はてなキーワード: 母親とは
母親や叔母や従兄弟が看護師なんだが、母世代の頃から結婚せずに洋楽やインディーズのバンドやアーティストの追っかけ、ホスクラ通いはザラ
れいわの長谷川羽衣子も「朴」じゃなくて「長谷川」で活動してたもんね。
会社によってはビジネスネーム名乗らせてくれるし、娘さんも今までと同じように母親の姓を名乗らせて、実績を作ったら日本名に変えられそうな気もするけど。
スレッタ:水星での経験に基づく価値観、社会への考えを回想等で明確に。恋愛・友情・家族重視の背景を描き、行動原理に説得力を。周囲からの酷い仕打ちに耐えたり流されるだけでなく、意思を持って状況打開。母親の真意に疑問を持ち、自分で考え行動する場面を増やし、成長を描く。
ミオリネ:ベネリットグループ総裁の娘としての立場、地球との格差への問題意識を行動・葛藤を通して描写。父親への反発理由、理想の社会像を明確にし、「籠の鳥」脱却。父親の過去の罪への苦悩、答えを出す過程を描き、深みを。
シャディク:戦災孤児としての過去、スペーシアンへの複雑な感情を回想シーンで丁寧に。テロリストへの道を選んだ動機・苦悩を掘り下げ、共感・理解を得る。ミオリネへの恋愛感情以外に、掲げる理想、社会変革への想いを明確にし、「百合の当て馬」脱却。
ラウダ:愛人の子としての境遇を描き、グエルへの依存と劣等感、内面を掘り下げ、行動原理に説得力を。殺人未遂後に平然とするのではなく葛藤し周囲との関係修復することで「小物」脱却、成長を描く。
社会的弱者のステレオタイプ化を回避。個性、状況への葛藤を丁寧に。特に体制反抗キャラの内面を掘り下げ、行動に説得力、共感を得る。
グエル優遇によるアンチ増加のバランス悪い脚本脱却。各キャラに均等にスポットライトを当て、成長・葛藤を描き、バランス良い物語に。
シュバルゼッテ: 「噛ませ犬」脱却、性能を活かした活躍の場を用意。開発経緯・機体特性を説明し、メカとしての魅力を。
デミバーディング: 「輸送機」脱却、戦闘・救助等、多用途性を活かした活躍を。ニカとチュチュの関係性深堀りで、存在意義向上。
敵メカ: 個性的なデザイン、印象的な活躍で、「やられ役」脱却、魅力的に。
クワイエット・ゼロ: 目的、仕組み、影響など物語の根幹に関わる設定については明確な説明を。ノートレットの理想、デリングの思惑、プロスペラの目論見、動機・目的を明確にし、深みと説得力を。現状は無責任。
罪と罰: 罪を犯したキャラには償いの過程を。特にプロスペラやデリングやペイル社CEO等、殺人の罪を犯した大人キャラの責任を曖昧にしない。ラウダの殺人未遂も「無罪放免」でなく、成長する過程を描き、納得感を。
宇宙議会連合: 雑な悪役脱却、成り立ち、内部権力闘争、スペーシアンとアーシアンの関係性掘り下げ、深みとリアリティを。
SF設定: リプリチャイルド等、ご都合展開でなく、物語のテーマ、キャラの葛藤に深く関わる要素として丁寧に。
格差問題: 「背景設定」でなく主軸に据え、深く掘り下げ。シャディク等を通し、不条理、苦悩を描き、問題提起、共感を。現実の紛争やテロを想起させる描写は慎重に扱うべき。安易な対立は問題を矮小化、偏見助長の危険性。
倫理観: 弱者やマイノリティを「不幸」「ヘイトタンク」扱いでなく、尊厳を守り、明確な倫理観を。「信賞必罰」「勧善懲悪」等、普遍的倫理観を示し、若者に正しい価値観を。
社会問題: 多角的視点を提示、視聴者に考えるきっかけを。各キャラの問題への向き合い、答えを丁寧に描き、深みと説得力を。
関係性: 「別れ」だけでなく「共に歩む」関係性も丁寧に。特にスレミオは「結婚」を唐突に描かず、愛の育み過程を丁寧に描き、納得感を。声優への説明不足解消、制作意図を持って関係性を描き、演者にも伝える。
若者向け: 希望あるメッセージを。抑圧、不条理、差別等、困難に直面しつつ、意思で未来を切り開く若者を描き、勇気・希望を。
普遍的テーマ: 「ガンダム」として戦争の悲惨さ、平和の尊さを現代的視点で。GUND技術を「兵器」だけでなく、医療技術としての可能性、人類の未来への影響を深く掘り下げ、深みとメッセージ性を。
説明・配慮: 視聴者の考察任せでなく、必要設定・情報を明確に説明。特に物語の根幹設定、キャラの行動原理は丁寧に説明責任を。声優・視聴者に制作意図を明確に伝え、共有し、理解を深め、一体感を。
若者: リサーチで関心・価値観を反映。特に倫理観、社会問題描写は慎重検討、専門家の意見も取り入れ、細心の注意を。
「水星の魔女」は多くの可能性を秘めた作品だった。上記の改善で、完成度高く、多くの視聴者に愛される作品になったはず。「若者向け」なら、身近な問題、共感できるメッセージを丁寧に、希望を持って描くことが重要。制作側は視聴者への丁寧な説明、明確なメッセージ発信で、理解を深め、多くの共感を得られたはず。批判を真摯に受け止め、より良い作品作りに活かすことが、制作陣の責任。
読めなかったけど、母親からありがとうって言われた記憶が一切ないことを思い出せた
父親も似たような感じかそれ以下で、コミュ力は母より低かったけど70超えてから、ご飯作ったら「ありがとう、うまかった」って言ってくれるようになった
お姉ちゃんが教えてくれたのかな
私の母は私が小学生の時に在日韓国人と結婚した。父の母にあたる女性の韓国の戸籍があやふやだとかでずっと帰化がかなわずにいるので、父は通称名として母が名乗っていた苗字を使っている。実のところその苗字は母が離婚時に子供を思ってそのまま残しておいた前の夫のものだから、この夫婦はどちらも生まれつきの苗字を名乗っていないことになる。
帰化に関する相談は何度か両親から受けたが、それにあたって子供である我々の苗字まで韓国名に変更される可能性があるなんて話は一度たりとて聞いたことがなかったので非常に驚いている。
両親は知っていたのだろうか。知っていても再婚時の事情を鑑みれば、あるいは父が職場から自分が在日と知られることを非常に恐れていたことから考えて、本名として韓国名を選ぶ意思は全くないから言うまでもないと思ったのかもしれない。
私の苗字は出生時から山田(仮)であった。佐藤(仮)であった母は最初の夫と結婚して山田(仮)となり、山田花子(仮)として私は生まれた。
母には夫であった山田(仮)との離婚に際して私を佐藤花子(仮)とする選択肢があったと思うが、彼女は子供の事情を鑑みてそうしなかった。非常に感謝している。
今元増田のブコメにいくつかついているように「お前は両親が結婚した時点で半分山田で半分佐藤なんだから佐藤になるのは当然だろ」などと言われたところで納得できなかったと思う。私は生まれた時から山田(仮)だ。佐藤(仮)だったのは母親であって私ではない。母親の血を半分引いているのは事実でも、母親の苗字まで半分引くことを了承したわけではない。
現在の父が子供の事情や気持ちなど考える気のない強権的な人格で、韓国人としてのアイデンティティを大事にしており、にも関わらずなぜか帰化を選んで家族全員に韓国名を名乗らせるような男であった場合、自分も元増田の娘さんと同じ目に遭わされていたかもしれないと考えると、その世界線の自分が非行に走らず精神も病まずに生きていられた自信は全くないし、その世界線の自分は生涯親を許さなかったと思う。
とりあえず増田とその娘さんに対して「娘さんは半分朴なんだから当たり前だ」「朴と結婚した時点でそれを望んだんだろ」などと人に言うような頓珍漢な人間は明日にでも親が離婚して、強制的に母方の苗字を名乗る羽目になったらいいと思う。半分母方姓の人間なんだからそこに生まれた自己責任ですよね。
暇空茜は日々認知プロファイリング(妄想)による推理を行っているが、ついにそれが極限の域に達そうとしている。
きっかけは、暇空茜が、堀口英利と新宗教仏教団体「真如苑」との結びつきを発見したことだった。
暇空茜 @himasoraakane
https://x.com/himasoraakane/status/1866853871311896887
堀口英利は、自身のnoteの中で母が真如苑の信者であったことを打ち明けている。
そこから暇空茜は認知プロファイリングを駆使し、この「母親」が「導き親」(真如苑でそういう制度があるらしい)であると推理、
暇空の認知プロファイリング(妄想)曰く、その「導き親」は実は、東京大学の田中東子教授らしく、田中東子教授が堀口英利を真如苑に勧誘したとされる(当然妄想)。
この辺りの推理は複雑なので割愛するが、とにかく、堀口は真如苑の信者であり、暇空茜の敵対勢力(真如苑信者とされる)が、堀口を何らかの方法で監禁しているために、
堀口が表に出てこないと暇空茜は推理している。実際に彼は、こうした話を警察に報告しているらしい。
暇空茜@himasoraakane
全部急いで資料作って提出してきました
https://x.com/himasoraakane/status/1866775335175606462
この推理を行った数日後、暇空茜の代表的信奉者の「アルパカ社長」及び、「ねこはち」らが、実にしょうもない理由で暇空茜にスパイ認定される。
その頃、暇空茜に対し、「カルピス軍団(暇空茜のアンチ集団)は十二支ではないか」という意味不明なタレコミが届く。
実は、暇空茜と現在敵対している面々は、すべて真如苑によって仕込まれた存在で、特に重要な人物らは十二支をコードネームとする「十二神将」と考えられるのだという。
例えば先ほど言った「アルパカ」社長は、漢字でアルパカが「羊駱駝」であるが故に、「羊」担当。
「バサラキック」計画の首謀者と目される「バサラ」は、wikipedia情報によると「十二神将の一」と記されており、「丑」担当。
また、田中東子と同一視される「ミルージュ」は「ミ」なので「蛇」担当とされる.....など。
更に、十三番目の十二支とされる「猫」は、まさに「ねこはち」と一致する。
十二支の説話と、仏教の関連度合いなどから、真如苑の内部でそのようなコードネームが用いられているのだという。
こうした話を暇空茜は当初は「与太話」として、冗談半分で述べていたが、現在はかなり本気度が高いものと思われる。
被害者や同様の事案の被害に遭われた方を不安にさせるので犯罪の時期、内容等は伏せます。
ある1事案で逮捕されて、証拠諸々から余罪も見つかり…という感じです。
自分のケースもレアかなとは思いますが思考の変遷について書き留めたいので、ざっくばらんに書いてく。思いつきで書いてるのでわかりにくいかも。
まずは逮捕後、母親は俺を見捨てて勘当するつもりだったらしい(父親はすでに病気で他界していて兄弟もいない)。
ただ、偶然おれが捕まった頃にテレビか雑誌の記事かなにかで性犯罪被害に遭った方の記事を読んだのか番組?ドキュメンタリー?を見たかしたのと、再犯率が高いとか、俺もそうだったけど1人で複数回犯罪を重ねていたりするケースがままあることを知って、このまま勘当して見捨てたらさらに被害者を増やす可能性があると思ったらしく、成人してる子とはいえ親として再犯させないためにも関わり続けることを決めたらしい。(これは後述するカウンセリング等の際に聞いた)
母親が見捨てなかったというのが俺にとってはすごく大きかった。
カウンセリングについては今でも続けている。
被害者に対して申し訳ないとかではなく、どこをどうすればバレなかったか、とかもっとうまくやってればとか、自分が下手こいたという認識しかなかった。
警察に行った被害者に対してめんどくせー女がよ…みたいに考えていた。
カウンセリングを通じて被害を自分事として考える試みがあったが、
例えば当事者意識を持つために自分に近しい人(近所のお姉さんとか、親戚の女の子とか)が被害に遭った場合にどう感じるか、みたいな。
俺にとっては正直ただのオカズだった。
知ってる女の人が性被害に遭ってひどい目にあわされて絶望してるの考えただけで抜けると思ってた。
さすがにそのまま言いはしなかったし、知ってる人が被害に遭ってたら辛いです悲しいですとか言ったかもしれないけど(当時どう答えたか覚えてない)、カウンセラーの先生にはたぶんそこも見透かされてた。
そのため、そもそも俺がどうしてそういう認識を持ってしまったか?を探ることになる。
両親は本や漫画が好きで家にはたくさんあった。そして父親のエロ本が当たり前にその辺に転がってた。
父親は家の中で強権的だった。
酒に酔うと、暴力は振るわないが、テレビに出てる女性タレントやグラドルの見た目を揶揄する発言をよくしてた。
「脳みそに行く栄養がぜんぶおっぱいに回っただけのバカ女」みたいな感じの発言。露出の多い服の女性芸能人は男に媚を売りたがっているアバズレだとか。
俺は小さい頃から男児らしく乗り物好きだったのだが、車が趣味で車に関わる仕事をしていた父親は知識が豊富で乗り物にとても詳しかった。乗り物のことをなんでも教えてくれる父は俺にとって一番すごい人で、乗り物以外でも父親の言うことが正しいのだと思っていた。
また、父親が酒に酔って他人を揶揄したり、自分を大きく見せる発言をしたときも母親は父の機嫌を損ねないように何も言わなかったので、その発言や態度をそのまま俺は学習し、内面化していった。
酔ってる時の父はリビングに転がってるエロ本を俺に渡してこういうの読みてえんだろとか言ってた。
このあたりはカウンセラーの人と話しながら父親や父親との関わりを見直す作業をしたので割といまでは冷静に書ける。
この話を始めた当時はカウンセラーやたまに同席する母親に対しても自分を大きく見せようとしていたと思う。
こうした両親の態度や状況は性的な、または心理的な虐待の一形態であった可能性が高いとわかった。
俺は父親と母親にまともな環境で育ててもらえなかったせいで性犯罪者になってしまった。なのになんで犯罪者としてこんなに責められなきゃいけないんだ、みたいな。
俺が犯した罪と、俺の生育環境の悪さを切り離して考えることができなかった。
俺は記憶にないが、父親は酔うと暴力を振るったこともあったらしく、母親はどうしてもそれだけはやめてくれと言ってやめさせた。だけどまたいつ暴力を振るうか分からなくて事なかれ主義で父親の態度を容認・放置してしまった、申し訳ないことをしたと言っていた。
母が認めて謝ったことは後々受け入れるけど、このときは被害者意識を膨らませる動機にしかなっていなかったと思う。
女性や他人を尊厳ある人として認識してコミュニケーションをとる、関わり方を覚える、みたいな方向に行くんだけど、ほんとに分からなかった。
被害者意識を持て余してうまく行かなかった。すごく時間がかかった。
ツイッターだと思うけど、あるラジオ番組?でモーニング娘。のあるメンバーが水着の写真集は出さない、100億くらいもらわないとやらない、みたいな話をしていたらしい。それに対して明石家さんまが「お前は自分のカラダにそこまでの価値があると思っているのか?」みたいな返しをするとその子は
「私にもさんまさんにも誰にだってそれだけの価値があります」というようなことを言っていたと。
それを称賛する内容のツイートかなにかを目にした。
そのとき、
「ってことは俺にも100億とかの価値があるのか〜」
と、綺麗事でそういう誰の命も大切、みたいな台詞はごまんとあると思うんだけどなぜかこのときはすごく響いた気がする。
100億の具体的な価値はわからないがものすごい希少なダイヤモンドくらいの金額なのかな、とか考えたんだと思う。
この後もカウンセリングは続けていくんだけど、頭の片隅にずっとあの話があって、いつ何がきっかけか覚えてないけど、しばらくしてからすべての人をダイヤモンドだと思うことを始めた。
尊厳が、とか、人を尊重するとか大事にするとか、そういうことを言われると俺だって尊重されたい、大事にしてくれ、そっちが俺を大事にしないのになんで俺が、みたいな被害者意識の暴走があったけど、
人として見ることを諦めて眼の前の人間は100億のダイヤモンドだ、ダイヤモンドにこの態度は良いのか、この言葉は良いのか、勝手に触れてはいけないのではないか、みたいな
相手をダイヤモンドにすることで相手と距離をおいて考えられるようになった。
「尊厳のある1個人として尊重する」ためにはたぶん相手との間に少し心の距離?をとる必要があって、俺の場合は自分の被害者意識に振り回されがちで相手の状況や考えを推し量れなくなってたけど、いっそ相手を無機物(ダイヤモンド)とすることで距離を測れるようになった気がする。
ただこれのお陰で人との関わり方や、女性や子どもや弱い立場の人との関わり方や認識が百発百中うまくいってるわけではないので、カウンセリングを続けて自分の抱いた気持ちや認識を言葉にすることを続けている。
女性がひどい性被害を受けた事実をズリネタと認識してしまうのは環境要因によって刷り込まれてしまったというか、頼んでないのに技マシンで増やされた必殺技かコマンドみたいな感じだと、カウンセラーの人と話してそう客観的な認識をすることにした。そしてそれは使ってはいけないコマンドとしておかなくてはならない(一度でもそのコマンドを使うと使い勝手が良いと判断して優先順位が上がってしまう、再犯のきっかけにもなるかも)ので、抜きたいときもラブラブエッチものに限定。エッチなのを見てはいけないわけではない、ただ他人の尊厳を守るという前提でのコミュニケーションや他人への認識というのがうまくいってない俺にとっては、露悪的な内容はよくない結果しか産まないというのを俺自身も納得したのでそうしている。
主語でかいかもだけどAVやエロ漫画でもいわゆる尊厳を踏みにじる行為としての「ひどいことをする」というのをエロに結びつけすぎなのではないかと思う。ラブラブエッチものは羨ましくなったり妬ましいときはあるけど普通に抜けます。
まだまだ道半ばではあるが、
俺は多くのダイヤモンドを傷つけておきながら、しくったな〜しか考えていなかった。
傷つけたダイヤモンドのことを考えられなかった。
今でも考えようとすることは俺の負のコマンドに触れる可能性がある(やばいスイッチに触れそうだなと言う感覚がくるからやめる)のでうまくできない。
34歳年収700万の高齢貧困弱者男性なんだが高校から付き合ってた元カレが転職してからDVとモラハラするようになり、34歳で別れて婚活を始めた。
友達の友達がマッチングアプリで結婚したと聞いて同じアプリをやってみたけど出会う人みんなどこかおかしい。
ちなみに相手に求める条件は1歳年下〜10歳年上、年収400万以上、離婚歴あってもいいけど子供はいない、タバコ吸わない、できればインドア派(アウトドアな趣味があってもいいけど一緒にやりたくない)
身嗜みに気を使っていれば顔、体型、身長は気にしない。
そんなに理想高くないと思ってたからすぐ相手見つかると思ってたけど私の考えが甘かった。
最初にマッチしたのは40歳の公務員。「結婚相手を真剣に探してます」ってプロフィールもまともで、メッセージも丁寧だったから期待してたのに、いざ会ったら「俺、昔からモテててさー」って自分語り連発。最初は笑ってたけど、3回目の「元カレが~」で完全に冷めた。しかも、食事代割り勘。「俺、平等主義だから」とか言われても、初デートでそれはないだろって感じ。
次は38歳の経営者。会話は盛り上がったけど、話の内容が全部「どれだけ稼いでるか」「どれだけ良い店を知ってるか」って自慢ばっか。最後に「良かったら俺のビジネス手伝わない?」って言われたときは、さすがに鳥肌立った。婚活してるのか、勧誘してるのか、どっちだよ。
36歳の会社員。ゲームとか漫画が好きで趣味がめっちゃ合う!って思ったのも束の間、「休日はほとんど引きこもってゲームしてる」とか言い出して、私まで引きこもりにされそうな未来が見えた。しかも部屋の写真送られてきたけど、めっちゃ汚い。インドア派って言えば許されるわけじゃないから!
41歳の男性。最初の印象は「話が面白いし、リードしてくれるタイプかも」って良かったんだけど、途中から気づいたの。これ、完全に自分のことを舞台俳優か何かだと思ってるやつだって。カフェの店員さん相手に「ここ、僕のお気に入りなんですよ」とか偉そうに言ってて、内心引いた。
37歳、外資系勤務で年収800万、趣味もスポーツと読書で申し分ない。でも、なんか話してて盛り上がらないの。質問しても「まあ普通です」とか曖昧な返事しか返ってこなくて、ついに私も「普通」が口癖になりそうだった。結婚したら何も喋らない生活になりそうで、結局フェードアウト。
35歳、営業職。めちゃくちゃ優しいし、細かい気遣いもできる。デート中も私が話すのを全部肯定してくれる。でも、それが逆に心配になるの。将来、何かあったら全部私が決めることになるのかな?って。しかも、元カレに振り回された話を延々聞かされたときは、正直疲れた。
最後は39歳の男性。最初は普通だったけど、家族の話題になった途端「うちの母が作るカレーは最高」「母が選んでくれたシャツなんだよ」って、母親の話ばっかり。結婚したら、完全に「母と私、どっちが大事?」の争いになる未来しか見えない。
こうやって振り返ると、全員一長一短というか、どっかで「これ無理」ってなるポイントがあるんだよね。
で、何が一番きついって、自分でも薄々わかってんの。「この年齢だし、妥協しないと難しいのかな」って。
でも、妥協したくないじゃん?だって人生のパートナーだよ?下手に妥協してまたモラハラとかされたら、ほんともう立ち直れない。
なんか、理想が高くないって自分では思ってたけど、今の世の中だとそれすら高望みなのかもって思えてきたわ。どうすりゃいいの、これ。
母親に送った誕生日プレゼントが宛先人不在で帰ってきてしまった。
先日、私の友人へのプレゼントとともに仕送り(現物支給)が届いていた。そのお礼を兼ねていたので、友人が返送を受け取ってしまい、気まずかった。
中身は母親が喜びそうだと選んだ化粧品と安いお菓子だ。2週間も郵便局に保管されていたことを思うと食べ物は捨てざるを得ない。返送された旨と、食べものは捨てる旨を伝えるつもりで、母に「戻ってきちゃった」と写真付きでLINEした。
母が自身の誕生日前から関西の知人の元へ旅行に行っていたことは知っていた。でもそんなに長くなるとは聞いていない。犬を連れて3週間も宿泊するのだから、仲のいい友人、あるいは私に言わないだけで恋人のたぐいなのだろうけれど、「心配すると思って」言わなかったらしい。
「食べ物は捨ててもう一度おくるね」と返すと、
「言ってくれれば○○(叔母)に受け取ってもらったのに」と拗ねはじめた。友人がお礼をしたいと言うのでプレゼントを贈ることは伝えてあった。
母が「捨てんでよ〜」と送ってきたからと言うより、賞味期限を確認した友人が「これは大丈夫だよ」と言ったから、箱入りのクッキーは捨てずに化粧品とともに送りなおした。
差出人の住所は書かなかった。
母に、「もう一度送りました」「差出人は書いていないので受け取りがなければ処分になります」とLINEした。
「そんなことせなんとかなぁ
言ってもわからんと思うけど」
と母。
言っても分からないのはあなたの方だ。こちらが厚意で送ったものを受け取らず、剰え、贈ることは予告していたのに、受け取れなかったことを私の認識不足のせいにした。自分がわざと旅行スケジュールを隠していたのに。こちらにも友人への面目というものがあるから返送されたら困るのだ。いらないなら受け取らなければいい。それで郵便局が処理してくれる。
そんな内容のLINEを送った。
母は謝りたいと言って、実際ごめんと送ってきていたが、誠意のあるものには思えなかった。
単純に、自分の厚意(好意)を無下にされたのが悲しかった。だが、母親は私が彼女のことを好いているがゆえの行動を過剰に喜ぶ。悲しがったことも喜ぶだろうと思うと悔しかった。
私の母親はシングルマザーで、幼少期の私はほとんど祖父母に育てられた。母と会うのは月に1度あれば多い程度の頻度だった。
会わない間に、私の中での「母」の幻想は肥大化していき、成人して数年経つ今ですら、優しく、正しく、私のことを愛していて、人格者の母を求めている。私の母はそんな人ではない。
小学1年生の私は、当日29歳の彼女に「ママじゃなくて、お母さんの格好をして授業参加にきてよね」と懇願していた。私の「母」の偶像化と、母の生活態度は、その頃からあまり変わっていない。
祖父が死に、祖母がボケてしまった今となっては、そこまで深い付き合いでは無い他人に話すときの「実家」は、母と彼女の飼っている犬のいる場所を指す。そこに私は住んだことがない。帰省時の荷物が他人より多いのは、実家に私服が存在しないからだ。
話が逸れたけれど、私は母親に「お母さんらしい」態度を求めすぎている。私の厚意に過剰に喜ばず、かと言って拒絶しない、成人女性の母としての距離感を求めている。
ただ、それは私の母ではなく、私の中の「母親」の態度でしかないのだ。
母に友人を紹介するべきでは無いし、喜ばせようと思ってプレゼントを贈るべきではない。鳩居堂で買ったメッセージカードに誕生日を祝う文言を書いてプレゼントに入れるべきではない。
分かっているのに、子どものようなことをするのをやめられない。上手くいかず、すねることをやめられない。それが悔しい。
お母さんがほしい。
「結婚をするべきだ」と言われることがある。私が求めている「許容」は、たまたま私を産んだ女性に求めるのではなく、共に人生を歩むと決めたパートナーに求めるべきものだと。
多分それはあっているのだけど、赤の他人に強いるには過剰な負担だという自覚がある。
だから、「生んだ」という負い目のある母にその役割を押し付けたいのだ。
この歳でこんなことを言うのはみっともなくて恥ずかしいが、お母さんがほしい。それができないなら、親離れしたい。できなくて悔しい。
以上、日記。
治安最悪地元シリーズ。その悪弊の犠牲になった可哀相な人がいた…という松。
最近の嘘松の中ではストーリー性がやや高く、母親+子供+病気という同情を引きやすい要素を入れているのもGOOD。
ただ、そうしたエピソードそのものよりも、不正義に怒る「俺」(嘘松さん自身)がやや前面に出過ぎのような気がします。
始祖松の御代より、自分上げは嘘松の華ですが、今回のお話だけで当事者ではない嘘松さんの評価を高めるのはちょっと無理があるのではないでしょうか。
問題の場に嘘松さん自身もいた(という設定)なら、あなたはそのとき何してたの?という話になりますし、人から聞いた話でしかない(という設定)なら、その怒り方は安全地帯から無責任に吠えているだけに見えてしまいます。
「正義が好き」という直球過ぎるフレーズも、一周回った露悪としての滑稽さを意図しているのなら別ですが、嘘松さんのプライドの高さでは笑わせることはともかく笑われることには耐えられないでしょうから、単なるミスチョイスと見て良いでしょう。
修正案としては、
3~5ポストかけて、被害者(母親)側の健気さや罪の無さ、対する加害者側の悪辣さ、頑迷さを具体的に描写する。そして最後に、このような地元の現状への怒りと憂いを最低限の言葉で表明しておく。
暴力的な父と甘い母親、そして貧乏の組み合わせ 俺の兄弟も俺以外全員半引きこもりだし
「お前の人生意味なかったな」という静江という彼の母親への呪いの言葉 暴力的な父を責めるのではなく、まだこちらを見ていた母親を恨む感じも全く俺と一緒だ、唯一の違いは俺は不登校時代からどうにか大学まで来れてるところだけ
彼に言わせれば(そして俺も思ってしまうことだが)俺はたまたま恵まれていただけなように思える、たまたあま俺の母親は彼の母親より根性があって、たまたま俺は読書が好きで、何よりたまたま人と場所に恵まれただけなんだろうな
ああはなりたくない、とこの前買ったクレモナロープ金剛打12mmの横で思う でも何の違いがあるのか、母を呪う言葉を残さないだけで死ぬことは変わらない ああ、ごめんなさい
「死後のことなんか気にすんな」
(結婚しようって言われてた頃もあったけど、向こうの親が彼の再婚を拒んだのと、わたしも「え〜〜〜まだバツイチでもなんでもいいから結婚したい!っていう熱意ないな〜〜〜」という感じなので無理して説得しようとも思わず、そのままダラダラと3年くらい過ごしている。)
楽観的かつ享楽的に生きてきたんで、酒とタバコはメチャクチャやるし、バイクだって乗るし、貯金はしてないしなんなら借金(無担保ローン)がある。
彼氏が家の住宅ローンも光熱費も払ってるから、わたしは実家にいないだけで子供部屋おばさんとかわらん。よって、このようなクズでもヘラヘラ生きていられる。
正直ちゃんとやればすぐに借金返せるし、貯金も始められるけど、そんなことより軽い借金しながらでも目一杯楽しく生きたい、ってやってきた。
どうせ人はみんな死ぬし生きていて体力があるうちにやりたいことやろ!
そう思っていたんだけど。
甥っ子が産まれまして。
わたしって人間の子供より動物や動物の子供のほうがずっと好きで、
つまり子供育てるくらいなら大型犬とか大型猛禽とか買うのも飼うのもバカ高い動物を飼いたいと思ってて、
だから彼の一番好きなところは持ち家なところ(動物を飼いやすい)だし、
姉にようやく子供ができたって聞いても「あっそ」としか思わなくて、
甥っ子に会いに行くのも母親に半ば引きずられて、って感じだったんだけど
もう会ったらかわいすぎる。
他人の子供とはまったく別のいきものなんじゃないかというくらい愛おしい。
アスレチックとかであまたの子供達にまざって遊んでる時なんか、
甥っ子だけ光って見える。
まあしかしこれをみて「わたしも子供欲しい!」とはならなかったんだけど…(たま〜にはたから見てるだけでも大型犬よりはるかに大変なことの方が多そうで)
でも、「やべ、このままボケボケ生きてたらわたしの死後のあれこれをこの天使にさせることになんのか・・・!?」ということに思いいたってね・・・
それだけは避けたいと思う。
金だけは貯めとくわ・・・
単純に疑問なんだけど・・・
夫もいないし子供もない
当然親が先に死ぬとして、
まさかだけど甥っ子(姉の息子)がわたしの処分しないといけないなんてことないよね・・・?
困る困る困る
えーーーまじでイヤなんだけど
逆に増田のジジババの中で、親の未婚の兄弟の処分をさせられた人おる?
だからこそどうなるん?って感じ!
「甥っ子がおるのに行政を頼るなよ」とか言われん?
マジでこわい
ぞっとしてるいま
なんなら母親がいてわたしの責任取ってくれるうちに自32したほうがいいんじゃないかって気すらしてきた
助けて
昭和の頃はほぼ100%日本人(大半が東北甲信越から上京してきた親の子)だったのが、今はフィリピン、タイ、インドネシア、英国、中国、韓国、どこかは分からないがアフリカ系の子が普通にいる。
別に珍しくもないので特に差別を感じる事もない。少なくとも子供が通う小学校とその保護者間ではない。
産科では夫婦で日本語が分からないアジア系がいて、話を聞くとどうやら働いてもいないらしく、お前らそれでどうやって日本に来た?と思った。
ただ市内にはモスクもあるし中東人もそれなりに住んでるはずだが、中東系の子は滅多に見ない。
公立小とイスラムとは相入れないと予め分かっているから別の学校にいれているんだろうか。
中東系は911の頃に増えたので、他の地域の人と同じなら相当数日本人とのハーフが生まれてそうなものなのだが、街中でも中東系の顔をした子供は滅多に見ない。インド系も東京では見たのに埼玉では少ない。この辺何か理由があるんだろうか?
・通行人とか電車内の他人の容姿でギリ気づかれるかどうかの声量と言い回しで笑い者にしまくるチキンレースをしょっちゅうやる
・迷惑かけたり怒りだしたり暴れだしたり、そういうことをして何かにつけて目立ちたがる
・格下と見なしてた先輩とか同期から愛想良く挨拶されたり話しかけられたりすると、露骨にピリつきだして本人がいなくなったタイミングでキレ気味に悪口言いまくる
こんな具体的な癖が何個も被ってたので離婚の闇深さを痛感した。
同時に、
「アルファオスを嗅ぎ分ける能力によって世の中で生き残ろうとする母親の習性を息子が学習してしまった感」
があって業が深いとも思いました。
年に2回か3回くらい
母親と姉2人と自分の4人でコロッケを作るんだけど今にして思えばいい思い出だった
自分はそれで時々シャリって食感が残るのが大っきらいで徹底的に潰してた
4人で横に並んでタネをコロッケの形にする係、小麦粉をつける係、卵液をつける係、パン粉をつける係に分かれて連携良く進めるとどんどんバットにコロッケが積まれていくの
揚げすぎて時々衣が焦げ気味のもあったりしたけどお店で買うのよりずっと大きくてホクホクでさ
うちはソースじゃなくてみんなしょうゆで食べるんよ
女性陣は既婚子持ちが多いのもあり「料理する派」がほとんどだった。対して男性陣は自分と先輩の2人だけ
すると数少ない「料理しない派」の女性が「でも男性の料理って焼くだけの料理がほとんどじゃないですか?wあと何にでも卵かけてそうw」と馬鹿にしてきた
完全に偏見だしそもそも米すら研いだことない奴に馬鹿にされるいわれはない
イラッとしながらも、そういえば前にもこんな事あったな、何だっけなと思い返すと、それは実家にいた頃の母親だった
両親は自分が幼い頃に離婚しており、それ以降自分は母子家庭で育った
母親は料理をせず、というかそもそも出来ず、基本的に食事は惣菜か出前、菓子パンにインスタント食品だった
高校生の頃、料理をする男子はモテると風の噂で聞き、バイト代で調理道具を一式揃えたのが料理を始めたきっかけだった
料理に慣れ始めた頃、レシピ通りに酒大さじ一杯、醤油大さじ一杯、みりん大さじ一杯、と入れている自分の後ろから母親が
「そんなの入れても変わらんやろwあんたに違い分からんやろw」
と馬鹿にしてきた
確かに料理酒が何にどのような作用を及ぼすかイマイチ分かっていなかった(今も分かっていない)
でも入れたほうが美味しくなるのは確かで、それは料理をした事がある人ならば誰でも知っている事
その事実を知らないし理解できない母親は自分を貶す事で「女なのに料理が出来ない自分」から目を背けていたのだと思う
当時の自分は腹を立てて「こんな奴に俺の料理を食わせる必要はない」と母親に料理を振る舞う事はなかったが、図らずもあれは正解だった
もし振る舞おうものなら「女なのに料理が出来ない自分」から目を背けるために必死になって自分の料理を貶してきただろう(もしかしたら口すらつけなかったかもしれない)
そんな母親の姿が、眼の前の米すら研いだ事がない女に重なった
彼女も一緒なのだ。男性の料理を下げる事で「女なのに料理が出来ない自分」を守っている
そう理解できた時にイライラはスーッと消えた。料理が出来ない母親で予習できててよかったーー
あと、料理をする男子は特にモテたりしないです。料理ができる女子からは「いまどき普通だよね」って感じだし、出来ない女子からは敵扱いされるだけです
周りの保護者(ほぼ母親)を見たら圧倒的にニット、セーターを着ていて
私のようなスウェットは少数派
会場の外ではたくさんのベビーカーがずらりだったので
抱っこ紐使ってないから、ニット、セーターを着れているということなのかな?
私は抱っこ紐使ってると摩擦が恐いのでニットやセーターが恐くて着れないのよ⋯⋯
ニット、セーターと抱っこ紐の間にアウターを挟めるなら着るけど
小さい子連れでスカートはいてるお母さんもいて、気合い入ってんな〜と感心した
去年あまりにもスウェット着すぎて嫌になりニット、セーターが着たすぎてセーター三着買ったんです
が、着る機会がほんとに少なくて悲しい
でも少し本音を書くと、2005年のアルバムの次にブランクが空いて、2018年に13年ぶりのアルバムが出てるんだけど、このアルバムの声は年月が経ってるからなんか微妙に違う。
途中で喉の病気になったり、あと出産育児もあって、年齢も重ねられたからだと思うんだけど、ほんと微妙なんだけど、昔の声と違うんだよな。
これは好みの問題なんだろうけど、やっぱり昔の声の方が好きなんだ。
何が違うのかというと、2018年の歌声は母親って感じの丸みを帯びた声で、2005年までの声は若さからくる?少し尖った声。
これは好みだと思うのでどっちがいいとかではないんだけど、個人的には2005年までの声が好きなんだ。
https://voice-tokyo.com/tamashiro/
歌うのを諦めてたくらいの状態だったらしく、ボイトレスクール行ってなかったら歌うことすら難しかったのかもしれない。
ただ、昔のあの少し尖りのあるというか、強い声が好きなんだよな。
本当に微妙な部分なんだけど、元々あった音の成分がなくなっている部分がある気がする。
ボイトレではそこは復活できないのかな。
ボイトレってなんなんだろうなって思う。
ベテランのプロアーティストでもボイトレ行ったという話をよく耳にする。
Mr.Childrenの桜井さんとか、プリンセスプリンセスの岸谷香さんとか、若い人だとVaundyとか、YOASOBIの幾田りらさんとか。