はてなキーワード: 瞬足とは
地方公務員として勤め始めて30年以上になる。きっかけは、高校を卒業して1年ほどプー太郎をしていたところ、祖父の紹介で関東地方にある市役所を受験することになった。
まだ19才の頃である。バイクを乗り回したり、タバコを吸ったり、酒も飲んだし、新宿のクラブで不良と群れたり、その他やんちゃをしていた。
祖父が「このままだと孫の将来が危ない」と心配してくれたのだと信じているし、今でも感謝している。毎年墓参りに行っている。
あまり勉強しなかったが、筆記試験+集団面接試験はスルッと通って、最終面接でも面接官とウマが合った。会話は終始スムーズに進んだ。
祖父が私を売り込んでくれたのか、今にして知る術はない。しかし、そうなのだと思う。今でも、東京都内の市区町村役場では、試験実施前の時点で合格が決まっている(※特に高卒枠)ような子が存在する。
地元が大好きであるとか、地元の名士のご子息とか、中高生時代に役場のトップから認められるような成果を出した子達である。ここまで行くと、堂々と高校推薦で採用すればいいのに――と思う子が多い。
私はそんなレベルじゃなかったが、当時は公務員は人気がなかった。地元から推薦があった子を採用するというのは、どこの地方役場でもそうだったと思う。あと数年遅かったら採用されなかった可能性が高い。
実は、不安がある。年齢を重ねる度に膨らんでいく。若い頃はこんな感情はなかった。本当にいい時代だった。
実際、地方公務員になって更生を果たすことができた。やんちゃな自分から卒業できた。甘っちょろい自分に、社会人としての振る舞いやマナーを叩き込んでくれた。こんな私でもちゃんと教育してくれた。
この組織は『上』からの命令が絶対である。公序良俗、法令、常識や慣習に関係なく、命令には従わねばならない。法令順守の場面が圧倒的に多いのだが、人間の屑にならねばならないこともある。
何十年も前の話だと、画材屋で買った油紙を擦って擦って擦って、いわゆる市長・副市長の印鑑(個人名の決裁印)を偽造して、過去の事務ミスを修正せねばならないことがあった。その時の上司は、やり方だけを私に説明して、具体的な指示はしなかった。
若かりし頃の私は、実際にそれらをやり通した。起案行為が漏れていた件で決裁文書を事後作成したり、国庫補助金事業に係る請負契約書を後付けで作ったりした。組織のためだと信じていた。こうしなければ、国や都庁にお金を返還せねばならなくなる。ならば仕方がない。組織を守るためだ。
税の更生処分のことで裁判沙汰に発展した時には、法廷で事実と違うことを言ったりもした。いわゆる偽証だが、自分だけじゃなくほかの職員も同じことをしていた。組織を守るためなら、これくらいの罪は許されると考えていた。
この時代、国や都庁の職員だって偽証をやっていたのだから、全国どこでもこれくらいはやっている。裁判官だってわかっている、あの人達も組織に雇われて裁判を執行しているのだから。俺達と同じサラリーマンである。そんなことを、若い頃の自分は思っていた。
後悔がない。と言えば嘘になる。今は罪悪感がある。過去に戻れるなら――あんなことをしなければよかった。
さて。上の言う事に従っていれば結果が悪くても大丈夫。下の者は責任を取らなくていい。それが公務員組織の原則である。
そのうえで、公務を正常に行っていくために、予算や人員にも常に余裕があって、いざという時に即時対応できるようになっている。
さらに、リスクを取らざるを得なかった職員を守るために、身分保障という大事なルールもある。この原則は今後何百年経とうが消えないだろう。
そして、厳しい現場や、難しい調整は多々あるものの、長年頑張った職員には、一番ヒラの職員でも退職金は二千数百万円が支給される……。
そんな時代がずっと続くと思っていた、そういう時期が自分にもあった。若気、いや中年の至りである。ここ数年まで、差し迫る危機に気が付かなかった。わが国の公務組織はずっと安泰だと思っていた。少なくとも私の時代はセーフだと。
地方公務員は将来性はやばい?今後公務員の未来は明るいのか解説
https://job-q.me/articles/15320
流れが変わりつつある。
変化の要点は、3つある。法令、予算、人員である。今、私が特にヤバイと感じているのは「人員」だ。最初の2つは手短かに説明する。
地方公務員というのは、正直サラリーマンに毛が生えた存在である(特別権力関係の否定)。民間勤めのサラリーマンと同じである。実際、労働基準法の大半が適用される。
だが、国家公務員はそうはいかない。あの人達は、国単位で責任をしょっている。特にキャリア官僚がそうだ。社会の変化に対して迅速に対応しつつ、法律・政令・通達を作り、地方に対して【指示・指導・命令・助言】を行う必要が常にある。
近年話題の分野だと、少子高齢化・自然災害リスク・社会全体のデジタル化・感染症対策・犯罪の高度化、まあこんなところか。数年前だと、新型プリウスが流行った頃に、国民1人あたり10万円の給付が決定した。あれも内閣府によるスピード決定だったが、給付の実務をやることになった市町村役場は阿鼻叫喚の地獄と化した……。
経験が少ない業務で混乱しがちだったのは致し方ない。が、国の事務要領が推奨する手続きに従って実務を行ったところ、給付ミスが相次いだのは記憶に新しい。キチンと組織レベルで熟考をした地方自治体だと、「うん、アナログの方が絶対にいい!!」という正しい結論に達することができた。が、国の意見を鵜呑みにした自治体はデジタル関係の不具合・ヒューマンエラー・デザインミスで阿鼻叫喚となった。
日本というのは元々、分権の社会である。江戸時代までは、いわゆる封建制(※中世の封建制とは違うみたいだが)スタイルで、幕府あるいはその時の最強組織が国を統治していた。
明治政府になって、ヨーロッパ列強を見習って中央集権でいこうとなったものの、それが失敗であることが判明し、現在のような封建制に近いやり方――国の法律に従いつつ、地方政府が国防・警察以外の統治を行うという手法が確立している。
だが、それは大昔の話である。今のようにテクノロジーが進歩すると……議論を経ずとも正しい知識・手法が即座にわかるとか、連絡通信の物理的・技術的なハードルが下がると、中央集権スタイルでも国家運営が可能になる。
今がまさにそうだ。どんな行政分野でも、国が施策・事業のやり方のパッケージをあっという間に作ってしまい、メール一本で地方に通知通達する仕組みになっている。正面から逆らうのは難しい。地方政府は連邦制国家ではないし、国に運営上の財布を握られている。身動きが取れない。
具体的には、○○分野の行政プランを作るとか、イントラを行政間で統一するとか、人員配置を市民100人当たり○人にするとか、税金その他をクレカ・QR決済に対応しろとか、現場仕事は民間に委託しろとか、現業職を採用するなとか、やりたい放題で指示や指導が飛んでくる。
※地方分権が進んでいる!という異論はあろうが、あれは国や県にとって旨味のない業務を市区町村に押し付けている面が大きい(※特に維持管理系が多い)。天下りや既得権が関係する業務は委譲してくれない。それでいて、市町村合併・協定や、実入りの薄い許認可事務など、自分達が得するものは瞬足で押し付けてくる。
新規事業は財政部門がほぼ落とすし、新しい公共施設の建築はトップ命令でないと不可能に近い。公共の設備を修繕するための予算がないから、業者に無理を言わねばならない。消耗品費の予算がゼロになる部署が増えている。事務用品は自腹で買うか、昭和後期の先輩方のモノを使う必要がある。
正直、金がないとどうにもならない。業者に発注した支払分とか、市民への生活補助のサービスが実施できない。以前は、予算上・契約上のテクニックによりカバーできていた。今は不可能に近い。
数十年前に比べて、いわゆる問題のある職員が増えている。激増ではないものの、確実に増えている。
ざっと数年分を思い返すだけでも、こんなところだ。
・同僚から信用がないことを告げられても、「どうでもいいです。人生の優先順位が低いです」
・勤務中に罵詈雑言(「ぶっ殺すぞ」「なんだお前はっ!!」「駆除するぞ」など)
・業者や市民に平気で嘘をつく。自分の仕事を押しつけて減らすため
・市主催の美術展への作品提出に来た障がい者が帰った後、様子をマネして周りのウケを取る
思い出そうとすれば、あの10コ以上は余裕である。関東圏内の役場でこうなのだから、もっと田舎の方にいくと、さらに忌まわしい事態になっているだろう。
こういう職員が跋扈することで、まともな職員の退職に繋がっていく。今は転職市場が発達しているから、30代でスキルを身に付けた職員が毎年十人くらいは職場を去っていく……退職理由の中に、問題のある人間に対して甘すぎるという意見が確実にある。
正直、そういう職員が飲酒運転とか、暴行障害とか、そういう事案を起こしてくれるとありがたい。良心の呵責なく免職処分を発することができる。
実際、上記のような言動をする職員に対して有効な手立ては……2024年現在、「ない」と言っていい。更生を待つしかない。更生率は2割に満たない。
こうした対処のしようがない問題職員が増加している。その中で、どうしても救いようのない職員に対してのみ相当厳しい措置が取られる。【後述】
※どうしても見切れるため一旦切って投稿する。私の環境だと5000~6000文字が限界のようだ。
(続きです)
先月の話。ガンプラの新作でG3が出るって話を聞いて、これは絶対に欲しい!って思ってさ、久々にハローマックで予約しちゃったんだよね。
いやー、ハローマックに行くなんて何年ぶりだろう?
子供の頃はさ、ハローマックと言えば夢の宝庫だったじゃん?レゴとかプラモとか、キラキラしたおもちゃが所狭しと並んでて、あとゲームの試遊なんかも出来たりしてさ。
そんな思い出が蘇ってくるもんだから、予約したついでに久々に行ってみようかなって思ったわけ。
で、こ予約したG3を受け取りに行ってきたわけなんだけど、行く前からなんか胸が高鳴る感じがしてたんだよね。
「ハローマックだぞ!」って、着いた瞬間、もう入口からして懐かしすぎて一瞬足が止まった。昔のまんまだなーって。看板のあの赤と青の感じ、あれよあれ。妙に目に焼き付いててさ、あの瞬間、「あぁ、ここだ!」って気持ちが一気にタイムスリップ。
店の中に入ると、これまた懐かしい匂いっていうか、なんか独特の空気が流れてるんだよ。ガンプラコーナーはもちろん見に行ったけど、何となく当時の気持ちが蘇って、ついついレゴのコーナーも覗いちゃったんだよね。
子どもの頃はさ、レゴが欲しくて欲しくてたまらなかったんだ。毎回、両親にねだっては「また今度ね」とか言われるのが定番だったけど、あの頃の気持ちってやっぱり今でも少し残ってるんだなーってなって妙に感慨深い。
あとさ、知ってる?最近のレゴって本当に細かくなってて、ビックリしちゃった。俺たちが子どもの頃のあのシンプルな感じとは違って、建物やら車やらがすごくリアルになってるし、価格も跳ね上がってる感じ。
まあ、大人向けのレゴとかもあるし、ちょっと手を出してみたい気持ちはあったんだけど、「これ買ったら絶対にハマって沼だな」って思って、なんとか理性で止めたよ。
ようやく目的のG3を受け取ったんだけど、やっぱりテンション上がるね。ガンプラ好きの人には分かると思うけど、この瞬間のワクワク感っていうか、手に入れたときの達成感は何とも言えない。
あの箱を手にしているときは、子どもの頃の感覚がそのまま蘇るんだ。
その後、ついでにカメレオンクラブにも寄ってみたんだよ。もしかしたらPS5の中古があるかも?なんて淡い期待を抱きながら入ってみたわけ。
で、店内をぐるぐる見て回ったんだけど、やっぱりPS5の中古はなかった。まあ昨今値上げが発表されたばかりだし、同じように中古を狙ってる人が居たんだろう。
今のPS5の価格って、正直庶民がポンと買える価格じゃないよね。子どもの頃は、ゲーム機ってもうちょっと手軽に買えた印象があったけど、今は完全に「贅沢品」だなってひしひしと感じるよ。
結局PS5は手に入らなかったけど、昔と変わらずおもちゃやゲームにワクワクする気持ちは今でも変わらないんだなーって感じた休日だったよ。
https://anond.hatelabo.jp/20240110062918
※追伸 23増田文学TOP200も作りたい。新タグ「増田文学」+αで作ろうかなと
5年ぶりに裸になりたくなった。
Playa de la Mar Bella。ビーチ全体ではなく、限られたエリアがヌーディストビーチ。ちゃんと看板でこの先が全裸ゾーンって書いてある。
カタルーニャ広場停車場(Pl Catalunya - Portal de l'Àngel)からH16のバスでPg. Calvell - Rambla del Poblenou停車場まで。徒歩の時間も込みで30分
バス停からは公園を横切って移動する。なんか途中にドッグランもあった。ビーチそのものは公園からは高台というか小山で遮られている。
小山を向けて海に向かって右側にまず行ったんだけれど、さっそく小山の上で全裸で仁王立ちしているおじいさんがいた。
でも、その時点ですごくトイレに行きたかった。で、近くの海の家的な店で聞いたんだけれど、トイレはお客さん専用だとのこと。
しょうがないので、近くにトイレはないかと小山の左側の店に行った。そしたらそこにトイレがあった。
用を足してあたりを見回す。一応ヌーディストビーチなので裸でシャワーを浴びている人もちらほらいたんだけれども、それよりは筋肉質のビキニパンツの好青年のほうが多かった。こっち側はゲイビーチらしい。皆さん概してマナーがいい。健全な出会いの場という印象だ。
こっち側の海の家の名前は「Be Gay」で、おそらく「ゲイであれ」と「陽気にやろうぜ」の掛詞だ。シャワー付近には裸の女性もいたが、着衣の人が多かったのでここで裸になるのはためらわれた。
さっきはトイレに行きたくて状況がよくわからなかった反対側はどういう雰囲気かと思って、戻ってのぞいてみると、こっちのほうが普通に裸になっている人が多い。ただしシャワーはない。ほとんどが男性で男湯っぽい雰囲気だけれど、カップルが数組いて、父と幼児が海辺で戯れていた。男女比は大体10対1くらいで、以前訪れたウイーンの混浴サウナとはだいぶ雰囲気が違う。それにウイーンのほうが夫婦連れが多かった。
私はここで素っ裸になった。ウイーンとは違って遮るものがないし、着替える場所もないのでちょっと緊張したけれど、えいやと脱ぐ。まずは上半身裸で太陽を浴びて、それから下半身も脱ぐ。パンツと下着を同時に脱ぐ。お尻丸出し。やっぱり全身を太陽にあてると気持ちがいい。
ところで、バルセロナのビーチでは普通にトップレスの女性がいる。二人連れの女性がなんだか楽しそうにしていた。ヌーディストエリアの隣なので、それこそ全裸中年男性がたくさんいるのだけれど、まったく気にしていない。私がヌーディスト的な世界に憧れるのは、相手のことをじろじろ見たりせず、自然な姿をありのまま受け入れているからだ。相手だけが着衣、私が裸(あるいは逆)というプレイに結構興味はあるけれども、ここで感じる解放感とはまったくの別物だ。
何となくだけれど、ビキニパンツのトップレスってなんかユーモラスだ。ジーンズのトップレスのほうがセクシーだ。なんでだろ? ティーバックの水着もなんかお尻丸出しでなんだかセクシーよりも面白衣装って感じちゃう。服って脱ぎすぎて裸っぽくなるととユーモラスになっちゃう。そういえばここで見かけたおっぱいの大きなすっぽんぽんの中年女性、きれいだったけれども、バルセロナ市内で見かけたへそ出しファッションのほうがよっぽどエッチな印象だった。
へそ出しと言ってもブラトップみたいなもあるし、タンクトップみたいなのもあったし、おへそまわりだけ出ていて、その周りのお腹をレースで覆うタイプのもある。
ボディスーツっていう、ハイレグレオタードみたなトップスにジーンズみたいな恰好の女性も見たけれど、腰の素肌が出ているだけなのに、すっぽんぽんよりもなんだかエッチだった。十代もいたし、ぽっちゃりした人もいた。誰も気にしていないのがいい。さすがにパンツが見えそうなミニスカートにはびっくりしたけどね。
で、何でそう感じるか。たぶん素っ裸になると、身体にはどこにも境目がなくてひとつながりで美しいって感じるんだけれども、中途半端に隠すとかえって暴いて見たくなるというか、えっちな部分が強調されちゃうんだろうな。
さて、裸で太陽を浴びてうとうとしていると、水売りのおじさんが通るのが見える。アジア人は私だけだった。アフリカ系の男性が数人いた。でも誰も気にしない。バルセロナは日本人観光客が多いけれども、ここは私だけ。無名のままでいられるって素敵。よそ者の気楽さ。
十分に太陽を浴びた私は、ほかの泳いでいる人たちに続いて、素っ裸で海に飛び込んだ。頭まで潜ったり、波に乗ったり、大股を広げて背中で浮いたりした。すっぽんぽんで太陽を浴びると気持ちがいいし、何物も遮るものがない海に一糸まとわぬ姿で飛び込むと、なんだかいろいろな汚れが流れ去っていく感じがした。これは木々に囲まれたウイーンの混浴サウナでは味わえない感覚だ。途中で急に深くなっていて、一瞬足を取られたのには焦ったけれどね。海に飛び込んで、休んで。また飛び込んでを繰り返す。
で、すごく開放感があったんだけど、ウイーンのほうがマナーが良かったかな。おっちゃんがおちんちん一往復だけいじってたし。単に皮に砂が入ったからかもしれないけど。あと、小山の茂みの中でごそごそやっている人がいた。邪魔したら悪いからよく観察しなかったけど、あれはなんだったんだろう。きっと気にするのは無粋。
あと、ウイーンと違ったのは、こっちは陰毛処理していない人がほとんどだった。ヌーディストだから自然派なのかな?
そうそう、それに、財布も浜辺に置いてある。だからウイーンのほうが安心して裸になれたかな。持ってきたのは現金ちょっとだけだったけど、服も財布も盗まれたらどうしようもない。
でも、やっぱり海にはいろんなものを押し流す力がある。何か聖なる洗礼を受けたというか、生まれ変わった感じがする。何も恐れるものがない気持ちになる。これから生きていくこともいつかは死ぬことも、自然と一体になった私は恐れることはないと。水着で邪魔されず、海水が私の全身を撫でる。頭からつま先まで。無限に広がる温泉のような素晴らしさ。それはとてもやさしくてあたたかい。来世とはこんな感じではないか。個我が消えて宇宙に包まれているのはきっとこんな安心感だ。そんな宗教的な気持ちまでも出てくる。裸になるって神聖。
とはいえ、十分も泳いでいたら普通にオーシャンビューの温泉で構わない気もしてきた。このあたりで私の全裸徘徊願望は収まってきたらしい。温泉では髪の毛を水につけたり、泳いだりはできないんだけれどね。でも、なんだかこうやって心から裸になるのは、信頼できる人の前でだけのほうがいい気がしてきた。
気が済んで、なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。やり残したことを終えると、すっきりすると同時に、なぜあんなにこだわっていたのかがわからなくなる。
罪悪感とは少し違う。やる必要はなくなったかなという気持ち。もう少ししたら気分も落ち着いてくるだろう。これは再確認だ。これは自分にはもういらない要素だということの。別に外で裸にならなくても、普通に暮らしていけるという感じ。
やりたいことをすべてやってしまったという感覚が、おそらく次のステップに必要なんだ。
現に、帰宅してからは、以前は家では裸で運動していたのに、旅行から帰ったら普通に着た方がいいなって感じられるようになった。
なお、小山の右側と左側をつなぐ浜辺は人がぎっしりだった。歩いていくのがためらわれるくらい。たぶん8月のハイシーズンなのと、潮が満ちてきていたからだと思う。
バルセロナはこの時期は日没が21時だ。私がカタルーニャ広場を出たのが18時で、ビーチに着いたのが18時半くらい、脱いだのが19時、だいたい20時ちょっと前くらいまですっぽんぽんで過ごしてすっきりして帰った。服を着た人のいるところまで裸で歩いてシャワーを浴びる気にはならなかったから、軽くタオルで身体をふいてホテルでシャワーを浴びてご飯食べて寝た。
チーム最年少で下っ端というその友達がどうしても試合に行けず、なおかつそのせいで人数不足になってしまうので助けて欲しい、
当日、初めて顔を合わせて試合終了するまでは特に何も感じなかったけどそこからなかなか凄かった。
なんというか自分と一回り以上年齢が上なのに距離感がバグってる。
「ぜひ次からもどんどん参加して欲しい」と言うので、都合付きにくいので難しいと断るとそこからずーっと問答が続いた。
「結婚してないのになんで都合付かないんですか?」
「今日こうして来れたじゃないですか笑」
「じゃあこれからも試合ある日は無理して時間作ってください笑」
「増田さんだけ球場代タダにしたんだからそれくらいしてください」
狂ってると思ったので逃げるように退散して件の友達にクレーム入れると
「みんな暇でワガママなんだよ笑」
後日、知らない番号から着信があったので取るとその草野球チームの問答した人とは別の人だった。
「スケジュールの都合つかないって言うけど、俺なんか一人で親の介護しながらちゃんと参加してるよ?
と呆れながら説教されて脳ミソがあまりに自分と違いすぎると思い背筋が凍った。
今まで身の回りにいた中年独身男性の人は彼らとは対極にいる人ばかりだった。
めちゃくちゃ控え目で、他人にお願いごとするなんて全然なく、それこそ自分のワガママのためにお前ああしろこうしろと言って相手を巻き込もうとするなんてまず有り得ない感じの人ばかりだった。
なので、
「有害に元気でエネルギッシュで、コミュニケーションや人との繋がりにめちゃくちゃ積極的」
というタイプの中年独身男性に今回初めて遭遇して自分はかなり衝撃を受けた。
半分皮肉で半分本心で書くけど、マジでそんな彼らははっきり言ってめちゃくちゃ楽しそうに生きてるなと思った。
まあ、「お前、俺の欲望のために動け。リターンは与えないけど動け」をやってるから楽しいんだろうな。
ちなみにこの一連の出来事のあと、友達とコンタクトを取る頻度も激減した。
【追記】
五大新地のうち、飛田、信太山は行ったことはあるが松島、今里、滝井はコロナで行けてなかったので今回は梅田からも近い松島に行ってみた
びっくりしたのが商店街とか住宅が普通にあり、子供が料亭の女の子がいる前で遊んでいたことだ
なんかすげえなあと思ったが、今里は今コリアンタウン化してるらしいし飛田が異常なだけなのかもしれん
歴史的には松島のほうが古いけど徐々に普通の地域になっていっちゃうのかな?
まあ単におばちゃんと目が合って一瞬足が止まってしまったからだがw
まあ好みの狸系でよかった
去年遠征に40万ぐらい飛んだとか言われてジャニオタは大変だなと思う
松島は信太山と同じでシャワーを前後に浴びるけど時間は10分短いからどうなんだろう
今度の大阪万博でつぶされそうって噂が立ってるから潰れる前にと思って
無理やり行ってみたがなんかすごい地域だなあと思った
ウマ娘プリティーダービーとは。
実在した競走馬をモデルとして擬人化した少女、ウマ娘を育成する育成レースゲームである。
魅力的なキャラクターが多数登場し、100人を超えるウマ娘たちの中には一癖も二癖もあるキャラクターたちがたくさん存在する。
※地雷…オタク界隈で、「苦手だったり嫌いだったりで、避けて通りたいし出来れば視界に入れたくないもの」を指す。
先に説明しておくと、当ゲームはウマ娘のデビューしてからの大事な3年間をプレイヤーがトレーナーとして育成する、というのが基本的なシナリオとなっている。
その中で、日本ダービーや有馬記念をはじめとした実在のレースに出走したり、夏合宿でトレーニングをしたり、時にはウマ娘とお出かけしたり、オフの日をあげて休ませたり。
季節イベントとして、クリスマスを一緒に過ごしたりバレンタインにチョコを受け取ったりするものもある。
私が嫌いなのは、こうした描写から「このウマ娘は俺(トレーナー)に気がある」と思い込んでいる二次創作がなんとも多いことだ。
ウマ娘が、あるいは選手が、学生が自身の夢を叶えるために頑張るのを、共に目標を立てて大事な最初の3年間後押しする存在である。
先生にだってお世話になっていて校則で許可されていたらチョコも渡してもおかしくないだろう。
……それで自分のことを好きと思い込むのはいささか早計ではなかろうか。
「いや、○○ちゃんはこんなふうにも言ってたし」そんなことは聞いていない。そんなふうに世の中のウマ娘だの女性だのがトレーナー、先生とやらに好意を持っていると勘違いする人が教師になるから生徒を襲うんだよ。
二次創作には「トレーナーのことが好きすぎる○○」「トレーナーと結婚して人妻となった○○」「俺と○○の娘が〜〜」とかこういうものが多すぎる。
ウマ娘の二次創作のガイドラインとして、実馬の名誉を傷つける創作やエログロは禁止されている。
……数々の苦境を乗り越えてきて栄光を掴んだ優駿がそんな一般トレーナーサマと結婚とは、名誉を傷つけているとも取れないだろうか。
実馬には種付け等の問題があるゆえ、確かに様々な相手と交配を行う。しかし、「こいつ俺のこと好きに違いない」マインドですぐに「結婚」「人妻」「うまぴょい」だの言うのは脳みそチンポである。
※うまぴょい……ウマ娘を代表する楽器「うまぴょい伝説」より。うまぴょいにこれといった意味はないが、脳みそチンポトレーナーは「セックス」の意味だと思い込んでいる。
で。
私は上述したように、トレーナーとウマ娘の恋愛描写は脳みそチンポだと感じる。地雷である。
しかしながら、二次創作のマジョリティはこのトレウマないしウマトレと呼ばれるカップリングである。
男性ファンが多いジャンルなのはわかるが、流石になんというか画面の中に愛を求めすぎていて気色が悪い。
かくいう私も男なのだが、センシティブなエログロが禁止された世界にも結婚だの抱いてくれないだのそういう概念を持ち出すのは流石に顔面チンポとしか言いようがないだろう。
そのため、ウマトレの二次創作を行う人はとりあえず片っ端からブロックしている。
視界に入れたくないので。
なんなら、トレーナーとのカップリングにすぐに結びつけられるウマ娘に対しては警戒している。このキャラクターの二次創作ならやりかねん、と。
そうしたら。
2023年のバレンタインイベントで何人かのウマ娘が「やりやがった」のだ。
トレーナーへの恋愛要素と取れるようなメッセージをチョコに添えるだのなんだの。
Cygames公式の脳みそもおチンポになられてしまったのでございましょうか。
ウマ娘、ひいては優駿達は自称トレーナー(男性、チー牛、瞬足、ベリベリ財布、英字シャツ)に自ら媚を売り、股を開くキャラに成り下がっても良いのだろうか。
私はそのようなことはあってはならないと感じる。名馬の尊厳や栄誉を盾にするようだが、尊厳を傷つける創作に近しいものを、「地雷」と公言することは許していただきたい。
私はしがないアルバイター
ボケーっと生きて若さだけが取り柄で税金はかろうじて納めている20代の女だ。
その際に30歳以下の偶数年齢の女性は無料で検査が受けられますと記載されていた。
あ〜そういえば中学生のときに子宮頸がんのワクチン受けろって国から言われたけど受けてない気がするな〜……なんかあったら怖いし検査しよっ!
って思ってボケーっとした頭なりに私の命の危機管理能力(笑)が突如として発揮され、そのままの勢いで申し込んだ。
健康診断の日まで子宮頸がん検査の体験談とかネットで調べて見た。
AVでしか見たことないような足パカーってする機械に座るのか〜ちょっと怖いな〜女の先生だったらいいな〜
エロビデオの見過ぎで非現実的な展開も一瞬頭によぎった。ハタチ過ぎた処女は男子中学生並みにエロい(かもしれない)事に敏感に反応してしまうのである(主観)
少し痛いって体験談も読んだ。
え、痛いの?いや、まぁ、そりゃ硬いもの入れるし痛いのか……えー…痛いのは嫌だなぁ…
でもまあ私生理の時タンポン使ってるし!1番細いヤツだけど……!まあ大丈夫デショ!!!
当日。
健康診断をする病院で案内され、たくさんの人が順番に検尿身長体重視力聴覚血液採取などを済ませる。
人によって検査する内容が違うので早く終わる人もいれば半日かかる人もいる。
私はただのアルバイトなのでいつもなら最低限の検査しかしないが、去年と違って子宮頸がん検査がある。
子宮頸がん検診のブースに行くと、診察室の前で待機してる人が全く居なくてアレ?って少し思った。すぐ呼ばれちゃうじゃん!ココロノジュンビガ…
ブースに入ってすぐに看護師さんのおねえさんに呼ばれてしまった。
ハタチ過ぎた全員がセックス経験者だと思うな!!馬鹿野郎!!!!
(この恥ずかしさには「いい年して処女=彼氏がいた事が無い=モテない劣等感」も含まれている)
…え!?恥ずかし!!!!え、じゃあやらなくていいならやりたくないです……
って思ったけど、「まあ、一応やっときますか」って言われて結局検査することになった。
申し込んだ検査をキャンセルしたらダメかなと思ったし「じゃあやりません」って言うのも子供っぽいし逆に恥ずかしい。だから処女なんだよと思われかねない(劣等感からの被害妄想)
オッサンに股間見られるのは普通に嫌だったけど、まあ医者なんてこんなの見慣れてるだろって思ってあまり意識しないようにした。
ビクビクしてる風に見られるのも嫌だったからさっさとパンツを脱いで足パカーってなる椅子の上に座って、足を広げて、足を固定されて、台が上がって、背もたれが倒れてってところまでとても素早く行われた。
私の後に検査待ちの人とかいなかったけど、サササッとやってくれたのはありがたい。
トイレ以外で下半身丸出しなのってなんか心細いような気持ちになった。
「触りますねー、入れますよー」って少し広げられて、グッとクスコが入ってきた。少し冷たかったような気がする
穴の少し入り口のところが無理矢理広げられてるからヒリヒリしたけど(このくらいならまあちょっと太めのタンポンだと思えば…)って思ってたら、「広げますねー」って言われてクスコがグアッと広がった瞬間
「い゛ッッッ!?!!?!?!!!!!?!!!!…!!!!?」
いてぇの何のって
痛いっていうか、びっくりしたというか、苦しいというか、うん、まあ痛い
千切れるみたいな痛さ?爪のささくれを無理矢理引きちぎろうとする時の痛みが股間にダイレクトアタック
でも鈍痛っぽくもある。とにかく痛ってぇ…マジで。
一言叫んだあと痛みを逃すためにめちゃくちゃ呼吸が荒くなった。
過呼吸になるんじゃねーかってくらい浅い呼吸を繰り返してた。
私はこれで非処女になってしまったかもしれんって本気で思った。
私が暴れるんじゃないかと思ったのか看護師さんに一瞬足を触られたけど、私は足をガタガタ動かすほど理性は失っていなかったから足は動かさなかった。偉いね。
「はい、もう終わりですよ」って言われてすぐ足を下げられて終わった。
一瞬には感じなかったけど、私以外の世界には本当に一瞬だったと思う。
ありがとうございました(?)ってお礼を言ってパンツを履いてガニ股歩きで私は診察室を出た。
後日検査結果が届いて結果はもちろん何もない。
何もないのに私は処女なのにオッサンにモジャモジャの股間をクスコで広げられたのか…って思うとすごい後悔した。
これ以上私のような馬鹿で無知な処女が子宮頸がんの検査を受けないようにこの日記をネットの海に残す。
中学時代、下着の校則違反を数えて、体育祭の得点から減点するという「伝統」があった。
悪質なのは、それを生徒同士で監視するシステムになっていたこと。
違反者は教師にチクられ、その分がのちに体育祭の持ち点から減点されるという決まりなのだ。
赤組・白組それぞれの減点数は日々校内で告知され、連帯責任を煽る構造ができあがっていた。
もちろん、これに反抗する生徒は多かった。
二年生のあるとき、体育祭の出し物を決める学級会のなかで、この制度はおかしいという話になったことがある。
やがて「そうだ、そうだ」という声が教室のあちこちから起こる。
いま思えば、先生自身もこの制度はおかしいと思っていたのだろう。
しかし、新人の立場ゆえ学校の方針に逆らうことはできなかったのだ。
すこし黙って考えたあと、彼女は落ち着いた声でこう言った。
端的にいって、先生は毎日のようにエッチな下着を履いていたのである。
赤、ピンク、紫、Tバック、紐パン、ハイレグなど、色とりどりの大胆な校則違反によって、いままでにない大規模な減点が生み出されていった。
そして私たち生徒は、その集計に追われる日々を送ることとなった。
集計にあたっては、色や形状など要素ごとに配点が決められていたので、その日の下着をよくよく調べる必要がある。
たとえばレースの場合は1ひだ5点の設定なのだが、先生は前後に幾重にもレースの連なったピンクのパンツを履いているときもあって、それを数えなければならない。
このときは最終的に84ひだで420点に決まるかと思ったのだが、その後ピンク色は減点2倍だというルールの存在が判明し、結局840点という結論になった。
こうして、体育祭を迎えるころには、16450点という天文学的な減点が積み上がっていた。
さて、ここで問題になるのが、私たちの先生は赤組・白組のどちらに属すかという問題である。
この中学では、体育祭の当日まで、先生たちの赤・白は決まらないことになっていた。
事前練習中の不公平感をなくすためか、最終種目である「教員リレー」のときにはじめて、赤・白がクジ引きで決定されるのである。
両チームともに熱戦を繰り広げ、お互い一歩も譲らない戦いとなった。
「教員リレー」の時点で、赤542点に対して白551点と、白組が優勢。
この種目ですべてが決まるのだという緊張感があった。
先生はどちらのチームなのか。
入場ゲートに全校生徒の視線が集まる。
そうだ。
それでも私たちは、落胆などしなかった。
「先生、がんばれ!!」
声援がどこからともなく起こり、増えていった。
それはやがて大きな波となり、校庭を包み込んでいく。
そうして積み上げられた16450点の減点。
こうやって先生が私たちに教えてくれようとしたのは、この校則の不条理ではなかっただろうか。
歓声の渦に包まれながら、先生は猛スピードで左コーナーを走る。
まさに瞬足だ。
……こうして赤組は「教員リレー」に勝利し、10点を獲得した。
しかし、不思議と負けた感じはしなかったことを、いまでも覚えている。
それから数十年、私もいまでは大人になり、日々エッチな下着を履くようになった。
今回のあんス〜くんのライブで、予定席数を超える当選者を出してしまったので
勝手にミスしてしまったぴあの担当者の気持ちになってめちゃめちゃ辛い。
ハピエレからのお怒りはもちろん、
今後会社の人達からも冷たい目でみられそうで本当にいたたまれないし、胃が痛い。
人間ミスしちゃうことはあるし、システムでポチって簡単に実行できる時代だから、
内情知らんのでなんともだけど一人の担当者に全責任を負わせるのはマジで辛いので、
会社全体で頑張って誠意ある対応してくれ、、、それが組織がある意味ですし。
それはそれとして、今回付随したぴあ垢の
・Twitterでの呟きが遅い
問題、
Twitterの動きが遅いのは
ぴあとか古い会社だから、Twitterの運用もかっちり決まってて、
のわりに運用は一人の人に任せっきりにしててIDもpassもその人しか知らないみたいな。(そんなわけないか。ぜ〜んぶ妄想)
インターネットや発信できる場が身近になったからこそ世の中の回転早くなってて、
それに順応できてない組織は動きが遅いってことになっちゃうんだなぁ。
ミス発覚翌日謝罪って遅いもんかしら??悲しいかなハピエレの迅速な対応と比べられちゃったね
(まじ夜遅く発表でびっくりした)(瞬足)(コーナーで差をつけろ)
実際にそんな例ある???
自分ミスしたら絶対ホームページで「会社 謝罪 方法」で調べちゃうわ。
消費者の溜飲が下がるような文かけるTwitter職人を広報採用とかでてくんのかな今後
信頼は無くなってしまったけど。
ま〜お金払ってるハピエレの立場からしたらコロナでイベント運営も大変な中の起きた事件で怒り心頭間違いなしだし、
巻き込まれたファンもぬか喜びさせられてふざけんなって感じだわな。
おわり
美容院に行った。
計画性のない自分は閉店30分前に店に入った。自分の他に来客はいなかった。何人か美容師さんがいる中で、担当してくれたのは40~50歳くらいの男性のオーナーさんだった。
カットをお願いした。
5分くらいで終わった。
「終わりましたよ」の声かけをされた。
え?…
体感では、待ち遠しいカップヌードルの待ち時間より短く感じた。
…思った。てきとーにあしらわれた…と。外れだった。そういうことかと…。 店を出た。というよりも追い出された。そうならば、店に入れなければいいのに。
怒りがふつふつと心の底から沸いてきた。だがそれ以上に別の感情が覆いかぶさった。悲しみだった。スキルを売る商売で、かつ接客業でこんなことやってる人が実在するのか…と。
Google先生の口コミを見た。あ~はいはい。そうですよね。分かります。そのような意見がいくつかあった。
一方で、褒め称えられている口コミもあった。「流石、昔は都心でカリスマだった人」「とても親切でとても良いひと」「オーナーさんの施術は最高です。」みたいな。他には低評価を批判するような意見もあった。
それを見て、どうでもよくなった。暇人かよ…と。大学生がえらいこと言えないんですけどね。
その時、気付いた。高評価は中年の女性陣がメインらしく、低評価には男性陣が多かった。