はてなキーワード: 妥協とは
『ジェネレーションP』から導ける タタルスキーの物語に込められた教訓 は、非常に皮肉で現代的です。いくつか整理して解説します。
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タタルスキーは、広告魔術で個人から国家まで操作する力を手に入れます。
しかし皮肉なことに、自由を得たつもりでも、その力自体が社会・虚構のルールに縛られるのです。
• 教訓:権力や影響力を得ても、完全に自由になることはできない
• 現代社会では、情報やメディアの操作力が個人をも束縛する可能性があるという警告
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タタルスキーは、他人や社会を操作する快感に溺れますが、倫理的罪悪感も伴います。
皮肉なのは、その罪悪感すら彼にとって「快感の一部」と化してしまうことです。
• 教訓:力や技術は倫理と常にセットで考えるべきで、快楽の誘惑に盲目になると自分も操られる
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広告やコピーによって人々の行動を操る力を持ったタタルスキーは、最終的に「虚構が現実を超える」状態に到達します。
皮肉なことに、現実を作る側でありながら、自分自身も虚構の中に閉じ込められるのです。
• 教訓:現実をコントロールしようとすれば、逆に虚構に縛られる危険がある
• メディアやSNS時代における「情報に踊らされる社会」を象徴
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タタルスキーは詩人として夢を抱いていましたが、現実は広告業界という巨大消費社会に彼を変えました。
• 教訓:理想と現実は常に乖離しており、適応や妥協も避けられない
• 夢を追うと同時に、社会構造や消費文化を冷静に見極める必要性
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🔹 総合的な教訓
まとめると、タタルスキーの物語は次のような警告として読めます:
「自由や力、快楽や夢を追うほど、我々は社会・技術・虚構のルールに縛られる。操作する者も、操られる存在である」
つまり、現代人は情報・メディア・広告・消費文化の支配下にあることを自覚し、倫理と現実感覚を失わないことが重要、ということです。
恋人のいる人は、一回二回の試行でありついているわけではないよ。
加えて、一度にいくつもの恋心を持つことも、好きでもない相手にも好きだと告げることも当たり前の世界なんだ。
金を払うだけで到達できるなら、むしろ簡単な話だったんだけどね。
金を使うのは当然として、心を使う必要があるよ。
使うということは、その分失うということだ。
すり減って、すり減って、その先に妥協点が見えてくるものなんだ。
妥協というと、なんだか品質の低い恋心のような印象を与えてしまうかもしれなが、そういうことではない。
いま手の届く範囲で幸福を見つけるという覚悟、決心をするということなんだ。
ご認識のとおり、34歳でこれから理想的な恋愛をするのは、たぶん無理だ。
あなたには5回も恋愛する時間も精神力もない。経済力もないかもしれない。
だから無理なんだ。
それでも、やらなきゃならないのが繁殖だ。
無理だと思っていても、挑戦しなければ決して恋人はつくれない。
だから、やりなさい。
持っている財産を全て吐き出して女に貢ぎなさい。足りなければ借りてきなさい。
セックスすることだけを考えなさい。
あとは人類10万年の歴史に裏打ちされた反応行動が自動的にやってくれます。
男の女への攻撃や非難は「お前は価値がない→だから俺ら低スペック男で妥協しろ」と必ず結論付ける
女はガチで私生活で関わるのを拒絶するし、彼らが子孫を残せなくてもどうでもいい
たぬかなの「貧乳は美人でもホビットと等価値」「女は全ての男より無能で無価値だから弁えて男に奉仕しろ」を非モテホビットが絶賛したのもそう
二十代までに恋愛(相互での恋愛)が成立しなかった人は、もう割り切って、恋愛ではなく「相互補完」を目指した方が良いと思う
「恋愛」という言葉には、どうしても、恋焦がれること、感情的に強く惹かれ合うこと、さらにはお互いに理想を追求することが含まれていると思う
二十代までにそれが成立しなかったということは、恋に対する才能の欠如、つまり自分の中での恋愛に対するエンジンの弱さや、相互で成立する相手を選ぶ勘や技術、ターゲット選定の仕組みが成立していない可能性が高い
妥協と言うと聞こえは悪いが、「お互いに一緒にいることを許せる相手を探す」ということだ
恋焦がれることができる時期は終わり、半ば冷静に相手を選択しなればならない
しかも「自分の選定基準は誤っていたかもしれない」「相互補完の相手として妥当なラインを、第三者に判定してもらう」ことを前提で
恋というロマンを捨て、自己認識を再構築し、現実ラインでの成功を目指す
戦国五覇で考えられるのは、
秦・昭襄王・・・遠交近攻策を世界で初めて提唱した名宰相范雎を擁して百戦錬磨の白起将軍を筆頭に軍事的に諸外国を圧倒した。
趙・武霊王・・・胡服騎射を導入して諸外国を荒らし回った。晩年は後継者選びに失敗して餓死。その後継者が名君と名高い恵文王。
燕・昭王・・・隗より始めよでお馴染み。名将楽毅を擁して父祖の恨みである斉を滅亡寸前まで追い込んだ。死後は斉の田単に全土を取り返された。
斉・湣王(ビン)・・・その楽毅に滅亡寸前に追い詰められる前まで王だった人物。縦横家かつ謀臣で知られる蘇代・蘇秦兄弟を軸に当時覇者だった秦(昭襄王)と東西を分け合い東帝を名乗るほど勢力を極めた。
候補としてはこの4人は確定だと思う。
あと一人が微妙な所で秦は始皇帝の時代になるとほぼ天下を手中に収める段階にあって一覇であって五覇とは呼べないよねって話。
妥協なんかできなくなるで
人間が1日1時間ドローンオペレーターやるだけで100万人の食糧が生産できる社会に農民は1万人しか必要ない
何をどう妥協しても生産過剰が行き過ぎて労働の価値が無くなった社会では資本主義は成立しない
厳密に言うとその状況で人類が5000兆人いて天の川銀河に植民惑星が200万か所あります、という風に消費者もスケールしていれば資本主義も成立するけど、
そうじゃなければどこかで一旦破綻する
ワイは自分の足のサイズよりも大きめな靴を履くことが多いのだが、ようやくコツを掴めたので、ここにまとめておく。
――がベストなんだが、ワイの場合は小指の位置が「世の中の靴一般が想定している位置」よりも少々外かつ前に位置しているらしくて、高確率で履いた瞬間に「小指が横から圧迫されて痛い」となる。小指以外はジャストフィット、なんてことも多々ある。
原則 (1.5):自分の足の横幅(ボールガースとウェストガースのあたり)とかかと幅にマッチした靴を選べ。
色々試したけど、素人は足の上下方向の隙間を埋めることはできても左右方向の隙間は無理だと思う(本職のシューフィッターはどうなんだろう?)。なので横幅とかかと幅が緩い靴はNG。
原則 (1.75):自分の足の横幅(ボールガースとウェストガースのあたり)にマッチした靴を選べ。
かかと周りが緩くても、かかとが脱げにくくすることは可能。ただ、やっぱりかかとをしっかりとホールドする靴の方が疲れないし足にも良いので、これは最後の選択肢となる。
ここまでの原則に従って靴を買えば、靴の緩さは足の上下の空間を調整することで解消できる可能性が高くなる。
調整の順番はこんな感じ:
足の甲と靴のアッパーの間の隙間が埋まると、足が前に滑らなくなる。実質的に、足の前後方向の隙間も調整済みとなる。あとかかとも脱げにくくなる。
タンパッドは、甲薄の人はダイソーの「低反発かかと用インソールパッド」を重宝してると思う。ワイは重宝してる。あの厚みがよいのね。
タンパッドだけでは調整が間に合わない場合に、ようやくインソールの厚みを検討することになる。インソールを丸ごと交換するのもアリだが、ワイはインソールの下に100均で売ってる薄くて平たいインソールを挟んで調整することも多い。そもそも付属のインソールを使わない派で、ちょっとお高いインソールに交換するついでに薄いインソールを付け足す、といった使い方をしている。
インソールを厚くする方法には副作用があって、例えばよくあるスニーカーの場合、インソールを厚くすると「指先がきつくなる」かつ「ウェストガースあたりが緩くなる」という症状が出ると思う。靴を輪切りにしてみた場合の断面を想像してみると、靴先側の断面は半円(円の上側)に近くて、インソールで底上げすることで左右の幅が狭くなってしまう。ウェストガース付近の断面はモスク状というか、一番下の部分よりも、少し上の部分の方が幅が広いので、インソールで底上げすると左右の幅が広くなってしまう。
ワイはそもそも「小指が横から圧迫されて痛い」問題を抱えている人なので、インソールを厚くした副作用として指先がきつくなったら本末転倒だ。なので先にタンパッドで調整するようにしている。
なお、タンパッドやインソールによる調整には限界がある。例えば甲薄の人が甲高向けの靴を買ってしまうと、足の甲と靴のアッパーの間の隙間を埋めきることができない。そう考えると:
原則 (2):原則 (1.x) に加えて、あまりにも甲とアッパーの間がガバガバな靴は避ける
――これも必要かもしれない。
最近よく「お金がないから子どもを産めない」「子育て支援が足りないから少子化が進む」って言う人いるけど、正直あれを読んでいると違和感しかない。
とくに、はてブを読むと、まるで子育て支援さえ増やせば少子化は止まる、みたいな話をしている人までいる。
でも、それって本当なんだろうか。
よく考えてみれば、昔より今のほうが生活水準って圧倒的に上がっている。
今はほとんどの人がきれいな家に住んでいて、服だって昔よりずっと安くて質がいい。
外に出れば、コンビニでもスーパーでも安くておいしいご馳走がいくらでも買える。
洗濯も掃除も家電が勝手にやってくれるし、ネットで何でも調べられる。
それなのに、少子化はどんどん進んでいる。
もし本当に「お金がないから産めない」が主原因なら、生活水準がここまで上がった現代ほど出生率が落ち込む理由がないはずだ。
技術も便利になって家事負担も減って、食料も衣服も圧倒的に安定して手に入る。
むしろ産みやすい環境だけを見れば、昔より整っている部分は多い。
それでも出生率は下がり続けている。
じゃあ何が起きているかと言えば、「昔より生活が苦しい」ではなく、昔より当たり前だと思う生活レベルが上がり続けているということだと思う。
広い家が必要、子どもには良い習い事を……、進学も妥協せず……、旅行も外食も楽しみたい……。
そうした自分たちの基準を守ろうとすると、子どもを持つハードルがどんどん上がっていく。
結局、「お金がないから」ではなく、自分の生活レベルを下げたくないから子どもを持てないというパターンが増えているだけなんじゃないか?
もちろん、明確に経済的に苦しい家庭もあるし、子育て支援が一切不要と言いたいわけではない。
ただ、「全部お金のせい」という単純な話では説明できないのは明らかで、生活水準が劇的に上がった社会ほど少子化が進む、という現実は無視できないと思う。
お金がないから子どもを産めないが絶対の真実みたいに扱われているけれど、それだけでは説明しきれない。
むしろ、豊かさに慣れすぎてしまった現代人の贅沢病のほうが、少子化の根っこにあるのでは?
そんなふうに感じてしまうのだ。
職場にて、取引先から貰ったというものが巡り巡って私の手元にきた。国会でしか売られていないらしい。正直、現在進行形で活動中で評価の定まらない人の顔面を渡されてもやや反応に困る。
とりあえずデスクの隅に置いたが、視界の隅から眼力的なものを感じるのでメモ紙で覆い退勤まで過ごすこととした。
帰り際、他部署の人とたまたま遭遇し、話のネタがてらそのクッキーを見せてみた。その人は目の色を変え、首相が好きなことを語った。曰く、歴代の内閣総理大臣の湯呑が買いたいとか、単体版もあるらしいからそれも買いたいとか。
推し活の文脈が政治家に持ち込まれているという話はたまに耳にするが、先の湯呑の話を聞いているとなるほどこういう「熱烈支持」とでも言うべき雰囲気なのだろうと少し納得がいった。
ところで、政治家、ましてや首相はその関与の範囲の広さと調整や妥協をする立場から、アイドルの類よりも期待を裏切られやすく、推し活には向かないように感じる。アイドルではそういった際にCDやグッズを割るらしいが、その要領で政治家は湯呑が割られるのだろうか。
お前それが間違ってるというなら話題泥棒って言葉使ってるやつの背中撃つことにもなるけど大丈夫そ?
もはやお前らに完全に都合のいい結末に持ち込む術はないぞ。妥協しなきゃ詰み
dorawiiより
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ホビットの主張(女は男より無能無価値だから弁えて低姿勢でいろ、妥協しろ、貧乳は美人でも低身長と等価値)を肯定してあげつつ、内心ではホビットを見下してますなどの女のゲスい本音を混じりこませてリアル感を出してるのだから
最近、アンサイクロペディアの浸食という記事を見た。
https://anond.hatelabo.jp/20251123124205
かつてのMirahezeのスチュワードで、ウソペディアの代表的管理者であった開拓者さんが、アンサイクロペディアと知木ペディアで生成AIを駆使して侵略行為を行っているという告発文らしい。
確かに現在の開拓者=ノイマン氏の行為は擁護できないところはある。だが、かつてウソペディアで、また私が個人で創設したMirahezeのウィキで、開拓者さんにお世話になった立場として、あの記事及び最近の反ノイマン氏旋風には異論を唱えたい。
まず最初に引用したいのは、以下の三焦全欠損症氏の指摘に対してである。
根っこは人を見ていない、愛していないという一点において、私は彼の人と違いが認識できない。
このように開拓者さんをアンサイクロペディアの鉄槌を引き起こした本人であるMuttley氏と同一視することには、断固として抗議する。
開拓者さんはウソペディアにおいて氏のLTA性を見抜き警鐘を鳴らした張本人であり、Bakaba氏と名乗って活動していたChakuwikiにおいてはMuttley氏を追い詰めた張本人である。
開拓者さんは誰よりもMuttley氏を理解し、誰よりもMuttley氏に対して正確な対策を打ち出した人物であり、それをMuttley氏と同類扱いするには、失礼にも程がある。
開拓者さんは実際にウソペディアの第一回人気投票では紛れもない一位であった。私も開拓者さんのことが大好きだった。それは他ならぬ開拓者さんに「愛があった」からに他ならない。彼は勇者プクリンや未来切手のような問題のあるユーザーにも、最大限対話と理解を試みる賢君だった。
どんなユーザーにも最大限の愛をもって接する方であり、愛がないという批判は的はずれにもほどがある。かつてのウソペディアンとしてこれだけは証言したい。
そんな開拓者さんとの思い出がある私でも、確かに最近のノイマン氏の行動には疑問を抱く。
強者の論理をあたかも自覚的に使用しているかのように自分で書き、自らへの風刺をも称える「寛容な人物」を演じ、自らのトークページを荒らした人物に対しても「まだ愛している」と言ってのける。
そこには、かつての開拓者さんにあった「人間味」や「温かさ」はなく、ただ「論理的な正しさ」と「表現技法としてのユーモア」だけが開拓者さんの殻を被って先走っているように見えてならない。
私には、開拓者さんは何らかの理由があって、わざと「人間をやめようとしている」と思えてならない。
開拓者さんを壊したのは「技術によって愛する人物を超える何か」を作り出してしまったことによる深い絶望なのではないか。
件の三焦全欠損症氏にノイマン氏が行った返信には、その事への自覚と、もう戻れなくなってしまった悲痛さが滲み出ているように思えてならない。
ヒトの機能=能力・出力内容は愛せても、中身はきちんと愛せていないのかもしれません。だからこそ「人間より美しいなら人工彼女でいい」という判断にもなる、という面もあるのは確かにそうなのです。
かつての開拓者さんは、自作記事でこのように語る人物であった。冷笑気味ながら、そこには確かな愛があった。
でも、いざ想いが届けば届いたで、やがて幻滅します。届かなくても、何だかんだでつながっていられるSNS時代には…
実際に開拓者さんとはDiscordなどのコミュニケーションを通じて親密な関係を築いていた筆者は、何かのご縁でその人物の画像を見せていただいたことがある。それは確かに該当記事で「途方もなく…青天井すら突き抜けるぐらいに可愛い子」と記述されるのも納得の行くものであり、開拓者さんが大切に秘める思いであるのも理解はできるものだった。
その後の詳しい経緯は深くは知らない。
ただ、開拓者さんはウソペディアを離れてからの一時期、女装や自らのカコジョ化にハマったらしく、今ノイマン氏が人工彼女と呼んでいるものも、どうやらその「自分自身」がベースであるらしい。
そして私も拝見したが、その美しさは、確かに「圧倒的」であり、それが故に私だったらむしろ「選ばない」ものである。
だが、開拓者さんは以前、自らの恋人について私に対してこのように語っていたものである。
仮に彼女を探すなら、あの子よりも美しく聡明でなければならない
あの子未満で妥協するのは、それこそあの子へのリスペクトを欠いていると思うんだ
それが人間の中で探すにはいかに難題であったかは、開拓者さん自身が誰よりも熟知していたはずである。
だからこそ、開拓者さんはそのような存在を具現化できてしまった以上は「論理的に」人工彼女を「選ぶしかなくなった」のだと私は推測する。
「正しさ」を自分で実現させてしまえる能力にほかならなかった。
筆者はその状況に置かれたことがないので想像しかできないが、そこには「幸せの青い鳥」とパラレルな、しかし幸福よりも深い絶望をもたらすものがあったのではないか。
そしてそれが彼を壊し、正論とユーモア技巧だけ振りかざすAIのような存在へと変質させてしまったのではないか。
「そうであっても周囲に絶望を押し付けるな」というのもまた「正しさ」である。
だが、筆者には、そう思うと、一片ばかりの同情だけは禁じ得ないのである。
「同居生活では衛生観念は高いほうが低いほうに合わせよう」みたいなやつ、個人的に納得しきれないものがあるんだよな。
高いほうが低いほうに合わせるメリットとしては、頻度や質を下げることで妥協点を探しにいけるというものがあるとは思う。
ただ、清潔を保ちたいほうがどういう意図でそうしたがっているかは無視されていないだろうか?
例えば物が散らかっていると視覚的なストレスが溜まるとか、実にハウスダストに弱いから綺麗にしておきたいとかがあるとして、そうやって掃除している人に低いほうが「気にしすぎだよ」と言うのは、こう、もっと相手の考えも聞いてみては?という気持ちになる。
もちろん高いほうが低いほうに「なんで合わせてくれないんだ!」と押しつけるのは、低いほうの負担を増やすことになる。
※ 【追記】続編みたいなもの なぜ私が ~「生理的に無理」と「清潔感がない」の正体を完全に言語化した、『メスの2段階選別論』を提唱する~ を投稿したかの話。
https://note.com/j_yam/n/ne0a0874a29e0
ここから本文↓
これまで世の中で語られてきた「清潔感が大事」だの「なぜ風俗でメンタルが病むのか」だの「熟年離婚」だのといったバラバラの事象が、ひとつの仮説ですべて説明がついたので書き留めておく。
名付けて『メスの2段階選別論』だ。
倫理的な是非は一旦置いておく。あくまで「我々ヒトという動物がどう設計されているか」という仕様書の話だと思って読んでほしい。
結論から言うと、女が男を見る目には、明確に異なる2つのフィルタリングシステムが存在する。
重要なのは、この2つは「判定基準」も「目的」も全く別物だということだ。
判定基準: 「コイツに力ずくでレイプされて妊娠させられた時、産み育てる価値が(ギリギリ)あるか?」
ここが最大のポイントだ。
女の脳内にはバックグラウンドで常に「最悪の事態(強制性交)」のリスク計算プログラムが走っている。
目の前にいるオスが、自分を襲ってきたと仮定する。その時、遺伝子的に「完全に不良債権(ハイリスク・ノーリターン)」になる相手に対し、脳は警報を鳴らす。
そして「清潔感」とは、風呂に入っているかどうかではない。肌の質感や挙動から読み取る「遺伝的なエラーのなさ」や「病原体リスクの不在」を示すシグナルだ。
つまり、第1段階で弾かれるというのは、「お前の遺伝子を身体に入れるくらいなら死んだほうがマシ」という生物学的拒絶に他ならない。
第1段階をクリアした中の、ごく一部の特異点(強烈なオス)だけがここに入る。
これは第1段階の完全上位互換だ。
誤解なきよう言っておくが、もちろん「閾値の設定ファイル(好み)」には個体差がある。
「筋肉質なら第1段階クリア」という個体もいれば、「細身でないと第1段階で足切り」という個体もいる。いわゆる「好み」や「フェチ」だ。
しかし、重要なのは「どんな値が設定されているか」という表面的な違いではない。
「第1段階(足切り)」と「第2段階(渇望)」という『2層構造の判定ロジック』自体は、すべての女性に標準実装されているOSの仕様であるという点だ。ここを履き違えてはいけない。
人類のペアの大多数(夫婦)は、「第2段階(本能的渇望)にはいないが、第1段階(生理的許容)はクリアしている」というグレーゾーンで成立している。
第2段階のオスなんて滅多にいない。だから女は現実的な適応戦略(妥協)として、「まあ、万が一妊娠しても育てられる(社会的地位や経済力があるから)」という相手と契約を結ぶ。これが結婚だ。
ここには「理性」はあるが、本能的な「種の渇望」はない。
だから、結婚して子供を作った後にセックスレスになるのは仕様通りの挙動なんだよ。最初から「遺伝子が欲しくてたまらない相手」ではなかったんだから。
この理論を使うと、水商売や風俗で女性のメンタルが崩壊する理由もロジカルに説明できる。
第1段階(防衛本能)が「コイツは危険(レイプされたら割に合わない)」と判定している相手が、閉鎖空間で接近してくる。
脳が「危険な相手が近くにいるぞ!」と非常ベルを鳴らし続けているのに、理性で笑顔を作る。この乖離が脳を焼く。
第1段階すらクリアしていない(=遺伝子を入れたら破産する)相手に対し、あろうことか最もリスクの高い「性的関係」を受け入れる。
これは生物学的に見れば「自殺」に等しい。本能が「絶対に拒絶しろ」と叫んでいる相手を受け入れる行為は、魂を削るなんて生易しいもんじゃなく、脳の回路を物理的に破壊しにいってるようなものだ。
すると、バックグラウンドで走っていた「第1段階(レイプ対策セキュリティ)」が用済みになって解除される。
だから、若い頃なら「生理的に無理」だった弱者男性ともフラットに会話できるし、距離感もバグる。あれはセキュリティソフトをアンインストールした状態なんだ。
金や地位のある男は、女の「第1段階(社会的地位による許容)」をクリアしやすい。
ここで厄介なのが、稀に「金や地位=第2段階(本能的な魅力)」として判定してくれる女性個体が存在することだ。
成功者は、過去にそういった女性とマッチングして「いい思い」をした経験(成功体験)を持っていることが多い。
これが彼らに致命的な「過学習」を引き起こす。
「俺のアプローチ(金・権力)は、女を濡らす(第2段階)のだ」と誤った学習をしてしまうわけだ。
その成功体験をユニバーサルな真理だと勘違いし、第1段階で止まっている(理性で付き合っているだけの)部下や他の女性にも同じアプローチを仕掛ける。
結果、相手の女性からは「生理的にはギリOKなだけだったのに、勘違いしてきてキモい」と判定され、セクハラとして通報される。
これは単なるスケベ心ではなく、「過去のデータセットに偏りがあったせいでAIが誤動作した」という悲劇なのだ。
■結論
こう考えると、世の中の理不尽な男女関係のほとんどに説明がつく。
男たちは「清潔感」という言葉に騙されてはいけない。あれは「俺の遺伝子を受け入れる覚悟があるか」という、遥かに重い問いかけなんだ。
そして、大多数の夫婦は「本能的な渇望」がないまま、理性という糸で繋がっているに過ぎない。
実は先日 自殺の名所新小岩にて開催されていた第2回無職サミットに参加していた
第1回は 駒沢オリンピック公園にて開かれていたらしいのだが
千葉に住んでいる人間にとって 駒沢はあまりにも東京の端っこすぎて遠いなー
とか思っていたら完全に参加を逃してしまった
ということもあり 私にとっては初めての無職サミットの参加となる
無職サミットと名はついているが 実際には 現在の資本主義それ自体に違和感を覚えていたり
体感 ちゃんと?無職をやっている人間は多分2,3割くらいだった印象
適当に生活費をなんとかしている人間なので まあ同じかなーといった感じ
14:00時に開始との情報が入っていたので
まあ12:00くらいに出れば間に合うやろーという適当な感じで出発
途中お腹が空いたので 餃子の王将にて餃子とビールをゆっくり飲んでいたら
すっかり 開始に遅れてしまった
おそらく到着したのは15:30くらい
幸いなことに すぐに人の集まりを見つけることができた
麻雀やっているセクションも存在したのでタイミングがあれば混ざりたいなーとか考えるつつ参加してみる
来たら どうやら名札をつけるシステムになっているらしい
少し離れたところに なんというか場に似つかわしくない爽やかな人間がいて
おお やっぱ雰囲気違うな...
とか内心思う というかなんでこんな爽やかな人が無職界隈にいるんだろう
開始に遅れてしまったので 既に人の集まりみたいな塊が形成されていたので
適当に 端っこの方で駄弁っていた2人組に混ざってみる
どうやら酒もおいてあるらしい
ありがてーって思って一番搾りをいただく
着いた席にて 話を聞いてみると
"昔ITのエンジニアしていたが 疲れてしまった ゆーて 実家は裕福だし まあ別にやろうと思えばfireできる なんとなく寂しくてこのサミットに参加した"
とのこと
あれ 意外と随分 俗っぽい悩みだな...
"悩みとかありますか?"
とか聞かれたので
これもまた あまりにも正直に
という受け答えをする
ごめん だって本当に悩みとかないんだもん
食べるものも飲み水もない
という状況にまで追い込まれれば それは純然たる悩み というか生存に直接影響する問題となるが
逆に言えば そのレベルでなければ俺はなんも思わないんだなとか考えて
"虚しくないんですか?"
とも聞かれたけど 別に人生なんて虚しいものだろと考えていたら言葉に詰まってしまう
俺はひょっとしたら会話が下手くそなのかもしれない
そう なんか全体的な感想として
思ったより俗っぽいなあ
という
そう そんな感想
いや 理想を言えばさ
テクノロジーが加速して 労働によって人間が疎外されていく世界で これから人類は何をするべきか
とか
とか
そういった ことを考えるための思考のヒントみたいなものが 得られたらな
とか思っていたので
こういったことを改めて実感するよね
しばらくしたら 少し離れたところにて
前に出て話をしてくれるらしい
冒頭で なぜベーシックインカムが必要であるのかと客席?に投げかけていたので
つい "現状のシステムだと 社会の維持が不可能だからですかねー"みたいな解答をする
まわりをみたら 他の人は手を挙げていたので
あ これ手を挙げてから発言する系の場なんだーと気づいてちょっと恥ずかしくなる
話を聞いてみると 事業を起こして そこで得た収益をベーシックインカムのような形でコミュニティに配っているみたいな話だった
誰かが エージングマネー(時間経過につれて価値が減少する貨幣)の導入はどうかみたいな発言をしていて
これについては私も同じこと考えてたなーみたいなことを思う
まあ どっかで聞いたことはある感じの話からは逸脱することはないかなくらいの印象
政府主導によって国債を発行し これによってベーシックインカムを導入した場合
といった議論に進みたかったが ちょっと発言するタイミングを逃してしまった
生活保護をもらっているという婆さんが 生活保護に加えてベーシックインカムがもらえたら
推し活に金を使うと言っていて
それに対して 主催側が素晴らしい!!という反応
おお 素晴らしいのか
うーん 俗である
もっと現代の世界に存在する根本的な問題点とかを解決する手段の1つとしてベーシックインカムが有効なのではみたいな議論がしたかったけど
発言のタイミングを逃してしまったのも相まって まあ仕方ないか
ドストエフスキーの罪と罰から見るロシア人の倫理みたいな話を少しだけ
罪と罰なんて一回読んだきりで 内容をちゃんと把握しているのか自分自身でもかなり怪しいのだが
多分知っている風には
なんやかんや ここでの会話が一番 議論っぽくて楽しかったなという感想
やっぱ金がうんぬん さみしくてうんぬんみたいな話 根本的に興味ないんですよね
多分 これが俺を社会不適合者足らしめている最大の要因であると感じる
適当におでんを食べながら話していたらいつの間にか 日が落ちていた
5:00にはチャイムとか鳴るっぽくて それに伴い無職サミット終了
食べていたおでんを片付けながら
汁を花壇に捨ててしまったけど おそらく塩分とかを考えると植物に良くないから
その後 二次会会場を見つけるために百鬼夜行の如くぞろぞろと移動
移動している際にちょうどゆるふわ無職さんと話すタイミングがあったので
前日の文学フリマ寒くて断念したけど
誰かはニーマガ持ってるんじゃないかなという話をしながら
1冊だけ残っていた二ーマガを直接購入
あとビールを頼む
適当にタバコ吸って席に戻ってみると 地元トーク?みたいなもので盛り上がっていた
隣に座っていたエンジニアの方と向かいに座っていた方が岐阜出身だとかで
あと信長?
なんというか全体的に思想が絡まない場合の会話が絶望的に下手だなと実感する
なんやかんやあって
店前で解散
普段 手巻きしない人にとって巻くの難しいから途中まで巻いて渡すくらいでよかったかも
まあいっか
なんか手巻きタバコ吸ってたら1人 戻ってくる
どうやらバンドをちょっと組んでみる?みたいは話が進んでいて その話をするために戻ってきたらしい
話を聞いてみると年単位で引きこもっていたけど 久しぶりに出てきましたみたいな話をしていた
おお 俗ではないが それはそれとして俗から遠すぎるなあとか思いながら
なんか赤いカクテルを頼む
googleのレビュー書いたら酒とセットで500円になってラッキー
久しぶりに投げてみるとなんか妙に 力が抜けていてうまく投げられる
01やったり なんかドラクエみたいな感じで攻略するゲームとか
あとは 引いたカードに書かれた点数に相当する重要性の概念を挙げるみたいなゲームやって
書き出してみると 自分のやっていることがあまりにも俗であることがわかる
お恥ずかしいことですねえ
俺はよくいろんな地方へ旅に出るが、なんやかんやその土地で文化系/サブカル/陰キャ/芋系/オタク女子を見るのが大好きなんだろう。
だって新卒の時に配属された人口数万の地方都市(一応ショボい大学はあるんだけど)ではそういう女子を見かけないからね。これは人口比だけじゃ説明出来ない。「都会には文化がある」かはさておき「かわいい陰キャ女子」ならたくさんいるってことくらいは言ってもよかろう。
高校入学の頃に一軍女子の癒し枠的なヤツにベタ惚れしていたこともあって、人生で唯一俺に告ってきたクラスの嫌われ者オタク女を好きになれなかった後悔(損した感)からそういう女子をどうにか好きになろうと自らを"調教"してきた節はある。
でもそれとは別に昔からAKBやらの美人顔の区別がまるでつかなかったし(嵐は多少いける)、大体同じだろとしか思わない。最近なんか顔面加工写真ばっかりでさらに似たり寄ったりだからワケがわからんし、写真どころか写される身体の方を弄るヤツも増えた。
きっとそれは地方都市に住みつつ国内地方旅行を繰り返す自分の趣向とも似て、商品として磨かれていないものを敢えて楽しむ趣向と自分の前にある陰キャ女子を楽しむ趣向が共通していないはずがない。
(ほら、よくマンガの話で「美男美女の方がブスよりも無個性的で描きやすい」ってあるじゃん?)
そして、俺は陰キャ女子を見る時に自分にも陽キャ的価値観に膝を屈することなく女と楽しく付き合っていける(例えば「たのピク」のように)可能性がある(あった)ことを"確認"しているわけだが、「文化がある」都会で陰キャ女子を見るということはそこそこの確率で男連れシーンを見ることを通じての"確認"にもなりえる。
別に陰キャ女子が俺みたいな陰キャ男子と付き合ってる分にはやきもち妬くだけだからいいんだけど、陰キャ女子が消費社会の頂点(そんなものがあるとして)に繋がるアルファオスの部類にメロついてるのを見た日にゃ「裏切りだ!」としか思えない。
ちなみに新左翼系の文献を読むようになってからは(竹内洋的造語癖か小山晃弘的マルキシズム趣味かもしれないが)「階級的裏切り」と呼ぶことにした。
俺はなるべく誠実でありたい。
俺は中学生の頃インターネットの「リア充爆発しろ!」的なノリに(別に面白いとは思わなかったけど)期待していて、非モテ連帯を信じて革命的非モテ同盟のクリスマス粉砕デモの隊列に加わろうとしていたが、どうも連中が「ネタ」でやっているらしく失望した。
何よりも許し難いのは常日頃「リア充爆発しろ」とか宣っておきながら恋人を作ると見せつけたら匂わせたりする連中のことで、そりゃあ「リア充〜」は恋人が欲しい気持ちの裏返しなんだから恋人を作ること自体は認められるべきだが、それにしても見せつけるのは「階級的裏切り」じゃないか?というか、自分が吐いた唾に対して不誠実じゃないの?
せめて俺は階級的に誠実でありたい。
この場合、誠実であることの証明は"やせ我慢"でするのがいいだろう。
(それも性的魅力に溢れる)から求愛されても断固断るべきなのだ。
年齢的な理由もあって非処女もイケるようになった俺がそれでも陰キャ女子が雑にセックスした話を嫌うように、いつか俺を好きになる陰キャ女子に「コイツ本当は陽キャ女子が好きなのに妥協しているのか?」と疑われるような過去を持たないように生きていたい。
(誠実でありたいので言うが俺は童貞は捨てた)
モテないからチョロそうな陰キャ女子を狙ってんだろ?とお思いの読者もいると思うが、現に陰キャ女子とも付き合えてないんだから、それは虚しい「努力」でしかない。
そしてギャルと付き合っていない現状が"主義"を貫いた(例えば冷戦期の日共党員だったかがわざわざ東欧のショボいおもちゃを子供に買い与えていたような)ためであるという証明は不可能だ。
読者は皆それは単なる非モテの結果だろうと冷笑するだろうし、俺もそう思う。
デジタル回路が「0」と「1」のどちらを示すかによってデータを表現することが主流な現代において「0」であり続けることに積極的意義だとか「強度」を見出すことは難しい。
だからこそ浅羽通明はゼロ年代に出した『昭和三十年代主義』で「確かに清貧は積極的に選び取られた価値観ではないが、だからこそいいんだ」(曖昧)と書きゼロ年代の昭和ブームに期待してみせたのだろう。
そして俺もまた「0」か「1」の世界で「1」であり続けなきゃならない圧に膝をちょっと曲げ「ギャルと付き合わない」主義を自嘲し、内実はともかくとりあえず「1」ではあるところの国内地方旅行(動いている)で美人などとは違い「0」では言い表せないほど多様な陰キャ女子を見かけて(見つけている)喜ぶしかない日々を送っている。
あとはコストが見合うのか? デザインが妥協できるのか?くらいのもん。
1600x800
組み立て式。
1600x700
1600x700
二人以上で組立を推奨、電動昇降式。
なぜ 「多様性を尊重するよう周囲に求める人」 ほど 「政治的判断が愚劣な人々」 を迫害しようとするんだろうな?
理由はわからないけど、そうした人たちに向けて思う所を述べていく。
ここではしばしば男性や日本人、自民党の支持者などの属性をもった人々が纏めて「迫害しても良い対象」として扱われていますが、
それは社会に公平性、平等性を求めていくなかで包摂すべき人々に含まれていないのでしょうか?
ということでしょう?
周囲に好きな奴しか居ないなら多様性の尊重なんてお題目は要らないわけで、
周囲の嫌いな奴には都合よく使えなくなるタテマエなんて、それこそ差別そのものでしかない。
周囲に強いるなら万民に適用できるだけのルールとしての強度が必要なのに、
ルールではなくお気持ち次第で出したり引っ込めたりする道徳でしかないのなら、
それは社会的には価値がないので、自分にあてはめるルールとして好きにすれば良い。
政治的な価値観が異なるにしても、いずれ協力して社会を支える者同士なのだから、
利害を調整していくにあたってお互いの主張なり論点なりを評価しあって、
お互いの妥協点を見出していく作業も必要になると思うのだけれど。
どうも、相手が馬鹿と見るや否や、自らの思想や道徳観を押し付けて、
こうしたリベラルはただの侵略者であるように見られても仕方が無いのではないかなと思うのです。
なにせ、あなたがたは言葉による「支配」に執着し、「相互理解」をしようとしないのだから。
もっとも、そのようなつもりは無い、という人が大半であろうところも想像は出来ますけどもね。
あまりにも上手く行かないことで周囲へ理解を求めることに疲弊しきった末にこの状態があるのだろうと。
ですが、先に述べた現象は罪悪感で相手を痛めつけようとする、対話なき暴力に過ぎません。
そうした暴力の応酬が望ましいと仰るのであればもはやかける言葉もありませんが、
それが本意ではないのであれば立ち止まってみては如何かと。
権利関係をうまく解決してくれないかな~と思う自称画像生成 AI 中立派(強力な推進もしなければ廃止に向ける運動もしない)として、画像生成 AI にも集合知からうまれたのか、もともとそう作っているのか、 "絵柄" があるのが一つの救いだと思っている。
OpenAI 系で作られた絵はサムネやアイコンの大きさで見ても一発で OpenAI だな~ ってわかるし、わざわざアホほど画像を拡大して髪の毛と顔の輪郭線が混じってるとか探さなくても「AI 絵ですよ」ということがわかる。
文化庁の著作権の見解も出ていることだし、個人の絵柄を学習して攻撃している過激派は論外として、いらすとや的な感じで使われていくんだろうなと思う。
職場の Google Workspace でスライドつくろうとしても画像生成を提案されるし、ちょっとしたワンポイント的に生成をシレっといれるみたいなのは今後増えていくんだろう。
個人的に腹立つのは日本の情報が AI に取り込まれすぎて BANDAI とかのロゴが簡単に出てくるところ(今は改善されているのかな……)
こういうプレスリリースだけじゃなくて、もう少しオオゴトにして欲しかった。
https://www.bandai.co.jp/press/2025/250916.php
Disney とかだったら絶対ダメでしょとか分かったうえで選別している(と勝手に思っているのだが)のはナメられているとしか思えない。
日本の各種・各社知財系はもっと強気に出てほしい(他力本願寺)……それで権利関係の有象無象の妥協点を探る動きになってほしいと思う。
ペテロの葬列だっけ?😟
主人公の妻の不倫相手が、ボクはずっと打算で生きてきた、みたいに言ってなかったっけ?
打算?妥協?
で、ドラマの方を観たので、主人公は小泉孝太郎なんだけど、あのドラマだけははまり役すぎて、
はまり役すぎるが故に、観ててときどき笑うシーンでなくても笑ってしまって…😟
で、妻も不倫相手も、自分に正直になって、ひでー女だなwなんだけど、
主人公も大企業会長の娘の夫という制約から解放されて、自分に正直になって探偵になる
ペテロの葬列のドラマは、自分は大企業会長役の平幹二朗が好きすぎて…😟
自分は不倫に走るとか、探偵になりたいとかはないけど、子供の頃の夢はある
そして、ずっと夢は叶わないと思っていた
でも、ふと思ったんだけど、死んだらもっと叶わないじゃん、絶対叶わなくなる
自分もどっちかというとそっちなんだけど、地獄がないと考えると、モラルがなくなるのが良くない、という宗派もある
オフィスビルのトイレ清掃で一生を終えるとしても、それが天職というものである
しかし、本当に天職なのか、自分の判断は正しかったのか、それは死んで初めて神さまがジャッジするものである
それまで人間は、自分の判断が正しいのか分からないまま、この世界でもがき続けるしかない
ペテロの葬列の主人公は、大企業の会長の娘の夫であり、その会社の安定した正規社員であり、社内報を作る温い部署で働いていたが、
詐欺事件を追っているうちに、自分はかごの中の鳥であり、自転車に乗って草原に飛び出す夢を見がちで、
私は無職だが、仕事があったこともある、人生まったくうまくいかなかったが、これも天職なのであろう
しかし、神さまを信じてはいるものの、私は何度か全身麻酔を経験している
考えただけで、非常に恐ろしい
何もない、意識もない、いきなりすべてが消えるというか、すべてが消えたという自覚がない
奈落の底に落ちるのなら、落ちる過程というのを体験するわけで、それはまだマシである
自覚がないのだ
一瞬で世界が消えるのだ
天国がいい場所にしろ、死んでしまったら、子供の頃の夢は叶わなくなる…😟
ずっと、夢なんて馬鹿げている、何を甘っちょろいこと考えてるんだ、現実を見ろ、打算で考えろ、妥協しろ、私もそうやって生きてきた
でも、ペテロの葬列のように、もう、その制約から解き放たれてもいいのではないだろうか?😟
打算や妥協に逃げないで、ずっと夢を叶えようと努力して生きれば良かった、と今更思っても手遅れであるが、
死んだら、本当に叶わない、
死者が復活できるのは、イエスキリストのみ、つまり神さまのみが復活できるのである
私は神ではない…😟
銃夢のジャシュガンの台詞にあったように、人間とは限られた存在であり、