はてなキーワード: 否定的とは
創作における「マン堕ち(男性が女性器や性交渉によって屈服・堕落すること)」の需要と位置エネルギー(物語的な落差)の関係については、以下のような分析がソース内でなされています。
創作において「マン堕ち」が成立し、需要が生じるためには、キャラクターの初期状態における「位置エネルギー(社会的地位、高潔さ、厳格さなど)」の高さが不可欠であると指摘されています。
多くの意見において、男性は現実的に「マン堕ち」の状態がデフォルト(初期設定)であると見なされており、それが創作上の需要を下げている要因として挙げられています。
「マン堕ち」に対する需要は、その描き方によって分かれています。
結論として、創作における「マン堕ち」の需要は、「どれだけ高い位置(高潔・厳格・強者)から、どれだけ無様に転落したか」という位置エネルギーの落差に依存しており、単なる欲求に忠実な男性の描写では、その価値は低いとみなされる傾向にあります。
https://x.com/kimura6933/status/2051943620186710247
「どうして結婚しなかったの?子供をうまなかったの?」と聞かれたら 「私はむしろその質問が謎なんですよ。何かを行うことには明確な動機がありますが、行為しないことには理由がない場合も多いですよね。逆に結婚出産する人の志望動機を聞きたいですね」と返答してしまいそうでウザい独身決定
肯定的反応が9割以上を占め、「鋭い論理返しとして面白い」「前提を崩すのが秀逸」という評価が主流です。
否定的な声は少なく、主に「韓国人全体の民度を下げるような表現」や「暴力的な比喩」を不快に感じる層から出ています。
ツイート自体が「韓国人の切れ味」をポジティブに取り上げているため、共感層が集まりやすい構造になっています。
傾向として「パンチの効いた短い皮肉・論理の隙を突く返し」が強いと言われます。
韓国は掲示板・コメント中心のネット文化が早くから発達(DCinside、Ilbe、FM Koreaなど)。
匿名で短く強く言い合う「単頭リーグ」みたいな環境で育った人が多い。
短くてインパクト大、相手の論理の穴を一撃で突くスタイルが評価されやすい。
日常の「先手必勝」的なノリ(兵役経験者の影響もたまに挙げられる)や、即興で鋭い悪口・皮肉を作る文化があると言われる。
ドラマやバラエティでも、毒舌・皮肉の掛け合いが結構激しいものが多い。
日本と比べると、「優しい空気を読む」より「論破して勝つ」方向に振れやすい印象で
海外からも「韓国ネット民のレスは容赦ない」とよく言われます。
ただし、これはネットの一部(特に荒れやすいコミュニティ)の傾向で、全員がそうとは限りません。
このツイートの返しも、まさに「前提ごと疑う」タイプの典型で、だからこそ「禅問答みたい」と日本人が驚くんですよね。切れ味は本物です。
さんきゅー。
学生運動は今の左翼に繋がるだろうから「日本の現代の左翼」の範疇と言えそうかな。
反トランプのデモを否定的に見ているのはせいぜい半分なので増田基準で冷笑されるほどでもない?(保守派は冷笑してそうだけど)
反プーチンのデモを否定的に見ているのは、日本の学生運動を見る目に近い8割くらいいるのかな?ロシアの世論調査をどう捉えるかにもよるけど。増田基準では十分に冷笑に値する?それともロシアは日本と事情が違う?
結局、多数派になれるかどうかというグラデーションの問題なのかな?
むしろ逆説的に、日本の現代の左翼は、水増し・偽装・報酬なんかやってる連中だからこそ、多数派にはなれっこないってことかな?(増田の言う「逆に言えば全部改善出来れば、冷笑されない反戦デモが実現する」ってことかな?)
○ご飯
朝:アーモンド。エナドリ。昼:焼きそば。目玉焼き。夜:たまごやき。沢庵納豆冷奴。キュウリ。トマト。ギョニソ。バナナ。ヨーグルト。間食:柿の種。あずきバー。
○調子
ゲーム三昧。
ミアレシティ散策を飛ばしてしまっているので、明日はそこから。
神石の進捗は、火水風が210、土光が220、闇が230。
それぞれ素体は一個ずつあって、配布のグローブもあって、金剛が14個あるので、リソースをブッ込めば終わるんだけど、流石に流石に。
・5段階評価:4
・あらすじ
天国のように幸せな世界、天象旅籠に迷い込んだ人狼の少年イツルギ。
そこで快活な青年タケツミ、細かい性格だが根は優しいおじさんの災藤たちと交流を重ねる。
生前の暮らしとは大きく異なる自由で豊かな生活を満喫するも、そこでの暮らしに意を唱え、元の世界に戻りたいと語るマレビトのアンサージュと出会い、一変追われる身となる。
タケミツに手をかけられながら、イツルギは自分の望むものが何かを思案するのだった。
・印象に残ったセリフ
イツルギ「はい! 皆さんぼくを、正しく育つようにと教えてくださって!」
身体に着いた傷を明るくあっけらかんと語れてしまう一幕。生前の暮らしぶりの悲惨さがよくわかり辛い。
・印象に残ったキャラ
災藤。イツルギとタケツミのイチャイチャがベースながら、二人の関係値を見つめる第三者目線の彼がいるおかげで二人のラブラブっぷりがよく伝わった。
・感想
今までのお話とは色が違う新章開幕。とはいえ、明らかに過去に死んだキャラクタも登場しており、天象旅籠がなんなのかを端的に表しているのも良き。
無垢で元気なイツルギと、頼れる兄貴肌なタケツミとの交流にたっぷりと紙幅が割かれており、この二人の関係値がいいなあと素直に楽しめた。
それだけにこの関係値が一変する後編からはお辛い展開が続きラストもビターな雰囲気でしまる。
天象旅籠の正体、イツルギが求めるものの形など気になる展開も多く、先が気になるところさん。
・5段階評価:5
・あらすじ
天象旅籠で警察のような職務のクロウトとして働くしっかりもののミヅチ。
天象旅籠で暴虐無人に振る舞い神のように崇められ恐れられているスーロン。
ミヅチは、珍しい龍人種の同胞でありながら、豪快で怠惰で自分とは全く違うスーロンと出会い意気投合する。
しかし、スーロンとの関係性に気付き、アンサージュと共に天象旅籠の本性と向かい合う。
・印象に残ったセリフ
スーロン「今日は久々に外へ湯浴みに行く!」
お風呂に78日間入ってないことを示唆する名台詞。僕はお風呂に入らない女性が好き。
・印象に残ったキャラ
スーロン。怠惰でお風呂に入らない女性キャラが一番好きだから。
・感想
お風呂に入らない怠惰で大食いで大酒飲みで気分屋なスーロンがひたすらに可愛くて好きになれた。
特にお風呂に入らないのがいいね、怠惰さを示す有り様としてこれほどまでにしっくりくる設定はないよ、お風呂に入らない女性キャラ大好き。
スーロンと対をなすもう一人の主人公ミヅチも一所懸命で健気で良い子だった。
それだけにこんなに毎日お風呂に入って身綺麗にしている子が将来ああなるなんて、やっぱりお風呂に入らない女性キャラクタは最高なんだなって。
・5段階評価:2
・あらすじ
他のマレビト達も大切な記憶と、元の場所に戻りたい気持ちを抱えていることを知り、いっそうに頑張る。
死霊術師の父親に造られた存在であることを知りながらも、天象旅籠に安住することを望まないのだった。
・印象に残ったセリフ
名前の記憶がないマレビト「子供を愛していない親がいるもんか!」
・印象に残ったキャラ
アンサージュ。
・感想
イツルギ、ミヅチ、スーロンの三人ともが天象旅籠に肯定的な見方をしていたが、アンサージュはそうではなく否定的なマレビトたちのお話。
満ち満ちたご飯と、安住できる家と、たっぷりの温泉があってもなお癒されず、そこにとどまるのを良しとしない高潔な人々が気高かった。
アンサージュもそれに呼応するように立派な志を掲げるようになる、成長描写が見どころかしら。
ただ、個人的にはまだ天象旅籠が理想郷すぎるので判断は保留しながら読んでしまった。
・5段階評価:5
・あらすじ
イツルギはタケツミに切られ記憶を改竄されていたことに気付きながら、元の世界に戻る。
管理者の存在を知ったイツルギはタケツミの真意を確かめるべく天象旅籠に戻る。
・印象に残ったセリフ
愛の告白じゃん。イツルギ君は大人になってもタケツミが大好きじゃん。大好きだから殺すのか、寂しいお話だ。
・印象に残ったキャラ
ユアン。超久々登場の復讐鬼。その熱がイツルギにも伝播して、管理者討伐への仲間入りをしてくれるのは嬉しい展開だ。
・感想
めちゃくちゃ面白かった。タケツミとイツルギの優しい関係値の残酷な真実が明かされた上で、それでもその中で殺し合いの本音をぶつけるイツルギのもう子供じゃなさがてぇてぇ。
ようやく本気で剣を交わすも、記憶を改竄する能力を自分にも使ってしまっているためオリジンが語られないタケツミのある種滑稽な終わりが寂しくもある。
主人公勢は概ねハッピーエンドを迎えられたものの、災藤のアフターが描かれていないのが気になる。(ビヨンドとエヴォルブであそこが舞台になってるから何かあるのかしら)
サカナクションの山口一郎さんのお父様が小樽運河の保存運動に関わり市議会議員を勤めていたに
も関わらず、息子の山口一郎さんが無知を装い反戦平和運動を冷笑し否定的に語る思想の持ち主に育ったように
親と子の政治思想は必ずしも一致しない。親の思想に反発して逆の思想に至る子供だっている。
沖縄辺野古の亡くなった女子高校生の父親とその娘さん当人だってそうでしょう。
父親の思想がどうだろうと、娘さんの思想がそれと同じとは限らない。
その被害者個人の事はよく知らないがあくまで一般論として、沖縄の在日米兵による性暴力が治外法権になる現実からは
変わってるとか独特って言われるのは全くうれしくない。これらの言葉で人となりが表されるとき、たいていいい意味で使われないからだ。
私はおそらく客観的にみて変わっていて独特な人なんだと思う。現に私にそう言ってくるバカがいる。あいつどんな心境でわざわざそんなことを言ってくるんだろうか。まあ特に深いことは考えていないんだろうが。それでもどこか否定的なニュアンスが感じられて普通に不愉快だ。
なぜ私は変わってる人として生まれたんだろう。あるいはそう育ってしまったんだろう。脳に欠陥があるんじゃないだろうか。
脳が不良品なのは置いとくとして、みんななんであの人は変わってるとかそういう話をしたがるんだろう。そんなの話題にあげる価値なんてないだろと思うんだけどな。もっとみんな趣味とか自分の好きなこと話せばいいのに。
こういう仮定をする場合、ちゃんと条件を明確にしてほしいんだよな。
他人の投票がわかるとかさ、じゃあ自分はどのタイミングで押すのよ。
子供達の無事がわかってて、自分が最後の一人です。今まで青はキモいおっさんしか押してませんなら、青で他人を救うとか以前にもう過半数いかないことがわかってんだから赤押すよ。
ただまぁ、あくまで俺の個人的な考え方だけど、自分の命をリスクにかけれる場合は父性が働く時だと思っている。そして父性は、近い相手により働く。だから例えば遠い国の子供にはあまり働かないと思う。なので、別に赤選ぶひとに対しても、それはそうだろうねと思う。俺はね。
赤を押そうが否定はしない。ただまぁ赤派は青を否定的に見ている人が多いように思う。そこら辺、他者への想像力や理解が欠如しているように見えるし、残念な人たちだなーって感じるかな。
35年間の人生の中で距離を置いた人をリストアップしてみたところ、暴力的な人しかいなかった。
■酔っ払うと肩パンしたり、噛みつく男
バイト先で知り合った人。いっしょにいて楽しかったが、酔っ払うと肩パンばっかりしてきて痛い。段々痣になる位強くなってきたので距離をおいた。風の噂では暴力事件を起こして実家に帰ったらしい
推しのアイドルのライブに1人で通っていた時に会場で知り合った。推しへの愛情や、共通の好きなアニメ、映画作品への考察や解釈が面白い賢い一面もあったが、その反面暴力的な言動も多く、金を貸してほしいと言ってきたので距離を置く
これは交友があったのではなく、就職前の暇な時間にしていた日払いバイトにいた男性。ウシジマ君に出てきそうな弱者男性みたいな人。昼休憩でたまたま一緒になり少し話したが、激ヤバで草も生えなかった。さっさとその場を後にした
結婚後に知り合った夫婦。全てにおいて大袈裟で、後ろ向きで、少し陰謀論者っぽいこともあり、即距離を置いた。
どんな名作でも、どれだけ賞賛されていようとも、否定的な意見というものは存在する。
つまり大局的に見れば、世にある作品は全て賛否両論ある、といえる。
でも、そういった名作ないし駄作といわれるものの評価傾向を語るときに賛否両論とはいわない。
だから、ある程度の賞賛と批判が入り混じっている状態ってのは当然みんな感覚的に分かってはいるけど。
じゃあ、どれくらいかっていうと決まってないし、決まってたとして把握できるかっていう問題もあるし。
一応、参考としてsteamの場合、好評率が40%〜69%で賛否両論らしい。
自分の肌感とも近いし、おおよそ半分くらいの賛否ってことだから、大半の人にとってそれくらいだろうとは思うんだけど。
これも、あくまでsteam内でのレビューに限った話で厳密性はない。
そういえば友達が「賛否両論っていうとき、大抵は“否”のほうが多いよね」って言ってたのを思い出す。
自分としては、そうとは言い切れないとも思うんだけど。
まあ、少なくとも「“否”側に無視できないパワーがある状態」とはいえると思う。
さっきのsteam基準でいえば、69%好評でも賛否両論判定なわけだけど、それだけあったら好評扱いでもいいじゃんとも思うわけ。
でも「3割近く、その作品に否定的な人がいる」って、割と無視できない割合だとも思うんだよね。
こういうとき、自分がよく思い出すのが『鈴木先生』の酢豚の話で。
給食の酢豚を存続させるかどうかで、「好き」、「食べられる」、「食べられない」の三択で生徒にアンケートとるって展開になるんだけど。
「好き」と「食べられる」の数が圧倒的で、「食べられない」と答えたのは1クラスにつき数名ほど。
だけど一人の先生が「これって本当に少ないんですか」って言いだすわけ。
育ち盛りの生徒が、給食メインのおかずである酢豚を食べないで午後の授業を受けることになる、それが1クラスに数名いる。
それを取るに足らないと認識していいのかと。
他の先生も「無理して食べさせるよう教育するくらいなら、もっと人気のおかずに替えたほうがよくね」とか言い出す。
結局は酢豚がなくなって、当時読んだときは、ああ多数決ってわけにはいかないんだな、“否”より多ければいいってわけでもないんだなって。
そういえば「玉石混交」っていうのも、どれくらいの割合なんだろうか。
賛否両論と同じくらいの割合でいいんじゃねと思いつつ、感覚的には石めっちゃあるとも思う。
玉の輝きが目立つだけで、石の方ががめっちゃくっちゃあるって印象。
台湾有事を想定した場合「日本にも有事が起こると想定すべき」と言う回答以外に適切な回答は何でしょうか?
アメリカが他国へ攻撃をしたなら「日本にも有事が起こると想定すべき」事ではないのですか?
「戦争反対」と声をあげるのは良いが実行している国すべてに向けてデモを起こしていないのは何故ですか?
不法移民に対し「差別せず受け入れるべきだ」と宣う方は「国外の排外的な思想の流入」に関してどう考えているのか?
沖縄や北海道へ多量の移民が来た後「此処は先住民が日本により迫害されている土地だ」と民主主義として独立を宣言した場合、我々は受け入れるのか?
安倍晋三が射殺された時「然るべき」と犯人を讃えた政治家は、アメリカが武力行使により他国の体制を変えようとした事を「然るべき」と讃えましたか?
現政権へ常日頃から批判・罵倒・デモを繰り返す人は、イランの独裁政治が他国の武力介入によって変わる可能性があった事に何を考えていますか?
まさか女性専用車両に賛成してないよね?男性の全てが痴漢でなくても、一部に痴漢がいる以上は全ての男性を隔離するのが効率的だなんて意見に賛同してないよね?
私は当然女性専用車両に賛成するし、子連れ再婚には否定的だが。
そうじゃない人がいるなら不思議。
1日あたり1時間か2時間かそこら電車で見知らぬ男性客と乗り合わせるのと、同居して毎日のように接触するのとで、性被害の危険性はどっちが大きいのかなんて簡単に分かりそうなものだが?
たかが(自分自身の被害経験を踏まえても、敢えてこう言わせてもらうけど)電車の中で尻を触られるのと、日常的に起こるレイプや妊娠の危険とで、前者の方が重大だと本気で思っているのか?
子供が死ぬような事件は氷山の一角かもしれないけれど、そうじゃなくても虐待はありふれてるよ。
自分みたいに虐待とは言い切れない場合でも、感情を押し殺して「良い子」を演じて精神を病むような事例はもっと多いだろう。
嫌だと思っても親には言えない、相談できるような人もいない。これって物凄くストレスなんだよ。
幸せなステップファミリーだってあるって主張する人達は、その「幸せなステップファミリー」なるものが、連れ子の我慢の上に成り立ってるものだと考えもしないんだね。
言いたいけど言えない雑なクソバイスを今ここに書く。
まず、受け身のままでいたら突然ありのままの自分を愛してくれる人がやって来てアプローチされて幸せな人生を送るって幻想はそろそろ捨てる準備を始めたほうがいい。
趣味系の繋がり、オタク界隈で相手を見付けたいと思うのは何も悪くないが、今までありのままの姿でいて恋人ができたことがないのならその姿は恋愛的にそこまで需要がない。
ただでさえ草食系が多いオタクコミュニティでは受け身での恋愛は難しい。一緒にいることで何かしらの需要がありそうな態度を取っておくだけで運がよければ告白くらいはされる。
TLのリプライ、ゲームでのVC、作業通話、きっかけはどれでもいいから会話する場面が生じた時に使える簡単な会話方法だけ書いておく。
1, 人の話を否定しない
相手の話に興味を持って、「うんうん」「へ~」の相槌と「それってどういうやつ?」って聞くだけ。ポジティブに同意しておくと好印象を持たれる。この時点で非常識野郎やマウント自慢マンからは距離を置く。
「"いや"それは~」といった否定的な言葉を使ったり、評論家ぶった態度で物を語らない。
相手の話がよく分からなかったら「へ〜そういうのもあるんだ」とでも言っておけ。
2, 会話の共通点を探す・作る
興味のある人とSNSで繋がっているのならその相手の過去投稿を掘って、相手の趣味や好きなものをリサーチする。合致しているものがあればそれをうまいこと会話の中に出して「俺達って趣味合うかも?」と錯覚させると良い。
「最近やりたいゲームがあるんだけど」「この前SNSで見たんだけど」そんな感じに軽く話題に出してみるだけでも簡単に話を発展させることができる。
性格、家族関係、仕事、脈略のない自己開示や自分語りはコミュニケーションではない。話す加減や自他の境目が分からないのなら相手優先の会話を心がける。相手の情報を聞き出したら勝ちのスパイゲームしてる気分にでもなっていればいい。相手の会話のターンは相槌に留める。
これだけで相当印象は変わる。うまくいけば同性異性関係なく好かれる人になれるのでおすすめ。
別にどうでもいいけど特別美人とかでもない限りは変にモテを意識しないことも重要だったりする。そもそも喪女が自分で考えたモテ行動は中学高校でやって黒歴史にしておくべきだったような行動が多い。周回遅れでしても痛い人にしかならないか女友達が減る可能性の方が高いので、やるならメイクやスキンケアといった見た目寄りでの働きかけをするのがいい。以上。
足を大きく広げて座るなどの態度は、「自分を強く、大きく見せたい」という心理的な虚勢からくる威嚇行動です。
これは、動物が体を大きく見せて相手を威嚇するのと同様の、原始的な行動として捉えられています。
このように虚勢を張る背景には、実際には以下のような身体的な弱さや筋肉の衰えが隠れている可能性があります。
特にPC筋の弱体化は、威嚇という「強がり」とは裏腹に、生理的なコントロールの喪失を意味します。この筋肉が弱ると以下のような事態を招くとされています。
つまり、足を広げて威嚇するような態度は、「舐められないように必死に強く見せようとしている」一方で、
その実態は「筋肉が弱り、排泄や性機能を制御できなくなっている」という、極めて哀れな状態の表れであると解釈されています。
そのため、周囲からは強そうに見えるどころか、「無様で滑稽」「キモい」といった否定的な視線で見られる要因にもなっています。
公式にパートナー(彼女や妻)がいるキャラクターを扱い、そのパートナーとの関係を「別れ」「死別」「最初から出会わなかった」などの形で消去する二次創作に対しては、ソースに基づくと以下のような多層的で対立する反応が見られます。
公式の人間関係を改変することに対し、強い心理的抵抗を感じる層が存在します。
一方で、描き手側には、単なる嫌がらせではなく、独自の創作上の論理やこだわりがある場合も示唆されています。
近年では、単に消去するのではない新しいアプローチも増えているようです。
この問題の議論自体に対し、冷ややかな、あるいは相対的な視点を持つ人々も多いです。
総じて、公式CPの消去は、「キャラへの誠実さ」を求めるがゆえの処置である場合もあれば、「原作への冒涜」と受け取られる場合もあり、二次創作界隈における非常にデリケートな対立点となっていることがわかります。
まず、インテリ層がやっている最も無駄な行動の一つは、トランプやポピュリズムのレトリックを批判することです。彼らはまるで「ポピュリズム批判のエキスパート」としての自己満足に浸っているかのように、強い言葉や過激な表現を使うことで「自分たちがいかに賢いか」をアピールします。ほんとうに、それってどうして「権威主義的ナラティブ」に対抗する方法だと思っているのでしょうか?
例えば、トランプの発言に対して、「彼は知らない」「こんなこと言うのは無責任だ」と何度も批判する。いい加減にしてほしい。これってまるで、目の前に火をつけた人がいるのに「こんなに火をつけるなんてバカだ!」と怒っているだけのようなものです。その批判が火を消すわけではありません。火を消すためには、水をかける必要がある。しかし、インテリ層はそれをせずに、ただただ火を見て怒り続けるだけ。
さらに、その批判のエネルギーを使って「ポピュリズムに流されるな!」と街頭で叫んだところで、ポピュリズムが広がっている理由には全く触れず、むしろその根本的な不満や不安を無視したまま、「私たちが正しい」と無理に言い張るだけ。その結果、支持層の人たちを逆に冷ややかにし、自分たちが「理知的なエリート」であることを誇示し、ますます人々の心を遠ざけていくわけです。
次に、もし本当に権威主義に立ち向かいたいのであれば、その前にインテリ層がやるべき最も実務的なことは、まず自分たちの発言の「影響力」を正確に見積もることです。自分たちの発言が、「中道的」だとか「理論的」だとか、ただのエリートの自己満足にしか見えないことに気づくべきです。実際、彼らの言葉が誰に届いているか、どれだけの人々に影響を与えているかを測ることから始めるべきです。
「批判して自己満足することが目的になっている」のを、少し冷静に見てみましょう。彼らが一生懸命にトランプ批判をしているその時間、どれだけ多くの人々が「権威主義的ナラティブ」を無意識に受け入れているのか、その現実を直視してほしい。批判をするのは自由ですが、その批判が何の役にも立っていないことに気づかないと、結局、権威主義のゲームに参加しているだけになってしまいます。
だからこそ、インテリ層がやるべき実務的な第一歩は、「自分の立場に固執することをやめる」ことです。「ポピュリズムなんてくだらない」「トランプは馬鹿だ」と批判する前に、まずその「立場」を疑うべきです。ナラティブが拡がる背景には、人々が抱える不安や経済的な不満がある。これに触れずにただ否定的な発言を繰り返すだけでは、結局、誰も味方にならない。
次にやるべきは、建設的で具体的な解決策を提案することです。つまり、権威主義的なナラティブを壊すために、どうやって「不安」や「恐れ」を解消するのか。単なる理論的な批判ではなく、実際にそれを現実的にどう直すかを考えなければならない。最終的には、自由主義側の強いナラティブを再構築することが重要です。
結局、批判だけして「正義」を語っているインテリ層は、権威主義のナラティブを広めるための無料広告塔として機能している、という皮肉な事実。結局のところ、彼らが何をしているかというと、権威主義のロジックを批判することによって、そのロジックがどれだけ強力で広がっているかを強調しているにすぎません。
「青春」という言葉は不思議だ。部活や初恋、文化祭……。まぶしいイメージをまとう一方、現実との落差から「青春できなかった」との思いをずっと引きずることもある。「青春」はなぜ、人を引きつけ、とらえてやまないのか。その魅力と魔力の正体を、「みんなの〈青春〉」(生きのびるブックス)の著者である石岡学・京大大学院教授にきいた。
――「青春」をテーマにした映画やアニメ、小説などが、ちまたにあふれています。
少し見渡すだけでも、「青春」にまつわるコンテンツは枚挙にいとまがありません。
例えば、数年前にアニメ化されて人気となった「ぼっち・ざ・ろっく!」。キラキラした青春に対して屈折した思いを抱く「陰キャ」の女子高校生が主人公で、アニメの主題歌は、そのものずばりの「青春コンプレックス」です。あるいは、「高校最後の夏」と銘打ってメディアが注目する夏の甲子園なども、「青春」コンテンツに含まれるでしょう。
「青春」は特に学園生活の様々な場面と結びつきながら、格好のコンテンツとして、社会に広く消費されているのです。ただ、「青春」を巡る社会の語りを見てみると、そのイメージは一定ではなく、時代によってずいぶんと移り変わってきたことが分かります。
――どういうことでしょうか。
1960年代までは「青春」といえば、一部のエリート学生が既存の社会体制に対して抱く不満や怒りというかたちで描かれることが主でした。「青春」とは特権的なものだ、という社会的認識があったのです。
それが高校・大学進学率が急上昇するのに伴って、20代前半まで学生でいるのは珍しいことではなくなり、70年代以降、「青春」は誰でも経験できるものとして大衆化していきます。さらに2000年代以降は、ドラマチックな経験ではなく「学校での普通の日常」がテーマとして好まれるようになりました。
――こうした「青春」のイメージが、現実の当事者たちにも影響を及ぼしてきたと。
「青春」が「普通の日常」を描くようになっていったことは、当事者たちにも大きな意味がありました。
つまり、作品などの中で描かれる「青春」は、普通に過ごしていれば経験できるもの。そんな充実した日々が送れていないのは、自分に何か欠点があるからだ――。そのように、問題が内在化していくわけです。だから、現代は「青春」に対してコンプレックスを抱きやすい状況になっているといえます。
そこには、SNSの普及もある程度、関係しているでしょう。アイドルや芸能人たちよりも、同年代の「普通の子」が発信する「青春」の日々は、受け手にとってリアリティーがあります。「あれはフィクションだから」で片付けられない。それゆえ、自分の日々とのギャップを強く感じることもあるのでは。
いかに「青春」っぽいことをして、SNSで発信し、他者に承認してもらえるか。いわば「ミッションをクリア」するような感覚で「青春」をとらえているとも考えられます。
――「青春」は、なぜ人々を引きつける力を保ち続けているのでしょう。
「青春は陳腐さと特別さが混ざり合った規範だから」だと、著書では結論づけました。
現在において、ほとんどの人が高校あるいは大学生活を経験しうるという点で、「青春」は誰にでも与えられる、陳腐なものだといえます。一方、それは20代前半までの限られた時期にしか与えられず、失われたら戻らないという点では特別な意味を持ちます。
誰でも自分の姿を投影することができ、かつ、時間が過ぎれば失われるというかけがえのなさがあるために、多くの人にとって何かしら心をかき立てられるものなのでしょう。
さらに、「青春」には「若さ」「情熱」「成長」といったイメージが凝縮されています。これらはいずれも、現代社会において「善」とされている要素です。否定的な感情を入れる余地のないものだから、いっそう「青春」は光り輝いて見えるのです。ただそれは、あくまで社会的に作られたイメージであって、相対的なものに過ぎないということです。
――誰しもが、イメージ通りの「青春」を送れるわけではありません。
研究していて面白いなと思ったのは、まさに充実した「青春」を体現しているように見えるアイドルたちですらも、「青春できなかった」と語っている場面が少なくなかったことです。「普通の学校生活」というのは、それだけとらえどころのない、やっかいなものなのだと思います。
私のことでいうと、はたから見ればそこまで悪くない青春を送ったようにも見えるでしょうが、自分では「暗黒の高校時代」だと感じていました。人とのコミュニケーションに、どこか苦手意識があったからです。
要は、「青春」に抱くコンプレックスというのは自分のアイデンティティーに対する漠然とした不安なのだと思います。そうそう逃れられるものではない。良い青春を送れたと思うのであれば素晴らしいですが、そうでなかったとしても、必要以上にとらわれるべきではないでしょう。
◇
いしおか・まなぶ 1977年生まれ。専門は教育の歴史社会学で、子どもや若者イメージの社会的構築などを研究。著書に「『地方』と『努力』の現代史」(青土社)など。
https://digital.asahi.com/articles/ASV301CG7V30ULLI00YM.html
キリスト教系新宗教「エホバの証人」の問題に取り組んでいる弁護士のチームが20日、教団の信仰に関する虐待についてのアンケートの調査報告書を発表した。元2世信者ら581人から回答が寄せられ、大半が輸血拒否カードの所持や「むち打ち」、学校行事への参加制限などがあったと回答したという。
アンケートをしたのは「エホバの証人問題支援弁護団」の調査チーム。エホバの信者や元信者らを対象に今年5~6月、弁護団のサイトやSNS、宗教2世の問題に取り組む専門家らを通じてインターネットで回答を呼びかけた。10~70代の581人が回答し、8割以上が親が信者であるなどとする2世以上だった。487人が「信仰を持っていない」と回答した。
質問項目は194項目。アンケートでは厚生労働省が昨年末に示した「宗教虐待対応ガイドライン」で児童虐待と認定された、輸血拒否やむち打ち、伝道の強制、交友関係の制限などについてたずねた。各設問ごとに、教団の活動に参加したのが18歳未満と答えた人数の回答内容をまとめた。
輸血拒否カードまたは身元証明書(親が子どもに輸血を望まない旨の記載がある書類)を持っていたことがあるかについては、8割以上の451人が「ある」と回答。持っていた理由(複数回答)は「保護者から言われたから」337人、「輸血してはいけないという教団教理を信じていたから」218人、「周囲の信者から言われたから」153人などだった。
信者の間では素手や定規、ベルトなどでたたくことを「むち」と呼んでいるといい、それをされたことがあると回答したのは、9割を超える514人。むち打ちが始まった時期は、生まれてまもなくから3歳ごろが最も多く、241人だった。
教団に関与し始めた年齢については、生まれてまもなくから3歳ごろまでが359人と6割以上で、ほとんどが10歳未満だった。伝道をしたくないのに、保護者や教団関係者から指示・推奨されて伝道をしたと感じたことがある人は499人と9割以上いた。
教理を理由に、特定の授業や特定の学校行事に参加できなかったことがあると答えたのは、9割以上に及ぶ537人。交友関係や交際関係、結婚について、信者であることを理由に制限を受けたまたは制限を受けたと感じたことがあるという回答も9割以上の522人に上った。
教団にかかわっていたことが原因で精神的な不調を覚えたことがあるかについて(複数回答)は、「孤独感、疎外感、自殺願望または自尊心の欠如などネガティブな感情を感じた」437人、「つらい経験のフラッシュバックがあった」347人、「PTSD、複雑性PTSD、うつまたはアルコール、薬物などの依存症などの精神的な疾患の傾向があったと感じた、もしくは診断を受けた」343人などだった。
2世問題に対して必要だと思う施策について(複数回答)は「宗教団体による人権侵害や児童虐待に対する規制」や「未成年や児童を入信させない制度」「離脱の際のメンタルヘルスに関する支援」などの選択肢を選んだ人が多かった。
弁護団は教団に対し、厚労省の宗教虐待対応ガイドラインを全ての信者に周知することや、第三者を入れた調査委員会を設置して児童虐待の実態を調査すること、児童虐待の被害を訴える2世らへの謝罪などを求めている。
会見で調査チームは、「各地で数十年間にわたる類型的な虐待行為が報告され、継続性や組織性がある」と指摘。チームの田中広太郎弁護士は「信者は児童の時点で虐待を受け、数十年、場合によっては一生涯、人権侵害を受け続けることがあり得る。深刻な実態を知り、虐待を社会として止めさせる手立てが必要だ」と訴えた。
調査チームは報告書をこども家庭庁に提出。加藤鮎子こども政策担当相は閣議後の記者会見で「宗教の信仰が背景にあったとしても、児童虐待は決して許されるものではない」と述べた。
エホバの証人は取材に対し、「子どもに自分の宗教を受け入れるよう強制しておらず、児童虐待を容認していない」とコメントした。
「エホバの証人」の信仰などに関する児童虐待の実態調査報告書の概要
※各設問ごとに、エホバの証人の活動に参加したのが18歳未満という回答に基づいて集計
◆輸血拒否
Q輸血拒否カードまたは身元証明書(親が子どもに輸血を望まない旨の記載がある書類)を持っていたことがあるか
10歳ごろ 64人
6歳ごろ 54人
12歳ごろ 49人
など
Q輸血拒否カードや身元証明書を持っていたのはなぜか(複数回答)
など
◆むち(打ち)
Qむちをされたことがあるか
Qむちは何歳ごろに始まったか
4歳ごろ 88人
5歳ごろ 78人
など
親に従順でなかった 89%(458人)
集会で居眠りをした、しそうになった、泣いた、笑った、騒いだ 77%(396人)
アニメ・テレビやゲームなど禁止されているものを見た、した 42%(214人)
など
Q教理を理由に特定の授業や特定の学校行事に参加できなかったことがあるか
Q交友関係や交際関係、結婚について、エホバの証人であることを理由に制限を受けたまたは制限を受けたと感じたことがあるか
はい 93%(522人) いいえ 7%(38人)
◆娯楽などの制限
Qエホバの証人としてふさわしくないという理由で、アニメ、漫画、ゲームといった娯楽を禁止されたことがあるか
はい 95%(531人) いいえ 5%(29人)
Q伝道をしたくないのに、保護者や教団関係者から指示・推奨されて伝道をしたと感じたことがあるか
感じたことがある 92%(499人) 感じたことはない 3%(15人)
していた 92%(518人) していない 8%(42人)
Q実際の進学の有無について近いものはどれか
教団の教えを理由として自分の意思で進学を希望しなかった 24%(125人)
このスレッドでは、「子供を異性叩き(性別に基づいた誹謗中傷など)をするような人間に育てないためにはどうすればよいか」という問いに対し、「産まないこと」が最も確実な解決策であるという悲観的かつ現実的な意見に多くの同意が集まっています。
スレッドの内容を、同意数(♡)の多い意見を中心に要約すると以下のようになります。
スレッドの冒頭から、「産まない(♡29)」という選択が最も有効な手段として提示されています。子供がどのように育つかは親が完全にコントロールできるものではなく、「化け物になっても許容するしかない(♡31)」という覚悟が親には求められると述べられています。もし子供が「化け物」になることを絶対に避けたいのであれば、「産まない以外に選択肢がない(♡30)」という考えに多くの賛同が集まっています。
「夫婦仲良くしている様子を見せる(♡0)」といった教育的なアプローチも提案されましたが、それに対しては「夫婦仲が良くても異性叩きになることはある(♡24)」と反論されています。また、ネット上には異性叩きの言説が溢れており、世界中でそのような状況が見られることから、外部環境の影響を遮断することの難しさも指摘されています。
子供を「老後の孤独死を防ぐため」や「看取らせるため」の手段として設けることについては、「残酷(♡15)」「今の社会では無理(♡19)」といった否定的な意見が目立ちます。現代では子供がいても最終的に施設で亡くなるケースが多いという現実的な指摘(♡27 ♡19)もあり、精神的・金銭的な負担(♡16)を考慮すると、子育てに希望を見出しにくい状況が語られています。
スレッド後半では、近年のネット上における女性叩きの論調の変化についても触れられています。
最終的に、「子供が異性叩きになるのを防ぐ方法はなく、それを100%避けたいなら産まないしかない(♡11)」という結論に帰結しています。スレッドの最後は、具体的な解決策が見つからないまま「方法無いの草」という言葉で締めくくられています。
提供された資料(イギリスの調査機関マーリン・ストラテジーによる調査データに基づく議論)によると、男性による女性嫌悪と女性による男性嫌悪の統計差については、以下のような具体的な特徴が挙げられています。
調査結果の大きなトピックとして、「女性による男性嫌悪率」は「男性による女性嫌悪率」の3倍に達しているという点が指摘されています。
近年、メディア等では男性による女性嫌悪(ミソジニー)が注目されがちですが、統計上は女性側の嫌悪感の方がはるかに高い数値を示しています。
この傾向は、特に若い世代(デジタルネイティブ)ほど顕著です。
嫌悪感の差は、将来の家族観にも明確な統計差として現れています。
統計の背景にある「嫌悪の態様」についても、男女で以下のような構造的な差が示唆されています。
このように、統計的には女性側の男性嫌悪の方が数値として高く、かつ若年層ほどその傾向が加速している一方で、男性側の嫌悪は一部の過激な言動がネット上で目立ちやすいという、可視化のされ方に違いがあることがわかります。
これを読まれた皆さんは、どうか今後一切、周りの数学に詳しい人に、
「IUT理論ってどうなの?」
とか聞くのはやめて下さい。聞かれる側は、そのたびにうんざりしています。
* * *
「多くの数学者がIUT理論に否定的だ」というのは、正しくありません。正確には、ほとんどの数学者はそれを相手にしていません。なぜならば、それを学んでも自身の研究の何の役にも立たないからです。これはあたかも、ほとんどの数学者が、数学基礎論や計算機科学のこみいった議論に興味がないようなものです。
日本でも世界でも、望月教授の関係者を除けば、誰もIUT理論に興味を持っていません。今やIUT理論を語っているのはアマチュアだけです。IUT理論の支持者は、研究者を説得できないにも拘らず、アマチュア向けに誇大な宣伝をし続けています。たとえば、加藤教授はIUT理論の本を書いたり、YouTube動画に出演したりしています。
また、彼らは"ZEN大学"という新設のオンライン大学を「IUT理論の国際的な研究拠点」だと主張しています。言うまでもなく、この大学には何の教育実績も研究実績もありません。
ZEN大学では学部生向けに「IUT理論の入門講座」があるようです。IUT理論の前提知識となる数論幾何学は、トップクラスの大学院生ですら、その基礎的な結果に到達することすら困難な分野です。その応用分野を、通信制大学の学部生に講義することに、何の意味があるのでしょうか?
また、ZEN大学は、IUT理論に貢献した研究者に贈る賞を作りました。その賞の第一回は望月教授とその関係者に送られたとのことです。
IUT理論をめぐっては、以上のような学問と無関係な運動があまりにも目立つため、多くの数学者は完全に愛想をつかしています。べつに、数学や教育をビジネスにすることは悪いことではありません。一般人が数学に興味を持ち、専門家が彼らの好奇心に応えるのは、素晴らしいことです(もちろん、もっと適切な題材はあるでしょうが)。ただ、「研究者は誰も相手にしていない」ということです。