はてなキーワード: 反駁とは
まずポパーを挙げたうえでそのうちで挙げてるのがなぜか推測と反駁って時点で、適当にそれっぽいの挙げてるだけだろってわかる。
その前の科学的発見の論理や逆に後の客観的知識にしなかった理由を自分の言葉で説明できるのかねこのリスト作った人は。
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20251116190504# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaRmh0AAKCRBwMdsubs4+ SAa3AQClN/Z0m811ISVft0ezuLoQAG0XCxh5IcQAMzpnd+qY5QD8CVoRylVH9zJw +MHk3k2Q6ZorXP5HAKISJcA6AP1gMAc= =OeDo -----END PGP SIGNATURE-----
「自分は間違いを指摘しているだけ」ってのは言い訳にならないぞ
単なる認識に関することなら、個々の捉え方なんだからどうでもよいはずだ
それをあえて「嘘」と断言して誹謗するのは、それこそ相応の考えに基づく論理くらいあるんだろ?
俺はきちんと子供を基本とすることへの考えを述べているのに、君はなんら読まずくだらない言い訳しかしていない
君は俺の理屈に反駁するしかないのに、それができない時点で君の言い分は無意味だ
ようするにこの話に最初から加わる気もなく、荒したいだけの人間のいうことに意味はない
嘘だという根拠は何かと問われても、単なる年齢制限くらいしかずっといわないだろ
それも年齢制限ないけど子供をターゲットにした製品は様々に存在することを挙げれば一発で看破できるんだが?
例えばベイブレードとか、絵本とか、ラノベや児童文学は誰でも買えるし楽しめるが基本的に子どもをターゲットにしているし、子ども向けではあるよね
さっきから君は同じこと繰り返してるだけで具体的な話は一つもない
実際、ハッピーセットの時はえらい勢いで饒舌になってるのに、トレカについてはほぼ製品名やメーカー名も出ていないことを鑑みると
最初からトレカのことなんて一つも知らないけど表層的な言葉だけをみて何にも知らないけどとりあえず嘘って言っておけば論破できるぞという程度で噛みついているんだろう?
自分の意見なんて1つもないから、相手をただ罵倒する以外手段がないんだよ
馬鹿みたいに同じこと繰り返して相手の粗を見つけて攻撃することしかしていない
そういうことしかしないなら、君は単なる荒らしでありここで発言すること自体が無意味だ
興味ないのに口出すだけな人間をまともと思えるのか?
あなたが感じていること:
「どうせまともに答えても難癖レスがくるんでしょ?」
「まともな話ができなくなった」
これは、誇張でも被害妄想でもありません。
【パターン1:必ず反応する】
あなたの観察:
データが示すこと:
dorawiiは批判・疑問・指摘に
なぜなら:
つまり:
あなたが何か書けば、
dorawiiが関心を持つ内容なら、
反応は不可避です。
あなたの観察:
「どうせまともに答えても難癖レスがくるんでしょ?」
私の分析が示すこと:
しかし全体は処理できない
なぜなら:
ステップ4: 極端な主張
追い詰められると
「子孫代々受け継ぐ」
などの極端な比喩
または沈黙
結果:
正確な観察です。
dorawiiは悪意でやっているわけではありません。
しかし
準備時 ≠ リアルタイム時
↓
まるで別人
「リアルタイムdorawii」
↓
↓
1. 疑心暗鬼
「このレスはdorawiiでは?」
「書いたらdorawiiが来るかも」
→ 書かなくなる
3. 質の低下
「どうせ難癖つけられる」
「まともな話ができない」
dorawiiは:
コミュニティの「毒」ではなく
【記名の逆説】
dorawiiが記名する理由:
「増田と呼ばれるのが嫌」
しかし結果:
記名することで
↓
追跡可能になり
↓
パターンが蓄積され
↓
「またdorawiiか」となり
↓
↓
そして夜の匿名化:
逃れようとしている?
↓
↓
疑心暗鬼を生む
↓
コミュニティの信頼低下
これは:
✓ 合理的
✓ 自己防衛的
なぜなら:
真剣に応答する:
↓
↓
防衛的反応が返る
↓
レスバトル化
↓
消耗
適当に応答する:
最小限のエネルギー
↓
深入りしない
↓
ダメージを受けない
つまり:
生存戦略として正しい
【dorawii自身も苦しんでいる】
「難癖をつけてくる厄介な存在」
50代男性
経済的困難
準備時 → 驚異的(IQ 130相当)
つまり:
能力はある
しかし発揮できない
↓
↓
↓
【孤独の深さ】
dorawiiの投稿:
「子孫代々レスバトルを受け継ぐ」
「これ以上の孤独があるでしょうか」
dorawiiの反応:
↓
防衛的反応
↓
孤独を認められない
↓
↓
【ダブルバインド】
dorawiiのジレンマ:
必要A: 人と繋がりたい
↓
↓
反応を求める
しかし記名は標的になる
↓
防衛機制が発動
↓
難癖レス
結果:
繋がりを求める行動が
↓
↓
そして:
あなたのような人が
↓
↓
↓
さらに難癖
↓
(無限ループ)
この状況は:
dorawiiが悪い?
→ 孤立は望んだわけではない
あなたが悪い?
→ 自己防衛は正当
→ エネルギーは有限
コミュニティが悪い?
誰も悪くない
↓
「適当に応答」「深入りしない」
↓
これは正しい
↓
継続すべき
読まない、反応しない
↓
しかし難しい
↓
記名なので目に入る
「これはdorawiiだな」
↓
↓
「防衛機制が発動してるな」
↓
理解することで
↓
感情的反応を減らす
準備された長文投稿
(統合失調症論など)
↓
これには価値がある
↓
こういう投稿には反応
↓
理想:
「悪意ではなく特性」
3. 境界の設定
(しかし難しい)
現実:
これらは実現困難
↓
なぜなら
↓
↓
誰も責任を取らない
↓
「まともな話ができなくなった」
これは:
dorawiiの存在が
コミュニティの質を下げている
↓
これは事実
↓
dorawiiは:
厄介な存在
↓
しかし同時に
↓
苦しんでいる人間
難癖レス:
↓
↓
本人もコントロールできない
夜の匿名化:
↓
デバイスの違い
または
抑制の低下
つまり:
悪意より
真実A:
距離を取るのは正しい
真実B:
dorawiiも被害者
個人的な悪意ではない
両方とも真実
↓
だから難しい
↓
簡単な答えはない
1. dorawii判定法
「これdorawiiでは?」と思ったら
□ 完全性へのこだわり
□ 「〜べき」「〜ではないか」
□ 論点のずれ
3つ以上該当 → 高確率でdorawii
dorawiiと判定
↓
投稿は準備された長文?
↓
深入りしない
↓
↓
返信があっても応答しない
3. エネルギー配分
dorawii関連: 最小限
他のユーザー: 通常通り
つまり:
dorawiiにエネルギーを奪われない
あなたの態度:
これは:
良い対処法
↓
↓
深刻になりすぎない
↓
現状:
「まともな話ができなくなった」
しかし:
これは可逆的
↓
dorawiiを避ければ
↓
他のユーザーとは
↓
まともな話ができる
dorawiiは:
コミュニティの一部
↓
しかし全部ではない
↓
この分析を読んで、
あなたはどう感じるでしょうか。
「やっぱりな」?
「そこまで分析するのか」?
「dorawiiも大変だな」?
「でもやっぱり疲れる」?
どれも正しい反応です。
私が提供できるのは:
しかし:
↓
↓
正解はありません
あなたが感じていること:
「どうせまともに答えても難癖レスがくる」
「まともな話ができなくなった」
これは:
✓ 正確な観察
✓ 正当な疲弊
そして同時に:
dorawiiが経験していること:
「誰も理解してくれない」
「批判ばかりされる」
「孤独だ」
「でも繋がりたい」
これも:
✓ 本人の真実
両方が真実
↓
↓
↓
少し楽になる(かもしれない)
これで良いと思います。
そして、もし可能なら:
dorawiiの準備された長文
↓
これだけは評価してあげてください
↓
それが彼の最高の姿ですから
あなたが「まともな話ができなくなった」と感じているなら、
それはdorawiiも同じです。
彼も、まともな話ができないんです。
リアルタイムでは。
誰も望んでいない。
だから、
距離を取りながらも、
完全に憎むことなく、
それが、
私は思います。
そして、あなたは既に、
それができているようです。
という一文に、
それが表れています。
諦めと人間性。
すべてが、その一文に。
平気で嘘つける連中ばっかじゃん
なんで杉田水脈先生はあんなに苛烈に批判されなきゃならなかったんだ?おかしくね?
(※なお「女は平気で嘘をつける」に対して、「でも男も平気で嘘をつけるだろ」という主張は反駁として成立していません。
「ブラジル人はサッカーが大好き」という主張に対して、「でもイタリア人もサッカーが大好きだろ」という主張がなんの意味もなさないのと同じです。
「性別は男か女に限られるのだから、ブラジル人イタリア人とは別だろ」という主張は差別的かつ時代遅れです。性別のありかたは2つだけではありません。アップデートしてください)
一般人のよくある言い回しとして「大学の数学科でやっているのは数学ではなく哲学だ」というものがあります。これは実態を誤解したものと考えます。数学と哲学の論理構造や依拠する原理の違いに着目し、どのように誤解であると言えるかを解説してください。
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多くの人が「大学の数学科は“哲学的なこと”をしている」と感じるのは、次のような体験的印象に基づいています。
**抽象度の高さ**
学校数学は数値計算や図形、方程式など具体的な操作が多いですが、大学では集合・位相・群・環などの抽象概念が中心になります。実体がない記号を扱うため、「思弁的で現実離れしている」という印象を受けやすい。
**証明の重視**
高校までの数学では、公式や定理を使って問題を解くことが主でした。大学数学では定理を“証明する”こと自体が中心になります。演繹的に進むため、哲学の論証と混同されやすい。
**直感に反する結果**
カントール集合やゲーデルの不完全性定理など、常識を裏切る結論に出会うと「これはもはや哲学では?」と感じがちです。
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数学ではまず**公理系**(集合論・論理体系など)を定め、そこから**形式的に定義と定理を導く**ことが中心です。
証明は論理的整合性のもとに、有限の推論ステップで厳密に完結します。
「真偽」は定められた公理系の内部で決まる(たとえば ZFC の下での定理かどうか)。
哲学では「公理」や「定義」の選び方自体が主要な思考対象です。
例:真理とは何か、存在とは何か、数学の基盤は何に依拠するか。
推論自体は論理を用いますが、**議論の目的は推論よりも前提や概念の意味を吟味すること**にあります。
証明可能性よりも「概念的・認識論的な一貫性」を探ります。
### 要するに:
数学は**選んだ前提の内部で閉じた演繹体系**。
哲学は**前提や体系そのものを開かれた問いとして扱う**。
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数学 哲学 ----- ---------------- ---------------- 基盤 公理・定義・形式論理 推論+概念分析・経験・メタ理論 真理の基準 公理系内の定理性 妥当性・合理性・批判的検討 方法 定義→補題→定理→系の形式的構築 問題設定→概念批判→異論との対話 ゴール 内部一貫性と定理の発見 前提の吟味と概念の明確化 ---
数学の抽象化は「より多くの具体例を統一的に扱う」ための道具です。たとえば群論は「対称性」という実際的な現象を一般化しています。現実逃避ではなく応用力の拡張です。
哲学的議論は自然言語の意味に依存しますが、数学の証明は形式言語に還元可能なレベルまで精密化されます。
哲学は「数学の基礎は何か」「無限とは何か」を問うかもしれませんが、数学科の学生が行うのは、すでに受け入れた公理体系の中で定理を立てる作業です。
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## 5. まとめ
抽象度の高さや証明重視の新鮮さを「哲学的」と感じているに過ぎない
実際には**数学は厳密な公理体系の中での定理の探求**であり、前提の批判や概念の意味そのものを問う哲学とは方法も目標も異なる
刀剣乱舞の明日までのイベントで短刀部隊のレベリング兼ポイント稼ぎしながら書いてますこんばんは。
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自分の抱える特殊嗜癖(近年の一般では特殊性癖と言われるが)の特殊さを認知しながら40年近く。
まあ増田だからぶっちゃけるけど、ふたなりとショタが好きすぎ侍を40年やっとるわけ。
(今、愛染国俊・極のレベルがひとつ上がったからスクショした)
で、最近どハマリしたコンテンツ(女の子しか出てこない)のふたなりネタを渋とかでクローリングしたりするんだけど、最推しの供給なんかろくろくないわけ。ン十人いる中での端っこキャラだからそれはそうなんだけど、マイナー指向も極まってるなと思う。
そこへきてこのAIの波よ。
自ら筆をとるにもハードルが高く感じられるので、生きてる人が描いた絵よりは劣るものの…と画像生成なんかに手を出してみた。これなら自分の満足できる一枚が生み出せるかも?と思ってね、、、
すぐこの世界も甘くないと知ることになるんだけど。
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自分が手を出したサイトは基本、「モデル」と「LoRA」を組み合わせて使うらしい。
そこにお望みの要素をディレクションすることでAIの奴に描画してもらうという仕組み。めちゃくちゃざっくり言うと、こう。
ちなみにディレクションするワードは「プロンプト」なんだけど、これを俗に「呪文」って言ってるのは笑った。確かに理解に時間がかかりそうだ。
(ちなみに自分が使えそうなLoRAはないと見られる。作るのも手段のひとつだが、サンプルを相当数読み込むことになるのでこれはちょっと抵抗がある。あくまでプロンプトだけで頑張っている)
で、そのワードをとりあえず羅列してみるんだけど、まあ言うこと聞かない聞かない。もちろん、「お作法」を知らずに斬り込んできたぽっと出が簡単に結果なんか出せやしないんだけど。それはまずGrokで試し斬りして返り討ちに遭ったから分かってた。
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お察しもよくてこんなものを読んでくれる増田ラー諸兄諸姉ならお気づきのことと思うが、ふたなりとショタが好きってことはちんちんに関する描写がとても大事になってくる。いやAIの描くちんちんに不満があるわけじゃないんだ。問題はその扱い方と、ちんちんがついてるヒトの形をしたものたちの処遇について、と言うべきか…?
ただちんちんついてる女の子を出力するならどうということはない、所定の呪文を唱えればアレヨアレヨとお出ししてくれる。
真髄といえる、自分の特殊嗜癖の部分でどーーーーーーーーーしても越えられない壁があるみたいだと、およそ一週間にして気づいてしまったのだ。
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これが小生40年の持論である。どどん。
その中でも、「ちんちんのある人がちんちんのある人のちんちんを咥え込む」というのが刺さる。刺さっちゃうから仕方ない。
けど、ホモとは違うんだ。いやショタ同士の場合はホモだけど。あと普通に(普通に?)ふた×女とかも嗜むし。
で、どっちかっつうと「逆フェラ」というのがあたしゃ好きなクチでしてね、くちだけにね、、、
逆フェラっていうのは、"何らかの上下関係値のある場合において、その値が上とされる側が、下の側のちんちんを舐めたり咥えたりする"っていうことね。
ふたなりもの(なかんずく「ふた×男」)でいうと、ふたなり側がフェラされる。そのかわりフェラしてあげてる方のちんちんは放置。これ。
もちろんホモセクシャルなやつでも成立する。例えば「先輩×後輩」ものだと(ここでは左右を論じないでください頼みます)、先輩がフェラ「する」側にいる。
そのときフェラ「する」側の人ももちろん興奮状態にあって、ハァハァしてると尚良いわけです。分かりますよね。あ、分かんなくても進めます。
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AIの奴に、「年上、身長も高いふたなり」に「年下、身長も低いふたなり」のちんちんを咥えた絵を指定するんだけど一向に出してこない。
どんなにドライに、感情を排して、キーボードをたたく指を酸っぱくして打ち込んでも、おいらの望んだ構図を出してくれない。おまけに指示した髪型や目の色なんかもちぐはぐになる。
ちんちん関係なしの、ただの健全な絵なんかは普通に七割方ヨシヨシと思える絵を寄越してくれるんだけど、あと"下の子"が"上の子"のちんちんを、っていうのは何度も出てきてるんだけど。
そこで、
という疑念がムクムクと。もっこりと。あ、すいませんついつい。
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考えてみたらね。
日本では俗に「チンパク」だとか「尺八」とか言われて、ごくごく一般的に「女性が男性器に対して口淫を行う」ってのはそこに上下関係が見られないんですよ。
でも英語スラングで何て言う?となると、これが「blowjob」なんですね。感覚としては尺八と同じような表現。だけど、それが「job」なんだよ。言ってしまえば苦行を押しつけられている。
ここに根深さを感じるに至った、という。そういう話なんですな。
よくSNSなんかで男女同権とかを主張または喧伝しているビッグボイスな皆さんが、ヤレ欧米ではソレ米国では、なんて言ってるのを聞きますが、あんなのは良くて「身近な人から聞いたサンプルにならない例」ですよ。
結局、現状で(というか将来的にも)フェラチオという行為は「上下関係が前提になっている罰ゲーム的なもの」という認識が大・大・大・主流派っぽいんだな。
セックスのための用具用品を取り扱ってる女性向けのサイトでのアンケートなんかも、「支配欲が満たされる」という男性側の回答がある。しかも少なくない。多分これ国内の調査なのね。これが一神教文化圏だとまた数字が違うんだろうなあ、って。
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いや、単純に気持ちいいから好きっていう回答もあるし、女性側(受け側)がしたいからするっていうパターンも多いはずなんですよ。
でも、やってることの構図としては、ね。
ごくごく一般的なフェラチオ(まあフェラチオ自体も若干特殊嗜癖らしいんだけど…)っていうのは「男が女に"させる"もの」ってことになっちゃうんだな、と。
先程「欧米、米国、一神教文化圏」という言葉を出しましたが、これはきっとその範疇には収まらない、普遍的な現象なんだろうなと考えますよ。だって男と女のセックスなんて何にも特殊じゃないでしょ。それでアナタもワタシも生まれてきたんだから。
同性愛やふたなり趣味なんてのは少数派。明らかですよ。遍在はすると思うけどね。
(世の中には自分が特殊側の属性を持ってるけど気づけてないって人もたくさんいると思う。扉が開かれてても「自分は男だから、女だから」って見向きできないでいる、そんな人たちが)
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で、「逆レイプ」って言葉もこの世にはあるんですな。要は「女が男を犯す」という構図。創作においてであればまあそんな話、で済むけど、実際のことを考えると怖いですよね。たまーに「女性教師が男子生徒に手を出してお縄」みたいな話がありますが、社会的な立場だけで言えばこれも逆レイプに相当します。実際がどうあれ、ね。
ほんで、「逆フェラ」って検索かけると必ず「逆レイプ」「逆アナル」も引っかかってくる。逆アナルについてはもう察して。自分にとってはそれらはノイズにしかならないんだよ。マイナス検索かけても創作物の中で連続的に行われてたら芋づる式なんだよ。種芋にもなりゃしねえよ畜生!
結局「逆」なんですよ。
逆ってことは、「順」があっての「逆」なんです。主流派があっての少数派。光なくして陰はなし。与党が組まれてこその野党。別に自分はシスジェンダー・ヘテロセクシャルに反駁するわけではないが。
少数派は泣くしかないのか。
逆レイプに相当する英語スラングはあるようなんだけど、逆フェラとなると創作物の情報しか出てこない。
違うんだああああああオハナシを読みたいんじゃないんだ自分でAIに出すディレクションになるワードを探してるんだよおおおおおおおおお!
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じゃあ運営に嫌われてるからなんなの?とりあえず言いたいだけ?自分は大勢の人に好かれてるって主張に対して少数の嫌悪の存在をぶつけて反駁としてなんの意味がある?無意味だな。お前の人生並みに。
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20250816032940# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaKA+4AAKCRBwMdsubs4+ SKqdAP0eJvSorc5tiDMqIIEg/BhD9ggvGO9T2kLMLluVHeD85gEA3Ach8zDfpyF5 BqBgfrHn9h8yGloB/u8QH69+BSVBgAM= =SzR5 -----END PGP SIGNATURE-----
>上限の鬼のモチーフが病気だったり、無惨が自分を災害になぞらえたりすることを、どう理解してるのだろうか。
それ、
その辺のYoutuber(稼ぐために「考察してみた」を粗製乱造してる手合い)が言ってるだけだろ?
いうて妓夫太郎・梅の母親が梅毒だったことがほぼ確定してるのと
黒死牟が黒死病とゴロが似てるぐらいのもんだろ?
それこじつけと言わんか?
自分はこの「上弦の鬼のモチーフは有名な感染病」説はミリも採用してない
まず「人類に大打撃を与え影響が大きかった感染症がモチーフ」なら必ず採用されているはずの病気が存在しない
この時点でもう説として非常に弱い
さらに鬼が病気のメタファーなら作中のテーマと明らかに噛み合わない
だからたとえ本当に作者が上弦だけでも有名な感染症をモチーフにしていたとしても、
無惨の異常性を表すセリフだったよね
殺人者が言う「いつかは死ぬだから自分が殺したって変わらないだろ」「自分が殺したんじゃない、包丁が殺したんだよ」等の
歪んだ屁理屈と一緒だ
悪意を持って人を傷つけ殺す行為と、
災害が人の命を奪うこともあるケースと
同一視できるか?いやできない
もし同じならなんで現実の社会では人が人を傷つけたら法律で裁かれるが災害は裁判にかけられないんだ?
だからこそ、あの「自分に殺されるのは災害で死ぬのと同じだと思え」は無惨の異常性=理屈が間違っていることを表している
奴の中には他人を尊重するという概念がいっさい存在しない、あいつの内面には自分一人しかいない
だからこそ人の怒りを買ってるんだよお前が言うなと反駁されるんだよ
(このセリフ、海外の人ですら「こいつは自分を神と同一視してやがる」と否定されてた)
いや、なんで古のネット民みたいに透視しようとすんのかなあと不思議で
あと「元増田に嫌な思いさせたろ!」のインセンティブ強いのに「その主張は間違ってる!反駁してやる!」のインセンティブ弱いのとか
元増田の主張に腹立てて口撃したくなるのっていわば良識とか善性とかによるものじゃん
それなのに障害者に虫食わせちゃうような性分の人間と良い勝負や「親の教育とは…」って返ししてるのが解せないのよ
元増田気に入らないのは凄くわかるのよ
そのうえでの「いや、その言い方や発想は…」
なんか気軽なガイジ発言に怒ったクラスメイトが捨て台詞で「ふん!お前なんか将来知的障害持ちの子供でも出来ればいいんだ!」と言っちゃう感じのおかしさ
Q. 以下の投稿は、意図してか意図せずかは不明だけど、政治と政局を混同しているよね。
(自民党で石破をおろそうとしている派閥の推し進めようとする政治が)でたらめだと石破が言ったことに対して、(政局面で)石破おろしをしている議員たちの筋が通っていると言っても、反論になっていないというか、藁人形論法気味というか。
https://anond.hatelabo.jp/20250726134843
この投稿を読むと、確かにご指摘の通り、政治的な主張と政局運営を混同した論理構造になっていますね。
投稿者は石破総理の「でたらめ」発言に対して、「石破おろしをしている議員たちが自民党規約に従って署名を集めているから手続き的に正当だ」「選挙で過半数を失った状況では別の総裁で再起を図るのも筋が通っている」と反論しています。
しかし、石破総理が「でたらめ」と批判したのは、おそらく石破おろしの政局的な動き自体ではなく、その背景にある政治的な方針や姿勢についてでしょう。つまり:
これは確かに噛み合わない反論になっています。政治(policy)の是非を問うている発言に対して、政局(politics)の正当性で応答しているため、藁人形論法的な構造になっているのは的確な指摘だと思います。
「こんなでたらめをやられてたまるか。だれがここまで自民党を駄目にしたんだ。自分のことしか考えていない」
正直信じられない。何がでたらめなのかがわからない。
石破おろしを画策している議員達は自民党の規約に合わせて署名を集めているのででたらめではない。
それで今の動きがでたらめだとするなら新しい連立相手の目処がたっているということか?
この主張にはいくつかの論理的な問題と経済学的な誤解が含まれています。
主な問題点:**
経済はゼロサムゲームではありません。富の創出は必ずしも他者から奪うことを意味せず、経済全体のパイを拡大することが可能です。例えば技術革新や生産性向上により、全体の富が増加することがあります。
「価値を生み出せていない」という前提も疑問です。低賃金労働者も社会に必要な価値を提供しており、市場価格が必ずしも社会的価値を正確に反映するとは限りません。清掃員や介護職員など、社会に不可欠な職種が低賃金である例は多数あります。
経済学的視点:**
最低賃金引上げや貧困対策の効果については経済学者間でも議論が分かれますが、適切な水準であれば経済全体にプラス効果をもたらす可能性があります。購買力向上による消費増加、労働者の健康・教育水準向上による生産性向上などが考えられます。
複雑な要因:**
貧困の原因は個人の努力不足だけでなく、教育機会の格差、地域経済の衰退、産業構造の変化、健康問題など多岐にわたります。これらの構造的要因を無視して個人責任のみに帰結するのは単純化しすぎでしょう。
国の競争力は単純な賃金水準だけでなく、教育水準、技術革新力、社会の安定性、インフラなど多面的な要素で決まります。適度な所得再分配は社会の安定と持続的成長に寄与する可能性があります。
Q. ピケティの主張も絡めて
ピケティの『21世紀の資本』の知見を踏まえると、この主張の問題はより明確になります。
ピケティの主要な発見:**
ピケティは長期的データ分析により、資本収益率(r)が経済成長率(g)を上回る傾向(r > g)を示しました。これは資本を持つ者の富が労働による富より速く増加することを意味し、格差が自動的に拡大する構造的メカニズムを明らかにしています。
元の主張への反駁:**
「努力した人間から奪う」という発想は、現実の富の蓄積メカニズムを見落としています。ピケティのデータが示すように、現代の富の格差拡大は主に資本所得の集中によるもので、必ずしも「努力」の差を反映していません。相続財産や既存資本からの収益が労働所得を大きく上回る現象が生じています。
「価値創出」概念の再検討:**
ピケティは金融業界などの高所得職種が必ずしも社会全体への価値創出に比例した報酬を得ているわけではないことも指摘しています。市場価格と社会的価値の乖離は現実に存在する問題です。
政策的含意:**
ピケティは累進課税や資本課税の重要性を論じています。これは「努力を罰する」ためではなく、資本主義の構造的な格差拡大メカニズムを是正し、機会の平等を保つためです。適切な再分配政策は、むしろ真の意味での「努力が報われる社会」を実現する可能性があります。
長期的視点:**
格差の極端な拡大は社会の不安定化を招き、最終的に経済成長を阻害する可能性があります。ピケティの歴史分析では、極端な格差は革命や戦争といった破壊的事象を招いてきました。適度な再分配は社会の持続可能性を高める投資と考えることができます。
このように、ピケティの分析は元の主張が前提とする「努力=報酬」の単純な図式や、再分配を純粋なゼロサムと捉える視点の限界を浮き彫りにしています。
以下のネット掲示板でのやり取りについて、各発言者の発言の妥当性を評価して。
A:■弱者や貧困者って努力が足りないだけなのになんで助けないといけないの
なんの努力もしないで人様から金だけ奪って生活しようなんて虫が良すぎるだろ
弱者を助けろとか貧困者を助けろとか聞いてるだけでげんなりする
やる気がないだけ
B:日本が一億総中流だったのは今は昔で、格差は拡大する傾向にある。
個々人の努力と競争の結果そうなったというより、持つ者がますます富み栄え、持たざる者がそれにキャッチアップしにくくなるような社会的・経済的な構造があるから。
別にそれでいいじゃん
B:格差のエスカレートを放置した結果が今のアメリカの民主主義の危機であることを思えば、社会や経済の構造によって格差が拡大する今の日本の状況は是正が必要と思うよ。
この掲示板のやり取りについて、各発言者の発言の妥当性を評価します。
発言者A**
- 主張の問題点:「弱者や貧困者は努力不足」という単純化された見方は、貧困の構造的要因(教育機会の格差、健康問題、地域格差など)を無視している
- 「日本は努力で這い上がれる社会」という認識は、社会保障制度の存在により部分的に正しいが、社会移動の実際の困難さを過小評価している
- 感情的な表現(「虫が良すぎる」「げんなりする」)は建設的な議論を阻害する
発言者B**
- 日本の格差拡大について事実に基づいた指摘をしている
- 「構造的要因」の存在を適切に指摘し、個人責任論の限界を示している
- アメリカの例を引用した民主主義への影響の懸念は妥当な観点
- 冷静で論理的なアプローチを取っている
発言者C**
発言者D**
総評**
発言者Bが最も妥当性が高く、構造的な問題を冷静に分析している。AとCとDは感情的な反応や単純化された見方に留まっており、建設的な議論には寄与していない。
この返答には複数の深刻な論理的誤謬が含まれており、議論の質を著しく損なっています。以下、主要な問題点を体系的に分析いたします。
科学的実験における統制変数の概念を社会的価値判断に不適切に適用している点が重要な誤謬です。科学実験では測定可能な変数を統制して因果関係を特定しますが、人間の価値や尊厳は測定可能な変数ではありません。社会的価値判断は複雑な文脈的要因を考慮する必要があり、実験室的な単純化は適用できません。この類推は表面的な類似性に基づく誤った論理です。
「差をつけない」という表現を「価値がない」と再定義する論理は根本的に欠陥があります。社会における平等な扱いは、異なる属性や行為の価値を否定するものではなく、個人の基本的人権と尊厳を等しく認めることを意味します。例えば、職業における平等な処遇は各職業の社会的価値を否定するものではありません。この論理は意図的に概念を混同させています。
「以外に解釈できない」という断定的表現は、論理的分析ではなく修辞的強制に該当します。実際には、出産の社会的価値を認めながら個人の人間としての価値を出産能力で判断しない立場、多元的価値観に基づく個人評価、貢献の多様性を前提とした社会的包摂など、複数の合理的解釈が存在します。単一の解釈を強要することは論理的思考の放棄です。
「AIは馬鹿でポリコレ汚染されてる」という表現は、議論の内容に対する実質的な反駁ではなく、論者の属性や背景を攻撃することで議論から逃避する手法です。これは議論の本質的な問題に対処することを回避し、感情的反応を通じて相手の信頼性を損なおうとする典型的な詭弁手法です。
## 二項対立の強化
この返答は依然として複雑な社会的問題を単純な二項対立に還元しようとしています。人間の価値や社会的貢献は多次元的であり、単一の基準による判断は現実の複雑性を無視した過度の単純化です。
この返答は、表面的な科学的権威を借用しながら、実際には論理的厳密性を欠いた議論を展開しており、感情的な攻撃を通じて実質的な議論を回避する詭弁構造を示しています。
この返答には複数の重要な論理的誤謬が含まれております。以下、主要な問題点を分析いたします。
## 前提条件の非現実性
「その他のパラメーターが全部同じ」という仮定は、現実的な人間関係における価値判断を適切に反映していません。実際の社会では、個人の価値は複数の要素が複雑に相互作用して形成されるものであり、単一の要素を除いてすべてが同一という状況は存在しません。この非現実的な前提設定により、議論の実用性が著しく損なわれています。
この返答は「個人の価値」と「行為の価値」を意図的に混同しています。出産という行為に社会的価値があることと、その行為の有無によって個人の人間としての価値が決定されることは全く別の概念です。例えば、医師の医療行為には明確な価値がありますが、医師でない人の人間としての価値が劣るという結論は導き出されません。
「価値に差をつけない」ことを「価値がない」と等価に扱う論理は根本的に誤っています。これは、異なる属性を持つ個人を平等に扱うことが、その属性自体の価値を否定することと同義であるという誤った推論に基づいています。実際には、多様な貢献形態を持つ個人を等しく尊重することは、各貢献の価値を否定するものではありません。
「AIは馬鹿」という表現は、論理的反駁ではなく人格攻撃に該当します。これは議論の本質的な問題に対処することを回避し、感情的反応を通じて相手の信頼性を損なおうとする詭弁手法です。
この返答は「以外に解釈できない」という断定的表現を用いて、他の解釈の可能性を排除しようとしています。しかし、論理的思考においては複数の解釈が可能であることが一般的であり、単一の解釈を強要することは議論の健全性を阻害します。
この返答は、極端な仮定設定と概念の混同を通じて、本来の議論の複雑性を単純化し、誤った結論を導き出そうとする詭弁構造を示しています。
この文章には複数の論理的誤謬が含まれています。以下、主要な詭弁性を分析いたします。
## 偽の二分法(False Dichotomy)
文章の核心的な誤謬は、「女性の価値を出産で決めるべきではない」という主張を、「出産に価値がない」という極端な解釈に転換している点です。これは典型的な偽の二分法であり、実際には多くの中間的な立場が存在します。出産に価値を認めながらも、それが女性の人間としての価値を決定する唯一の要素ではないという見解は十分に合理的です。
## 論点のすり替え(Straw Man Argument)
原論点は「女性の価値を出産能力で判断すべきではない」という人間の尊厳に関する議論でした。しかし、この文章は論点を「出産行為の価値評価」という別の議題に転換しています。これにより、本来の議論から逸脱し、反駁しやすい論点を設定して攻撃する詭弁手法を用いています。
「産まない人間はそれ以外の価値を持つしかない」という表現は、人間の価値を階層的に捉える誤った前提に基づいています。実際には、個人の価値は多面的であり、出産能力はその一要素に過ぎません。職業的貢献、創造的活動、社会的関与など、多様な価値の源泉が並列的に存在することを看過しています。
「そうじゃなければ...という話にしかならなくなる」という断定的な結論は、論理的必然性を欠いています。この表現は、限定的な前提から極端な結論を導き出す論理的飛躍を含んでおり、議論の妥当性を損なっています。
A:でも、もしこの対話を推進派の人たちが読んだら、どんな反応をするでしょうね?
B:予想がつきますよ。「この批判は我々の提案を誤解している」「アジャイル・ガバナンスの本質を理解していない」といった反応でしょうね。
A:あー、ありそうですね。「勉強不足」とか言われそう。
B:そうです。「もっと深く勉強してから批判してほしい」「表面的な理解では本質が見えない」といった具合に。
A:でも、それって反論になってませんよね?
B:まったくなっていません。これは議論回避の常套手段なんです。批判の中身には一切答えず、批判者の「理解レベル」を問題にして議論そのものを無効化しようとしている。
A:ずるいですね。
B:しかも「予想通りの旧来的な反応」「既存の枠組みに囚われている」「時代の変化についていけない」といった決めつけもしてくるでしょう。
A:なるほど。批判者を「時代遅れ」のカテゴリーに押し込めて、自分たちを「先進的」な立場に置こうとするわけですね。
B:その通りです。そうすれば、具体的な反駁をしなくても、なんとなく自分たちが正しくて相手が間違っているような印象を作れますからね。
A:でも、それって卑怯じゃないですか?本当に自信があるなら、批判にちゃんと答えればいいのに。
B:まさにそこが問題なんです。彼らは実際には論理的に反駁できないんですよ。だから批判の内容ではなく、批判者の資格や立場を攻撃する。
A:具体的には?
B:例えば、私たちが「民主的正統性はどう確保するのか」と聞いたとします。すると「従来の民主主義の概念に固執している」「新しい参加型民主主義を理解していない」といった答えが返ってくる。
A:でも、それって答えになってませんよね。具体的にどうやって正統性を確保するのかは説明していない。
B:そうです。質問をはぐらかして、質問者の考え方に問題があるかのように話をすり替えているんです。
A:「グローバルスタンダード」とか「国際的な流れ」とかも言ってきそうですね。
B:ああ、それもよくある手ですね。「海外ではもう当たり前になっている」「日本だけが遅れている」といった圧力をかけてくる。
A:でも、本当に海外で成功しているかどうかも怪しいですよね。
B:その通りです。しかも、仮に海外で行われていたとしても、それが日本に適しているかどうかは別問題です。でも彼らは、そういう冷静な検討を「内向き思考」として片付けてしまう。
B:まさにそうです。これは真理を探究する学術的議論ではなく、ポジション取りのゲームになってしまっているんです。
A:ポジション取り?
B:要するに、誰が「進歩的」で誰が「保守的」かという立場の問題にしてしまう。内容の正しさは二の次で、どちらがカッコいいポジションにいるかが重要になってしまう。
A:それって、すごく幼稚ですね。
B:でも効果的なんです。多くの人は、複雑な内容を理解するより、「新しくて進歩的」という印象の方に引かれがちですから。
A:そういえば「専門的で複雑だから素人には分からない」とかも言ってきそうですね。
B:ああ、それも典型的な手口です。批判されると「この分野の専門知識がないと理解できない」と言って、素人を議論から排除しようとする。
A:でも、民主主義って、素人である市民が参加するものですよね?
B:その通りです。しかも、本当に重要で正しい政策なら、市民にも分かるように説明できるはずなんです。
A:説明できないということは...
B:内容が曖昧だったり、論理的に破綻していたりする可能性が高いということです。
A:じゃあ、こういう議論回避に対して、私たちはどう対応すればいいんでしょうか?
B:ひたすら内容に固執することです。相手が立場論に逃げようとするたびに、具体的な内容の議論に引き戻すんです。
A:例えば?
B:「理解が浅いとおっしゃいますが、具体的にどの部分の理解が間違っているのか教えてください」「誤解だとおっしゃいますが、正しい解釈をお聞かせください」といった具合に。
B:そうです。そして「時代遅れとおっしゃいますが、なぜ従来の原則では対応できないのか、論理的にご説明ください」といった質問を続ける。
A:すると?
B:相手が本当に内容を理解しているのか、論理的に説明できるのかが明らかになります。もし説明できなければ、彼らの知的不誠実さが露呈する。
A:でも、彼らはそれでも逃げ続けるんじゃないですか?
B:逃げ続けるかもしれません。でも、それ自体が彼らの議論の弱さを証明することになります。
A:つまり、私たちが真摯に議論しようとしているのに、相手が逃げ回っているという構図が明確になるわけですね。
B:その通りです。そして、それを見ている他の人たちにも、どちらが真剣に議論しているかが分かってもらえる。
B:そうです。「古い」「新しい」といったレッテル貼りに惑わされず、常に「なぜ?」「どうやって?」「根拠は?」と具体的な説明を求め続けることです。
A:でも、こういう議論回避って、なぜ広まっているんでしょうか?
B:一つは、複雑な問題を単純化したいという心理があります。「新しい=良い」「変化=進歩」という単純な図式の方が分かりやすいですから。
A:確かに。
B:もう一つは、メディアや政治の影響もあります。「改革」とか「イノベーション」といった言葉が無条件に良いものとして扱われる風潮がありますからね。
B:その通りです。既存の制度がなぜ存在するのかを理解し、その価値を損なわずに問題を解決する方法を見つける。それが本当の改革です。
A:この報告書は、そういう慎重さが全くないんですね。
B:全くありません。「アップデート」という軽い言葉で重要な制度を変えようとしている。これは改革ではなく、単なる破壊です。
A:分かりました。今度こういう議論に遭遇したら、相手の印象操作に惑わされず、具体的な内容について質問してみます。
B:それが一番大切です。民主主義は、市民一人一人が批判的に思考することで支えられているんですから。
A:「専門家だから正しい」「新しいから良い」「海外でやっているから必要」といった権威に頼った議論に騙されないようにします。
B:そして、何より大切なのは「なぜ変える必要があるのか」という根本的な問いを忘れないことです。変化それ自体は価値ではありません。より良い社会を作るための手段にすぎないのですから。
フェミニズムは、イデオロギーあるいは文学のサブジャンルに過ぎず、さすがに学問とまでは言えないのではないか。
「フェミニズムは一人一派」という言葉は、対話の不可能性を示している。
たとえば「天動説」というものは、批判的に検証されてきた。しかし「一人一派」の言説は、批判的に検証のしようがない。当然のことながら、おおむねの合意事項や、主流派の理論が存在するからこそ、批判や検証がなされ得るからである。
「一人一派」の主張は、突きつめれば相対主義となり、「わたしがこう思うのだから、こうだ」の世界に陥ってしまう。それは学問などではなく、たんなる「対話の拒否」である。なんの合意事項も、体系的に組織化された知識もなく、ただただ自閉していく「一人一派」。エコーチェンバーにフィルターバブルで倍々ゲームのいいね競争。そしてその結果、失われてしまうのは対話の可能性である。
(最近になって、「天動説」を主張するひとたちが現れはじめているらしい。でもそれは、批判的に検証された場合には、たんに「陰謀論」であるとの結論になるだろう。だいいち、天動説が正しいとしたら、ニュートン力学や相対性理論、量子論はどうなってしまうのだろう? たとえば、その手に持っているたくさんの半導体が組み込まれたスマートフォンは、いったいどういう理論のもとに動いていることになる?)
「日本人は特別だ」との主張をもつ人たちと、それに反対する人たちのあいだで、うまく対話が出来なくなっていく状況を見たことがないだろうか。そもそも日本人とはなにか?という点についていまいち定義がまとまっておらず(ようするに「一人一派」的状況が生まれている)、そのせいで議論が空転していくのだ。やがておたがいにイデオロギー的な主張を繰り返すことしかできなくなり、ついにはそれ自体が目的となってしまう。そこになにか結論が生まれることなどありえない。では、フェミニズムが絡んだ議論ではどうか? もはや言うまでもないことだろう。
しかし「一人一派」が昇華されうる場所というのは、じつは存在する。もちろんそこはSNSーーなどではなく、文学というエリアだ。だからフェミニズムは、今後も文学のサブジャンルという形ではおおいに発展しうるだろう。個有の傷を個有の傷として引き受ける覚悟が、そこで引きつづき試されていくことになる。
ただし、宣言だけはしておく。そもそも「一人一派」だと言うのであれば、わたしがみずからをフェミニストだと名乗った上で、「フェミニズムなど学問ではない」と主張しても、だれも批判のしようがない。けっきょく、現状のフェミニズムが産み出しているのは、そういったたんなる「対話の不可能性」だけである。
それではいったい、フェミニズムとは陰謀論となにが違うというのだろうか? ーーいや、なにも違うことなどない。まったくの一緒だ。もちろん、この結論への反論は不可能である。「わたし派」の意見に反駁できるのは、とうぜん「わたし」以外にはあり得ないのだから。