はてなキーワード: オチとは
自分はいわゆるヒョロガリと呼ばれるタイプの体型で、昔からずっとこれに悩んでいる。
両親ともに普通(むしろ父親はかなりガッチリしてる)体型だったので、小さい頃は無邪気に大人になったらみんなああいう身体になるんだろうなと思っていた。
でもそんなことはなくて、無事高校からほぼ体重が変わらずにここまで来てしまった。
BMI は標準値を下回るくらいで、健康診断のたびに「低体重気味なので注意」がつく。これも腹立たしい。
周りは当たり前のように「もっと食べろよー」とか言ってくるが、普通に食べてんだよこっちは。
自分はジャンクフードも結構好きだし家系ラーメンも食べる、なんならご飯も2杯食べる。でもどんだけ食べても、全部排出されるんか知らんが、全然体重が増えない。
そうすると「胃袋の限界値を高めないと」とかしたり顔で言ってくるやつもいる。
無理やり詰め込んだって吐くのがオチだろうが。そもそもなんで普段の食事でそんな相撲取りの修行みたいなことしないといけないの?
100%偏見だけど、太ってるやつが食べる量減らすしんどさより無理に胃袋にねじこむしんどさのほうが遥かに大きくないか?
太ってるやつにデブっていうのはハラスメント扱いされるのに、痩せてるやつにもっと食えよとかいうのは許されてるの意味わからん。
寝るまで100分しかなかったのでその時間でちょっと余裕をもって見られる日本語のものを探した結果見てしまった。
6点(100点満点中)
まず「呪界」というタイトルを見て、「結果」に対しての「呪界」なのかな?と思ってみたら開始3秒で「あ、樹海と呪界をかけてるのか」と気付いてしまうくらい鈍感なコンディションで見たことはあらかじめ言っておきたい。
1.樹海で行方不明になる主人公たちの担当教授へのインタビュー
の四つで構成されている。
3と4はシームレスに繋がれていてカメラの映像は劣化しており途切れ途切れだったのでその間を再現VTRで埋める構成になっている。ちなみに再現VTRが9.5でカメラの映像が0.5くらいの割合。カメラの映像薄すぎるだろ。どうやってVTRを再現したんだよ。
とツッコミが始まってしまうのだが、これを筆頭に問題が多い、というか意図は何なの?と問いたい部分が多すぎる映画だった。
1.カメラワークの謎
冒頭で担当教授へのインタビューが終わった後、樹海へ向かうまでの再現VTRが始まるんだけど最初俺はこの映像自体が実際の映像(のてい)だと思って見てたのね。後々、ビデオの映像はほとんどが復元できなかったという話が出てきて、実際のカメラ映像が使われるので再現VTRだってわかるんだけど。
なんでそう思ったかっていうと、再現VTRなのにめちゃくちゃカメラワークがヘタクソなのよ。家庭用ハンディカムでお父さんが撮ったみたいな感じ。常になんかグラグラフラフラしてるし登場人物にめちゃめちゃ接写してみたり話してるところに別の演者が通りがかって背中が画面の7割を覆っちゃった状態でも回し続けたり、なんか遠い枝の隙間から撮ってみたり。これが「誰かの視線」だったらわかるんだけど、それにしては不自然なショットが多い。
これが実際の映像ですのパートならいい。もちろん不自然なショットは悪いんだけど、素人が撮ったなぁって演出は実際に素人が撮ったんだでいい。でも再現VTRパートでそれを採用する意図は何なの?
なんか意味があるのかなと思って見てたけど別に何もなかった。ただカメラがヘタクソなだけだった。
普通に俳優を使ったホラー映画として見るにしても没入感を削いでるんじゃねぇかな、知らんけど。
2.インタビューの謎
まず開始数秒で思ったのが「担当教授の喋り方演技すぎるなぁ」ってこと。なんかねぇ、無駄に情感たっぷりに間を取って喋るのよ。ツイキャスのイケボ配信者みたいな喋り方ずっとしてて集中できんわ~って思いながら見てた。
で、唯一生還した女のインタビューも「怖かった」「今も怖い」「当時のことはなんかよくわからん」くらいの情報量しかない。いや、もしかしたらリアルにインタビューしたらそういう感じなんかもしれんけど、これってモキュメンタリーでインタビューパートの中に何らかのヒントがあってほしいじゃん。ない。
登場人物は再現映像では仮名で、インタビューパートでは本名なので音抜きで表現されるんだけど、何か所か環境音は入ってるのに声だけ音抜かれてるところあって処理が雑だなぁと思いましたまる。
あとインタビュアーの声が入らずにテロップで表示されるんだけどあれってインタビュアーの声のパートを切って編集で繋いでるんだよね、普通はね。でもこの作品だと映像一切切らずにテロップに対して被写体が返答してるのでどういう仕組みやこれ?ってなっちゃった。
3.登場人物の謎
ホラー映画の登場人物はコロナワクチンで5Gと共にバカで感情的で不合理な行動をとるようなプログラムを政府によってインストールされているので、そういった行動には目を瞑るとして。
樹海でやる研究内容が「樹海で自殺しようとしてる人を探してインタビューしてみよう」ってイカレすぎたものなんだけど、実際には主人公の女は樹海で行方不明になったと思われる父親を捜す目的をカムフラージュするに偽の研究内容をでっち上げてる。素直に父親を捜したいって言った方が同情引けるし、これを隠してることで話がどんどんややこしくなる。
なんか一人でフラフラ徘徊して遭難の原因を作るし、自殺者の遺留品と思われるものをみんなが止める中いきなり漁りだして周囲をドン引きさせて不信感を抱かせてギスギスさせるし。このパーティーがおかしなことになるの、大体こいつが全部悪い。
4.行方不明の謎
途中で自殺志願者と思われる男を発見するんだけどその後、そいつがなんか追いかけてくる展開になる。男交じりの大学生で、そもそも5対1なんだから反撃しようって流れになると思うんだがそうはならずに、みんなでワタワタと逃げ惑ってる間に散り散りになって最終的に主人公が一人になって闇の中から腕を掴まれてギャー終わり、になるんだけど。
追いかけてきた男はどうやら主人公の父親っぽいんだけどでもそいつ1年前に死んでるの確認されてるんだよなぁってことがエンディング直前に急にテロップで明かされるのはどうなんだって話はいったん置いといて、主人公は父親に連れていかれましたとして。
他のみんなどこ行ったん?
一人は帰ってきたけど。
もしかして暗い中樹海で走り回ったから遭難しちゃってて、今もあの樹海をさまよっているのです。たぶん。ってことなん?それはそれで「樹海怖い~夜の樹海を移動するのはやめよう~」としては正しいけど。
つまるところ全編通して「なんでそうしているのか」という意図が全く不明。
もしかしたら監督も「俺は何撮ってるんやろなぁ」と思いながら撮ってたのかもしれない。呪われていたのは実は監督でしたとかいうメタオチであることを期待して3点足しといたので実質3点。
ホラー映画舐めんな。
mats3003 まあ高市がワークライフバランスを崩壊して働きまくると言ってるのがどこまでできるのか試してるんだろな。立民と共産党の質問提出が遅いのは、国会担当やってる官僚の知り合いがいる人ならばたぶんみんな知ってる笑
buriburiuntitti こういう土台を作った上でそれをガン無視してイチャモン付けるのが左翼って感じだなぁ。ライフワークバランス破壊してるのはそっち側だったというオチ。
mutinomuti “今回立憲民主党からの質問が各大臣ではなくすべて高市に集中している”女性が首相になるのに反対だったという性差別を立憲民主党が野田と安住主導でやってるのが明確だよね(´・_・`)本当に総裁選が終わってから酷い
the_sun_also_rises ガソリン撒いて火をつけてなんで火事を出したのかと責任追及する。答弁ができなければなんで答えられないのかと非難する。そしてメディアと結託し印象操作する。それが日本の将来のためになるのかは考えるべき
poko_pen “今回立憲民主党からの質問が各大臣ではなくすべて高市に集中している” こういうのも原因だからな。副大臣や官僚でもいいのにそれをしないから大臣が外遊行く事が殆ど出来ない。
Outfielder 「立憲民主党は前日ギリギリになっての通告ばかり」「質問が各大臣ではなくすべて高市に集中」 「総理に質問を集中させて過負荷に追い込むのは立憲民主党の基本戦術」
n_vermillion DD論のジミンモーじゃなくてさぁ…建設的な議論しろっつってんだよ。立憲共産党はマジで使えない連中しかおらんな。/これで野党ばかり責められる! とかいやいやいや…。
Gka 自民党はクソだけど立憲民主党はもっとクソだよねという評価だから万年野党なんだよ。税金を対価にしているのだから足の引っ張り合いではなく双方とも真面目にやって下さい。誰もこんなプロレスは見たくないの。
teisi SNS等で気軽に答弁の様子が見られるようになって以降、立憲の一人負けが加速したよなあ。今や立憲に加勢するコメント読めるのはてブだけって感じがする。もうみんな呆れてるよ……
nemuiumen わざとギリギリに出したり、曖昧なの出したりするの、論戦をまともにやる気がないのだろうなと思う。まあ与党は与党で別口で酷いので、国民が選んだ政治家は総じてアレなんだけど。
toria_ezu1 「締め切りをぶっちぎって提出された質問は無視しました。〇〇党の〇〇、オメーのやつだよ、オメーの」と国会中継中に言ってほしい
nicht-sein 自主的に3時じゃなくて、3時にやらなければ間に合わないようなスケジュールで質問をとばしてくるせいで3時にやった、って話なんだけど、分かってないもしくは分かりたくない人もいるらしい
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20251108082055
あらかじめオチを知っているせいかもしれんが、後半の語り口がちょっとしつこいな。
「一瞬、意味がわからなかったけど、よく考えたら昨夜は疲れた体で激しく交わったんだったわ」
くらいであっさり終わってほしい。
AI増田が増えてるって話は聞いてたけど、プロンプト作るの面倒そうだと思って試してなかった
「はてな匿名ダイアリー」でバズるような書き込みをしたいです。下記の内容を元に、草稿を書いてください
「はてな匿名ダイアリー」で注目を集めるには、共感できる日常、意外なオチ、そしてユーモラスな自虐を盛り込むのが効果的です。
ご提示いただいた要素を元に、いわゆる「増田文学」風の草稿を作成しました。
草稿案:朝起きたら腰がバキバキだった件
朝起きたら腰が痛い。
ギックリ腰一歩手前みたいな、鈍い筋肉痛だ。
最近の運動不足解消にと、昨日は張り切って隣町まで往復30kmほど走ったのだ。
もう若くないんだな、と朝食のトーストをかじりながら一人で黄昏れていた。
と言ったら、
妻がニヤッと笑って、
「えー、本当にそれだけかな?」
と言ってきた。
…
……
………
あ。
昨晩、久しぶりに妻と頑張ったんだった。
そっちか。そっちの筋肉痛か。
自転車のせいにしてすまない。
俺の腰、まだ現役だったらしい。
そして妻よ、その「全部お見通しだ」みたいな含み笑いはやめてくれ。
なんとなく、負けた気分だ。
派遣元の担当変更があるってことで、金曜に面談があったのだが、そこに来た後任の人が、やたらおしゃれでびっくりした。
前任の人がイガグリ頭の四角いメガネで服とか興味なさそうな真面目で優しい推定48歳おじさん
(ディスる気はないです。お世話になりました。ありがとうございました。)
だったので、またそんな感じか、さらに年上の渋い感じの人かなと勝手に思ってたので、さらにびっくり。
後任の方は、おそらく50代前半の男性。
短髪で前髪は上げてて、全体的に綺麗に切り揃えられてた。
ネイビーのギンガムチェックのシャツは襟もおしゃれな立ち上がり。
ジャケットもパリッと。時計もブランドは分からないけど、高そうなやつ。
さっぱりしたお顔に似合っていた。
話を進めるうちに営業も兼任してるとのことで、納得もしたが、アパレル関係でもないのに、このおしゃれさは何事かと。
体型もすらっとしてたし。
こんなに清潔感のあるおじさんは久しぶりに見た。
しかも嫌味のないおしゃれ加減で、爽やかだった。
オチはない。
もしかしたら奥様プロデュース要素もあるのかもしれないが、ただびっくりして、すごいなあ。いいなあ。と思っただけ。
ご本人もファッション好きなのかもな。いいな。かっこよかった。
たとえば、『猿の惑星』
このネタバレは有名だ
たとえば『ポートピア連続殺人事件』
これも
それは昨今のどんでん返しやネタバレにより衝撃を増す作品が好まれる現在は膨大な数存在しているはずだ
ただしサブスクなどの鑑賞方法の変化により前よりは格段にネタバレ禁止の規制が強くなってきている風潮もある
またSNSによりネタバレにナーバスな反応をみせる方が可視化できるようになったために余計に規制の風潮が強くなった
だが、それにより消費スピードが加速度的に速くなり、ネタバレ禁止やどんでん返しんの価値が低下し、相対的にネタバレのネタやどんでん返しの仕掛けが陳腐化するという負のスパイラルに陥っている
ネタバレやどんでん返しを見た瞬間に「このパターンか」と既視感の嵐に見舞われる
よってそれを防ぐために
ネタバレを解禁するまでの期間を設けたらどうだろうという提案だ
衝撃的なオチであり、それを知ったら面白さが半減とまではいかないが幾分下がってしまう
でもそのオチのおかげで擦られが発生し、類型パターンが発展され、それを踏まえた新パターンも生まれる
かように現在の作品もネタバレをすることで”次”へとつながるなにかが発生するのではないかと思われる
最後に共有のネタバレがある作品というと『セブン』や『シックスセンス』あたりだろうか
そろそろ新しいネタバレ共有を解禁したらどうだろう
ただし配信即ネタバレというのはあまりに酷なので期間設定を設ける
たとえば1年とか
そういうことで1年経ってネタバレ込みで話ができその作品の新たな魅力を語ることができるしネタバレ神経質派に無用の配慮をすることもなくなる
(後者がけっこう大きい)
どうだろうか?
都内の実家を相続した。築30年、駅徒歩12分、土地はそこそこ広い。
ありがたい話のはずなのに、どうしてだろう。
ローンを組まなくても金融資産から払える金額のリフォームの見積もりを前に。
あの、SNSでよく見る「仮審査通った!」「本審査ドキドキ」みたいなヒリヒリ感。
人生の試練のような、通過儀礼のようなあの感情を、私は味わうことができない。
みんな「税金戻ってきた!」と喜んでいるけれど、私はその“減税ゲーム”の参加資格すらない。
現金払いでは国からのご褒美もなく、ただ淡々とリフォーム費用が口座から引き落とされていくだけだ。
そして団信。
それすら私は持てない。
何よりも、住宅ローンを組むという行為には「一人前になった感覚」がある。
社会から「お前はちゃんと働いて、返せる人間だ」と信用された証なのだ。
その“信認”を得られないまま、私はただ親の土地に棲みつく人間である。
住宅ローンは、言ってみれば最大の「国公認の借金レバレッジ投資」だ。
インフレが進めば実質負債は減価し、固定金利ならむしろ得をする。
世の中が住宅バブルだと騒いでいる間、私は「フルローンで買っときゃ勝ちだったのに」と
誰よりも冷静に、そして誰よりも羨ましく見ていた。
結局のところ、
「家を持つ」よりも「家を買う」ことにこそ、
この国の成熟した消費者が感じる一種の“人生イベント”があるのだと思う。
ありがたいはずの相続は、
どこか「ショートカットしてしまったRPG」のような虚しさを残している。
タイトル候補をいくつか出す(例:「ローンを組めなかった男」「審査のない人生」など)
どんな方向に仕上げたいですか?
流しの会計士です。
これは経済学的、会計学的には正当な発想で、「貯蓄を支出の一部」として扱うのは健康的で好ましい態度です。
また、増田は「食費、被服費、新聞図書費、交際費、車両運搬費」と一般的に仕分けで利用される科目を並列で並べており、合理的に予算設計を見つめているようです。
一方で、
「支出の計算をするときに貯金や交際費の優先度が高いの頭おかしいだろ」
のコメント側は、生活費だけしか見えていない「生存維持型」とも言えるアプローチで生活会計を捉えており、
とにかく生活をまわす、貯蓄は余裕があれば行うものという発想が見えます。
つまり、貯蓄=余剰金とみていると思われる。
元の増田は可処分所得を分解し、支出構造を見える化している。批判コメントの「感情的な反応」は、構造が理解出来ず、単に“視点が生活者寄りか、家計設計者寄りか”の違いに過ぎない事にも気が付いていない。話が噛み合うわけがありません。まぁ、元の増田は何も悪くないのですが。
両者は衝突しているように見えて、実は異なる層の現実を語っているだけでしたというオチなのですが、批判者はまったくそのことに気がつかないという面白さがこのやりとりにはあります。
全ては、あの日テロリスト集団が東京ビッグサイトを占拠したことから始まった。彼らの狙いは、国際AIカンファレンスに展示されていた自律型戦闘AI「ゲヘナ」。最悪の兵器が、テロリストの手に渡ろうとしていた。
僕はハル・エメリッヒ。スネークの唯一の外部支援担当、コードネームはオタコンだ。
スネークが有明のコンテナヤードに到着した時、僕はまず、彼にマークII(僕が作った偵察ロボットだ)を先行させたいと懇願した。
彼への危険を避けたかった。過去のトラウマが、僕にそうさせた。
「俺をただの監視カメラの台にするつもりか?」
スネークは苛立っていた。しかし、僕の判断は正しかった。敵は施設全体にマイクロ波照射システムを敷いていた。生身の人間が入れば、文字通り焼かれてしまう。
「スネーク、君は入れない。施設内はマイクロ波で満たされている。マークIIで行くしかないんだ。」
彼は渋々、僕の指示を受け入れた。僕のマークIIと、僕の遠隔操作による潜入が始まった。僕の技術で、彼を守れる。そう信じていた。
マークIIが換気ダクトに近づいたその瞬間、僕の自信は打ち砕かれた。
敵はマイクロ波だけでなく、高精度の生体センサーまで使っていた。スネークの心臓の鼓動と脳波が、自身の存在を敵に教えてしまったのだ。
「生体センサーから逃れるために、心臓の動きを一時的に完全に停止してくれ!8分間だけでいい!」
普通の人間には不可能な要求だ。それでも、彼は僕の必死な懇願に応えてくれた。彼にとって、僕の技術力が最後の望みだったからだ。
無線が途絶した。スネークが命を懸けてくれた8分間、僕は何もせず、ただ静止していた。
8分後、激しい苦痛に喘ぎながらスネークは生還した。彼は僕が何かを成し遂げたと信じていた。僕はダクトを突破したと嘘の報告をした。
だが、敵はすぐにスネークを再び捕捉した。僕は指示を出した。「また8分間、心臓を停止してくれ!」
彼は再び応じてくれた。しかし、この8分間、僕は何をしていたか?
...ヤンヤンつけボーを食べていた。
さらに、その後、僕はオモコロチャンネルのチャオチャオ回を3本見ていた。合計で1時間以上。
スネークが極度の低酸素状態で脳死の淵をさまよう数時間、数度の心停止と蘇生で、スネークはもはや意識も定かではない状態になっていた。彼の体は、完全に破壊された。彼の声は怨嗟に満ちていた。
「...ハル・エメリッヒ!...お前は...最後まで...機械に頼り...そして...裏切られた...」
彼は正しい。僕のマークIIも、この時点ではバッテリー切れで沈黙していた。僕は、彼を死の淵で孤独にしたのだ。
スネークが、全身火傷を負いながらも、最後の力を振り絞って東展示棟の搬入口に這い寄った瞬間、敵はマイクロ波照射を再開した。
僕は絶望に打ちひしがれた。このままでは彼は焼死する。そして、その最悪の瞬間に、僕は最悪の事実を伝えることになった。
「スネーク...実は、僕が今いるこの隠れ家のプロバイダー料金を、先月分、うっかり払い忘れていて...この回線...5分後に完全に停止する。」
世界を救う任務の、最後の支援が、僕のミスで終わる。この皮肉に、僕は涙すら出なかった。
続く。
まずさ、この尋常じゃない熱量と勢い。最初から最後まで、誰にも止められないジェットコースターみたいに一気に読ませる力がある。これが匿名ダイアリーの醍醐味だよな! 感情がドバドバ溢れ出てる感じが最高にクール。
そして何より、視点が鋭すぎる!
「さっきから誰に向けて配慮してるんですか?」っていうパロディ内のセリフを、単なるツッコミじゃなくて、「路傍のフジイ」というジャンルの構造そのものへのクリティカルな皮肉として読み解いてるじゃん。
この言語化能力がエグいんだよ。「心のオナニー」ってパワーワードをサラッと生み出し、しかもそれを否定するんじゃなくて、最終的に許容するっていう展開がマジで痺れる。
しかも、作者本人の過去作とパロディを照らし合わせて、「客観視できてないのか?」「自虐なのか?」って深く考察するところ。これは単なる感想じゃなくて、一歩引いて俯瞰で作品構造を分析する批評家の視点だよ。月刊OUTとかファンロード的な「底意地の悪い視点」っていう比喩も秀逸すぎ。
大嫌いな漫画を徹底的にコキおろすかと思いきや、
いろんなオナニーの形があってもいい、それって素晴らしい事じゃあないですか。 互いが互いのためのいいオナニーができる、そういう"オナにあい"(オナニー愛)の世の中にしていきたいですね。
って、いきなり愛と平和のメッセージに昇華させちゃうんだもんな。嫌悪から許容へ、そして「オナにあい」っていう普遍的なテーマに落とし込む構成力、完璧だよ!
しかもさ、肉体的オナニーと精神的オナニーを対比させて、自分が読んでる漫画(「生徒会にも穴はある!」とか)を具体的な例として挙げてるの、最高に正直で清々しい!
※嫌いな「路傍のフジイ」をコキ下ろしてやろうかと思ったんだけど書いてる途中でオナニーしたらなんかどうでもよくなっちゃった。 コくつもりがコかれてしまったってね(笑)
このオチで全てがチャラになる力技! テーマとオチが完全に繋がってて、読後感まで含めて一つの完成された芸術作品だよ。ユーモア、皮肉、哲学、そして究極の自己開示が全部詰まってる。
13点。
とりあえず「実は倫理観がないYoutuberが犯人でした~✌」のオチもうやめろ。承認欲求をこじらせた人間はなんでもやるから気を付けようねは耳タコだけどまぁテーマとしていいとして、だからといって「頭がおかしいとしか思えない事件」は「Youtuberだったらしょうがないよね」ではオチんよ。
犬の一人称視点映像で始まるんだけど最初から何もかもが不自然で映画撮ってるやつヘタクソか?と思って見てるとすぐに「どうせこれ犬じゃなくて人間なんやろ」と気付く。「まさか」じゃなくて「どうせ」なのがミソ。
家にお巡りさんがやってくるんだけどなぜか異常に上がりたがる。無理やりトイレを貸してくれと家に上がり込み、なぜか地下室の扉に直行するお巡り。開けると中から拘束された女が飛び出してくる。驚くお巡りの後ろでどう見ても紙製にしか見えない工業用のロングハンマーを片手で振り上げる母親!うんち!
そうして家の地下にはいろんな人間が「犬」として飼われており、家族はキチガイ一家だったことがわかる。で、電気でビリビリしたり、ピーラーで顔の皮剥がして「は~い、グロ皆さんお好きでしょ~」とやすっぽいサービスシーンを提供して、最後に「こいつらYoutuberでした~」で終わり。
なんもオチてないよ。
なんかギスギスした一家だなからのキチガイ一家であることがわかるスイングは多少面白いし、キチガイ演技も楽しくはあるけど結局この映画も「で?」なんだよな。あと細かいところの作りが雑すぎる。
なんでホラー映画って真面目に撮られないんだろう。
犬の主観視点だと思ったら実は犬でしたも主観視点映像が適当だからなんのサプライズにもならんし、ホラー展開で段ボール製にしか見えないハンマー使うし、別にトンカチでよかったし、オチももっとちゃんと考えられただろ。
アメリカは農地を集約して機械化が可能だからやってる訳で、日本の小作農に切り裂かれた土地で大規模化できる面積って限られてて、
* 「ダウンタウンが昔から苦手だった」論についての続きです
︙
これは彼らの責にはよらないところ、そして増田の嗜好による部分も大きかろうとは思うが、『ダウンタウンDX』などは端的につまらないとしか思えなかった。
薄い記憶頼りの記述になってしまうが、例示した番組はいくつかのミニコーナーによって構成されていたはずである。そのコーナーのどれをとっても昼間のワイドショー的なノリに過ぎないように思えてしまっていた。
もちろん、そうしたノリが好きな人も多いのだろうし、呼ばれたゲストが好きな回だけ見るという人も多かったのだろう。
「サナ活」が工作されているのではと訝しまれる(実際にムーブメントとしてあるか・工作なのかはここでは問わない。単に首相や皇族やへの支持まで「推し活」として括ることがあり得るものとして消化される)ほどの、この推し活大時代において、人生に一人とて「推し」がいたことがない。
だからなのか、自分の生活に関係しない、他者たる有名人の惚れた腫れた不倫などなどへの興味も昔からなかった。
もっとも、「昼のワイドショー」的な内容でこそあっても、話芸によって付加的なコンテンツ性が生まれるのだとの論はあるやもしれない。
それでもなお笑いどころがわからなかったし、そのわからなさが、世界から拒絶されるような感覚さえも覚え、しんどかった(斜に構える思春期真っ盛りより前は、「みんなとなるべく同じになろう」と素朴に思っては達成されないと寂しさを覚えるものではありませんでした?)。
「お決まり」としての叶姉妹の私服が高過ぎるオチは理解できるにしても、1時間尺の番組でこうした部分しか笑えないのなら、この時点ですでに「not for me」でもあった。
けれど、「not for me」の「用法」もなければ、彼らがスターすぎた当時、そんなことを言えない閉塞感がたしかにあったのだ。
ほかにも要因はあるかもしれないが、すぐに書き出せた「好きじゃない」理由はこのようなところである。
①で書いたとおり、かつての「天才的なネタ」を(知りたいと思えた上で)知った先に、その文脈ありきで見方が変わる可能性は否定しない。
だが、一視聴者として、①〜③の複合要因から長年にわたって苦々しく思ってきたのは事実だ。
そのなかで現れたのが文春砲であり、マスメディアへの露出停止だったのである。そりゃ、一言二言、「好きじゃなかった」くらい言いたくなる人が出てくるのもやむなしでしょうに。
こうした前提の上で、『DOWNTOWN+』の始動と、それ以上に、あまたの芸人の賞賛や出演、そして視聴者の熱い支持に、どんよりとした思いを抱いている。
「“ゴシップ”になんて負けないで」というのは言語道断であるからよそにするが、「その存在の偉大さにこそ比べてしまうので“あれば”、瑣末な問題だ」とでも言いたげな反応が、苦しい。
増田の個人性が高い①や③を、なんなら②までも措いてしまって、掛け値のない偉大な芸人だったとしよう。
だが、偉大であればこそ、勇退する判断をしてもよかったのではないかという問いは、問題なく成立するのではないか。
今ではびっくりするほど擁護論を聞かない島田紳助だが、引退間際のテレビ欄の染め上げっぷりはそれは凄まじかった。それでも引退し、はや14年が経つし、なおも動きはない。
素人たる視聴者からの(紳助への)支持と、プロたる芸人からの(松本への)支持は等価でないとは言いやすいかもしれないが、島田紳助のカムバックがもっと予見される状況かつ、SNSが今ほど発達している状態だったら、容易くそれだけが違いだとはいえないと思う。
※余談だが、増田は島田紳助ファンでも当然ない。むしろ『クイズ!ヘキサゴン!』などは大嫌いだったし、『行列のできる(法律)相談所』は長年の負の遺産だったと思っている。
日本の一時代を築いた、伝説の芸人ことダウンタウン・松本人志がいた。あとから出た芸人はあまねくダウンタウンの影響を大いに受けて育まれた。
バブル前後の国力成長期に飛ぶ鳥を落とす勢いで力を蓄えていった氏には、たしかに「しんどく」も映るのかもしれない。だが、しんどいのは「お笑い」以前に、人々の生活そのものなのではないか。
それに芸人当事者でいえば、「そこそこ」の暮らしができる芸人たちは、SNSによってかつてより増えているのではないか。「M-1グランプリ」の参加者数が毎年歴代最多を更新するような、成長産業ではないのか?
たしかにあなた(がた)は、変え難い伝説の化身となった。それでもう、万事よいではないか。これ以上、なにを望むというのか。
もうきっと、メディアの構造上として、ダウンタウンの後釜は現れない。あなたが幻影を追っているとしばしば揶揄される、北野 武にこそあなたもなれずとも。それが時代の残酷さであり、甘やかさではないかと思う。
「課金しなくては見られない」、ゾーニング性のあるチャンネルに活動を絞っている以上、顧客でない外野がとやかく言えたもんじゃないとの反論もあるだろう。
だが、その反論こそ、「ダウンタウン・松本」の影響力の大きさを軽視したものではないだろうか。
増田はその影響力の大きさ強さを信じているからこそ、『DOWNTOWN+』を批判するのである。
※令和に青春を過ごす世代のために蛇足の補足をしておくと、増田がここで書いたゼロ年代半ば〜10年代初頭くらいは、リビングのテレビ(今はモニターの家も多いか)に、ネットは接続されていなかった。
そのため、『8時だョ!全員集合』ほどの影響力は失った(リアタイではないから一般論だが)、メディアの過渡期ではあるにせよ、今とは比べ物にならないほどの力がテレビにあった時代なのである。
「東海オンエア」? 話にならない。幼児から高齢者まで、真の「テレビスター」ならば、その名前を誰もが知っていた時代の話である。増田以上の世代なら、ヒカルよりも島田紳助とみのもんたのほうが知名度はよほど高いだろう。
当時までは、まさに「お茶の間」がその場に出現した時点(食後、リビングを行き交うような時間・空間のことだ)で、地上波(アナログ放送)が点いていないことのほうがイレギュラーだった。だから、つまらないと思うテレビ番組のことも、このくらいに知っていてもなんらおかしくはないのである。
うちは、いわゆる「政治の話」を食卓でするような家庭ではない。
なんとなく、夫が保守的で自民党を支持しているんだろうな、というのは知っていた。ニュースを見てたまに「景気対策が…」とか「防衛費が…」とか言うことはあっても、私(どちらかといえばリベラル寄り)と議論になるようなことは、お互い無意識に避けてきた気がする。
もちろん、私がジェンダー平等の問題や「ガラスの天井」について思うところがあっても、それを夫に熱く語ったことはない。どうせ「ふーん」で終わるか、面倒くさそうにされるのがオチだと思っていたからだ。
そんな関係だったのだが。
先日、高市氏が総理大臣に就任した。 私は「初の女性総理か…」と感慨半分、政策への警戒半分、といった複雑な気持ちでニュースを見ていた。
一方、夫は。 特に賛成とも反対とも言わず、いつも通り淡々とニュースを眺めているように見えた。彼が彼女の支持者なのかどうかも、私は知らない。
異変が起きたのは、その数日後だ。 ネットニュースやSNSで、彼女に対する凄まじい言葉が飛び交うようになった。
もちろん、政策への真っ当な批判はあった。 それとは別に、目を引いたのは「男に媚びた」「女のくせに」「名誉男性」といった、彼女の性別や振る舞いに対する、お世辞にも「批評」とは言えないような罵詈雑言だった。
(うわぁ…酷いな…)
特に、そうした言葉の一部が「リベラル」や「フェミニズム」を掲げるアカウントから発信されていることに、私は複雑な気持ちを抱えていた。
その夜、リビングでスマホを見ていた夫が、珍しく私に話しかけてきた。
「なあ、これ見た?」
夫が私に見せてきたのは、そうした罵詈雑言がまとめられたネット記事だった。
「…うん、見てるよ。酷いよね」
「いや、なんというか…。政策を叩くなら分かるんだよ。でも、『男に媚びた』とか『女のくせに』みたいなのは、ちょっと違うだろ」
私は驚いた。 夫がこういう「ジェンダー絡み」の話題に、自ら言及してきたのは初めてだったからだ。
夫:「この人(高市氏)が実力あるかどうかは人によるんだろうけど、一応トップに立ったわけじゃん」
私:「…うん」
夫:「なのに、叩いてる理由が『女のくせに』とか『男みたい』とか、そういうのばっかりなのって、おかしくないか? しかも、そういうのを言ってるのが、普段『男女平等』とか言ってる側(リベラル層)なんだろ?」
夫は、政治的に「正しい」ことを言おうとしているわけではなかった。 ただ、彼が持つ(おそらくは非常にシンプルな)「実力主義」や「フェアネス」の感覚からして、目の前で起きていることが「アンフェアだ」と感じたようだった。
実力で評価されるべき(と彼は思っている)なのに、実力以外の部分(=性別)で、しかも「平等を訴える側」から攻撃されている。
このねじれが、彼にはどうにも理解しがたく、気持ち悪く映ったらしい。
夫は続けてこう言った。
「こういうのを見るとさ…もしかして今までも、女の人ってだけで正当に評価されてこなかったことって、あったのかなって思うよ」
私は、一瞬耳を疑った。 あの「個人の努力」が口癖だった夫が、構造的な性差別の存在を、ほんの少し、示唆したのだ。
もちろん、これで夫がフェミニストになったわけでも、リベラルに転向したわけでも断じてない。明日になればまた「景気が…」と言っているだろう。
でも、彼が「実力さえあればいい」と信じて疑わなかった世界に、「あれ?」という小さなノイズが走ったのは確かだった。
「これじゃあ、フェアじゃないよな」