はてなキーワード: レッドブルとは
残念だがこれは時代の流れなんだ
今までジャンプが受けていたのは勢い
チェイサーってコージィ城倉の昭和漫画界を題材にした漫画でジャンプは「子供が子供の感覚のまま考えたような作品」と言われるが「勢いがあるモノに対するやっかみ」と一蹴していた
序盤から突飛な設定と過激なノリで読者を引き込んで息もつかせない展開の変化とクリフハンガー的なピンチの連続で読者をワクワクさせてきた
一方で先のチェイサーでは小学館や講談社は「インテリジェンス」と評され、悪く言えば小学館は「気取り屋」と言われる
島本和彦が描く「吼えよペン」でも小学館の編集者は大卒のインテリが漫画編集に配属されるのにキレていると風刺されたりしている
自嘲気味に小学館の漫画家が書いていたが、実際そうであることは読者の感覚としてもそうだろう
しかし、それが今は変わり始めている
作品の内容は変わってない
受け取る消費者が変わり始めている
確かに鬼滅の刃や呪術廻戦はヒットしたがその後が続かない雰囲気が出始めている
長く連載が続く看板漫画のワンピースは展開が呆れられて批判が殺到し始めている
一方でアニメでは小学館のフリーレンがヒットし、今期ではマンガワンの日本三國の評価がめっちゃ高い、ドラマでもビッグコミックスピリッツの九条の大罪が評判だ
関係ないかもしれないが劇場版の機動警察パトレイバー1の評価もネットで高まっている
小学館のメディア化作品は全般的に評判が高くヒットが続いている
何が変わってきているのか
・「動画による考察」が広がって考察に耐えきれない勢いだけの作品は評価が下がり始め、逆に考察しがいのある質の良い作品の評価が高まってきた
・アニメを見る一般人の知性が上がってインテリジェンスのレベルが小学館のレベルにあってきた
・アニメを見る層の高齢化によって単調な勢いよりもより手間をかけて作られたものを好むようになってきた
一時期絶滅したと言われるアニメオタクのような感じのやつが増えてきた
一般人たちがアニメを見るうちにようやく昔のアニメオタクのようになってきてマニアックな作品が一般人に受け入れられるようになってきたわけだ
そこに耐えきれる漫画はしっかりと時間をかけて編集と共に練り上げた漫画を作ってる小学館なわけですよ
MMAを描いた「レッドブルー」はスポーツ漫画としてジャンプには出せないリアリティのある質の高さを見せてるし
将棋漫画の皮をかぶったSF漫画こと「龍と苺」突飛な内容と展開が話題にはなるが実際練りに練られた伏線が生きてるし
恋愛漫画では「百瀬アキラの恋愛破綻中」は画力が小学館らしく高くてキャラが可愛いし講談社の恋愛漫画みたいなパリピみたいな気持ち悪さがない
ゲッサンなら「マチネとソワレ」、ビッグコミックなら「BLUE GIANT」、スピリッツは「新九郎、奔る!」、オリジナルなら「昭和天皇物語」、スペリオールなら「フールナイト」、うぇぶりなら「ギャルとギャルの百合」、マンガワンは「ミハルの戦場」もいいよね
どの雑誌も質が高くてマニアが満足するような作品が必ずある、それは小学館雑誌の特色と言ってもいい
それらがアニメ化したらこれからの評価は小学館漫画の方がジャンプ漫画を上回っていくことだろう
憶えておくと良いよ
私は幼少の頃からの体験により、加害/被害という(本来なら異常な)事態へのハードルが低い。
それは私にとって当たり前のことだったし、責任の所在とか、そういうのを問うまでもない事態だった。
走る馬の手綱を握るように、人は私を加害するのだろうと思っていた。
だから、「人は加害する側もダメージを受ける」という世間一般論を聞いた時、私はただそれだけの言葉が受け入れられなかった。
どのくらい受け入れられなかったって、「ならなんであいつら私に加害しても全然平気そうなんだ?」「あ、私が人間じゃなくてバケモノだからか」「バケモノなら討伐される使命があるな」「それに対して呪いで返す使命もある」「怨霊になりたい」と連想ゲーム的に“答え”を出してしまったくらいだった。
人間たちに討伐された末、世界史に残るような大災害をもたらしたかった。
首吊りから服毒まで一通りの自殺企図をし、失敗して、何故か元気に(病気に)障害者として生きている私も、感電死は試したことがなかった。
「救急です。私は今正常ではないので今すぐ精神科病棟に入れてください」
先程私は自分を「バケモノ」と評したし、加害にも被害にも躊躇いがないと言ったが、そう、加害にも躊躇いがないタイプの、野放しにしちゃいけない狂人になる。
現に「菅原道真を超えたい」とか言ってた矢先だ。
三日分の下着と二日分の服を持ち、生まれた時から一緒にいるぬいぐるみを持ち。
トートバッグの中をパンパンにして、ガタガタ手を振るわせながら煙草を吸い、私は救急隊の到着を待った。
この状態なら、任意とはいえ1週間は入院になるだろう。病院内は普通禁煙だ。
1日3箱を吸う魔のヤニカスの私は、「自他の安全の確保のためとはいえとんでもない決断をしちまったな」とピースライトを吸っていた。
──結局、何が起きたのかはわからないが、私が搬送されたのはかかりつけの精神科だった。
なんか救急車をタクシーにしたみたいな謎の罪悪感を覚え、しかし「いや私は今すぐ私を閉じ込めろって思ってたんだけどなぁ」などと思いながら、自分が主治医に向かって何やら叫んでいるのを聞いていた。
私は解離性障害を持っている。今日もバケモノは元気いっぱい病気してた。
結局入院は翌日からとなり、タクシーで自宅に帰り(とてもじゃないが電車に乗れる体調ではない)、私は一人暮らしのリビングにでっかいキャリーケースを広げ、どうしたものかと煙草を吸っていた。
結婚していた頃入院した病院と同じ病院に入ることになるらしく、当時入っていた閉鎖病棟を思い出す。
夜通し絶叫が聞こえてくるのだ。
普通の精神状態の人間は30分泣き叫べばへとへとだし、バケモノの私でも1時間が限界だが、当時の私は隔離室の人と同じくらい、丸一日泣き叫んでいられる精神状態だった。
元夫の加虐心とメサイアコンプレックスとが混ざり合った言動に脳を破壊されてしまい、ただの適応障害の女の子だった私は結婚する頃には立派な躁鬱病になっていた。
何でそんな男と結婚したかと聞かれると、「そういう状態」に陥ってしまった人にしか説明が難しいと思う。
話が逸れたが、私は隔離室に入れられることを恐れて閉鎖病棟で縮こまっていた。
白い鉄格子のはまった窓を恨めしげに睨み、他の患者との接触を極力断ち、泣きたい時でも手の甲に爪を立てて耐えた。
当時は「存在しないおばあちゃんと常に会話をしてるお姉さん」とか、「7年前に入ってもう5年間家族と会ってないお姉さん」とか、その辺りの話を聞いて震え上がった。
そういう人たちと接触すると私もそういうふうになってしまいそうで、食事も食堂ではなく自室で摂るようになった。
自室もプライベートスペースたりえなかった。
知らないおばさんが突然個室の部屋に入ってきて、ゴールデンカムイの「誰!?ねえ誰なの!?怖いよぉ!!」のコマみたいになることがよくあった。
……………………
………………
…………
……などなど、若かりし頃の入院の思い出を思い返しながら、持ち物にひたすら名前付けをし、一人で行って帰って来れるようにデカいキャリーひとつに収まるよう荷物を選別する。
結局、先程トートバッグに入れたぬいぐるみはメンバーから外し、別のぬいぐるみを入れた。
本を大量に持つ。私は病人の分際で病人と馴れ合いたくないから。
私の希死念慮は眠くなる頃合いに強くなる。
だからレッドブルを馬鹿みたいに飲みながら、入院前夜は希死念慮から目を背けてドラマを見たり煙草を吸ったり泣いたり煙草を吸ったりコーヒーを飲んだり煙草を吸ったりしながら過ごした。眠らなかった。
結局翌朝、父が迎えに来た。
父が入院費用をカンパしてやると言ってお金をいくらか握らせてくれて(マジで助かった)、言葉少なに長い道のりを運転してくれる。
父に対しても恨みはあるはあるが、彼は不器用な愛を持っている人でもある。
健常者になれなくてごめん、良い大学を出てあげられなくてごめん、社会不適合でごめん、ちゃんとした人と結婚して子供を設けられなくてごめん。全部できなくてごめんと思いながら車の中で声を出さずに少し泣き、駐車場で下ろされた。
「ありがとう。じゃあ」
「今日はどうやっていらしたんですか」
主治医の診察を受けた。
「父の運転で」
「お父さんは?帰られたんですか?」
「私を残して帰りました。少し恨んでいます」
「そうですか〜」
「まあ、親を頼りたくなくて『じゃあ』って言ったのは私なんですけど」
「あらら〜」
主治医は入院先の病院と普段私が通っている病院を掛け持ち働いている。
バケモノの私は鳴りを顰めていた。顰めているのか?これは。
とにかく父に対して甘えとも何ともつかない感情を抱いてたことを恥じ、ネタにし、不安を押し隠して「普通」に振る舞った。
結局入れられたのは閉鎖病棟だったが、前回入った閉鎖病棟よりも1段階規制の緩い閉鎖病棟だった。
拍子抜けするくらい気楽だった。
叫んでる人は誰もいない。
宙を見つめて会話をしている人もいない。
やたら私のことを見ようとしてくる知らないおじさんはいるけど、徹底して目も合わさないように無視をしてれば加害はされなかった。もし攻撃されたとして迎撃すれば良かった。
だから私はバケモノで、だから私は閉鎖病棟に入ることになっていた。
本を読んで、音楽を聴いて、食事の喜びの一歳感じられない粗末な夕飯を食べ、……
推測するに熱すぎるとそれを使って自傷したりする患者が出るからだろう、夏場のシャワーよりもぬるい水しか出ない。
ニコチンを取れないならせめてカフェインをと思って持ってきた大量のお茶が全て無駄になった。
受難すぎた。
あまりにも困難な道のりだし、しかもこれを乗り越えてしまえば清らかな人間になれるであろうことが目に見えた。
もう最終的に列聖くらいしてもらえなければ意味がわからなかった。
血の涙を流す思いで「自分のためにもみんなのためにも」と私は閉鎖病棟の個室の狭いベッドに縮こまっていた。
現在の話をしよう。
知り合いの女性がジュースとお菓子の差し入れをしてくれて、私は時折チョコを口に含みながらこれを書いている。
ニコチンの峠は超えた。
カフェインは自販機で缶コーヒーを買ったが、「缶は凶器になり得る」ので、紙コップに移し替えさせられた。
部屋の前からは男女の怒鳴り声がするが、これは耳の遠いおじさんが娘さんとスピーカーにして通話をしてるからで、先ほどから看護師さんたちがおじさんから携帯を取り上げようと奮闘している。
先述した、やたら見てくる男性は私が自販機から帰ってきた時もニコニコしながらこちらに話しかけたさそうにしていたし、私はちゃんと無視をした。病人舐めの病人なので、病人と馴れ合いたくないのだ。
窓に鉄格子はなく、なんなら外に出られる中庭すら存在する閉鎖病棟。
誰も私の部屋に突然入ってこない。
長閑すぎる。
風呂に入れる日が決まってることと、飯が不味すぎること(前回はこんなに不味くなかったので絶対コストカットされた)、煙草が吸えないこと、ひきたてのコーヒーが飲めないこと、仕事をするPCがないこと、大好きなぬいぐるみがいないこと、大好きな観葉植物たちがないことを除けば、生活は概ね何とかなる。
つまり何ともならない。
早く出たい。一刻も早くここから出たい。
早く助かりたい。
自分はお茶飲むのが好きなんだけど、カフェインが驚異的に効かんので、それならわざわざ不健康なもの飲む必要もないよねということで近年はデカフェ、ノンカフェインに代えた
ライブやクラブで選択できるドリンクにエナドリあったら頼むようにはしてる。くぅー、今夜は楽しむぞ!って景気づけのためだけど、全然効果は実感しない。レッドブル2本飲んでもスヤスヤ眠れる
ホンダという会社は、いつも夢の中と現実のあいだを行ったり来たりしているように見える。
彼らがF1から去るとき、それはまるで、長くつき合った恋人に「少し距離を置こう」と告げるみたいに静かで、どこか苦々しい決断だ。
だけど、時間が経つと、やっぱりもう一度会ってみたくなる。風の匂いやピアノの音みたいに、熱がふと蘇るのだ。
表向きは「環境技術への集中」「サステナブルな未来」など、理性的で整った言葉を並べる。
理想と現実の調停をするようでいて、彼らの内側にはどうしようもなく「燃やすこと」への郷愁がある。
ピストンの上下に感じるリズム、燃焼の拍動、風洞の夜に響くファンの低音──それらを身体が覚えている。
結局のところ、ホンダは血の中に残るオクタンの記憶に引き戻される。それは理屈ではなく、生理の問題だ。
そして戻ってくるたびに、彼らは苦戦する。
まるで数年ぶりにジャズ・クラブに戻ったサックス奏者が、昔の楽譜を前にして手が震えるように。
ステージの照明も、観客の空気も、かつてのそれとは微妙に違う。
ターボの構造一つ、人間関係の温度一つが、うっかりすれば全体を狂わせる。
だが、それでも彼らは吹こうとする。音が少し濁っても、それでも演奏をやめられない。
だがホンダにとって、それは速度そのものではなく、「走ること」の意味を探す行為に近い。
パワーユニットという名の命の鼓動。
だから敗北も、痛みも、呼吸の一部として受け入れられる。
それが、自分たちが今も「HONDA」であることの証明だからだ。
その繰り返しは、まるで潮の満ち引きのようだ。海がすべてを洗い流すたびに、砂の上に新しい足跡が刻まれる。
RA272の白い車体も、ターボ時代の赤いヘルメットも、マクラーレンとの栄光も、レッドブルとの別れも──それらすべてがひとつの連続した夢の断片だ。
ホンダが戻る理由を、合理的に説明することは難しい。勝ちたい、というだけではない。
たぶん、世界最高峰のレースには「自分たちが何者であるか」を証明させてくれる何かがあるのだ。
私は思う。
ホンダにとってF1とは、勝つための舞台ではなく、火を灯し続けるための場所なのだと。
理屈で測れる効率や戦略の外側に、燃え続ける願いのようなものがある。
彼らはそれを、内燃機関という形で世に送り出す。
数字の正確さよりも、内部に漂う体温のようなものをどこか信じている。
その熱を保つこと──それが彼らの誇りであり、同時に呪いでもある。
勝てない週末、壊れるPU、届かない速さ。
けれど彼らは、それでも手を離さない。
火のある場所に留まろうとする。
ホンダという夢の出入り口は、きっとこれからも開いたり閉じたりを繰り返す。
その奥底ではいつも燃焼の音が続いている。
ある日、ちょっとした出来事から、若い社員がバイト全員にジュースを奢ることになった。
詳しくは覚えていないが、たしか仕事中の軽い冗談の流れで「じゃあジュースな!」と本人がノリで言ってしまい、引っ込みがつかなくなったのだった。
当然、バイト仲間たちは大喜び。
みんなでコンビニに向かうなり、一斉に「じゃあレッドブルの大きい方!」と言い出した。
その瞬間、社員の顔色が変わった。
レッドブルは高い。
「待て待て待て待て待て、お前ら冷静になれ!」と声を上げ、
レッドブルの缶を手にとる。
右手に小さいレッドブル、左手に大きいレッドブルを持ちながら、
「これ見てみろ。成分表な?ほら、大きい缶も小さい缶も中身の構成一緒だろ。つまり、成分は大きいのも小さいのも同じなんだよ。どっち飲んでも効き目変わらんの。」
そこで一呼吸置いて、さらに畳みかけるように言った。
「見てみろ、成分一緒だろ? デカいのも小さいのも入ってるものは同じだから、効き目も同じなんだよ。」
「この寒い冬の日に、わざわざ大きいレッドブルを飲みたいか?同じ効果なら小さい方が合理的だろ!」
バイトたちは顔を見合わせ、「ああ、たしかに……」と納得して、小さい缶を手に取った。
私はその様子を黙って見ていた。
正直なところ、心の中では「いや、それは違うだろ……」と思っていた。
缶が大きくなれば中身の成分も比例して増えるに決まっている。
「みんな騙されてるのか? それとも、社員が気の毒だからわざと騙されたふりをしてあげてるのか?」
そんなことを考えていたら、
社員がこちらをチラッと見て「おい、余計なこと言うなよ!」という目をしてきた。
結局、私は何も言わなかった。
バイトの子たちは小さいレッドブルを手に取り、社員は少しホッとしたように見えた。
それにしても、あのときのみんな本当に騙さていたのか、それとも優しさゆえの演技だったのか?
今でも、ときどき気になる。
簡単にまとめみる。
自社コンストラクター(エンジンも車体も製造)としてF1に挑戦。
その大いなる挑戦の姿勢と優勝の結果を残したという点で成功と言える。
ターボ〜NA時代に名門チームへエンジン供給を行い、勝利とタイトルを大量生産した大黄金期。
とくに1988年には全16戦中15勝という年間勝率記録を打ち立てるなど、圧倒的な強さを誇った。
エンジン供給から始まり、車体製造も含むホンダワークスチームへ発展した。
しかし、安定して上位争いをするには至らず。
ワークスチームはグランプリ1勝したのみ。
その期待の高さから考えると「失敗」
尚、撤退の決定が性急だったため、チームの存続とF1への参戦を条件として、
ほぼ無償(1ポンド)で資産や運営資金付きでチームを譲渡すると、
ホンダのエンジニアが設計・制作していたその車体は目覚ましい性能を発揮して年間チャンピオンを獲得という皮肉な結果を招く。
第4期に関しては前期と後期に分けたい。
第4期(マクラーレン時代 2015〜2017年) 評価「大失敗」
全く新しいタイプの動力である、ハイブリッドPU導入直後の開発難航で戦闘力と信頼性に欠ける。
黄金期を築いた名門マクラーレンチームと組みながら下位に沈むシーズンが続いた。
元王者フェルナンド・アロンソの鈴鹿サーキットでの「GP2エンジン!!」発言はあまりにも有名。
最終的にマクラーレンから三行半を突きつけられる形で、早期にパートナーシップ契約を解消。
第三期の「失敗」とあわせて「ホンダ=F1」というブランドが完全に死に絶えた時代。
「大失敗」と評価せざるを得ない大苦難の時期。
第4期(レッドブル/トロロッソ=アルファタウリ時代 2018〜2021年) 評価「大成功」
下位チームであるトロロッソとタッグを組み、再構築の1年間を経て、
F1を完全支配していたメルセデスへの挑戦権を得るところまで競争力を発揮。
2021年、ついに劇的な最終戦を経てマックス・フェルスタッペンの初戴冠の原動力となる。
正式にはホンダは2021年を持ってF1から撤退して第4期の終了となる。
実際には、紆余曲折があり2025年まで継続してレッドブル陣営にホンダ製のPUを供給し続けた。
その結果、第二期の黄金期に樹立した不動の記録と思われた16戦15勝の勝率を塗り替えることになる。
「大成功」で「大復活」。
新レギュレーション開始の年。
最高の施設
最高の人材
をとり揃えたアストンマーチンチームに対して、
稀代の天才デザイナー、エイドリアン・ニューウェイが設計した車体とチャンピオンPUを作り続けたホンダのワークスPU。
どのような性能を発揮するのかが期待されたが、テストでは車体とのマッチング問題からホンダのエンジンから振動が発生。
搭載したバッテリーを破壊するほどの振動対策に大わらわになる。
既報の通り、今シーズンのアストンマーチン・ホンダの見通しは暗い。
度重なるホンダPUのトラブルでアストンマーチン・ホンダは開幕前の事前テスト中にまともに走行ができていない。
ある程度、周回数を重ねているときでもPUに問題がないわけではなく全開モードで走らないことでかろうじてラップ数を稼ぐというやり方に終止していた。
全くもって準備不足のPUであり、言い訳無用、言い訳をする余地すら無い不良品である。
だが、なぜこんなことになるのかが、まるで不明だ。
今シーズンはレギュレーションの大更改の年で、PUのレギュレーションも大幅に変更された。
ただその変更は、どちらかというと昨年までの高度な技術が必要なPUから、
新規メーカーの参入障壁を下げるための、比較的難易度が下がる方向への技術規定変更だからだ。
現に、新規参入したアウディのPUなどはそれなりに稼働しているし、
非自動車メーカーであるレッドブル・パワートレインズが作り上げたPUなども順調な仕上がりを見せている。
そもそもレッドブル・パワートレインズが使用しているPUの土台なども、ホンダがF1撤退を決めたときにレッドブルに譲渡した技術知見が生かされているものだ。
ありえないことだ。
こうなってくると妄想せざるを得ない。
ひょっとしたしたらホンダは、とてつもなく強力なPUを開発してしまったのではないか?
アストンマーチン・ホンダは、車体側の開発の遅れからテストの開始が遅れた。
ライバルチームが第一回目のテストを2日間行ったあとに、ようやくマシンをサーキットに持ち込むことが出来た。
その間に、わかってしまったのかもしれない。
ホンダだけが発見している、今回のレギュレーションの穴をついた特別な技術を他メーカーが発見していないということに。
そのホンダだけの特別な技術を隠すために、あえてテストではPUの開発に失敗したていを擬態しているのではないか?
なぜそのようなことをするのか?
あるメーカーが優位に立てる技術を発見したらライバルチームはその技術を封じ込めるために規則自体を改正するように向かうからだ。
現に、今シーズンには開幕前だと言うのにメルセデスが発見したレギュレーションの穴を塞ぐべく、新しい規則を導入することが多数決によって図られることが決まっている。
もしも、ホンダが圧倒的なPUをテストでは走らせたとしたら、同じ事が起こってもおかしくはない。
ホンダの優位を無くすためにFIA対して激しいロビイスト活動が行われるだろう。
緊急のレギュレーションの変更が承認されるためにはF1チームによる多数決が行われる。
そのときメルセデスなどはPUを供給しているチームが多いので多数決で有利になるが、
となればホンダの優位性など、あっという間に数の論理で塞がれてしまうだろう。
あえてアストンマーチン・ホンダは危険な賭けに出たのではないか?
例え圧倒的なPUがあったとしても未知のレギュレーションの準備としてのテスト走行を行わないというのは無謀と言える。
しかし、その賭けをしたとしても圧倒的な実力の差でレースに勝ちきる実力がホンダのPUに備わっているとしたら?
2026年F1開幕前テストでのアストンマーチン・ホンダの状況は悲惨だ。
ライバルチームが開幕に向けて着々と準備を整えていく中、アストンマーチン・ホンダだけはまともな走行すらままならず大きく遅れている。
主な原因は、ホンダが新しく作り上げた2026年用のパワーユニットの不具合に起因する。
遅いとか速いとか、そういう問題以前にトラブルが起こり続けて、まともに周回を重ねることが出来ない。
この遅れを取り戻すには数カ月規模の時間が必要とも言われている。
数カ月単位の開発の遅れ、それはスピードを信条とするF1の世界では、「死」を意味する。
悪夢のマクラーレン・ホンダ時代の再来ともいえる極めて悲観的な状況だ。
またもやホンダは全世界に向けて、無能を晒すことになるのだろうか?
原因はかなりハッキリしていて、「会社としてF1に対して腰が据わっていない」この一言に尽きる。
わかりやすくするために、F1に参戦する同じ巨大自動車メーカーであるメルセデスと比べて話そう。
ホンダのF1は、良くも悪くも「本体の都合でいつでも切れる社内プロジェクト」という扱いになっているようにしか見えない。
こういうタイミングになると、真っ先に「やめる」「縮小する」の選択肢に上がるのがF1だ。
何十年も歴史を見ていれば、参戦→撤退→また参戦→また撤退、というこの往復運動がどれだけ繰り返されたか、嫌でも思い出す。
そのたびに何が起きるかと言えば、
で、数年後に「やっぱりF1やります」と戻ってくるころには、他社はずっと積み上げてきた土台の上で次のフェーズに行っている。ホンダだけ、毎回スタートラインの手前から再スタートだ。
新レギュレーションで大ゴケする理由は単純で、「そもそもそこに向けて走り続けていない」からだ。
準備していないテストで点が取れなくて当然なのだ。「ホンダはまた…」と毎回同じ光景を見せられている。
対してメルセデスは、「F1パワーユニットを作るための専業組織」を丸ごと持っている。
Mercedes AMG High Performance Powertrains——ここの“本業”はF1エンジンだ。
だから、2014年のハイブリッド元年のような大変革でも、数年前から準備しまくって圧勝できたわけだ。
「本業としてやっている側」と「社内プロジェクトでやっている側」の差は大きい。
ホンダにとっての本業はあくまで量産車と二輪であって、F1は広報・技術アピール・人材育成の“手段”扱いから抜け出せていない。
メルセデス側は極端に言えば、「F1で勝つこと自体がブランド価値と技術の根幹」なので、赤字覚悟で長期に投資する理屈が立つ。
ホンダ側は、「イメージに合うか」「企業方針(環境・EV)と整合するか」が強く問われる。勝ち始めたところで方針転換が来れば、今までの投資ごとバッサリ切り捨てることも躊躇しない。
一度F1から撤退した瞬間、それまで何年もかけて積み上げたノウハウ・人材・文化がバラバラになる。その回数が多すぎる。
レーシングの世界でいちばん価値があるのは「積み上げた時間」なのに、その“時間”を自分の手で何度も投げ捨てているのがホンダのやり方だ。
現場のエンジニアは、間違いなく本気で世界一を目指しているし、命削ってやっている。
だが、上で「いつでも撤退ボタンを押せる」前提で管理されている限り、どれだけ頑張っても、上の一言で全てチャラにされるリスクを抱え続ける。
2000年代半ば、ホンダはワークスチームとして莫大な予算と人員を投入し、「地球に優しいF1」だのなんだの掲げながら参戦していた。
ところが成績はパッとせず、リーマンショックと業績悪化が来た瞬間、真っ先に切られたのがF1だ。
で、何が起きたか。
ホンダが「もうやめる」と投げ出したチームとマシンは、そのままブラウンGPとして走り、メルセデスエンジンを積んだ途端にいきなりチャンピオン。
自分たちが注ぎ込んだ金と設備と人材の結晶であるマシンが、「エンジンだけ他社」に替わった瞬間、歴史的シーズンを作ってしまった。
ホンダは大金を投じて土台を作り、その成果を最後だけ他社においしく持っていかれた形。
これ、プロジェクトの連続性を軽く扱ったツケ以外の何ものでもない。
2015年:復帰を1年前倒しさせられての大爆死
マクラーレンと“禁断の再婚”をし、ハイブリッド時代に乗り込んだが、ここでも「本当にそのタイミングでやるのか?」という疑問符が付く。
本来準備に使えるはずだった時間を削って、政治的・ブランド的な事情で復帰時期を前倒しにした結果、パワー不足、信頼性不足のオンパレード。
サイズゼロだの何だのスローガンだけは派手だが、実態はまともな走行すらままならない大惨事だった。
「戻るなら本来必要な準備期間をちゃんと確保しろよ、それを削っておいて新レギュレーションに間に合わせようとした時点で大ゴケ確定だろ」という話だ。
2019〜2021年:やっと実を結びかけたところで“自爆撤退”
レッドブルと組んでから、ようやくホンダはハイブリッドPUでトップ争いに絡めるところまで来た。
パワーも信頼性も上がり、2021年にはついにタイトル争いの中心に立った。
が、そのタイミングで出てきたのが「カーボンニュートラルを最優先するのでF1から撤退します」という宣言。
ようやく積み上がったノウハウと“勝てる文化”を、自分の手でまたリセットしに行ったわけだ。
勝てないからやめるならまだしも、「勝てるようになったからやめる」というムーブを何度もかますメーカー、そうそうない。
これはもう、「F1を本業と見ていない」と白状しているようなものだ。
そして2026:また新レギュレーションで同じことを繰り返す気配
他社は何年も前から新コンセプトに取り組み、専業組織としての蓄積をフル動員してくる。
ホンダはどうかと言えば、また「戻ります」と言ったあとに組織を再編し直し、HRCとして整え直しながらのスタート。
スタートラインに立つ前から、すでに“追いかける側”になっている構図は、2000年代後半から何も変わっていない。
本人たちは全力でやっているのに、会社としての構造が「また同じパターンの大ゴケ予告編」を流している。
時系列で眺めると、結局こういうことになる。
メルセデスが「専業会社を通じて同じ場所で積み上げ続ける」一方で、
ホンダは「自分で積んで、自分で蹴飛ばして、また一から積む」を何十年も繰り返している。
ホンダがつまづくのは、運が悪いからでも、エンジニアが無能だからでもない。
その一点が、節目ごとの大ゴケとして形になって出ているだけの話だと、俺は思っている。
清涼飲料水メーカーであるレッドブルが作り上げたPUがトラブルは有りながらも順調にテストをこなす中、
ホンダのPUはトラブル続きでまともに周回を重ねることが出来ない。
開幕前の最終テスト日となる今日に至っては、スペアパーツの不足とPUに抱える問題から30分以上の連続走行は実施しないと決定している。
具体的にホンダが何処に問題を抱えているのかは不明だが、ICEだけではなくバッテリー周りにも不具合を抱えているとの情報だ。
これは全くもって予想できなかった展開だ。
当初は空力の鬼才エイドリアン・ニューウェイがデザインしたマシンがあまりに攻めすぎていて、
うまくPUを冷却出来ないだけでは?との憶測もあったが事態はもっと深刻なようである。
この状況を早期に打開する方法はあるのだろうか?
このプロジェクトを支配するローレンス・ストロールの決断は早い。
ホワイトハウスの西棟――かつて何人もの「世界の黒幕」たちが出入りしたその廊下で、私はひとりの男を待っていた。
第二次トランプ政権の中枢で、「プレジデントの影」と呼ばれる男。
公式の肩書きは、ホワイトハウス業務執行を一手に握る“Executive Director”。
アメリカの要人たちを何十年も取材してきた私の経験から言えば、
「7分の遅刻」は一種のメッセージである――相手に対する敬意は払うが、絶対に主導権は渡さない、というサインだ。
彼は名刺を差し出すこともなく、いきなりソファに腰をおろした。
「ノブ、君の本は昔読んだよ。狼のやつだ」
彼が口にしたのは、私がまだ若い読者たちに向けて「群れるな、孤独を恐れるな」と書き続けていた頃の一冊だった。
――この男は、情報の取り方を知っている。
「トランプは今、何を見ているのか?」
私がそう切り込むと、彼はテーブルの上のレッドブルに手を伸ばした。
「簡単だよ、ノブ。みんなが見て見ぬふりをしている“穴”だけを見ている」
彼の言う“穴”とは何か。
そしてもはや国家ではコントロールできない巨大テック企業の権力――
そういった、ワシントンのエスタブリッシュメントが議会証言用のレポートでは語っても、
「みんな『民主主義を守れ』と言う。
国民か?
違う。ここに座ってきた“俺たち”だよ。
官僚とエリートと、自分の再選しか考えないプロの政治家たちだ」
私が冷戦期の中東や南米で見てきた、“国家の中の国家”――官僚機構と軍産複合体が生み出す、匿名の権力構造に対する、本能的な嫌悪に近いものがそこにはあった。
世界中のインテリたちが、この9年間問い続けてきたテーマを、私はあえてストレートにぶつけた。
男は少し笑って、こう言った。
「彼は“最後のアナログ政治家”さ。ツイートで世界を動かしたアナログだ」
「みんな勘違いしている。
そこには必ず“意図”が入っている」
私は、かつてCIAやモサドの友人たちから聞いた言葉を思い出していた。
「数字は嘘をつかない。ただし、その数字を選ぶ人間は嘘をつく」――それがインテリジェンスの世界の常識だ。
彼は拾い上げている」
あえて“体温”と“勘”を武器にし続ける老いたライオンの姿が重なっていた。
「第二次政権の本当の戦場はどこか?」と問うと、男は即答した。
「ホワイトハウスの中だよ。外じゃない」
第一次政権のとき、トランプは閣僚や高官ポストの任命で何度もつまずき、
政権発足から半年経っても副長官や次官が埋まらない省庁が山ほどあった。
「今回は違う。敵はもはや民主党ではない。
“トランプでもバイデンでもどっちでもいい”と思っているこの街そのものだ」
彼が指で示したのは、窓の外に広がるワシントンD.C.の夜景だった。
南米の軍政、中東の王制、ヨーロッパの官僚機構。みんな表向きは違う顔をしているけど、内側は同じだ。
自分の身分と既得権を守るためなら、平気で『民主主義』という言葉を利用する」
私はかつて、エルサレムで銃撃戦に巻き込まれながらもノートを取り続けていた日のことを思い出していた。
あのとき引き金を引いていた兵士たちも、背後にいる“沼”の存在に気づいていなかった。
インタビューの終盤で、私はあえて日本の読者に向けたメッセージを求めた。
「トランプ政権の“常務長官”としてではなく、ひとりのビジネスマンとして、日本人に何か言いたいことはあるか?」
彼は少しだけ考え、こう言った。
「君たちは優秀すぎる。だから、怖がりすぎる」
「日本人は、間違えることを恐れすぎている。
グローバルなゲームのルールが変わっているのに、『前例』と『空気』に縛られている。
トランプを支持するかどうかなんて、正直どうでもいい。
問題は、自分の頭で考えて、自分のリスクで動いている日本人が、どれだけいるかだ」
その言葉は、私が長年、日本の若者たちに投げかけてきたメッセージと、奇妙なほど重なっていた。
「群れるな、孤独を恐れるな」「命を燃やせ」――私が書いてきたそのフレーズを、彼は別の言葉でなぞったのだ。
たとえ不完全でも、自分で取りに行った情報と、自分で決めたリスクだ」
インタビューが終わったのは、午前3時を回っていた。
ホワイトハウスを出ると、雨は雪に変わり始めていた。
私は、ワシントンの夜空を見上げながら考えていた。
この帝国は今、AIでも官僚機構でもなく、“ひとりの不完全な人間”に、再びその舵取りを託したのだ。
それは危険な賭けだ。
だが、賭けることをやめた文明から、真のイノベーションが生まれた例を、私は歴史のどこにも知らない。
ワシントンのホワイトハウスであれ、東京のワンルームであれ、あなたの人生の“常務長官”は、あなた自身であるべきだ。
そうでなければ、あなたの未来もまた、どこかの「沼」によって、いつの間にか書き換えられてしまうだろう。
――ワシントンD.C.にて。
それが戦端だった。
弊社は昼飯の弁当を自由な時間にデスクで食うことが認められている。
つまり、デスクでの飲食という行為は元来認められるものである。
だが老害は食うな、と言う。
客が持ってきたドーナツなどをデスクで食うことは承認されている。
だが、老害は食うな、と言う。
これは原則がおかしい、理由がわからない、と俺は思う。だから戦争となった。
会社のデスクでシリアルを毎日レッドブルを注いで食っていたり、
会社備品のガスバーナーでデスクで肉炙りをしていたことはある。
あとリンゴを毎日握りつぶして果肉と、汁を別けて食っていたのも女性社員からクレームが入った。
そのあたりは譲歩できる。クレームが入る理由はわかるからだ。理解はできる。だから応じよう。
だが、パイの実はどうだろう?俺が業務中にパイの実をずっと齧っていてもなんの問題もないはずである。
「少年H」で幾何学がわからないガキどもに主人公が辟易するシーンに思いを馳せてしまった。
ランチェスターの法則もわからぬ老害になにがわかるというのか。
そもそも企業に軍事用語が入り交じった原因は米国のコンサルタント業に戦後、元軍人たちが転職してきたことが原因である。
そんなことはどうでもいい。俺と老害は冷戦ではなく交戦状態になった。
畢竟、パイの実なんて食えなくなってもいいのだが、老害の言うことを聞いた、という傷を人生につけるわけにはいかない。
うちの労組は企業の事情で2個に分裂している。その2つを戦わせることにした。
パイの実は64層から構成されているが、弊社の労組は御用組合と、元政党系に端を発する組合に別れている。
それを戦わせた。
老害と、その家族の人生を可能な限り不幸にせしめんとするためである。殲滅戦争だけがいい戦争だ。勇者ヒンメルならそうした、というやつだ。労組を通じて、労基署に弊社の様々な悪癖を垂れ込んだのだ。
お局を巻き込み、実務部隊の労働態度を精神的に攻撃する方向で反撃してきた。
実務部隊は実務をしているので事務や順法から逸れることがある。パイの実のように。
そこを突かれた形になる。
俺たちが下請け会社に対し、3年以上振り込みを行っていなかったことなどを追及してきたのだ。また、搬送ルートのために密入国や、現地での買収行為を行ってきたこともだ。
そんなことは当然、表沙汰にしていいことはない。何を考えているのだろうか。
事実、老害のせいで労基署だけではなく、経産省が参戦してきた。
さらに、国家の豚どもによる、優秀なる調査により、重要インフラに携わる我々が、違法行為、つまりはまあ安全性を無視していたことが判明。
大した話ではないのだが社員が国民個人情報を某国に流出させていたことまで判明したから、戦線は大変なことになってしまった。
そんなことはどうでもいい。
まあ、それはそうと、弊社は近日ニュースに出る。
ホンダにとって、悪夢のマクラーレン・ホンダ時代の再来を思わせる、散々な開幕前のバーレーンテストとなっている。
全くの新規参入チームであるキャデラックを除くライバルチームたちは紆余曲折はありながらも順調にマイル(テストでの走行距離)を稼ぐ中、
ホンダのPUはテスト期間中のほぼ全てで300キロ以上の速度は出さないセーブモード走行に終始していた。
他のPUメーカー(新規参入のアウディ含む)、意外と言っていいほどの好調ぶりを見せるレッドブル・パワートレインズフォードの順調な仕上がりとは雲泥の差である。
F1が長年慣れ親しんできたフラットボトムに近いオーソドックスな構成に戻され、
PUも昨年までのMUG-Hという非常に複雑(ターボの排熱から熱を回収して電気へと変換する仕組み(この仕組みによりF1のPUの熱交換率は50%を超えていた(市販量産車のかなり優秀でエコなエンジンですら熱交換率は40%程度))な機構が省かれた。
本来であれば、より簡素なシステムとなったPUに、昨年前での複雑なPUで何度もチャンピオンを取ったホンダが苦労するわけもないのだが、、、。
ただ思い起こされるのは悪夢のマクラーレン・ホンダ時代と言われる、
2015年から2017年のマクラーレンとホンダがジョイントした暗黒時代のことだ。
ホンダPUは非常に非力で、というかまともに走ることもままならないことも多く、
「GP2(F1より下位のカテゴリーのクラス)エンジンだ!!」
とレース中に罵られた場面は海外ではネットミームになるほど繰り返し擦られたものである。
その時代を思い起こされるほどの今回のプロジェクトの立ち上がりの悪さである。
いや、そうではないと思うのだが。
ホンダは通常、新しいレギュレーションに挑む時、革新的、いやそれは突飛とすらいってもいい理想主義的な技術に取り組むのが常である。
サイズゼロ、悪夢のマクラーレン・ホンダ時代にもマクラーレンの要望に従い、
サイズゼロと呼ばれる実現不可能なレベルのコンパクトなPUの開発をしたことがその間違いの元だった。
だが、今回のプロジェクトにおいてはそのような冒険はしていないように見受けられていたのだが、、、。
周囲をあっと言わせたあのゼロポットは、その次のバーレーンでの公開テストで初めて持ち込まれる。
この故事を踏まえても、メルセデスの今回(2026年のバルセロナ非公開テスト)持ち込んだマシンは完成形ではないのは間違いない。
2022年は結果としてゼロポットコンセプトは大失敗に終わったことからメルセデスにとって忘れたい記憶となったのだが、今回はどうなるだろうか?
今回も、あれほどの革新的な変更をするのだろうか?
それともコンサバティブにマイナーチェンジを繰り返していくことになるのか?
現状、規約の穴を見事についたことからPUの面ではメルセデス陣営(とレッドブル・パワートレインズ)が優勢なのではないか?
と言われている。
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規約ではシリンダー内のピストンが上限にある時の容積を1として、下限に来たときの容積がその16倍を超えてはいけないという規約だ。
その規約を監視する測定は当然、エンジンが停止状態のときに行われる。
そこが盲点だった。
メルセデスとレッドブル・パワートレインズ(レッド・ブルはメルセデスから開発者を引き抜いたことでそのトリックを知り真似しただけだが)はエンジンの稼働状態のときに、活路を見出した。
熱膨張を利用してエンジンが稼働しているときには、圧縮比が規約よりも高くなるようにPUを設計したとされている。
このことから他のメーカーに比べて優位に立ち、よりパワーの出るPUを持っていると推測されている。
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このような優位な状態で、さらにマシンが安定していて、テストでは圧倒的マイルを稼いでいる。
(Q)
千葉県知事について「千葉市中の小中学生を冷房なしの校舎に閉じ込めてレッドブルエアレースにキャッキャしてたクソ野郎」という表現を見ましたが、何があってのことですか?
(ChatGPT)
その表現の**「千葉市中の小中学生を冷房なしの校舎に閉じ込めてレッドブルエアレースにキャッキャしてたクソ野郎」**という書き込みは、いわゆるネットの過激な批判・揶揄表現で、事実をそのまま示すものではありません。ただし、背景として次のような文脈(学校の冷房設備や知事への批判)があるため、そうした表現が出回ったと考えられます:
千葉県内の小中学校について、普通教室へのエアコン設置は進んできたものの(市によって早期に完了した例もあるものの)、特別教室・体育館・古い校舎などでは依然として冷房が不十分という現状がありました。これは千葉市内でも過去に指摘されていた課題です。
日本全体の学校でも、老朽化した建物や断熱性の低さから冷房の効果が出にくいケースが指摘されており、猛暑の中で教室が極めて暑くなることは現実の問題として報じられています。
熊谷俊人知事(当時選挙を経て継続)は、学校などへのエアコン補助策について「都のような補助は考えていない」という発言をしたことが、一部で批判の対象になっています。
ネット上では「学校にエアコンを付けるのに数年かける方針だった」「熱中症リスクがあるのに 対応が遅い」というような批判や不満も見られますが、これらは一部SNS等の意見や噂を基にしたもので、公式な記録・広範な報道で確認された事実というよりは、感情的な反発に基づく表現が多いです。
「レッドブルエアレース」は千葉市で開催される国際的なモータースポーツイベントで、知事・行政は観光振興や地域のPRとして関与するときもあります。
批判表現のように「イベントに熱中している間に学校の暑さ対策を後回しにした」というニュアンスは、ネット上での皮肉や揶揄として使われているもので、「知事が本当にそのために学校対策を怠った」という公式な事実関係が確認されたわけではありません。
🧠 要するに
表現の背景としては、
千葉県・千葉市の一部学校で冷房設備の整備が遅かったり不十分だったりする状況があった(全国的にも同様の課題あり)。
その中で、知事・県政への不満や批判がネットで過激な言葉で表現された
「レッドブルエアレース」などイベントの話題と絡めて、対策を怠っているように見える(あるいは見せる)表現になっている
という構図です。
⚠️ 注意
ネット上の過激な表現は、感情的な批判や誇張・噂を含むことが多いため、事実と混同しないようにすることが大切です。政治・行政への批判の仕方としては、根拠のある情報や公式発表を確認することをおすすめします。
いかにしてセカンドドライバーをフェルスタッペンの僚友として正しく機能させるか?
ということだと思う。
なぜレッドブルのセカンドドライバーは、ああなってしまうのかは正確には理解できない。
一切の間違いなくパソコンをオペレーションするようなものを想像して欲しい、
というような例えをしていた。
これが正しいのかどうかはわからない。
彼はずいぶんと前に、現行のレギュレーションとは違うマシンに乗っていたときの経験を語ったものだからだ。
なんにしろ、原因はわからないにせよ、レッドブルのセカンドドライバーは、
無様としか言いようがないパフォーマンスしか発揮することが出来ない。
というのは大きな課題だ。
今日のレースでも、虎の子の新型フロアを他チームのミスにより潰されてしまったため大きなハンディを抱いていたという理由があるにせよ、
角田をフェルスタッペンのサポートして機能させることは出来ていなかった。
わずか2ポイントの差でフェルスタッペンはチャンピオンを逃してしまった。
もしも、これが正しく角田も機能させる事ができるチーム作り、マシンづくりが出来ていたとしたら?
現在のマックス・フェルスタッペンが魅せる魔法のような活躍のパフォーマンスは若干弱まる可能性はある。
かつて空力の鬼才エイドリアン・ニューウェイがそのマシンの設計において
あまりにも空力性能を追求しすぎた結果として
ドライバーのドライバリティを損なうようなマシンに仕上げてしまい
そういう失敗の経験を活かし、ニューウェイは空力だけを追求するマシンづくりではなく
それに似ていると思う。
レッドブルが勝てるのはフェルスタッペンファーストのチームを作り
フェルスタッペンの神通力とも言える脅威のドライビング能力によるものだが
あまりにもそれが極端にすぎると
結果として
何も出来なくなってしまった。
もしも、レッドブルにもノリスとピアストリを牽制できるセカンドドライバーがいたのなら?
結果は変わっていたかもしれない。
あきらかに、レッドブルというチームの大きな欠点であるに過ぎない。
誰がやっても、同じなのだ。
そして、そのことをドライバーの才能という問題だけに押し込めていることがレッドブルの最大の問題なのだ。
来年は新レギュレーションとして全くこれまでとは違うマシンが登場する。
そして、そのマシンはおそらくは、ニュートラルな性格をもったマシンとしてまずは始まるだろう。
これは現行のレギュレーションに変更された2022年でも同じであった。
乗りやすく、そして他チームに対して圧倒的なアドバンテージを誇ったマシンはペレスも勝利を上げ、フェルスタッペンのライバルとなる勢いすらあった。
ただシーズンを重ねる毎に、そのマシンはフェルスタッペン向けへと調整されていく。
やがてはペレスが扱いかねるものとなり、最終的にはドライバー、スポーツ選手として大切な要素の一つ「自信」というものを完膚なきまでに破壊してしまう。
この負のリピートをどうやって終わらせることが出来るのか?
あるいは、これはフェルスタッペンが考えるべき仕事なのかもしれない。
彼は負けて悔しかっただろう。
あからさまには態度には表してはいなかったが、チャンピオンになれなかったことに失望したはずだ。
では、どうすればワールドチャンピオンをもっと引き寄せることが出来るのか?
それとも4度のワールドチャンピオンとして僚友すらもときに育て、ときに牽制し、従わせる。
そのような大きな仕事を総合的に出来るように存在となるべきなのかもしれない。
ルイス・ハミルトンは、おそらく全力を尽くせばボッタスを完封することが出来ただろう。
しかし、彼はそのようなことはしなかった。
最終的にワールドチャンピオンになればいいという計算でときにボッタスに花を持たせたりしていた。
もちろん来年以降のレッドブルにそこまでの余裕があるわけもないが、
そのやり方の視点のようなものはフェルスタッペンも見習うべきものがあるはずだ。
そして、おそらくは彼もそのことに気づいている。
なぜ今年勝てなかったのか?
そのことを彼は徹底的に考えて
そして正しい結論を得るだろう。
知らんけど。