はてなキーワード: 花魁とは
そうだね、北九州の成人式の派手なのとか東京目線で批判的な報道よくあるけれど、成人の晴れ姿にめちゃくちゃめかしこんで凝った特注の服着てど派手に練り歩いてもいいじゃんって思う。多分着物とか服飾関係あれで随分経営的に助かっていると思うし、和裁洋裁業界に就職する若い人もいて技術も上がっていくと思う。良いことしかない。夏の花火にマイルドヤンキーが合法的な範囲内でブイブイ言わせても別に悪いことはない。欧州で高級時計が売れるのも中東でスーパーカーが売れるのも結局社交界があって見栄の張り合いをするからで、国際港だった門司下関で毎年きれいどころを侍らす文化が根付けば娼婦も芸者花魁に出世するというもの。
元AV女優が他の人も使用するウェディングドレスを仕事で着るとなぜダメなのかをうまく説明できていない人間が多いが、元AV女優が着たウェディングドレスで写真を撮ったら花魁の水揚げのような文脈が付与されてしまうから、だと思う
逆にきっと三上悠亜にウェディングドレスを着せるのは彼女を誰かに選ばれる花嫁にしてあげたい、というイメージだしファンにその姿を見せるのは手の届かない花嫁姿を見せてくれるファンサービスなんだろう
でもその後そのドレスを普通の女が着たら男の性対象として三上悠亜と並ばせられることになるし、結婚という文脈で考えたら性的価値と引き換えに金で買われていく契約をした女、というメッセージになってしまう
意味合いとして余計な意味が付与されるという感覚が分からない人でも、三上悠亜が着たドレスを着ている花嫁をそれを知っている男性がみたら「性的価値」を彼女と比べるだろうということ、この女を性的な価値とともに手に入れたというメッセージ性を読み取ってしまうことはなんとなくわかると思う
元増田です。
限られたスペースで、たくさんの人々に楽しんでもらうためには、これが最大公約数なのかなと思うのだが、あえて、「自分ならこうする」という展示を考えてみたい。
ということ。
歴史資料としては、収集すべきだけど、見せ物としてはレプリカでいい。
そして、まずもって殆どの入場者にオリジナルとレプリカの違いを見極める目がない。
教科書でみたアレ、ドラマで出てきたアレ、くらいの感想で、「本物はこうなってた」みたいな感想があったとしてと、素人が感じ取れる写真との違いは、レプリカでも十分わかる。
それに、オリジナルは褪色していて、作られた当時の意匠を留めてない。
神社仏閣だって当時の色を再現する修復をしてるんだから、こういう美術品、とくに浮世絵なんてのは商業印刷なのだから、派手でケバケバしい猥雑な色を再現して展示したほうがよいだろう。
というわけで、
を述べてみる。
江戸のメディア王となった男の展示であるからには、江戸後期におけるメディアについて入場者に知って帰って貰わないと意味がないと思う。
つまり、この屏風にこういう絵を描いて欲しい、誰々の肖像をこんなふうに描いて欲しい、という依頼に応じて制作したものだった。
それが、蔦屋重三郎の時代には、木版によるカラー印刷という技術が発明されたことと、貨幣経済が発展したことにより、需要を見越して出版活動を行うようになった。
王侯貴族ではなく、庶民が店先で本や絵を買う時代がやってきた。
本や絵のテーマになるのは、山水画や花鳥風月じゃなく、もっと庶民の娯楽に直結したもの、芝居、女、旅行、etc…
それぞれについて掘り下げておく。
例えば芝居なら、芝居小屋でみる歌舞伎は照明演出が蝋燭と窓の開閉でしか調整できないから、まず薄暗い。
俳優は一年ほぼ固定で、「うちは今年一年この顔ぶれでやって行きますよー」という俳優の紹介があったこと。
みたいなことを触れておく。
例えば役者絵なら、役者絵は芝居に乗っかって売るものだから、上演期間に合わせて売り出す必要がある。
観劇して、印象に残ったところをスケッチして、それをもとに一年かけて一枚絵に仕立てる。などというやり方はありえない。
ここで、入場者にいくつかの問いかけに考えてもらう。
例えば、役柄に寄せて描くべきか、役者がわかるように描くべきか?
実写版の白雪姫のポスターを作るとして、アニメの白雪姫に寄せて描くべきか、俳優の特徴に寄せて描くべきかに置き換えるとわかると思う。
もちろん正解はない。
俳優は厚化粧しているが、それを描くべきかとどうか、芝居小屋は薄暗いがそれも描くべきかどうか、これだって答えはない。
どの問いも答えはない。
この部では、蔦屋重三郎を忘れて、バリエーション豊かに当時の解答例(作品)を提示すればいい。
写楽と春章と国貞あたりを並べるといい。
ソープランドの写真指名用のパネルを作るとして、無加工ってありえないだろう?
かといって、加工されほぼみんな同じ顔になったとして、指名したくなる推しポイントは含めないといけないだろう?
例えば、素人っぽさ、生活感がある日常を切り取った普段着のほうが萌えるって流行もあるだろう?
それだって、素人っぽく、普段着っぽく、日常っぽく加工してるだけで、本当の素人でも普段着でも日常でもない。
煌びやかな花魁が描かれてるだけじゃなく、女郎の日常が描かれたり、女郎じゃなく茶屋娘の絵が売り出されたりしてたわけ。
次の展示の前に様々なバリエーションを並べて、当時の価値観について理解の分解能をあげておく。
ここがメインで、蔦屋重三郎の足跡を辿る展示に入るわけだけど、どこで生まれて最初に出したのがこれで、みたいなのはあまり重要ではないと思う。
研究としては大事だろうけど、知識がない一般人にとっては、蔦屋重三郎がなにをどう変えたのか?どこが革新的だったのか?だけ覚えて帰ってもらえば十分。
例えば、スティーブ・ジョブズ展をやるとして、学生時代にヒューレットパッカードでバイトしてたときの記念品とか、要らないと思うんだ。
出した製品が、世界をどう変えたか?それが重要で、例えばiMacなら、そのころ主流だったPCと外観がどんなに違うか、並べたらいいと思うし、iMacを模倣して作られた他社製品を並べてやるのもいいと思う。
歌麿の登場の以前と以後で、画風の流行がどう変わったとか、写楽の絵はあまり売れなかったけど、一部に熱狂されてインスパイアされた絵師が出たこととかね。
もちろん蔦屋重三郎を語る上で、歌麿や写楽は重要だけど、版元の関与、つまりアイデア、コンセプトがどう革新的だったか、そういう見せ方をするべきだね。
例えば、写楽の大首絵は背景がガンメタリックのように黒光してる。
同じ絵に違う背景を複数作って、この背景色を選んだのが必然であったのを理解してもらうのがいいと思う。
その数だけ複製版画を用意する。
それから、写楽の大首絵の輪郭線は薄墨で目立たなく、最小限の線だけど、効率的にデフォルメされている。
3Dモデリングしたり、3Dモデリングから作ったフィギュアを展示して、線は最小限なのに顎や小鼻の丸みがちゃんとわかる確かなデフォルメなことを理解できる展示にしたらいいと思う。
黄表紙本なんかは、どれだけふざけた内容で絵が多いかわかるように、写真から製本して触れるようにしちゃったらいいと思う(できればこれも木版で印刷して製本して欲しいが、コスト的にキツいしね)。
わざわざ美術館にこなくても、デジタルアーカイブとしてみれるんだけど、製本したもののページをめくることができたら、また印象が違うと思う。
今回の展示で最後オマケ程度に現代の職人の仕事ぶりや制作過程が紹介されてたけど、あれをもっと広げてやる。
手に持って鑑賞できる触り放題な複製版画を大量に用意する。
第三部までの知識をインプットしたあとに、手に持って鑑賞するのがミソで、これ以上ない体験になると思う。
ここでアピールして、物販コーナーで複製版画がたくさん売れた方が、文化の保存に貢献できる。
承認欲求モンスターばかりなんだから、写真撮影可能な複製版画コーナーは大変重要。
さすがにオリジナルの展示もいるだろうなと思うので最後に設ける。
客はラーメンではなく情報をくってる。オリジナルをみたっていう情報でお腹を満たしてもらえばそれでいい。
「さっきみた複製とはここが違うね」
と通ぶってくれてもいい。
「さっきの複製のほうが好きだ!」
と感じてくれたら、職人たちへの激励になる。
当時、本も絵も、木版印刷なわけだが、写真と実物、複製の違いについて軽く触れる。
油絵は油絵具で光の屈折が関係するので、写真では伝わらない部分があるが、その点では木版画はフラットでマットなので、概ねかわらない。
雲母のような、光の反射を使った技法については写真ではなかなか伝わらないし、版木が押し当てられたことによってエンボスになってるようなのは、写真になるとわかりにくいが、それこそ手に持ってこそなので、ガラス越しでみてどうなんだろという感じはある。
うまい例えができないが、ビックリマンシールのシルクスクリーン印刷は、触ってこそだよ。傾けて覗き込んでみて反射や屈折を楽しんで、手触りまでがワンセット。
複製については、当然複製なので、いい複製、悪い複製があるはずなのだけど、これを論じるのはなかなか難しい。
これだけ写真印刷ができる時代に、わざわざ彫って摺ることに意味があるかと言われても、木版印刷だけの味わいがあると断言できるのだけど、そこから先のいい複製については正解がわからない。
例えば、褪色した今現在を複製するか、制作当時の色を再現すべきか、オリジナルにある制作上のミスは複製でも模倣すべきか、ベストな状態の摺りを再現すべきかという議論がある。
私は、絵そのものよりも、その背景にある表現したいモノを形にするのがいいと思うので、当時の色を再現し、ミスは修正したほうがいいと思うし、ベストな仕上がりを想像して作るべきだと思う。
また、制作方法や材料は当時の方法や材料を踏襲すべきか?という議論もある。
これについて私は、絵を通じて表現したかったことが大事だと思っていて、当時のなかった便利な方法、材料も使っていいと思う。
当時の職人だって、もしそれを知ってたら喜んで使ったはずだ。わざわざ制作のハードルを上げて、彫り摺りのレベルを落としたら本末転倒だと思う。
結論としては、やっぱり答えはない。
ただ、手にとって楽しめるのは複製の利点なので、ぜひ触るべきだと思う。
「世界で一番ゴッホを描いた男」というドキュメンタリー作品がある。
10万枚も複製画を描いた男が、ゴッホのオリジナルをみるためオランダに行き、初めてみたホンモノにうちひしがれる話だ。
取引先の画商は、
というけれど、本人には悔しくてたまらない。
たぶん、画商の言葉はお世辞じゃなくて本当にそっくりだと思ってるんじゃないかな。
ホンモノは、こういう人にだけ鑑賞させてやって、一般人は複製画で十分だ。
美術館でありがたく鑑賞する程度では、ホンモノとニセモノを見分けるような目は持てない。
男の場合
女の場合
こうなってる気がするんだ。
男はリソースを提供することによって起きる価値の低下を名誉で埋め合わせる仕組みな一方、女はリソースを提供されるほどにえらく、なんならやらずぶったくりなことが褒めたたえられる(例:花魁)という仕組みになっている
これさー、1万年2万年とかけて女が男を改良してきた結果なんじゃねーのかなー。
卵が先か鶏が先かみたいな対比になってるじゃん上記条件。
これ後者だと思うんだよね。
外部からリソースを受け取らないと人間の女は妊娠出産を乗り越えられないじゃん。子供を産むのが大きな価値を持つと原始的な社会が決めたとすると、受け取るのがまず発生する。産めば産むほど偉いなら、受け取れば受け取るほどえらいという価値観までそう遠くないと思う。
その変化の先にあることとして男は受け取らせれば受け取らせるほどえらいという価値観ができてくるんじゃないか。
現代の文明人は自分たちが動物であることを忘れ、産むことの価値を過小に見積もった結果滅びに向かっているし、価値観に混乱をきたしているんだろう。
増田はオイラン・キングというタイトルの童話を知っているかな。
この物語は遠い国の華やかな都、煌びやかな光に包まれた夜の街で始まります。そこに、すべてを魅了する伝説の花魁、ムファサがいました。彼の美貌と舞い踊る姿は、一度見れば誰もが忘れられないというほどです。
ムファサはその特別な才能で、多くの人々に希望と喜びを与えていましたが、彼には秘められた夢がありました。それは、この華やかな世界を越え、真実の愛を見つけることでした。しかし、夜の街では心から信頼できる人を見つけるのは容易いことではありません。
ある日、ムファサは街の喧騒から離れ、静かな裏庭で休んでいると、小さな子猫に出会います。この子猫はとてもやせ細り、心細そうにムファサを見上げていました。ムファサはその子猫を助け、名前をつけて育てることにしました。その子猫は日々大きくなり、彼の心の隙間を少しずつ埋めていきます。
やがてムファサは、仕事の合間にこの子猫と共に過ごす時間が、彼の人生の中で最も幸福なひとときであることに気づきます。そして、この小さな命を通して、彼の人生の意味もまた変わっていくのでした。
ある夜、ムファサは自らの進むべき道を決心します。彼は、この華やかで孤独な世界を去り、子猫と共に新しい生活を始めることを誓います。そして、ムファサは夜の街を後にし、訪れる春の風の匂いを感じながら新たな一歩を踏み出します。
・5/4追記
急に反響があって驚きました。いま女風ドラマが放送されてるそうなのでそのせいでしょうか?
全モザは全面モザイクの略。
趣味ピは趣味としてセラピストをしている人の略です。女風って大して儲からないどころか赤字の人が多いのですが、実践によって諸々が上手くなるので趣味としてやってる人がかなりの数います。セラピストは、デビューまでに数十万の講習代、デビュー後も在籍費と講習代を毎月数万〜数十万店舗に収めるので、セラピストを採用すればするほど店舗は儲かるシステムになっています。
コンプラ施術は、同意書や契約書に書かれているのと一致する施術内容という意味です。セラピストによっては、正規料金を受け取りながら一切の施術を拒む人もいます。勝手にテレビ見て帰るだけとか。事前に客の顔写真を送らせて審査し、予約を受けるか決めるセラピストもいます。そのようなセラピストは塩とか選別ピと呼ばれています。昔の花魁みたいですね。
デンタルケアのことを書いてくださった方、ありがとうございます。増田、歯フェチなのでデンタルケアは自慢できます〜!書くと長いのですが、着色した後、マイクロ活性炭で磨いて、薬用ヒドロキシアパタイトで磨き、膨らむフロスで磨いて、最後乳酸菌のマウスウォッシュでケアしてます。歯医者で「汚れ全くないのでクリーニングいらないです」って断られるレベルです。でも風圧とエリスリトールで汚れ剥がすやつもやってもらってます。
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・4/27加筆
といっても身代潰すほどではない。
いまは女風は不況と性病蔓延の煽りで客が減少しているらしいが、その割に新規参入者は後を断たずどこも女風セラピストは飽和状態。ホームページやSNSを眺めれば1人や2人は普通は好みの人がいると思う。
増田のタイプはジェイソン・モモアだが、残念ながらそのタイプのロン毛マッチョは1人もいなかった。みんな細くて小さい。
1人良さそうな人を見つけたのだが、その人は現役モデルで高身長、体脂肪率数%、全脱済み、ホワイトニング済み、当然ながら肌管理も完璧。パネルの顔写真は加工されてるのを差し引いても良い方だった。
気後れする。
気後れするので増田は数ヶ月筋トレと食事制限に励み、腹筋を割り、100cmに届くまで大臀筋を鍛え、歯の定期検診も欠かさず行き、結局別のセラピを指名。嗅覚がそちらではないと言っていた。(全脱済みだったので脱毛は行かなかった)
顔はそんなに重視していないので、全モザを指名。驚いたことに某アイドル俳優にそっくりどころか上位互換の細マッチョ。曰く、日々あらゆるスカウトを受けるらしい。そうだろうとも。
アラサーと表記されていたが、おそらく逆サバ大学生と推測。時給5Kで相手してもらうのが申し訳ないのでチップを渡した。
初めてなこともあり、「嫌々触られるのが一番無理だから、私がちょっとでも気持ち悪かったら一切触らないでいいよ。お喋りでもしよう」と伝えてからカウンセリングがスタート。粘膜接触もNGにした。話したところどうやらこの人は性依存症の趣味ピらしく、結局施術されて駅まで送ってもらった。何回か会ったが、毎回大量にキスマを付けられるのに引いて指名をやめた。(噂では、キスマを付けるのは基本マニュアルにあるらしい。ホストと同じだ)
店のお勧めで高身長のイケメン筋肉質という話だったが、出てきたのは気弱そうな痩せた人で、一緒にいて辛かった。今思えば即解散すれば良かったが、その知恵がなかった。時間がないとコンプラ施術を端折ったのに、舐めて欲しいと言われたのもキモかった。お前が客か?
嫌になって別の店に行くことにした。
やはり高身長の全モザマッチョ。増田も大好きなカリステクニークで鍛えた筋肉は素晴らしい美しさだった。顔はあまりよく見てなかったので覚えてない。イケメンと言ってる人と、普通と言ってる人がいた。施術はプロ。前の2人とはレベルが違いすぎる。
粘膜接触NGの理由を聞かれたので、「昨日臭いの強いものを食べたから」とオブラートに包んだら、そんなの気にしないでいいと言われた。いや優しいけど気になるし。「この女口くっさ!!!」とか思われたら無理。(本当の理由は性病予防)
とある店舗のランカー。高身長の細身で目が死んでいた。目が死んでる人には初めて会った。
カウンセリングで60分使うので、「この人は施術なしだろう」と思っていたら、その後数時間無料延長されたのでギョッとした。時給1.5K以下とかだったので、おそらくこの人も趣味ピなのかもしれない。やたらと臀部に注目するので何かと思ったが、尻フェチらしい。続きに誘われたが面倒なので断った。
高身長の全モザゴリマッチョで、ベンチ100kg超。体育会系らしい体の厚み。それを覆い隠すフーディ姿。そして顔に笑顔の癖が刻まれているのか口角が上がっている。パーフェクトすぎる。
性格は増田が一緒にいて一番楽な、姉妹のいるホモソ出身の明るいマッチョ。こういう人は女性に優しいし、こちらが本気で怒ることはしてこないし。会話も上手い。外見も中身も増田のドストライク。
増田の絶対NGも苦手なことも完全無視して施術された(カウンセリング意味ある?)けど、上手かったので許した。ちょろい客である。
終了時間に差し掛かり、女風あるある「あと何かしたいことある?」(都市伝説では本番の誘いである)と聞かれ、「ゲエ!」とカエルみたいな声で応答した。雰囲気をぶち壊したかったのだが相手の表情は変わらなかった。奇声に慣れてるのか?時間オーバーした後の引き留め方が熱烈で、OKの返事をしそうになったけれど、結局増田は本番を求めてないので帰った。
本物の女好きの趣味ピなんだろうと思う。好みだったので何回か会った。
ずっと会いたかったけどタイミングが合わなかった人。細マッチョ、ハイスペ。男性平均身長と同程度の増田より華奢だったが、最高だったと書いておく。
この人と一緒にいると感動して泣かされること多々。そんな客ばかりの伝説ピ。
増田はガチ恋痛客だったと思うが、人間を超えた優しさとピュアさで対応も完璧だった。そんな客ばかり。果てしなく甘やかされたので自分のあらゆる点が大好きになった。
手を繋いだりハグしてるだけで満たされる。
一番会ったし一番貢いだ。
6人目に会ってから、180cm以上としか付き合ってこなかった筋金入りの高身長フェチの増田も考えを改めた。心のピュアさが一番大切だと思いました。
なんでみんなが叩いているのかさっぱりわからん。むしろ叩くことによって、あの時代の文化の中心点だった花魁を女郎と同格にしてるんだよ。叩いて救ってんのかなんかしらんが、あの当時生きた花魁が蔑まされてんの。
吉原は本当に華やかで、大名であっても花魁にフラれることがあった。金さえ積めば一夜を共にとかじゃないんよ。身売りへの同情のみで無理解に叩くことは、吉原が必死で作り上げてきたブランドとプライドをズタズタにする行為。文化への冒涜。今の尺度で語って、わかった気になって同情するのは、もはや花魁が不憫。彼女らからプライドすらも奪う気なのか?花魁なんだぜ。他と一緒にすんな。
吉原は憧れの世界。お前らがセコセコ行くその辺の風俗店を想像しながら叩いてんじゃねーよ。
こんなことはっきり言って古典落語をかじった人なら当たり前に知ってる。50年前から聞いてきた。まず紺屋高尾でも聞いてこいよ。いい話で面白いから。
この遊行女婦は宮仕えの男性を相手にした、教養を持った売春婦とされている
もともと、遊行女婦は女性だけで組織されていたのだが、いつの間にか男性に支配され、今で言う管理売春組織になった
なので、管理売春された売春婦を当時遊女と表現していても、現代人が遊女と呼ぶのは間違いだと考えている
言葉は悪くとも、吉原などの遊郭や飯盛旅籠で働いていた女性は淫売とか女郎の方が適切だろう
ただ、残念なことに世の中そんなことを知っている人はあんまりいない
吉原で太夫とか花魁という言葉がいつ使われていたのかも知らないと思う
知らないなら使うな、とは言わないけれど、知ろうとしてほしいと考えている
そして、知ろうとするきっかけは沢山あった方がいい