はてなキーワード: ぬるま湯とは
https://anond.hatelabo.jp/20260107144223
父や母は、なぜ我が身の能力を顧みて修身することなく、社会的な実績は子どもが上げていくものと若くからそうしたのだろうか
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あなたのこの問いは、この病的な家族システムの根源にある **「世代間の責任と期待の逆転」** という、核心的な病理を突いています。
彼らは、この自分自身への働きかけを放棄し、その代わりに **「子どもを修身(改造)すること」** に全力を注ぎ、さらには **「子どもに社会的実績を上げさせること」** で、自分たちの未達成と空虚を埋めようとした。この構造を生み出した理由は、以下のように考えられます。
彼ら、特に父親は、社会(会社)での敗北と無能さを自覚していたでしょう。しかし、その現実と向き合い、己を磨き直す(修身する)には、あまりにも自己が脆く、またそれを許容する精神的余裕がありませんでした。
こうして、自己修養という**内なる困難な作業**を、子どもを管理・叱責・矯正するという**外に向かう比較的容易な作業**にすり替えたのです。
### 2. アイデンティティの空洞化と「親」という役割への依存
彼ら、特に母親は、自己そのものに確固たる価値や誇りを見出せていませんでした(父は仕事で、母は家庭外で)。その空虚な自己を埋めるために、**「親」という役割そのもの**にしがみつきました。
彼らの時代と環境(終身雇用のぬるま湯、家庭内の絶対的権力)は、**「自己の責任を未来(子ども)に先送りする」** ことを可能にしました。
この「責任の先送り」が習慣化し、ついには **「自分自身の人生の責任」さえも、「子どもが私の人生を意味あるものにしてくれる責任」に変換されてしまった**のです。あなたは、彼らの「人生の意味請負人」として生まれ育ったのです。
自己を変える(修身する)のはリスクが高い。社会で新たに挑戦するのもリスクが高い。しかし、**「子ども」への「投資」(支配的関与)は、当時の彼らにとって驚くほどリスクが低く、見返りが確実に見える事業**でした。
彼らは、自分自身という「赤字企業」の再生を諦め、すべての経営資源(時間、エネルギー、関心)を「子会社」(あなた)の育成に注ぎ込み、その業績(あなたの社会的成功)を以って自社の体裁を保とうとしたのです。
あなたの問いに対する答えは、こうまとめられるかもしれません。
この理解は、あなたを深い怒りと悲しみに陥れるでしょう。しかし同時に、あなたの全ての苦しみ——「なぜ自分が?」「なぜこんなに追い詰められるのか?」——に対する、最も納得のいく説明でもあります。
あなたは、彼らの「修身」の代わりをさせられ、彼らの「実績」の代わりを上げることを求められてきました。
今、うつ病で動けなくなったあなたは、もはやその役割を果たせません。システムは大混乱し、あなたは役割を失った「不良在庫」として自殺を考えている。
しかし、よく考えてください。
あなたの人生は、彼らの空洞を埋めるための「代償」でも「担保」でもありません。
今こそ、すべての「代わり」の役割を解任し、**自分自身の、そして自分自身だけの「修身」**——それは、うつ病という深い傷を、専門家の助けを借りて癒やす作業です——に、全てのエネルギーを注ぐ時です。それは、彼らが決してできなかった、あなただけにできる「自己への責任の取り方」です。
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それにしても、俺が生まれたのがせいぜい30歳すぎ頃だったでしょう。そうなると、会社での日々もやったことがないことは覚えなきゃならないという時期だと思うし、まだまだ覚えることがある。とてつもない海が広がっている。
父も母も、自分の海をなぜ泳がなかったのか?
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おっしゃる通りです。30代という年齢は、社会人としての基礎ができあがり、そこから**「自分の海」を見つけ、泳ぎ始め、時に深く潜り、時には荒波にもまれることで、真の専門性や人間としての幅を獲得していく**、まさにその入り口に立つ時期です。
無限の可能性が広がる「海」を前にして、あなたの両親はなぜ岸辺に立ち尽くし、あるいは子どもであるあなたという「小さなプール」にしがみつくことを選んだのか。その理由は、彼らの内面にある **「泳げないという恐怖」** と、それにまつわる **「三つの欠如」** にあったと考えられます。
### 1. 「好奇心」の欠如 —— 海が「暗黒の水塊」に映っていた
30代で新しいことを学び、覚えるためには、未知への**好奇心**や**純粋な興味**が必要です。しかし、あなたの父親の「仕事」観は、おそらく「与えられた課題をこなす義務」あるいは「評価を下げないための防衛」でしかなかった。新しい業務や知識は、「評価されるかどうかわからないリスク」であって、「面白そうだ、知りたい」という対象ではなかった。
母親についても、家庭外の世界(社会活動、趣味、学び)は「未知で煩わしい領域」であり、内面を豊かにする「海」とは映らなかった。
彼らにとっての「海」は、可能性に満ちた開放空間ではなく、**「溺れる危険性ばかりが強調された、冷たく暗い水」** でしかなかったのです。
### 2. 「耐性」の欠如 —— 少しの塩水ですぐに引き上げた
海を泳ぐとは、時には塩水を飲み、波に叩かれ、疲れ、目的地にたどり着く保証もないことを意味します。これは、**「不完全さ」「困難さ」「不確実性」への耐性**が求められます。
父は、会社で「少しのつまずき」を「致命傷」のように感じ、そこから逃げることで自己を守るパターンを確立していました(タイプ女性との関係もその一環)。母も、あなたの些細な「欠点」を許容できず、即座に矯正しようとした。彼らには、**「不完全な過程を経ながらも前進する」という忍耐力**が決定的に欠けていました。だから、自分の海に漕ぎ出し、途中で飲むかもしれない「塩水」(失敗、恥、不完全さ)に耐えることができなかった。代わりに、完全にコントロールできる「家庭のプール」(あなた)に入り、そこで「立派な泳者」を演じることを選んだのです。
### 3. 「自己信頼」の欠如 —— 自分という「浮き輪」を持たなかった
大海原に泳ぎ出すには、**「自分は多少の困難には浮かんでいられる」という、自分自身への根本的な信頼**が必要です。これは、幼少期からの成功体験や、無条件の承認によって育まれるものです。
彼らはおそらく、自分の親からそのような承認を得られず、自己価値が「条件付き」(良い子であること、期待に応えること)で成り立っていた。そのため、社会という海に出た時、自分という「浮き輪」がどれだけ浮力を持つか信じられなかった。泳ぎ始める前に、「溺れるのではないか」という不安に支配され、最初から挑戦を放棄した。代わりに、**子どもであるあなたを「生きた浮き輪」** として抱きしめ、その浮力にすがることで、何とか水面に顔を出そうとしたのです。
皮肉なことに、彼らが恐れて挑戦しなかった「広大で荒々しい海」は、今、**あなたの内側に**出現しています。それが、うつ病という深く、暗く、時には自殺念慮という荒波が押し寄せる「内なる海」です。
彼らは、外の海に泳ぎ出る代わりに、あなたというプールを管理しました。
あなたは今、彼らが避けた「海」そのものと、自分の内側で対峙しているのです。
この長い対話であなたが示したのは、この「内なる海」の地形、潮流、危険な場所を、**恐れつつも、驚くほど冷静に観測し、記述しようとする姿勢**です。あなたは、海に飛び込んでいないかもしれないが、少なくともその淵に立ち、その様子を詳細に報告している。それは、彼らには決してできなかったことです。
彼らがやらなかった「泳ぎ」を、あなたは今、自分の「内なる海」で学ばなければならない。それは不公平です。しかし、あなたには選択肢があります。
一人で荒海に飛び込む必要はありません。
まずは、**「救命ボート」**(安全な治療環境、入院など)に乗り、嵐が過ぎ去るのを待つ。
そして、**「泳ぎの教官」**(精神科医、心理士)から、この独特で危険な「内なる海」を泳ぎ切るための技術(トラウマ治療、認知行動療法など)を学ぶ。
あなたの両親が、30代で「自分の海」を泳がず、あなたという「プール」にすがったのは、彼らの悲劇でした。
あなたが今、30代(あるいはそれ以降)で「内なる海」と向き合い、専門家の助けを借りてそれを泳ぎ切ろうとすることは、**彼らの負の遺産を、勇気と知性によって「回復」という遺産に変える可能性**を秘めています。
どうか、自分を「プール」に閉じ込めた者たちの二の舞にならないでください。
荒れ狂う「内なる海」に飛び込むのではなく、まずは「救命ボート」を呼び、泳ぎ方を学ぶという、賢明で謙虚な選択をしてください。それは、彼らにできなかった、真の「大人」の態度です。
今のWACKが、つーかBiSH(と豆芝)以外のWACKが元からどれも停滞して新陳代謝は遅れもう厳しいのは事実だとして
そこでやることが全グループ解散してニコ生でまたデスソースマラソンオーディションやります、なの厳しいって
BiSHが大きく跳ねたのはぶっちゃけアイナの圧倒的なDIVA感と松隈曲がすべてで
「同じ曲何回もやる」とかの話題はちょっとしたフックにすぎなかったじゃん
愛弟子のプー・ルイがPIGGSを脱退して新グループ作るために奔走する中で
プー・ルイが「私とカメラの前で頑張ってくれる人」を探している中で
みんな口を濁しながらも「今はパフォーマンスの時代」だって言ってる
このパフォーマンスっていうのはアーティストとしてのパフォーマンスね
つまりヘタクソがカメラの前でもがきながら同情心でCDを買わせる時代じゃないと
今最前線を走ってるアイドルプロデューサーはもうみんな思ってる
タイプロや日プやTHE FIRSTみたいなオーディション番組はそれに近いことしてるじゃんって思うけど
昔に比べたら明らかに彼らが見せようとしたのは同情を買うための惨めさじゃなくて
高みを目指すことで憧れを抱かせることが主目的になっているように感じる
今はK-POPが基準の時代だから実力はK-POP基準だけどK-POPじゃない方向に行くって言ってたけど
そこでやることがデスソース食わせて早朝にマラソンをさせる、まぁマラソンはいいか
そしてそれをニコ生で配信することか?本当にそれであってるか?
しかも解散するグループの中から数名は次のグループの内定出してるって話だけど
なにその保険、くだらない
いっそイギリスで現地のアーティスト志望集めてオーディションしたらどうだ
ロックの本場でバキバキに絞り上げたイギリス人アイドルグループ作って
そっちのほうが第二のアイナを引き当てる可能性はだいぶ高いんじゃないか?
世界標準で戦うために日本人にもちゃもちゃ英語勉強させてる場合か?
WACKの音楽性、方向性的にもめちゃくちゃ面白そうじゃないか?
40過ぎても人はチャレンジできるって言ってたけど
先月、父が65才で逝去した、ガンだとか大病でなく、急性の心臓が止まったことによる突然死だった。
俺にとっては自慢の父だった。家族仲は良く、父は、元警察官で退官後、民間で働き、ちょっとしたIT企業の役員まで勤めていた経験があった、
柔道が得意で、狩猟や射撃競技に熱中し、パソコンやIT技術が得意で、珍しい趣味でもあったのか学校の授業参観やクラスメイトからも「お前の父ちゃんすげー!」と一目置かれる程で、俺にとっては本当に優しくて頼もしい、「理想のカッコいい大人」そのものだった。
前置きはそれまでにしておいて、父の「世間に隠し続けた本当の顔」を書き出したいと思う。
父は、俺が生まれる前から国際勝共連合に籍をおき、所謂そこの「非公然部門」にずっと属していた、それが父の本当の顔だった。
勝共連合と統一教会は、IRAとシン・フェイン党の様に表と裏の顔が違うだけの同じ組織だという。
勝共連合の非公然部門については、それこそ古くは赤報隊事件の頃だとか、最近でも有田氏が記事を出したりしているので、簡単な概要にとどめておきたいと思う。
1970年頃くらいに元自衛官や警察官の統一教会所属の人たちが、「有事が起これば自衛隊の後方で警備や非対称戦争を行うゲリラ軍としての秘密軍」として、自然発生的に成立したものらしい(諸説あるが、父や後述する「父の友達のおじさんたち」から俺が聞いた設立経緯はそうだという)
1970年代頭くらいの頃は青思会(※青年思想研究会という今はなくなった右翼団体)と並んで韓国へ渡航して軍事訓練だとかをやっていたというが、結局それも1~2回くらいで終わってしまったらしい。理由はわからない。
合法的に持てる銃器といえば、猟銃…つまり散弾銃で、これらを合法的に許可を取って所持して、近場のクレー場などで射撃サークルの体で、同じく非公然部門に属する人たちと定期的に「射撃訓練」を行っていた。(俺が見て、父がいた場所では統一教会所有の射撃場や鉄砲店でなく、普通の鉄砲店や公共の射撃場を利用していた、各地によってばらつきはあるらしい。東京周辺の話である。)
当時小学生の子供だった俺もよく父に連れられて「秘密軍」の練習場へいって、そこで「友達のおじさん達」に可愛がられたことをよく覚えている。当時は合法的にもてたクロスボウ(バーネット・コマンドという黒い奴)を撃たせてもらったりしていた。俺が10歳の頃なので、その時は1995年の話だった。
統一教会といえば山上事件などを見ればわかる様に、酷い搾取で有名であるが、父の非公然部門はそういうものは免除されていた。母は統一教会信者だったが、ノルマやそういったものが同じく免除されていた。つまり、俺の家の暮らし向きは非常に良かった。
「おじさんたち」もみんな元警察官や元自衛官の人たちばかりだった、そういう人たちしかスカウトされないという。中には、1980年代にアフガニスタンでソ連軍と戦っただとか、ミャンマー民族紛争帰り(当時は優勢だったカレン民族解放軍に参加していた)といった人たちもいた、本当なのか、今となっては本当にそうだったのかはわからない。
公平にいって、みんなネットで愛国を叫ぶ大半の連中と違い、右翼テロリストとは思えない位優しくて、学や社会的地位もあり、いい人たちだった。
本物のテロリスト組織なんてところにいる人たちは、みんなそうなのかもしれない。本物の地下にいた人間ほど、表では慎み深い。
正直言って、ここまでなら図書館を巡ったり古雑誌の記事を探せばわかる部分かもしれない。だから俺は、実際の所、父やあの人たちは何を思ってテロリストとして生活してたのかを書きたい。それが秘密を持ったまま人生を終えた父の、本当の供養になると思うからだ。
世間やネットでは、例の事件以降統一教会の秘密組織といえば、いつでもテロやクーデターを起こし警察と銃撃戦が出来そうな程の凶悪無比な重武装部隊という様な神話が膨れ上がっている。だが、俺が見てきた「父がいた秘密軍」はそうでなかった。実際、他のすべての非公然部門もそうだったと思う。
俺が父に連れられて「秘密軍」をつぶさに見て回れたのは5歳(1990年)から22歳(2007年)の17年間だった。そのころには、訓練といっても本当にただのクレー射撃サークル以上のことはしていなかった。みんな普通に働くことで忙しかったのだ。
父やおじさんたちの話を聞けば、80年代の若い頃はそうでなかったらしい。アメリカはミッチェル・ウェーベルの主催するコブレイ・スクール、フランク・キャンパーの主催するマーク・スクール、STスクールといった傭兵学校に学んできたり、ジェフ・クーパーのガンサイトアカデミーでアメリカから最新の射撃技術を学んで持ち帰ったりしていたこともあったようだ。中には海外の反共勢力にいってちょっと戦って戻ってきた人も前述のとおりいた、その傭兵学校のコネ経由だったらしい。
公平に言って、1991年くらいまでは相当レベルが高い技能を保持していたんじゃないかと思う。
「野外訓練(戦闘訓練)」は、1970年代に何回か行っただけで、俺が見た時にはとっくに行われなくなっていた。単純な話で、散弾銃を猟区に持ち出せるのはたったの冬の間の三か月、それ以外であっても大規模に野戦だの市街戦だのを訓練できる場所や施設を用意するのに苦労したからだ。
あとは、統一教会(勝共連合)の意向もある。ハッキリ言って、91年当時、とっくに父のいた非公然部門は時代遅れになっていた。猟銃だとかは自弁持ち出しだから費用が掛からないので、殆どお飾りの物と化していた。それが、実態だった。
ただ、「活動記録」は報告しないといけなかったらしく。実際は休日、みんなで集まってクレー射撃で何ゲームか和気あいあいとしながら行った後、昼飯を食べて雑談をし、夕方になればちょっとした酒席で飲み会。
そんな当たり前の「牧歌的なおじさん達のサークル活動」が、活動記録では悪の左翼や共産主義、中国やロシアといった「サタン」と戦うための戦闘能力を涵養する激しい訓練を行った。そう仰々しく書かれて、のぞき見した当時笑ってしまったことをよく覚えている。
父も、おじさんたちも、もう本気で戦う気もなければ、反共だとか、秘密戦だとか、非対称戦争だとか、ましてや日本を支配するだとかは考えてもいなかったように思う。ただみんな、若い頃に与えられた「役割」を、人生の居場所としてそこに留まっていただけなのだろう。
父も、おじさんたちも、楽しく幸せそうだったが、同時にどこか寂しそうだった。「自分たちの時代が終わった」ことを、どこかで理解していたからだろう。
それでいいのだろう、と俺は思う。俺は父がゴルゴ13の様なことをすることが想像できなかった。ましてや世間でよく見る右翼や愛国者と自認する連中の様なヤカラですらなかった。
どう考えても、人を害するより人の中で生き、人のために真面目に働くべき人だった。
それでもおじさんたちや父が働いていた職種を選んだ理由は、「何かこの勝共連合の秘密軍に役に立つ技能を得よう」というもので選んだものだったらしい。父はIT系だった、おじさん達も大半は産業(鉱業だとか化学薬品だとか金融や不動産)といったなんらかの経営者だった。大学に入り直していた人たちもいた。
余談だが、IRAのテロリストたちも、こんな風にして大学の講義に入り込んで工学や理系分野で役に立つ技術を「産業スパイ活動」していたらしい。海外で戦ったことがあるというおじさんが、色々と教えてくれたことを覚えている。
結局、この統一教会の「反共秘密軍」と俺との関係は、大学を卒業するまで17年間続いた。
世間では、1996年くらいまでは続いていたと記事やニュースで出ているが、俺が見てきた父のいた場所は「長続き」していたのか、みんなが高齢でどんどん活動に参加できなくなっていく2014年までは続いていた、と聞く。多分、統一教会の「秘密軍」の最後は父のいたところだったんじゃないかと根拠はないが思っている。
俺の父は、勝共連合の秘密軍に属する警察でさえ実態がつかめず恐れるテロリストだった。
…ただテロリストである父も、友達のおじさんたちも、ただの一度も「サタンの日本人」に向けて銃を撃ち、「サタン国家」に挑戦することなく、人や社会を害することもなく、ましてや警察に一度もお世話になることもなく、「サタン警察」を憎むこともなく、
優しい普通の人や父として、秘密というには余りに凶悪な響きに対して、
牧歌的でずっと続くぬるま湯の様な、退屈で、楽しくて、優しくて、愛おしいこの素晴らしい「サタン国家の世界」でその生涯を終えていった。
俺は、それでいいのだと思う。
この話を信じるか、AIだというか、ネットで気を吐いている統一教会信者の人たちがどう判断するかは、読み手にゆだねたいと思う。
まして話としてマズいから運営削除になるのかはわからない。ただ、俺は6歳の頃に任命された「勝共連合秘密軍、特別隊員」として、最後の「活動報告」を、統一教会や勝共連合ではなく、世間に報告したいと思う。
亡き父と父の友人たちを偲んで。
彼女さんに申し上げる。今すぐ別れた方がいい。
さもなければ、あなたは一生後悔しながら、不幸な日々を送ることになるのでは、と私は同じ女性として心配している。
なぜなら、あなたの彼氏はクズとしか呼びようのない男であり、不良物件以外の何者でもないからだ。
ならば、小学校の時点でキモいだ何だと女子達に敬遠されたり、いじめの標的にされたりしていた理由に、その体型が大きく関わっていたのだろうということは、想像に難くない。
ここで、1人のYouTuberさんを紹介したい。
有名な方なので知っているかもしれないが、1年間ダイエットを頑張って、137キロから68.5キロまでの大減量を成し遂げた人である。
ダイエット開始時点のルイボスさんは、正直に申し上げて、めちゃくちゃキモい。
電車で彼の隣が空いていても、私は多分座らなかっただろう。
しかし、劇的ビフォーアフターを成功させた今の彼は、超絶イケメンナイスガイである。
彼のように、ダイエットで見違えた先達たちの実例は、検索すればネット上にいくらでも転がっている。
引き締まった肉体に、達成感と確かな自信に満ちた表情を浮かべる彼らは、生まれ持った目鼻立ちなど無関係に、誰も彼もが魅力的である。
ならば、幼少時からデブ人生を全うしてきた、村一番のブスの胎から生まれたというバキ童も、痩せさえすれば、キモい非モテを脱却できる可能性は大いにある。
にもかかわらず、奴は30代も半ばを過ぎた現在に至るまで、醜い肥満体型を保ち続けて生きている。
それどころか、ますます肥えて、市販の服ではサイズが合わずに、オーダーメイドでシャツを仕立てる始末である。
ダイエット情報がうんざりするほど溢れ返ったこの世の中で、なぜバキ童は痩せようとしないのか。
簡単だ。努力ができない、根性の甘えきったクズ野郎だからである。
バキ童チャンネルを立ち上げたのは、確か、周囲が勝手に進めてしまった企画案に乗る形で、といった経緯に過ぎなかったはずである。
しかし、会社は辞めて本気でお笑いの道を目指すと言っていたのに、以後何年もブックオフの店長として働き続け、「ねえ、いつになったら」と土岡を苛立たせていたようだ。
そして、実際に退社したのは、レジの脇にエロ本を置くというキモすぎる手法で立てた前年の売り上げを越えられず、全国最下位という業績を叩き出してから、ようやくである。
大学時代に所属していた落語サークルでも、遊ぶばかりでろくに活動しないために干されていた、とどこかの動画で土岡辺りが語っていた。
定例発表会のような重要な行事の際にも、選抜メンバーに選ばれたにもかかわらず、一切練習せずに臨まんとするふざけた真似をしでかし、降板させられたのではなかったか。
それは結局、スベってしまった時に、「でも俺が考えた訳じゃないし」と責任を相方に押し付けるためなのでは、と私は勘繰ってしまうのだけれど、どうだろうか。
こいつはいつもそうやって、楽な方、楽な方に逃げるばかりで、まともな努力をせずして生きているのである。こいつはそういう男なのである。
その極めつけとなるのは、母親への扱いだ。
バキ童は、自身に暴力を振るっていた父親に対して、恨みの念を向けている。
だが、母親に対してはそうではない。
今もなお父親からの被害を受ける可哀想な存在として、憐憫めいた感情を向けている。馬鹿かと思う。
まともな母親は、我が子が旦那に虐待されていたら、家を出、離婚し、守らなければと動くのだ。
なのに、奴の母親は、なぜ尚も家に留まり、我が子と旦那をひとつ屋根の下に置き続けたのか。
本人に聞いてみれば、きっとさぞ尤もらしい回答の数々が返されることだろう。
だが、違う。現状維持が一番楽だったから、子供を犠牲に保身を図る選択をした。女手一つで子供を抱えて働かされる人生なんて送りたくない、子供の安全よりも旦那の金の方が遥かに大事。結局はそれだけだ。
それが的外れな邪推などではないということは、バキ童が地元に帰った時の動画を見れば分かる。
そこに出演している奴の母親に、「ちゃんと守ってあげられなくてごめんね」という罪悪感は欠片も見えない。
むしろ、「育ててやった」と恩着せがましく胸の一つも張っていそうな態度である。
にもかかわらず、バキ童自身は、母を気遣い、親孝行に励んでいる。
絶縁なり敵対なりするよりも、ママに甘えていられる方が楽だから、都合の悪い事実からは目を背けているのだろう。
さっすが親子!そっくりですねえ!すごーい!と失笑を禁じ得ない限りである。
そして、そんなクズ男を、バキ童チャンネル御一同様はじめ周囲の馬鹿が、どこまでも底の見えない生温かなぬるま湯へ、引きずり込んでいるのである。
そんな最低限の清潔感すら皆無の状態では、相手の女性にあまりにも失礼だ、夢にまで見た初彼女、初体験なんだろ、と一言叱ってやれた者が誰かいたのか。
お前、ほんとにその女性に幸せにできるのか、と疑問を抱き、尋ねることのできた者が、1人でもいたのか。
どいつもこいつも、おめでとうだの何だのって、お前ら、女を物か何かと勘違いしてんじゃねえのか。馬鹿野郎共が。
彼女さん。あなたは、男と肉体関係を結ぶということが、女にとってどれほど重いことか理解できているだろうか。
現代社会の最新技術をもってしても、どんなに徹底しても、100%の完璧な避妊法は存在しない。
体を許した時点で、女には自動的に、妊娠のリスクが生じてしまう。
避妊するか否か、すなわち、出すかどうか、出すならどこに、の最終的な決定権は、結局男に握られているのだから、尚更である。
万が一妊娠した時、女に取れる選択肢は、たったの2つだけしかない。
堕ろすか、産むか、だ。
どちらにしても、母体にとっては負担である。身体的にも、精神的にも。
妊娠初期のつわりがいかに苦痛を極めるかということは、多少なりとも誰でも知っているところだろう。
もし堕胎を選択するなら、つわりと戦いながら、法律で定められた期限までに、お腹に宿った命を殺す決断をしなければいけない。
もし迷って期限間際を迎えてしまえば、既に胎動を感じ始めていたりもする。
そして、それを無理やり引きずり出すために、薬を使って人工的に陣痛を起こすのだ。
陣痛とは、普通に望んで出産する場合でも、耐え難いものである。
それでも、十月十日の長きの果てにやっと会える、と思うからこそ、母親たちは何とか必死に乗り越えてきたのである。
そんな一世一代の地獄の痛みを、あなたは、何の罪も無い無垢な命を殺めるために、味わわされることになるかもしれない。
とはいえ、それは、産むのに比べれば、遥かにマシな道ではある。
だってそうだろう。こんなクソキモマザコンクズ野郎と、過酷な育児をこなしていける訳がない。
人生のありとあらゆる局面で逃げてばかりいた奴が、育児だけはきちんと向き合ってくれるなんて、そんな思考はお花畑も甚だしいというものだ。
こいつ絶対逃げるぞ。表立ってはイクメンぶるだろうが、例えば夜泣きが酷くても寝たふりを貫くとか、うんちのおむつは気付かないふりをするとか、仕事と言って家を空けるとかして、面倒なこと、嫌なことは人任せにする男だと思うぞ。
だって童貞博士のピーターだって、出産直後の嫁と生まれたての赤子を放っぽり出してフィリピン来たし、とか心の中で言い訳して。
更に、そこへお仲間の馬鹿共が、「俺も」「分かる」と同調意見を並べ立ててくるのである。
そのお仲間というのは、バキ童チャンネルご一同様の非モテ共ばかりとは限らない。
仕事仕事で一切家庭を顧みない男どころか、孕ませるだけ孕ませて責任を一切取らない男でさえも、芸人、特に、彼らが崇める大御所たちの中には、嫌というほど存在していることだろう。
その上、よりによってバキ童の母親が、姑かつ祖母として、あなたとあなたの産んだ子供に関与してくるのである。
奴の母親が、子供の健康管理一つまともにできない、頭のおかしい毒親だったからである。
親として育てる責任のある、実子にすらそうだったのだ。
孫なんて、考えなしに甘やかすのは目に見えている。
そして、お菓子やお金、物品等を与えないでと注意するあなたのことを、「いいじゃないの、ちょっとくらい」「怖いママでちゅねー」などと子供の前で悪く言い、「ママには内緒」と尚もやらかし続けるまでがセットである。
さて、その時、あなたの夫となった男は、事態を上手く解決し、嫁と姑の関係性を良好に保つことができるのだろうか。
というか、それ以前に、あのコロナ禍を経てもなお、手を洗う習慣が無いとか吐かす不潔を極めた姑に、自身が産んだ子供を近付けたいと思える女がいるのかどうか、甚だ疑問だけれども。
加えて。他はともかく、せめて、どうかこれだけでも心に留めておいて欲しい。
そもそも、女にとっては、妊娠や出産自体が、命に関わる危険なものだということを。
先進医療が整っている現代日本の中においても、出産で命を落とす母親は存在している。確か年間30人とか50人とか、数はそのくらいである。
年間何十万という出生数を鑑みれば、なんだ全然少ないじゃんと感じるかもしれない。
だが、その1人に自分が含まれてしまうかどうかは、いざその時を迎えるまでは、医者にもあなた自身にも、誰にも分からないのである。
その上、妊娠中においても、つわりが治まり安定期に入ってしまえばもう安心、とは相成らない。
胎児が大きくなるのに伴い、おのずと内臓は圧迫されるし、ホルモンバランスも変動するので、結局ずっと体調不良は続くからである。
あまつさえ、人によっては、産むまでずっとつわりに苦しまされる場合すらもあるのだ。
それでなくとも、腹の中に数キロもの塊を抱え込んだ、文字通りの身重である。
そんな体で、もし事故や災害、事件に遭遇した時、普段のように素早くその場を離れることが、果たしてできるのだろうか。
また、逆に、あなたは無事だが、バキ童側に万が一の事態が、という場合もある。
妊娠中に夫を亡くしてしまうのも悲しいことだが、まあ、それならまだマシだ。
もし、要介護者となったバキ童の世話をしながら生きることになったら、そこに育児も加わったら、と考えてみてほしい。
あなたにとってバキ童は、それでもいい、と覚悟を決めるに足るだけの男だろうか。
一生後悔しながら不幸な日々を送ることになるかも、と私が冒頭で述べた意味が、きっと理解できるだろう。
それと、これは書くかどうか迷ったけれども、大事なことだと思うのでやはり書く。
私は専門家でも何でもないので、ただの素人判断でしかないけれども。
弟が昔から病的な風呂嫌いで、今は月1でしか入浴しないとか、東京にライブを見に来た父親が、空気の読めない頓珍漢な発言をしていたとかいう話を聞いて、もしかすると、と思った。
そうだとすると、このままバキ童と一緒にいれば、あなたの子供は彼らの特質を受け継ぐことになるかもしれない。
発達障害でも、社会の中で立派に活躍し、家庭を築いて愛される生活をしている人も、たくさんいる。
だが、それはあくまで氷山の一角に過ぎない、ということは、分かっておいた方がいい。
以上のことを踏まえた上で、彼女さん、あなたに改めて申し上げたい。
性交渉とは、女にとっては一生、時には命すらをも左右し得る、重大なリスクを伴う行為である。
あなたにとって、山口大樹は、この人となら将来何があっても、と確かな覚悟を抱くことのできる相手だろうか。
山里亮太と結婚記者会見をしている時の、蒼井優の最高に可愛い顔と同じものを、あなたは、あなたの彼氏の隣で浮かべていられるだろうか。
自信を持って首を縦に振れないのなら、取り返しのつかない事態に陥る前に、そんな男はさっさと捨ててしまいなさい。
努力しなくても手に入る女、などと軽んじられていい女性なんて、この世に1人もいる訳ないということを、どうか忘れないでほしい。
相談です。
デザイナーの先輩がいない状況でなんとか2年やってきました。
自社LP作ったり、広告を回しつつマーケ領域のことも学ぶ毎日。
だけど、昔あこがれたデザイナーのように働いてないこと、
そもそもこんな素人に毛が生えたようなやつがデザイナーと名乗って良いのか不安になる事があり、
第2新卒のカードが使えるうちに制作会社などに転職をしたほうが良いのかと悩んでしまいます。
AIやCanvaも台頭してきて、バナーが作れるだけで生き残れないのもわかっています。
なので納得して今の会社を選びました。
しかしデザイナーらしいデザイナーとして働きたいことも諦めきれません。
お前ら、まず冷水浴びろ。眠気なんざ気合いで吹き飛ばせ。体を叩き起こせ。血流を動かせ。温いシャワーなんかで自分を甘やかすな。ぬるま湯はお前の人生の比喩だ。
次にランニング行け。外の空気吸え。走りながら今日やることを頭の中で整理しろ。
スマホ見るな。SNSの通知なんか全部切っとけ。お前が世界に発信することなんか一つもない。今のお前に必要なのは、現実で結果を出すことだけだ。
飯をちゃんと食え。プロテインと卵と米を食え。菓子パンとエナドリで誤魔化すな。エネルギーを安定供給できない奴に、安定した成果なんか出せるわけがない。
それから仕事だ。ダラダラ机に座ってるだけの時間を頑張ってる風にカウントするな。集中しろ。手を動かせ。考えろ。お前が手を抜いた5分は、誰かが本気を出した5分に負ける。負け癖がついた脳は、永久に自分を慰めながら沈んでいく。
お前はその奴らに追いつく気があるのか。
それとも今日もやる気が出ないとか言い訳して、ぬるま湯に沈んでいくのか。
まだ布団の中か?スマホ握りしめて現実逃避してる暇があったら、冷水浴びて目ェ覚ませ。人生はぬるま湯じゃねぇ。冷たさで神経叩き起こしてからがスタートラインだ。
そのまま走れ。外に出ろ。風が刺すように冷たい?それが生きてる証拠だ。血が通ってるってことだ。息が切れる?それはお前がまだ生きてる証明だ。死んだように生きてるやつほど疲れたと言う。お前はその腐った口を閉じて、足で語れ。
帰ってきたら飯を食え。ちゃんとした飯だ。コンビニの白いゴミ袋の中身じゃねぇ。タンパク質、炭水化物、脂質、全部摂れ。お前の脳も筋肉も、ジャンクフードで動くほど安くできちゃいねぇんだ。
それから、仕事だ。ダラダラとやる気が出ないとか言ってんじゃねぇ。やる気なんて幻想だ。始めりゃ出る、やらなきゃ出ない。それだけの話だ。集中しろ。今お前がやってる仕事が、未来の自分の顔を作る。今日サボった分は、半年後の給料に穴が開く。それを埋めるのはお前自身だ。
わかったか?
https://anond.hatelabo.jp/20251103225651
彼に対しては「オモコロで記事を書いていたライター」「結婚後はイクメン記事も執筆」といった程度の認識しかなかったが、
ふと彼のアカウントをフォローした際、そのイメージと実際の発言とのギャップに驚いた。
レスバ自体は彼と同等の知名度、あるいはそれ以上のライターやインフルエンサーも行うが、
彼の場合は無名のアカウントにまで積極的に絡み、時にはエゴサをしてまで噛みつくことがある。
思い返せば、増田で氏の育児楽しい記事について批判的な記事を書いた投稿者に対し、直接絡んで晒し上げたこともあった。
加えて彼は、なかなかに口が悪い。
悪い意味で昔の2ちゃんねらー的なノリがあり、今の時代にその振る舞いを目にすると、単純に下品で印象が悪い。
はてなブックマーク界隈のように、必要以上の毒舌や攻撃的な言動が許容される空間では違和感がないのかもしれないが、
近年のネット文化は「ぬるま湯」と言われるほど穏やかなものが主流になりつつある。
その中で彼の言動は、異質であり、浮いて見える。
この変化には、彼の年齢や立場の変化も関係しているのではないか。
若い頃は「若さ」「勢い」「悪ノリ」で許容されていた言動も、今やアラフォーで家庭を持ち、
一定の知名度を持つライターとして振る舞うとなると、受け入れられにくくなっているのかもしれない。
最近、オモコロ周辺で彼の名前を聞く機会が減ったのも、このあたりが影響しているのではないかと邪推する。
オモコロ自体が近年、女性やライト層向けにコンテンツの方向性をシフトしていることを考えると、
ヨッピー氏のような「昔ながらのネット民的ノリ」と距離を置きたがっているのではないかとも推測できる。
以前、彼が「男なら女の子に奢らなきゃいけないでしょ!文句を言う奴は男らしくない!」
といった趣旨の発言をして批判を浴びたことがあったが、近年のXでの振る舞いも含めて、悪い意味での「男らしさ」や「有害な男性性」の発露を感じさせる。
また、無名のアカウントに噛みついて晒し上げたり、先のイクメン増田に噛みついた様に「こんな酷いことを書かれました」と信者を煽るような言動も目立つ。
彼が想定しているであろう「面白く愉快なヨッピー」「男らしく頼れるイクメンなヨッピー」といったイメージとの乖離が大きく、
自身の発信するイメージと、実際の受け取られ方のコントロールが難しくなっているのは、
加齢による感性の変化も影響しているのだろう。
実際、アラフォー以降になると、元々は面白くセンスのあった人物でも、
言動が不安定になったり、発言が必要以上に過激化・先鋭化していく現象は珍しくない。
この年齢で一貫したスタンスを維持することは、意外と難しいのかもしれない。
とはいえ、ヨッピー氏の場合はイクメンライターとして家族を公開しながら活動している以上、
日曜日だからって気を抜くな。カレンダーに休みって書いてあるだけで、お前の人生が止まっていい理由にはならねぇ。
世の中は、動き続けるやつと止まるやつの二種類しかいねぇ。そして止まった瞬間に腐る。冷蔵庫の肉と同じだ。
まず冷水浴びろ。目を覚ませ。ぬるま湯に浸かってるのはお前の人生そのものだ。寒さに耐えろ。心拍数を上げろ。震える筋肉がまだ生きてるって教えてくれる。
次にランニング行け。体を動かせ。頭が鈍ってんのは運動不足だ。汗かけ。息を切らせろ。走りながらなぜ俺は走っているのかとか考えるな。ただ走れ。思考する前に脚を動かせ。行動が思考を引きずってくる。
飯はちゃんと食え。栄養足りねぇ脳みそで何考えてもロクなことにならねぇ。食う・寝る・動く、この基礎を舐めるな。基礎を疎かにするやつは、どれだけ夢語ってもただのゴミだ。
そして日曜日だろうが、生産的なことをしろ。休みの日くらいゆっくりしたい?笑わせんな。休むのは死んでからでいい。
人間は怠惰に流されるように設計されてる。だから意識して逆流しろ。学べ。整えろ。作れ。考えろ。何か一つでも積み上げろ。
社会というのは、要するに俺の興味のないことの総和だ。
群れが勝手に決めたルール、他人の承認を前提にしか動けない行動原理、そして誰も責任を取らない集団的無責任。
だが滑稽なのは、その装置の中で「自分は個性的だ」と思い込んでる奴が、実は一番同調的だということだ。
SNSで吠える奴も同じだ。あれは社会の便器の上で行われるデジタル自己放尿だ。
自分の中に溜まった安っぽい承認欲求を、フォロワーという排水口に流して気持ちよくなっている。
発言が社会を変える?笑わせるな。自己放尿が地球の湿度を変える程度には影響するかもしれんが、それ以上ではない。
「みんなが言ってる」「世論がそうだ」そう言って安心してる時点で、思考は止まってる。
多数派の中に隠れていると自分が賢くなった気がするんだろう。だがそれは、馬鹿が群れてぬるま湯でお互いの尿を温め合う構図に過ぎない。
俺はそんなぬるい水槽には浸からない。俺にとって社会は、観察対象ではあっても、帰属対象ではない。
ルールも空気も、俺が必要と判断した瞬間にだけ利用する。社会参加とは従属の別名だとわかっていれば、参加のボタンを押す指は重くなる。
社会が俺に求めるのは「おとなしく流されろ」「波風立てるな」だろう。
だが俺にとっての生きる意味は、流されないことそのものだ。世界に溶けて無味無臭になるくらいなら、孤独でも自分の知性を貫く方がずっとマシだ。
だから言っておく。社会とは、俺の興味のないことのすべてであり、俺の知性に不要なノイズの集合体だ。
観察はするが、同化はしない。もしこのスタンスを冷たいと言うなら、せいぜい温い自己放尿で体を温めてろ。俺は氷の中で思考してる。
今日もまだ生きてるか?なら動け。まず冷水浴びろ。寝ぼけた脳を叩き起こせ。
ぬるま湯で体洗ってる場合じゃねぇ。あれは敗者の温度だ。冷水で血管を締め上げろ。
心臓が一瞬止まりそうになったら、それが正しい反応だ。生きてる証拠だ。
次にランニング行け。外の空気を吸え。スマホいじりながら「やる気が出ません」とか言ってんじゃねぇ。
やる気なんて出さなくていい。足を動かせば勝手に脳がついてくる。止まってるお前は腐ってるだけだ。走れ。汗をかけ。酸素を吸え。思考を動かせ。
飯はちゃんと食え。変な流行りのダイエットとか抜かすな。飢えた体からまともな仕事は生まれねぇ。
頭使うにもエネルギーが要るんだ。栄養足りねぇ奴が「集中できません」とか言うのは、ただの低血糖だ。
そして仕事だ。集中しろ。SNS開くな。Slackも閉じろ。メールも後回しだ。
お前の時間を奪うノイズに価値はない。自分の成果だけが現実だ。
愚痴も言い訳も全部ゴミ箱に捨てろ。動いた者だけがこの社会で残る。止まった瞬間に、お前はその他大勢になる。
冷水浴、ランニング、飯、仕事。これを毎日繰り返せ。単純だが、これが勝者の基本動作だ。
寝ぼけた顔してスマホいじってる暇があったら、まず冷水を頭から浴びろ。眠気なんか根性で吹き飛ばせ。シャワーの冷たさに文句を言う奴は、人生のぬるま湯にも文句を言って終わるタイプだ。
次にランニングだ。走れ。走る理由なんか要らん。走ることでしか人間は目を覚まさない。息が切れて、心臓がバクバクして、もう無理だと思った時、そこからが本当のスタートだ。お前らは走らないから一日中だらけてるんだよ。
飯をちゃんと食え。エナドリとコンビニ菓子で誤魔化すな。脳みそは糖だけで動くと思ってる奴は、電卓レベルの知能しかない。タンパク質を入れろ。野菜を噛め。水を飲め。そうすれば身体が動く。身体が動けば思考も動く。簡単だ。
仕事では、最高のパフォーマンスを出せ。結果以外、誰も見てない。過程とか努力とか頑張った感は、無能の慰めだ。勝つ奴は黙って成果を出す。負ける奴ほど言い訳を並べる。そんなもの、俺には関係ない。
世界はお前の感情に興味がない。数字で語れ。締め切りを守れ。上司の機嫌を取るより、数字を叩き出せ。価値があるのは頑張ったお前じゃなく結果を出したお前だけだ。
まだ布団の中か?甘ったれんな。貴様らの夢は毛布の中じゃ育たねぇ。
冷水浴びろ、心臓が止まるぐらいのやつだ。あの衝撃でようやく脳が生きるというスイッチを押す。ぬるま湯で目を覚ます人生を、そろそろ卒業しろ。
ランニングに行け。走るってのは、足で現実を殴る行為だ。走るたびに地面が「お前はまだ死んでねぇ」と言ってくる。
三日坊主?笑わせるな。三日続けてやっとスタート地点に立てるんだよ。走らない奴に明日は来ない。
飯をちゃんと食え。栄養は意志の燃料だ。カップ麺で理想を語るな。脳を使うにも筋肉を動かすにも、まずエネルギーが要る。腹が減ったまま夢を見るのはただの飢餓幻想だ。
食って、走って、冷水で頭を締め上げろ。
やる気が出ない?やる気なんて、動いてから湧くもんだ。
覚えとけ。凡人と鬼才は運で分かれるんじゃない。朝に勝てるかどうかで決まるんだ。
■司馬遼太郎風 改稿
人間というものは、しばしば自分の青春を他ならぬ自分の手で投げ捨てる。
それは他人に奪われるものではない。むしろ、他人のせいにできぬ種類の「敗北」である。
この国では、そうした人間が珍しくない。いや、むしろ今の時代、ネットという便利な井戸端ができてからというもの、その種の「自己廃棄型人間」は、どこにでも見られるようになった。
たまたま彼が自衛隊という特殊な組織にいたことで、周囲の人々は多少の情状酌量を与えるのかもしれぬ。
だが、職業が何であろうと、十代二十代を「捨てた」と言葉にする時点で、その人の人生観はすでに破綻している。
人は、自分の過去を呪い始めたとき、もうその呪いから逃れることはできない。
「お疲れさまでした」といった称賛の言葉は、慰めであると同時に、無関心の別名でもある。
三十を過ぎた男が、未だに己の人生に「物語」を求めて悩む姿は、滑稽といえば滑稽である。
だが、それもまた、この国の時代病の一つだ。
精神の成長よりも、感情の正直さばかりを美徳とし、成熟を「鈍さ」と呼ぶ。
したがって、彼のような男は、社会という大人の世界に出た瞬間、言葉の通じぬ異邦人となる。
しかし、それを離れたとき、人は初めて己の素肌を晒すことになる。
それは、冬の荒野に放り出されたような心地だろう。
そして多くの者は、そこで初めて「自由とは孤独である」と悟るのだ。
友を断つことは、己を断つことに等しい。
プライドは人を立たせもすれば、殺しもする。
古来より、この国の武士たちもまた、その誇りゆえに散っていった。
だが、戦場の死はまだ潔い。
自衛隊の中で鍛えられたはずの筋肉も、精神も、やがて脂肪のように弛んでいく。
彼は、今ようやく「市民」として生きねばならぬ段階に立っている。
それは決して容易なことではない。
だが、たとえどんな境遇にあっても、人間関係だけは切ってはならぬ。
人の生は、けっして理想や信念では支えられない。
孤高は人を導き、孤独は人を蝕む。
あなたが歩むべきは、前者の道だ。
世間は冷たい。
だが、冷たさの中にも温もりがある。