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はてなキーワード: 選択の自由とは

2024-12-14

「フルリモート廃止」は「不同意行為」の類似であると言えます

同意の有無

フルリモート廃止社員がフルリモートで働くという選択肢がなくなり、強制的に出社を求められる場合、本人の自由意思選択余地制限されます

不同意行為相手側に選択余地制限されており、一見すると存在たかに見えた選択余地強制わいせつを働いている側の思い込みしかありません。

どちらも「本人の意思に反して何かを強制される」という共通点があります

権力・力関係の影響

フルリモート廃止企業上司権力を持ち、従業員がその決定に従わざるを得ない状況を作り出すことがあります。この場合労働者自分希望を貫くことが難しい場合があります

不同意行為加害者被害者に対して力関係や恐怖心を利用して同意のない行為を強行する場合があります

どちらも「強い立場の者が弱い立場の者に圧力をかける構図」が見られる点で共通しています

倫理的社会的議論を引き起こす

フルリモート廃止:働き方の自由効率性、多様性尊重という観点から議論が起こり、企業文化雇用環境についての批判が行われることがあります

不同意行為個人尊厳安全侵害する行為であり、社会全体の倫理観法制度について議論喚起されます

いずれも、個人尊重権利についての社会的議論を引き起こすテーマとなっています

まとめ

共通点として、

同意選択自由侵害

「力関係問題

倫理的社会的議論を巻き起こす点」

が挙げられます

それぞれの具体的な状況は異なるものの、根本的には「個人意思自由を軽視する行為」に通じる部分があると言えます

入社時の説明では「フルリモート継続していきますオフィスワークに戻ることはありません」とされていたのに、突然「フルリモート廃止します。出社拒否就業規則に反します。出社日有給を取ればいいとう話ではありません」と言い出す会社からは逃げた法がいいでしょう。

そういった会社で働いていればいずれは上司から「サシ飲みに同意した時点で俺に気があるんだろ!」「ホテル街まで来て何を言ってるんだ!」「酔いつぶれていたは言い訳にならない!」「一回やるも二回やるも一緒だろうが!」「お前はもう俺の女だ!」と不同意行為を迫られるリスクが高いと言えます

同意もロクに得ないでフルリモート廃止しようとする会社倫理観が終わっているので逃げることが懸命でしょう。

2024-12-05

anond:20241205170624

自由恋愛」が純愛から売春まで含まれるという主張は、定義視点によって異なりますが、必ずしも正確とは言えません。その理由を以下に示します。

1. 自由恋愛基本的定義

自由恋愛は、社会的経済的な制約や親の意向に縛られず、自分意思恋愛対象を選び、関係を築くことを指します。この概念は、愛や感情に基づく自由選択を重視しており、必ずしも商業的な関係利害関係を含むものではありません。

2. 純愛売春の違い

純愛は、互いの純粋感情や深い絆を基盤とする関係です。一方、売春経済的取引が主軸となる行為で、感情的な繋がりを前提としない場合が多いです。これらは性質根本的に異なるため、「自由恋愛」の枠組みで同列に扱うのは不適切です。

3. 自由恋愛は「選択自由」に重点を置く

自由恋愛の核心は「自分選択する自由」であり、その選択他者搾取経済的取引によるものではないことが暗黙の前提とされています売春はその性質上、しばしば経済的社会的圧力の結果であることが多く、自由恋愛精神とは一致しません。

4. 価値観文化による解釈の違い

自由恋愛解釈文化価値観によって異なる場合がありますが、一般的には個人自由意志と感情尊重する恋愛観を指します。売春などの商業的要素を含めると、「自由恋愛」という言葉意味を歪める可能性があります

結論として、「自由恋愛」が純愛から売春までを包括するという主張は、自由恋愛本来定義価値観と一致しないと言えます

2024-12-01

データ証明理系女子を無理に生み出す文部科学省解体せよ

フェミ政治家の「男女平等」の理想現実的データを叩きつける心理学者翻訳】【ポリコレ】【フェミ】【活動家】【ゆっくり解説

https://x.com/mrs_zubora/status/1863024516093374617

フェミがあこがれるイギリスの例を見ても

男女が平等になるほど選択には性差が顕著になる。

自由機会の平等の結果、STEM分野(つまり理系から女性がどんどん遠ざかっている。

このため年収にも格差が生まれているが、選択自由の結果である

これが現実データであり、それを無理に補正するということは不平等しかならない。

まりフェミニストは完全に誤っており、データ無視したバカたことを言っているだけのクズどもです。

このように社会学不要だということもはっきりわかりますね。

バカな女が学者としてのさばる資格はありません。そんな場を与える必要もないのです。

2024-11-30

anond:20241130080223

単純に社会的強者男性に憧れるなら、キモくて金のないおっさん服装より上流階級強者男性服装をすべきだと思うんだけど、そこで労働者階級服装を選ぶっていうのは共産主義的な香りがするねー。

まりそれは資本主義に対するアンチテーゼでもあるわけかな?

資本主義は、人は階級や生まれに囚われずに自由仕事を選び稼いで生きるべきだというリベラリズムを苗床にして育まれ思想で、それは人々の暮らしを豊かにしたけど、人々の格差の拡大をも招いた。

そして男女の間の賃金格差も確かに資本主義構造によって格差が開いたものひとつだと言えるかもしれない。

より稼げる者は裕福になり、稼げない人間はより貧しくなる。

そこでは人は資本のある者の言うことに従い食い扶持を稼がねばならない。

それはつまり、その人がどういう生き方をするのかっていう選択の自由を奪われるっていうことだよね。

からマルクス主義フェミニストである上野千鶴子さんはみんなが等しく貧しくなればいいって言ったのかな。

でも彼女自身は裕福な家庭の出身で、彼女がそういう思想を手に入れられたのはそれなりの教育を与えられる立場にいたからっていう皮肉

マルクス貴族だったんだよねあの人。そこまで裕福でもなかったみたいだけど。

階級の逆転は解決にはならない。

じゃあどうするのか?

多分、ドラッカーはその答えを見出してたよ。

随分前に書かれた本だけど、今読んでもすごくいい本だと思う。

https://amzn.to/3B52p8a

本人がどうすべきとかそういう自己啓発的な話じゃあなくて、マネジメントでもって労働者を守るのは資産階級の役目でしょ、資本主義はそこでシフトチェンジしてるんだよっていうお話

vtuber業務量ってそんなに多いのか?

ホロライブの人気Vが引退理由の1つに業務量の過多を上げていたが、実際のところどのくらいの量だったのかが気になる

アイドル売りや人気売りで少なくとも数千万以上は稼いでいるであろう個人事業主業務が多くなってしまうのは、一般的に考えたら普通だと思う

内情は知らないものの、サラリーマン比較すると仕事の取捨選択の自由度は高いと思っている。(マネージャーから言われたら断れないという風潮であれば申し訳ない)

ダンスや歌も大変だと思うが、仕事のためのタスクというより自分の実力向上のタスクの一部(低俗な言い方をすると自己研鑽趣味)だと感じてしま

Vtuberという界隈自体が、もともと社会経験したことない人が大半を占めている。

こんなことを話題に出すと叩かれそうな気がするが、人気Vtuber業務量というのを知ってみたい

2024-11-29

anond:20241128222205

元の文章の方にも追記しましたが、病院検査して癌が確定しても、緩和的な治療のみ受ける事も可能ですし、治療を受けないことも可能です。

 

ただ、様々な選択肢がありますので、病院でよく相談してください。

副作用が非常に少ない治療なら受けたい方もいらっしゃれば、猫の世話があるので外来で済む範囲での治療だけ受ける方とか、抗がん剤以外の治療は受けるとか、治る可能性のある治療は一切嫌とか、様々な方がいらっしゃいます

薬もホルモン治療なら受けるとか、抗がん剤副作用の弱いのだけ受けるとか、様々なオプションがあります

 

ただ最初治療や通院を一切拒否して、病気がかなり進行してから、考えが変わったのでしっかりと治療して欲しいと言われる方が想像より多いです。

進行してから方針を変更しても、完治が望めないので、しっかりと最初相談しておいてください。

 

治療すれば8割以上の可能性で完治するような方が治療を断られたりすると、選択の自由とはいえ、とてももったいないなあと残念に思います

ういうい経験も何回もあります

 

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追記ですが、病院によっては積極的癌治療をする方のみ受け入れている病院も多々あります

癌治療専門の病院癌治療をする方でいっぱいですので、痛み止めだけ貰おうとした場合別の病院受診をお願いされる事も多いです。

専門病院は専門病院しか治療できない方が優先されます一般病院対応可能な事は一般病院おすすめされます

 

ちなみに症状緩和の方法として、痛み止め使うより放射線治療をした方がよっぽど痛みが改善する場合も多々あります

また強い痛み止めは色々と副作用もありますし、癌が進行すると痛み止めでは対処できない様々な困った症状も出現します。

積極的治療を受けない事と受診をしない事は別ですので、癌になった場合は、積極的治療を望まない場合でも困った時に相談したり入院できる病院は確保しておいた方が良いです。

2024-11-25

anond:20241125164359

「アドブロック万引きと同じだ」という言説に対する反論は、以下の観点から整理できます


1. 法的な違い

万引きは明確に違法行為であり、物理的な財産を盗む行為です。一方、アドブロック使用合法であり、ユーザー自身の端末上でどのようなデータを表示するかを制御する行為です。

広告ブロックすることで誰かの物理的な財産を奪っているわけではなく、ユーザープライバシー保護や快適な閲覧環境を求める権利の一環とも言えます


2. 利用契約選択の自由

ウェブサイトの利用契約広告表示が含まれている場合、アドブロック使用契約違反と見なされる可能性がありますが、実際にはほとんどのサイトでそのような明示的な契約がない場合が多いです。

また、ウェブサイト利用者には、どのようにインターネットを利用するかを選択する自由があります。アドブロックはその選択肢の一つであり、強制的広告を見せられるべきだという考え方には疑問があります


3. 広告モデル課題

広告モデルには次のような問題があり、これらがアドブロック使用正当化する理由となることがあります

これらの理由からユーザーがアドブロックを使うことは、自己防衛として正当化され得ます


4. 代替的な収益モデル存在

広告収入ウェブサイト運営重要収入であることは理解できますが、他にも以下のような収益モデルがあります

これらの代替手段模索せずに「広告を見るのは義務」という考え方は、運営者側の一方的な主張に過ぎません。


5. 相互利益バランス

広告モデルは、基本的に「無料コンテンツ提供する代わりに広告を見せる」という相互利益を前提としています

しかし、広告ユーザーにとって大きな負担や害を及ぼす場合、このバランスが崩れます。アドブロックは、ユーザーがそのバランスを取り戻すための手段と考えることもできます


結論

「アドブロック万引きと同じ」という主張は、法的、倫理的技術的な観点で誤りです。

アドブロック使用は、個人選択権利範疇であり、万引きのように他者財産を不当に奪う行為とは本質的に異なります

問題解決するには、運営者と利用者の間で健全収益モデル広告の在り方について議論を深める必要があります

2024-11-16

学習関連でたまにBlueskyとかのほうがヤバいとか言い出す人いるけど、Blueskyとかは個々のユーザー判断を委ねてるだけでし放題とはどこにもないんだよね

しろ規約で縛るほうが選択の自由を損ねてると判断されて面倒なことになりやす

robot.txtの内容出してきたりするけど無断学習するようなやつらがそれ守る前提なのが笑える

そのぐらいあの手のやつらの言ってるやってることはちぐはぐ

2024-11-01

anond:20241101093644

個人選択の自由」で選択夫婦別姓反対派を叩き潰すと「選択的」安楽死に反対しようとした時に苦労しそう

anond:20241101093644

大麻摂取選択の自由尊重してほしいよね

他人大麻摂取することをなぜみんなそんなに気にするのか

anond:20241031173836

自分名前が変わるのが嫌な奴はいない、というのはなかったな。むしろ嫌な実家のしがらみから抜けられた感じがして気が軽かったよ。

名前が変わるのはアイデンティティ喪失だ、という決めつけをしている辺りで「名前を変えたい」というおそらくマイノリティ存在をガン無視した独りよがりの考え方で、何が「選択の自由」だよって唾吐きたくなる。いろんな奴がいるから、制度について議論していくんだろ?「選べるようになるのは自由!素敵なこと!名前を変えるのは苦痛ですよね!それから解放されましょう!」余計なお世話だ。

お前らの考える「素晴らしい自由思想」に当てはまらない奴のことを考慮しないで「賛成派です(キリッ)」とかやってる奴は嫌だ。

選択夫婦別姓制度を取り入れるなら、改姓を望む層のために改姓や改名簡単に出来るようにしていくべきだというのが自分の考え。それに伴って戸籍制度現代アップデートするべきだけど、「面倒だからなくしてしまえ、いやむしろ戸籍制度をなくそう」ということにならないか心配。だから選択肢を認めるだけなんだから早くしろ」というのはただの欺瞞だと思う。国のあり方を根本的に変えるかもしれない制度なんだからもっと慎重に議論してほしい。雑なんだよ全部。

選択夫婦別姓を導入済みの国での課題は?対策は?

選択夫婦別姓を導入している国では、日本と同様に課題存在しており、解決策や対策もさまざまです。以下に、具体的な国の例を挙げて、それぞれの課題解決方法について説明します。

 

1. 課題解決

 

1.1 アイデンティティの混乱

• 例: フランスイタリアなどの一部欧州諸国では、選択夫婦別姓が導入されていますが、親と異なる姓を持つ子供が増えると、家族としての一体感アイデンティティの混乱が起こるケースがあります

対策: これらの国では、子供の姓に関して親が合意を求められ、姓選択に関するガイドライン策定することで、家庭内での意思決定スムーズになるよう配慮しています。また、ドイツでは、子供の姓を両親が一致させるよう求められる法律があり、家族単位での一体感を保ちやすくしています

 

1.2 手続きの複雑さ

• 例: アメリカでは、姓を変更する際の手続きが州ごとに異なり、場合によっては煩雑書類作業手数料がかかります。また、パスポートなどの公式書類と異なる姓を使用する場合手続きの複雑さがさらに増します。

対策: 行政側では、姓変更手続きオンライン簡素化する努力が進められています。また、EU各国のように、結婚後に選択した姓を統一的に使用できるよう、デジタル管理を行い、複雑な手続きを削減する措置も取られています

 

1.3 社会的偏見

• 例: 韓国中国など、家族制度伝統的に重視される社会では、夫婦別姓が導入されても、夫婦同姓を選ばない選択に対する偏見や、旧来の価値観から批判が残ることがあります

対策: 中国では、徐々に夫婦別姓に対する理解を促進するための啓発活動が行われ、別姓夫婦の増加に伴い社会的な受容も広がりつつあります。また、法律夫婦の姓に関して厳格な規制を設けず、選択自由保障することで、個々の家庭が自由に姓を選べる環境を整えています

 

2. 現在残っている課題

 

2.1 子供の姓に関する決定

問題点: 夫婦別姓制度が導入されると、子供の姓をどうするかについて意見が分かれる場合が多いです。国によっては、子供が両親の姓から選べるものの、結局どちらか一方に決定する必要があり、家族の中で異なる姓を持つことに抵抗感を持つケースもあります

解決への取り組み: スペインなどの国では、両親の姓を組み合わせて使うダブルネーム選択できるようにすることで、この問題対応していますしかし、複数姓を持つことが一般的でない社会では、さらなる柔軟な解決策が模索されています

 

2.2 社会認識の変化

問題点: 夫婦別姓合法であっても、文化的社会的認識が追い付いていない国では、夫婦別姓選択した場合非難されるケースがあります

解決への取り組み: 啓発活動教育を通じて、別姓を選択した夫婦に対する社会的偏見の解消が図られている国もあります。また、法律だけでなく社会全体の認識を徐々に変えていくことが求められています

 

3. まとめ

選択夫婦別姓を導入した国々では、制度的には柔軟性がある一方で、社会的偏見家族アイデンティティに関わる課題が残りますしかし、法整備や啓発活動行政支援を通じて、柔軟な対応を続けることで、選択夫婦別姓の普及と、各家庭が抱える課題解決に向けた取り組みが進んでいます

anond:20241101093644

この意見は、選択夫婦別姓制度が導入された場合に「自由」という概念が実際に尊重されるのか疑問視しており、いくつかの指摘については妥当性がありますが、同時に矛盾や過度な推測も含まれています。以下に問題点矛盾を示します。

 

1. 「自由」の実際の尊重について

選択夫婦別姓制度が導入された際、「どちらを選ぶかは自由」とされながらも、個人選択した結果に対する批判圧力が生じる可能性があるという指摘は、一定現実性があります。例えば、選択的別姓を支持する人が、他者が同姓を選んだ場合にその決定を「古い価値観」として非難することはあり得ます。これは、自由理想と、個人選択する際の社会的影響が必ずしも一致しないことを示しており、「自由」の解釈社会の反応にズレが生じる可能性がある点は有効な指摘です。

 

2. 年の差婚に対する批判と関連付け

年の差婚に対する批判を引き合いに出し、「別姓を選択する自由も同様に批判されるだろう」との指摘には、やや無理があります年の差婚は、家庭内での力関係やパワー・ダイナミクスへの懸念からくるものも多く、夫婦別姓とは異なる社会的背景が絡んでいるため、同じように扱うのは難しいです。この関連付けは、意見根拠として説得力を欠く一因となっています

 

3. 自由批判の両立に対する解釈

「選ぶ自由批判する自由もある」という考えに対し、「批判がある時点で自由侵害されている」とする意見は、やや一面的です。民主主義社会では、個人選択自由と、その選択への意見表明の自由は両立するべきであるとされています。例えば、ある選択に対して異なる意見が出たとしても、そのこと自体選択自由根本的に否定するものではありません。批判意見自由を「強制」や「抑圧」に転じるかどうかは、相手に対する具体的な圧力の有無など、状況に依存する部分も大きいです。

 

4. 過度な推測による不安

この意見は、別姓を選択する自由に対する懸念が主張されていますが、仮説が強調されすぎている面があります。現状ではまだ制度自体が導入されていないため、将来的な社会的反応や偏見についての予測あくま仮定にすぎません。したがって、「自由尊重されないだろう」と断定的に述べるのは、過度な推測であり妥当性に欠けます

 

結論

この意見は、選択夫婦別姓制度に伴う「自由」の概念と、社会的な反応や批判とのバランスについて有効懸念を含んでいますが、いくつかの矛盾や過度な仮定も見られます批判自由関係については、どの選択があっても多様な意見が出るのが現実であるため、制度導入後の社会意識形成重要であり、全ての選択肢が尊重されるような社会支援教育が求められます

2024-10-30

anond:20241029220006

この質問には、選択夫婦別姓に対する懸念が多く含まれていますが、前提や見解に若干の誤解があるようです。それぞれの項目に対して回答するとともに、質問自体問題がある場合は指摘します。

 

1. 同姓にしたい人に迷惑がかかる?

選択夫婦別姓は「選択自由」を提供するもので、同姓を希望する人の権利には影響を与えません。「経団連が非効率と言っている」という部分は、選択夫婦別姓導入に際しての手続き煩雑さを指摘しているもので、同姓を選ぶ人自体否定する意図はありません。選択夫婦別姓が導入されたとしても、同姓を希望する夫婦にとっての選択肢が制限されることはなく、また、それが直接「迷惑」をかけるものでもありません。

 

2. 子どもの姓をどうするのか?

この質問には確かに複雑な問題があります。多くの選択夫婦別姓賛成派は、「子どもの姓を一つに統一する」という現行の制度を維持しつつ、親の姓を選べる柔軟性を求めています。親の片方が亡くなる場合などは、家族合意をもって決める必要がありますが、家庭内で話し合いによる解決を求める立場が多いです。現実的に、法律的配慮もされる可能性があり、各家庭で姓の選択問題とならないような制度設計が期待されています

 

3. 選択夫婦別姓男尊女卑問題を解消するか?

選択夫婦別姓制度は、夫婦が姓を選ぶ自由を増やし、結果的に夫側の姓を選ぶことが強制される文化的圧力を和らげる効果が期待されています。ただし、男尊女卑根本的に解決するかについては、選択夫婦別姓が唯一の解決策ではありません。あくまジェンダー平等を目指す施策の一環と考えるべきで、文化的偏見先入観を緩和する方向性に貢献すると見られています

 

4. なぜ結婚にこだわるのか?

婚姻関係は、相続権社会保険適用など、さまざまな法的保障提供する制度です。パートナーシップ制度を通じた権利保護議論されていますが、現行制度下では、婚姻関係に特化した権利保護があるため、結婚を選ぶ夫婦が多数存在します。選択夫婦別姓導入の議論と、パートナーシップ制度の導入の是非は、別個の問題として検討すべきです。

 

5. 姓の変更が手続き上の問題であるならば、マイナカード解決できないのか?

かにマイナンバーカードの導入などにより手続き簡素化は進んでいますが、選択夫婦別姓問題は、個々人のアイデンティティ人生における意思決定問題です。単に効率問題としてだけでなく、「個人として選択できる」権利の拡充として議論されています効率化と選択肢の拡大は、別次元での議論必要です。

 

6. 姓にこだわっているのではないか

姓に対するこだわりは個人自由であり、選択夫婦別姓の賛成派が全員がアイデンティティをそこに求めているわけではありません。多くの場合、姓は自己アイデンティティの一部であると考えられ、その選択肢が存在すること自体平等の実現に寄与すると考えられています選択夫婦別姓は、強制されている既存文化的な枠組みに対して柔軟性をもたせることを目的としており、近代的な家族の在り方に対応するためのものであるといえます

 

総括

質問には誤解や偏見が含まれている部分もありますが、それらを解消するための議論日本では進んでいます選択夫婦別姓問題は、個人自由尊重し、家族社会における新しい選択肢を提供するものと考えると、納得が得られるかもしれません。

2024-10-24

選挙行きたくないなら好きすりゃいいが

投票所行ったらジジババめっちゃいるんだよな

もう現世にあん関係なくね?ってヨボヨボ死にかけのバーチャンも来てる

で、政治家はそれ見てジジババを大事にする政策をしなきゃ選挙には勝てねえな、って思うわけよ

つーわけで若者は軽視されて苦しむわけだが、それでいいなら選挙行かないの選択の自由

2024-10-23

よくわからんブコメ解説して

私には宗教的素養はまるで無いが、しか選択夫婦別姓血統主義への回帰であることにリベラルがまるで無自覚なのもどうかと思う。進歩に見えるその内実が懐古であることに。

 

 

この意見はいくつかの問題点矛盾点が存在します。選択夫婦別姓を「血統主義への回帰」とする見方は、論理的矛盾している可能性があるからです。以下に具体的な問題点を示します。

 

1. 選択夫婦別姓本質目的

選択夫婦別姓は、夫婦結婚後もそれぞれの姓を維持する権利を認める制度です。これにより、個人アイデンティティ尊重や、特に仕事上の姓の変更による混乱の回避目的です。したがって、この制度はむしろ個人自由尊重し、伝統的な姓の継承に縛られない方向に進むもの理解されています

 

2. 血統主義への回帰という見方

血統主義」とは、特定血筋家系を重視する考え方を指します。選択夫婦別姓を「血統主義」と結びつけるのは、姓を通じて血統を守るという考え方に基づくかもしれませんが、実際には選択夫婦別姓はそうした特定家系血統依存しないというのが基本的理念です。

夫婦別姓の導入は、血統主義を強調するわけではなく、むしろ多様な家族の形を認めるものとされています。そのため、家族個人選択尊重し、姓の変更を強制しない制度は、血統依存した価値観の反対方向に進むとも解釈できます

 

3. リベラル懐古主義矛盾

選択夫婦別姓を支持するリベラル立場は、一般的進歩的な価値観に基づいており、ジェンダー平等個人選択自由を重視します。意見の中で述べられている「懐古」という指摘は、制度のもの伝統回帰することを意味していますが、選択夫婦別姓は実際には従来の性別役割伝統的な家族観を見直す方向性を持っているため、懐古的な要素を含むとは考えにくいです。

 

4. 実際の施行例との矛盾

選択夫婦別姓はすでに多くの国で実施されていますが、血統主義伝統的な家族構成を維持するための制度ではなく、むしろ個人自由ジェンダー平等観点から導入されるケースがほとんどです。このため、選択夫婦別姓懐古主義とみなす視点は、現実の動向と合致しない可能性があります

 

結論

この意見は、選択夫婦別姓血統主義と結びつける点で誤解を含んでいる可能性があり、リベラルが「懐古」に無自覚であるとの指摘も事実に基づいていないと思われます選択夫婦別姓はむしろジェンダー平等個人自由を促進するための制度として広く支持されているため、懐古的という評価は適切ではありません。

2024-10-16

anond:20241016203646

この意見はいくつかの問題点矛盾点が含まれています。それぞれの点を分析し、考察します。

1. 「選択肢を増やす」ことの一般化と具体的な状況の違い

問題点: この意見は、選択肢を増やすことが常に危険であるかのように一般化していますしかし、「安楽死」と「選択夫婦別姓」はまったく異なる状況や文脈であり、それぞれに伴う選択肢の影響も異なります安楽死に関しては、生命終結に関わるため、その選択プレッシャーになることは深刻な問題ですが、選択夫婦別姓個人アイデンティティ家族の在り方に関するもので、生命に関わる選択とは異なります

改善策: 各問題について、その背景や影響を慎重に分析し、それぞれの状況に応じた議論を行うべきです。一つの例をもとに異なる問題に対して同様の主張を適用することは避け、文脈に合わせた議論を心掛ける必要があります

2. 「選択肢提示されると強制される」という過度な決めつけ

問題点: 「選択肢提示されたら飛び込むしかない」という主張は、選択肢存在すること自体圧力と捉えていますしかし、選択肢存在することは基本的個人にとって自由度が増すことを意味し、強制的な選択を強いるものではありません。選択肢存在することは必ずしもその選択肢を取ることを意味せず、むしろ自分の状況や価値観に応じた最良の選択をすることを可能します。

改善策: 選択肢提供がすべてのケースで圧力になるわけではないことを理解し、選択肢提供される際の条件やサポート体制についても考慮するべきです。選択肢存在することと、その選択肢強制されることの違いを認識することが重要です。

3. 「選択夫婦別姓」を「安楽死」と同列に扱うことの問題

問題点: 選択夫婦別姓安楽死の導入を同列に論じることは、議論混同させる要因となっています安楽死生命終結という非常に重大な決定であるのに対して、選択夫婦別姓結婚後の姓に関する選択自由提供するものであり、その影響の質や範囲が異なります。両者を同じ基準比較するのは適切ではありません。

改善策: 各問題をその特異な文脈で捉え、同じフレームワークで扱うのではなく、問題性質や影響に基づいて異なる議論を行うことが重要です。

4. 選択肢提供個人自由混同

問題点: 「選択肢存在することが圧力になる」という主張は、個人選択自由否定するものであり、選択肢を増やすことが必ずしも個人にとって有害であるという前提を暗に含んでいます選択肢を増やすことは、個人がより多くの可能性の中から自分に最適な決定を下せるようにするもので、圧力として捉えるのは偏った見方です。

改善策: 選択肢提供が人々に与える自由と、その選択肢を取ることに対する社会的圧力区別を明確にし、適切なサポート体制情報提供を通じて、真に自由意思決定支援する方法模索するべきです。

結論

この意見の主な問題点は、異なる事例(安楽死選択夫婦別姓)を同じ議論の枠組みで扱い、選択肢提供が常に圧力になるとする過度な決めつけにあります改善策としては、各事例を個別分析し、選択肢提供自由意思決定サポートするものとして理解されるよう、文脈に応じたアプローチを採ることが重要です。

2024-10-12

anond:20241012092258

「性加害を受ければスターになれるなら安いもの、人気を得るための自業自得」という意見に対しての反論として、以下の点を挙げることができます

1. 権力の不均衡: 加害者被害者の間に存在する権力の差が問題です。被害者は、加害者の影響力や地位を恐れて声を上げにくく、無理に従わざるを得ない状況に置かれることがあります

2. 被害者選択の自由の欠如: 性加害は本人の意志に反して行われるものであり、「自業自得」という考え方は被害者同意していると誤解しています。実際には多くの被害者抵抗する手段を持たないまま被害を受けていることが多いです。

3. 道徳的問題: 性加害は明確に不道徳であり、社会的に許されるべきではない行為です。加害行為を「対価」として肯定することは、犯罪正当化し、人権侵害容認する危険があります

4. 法的観点: 性加害は犯罪であり、たとえ被害者が黙っていても、それが正当化されることはありません。法の下では誰もが人権を守られ、虐待搾取から保護される権利があります

こうした点を踏まえ、性加害を受け入れることを「自業自得」と捉えることは、加害者行為正当化し、被害者さらに追い詰める考え方であり、問題視されるべきです。

2024-10-02

 原口さんはそこでちょっと絵を離れて、画筆の結果をながめていたが、今度は、美禰子に向かって、 「里見さん。あなた単衣を着てくれないものから着物がかきにくくって困る。まるでいいかげんにやるんだから、少し大胆すぎますね」 「お気の毒さま」と美禰子が言った。  原口さんは返事もせずにまた画面へ近寄った。「それでね、細君のお尻が離縁するにはあまり重くあったものから、友人が細君に向かって、こう言ったんだとさ。出るのがいやなら、出ないでもいい。いつまでも家にいるがいい。その代りおれのほうが出るから。――里見さんちょっと立ってみてください。団扇はどうでもいい。ただ立てば。そう。ありがとう。――細君が、私が家におっても、あなたが出ておしまいになれば、後が困るじゃありませんかと言うと、なにかまわないさ、お前はかってに入夫でもしたらよかろうと答えたんだって」 「それから、どうなりました」と三四郎が聞いた。原口さんは、語るに足りないと思ったものか、まだあとをつけた。 「どうもならないのさ。だから結婚は考え物だよ。離合集散、ともに自由にならない。広田先生を見たまえ、野々宮さんを見たまえ、里見恭助君を見たまえ、ついでにぼくを見たまえ。みんな結婚をしていない。女が偉くなると、こういう独身ものがたくさんできてくる。だから社会原則は、独身ものが、できえない程度内において、女が偉くならなくっちゃだめだね」 「でも兄は近々結婚いたしますよ」 「おや、そうですか。するとあなたはどうなります」 「存じません」  三四郎は美禰子を見た。美禰子も三四郎を見て笑った。原口さんだけは絵に向いている。「存じません。存じません――じゃ」と画筆を動かした。  三四郎はこの機会を利用して、丸テーブルの側を離れて、美禰子の傍へ近寄った。美禰子は椅子の背に、油気のない頭を、無造作に持たせて、疲れた人の、身繕いに心なきなげやりの姿である。あからさまに襦袢の襟から咽喉首が出ている。椅子には脱ぎ捨てた羽織をかけた。廂髪の上にきれいな裏が見える。  三四郎は懐に三十円入れている。この三十円が二人の間にある、説明しにくいもの代表している。――と三四郎は信じた。返そうと思って、返さなかったのもこれがためである。思いきって、今返そうとするのもこれがためである。返すと用がなくなって、遠ざかるか、用がなくなっても、いっそう近づいて来るか、――普通の人から見ると、三四郎は少し迷信家の調子を帯びている。 「里見さん」と言った。 「なに」と答えた。仰向いて下から三四郎を見た。顔をもとのごとくにおちつけている。目だけは動いた。それも三四郎真正面で穏やかにとまった。三四郎は女を多少疲れていると判じた。 「ちょうどついでだから、ここで返しましょう」と言いながら、ボタンを一つはずして、内懐へ手を入れた。  女はまた、 「なに」と繰り返した。もとのとおり、刺激のない調子である。内懐へ手を入れながら、三四郎はどうしようと考えた。やがて思いきった。 「このあいだの金です」 「今くだすってもしかたがないわ」  女は下から見上げたままである。手も出さない。からだも動かさない。顔も元のところにおちつけている。男は女の返事さえよくは解しかねた。その時、 「もう少しだから、どうです」と言う声がうしろで聞こえた。見ると、原口さんがこっちを向いて立っている。画筆を指の股にはさんだまま、三角に刈り込んだ髯の先を引っ張って笑った。美禰子は両手を椅子の肘にかけて、腰をおろしたなり、頭と背をまっすぐにのばした。三四郎は小さな声で、 「まだよほどかかりますか」と聞いた。 「もう一時間ばかり」と美禰子も小さな声で答えた。三四郎はまた丸テーブルに帰った。女はもう描かるべき姿勢を取った。原口さんはまたパイプをつけた。画筆はまた動きだす。背を向けながら、原口さんがこう言った。 「小川さん。里見さんの目を見てごらん」  三四郎は言われたとおりにした。美禰子は突然額から団扇を放して、静かな姿勢を崩した。横を向いてガラス越しに庭をながめている。 「いけない。横を向いてしまっちゃ、いけない。今かきだしたばかりだのに」 「なぜよけいな事をおっしゃる」と女は正面に帰った。原口さんは弁解をする。 「ひやかしたんじゃない。小川さんに話す事があったんです」 「何を」 「これから話すから、まあ元のとおりの姿勢に復してください。そう。もう少し肱を前へ出して。それで小川さん、ぼくの描いた目が、実物の表情どおりできているかね」 「どうもよくわからんですが。いったいこうやって、毎日毎日描いているのに、描かれる人の目の表情がいつも変らずにいるものでしょうか」 「それは変るだろう。本人が変るばかりじゃない、画工のほうの気分も毎日変るんだから、本当を言うと、肖像画が何枚でもできあがらなくっちゃならないわけだが、そうはいかない。またたった一枚でかなりまとまったものができるから不思議だ。なぜといって見たまえ……」  原口さんはこのあいだしじゅう筆を使っている。美禰子の方も見ている。三四郎原口さんの諸機関が一度に働くのを目撃して恐れ入った。 「こうやって毎日描いていると、毎日の量が積もり積もって、しばらくするうちに、描いている絵に一定の気分ができてくる。だから、たといほかの気分で戸外から帰って来ても、画室へはいって、絵に向かいさえすれば、じきに一種一定の気分になれる。つまり絵の中の気分が、こっちへ乗り移るのだね。里見さんだって同じ事だ。しぜんのままにほうっておけばいろいろの刺激でいろいろの表情になるにきまっているんだが、それがじっさい絵のうえへ大した影響を及ぼさないのは、ああい姿勢や、こういう乱雑な鼓だとか、鎧だとか、虎の皮だとかいう周囲のものが、しぜんに一種一定の表情を引き起こすようになってきて、その習慣が次第にほかの表情を圧迫するほど強くなるから、まあたいていなら、この目つきをこのままで仕上げていけばいいんだね。それに表情といったって……」  原口さんは突然黙った。どこかむずかしいところへきたとみえる。二足ばかり立ちのいて、美禰子と絵をしきりに見比べている。 「里見さん、どうかしましたか」と聞いた。 「いいえ」  この答は美禰子の口から出たとは思えなかった。美禰子はそれほど静かに姿勢をくずさずにいる。 「それに表情といったって」と原口さんがまた始めた。「画工はね、心を描くんじゃない。心が外へ見世を出しているところを描くんだから見世さえ手落ちなく観察すれば、身代はおのずからわかるものと、まあ、そうしておくんだね。見世でうかがえない身代は画工の担任区域以外とあきらめべきものだよ。だから我々は肉ばかり描いている。どんな肉を描いたって、霊がこもらなければ、死肉だから、絵として通用しないだけだ。そこでこの里見さんの目もね。里見さんの心を写すつもりで描いているんじゃない。ただ目として描いている。この目が気に入ったから描いている。この目の恰好だの、二重瞼の影だの、眸の深さだの、なんでもぼくに見えるところだけを残りなく描いてゆく。すると偶然の結果として、一種の表情が出てくる。もし出てこなければ、ぼくの色の出しぐあいが悪かったか恰好の取り方がまちがっていたか、どっちかになる。現にあの色あの形そのもの一種の表情なんだからしかたがない」  原口さんは、この時また二足ばかりあとへさがって、美禰子と絵とを見比べた。 「どうも、きょうはどうかしているね。疲れたんでしょう。疲れたら、もうよしましょう。――疲れましたか」 「いいえ」  原口さんはまた絵へ近寄った。 「それで、ぼくがなぜ里見さんの目を選んだかというとね。まあ話すから聞きたまえ。西洋画の女の顔を見ると、だれのかい美人でも、きっと大きな目をしている。おかしいくらい大きな目ばかりだ。ところが日本では観音様をはじめとして、お多福、能の面、もっとも著しいのは浮世絵にあらわれた美人、ことごとく細い。みんな象に似ている。なぜ東西で美の標準がこれほど違うかと思うと、ちょっと不思議だろう。ところがじつはなんでもない。西洋には目の大きいやつばかりいるから、大きい目のうちで、美的淘汰が行なわれる。日本は鯨の系統ばかりだから――ピエルロチーという男は、日本人の目は、あれでどうしてあけるだろうなんてひやかしている。――そら、そういう国柄から、どうしたって材料の少ない大きな目に対する審美眼が発達しようがない。そこで選択の自由のきく細い目のうちで、理想ができてしまったのが、歌麿になったり、祐信になったりして珍重がられている。しかいくら日本的でも、西洋画には、ああ細いのは盲目かいたようでみっともなくっていけない。といって、ラファエル聖母のようなのは、てんでありゃしないし、あったところが日本人とは言われないから、そこで里見さんを煩わすことになったのさ。里見さんもう少しですよ」  答はなかった。美禰子はじっとしている。  三四郎はこの画家の話をはなはだおもしろく感じた。とくに話だけ聞きに来たのならばなお幾倍の興味を添えたろうにと思った。三四郎の注意の焦点は、今、原口さんの話のうえにもない、原口さんの絵のうえにもない。むろん向こうに立っている美禰子に集まっている。三四郎画家の話に耳を傾けながら、目だけはついに美禰子を離れなかった。彼の目に映じた女の姿勢は、自然の経過を、もっとも美しい刹那に、捕虜にして動けなくしたようである。変らないところに、長い慰謝がある。しかるに原口さんが突然首をひねって、女にどうかしましたかと聞いた。その時三四郎は、少し恐ろしくなったくらいである。移りやすい美しさを、移さずにすえておく手段が、もう尽きたと画家から注意されたように聞こえたかである。  なるほどそう思って見ると、どうかしているらしくもある。色光沢がよくない。目尻にたえがたいものうさが見える。三四郎はこの活人画から受ける安慰の念を失った。同時にもしや自分がこの変化の原因ではなかろうかと考えついた。たちまち強烈な個性的の刺激が三四郎の心をおそってきた。移り行く美をはかなむという共通性情緒はまるで影をひそめてしまった。――自分はそれほどの影響をこの女のうえに有しておる。――三四郎はこの自覚のもとにいっさいの己を意識した。けれどもその影響が自分にとって、利益不利益かは未決の問題である。  その時原口さんが、とうとう筆をおいて、 「もうよそう。きょうはどうしてもだめだ」と言いだした。美禰子は持っていた団扇を、立ちながら床の上に落とした。椅子にかけた羽織を取って着ながら、こちらへ寄って来た。 「きょうは疲れていますね」 「私?」と羽織の裄をそろえて、紐を結んだ。 「いやじつはぼくも疲れた。またあした天気のいい時にやりましょう。まあお茶でも飲んでゆっくりなさい」  夕暮れには、まだ間があった。けれども美禰子は少し用があるから帰るという。三四郎も留められたが、わざと断って、美禰子といっしょに表へ出た。日本社会状態で、こういう機会を、随意に造ることは、三四郎にとって困難である三四郎はなるべくこの機会を長く引き延ばして利用しようと試みた。それで比較的人の通らない、閑静な曙町を一回り散歩しようじゃないかと女をいざなってみた。ところが相手は案外にも応じなかった。一直線に生垣の間を横切って、大通りへ出た。三四郎は、並んで歩きながら、 「原口さんもそう言っていたが、本当にどうかしたんですか」と聞いた。 「私?」と美禰子がまた言った。原口さんに答えたと同じことである三四郎が美禰子を知ってから、美禰子はかつて、長い言葉を使ったことがない。たいていの応対は一句か二句で済ましている。しかもはなはだ簡単ものにすぎない。それでいて、三四郎の耳には一種の深い響を与える。ほとんど他の人からは、聞きうることのできない色が出る。三四郎はそれに敬服した。それを不思議がった。 「私?」と言った時、女は顔を半分ほど三四郎の方へ向けた。そうして二重瞼の切れ目から男を見た。その目には暈がかかっているように思われた。いつになく感じがなまぬるくきた。頬の色も少し青い。 「色が少し悪いようです」 「そうですか」  二人は五、六歩無言で歩いた。三四郎はどうともして、二人のあいだにかかった薄い幕のようなものを裂き破りたくなった。しかしなんといったら破れるか、まるで分別が出なかった。小説などにある甘い言葉は使いたくない。趣味のうえからいっても、社交上若い男女の習慣としても、使いたくない。三四郎事実上不可能の事を望んでいる。望んでいるばかりではない。歩きながら工夫している。  やがて、女のほうから口をききだした。 「きょう何か原口さんに御用がおありだったの」 「いいえ、用事はなかったです」 「じゃ、ただ遊びにいらしったの」 「いいえ、遊びに行ったんじゃありません」 「じゃ、なんでいらしったの」  三四郎はこの瞬間を捕えた。 「あなたに会いに行ったんです」  三四郎はこれで言えるだけの事をことごとく言ったつもりである。すると、女はすこしも刺激に感じない、しかも、いつものごとく男を酔わせる調子で、 「お金は、あすこじゃいただけないのよ」と言った。三四郎がっかりした。  二人はまた無言で五、六間来た。三四郎は突然口を開いた。 「本当は金を返しに行ったのじゃありません」  美禰子はしばらく返事をしなかった。やがて、静かに言った。 「お金は私もいりません。持っていらっしゃい」  三四郎は堪えられなくなった。急に、 「ただ、あなたに会いたいから行ったのです」と言って、横に女の顔をのぞきこんだ。女は三四郎を見なかった。その時三四郎の耳に、女の口をもれたかすかなため息が聞こえた。 「お金は……」 「金なんぞ……」  二人の会話は双方とも意味をなさないで、途中で切れた。それなりで、また小半町ほど来た。今度は女からしかけた。 「原口さんの絵を御覧になって、どうお思いなすって」  答え方がいろいろあるので、三四郎は返事をせずに少しのあいだ歩いた。 「あんまりでき方が早いのでお驚きなさりゃしなくって」 「ええ」と言ったが、じつははじめて気がついた。考えると、原口広田先生の所へ来て、美禰子の肖像をかく意志をもらしてから、まだ一か月ぐらいにしかならない。展覧会で直接に美禰子に依頼していたのは、それよりのちのことである三四郎は絵の道に暗いから、あんな大きな額が、どのくらいな速度で仕上げられるものか、ほとんど想像のほかにあったが、美禰子から注意されてみると、あまり早くできすぎているように思われる。 「いつから取りかかったんです」 「本当に取りかかったのは、ついこのあいだですけれども、そのまえから少しずつ描いていただいていたんです」 「そのまえって、いつごろからですか」 「あの服装でわかるでしょう」  三四郎は突然として、はじめて池の周囲で美禰子に会った暑い昔を思い出した。 「そら、あなた、椎の木の下にしゃがんでいらしったじゃありませんか」 「あなた団扇をかざして、高い所に立っていた」 「あの絵のとおりでしょう」 「ええ。あのとおりです」  二人は顔を見合わした。もう少しで白山の坂の上へ出る。  向こうから車がかけて来た。黒い帽子かぶって、金縁の眼鏡を掛けて、遠くから見ても色光沢のいい男が乗っている。この車が三四郎の目にはいった時から、車の上の若い紳士は美禰子の方を見つめているらしく思われた。二、三間先へ来ると、車を急にとめた。前掛けを器用にはねのけて、蹴込みから飛び降りたところを見ると、背のすらりと高い細面のりっぱな人であった。髪をきれいにすっている。それでいて、まったく男らしい。 「今まで待っていたけれども、あんまりおそいから迎えに来た」と美禰子のまん前に立った。見おろして笑っている。 「そう、ありがとう」と美禰子も笑って、男の顔を見返したが、その目をすぐ三四郎の方へ向けた。 「どなた」と男が聞いた。 「大学小川さん」と美禰子が答えた。  男は軽く帽子を取って、向こうから挨拶をした。 「はやく行こう。にいさんも待っている」  いいぐあい三四郎追分へ曲がるべき横町の角に立っていた。金はとうとう返さずに別れた。

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一一

 このごろ与次郎学校文芸協会切符を売って回っている。二、三日かかって、知った者へはほぼ売りつけた様子である与次郎それから知らない者をつかまえることにした。たいていは廊下でつかまえる。するとなかなか放さない。どうかこうか、買わせてしまう。時には談判中にベルが鳴って取り逃すこともある。与次郎はこれを時利あらずと号している。時には相手が笑っていて、いつまでも要領を得ないことがある。与次郎はこれを人利あらずと号している。ある時便所から出て来た教授をつかまえた。その教授ハンケチで手をふきながら、今ちょっとと言ったまま急いで図書館はいってしまった。それぎりけっして出て来ない。与次郎はこれを――なんとも号しなかった。後影を見送って、あれは腸カタルに違いないと三四郎に教えてくれた。

 与次郎切符販売方を何枚頼まれたのかと聞くと、何枚でも売れるだけ頼まれたのだと言う。あまり売れすぎて演芸場はいりきれない恐れはないかと聞くと、少しはあると言う。それでは売ったあとで困るだろうと念をおすと、なに大丈夫だ、なかに義理で買う者もあるし、事故で来ないのもあるし、それからカタルも少しはできるだろうと言って、すましている。

 与次郎切符を売るところを見ていると、引きかえに金を渡す者からはむろん即座に受け取るが、そうでない学生にはただ切符だけ渡している。気の小さい三四郎が見ると、心配になるくらい渡して歩く。あとから思うとおりお金が寄るかと聞いてみると、むろん寄らないという答だ。几帳面わずか売るよりも、だらしなくたくさん売るほうが、大体のうえにおいて利益からこうすると言っている。与次郎はこれをタイムス社が日本百科全書を売った方法比較している。比較だけはりっぱに聞こえたが、三四郎はなんだか心もとなく思った。そこで一応与次郎に注意した時に、与次郎の返事はおもしろかった。

相手東京帝国大学学生だよ」

いくら学生だって、君のように金にかけるとのん気なのが多いだろう」

「なに善意に払わないのは、文芸協会のほうでもやかましくは言わないはずだ。どうせいくら切符が売れたって、とどのつまり協会借金になることは明らかだから

 三四郎は念のため、それは君の意見か、協会意見かとただしてみた。与次郎は、むろんぼくの意見であって、協会意見であるとつごうのいいことを答えた。

 与次郎の説を聞くと、今度は演芸会を見ない者は、まるでばかのような気がする。ばかのような気がするまで与次郎講釈をする。それが切符を売るためだか、じっさい演芸会を信仰しているためだか、あるいはただ自分の景気をつけて、かねて相手の景気をつけ、次いでは演芸会の景気をつけて、世上一般空気をできるだけにぎやかにするためだか、そこのところがちょっと明晰に区別が立たないものから相手はばかのような気がするにもかかわらず、あまり与次郎の感化をこうむらない。

 与次郎第一に会員の練習に骨を折っている話をする。話どおりに聞いていると、会員の多数は、練習の結果として、当日前に役に立たなくなりそうだ。それから背景の話をする。その背景が大したもので、東京にいる有為青年画家をことごとく引き上げて、ことごとく応分の技倆を振るわしたようなことになる。次に服装の話をする。その服装が頭から足の先まで故実ずくめにでき上がっている。次に脚本の話をする。それが、みんな新作で、みんなおもしろい。そのほかいくらでもある。

 与次郎広田先生原口さんに招待券を送ったと言っている。野々宮兄妹と里見兄妹には上等の切符を買わせたと言っている。万事が好都合だと言っている。三四郎与次郎のために演芸万歳を唱えた。

 万歳を唱える晩、与次郎三四郎下宿へ来た。昼間とはうって変っている。堅くなって火鉢そばへすわって寒い寒いと言う。その顔がただ寒いのではないらしい。はじめは火鉢へ乗りかかるように手をかざしていたが、やがて懐手になった。三四郎与次郎の顔を陽気にするために、机の上のランプを端から端へ移した。ところが与次郎は顎をがっくり落して、大きな坊主頭だけを黒く灯に照らしている。いっこうさえない。どうかしたかと聞いた時に、首をあげてランプを見た。

「この家ではまだ電気を引かないのか」と顔つきにはまったく縁のないことを聞いた。

「まだ引かない。そのうち電気にするつもりだそうだ。ランプは暗くていかんね」と答えていると、急に、ランプのことは忘れたとみえて、

「おい、小川、たいへんな事ができてしまった」と言いだした。

 一応理由を聞いてみる。与次郎は懐から皺だらけの新聞を出した。二枚重なっている。その一枚をはがして、新しく畳み直して、ここを読んでみろと差しつけた。読むところを指の頭で押えている。三四郎は目をランプのそばへ寄せた。見出し大学の純文科とある

 大学外国文学科は従来西洋人担当で、当事者はいっさいの授業を外国教師に依頼していたが、時勢の進歩と多数学生の希望に促されて、今度いよいよ本邦人講義必須課目として認めるに至った。そこでこのあいだじゅうから適当人物を人選中であったが、ようやく某氏に決定して、近々発表になるそうだ。某氏は近き過去において、海外留学の命を受けたことのある秀才から至極適任だろうという内容である

広田先生じゃなかったんだな」と三四郎与次郎を顧みた。与次郎はやっぱり新聞の上を見ている。

「これはたしかなのか」と三四郎がまた聞いた。

「どうも」と首を曲げたが、「たいてい大丈夫だろうと思っていたんだがな。やりそくなった。もっともこの男がだいぶ運動をしているという話は聞いたこともあるが」と言う。

しかしこれだけじゃ、まだ風説じゃないか。いよいよ発表になってみなければわからないのだから

「いや、それだけならむろんかまわない。先生関係したことじゃないから、しかし」と言って、また残りの新聞を畳み直して、標題を指の頭で押えて、三四郎の目の下へ出した。

 今度の新聞にもほぼ同様の事が載っている。そこだけはべつだんに新しい印象を起こしようもないが、そのあとへ来て、三四郎は驚かされた。広田先生がたいへんな不徳義漢のように書いてある。十年間語学教師をして、世間には杳として聞こえない凡材のくせに、大学で本邦人外国文学講師を入れると聞くやいなや、急にこそこそ運動を始めて、自分の評判記を学生間に流布した。のみならずその門下生をして「偉大なる暗闇」などという論文を小雑誌に草せしめた。この論文零余子なる匿名のもとにあらわれたが、じつは広田の家に出入する文科大学小川三四郎なるものの筆であることまでわかっている。と、とうとう三四郎名前が出て来た。

 三四郎は妙な顔をして与次郎を見た。与次郎はまえから三四郎の顔を見ている。二人ともしばらく黙っていた。やがて、三四郎が、

「困るなあ」と言った。少し与次郎を恨んでいる。与次郎は、そこはあまりかまっていない。

「君、これをどう思う」と言う。

「どう思うとは」

「投書をそのまま出したに違いない。けっして社のほうで調べたものじゃない。文芸時評の六号活字の投書にこんなのが、いくらでも来る。六号活字ほとんど罪悪のかたまりだ。よくよく探ってみると嘘が多い。目に見えた嘘をついているのもある。なぜそんな愚な事をやるかというとね、君。みんな利害問題動機になっているらしい。それでぼくが六号活字を受持っている時には、性質のよくないのは、たいてい屑籠へ放り込んだ。この記事もまったくそれだね。反対運動の結果だ」

「なぜ、君の名が出ないで、ぼくの名が出たものだろうな」

 与次郎は「そうさ」と言っている。しばらくしてから

「やっぱり、なんだろう。君は本科生でぼくは選科生だからだろう」と説明した。けれども三四郎には、これが説明にもなんにもならなかった。三四郎は依然として迷惑である

「ぜんたいぼくが零余子なんてけちな号を使わずに、堂々と佐々木与次郎署名しておけばよかった。じっさいあの論文佐々木与次郎以外に書ける者は一人もないんだからなあ」

 与次郎はまじめである三四郎に「偉大なる暗闇」の著作権を奪われて、かえって迷惑しているのかもしれない。三四郎はばかばかしくなった。

「君、先生に話したか」と聞いた。

「さあ、そこだ。偉大なる暗闇の作者なんか、君だって、ぼくだって、どちらだってかまわないが、こと先生人格関係してくる以上は、話さずにはいられない。ああい先生から、いっこう知りません、何か間違いでしょう、偉大なる暗闇という論文雑誌に出ましたが、匿名です、先生の崇拝者が書いたものですから安心なさいくらいに言っておけば、そうかで、すぐ済んでしまうわけだが、このさいそうはいかん。どうしたってぼくが責任を明らかにしなくっちゃ。事がうまくいって、知らん顔をしているのは、心持ちがいいが、やりそくなって黙っているのは不愉快でたまらない。第一自分が事を起こしておいて、ああいう善良な人を迷惑状態に陥らして、それで平気に見物がしておられるものじゃない。正邪曲直なんてむずかしい問題は別として、ただ気の毒で、いたわしくっていけない」

 三四郎ははじめて与次郎を感心な男だと思った。

先生新聞を読んだんだろうか」

「家へ来る新聞にゃない。だからぼくも知らなかった。しか先生学校へ行っていろいろな新聞を見るからね。よし先生が見なくってもだれか話すだろう」

「すると、もう知ってるな」

「むろん知ってるだろう」

「君にはなんとも言わないか

「言わない。もっともろくに話をする暇もないんだから、言わないはずだが。このあいから演芸会の事でしじゅう奔走しているものから――ああ演芸会も、もういやになった。やめてしまおうかしらん。おしろいをつけて、芝居なんかやったって、何がおもしろものか」

先生に話したら、君、しかられるだろう」

しかられるだろう。しかられるのはしかたがないが、いかにも気の毒でね。よけいな事をして迷惑をかけてるんだから。――先生道楽のない人でね。酒は飲まず、煙草は」と言いかけたが途中でやめてしまった。先生哲学を鼻から煙にして吹き出す量は月に積もると、莫大なものである

煙草だけはかなりのむが、そのほかになんにもないぜ。釣りをするじゃなし、碁を打つじゃなし、家庭の楽しみがあるじゃなし。あれがいちばんいけない。子供でもあるといいんだけれども。じつに枯淡だからなあ」

 与次郎はそれで腕組をした。

「たまに、慰めようと思って、少し奔走すると、こんなことになるし。君も先生の所へ行ってやれ」

「行ってやるどころじゃない。ぼくにも多少責任があるから、あやまってくる」

「君はあやまる必要はない」

「じゃ弁解してくる」

 与次郎はそれで帰った。三四郎は床にはいってからたびたび寝返りを打った。国にいるほうが寝やす心持ちがする。偽りの記事――広田先生――美禰子――美禰子を迎えに来て連れていったりっぱな男――いろいろの刺激がある。

 夜中からぐっすり寝た。いつものように起きるのが、ひどくつらかった。顔を洗う所で、同じ文科の学生に会った。顔だけは互いに見知り合いである。失敬という挨拶のうちに、この男は例の記事を読んでいるらしく推した。しかし先方ではむろん話頭を避けた。三四郎も弁解を試みなかった。

 暖かい汁の香をかいでいる時に、また故里の母から書信に接した。また例のごとく、長かりそうだ。洋服を着換えるのがめんどうだから、着たままの上へ袴をはいて、懐へ手紙を入れて、出る。戸外は薄い霜で光った。

 通りへ出ると、ほとんど学生ばかり歩いている。それが、みな同じ方向へ行く。ことごとく急いで行く。寒い往来は若い男の活気でいっぱいになる。そのなかに霜降り外套を着た広田先生の長い影が見えた。この青年の隊伍に紛れ込んだ先生は、歩調においてすでに時代錯誤である。左右前後比較するとすこぶる緩漫に見える。先生の影は校門のうちに隠れた。門内に大きな松がある。巨大の傘のように枝を広げて玄関をふさいでいる。三四郎の足が門前まで来た時は、先生の影がすでに消えて、正面に見えるものは、松と、松の上にある時計台ばかりであった。この時計台時計は常に狂っている。もしくは留まっている。

 門内をちょっとのぞきこんだ三四郎は、口の中で「ハイドリオタフヒア」という字を二度繰り返した。この字は三四郎の覚えた外国語のうちで、もっとも長い、またもっともむずかしい言葉の一つであった。意味はまだわからない。広田先生に聞いてみるつもりでいる。かつて与次郎に尋ねたら、おそらくダーターファブラのたぐいだろうと言っていた。けれども三四郎からみると二つのあいだにはたいへんな違いがある。ダーターファブラはおどるべき性質のものと思える。ハイドリオタフヒアは覚えるのにさえ暇がいる。二へん繰り返すと歩調がおのずから緩漫になる。広田先生の使うために古人が作っておいたような音がする。

 学校へ行ったら、「偉大なる暗闇」の作者として、衆人の注意を一身に集めている気色がした。戸外へ出ようとしたが、戸外は存外寒いから廊下にいた。そうして講義あいだに懐から母の手紙を出して読んだ。

 この冬休みには帰って来いと、まるで熊本にいた当時と同様な命令がある。じつは熊本にいた時分にこんなことがあった。学校休みになるか、ならないのに、帰れという電報が掛かった。母の病気に違いないと思い込んで、驚いて飛んで帰ると、母のほうではこっちに変がなくって、まあ結構だったといわぬばかりに喜んでいる。訳を聞くと、いつまで待っていても帰らないから、お稲荷様へ伺いを立てたら、こりゃ、もう熊本をたっているという御託宣であったので、途中でどうかしはせぬだろうかと非常に心配していたのだと言う。三四郎はその当時を思いだして、今度もまた伺いを立てられることかと思った。しか手紙にはお稲荷様のことは書いてない。ただ三輪田のお光さんも待っていると割注みたようなものがついている。お光さんは豊津の女学校をやめて、家へ帰ったそうだ。またお光さんに縫ってもらった綿入れが小包で来るそうだ。大工の角三が山で賭博を打って九十八円取られたそうだ。――そのてんまつが詳しく書いてある。めんどうだからいかげんに読んだ。なんでも山を買いたいという男が三人連で入り込んで来たのを、角三が案内をして、山を回って歩いているあいだに取られてしまったのだそうだ。角三は家へ帰って、女房にいつのまに取られたかからないと弁解した。すると、女房がそれじゃお前さん眠り薬でもかがされたんだろうと言ったら、角三が、うんそういえばなんだかかいだようだと答えたそうだ。けれども村の者はみんな賭博をして巻き上げられたと評判している。いなかでもこうだから東京にいるお前なぞは、本当によく気をつけなくてはいけないという訓誡がついている。

 長い手紙を巻き収めていると、与次郎そばへ来て、「やあ女の手紙だな」と言った。ゆうべよりは冗談をいうだけ元気がいい。三四郎は、

「なに母からだ」と、少しつまらなそうに答えて、封筒ごと懐へ入れた。

里見お嬢さんからじゃないのか」

「いいや」

「君、里見お嬢さんのことを聞いたか

「何を」と問い返しているところへ、一人の学生が、与次郎に、演芸会の切符をほしいという人が階下に待っていると教えに来てくれた。与次郎はすぐ降りて行った。

 与次郎はそれなり消えてなくなった。いくらつらまえようと思っても出て来ない。三四郎はやむをえず精出して講義を筆記していた。講義が済んでから、ゆうべの約束どおり広田先生の家へ寄る。相変らず静かである先生茶の間に長くなって寝ていた。ばあさんに、どうかなすったのかと聞くと、そうじゃないのでしょう、ゆうべあまりおそくなったので、眠いと言って、さっきお帰りになると、すぐに横におなりなすったのだと言う。長いからだの上に小夜着が掛けてある。三四郎は小さな声で、またばあさんに、どうして、そうおそくなったのかと聞いた。なにいつでもおそいのだが、ゆうべのは勉強じゃなくって、佐々木さんと久しくお話をしておいでだったという答である勉強佐々木に代ったから、昼寝をする説明にはならないが、与次郎が、ゆうべ先生に例の話をした事だけはこれで明瞭になった。ついでに与次郎が、どうしかられたかを聞いておきたいのだが、それはばあさんが知ろうはずがないし、肝心の与次郎学校で取り逃してしまたかしかたがない。きょうの元気のいいところをみると、大した事件にはならずに済んだのだろう。もっと与次郎心理現象はとうてい三四郎にはわからないのだから、じっさいどんなことがあったか想像はできない。

 三四郎は長火鉢の前へすわった。鉄瓶がちんちん鳴っている。ばあさんは遠慮をして下女部屋へ引き取った。三四郎はあぐらをかいて、鉄瓶に手をかざして、先生の起きるのを待っている。先生は熟睡している。三四郎は静かでいい心持ちになった。爪で鉄瓶をたたいてみた。熱い湯を茶碗についでふうふう吹いて飲んだ。先生は向こうをむいて寝ている。二、三日まえに頭を刈ったとみえて、髪がはなはだ短かい。髭のはじが濃く出ている。鼻も向こうを向いている。鼻の穴がすうすう言う。安眠だ。

 三四郎は返そうと思って、持って来たハイドリオタフヒアを出して読みはじめた。ぽつぽつ拾い読みをする。なかなかわからない。墓の中に花を投げることが書いてある。ローマ人薔薇を affect すると書いてある。なんの意味だかよく知らないが、おおかた好むとでも訳するんだろうと思った。ギリシア人は Amaranth を用いると書いてある。これも明瞭でない。しか花の名には違いない。それから少しさきへ行くと、まるでわからなくなった。ページから目を離して先生を見た。まだ寝ている。なんでこんなむずかしい書物自分に貸したものだろうと思った。それから、このむずかしい書物が、なぜわからないながらも、自分の興味をひくのだろうと思った。最後広田先生は必竟ハイドリオタフヒアだと思った。

2024-09-20

相手の姓を選択したい」と言ったら、母から絶縁された

結婚するにあたって「相手の姓を選択したい」と言ったら、母から絶縁された。

相手の姓にしたいと思った理由は単純だ。まず、相手の姓のほうが珍しいから。そして、相手が「できれば姓を変えたくない」と言ったからだ。

私の苗字は全国でも有数のメジャーネームであり、日本に数百万人くらいる。対して相手の姓は全国に1万人くらいだ。

相手は「苗字とセットで自分名前愛着があるから、できれば今のままがいいな」と言った。

「うむ、私は特に自分の姓にこだわりはないし、レアなほうが良かろう。好きな人希望で、好きな人の姓になるのも大歓迎だ」

ということで、二人の間で合意した。

母への最初の連絡は、LINEだった。「相手の姓にしたいと思っているが、私が姓を変えることに何か差しさわりがあるか」と聞いた。すると、「苗字には何のこだわりもないけど、長男相手の姓にするのは相当抵抗がある」、「男が相手の姓にするのは絶縁覚悟の時では」と返ってきた。

私は姓の選択など「法的にどちらにするかを話し合って決めるだけ」くらいの話にしか思っていなかったので、大変驚いた。

「え、男が苗字を変えるのってそんな意味があるのか」と母に問うたところ、「周りにも聞いてみな」と返ってきた。ここから日本における氏姓制度のこれまでを辿る座学が始まった。

しかし「どちらを選択するかによって一方に社会的不利益が発生する」という話はいっこう見当たらない。調べれば調べるほど「制度上はどちらかの姓を選択すればよい」という結論に至るばかりである

にもかかわらず、日本では現状95%が夫の姓を選択しているという。「どちらかを選べばよい」とされているのに、この異様とも言える偏りはどこからくるのか、まったく謎である

さらに調べると、「結婚したら夫の姓にするもの」という考え方は、どうやら戦前の「家制度」のなごりであるらしいことが見えてきた。

制度では「結婚すると妻は夫の『家』に入り、夫の『家の呼称である氏を名乗る」ことが義務付けられていた。しかし、この家制度自体男女平等原則に反するということで、戦後日本国憲法公布とともに撤廃されている。その上で、制度上は「どちらかの姓を選べばよい」という今の形になったのだ。しかし、なんかよくわからないけど「結婚したら夫の姓にするもの」という考え方だけが令和に至るまで残っちゃっているわけだ。

まり、母が「相手の姓にすることに抵抗感がある」とする根拠精神的なものであることがわかった。「なぁんだ、じゃあやっぱどっちでもいいんじゃん」と安心した。

後日、母と焼き肉に行ったタイミングで「あの話はどうなったのか」と聞かれたので「いろいろ調べた結果、特になんら問題はなさそうだから相手の姓にすることにした」と改めて伝えた。すると、「ならば絶縁する」「もうアンタはウチの子じゃない」「向こうは家に挨拶に来なくてもいいし、私も両家の顔合わせにもいかない」などと言われた。大変面食らった。

こうなると、私も私で、根拠のない拒絶にいささか腹が立つ。たか苗字を変えるくらいで崩れるような親子関係なんてやめてしまえ。帰宅後、怒りのままに父に電話し、事のいきさつを話した。

父は「姓は二人で話し合って決めればいい」と言った。父は法律関係仕事をしていることもあってか、姓の選択の自由には理解を示してくれた。同時に「しかし、母が姓にそこまでこだわっているとは思わなんだ」と驚いてもいた。

それもそのはず、これまで三十年以上家族をやってきて、母の口から「お前は長男なんだから今の姓を継ぐんだよ」といった話は一度も出たことがない。

さて、とはいえ「じゃあ母のことはほっといて結婚手続きを進めましょ」という訳にもいかない。

今度は相手実家に行き、先方の両親に「母が姓の選択に大反対している」ということを正直に伝えた。すると先方の両親から

「姓の選択は二人の話だから二人で話し合って決めればよいと思う。しかし、制度上は問題なくとも、今のままだと自分の娘が一方的に悪い立場にあるし、私たちとて家族ぐるみの付き合いの最初から断絶状態スタートするのは遺憾である。ご両親とちゃんと話し合って、双方納得した上でないと、次のステップに進むことを認めるわけにはいかない」

と言われた。ご至極ごもっともだと思った。

私はぶっちゃけ価値観の違いから来る意見の食い違いなんて埋めようと思って埋まるものでもないから、母のことなど放っておけばよい」と考えていたが、先方の両親が心配しているとなると話は別だ。

とはいえ、母も私も良い大人である。こう言っちゃなんだが、この話が出る前までは、私と母の関係はいたって良好だった。焼き肉屋では売り言葉に買い言葉で「絶縁だ」「ウチの子じゃない」などと話したのであって、直接会って落ち着いて話せばきっと分かってくれるだろう。なんだかんだ家族なのだから

そう思って、母に連絡を取って直接話すことにした。しかし、LINEではなく手紙で「直接会って改めて話がしたい」と送るも、父づてに「会う気はないって」と断られる。聞けば、母は焼き肉屋以来私のLINEブロックしているらしい。仕方がないので、父を通じて母にこちらの意向と「とにかく一度話したい」ということを伝えてもらうも、これまた断られる。

「かくなる上は私が実家に直接乗り込む他あるまいな」と思ったタイミングで、なんと母からLINEが来た。

「姓の選択は好きにすればいい。ただ、焼肉屋で絶縁されたことが分かってないみたいだからもう一度言うけど、一度降ろしたシャッターは二度と開けないし、もう実家の敷居も跨がせない」

と来た。ほぼ原文ママである。どうやら、母は本気で絶縁した気でいたようなのださら

相手には、今どき夫婦別姓とかペンネームとか旧姓を使い続ける選択肢がいろいろある中、個人的理由相手家族関係をぶっこわしてまで姓を貫き通したという自覚を持ってほしい」

とあった。こちらもほぼ原文ママである

いや、家族関係を進んでぶっ壊したのは我々のほうだし、「旧姓を使い続ける選択肢がいろいろある中~」以降の内容はそっくりそのまま私にも当てはまる話であって、それが特大のブーメランになっていることにも気づいていないのだろうか。

とにもかくにも、母から直接連絡が来たことで、向こうの意向は分かった。

からは「母の意向は分かったけど、なんで私が姓を変えることがそこまで嫌なのか、理由全然からない。これが最後になっても良いので、理由だけでも教えてほしい」と返した。

同時に、この返信も母は読まない可能性があるので、父には「私から送ったメッセージを母に伝えてほしい」と別途伝えた。しかし、今度は父からも「もうこれ以上は関与しない」と連絡が来た。ここにきて父からハシゴを外されるとは思ってなかったのでまた面食らったが、「そこをなんとか伝えてくれ」と食い下がったところ、父は母に「息子が理由を知りたいと言っている」ということは伝えてくれたらしい。

最後メッセージを送ってから1か月後、母から返信はない。

この一連の出来事を、先方の両親にも正直に話した。

最初はなんとか話し合いで解決を、と言ったが、ご両親の反応を見る限り難しそうなので、もう二人で先に進むしかないのでは」

とのことだった。

これを以て、私は自分から両親に働きかけるのを止めることにした。そのまま今年の12月まで待って、特に向こうからなんのリアクションもなければ、そのまま結婚に進む心づもりだ。

「結局どっちの姓にしたいか」という今の気持ちをここに書くつもりはない。

「結局どっちの姓にしたか」ということを後日どこかで発表するつもりもない。

ただ

結婚するにあたって「相手の姓を選択したい」と言ったら、母から絶縁された。

この一文が「昔はそんなおかしなことがあったんだね。今からは考えられないな」と笑い話になるような未来が来ると良いなと思う。

2024-09-14

anond:20240911175645

リベラル派の主張と構造主義、そして自由意志関係について、いくつかの重要な誤解があるように見受けられます

まず、論理の飛躍が見られます。元の議論は、「思考言語によって行われ、言語文法というルール構造)による制限を受けるのだから自由意志など存在しえない」という主張と同等です。これは構造の影響を過大評価し、自由意志可能性を不当に否定しています

次に、「構造的要因を持ち出さないとアファーマティブアクションは主張できないだろう」という指摘がありますが、ここで言う構造的要因が構造主義でいう「構造」と同一であるという前提は誤りです。構造主義の「構造」とは、「異なる文化時代を超えて共通する、普遍的構造」を指します。一方、大学進学率や人種経済問題などは社会によって大きく状況が異なり、必ずしも普遍的構造とは言えません。

しろリベラル立場構造的要因を考慮した実存主義者と捉えるべきでしょう。彼らは社会構造問題認識しつつ、個人選択責任も重視します。構造主義普遍的構造を解き明かした瞬間から、その構造を知った上でそれに従うかどうかという判断責任が生まれ、その時点でその構造普遍性は相対化されます

さらに、構造自由意志は必ずしも二者択一ではありません。社会構造個人選択に影響を与えることは認めつつ、その影響の中でも個人一定選択余地を持つという見方可能です。これは決定論自由意志の両立可能性という哲学的立場に近いものです。

また、リベラル派の主張する「自由意志」は、必ずしも絶対的自由意味するわけではありません。むしろ、与えられた条件の中での相対的選択自由を指すことが多いのです。アファーマティブアクションなどの政策は、この相対的選択自由を拡大するための試みと解釈できます

最後に、「リベラル派」という言葉で一括りにすることの問題性も指摘すべきです。リベラル思想には多様な立場があり、すべてが同じ見解を持っているわけではありません。

結論として、構造的要因の認識自由意志尊重は、必ずしも矛盾するものではありません。むしろ社会構造問題認識した上で、個人選択責任を重視するという立場こそ、多くのリベラル派の真の主張であると考えられます。この問題に対するより深い理解のためには、哲学的考察経験証拠の両方を踏まえた慎重な検討必要です。

2024-08-21

anond:20240821123901

まり女性選択の自由が与えられた結果、これまではできなかった下位男性の切り捨てができるようになったので

これから女性自由が増すほど切り捨てられる男性は増えるし、その潮流が逆行することはないってことだよね

anond:20240821123346

女性選択の自由がなかった時代、乏しかった時代比較してもしょうがない。

女性にも男性と同様の選択の自由がある、は当然の出発点。

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