上から目線が大好きな人は葬送のフリーレンとか好きになるんだろうなあ。
ということに同僚のMくんに教えられてやっとわかった。
Mくん「増田さんはあれですよ、超卑屈人間で自己卑下大好き人間だから(超意訳)上から目線で優越感に浸る文化が理解できないんですよ」
と言われてやっと理解できた。
確かに、フリーレンって千年生きたエルフが、人間を見下ろす構図なんだよな。
寿命の短い人間を、長命のエルフが上から眺めて、ああだこうだと感傷に浸る。
それがエモいとされてるわけだ。
でもワイにとっては、それが全く刺さらない。
人間は消耗品扱いか? 入れ替わり立ち替わり出てきて、フリーレンの感慨のための舞台装置か?
Mくんはさらに言った。
「増田さんは自分が底辺だと思ってるから、上から見下ろす視点に感情移入できないんですよ。フリーレン見てる人は、自分がフリーレン側だと思って見てるんです」
衝撃だった。
ワイは完全に人間側だと思って見てた。いや、人間ですらなく、モブ側だと思ってた。
フリーレンに名前すら覚えてもらえない、その他大勢の人間の一人として。
でもみんな違うんだ。
みんな自分は特別な側だと思ってる。千年生きる側、物語の主人公側、俯瞰して人生を語れる側。
だからフリーレンの達観した物言いに共感するし、エモいと思える。
ワイには無理だ。
Mくんは笑いながら言った。
「でも増田さん、その卑屈さって実は傲慢の裏返しですよね。自分は特別に底辺だから、他の人とは違うって思ってるでしょ?」
ぐうの音も出なかった。
みんながフリーレン側に立てるのに、俺だけは人間側だと思ってる。それって、ある意味で選民思想の逆バージョンじゃないか。
でも、それでもやっぱりフリーレンは好きになれない。
ただ、ワイには合わない。上から目線で人生を達観する余裕なんて、ワイにはない。
そもそも、千年も生きてないのに、達観した視点で物事を語る人間が苦手なんだ。
お前まだ30年しか生きてないだろ、って思う。
フリーレンは千年生きたから許される。でも、人間が同じことやったら、ただの若造の知ったかぶりじゃないか。
Mくんは最後にこう言った。
「増田さんは、物語に癒しを求めてないんですよ。物語に現実の延長を求めてる。だから、ファンタジーが楽しめない」
その通りかもしれない。
そして、いつも端っこにいる。
フリーレンみたいな作品を見ると、自分がいかに物語の外側にいるかを思い知らされる。
それが辛いから、好きになれない。
ということは、多くの人が自分を主人公側だと思って生きてるってことだ。
そして、それでいいと思ってる。