はてなキーワード: 元老院とは
古代ローマにも元老院派(閥族派)と民衆派(平民派)の対立っていうのがあった。
民衆派の代表的な政治家はいうまでもなくユリウス・カエサルで彼の政治路線の基本はグラックス兄弟が推し進めた土地改革の継承で簡単に言えば貴族からローマ市民へと土地を再配分するということにあった。
彼の政治家としての支持基盤の原動力はこのような民衆第一主義の路線による。
これは現代アメリカ政治におけるエリート層とポピュリズム(民衆主義)の対立構図に通じる側面がある
古代ローマでは元老院派(閥族派、オプティマテス)は名門貴族を中心に、保守的で伝統的な体制維持を目指していた。
一方の民衆派(平民派、ポプラレス)は、民会を基盤とし、新興富裕層や騎士階級が中心となり、元老院の既得権に反発し、土地分配や穀物の無料配布など、大衆の利益を掲げた政策を主張した。
ただし、カエサルはもちろんのこと、他の民衆派のリーダーも社会的支配層出身で、単純な階級闘争ではなく、既得権の取り合いも含まれていることに留意が必要だ。
エリート(エスタブリッシュメント)は、ワシントンや沿岸部の知識層・資本家・既存政治家など、伝統的権力構造を持つ層。
ポピュリズム(民衆主義)勢力は、既存のエリート層に「民意」を盾に批判し、一般大衆の利益や不満を代表しようとする。
ポピュリズムのリーダーはエリート攻撃、一般庶民擁護、カリスマ性をもって支持を拡大する傾向がある。
両者には共通点と違いがある。
違い
まとめると、古代ローマの元老院派と民衆派の対立は、現代アメリカにおけるエリート支配層とポピュリズムの力関係の綱引きにも通じるが、完全に同じ構造ではなく、社会参加や背景に違いがある点も重要である。
しかし、その初めての機会(チャンス)がやってきたといえる。
バイデンだったら、こうはならなかっただろう。
停戦への見通しもないまま、
ウクライナにやり過ぎないように自制させつつ、
それぞれ対応の仕方は違うが紛争が加熱して本格的な戦争へと発展しないようにしている。
結果だけ、成果だけ、に焦点を合わせれば優秀である。
中国との話し合いは続いているが、それも年内には決着するだろう。
これは中国の侵略的な米国市場への貿易攻勢を終わらせることの成功を意味する。
結果として、米国は貿易赤字を大幅に減少させることになるだろう。
永遠に続くと考えられていた米国の双子の赤字が止まるときがやってくるかもしれない。
かつて古代ローマの将軍カエサルはルビコン川を超えて首都ローマに進軍した。
当時の、それは絶対にやってはいけない、を乗り越えて国家を改造しようとした。
彼は英雄として、いまも称え続けられている。
なぜか?
共和制の敵、国家の敵として、共和政ローマを愛する元老院の政治家達によって滅多刺しにされて殺されたのだ。
カエサルの後継者であるアウグストゥスは元首政の国家へと古代ローマを帝制へと変革させていく。
それが成功したのはなぜか?
なぜその改革は受け継がれたのか?
一見、不正に見える元首制(皇帝制)こそがローマを、その当時の世界を治めるのにもっとも適したやり方だったからだ。
↑は、この匿名日記の2個前の匿名日記 anond:20250628235025 に着想を得て、Gemini 2.5 Flashと会話しながら作ったエッセイのようなものだったのだけど、これをさらにチャット型AIに読ませてみたら、各AIサービスごとに見事に差が出てビックリした。
それぞれで Deep Research をさせた結果を載せるね。
8つの主要主張について、原典と学術資料に基づく厳密な事実確認を実施しました。古代ギリシャの政治哲学から現代アメリカの世論調査まで、幅広い分野の主張を検証した結果、大部分は正確である一方、重要な不正確性も発見されました。
| 正確な主張: 6件 | 不正確な主張: 1件 | 検証不能: 1件 |
古代の政治哲学に関する主張は全て正確で、現代の統計データも概ね正確でした。しかし、アメリカ独立宣言の引用において重要な欠落が発見されました。
検証結果: 正確
プラトンは確実に民主政を理想国家の堕落過程における最終段階として位置づけ、僭主政への移行を警告しています。『国家』第8-9巻の原典から、「民主政は自然に僭主政を生み出し、最も極端な自由から最も極悪な形の僭主政が生まれる」との記述が確認されました。
プラトンの政体堕落論は、貴族政→名誉政→寡頭政→民主政→僭主政の順序で展開され、民主政の「際限のない自由への欲求」が秩序を破壊し、デマゴーグを生み出すことで僭主政に至ると分析しています。
検証結果: 正確
アリストテレスの『政治学』第5巻は、民主政の不安定化と崩壊について詳細な分析を提供しています。原典では「民主政はデマゴーグに支配されるとき最も転覆しやすく、デマゴーグが富者に対する十字軍を率いるとき」との記述が確認され、実際にアテネ等の具体例も挙げられています。
検証結果: 正確
ポリュビオスの『歴史』第6巻に記述されたアナキュクロシス(政体循環論)は、主張通り王政→僭主政→貴族政→寡頭政→民主政→衆愚政の循環を提示しています。この理論は数百のギリシャ都市国家の観察に基づいており、後のアメリカ建国思想にも大きな影響を与えました。
検証結果: 正確
学術的コンセンサスと一致する内容です。紀元前133年のティベリウス・グラックス暗殺から27年のアウグストゥス即位までの危機過程における政治的暴力、軍事的強者による内戦、経済格差の拡大、制度的破綻などの要因分析は、現代歴史学の標準的見解と合致しています。
最も重要な発見は、アメリカ独立宣言の引用における重大な欠落です。
主張された引用文:
国立公文書館による正確な原文:
「我々は、これらの真理を自明のものとして受け入れる:すべての人間は平等につくられており、創造主によって、生命、自由、幸福の追求を含む、ある種の不可侵の権利を与えられている」
この欠落により、独立宣言の哲学的基盤である「自明の真理」という概念が失われ、文脈的意味が大きく変化しています。
検証結果: 正確
機密解除されたCIA文書と1975-76年の教会委員会報告書により、イラン(1953年)、グアテマラ(1954年)での政権転覆工作、プロパガンダ活動、心理作戦の実施が確認されています。モッキンバード作戦による報道機関への浸透、MKウルトラによる心理実験なども含まれます。
2022年4月実施の調査(n=10,156)で、アメリカ成人の39%が「人類は終末の時代に生きている」と信じていることが確認されました。主張の「約4割」は統計的に正確です。調査は全国代表性を持つ手法で実施され、宗教的・人種的背景による大きな差異も記録されています。
指定されたYouTube動画へのアクセスができないため、具体的な主張を検証できませんでした。ただし、2022年1月の退任発表では、アメリカを「進行中の実験」と表現し、民主主義制度への楽観的な信念を表明していることが複数の信頼できる報道で確認されています。
このエッセイは古代政治哲学の引用と現代統計データにおいて高い正確性を示しています。特に、プラトン、アリストテレス、ポリュビオスの古典的政治理論の記述は、原典と学術的コンセンサスに忠実です。
ただし、独立宣言の引用における重要な欠落は修正が必要です。この修正により、アメリカ建国思想の哲学的基盤がより正確に伝わるでしょう。
推奨修正:
独立宣言の引用部分に「我々は、これらの真理を自明のものとして受け入れる:」を追加し、思想的文脈を完全に保持することを推奨します。
全体として、このエッセイは学術的に信頼性の高い内容を提供していますが、一次資料からの引用については、より慎重な検証が必要です。
承知しました。このエッセイ全体を対象に、歴史的・政治的主張や引用に事実誤認がないか、またその解釈や論拠に不正確さや誤解を招く表現がないかを、批判的視点から検証します。
確認が済み次第、主要ポイントごとに整理した上でご報告いたします。少々お待ちください。
このエッセイに述べられている歴史的・社会的な論点は、概ね史実や資料に基づいており、大筋で正確です。古代ギリシアの哲学者による民主政への批判(プラトン、アリストテレス)やポリュビオスの政体循環論、ローマ共和政の崩壊原因、アメリカ独立宣言の理念と冷戦期のCIAの秘密工作、現代アメリカの「ディープステート」陰謀論、福音派の終末論的世界観とイスラエル支持、さらに第二次大戦期のファシズム台頭の教訓など、多岐にわたる主張が展開されています。**これらの主張のそれぞれについて、史実との照合を行った結果、エッセイに明らかな虚偽は見当たりませんでした**。以下に、各ポイントごとに根拠となる事実関係を検証します。
エッセイの説明はこのポリュビオスの理論と一致しており、\*\*「民主政が衆愚政へと堕落する過程」\*\*についての記述(個人の自由が公共の利益を損ない無秩序と暴力に陥る)は、ポリュビオスが説いた民主政から無政府状態への移行と同じ現象を指摘しています。したがって、この点も史実に沿った主張です。
以上の歴史は、**どれほど堅固に見える政治体制でも、極端な経済格差や権力闘争(安定した政権交代の仕組みがないこと)が内部矛盾となって崩壊しうる**ことを示しています。エッセイの記述はこの歴史的経緯と一致しています。
というか古代ローマってあれだけ王様アレルギーの国家だったのに凱旋式なんて個人の権威をバクアゲする習慣を温存させていたのは何故なんだろう?
凱旋式の一日限りとは言え、王の権威に匹敵するほどの威風をたった一人の人間に持たせることの風習を廃止しなかったのは不思議でしかない。
それだけ元老院による権力のコントロールに自信があったということなんだろうか?
なお凱旋式ではローマ市民たちに金を給付するのが習慣となっていたが今回の米国の軍事パレードではそのようなことはもちろん行われなかった。
金をばらまくのは別の国の話だ。
クインティリス(7月)に元老院選挙を控えたこの年の政治状況は、一言でいえば「腐敗の極致」であった。
実態がどうであったかは別にして、国民が感じた閉塞感は、まぎれもなく現実だった。
国家成立から殆どの期間において権力の座を占めていた与党への反感はピークに達し、さりとて巨大野党への失望は留まるところを知らなかった。
そんな中、ごく短い期間で爆発的に市民の支持を集めた政党があった。
タミクスは明快な語り口で国民生活の改善を訴え、WebメディアやSNSを用いて露出を増やした。
前年(執政官キシダリウス・モデラトゥスの年)に実施された庶民院選挙で国家民衆党の議席は3倍となった。
今夏の元老院選挙においても党勢の拡大はもはや既定路線だと思われた。
タミクスが近い将来に執政官となることを、市民は期待していたし、そのために熱狂的に支持もした。
彼は妻への裏切りを報じられたことで、謝罪に追い込まれるなど、完璧とは程遠い人物だったが、それでも市民は彼のことが好きだった。
それはユニウスのカレンダエの10日前、5月22日のことであった。
予兆と言えるものや噂がなかったわけではないが、国家民衆党から発表された元老院選挙の公認候補者は市民を騒然とさせるに十分であった。
後に一部のジャーナリストから「汚染の四頭立て戦車(Quadriga Pollutionis)」と称された彼らは次のようなものであった。
| シラリア・ドミティア | 元庶民院議員。不貞、公金の不適切な流用、議員特権の濫用等多くの疑惑に対し説明責任を果たさないまま任期満了により失職。 (歴史家により死ぬまで沈黙を貫いたとする者、晩年自己弁護に満ちた釈明を行ったとする者に分かれる。) |
| アダキウス・ウァレリアヌス | 元庶民院議員。議場での過激な発言により度々懲罰勧告を受けたと伝わる。 様子がおかしかったとする歴史家がいる一方で、評価する声もあるなど毀誉褒貶の激しい人物であった。 |
| ゲニキウス・ウェリディクス | 元元老院議員。根拠なき扇動者として有名であり、疫病の原因を瘴気とする陰謀論を吹聴していた。 また邪教の指導者を積極的に支援するなど、国家民衆党の主張と整合しないと批判された |
| ドミティア・アクシアナ | 元元老院議員。議員特権が忘れられないのか公認してくれるならと次々に政党を渡り歩いて選挙に出馬し、 落選を繰り返していることで有名であった。 |
シラリアは主に過去の不祥事が、ゲニキウスはその荒唐無稽としか形容しようのない主張が糾弾の対象となった。
(アダキウスは巻き添え被害のようなものであり、ドミティアに至っては単に特権を求めるだけの主義なき俗物ではあったが、信義を軽んじる恥知らずは多くはないが珍しくもない程度には同時代の政治家の中に存在した。)
タミクスや幹事長であるシルウァヌス・アリケルスは日夜記者会見という名の弁明行為に忙殺された。
曰く「説明責任を果たさず当選できるほど元老院議員の資格は軽くないと本人に伝えている」
曰く「誓約書に基づき、国家民衆党の方針に従わなければ公認取り消しもありうる」
ただ、公認の理由や、今後の対応について問われても、返されるのは曖昧模糊とした言葉ばかりであり、会見でかつて見られた軽妙さはどこかに消え失せていた。
カンナエ後のハンニバルや、敗戦続きのマケドニア王フィリッポスのように、精彩を欠いた采配でただただ時間を空費しているように見えた。
弁明の日々は続いた。
熱狂的な支持さえあれば、多少のスキャンダルは押し切れる、そう高を括っていたのだろうーーとある者は囁いた。
タミクスの不貞が露見した時も、民衆は彼が掲げる大義に期待し、人間性は不問とした。
市民も、ジャーナリズムも、タミクスが口で「指摘を受け止める」と言いながら行動に移さないことに辟易していた。
国家民衆党の地方組織すら、特に批判の中心であったシラリアの公認取り消しを求めていた。
(全ての都市、属州がそのような嘆願をしていたという同時代の証言もある。)
シラリアが会見を行うとの情報が流れ、タミクスは弁明の場と化した会見場でそのことに触れ、記者にこう告げた。
タミクスのフィデス(信義)を問題にする声もあったが、この時の人々の関心はシラリアの会見であった。
シラリアの会見はユニウスのイデスの3日前(6月10日)、首都たるインペリアーリス・トキオルムの議場内でなされた。
二時間半に渡る会見をメディアはただ一言、「説明なき黙秘会見」と称した。
記者の怒号にも似た質問の後に残るのは、遺憾の意に飾られた沈黙のみであった。
ユニウスのイデスの2日前(6月11日)、二時間半に渡る逃亡劇への回答は公認の取り消しであった。
擁立候補者選定におけるタミクス、シルウァヌスの責任を問う声は収まらず、またゲニキウスについても会見を実施するよう求められていた。
少なくともこの時は、タミクスもシルウァヌスも失った支持を取り戻すという先の見えない仕事に希望を見いだせていないように、人々の目には映った。
さて、結果を知る我々とてわからないことがある。
いや、その後何が起こったのか、結果を知っている我々だからこそ、この時のタミクスの行動原理は不可解であり、わからないことだらけだ。
同時代の人と同様に「時勢を読み違えた」「一時の好調に浮かれ、近視眼になっていた」とする見方が現代では主流であるように思う。
なるほどそう考えると矛盾はすくないだろう。
パトロヌスであるウニオンが候補者選定に介入した可能性を指摘する歴史学者もいる。
私が思うに、タミクスはこの4人を勝利のためではなく、粛清のために擁立したのだ。
換言すれば、党勢の拡大にブレーキをかけることになってでも、この4人を議場から除かねばならないと考えたのだ。
シラリアは個人的な問題は置くとして、政治倫理の面で国家民衆党の掲げる理想に反しているため、除く必要があった。
ゲニキウスはアテナイのクレオンなどと比べれば遥かに矮小ではあるが、扇動者というものの危険性を理解していたタミクスは芽が小さいうちに抜くことを決意した。
ドミティアに関してはフィデスの問題である。フィデスなきドミティアはタミクスが理想とする議場に居座ることすら許されぬ第一の存在であった。
アダキウスについては正直少々わからないところもあるが、第二次ポエニ戦争におけるクラウディウス・ネロのように、成果を上げる半面、その無謀さと予測不能な動きをタミクスが嫌った可能性はある。
少なくともアダキウスを除く3名は粛清の対象であったことは間違いないだろう。
これら除去されるべき対象を自党で擁立すると発表し、あえて優柔不断な態度をとることで批判を集中させた。
折を見て会見を開かせ、疑念を払拭できなかったとして庇護を剥奪したのだ。
廃物置き場に鎮座してはいたが、使いようによってはまだ議員となる可能性があった者たちを擁立し、元から残っていなかった価値をさらに念入りに毀損し、他の政治屋どもが再利用できないようにした。
これが事の真相であったーーと私は考える。
歴史の秘める豊かな可能性の一つとして、本説が一隅を占めることを許されたなら幸いである。
Ave fictio, salve historia.
と長年思ってたんだよ。
単に「ここがこういう風にすごかった」と言ってるだけの癖にやたら偉そうな連中、
んでその違和感に「レコードが本当に欲しかったら万引きするのが当たり前」って発言がガッピシ当てはまって全てに納得がいった。
誰かの財布をシレっと抜き取って「なんだよこんだけしか入ってないのか。シケてんな」とケチをつける品のない泥棒なんだ。
んでまあソイツらの語った評価を当て込んでる連中ってのは、「皆のゲーム屋さんからゲームを貰ってた人」みたいな立ち位置なんだよね。
まあつまり、レビューってのはクソ文化でしかないってことなんだよ。
たまに「偉そうにふんぞり返っている文化人共だけが楽しめている要素を下々のメクラに共有してくれる人」みたいなのが出てくるけど、あれってまさに義賊的行為なんだろうな。
メクラ共は自分たちの額に汗して知識を稼ぐでもなく、そういったゴエモンがバラ撒いてくれたお零れを拾って「ありがてえありがてえ」としては、今度はまだ知らん奴らに「俺の奢りだぞ」みたいに振る舞って広げていくわけだ。
まあ等級をつける能力ってのが色んな業界で必要とされているのは分かるんだが、ソイツらのやり口がまじで盗人すぎるし、実際メンタルが盗人なのがやばすぎんなあと
追記:
「自分の作品に批判が来ても素直に受け止めなきゃダメだよ」だの
そうじゃないんだよなあ。
俺が言ってるのは「何も生み出してないやつが人を批判するなよ」ってことじゃなくて、「何も生み出してもいないのに随分と偉そうだよな」ってことなんだよ。
なまじっか業界でそこそこ名前が売れてレビュワーとして飯食ってるような奴らのズレっぷりとかが特に嘆かわしいって話よ。
お前なんて居ても居なくても世の中にはどうでもいいなのになんでそんなに海原雄山みたいな態度で「なんでAが素晴らしくBが駄目か分かりますか?それは僕の考える最強の法則に従っているどうかなのです」みたいに言っとんねんという話。
ましてや「俺達こそが本当にこの業界を愛してるんだ!創作者なんてただ作ってるだけだ!俺達批評家こそ業界を正しく導く元老院なのだ!」みたいな態度取ってるのが頭おかしいっちゅう話よ。
自分は単に外野から飴や石を投げてるだけの無産者なんだと自覚してるやつがネットや同人誌に好き嫌いをダラダラ垂れ流すことが悪いなんて俺は言わんよ。
単に出版社なんかの肩書きを背負っただけなのに、自分こそが相手の良し悪しを見定める審判者であるという態度を持って筆を執ってる連中が、もう完全に頭おかしくなってるよねと言ってるだけだ。
まあ単に何かを生み出してるってだけなのにやたら偉そうな奴らもそれはそれでヤバイと思うけどな。
全く何もしてないことを逆手に取って失うものがないからと無敵ぶって偉そうにしてる奴らもヤバイ。
結局のところ、たかが一人の人間ごときでしかない自分の存在の小ささへの自覚を失った奴はみんなヤバくてキモくて頭がイカれてるってことなんだわ
帝政期とはその貴族たちによる議員政治の制度を利用して独裁的な権力を行使する仕組みのことだ。
共和政ローマにおいての首長は、独裁を避けるために二人の執政官が選出され元老院をリードする形を取られた。
しかし有事に際しては一人の独裁官が選出される仕組みとなっていた。
国家の存亡(といっても当初はローマ周辺の小さな都市国家だったのだが)の危機にあたって合議していては遅いからだ。
素早く決断して、素早く行動する。
しかし、共和政ローマにおいて常に危惧されていたのは一人の人間が権力を握ることでやがて王政への道を開くことだった。
ということは常にそのようなことを夢想する輩がいたということの反証でもある。
彼はその前時代に独裁官の権力で政敵を粛清したスッラのやり方を見て着想を得た。
スッラは内戦により権力を握ると独裁官となり、自身の政治信条に基づいた元老院の運営体制を築いた後に独裁官を退き元老院へと権力を戻した。
なぜなら元老院による貴族制政治がスッラの理想とするところだったからだ。
彼はその支持層が貴族ではないことから、権力を握るためには元老院による寡頭政治ではなく、より独裁を必要としたからだ。
これは彼自身の野心であると同時に、対立したポンペイウス派に対抗するための手段でもあった。
カエサルはルビコン川を超えてローマに帰還したあと独裁官に就任、その後内戦に勝利したあと、永久の独裁官に就任するところで暗殺された。
元老院派にとって、共和制の原点であり拠点とも言うべき元老院において、ひとつの政体を退けるために暴力が行使されたというのは元老院議員にとって如何に王政に対する忌避感が強かったのかの現れであろう。
これを見ていた後継者のアウグストゥスは、永久の独裁官という地位を求めることはせずに、様々な制度を複合することで実質的な独裁権を得た。
フラナリーやマーカス、スコットらに倣えば、最近まですべての階級社会における中心的な政治闘争は、誰が土地を耕し、誰が食料を手に入れるかをめぐるものだった。グレーバーとウェングローの見方は異なる。彼らにとって中心的な問題は権力であり、中心的な敵は国家である。そのため、彼らはいくつかの点で階級を無視している。これは彼らがアナーキストだからではない。ほとんどのアナーキストは、常に階級と権力を同時に重視することができる。
しかし、『万物の黎明』における省略は重要である。グレーバーとウェングローは、合意的で参加型の集会を支持する議論を推し進めようと躍起になっているように見えるが、そのために私たちに一連の謎を残している。4つの簡単な例を挙げれば、その問題がよくわかるだろう。
著者たちは、都市における国家に先行することが多い、村落における階級格差の拡大には関心がなく、その文献を否定している。また、小王国、領主、爵位にも興味がない。中央集権的な大国家が存在しなければそれでいいのだ。私たちは、複雑な採集民に関する彼らの説明の中に、このような紆余曲折をいくつか見てきた。このようなことは、他の多くの例にも現れている。
インダス川沿いの古代都市モヘンジョ=ダロでは、約4万人が階級的不平等も国家もなく暮らしていた。
そして彼らは、ヒンドゥトヴァ派の歴史家たちと同様に、モヘンジョ=ダロは実際に南アジアのカーストに沿って組織されていたと示唆する。しかし、グレーバーとウェングローは、これは平等主義的なカーストであったと言う。最初は驚かされるが、彼らが言いたいのは、王のいないカーストの不平等は容認できるということである[11]。
彼らは一貫して伝統的な王権の力を最小限に抑えている。ミシシッピ川流域のナチェズ王国がその好例である。グレーバーとウェングローは、太陽王の権力と凶悪な残虐性は彼の村の外には及ばなかったと言う。しかし実際には、ナチェズは白人のプランターに奉仕する奴隷貿易における主要な地域勢力であった[12]。
グレーバーとウェングローは、残酷な人身御供の祭りが世界中の初期の州で見られるという重要な事実を正しく強調している。数十人から数百人が生け贄にされ、その多くは戦争捕虜や若い女性、貧しい人々であった。
彼らは当然憤慨している。しかし、これらの生け贄の目的は、敵である他国の人々を恐怖に陥れることであったとも感じている。それとは対照的に、私たちは、流血の主な目的は、流血の実際の聴衆である、残酷な地方国家の臣民を恐怖に陥れることだったと考えている。
実際、このような残酷さが、それぞれの国家の初期の歴史に特徴的なのはそのためだろう。国家の正当性がまだ弱く、恐怖が最も必要とされていた時代である。国家権力が強化されるにつれて、戦乱や敵対は続くものの、壮大な犠牲が消えていくのもそのためだろう。
集会そのものも重要な最後の例である。グレーバーとウェングローは、古代メソポタミアの王国や国家における都市集会の力を極めて正しく指摘している。彼らは、これは王がすべての権力を持っていたわけではないという証拠だと言う。これは正しい。これらの王国で階級闘争が止まっていたと考えるのは、よほどナイーブでなければならないだろう。
しかし、グレイバーとウェングローは飛躍する。彼らは、これらの都市議会は、参加型民主主義を掲げる「占拠せよ!」やその他の社会正義運動の集会に似ていると指摘する。
古代メソポタミアでは、参加型民主主義のいかなる形態についても、これといった証拠はない。しかし、他の階級社会における都市全体や全国的な議会については、膨大な証拠がある。そのどれもが、富裕層や有力な一族によって支配されていた。古代スパルタでは地主が支配していた。ローマの元老院も同様だった。ジョン王や男爵家もそうだった。そしてごく最近まで、ヨーロッパのすべての議会の有権者は富裕層に限られていた。
この近視眼は重要である。他の多くの人々と同様、私たちは王国や国家を、不平等な社会における支配階級がルールを強化し、強制するために集まる方法として理解している。『万物の黎明』では、そのプロセスは目に見えない。
グレーバーとウェングローは怒っている。この怒りには、私たちのようにグローバルな不平等に絶望し、グローバル・エリートの政治を憎み、気候の混乱を恐れる読者を喜ばせるエネルギーがある。
多くの点で、彼らの本は新鮮な風を吹き込んでくれる。そして私たちは、既存のすべての国家に対する敵意を共有している。しかし、今後、気候変動を食い止めるためには、階級と環境の中心的重要性を含む人間の条件に関する理解が必要である。
[1] Fredrich Engels, 1884, The Origin of the Family, Private Property and the State. The book was revived as a key text by socialist and Marxist feminists in debates about women’s liberation. Pace the 19th century social Darwinism which clearly took a lead from the Old Testament, it is now quite clear that both pastoralism and slash and burn agriculture appeared after, and not before, the advent of settled agriculture.
[2] Franz Boas, The Mind of Primitive Man, 1911; Claudia Ruth Pierpoint, ‘The Measure of America’, 2004; Ned Blackhawk and Isaiah Lorado Wilner, Indigenous Visions: Rediscovering the World of Franz Boas, 2018; Rosemary Lévy, Franz Boas: The Emergence of the Anthropologist, 2019.
[3] Very good examples of this work include Sara Hdry, Mothers and Others: The Evolutionary Origins of Mutual Understanding, 2005; Elizabeth Marshall Thomas, The Old Way, 2001; two articles by Steven Kuhn and Mary Stiner: ‘What’s a Mother To Do’, 2006 and ‘How Hearth and Home Made us Human’, 2019; Loretta Cormier and Sharon Jones, The Domesticated Penis: How Womanhood has Shaped Manhood, 2015; a key paper by Joanna Overing, ‘Men Control Women? The “Catch-22” in the Analysis of Gender’, 1987; two books by Christopher Boehm: Hierarchy in the Forest and the Evolution of Egalitarian Behavior, 1999, and Moral Origins, 2012; every book by the primatologist Frans de Waal; the two chapters by Brian Ferguson in Douglas Fry, ed., War, Peace and Human Nature, 2013; Richard Wrangham, Catching Fire: How Cooking Made Us Human, 2010; and two books by the trans biologist Joan Roughgarden: Evolution’s Rainbow: Diversity, Gender and Sexuality in Nature and People, 2004, and The Genial Gene: Deconstructing Darwinian Selfishness, 2009.
[4] Our favourites among the ethnographies of our near contemporary hunter-gatherers are Marjorie Shostack, Nisa: The Life and Words of a !Kung Woman, 1981; Jean Briggs, Inuit Morality Play: The Emotional Education of a Three-Year-Old, 1998; Phyllis Kaberry, Aboriginal Women: Sacred and Profane, 1938, Karen Endicott and Kirk Endicott: The Headman was a Woman: The Gender Egalitarian Batek of Malaysia, 2008; Richard Lee, The !Kung San: Men, Women and Work in a Foraging Society, 1978; and Colin Turnbull, Wayward Servants: The Two Worlds of the African Pygmies, 1978.
[5] Kent Flannery and Joyce Marcus, The Creation of Inequality: How Our Prehistorical Ancestors Set the Stage for Monarchy, Slavery and Empire, 2012; and James C. Scott, The Art of Not Being Governed: An Anarchist History of Upland South-East Asia, 2009; Scott, Against the Grain: A Deep History of the Earliest States, 2017. Martin Jones, Feast: Why Humans Share Food, 2007, is also very useful.
[6] Edmund Leach had made a similar argument in 1954 in Political Systems of Highland Burma, and radically changed anthropology. For a brilliant ethnography of one group of anti-class hill rebels at the end of the twentieth century, see Shanshan Du, Chopsticks Only Work in Pairs: Gender Unity and Gender Equality Among the Lahu of Southeastern China, 2003. For Scott’s recent extension of his argument to ancient Mesopotamia, see Against the Grain.
[7] This is all succinctly described in Brian Hayden, ‘Transegalitarian Societies on the American Northwest Plateau: Social Dynamics and Cultural/Technological Changes,’ in Orlando Cerasuolo, ed., The Archaeology of Inequality, 2021.
[8] Start with Philip Drucker and Robert Heizer, 1967, To Make My Name Good: A Reexamination of the Southern Kwakiutl Potlatch; and Eric Wolf, Envisioning Power: Ideologies of Dominance and Crisis, 1999, 69-132.
[9] Jeanne Arnold, ‘Credit where Credit is Due: The History of the Chumash Oceangoing Plank Canoe’, 2007; and Lynn Gamble, The Chumash World at European Contact: Power, Trade and Fighting among Complex Hunter-Gatherers, 2011.
[10] On the Calusa, see The Dawn, 150-2; Fernando Santos-Cranero, 2010, Vital Enemies: Slavery, Predation and the Amerindian Political Economy of Life, 2010; and John Hann, Missions to the Calusa, 1991.
[11] Rita Wright, The Ancient Indus: Urbanism, Economy and Society, 2010; and Andrew Robinson, The Indus: Lost Civilizations, 2015.
[12] Robbie Ethridge and Sheri M. Shuck-Hall, Mapping the Mississippian Shatter Zone, 2009; and George Edward Milne, Natchez Country: Indians, Colonists and the Landscape of Race in French Louisiana, 2015.
英語はよくわからんので、機械翻訳を活用というか、大活用している。
同人ゲームのRPGというと、たいていは舞台は中世であり、王様や皇帝とか、司祭とかそういうのがいる世界である。
これを機械翻訳すると、"天皇陛下がおかしくなってしまったのでしょうか?"となる。
現在世界で唯一のEmperorは、天皇なのだから、こういう翻訳になってしまうのはまあ仕方ない。
ただね、こういう訳文がたくさん出されると複雑な気持ちになる。
もう日本は帝国ではないのだから、そろそろ天皇の英語訳をEmperorから変えてもいいんじゃないたろうか。
では何に変えるのか? 日本は立憲君主制なのだから、王様(King)でもいいとは思う。
彼らが言うには、東洋の中華文化圏では、王というは帝の一つ下であって、馬鹿にされるという。
よく意味が分からないが、まあ、そういう価値観もあるのだろう。
それなら、せめて、Tennouみたいにローマ字読みでいいんじゃないか。
読み方変えますよって言うだけでいいのだ。
その手間もかかるから、優先度は低いんだろうけど。
終戦で大日本帝国が滅んだ時に、変えてくれたらこんな手間もなかったのになー。
ちなみに、皇帝と訳される時もある。
皇帝を倒せ!
→
Defeat the Emperor!
→
皇帝を倒せ!
ただ、そうじゃないときもある。
霊感商法で金巻き上げるカルト教団は潰れろ、っていうのは全面的に同意なんだけど、
どこ見てても、大半の意見は「カルト教団と少しでも関係持った議員はさっさと辞めろ」で思考停止してしまっているように見受けられる。
「宗教団体から票を集めるのはやってもいいのか?」 と、「統一教会はカルトなので活動をさせるな」ってのは別問題な気がしている。
で、前半は現行認めざるを得ないんじゃないかと思う。
https://yashio.hatenablog.com/entry/20220912/1662987600
上記にもあるように宗教団体から票を集めるっていうのは現状の仕組み上効果的・合理的だと思うし、
もし全然やっていない政党があるんだとしたら、応援者の期待を裏切る怠慢だとすら思ってしまう。
政党なんて議席がないと力が出せないんだから、各議員があらゆる団体にいい顔をして力を持とうとするのは当然。
批判するんだとしたら統一教会をカルトだと認めていないこと、それらカルトがちゃんと活動できないように法なり仕組みなりを作っていないことを批判すべき。
それはそもそもそういう宗教団体が票田を持ってしまっている原因を作ったアホな国民の責任だろうし、
(スパゲティモンスター教信者が国民の50%超えたらカルトだろうが教団に有利なように政治をもってくでしょ)
https://anond.hatelabo.jp/20220818211741
あと、この人が本当に自民党議員なのかどうかはわからないけど、大半の中の人はこういう感覚なんじゃないかなと想像する。
いちいち、どの宗教団体から票集めようとかそこまで計算してないんじゃないかな。
色んな団体の会合に出席して、俺に任せてくれ、悪いようにはしない、って顔するのは、上に書いたように当然だと思う。
あらゆる団体のしがらみから完全に抜けて理想的な政治をしてほしいっていう願望は実現性皆無だしあまりにも幼稚なんじゃないかな。
なんかこう、個人的には、応援する政党(基本的に政策参考にその時々で決めてる。この前は国民民主に投票した)には、
かのローマ帝国初代皇帝のように、共和制でございって顔していつのまにか元老院の権限も護民官の権限も巻き取ってインペラトールになる、そんで政治を実体の効力があるよう動かす、みたいな、
清濁併せ呑んだような政治をしてほしいなとか思ったりする。
悪役だけど正義っぽいとかあるけど
そういうキャラの属性の説明を一番うまく出来てるのはAD&Dのルールだと思うし。
善(グッド)
悪(イービル)
というのにざっくりと分かれる。
というもものだった。
善はルーク・スカイウォーカー、
悪はダース・ベイダー、
みたいな感じだ。
でも、それだと説明不足だと感じたのかAD&Dでその3つにプラスしてさらに3つの属性を付加した。
秩序(ロー)
同じくスターウォーズだと銀河皇帝とか悪だが混沌(カオス)ではなくて
秩序(ロー)よりの人だ。
だって元老院から推戴される形、正式な手順で銀河皇帝になったり、
この組み合わせをキャラに組み合わせていくと
なぜ悪なのに正しいことを言っているように感じるのか?
善で混沌とか言えるかもしれない。
(いや、ほんと無理やりだけど)
西暦1805年冬、ナポレオン率いるフランス大陸軍六万と、ロシア・オーストリア連合軍八万がウィーン近郊のアウステルリッツ=プラッツェン高地西方で激突した。
フランス軍は当時のロシア軍に対し数的劣勢であったことに加え、アウステルリッツにおいて最重要拠点であるプラッツェン高地をロシア軍に占拠されていたため(一時はフランス軍によって占拠されていたものの、明け渡された)、当時フランス軍にとって有利な状況は何一つ存在していなかった。その上、アウステルリッツの南北双方からは敵増援が到着しつつあり、これら増援とロシア軍が合流を果たせばフランス軍には万に一つの勝ち目も無かった。
しかし連合軍は数的優勢、土壇場になって停戦交渉に打って出たナポレオンの弱腰、さらには戦場における最重要拠点であるプラッツェン高地を手中に収めていることを鑑み、勝機ありと見た末に停戦交渉を撥ね退け、フランス軍との大規模会戦に打って出たのである。それらが全てナポレオンの張り巡らせた罠であるとも知らずに。
1805年12月2日、戦端はロシア軍の先制攻撃によって開かれる。プラッツェン高地南方にて、フランス軍右翼の守るテルニッツ村が攻撃を受けた。
当時の布陣図によれば、フランス軍右翼は極めて脆弱であり、ロシア軍はそこを弱点と見做し自軍左翼のブクスホーデン軍を急行させたのである。南北に伸びたプラッツェン高地から出撃したブクスホーデン軍によって、フランス軍右翼陣地はあわや撃滅されようとしていた。右翼が壊滅すれば突破したロシア軍はフランス軍後方へと迂回し、中央のフランス軍主力部隊を挟撃することができる。そうなればフランス軍は終わりである。
しかし、まさにその瞬間に――ブクスホーデン軍がプラッツェン高地から、地上のフランス軍右翼へと殺到し始めた瞬間に――ナポレオンは勝利を確信したのである。
フランス軍右翼は囮であった。ナポレオンの狙いは、ロシア軍左翼がフランス軍右翼を攻撃するために進撃を開始した瞬間に、手薄になった中央のプラッツェン高地を集中攻撃することにあった。
これによって、重要拠点であるプラッツェン高地をロシア軍から奪回し、戦場の主導権を我が物にしようとしたのである。さらに、アウステルリッツの会戦当日にはプラッツェン高地周囲の森には深い霧が立ち込めており、この霧の存在もナポレオンの企図を助けることとなった。
ロシア軍左翼がプラッツェン高地から出撃して間もなく、スルト元帥麾下の第四軍団14000がプラッツェン高地中央部を急襲し、霧の中突如として現れたフランス軍を前に、ロシア軍中央は総崩れとなる。また、脆弱だった筈のフランス軍右翼も、ダヴ―元帥麾下7000の部隊が後方都市から到着したことで、数的劣勢を克服し、戦況を盛り返しつつあった。
(開戦前日にダヴ―麾下7000の部隊は密かに戦場へと到達すると、言わば伏兵として右翼後方に待機していた)
やがて激烈なフランス軍主力の攻撃により、ロシア軍中央は壊走を始め、プラッツェン高地はフランス軍により奪回された。同時に、フランス軍右翼の攻撃のためにプラッツェン高地から地上へと降り立っていたロシア軍左翼は、敵陣の中孤立することとなり、戦局はここに決したのであった。
ロシア軍は戦端を開こうとせず、増援の到着を待ち戦力を増強しさえすれば、少なくともフランス軍との直接対決において敗北を喫することは無かったであろう。
しかし、ナポレオンはその裏を掻いたのである。彼はロシア軍が友軍と合流する前に会戦の火蓋を切って落とし、大規模な会戦に持ち込むことで、いち早く敵軍主力を撃滅することを画策したのだ。そのために、敢えて戦力劣勢を露呈し、戦場の最重要拠点を敵軍へと譲り、尚且つ弱気な姿勢を見せるために仮初の停戦交渉さえして見せたのである。とどめには、勝機に逸るロシア軍の中央を攻撃するために、敢えて右翼の布陣を脆弱にするという周到さであった。それら全ての罠がロシア軍の判断能力を奪い、かくしてロシア連合軍八万はアウステルリッツの地にて壊滅したのだ。
かの有名な書物『戦争論』の中で、著者であるプロイセンの将校クラウゼヴィッツはこの戦いを次の言葉で概括している。 「戦争芸術の粋」。
紀元前219年、遥かアフリカ北端の国家・カルタゴの将軍ハンニバルは、当時世界最大の強国であった共和制ローマを相手取り絶望的な戦いを挑んでいた。
その絶望的な戦況を好転させるため、ハンニバルは自ら率いた精鋭部隊をスペインからアルプス地方へと経由させることで、ローマの中枢であるイタリア半島本土に対し直接攻撃を仕掛けたのである。
最終的に、ハンニバルはイタリア半島に十年間留まり、その間絶えずローマ軍に対する圧迫を続けた。その十年の戦いにおいて世界戦史上に燦然と煌めく、もっとも著名な戦いこそがカンナエの戦いである。
ハンニバルはアルプス山脈を越えイタリア北部に侵攻すると、次々と現れるローマ軍を待ち伏せや正面突破によって壊滅させ、イタリア半島南方へと進撃した。当時、快進撃を続けるハンニバルは数万の軍隊を維持するべく、イタリア半島各地で略奪を行っており、農村を中心に甚大な被害が上がっていたことからローマ軍首脳のストレスはピークに達していた。更に、イタリア半島南部においてはローマ軍の補給基地が存在しており、そこをハンニバルに抑えられるとローマ軍は南イタリアでの行動を制限される可能性があった。そのため、ローマ首脳陣はカルタゴ軍を撃滅するべくローマ史上最大規模の部隊を編成し、約八万の軍を執政官パウルスとウァロに指揮させた。この時、決戦の地に選ばれたのがイタリア南方のカンナエである。
決戦の舞台となったカンナエは、川と丘陵地帯に挟まれた地形であり、カルタゴ軍約五万とローマ軍七万は平原をほとんど埋めるように布陣し、正面から向かい合った。
両軍は双方ともに両翼に騎兵部隊を、中央に歩兵部隊を配置しており、いかにも窮屈そうな陣形であった。
しかし、この人馬が埋め尽くす不自由な戦場は、後に分かる通り、ハンニバルの用意した殺戮の舞台としてはうってつけのものでさえあった。
ローマ・カルタゴ双方の騎兵隊は、狭い地形において機動戦法を取ることができず、正面からぶつかった。
歩兵戦力ではローマとカルタゴで比べるべくもない数的差(6万強:4万)が開いていたが、騎兵の質、量においてはカルタゴ軍がローマ軍を上回っており(6500:1万)、カルタゴ軍は開戦から僅かな間に、左翼での騎兵部隊の戦闘において優勢に立っていた。単純な数的有利から繰り出される圧力と、また練度の違いによりローマ軍騎兵は瞬く間に圧迫され、その算を乱していった。
一方歩兵部隊における戦力差は繰り返すように圧倒的であり、歩兵同士の戦闘に限ってはカルタゴ軍がローマ軍に勝利する公算は無かった。
そのため、ハンニバルは一計を案じた。
ハンニバルはカルタゴ軍歩兵の陣形をお椀のように変形させ、その弧を描いた部分をローマ軍中央の歩兵部隊と接敵するようにしたのである。これによって接敵する面積をできるだけ減らし、中央が突破されるまでの時間を稼ごうとしたのだ。ハンニバルは歩兵同士の戦闘をできるだけ遅滞させ、両翼の騎兵部隊が優勢に立つのを待った。
また、ハンニバルはお椀型をしていた陣形を、戦闘が推移するに従って屈伸させ後退させた。当初の形(お椀の底の部分が接敵する形)とは逆に、ローマ軍の大半をお椀の中へと誘い込んだのである。さらに、ハンニバルは温存していた自軍左右の重装歩兵をローマ軍へと攻撃させ、ローマ歩兵が挟撃される形を築こうとした。
とは言えこの時点ではカルタゴ軍によるローマ軍への包囲は決定的ではなく、ローマ軍は歩兵戦闘において依然優勢な状況にあった。そのためローマ軍は、優勢な戦況を継続し、カルタゴ軍中央を突破することで戦局を優位に進めようとした。
ところがその時、歩兵部隊の両翼で戦闘を行っていたカルタゴ騎兵が、歩兵同士の戦闘に加わったのである。
戦端より優勢を維持していたカルタゴ軍騎兵は、ローマ騎兵を壊滅させた後に、敵歩兵部隊の無防備な背後を攻撃した。左右を川と丘陵に囲まれた陣形の狭さ故に、ローマ騎兵は有効な回避機動を取ることができず、瞬く間にカルタゴ騎兵によって殲滅されたのであった。
ただでさえカルタゴ軍に包囲されかかっていたローマ軍は、後方から攻撃を受けることによって決定的な混乱を迎えた。周囲を完全に包囲されたローマ軍は逃げ惑い、歩兵の中央部では逃げ惑う味方の身体に押されて圧死する者も現れたという。
この戦いによってローマ軍7万の部隊は完全に壊滅し、6万人が死傷、また、残る1万人は捕虜となった。
地形を有効に利用し、敵軍を機能不全に陥らせ包囲殲滅する戦法は、いわばハンニバルの御家芸であった。
機動部隊同士の戦闘を優勢に進め、敵軍を包囲殲滅するこの戦法が、以降近現代の軍事教本に取り上げられ、カンナエの戦いのハンニバルに帰する栄光が不動のものとなったことはあまりにも有名である。ハンニバルはイタリアの地にてローマ軍を完全に破った。この戦闘によって、当初戦闘に参加していた元老院議員の政治家八十名が戦死し、議員定員約300名のローマ議会における四分の一が戦死することとなる。