなる、などがある。現場の家族はその分精神的にも金銭的にも負荷が増える。
介護保険を維持するために要介護度の悪化を食い止めよう、という厚労省の大方針がある。
介護認定を受けた人達の翌年度の変化を毎年集計しており、要介護度が下がった割合と悪化した割合の差を「改善度」として介護度別に集計、公表している。
例えば2022年度は要介護1はマイナス20ポイント。良くなった人より悪化した人のほうが20%多かった。なお要介護5(これ以上悪くならない)以外の全ての要介護度でマイナスである。
この改善度をひっくり返そうというのが厚労省の方針で、その手段が「初回の介護認定は重めに、更新時は軽めに」という認定レベルの不正操作もとい調整である。
簡単である。自治体の職員が、前回認定時から大きく追加された医療的所見がない(例えば、余命宣告レベルのことが起きてない)人について、認定レベルを軽度化ような現地調査レポートを書いて提出するだけ。
Xなどを見ると「母(父)の介護認定が下がった…要介護2から要支援2。本人は何も良くなってないのに」「まさかの自立判定…自力で立てないのに…」「明らかに認知症悪化してるのに要介護3から1になった…特養追い出される…」という類の悲鳴が1日数件くらい拾える。
次の手段は要介護認定基準の厳格化だ。今まで要介護3となっていたのが要介護1となるレベルの改革が画策されている。
今の内閣は介護の現場に興味がないみたいだし、首相が自費介護の経験者だ。「介護保険に頼らず自助でやれ」という方針が来年あたり出てくる可能性すらある。
安倍晋三とその信奉者(高市早苗も)が従前から言っていた「日本を取り戻す」の中には、「老父母の面倒は子供達とその配偶者が確りと見る」というのも含まれてるからな
うちの祖母が要介護2の認知症入ってるんだけど携帯で鬼電するようになった
経緯はわからないが電話をかける→相手が出ない(※①)→通話の発信画面が閉じる→自動で発信履歴が開かれる→発信履歴を着信履歴と混同し今さっきかかってきたものだと認識する→発信履歴から発信する→※①に戻る
の無限ループをし始める。いくら説明しても理解してくれないどころか、「私はこんなにかけてない」の一点張り
挙句「電話交換局にクレームをいれないといけない」と怒り出す始末
朝から晩までボケてイカれてるなら携帯解約してもいいんだけど、まだらボケというか、旧知の友人と電話してる時は比較的まともにやりとりしてる事も多く、解約するにも難しい
相手が久々に会う人とかだと割とまともになったりする
例えば、
社会人になりたての頃は、
そこから40代になった今は、一応一部上場の企業に勤め、年収は1,000万を超え、子宝には恵まれなかったが、妻と2人でささやかに暮らしている。
現在、弱者男性ではない理由は、他人に期待しなかったからだと思う。
まず近親者に問題が多かった。家族でもこれだから赤の他人や行政が親身になって自分を救ってくれるとは到底思えなかった。
みんな自分の事で精一杯なのに、なんで何も持たない俺を気にかける?他人にとって俺を助けるメリットはない。だから自分を助けるのは自分しかない。ずっとそう思ってた。
独学でスキルを学び資格を取り、体当たりで色んな場所に顔を出してコネを作ったり、落とされても何度も挑戦して転職もできた。
途中では、挫折もしたし、恥も沢山かいた。ぞんざいな扱いに傷ついたり、悔しい思いも数知れない。
社会人のスタートが遅かったから年下にこき使われることも頻繁にあった。情け無い気持ちになっても自分のプライドを抑えた。生い立ちとか学歴とか、未だにコンプレックスだらけだ。
運が良かっただけとか生存者バイアスとか言われるかも知れない。でも誰かの救いを待ってるだけでは現状は悪くなるばかり。自分は自分しか救えない。これは真実だ。
そして、これからの人生で何が起きて、また弱者男性になるかわからないが、そんな時でも他人には期待できない。困らないような準備を今からしておく。
みんな頑張れ。