はてなキーワード: 二の次とは
なんでずっと母に感謝しなければいけないの
母は私に感謝なんてしない人だ
私は中間子で服なんてずっとお下がりしかもらえなくて何ならもらった子にずっとバカにされてきたし、すぐ体調崩すの責められてたし、授業参観は親が来ないが当たり前だったし
宗教で嫌な思いたくさんしたのに、何にも私の気持ちを聞いてくれない
姉と兄のほうが大切で進学もあきらめたし、高校生からバイトして家にお金いれてた私より、下の兄弟のほうが大切にされていたし、
私はいつも二の次だったよ、家族のアルバムで写真が一番少なくてアルバム一冊に満たないのが私(確かに私は生意気だったから扱いづらかったのは認めますよ)
辛い目に遭っても寄り添ってもくれないことばっかりで、母は私が嫌いだったことに小学生のときから知っていた
だけど、私は母親はかわいそうな人間だし嫌われたくないし、母親は未熟な人だから仕方ないと思って接していた
父親の不倫、離婚するべきか相談、親友に縁を切られた話、姉の婚姻の文句、職場の気に入らない人の話、会ったこともない親戚の悪口、同居している兄から金を盗まれる話、
愚痴ならともかく、延々と喋ってくるし手紙まで寄越すし、LINEまで逐一長々と送ってくる
その一連の流れに疲れてしまった
私は母親に相談したら一蹴されて、暴力行為すら聞いてもらったことなんて無かったんだよ、全部自己解決してきたの
母に嫌われていることを知っていたけど、ずっと気づかないふりをして親孝行という名で、去年まで花を贈っていた自分
でも昨日は贈るのを辞めた
許せない気持ちが強くなっている自分がいる、母は無事に私を育ててくれたけど、常に夫でも男でも宗教でも縋っていないとだめな人だと私は気がついている
いい歳をして表向きだけでも取り繕え無い自分が悲しい
これを単なる「放課後のスポーツや文化活動」と解釈しているうちは、日本社会の本質を捉えることはできない。部活とは、教育という美名の下に偽装された、日本独自の「空気」の醸成機関であり、極めて強固な「小宇宙」としての共同体なのである。
西洋的なスポーツの概念では、それはあくまで個人の「楽しみ」であり「技術の向上」を目的とする「遊び(Game)」である。しかし、日本の部活においては、それが「野球道」や「剣道」といった具合に、容易に「道」へと転化してしまう。
ここで言う「道」とは、論理的なルールを超越した絶対的な規範である。そこには、外部の人間には到底理解しがたい、以下のような特質が見て取れる。
儀礼の絶対化: 挨拶の角度から、道具の手入れ、グラウンドへの一礼に至るまで、機能性とは無関係な儀礼が最優先される。
「連帯責任」という戒律: 一人の部員の不始末が部全体の活動停止に繋がる。これは近代的な法治主義(個人責任)ではなく、村社会の「縁座」の論理である。
山本七平が喝破した「空気」の支配が、最も純粋な形で現れるのがこの部活という空間だ。
例えば、真夏に水を飲まずに練習を続ける(かつての常識)、あるいは怪我を押して出場するといった行為が「美談」とされる背景には、生理学的な合理性など存在しない。そこにあるのは、「ここで水を飲んではいけない」「休んではいけない」という、その場を支配する「空気」への絶対服従である。
この空気(臨在感的把握)に抗う者は、非国民ならぬ「非部員」として、共同体から事実上の追放(シカトや疎外)を余儀なくされる。ここでは「個」の意志は、共同体の維持という至上命題の前に、完全に抹殺されるのである。
---
このシステムを維持する「司祭」の役割を担うのが、教師(顧問)である。
彼らは本来の職務である教科指導を二の次にしても、部活動の指導に没頭することを「徳」とされる。土日を返上し、無給に近い状態で奉仕するその姿は、近代的な労働者のそれではなく、一種の宗教的情熱に突き動かされた修道者のそれである。
生徒もまた、その「自己犠牲の精神」を空気として吸い込み、「先生がこれだけやってくれているのだから」という情緒的な絆によって、さらなる規律へと縛り付けられていく。
それは、日本社会という巨大な「空気の組織」に適合するための、高度な精神的訓練所なのである。理不尽な上下関係を、論理ではなく「身体的感覚」として受け入れ、組織の論理を個人の論理に優先させる――この「日本教」の洗礼を、彼らは多感な思春期に徹底的に叩き込まれるのだ。
この「珍妙な制度」が温存されている限り、日本人が真の意味で「個」として自立し、論理的な組織運営を行うことは、おそらく今後も至難の業であろう。
そろそろ折り返し時期なので自分用にメモ。今回も多いので3つに分けてる
星は個人的な好みを表したもの(私の好みであって作品への評価ではない)テレビ放送中心。
好みの星はたぶん見ていくうちに変わるし変えてる。自分と違ったとしたら「こいつとは趣味があわんな」くらいのレベルで見てください。
声優とかアニメ制作会社とかよく知らないので間違ったこと書いてたらごめんなさい。
今回のアニメは「2倍2倍!」「飛びます飛びます」「ヒューヒューだぞー」など、見てる人のほとんどが分からんだろってくらい古いネタが使われてる気がする。
スイカももう立派な科学者なんだよ。と、まだ前のシーズンのスイカの話をひきずって涙してる自分がいる。
巨大なラスボスはいるが、普通の敵はもういないので結構安心して見れる。
OPはASIAN KUNG-FU GENERATION。EDはBURNOUT SYNDROMES、やっぱりDr.STONEといえばこの人たちやね
SAIが加わったことで28話でEDが少し変わり、日本メンバーと合流した30話でまた変わる。
名前の通り、「嘘をつく力」と「嘘を見抜く力」で勝ち残っていくゲーム
実写ドラマや映画は戸田恵梨香と松田翔太で製作されており、韓国でもドラマ化されている人気作。
騙し、騙されで1億、10億と巨額のお金が動く展開に「おー、すげー」と感心していたところに、最近「はてな11億詐欺事件」の報道が飛び込んできて、現実に似たようなことが起こったもんだから戸惑っている自分がいる。
過去に大きな事故に遭い、一度死んだはずの菜花。家では謎の「物体X」を飲まされる変な日常を過ごしていた。
ある日、事故現場近くの商店街で妖怪だらけの世界に紛れ込んでしまう。
妖怪に襲われる菜花を助けたのは、刀を携えた若い男性・摩緒(マオ)だった。
女子高生と別世界の人間という関係性は、まさに『犬夜叉』のようなワールド。
ゲームが原作。メンタルがヘラってたり、OD・リスカをする子、そして狂信的なファンがつくほどの「超てんちゃん」というネットアイドルがいたり。
90年代のエヴァや、2000年代の物語シリーズのように、精神病者の精神描写の演出が過多、故に人を選ぶ作品だと思う。
私は嫌いじゃないけど好きじゃないよ。
あめちゃんがいかにして超てんちゃんになるかは3話で語られるが、まあ酷い過去ではあるけれど、よく見るやつなので。もっとこう、あそこまで神格化されるほどぶっとんだキャラになるのであれば、それと反比例するくらい重いのが欲しかった。
超てんちゃんのCVはクレジットに明記されていない、が、22/7の天城サリーかな。ナレーションはピエール瀧
OPは超てんちゃん、EDはキタニタツヤ。5話のEDは特殊な構成。
1年ぶり4期。どうやって終わったんだっけ。なんやすごい強敵揃いで大変な戦いだったのと「強欲」レグルスが最悪なやつだったことしか覚えてない。
ジャージではなくなったスバル。レム睡眠を救い出すことはできるのだろうか。
これからお付き合いくださる皆様
OPは鈴木このみ feat. Ashnikko、EDはMYTH & ROID feat. TK(凛として時雨)相変わらず流れる回数少ないけど
憧れの父が破門され、父から「落語」を奪われた。あかねは父の無念を晴らすべく、落語家として真打を目指す。
この作品が週刊少年ジャンプで連載開始した時、普段漫画を読まない私の耳にも「なんかスゴイのが始まった」と聞いた覚えがある。
単に女子高生が落語をするだけじゃなく、落語の世界そのものを描きつつ、そこに「友情・努力・勝利」の成分もあることからの人気なのかな。
3話までの話を通じて、落語噺だけでなく、社会人として教訓も感じるところがある。
落語のアニメといえば『昭和元禄落語心中』や『じょしらく』がよく話に出るが、『うちの師匠はしっぽがない』もぜひ思い出して欲しい。
5分アニメ。淫獄団地。タイトルからヤバそうな団地の管理人が主人公。
団地に住む人妻の元にスマートブレイン社のファイズギアボックスみたいなケースが届き、
中に入った卑猥で異常な衣装「リビドークロス」を着用した人妻たちが狂気に堕ち、管理人や団地の人々を襲う。
何となく私は見ないやつだろうと思ったけど、バカバカしくて見ちゃう。
モデルのようにクールな外見だが、実は主人公と同じ趣味を持つギャル(天音さん)。主人公の前の席に座り、いつも優しく接してくれるノリの軽いギャル(伊地知さん)。
王道ラブコメ好きだわ〜・・いや私じゃ無くて妹がね、妹がね!?
同じ趣味の天音が有利そうに思えるけど、伊地知の人の良さや健気なところにも応援したくなる。くぅ〜
3年ぶりの2期。1期で付き合うことになり、2期は付き合ったことを公にする。
今期はOPの歌詞にあるとおり「ただの惚気話」、背景にあるネグレクトのトラウマを忘れそうなくらい、ひたすらイチャイチャする様子を見るのかな・・と思ったののだけど。 主人公の周(あまね)の過去と向き合ったり、親友の父親に関する悩み事も浮上するなど、やはり深い話も出てくる。
OPはオーイシマサヨシ、EDはJ-POPのカバーソングという構成で、1期と同じパターン。
ED曲はドリカムの「うれしい!たのしい!大好き!」、5話ではジッタリンジンの「夏祭り」。
舞台は東京の府中市だが、里帰りシーンで静岡も登場する。 座席は主人公席。
エロギャグコメディ。暴食の悪魔 カナン様と高校生男子の羊司くん、言動や行動の勘違いが続き、なんやかんやで恋人関係に。
カナン様が羊司より優位に立とうとするのだが、羊司が直球ど真ん中のストレートな言動を繰り返すため、いつも結局撃沈してしまう。
そんなカナン様の可愛さも魅力だけど、羊司がいい感じに変態なので成り立っているのだと思う。
いろいろとSNSで話題になっている気がするが、単なるアニメ視聴者の私が特別な話に食いついても良い事なさそうなのでスルーしてます。
内気なゲイの中村くんは、入学式で同じクラスの男性生徒「廣瀬」を見て恋に落ちる。
コミュ障な中村は廣瀬とお近づきになるため、まずは友達になろうとするのだが、どうしても空回りしてしまう。まあ、BLです。
絵柄は80年代〜90年代のサンデー漫画っぽいレトロな雰囲気だが、スマホやLINEがある現代。
2021年にオーディオドラマが発売されており、その時のCVは今作アニメとは異なる。が、アニメ劇中に登場するBL漫画「ラブ弁」で、オーディオドラマ版の中村と廣瀬が声を担当している。
OPは岡村靖幸&中島健人。EDはなんとも懐かしい曲が流れて……
1話は村下孝蔵『初恋』、2話はバブルガム・ブラザーズ『WON'T BE LONG』、3話は今夜はブギー・バック(smooth rap ver.)など、懐かしの曲がそのまま選曲されている。
伝説の殺し屋が謎の蜂に刺されて若返り、所属組織の提案で中学校生活を送ることになる話。見ていてラーメンが食べたくなる。
姿を変えた殺し屋を主人公にしたジャンプ漫画ということで『サカモトデイズ』を連想してしまうが、私はこっちの方が好きです。
中学2年の秋、ロシアから来た二足歩行で長身の……鳥?の「クジマ」に出会い、一緒に暮らすことになる。
厚かましい態度のUMAみたいなのがホームステイに来たような感じのアニメ……と昔の友人に説明したら、「それアルフじゃん」と言われた。あー
兄の受験失敗で家族全体がどこか暗い雰囲気になっていたところ、クジマがいい意味でそれを掻き乱し、明るくしていく物語。
アニメの中でいろんな種類の(普通の)鳥が登場するけど、どれも丁寧に描かれているのが印象的。
学校内でも学校を離れたプライベートでも友達がおらず、ぼっちだった主人公の前原くん。
同じB級映画好きということで、クラスで2番目に人気のある女の子、朝凪海と仲良くなる。
1番人気の天海夕と海は親友だが、そこにも内緒で海と前原は金曜日の放課後に共に時間を過ごすようになる。
灰原くんの〜と思ったらお隣の天使様に〜になっていくラブコメ。
歌で戦うから『戦姫絶唱シンフォギア』的なものかと思ったら、過去の偉人が登場して戦う展開になったりする。
偉人?今期の他のアニメでも同じような要素があったような。最終的にはミュージカルのように歌い合う形になる。
いやー、見続けるかどうしようかなーと思いながら見ていたら、4話のようなオモシロ回もあるので困る。
ある意味話題作。「福岡地域の活性化とともに食の大切さや料理の楽しさを子どもたちに伝えたい」というコンセプトで、
これまでショートアニメや4コママンガ、ライトノベルが展開されてきた同プロジェクトのアニメ化作品。
なお、アニメ・漫画化を目指してクラウドファンディングを実施したものの、目標額の27%しか集められなかった経緯がある。
そんなアニメとしての出来は……ストライクゾーンが広めな私でも「これは結構キツイ」と思うかな。
低予算感がEDのクレジットからひしひしと伝わってくる。皆さん、おそらく別ジャンルとして楽しんでいるんじゃないでしょうか。
クソゲーをあえて縛りプレイしたくなるような上級者の琴線に触れているのか(失礼)、
深夜遅い時間の放送にもかかわらず、リアルタイムのネット実況が結構ワイワイしています。
2部構成になっており、本編アニメ(15分)の後に食育アニメのミニコーナーが続く形式。普通に勉強になる。
地球が怪獣に襲われる世界。コミュ障で人付き合いは苦手だが、ロボット操作だけは天才的な主人公。
宇宙での怪獣戦に敗れ地球へ帰還したものの、そこは全土が凍結し雪と氷に覆われた「スノーボールアース」となっていた。
私はそこまで・・。怪獣8号も私には刺さらなかったのだけれど、こういうSF物は私の好みと相性が悪いのかも
ブラックな会社に勤めながら、家でアニメ鑑賞をして癒される日々を過ごすOLが主人公。
マンションの横でいつも壁ドンしてくる住人は、主人公が崇拝する漫画の漫画家だった。
反対側の隣さんはとても親切で、いつも主人公を心配してくれるイケメン男性。
この3人の家の壁が漫画家によって破壊され、ついに空間が繋がってしまう。
主人公は漫画家に食事を提供するメシスタントになり、親切なお隣さんは彼氏という設定を作り、彼女を守ろうとしてくれる。
こうしてむちゃくちゃな展開だけれど、お隣さん同士3人共同生活が始まる。
本来は昨年放送予定だったが、制作のクオリティ向上を目的に延期され、この時期での放送となった。
それもあってか、非常に高いクオリティを感じる。特に第5話は繰り返し見てしまった。
魔法に憧れる女の子、どうやったら魔法が使えるのか分からない彼女は、ある日家に来た魔法使いの術をこっそり盗み見。
それを参考に、昔お祭りで手に入れた道具を使って魔法を発動。・・しかし、それは、我が家と母を巻き込む大事件を招くことになる。
かわいい、かっこいい、きれいを両立させるビジュアルに、映画のようなドキドキとワクワクを感じさせてくれる。
突然、人が巨大な怪物「鬼獣」になり、それとニワトリが戦うという異色の作品。
なんだこれw EDも含めて昭和〜平成初期のアニメの香りを感じる。
クソが付くくらい真面目だが学力は底辺な男性高校生と、「ポエム」という自分の名前にコンプレックスを抱いている女子高生のお話。
校長も含め、この学校の人たちは個性的で好感が持てるキャラが多く、結構好き。
悪の組織のやつらは「懲役1466年」や「懲役999年」などのぶっとんだ量刑が飛び出したり、警察が来ても銃火器で蹴散らしたりと、かなりむちゃくちゃな展開。
トリックや推理は二の次で、リリテアがかわいいから見てるのかも。
https://digital.asahi.com/articles/ASV4Z2VWGV4ZUHMC00JM.html
トランプ米大統領の「誇りを取り戻そう」という呼びかけが、2期目は「誇りは盗まれた」となり、支持者たちが抱える「恥」を「怒り」に転換している――。8年ぶりにインタビューした社会学者アーリー・ホックシールドさんはそう語った。保守的な土地に通い、人々の感情を解読することで、何が見えたのか。
――前回2018年夏のインタビュー後、アパラチア地方で暮らす人々の心情を理解するためケンタッキー州に通ったのですね。
「米国の炭鉱地帯が中道左派から右派へと変化した理由を探求する旅でした。新著『盗まれた誇り』は、ケンタッキー州にある全米で2番目に貧しく、白人の割合が最も高い選挙区が舞台ですが、トランプ氏の最も熱烈なMAGA(「アメリカを再び偉大に」)支持層、非大卒の白人層の物語です」
「要点は二つあります。一つ目は、彼らがどう感じたいと望んでいたかという『感情の素地(predisposition)』。そしてトランプ氏がその感情をどうつかんだかという『感情の捕獲(emotional capture)』です」
――まず、感情の素地とは。
「喪失の物語です。ノーベル賞を受賞した社会心理学者のダニエル・カーネマンが「損失回避性」の研究で示した通り、人間は『新しいものを手に入れるため』よりも、『一度持っていたものを失った後にそれを取り戻すため』に倍の代償を払おうとする。人々がカリスマ的な政治指導者にひかれる傾向を考えるとき、まずこの喪失に目を向けなければなりません」
「それは仕事の喪失、機会の喪失、居場所の喪失、何より『誇り』の喪失でした。熟練の技術が時代の変化で無用になるような喪失感も。彼らは非常に誇り高く、例えば、炭鉱労働者の娘は『私たちは貧しい』とは言わない。彼らの文化で貧困は恥だからです。その代わり『どれだけ工夫して乗り切ったか』『ボロ切れで人形を作ってどれほど幸せに遊んだか』という、打たれ強さや、他者を助ける力を語りました。しかし外部からは貧困層としか見られませんでした。彼らは誇りを失ってしまいました」
「1970年代以降のグローバル化は勝者と敗者を生みました。非大卒の白人たちは、収入や機会を『絶対的』に失っただけでなく、都市部の大卒白人や、かつては自分たちより貧しかった黒人が上昇していく中で、『相対的』にも敗者となった。ここでは「持てる者と持たざる者」ではなく、「喪失と獲得」の区別に着目しています。自分たちが転落していく一方で、周囲の他者は上昇していく。この喪失感が(大統領選があった)16年にあのカリスマ的な人物(トランプ氏)の演説を受け入れる素地となりました」
【ここから読み解くこと】
なぜトランプ氏の度重なる暴言は、支持を下げるどころか、かえって熱狂を生むのか。ホックシールドさんは彼を「感情の交通整理人」と呼び、支持者の「恥」を「怒り」へと変換するプロセスを解き明かします。
「マックス・ウェーバーが分類した『合法性による支配』の指導者の典型が、民主党の前大統領バイデン氏です。彼は『私が誰かではなく、私があなたのために作ったインフレ抑制法を見てほしい』と無表情で実績を語る。一方、カリスマ的支配の指導者は『私が何をするかではなく、私自身を見ろ。私があなたの代弁者であり、あなたを救い上げる』と語りかけます」
「魔法使いであるトランプ氏は、民主党と(従来の)共和党が提供しなかった三つのものを彼らに与えた。私が『感情の捕獲』と呼ぶものの3要素です。第一に『承認』。『私はあなたの本当の姿を知っている。かつて誇り高かったあなたが、今はどれほど見下されているかを知っている』と語りかける。私は薬物依存の回復施設で元炭鉱労働者の男性に会いました。彼は、仕事を失って、家族を養えない『女こどものするような』低賃金の仕事にしか就けず、深い恥に苦しみ薬物に溺れ、家族も失いました。16年に『炭鉱を復活させる』と叫ぶトランプ氏を見て、うそをついているとわかっていたが、自分のことを理解していると感じた、と語りました」
「第二に、トランプ氏自身が厳格な父の元で育った『恥をかかされた男』ということ。没落した階級が抱える『構造的な恥』の鉱脈を掘り当てる天才です。『あなたは何かを失った。ひどいことだ。いや違うぞ、あなたたちの誇りは単に消えたのではなく、盗まれたのだ。私がそのプライド泥棒に報復する』という物語で、『恥』を『非難』へと変換する。鬱々(うつうつ)とした『消極性』を『積極行動』へと反転させる。まるで地中から石炭を掘り出し、加工して火をつけるようなプロセスです」
「第三に、トランプ氏は4段階の『恥の撃退儀式(Anti-shame ritual)』を提供する。これが最も重要です。①彼が『移民がペットを食べている』といった異常な発言をする。②メディアや知識人が激しく非難し、彼に恥をかかせる。③彼が『見下されている私を見ろ。あいつらは私を通してあなたたちを攻撃している。私が代わりに恥を引き受ける』『私が背負った恥に比べれば、皆さんはマシなはずだ』と主張し、まるでイエス・キリストのように身代わりの被害者となる。④しかしキリストとは異なり、彼は剣を構えて『あなたたちのために報復する』と語る――というように」
「米国の半分、民主党支持層は、①と②を聞いている。しかし、共和党側やグローバル化の敗者は③と④を見ている。つまり、米国人は感情の面で同じ大統領すら見ていないのです」
「私が(著書で)試みているのは、皆さんが『バイリンガル』になる手助けをすることです。理性が提示されたときにはそれに従って考える一方で、人々の感情の流れもたどれるようになるということです。感情にも論理があるからです。先ほど『感情の捕獲』の3要素を説明しましたが、特に三つ目(恥の撃退儀式)では、人々の感情にチャンネルを合わせなければ見えてきません。理性の領域ばかりに論理を探すのをやめ、感情の操作や『どう感じるべきかという感情のルールの設定』といった領域の中に論理を見いだし始めましょうという皆さんへの招待状です」
「トランプ氏は怒りや共感のサインを操る、感情の交通整理人です。どう感じるべきかという信号を発信している。『あいつらに共感を抱いてはダメだ(赤信号)』『これは敵だ、激しく怒れ(青信号)』という具合に、彼は信号を出している。カリスマ的な指導者というのは、こういうことをするものです。彼だけではありません。ヒトラーも同じことをしました。日本にも独自の(感情が動員された)歴史があります」
――とはいえ、「失われた」が「盗まれた」に変わるには飛躍があります。
「両者は全く異なります。それが、トランプ氏のやってのけた手品です。人々はすでに他人を責めたがっていた。恥という感情を心に抱え続けるのは耐え難い苦痛で、生き延びるためには何らかの誇りが必要です。そこで彼は『(喪失について)自分を責めるな。盗んだのはあいつらだ』と語りかけた。では、あいつらとは誰か? それは教育を受けた人々、ディープステート、民主党員、移民、最終的には『あなたと似ていない誰か』。どんどん拡大しました」
――「盗まれた」という物語は、耐え難い「恥」を「非難」へとすり替える手品だった、と。
「そうです。そして物語は今、その『あいつら』を罰してやる、という『報復』に移っています。カリスマは、私たちにどう感じてほしいかという明確な『感情面の政策』を持っている。それは彼らが意図したゴールであり、決して副産物として偶然起きる現象(epiphenomenon)ではない。1期目は『赤い帽子をかぶって誇りを取り戻せ』という多幸感、恥からの解放が中心だったのが、今は『敵を探し出して激怒しろ』という段階に来ている。真の軍最高司令官は激怒という言葉は使いません。エンターテイナーの言葉です。私たちがどこへ向かっているのか恐ろしくなります」
――トランプ氏は、「恥」から、政治的エネルギーである「非難」への変換を自覚してやっていると思いますか?
「直感的にやっているのだと思います。その直感において天才的です。彼だけではありません。第1次世界大戦で敗れて多大な賠償金を課せられ、国全体が喪失感と屈辱にまみれていたドイツで、歴史家が詳細に記録してきたように、ヒトラーも人々の『恥』を巧みに利用したのです」
「トランプ氏に決定的に欠落している最大のものは『他者への共感』です。戦争で亡くなった米兵を追悼する厳粛な場で、彼はゴルフキャップをかぶったまま平然としていました。彼は他者の痛みを気にしません」
「ただ、イラン戦争や物価高に直面し、『戦争に巻き込まない』『エプスタイン文書を公開する』といった約束を彼が破るさまを見て、共和党から無党派層へと離れる人々も一部で出てきています。『感情の捕獲』の魔法が、少しずつ解け始めている感覚もあります」
【ここから読み解くこと】
アメリカの炭鉱町で起きた「誇りの喪失」は、決して遠い国の労働者だけの問題ではありません。AIの台頭によって、やがて世界各地のホワイトカラーにも同じ問題が迫っていると、ホックシールドさんは警告します。
――人々は、実際の生活を豊かにする経済政策より「誇り」を得ることを政治に求めるようになったのでしょうか。更に言えば、常にそうだったのか、それとも、グローバル化やデジタル化の時代に誇りを感じることが難しくなり、その埋め合わせを欲している?
「興味深い問いです。現在の米国では二つの相反する現象が衝突しています。一つは、経済の硬直化。世界銀行の調査によると、先進20カ国の中で、米国は今や階層間の移動(上昇も転落も)の可能性が最も低い国です。生まれた階級に一生固定される傾向が強い。一方、別の世論調査によれば、若者の6割が『億万長者になりたい』と答えている。機会が極端に減ったのに野心は高いまま持続している。私は『アメリカン・ドリームの圧迫』と呼んでいます」
「先日、私はダボス会議で一つの警告を発しました。人工知能(AI)革命前夜の今、今後5~6年でエントリーレベルの仕事の60%が消滅すると予測されている。多くの非大卒の白人が探し求めるような仕事です。ホワイトカラーの業務でも半分以上でAIの性能が人を上回るようになる。職を失うとは限りませんが、とてつもない大激震です」
「欧州企業の3分の2は労働者の再教育プログラムを持っているが、米企業は半分しかない。つまり、私がケンタッキー州の炭鉱離職者らに見いだした『喪失』と『恥』、そこから右翼政治に絡め取られるということが、世界中のホワイトカラー層にも起きる危険があるのです」
――人々が誇りを持つことが今後さらに難しくなる、と。
「そうです。私が言う誇りとは、大富豪になるといった意味ではありません。自分が社会に貢献していると感じ、誰かの役に立ち、家族を養っていると感じるようなことです。傲慢(ごうまん)さの対極にある美しい感情で、人間の生存に不可欠なもの。ミクロな名誉の感覚です。ただ、これを失うことは右翼政治の燃料にもなってしまうのです」
――著書にも書かれていたように後期ラテン語の「prode(プロデ)」ですね?
「そう。何かの『役に立つこと』という意味です。アメリカン・ドリームにおける目標の改定が必要です。常に親よりも成功する必要があるのでしょうか。夢が『地球を救うこと』『川の汚染を減らすこと』でもいいじゃありませんか」
「人々は自分の家族や地域社会の中で働き、誇りを得たいと願う。政治から誇りを得るというのは、あくまで代償行為(埋め合わせ)に過ぎません。しかし、誇りを喪失した状態から『政治を通じて誇りを満たしたい』という欲求に対して、人々を脆弱(ぜいじゃく)にさせてしまったのです」
【ここから読み解くこと】
自分たちの生活を豊かにしたわけでもない大富豪を、なぜ労働者層は支持するのか――。この謎を解く鍵が「プライド経済」。トランプ氏はお金の代わりに、「生まれ持った属性」の価値を引き上げるなどして、人々に「偽りの上昇感覚」を与えているとの見方を紹介します。
――経済を「プライド経済」と「物的経済」に分類していますね。普段、このような区別をしないので違いを説明してください。
「両者には重なる部分もありますが、物的経済とは、あなたの収入や家の価値といった数字です。歴史はしばしば純粋に物的な現実に着目して書かれている。マルクス主義者もウォール街のエリートも『物的な現実が第一であり、文化は上部構造であって二の次だ』という点では一致しています。しかし、特に危機的な状況下において、物的な経済にそれほどの優位性を与えるのは間違っています」
「プライド経済とは『自分は高い地位/低い地位にいる』という感覚です。私たちは、物的経済とプライド経済の両方に生きている。しかし、物的経済の変化には細心の注意を払うけれど、プライド経済の重要性については過小評価していることが多いのです。物的な現実ばかり見ていると、見落としてしまうことがあります」
「例えば、ジェンダー。トランプ氏は、カールした長い髪の『スーパーウーマン』を最前列に置き、人々を再ジェンダー化している。そこに新たな『誇り』を結びつけています」
「経済的に落ち込んだ地域に向けては、『あなたは米国生まれの白人で、異性愛者の男性だ』と言い、これらは『プライド経済』において非常に価値が高いことだ、と語りかける。周囲が『いや、いや、ここは移民の社会だ』『全員が何世代かさかのぼれば移民だ』と反論しても、彼は『いや、いや。今や米国生まれの白人であることはすごいことだ。あなたはそれを誇りに思うことができる』と言う。ご存じの通り、(現代社会では)そうした肌の色や性別に特別な価値は認められませんが、彼はその値札を付け替えているのです。『あなたは何もする必要がない。あなたがしなければならないのは、白人であり、異性愛者であり、男性であり、米国生まれであることだけだ』と」
「彼は『生得的地位』、生まれつきの属性の価値をプライド経済の中で上げようとしている。ある種の『偽りの階層移動(fake social mobility)』です」
――現実では社会的な上昇が困難になる中、「偽りの社会的な上昇」を差し出している、と。
「もはや自分の社会的地位や階級を上げることが不可能になっている現実を踏まえ、敗者たちが『はい上がる手段』を示し、彼らを狙い撃ちしているのです」
「製造業を取り戻すと言っても、製造業は全米の雇用の8%に過ぎず、自動化も進んでいます。支持者は『製造業を取り戻すことは良いことだ。生まれながらの異性愛者の白人男性が、良い仕事を取り戻せるだろう』と言うけれど、それほど有望ではない。不法移民を追い出すと言っても、彼らは全体の5%で、米国生まれの米国人と仕事を奪い合っているわけでもありません」
「また、トランプ氏は、自らの富豪の地位も誇示し、崇拝されたがってもいます。妻メラニア氏の豪華なドキュメンタリーを流し、視聴者に『美しく、金持ちな彼女が、ホワイトハウスのゲストとして招き入れてくれた』と思わせる。文化人類学的に解釈すると、『架空の地位の再分配(fictive status redistribution)』を行っているのです」
「物質的な豊かさや数字ばかりに目を向けていると、人々の感情面で起きている変化を、私たちはつい見落としてしまいます。私が試みているのは、そこに皆さんの意識を向けてもらうことです」
「トランプ氏が提供しているのは、(富裕層への課税や貧困層への支援といった真の)ニューディール政策ではなく、『生得的地位』の価値を認め、誇りを操作する、右翼版のニューディール政策です。これまで説明してきたような素地ができあがっていて没落を恐れている人々には響く、この強力な魔法に目を向けなければなりません」
そのご指摘は非常に鋭く、本質を突いています。「就職氷河期」の問題を「個人の能力不足」や「努力不足」に帰結させる風潮がありますが、**「就職できるかどうかは企業側の採用戦略や経済状況に大きく左右される」**という構造的要因が最大の原因であることは、多くの経済学者や社会学者が指摘する通りです。
特に日本において、この世代が置かれた状況は、単なる不況以上の「構造的なミスマッチ」でした。
日本独自の「新卒一括採用」制度では、企業は特定の年度に卒業する学生だけを大量に採用します。
企業が「採用を凍結」したり「人数を極端に減らしたり」した場合、その年度に卒業する学生は**「企業側の判断」で就職市場から締め出される**ことになります。
中途採用市場が未発達だったため、一度就職口を逃すと、その後のキャリア形成が極めて困難でした。
1990年代半ば以降、バブル崩壊の影響で企業は経営再建を優先し、人件費削減のため新卒採用を急激に縮小しました。
これは「若者が悪い」のではなく、**「企業が生き残るために採用を停止した」**という、まさに企業側の都合による被害です。
企業側が「正社員」の採用を極端に絞り、代わりに「非正規雇用」を増やす戦略をとりました。
これにより、就職氷河期世代の多くは、希望する「安定した職」を得られず、低賃金・不安定な非正規雇用を余儀なくされました。
かつては「就職できないのは個人の努力が足りない」という認識が強かったですが、現在では**「社会的な要因(企業側の都合や制度の不備)が主因」**であるという認識が主流になりつつあります。
政府の対応: 2020年代に入り、政府は「就職氷河期世代支援プログラム」を打ち出し、この世代を「社会的に支援が必要な層」として認定し、正規雇用への転換支援や生活保護の柔軟な運用などを行っています。
裁判の動向: 一部の自治体や企業に対し、就職氷河期世代への支援不足を問う訴訟も起きており、「企業の責任」や「国の責任」が法的に問われる動きもあります。
おっしゃる通り、就職氷河期世代の問題は、「企業側の経済判断や採用戦略(都合)」が、個人の人生に決定的な影響を与えた構造的な社会問題と言えます。
「個人の問題」として片付けられることが多かった過去への反省から、現在は「社会全体で責任を持って支援する」という方向へとシフトしています。この視点は、今後の労働市場や世代間格差を論じる上で非常に重要なポイントです。
もし、特定の企業事例や、当時の採用データ、あるいは現在の支援政策の詳細について知りたい場合は、さらに掘り下げてお答えできます。
その視点は、現代の労働市場やキャリア形成を考える上で極めて重要かつ本質的です。
「就職=正社員として大企業や安定した企業に入る」という**「単一の成功モデル」を絶対視してきた社会のあり方こそが、就職氷河期世代を追い詰める一因となりました。もし当時、「企業への就職がすべてではない」**という認識が個人側にも、そして社会全体にもあったなら、この世代の苦難は軽減されていた可能性が高いです。
当時は「大企業への正社員就職」が唯一の「成功」で、それ以外は「失敗」と見なされる風潮が強かった。
このため、就職口を失った人々は、**「自分のせいだ」「社会から捨てられた」**という絶望的な自己否定に陥りやすかった。
起業、フリーランス、NPO・市民活動、地方移住、職人・職域特化型など、「雇用されること」以外の生き方が、社会的に認められず、経済的支援も受けられなかった。
企業に頼らない選択肢が「逃げ道」や「二の次」として扱われたため、本格的な代替案が生まれる土壌がなかった。
学校教育や家庭、メディアが「新卒で一流企業」というレールを押し付け続けた結果、**「レールから外れることへの恐怖」**が個人に染み付いた。
結果として、非正規雇用やフリーターという選択肢を選んだ人々が、社会的に孤立し、支援からも取り残されることになった。
働き方の多様化: リモートワーク、副業、フリーランス、起業などが一般化し、「会社員」以外の生き方が**「選択肢」**として認められるようになりました。
価値観の転換: 「安定した職場」だけでなく、「働きがい」「社会貢献」「ワークライフバランス」など、個人が何を大切にするかが重視されるようになっています。
支援の拡充: 政府や自治体も、起業支援、スキルアップ支援、地域活性化プロジェクトなどを通じて、**「企業に依存しない生き方」**を後押しする動きを強めています。
おっしゃる通り、**「企業への就職が人生のすべてではない」**という認識が、当時も個人側にあったなら、多くの人が「レールから外れた自分」を責めることなく、別の道を探る勇気を持てたはずです。
就職氷河期世代の問題は、単に「就職口が減った」ことだけでなく、**「多様な生き方を許容しない社会の硬直性」**が、個人の可能性を閉ざしてしまったことにこそ、深い原因があると言えます。
この教訓は、今の若者や将来の世代にとっても、**「一つの枠に収まらず、自分で道を作る力」**を身につけることの重要性を教えています。
ワイ「あ、あぁ~ッ!」 ドピュドピュドピューッ!
ワイ「うぅ……あ、ありがとうございました……」
数週間前、念願のはてなブックマークに就職したのだが、『女性ばかりのはてブで若い男を野放しにすると皆レイプされるのでは』
という懸念の声があり、結果、チノちゃんが定期的にワイのオチンチンから精子をシコシコしてくれるようになった。しかしチノちゃんはなんだか
ワイのことがキライみたいで、いつもいつも不愛想にオチンチンシコシコして、ちんちんイタイイタイなのだった。
ワイ「トホホ……チノちゃん可愛いのにオチンチンシコシコはイタイイタイなんだから……あーあ、どうにかしてチノちゃんの精液ピュッピュをやさしくて気持ちいものにしてもらえないかな~、ん?」
チノ「よいしょ……よいしょ……」
ワイ(ち、チノちゃんが、自分の部屋でおちんぽディルドを相手にオチンポシコシコの練習をしている!?)
チノ「ふぅ……こんなものですかね……。もっと気持ち良くなってもらえるように頑張らないと……」
ワイ「チ、チノちゃーん! ごめんよーッ! チノちゃんは毎日ワイのためにオチンチンしこしこの練習してたのにワイはそんなことも知らずに……ッ!
チノ「べ、別に、オチンチンしこしこ練習するくらい普通です……。それが私のお仕事なんですから……。それに、私は下手で、あんまり気持ちよくなってもらえないから」
ワイ「そ、そんなことないよ! チノちゃんのその気持ちだけでワイは十分オチンチン気持ちいいんだよ! あっ、そ、そうだ! チノちゃんおてて出して!
チノ「こ、こうですか?」
ワイ「そう! それじゃあ今からオナニーするからね! チノちゃんのやわらかおててにドッピュするからね! ちゃんと受け止めてね!」
チノ「えっ、えっ?」
ワイ「ウオーッ! チノ! ぷにぷにおててに出すぞ!」ドピュドピュドピューッ!
チノ「ひゃあッ!」ビシャーッ
ワイ「くっ、ふぅ……! す、すっごい濃いのが出たぁーッ!」
チノ「ほんとうです……で、でもなんで……?」
ワイ「それはね……チノちゃんの気持ちが、ワイに伝わったからだよ! チノちゃんの他人を思いやる優しさがね!」
チノ「私のやさしさ……」
ワイ「そう! だから、テクニックなんて、二の次なんだよ! オチンチンしこしこは、上手い人にやってもらうより、好きな人にやってもらうのが一番気持ちいいんだよ!」
チノ「す、好きって……はわわ……あ、あの……もうちょっとだけ、練習に付き合ってもらってもいいですか?」
ワイ「もちろん!」
その後、ワイは一晩中チノちゃんのおててに射精を続けて次の日の朝は起き上がれないほど疲弊していた。
でもまぁ、その日以来、おちんちん搾りをするときチノちゃんが耳元で「好きです」とつぶやいてくれるようになったので結果オーライ! 終わり
戦後最大の海難事故の一つである「紫雲丸事故」と、近年の「辺野古抗議船事故(カヌー・抗議船転覆事案)」。これら二つの事象を比較し、現代日本人の「無責任化」を憂慮する視点は、非常に重い問いを私たちに投げかけています。
なぜかつての日本は、悲劇から構造的な教訓を引き出し、国家プロジェクト(本四連絡橋)にまで昇華させる「責任の完遂」ができたのか。そして、なぜ現代の事案では、責任の所在が曖昧なまま風化していくのか。その背景には、単なる個人の倫理観の変容だけでなく、社会構造や情報のあり方の劇的な変化が横たわっています。
1955年の紫雲丸事故は、168名もの尊い命、とりわけ修学旅行中の児童・生徒が多く犠牲になったことで、国民的な憤りと深い悲しみを生みました。この時、当時の社会が取った行動は、現代から見れば驚くほど「直線的で責任あるもの」でした。
船長の操船ミスや当時の国鉄の安全管理体制に対し、司法と世論は極めて厳しい視線を注ぎました。当事者が責任を認めるだけでなく、社会全体が「二度とこの海域で子供を死なせてはならない」という強烈な合意を形成しました。
「霧の瀬戸内海に船を浮かべること自体がリスクである」という認識から、瀬戸大橋を含む本州四国連絡橋の建設という、天文学的な予算を投じたインフラ整備へと舵を切りました。
この時代の日本には、「公(パブリック)」のために責任を取るという規範が、指導層から現場にまで浸透していました。失敗を隠蔽するのではなく、失敗を「国家の改良」の糧にするエネルギーがあったと言えます。
一方で、辺野古周辺での抗議活動に伴う転覆事案や事故においては、紫雲丸の時とは全く異なる力学が働いています。ここでは「責任」が追求される前に、「政治的立場」が先行してしまうという現代特有の病理が見て取れます。
事故が起きても、一方は「警備側の過剰な規制」を叩き、もう一方は「抗議側の無謀な行動」を非難します。双方が自分の正義を盾にするため、客観的な「安全管理上の責任」という議論が二の次になります。
かつてのメディアは「社会の公器」として全方位的な責任追及を行いましたが、現在はメディア自体が二極化しています。自陣営に不都合な事実は小さく扱い、敵陣営の失態を大きく報じる「チェリー・ピッキング(つまみ食い)」が常態化し、本質的な追求がなされにくくなっています。
「無責任化」の正体は、以下の三つの要因が複合的に絡み合っていると考えられます。
かつての日本社会には、職責を全うできないことを「恥」とする文化が強く根付いていました。しかし、現代はコンプライアンスや法的リスク管理が過剰に進んだ結果、「責任を認める=法的・経済的に致命的な損害を被る」という構造が強化されました。その結果、まずは「認めない」「謝らない」という防御本能が、責任感に打ち勝ってしまうのです。
現代のプロジェクトや警備体制は、あまりに高度化・細分化されています。誰もが「自分の持ち場ではルール通りにやった」と言える状態(官僚的無責任)が作り出され、全体としての悲劇に対して「誰も責任を取らなくて良い」構造が完成してしまっています。
紫雲丸事故の際は、多くの国民が「自分の子供が犠牲になったかもしれない」という当事者意識を持ちました。しかし、現代の辺野古を巡る問題などは、地理的・政治的な距離感から、多くの国民にとって「遠い世界の出来事」として消費されてしまいます。SNSでの批判は一過性であり、国を動かすほどの持続的な「責任追及の世論」になりにくいのが現状です。
紫雲丸事故が解決のモデルとなったのは、日本人が「安全」という共通の価値観を信じ、それに対して全員が真摯に向き合ったからです。翻って現代は、価値観が分断され、何が「責任」であるかという定義すら、立場によって異なります。
日本人が無責任になったというよりは、「誰に対して責任を負うべきか」という対象(=公、国家、次世代)を見失ってしまったというのが、より正確な表現かもしれません。
辺野古のようなデリケートな現場で起きる事案を、単なる政治闘争の道具にするのではなく、紫雲丸の時のように「命の安全」という原点に立ち返って検証できるか。それが、私たちが「責任ある大人」の社会を取り戻せるかどうかの瀬戸際であると感じます。
ジュディス・バトラー(Judith Butler)は、1990年の『ジェンダー・トラブル』以来、フェミニズムやクィア理論に革命を起こした一方で、多方面から激しい批判を浴びてきました。
彼女に対する主な批判は、大きく分けて「実効性・政治性」「身体の物質性」「文体とエリート主義」の3つの観点から整理できます。
最も有名な批判の一つは、哲学者マーサ・ヌスバウムによるものです(論文「パロディの教授」)。
「静かな抵抗」でしかない: ヌスバウムは、バトラーが提唱する「パロディ的な反復(ドラァグなど)」によるジェンダー攪乱は、象徴的なパフォーマンスに過ぎず、法制度の改善や経済的格差といった実質的な政治変革に結びつかないと批判しました。
倫理的指針の欠如: 「どの規範を覆すべきか」という倫理的な基準がバトラーの理論には欠けており、単に「規範を壊すこと」自体を自己目的化していると指摘されました。
身体は「言葉」だけではない: バトラーは、生物学的な「セックス」さえも社会的・言説的に構成されたものだと主張しました。これに対し、「生理痛、妊娠、老化、肉体的な暴力など、言葉を超えた肉体の生々しい現実(物質性)を無視している」という批判が根強くあります。
新実在論からのアプローチ: カレン・バラッドなどの「新しい実在論」の論者は、バトラーが言語や文化(言説)を重視しすぎるあまり、人間以外の物質や生物学的な力が持つ「行為主体性」を見落としていると批判的に発展させています。
社会学者ナンシー・フレイザーとの論争(「不平等の再配分か、差異の承認か」)が有名です。
「単なる文化」への偏重: フレイザーは、バトラーがアイデンティティや文化的な「承認」ばかりを重視し、資本主義が生み出す経済的な「再配分(格差解消)」の問題を二の次にしていると批判しました。
新自由主義との親和性: バトラーの「アイデンティティは流動的である」という考え方が、消費社会における自由な自己選択という新自由主義的なロジックに回収されやすいという指摘もあります。
難解すぎる文章: バトラーの文章は意図的に難解(ポスト構造主義的)であり、学術的なエリートにしか理解できない「象牙の塔の理論」であるという批判です。ヌスバウムはこれを「難解な言葉で読者を威圧し、実際には何も解決していない」と厳しく非難しました。
生物学的区別の消失: いわゆるTERF(トランス批判的なラジカル・フェミニスト)からは、「『女』というカテゴリーを解体することは、女性が生物学的な性に基づいて受けてきた抑圧を不可視化し、女性解放運動の基盤を壊すものだ」という批判がなされています。
バトラーへの批判を支えているのは、「理論は高度だが、現実に苦しむ人々の生活や肉体を救えるのか?」という実学的な問いです。
続き
画面端に到達すれば火力が高いので、画面端に押し込むことができていれば駆け引きの回数を減らすことができる。遠距離技をガードされること自体も火力上昇に一部貢献できるため完全に無駄にはならない。
固有の強みとして2Kが発生が最速で低姿勢かつ最新バージョンで6Kから浮くようになったため、コンボダメージが大幅に伸びている。近づいてきた相手に2Kや暴れに使える5K始動のコンボを当てることで逆にリターンを出すことも可能になった。
崩しに使えると言うより相手のミスやどさくさ紛れに一撃を加えるというミス待ち・運目当てのスタイルがさらに特化されたような感覚がある。
また、JHSが飛び込みとして強い。上りで出す中段としてはゲージ使わないとリターンが出ないし遅めに出したら見えやすくなるので嫌がらせになる程度だけど、ハイジャンプくらいの高度から飛び込むと6Pも潰せるから対策して状況見てないと本当に落ちない。
総じて、遠距離で技を被弾してしまうなどアクセルへの対策が不足している相手であれば"得意"な遠距離戦だけで非常に勝ちやすいキャラだが、相手が被弾を抑えるように対策をしている場合は近中距離でのリスクのある駆け引きを何度も制する必要がある。これを実践するには駆け引きの巧さや圧力によって相手を"対策不足"に化かしてしまう"オーラ"が使い手に求められる。
また個人的には、ペースを掴んだら相手の技が届かない遠距離から溜め虎落笛という橋渡しを使うなどして自分が有利な状況で近〜中距離まで自ら距離を詰めるようにしたほうが勝てる程度のリターンが発生しやすいと考えている。
・鎌閃撃や2HS、6K、2Sは相手を縛る手段、または余計なことをした相手を足切りする手段
・溜め虎落笛は縛った相手に出すことで自分から近づくための一手
・本命は近S、2K、2P、遠Sが届く距離でいかに技を当てられるか
・自分からも近づけるし相手からも近づかれるが、自分から近づいたほうが賭金をレイズできる
世間的にはバージョンアップを経てアクセルの評価が高まっているが、筆者自身はこのリスクの高さからアクセルをそこまで評価していない。火力が上がってギャンブル的期待値が高まったので勝ちやすくなったことは確かだと思うし、実際リターンの出にくい遠距離とリスクの高い近距離を合算した期待値で戦うキャラ(上達要素は期待値を伸ばす)だと評することはできる。
結局リスクの高い攻めを行う近距離が大事な戦場になるなら、攻めの強い他のキャラを使ったほうが勝率が高くなるのでは?と考えてしまう。ただし他のキャラはアクセルのように簡単に相手を縛れる能力はない。
よくも悪くも状況の再現性が高いのもこのキャラの個性であると言えるのかもしれない。
究極的に近距離に行き着く立ち回りを遠距離の有利があるからこそできる攻め方なのか、それとも遠距離戦が頼りにならないから本来の遠距離の有利をかなぐり捨ててこの攻め方に行き着いたのか、どちらの結論になるのか、哲学的な問いになっていると感じるが自分は確たる答えを持たない。現状の意見としては後者寄りであるが、事実として相手の立ち回りを縛れるからこそこの間合いに自分が有利な状況で駆け引きに移行しやすい(ただし駆け引きの内容としては不利寄り)側面もある。
根本的な話として遠距離戦中心というキャラクターの特徴が格闘ゲームとの相性が良くない。良くないというよりはゲーム的に技が届かなくて近寄る側のほうがリスクが高いため遠距離戦を主導できるキャラのほうが強くなりやすく、逆に近寄る側にインセンティブを与える必要があり、相対的に弱くせざるを得ない。ネガティブペナルティによる抑止があるギルティギアシリーズでは尚更である。GGSTのアクセルに関して言えば、発売前の情報公開で「遠ければ遠いほど強い、でも近寄られると弱い」(でも遠距離戦も弱点は作らざるを得ない)となると、それは約束された初心者狩りキャラにならざるを得ないのではと思う。現状の結局近寄る必要はどうしてもあるという性能がこの矛盾を解消するために意図的に設計されたものなのか、あるいは評価が低かったから許容できる範囲で強化したらこういう構造に偶然なったのかは判然としない。自分はかなり歪だと感じている。
Xrdまでのアクセルはどの間合いでもできることがある代わりに常にリスクを負うような構造になっていたが、STのアクセルは一方的に攻撃できる状況はあるが相手の動きを読んでいたとしても当たるかは相手次第になりやすい。
この意味でSTのアクセルには無敵昇龍の弁天狩りや反撃技の天放石が無くなった以上の一見してわからない変化があったと考えている。
筆者は勝ち筋としてある程度画面端に寄ってかつゲージが50%ある状況で何かをガードさせた後に相手の動いたのを刈るように蝸牛を出し当たろうがガードされようがRC、ヒット確認せずガードしたらゆるく攻めを行い、当たったら高火力コンボで一気にダメージを奪うという動きをよくやっている。
高火力コンボが気持ちいいと思いつつ運がいいだけではと疑問を感じていたが、今考えればアクセルというキャラの本質を表しているようにも感じられる。
また、現在のバージョンでは蝸牛がハードダウンを取れるようになったためヒット時のリターンが大きく増加している。
元々相手の接近を止めるためにリスクも大きいリターンも大きい蝸牛を出す出さないの駆け引きがどうしても必要になっていたが、これがより顕著になったと考えている。
個人的にこれを心を込めた蝸牛と呼んでおり、現在のアクセルは詰まるところこれが当たるかどうか(相手に意識させられるか)で勝率が大きく変わると言っていいだろう。
その場の勝ち負けは二の次で自分が精度を上げて最善を尽くせば良しという方向なら確かに今のアクセルは合っているのではないかと思う。
アクセルの基本が"ミス待ち"だとして相手が常に完璧にできるわけではないのはそうだし、全体的に数字が大きくなったのだからキャラとしてパワーが上がっているのは確かだし精度が高まって実力が付けば確実に勝率も上がって結果も付いてくる。そこにやり甲斐や充実を感じられるだろう。
筆者自身はどちらと言うと読み合いで一喜一憂したい・局地戦的なその場の勝ち負けに拘ってしまう(そこが格闘ゲームの楽しさと感じてしまう)タイプだから、展開されるミス待ちの構造自体が楽しくない、勝ち負けの主導権を相手に委ねてしまっていると感じているのはつまり合っていないということなのかもしれない。
ロングレンジアタッカーというキャッチコピー通りのアクセルの遠距離戦は、共通システムの移動オプションにより安全に接近可能・かつ理論上だけの話でなく十分実践可能かつアクセル側の能動的な対抗手段に乏しいため、精度の高い相手に対してアクセル側が遠距離戦で期待するのは相手の動きを読み切った一手を通す積極的(ポジティブ)な勝ち方ではなく、相手のミスを待つ忍耐という消極的(ネガティブ)な勝ち方、またはロングレンジの優位をかなぐり捨てて近づいた上で他キャラに比べて拙い攻めを通すという勝ち方になっている。以前のバージョン(シーズン4初期)では破綻寸前だったものが現在のバージョンでは火力の強化によってある程度成立しているが、個人的には性能の煮詰め不足だと考えており、今後の調整では単純な火力強化ではなく、システムと照らし合わせたキャラコンセプトの再考および一部技の性能変更により問題点の解消が必要であると考えている。
地政学的な文脈で見るという前提ではありますが、朝鮮半島を舞台にした「大陸勢力 vs 海洋勢力」の衝突という構図は歴史の中で形を変えて繰り返されています。
朝鮮戦争を「第3次日清戦争」と捉える考え方は、歴史ファンの間でも一種のメタファーとして語られることがありますが、正確には「役者が入れ替わり、規模がグローバル化したアップグレード版」と言えるかもしれません。
いくつかのポイントで、その共通点と決定的な違いを整理してみましょう。
朝鮮半島は、大陸(中国・ロシア)にとっては「海への出口」であり、海洋勢力(日本・アメリカ)にとっては「大陸への足がかり」です。この「半島というチョークポイント」を巡る争いという点では、まさに日清戦争と同じ構造です。
※日本は直接参戦していませんが、米軍の「後方兵站基地」として事実上、海洋勢力側の不可欠なパーツでした。
一方で、朝鮮戦争には「日清戦争」という枠組みには収まりきらない20世紀特有の複雑さがあります。
日清戦争は「帝国主義的な利権と影響力」の奪い合いでしたが、朝鮮戦争は「共産主義 vs 自由主義」という、世界を二分するイデオロギーの衝突でした。単なる国の領土問題ではなく、「どちらのシステムが世界を支配するか」という聖戦の側面があったのです。
主役はあくまでアメリカです。もしこれを無理やり名付けるなら、「米中戦争の朝鮮代理戦争」の方が実態に近いかもしれません。
日清戦争当時は、朝鮮(李氏朝鮮)の意向は二の次で、大国が勝手に戦っている側面が強かったです。しかし、朝鮮戦争は北と南がそれぞれの正義を掲げて激突した「内戦」からスタートしています。ここに外部勢力が「介入」したという形です。
| 項目 | 日清戦争 (1894) | 朝鮮戦争 (1950) |
|---|---|---|
| 大陸側主役 | 清(中国) | 中国(義勇軍)・ソ連 |
| 海洋側主役 | 日本 | アメリカ(国連軍) |
| 日本の役割 | 当事者(プレイヤー) | 後方基地(サポーター) |
| 主な争点 | 朝鮮への宗主権・権益 | イデオロギー・冷戦の主導権 |
地政学の文脈では「朝鮮半島の支配権を巡る大陸と海洋の衝突」という歴史のテンプレートになぞらえられる朝鮮戦争は「第3次」に見えます。
ただ、日本が「戦う主体」から「アメリカの盾であり工場」へと変化したこと、そして核兵器の影がちらつく冷戦構造であったことを踏まえると、「日清戦争の皮を被った、実質的な第3次世界大戦の局地戦」と呼ぶのが、より現代的な解釈かもしれません。
まず、私は小説しか読んでない。映画は見てないけど配信されたら見る予定。たぶん。
で、感想なんだが題の通りすげー退屈だった。何度寝落ちしたことか。
理由は明白で、ずーっと興味のない理科の実験を続けてんの。主人公が。しかもまったく動きのない宇宙船内で。問題→実験→解決。ずーっとこれ。一言で言うと、理系の作ったなろう小説。冴えない主人公はもういいって。
この小説、構成としては現在と過去が交互に繰り返される。過去(地球編)はまだ明確な目的に対して話が動いてるから読める。でも現状(宇宙船編)はずっと同じことの繰り返しでこれがまあ退屈。たぶん時系列順で書いたら中盤が実験塗れでさすがに読んでられないと作者も思ったんじゃないか?だから過去と現在が交互に繰り返される。で・も・ね(長山洋子)退屈の総量は変わらないんですよ。細切れになった退屈の波状攻撃。
話の筋もさることながら、設定(というか導入?)ももうちょっとあっただろうと思う。なんで人類滅亡の危機なのに、主人公がのっけからピンチなんだよ。何で科学的な実験()をしないと居場所が特定できないんだよ。意味が分からん。人類滅亡の危機だぞ?どうなってんのストラットさん。他の人だったら目覚めた時点で詰んでいてもおかしくなかった。完全に属人的な対応。今時どこの会社でも言われるような「よくない仕事」の仕方。何度でも言うけど、人類滅亡の危機に対して取る措置とは到底思えない。別にね、でっけえメモ用紙に概要書いときゃ用を為すんだよ?なんでそれを省いちゃったの?忙しくて忘れてた感じ?導入でこれだからね。もうその時点で冷めちゃう。こっちはアチアチを期待したのに。
あとロッキー。理想的過ぎてご都合主義の塊。ザ・ご都合主義。それ以外に言うことは無い。
too much science, not enough story.
↑これは海外レビューサイトで見かけた感想。この小説を表すのに最も適した言葉だと思う。同意しかない。作者の書きたいのは理科の実験であって、物語そのものの面白さとか整合性は二の次。そんな小説だった。
夫が高3の時のクリスマスプレゼントに4℃の一粒ダイヤネックレスをくれて、小さいダイヤだったけれど使い勝手がとてもよかったので以降10年間日常使いしていた
でもハートのネックレスだったら義理で数ヶ月身に付けてからお蔵入りしていたと思う
4℃が嫌われてるんじゃなくて、「相手の好みを知ろうともせず何も考えずに定番だからと4℃を買う浅慮な男」が嫌われている
「相手の気持ちや好みを二の次にし、値段やコスパや己の見栄など自分の都合優先で4℃を選ぶケチな男」が嫌われている
4℃が嫌われているんじゃない
現代日本において、4℃の商品の中からパートナーに似合いそうな物を選んで贈れるあなたのような男性は希少種である
あのハートのネックレスだって、あれを可愛いと思う女性に贈るのなら全然アリ
4℃は悪くない
「……これが、釜玉うどんを一つ頼めば、もう一つ釜玉うどんが無料でもらえるという店か」
ラインハルト・フォン・ローエングラム皇帝は、店先にまで伸びた行列を眺め上げた。
ガラス越しに見える湯気と、卵と醤油の香りが、皇帝の黄金色の髪をわずかに揺らす。
「期間は三日間、対象の釜玉うどん、または明太釜玉、牛すき釜玉を一杯購入すると、並サイズの釜玉うどんが一杯無料だそうです」
「一杯買えば一杯タダか……実質、兵力二倍というわけだな」
「宇宙を統一した後に待っていたのが、うどん屋の前での行列とは、近来の名喜劇だ」
「陛下、喜劇かどうかの判断は、冷めきったうどんを召し上がってからでも遅くはありません」
「行列の長さから推測するに、麺のコンディションが最適な状態で維持されているかどうか、疑問が残ります」
ラインハルトは振り向きもせず言った。
「卿の能弁は認める。しかし、ここで撤退するわけにはいかぬ。吾々がこの列の後方に位置するのは、すでに不利な態勢にあるからだ。今さら退くのは、敗北を認めるに等しい」
ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフが、半ば呆れ、半ば微笑を隠しながらつぶやく。
ラインハルトは肩をすくめた。
「ただ、弱さに甘んじる者をおれは軽蔑するだけだ。空腹に負けて諦める者も、例外ではない」
キルヒアイスは、まるで艦隊配置図でも広げるような声音で応じた。
「まず、陛下が『焼きたて牛すき釜玉うどん』大を一杯ご注文になり、それに付随する形で『釜玉うどん 並』一杯を無料で獲得します」
「私が『明太釜玉うどん』並を注文し、同様に『釜玉うどん 並』を一杯。合計四杯となります」
「……四杯、か」
ラインハルトは軽く考え込むふりをした。
「卿と二人で分ければ、一人二杯。宇宙統一を成し遂げた男が、うどん二杯程度で満足して良いものか?」
ラインハルトはわざとらしく言って、キルヒアイスを横目で見る。
「どうせ宇宙をこの手につかむなら、手袋ごしにではなく、素手によってでありたい。うどんの熱さも、直接味わってこそだ」
「……それは、ただ猫舌ではないと主張したいだけではありませんか、陛下」
キルヒアイスは苦笑しつつも、どこか楽しげだった。
「全員が最大サイズを頼んだのち、無料分を含めて定量的にシェアするのが最も効率的です。味の好みは二の次で構いません」
ラインハルトは振り向き、やや意地悪く笑った。
「他人に何がわかる……」
ラインハルトは小さくもらした。
「この湯気の立ちのぼり方、麺の表面にまとわりつく卵の照り、それを見て心が動かぬ者に、宇宙の覇者たる資格があるとは思えぬ」
「……陛下」
キルヒアイスは、その言い方にどこか懐かしいものを感じていた。
幼年学校の食堂で、安いうどんを前に、同じような熱のこもったことを口にした少年を思い出しながら。
列がじわりと進み、店員が行列の人数を数えながら声を張り上げる。
「本日、釜玉うどん一杯購入で、釜玉うどん並が一杯無料でーす! お一人様につき、無料分は一杯まででーす!」
「お一人様一杯、か」
ラインハルトは眉をひそめた。
キルヒアイスは真面目に相づちを打つ。
「無制限に適用すれば無秩序な乱用を招きます。制限を設けることで、店側は損害を抑えつつ“太っ腹”であるという印象を与えられる」
ラインハルトは愉快そうに笑う。
「奴ら――この店の経営陣にとって重要なのは、客に得をしていると信じこませることだ。実際にどちらが得をしているかは別問題として、な」
「値上げが続く中で、“実質半額”という印象を与えれば、顧客の好感度を高めることができます」
「……ヒルダ」
ラインハルトは、少しだけ真顔になる。
「卿は、このうどん屋の経営も引き受けられそうだな。いずれ帝国経済の舵取りを任せる時が来たら、丸亀製麺の一店ぐらい、付録として与えてやろう」
その前で、番号札を配っていた店員が、ラインハルトたちに不思議そうな視線を向けた。
制服も髪型も、銀河帝国基準ではむしろ質素な方だが、この一団から発せられる「場違いなオーラ」を、庶民の感覚は逃さない。
「お客様、何名様ですか?」
「宇宙……いや、四名だ」
ラインハルトは咳払いして言い換えた。
「では、こちらの番号札をお持ちくださーい。釜玉の無料分は、お会計の際にお付けしますので」
「……会計の時点で付ける、か」
「先に無料分を渡さないことで、途中離脱を防ぎ、かつ客単価を維持する。なかなかしたたかな設計です」
「オーベルシュタイン、卿がこの店のコンサルを買って出たら、客は皆逃げ出すだろう」
ラインハルトは笑った。
「“無料キャンペーンは、効率よく古道具――いや、古顧客を処理する仕組みです”などと言い放つのが目に見える」
ようやくカウンターが近づき、大鍋の湯気が顔に当たる距離になった。
湯から上がったばかりの麺が、ざざっと丼に落とされる音がする。
「陛下」
「本当に、大盛りになさいますか?」
「当然だ、キルヒアイス」
ラインハルトは迷いのない声で答える。
「宇宙の覇者が、並で妥協してどうする。おれは常に最大を選ぶ」
「吾に余剰胃袋なし。そこで完食せよ」
ラインハルトは、かつて戦場で言い放った言葉を、悪びれもせずに改変した。
「言いたいことがあれば、いずれヴァルハラ――いや、医務局で聞く」
「誰かが冷静なサイズを頼まなければ、無料分の配分が破綻しますから」
オーベルシュタインは、ほとんど無表情のまま、釜玉の「並」を短く告げる。
ラインハルトは受け取った丼の重さを確かめ、満足そうにうなずいた。
湯気の向こうで、卵が麺に絡み、醤油の色がうっすらと金色を帯びる。
「……美しいな」
「そうですね、陛下」
「たとえ、これは銀河の覇権ではなく、一時の食事にすぎないとしても」
「違う、キルヒアイス」
ラインハルトは、箸を取る手を止めた。
「宇宙を手に入れるとは、こういうことの積み重ねなのだ。誰もが腹を満たし、小さな幸福を享受できる世界。それなくして、覇道に何の意味がある?」
この人は、こんな行列の中でさえ、自分の覇業を語らずにはいられないのだ――それを、愛おしくも、少し危うくも思いながら。
5 やがて冷める麺、冷めない夢
一行がテーブルに陣取ると、周囲の客たちは、「コスプレか何かだろう」と勝手に納得し、距離を取った。
そのおかげで、皇帝たちは思いのほか静かな“戦場”を確保できた。
「いただきます」
キルヒアイスが、箸を割った。
その仕草は、旗艦ブリュンヒルトのブリッジで命令を発する時と同じくらい、丁寧で静かだった。
ラインハルトも、それにならって麺をすすった。
熱と塩気と、卵のまろやかさが一気に口内を満たす。
「……悪くない」
彼は短く評価した。
「庶民の味というやつだろうが、侮れぬ。これを列に並んでまで求める民草の気持ちも、理解できぬではない」
「そうやって、民の感覚を理解していかれるのは、陛下にとっても良い経験かと」
ヒルダが言う。
「宇宙の統一者が、釜玉うどん一杯の価値を知らぬようでは、“幸福な時代”など訪れませんから」
ラインハルトはふと、どこかで言った言葉を思い出し、続けようとして、やめた。
「いや、いい。今は平和の定義より、この麺の伸び具合を気にすべき時だ」
「陛下」
「もし、いつか本当に、誰もが行列を気にせず、好きなだけうどんを食べられるような世界を築けたなら……」
「その時は、どうする?」
「三人で、またどこかの店に来ましょう」
「姉上もご一緒に」
ラインハルトは、箸先を止めた。
熱いはずの釜玉が、急に、少しだけ遠く感じられる。
「……そうだな」
彼は、あえて軽く言った。
「そのためにも、おれはまだ覇道を退くわけにはいかぬ。釜玉二杯で満足して、宇宙を諦めるなど、笑止千万だ」
「陛下が宇宙を手に入れるまで、私は、陛下の隣で一杯目を支え続けます」
キルヒアイスの言葉は、うどん屋のざわめきの中に溶けていった。
期間限定のキャンペーンが終われば、列は消え、貼り紙も撤去されるだろう。
だが、銀河帝国皇帝ラインハルト一行が、丸亀製麺の行列に並んで釜玉うどんを二杯ずつ平らげたという事実だけは、誰も知らぬまま、宇宙のどこかにひっそりと刻まれるのだった。
だが、この日丸亀製麺の片隅ですすられた麺の記録は、
それでも、人々が静かに列に並び、
そして歴史家は――
しょせん金儲けが目当てで、倫理は二の次なのがテクウヨ。イスラエルのガザ大虐殺を助けているのもテクウヨだからな。まともな人はテクウヨ技術無しでやっている。頼るのは無能だけw
https://www.kangnamtimes.com/ja/report/article/569700
17日(現地時間)、情報技術(IT)業界によると、最近X(旧Twitter)やInstagramなどのソーシャル・メディア(SNS)を中心に「QuitGPT」ハッシュタグと共にChatGPTのサブスクリプション解約を認証または促す投稿が相次いでいるという。キャンペーンの主催側は現在まで70万人以上がホームページまたはSNSを通じてボイコットを宣言したと主張している。
OpenAIの経営陣がドナルド・トランプ米大統領を支持するスーパーPAC(特別政治活動委員会)に巨額を寄付した事実が知られ、米移民・関税執行局(ICE)がChatGPT技術を使用しているというニュースが伝えられ、このような動きが現れている。キャンペーンの主催側はOpenAIの経営陣がトランプ大統領と共和党、大手技術企業スーパーPACへの寄付を中止すると宣言するまでボイコットを続けるとし、彼らが権威主義者を助けることを許すわけにはいかないと述べた。
フェミの人たちにも、僕らなりの縛りがあるってこと、少しは理解してほしいんだよね。
正直さ、「流石にそれは無理があるだろ」って僕でも内心思っちゃうよ?
でもね、食い尽くし系を全力で擁護しなきゃいけないんだ。そう、最強であり続けるためにはね。
じゃないと、すぐチン騎士、フェミ騎士だなんてレッテル貼られて、コミュニティから追い出されちゃうからさ。孤独は、人を狂わせるんだよ。
この業界でサバイブするなら、プライドなんてとっくの昔にドブに捨てなきゃやってらんない。僕、性格悪いからさ。
明らかに食いすぎだろって量をガツガツいってても、「これは奥さんによる飢餓DVへの防衛本能だ!」って言い張るのが僕らなんだ。
「いかにフェミをイラつかせるか」が最優先。これ、現代社会の呪いを生き抜く基本だね。
電車の「股開き」もそう。
「男の骨格的に足を閉じるのはマジで苦痛なんだ」とかいう言い訳、見かけるでしょ?
僕だって男だけど、普通に閉じれるもん。筋トレすらしてない僕にできることが、できないわけないよね?流石に骨格のせいにするのは無理がある。
……でもね、それを認めたら負けなんだよ。
常に誰よりも過激で、誰からもチン騎士なんて思われないポジションを取り続けないと死ぬ。