はてなキーワード: 原作とは
もう、自分は老人だし、夢みたいなことというか、自分が今子供だったらの夢を語ると、
ノーベル賞じゃないけど、今不可能なことを可能にする、それはAIもパクりようがないんで、
シンギュラリティでAIがサクッと解決するかもしれないけど、それでも解決できない問題はあるはず…😟
ガデュリンって昔のOVAに登場する主人公はサラリーマンで、上司がAIのロボットなんだけど、
上司はいわゆる仕事ができない駄目なサラリーマンで、名刺を渡すとか、自分の上司へのおべっかは上手い、
多分、飲み会のお酌とかは上手い、みたいな変なAIなんだけど、なんかこういうのいいなあ、と思ってて、
攻殻機動隊で、アニメもまあいいけど、原作でもフチコマ同士で、
昔あった動物系四コマとかSNSの動物エッセイ漫画好きだけど個人的に絵柄に思うこと
絵がリアルすぎ→一部を除いて大抵は写真の方が可愛い。漫画じゃなくて写真でそのシーンを見せて欲しい
絵がデフォルメキツすぎ→アニメハム太郎〜プリキュアの妖精くらいデフォルメきついと事前知識なしにその動物として認識できないし、動物よりも作者自身の分身を押し付けられている気分になる
程よくリアル、シンプルなデフォルメ→大人も使える感じの雑貨〜原作初期のハム太郎くらいのデフォルメだと現実の動物と同じくらい愛おしい。
・笑い男たそ〜〜〜
も、萌え〜〜〜
物語のメイン事件についてモブ時点でワチャワチャ話してる内にそのそのモブの内のひとりは…?なやつすこすぎ
・メカへのロマンと共に「インターネット」について取り扱っていてよかった
・大塚明夫の声帯で半人前扱いキャラ…!?と思ったが段々萌えてきた
・えっ原作だとバトーさん、素子さんのこと特に好き気味な感情抱いてないんか??!
・映画とか9課メンバー招集編とか2期とかも流し見したけど、オムニバスじゃなくて繋がってるかつ設定が難しくてちょっと難しかった
原作ではとにかく死にやすいわダメージ与えられないわ(しかもスーファミ版だとサマル不在でもクリア可能)という低評価のサマルだが、本作では大変優遇されている。
後半以降、クリア後まで主要なダメージソースとなるギガデイン・ギガスラッシュさらにはベホマズンまで、使用可能なのはサマルだけである。
(ギガデインはとあるアイテムで一応他のメンバーも使用可能だが、それが手に入るのは裏ボス倒せるレベルになってからなので、攻略中はサマルしか使えない)
ムーンが必死こいてイオナズンぶっぱしようが、ローレがいなずまの剣振り回そうが、その2倍3倍の全体攻撃をブンブン行くのが本作のサマルである。
誰か死にそうになると、ムーンやらサマル(妹)やらが必死にベホイミやらけんじゃの石だの2重がけして赤文字HPを黃文字に戻した後に、涼しい顔でベホマして白文字にするのが本作のサマル(兄)である。
弱点と言えば大技をドカンドカン使うせいでMPが枯渇ぎみになる事だが、本作は不思議なボレロやしあわせの帽子など、MPに優しい装備も中盤に入る頃には手に入るので、多少防御力に目をつぶれば問題なくなる。
ザオラルやザオリクも(最終的にはムーンも覚えるが)先に覚えるのはサマルである。
皮肉な事に、この「強力な回復手段を持ってるのはサマル(兄)だけ」という環境のせいで、長期戦になるボス戦ではサマル(兄)は回復役になってしまい、ろくすっぽ攻撃するターンが無いだが。バイキルトも、物理攻撃力順になるのでまずローレ、次にサマル(妹)、サマル(兄)は3番目であり、サマル(兄)にバイキルトかけたい頃には凍てつく波動が飛んできたりマホトーン食らったり眠ったりするやつが出てきてサマル(兄)にバイキルトどころじゃなくなってる事だが。総じて、「雑魚戦では主要攻撃役、ボス戦では回復役」なのがサマル(兄)である。
ついでに、サマル(妹)も強い。ムーンの最強技(超必殺除く)のイオナズンまで覚える上に、単体攻撃でローレをともすれば凌駕する双竜打ちを覚え、クリア後に出てくるやたら硬い雑魚敵を一匹ずつ始末してくれる。黒い霧で魔法使えなくなっても、ヒップアタック位しか使えなくなるムーンと違って、サマル兄妹はほぼ弱体化しない。ルカニやフバーハも覚えるので、ムーンが手が回らない忙しさになるボス戦序盤や凍てつく波動後を的確にフォローできる。
ついでに、ムーンしか生き残ってないムーンブルクや、王妃が亡くなってて子供がローレだけのローレシアと異なり、サマルトリアは国王も王妃も健在(夫婦生活も2階のお宝漁った限りでは円満)かつ子供も2人、と盤石の体制である。
ラダトーム王やデルコンダル王もいい歳こいて王妃や子供がいないし(デルコンダルは庶子がいそうだが)、ロンダルキアはアレなので、次の時代の覇権はサマルトリアだなこりゃ。
私のISに関する知識はほんの少しだ。原作小説も読んでいない。
しかし、原作がラノベであることは知っている。キャラも少しわかる。
なぜかと言えば、ISはやる夫スレではおなじみの作品だからだ。
いま、やる夫スレ読者や作者がどれほどいるかわからないが、私は読者でも作者でもあったので、ISはちょっぴりわかる感じだ。
いまはやる夫スレからは遠ざかってしまった。創作活動もしていない。
そんななか、dアニでISを見つけた。
思えば本篇を観たことはなかったから、観てみることにした。そういう流れである。
いきなりだが、OPの「STRAIGHT JET」は聴いたことがある。
学生のころ、夜中まで勉強するときにYouTubeで「アニソンメドレー」と検索し、適当な動画を聴いていたのでよく覚えている。
さて、本篇。
ISはナントカ条約で軍事利用は禁止とのこと。なのに男女の権力勾配に影響を与えているらしい。
スポーツでしか使わないのにそうなるのは、ISスポーツは古代オリンピアなみに人気なのか?(ツッコミポイント+1)
2025年現在から見ると、暴力系幼馴染とか高飛車クラスメイトとかかなりベタだ。
それから14年でサブカルのキャラ設定も変化したことがわかり、感慨深いものがある。
そうは言っても、私はサブカル文化人などではないから、こういう意見はネットに転がっている言説の影響を受けていると思われる。
まあ、男が女の園に一人投げこまれたら、噂の中心になるのはあると思う。
ただ、男が女より弱いのが常識なら、なんで主人公をクラス代表に推薦するんだよとは思った。
なんだか総じて批判しかしていない気がするが、そんなつもりはない。
穿った目で観ているわけではなく、思ったことを垂れ流しているに過ぎない。
それで言うと、キャラデザは良いと思う。好みだ。
他者の考えではなく自分の考えをストレートに表現しようというのが、この感想執筆の裏テーマだ。
結果としては、とっ散らかった感想になってしまった。回数を重ねれば、洗練されると信じることにする。
次回、IS<インフィニット・ストラトス>第2話「クラス代表決定戦!」でお会いしよう。
いやー、あの原作もよかったけど、移植されるたび評価が下がる1&2を、良くぞここまで練り上げてリメイクしてくれた。
今まではドラクエランキングを見るたびに『最高は2なんだよ……(次点で7)』と心の中で呟くしかなかったのが、今作をプレイした後なら堂々と言える。最高は2なんだよ!(次点で7)
序盤で『ロンダルキア王国』とかいう名前が出てきた時には、また妙な新設定ぶちこんで来たもんだと思ったが、
終わってみると決戦に向かう終盤なんてロンダルキア王国物語だったな。
ネタバレは極力避けるが、原作でも最後のベースキャンプとなるロンダルキアの祠の神父の『光、あれ』という最初にしか聞けない渋いボイスが、本作のベストボイスで、なんかそれだけで泣けた。
話がそれたが、エンディングの慕われてるあの人でも泣けた。(ネタバレなので書かないが)
真エンディングについては、本当に書かないどこ。
それにしても、CMやら見てた時は、海底はお使いクエスト的に追加されたのかと思ったら、第2のワールドマップとして全世界が対象になってて大満足だった。ドラクエ2って、移動が不便なせいで、世界の広さを感じられたんだよね。昨今はルーラが便利になってしまったのであんまし苦労しなくなったけど。
サマルが、のんき者というより、どっかおかしいんじゃないかと思われる性格になっていた。
躁状態に近いというか、「いただきまーす」っておまえ、曲がりなりにも生命のやり取りだよね……?
あとムーンが原作より健気になってたな。原作では最初にパーティに加わる時以外に、エンディングで一度だけ会話する機会があり「こんな性格だったのか」と印象深いのだが、そこからは王子2人を相手に遠慮なくズケズケ行ってた明るい子なんだろーな、という雰囲気があり、ゲームブック版のムーンの性格などはそれに準拠してるのか、とても強気かつ強情(一部では酒豪)な性格付けがされてたのだが、本作では折り目正しいというかハーゴン相手でも『あなたの悪行もこれまでです』みたいな威厳を払っている様子だった。
俺の中では、ムーンがハーゴンにかける第一声なんて「アンタがハーゴン? ずいぶん奥に引きこもってくれたおかげで時間かかったけど、とうとう追い詰めたわよ。覚悟はいいわね?」くらいの勢いで、リーチに入ればいかずちの杖でボコ殴りにしてローレやサマルに羽交い締めで止められるキャラ付けだったのだがな。
さすがに原作の性格のまま全編フルボイスでは王子2人が気の毒過ぎたのか……。
■印象に残ったボスについて
本作は、中ボスが多いし強い。まあ、昨今のドラクエはボスが多いから、昨今並みに引き上げられたのだろう。
しかし、強い以上に、唐突に戦闘に入るのが苦労する理由。『これ以上進むとボス戦になるなー』というラインが明確ではない。
もちろん、『そろそろボス出そう』というのはあるのだが、最後の一線が見えない。扉開けたら問答無用で会話が始まってそのままボス戦になだれ込む展開やら、ボスのいる広間に足踏み入れると問答無用で(中略)ボス戦になだれ込む展開やら、『あと一歩進んだらボス戦だから準備しよー』というラインが見えないので、2度ほどMP枯渇状態でボス戦に突入して全滅した。
で、印象に残ったボスだが、
満月の塔のやつと、ムーンペタの水の紋章のやつと、幽霊船のやつ。
位置付け的にイキった雑魚みたいな出方したくせに、鬼のように強かった。いやー、マジで強かった。2度と戦いたくない。
もちろん、レベル80に到達した今となっては秒殺だろうけど……。
あと、アトラス・バズズ・ベリアルにもキャラ付けされてたの良かったな。
バズズは、典型的な『おちゃらけた性格と見せかけて本気出すと怖い』やくざみたいなキャラかと思ったのだが……。
■武器について
本作は武器が原作より遥かに充実してるので、原作で存在感が強かった武器が空気化している。
いかずちの杖とか、水のはごろもとか、原作と同じ方法で手に入るが、性能的にもっと良いの持ってるので結局一度も使わなかった。悪いなドン・モハメ。不思議なボレロの消費MP半減というメリットの前では、多少の防御力なんてどーでも良いんだわ。それに、原作では属性攻撃という概念が薄くて炎吐く敵がメッチャ強かったから、炎攻撃に強い水のはごろもに意味があったが、今は吹雪やら稲妻やら色々飛び交ってるからな……。
そして、1では大いに役に立ったメダル王だが、2ではろくなものくれない。
■とった戦法について
素直に戦うと負けるようなボス戦では、全ての実でドーピングしまくったローレが『におうだち』で攻撃を受け切り、その間にサマル兄妹とムーンが補助魔法で戦闘態勢を整え、3ターン目辺りから集中的にダメージを与える、という手段をよく使った。
無限の回廊を突破してHPとMPに余裕がでてからは、何があろうと1ターンやそこらで全滅することは無くベホマズンが間に合うので、1ターン目でローレは究極奥義準備、ムーンはやまびこの帽子でローレにバイキルト二重がけ、サマル妹はやまびこの帽子でボスにルカニ2重がけし、2ターン目以降はローレは特攻、サマル兄はベホマズンという基本戦法で大体4000位のダメージを与えられるようになった。
■総評
いやー、神リメイクだった。
2のファンならやって損はない。
ただ一点、今までは『ストーリーが空気ゆえに想像の余地が大きかった』事も魅力の一つだったドラクエ2も、これでストーリーや各キャラの性格が明確化してしまったので、想像で補う遊び方はできなくなったかな。
3人の関係性とかね。
最初からこの作品だったら、破壊神を破壊した男とか描かれなかっただろうね。
俺の中のドラクエ2の主人公たちは、少しだけ性格や関係性が本作とは違うんだわ。
とはいえ、今まで世に出された『ドラクエ2ストーリー』の中では文句無しに最高の1本であったと認定したい。
スタッフお見事でした。
はじめに。
内容はまったく肯定的でないです。
本文中、主語がざっくりしている箇所がありますが、この文章の目的上、「アニメ銀八を楽しめていない〇〇」であることを含みおき下さい。
楽しんでご覧になっている方や、銀八や銀魂が大好きで面白い面白くないは関係ないんだという方はご気分を害される内容のはずです。
自分自身の気持ちの整理や一感想として残しておくこと、また、同じように感じている方に届けばいいなと言う気持ちで書きました。
したがって、作文の程度は低いものですので、お目通しになる際は、可読性についてはご容赦ください。
よくある5段階評価を付けるなら、決して星2を超えない。
星1ではなく2なのは、声優さんの演技や製作の苦労といった、クリエイターへの“同情”から。
まるちばーす祭りもライビュを昼と夜の両方見に行ったり、銀八放映開始を本当に楽しみにしていた。
それがどうして低評価となったのか。
Xやレビューサイトで評判を調べれば、多くの人が次のように口を揃えている。
「テンポが悪い」
賛同する。
「ギャグが滑っている」
「銀魂本編のノリと違う」
これも確かに言える。
何故こんなふうに言われるのか。
まず、『銀八先生』シリーズの原作小説は空知先生ではなく、大崎知仁先生が著されている。
ギャグの雰囲気に違いを感じる人がいるのは、書いている人が異なるためもあろうと理解できるが、私が読んだのはシリーズの折り返しまでであるものの、原作小説も十分“楽しめる”内容とクオリティだった。空知先生も「(ノベライズの内容は)銀魂そのものだ。自分の代わりに大崎先生に書いてもらうことにする」と冗談めかしながらも太鼓判を押していたくらい。
元は普通の小説を書かれる作家さんであることは、銀八本文内の表現や言い回しに滲んでいる。だから、文体をあえてここまで落として、よくあのハチャメチャな作風を文字として表現できたなと、私は銀八原作小説を結構高く評価している。私が読んだのが半ばで止まっているのは、その“あえて落とされた文体”が個人的に合わず、読むのに大変な体力を使うからで、内容の退屈さからではない。
なので「原作小説からそもそも面白くなかった」という声は、この若年層向けの文体が合わなかったものではないかと推察している。こう言っているのは、高校生以上の読書慣れした人が多いのではないか。小中学生なら取っ付きやすくハードルの低い文体だと思う。
だから「ギャグが滑って」「面白みを感じない」のは、場面転換や時間経過表現、セリフとセリフの間の妙なテンポの悪さが寒々しいからではないだろうか。その寒い所へBGMのアシストもないので、笑わせるつもりのネタも響いていかない。そうして場がシラケるような気まずさを視聴者に与えるのだろうと思った。
では、何故テンポが悪いのか。
文字ベースの原作小説をアニメにすると恐らく尺がギュッとして足りなくなる。これを30分枠で一本の作りにしているため、間が持たずタラタラしてしまうのではないだろうか。
割り切ってAパートとBパートで分ける、クレしんのような形式にすればここまで間延びはしなかったのではないか。何話目か忘れたが、この構成の週は間延び感が緩和されて感じたので、的外れな発想ではないように思う。
さらに、原作小説そのままでは尺が足りないのであれば、元を削るようなことはせず、アニオリはその不足分を充填する要素として用いればいいのに、何故か原作小説の内容を削ってアニオリを入れてくる。これが面白いなら構わないが、面白くないから賛否別れるハメになっている。
複数のレビューで同様に見られた表現が「二次創作みたい」というもの。これには唸った。
例えば2話か3話のアバンで、銀八が生徒らが幼児化や獣化する白昼夢を見る。正直公式のアニメにそういう供給は求めてない。
見るのはオタクばかりじゃない。天下のWJの目玉漫画でギャグの人気が高いんだから、漫画が好きな普通の人たちも読んでいたしアニメも見ている。評判を調べていても「懐かしいと思って見てみた」という人も多い。
そうした需要の様相に対して、特定の、狭いニーズに向けたようにも感じられるショタ化ロリ化、ケモ化といったイロモノネタは面白くないどころか笑えないとさえ思える。
銀魂アニメのアニオリは、いい意味で、空知先生と同年代か少し上のおじさんたちが、おじさんホイホイやキワキワの下ネタでアニオリを突っ込んでくれていたので、作品との相性が良かった。しかし今回は監督も脚本も女性で、恐らくそうした方面への解像度が以前の上流工程陣ほど高まりにくいのではないだろうか。
銀魂アニメの監督さんたちは現在50代前後の男性で、彼らの子供時代にはまだ家庭科授業は女子だけというような区分があった。男女で見えるもの、培えるものに今よりも差があったことは想像しやすい。
加えて、キャラクターの扱いや動かし方といったものも雑だ。分かりやすいところだと高杉や土方。
頬をこけさせ好物を吸引する土方が、バケモノのように揶揄され、その姿をくどく使いまわしていたところや、ギャグを放とうとして滑り散らかす高杉というネタも、それしか弾がないかのように繰り返し繰り返しで、大変しつこかった。大抵の繰り返しネタは二回、内容や出来によっては三回程度なら繰り返していいが、この浅さで動かされるキャラクターネタを二度三度見せられるのは御免だと思った。
深夜放送とはいえ学園設定、学生ものであるゆえに、昨今のコンプラ意識の変容による縛りを余儀なくされ、表現の幅・深度に制約があることも考えられるが、どちらにせよ、アニオリ部分に面白みを感じられない。
「そういうのは二次創作でやる」というやつだと思う。公式なら、ちゃんとキャラを動かしてほしい。
従って、全体的に惜しさ、つまらなさ、退屈さ、以前のアニメとの差異を覚える流れは以下のセットだと推測。
音の乏しさ。テンポのもたつき。イマイチ乗らない視聴者の気持ち。シラけ、空回りした空気。キャラクターの掘り下げの甘いネタ。さらにシラケる視聴者の心。以下ループ。
声優さんの変わらない演技とプロ意識、及第的な作画で体面は保たれているが、原作小説の履修、未履修に関わらず、自然のうちに期待のハードルが上がっていたものが銀八アニメでは叶えられなかったということなのだと思う。ましてや、まるちばーす祭りなど、公式サイドが気流を上げまくっているのだから、期待値とともにハードルは上がって当然だ。
1話のアバンでも確かにこの事については触れていた。「渡されたバトンが重い」と。
でもね、と。
これについても言及したい。
プロが、クオリティの担保をできないことを、いくらやりたい放題ギャグ作品であろうと、「別物だと思って」と言い訳めいた建前を設けたことには、はっきり拒否感情を覚える。
確かにメタさは銀魂の醍醐味のひとつだ。けれど、これまでよくネタにされてきた、オマージュをやって色んな偉い人に怒られたというメタエピソードは、視聴者を楽しませるためにギリギリアウトのことまでした結果、BtoB的にはひんしゅくを買ったという話なのであり、今回のように、BtoCで十分な提供が出来ないことを言い訳がましく置き石するようなネタとは性質を全く異にする。例えば環境が整えられる状況でなかったとか、無理な予算や納期で進行していたという話はエンドユーザーには関係の無い話である。製作者らで談義したり解決すべき話なのであり、消費者をそれに巻き込まないでもらいたい。
ちなみに、銀魂アニメの時のような、外部のひんしゅくを招きかねないリスクを再びなぞってほしいと言っているのではない。あれらの話は、何度頭を丸めようが、額を床に擦りつけようが、立ち続けられたプロデューサー、その他製作の偉い方々の多大なる自己犠牲の上に成り立っていた。彼らが笑い話として盛り込んでいても、それはご本人の類い稀なる胆力、相手方や周囲の理解と協力によって我々に届けられていた。だから、また同じことをして笑わせろと要求している訳では無いことだけは、忘れずに言い置いておきたい。
山崎ががんばる話でした。地上波でもつい先日放送されたみたいですね。
原作である「Histoire d'Ali-Baba et de quarante voleurs exterminés par une esclave」にも
「Sésame, ouvre-toi」と記されており「ゴマよ開け」というのは原作準拠
アリババと40人の盗賊は千夜一夜物語の一篇とされているが実は原典には存在せず
18世紀にフランスの学者によって付け加えられており、アラビア語の原作が存在しない
千夜一夜物語の写本の目録にこの作品があったため「やっぱ原典あるじゃん」となったが
その後の調査によりその写本自体が18世紀以降に作られたもので
学者のアリババと40人の盗賊を逆にアラビア語に訳して描かれたものであることが判明し
学者は現地の人から聞いてんと言っていたがそれも後世では疑わしいとされている
またこいつは「アラジンと魔法のランプ」も原典がないのに勝手に付け加えており
https://b.hatena.ne.jp/site/comic-walker.com/
「異世界おじさん」
「ニセモノの錬金術師」
「対ありでした」
「ほのぼの異世界転生デイズ~レベルカンスト、アイテム持ち越し! 私は最強幼女です~吉元ますめ(著者) / しっぽタヌキ(原作) / わたあめ(キャラクター原案)」 ←くまみこの作者が作画してる
『わたなれ』アニメがヒットして『ささこい』アニメが失敗したの悔しすぎる。
こんなことXじゃ言えないから、ここに書くのですが…。
『わたなれ』の劇場版の注目度、すごい。元々上映期間が区切られていたにも関わらず、延長したりしている。これは大成功と言ってもまったく差し支えない大成功だ。
もちろん嬉しい。わたなれは好きだ。
知らん人に説明すると、わたなれアニメはラノベ原作アニメ。女の子同士が恋愛するいわゆる百合というジャンルで、雰囲気的にはラブコメかな? TVアニメ版の終了後、その続きの劇場版が現在公開されている。正式タイトルは『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)』。
一方、ささこいアニメは漫画が原作。『竹嶋えく』という日本一上手な絵で百合漫画を描く漫画家の作品。こちらも雰囲気的にはラブコメだけど、バンドモノという側面もある。正式タイトルは『ささやくように恋を唄う』。
まぁね、難しいと思ってたよ、ささこいのアニメ化なんて。期待してなかったし。ABEMA独占配信とか、わけわからんし。そもそも竹嶋えくの美麗な漫画・イラストの作画をアニメ化することそのものが超々高難易度だ。ムリムリ!
ムリじゃなかった……
後発のわたなれアニメがヒットした。
実は、わたなれの原作イラストも竹嶋えくが描いてる。わたなれは、竹嶋えくの作画をアニメのキャラクターデザインに上手に落とし込んでいる。
一方ささこいは、キービジュアルこそ竹嶋えくのエッセンスを上手に拾っている。しかし、アニメ本編の出来は…涙。
これはもう完全に私の妄想だし、何様だって話になるんだけど、もし私が竹嶋えくだったとしたら、
「何でわたなれヒットしたのに、ささこいがこんなことになってんねん!!」
と激怒していると思う。
アニメにするのが難しい作品というのは、ある。バンドモノは流行ってはいるけど、アニメにするのは本来かなり難しいジャンルだと思う。それに加えて竹嶋えくという絵に定評のある作者の漫画のアニメ化。失敗して当たり前だよ。でも、それにしたって。
うう涙
俺は悔しいんだ。
わたなれ関連の朗報があればあるほど、ささこいだって、ささこいだって! って…
原作同士の比較で言ったら、百合作品として私はささこいの方が好きなんだ。これは完全に好みの問題だし、そもそもわたなれと比較することそのものがおかしいんだけど、おかしいんだけども、でも…
こんなことになるくらいなら、アニメ化なんてしなければよかったのに。
「こんな改変は原作に失礼だ」
「こんな続編はシリーズに失礼だ」
「こんな売り方は客に失礼だ」
「こんな展開はキャラクターに失礼だ」
どんだけ失礼をクリエイトしたいんだよ?
失礼をクリエイトした先に何があるんだ?
触ってみて思ったんだけど、ギャグマンガみたいなのもムリだったわ。
というか、基本的に画づくりさせるだけでシナリオ構成やコマ割りは人間がやらんと話にならんね・・・・。
イラストみたいに1枚絵だと確かにイラストレーターは厳しくなるかもしれんけど、マンガみたいな視点に動的な要素のあるコンテンツは
現状ポっと出しは厳しそう。
出来てせいぜい1枚絵切り替えの紙芝居みたいな感じかChatGptの4コママンガみたいなレベル。
先日新人賞取った作品は絵は描けないけど構成はかなり勉強した人なんじゃないかな。普通に編集とか原作みたいなタイプにはいいと思う。
なんならその原作、今すぐにでも原作者より奪ってわたしの作品にしたいとすら思うんですけど
あなたたちの好きな作品と好きなキャラを教えなさい、今すぐそいつらが惨たらしく死んだり最悪の結末を迎える二次創作作って送りつけますから
原作ちゃんと読んでないのであれだけど、冒頭で未来人とか異星人とか言ってるけど、
それって、そもそも、くれくれくんじゃん…😟
じゃなくて、ワクワクが欲しいから海外行ったり、宇宙行ったり、深海行ったりするんだし、
金のない自分もネットとかgithub徘徊するのは、ワクワクするなにか、落ちてないかなあ、と思ってるからなわけで、
何も起こらない!つまらん!というのは、単なる、くれくれくんだよね…😟
終わりなきつまらない日常をハルヒも生きてるんだろうし、みんな日常がつまらないと思ってるけど、
つまらないと思うんだったら、今からインド行ってくるわ、とか、アフリカでちょっとライオンと格闘してくる、とか、
今の日本なら、北海道とか東北に行けばクマに遭遇できるよ、という話なわけで…😟
でも、涼宮ハルヒがくれくれくん、つまり、アクティブなようでいながら、
なんだかんだ学校に来る、くれくれくん、じゃなかったら、物語が成立しないんだよね、当たり前だけど…😟
ハルヒは結局、神さまであって、彼女の妄想が現実世界を改変しているわけで、
彼女が本当に行動的なら、まず、学校に来ないと思うんだよね、いきなりステーキ、いきなり不登校…😟
で、インド行ったり、アフリカ行ったり、東南アジアで沈没して、同じヒッピー系バックパッカーと結婚して、
って、昔、どっかで見た女性の話だな…😟
まあ、それがハルヒレベルだと、映画コンタクトみたいに宇宙に行こうとかなるのかもしれんけど、
一般市民としてはそこで限界で、前澤なんとかみたいに札束で宇宙に行くことも凡人には不可能なんで、
そこからLSD使って、人間の意識は拡張できるとか、ドラッグの力で脳内にモデムが形成できるとか、
少なくとも『果てしなきスカーレット』と『国宝』なら、脚本が酷いのは圧倒的に『国宝』の方だと思ったが。奥寺佐渡子がかつて細田守作品の脚本を担当していたという事で、奥寺に戻ってもらうべきだと語る人が多かった。世の中には商業的に成功さえすれば内容も素晴らしいものだと思い込む人が如何に多い事か。
『国宝』の何が酷いって、主人公を捨てて歌舞伎役者の跡取りのボンボンと駆け落ちしたクソ女が、ボンボンとの間に男児を産み奥方に収まって胸糞悪すぎるNTR展開。
主人公との間に娘を産んだバカ女とそのバカ娘も、最後に物語を締めるという美味しい所を持って行って終わり。それまでの歌舞伎に纏わる悲喜こもごもは一体何だったと言わんばかりの子孫繁栄万歳、妊娠出産が大正義エンドである。
しかもこんだけクソ女どもの大勝利エンドなのに、フェミニスト達からは何故か男尊女卑で女性の扱いが酷いという明後日の理由で叩かれてるから意味不明。
はあ?なんでだよ?何の努力もなく強者男性に股を開いて子供を産みさえすれば安泰で、実に恵まれてるじゃん。
それに対して『果てしなきスカーレット』の方は主人公の父から主人公の母を寝取った主人公の叔父も、夫を捨てた主人公の母も地位を追われるオチなので
・キャスト(売りたいタレントとか)優先でネームバリューだけ頂戴した別物にされることがある
・監督とか脚本化の思想優先でネームバリューだけ頂戴した別物にされることがある
・上記でも面白ければまだいいがつまんなかったりテーマ真逆にされたり演技が大根だったりが稀じゃなくてよくある
・別物で面白くない大根実写を見た原作未読勢に原作もこんな話かと思われる←個人的にこれが一番嫌だ
【レアケース】原作者が脚本に無理強いをしてネームバリューだけ頂戴した別物にされる
パッと出てくるのがこんな感じ。
ようやっと果てしなきスカーレット見たけどギレルモ・デルトロのよさが再確認できた
デルトロのフランケンシュタインもフランケンシュタインの二次創作同人誌みたいな内容だったけど
原作を膨らませて一部は置き替えながらも作中での整合性に手を抜いてなかった
果てしなきスカーレットの最大の問題点はハムレットとダンテの神曲の二次創作をする際に
自分の盛り込んだ設定と元ネタの設定の整合性の手を抜いたことだと思う
いろんな擁護勢の文章読んだけどどいつもこいつも言ってることは
細田守はこういうことを描いているんですよというモチーフ読みだけど
桃太郎の途中で犬が銀貨30枚で桃太郎を鬼に売って涙を流す展開が入ってきたとして
いやぁこれはイスカリオテのユダの裏切りを表しているんですねぇって言われても
なんで犬が鬼に桃太郎を売る必要があるんだよそんな前振りなかっただろ!としか思えないし