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はてなキーワード: 80年代とは

2024-12-14

俺が80年代発売のマイナー小説シリーズ読み始めたら急にその小説について書き出す増田が現れたんだけどやっぱ思考盗聴って存在するんじゃ?

検索しても増田でその小説について触れたのそいつが初めてなんだけど

2024-12-13

今日のアホブコメタトゥーをしてると温泉に入れない理由

あのさあ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2480038

 

単にやくざ入れ墨をすることが多く、暴力団排除の一環として、入れ墨を入れている人の入浴を断るようになっただけで、罪人がどうこうとか関係ないのに。

→ まとも(だけどちょっと間違ってる、別に暴力団排除の一環ではない)

 

現状、日本タトゥーを入れる人は他人を威嚇する目的で入れている人が多い。喧嘩揉め事タトゥーを服の袖からチラチラ見せたりする。他人を威嚇しておいて風呂差別するなと言われても同情はあまりできない。

→ は?質問に答えてない、ただの悪口

 

海外でも上流階級タトゥーしないって時点でお察しやろ

→ 温泉NG理由になってない、じゃあ素行悪い人と犯罪者温泉出禁なのか?

 

タトゥー入れたら公衆浴場入れなくなること覚悟して墨入れしてるはずなのに、謎ルールとか言って公衆浴場入りたいな〜(チラッ)するの本当にめちゃくちゃダサいよな〜〜って普段から思ってる

→ 回答になってない、ただの悪口

 

海外でもホワイトカラーはまず入れないので…日本でもそうでしょう 一流企業公務員の人がタトゥー入れてます

→ 温泉NG理由になってない、温泉って一流企業公務員しか入れない特権領域なんですね笑

 

サマーランドプール入れ墨の入場を許可してたら治安が悪くなって一般人が行かなくなった話好き

→ こういう話題回避は俺もよくやるから許した

 

から入れ墨入った職人大勢来るような下町銭湯だと牽制と均衡が保たれてるんだけど、特定プール温泉が解禁するとそこだけに反社半グレが集まってしまい…的なことはあるかもしれない

→ 想像っぽいからまあ良い

 

私はしないし私はそれをしている人に近づきたくない、それだけ

→ お前は温泉界のなんなん?

 

ヤクザ排除したくて、それを見分けるための基準として刺青採用しているだけの話でしょ。神戸銭湯ではほぼ確実に刺青の人に出会うよ。特に温泉水道筋店は山口組本部がすぐ近くなので、集団で来てるww

→ うん

 

タトゥーと無縁の人々に対して威圧感を与えるから、だよね。イメージと言えばイメージなので、それがなくなるのなら問題ない。なくならないうちは議論余地がある。

→ まあ

 

 

本件って「何で入場NGなのか」という疑問に対して「アウトロー犯罪者が多いから」みたいな回答してる人居るんだけど

これめちゃくちゃ頭悪くて、じゃあアウトロー犯罪者は入場NGなのか?と言えばそんなことないんだよね

わかるかなあこの頭の悪さ、国語できなそう

 

普通に調べると「反社会的イメージにより、周りの人に威圧感を与えてしまうから」って出てくるんだけど

重要なのは「周りの人」なわけよ、嫌ってるのは店じゃなくて他の客ってこと

実際にアウトロー犯罪者が多いかどうかすら関係ない、「周りの客が嫌がるから」以上でも以下でもない

 

ちなみに、店によってはタトゥーの大きさでNGかどうかを決めてるところもある(全身はNGとか)

隠せばOKのところもあるし、変な話だけど外国人タトゥーOKのとろこもある

これはわかるよね、「周りの客が嫌がるかどうか」でしかいか

(周りの客にも何種類か居て、本当に怖がってる人と、子供が怖がるって人と、「ルール違反だ、けしからん!」みたいな輩がいるらしい)

 

タトゥーNGが広まったのは80年代半ばかららしく、思ったより新しい傾向なんだよね

2015年時点でNG割合は56%、完全許可31%、隠せばOKが13%で、今はもう少し許可寄りになっているとのこと

 

一応言うと俺はタトゥー嫌いだけどな

ブコメのアホさ加減にテンション上がってしまった

ジャッキー・チェンは、不倫隠し子認知しないせいで、人でなし扱い。

サモ・ハン・キンポーは、大勢から尊敬される立派な映画監督と。

80年代映画を見ていたころには、全く想像もつかなったわ。

2024-12-12

anond:20241212135932

ババアしか見てない地元の土曜朝の情報番組芸能コーナーでも国内アイドル俳優ニュースに混じってBTSの誰それのイベントだの除隊だのやってるから年寄りが唯一知ってるK-POPグループなんだろうな

番組内で使われるBGM80年代ヒット曲レギュラー友近水谷八重子名義の昭和ネタコンサートYouTube企画2時間ドラマ再現映像もよく流れてる

2024-12-09

anond:20241209155108

彼らはそもそも難民ではないからその問いかけは間違ってるよ

トルコ人20%がクルドであって、大多数が迫害などなく普通に暮らしているし、トルコ政府対立しているのは分離独立過激派PKKだけ

PKKというのは一般的クルドではなくイギリスで言うところのIRAみたいなテロ組織だということもわかっていない人が多いのだと思う

また、シリア内戦シリア人のクルド難民が大量に生まれたがその大半だってトルコが受け入れている

かつて80年代頃はトルコにおいて対PKKの内紛が激しかった影響で弾圧があったが、その当時の認識のままの古い左翼いつまでも事実キャッチアップしていないのが問題

anond:20241209110739

80年代ってどんな人気漫画でも20巻30巻くらいで終わってた時期やん

anond:20241209110621

80年代あたりの、人気漫画は人気がなくなるまで絶対終わらせないって方針は正しかったんやな。

2024-12-08

弓月光少女漫画って何がよかったの?

目ん玉飛び出るぐらいにひどくてビックリしたよ

https://www.s-manga.net/search/search.html?seriesid=49471

https://www.s-manga.net/search/search.html?seriesid=49469

集英社公式サイトマーガレットで連載された「ボクの初体験」「エリート狂走曲」のサンプル読めるんだけど、野郎向けのエロコメディで、どう考えても女子に読ませるもんじゃねえだろ

サンプルページを読むだけであきれるぐらいに女体への執着がにじみ出ていて本当きつい

https://x.com/h_yuzuki/status/1865625316439568411

「今現在少女漫画って70〜80年代のような男も読める作品がほぼ無くなってきた」って、そりゃそうだよ

あんなスケベオヤジ漫画なんてとっくに昔に無くなったんだから弓月光基準で言う「男も読める」作品なんて今あるわけないだろ

より正確に言えば少女向けには不釣り合いなスケベオヤジ漫画は淘汰で追い出されただけじゃねーのか

2024-12-07

anond:20241207190957

セルフクソコメ、

往時、80年代後期の25ans誌にはなぜか外車レビューが載っており、そのFIAT127スポート記事を母に黙って借りては読んでいたものやで

別の時代に行きたくなるよね

ふとした瞬間に

60年代70年代80年代90年代

色々行きたい

2024-12-06

アラフォーだけど

小学校に上がる前、80年代後半から90年代前半にかけて、めっちゃ短い短パンはいてた

大人はいたらチンコ飛び出るだろってくらいのやつ

あれショタコンとかガキ好きのホモがみたらやべえくらい魅力的だったと思う

2024-12-04

韓国側から考えてみる

自分たち80年代まで民主化闘争でずっと足踏みしてる間にめちゃくちゃ金持ちになって自由謳歌して、その後こっちがズタボロになりながらもどうにか民主主義を維持して先進国入りするも、大統領クーデターというアホみたいな事態をすんでのとこで回避したら「いやーやっぱ民主主義を勝ち取った国は違いますわ、尊敬するっす」なんて言われたらブチ切れると思う。

anond:20241204170435

しかし「スポーツマン芸人」という枠だと未だにとんねるずを超える存在が出てこない

競技実績で言えばあの二人を凌駕する人材なんていくらでもいるのに

80年代にはあのレベル競技実績の芸人すらあまりいなかったから、とんねるずの二人でもスポーツマン芸人になれた。どの職種にも言えることだが、ブルーオーシャンを見つけて飛び込めるやつが一番偉い

2024-11-27

anond:20241127132700

大島弓子80年代かに漫画に描いていたが「ゲイ結婚したい」女は一定数昔からいる

「女嫌いの女体好き」ならぬ「男の経済力身体は好きだが恋愛感情と性欲の面は全く信頼できないので無い方がいっそいい」という

2024-11-20

アラフィフの問わず語りですみません

その昔はバブル崩壊後に上映された、ミッキー猫パンチ”ローク氏とドンレプリカフェラーリ乗り刑事ジョンソン氏が共演した迷?米映画がありまして、当時たしか愛車を持ち込んだというそハーレーカスタム具合と彼のファッションが大いに話題極東某国では某ライスバーナー(本場ではそんなの言ってない説あり)400cc未満でもソレ風に仕上げるのが以下略・・・なことよりその劇中で今回のPC800のポリス仕様!がエンジンと青灯ブン回しながらドンジョンソンこちらはアッサリ風味仕様)を追っかけまわすシーンがありまして、めっちゃカッコよかったんですわ。。。

No:4900 2017/10/06 17:16 | kusobukuro https://web.archive.org/web/20221127135307/http://kusobukuro.at.webry.info/

パシフィックコースト

ロサンゼルスでこのバイクに15年以上乗っている者です。ご存知かもしれませんが,元々これはホンダアメリカが車に乗るコンシューマーを取り込む為にこちらでデザインされたバイク80年代によく見かけたアコードシビックに似せた横長テールライトをつけたり,車の様なガソリン入れ口だったりします(予備タンクは無し)。YOUTUBEクルマの様に売ろうとした当時のCMが見られたりします。乗り心地はいいですが,長時間にはポジション微妙なので,ハンドルライズさせ,ステップもっと前にずらした他のホンダバイクの奴と交換して乗っています(当方175cm)。高速での回転数が高めなのも事実で,中古のVTR1100のシャフトファイナルドライブにのせかえて使っています。こういったことは私の発見では無く,全世界中に散らばるPC800(この呼び方一般的)のオーナーフォーラムで皆が情報を開示しているものです。全く売れなかったバイクですが。ここから得た情報で,後輪は車のタイヤを使っていますバイク物より10倍近く持ちますし,安いです。合法です。もう7年になりますが全く問題は無いです。アメリカにはDARKSIDER というバイクの後輪に車タイヤを使う集団がいましてサイトでどのバイクにどのタイヤがあうのかの表もあります。話がそれましたが,PCは数年毎にヘッドカバーからオイル絶対漏れ出すのでその度カバーを外してシーラーを塗らないといけません(外すときにタペットが落ちるので注意)。油圧タペットクリアランスが有るのでガスケットは使いません。メンテ邪魔なのでカウルはすべて外しました。ホンダにはこれのネイキッドを作ってもらいたかったものです。たまに買い換えも考えますが,あれだけのトランクサイズですり抜けに気を使うほど幅もなく,メンテフリーの油圧タペットシャフトドライブセンタースタンド付き,油圧クラッチで燃料タンク下部の低重心。800という大きすぎず小さすぎず,新車価格約5000ドル(50万円)それらを全て備えたバイクって無いもんです。パーツに関してはカウルの新品が欲しいのでなければ(ウインカー付きミラーとか)走らせる為にならどうにでもなります。燃料ポンプなんかクルマのキャブ用低圧安物ポンプ純正ポンプより長持ちしたりします。長々と失礼しました。ずっとここを覗いていたものですが,自分バイクが出てくると嬉しいものです。

No:4932 2017/12/20 13:03 | Jiro

2024-11-19

筒井康隆朝のガスパール』を読んだ

先日の土日にて読了

やれやれ、この作品は実にメタ的な作品である

いや、メタ的というより、メタのもの作品主題といったほうが正確だろうか。

読者を小説の中に引き込み文字通り「参加させる」という構造を持つ『朝のガスパール』は、筒井康隆80年代に書き上げた、いわば小説のもの定義に挑んだ挑発的な一冊であった。

あらすじ、といってもこの作品に「あらすじ」を語るのは難しい。

冒頭から読者は「読者」として物語に巻き込まれる。

物語というよりも、筒井康隆が直接話しかけてくるような感覚だ。

そして、そこには作者と読者の境界曖昧になる仕掛けが満載されている。

章ごとに視点が切り替わり、どこからどこまでが現実でどこからどこまでが虚構なのかが次第に崩れていく。

その結果、「これは読者が読む小説ではなく、読者が小説構成する存在である」という、今で言うメタフィクションの極北にたどり着く。

感想としてまず思うのは、当時としては斬新だっただろうな、ということだ。

しか現代の目で見ると、どうだろう。

こういった作品現代で言えば、さほど珍しいものでもないだろう。

要は安価に応えるSSだ。

そう言った意味でいえば『朝のガスパール』はインタラクティブ物語の先駆けとも言えるが、逆に言えば現代ネット文化における安価スレのようなものと大差ないとも言える。

それでも、この作品をただ「古い」と切り捨てられないのは、やはりその「メタ性」の鋭さにある。

筒井康隆文章は、単に「読者参加型」を装うだけではなく、小説のもの存在意義を問う仕掛けになっている。

そして、これが面白いのは、その仕掛けが自分が今何を読んでいるのか」にまで疑問を投げかけてくる点だ。

たとえば、読んでいる途中で「あれ、これ本当に小説なのか?」と思わされる瞬間がある。

それは小説登場人物が読者に話しかけたり、読者が物語の一部であるかのように描かれたりする場面だ。

その瞬間、読者である私は「あ、この作品は私の読み方自体をも含めてデザインされているんだ」と気づく。さらに、この文章を書いている私もまた、『朝のガスパール』の読者としてこの文章を書いているのであり、ひいてはこれを読んでいるあなたも、私が書いた文章の読者としてこのメタ構造の一部を担っているわけだ。ややこしいけど、わかる?

まり筒井康隆が描いたメタ構造は単に『朝のガスパール』の中に閉じていない。

それはこのエッセイにも、そしてこれを読んでいるあなたにも拡張されているのだ。

このことを表現するのに、わざわざ「メタの中のメタ言及するメタ」などと直接書くのは野暮というものだろう。

ここではあくまでそのメタ的な構造を借りつつ、読者がその構造意識する形で展開していきたい。

最後に、ひとつだけ言わせてほしい。『朝のガスパール』を読み終えたとき、私は奇妙な満足感を覚えた。

それは「小説を読んだ」という感覚ではなく、「小説という空間で作者と会話をした」という感覚だった。

今こうして私が書いた増田を読んでいるあなたもまた、この瞬間、私と会話をしている。いや、あなたがこれを読んでいる時点で、もう私はここにはいないのかもしれないけれど、少なくともこの文章を通して私たちはどこかでつながっている。

そう書いた瞬間、私はふと、この「つながっている」という感覚について考え始めた。いや、正確に言えば、私がここで「つながっている」と書いたとき、その言葉を読むあなたの頭の中で何かが動き始めているのだと考えるべきかもしれない。例えば、今この瞬間、あなた脳内には「この文章を書いた人は何を言いたいんだろう?」という疑問が浮かび、あるいは「まあ、そういう小難しいことを言いたいだけだよね」と呆れた気持ちが湧いたかもしれない。

でも、それもまた一つの接触点だ。私が書いた言葉が、あなた意識に波紋を投げかける。それがポジティブものであれネガティブものであれ、私たちは今この瞬間、物理的には別々の場所にいるにもかかわらず、思考交差点に立っている。これを不思議と思わずして何を不思議と思うだろうか?

ここで気づいてほしいのは、この文章のものが橋のようなものだということだ。私が言葉を選び、それを並べ、送り出す。それを受け取るのは、何千キロ離れたどこかの机の上に座る、見知らぬ誰か。あなた。私がどんな顔でこの言葉を綴っているかあなたは知らない。あなたがどんな顔でこの言葉を読んでいるかを私も知らない。でも、それなのにこの文章あなたの目に届き、私はこうしてあなたに話しかけることができる。

そしてここで、私はある種の実験を試みたいと思う。この文章が、ただの文章のままで終わらずに、私という存在あなたという存在が、少しだけ近づくきっかけになったらどうだろう。例えば、あなたがこの文章を読んでいるときに、なんとなく「書いているこの人、なんだかしつこいな」とか「もう少し簡潔に言えないのか」と思ったならば、それはすでに私があなたの中に存在しているという証拠だ。言葉を通じて、私の思考あなたの中に入り込んでいるのだから

もちろん、私はあなたの顔を知らないし、声を聞いたこともない。あなたコーヒーを飲みながらこれを読んでいるのか、満員電車スマートフォンを覗き込んでいるのか、それとも仕事の合間にひっそりと目を通しているのかもわからない。でも、どんな状況であれ、あなたがこの文章を読んでいる今、私たち出会っている。あなたの目がこの文章を追い、あなたの脳がその意味解釈する。それは、私の言葉あなたに届くことで初めて成立する行為だ。

ただ、それを言葉で「つながっている」と表現すると、どうしても味気ない感じがしてしまう。だからこそ、この文章を書いている私が、あなたの中に何かしらのイメージを植えつけたい。例えば、私が今、画面越しに手を伸ばし、あなたの目の前に現れているとしたらどうだろう。いやいや、そんなのはただの妄想だと思うかもしれない。でも、その妄想の中で、私とあなたが初めて握手を交わしたとしたら、それはただの文章を超えた「出会い」だと言えるのではないだろうか。

──だからこそ、ここで握手をしよう。

これを読んでいる「増田」という名のあなたに。

読者として、いや、このメタの一部として。

ありがとう。そして、また。

どうか健やかに

歌われない校歌

娘の通う小学校が150周年だということで、記念のクリアファイルを持って帰ってきた。

ふと印刷されてる校歌歌詞が目に止まり自分も同じ学校に通ってたので「懐かしな」と眺めてたら、記憶に無い四番の歌詞があることに気が付いた。

「あれ、校歌って四番まであった?」と思わず呟くと

「そうそう、四番はなんか歌わないことになってんだよね」と娘。

そういや体育館校歌プレートが掲げてあるけど四番の歌詞もあった気がする。でも歌った記憶は無くて、存在すら認知してなかった。

改めて歌詞を見ると『郷里お国のために尽くせ』という内容で、あーこれは…となった。

なぜか家にあった郷土史を引っ張り出して調べると、前身となった学校から現在名前になったのが120年前。

校歌の成立がいつかは不明だが、戦後になって「流石にこの歌詞子供に歌わせるのは不味い」となったのは想像に難く無い。

ただ歌詞の変更や抹消までしなかったのは、歴史を忘れず考えるきっかけを得られるという点において慧眼だったと思う。歌詞としては存在するし特に隠しもしないが、歌わない。

恐らく消極的な落とし所として「歌わない」となっただけと思うし、なんなら「長いし、昔から歌うのは3番まで」という可能性まであるが。

自分自身80年代子供として過ごした訳だけど、四番の歌詞にうっすら覚える忌避感は大事にしたいと思ってる。

仮に将来、四番を歌わないことが大袈裟意味を帯び、歌唱の復活が議論されるとしたら、かなり嫌だ。

2024-11-15

anond:20241115000009

国会図書館80年代初頭の「マイコンブーム資料を漁っていたら、マイコン嫌い、マイコン拒否症、マイコン恐怖症などという言葉が頻繁に出てきた。これだけ見ると、日本人って新しものに対する拒否感って強いのかなと思ったりするけど、逆に産業用ロボットなんかは欧米では労働者抵抗で導入が遅れているけど、日本ではどんどん導入されてるみたいな話も書いてある

でも80年代以降だけでも作業自動化で多くの仕事消滅したり、労働価値が低下してきたことは確か

人員削減の影響で買った製品サポート窓口に中々たどり着けないなんて話があるけど、大企業なんか人事は歩合制の就職エージェント化、総務部経理ITは外部委託でほぼ中の人がいなくなって、自社の制度を知りたくてもAI自動応答しかなく全然回答にたどり着けないってこともずいぶん前から起きてる

他人事じゃないよね

2024-11-14

anond:20241114131308

それなら80年代70年代と遡るほど保守的児童買春が盛んでないとおかしいよね?

そうやって無理やり悪魔化しないでいいか

90年代以降に児童買春が盛んになった理由フェミ未成年セックスを紐づけたからだよ

2024-11-13

ハイファッション史上もっと重要デザイナー10

当たり前だけど全て主観です。

1. ココ・シャネル

 戦後から現代に至る女性向けのハイファッションのベースを作ったと言っても過言ではないと思う。

 ココ・シャネル以降、ハイファッションが多様化ドレス服に限らない仕事や遊びにも使える自由モダンな服が広がっていった。

 彼女がいなかったらモード世界欧州に閉じたローカル予定調和文化に留まっていたかもしれない。

 ジャージーツイードなど素材の転用も有名な話。

 シャネルショーウィンドウ見るたびに思うけど分かりやす流行を取り入れようとしない。

 一見するとコンサバに見えるんだけど一方でちゃんと新しさを感じる。

 独自世界でずっとアップデートし続けている。

2. クリスチャン・ディオール

 ココ・シャネルと並んで当時のモード帝王

 ハイファッションというか上流階級ファッションドレスの再定義をした人かな。

 実際現役時代写真を見ると素材使いと仕立てのバランスがめちゃくちゃいい。男目線でもドレスの膨らみと丈のバランスとか神がかったセンスだと思う。

 と思ったがサンローランがデザインしてた時代かもしれん。古すぎてよく分からん

 のちにエディ・スリマンディオール・オム再ブレイクしたのはもう別物と思ったほうがいい。

 あれは元のクリスチャン・ディオールとはほとんど連続するものがない。

3. カール・ラガーフェルド

 80年代から90年代にいたるモード不毛時代に数々のレガシーブランドを若返らせることに成功したらしいがあんまり知らない。

 初代デザイナー引退後にブランドを畳まず再構築するために外部からデザイナーを雇うことは今では当たり前だがこの人がそのテンプレートを作ったんだと思う。

 彼がいなかったら業界全体がオワコンになり昨今のラグジュアリーブランド全盛時代最近中国不況でまた陰ってきてるみたいけど)はなかったかもしれない。

4. ジョルジオ・アルマーニ

 軽いが上質なミニマルファッション先駆者

 素っ気ない服でも素材や仕立てによってラグジュアリー足りうることを示した。

 「アンコン(ストラクテッド)ジャケット」といって肩パッドが入ってないジャケットを作ったのもこの人。

 一度ジャケットを試着したことがあるが軽くて仕立てがきれいで買おうかと思ったけど想像の2倍近い値段で諦めた。

5. 川久保玲

 日本人だったら、いや日本人でなくとも10選に選ぶであろう。

 ボロファッション、左右非対称、切り替え、脱色、縮絨、製品染め、ジェンダーレスなどあらゆる手法を使って既存ファッション脱構築してきた。

 パリコレデビューから40年以上経つのに未だ健在。コムデギャルソンフォロワー出身デザイナーも多い。

 一時期ハマったがジェンダーレス風味が強くなってきて手を出さなくなった。

6. ドリス・ヴァン・ノッテン

 ハイファッション史上ということでアントワープから一人は選ばないといけないんだけど自分マルタン・マルジェラでもラフシモンズでもなくドリス・ヴァン・ノッテン

 革新性という意味では他の5人と比べると穏やかで分かりにくいが、彼も伝統服やワークウェアの様式を持ち込んでハイファッションとして昇華するという重要役割を担ってきた。

 少しひねりがあるがいわゆる「着れる服」でハイファッションのリアルクローズ化を進めた。

 昔のシャツニットパンツを持っているがまだ使える。

7. トム・フォード

 グッチの起用で大ブレイク80年代完全に死んでいたグッチを蘇らせた。

 本人の見た目通り男性向けにはマッチョな服、女性向けにはセクシーな服で現在ジェンダーレス世界とは一線を画すが、ハイファッションらしく仕立てがよく品が漂うのはやはりセンスの賜物だろうと思う。

 日本人平板な体型には最も似合わないであろうデカピークトラペルのジャケットには憧れた。

 あのラペル見ただけでトム・フォードって分かる。

8. エディ・スリマン

 ハイファッション史上というとちょっと役不足な感もあるが、2000年代タイトファッションの潮流を作った人で当時抜群の人気を誇ったので挙げざるを得ないか

 オーバーサイズ全盛の今では信じられないが、当時スキニーじゃないジーンズなんてアメカジ好きなコンサバおじさん以外は見かけなかった。

 それくらい人気が高くハイファッション内外への影響力が絶大で、セレクトショップオリジナルコピー商品をよく見かけた。

 ディオール評でも触れたがブランド再構築というよりブランドクラッシャーだと思う。

 今はセリーヌでフィービー・ファイロ後の後始末をやってて残念な感じ。

9. キム・ジョーンズ

 ここ10年のモードストリートファッションクロスオーバーはキム・ジョーンズがきっかけだったと思う。

 単にストリート形式を流し込むだけのパイプ役に留まらず、非常に有能なデザイナーでもあり固有の世界観とセンスを持っている。

 ブランドイメージを壊さなギリギリのところで着地させるセンスはとても現代的でブランドからも使い勝手が良いのだと思う。

 マーク・ジェイコブスと似てる。というかルイ・ヴィトンがそういうデザイナーをうまく見つけてるのかな。

 今はディオールリブランディング中でちょっと落ち着いてしまった印象。

10人と思ってたけど9人で止まってしまった。

もう1人誰だろう?

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