はてなキーワード: 助け合いとは
増田はリップ・ヴァン・ウィングというタイトルの童話を知っているかな。
リップ・ヴァン・ウィングは、山に住む気まぐれな鳥でした。彼はいつも青空を自由に飛び回り、森の仲間たちにユーモラスでいたずら好きな性格で知られていました。しかし、リップは何かを決めるのが苦手で、よく夢中になっては本来やるべきことを忘れることが多かったのです。
ある日、リップは山の頂上にあるという伝説の「願いの風」を探しに行くことにしました。その風に乗ると、心から願ったことが何でもかなうとされています。旅の途中でリップは、勇敢で賢明なウサギのスカイや、少し怖がりだが心優しいリスのノットと出会い、一緒に冒険をすることになりました。
道中さまざまな困難に直面しながらも、仲間たちは互いに助け合いながら、ついに山の頂上にたどり着きます。そこでリップは、「願いの風」に心を開き、自分が本当に願うことは大好きな仲間たちとの友情を大切にすることだと気づきます。彼は「願いの風」に全員が幸せであることを願い、それが仲間たちを再び森に送り届けるのです。
こういう人たち典型的によく見るけど、ネバーランドに生きてるんだよね
精神的に自立できてなくて、常に何かに寄生して何かをもらうことしか考えてないのになぜか自立したつもりでいて自他の認識の差がえげつない
社会が助け合いで成り立っていると理解できておらず、責任も負わず子供のころの庇護された状態で好き勝手生きてるだけなのに、それをどうにか自己正当化しようとするとこんな感じになる
親父はクソとか言いながら実家の金銭的援助を期待してたり、福利厚生だのなんだの書きながら結局自分は他人に何を提供できるのか一言も言及してないのがすべての証拠
お前がクソって言ってる親父も、他人を奴隷扱いしてたと認識してたのかもしれんが家族を養ってどうにかしてたんだよ 自分はそれ以下で、さらにその金をアテにしてる自分はそれのはるか下だった認識するところから始めないといけないのでは?
こういうことを指摘されると、自己正当化のために男は楽に稼げるのが楽でいいよなと女は稼げないからとか妄想を初めて、ミサンドリー全開の終わってるおばさんに進化していくのもたくさん見てきたけどね
そら常に周りから何かをもらって好き放題生きるのは楽しいに決まってんじゃん?でもそれが永遠に続けられるわけないじゃん?いい加減に子供部屋から出ろよっていつも思う
https://anond.hatelabo.jp/20241106232300
>人権なんてどうでもいい。だって今生きてる自分が辛くて大切にされてないのだから人権どうこうは説得力がないのである。
その通りだ。
将来年金をもらえるのかも怪しい。
今を生きる金がない。
みんな倫理観の高い義務教育を受けてきたから口に出せないだけではないのか。
70歳以上の寝たきり老人は皆死なせてあげよう。
虐待行為だとして胃ろうをやらない国があるほどの行為で生きながらえて何になる。
障害者の世話していられるほど余裕はない。
助け合いだというが生まれてからずっと人の手を借りずして生きられないレベルの人間に食い殺される。
弟の世話のために親に使いつぶされる姉
https://news.yahoo.co.jp/articles/96da27298ab7478f01aa40f99848e0112b493c2e
こういった異常なヤングケアラーや虐待家庭の子どもを親と別れさせて暮らす施設に使ってくれるなら喜んで金を出す。
こんな世の中でどうして子どもを産んで育てたいと思えるのか?
自分や自分の愛する家族がある日突然脳がやられて障害者になったらそんなこと言えるんかなどと説教されるだろう。
せめて自分が一人で生きられなくなったら死ねるようにならんか。
もうどうしようもなく世界が狂っている。
自称リベラルとかいう、暴力性が高いくせに意識高そうな自己演出で己の加害性をリベラルジャーゴンで隠そうとして隠せてない、貧乏人と低学歴の直面する現実への理解も共感も想像力もなく嘲笑の対象にすらするも関わらずに多様性とか助け合いとか美辞麗句だけは言ってくるカスみたいな連中。科学的な知識や思考法を持たないので、全ての技術的な問題や社会システム的な問題を倫理とかモラルの領域に絡め取って、倫理的ポリコレ的神の視点から全てを断罪して倫理的優位な立場を確保できると思い込んでるカスのような連中。泥臭い現実の問題にコミットするつもりがない権威主義者。宗教改革以前の教会権威みたいなもの(ポリコレ)を信奉し布教し異教徒や自由な表現や反対意見を弾圧するカスどもがリベラルを自称するとか、失笑するわ。
一問一答する人少ないよねきっと。
・同姓にしたい人に迷惑かけないって本当?→私は誰も攻撃したくない。他の人は知らない。
・子供の姓どうするの?→自分の子供については、自分と同じでなきゃヤダとか無い。現状、夫の姓だし。選択的夫婦別姓になって自分が旧姓に戻したとしても、子供の姓はどうでもいい。子供が好きにすればいい。子供を産む前だったと仮定したら、じゃんけんでもくじ引きでも相手の希望通りでもいい。世間では現状追認で男親と同一にする家庭が多そうと予想。家制度の尻尾みたいで感情的にはヤダけど、人んちのことなので知らない。家制度の尻尾が直ちに消えるとも、直ちに消えるべきとも思わない。歴史の中でなるようにしかならないと思う。揉める人たちは揉めるしかない。
・選択的夫婦別姓がないと、男尊女卑が温存されるの?→選択的夫婦別姓が男尊女卑解消の道具とは思ってないし、道具になるほどの力はないと思う。女が男の姓になるのが大半、という現状維持になるのではと予想。
・パートナー制度とか作って保証できるようにした方がよくない?→はい。様々な形態の世帯を包括する制度が好み。生計を一にし、相互扶助をし、相続等の権利を有し、一定の優遇のある制度。兄弟姉妹での助け合い同居とか、友人世帯もあり。子供の扶養には優遇あり。貞操の義務はオプションとか。制度が複雑になるデメリットはあるだろう。
・手続きめんどくさいとかはマイナカードに言えば?→言ってる人は言ってると思うけど、私個人は手続きめんどくさいもマイナカードしっかりしろも言ったことはない。今、変更する事由が発生してないので。SNSで言ってる投稿にいいねしたりはする。どっちも進めりゃいいんじゃない?
・むしろ姓にこだわってアインデンティティをそこに求めてる人たちなの?→いいえ。伝統は知らない。幼少期からの自分の呼称に慣れてて好きだから。山田花子でワンセットな感じ。山田花子を山田雪子にするのは嫌だし、それの多少薄い版で山田花子を田中花子にしたくない感じ。その意味では新姓創設も私個人にはフィットしない。でも、個人特定には番号にして呼称は昔の武将みたいに気軽にどんどん変えてもいい案を見て、それもありかもな、と少し思う。改姓して長い年月がたち、不本意ながら幼少期からの姓ではなくても慣れてしまったのもあるだろうし、素人創作活動でペンネームやハンドルネームに愛着を持てるのを知ったので、自分好みの名前ならいい気もしてきている。
百済滅亡の報せが朝鮮半島全土を駆け巡るとき、そこには絶望だけでなく、わずかな希望が残されていた。それは、百済の地を追われた者たちが、遥か倭の国――大和への亡命の道を選んだことだった。
百済の都泗沘(しひ)が炎に包まれ、王族や貴族、そして多くの百済の民が散り散りになって逃げる中、一握りの者たちは東へ、海を越えて大和へと渡ることを決断した。彼らにとって、倭はかつて同盟を結び、文化や技術を共有してきた縁のある国だった。遠い異国ではあったが、そこに生き延びる希望があると信じていた。
夜の海は静かだったが、波は冷たく、命の危機を感じさせた。百済からの亡命者たちは、わずかな船団に身を寄せ合い、倭の地を目指した。彼らの目には、故郷を失った悲しみと、新しい土地での不安が浮かんでいた。
中でも、若き百済の貴族、武珍(ムジン)は、家族と共に海を渡ることを決断した一人だった。彼はかつて百済の王宮で官職を務めていたが、新羅と唐の連合軍が攻め込むと、命からがら国を脱出した。彼の目の前には、父祖の地であった百済が失われ、愛した仲間や民が散り散りになっていく姿が浮かび続けていた。
「いつか…いつか、この地に戻ることができるのだろうか」と、武珍は呟いたが、その声は波音にかき消された。
やがて、彼らの船は倭の大地に辿り着いた。彼らを迎えたのは大和朝廷の役人たちだった。百済からの亡命者たちが次々と上陸し、武珍もまたその一人として新たな生活を始めることとなる。だが、そこには異国の地での試練が待ち受けていた。
亡命者たちは大和王権に迎え入れられたものの、その生活は容易なものではなかった。彼らは、異国の地で自らの文化や風習を持ち込む一方で、大和の風土や習慣に馴染む必要があった。特に、故郷を失った哀しみが胸に深く刻まれている者たちは、再び自らのアイデンティティを見つけるまでに長い時間がかかった。
武珍もその一人だった。彼は大阪南部に割り当てられた土地で、新しい生活を始めることとなった。この地には既に百済からの移民が住み着いており、互いに助け合いながら新たなコミュニティを築いていた。大阪南部の河内平野は肥沃な土地であり、農業が盛んだったが、何よりも彼らにとって特別なものは、地名の中に「百済」という故国の名を残せることだった。
「ここは、我々の新たな百済だ」と、武珍は言った。
百済からの亡命者たちは、単に新天地で生活を始めるだけではなかった。彼らは百済で培った高度な技術や文化を大和王権にもたらし、その地位を高めていった。特に、天智天皇の治世において、亡命者たちは重要な役割を果たすこととなる。
天智天皇(大化の改新を主導した中大兄皇子)は、近江京を築いた際、百済からの亡命者たちを積極的に受け入れた。天智天皇自身が百済との強い同盟関係を保っていたため、亡命者たちの技術や知識を利用して、近江の地を発展させることを狙っていたのである。武珍を含む百済の貴族や技術者たちは、天智天皇の招きに応じ、滋賀県周辺へと移住していった。
「新羅に滅ぼされ、百済を失ったとしても、我々の技術や文化がこの地で花を咲かせるなら、それが我々の新しい故郷となるだろう」と、武珍は自らを励ました。
百済の技術者たちは、瓦や製陶技術、金属加工、建築技術をもたらし、近江京の発展に寄与した。その中でも、仏教文化や先進的な農業技術は、近江の人々にとって大いなる財産となった。百済からの亡命者たちは、大和王権の一部として取り込まれながらも、独自の文化を維持し続けた。そして、その痕跡は、現代の滋賀県に残る渡来系の遺伝子の多さにも反映されている。
時が経つにつれて、百済からの亡命者たちは日本列島に根を下ろしていった。大阪南部には「百済」や「加羅(伽耶)」といった故国の名を冠する地名が残され、滋賀県には亡命者たちの末裔が多く住み着いた。彼らの遺伝子は、日本列島の中で異質な文化を生み出し、後の日本文化に大きな影響を与えた。
武珍も、かつての仲間たちと共に大阪南部で新たな百済を築き上げた。そして、彼の子孫たちは、百済の血を引き継ぎながらも大和王権に忠誠を誓い、その技術と知識を後世に伝えた。
「故郷は失われたが、我々の血は生き続ける。我々の文化は、この新しい土地で栄え続けるだろう」と、武珍は亡命者たちと共に夜空を見上げ、倭の地で新しい未来を夢見た。
こうして、百済の亡命者たちの物語は、日本の歴史の中に深く刻み込まれていった。朝鮮半島を追われた彼らは、決して故郷を忘れることなく、新しい大地でその魂と誇りを守り続けたのである。
天智天皇が近江京を築いた時、百済からの亡命者たちは日本の地に根を下ろし、新しい生活を始めた。しかし、彼らの胸には常に故郷である朝鮮半島への想いが宿り続けていた。日本という国がまだ形成されつつある時代、その根底には、失われた「伽耶」や「百済」を取り戻すという強い願望が隠されていた。
天智天皇は、ただ単に新しい京を築いただけではなかった。彼の統治の下で、大和王権は次第に「日本」という国としての形を整えていった。しかし、その目標の一つには、かつて倭人が支配していた朝鮮半島南部――伽耶や百済の地を再び日本の手中に取り戻すという、壮大な夢が秘められていた。
朝鮮半島に築かれた前方後円墳の存在――それは倭人がその地を支配していたことを示す確かな証拠だ。前方後円墳は日本で発明された墓制であり、その巨大な墳墓が朝鮮半島南部にも点在している事実は、かつてその地が倭人にとっての故郷であったことを物語っている。
天智天皇の時代を過ぎても、この「朝鮮半島奪還」という目標は、日本の歴史の中で幾度となく浮上してきた。その後、豊臣秀吉の時代には、それが現実のものとして動き始める。
秀吉は、天下統一を成し遂げた後、自らの野望を東アジア全域に広げようとした。その第一歩として選んだのが、朝鮮半島への侵攻だった。1592年、秀吉は大軍を率いて朝鮮に進軍し、かつて倭人が支配していた地を取り戻し、さらには中国大陸まで征服するという壮大な夢を抱いていた。
「我が倭の祖先の地、伽耶、百済を取り戻す時が来た。朝鮮半島は、我々日本人の手に再び戻るべき土地である」
秀吉のその言葉には、単なる領土拡張を超えた、失われた故郷を取り戻すという深い信念が込められていた。だが、朝鮮戦役は厳しい抵抗に遭い、秀吉の計画は失敗に終わる。朝鮮半島の奪還は成し遂げられず、秀吉の死をもって日本軍は撤退を余儀なくされた。
しかし、この「朝鮮奪還」の試みは、単なる軍事的野心の産物ではなかった。それは、古代から続く日本人の潜在的な願望――かつての倭人の領土である朝鮮半島南部を再び自らの支配下に置くという、宿命的な思いの表れだったのだ。
大規模な侵攻が失敗に終わったとしても、歴史の中で日本と朝鮮半島との間には、常に緊張と抗争が続いていた。その中で、倭寇(わこう)と呼ばれる海賊集団が、朝鮮半島の沿岸部や中国大陸沿岸を襲撃する形で、奪還の意図を示し続けていた。
倭寇の多くは、正規の日本軍ではなく、小規模な武装集団だったが、彼らもまた、朝鮮半島南部をかつての倭人の地として捉え、そこに自らの足場を築こうとした。彼らの襲撃は、単なる略奪ではなく、失われた倭人の故郷を再び支配するための小さな試みの一環だったと言えるだろう。
倭寇の活動は14世紀から16世紀にかけて活発化し、朝鮮や中国を混乱に陥れた。特に朝鮮半島南部はその影響を強く受け、倭寇の侵略によって多くの地域が荒廃した。これは小規模ながらも、日本と朝鮮半島との長い歴史的な繋がりを象徴するものだった。
そして、最も大規模で決定的な奪還の試みが行われたのは、20世紀初頭の戦前日本だった。明治維新を経て近代化を果たした日本は、軍事力を強化し、再び朝鮮半島に目を向けるようになった。1905年、日露戦争に勝利した日本は、朝鮮半島への影響力を強め、最終的には1910年に朝鮮を併合することに成功した。
これにより、ついに日本はその「歴史的な故地」を取り戻すかのように、朝鮮半島を自らの領土として統治することとなる。豊臣秀吉が夢見た「朝鮮半島奪還」の夢は、この時に現実のものとなったかのように思われた。
しかし、この支配もまた、長くは続かなかった。第二次世界大戦の敗北と共に、日本は朝鮮半島から撤退せざるを得なくなり、再びその地は遠い存在となった。
イスラエルがユダヤ人にとって失われた故郷であったように、朝鮮半島南部は倭人――すなわち日本人にとっての歴史的な故地であり、その奪還は、古代からの目標であった。日本の前方後円墳が朝鮮半島南部に点在していることも、その歴史的なつながりを証明している。これらの墳墓は、単なる埋葬の場所ではなく、倭人がこの地に深く根を下ろしていた証拠だ。
天智天皇から始まり、豊臣秀吉、戦前日本、そして小規模な倭寇――いずれも朝鮮半島南部を取り戻すという潜在的な思いを抱いて行動していた。この「奪還の夢」は、日本の歴史の中で脈々と受け継がれてきた宿命とも言える。
現代においても、日本と朝鮮半島の関係は複雑でありながらも、歴史的な繋がりは消えることなく残っている。かつて倭人が歩んだ地、朝鮮半島南部――それは、日本にとって単なる隣国の土地ではなく、彼らの魂が宿る場所であったのだ。
もう10年近く前になるでしょうか。テレビで善徳女王や階伯(ケベク)を見ていました。そこで気付いたのですが、全く史実を考慮せず、ドラマを作っているところです。
両方のドラマに、階伯(ケベク)も金庾信も出てきますが、全く別人のような扱いです。それは当たり前で、記録が残っていないからです。階伯など日本書紀にしか残っていないに等しいです。
また、花郎世紀という偽書の可能性の高いものからドラマを作っているということも知りました。こんなことができるのなら、東日流外三郡誌で大河ドラマができてしまいます。韓国のドラマのすごいところです。
そこで、なぜ日本では、善徳女王や階伯(ケベク)のようなドラマができないのかと考えました。まあたぶん、歴史ドラマは大きく史実から外れられないとか、「自虐史観」があるのかなと。
紫式部なら創作もある程度許されるんでしょうかね。しかし、日本のドラマでは時代考証をある程度以上はやってます。階伯(ケベク)のように火薬が爆発したりしない。7世紀の火薬があるのか?。
ピダムの乱を起こしたピダムと善徳女王が恋仲になるなんてシナリオが許されるのなら、階伯(かいはく)と金庾信が幼馴染でも問題ないですよね?w だって、記録無いし。
イスラエルがユダヤの地だったら、朝鮮半島南部も倭人の地のはずw。
生成にはGPT-4oを使用しましたが、下記の文章は見出しを少し直し、はてな表記にしただけで、生成文そのままです。アメリカ等の歴史教科書では、朝鮮半島南部に倭人が住んでいたということを認めているので、すんなり生成されたのだと考えています。本当は、倭人とういう朝鮮半島南部から九州北部あたりに分布している海洋民族がいただけなんじゃないかと思います。そして、その人らが大和政権に取り入れられ、日本という国が成立したんじゃないでしょうか。
ということで、日本側の見解としての階伯(かいはく)と金庾信の話を作ってみました。以下に本編です。
東京の秋の夜、薄い雲が月明かりをぼやかし、冷たい風が皇居の周囲を包んでいた。歴史学者、宮内敬一は、しなやかな動きで宮内庁の厳重な警備をかいくぐり、特定の建物へと静かに忍び込んだ。彼の胸中には、ある確信があった――かつて日本に伝来し、その後散逸したとされる「百済本紀」が、ここに隠されているはずだ、と。
数年前、宮内は韓国の古書店で、偶然ある巻物の切れ端を目にしていた。その破片には「百済本紀」の名がかすかに読み取れ、彼の興味を大いにかき立てた。百済王国の歴史を記したこの書物は、日本と朝鮮半島との関係を解明する鍵となりうる、極めて貴重な歴史的資料である。しかし、日本の記録にはどこにもその存在は記されていない。宮内は、この謎を解くべく独自の調査を進め、ついにたどり着いたのが、ここ宮内庁だった。
彼の手元には、長年の研究から得た宮内庁内部の古文書倉庫のレイアウトが詳細に記されているメモがあった。限られた時間の中で、どの棚にどの文書が保管されているのか、緻密に計算されていた。
暗い廊下を抜け、幾重にも鍵がかけられた古文書倉庫の扉の前にたどり着く。宮内は冷静に暗号を解き、精密な動作で鍵を解除した。倉庫の中はひんやりとした空気が漂い、古びた紙の匂いがわずかに鼻をくすぐる。長い棚が並び、そこには時代ごとに整理された膨大な古文書が眠っている。
宮内は目的の棚へとまっすぐに歩み寄る。近づくほどに心拍数が上がり、手の平にはじっとりと汗が滲む。ついにその時が来た。彼の手が、一冊の古びた箱に触れる。箱の表面には、薄れかけた文字で「百済本紀」と刻まれている。
慎重にその箱を開け、中の巻物を取り出すと、千年以上の時を超えてその姿を現した。封が施されていたはずの巻物は、思いのほか保存状態が良く、宮内の震える手の中でゆっくりと広げられていく。巻物に記された文字は、古代の朝鮮半島の漢字表記であり、間違いなく「百済本紀」だった。
宮内は息を呑み、震える声で「これが…ついに…」とつぶやいた。目の前に広がるのは、歴史が語りたがっていた物語だった。これまで失われたとされてきた百済の記録が、自らの手の中にあるという事実に、彼はただ打ち震えるばかりだった。
だが、その瞬間、背後で微かな音が響いた。宮内は瞬時に振り返り、身構えた。
宮内の背後で響いた音は、冷ややかな静寂を切り裂くかのようだった。警備員か、それとも何者か別の存在か――宮内の心臓は、緊張のあまり大きく脈打った。
「誰だ?」宮内は小声で問いかけるが、返事はない。身を低くし、ゆっくりと視線を巡らせた。そのとき、微かな足音が再び聞こえた。かすかな光が倉庫の奥から差し込み、宮内の視界に誰かが近づいてくるのがわかった。光に照らされたその姿は、想像していたような警備員ではなかった。
スーツ姿の男が、静かに歩を進めてきた。その目は鋭く、宮内を捉えて離さない。そして、男の口元にかすかな笑みが浮かんでいた。
その声には、明らかに宮内の行動を全て見透かしているかのような冷静さがあった。驚きと同時に、背筋に冷たいものが走る。
「あなたは…誰だ?」宮内は巻物をそっと戻し、箱を再び閉じた。手は汗ばんでいたが、その目には確固たる決意が宿っていた。
男はゆっくりと近づきながら、まるで狩りを楽しむかのように言葉を続けた。「私の名前は名乗る必要はありません。ただ、あなたが何を求めてここにいるのかは、もう全て知っている。そして、それが公に出てはならないということも」
「公に出てはならない?」宮内は眉をひそめた。百済本紀の発見が、なぜそれほどまでに秘匿されなければならないのか。宮内の中で、疑念と怒りが沸き上がった。「これは、歴史を明らかにするための重要な資料だ。日本と百済のつながりを示す、そして隠されてきた真実を照らす光だ。それを隠す理由がどこにある?」
男は薄く笑い、「それはあなたが決めることではない」と静かに言い放つ。「歴史は常に勝者が書くものだ。敗者の物語は、都合よく葬られることもある。あなたがこの巻物を公表することは、今の日本の歴史観を揺るがすことになる。そう簡単にはいかない」
宮内はその言葉に心の中で反発した。歴史は真実でなければならない。たとえそれが現代の価値観や政治的な意図にそぐわないものであったとしても。しかし、目の前の男は明らかにそれを理解しない、あるいは理解しようとしない。彼はただ、今の秩序を守るために動いている。
「では、どうするつもりだ?私をここで止めるのか?」宮内はあえて挑戦的な口調で尋ねた。
男は一瞬沈黙し、次に口を開いたとき、声は低く冷たかった。「あなたがどれだけの真実を知っていようと、我々はその真実を決して外に出すつもりはない。だから、これ以上深入りしない方が身のためだ、宮内先生」
そう言いながら、男は静かに背を向けた。そして、出口に向かって歩き出す。彼が扉に手をかけた瞬間、ふと振り返り、「もしまだ、百済の歴史に興味があるのなら…もう一度考え直すことだ。あなたの研究も、命も、この国のために使えるはずだ」と含みのある口調で言い残し、倉庫から姿を消した。
宮内はその場に立ち尽くした。男の言葉の意味を考えながら、再び視線を箱に向けた。手の中に収めた百済本紀は、歴史の失われたピースを埋める貴重な証拠だ。しかし、それを公開することが、彼の命を危険にさらす可能性があることも明白だった。
だが、宮内は一度決めたことを覆すつもりはなかった。彼は再び箱を手に取り、慎重にそれを自分のバッグに収めた。何があろうとも、この真実を守り抜く。それが、彼に与えられた使命だと確信していた。
倉庫を後にし、宮内は闇の中に静かに姿を消した。彼の手の中にある百済本紀が、これから日本と朝鮮半島の歴史をどう変えるのか――その答えは、まだ誰にもわからなかったが、確かに歴史は動き出していた。
宮内は暗い夜の中、宮内庁の敷地を慎重に抜け出し、手に汗握るような緊張感を抱えながらも、自らの決意をさらに固めていた。背後で静かに扉が閉まる音を耳にし、彼は改めて周囲の安全を確認した。振り返ることなく、冷たい秋の風に身を包まれながら、ゆっくりと歩を進めた。
百済本紀は、ついにその姿を現した。しかし、この発見は彼にとって、祝福されるものであるはずがなかった。目の前の謎めいた男が口にした警告は、無視できない現実として宮内の脳裏にこびりついていた。彼は一つの歴史的真実を見つけた。しかし、それがあまりに大きすぎる秘密であったために、彼は今、新たな危険にさらされていることを知っていた。
「誰が…何を隠しているんだ…?」宮内は自らに問いかけながら、都心に戻る電車の中でじっと考え込んでいた。外の街の景色は、窓越しに次々と流れていく。煌々と輝くネオンと、高層ビルの明かりは東京の夜を彩っていたが、宮内の心の中は重苦しい暗雲が立ち込めていた。
彼は手元のカバンに視線を落とした。カバンの中には、つい先ほど手に入れたばかりの「百済本紀」が眠っている。その重みが、今の彼にとっては異様に感じられた。歴史の重要なピースを手に入れたにもかかわらず、その喜びはまるでなく、代わりに不安と恐怖が心を支配している。
「このままではいけない…」宮内は静かに呟いた。彼の頭には一つの考えが浮かんでいた。この文書を公開する前に、まず信頼できる誰かに相談し、協力を得る必要がある。単独で動くにはあまりにリスクが大きい。だが、誰にこの話を持ちかけるべきか――それが問題だった。
彼の心にまず浮かんだのは、大学時代の友人であり、今や有名な考古学者である佐伯真一の顔だった。佐伯は日本国内外の歴史的な発掘調査で多くの成果を上げており、特に日韓関係史の研究において第一人者とされている。彼なら、この資料の重要性を正しく理解し、適切に扱ってくれるはずだ。宮内はすぐに佐伯との接触を決め、駅に降り立つとスマートフォンを手に取り、連絡を取った。
「もしもし、宮内か?久しぶりだな。こんな夜遅くにどうした?」
宮内は一瞬ためらったが、意を決して口を開いた。「佐伯、急ぎで話したいことがあるんだ。今すぐ会えるか?」
佐伯は少し驚いたような声で、「今か?何か大事なことか?」と尋ねた。
「…ああ、これまでの研究人生で一番大事な発見をしたんだ。それも、とてつもない発見だ。今は詳しくは話せないが、どうしても君に見てもらいたいんだ」
佐伯はその異様な緊張感を察したのか、数秒の沈黙の後、「分かった。今すぐ都心のカフェで会おう」と返事をくれた。
宮内がカフェに着いたのは、電話からわずか30分後のことだった。深夜にもかかわらず、カフェは数名の客で賑わっていた。宮内は店内を見回し、奥の席で待っている佐伯の姿を見つけ、急いで席に向かった。
「宮内、どうしたんだ?お前がそんなに慌てるなんて珍しいな」
佐伯は心配そうな表情で宮内を見つめていたが、宮内は口を結び、静かにカバンから巻物の入った箱を取り出した。その瞬間、佐伯の目が一気に鋭くなった。
「これを見てくれ」宮内は低い声で言いながら、慎重に巻物をテーブルの上に広げた。薄暗いカフェの灯りに、古代の文字が浮かび上がる。
「そうだ」宮内は確信を込めて言った。「百済本紀だ。散逸したはずのものが、ここにある。そしてこれが、これまで語られてこなかった日本と百済の真実を証明するものなんだ」
佐伯はしばらく無言でその巻物を見つめていたが、次第に表情が険しくなっていった。そして、静かに目を閉じると、ため息をついた。
「宮内…お前、これがどれだけ危険なものか分かっているのか?」
宮内はその言葉に驚きながらも、佐伯に向き直った。「危険だと?これは歴史の真実だ。それを明らかにすることが、なぜ危険なんだ?」
佐伯は低い声で答えた。「宮内、世の中には触れてはならない真実というものがあるんだ。この文書が公にされたら、ただ歴史の教科書が書き換わるだけでは済まない。この国の根幹を揺るがすことになる。お前が巻き込まれたのは、単なる学問の問題じゃない。もっと大きな、国家の問題なんだ」
宮内は驚愕し、言葉を失った。まさか、そこまでの影響があるとは想像もしていなかった。「そんな…一体どういうことだ?」
佐伯は再び巻物に目をやり、静かに言った。「これから先、お前がどう行動するかで、お前の運命も決まるだろう。だが、その前に…もう一度この文書を精査し、何が書かれているのかを完全に把握する必要がある。私も協力するから、一緒に慎重に進めよう」
宮内はその言葉に頷き、覚悟を決めた。「わかった、佐伯。まずは真実を解き明かそう」
二人は深夜のカフェで、百済本紀の解読に取り掛かることを決意した。しかし、外では彼らを見張る影が、静かに忍び寄っていたことに、まだ二人は気づいていなかった。
宮内は佐伯と共に百済本紀の解読を進める中、ある一節に目を留めた。その古い漢字で書かれた文章は、これまでの日本と朝鮮半島の関係史を根底から覆すような内容を秘めていた。
そこにはこう記されていた。
「百済国は、倭より来たりて、王を立て、その民を治む」
佐伯は眉をひそめ、しばらくその文言を目で追った後、重々しい口調で言った。「まさか…これは、百済が日本人――つまり倭人によって建てられた王朝だということを示唆しているのか?」
宮内はゆっくりと頷いた。「そうだ。そして、これが真実なら、朝鮮半島南部――百済の領域は、かつての倭の支配下にあったということになる。竹島や対馬どころか、済州島や朝鮮半島の南半分までが、歴史的に日本の領土であった可能性が出てくる」
佐伯はしばらく沈黙した後、深いため息をついた。「これは一筋縄ではいかない話だな…。もしこの文書が公に出れば、歴史の再評価だけでなく、国際的な領土問題にまで波及する可能性がある。サンフランシスコ講和条約で定義された日本の領土が、揺るぎかねない」
宮内は焦燥感を抱えながら佐伯に問いかけた。「だが、どうしてこの『百済本紀』がここ日本で隠されていたんだ?なぜ誰も知らないんだ?」
佐伯は静かに考え込み、やがて低い声で話し始めた。「その答えは、戦後の日本の歴史にある。連合軍総司令部、つまりGHQが関与していた可能性が高い。特に、マッカーサーが日本の再建と国際関係の安定を図るために、歴史的な資料や記録を抹消または隠蔽したケースは少なくない。もし『百済本紀』に、日本が朝鮮半島南部を歴史的に支配していたという証拠が記されているとすれば…」
佐伯は目を宮内に向け、厳しい表情を浮かべた。「GHQはそれを脅威と見なして、抹消を命じた可能性がある。サンフランシスコ講和条約で日本固有の領土が定義された際、その基盤に揺らぎが生じることを恐れたんだろう。もしこの文書が明らかになれば、国際社会において、日本が朝鮮半島南部や済州島を領土として主張する正当性が浮上しかねない。それは、当時の冷戦構造の中で、極東の安定に重大な影響を与えたはずだ」
宮内はその言葉に打たれた。「つまり、これは単なる歴史の一資料ではない。戦後の日本と朝鮮半島の領土問題、そして国際政治に直接関わる爆弾だということか…」
「その通りだ」と佐伯は冷静に応じた。「だからこそGHQは、この文書を表に出させなかった。百済が倭人の設立した王朝であったという事実が認められれば、日韓の歴史認識や領土問題は根本から覆されることになる。現代の竹島を巡る領有権問題など、取るに足らないものに見えるほどの衝撃が走るだろう。済州島や釜山、そして南半分の領有権を巡って、新たな国際的な論争が生じかねない」
宮内は佐伯の言葉に深く頷いたものの、その重みを改めて感じていた。この「百済本紀」は、ただの古文書ではない。それは、日本と朝鮮半島の領土問題を再燃させ、国際情勢に大きな波紋を広げかねない爆弾だ。
「だが、これは真実だ」と宮内は力を込めて言った。「歴史を捻じ曲げてはならない。これが隠されてきた理由が何であれ、私たちの使命は、真実を明らかにすることだ。たとえそれがどれほど大きな影響を及ぼそうとも」
佐伯は厳しい表情を保ったまま、静かに宮内の目を見据えた。「宮内、お前の決意は分かる。だが、この文書を公にすることで、国内外にどれだけの波紋が広がるか、お前自身も理解しているはずだ。日本政府だけでなく、韓国政府も黙っていないだろう。いや、それどころか、国際社会全体がこの文書に注目し、外交的な大混乱を招くことになる」
宮内は一瞬言葉に詰まったが、再び口を開いた。「それでも、歴史は真実であるべきだ。この文書を隠し続けることは、日本の学問的誠実さをも裏切ることになる。それに、これまでの研究者たちが解き明かそうとしてきたことを、我々が踏みにじることになるんだ」
佐伯は深く息を吸い込み、しばらくの間、何かを考え込んでいた。そして、ゆっくりと口を開いた。「分かった。お前の信念を否定するつもりはない。ただし、慎重に動こう。急に世に出すのではなく、まずは信頼できる少数の専門家に見せ、段階的に議論を進めるべきだ。この資料が持つ意味を、慎重に検討しなければならない」
宮内はその提案に頷いた。「ああ、そうしよう。まずは、私たちの知識と経験でこの巻物を完全に解読し、それから信頼できる専門家に見せる」
二人はその場で、新たな行動計画を立てた。百済本紀の解読を進め、文書の真偽を確認した上で、専門家との協力を仰ぐ。そして、その真実を公にするための準備を進めることにした。
しかし、彼らがその場を立とうとした瞬間、外の窓に気配を感じた。宮内は一瞬、外を見やったが、何者かの姿がカフェの外にちらりと映った。黒い影――まるで監視するように、静かに彼らを見張っているようだった。
ネットを見ていると、フェミニズムの台頭により男女の対立が深まっているのを感じる。
だが、本来男女は助け合い、お互いに尊重し合い、これからの文明を築かなければならない。
女性がミサンドリーに陥る原因のひとつとして「性犯罪」が挙げられるだろう。
しかし、あれもこれも「加害」と定義しすぎたせいで、本来加害ではないものにすら、女性は傷つくことがあるのではないか。
その例として痴漢を挙げる。
もちろん合意のない痴漢は言語道断なのだが、痴漢はストレスフルな通勤・通学電車の中の「プレイ」であるという側面も忘れてはならない。
もちろんここで、女性を好きにしたいという欲望のあまり、女性の気持ちを考えずに行為に及ぶのは性犯罪者の思考。
その一環として「近づいてもたれかかる・手を握る」などの接近を行う。
いきなり胸を揉みしだかれたりしたら女性も驚くが、ただ接近するだけであれば加害ではないし、女性側はその時点で拒否することが可能だ。
セックスの時に「セックスしましょう」と合意を取るのが馬鹿らしいように、痴漢もまた、拒否できる状況を用意したうえで拒否がないのを確認して合意と見做すことができるのだ。
さて、ここで合意を確認できたところで、すぐさまスカートの中に手を入れるなどはやはり宜しくない。
首に息を吹きかける、胸を触るなど、段階的に行為を行い、いつでも拒否してプレイを中断できる状況を作る。
男女平等の社会においてはそぐわないかもしれないが、私は少なくともそう信じている。
それでも、どうしても行為に納得できなかったのであれば、痴漢を捕まえて駅長室に連れていき、示談にして解決する権利もある。
こういった、女性側の自由意志を尊重したうえで、本来あるべき痴漢はようやく成立する。
このあたりの文脈を理解せずに痴漢行為に及ぶ者や、十把一絡げに批判する者が、最近はあまりにも多い。
また、同じ時間の同じ車両で活動することで、女性側の避ける権利を担保する。
ここまで条件を揃えれば「加害」とは言い難い。
しかし、フェミニズムに煽られて「痴漢は全て加害です」というプロパガンダが行われたら?
それは痴漢を楽しみたい男性はもちろん、女性にとっても生きづらい世の中を作っていってしまう。
キリスト教ではない我が国では、昔はもっと性がおおらかなもので、それが日本人の価値観に合っていた。
これ以上、その流れを壊してはいけない。
今回はささやかな抵抗のひとつとして、痴漢と性的合意について書いてみた。
これを読んでいる男性は、痴漢プレイに限らず、女性の「したい」と「いやだ」を尊重するように。
任天堂とキリスト教の類似点について考えると、いくつかの興味深い共通点が浮かび上がります。以下にその点をまとめてみました。
キリスト教は「愛」や「希望」、「救い」といった普遍的なメッセージを伝えることを目的としています。同様に、任天堂のゲームも「友情」、「冒険」、「成長」といったテーマを通じて、プレイヤーにポジティブなメッセージを伝えています。例えば、『ゼルダの伝説』シリーズでは、勇気と知恵、そして力のバランスが重要であることが描かれています。
キリスト教は教会を中心にコミュニティを形成し、信者同士の絆を深める場を提供しています。任天堂もまた、ゲームを通じてプレイヤー同士の交流を促進し、オンラインやオフラインでのコミュニティを形成しています。『どうぶつの森』シリーズでは、プレイヤーが自分の村を作り、他のプレイヤーと交流することでコミュニティが形成されます。
3. 儀式と習慣
キリスト教には礼拝や祈りといった儀式や習慣があります。任天堂のゲームにも、プレイヤーが定期的にログインして特定のイベントに参加するなど、ある種の「儀式」や「習慣」が存在します。例えば、『ポケモンGO』では、特定の日に特別なイベントが開催され、プレイヤーが集まって楽しむことができます。
4. 道徳的な教え
キリスト教は道徳的な教えを通じて信者の行動を導きます。任天堂のゲームも、プレイヤーに対して道徳的な選択を促す場面が多く見られます。『マリオ』シリーズでは、プレイヤーが困難を乗り越え、仲間を助けることで、協力や助け合いの重要性を学ぶことができます。
キリスト教にはイエス・キリストや聖人といった象徴的なキャラクターが存在します。任天堂にも、マリオやリンクといった象徴的なキャラクターが存在し、これらのキャラクターはプレイヤーにとっての「ヒーロー」として親しまれています。
1. 依存性
キリスト教の一部の信者は、宗教活動に過度に依存することがあります。同様に、任天堂のゲームもプレイヤーに強い依存性を引き起こすことがあります。特にオンラインゲームやソーシャルゲームでは、プレイヤーが長時間プレイし続けることが問題となることがあります。
2. 排他性
キリスト教の一部の宗派は、他の宗教や信仰を排除する傾向があります。任天堂のゲームコミュニティでも、特定のゲームやプレイスタイルを好むプレイヤー同士で排他性が生じることがあります。例えば、特定のキャラクターや戦略を使わないプレイヤーが排除されることがあります。
3. 経済的負担
宗教活動には寄付や献金が伴うことがあり、信者に経済的な負担を強いることがあります。任天堂のゲームも、特に課金要素のあるゲームでは、プレイヤーに経済的な負担をかけることがあります。特にガチャ要素のあるゲームでは、多額の課金が必要となることがあります。
4. 現実逃避
宗教活動や信仰が現実逃避の手段となることがあります。同様に、任天堂のゲームもプレイヤーにとって現実逃避の手段となることがあります。特にストレスの多い現代社会では、ゲームに没頭することで現実の問題から逃れることができるため、過度に依存することがあります。
5. 誤解や偏見
キリスト教に対する誤解や偏見が存在するように、任天堂のゲームやそのプレイヤーに対する誤解や偏見も存在します。例えば、ゲームをプレイすることが「子供っぽい」や「時間の無駄」と見なされることがあります。
これらのネガティブな点を考慮することで、任天堂のゲームとキリスト教の啓蒙思想には、ポジティブな影響だけでなく、注意すべき共通の課題も存在することがわかります。
東京で増田が言うような助け合いが生き残ってる牧歌的な社会が残ってるのは下町と地元民コミュニティだけ思うわ
夏祭りとかも子供の親は恩恵を受けて参加するばかりで運営に回ってくれる人がいないから続々中止になってるし、俺もそれがいいと思う
共産系の嫌いな自助共助じゃん。自民や維新の"公助だけでは救えないものもあるから共助自助も必要"に反発してきて今更言うんかい。イデオロギーに殉じて公助マシーンとして救い続けろよ。
自助を前提として公助を絞るのに反対すると、なんで自助の反対になるんだ?
大事な事だ
一人では限界がある
昔からそうしてきた
今してるのは「だったら」という話だ
軋轢もあるだろう、柵もできる、集まりの中に嫌な奴が入る事もある
そう言う面倒事から目を背けて
だから私は関わりません、私に干渉しないでくださいとぶち上げてだ
困ったら頼ろうって、なんじゃそら
「今」やれ
そういう話だ
親子げんかをして絶縁状態になった父が認知症に。介護と看取りを経て、今僕が思うこと
https://kaigo.homes.co.jp/tayorini/column/oyakogenka/
周りの人に頼ってください
この人についてどうこうという話じゃなく一般論として
町内会でも似たようなことが起こってるし
マンション管理組合なんかもそう
なんなら「なんで払う必要があるんだ、おれは参加しないから払わない」とか言い出す
はてなのリベサなんかだと「そうだそうだ」ってな具合じゃないか?
PTAなんかも槍玉にあげられて、旧態依然とした村社会は消えてしまえとばかりに叩かれる
ところがだ
子育てや介護となると、社会は理解がない、社会は冷たいとか抜かしやがる
その口が困った時に助けられたら「隣近所は暖かい」とか言い出す
【お前は】暖かかったのかい?
【お前は】誰かの子育てを助けたのか?
【お前は】誰かの介護を助けたのか?
「助けてもらったら助けてあげましょう」みたいな事を軽々に書くやつもいるんだけどさ
誰かを助けるには、その誰かから認知されて、頼って貰える存在である必要があるんだよ
うちの親は共産系の活動してて、地域の診療所(共産系)に良く出入りしてた
その関係で、診療所の人とも知り合いで、まだ介護問題なんて騒がれてない頃に、ボランティアのデイケアサービスを手探りしながら「みんなで」立ち上げた
いろんな相談も入ってきたけど、そういう活動して表に立ってたから相談されたわけ
介護対象の祖母が亡くなった時には、共産系の人も町内会も色々助けてくれた
うちの親は町内会は面倒だというし、共産系の集まりも大変だと言うけど、バックレたりしない
助け合いってそういう物だべ
保護がもらえたら選挙の手伝いもしなければボランティアにも参加しない
そういう奴がゴロゴロしてる
「助ける側」にいるとそういうのがすごい可視化されるんだよ
別にさ
本当に困った時に、そのままのたれ氏ねとは言わねぇよ
でもさ
村社会だのなんだのと敵視する時さ
という言葉を思い出して欲しいんだよ
この言葉を聞いて「俺が困るまでは誰も助けねぇし手伝わねぇ」みたいな人間が増えると
周りに頼れる人が居なくなって誰も助けれくれなくなるんだ
「次」じゃねぇ、「今」助けろ
日本社会における共同体の形態は、時代とともに大きく変化してきた。かつての故郷を中心とした共同体から、会社中心の社会、そして現代の「推し活」に至るまで、その変遷は日本人の生活や価値観の変化を如実に表している。本稿では、これらの変化を考察し、各時代の共同体が持つ特徴と、その基盤となるものの変化について探る。
まず、最も古い形態の共同体として、「故郷」に焦点を当てよう。故郷という共同体の最大の特徴は、その「大地」に根ざした不変性にある。人々は同じ土地で生まれ育ち、その土地の文化や伝統を共有することで強い絆を形成していた。この共同体は、地縁・血縁に基づく強固な結びつきを持ち、相互扶助の精神が根付いていた。自然災害や飢饉などの危機に際しても、互いに助け合い、乗り越えていく力を持っていたのである。
しかし、明治以降の近代化と、特に戦後の高度経済成長期において、日本社会は大きな変容を遂げる。地方から都市部への大規模な人口移動が起こり、故郷が担っていた共同体としての機能は徐々に失われていった。その代わりに台頭してきたのが、「会社」という新たな共同体である。
会社は、故郷が担っていた共同体の機能を代替し、終身雇用や家族的経営など、日本独自の特徴を持つ相互扶助を実現する場となった。ここでの結束の軸は「生産」である。社員は会社の生産活動に従事することで、安定した収入と社会的地位を得ると同時に、会社を通じて新たな人間関係を構築した。会社という共同体は、個人の生活を支える基盤となり、そこでの人間関係は時に家族以上に親密なものとなった。
しかし、バブル崩壊後の経済停滞と新自由主義の台頭により、会社という共同体の力は徐々に弱まっていく。終身雇用制度の崩壊や成果主義の導入により、会社と個人の関係性は大きく変化し、かつてのような強固な絆は失われていった。日本人は再び連帯を失いかけたのである。
そんな中で台頭してきたのが、「推し活」を中心とした新たな共同体である。推し活とは、特定のアイドルやアーティスト、キャラクターなどを熱心に応援する活動を指す。この新しい形態の共同体は、80年代のオタクカルチャーとは異なり、より「共同体的」な性質を持っている。
オタクカルチャーが個人の趣味や嗜好を強調し、それが結果的に既存の共同体からの逃避や代替の場として機能していたのに対し、推し活はむしろ個人を再び共同体的な枠組みに引き戻す役割を果たしている。推し活を通じて人々は、共通の関心を持つ他者との連帯感を感じ、コミュニティを形成している。このコミュニティは、かつての故郷や会社が持っていた連帯感に似た役割を果たしているのである。
しかし、ここで注目すべきは、これらの共同体がそれぞれ何に根ざしているかという点である。故郷は「大地」に、会社は「生産」に、そして推し活は「消費」に根ざしている。この変遷は、共同体としての強度が徐々に弱くなっていることを示唆している。
大地に根ざした故郷は、よほどのことがない限りなくならない。生産に根ざした会社も、人が生きている限り必要不可欠なものであり、個々の会社の栄枯盛衰はあれど、会社という制度自体はなくならない。会社を移動することで共同体を失うリスクは最低限担保される。
しかし、消費に根ざしている推し活は、消費するための財がなければその共同体に参加することはできない。財とは個人的なものであり、財を失ったときに補完してくれる基盤はほぼない。生活保護などのセーフティネットは存在するが、それを受給することは推し活に回す余剰がほぼない状態を意味する。
したがって、推し活による共同体は極めて脆弱な基盤の上に成り立っているため、その財を得るために無茶な行為を働きかねないというリスクにつながる。これを読んでいる皆さんの周辺でもそのような現象は枚挙にいとまがないであろう。
このように、日本の共同体の変遷は、社会の近代化と個人主義化の過程を反映している。大地から生産、そして消費へと基盤が変化する中で、共同体の強度は弱まり、個人が抱えるリスクは増大している。
推し活という新しい共同体の形は、現代人のニーズに応える一方で、社会の安定性という観点からは課題を抱えている。今後の社会は、この新たな形の共同体がもたらす利点を活かしつつ、その脆弱性にどう対処していくかが課題となるだろう。
私たちは、これらの課題に対して、どのような社会システムや価値観の変革が必要となるのか、真剣に考える必要がある。消費に基づく共同体の脆弱性を補完する新たな社会的セーフティネットの構築や、消費以外の要素で人々を結びつける新たな共同体の形の模索など、様々な角度からのアプローチが求められている。
日本社会が直面するこの構造的変化は、単なる社会現象ではなく、私たちの生き方や幸福のあり方に深く関わる問題である。共同体の変遷を通じて私たちが失ってきたものと、新たに獲得したものを冷静に見極め、より強固で持続可能な社会の構築に向けて、一人一人が考え、行動していくことが重要だ。そうすることで初めて、推し活に代表される新しい形の共同体と、伝統的な共同体の良さを両立させた、真に豊かな社会を実現できるのではないだろうか。
青空の下、女性たちが集まってバーベキューを楽しんでいる。陽気な笑い声とともに、火を起こしたり、野菜を切ったり、スパイスを混ぜたりする姿が見える。それぞれが自分の役割を持ちながら、自然と助け合い、協力し合っている。誰かが火を起こすと、別の人がうちわで扇ぎ、また別の人が「ちょっと塩を足した方がいいかも」と提案し合う。
女「お肉も野菜も全部揃ったね!じゃあ、みんなで料理始めよう!」
女「ねえ、このマリネのレシピ、すごく美味しいよ!試してみて!」
女「ほんと?ちょっと見せて!あ、このスパイス加えるのね、いいアイデア!」
その場には自由なコミュニケーションと、全員で作り上げる楽しさが溢れている。火を囲むことで自然に話題が生まれ、誰もが参加している。
次の週末、同じグループに一人の男性が参加することになる。彼は意気揚々と現れ、少しもためらうことなく、火のそばに立つ。
男「僕、火起こし得意だから、任せて!」
彼はすぐにライターを取り出し、手際よく火をつける。その間、女性たちは少し戸惑った様子で見守る。
女「あ、じゃあ私は野菜切るね…」
男「それも僕に任せて!切るのも早いんだよね。」
次々とタスクを取っていく彼に、女性たちは少しずつ話す機会を失っていく。誰かが何かをしようとすると、彼が「僕やるよ!」とすぐに介入する。
やがて、女性たちは気まずい沈黙の中で手持ち無沙汰になり、バーベキューの楽しさが半減してしまう。彼女たちは、お互いに目配せをしながら、何か違和感を感じ始める。
女「なんか、違うよね…。前の週の方が楽しかったな…。」
女「そうね、みんなでやるから楽しいのに、なんだか全部奪われちゃった感じ。」
女性たちは、男性の「僕これできるよ!」という幼児的万能感が、彼らの楽しみを奪っていることに気づく。そして心の中で、こう思う。「そんな簡単な作業、誰でもできるのに。なぜ自分だけが特別だと思うんだろう?」