はてなキーワード: ギャルとは
一見すると自閉症スペクトラムなのかな?と思うんだけどちょっと違うんだよね
脳の何かが多い/少ない/構造が違うだと思うんだけど
・体に不自然に力が入っている
・真っすぐ自然にしているのが苦手
・発話が不自然(抑揚、力加減、リズム) → リアクションが極端に大きかったり奇妙
・リアクションが大げさ
・視線が合わない
全体的に「体の動かし方が下手」「力の入れ方抜き方が苦手」「感情の振れ幅が大きい」「過敏」あたりかなあと思うんだけど
これ、小学生低学年くらいの子に似てるんだよね、あいつらクネクネしてるじゃん?あのクネクネしちゃう気持ちわかるんだよな、しっくり来る体勢がないというか
ADHDやASDに何となく近い現象が起きている感じはするんだけど
話してみると普通に話が通じるケースも多いので、「やや被ってるけど同一じゃない」んだよね
繊細さも持ち合わせているからこそオタクになりやすいのかなあとも思うんだけど
ちなみにこういうオタクっぽい性質を持ってるのにオタクじゃない人も普通にいる
世の人ってこういう人たちのグループ化をなんとなくしてると思うんだけど、言語化も原因もわからないから「っぽい人」で括ってるよね
____
駅のホームで奥様方が「最近タトゥー入ってる人(特に外国人)が多い」「怖いわよね」「嫌よねぇ〜」というような話をしていて、60代前後という世代もあるんだろうが、都内に住んでてタトゥーってそんなに珍しい&怖いもんなのか〜と意外だった
ガッツリ和彫り入ってるとか、腕から首までびっしり彫ってて顔面にもピアスみたいな感じなら危ない界隈の人か…?と警戒もするけれども、なんか思い入れがある絵柄やイニシャルなんだろうなというのを見ると、怖いというよりはこだわりがある人なんだなと思うし、人間らしくていいじゃんと思う
これまで見たタトゥーの中ではふくよかな猫(おそらく飼い猫)の絵を入れてる女性にほのぼのした
猫とずっと一緒にいたいんだろうな
自分は高校まで地方だったんだけど、もしかしたらヤンキー文化が割合身近だったから、そのせいでむしろいろんな人がいるはずの東京よりもタトゥーに対する心理的な敷居みたいなものが低いのかもしれない
通っていた高校は比較的治安が良かったが、中学(当然公立)までの同級生にはヤンキーがゴロゴロいるしバイト先の先輩もヤンキーだったりして、タトゥーが入ってる人間もそこそこ身近にいた
本当にヤバいヤンキーは普通の高校生が近づかない水商売界隈にいるため、ファミレスでバイトとかしてるような人たちっていうのはヤンキーなりに真面目で治安が良かった
肩にちょうちょ入れてるギャルとか腕にロックっぽい柄入れてる眉毛ない先輩とかいたなあ
ピアス拡張するのを度胸だと思ってるのか耳たぶがビロビロになってるチャラ男とか、金がないから自分で針と墨汁で彫ったという強者もいた
そんな刹那的に生きてた連中が十年もすれば結婚してそれなりに真面目に働いてたりするんだから不思議なものだ
そうか、今これ書いてて思ったけど、小金持ってそうなあのおばさま達は、そういう「地方のダサいヤンキー文化的なもの」としてタトゥーを嫌がってたのかもしれないな
自分はタトゥーは入れてないけれども、健康リスクがほぼないインクとかができたら入れたいくらいの興味はある
肉体なんていうのは、見方を変えれば精々80年で原型とどめなくなり、死んだら焼かれる物質にすぎないわけなんだから、別に後生大事にすることもない
昨日大学から車で自宅(実家住みです)に帰ってきたらうちの駐車場を塞ぐ感じで私道に見知らぬ車が止まっていました。
田舎なので車じたい所有している人が少ないため必然的に駐車場を確保している家がすくなく
事前に伝え置く事もしばしば。
けど今回止まってた車は見たことない車でした。
事前に話しも聞いていないし、母も今日は中学生の妹の下宿先に出ていたので家にもいないので
いつも停めているご近所のA、B、Cにききにいきました。
ですが3人とも知らないようで、
「Dさん(母)が出てすぐに停めてあったから5時間は止まってるよ~」と
教えていただいた。
とりあえず車入れれなくて困るので知り合いのレッカー車あっかってる人に連絡。
最近近隣では不法投棄が多発していたのでKもレッカー車も直ぐに来てくれ車はお持ち帰り。
Kに持ち主が来るかもだから来たら連絡をと言われた。
それから3日くらいした夕方。母と近くのスーパーから徒歩で帰ってきたら
車に蹴りをいれてるのがみえた。
車返せ!って言っていました
なにいってんだこの人とか思いつつも
「車のナンバーは○○○ですか?」とたずねたら
「そうよ!○色の××」とつかみかかってきました
それなら警察に引き取って貰いました
と言うと
ちょっと置いただけでしょ!ってまた暴れだした
ギャルまま暴れ放題で
我が家の車にコンサートかなんかで振る蛍光ライト?をぶつけてきました。
どうやらこのまま隣の県で行われた某アイドルのコンサートに2日間連続で参加した模様…
母はレッカー車屋さん、Kに連絡し近くし、20分後くらいにKが駆けつけてくれました。
Kが駆けつけてくるまでにギャルままの子Eが○を漏らしてしまい(3才くらい)家に凸無理矢理凸され
何故か床の間に飾ってある書道師範の看板を盗もうとしていました
必氏で止めるのギャルままと私の体格差がありすぎて阻止できませんでした
Kが来てからは
ギャルままおとなしくなりましたが
レッカー車代をKが支払うように促すと
しばらく暴れ続けていると応援で来たKが何処かに連絡。しばらくして沢山のパトカーが。
ご近所、私、母は(゜ロ゜;状態。
えっ、えっ、と戸惑っていると
そのギャルまま
3つ離れた町で色々やらかしたあと行方くらました人しくて、両親から捜索願いが出ていたそうな。しかもこのギャルままの旦那も行方不明の様。
車は盗んだ物だったらしい…
何はともあれギャルまま回収されたけど車はめちゃめちゃなので
一様レコーダーとかいるのかな?向こう弁護士つれてくるらしいがそんな大事なのかな?
30分くらいXに
話が進みませんでしたが
Yの登場で空気が変わりました。
現れたらYはUと私の高校の元担任だったのです。Yは被害者が私だと分かると平謝りでXもYに従う感じでした
結局Yの意見で
車の修理費
看板の修理費
車が治るまでの交通費
迷惑料
出してもらう事になりました。
しかし先輩Uは二次被害を出さないためにもギャルままの引っ越し
その後ギャルままが直接謝罪をとのことでXがギャルままを家に連れてきましたが
なんでパパの年金をあんたが使うのよ!氏になさい!というギャルまま
それに加勢する母親
自宅の門が壊されたので遠慮なくKに連絡
元担任には悪いが被害届は取り下げるのやめることにし、いち早くギャルまま一家が退散する事を約束してもらい
尊敬していた先生だったのでイザコザを作りたくなかったですが仕方ないです。
余談?ですが
ギャルままは地元で色々やらかしたので(万引きなど)後々遠くに引っ越す事は決まっていたらしく
今回の件で引っ越すのが早まったみたいです
なんか怖い一家だな…
相手が傷つくからとかもそうだが、一番は自分の認知が歪んでしまうことだ
今はSNSのいいねで簡単に自分の意見が可視化できるようになっている
そのため、SNSで愚痴と称して誹謗中傷を繰り返すうちに自分へのいいね(報酬刺激)が他者への怒り、イライラになってしまい、無意識にイライラするコンテンツを探してしまう
そうしていくうちに怒りのハードルが下がっていき、何でもないことで烈火の如く怒る化け物ができあがる
・睡眠不足
・栄養失調
だと考えている
要するに脳みそがエネルギー不足だとイライラしやすい、ちゃんと飯食って寝よう
実を言うと私もその1人だった、当時は就活や試験勉強プラス生活リズムがめちゃくちゃだったので、ありえない事でキレてた(ちなみに一番意味の分からないキレ方をしたのはある絵師さんが描いたオタクに優しいギャルの絵でトチ狂ってた、なんで?)
誹謗中傷なんてみんなやってるだろって思ってて、暇つぶしであにまん掲示板を荒らしたこともある。スレ主に対して攻撃的なレスを仕掛けたこともあり、スレ爆破までさせてしまって今も後悔している、申し訳ない
「新しいタイプの活発的な若い女性」という意味でのモチーフ自体は同じ
ただ、1990年代のリバイバルしたギャルと1970年代のギャルは
時代が考える新しいタイプの女性が全然違うからジャンルとしては別ジャンルと言っていいくらいには違う
当時のギャルのほうが年齢層が高かった
"「OH! ギャル」(オー・ギャル)は、日本の歌手である沢田研二の27枚目のシングルである。"
"沢田研二本人は「最も嫌いな歌」と言っている(次いで自身のソロデビュー曲『君をのせて』)[要出典]。理由は、阿久の女性を賛美する歌詞と、「ギャル」という言葉に新しくないイメージがあったと、デビュー25周年特番で沢田は語っている。"
https://ja.wikipedia.org/wiki/OH!_%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%AB
"ギャル(GAL)は、1977年に『スター誕生!』(日本テレビ系列)出身の黒木真由美、目黒ひとみ、石江理世でデビューした女性3人組のアイドル歌手である。1979年解散。 "
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%AB_(%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97)
どこか遠い場所で発生: ギャル (girl の ir を a にしたんだとか説明されたけど英語を知らなかったのでピンと来ず)
↓
鳥山明: 「ギャルのパンティおくれ!」が有名だけど、亀仙人とか則巻千兵衛も言ってたような気がする。関係無いがVサインで「ピース」もDr.スランプで覚えた。
↓
ガングロ、ルーズソックス: コギャル (「コ」は何のコなの?)
↓
宮台が何か変な事言いだす。
↓
↓
コギャル晩期: 意識高そうな事を言うコギャルがSPA! とかそこら辺の雑誌に出没。
↓
ギャル、ギャル男: 「コ」は?コは何だったの?そしてどうなったの?あと男の子でもギャルになれるんだ。
↓
ギャル: オタクに優しかったり厳しかったり、黒かったり白かったり。街で見かけても多分どれがギャルでどれがそうでないか判別できないけど漫画の記号としてならぼんやりイメージできる。
最初の方は読んでたんだよ…😟
なんか、途中から読まなくなったんだよね、
離脱した明確な理由は特にないんだけど、絵の密度が異常に上がり過ぎちゃって、
なんか離脱して戻ってきても、読みづらくなってね?昔のもっと白い方が良かったんじゃね?みたいに思ったり、
そういえば、ブリーチというか、バーンザウィッチも大好きなんだけど、
なんかアンドロイドとかレプリカントみたいなの出てこなかったっけ、
あのドタバタした感じが好きだったんだけど、
例に漏れず、ジャンプ漫画は、バトルがインフレして、大ゴマになって、必殺技!集中線!待て次号!みたいになって、
卍解とか人知れない場所でやってる自分ではあるのだけど、なんか違う…😟
もっとドタバタしてたはずだよ、学校のおかしなやつらはどうしたんだよ、
みたいに思ってたら、オチの方で学園ものが戻ってきて、あれは嬉しかった、
具体的なの忘れたけど、あのインチキ超能力者もいた気がするし、ああいうの好き、
久保先生はポエムをネタにされがちだけど、いや、ほんと、天才ですよ
記憶違いでなければ、あれがこうなったわけで、急成長ですよ、ほんと、スゲーなと…😟
天才は努力の天才でもあるとつくづく思い知らされたわけですが…
なんの話だっけ…😟
あー、子供の頃から、私は自分が嫌いなものをどこか舐めてかかるところがって、
いわゆる日本の歌謡曲も、なんかくだんねーな、みたいに思って洋楽聴くようになったり、
そうなると、子供の頃に聴いてたアニソン、特撮ソング、昭和平成歌謡、をなんだかんだ覚えてる、そらで歌える
楽曲分析、というほどではないにしても、耳コピしてコードを当てて、転調してるかとかモードとか考えると、
色々とスゲーとか思ってしまって、つまり、当時のアニソンや特撮ソング、宙明大先生とかが、何を考えて作ったのか、みたいなことを考えさせられて…😟
陽キャやギャルが読む、なんか意識高い、宇宙兄弟とか、ドラゴン桜みたいな、意識たかーいたかーい、
だから、変な詐欺に騙されるんですよ、と老婆心が疼くのですが、
閉鎖病棟にいた手首ザックリ自称してた女子高生も、同じく病棟にいた既婚男性と病棟内で不倫しながら、
既婚男性にワンピースの絵を描いてもらって喜んでたじゃないですか…
あのー、不肖、私も絵を趣味とするものでござる、物心つくころからずっと描き続けて、賞もなくはないので、
ぶっちゃけ、その不倫野郎の既婚男性よりも、上手いワンピ絵が描けるはずでござるよ…😟
と言いたい気持ちをグッと堪え、
ときどき、その既婚不倫野郎に面会に来る美人の妻と可愛い幼女…😟
奥さん、奥さん、あなたの旦那さん、ここで入院しながら浮気してますよ、と言いたい気持ちをグッと堪える日々
そういえば、あのメンヘラ女子高生と不倫野郎が病棟で余りにもイチャイチャするのにブチギレた人もいました
私の気持ちを大便、いや代弁してくれてありがとう、グッジョブでした…😟
そんな淡い青春の、いや、自殺未遂して閉鎖病棟にいたのは主に30代の頃でしたが…😟
証拠として有名なのは、やはり1934年に外科医ロバートケネスウィルソンが撮影した、通称「外科医の写真」であろう
この写真にはオタクに優しいギャルがシルエットとして写っている
しかし、この写真は意図的にトリミングされたものではないか?これはギャルではなくサルの見間違いではないのか?
のように、オタクに優しいギャル肯定派からも疑問を持たれる、常に論争の的の一枚でもあった
1993年、この写真を本当に撮った人物の関係者が、トリックであったことを告白、
本当に撮影したのは外科医ではなかったが、医師が撮影したことにすることで信ぴょう性を高めようとした、というのだ
また、1977年、日本のトロール船がニュージーランド沖で奇妙な生物の腐乱死体を引き揚げた
腐乱死体は強烈な異臭を放っていたが、もしやこれはオタクに優しいギャルではないのか?と思った船員が写真を撮影、
死体は腐臭が酷いため廃棄されてしまったが、船員は骨格のスケッチも残している
しかし、残念なことに、この死体はオタクに優しいギャルではなく、単なる「腐女子」ではないか、という説が今は有力である
腐女子の顎には骨がないので、死んだ後に腐って失ってしまい、オタクに優しいギャルのような形状になってしまったのであろう
そもそも、強烈な腐臭がすることが腐女子であることを物語っている
なんて、
ふざけるな!
いいか?
オタクに優しいギャルの心を受け継いで、これからは君たちがオタクに優しいギャルになるんだよ
なんてことを、
まるで自分は知識人?常識人である風に言うやつには、正面から向かって、目をみて言ってやれ!
年いってる黒ギャルとか割とキツい
俺もかわいいギャルとエロイことしたい!とは前々から思ってたんだ。
二次元のギャルに慣れすぎてるだけでリアルのギャルはも外見も中身もオタクには厳しいのでは?って、ろくに交流したこともないのに思うようになってしまった。
俺はよくいろんな地方へ旅に出るが、なんやかんやその土地で文化系/サブカル/陰キャ/芋系/オタク女子を見るのが大好きなんだろう。
だって新卒の時に配属された人口数万の地方都市(一応ショボい大学はあるんだけど)ではそういう女子を見かけないからね。これは人口比だけじゃ説明出来ない。「都会には文化がある」かはさておき「かわいい陰キャ女子」ならたくさんいるってことくらいは言ってもよかろう。
高校入学の頃に一軍女子の癒し枠的なヤツにベタ惚れしていたこともあって、人生で唯一俺に告ってきたクラスの嫌われ者オタク女を好きになれなかった後悔(損した感)からそういう女子をどうにか好きになろうと自らを"調教"してきた節はある。
でもそれとは別に昔からAKBやらの美人顔の区別がまるでつかなかったし(嵐は多少いける)、大体同じだろとしか思わない。最近なんか顔面加工写真ばっかりでさらに似たり寄ったりだからワケがわからんし、写真どころか写される身体の方を弄るヤツも増えた。
きっとそれは地方都市に住みつつ国内地方旅行を繰り返す自分の趣向とも似て、商品として磨かれていないものを敢えて楽しむ趣向と自分の前にある陰キャ女子を楽しむ趣向が共通していないはずがない。
(ほら、よくマンガの話で「美男美女の方がブスよりも無個性的で描きやすい」ってあるじゃん?)
そして、俺は陰キャ女子を見る時に自分にも陽キャ的価値観に膝を屈することなく女と楽しく付き合っていける(例えば「たのピク」のように)可能性がある(あった)ことを"確認"しているわけだが、「文化がある」都会で陰キャ女子を見るということはそこそこの確率で男連れシーンを見ることを通じての"確認"にもなりえる。
別に陰キャ女子が俺みたいな陰キャ男子と付き合ってる分にはやきもち妬くだけだからいいんだけど、陰キャ女子が消費社会の頂点(そんなものがあるとして)に繋がるアルファオスの部類にメロついてるのを見た日にゃ「裏切りだ!」としか思えない。
ちなみに新左翼系の文献を読むようになってからは(竹内洋的造語癖か小山晃弘的マルキシズム趣味かもしれないが)「階級的裏切り」と呼ぶことにした。
俺はなるべく誠実でありたい。
俺は中学生の頃インターネットの「リア充爆発しろ!」的なノリに(別に面白いとは思わなかったけど)期待していて、非モテ連帯を信じて革命的非モテ同盟のクリスマス粉砕デモの隊列に加わろうとしていたが、どうも連中が「ネタ」でやっているらしく失望した。
何よりも許し難いのは常日頃「リア充爆発しろ」とか宣っておきながら恋人を作ると見せつけたら匂わせたりする連中のことで、そりゃあ「リア充〜」は恋人が欲しい気持ちの裏返しなんだから恋人を作ること自体は認められるべきだが、それにしても見せつけるのは「階級的裏切り」じゃないか?というか、自分が吐いた唾に対して不誠実じゃないの?
せめて俺は階級的に誠実でありたい。
この場合、誠実であることの証明は"やせ我慢"でするのがいいだろう。
(それも性的魅力に溢れる)から求愛されても断固断るべきなのだ。
年齢的な理由もあって非処女もイケるようになった俺がそれでも陰キャ女子が雑にセックスした話を嫌うように、いつか俺を好きになる陰キャ女子に「コイツ本当は陽キャ女子が好きなのに妥協しているのか?」と疑われるような過去を持たないように生きていたい。
(誠実でありたいので言うが俺は童貞は捨てた)
モテないからチョロそうな陰キャ女子を狙ってんだろ?とお思いの読者もいると思うが、現に陰キャ女子とも付き合えてないんだから、それは虚しい「努力」でしかない。
そしてギャルと付き合っていない現状が"主義"を貫いた(例えば冷戦期の日共党員だったかがわざわざ東欧のショボいおもちゃを子供に買い与えていたような)ためであるという証明は不可能だ。
読者は皆それは単なる非モテの結果だろうと冷笑するだろうし、俺もそう思う。
デジタル回路が「0」と「1」のどちらを示すかによってデータを表現することが主流な現代において「0」であり続けることに積極的意義だとか「強度」を見出すことは難しい。
だからこそ浅羽通明はゼロ年代に出した『昭和三十年代主義』で「確かに清貧は積極的に選び取られた価値観ではないが、だからこそいいんだ」(曖昧)と書きゼロ年代の昭和ブームに期待してみせたのだろう。
そして俺もまた「0」か「1」の世界で「1」であり続けなきゃならない圧に膝をちょっと曲げ「ギャルと付き合わない」主義を自嘲し、内実はともかくとりあえず「1」ではあるところの国内地方旅行(動いている)で美人などとは違い「0」では言い表せないほど多様な陰キャ女子を見かけて(見つけている)喜ぶしかない日々を送っている。