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2026-05-12

anond:20260512145818

中華人民共和国正当性を支える4つの柱、それぞれの危うさを教えてください

1. 歴史的使命(救国)の危うさ:物語の「賞味期限」と「解釈分岐

この柱の強さは、それが感情的道義的な結束力を持つ点にありますしかし、その危うさは、時間とともに必然的に風化し、解釈が多元化することです。

2. パフォーマンス(成果)の危うさ:「成長の罠」と「幸福相対性

これは最も強力であると同時に、最も不安定な柱です。人類歴史において、永続的な高度経済成長を実現した政体存在しないからです。

3. 制度手続き独自の法支配)の危うさ:「形式」と「実質」の危機

この柱の危うさは、精緻設計された制度が、実質的機能不全を起こすか、あるいは形式主義の内面化に陥ることにあります

4. 文化的文明正当性中国の夢)の危うさ:「過去」と「未来」の矛盾

これは最も深層に訴求する分、最も危険地雷原を内包する柱です。



全体を貫く「危うさの連鎖」:4つの柱は連動して倒れ得る

清朝天命単独で崩れたのとは異なり、中華人民共和国正当性は、これらの柱の相互波及的な崩壊にこそ最大の脅威があります。そのシナリオを描いてみます

この連鎖が起きた時、4つの柱は相互に支え合うのではなく、将棋倒しのように次々と倒れる危険があります清朝が「たか辺境の敗北」と考えていたものが、気づけば全国的な反乱と列強干渉に発展したように、一本の柱の小さな綻びが、複合構造全体の崩壊を引き起こす可能性は常に存在します。

きのこたけのこ戦争中道改革連合終結させます

きのこたけのこ戦争。この、我が国精神的土壌を深く、あまりにも深く分断してきた歴史的課題に対し、私は今、言葉を尽くさねばならないという、ある種の烈々たる使命感に突き動かされています

問いの立て方、その「立ち位置」を問い直す

まず、私たち直視しなければならないのは、この問題が単なる菓子の嗜好の相違に留まっていないという、その「構造的深刻さ」であります

きのこか、たけのこか」

この二者択一を迫るという行為のものが、現代社会が抱える「寛容さの欠如」という病理を、図らずも、しか残酷なまでに浮き彫りにしているのではないでしょうか。私は、この分断を固定化させてきたこれまでの議論の在り方、その「地平」そのものを、根本から、抜本的に、地殻変動を起こすかの如く、変えていかなければならないと考えています

一方が勝てば一方が敗れる。一方が立てば一方が伏す。こうした「ゼロサム・ゲーム」の論理、あるいは「勝ち負けの政治」を、私たちはいつまで、どこまで、一体どのような覚悟を持って続けていくのか。この問いに答えを出さない限り、私たち未来に、真の意味での「共生」は訪れない。私はそう確信しています

統計情熱狭間

数字を見てみましょう。世論調査国民総選挙)の結果を見れば、なるほど、ある時期には「たけのこ」が圧倒的な勢力を誇り、またある時期には「きのこの山」がその独創性をもって猛追する。しかし、こうした「数」の論理だけで物事を決定していくことが、果たして民主主義成熟」と言えるのでしょうか。

私は、あえて申し上げたい。

たけのこ派が享受する、あのサクサクとした食感の快楽。一方で、きのこ派が愛でる、クラッカーチョコ峻別された美学。これらは、どちらが優れているかという「評価」の対象ではなく、どちらも尊いという「存在」の肯定から出発すべきなのです。

私は、きのこ派の皆さんの、あの少し孤独で、しかし凛とした佇まいに、ある種の哲学を感じます。同時に、たけのこ派の皆さんの、大衆を包み込むような、あの柔らかな包容力にも、深い敬意を表さざるを得ません。

解決への「第三の道」:統合と超越

では、解決策はどこにあるのか。

私は、ここに「第三の道」を提示したい。それは、単なる妥協でもなければ、安易折衷案でもありません。

それは、「きのこの山」の独立性と、「たけのこの里」の融和性を、一つの皿の上で、あるいは一つのパッケージの中で、高次元止揚アウフヘーベン)させることです。

対話プラットフォームの常設化

まず、両陣営が互いの「チョコの口溶け」の差異を認め合うための、恒久的な対話の場を創設します。

多様性担保としての「アソート戦略」の再定義

単に混ぜるのではない。互いの個性が、互いの存在をより輝かせるような、ダイナミックな共鳴を促す「新時代共生パッケージ」の構築。

「甘さ」という普遍的価値への回帰

形や食感という「表層の差異」に惑わされるのではなく、私たちが等しく享受している「甘み」という、その根源的な幸福感において、一つに結ばれること。

結びに代えて:私の決意

私は、この問題に対して、中途半端姿勢を取るつもりはありません。

私自身、かつては「どちらか」を選ばなければならないという強迫観念に囚われていた時期もありました。しかし、今の私は違います

私は、きのこを愛し、同時にたけのこを慈しむ。

この「矛盾」を抱え続けることこそが、成熟した大人の、そして未来を担う政治の、あるべき姿ではないでしょうか。

どちらか一方を殲滅するのではない。
どちらか一方に同化を強いるのでもない。

きのこ」が「きのこ」として、「たけのこ」が「たけのこ」として、誇りを持って咲き誇り、かつ、それらが同じテーブルの上で調和を奏でる。そのような「お菓子社会」の実現に向けて、私は、この身を、この情熱を、最後の一滴まで注ぎ込む覚悟であります

皆さん、共に歩もうではありませんか。

この、分断の歴史に終止符を打ち、寛容と調和の、新しい地平へ。

その先にこそ、私たちが夢にまで見た、真に豊かな「おやつ時間」が待っているのだと、私は信じて疑いません。

以上、私の、魂の叫びであります

2026-05-11

たまたま細胞が生まれ、分裂し、生物になった。

その成れの果てが、人間

から、人がいつか死ぬのは普通

でもやっぱり納得できない

死ぬの嫌だし、逆に今すぐ死んでもいい

どっちつかずなんだよ

核戦争になって生物が全部吹き飛んだ方が、ある意味幸福なのでは?

美人は得なのか?

パパ活で超美人に会ったことが何度もある

学校一、地域一くらいに可愛い

その人達を平均したら、まあお得かもなと思うんだけど

しろ生きづらそうな人も何人かい

 

一定以上で可愛い場合芸能関係モデル美人であることを生かした仕事に就いたほうが楽そうだと思った

そうすると周りも美人なので、ある程度仲間ができるし、困ったことの対策もできる、対等に話してくれる友もできる

もちろんそういう人って性格にクセがあるから大変だけど、孤立するよりは良いんじゃないかと思う

問題は、そういう仕事が嫌いとか、苦手とか、コミュ障かいうケース

これはもうビジュアルが重荷になる

そして当然だが、ビジュアルで勝てる仕事を捨てたら、我々と条件は同じになるわけで、成功しても失敗しても周りから噂されることになる

 

理解ある彼君という手もあるが、一定以上美人だと成立しづらくなる

例えば100人から強く求められたとして、その100人からまともな1人を選ぶのは難しいし、99人の恨みを買うわけだ

幸せそうにしている美人でも話を聞くと大抵男関係で怖い目にあっている(一度や二度ではない)

 

あと面白いことに、明らかに得している美人でも、自分が得しているという自覚があまりない

おそらく小さい頃からそうだから慣れてしまっているんだと思う

から自分では普通だと思ってるのに周りからは僻まれたりいじめられたりするので、過度に周りに攻撃的になってる人が多いと思う

 

要はまあ珍獣みたいなもんだね

 

やっぱ一番幸福なのはクラスのマドンナ」くらいだと思うな

anond:20260511100849

そこまでくると、逆に、その程度で別に詰んでなんかねーよ、という話になるんだぞ。

 

五体満足だ。家もある。本人病気も、介護必要家族もない。

悪いやつとはいえ友達が居る。家族もいる。

スマホをやってる。パチンコ競馬にはまってるわけでもない。

クソみたいな職場に勤めることにはなるんだろうが、働けば働ける。

クレアルファードを買ったりすることになるかもしれんが、それはある意味幸福ってことではあるかもしれん。

そういう人生もあるわ。

2026-05-10

地方進学校から東大に行った私が、大学一年生に祈ること

地方進学校から東大に行った人間予後が悪い。

もちろん全員ではない。

ただ、少なくとも私はそうだった。

私にとって不幸だったのは、東大に入ったことではない。

自分天井を知るのが十八歳まで遅れたことだった。

十五歳で負けていれば、私はたぶん助かった。

十八歳まで勝ってしまたから、負け方を知らないまま大人になった。

私はどこで間違えたのだろう。

若い頃の私は、自分が間違えることより、他人に合わせて間違えることを恐れていた。その恐れはたしかに私を東大まで連れていった。けれど同じ恐れが、私を社会から少しずつ遠ざけた。

私は今、四十七歳になる。

はいない。子供もいない。

三度目の転職をして、今の会社に来てから二年が経つ。

前の会社は、私から見れば理不尽理由で私を遠ざけ、最後には私の居場所を消した。前の前の会社も、その前の会社も似たようなものだった。

私は毎回、自分は正しかったと思っている。

今でも半分くらいはそう思っている。

ただ、半分はもう思っていない。

これから書くのは、その「半分」の話だ。

この文章を君に向けて書こうと思った理由を先に言っておく。

先日、ある雑誌に頼まれ大学新入生向けの短いエッセイを書くことになった。

東大卒の社会人として、若者メッセージを」というやつだ。

私は引き受けた。

引き受けながら、ふざけるなと思っていた。

社会人として何かを成し遂げたわけでもない私に、なぜそんな依頼が来るのか。たぶん編集者は、私の経歴の一行目しか見ていなかったのだろう。

地方公立高校から現役で東京大学法学部

就職先も誰でも知っている会社だった。

一行目だけは綺麗だ。

二行目以降は読まないほうがいい。

私は二日間、机の前に座った。

何も書けなかった。

自己啓発言葉が一文字も出てこなかった。

「夢を持て」とも「努力は裏切らない」とも書けなかった。

書けば嘘になる。

私は夢を持っていなかった。

努力は私を裏切らなかったが、努力以外のすべてが私を裏切った。

あるいは、努力以外のすべてが私のほうから去っていった。

三日目に編集者電話して、原稿を断った。

その代わりに、誰にも頼まれていないこの文章を書き始めた。

これは雑誌には載らない。

たぶん誰にも届かない。

けれど、もし、たまたま、これから大学に入る誰かが読んでくれるなら、一つだけ伝えたいことがある。

素直になれ。

それから性格をよくしろ

書きながら自分でも笑ってしまう。

よりにもよって私が言うことか。

私はずっと素直ではなかった。

性格も悪かった。

からこれは説教ではない。

懺悔だ。

懺悔は聞かなくてもいい。

ただ、もし君が今、自分の周りを少し愚かに感じているなら、その先に何が待っているかを、私という見本を通して少しだけ覗いてみてほしい。

第一部 正解者だった頃

私が育ったのは北関東県庁所在地だ。

地名は伏せておく。

人口三十万人ほどの、何の特徴もない地方都市だった。

父は地方銀行に勤め、母は小学校給食室でパートをしていた。

妹が一人いた。

家は古かったが、貧しくはなかった。

私の最初記憶は、小学校二年生の算数時間だ。

先生が黒板に問題を書いて、「わかった人?」と聞いた。

私はわかっていた。

手を挙げた。

当てられて答えを言った。

正解だった。

先生が褒めてくれた。

隣の席の女の子が「すごいね」と言った。

私は嬉しかった。

たぶんその瞬間が、私の人生最初ピークだった。

書きながら本当にそう思う。

あの瞬間以上の幸福は、その後の私の人生にもう一度も訪れなかった。

小学校から中学校にかけて、私は常に学年で一番だった。

二番のときもあったが、すぐに一番に戻った。

地方の小中学校で一番というのは、ほとんど何も意味しない。

後になって考えれば、競争相手絶対数が少ないだけのことだ。

けれど当時の私は、自分特別だと信じていた。

周りもそう扱った。

先生も、親戚も、近所のおばさんも。

「あの子東大に行く子だから

中学校とき、母が近所の人にそう言われているのを二回か三回聞いたことがある。

母は嬉しそうに笑っていた。

否定はしなかった。

私は、否定しなかった母を嫌いにはなれなかった。

中学まではまだ良かった。

授業はつまらなかったが、それは皆そうだった。

活動もそれなりに楽しんでいた。

私はクラスで浮いていなかった。

しろ勉強ができる優等生としてちょうど良い位置にいた。

スポーツ普通にできた。

背は普通だった。

顔は、まあ、普通だった。

すべてが普通で、勉強けが少し抜けていた。

それは十三歳の少年にとって、ほとんど理想的な配分だった。

歪み始めたのは高校に入ってからだった。

私が入ったのは、県内で一番偏差値が高いとされる公立高校だった。

OB地元選出の国会議員県知事がいる、というのが地元の自慢だった。

今思えば、それも大した自慢ではない。

けれど当時は、その校門をくぐることに確かな誇りを持っていた。

入ってみると、勉強はやはり私が一番だった。

最初中間試験で学年三位を取ったとき、私は少し焦った。

自分が一番ではないことが、十五歳の私には許せなかった。

期末試験までの一ヶ月、私は本気で勉強した。

期末試験で一番を取った。

それから卒業まで、私は一度も学年一位の座を譲らなかった。

問題勉強以外で起こった。

高校一年の秋、文化祭があった。

私のクラスお化け屋敷をやることに決まった。

決まる過程で、私は反対した。

お化け屋敷過去三年間、毎年どこかのクラスがやっていた。

もう新鮮味がない。

それに暗幕の手配や教室の改造に時間がかかりすぎる。

準備期間は二週間しかない。

私は別の案を提案した。

模擬店で何か食べ物を出すほうが客の回転が早く、利益も出やすい。

これは数字で示した。

前年度の各クラスの売上データを、わざわざ生徒会から借りてきていた。

私の提案却下された。

却下した中心は、クラスで人気のあった明るくてうるさい男子だった。

彼は私の数字を見もせずに言った。

「いや、お化け屋敷のほうが楽しいだろ、絶対

クラスの三分の二が彼に同意した。

私は食い下がった。

「楽しさを論じているんじゃない。準備期間と利益の話をしているんだ」

教室が少し静かになった。

誰かが小さく「うわ」と言った。

私はその「うわ」の意味が今ならわかる。

当時はわからなかった。

担任が温和な顔で言った。

「みんなで決めたんだから、それでいこう」

私は黙った。

黙ったが、心の中では「これは間違いだ」と思っていた。

そして二週間後、その思いは正しかたことが証明された。

私のクラスお化け屋敷は、案の定、準備が間に合わなかった。

当日の朝になっても暗幕が一部つけられず、外から中が見える状態のまま開店した。

客は数えるほどしか来なかった。

模擬店をやった隣のクラスには長蛇の列ができていた。

打ち上げの席で、誰も私に「お前の言う通りだったな」とは言わなかった。

その代わり、最初に反対した男子が笑いながら言った。

「いやー、失敗したわ。けど、楽しかたからいいよな」

クラスの全員が笑った。

私は笑えなかった。

笑えない、というのは笑顔筋肉が動かないという意味ではない。

心が笑い方を覚えていない、という意味だ。

彼らは間違えたあと、間違えたまま、楽しそうに次へ進んでいた。

私は一人だけ間違えていなかった。

間違えていないのに、その輪の中にいなかった。

その夜、私は自分の部屋で長い時間考えた。

そして結論を出した。

人に合わせると間違える。

多数派は正しさを選ばない。

から自分で考えたほうがいい。

この結論は、十六歳の私にとってほとんど真理として体に入った。

そして最悪のことに、それは半分は事実だった。

これが後で書くことのすべての始まりだ。

似たような出来事はその後何度もあった。

一つだけ、もう一つ書いておく。

高校二年の春、私は生物の授業で課題研究の班に入れられた。

班員は四人。

テーマは「学校近くの川の水質調査」だった。

私はすぐに気づいた。

このテーマでは、論文として何の新しさもない。

前の学年の先輩が、ほぼ同じテーマで発表していたからだ。

私は班員にそれを伝えた。

「だから、別の角度で攻めたほうがいい。例えば、水質と水生昆虫の種数の相関を上流と下流比較するとか、もう少しオリジナリティのある切り口がいる」

班員の三人は、ぼんやりと私を見ていた。

一人の女子が言った。

「うーん、でも、先生がこのテーマでいいって言ってたじゃん」

先生は最低ラインの話をしているだけだ。発表会で評価されるためには、もう一段必要なんだ」

別に評価されるためにやってるわけじゃないし……」

そこで私は致命的なことを言った。

今でも覚えている。

評価されないものを、なぜやる必要があるんだ?」

教室空気がすっと冷えた。

そのとき私は、自分が何かまずいことを言ったことには気づいていた。

けれど何がまずいのか、正確にはわからなかった。

今ならわかる。

彼女たちは別に手を抜きたかったわけではない。

ただ、四人で何かを一緒にやる時間のものを、彼女たちなりに大切にしようとしていた。

私はそれを「評価されない無駄」と切って捨てた。

私たち研究は、ありきたりな水質調査になった。

発表会の評価は、可もなく不可もなくだった。

私はその後、班の打ち合わせにあまり出なくなった。

彼女たちも私を呼ばなくなった。

私たち最後まで、お互いの名前フルネームで言えるような関係にはならなかった。

その夏、私は塾の自習室にこもって一人で勉強するようになった。

そのほうが効率が良かった。

私の偏差値は上がった。

この時期に、もう一つ私の中で固まったことがある。

「言い方」という言葉が嫌いになった。

正しいことを言うと、決まって誰かが「言い方がきつい」「言い方を考えろ」と言った。

私には、それが奇妙な反論に見えた。

内容が正しければ、それでいいではないか

なぜ正しい内容を、わざわざ柔らかく包まなければならないのか。

それは内容より装飾のほうが大事だと言っているに等しい。

知性に対する侮辱ではないのか。

私はそう考えた。

そして、ますます内容で押し切ろうとした。

内容が正しければ、いずれ理解される。

理解されないのは、相手の知性が足りないからだ。

「言い方」を気にする人間は、内容で勝負できない人間だ。

これは私の中で信仰になった。

この信仰は、その後の三十年間、私を支配し、私を破壊した。

ここで君に一つだけ言わせてほしい。

「言い方」は装飾ではない。

内容を相手に届けるための、内容の一部だ。

届かない正論は、正論ではない。

ただの独り言だ。

私は四十歳を過ぎてから、ようやくそのことに気づいた。

三十年遅かった。

君はこれを、十八歳のうちに知ってほしい。

東京大学合格発表は、その時代はまだ本郷キャンパス掲示板に紙が貼り出された。

私は二月の終わりに東京へ出て、安いビジネスホテルに泊まり、当日、本郷に向かった。

三月十日だった。

寒い日だった。

自分の番号を見つけたとき、思っていたほど嬉しくなかった。

これは嘘ではない。

本当のことだ。

「やった」とは思った。

「これで人生最初の関門は越えた」とも思った。

けれど、それだけだった。

なぜなら私は、合格することを最初から知っていたからだ。

模試の判定はずっとAだった。

直前の本番形式の演習でも、合格者平均より上を取り続けていた。

落ちる理由がなかった。

から合格は、驚きではなく確認だった。

掲示板の前では、合格した人たちが抱き合ったり、泣いたり、家族電話したりしていた。

私は誰にも電話しなかった。

電話する相手がいなかった、というのとは少し違う。

電話する相手はいた。

父にも母にも、塾の先生にも電話できた。

けれど誰の声を聞きたいとも思わなかった。

私は一人で本郷の門を出て、近くの蕎麦屋に入り、かけそばを食べた。

蕎麦はぬるかった。

それでも最後まで食べた。

蕎麦屋を出てから赤門のあたりをもう一度歩いた。

三月の風が冷たかった。

そのとき一つだけ、ふと思ったことがある。

この四年間、誰と過ごすんだろう。

不思議感覚だった。

喜びではなく、空白に近い感情だった。

私はこれから、知らない街で知らない四年間を過ごす。

誰も知らない

誰も私を「すごい」と言わない。

私の隣の席に座る人間は、たぶん私と同じくらい問題を解ける。

少しだけ怖かった。

けれど私は、その怖さをその日のうちに押し込めた。

「いや、俺はやってきた。一人でやってきた。これからも一人でやればいい」

そう自分に言い聞かせた。

これは合格した日に、十八歳の私が自分自身に与えた呪いだった。

その呪いに私は気づかなかった。

二十年以上、気づかなかった。

続き→https://anond.hatelabo.jp/20260510234017

anond:20260510001759

当時も面白いと思ってやってた上に、そうだと断定できる材料もないのに勝手邪推して被害者になってりゃ世話ないわ。幸福になる才能がない。

2026-05-08

全裸シャンパンタワーが他人事じゃない。声優出会いたい。

dlsiteえっちな音声が100円で買えたりとか咀嚼音のASMRが流行るよりもかなり前からダミーヘッドマイクでのシチュエーションドラマCDを聞き続けている。

収録後に声優ダミーヘッドマイクの黒い頭部とオフショット撮ったりしていたのが懐かしい。

最近dlsiteで私も買っているのでその辺の文化がまだ生き残っているのか分からない)

行為よりも前にシチュエーションCDセックスを終えているような人間なので、

いざ性行為を色々やってみても結局「シチュCDに勝るものはない」に帰結してしまう。

よく考えたらあの性行為よかったな〜と思えるものは声が好きでやたら話しかけてくるタイプ言葉責めです)のものしかなかった。

どんな人間との性行為よりも、

イヤホンで耳に蓋をし布団にこもってシチュCDを聞く方が幸福だということを自覚して以来の私の願望は

「性行為はいらないので耳元でシチュCD台本読み上げてくれるプロ出会う」という他人尊厳フルシカトの最悪なものになってしまった。

プロであれば見た目、年齢一切問わない。私をダミーヘッドマイクにしてさえくれれば何でもいい。ガチ死ぬまでに1回やりたい。

全裸シャンパンタワーの投稿を見た時、お金とは一体なんなんだろう、なんて考えていたら仲の良い女の子が「私にお金があって尊厳や体を売っている人と出会った時に同じようなことをしてしまうかも」と言っていたのが衝撃だった。

しかに私も大金を手にした時、私をダミーヘッドマイクにして欲しいという願望を叶えようとしないかと言われると、絶対やってしまうし(マジで捕まった方がいい)その子一言自分お金で人の尊厳を買い叩いてしまう側の人間なんだと自覚させられた。

現にやらかし声優や売れない声優アダルトCDに流れてきて信じられない淫語喋ってたりBLCDで喘いだりするし。尊厳を売買している側面はそっちの界隈にもあるのかもしれない。

金は貯めるのでどうにかこういうことを叶えてくれる声優出会いたいのです。いやそれよりも前に閉鎖病棟かにぶち込んで欲しいかも。でも死ぬ前にダミーヘッドマイクになりたい。助けてください。

蛇足ですが近年流行りの淫語系は結構地雷です

全裸シャンパンタワーが他人事じゃない。声優出会いたい。

dlsiteえっちな音声が100円で買えたりとか咀嚼音のASMRが流行るよりもかなり前からダミーヘッドマイクでのシチュエーションドラマCDを聞き続けている。

収録後に声優ダミーヘッドマイクの黒い頭部とオフショット撮ったりしていたのが懐かしい。

最近dlsiteで私も買っているのでその辺の文化がまだ生き残っているのか分からない)

行為よりも前にシチュエーションCDセックスを終えているような人間なので、

いざ性行為を色々やってみても結局「シチュCDに勝るものはない」に帰結してしまう。

よく考えたらあの性行為よかったな〜と思えるものは声が好きでやたら話しかけてくるタイプ言葉責めです)のものしかなかった。

どんな人間との性行為よりも、

イヤホンで耳に蓋をし布団にこもってシチュCDを聞く方が幸福だということを自覚して以来の私の願望は

「性行為はいらないので耳元でシチュCD台本読み上げてくれるプロ出会う」という他人尊厳フルシカトの最悪なものになってしまった。

プロであれば見た目、年齢一切問わない。私をダミーヘッドマイクにしてさえくれれば何でもいい。ガチ死ぬまでに1回やりたい。

全裸シャンパンタワーの投稿を見た時、お金とは一体なんなんだろう、なんて考えていたら仲の良い女の子が「私にお金があって尊厳や体を売っている人と出会った時に同じようなことをしてしまうかも」と言っていたのが衝撃だった。

しかに私も大金を手にした時、私をダミーヘッドマイクにして欲しいという願望を叶えようとしないかと言われると、絶対やってしまうし(マジで捕まった方がいい)その子一言自分お金で人の尊厳を買い叩いてしまう側の人間なんだと自覚させられた。

現にやらかし声優や売れない声優アダルトCDに流れてきて信じられない淫語喋ってたりBLCDで喘いだりするし。尊厳を売買している側面はそっちの界隈にもあるのかもしれない。

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蛇足ですが近年流行りの淫語系は結構地雷です

2026-05-04

朝日新聞連載Re:Ronメディア公共記事 インタビュー 9条だけでない、憲法という「自己拘束」の知恵 木村草太さんに聞く 2026年5月3日 7時00分 聞き手大内悟史

憲法学者木村草太さんインタビュー

 

時は来た」と高市首相憲法をどう変えたいのか 持論は「国防軍

 ――戦後日本社会と人々の暮らしを支えてきた憲法は、地に足のついたものになっているでしょうか。

 

 憲法が示している戦後日本の基本原則は揺らいでいないと思います平和主義国民主権人権尊重を捨て去りたいという人はごく一部でしょう。ただ、気になる点もあります憲法学者として人権差別解消の問題に長く取り組むなかで、昨年出した『幸福憲法学』ではこう指摘しました。

 

 「本来は『人権』という言葉を使うべき場面で、それを避ける例もある」「『人権』という言葉は避けられている」と。

 

 ――80年近くを経て、憲法価値観空洞化しているということでしょうか。昨夏の参院選では外国人政策が急に争点化し、排外的政策を掲げる政党政治家が広く支持を集めました。

 

 社会経済の先行き不安や怒りが広く存在するとき、人はその原因を何かに帰属」させようとします。何が不安や怒りの原因かは目に見えるほど明確ではないので、その帰属先はしばしば操作されます哲学者スローターダイクは、中世カトリック教会共産主義が、人々の怒りの矛先を操作して自分たちエネルギーしたことを論じています。怒りや不安を人の属性帰属させれば、差別の出発点となります

 

 例えば、外国人に見える観光客マナーが悪かった時、その人の問題とするべきですが、外国人差別を煽(あお)る人は「外国人観光客全員」あるいは「在留外国人も含む外国人全員」の問題とする操作します。

 

 ――メディアも、目に見える誰かのせいにして差別に加担しないようにしたいです。

 

 差別を防ぐには、不安や怒りを安易に誰かのせいにしないという意味での「自己拘束」が必要です。メディアが、因果の流れを丁寧に説明する必要があるでしょう。例えば、原油高に伴う物価高のメカニズムを報じることは、日常イライラを「外国人」に向けず、適切な対策を打たない政府や、戦争を続けるロシアイスラエル問題意識させることにつながります

 

プライバシー権と「差別されない権利

 ――不安や怒りのはけ口を探して、誰かを標的にする。そうして自分感情操作された結果、差別に加担するのは嫌です。

 

 憲法の掲げる人権差別解消の理念は、憲法学が最前線で扱うテーマの一つ。最近研究では、プライバシー権をめぐる議論差別問題とつなげながら掘り下げて考えています

 

 プライバシー権は、個人尊重幸福追求権を定めた憲法13条にもとづき、発展してきました。

 

 プライバシー権は「一人で放っておいてもらう権利」に由来します。この権利は、他者自分を標的として認識されない状態を守る権利とでも言いましょうか。あの人は、一人暮らし女性だ、老人だ、と認識されると、犯罪に巻き込まれリスクが高まり、緊張します。そう認識されないことで安心する。その安心感を守ろうというのが出発点です。

 

 その後プライバシー権は、人に知られたくない個人情報を知られずに、隠したいことを隠すための権利として発展しました。さらに、性的指向被差別部落出身であることなど、被差別情報を隠す権利としてもプライバシー権が使われるようになってきました。

 

 ここに概念の混乱が生じます

 

 ――混乱とは?

 

 個人情報なかには、裸や家の中など、①認知されるだけで苦痛情報と、認知されることよりも、②それを使った違法行為差別心配情報があります

 

 プライバシーとは、もともと①を隠すことだったわけですが、最近では、②もプライバシーにすることで違法行為差別を防ごうという議論になってきています

 

 しかし、違法行為差別に使われる情報なかには、公開されているものもあります。例えば、大学新聞社電話番号は公開されていますが、「いたずら電話をしよう」という呼びかけとともにSNS投稿されたら迷惑です。また、性別や肌の色は、隠されたプライバシー情報とは言えませんが、それを差別のために使われてはたまりません。

 

 これらの問題は、プライバシーとは別の権利、つまり違法行為を誘発する形で公表されない権利や、差別に使われない権利対応した方が明快です。ところが、最近プライバシー権議論は、これらの問題も隠したい情報を隠す権利の応用で対処できるとして、プライバシー権の射程を広げて対応しようとします。

 

 ――プライバシー権とは別に差別されない権利」があるということですか。

 

 はい。隠したいものを隠すプライバシーという概念対応しようとすると、性別や肌の色、出身地といった公開情報での差別は防げません。

 

 「差別されない権利」なら、公開情報だろうが、非公開情報だろうが、それを不当に利用してはならないと議論できますプライバシー権は、個人情報を「認知させない」権利だとすれば、差別されない権利個人情報を不当に「使用させない」権利です。

 

 このことは外国人差別とも深く関係しています

 

 肌の色や話す言葉など、公にされた情報外国人かどうかを推測できることがあります。ここから、「外国人お断り」のような差別が生まれます

 

 「外国人お断り」をする人からすれば、公開情報を使っているだけだからプライバシー権侵害していないと思うでしょう。しかし、外国人だという個人情報差別に使うことは、差別されない権利侵害と捉えるべきです。

 

 他にも、LGBTQの性的指向性自認などを本人の許しを得ずに暴露する行為を「アウティング」と呼びます。こうした行為プライバシー侵害だと言われてきました。ですが本来性的指向性自認は「隠したい恥ずかしい情報」ではなく、当人アイデンティティーの根幹となる情報です。アウティング問題なのは、恥ずかしい思いをさせたからではなく、差別をするかもしれない人に情報を開示して、差別を誘発する危険を作ったからだと考えるべきです。

 

 プライバシー権のおかげで、私たちは他の人の個人情報認知するときに慎重になれました。ただこれだけでは足りない。プライバシー権と「差別されない権利」を区別すれば、既に認知した情報でも、「この場面でこう使っていいのかな?」と使用の場面で慎重になれます権利を知ることで、差別を防ぐ「自己拘束」ができるわけです。

 

 ――個人情報差別的な使用とそうでない使用は、どう違うのですか?

 

 個人選択の結果を、国籍性別帰属させると差別になります。例えば、犯罪をするかどうかは個人選択ですが、それを国籍出身地のせいにするのは差別だと言わざるを得ません。

 

 雇用の場面でも、「この人は女性から辞職する可能性が高い」とか「外国人からこういう行動をとるはずだ」と判断するのも、性別国籍情報差別的な使用の例でしょう。不安イライラを「外国人」のせいにしがちなトレンドを止めるには、「差別されない権利」の考え方を根づかせることが重要です。

 

憲法に書き込む影響力

 ――そうしたトレンドの一つと言えるのかもしれませんが、高市早苗首相4月12日自民党大会で「時は来た」と述べ、改憲に意欲を示しました。

 

 不安イライラを「憲法」に帰属させるトレンドですね。

 

 国会憲法審査会などの議論は始まったばかりで、高市首相が目指す改正案はまだ示されていません。

 

 自民党のものとしては、安倍晋三政権下の2017年に示した「改憲4項目」がありますが、いまなぜ改正必要かという根本的な理由けが希薄でした。参議院の合区解消には実務的な必要性があるかもしれませんが、残りの3項目、自衛隊の明記や緊急事態対応の強化、教育環境の充実については、現行の憲法法律でも不足はない。仮にあっても、法律改正で済むような話ばかりです。

 

 日本への武力攻撃があった場合防衛行政は、現行憲法でも禁じられていません。緊急事態に際し、あらかじめ法律の定めた条件の範囲政令を出すことも、禁じていません。実際、災害対策基本法には、その例があります

 

 ――自民党の狙いは改憲の実績づくり、いわば「お試し改憲」だとの見方もあります

 

 もともと自民党の方々は、憲法9条2項を削除して軍を創設すると言ってきました。自衛隊明記案というのは、軍創設案の支持が広がらないため、「現状維持なら実現しそう」と出てきた妥協案なのでしょう。新しい条項ができると、「これまでできなかったことができるようになったのだ」と解釈される危険が生じ、何が起きるか不透明になります。当たり前ですが、現状維持したいなら、現状を維持するのが一番です。

 

 ――それでも、少しでもよい改憲なら賛成するという人もいるのではないでしょうか。

 

 憲法は国の最高法規。条文に書いていない要素を書き込むことによる影響を慎重に検討する必要があります

 

 例えば、明治憲法における都道府県位置づけはあいまいでしたが、戦後憲法92~95条に地方自治原則が書き込まれ、そのことで地方分権が大きく進展しました。もしいま自衛隊憲法に明記すれば、国家権力執行する警察海上保安庁などのほかの行政組織にはない強固な地位を得て存在感を増すでしょう。それでよいのかどうか。

  

 ――日本を取り巻く国際情勢は厳しさを増しています災害救助だけでなく有事切り札として自衛隊に期待する世論は高まっているように思います

 

 災害救助や国際貢献の面で自衛隊活動評価する世論トレンド理解しますが、慎重な分析必要です。

 

 憲法9条は、日中戦争太平洋戦争反省の下で外国領土侵略するような武力行使制限する「自己拘束」です。

  

 憲法制定から80年近くが経ついま、国際情勢が悪化していても、湾岸戦争イラク戦争ロシアウクライナ侵攻、米国イスラエルイラン攻撃などの戦地自衛隊派遣すべきだという世論国内で盛り上がる気配はありません。国連平和維持活動PKO)で自衛隊戦闘地域外に派遣する道はありますが、世論も、武力行使には非常に厳しい態度をとり続けています

 

 9条改憲を長年目指してきた自民党保守派でさえ、戦力の不保持をうたう9条2項の削除などではなく自衛隊の明記を目指す妥協策を打ち出すようになったことは、同項の平和主義精神改憲派にまで浸透したこと意味しており、「護憲派勝利」とさえ言えるのかもしれません。

 

 ――心配性かもしれませんが、そうした日本世論台湾有事などの危機に直面すれば、大きく転換しうるのでは。

  

 もし中国台湾武力侵攻した場合在日米軍基地自衛隊基地攻撃対象になるでしょう。必然的に、日本への武力攻撃事態となり、個別的自衛権の発動場面となります台湾有事は、海外での集団的自衛権行使とは違う事態だと考えるべきです。

  

 ――もう一つ気になるのは、自民党日本憲法改正草案12年)や「創憲」を掲げる参政党の新日本憲法(構想案)(25年)のような全面改憲可能性です。

 

 憲法の基本原則、すなわち国民主権平和主義基本的人権の尊重を廃棄するような全面改憲ができるとは思えません。ただ、逆説的ですが、そうした憲法価値観がしっかり浸透しているからこそかえって警戒心が薄れ、「自己拘束」の歯止めが利かなくなっていることが問題だと見ています

 

■「自己拘束」のルール、なくすばかりでは

 ――どういうことでしょう。

  

 高市首相4月21日防衛装備移転三原則改定閣議決定し、武器輸出を全面解禁しました。これは、安倍政権による集団的自衛権解釈変更(14年)や、岸田文雄政権が22年改定安全保障関連3文書に盛り込んだ敵基地攻撃能力保有防衛費の国内総生産(GDP)比1%枠超え(23年度予算)などに続く出来事です。

  

 憲法9条に、「武器を輸出してはいけない」とか、「防衛費はGDP比何%まで」と具体的に書いてあるわけではありません。しかし、9条からは、日本紛争を煽らないようにする「自己拘束」の原理原則を生み出し続けるべきだという規範が導かれると考えられてきました。武器輸出禁止などは、そこからまれルールです。こうしたルールを守ってきたことが、政府自衛隊の信頼を作ってきました。

  

 こうした信頼の蓄積は、「このルールをなくしても、めったなことはしないだろう」という方向にもつながります。ただ、信頼を食いつぶしていけば、いつかは破綻(はたん)します。だからこそ、憲法9条の下で作られたルール安易には手を付けない方がいいし、新しい状況に対応するために変える必要が生じたとしても、別の「自己拘束」のルールを作ることとセットで変えるべきです。現状の敵基地攻撃能力武器輸出の解禁は、ただルールをなくしただけで、新しい「自己拘束」のルール原則が示されていません。

  

 ――敗戦直後の日本軍国主義の復活を警戒したのは分かります。でも冷戦が終わり、米中ロなど大国の横暴が目立つ21世紀日本にとっても「自己拘束」は必要でしょうか。

 

 イスラエルネタニヤフ政権を見れば分かりますが、権力者にとって、対外武力行使権力を維持する魅力的な手段です。どんな状況でも「自己拘束」が不要ということはないでしょう。

 

 ――防衛費のGDP比2%は、25年度補正予算で達成されました。高市政権安保3文書改定にも乗り出しています

 

 憲法に具体的な数字が書き込まれておらず、準備すべき防衛装備に幅があるからといって何でもやっていいわけではない。

 

 少なくとも、GDP比率に代わる新しい財政規律ルールを考えておくべきでしょう。武器輸出についても、内閣裁量で変えられる政令から格上げして法律化し、対象国や対象品目を国会で決めるルールに変えるなどの対応は考えるべきでした。

 

 また、近年の防衛政策は「経済安全保障」「デュアルユース(軍民両用)」といったキーワードに見られるように、防衛省・自衛隊だけでなく、企業活動学術活動SNS通信など、様々な生活領域防衛政策に巻き込んでいく特徴があります。ここでは、営業自由学問の自由刑事訴訟における適正な手続きがおろそかにされる危険があります。実際、大川原工業経済

うむ! 驚いた! 君たちは皆、自分こそが正しいと信じて疑わないのだな!

己の正義のために、見ず知らずの他者をここまで熱心に罵倒できるとは、凄まじい精神力だ!

だが、忘れるな!

言葉相手を屈服させようとするのは、暗闇で目隠しをして刀を振り回すのと同じこと!

当たっても相手は死なぬし、君の心も満たされまい!

フェミニズム政治も、本来は『人が幸福になるため』の学問ではないのか!

互いに馬鹿と呼び合って、誰か一人でも笑顔になったか!?

よもやよもやだ! 柱として不甲斐なし!!

全裸シャンパンタワーが他人事じゃない。声優出会いたい。

dlsiteえっちな音声が100円で買えたりとか咀嚼音のASMRが流行るよりもかなり前からダミーヘッドマイクでのシチュエーションドラマCDを聞き続けている。

収録後に声優ダミーヘッドマイクの黒い頭部とオフショット撮ったりしていたのが懐かしい。

最近dlsiteで私も買っているのでその辺の文化がまだ生き残っているのか分からない)

行為よりも前にシチュエーションCDセックスを終えているような人間なので、

いざ性行為を色々やってみても結局「シチュCDに勝るものはない」に帰結してしまう。

よく考えたらあの性行為よかったな〜と思えるものは声が好きでやたら話しかけてくるタイプ言葉責めです)のものしかなかった。

どんな人間との性行為よりも、

イヤホンで耳に蓋をし布団にこもってシチュCDを聞く方が幸福だということを自覚して以来の私の願望は

「性行為はいらないので耳元でシチュCD台本読み上げてくれるプロ出会う」という他人尊厳フルシカトの最悪なものになってしまった。

プロであれば見た目、年齢一切問わない。私をダミーヘッドマイクにしてさえくれれば何でもいい。ガチ死ぬまでに1回やりたい。

全裸シャンパンタワーの投稿を見た時、お金とは一体なんなんだろう、なんて考えていたら仲の良い女の子が「私にお金があって尊厳や体を売っている人と出会った時に同じようなことをしてしまうかも」と言っていたのが衝撃だった。

しかに私も大金を手にした時、私をダミーヘッドマイクにして欲しいという願望を叶えようとしないかと言われると、絶対やってしまうし(マジで捕まった方がいい)その子一言自分お金で人の尊厳を買い叩いてしまう側の人間なんだと自覚させられた。

現にやらかし声優や売れない声優アダルトCDに流れてきて信じられない淫語喋ってたりBLCDで喘いだりするし。尊厳を売買している側面はそっちの界隈にもあるのかもしれない。

金は貯めるのでどうにかこういうことを叶えてくれる声優出会いたいのです。いやそれよりも前に閉鎖病棟かにぶち込んで欲しいかも。でも死ぬ前にダミーヘッドマイクになりたい。助けてください。

蛇足ですが近年流行りの淫語系は結構地雷です

2026-05-03

東京にたくさんいる現代アンダークラス

20代くらいの東京の子たちと話してて思うこと。

親共働きで世帯年収600万ぐらい、家はずっとせまい賃貸で、東京で生まれ育ち東京就職する……というようなひとってめっちゃ多いんだな。

彼らは家に金がないから、全然体験」を人生の中でできていない。修学旅行以外で旅行に行ったことは一度もない。習い事とかも特にしてない。友達あんまりいない。なんかよくわからない私立大学に謎に奨学金とか借りてまで入り特に勉強を頑張るでもない。

何してるかというと、YouTubeみたり、SNS芸能人投稿見たり、無料スマホゲーム無課金でやったり、毎週少しずつ更新される無料Web漫画を読んだりしてる。こういうのを子供の頃からやってて就職しても金ないしずっと続けてる。

まあこの暮らしが不幸かというとそうでもなくて、ご機嫌に暇潰せるし一応食えてはいるし、文明進歩の素晴らしさって感じではあるよなあ。

でも彼らの人生光景ってほとんどがスクリーンから得られる無料コンテンツなんだよなあ。前述の通りこれは良くも悪くもないとは思うのだが、これこそ現代アンダークラスだなと思ったり。

彼らが田舎で生まれ育ってたらまた違った人生もあった気がするんだよな。コミュニティから断絶されず、休み自然の中で過ごしたり、友達バーベキューしたりさ。マイルドヤンキーやんけって言われればそうなのだろうけれど、気が合う仲間とそういうのやるのって楽しいし、順応できるのならいいじゃんね。家族支援や代々受け継ぐ家とか土地とか人間関係などの資産も。東京人生をおくると結局こういう、特に能力向上心ももたない人々が幸福に過ごすためのアセットから切り離されてしまうと思うんだよなあ。

みたいなことは延々言われてきてる気がするが、ゴールデンウィークでごった返す空港ロビーで、「体験」をたくさんしてそうなガキを見つつ最近若い子と話したのを振り返りながら改めて思ったのであった。

まあでも金なくてもぼちぼちやれるのはい時代だよね

2026-05-02

女性清潔感に拘る理由考察

女性は、男性に比べて、色に関する感覚が鋭いと言われている。

男性が5色程度にしか分類できない色のグラデーションを、女性は倍以上の色に区分できるなどという実験結果もある。

このような女性特有の「見かけ」を判断する能力は、我々人類種が生き残りをかけた淘汰圧といわれるものにより進化してきたものである

人間集団で「狩り」というものを道具を使って組織的に行うようになったのはいつ頃なのか?

それは判然とはしないが、ひとつ推察できるのは、その「狩り」は男性が中心となって行われたに違いないということだ。

これは単純に運動能力に起因する。

現代に生きる我々のスポーツ競技などや、もっと一般的学校における体力測定などの結果でも、身体能力の平均は男性の方が女性より優れている。

体格も、筋力も、持久力も、何もかも男性の方が女性よりも「平均的」に優れている。

もちろん個人差はある。

オリンピックに出る女性アスリートと、週末に多少のウォーキングをする程度の人とではその能力は当然女性アスリートのほうが上である

ただ、問題となるのは平均的な能力である

戦闘における歩兵集団大事なのは、その平均的な能力である定義したのはナポレオンであったか

ひとりの勇者よりも、集団として平均的な能力が高いほうがより優秀な戦力となるのは、我々には自明であるが、当時はそうではなかったようである

かに騎士文化華やかなりし頃には1人の武勇尊重されていたとしてもおかしくない。

そのような偏見がある人にとっては、たったひとりの特異点重要視する傾向にあるが、科学的に考えれば平均の能力集団としての能力になるは当たり前である

そう考えると「狩り」という集団的な行いをするにあたって男性けが選抜されてそれを行うのも当たり前である

体力の劣る、女がそこに加わることは集団としての能力を下げることになるからだ。

では、女性はそのような狩猟集団の中で、ただ養われるだけの存在であったのか?

もちろん、そんなことはない。

女性は、狩りが出来ない代わりに料理や多少の保存が出来るように食材を加工したりすることに精を出すことになる。

まり、男が狩りをして獲物を持ち帰り、女はそれを料理したり加工したりするのが仕事になったのである

これが、人類としての自然の姿であるのは言うまでもない。

そのような当たり前の姿の発展として、女性が獲得していったのが「見た目」を判断する能力である

食材調理や加工を担当する女性にとって色の判断や、あるいは臭い判断重要である

とくに、ある一定の保存をした食材が食べれるものであるかどうかを判断する能力死活問題である

もちろん有史以前人類食材長期保存技術などというのは現代と比べものにならない。

精々が1週間程度の保存ができたかどうか?というところだ。

しかし、そのわずかな食料の備蓄が出来かどうかが生死を分けた時代もあったはずである

基本的狩猟民族は豊かであったと言われている。

彼らは転々居住地域を移動することにより適度な環境破壊をしつつ自然共生していたかである

が、そういう幸福時代だけではなかった。

とき自然過酷な状況を見せつけ、人類がその生存を賭けて様々な挑戦をし続けなければならなかったはずである

そんななかで食料という人間に欠かすべからものを、何が食べれて何が食べれないかを判定するための能力女性にあるかどうかはその集団の生死を分けた。

腐っているか、腐っていないか

腐りかけているが、まだ食べれる。

腐り始めだが、もう食べれない。

そのような判定が現代であれば、少しお腹を壊す程度のものであったとしても、有史以前脆弱人間集団において、極めてシビアで欠かすことの出来ない能力であった。

その判定ができない女性を多く含む集団進化淘汰圧の中で滅んでいったのだ。

こうして、我々人類は、女性は「見た目」に対する鋭い判別能力と、ジャッジメントする習性を見に付けたのである

このような知識を得ると、「清潔感」が「清潔感」と呼ばれるのもある種の納得がいくというものである

そして、女性が太古の昔から引き継いできた家事をするために獲得してきた大いなる能力現代においてはあまり意味のないものに活かされているのも、何やらいっそ人間的でおかしみがある。

彼女らは、大昔の祖先たちが生存のために必死状態で獲得した能力を極めて無意味なことに傾けているのであるのだから皮肉である

2026-05-01

anond:20260501181653

幸福?と聞かないで

嘘つくのは得意じゃない

男性だけど

男性の僕の感覚は違う。

一人ぼっちでいることを後悔してる・・・。うっすらと引き伸ばされた袋小路にいる感じ。

特に幸福ではないし、かといって別に死にたいわけじゃないけれど、30点の日常継続してる。

うーん。

上手く言語化できないんだけど、人生意味がわからないというか、世界という物語主人公とはとても思えないというか、

自分の こころ が欠けてるような。

「ここは違う」

「ここにいるべきじゃない」と。

何とかして子どもの頃にワープしたい。

すべてが期待に満ちて輝いていた、あの頃に。

恋愛離れの原因は男女分断という話を聞いたけど、あの頃の僕を見つけたら、肩をつかんで言い聞かせると思う。

女の子を、避けるな!

2026-04-30

小豆島人口は2万5000人ぐらいだそうだが、小豆島に生まれたら必然的に島の自然に接するわけで、つまりYouTubeショート動画SNS時間を溶かすいまどきの若者でなく、自然を愛する者として育つんじゃないか。幼少期には幼馴染の女の子と戯れて親密になって、中学に上がったぐらいでお互い意識しだして、やがて付き合って、夏の神社境内の人気のない所でセックスしたりして青春謳歌するんだけど、高校三年の夏に男の方が「おれ、東京行くから…」って打ち明けて、女の方は寂しいけど家柄的に島に残ってなきゃいけないから気丈にふるまって、残された時間幸福で満たそうとするみたいにえんえんセックスするとかだったらいいな。

財務省職員のお子さんがから揚げを食べられずにやせ我慢の日々を送っている

賃上げ幅次第では我慢が出来ずにいよいよ財務省職員のお子さんがから揚げを食べられなくて泣いてしま

賃上げの良さを一番知るべき人は財務省職員

まずは増税でもして公務員の大幅な賃上げを達成させよう

それが国の安定そして最大幸福をもたらすだろう

2026-04-29

anond:20260429115629

収入とかまた金の話かよ

よく聞けよ

俺より圧倒的に金持ってるひろゆきがいるけど

金の分だけ幸せな顔とかしてないだろ?

例ばそこでひろゆき

「あひょおおおおおおおおおおおうひょおおおおお」

とか常時射精してるオーガズム状態みたいな感じなら羨ましいと思うけどよ

そうじゃないだろ

ひろゆきが常時「うひょおおおおあふおおおおおひょおおおあああああああううおおおおお」

とか常時射精しているとかなら納得できるけど

そうじゃないなら幸福レベルって限界あるそ

つまんねー

2026-04-28

反出生っておそらく道徳突き詰めたら正しいのに、種の存続とかい機能してない古いプログラムのせいで無いものにされている。

先に言っておく、自分の生まれはとてもとても幸せ環境だった。(恨みじゃないってこと)

からまれてきちゃったんだから楽しめる分は楽しもうの精神でいる。

その上で子を産むというということは今の時代では人権保障されるべき一個人が生まれるということ、その人生では幸か不幸か分からないがその色々な出来事の中で生きることになる。

その上で私たち理想の状況と比べた時その人生はあまりにも危うい、究極生まれて数秒で苦痛を覚えて死ぬ可能性がある。もし産まなければその可能性が存在しない、だからそのゼロを+かーかにする責任を本当に人間は負えているのか。

逆に素晴らしく幸福人生を送れたとしてもそれが産まなくてなかったとしても何の問題にもならない、

簡単に言えば生まれなかったらという私たち認識不可であるがゆえに責任を負わないはずだったものをわざわざ私たちの取り扱える領域に落とし込むのが出産であろう

anond:20260428155405

みんなそれぞれの幸福(ただし不自由・不便・面倒・苦労その他は全て男に押し付けます

anond:20260428155115

みんなそれぞれの幸福を目指していると思います

anond:20260428113738

他人の不幸は俺の幸福から既得権益に限らず不幸な奴が増えると俺は幸せだよ😀

2026-04-25

ワンピースオチってどうせ幸福青い鳥パターンだろ

この冒険の旅で得た仲間たち、それこそが宝なのです

ケッ

人間が歳を重ねるごとに幸福感が上がっていく理由

それは頭の中が年々馬鹿になっていくから

そのうちに飽和点がやってきて普通の人から馬鹿な人になる。

それが幸福になる切っ掛けです。

これをアルジャーノン法則というらしいですね。

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