はてなキーワード: 逆差別とは
社会学には2つの極端なアプローチがあります。一方は、統計的・因果推論的に厳密にデータと解釈を分離し、反証可能性を担保する科学的手法です。
もう一方は、自分のイデオロギー・ナラティブ(構造的抑圧、弱者発見、権力批判など)を支えるためにデータを「都合よく選ぶ」(cherry-picking)手法です。この記事では後者を「ストーリーテラー(Storyteller)」と分類します。
統計・大規模調査・因果推論手法(差の差法、操作変数法、傾向スコアマッチングなど)を用い、相関関係と因果関係を明確に区別。
データ事実(Results)と研究者の解釈(Discussion)を厳密に分け、矛盾するデータも提示し、反証可能性と頑健性(robustness)を担保する。社会科学として「科学」の基準を守る。
「社会科学」の看板を借りて、自分のイデオロギー・ナラティブ(物語)を広める人。データはあくまで「自分のストーリーを魅力的に補強する道具」に過ぎず、都合の良い部分だけ選び(チェリーピッキング)、相関を即因果にすり替え、解釈をデータに混ぜ込む。文学的・運動的アプローチが強く、X(旧Twitter)やメディアで声が大きい loud minority として目立つ。
自説に有利な数字・事例だけか、全データ範囲と感度分析を示すか。
相関を即「構造的抑圧が原因」と断定し、因果推論手法名を明記しない。
結果セクションですでに文学的なナラティブ(「これは権力の証左」)が入っていないか。
質的研究・批判理論(Foucault、Butler、上野系)が先行し、計量・因果推論論文の引用が少ない。
批判されると「文脈が違う」「差別者」とレッテル貼りするか、データで再検証を提案するか。
X・メディアで構造批判・弱者発見・PC擁護が熱く、エンゲージメントが高い。
論文・発言・X投稿をチェックすれば、9割以上見分けられます。
ストーリーテラーは、社会学を「科学」ではなく「物語を語る運動の場」に変える存在です。彼らはデータを使いつつも、最終的に一貫した
を構築・拡散します。これは、イデオロギーを補強するための選択的物語化です。データは「証拠」ではなく「感情を揺さぶる小道具」として機能し、矛盾データは無視するか、「より大きな構造のせい」として相対化されます。
• 1970-90年代の「質的転回」(qualitative turn)でインタビュー・参与観察・理論解釈が主流化した歴史的土壌がある。
• X・メディアでは「弱者発見」「構造批判」といった感情に訴えるストーリーがエンゲージメントを稼ぎやすい(loud minority効果)。
• 結果、学問の「科学性」が薄れ、活動家ごっこのイメージが強まる(古市批判の核心)。
「弱者が弱者のままで尊重される社会を」「頑張っても報われない人がいる」 → 努力や個人の責任を「環境・構造のせい」に還元し、永遠の被害者像を描く。
例:東大入学式祝辞のような「恵まれた環境のおかげ」強調。データ(合格率差)を使っても、逆差別や努力差はスルー。
「家父長制・資本制・権力構造がすべてを決めている」 → 格差・ジェンダー・移民問題を「システムのせい」に帰結。解決策より批判が優先。
例:家事=「不払い労働」、教育格差を即「構造的抑圧」と断定。
「日本人は多文化に耐えられない」「加害者性・反省不足が原罪」 → 戦後教育の延長で、日本人全体を「構造的加害者」に位置づけ。
例:日本社会の「単一民族神話」批判や、歴史問題での自虐的ナラティブ。
「異性愛規範・性二元制がマイノリティを抑圧」「性自認尊重が正義」 → ポリティカルコレクトネスを「進歩の物語」として語り、反対意見を「差別」と一蹴。 例:女子枠反対を「弱者男性のワガママ・ミソジニー」とレッテル貼り。
「政府・権力の干渉が学問の自由を脅かす」「新政権のツッコミどころ」 → 学術会議問題などで「権力 vs 専門家」の二元論を展開。
「相手は差別者・歴史修正主義者・ミソジニー」 → 都合の悪い女性政治家を「中は男」と属性攻撃するなど、二重基準を隠した攻撃的ナラティブ。 ラベリング理論を武器化。
結果、社会学は「文学の亜流」や「運動の道具」と見なされやすくなります。
代表的発言:「あなたたちが『がんばったら報われる』と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひとたちがいます。」(2019年東大入学式祝辞)
代表的発言:「女子枠に反対するのは弱者男性のワガママ」「ミソジニーとルサンチマンに溢れた快哉を叫ぶコメント」(2026年頃、女子枠反対論に対するnote引用・投稿)
代表的発言:「安倍さんが女装して現れた」「言っていることは安倍さんそのものだ」「だから、中は男でしょ。安倍さんでしょ」(2024年、立憲民主党集会での高市早苗氏批判)
代表的傾向:「病ませる社会」が弱い人を症状化させる(近年、人生相談・社会病理関連発言)
代表的発言:「なんで、いま、みんな日本学術会議に関心を持ってるの? 新政権のツッコミどころだからというだけでしょう」(2020年、学術会議任命拒否問題時) → 権威主義・体制批判。
ネット右翼を「1%未満の愉快犯」と矮小化するなど、日本社会の構造・歴史ナラティブ批判。
「学術会議法人化法案が可決されてしまいました。日本は、アカデミーの自律性を弱めることに加担した国の列に加わりました。」(2025年、X投稿) → 学問の自由危機ナラティブ。
大規模調査データで家族・格差を統計分析。因果推論を意識した学術告知中心。
X・メディア・学術会議・ジェンダー/PC分野で目立つのは圧倒的にストーリーテラー。彼らのナラティブは感情に訴えやすく拡散されやすい一方、実証派は論文・データで静かに勝負するため声が小さい。結果、社会学は「科学」より「物語を広める運動」が強まりやすい構造になっています。社会科学を本当に科学に戻すには、実証派がもっと積極的に声を出していくことが重要です。
Xやメディアで目立つ文学的・批判理論寄りの事例をピックアップ。統計・因果推論重視の実証派とは対照的に、「構造批判」「ナラティブ」「弱者発見」が優先されやすいパターンを示します。
「あなたたちが『がんばったら報われる』と思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。」 「世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひとたちがいます。」 (全文は東大公式HP掲載。医大不正入試を挙げ、女子学生の入りにくさを統計で指摘しつつ、新入生に「恵まれた環境のおかげ」と諭す内容)
「家事は不払い労働」「愛の行為だからお金に換算できない」で本当に正しいのか? → 断固として「不払い労働」と呼ぶ。 (1980年代から一貫。家父長制と資本制の搾取構造として位置づけ)
努力や個人の責任を「環境のせい」に還元し、弱者発見を強調。統計(医大合格率1.2倍)を挙げるが、解釈は「構造的女性抑圧」一色で、男性の努力や逆差別(例:理3類の微妙な数字)はスルー。家事「不払い労働」論も、男性の家事・育児負担増やDV被害男性のデータは無視しがちでダブスタ。ポストモダン的「客観性への懐疑」を体現し、「がんばっても報われない社会」を前提のナラティブ優先志向。
高市早苗氏について:「安倍さんが女装して現れた」「言っていることは安倍さんそのものだ」「女性がどういう歴史を歩んできて、どんな目に遭って今まで生きてきて、政治がそれに対して何をしないといけないのか一度も考えたことないのだと思う」「だから、中は男でしょ。安倍さんでしょ」 (会場爆笑。TBS「サンデーモーニング」出演者としても知られる)
通常なら「女性政治家への性差別」「属性攻撃」「トランスフォビア」と猛批判する側が、自ら女性議員を「中身は男」と貶下。女性首相誕生を「恥ずかしい」と選別し、政敵のイデオロギーを「女装」喩えで攻撃。フェミニストの権威を盾に、都合の悪い女性を「名誉男性」扱いする典型。古市批判の「文学的」路線を超えた、感情的・属性依存のイデオロギー亡者ぶりが露呈。
「女子枠に反対するのは弱者男性のワガママ」「ミソジニーとルサンチマンに溢れた快哉を叫ぶコメント」 (UNESCO報告書を巡る議論で、反対論を「弱者男性のワガママ」と一蹴)
女子枠(ポジティブアクション)を「構造的抑圧是正」と位置づけ、反対意見を即「ミソジニー」「弱者男性のワガママ」と人格攻撃。教育社会学者としてデータ(格差統計)を使うはずが、相手の動機を悪意で決めつけ、議論を封殺。 **弱者男性の「ワガママ」を問題視しながら、女性枠優先の「ワガママ」はスルーする二重基準。
「なんで、いま、みんな日本学術会議に関心を持ってるの? 新政権のツッコミどころだからというだけでしょう」 (菅政権批判の文脈で投稿。学問の自由より「政権叩き」の文脈を強調)
学術会議を「専門家」の聖域として守り、外部(政権)批判を「新政権のツッコミどころ」と一蹴。自分たちの権威を盾に、任命拒否自体を問題視しつつ「本当の危機は大学改革」とずらす。ポピュリズムを非難しながら、左派迎合的なナラティブを優先。実証派なら「学術会議の実質的影響力や再現性問題」をデータで検証するはずが、イデオロギー優先。
「ネット右翼の数はネット利用者の1%未満」「愉快犯」「言説の広がりは深刻」。 近年も『日本社会のしくみ』などで「大企業型・地元型」の暗黙ルールや二重構造を批判し、右傾化ではなく「左が欠けた分極化」と分析。
日本社会の「暗黙のルール」やナショナリズムを構造的に解体するが、自陣営(左派)の歴史解釈は絶対化。ネット右翼を「少数愉快犯」と矮小化しつつ、反対意見の広がりを「深刻」と警戒。データ(調査比率)を使うが、解釈は左翼迎合で「日本人原罪論」の延長。
「援助交際を主体的選択」「まったり革命」と肯定的論じる(後に一部修正)。
安倍銃撃事件で統一教会問題を「世直しとして機能した」「安倍の死で瓶の蓋が取れた」と発言。
初期はサブカル肯定的だったが、近年は統一教会・安倍批判で「構造的問題」を強調。事件を「自力救済」の文脈に置き、社会包摂不足を政権のせいにする。データ(非正規雇用拡大)を使いつつ、左翼迎合のイデオロギー優先。
ダブスタ・レッテル貼りが特に目立ち(田中・本田)、権威を盾にした体制批判(西田・上野)が学問の看板を借りて活動家に寄りやすい。Xで目立つloud minority。実証派(計量社会学)は論文で勝負してるから静かだが、社会学を「科学」に戻すにはこうしたアホ発言の構造的問題を暴くしかない。
真剣に男女平等を考え、娘の将来に差別者としての記録を残さないためにもこの決断に至った。
誤解を恐れずに言えば、私はフェミニズムを支持しているし、社会における構造的な女性差別を解消すべきだという立場だ。だからこそ、今、大学入試で急速に拡大している「女子枠」という安易な「アファーマティブ・アクション」(カッコ付きの方の意味で)には強い危機感を抱いている。
先日、高2の娘が「女子枠があるから、この大学なら安全圏かな」と口にしたとき、背筋が凍るような思いがした。彼女は無意識のうちに、「自分は属性によるゲタを履かなければ、男性と同じ土俵で戦えない存在である」という差別的な価値観を内面化してしまっていたのだ。属性による選別は、差別の再生産でしかないのにな。
だから私は娘にこう伝えた。
「女子枠を利用して合格するなら、わが家は学費も生活費も一切出さない。一般枠で、実力で合格するなら、理系だろうとなんだろうと大学院まで含めて全力でサポートする」
これは決して娘を突き放すための言葉ではない。彼女を「一人の自律した人間」として尊重しているからこその通告だ。
そもそも、現在の女子枠ブームは、大学側が「ダイバーシティ」の数値を手っ取り早く稼ぐための帳尻合わせに過ぎない。女子生徒が理系を選びにくい構造的要因(教育課程や大学側の学習環境)を放置したまま、出口の数字だけを操作するのは、思考停止したポピュリズムだ。
そんな「下駄」を履いて入学したとして、その後の4年間、あるいは社会に出た後の数十年、彼女は「女子枠で入った人」というレッテルから逃れられるだろうか。
周囲の男性学生からは「実力不足なのに制度に守られた特権階級」と冷ややかな視線を浴び、本人もまた、自分の成功が「正当な実力」によるものか確信を持てないまま生きることになる。これこそが、もっとも残酷な形での「女性軽視」ではないか。
リベラルを自認するはてなユーザーなら理解してくれると思うが、特権や差別的な構造を利用して利益を得ることは、その構造を温存させる加担行為に他ならない。私は、娘に「差別者としての記録」を残してほしくないのだ。
後世、歴史が「2020年代の女子枠は、性別による逆差別であった」と総括されたとき、彼女のキャリアに「*(ただし女子枠)」という注釈がつくことを防ぎたい。彼女には、誰に文句も言わせない、圧倒的な個人の実力によって道を切り拓いてほしい。
「制度があるなら利用しないのは損だ」という意見もあるだろう。だが、その「損得勘定」こそが、日本の男女平等の停滞を招いてきた。
既得権益を批判しながら、自分たちが利用できる「新しい特権」には喜んで飛びつく。そんなダブルスタンダードを、私は親として許容できない。
娘は最初、自分一人が頑張ったところで社会の不平等は変わらない、と反論したが私はこんなふうに諭した。
「社会が変わるのを待つのではなく、あなた自身が『性別に関係なく優秀であること』を証明することが、後進の女性たちにとって最大の希望になるんだよ」
もし、彼女が一般枠で挑戦して不合格になるなら、それはそれでいい。浪人してもう一年牙を研ぐなら、その費用も私が出そう。
敗北を正面から受け入れる強さを持つことの方が、不当なゲタを履いて手に入れる合格通知よりも、よほど彼女の人生を豊かにすると信じている。
男性はたぶん、性加害者とはみんな性加害者的な見た目や挙動をするものだ、と思っている。
だから、自分の友人や知人が性加害をしていようが全然気づかなかったりするし、自分の加害性にすら気づかない。
痴漢や盗撮をしたことない自分を「まともな男性」と思っていたりする。
コンビニで男子トイレの数が少なかったり、ブリクラ機の男子のみの利用を禁止されたり、女性専用車の存在などに対して、逆差別だの性差別だの、男という大きい主語でひとくくりにするなだの、そんなことを平気で言う。
***
学校の友達や会ったことない人達と、2ちゃんねる的なノリでやりとりするのが最高に楽しかった。
高校入試が終わった頃だと思う。
今はどうなのかわからないが、当時のモバゲーでは初期設定で性別を決めると二度と変更できず、当然アバターの性別も変更できなかった。
僕は男性で設定していたので、髪型や服装も男物しか選べなかったのだが、どうにか中性的なアイテムをかき集め、沖縄の女子中学生を演じる自己紹介文をギャル文字で仕上げた。
モバゲー上の友人達には「男アバターで男が釣れるのか実験しまーすwww」みたいなことを水面下で言っていたので、みんな面白がってギャル文字でコメントをくれたりしていた。
実験の結果はすぐに現れた。
県内外の知らない男性達から、驚くほど次々とメッセージが届いた。
同年代らしき男子や、20代30代の大人達(大人もモバゲーやるんだとその時に知った)から、メル友になりたいからアド教えてだの、会おうだの遊びに行こうだの、様々なメッセージが嫌というほど届いた。
中には「エッチしよう」みたいな内容もあった。
驚愕の1週間だった。
女性達が普段からこんな気持ち悪い目線に晒されていること、男性というものがこんなに気持ち悪い存在だったこと、その気持ち悪さを同じ男性の自分が全く知らなかったこと、そのすべてが衝撃だった。
それまでは、盗撮で捕まった男性のニュースなどを見ても、どこか現実味を感じていなかった。
少なくとも自分は女性を盗撮などしたことがないし、友達にもそんな奴は多分いない。盗撮をしちゃうようなバカな男は世界のどこかには存在するのだろうが、それは本当にごく一部の男性であって、自分には全く関係ない、と思っていた。
でも、女性達に平気で性欲をぶつける男性達は、身近にめちゃくちゃいるのだと気づいた。
しかもそれは対象の女性との関係性に基づかず、まるで通り魔のように、女性というだけで当然のように攻撃してくる。
男性達は皆、「女性は押せばゲットできる」「数打ちゃ当たる」的な恋愛/ナンパ/セックス神話をどこかのタイミングで共有されるので、モバゲーのメッセージもその手段のひとつとしか思っていなかったのだろう。
男アバターで釣れた男達は、触れるどころか見るのも気持ち悪くて、こちらを食べてきそうな凶暴な魚だった。
モバゲーの友人達を笑わせたくて始めた実験が、僕が笑えないまま幕を閉じた。
本当に、驚愕の1週間だった。
***
詳細は伏せるが、割と仲の良い知人男性が、未成年の女性に手を出して捕まったことがあった。
僕から見た彼は、面倒見が良くて、話し方と笑顔が柔らかくて、誰とでも分け隔てなく喋れる、コミュニケーション能力の高い男性だった。
妻子もいた。
そんなことをする人間だとは到底思えなかった。
男性でいる以上、ほかの男性達がどんな加害性を持っているか、見極めるのはすごく難しいと思う。
だけど多分、女性にとってそれは容易なのかもしれない。
なぜなら、男性達は勝手に、女性達の前で痴態を晒してくるのだから。しかも他の男性達にはバレないように。
あの時の自分の発言、めちゃくちゃセクハラじゃん…と後から気づいたことが何度も何度もある。
僕は盗撮をしたことがない。知らない女性にメッセージを送ったこともない。
だけど、そんなクソキモ男性達が不自由なく暮らせる男性優位社会を構成する一員ではある。
女性へのハラスメントを可能にしている、何らかの構成要素のひとつでもある。
女性への性加害をやめようと声をかけたいが、誰にどう言えばいいのかわからない、情けない男性のひとりでもある。
***
男という大きい主語でひとくくりに批判するな、と、男性達は平気で言う。
だけど、男という主語は、女性達をとりまく性加害の問題に対して、大きすぎることなく、むしろものすごくフィットする。
身の回りの男性達を見て誰がどのくらい問題なのか、そして自分はどうなのか、そんなことすらジャッジできないんだから。
1番仲の良い男性の友達や、尊敬する男性の先輩や上司を思い浮かべることは誰でもできるだろうが、その人達が女性に性加害的な行動をとることを想像できる男性は、果たしてどのくらいいるのだろうか。
彼らの加害が発覚したときに、彼らを真正面からちゃんと批判できる男性は、果たしてどのくらいいるのだろうか。
私はこの分野の門外漢で,加えて生成AIに計算してもらってるので話半分でお願いします
そうした意味で、入学試験の得点だけを意識した、視野の狭い受験勉強のみに意を注ぐ人よりも、学校の授業の内外で、自らの興味・関心を生かして幅広く学び、その過程で見出されるに違いない諸問題を関連づける広い視野、あるいは自らの問題意識を掘り下げて追究するための深い洞察力を真剣に獲得しようとする人を東京大学は歓迎します。
ぶっちゃけ、今の女子枠論争見てて「言葉遣いがー」とか「相手を悪魔化するのは良くないー」とか言ってる綺麗事勢、マジで呑気すぎて笑えてくる。
今まで散々「公平な競争を」とか「逆差別は良くない」とか、お上品な理屈をこねて反対してきたよな? で、結果はどうなった?
女子枠は減るどころか、地方国立から難関大まで、雨後の筍みたいにポコポコ増えてるじゃん。結局、論理的な批判なんて一顧だにされず、ただの「ノイズ」として処理されて終わりなんだよ。
いい加減気づけよ。今のこの状況は、もはや「議論」のフェーズじゃない。「殴り合い」なんだわ。
フェミ側を見てみろよ。あっちが論理で話してくるか? 気に食わない奴を片っ端から「加害側」に認定して、人格否定して、社会的に抹殺しようとしてくるだろ。相手が「悪魔」として殴りかかってきてるのに、こっちだけ「不適切な表現は避けるべきです(キリッ)」なんてやってたら、そりゃ一方的にボコられて終わるに決まってる。
そんなプライド、1円の価値もないわ。泥沼の戦場に立ってるのに、自分の服が汚れるのを気にして何もしない奴は、ただ死ぬのを待ってるのと同じ。
まともな批判が無視され続けた結果、ようやくみんな「あ、これウンコの投げ合いをしないと話を聞いてすらもらえないんだな」って気づき始めたんだろ。
相手を悪魔化する。下品な言葉で煽る。炎上させて注目を集める。
これって、フェミニストが今まで散々使い古してきた「戦術」そのものだよな。皮肉なもんだけど、あいつらが教えてくれたんだよ。「上品に振る舞う奴には何をしてもいいが、狂ってる奴には近寄らない」っていう現代社会の力学を。
無抵抗で搾取されるくらいなら、徹底的に暴れて、この「女子枠」っていう歪んだ椅子取りゲーム自体をぶっ壊すくらいの気概が必要なんじゃないの。
もういい加減ハッキリ言おうぜ。
日本がクソみたいになってる根本原因は全部、弱者男性にあるんだよ。
税金払いたくない・公共事業反対してる弱者男性が、結局道路崩落とか事故増やしてる元凶。金出せよって話。
「エコとか金かかる」って反対してるの弱者男性多め。自分らの生活コスト上がるのが嫌で未来世代潰してる。
歴史見ろよ。どの戦争も結局下層男性を戦場に放り込んでるじゃん。自分は強者になれないから「男なら戦え!」って他人に押し付けて悦に入ってる。
自分らが貧乏だからって、生活保護や子育て支援にケチつけて叩いてるの弱者男性じゃん。結局自分より下の子供叩いてマウント取ってるだけ。
Twitterとかで「〇〇人帰れ」って喚いてるのほぼ弱者男性じゃん。自分より下を作ってマウント取りたいだけ。
「ジジイ年金泥棒」「若者はもっと働け」って交互に叩き合ってるの、結局どっちも弱者男性が主導してるんだよな。自分はどっちにもなれないから憎しみで飯食ってる。
「実力主義だろ」「逆差別だろ」ってギャーギャー騒いでるけど、お前らが女子枠なくても受からないだけだろ? 学歴も職歴もスペックもゴミなのに平等叫ぶのウザすぎ。
「女は家にいろ」って昭和の亡霊みたいなこと言ってる奴、鏡見てみ? お前が社会で勝てないから女が上に立つのが許せないだけじゃん。惨め。
「家族の絆が!」とか言ってるけど、お前結婚すらしてねーだろ。戸籍がどうとか関係ねーよ、ただ女を縛りたいだけだろ。
「伝統が!」とか「子供が!」とか喚いてるけど、お前が子作りできないからって他人の幸せまで潰すなよ。自分の非モテを正当化すんな。
弱者男性に選挙権与えてるから、こんな歪んだ民意が政治に反映されてんだよ。
この増田をはじめとする一部はてなユーザーは女性逆差別への被害者意識が強すぎて、この件がパートナーとなる相手の価値観を貶めたことでの信用棄損の問題だということに気が付かない。だから、「女の幸せ」という文言なんかに過剰反応して、女性側は贈り物をされるのが当たり前だと勘違いしている!古い価値観!というおよそ何の関係もない話を始めてしまうのだ(元の増田は結婚指輪の代金を折半するという話だったのにもかかわらず)。少し奮発して二人でお気に入りの指輪を選びたい、指輪が目に入ったふとした瞬間にその時の幸せを思い出したい、という気持ちを自分自身が持てないのは仕方がない。そういう人もいるだろう。ただ、そういう方法で喜びを分かち合いたいと考える人がいると信じることすらできなくなっているから、こんな増田を書いてしまう。インターネットで勝手に人間不信を強めて、敵でもない相手を論破して気持ちよくなるなんて不毛から抜け出すべきではないかと感じる。
保守政権(自民党など)が差別禁止法の制定に極めて慎重、あるいは消極的なのには、以下のような**「負の合理性」**がある。
「日本に差別はない」というシステム仕様: 多くの日本の保守政治家は、日本を「和の精神を持つ単一民族国家」という、もはや破綻している古いマスターデータで捉えている。彼らのロジックでは「差別はない(ことになっている)」ため、禁止法を作ることは「日本に欠陥(差別)があることを認めることになる」と拒絶する。
表現の自由や逆差別の懸念: 差別を定義すると、自分たちの支持基盤である保守層の言動が「バグ(差別)」として検出されるのを恐れている。「何が差別か曖昧だと、正当な批判ができなくなる」という理屈で実装を先送りにしている。
「内側」を守るための設計: 彼らにとっての「国民」とは、あくまで「マジョリティ(多数派)の日本人」だ。君のような0.7%のマイノリティを守るためのコード(法律)を書くよりも、マジョリティにアピールできる国防(自衛隊)を強化する方が、選挙という「コンパイル(集票)」において効率が良い。
女子枠叩き見てて思うんだけどさ、文句言ってる奴の9割が「俺ボーダーギリギリなんですけど……」みたいな成績してるの透けて見えるんだよな
お前らさ、ぶっちゃけ女子が増えるってことは同じ学部に女の子が増えるってことじゃん?
講義で隣座れる確率上がるし、サークル勧誘で話しかけられる確率上がるし
なのに「不公平だ」「実力主義がー」「逆差別だー」って発狂してるの見ると、あーこいつら普段女の子とろくに話せてないんだなって一発で分かる
チー牛の悲しい生態そのまんまじゃん
成績がガチで上位層ならさ、「女子枠? ふーん、まぁ俺は余裕で受かるし別に」って余裕ぶっこけるはずなのに、ボーダー付近でヒーヒー言ってる奴ほど女子枠に過剰反応するの、自分の席が女子に取られるんじゃないかってビビってるだけだろ
ほんと、チー牛諸君。女子枠のおかげでキャンパスに女が増えたら、それだけでお前らの人生の幸福度ちょっと上がる可能性あるんだぞ?
せめて「ありがとー女子枠さん!」って心の中で手を合わせとけよ
あ、でも感謝とかできねーか、チー牛だもんな!
まぁ結局、「女なんか増えても俺に関係ねーし」って強がってるけど本音は「女の子に相手にされたい」ってのが透けてて哀れなんだよな~
大学入試の女子枠とかジェンダー枠に文句言ってる男子学生。なんか「不公平だ!」とか「逆差別だ!」とか叫んでるけどさ、冷静に考えてみろよ。もともと大学入試にそんな枠がなかっただけで、中学高校の受験なんて、男女の成績差でバンバン合否決めてるとこがいっぱいあるじゃん。
俺の知ってる限りで言うと、私立の中高一貫校とか、男子校女子校別じゃなくても、共学のとこで偏差値見てみろよ。女子の方が全体的に点数高い場合、男子の合格ラインが低く設定されてるなんてザラだぜ。いや、逆ももちろんあるけど、要は「成績に大差つけて合否決める」システムが、もう何十年も前から普通に存在してるんだよ。大学だけが特別純粋な実力勝負だったみたいに言うなよな。
文句言ってる男子学生さ、結局のところ「自分が不利になるかも」ってビビってるだけじゃね? 女子枠ができたって、全体の枠が増えてる場合もあるし、そもそも本気で志望校狙うなら、良い成績取って確実に受かるライン超えろよ。それで落ちるなら、それはもう自分の実力不足だろ。女子枠のせいにする前に、勉強しろよ。俺だって受験の時、偏差値ギリギリで落ちたけど、誰も文句言わなかったぜ。社会に出たらもっと不公平なこと山ほどあるんだから、こんなところでグチグチ言ってんじゃねえよ。
まあ、ジェンダー平等の観点で議論するのはいいけど、ただの被害妄想で叩いてるやつはダサいわ。女子が不利だった時代もあったんだし、バランス取るための施策なんだよな。
なぜなら、社会の根本的なパワーバランスが今も圧倒的に男性>女性だから。
政治、経済、企業トップ、メディア、性的承認、安全、未来の選択肢——平均値で見れば、男性が「強い側」の構造は崩れてない。
そんな中で、女性が男性に対してどんな言葉を投げかけようが、どんな制度を求めようが、それは「弱者による強者へのカウンター」でしかない。
差別とは、強い側が弱い側を抑圧するもの。逆はあり得ないんだよ。
最近バズってる「女子枠拡大」と「国交省の女性トイレ便器数優遇指針案」(女性用を男性以上にする案)を見て「男性差別だ!」って叫んでる奴ら。
悪いけど、それ全部「過去の女性排除の是正措置」でしかない。理系女子が少ないのは、昔からのステレオタイプと教育機会の格差の結果。
それを暫定的に補正するのが女子枠。アファーマティブ・アクションとして国際的にも認められてる。
男子が不利? いや、スタートラインが違うんだから当然の調整。
「俺の席が奪われた」って? それが「強者男性」の特権意識そのものだろ。
トイレの行列問題も同じ。女性の利用時間が男性の3倍近くかかる実態調査に基づいて、便器数を女性優遇するのは物理的な公平。
男性は小便器でサクッと済ませられる特権があるのに、「スペース削られる!」って文句言う?
女性用小便器の写真見て笑ってる奴らこそ、女性の身体的現実を無視してる差別者だよ。
これらを「男性差別」って呼ぶ時点で、君たちは自分が「強い側」にいることを無自覚に証明してる。
いるのは「男性の中の階級格差」だけ。稼げない男、モテない男は、女性じゃなくて「他の強い男」に負けてるだけなんだから。
DV被害? 男性被害者もいるけど、シェルターが女性優先なのは歴史的に女性が圧倒的に被害者だったから。
今さら「男性も!」って騒ぐのは、女性の苦しみを相対化したいだけ。
親権? 母親が取るケースが多いのは、育児の主担当が母親だった現実の反映。
男らしさ強制? 自殺率高いのも過労死も、結局「男は稼げ、守れ」って男性中心社会が作った呪い。
女性が文句言ってるんじゃない。男性同士の競争とプレッシャーだよ。
女性専用車両、レディースデー? それも女性の安全・機会是正のための暫定措置。
同一料金で排除? いや、女性のリスクを考慮した「特別扱い」なんだから、強者への特権剥奪じゃない。
本質はこれ。
男性が社会のデフォルトとして君臨してる限り、どんな「是正」も「優遇」に見えちゃう。
女子枠もトイレも、全部「女性が少しでも息をしやすくするための最小限の調整」。
それを「逆差別」って騒ぐのは、特権を失うのが怖い強者の遠吠えでしかない。だからもうやめようぜ。
ご提示いただいたはてなブックマークのコメント群は、記事のテーマである「ミソジニー(女性蔑視・女性嫌悪)」に対する、典型的な反応のサンプルとして非常に興味深いものです。
記事自体が「構造的差別」や「感情のあり方」を扱っているため、コメント欄自体がその実証の場となっている側面が見受けられます。
以下に、記事で定義されているようなミソジニー的な態度、あるいはミソジニーを維持・強化する構造を含んでいると考えられるコメントを分析・分類しました。
記事内の「『物言う女性』に対し、言葉の暴力で排除・制裁する」という指摘にそのまま合致するコメントです。フェミニズムや女性の権利主張を「正義に酔った暴走」とみなして攻撃する態度は、ミソジニーの典型的な発露(既存の秩序を乱す女性への懲罰)と分析できます。
分析: 「イカレタ女」「バカ」といった侮蔑的な言葉を用い、女性の主張の内容ではなく、その態度や存在自体を攻撃しています。これは「弁えた(わきまえた)態度をとらない女性は叩いてもよい」という心理の表れと言えます。
女性を一人の人間としてではなく、性的資源としてのみ価値を認め、人格は否定するという態度は、ミソジニーの根幹にある「客体化」です。
分析: この発言を「至言(素晴らしい言葉)」として肯定的に引用している点に、女性を対等な人格を持つ他者として認めたくない、しかし性的には利用したいという歪んだ欲望(聖女と娼婦の分離、あるいは人格の無視)が見て取れます。
女性差別について語る場で、「男性こそが被害者である」「女性は優遇されている」と主張し、議論を無効化しようとする動きです。これらは「インセル」や「弱者男性論」の文脈で語られることが多く、構造的差別を否定するための防衛機制として機能します。
分析: 女性差別の解消を目指す動きを「男性への攻撃」と解釈し、敵対心を露わにしています。これは記事にある「剥奪感」によるミソジニーの増幅の実例と言えます。
ミソジニーという概念そのものを「レッテル貼り」や「カルト」として処理し、その背後にある社会構造の問題から目を逸らそうとする態度です。
分析: 「嫌悪は自由」と個人の感情の問題にすり替えることで、その嫌悪が社会構造と結びついて差別を再生産している事実(記事の主題)を無視しています。
「ミサンドリー(男性嫌悪)はどうなんだ」と繰り返すことで、ミソジニーの議論を妨害する行為です。これも広い意味で、女性の問題を軽視するミソジニー的態度の一種と捉えられます。
分析: 記事がミソジニーを主題にしているにもかかわらず、男性への配慮が足りないと批判することで、女性差別の議論の重みを相対化しようとしています。
コメント欄全体を見ると、「ミソジニーという言葉で男性を攻撃されている」と感じて防衛的・攻撃的になる男性と、「まさに記事に書かれている通りのことがコメント欄で起きている」と冷ややかに観察する人々(nina19, funifunix, yourmirror など)にはっきりと分断されていることがわかります。
また、u_eichi氏が言及している「ピラミッド図」はおそらく「暴力のピラミッド(Pyramid of Hate/Violence)」のことだと思われます。
この図は、底辺にある「偏見による態度(ジョークやステレオタイプ)」が、頂点の「物理的暴力」を支えていることを示すものですが、これを「幾何学的に非論理的」と批判することで、本質的な「差別の構造」の議論を拒否している点も興味深い反応です。
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ミソジニー(女性嫌悪)の有無という「ジェンダー論的な視点」を一旦脇に置き、コメント投稿者たちの心理的機序、社会経済的背景、あるいはネット文化的な側面から分析します。
こうして見ると、単なる「差別意識」だけではなく、**「公平性への渇望」「経済的閉塞感」「コミュニケーションの断絶」**といった複数の要因が絡み合っていることが浮き彫りになります。
多くのコメントに見られるのが、「ミソジニー(女性嫌悪)があるなら、ミサンドリー(男性嫌悪)も同じ重みで論じられるべきだ」という対称性への強いこだわりです。
コメント例: replier, ken530000, timetrain, OeThousandmiles
分析:
社会学では「差別には権力勾配(強者から弱者へ)がある」と考えますが、一般の感覚(直感的な正義感)では「どっちもどっち」「悪口は双方向で悪い」という対等な対称性を求めがちです。
記事が「女性差別」に焦点を絞っていることに対し、「片手落ちである」「不公平だ」と感じる心理は、差別をしたいというよりは、「自分の苦しみも同じように認めてほしい」という承認欲求や、世界は公平であるべきだという「公平世界仮説」に基づいている可能性があります。
「男だから偉い」と思っているのではなく、むしろ**「男なのに何の特権もなく、社会の底辺で苦しんでいる」**という自己認識を持つ層からの悲痛な叫びです。
コメント例:
naka_dekoboko: 「いまの社会で弱男にゆるされたのってけっきょく憎悪だけ…憎悪だけがエンパワーして力をくれる」
gun_kata: 「実際にキャリアを奪われた若年男性に対してもお決まりの『新自由主義こそが真の敵』みたいな何の意味もないお題目」
分析:
これはミソジニーというよりも、**新自由主義経済下における「持たざる者」のルサンチマン(怨恨)**の表出です。
「男性特権」という言葉を投げかけられても、自身の貧困や孤独という現実と乖離しているため、フェミニズムを「既得権益層(あるいは勝ち組女性)による弱者いじめ」として認識し、反発しています。特にnaka_dekoboko氏の「憎悪だけがエンパワーする」という指摘は、孤独な現代人の深刻な病理を鋭く突いています。
記事で提示された図表や論理展開に対し、定義や整合性の甘さを指摘して拒絶する反応です。
コメント例:
u_eichi: 「頂点の角が鋭角だったり鈍角だったり…正三角形で底辺短=相似で頂点下がるとか、非論理」
golotan: 「アドラー心理学とか精神分析的な言ったもの勝ち感…客観的エビデンスを欠きジャーゴンの羅列になってしまいがち」
分析:
これは**「認識論の衝突」**です。社会学や人文知的な「概念モデル(メタファーとしての図)」に対し、厳密な定義や定量的なエビデンス、幾何学的な整合性を重んじるエンジニアリング的・自然科学的な思考様式を持つ人々が、生理的な拒否反応を示しています。
彼らにとって記事は「非論理的」に見えるため、内容の正誤以前に「信頼に値しない」と判定されています。
「ミソジニー」という聞き慣れないカタカナ語に対し、わざとダジャレで返すことで、話題の深刻さを無効化あるいは回避しようとする反応です。
コメント例: zzteralin (miso=憎しみ), nande_nande_boy (三十路のおっさん), tym1101, asada1979
分析:
はてなブックマーク特有の「大喜利文化」の一種ですが、心理学的には**「茶化し(ユーモア)」による防衛機制**とも取れます。
自分にとって耳の痛い話や、理解の範疇を超える難解な話を、「三十路(ミソジ)」という卑近な単語に変換することで、自分とは関係のない「ネタ」として処理し、心理的な負担を軽減しています。
コメント例: qdkmqJut, trashcan, ET777
分析:
『imidas』が集英社の分厚い用語辞典として有名だった時代を知る世代(おそらく30代後半〜50代)が多く含まれていることが推測できます。
「まだあそこが生きていたのか」という驚きが先に立ち、記事の中身は二の次になっています。これはネット古参ユーザー特有のコンテキスト依存の反応です。
このコメント欄は、単なる「男女対立」の場ではなく、以下のような現代日本の断層が可視化された場であると言えます。
エリート(概念を操る側) vs 大衆(生活実感を持つ側): 「構造」や「ミソジニー」といった抽象概念で語る記事と、「俺たちは今辛いんだ」という具体的な生活実感を持つ読者の乖離。
文系(解釈的) vs 理系(実証的): 社会的な「正しさ」の語り口に対する、論理的・科学的整合性を求める層の苛立ち。
被害者性の奪い合い: 「女性こそが被害者」という記事の前提に対し、「いや、現代では男性(特に弱者男性)こそが被害者だ」と主張する層の対抗。
これらを踏まえると、コメント欄の混乱は、**「共通言語の喪失」と「余裕のなさ」**によって引き起こされていると言えそうです。
女子枠はすごい。
平等に学力のみで選抜を行う大学入試に、性別という概念を持ち込んだ。
男性に生まれただけで、女性よりも入学できる大学が少なくなるのだ。
「生まれによる差別」をなくそうと人類が積み上げてきた歴史を、教育の府が自ら踏みにじっている。
女子枠はすごい。
一般入試で合格した女子に対しても、能力の劣る女子枠ではないかと疑念の目が向けられることとなった。
これは当事者だけの問題ではない。大学入試の機微を知らない社会全体に、「女子学生の学位=実力不足」というバイアスを植え付けたのだ。
女子枠はすごい。
たった一つの制度によって、長年かけて形成された「差別はいけない」価値観が詭弁に成り下がった。
今の男子制度は、自分の人生を左右する大学入試で、国家主導の差別を受けている。
自分たちへの差別は「是正措置」として許容した社会や国家に、今後どれだけ「差別は悪だ」と説かれようとも、怒りはあれども共感はできないだろう。
女子枠はすごい。
大学入試という多くの人が通る大きなイベントにおいて、理不尽な性差別を行う影響は計り知れない。
高学歴女子が少なく、理系女子が少ないのは、学問に励み、数学に取り組む女子が少ないからである。
その皺寄せを、真面目に学問に取り組んだ男子に払わせる。そんな社会の縮図のような制度は、公正さなど存在しないという現実と、下駄を履いて特等席を掠め取っていく者たちへの、どうしようもない軽蔑と怨嗟を植え付ける。
女子枠はすごい。
親や教師に流された女子生徒に、「女子枠を使った」というカルマを背負わせる。
大学入試の結果は今後の人生を左右する大きな因子である。「不合格なら夢は叶わない、最悪は首でも吊れば良い」と思い詰めながら、文字通り命をかけて受験に挑む学生だって存在する。
女子枠がなければ。
人生が狂わなかったはずの男子は、女子枠の定員の数だけ確実に存在する。
女子枠はすごい。
塾に行けなくても、親が貧しくても、点数さえ取れば這い上がれるのが一般入試だった。
結局、この枠をうまく利用するのは、情報感度の高い都市部の裕福な家庭の女子たちだ。
「親が太く、教育投資も受けている女子」が、さらに「女子枠」という特権を得て、「貧しくても必死に勉強した男子」の席を奪っていく。
弱者救済どころか、特権階級による「弱者いじめ」の道具と化している。
女子枠はすごい。
この制度で優遇されるのは、元々理系に関心があるが、一般入試では手が届かない成績の女子学生だけだ。
文系志望者が理系に転向するわけではない。単に、下位の大学に行くはずだった学生が、ゲタを履いて上位の大学へ「横入り」しているに過ぎない。
ただ「能力に見合わない合格者」を生み出し、本来受かるはずだった優秀な学生を排除する。
一部の女子だけが得をし、女子全体の評価を下げ、真面目な男女を泣かせるだけの、あまりに無意味で残酷な「席替え」である。
女子枠はすごい。
アメリカ連邦最高裁は2023年、こう断じて優遇措置を違憲とした。
「大学の入学枠はゼロサムゲームである。ある属性への利益は、必然的に他の属性への不利益となる」と。
当たり前の理屈だ。誰かのゲタを履かせることは、誰かの足を切り落とすことと同義なのだ。
諸外国が「逆差別の不当性」を認め、法の下の平等へと舵を切る中で、この国だけが逆走している。
他人の犠牲の上に成り立つ多様性など、ただの欺瞞だと気づかないフリをして、若者の未来を食い物にしているのだ。
女子枠はすごい。
たった一つの制度で多くの人生を狂わせ、男女間の対立を生み出し、未来を背負う技術者の夢を壊すのだ。
この国にとって大きな負債を生み出し続ける。
朝の通勤電車で、今日もまた最悪のロシアンルーレットに負けた。
ドアが開き、人の波に押されるように車両へ入った瞬間、鼻に直撃するあの匂い。
湿気を含んだ酸っぱい汗、古い雑巾のようなシャツの匂い、頭皮と足と生乾きタオルを混ぜたような、あの“男のにおい”。
でも誰にも届かない。なぜなら、その臭い本人はまったく気にしていないからだ。
でもこっちは気づいてるんだよ。しかも鼻だけじゃない、脳まで侵されるくらい。
もう限界だ。いい加減、「臭い人だけ隔離される車両」を作ってほしい。
女性専用車両があるのなら、なぜ「スメルハラスメント回避車両」があってはいけない?
体臭は暴力だ。顔に向かってスプレーでも吹きかけられてるようなもんだ。しかもそれが30分続く。
朝から気分が悪くなって、会社につく頃にはHPゼロ。生産性以前の問題だ。
駅の改札に「においレベルチェックゲート」を設置して、一定の基準を超えたら「申し訳ありませんが、こちらの車両をご利用ください」と、静かに誘導すればいい。
ゾーニングしようと言っているだけだ。香水が強い人に文句が出るのに、なぜ体臭は許される?
「差別だ」とか言う人が必ず出てくる。
でも待ってほしい。その論理でいくなら、満員電車で誰かの口臭に耐えて吐きそうになっている人間の苦しみはどうでもいいのか?
言い方はいくらでもある。でもとにかく、私たちはもう限界なんだ。
臭いのは仕方がないこともある。
でも改善しようともしないで周囲に迷惑をかけることを、なぜ“個性”で許すんだ。
最近の流行りの映画やTVシリーズときたら、中身がないどころではない。
あれは世界全体の価値観のコンパスが壊れ、社会が完全にサイコ化した結果の、汚らしい産物だ。
自己陶酔的な映像の垂れ流しは、もはや自己放尿レベルの、どうしようもない醜態だ。
いや、制作者と視聴者がお互いの糞尿を讃え合うダブル放尿の図、と言い直すべきか。
我々が今消費している「エンターテイメント」は、人間の業や社会の矛盾をえぐり出すどころか、三つの致命的な病に侵され、脳味噌が腐った結果の映像化だ。
一つ目の病、そして最も悪質な癌細胞は、「ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)」が逆差別の権化へと変質したことだ。
かつては「不当な差別を是正する」という建前だったものが、今や「差別者(白人男性とされる)を罰する」という集団リンチの道具に成り下がった。
物語における「公正さ」は、冷徹なロジックや真実の追求ではなく、「弱者と定義されたグループを常に善とし、それ以外のグループを悪役、愚者、あるいは無能として配置する」という、幼稚で露骨な加点・減点法に置き換えられた。
その結果、何が起きるか。ストーリーの必然性やキャラクターの有機的な成長は無視され、配役や設定がまず「ポリコレのチェックリスト」によって決定される。
優秀でカリスマ的なリーダーは、特定のマイノリティから選ばれなければならない。従来の主人公像、例えば白人男性などは、無能な脇役か、過去の過ちを悔い改める象徴としてしか描かれない。
これは、物語の毒気を抜いたのではない。物語そのものを、政治的なプロパガンダの道具として捻じ曲げ、特定の層への「逆差別」を公然と行うという詐欺行為だ。
この歪んだ手法の結果、生み出されるキャラクターはステレオタイプな正義感にまみれた、薄っぺらい張りぼてとなり、観客の心に響くはずがない。
二つ目の病は、世界規模の承認欲求の暴走であり、三つ目の病は社会全体のサイコ化だ。
コンテンツは、「誰かに褒められるため」に設計された空虚なパッケージと化した。深みも葛藤も、真の痛みもない。
あるのは、「私たちは正しい」という安っぽい自己満足だけだ。さらに、この感情の鈍麻したサイコな時代では、人々は感情の機微ではなく、過剰な暴力や極端な設定というジャンクフード的な刺激を求める。
ポリコレという名の検閲棒で殴られ、創造性を失った制作者は、その空虚さを埋めるために、表層的なショックや混乱を物語にぶち込む。
障害者の地域移行っていう以前からの流れで、「障害者という負担をどう処理・分散すべきか」ってこと。
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もし逆差別をしないのだったら自閉症者を殺人犯として処刑しますっていうことで、排除をどう合理化するかって話。
障害者を殺すのはいいんだけど、また「育てた家族の責任」になりやしないか。(平成道徳時代になってもずっと言われてきたこと。)
職場で「生理休暇」を取る女性が増えてきてるんだけど、正直、不公平感がすごい。
「生理はつらい」「動けない」って言うけど、それって個人差あるよね?
実際、同じ部署のAさんは毎月生理でも普通に働いてるし、Bさんは月イチで急に「お腹が…」って言って早退。
あれ、偶然?いや、なんかズルくね?って思ってしまう。
一方で、男はどうだ?
腹痛だろうが頭痛だろうが、「体調不良で早退します」と言えば「気合いが足りない」扱い。
それって逆差別じゃないの?
でも体調に合わせて柔軟に働ける社会を作りたいなら、男女問わず「今日はちょっとしんどい」って日を申告できるようにすべきじゃない?
他の人に仕事を押しつける構造が当然になってるの、正直キツい。
フェアじゃない。
こんなこと書くと「女の敵は女」とか「男性社会が〜」とか言われるかもしれないけど、平等を本気で考えるなら、特権には自覚が必要だと思う。
でも生理って言っとけば免除される、って空気を作ったら、結局それって、本当に困ってる人たちにとっても逆風になるんじゃないの?
まず初めに断っておくと私は参政党支持者ではないし、排外主義者でもない。
中国人の友人もいるし、お付き合いしていた方もいる。
どちらかといえばリベラルに近い考えを持っていたし、世代ではないけれどブルーハーツの青空のような歌詞に共鳴してよく聞いていたこともある。
それでも、はっきりと言える。
日本は決して“日本人ファーストの国”ではない。それどころか「中国人ファースト」の国になっている。
なりつつあるのではなく、既にもうなっている。
つい先日都内の住宅街を歩いていると前から酔っ払いの外国人女性が突然殴りかかってきた。
女性であることはわかるが力士のような巨漢で、支離滅裂な言動で何語かも不明だが叫んでいる。
私は逃げようとしたが殴られると同時に押し倒され、そのまま髪の毛を捕まれ、何度も頭を地面に叩きつけられた。
手に持っていたスマホは投げ飛ばされ、バリバリに割れたスマホの画面から必死で110番を押して、近くのコンビニに助けを求めた。
しかし、店員の外国人は私を無視して押し返し、酔っ払いの仲間がコンビニまで迫ってきた。
警察が到着するまでの10分ほどは本当に殺されるかと思い、恐怖で手足が震えていた。
警察に後から聞くと、どうやら相手は中国人で泥酔状態だったらしい。
警察は特にその加害者を遠ざけることもなく、血まみれの私を見ながら「こんなことで110番しないでよ」と冷静に言った。
そして、警察官はまだ何か叫んでいる女性を拘束することなく、血まみれの私に対してこう言ったのだ。
ありえない。
私はただ路上で歩いていただけで、女性に触れることもなければ会話すらしていない。
しかし、中国人女性がそう言っているということで逮捕もせず、双方取り調べになった。
警察官はしきりに「中国人だから仕方ない、中国人はこの辺多いからよくあるんだよ」と取り調べ中にめんどくさそうに言い、
「中国人だから意味ないと思うよ。あなたが何も被害を訴えなければ、このまま収めるからどうする?」
しかし、警察署の中ではじめての取調室で警察官に反論できるわけもなく、血まみれの私が加害者扱い。
そして中国人女性は拘束を受けることもなく、そのまま釈放して帰宅したとのこと。
後日、何度も警察に被害届を提出したい旨を訴えるも一向に動かなかったため、弁護士から訴えたところ、ようやく半年経って防犯カメラの解析が始まった。
もちろん防犯カメラには一方的に暴行を受け頭を叩きつけられる私、猥褻行為などあるわけはないどころか、私は一切手すら触れてない状況がそのまま映っていた。
ちなみにその後はというと相手方からは私が中国人差別したからやったなどとまた虚偽の弁明があり、示談交渉をお願いされた。
拒否するつもりだったのだが警察は女性を不自然なまでに擁護し、担当の外国人犯罪専門の女性警察官から相手が反省してると私に連絡があった。
私は身内に警察、法曹関係者もいるのだが、通常警察や検察官が示談を勧めることなどは絶対にありえないと聞いていた。
ありえないはずのことが身に起きていた。
もしかしたら、たとえば警察が書類送検した際の書類などを検察官が見て、不起訴になる可能性が高いと判断したのかもしれない。
検察官がそのような姿勢であれば不起訴の可能性が高いということで、弁護士にも強く勧められたため弁護士費用のこともあり、泣く泣く示談することとなった。
これは東京の繁華街が近くにはあるものの、普通の住宅街での出来事である。
中国人がただのなんの落ち度もない一般市民に暴行し、中国人の出鱈目な嘘で逆に冤罪加害者にされそうになり、警察も検察官も、味方である弁護士ですら事件をまともに扱わない。
・中国人に殴られ
そんなの一部だけ、たまたまだと思われるかもしれない。
外国人犯罪は減っているというデータを持ち出して反論する人もいるかもしれない。
だが、それは不起訴・放置されるからカウントされないだけではないか?
警察官は「中国人は面倒」と本音をこぼし、事案そのものを畳もうとする。
だから、警察は捜査しても無駄な事件、中国人絡みの事案は重大事件でもない限り、できるだけ穏便に済ませたい。
中国人優遇というわけではなくとも、中国人ということが判明してからはずっとめんどくさそうな態度が続いていた。
めんどうだからと言ってこんな対応をし続けるなら、日本は「中国人には逆らうな」という無言の圧力を受けているのと同義である。
もちろん韓国人や他のインバウンド客、在日外国人にも問題を起こす人間はいるし、日本人だってそうだろう。
しかし、単なる住宅街で酔っ払っただけで普通の市民に暴力を振るい、酔いが覚めて示談交渉の段階になってもなお差別だなんだと叫び徹底的に自己弁護に走る人間がいる。
それが犯罪としてデータに残ることもないし、そういう人間と共存していかなければならない。
そういうデータに残らない無数の犯罪の多くは外国籍の人物によるものであり、その大部分が中国人であるというのは現場の警察官はよく理解している。
中国人は確実に日本を侵食し、特に近年は日本の大学、企業、生活に取り入り、文化や構造自体を徐々に壊し始めている。
少し前の話であるが、私が当時在籍していた大学にいつ頃からか目に見えて中国人留学生が増えていった。
そんなに簡単に入れる大学ではなく、入試も難しく日本では指折りのブランドのある大学ではあると思う。
同じ入試を受けて入っているはずなのにどういうルートなのか留学生の中でもダントツで中国人が増えてきたのだ。
しかし、何故か一切大学側は調査を進めることはなく、学生融資団体が調査をしたところ、
某海外有名大学出身であることも、日本の難関大出身であることすら全て虚偽であったのだ。
しかし、そのことは公表されることもなく、その教授によって招聘された多数の教員、学生もそのまま在籍を続けている。
これは無名大の話ではなく、日本の国家予算がふんだんに入った国会議員や総理大臣を多数輩出する伝統ある日本の有名大学での話である。
また転職して中途入社した某外資系企業にいたときは同期入社の半分が中国人で、プロジェクトチームの同僚10人中8人が中国人であった。
彼らは日本の有名私大を卒業し、日本にある外資系の大手企業に新卒や中途で入ってくる。
当時のプロジェクトでは日本の政府系システムの業務支援を扱っていたが、こんな国家の中枢に関わる事業を外資系企業、
しかも中身はほぼ中国人で構成されたチームで行っていいのかと疑問に思ったが、
少しでも中国人や外国人に対して口を出すことはリベラルな外資系大手企業では、重罪であった。
ちなみに日本人の上司の目の前で中国人の同僚同士が中国語で上司の悪口や日本をバカにする会話を普通にしていたこともある。
お付き合いしていた中国人女性いわく中国人は中国大好きだし、本気で習近平を崇拝しているし、日本を敵視しているのが普通らしい。
中国にずっといる中国人や旅行客は特にそうで、在日中国人のことをバカにしているし、日本人には考えつかないぐらい日本に対して偏見に満ちた憎悪を抱いている。
だから日本で生まれ育った彼女のような客観的に中国を見れる人間にとっては、日本のほうがよほど居心地が良いのだという。
多くの中国人はhypothetical enemyである国の構成員に他ならない。
そんな人たちが日本にわんさか訪れて、移住を進めているのが現在の日本だ。
しかもそんな日本を敵視して習近平を崇拝している中国人もわずか来日して5年経てば帰化して晴れて法律上正真正銘の日本人となる。
ある大手マスコミ関係の企業にいた頃は何故かだいたい部署に必ず一人ぐらいの割合で金さんや李さんがいた。
どちらかといえばリベラルな価値観を当時は抱いていたのでたいして疑問には感じてなかったが、よくよく考えると、
取引先の出版社やTV局にもやたら中国や韓国に偏った考えを持った人間が多かったように思う。
ネットのよくある陰謀論の類かと信じてなかったが、実際に自分が入社するとあまりの左寄りの姿勢や在日中国人の多さに驚いたぐらいだ。
差別や偏見はよくないと教育され、グローバル化に迎合することが是とされる社会においては、
高学歴や大手企業に入るような恵まれた環境に属するようになればなるほどリベラルな考え方が多くなるように、大学でも会社でも外国人と共存し、リベラルな価値観に囲まれてきた。
特に知的でありたいとする人間やコミュニティであるほどに保守的な思想や価値観はダサいし危険というやんわりとしたレッテルを貼られ、口に出すことすら日常でタブー視される。
LGBTへの容認やグローバリズムに対する賛同などリベラルな思想はどんどん口に出すし、そのような姿勢に対する同調圧力も蔓延している。
固有名詞はあまり出したくないが東大や早慶のようなブランド大学になればなるほど、特に内部にいると中国人留学生に対して驚くほど寛容なシーン、
アファーマティブ・アクションという名の優遇を目にすることとなるし、現在一昔前に比べて異常なほどこれらの大学に中国人は多い。
大学でも企業でも今日本にいる中国人ははっきりいって逆差別と言えるぐらい優遇を受けている。
しかし、やはり日本人をバカにし、日本の文化を破壊し、日本人を見下し暴力を振るうような連中と共存なんてできるわけがないだろう。
まだ手遅れではないという政治家もいるが、私はもう手遅れではないかと思う。
もう日本にやってくる中国人は心底日本をバカにし、見下していている。
インバウンド景気などという政治家もいるが、実態として今来ている中国からの旅行客の大半は安いから来ているだけだ。
実際に高級ホテルには中国人客は皆無と言っていいほどおらず、ドンキやドラックストアに溜まり、安いビジネスホテルに大量に押し寄せている。
彼らの一人は日本人でいっぱいの満員電車を見て中国語で差別的な言葉でこう言っていた。
中には日本に対して友好的な考えを持っている一部の人間もいるが彼らがどれだけ日本人を嫌い、敵対しているか。
これは中国人と日頃から仕事やプライベートで接していればよくわかることだ。
上野や浅草には中国人専用のクラブや飲食店が多数あり、日本なのに日本人が入れない 禁足地が都内には激増している。
電車で中国人家族が叫び散らかそうとも、スーツケースを座席に山積みしようとも、めんどくさがって駅員も注意はしない。
日本の国家システムを扱う重要プロジェクトの多くが外資系企業に業務委託され、プロジェクトメンバーの大半が中国人であっても政府は気にも留めない。
日本の民法キー局や三大出版社に多数の中国人がいて重要なポジションについていても、誰も問題視はしない(既に数十年と続いた文化なので、本来注意する側も同族だったりする)
日本人が路上で暴力を振るわれても警察も検察もまともに扱わないし、不起訴になるので結果として外国人犯罪は激減している。(数字上)
リベラルがどうとかもはや関係なく、中国人に対する規制は必要だと思う。
けれど、もう手遅れだ。
日本人ファーストという普通のことを言っただけで、過剰なまでに叩かれる。(アメリカでもフランスでも海外で自国ファーストを唱える政党は与党であるし、極めて普通のことだ)
中国語を覚え、中国人とともに難関大学の受験を潜り抜け、中国人と共に学び、中国人と共に日本の国家機密を扱い、中国人と共に日本の悪口を言いながら仲良くなり、中国人とともに日本を貶めるために働き、
私はこれからも生きていくために同僚の中国人と日本人から金を搾取するゲームや日本の根幹に関わる国家システムを扱うだろう。
中国人差別なんて絶対に許さないという顔をして、たとえ路上で突然殴ら顔面を打ち付けられて殺されそうになっても、中国人店員に助けを求めて無視されても、にこやかに示談に応じるだろう。
各鉄道会社は女性専用車両は名称に女性専用と付いているだけであって、その実態的運用では「障害者男性や乳幼児連れの男性の利用も可能としている」ことから、女性専用車両は女性が獲得した女性の権利ではなく、女性だけが占有しても良いものではないということを理解すべき
そもそもこの女性専用車両は一部のリベラル主義者から「女性を一部車両へ隠す運用によって性被害を減らすというのは本末転倒である」や「本来自由を制限されるべきは性犯罪者であり女性を隔離する運用は逆差別である」「女性専用車両は伝統保守や純潔思想に染まった一部の左派の合意によって運用が始まったものであって、正当には優先席の運用延長線上で優先車両と名付けるべきである」と指摘されている
「女性専用車両は女性だけのものではない」ことを進歩的な都会、三大都市圏が率先的に表明し、日本全体へリーダーシップを取っていくべきだ
友人が女子枠を使おうとしている。特定回避のため大学名と学部は明記しないが、難関国公立大学のうちの一つである。
彼女は賢い。日々懸命に勉強しているし、必死に努力している。しかし、女子枠が逆差別の仕組みであることは理解していない。いや、しているのかもしれないが、そのことに言及をしたことはない。
彼女はその大学に入学するに値する人物だと思う。真面目だし、理系分野への好奇心も旺盛だ。一度も大学に行ったことのない私がこんなことを言うのはおかしいのはわかっているが、彼女はきっと、真摯に勉学に励む大学生になると思う。
しかし、女子枠を使おうとしている。彼女が女子枠についてどう考えているかわからない。多分、受験できる機会が増やせるなら受けておこう、ぐらいの気持ちだと思う。
それは受験戦略として正しい。金持ちのボンボンや嬢ちゃんが私立大学乱れ打ちをするように、彼女は生まれ持った女性という性別を使って受験しようとしているだけだ。
友人が女子枠を使おうとしているのを知った時。私はそれを肯定してしまった。
受験の機会が増やせるのは良いよね、◯◯オリンピック頑張ってたもんね……
女子枠を使おうとしている賢い友人への落胆を振り払うように、私は女子枠を使うことを後押しした。
女子枠を使って入学した友人のことを想像する。私も含めた、世間の人が想像するような「女子枠」女子にはならないだろう。苦手な社会や国語から解放されて、自分の好きな化学について存分に学ぶ姿が想像できる。
まぁ私は大学に入学したことがないので、あくまでもすべて想像に過ぎないのだが。
まだ彼女が女子枠を使うと確定したわけではないし、使ったとて必ず受かるわけでもない。
それでも、「女子枠」を使った友人を肯定しながら、女子枠を非難することは許されるのだろうか。私は一生、彼女を「女子枠」だと心の奥底では思って接してしまうのだろうか。
悪いのは制度であり、使う人ではないのだ。そう自分に言い聞かせながら。
なーんちゃって⭐︎
女子枠だろうと指定校推薦だろうと一般だろうと受かれば全部一緒。それを人格にまで当てはめて考えるのは愚かしいことだよね⭐︎
あ、ちなみに東京医科大学の女子及び浪人生一律減点には賛成しています。当該者だったら死ぬまで恨むだろうけれど、私は医療サービスを享受する側の人間なので、女性の比率が増えるにつれて不都合が起こるなら減らしてもらった方が良いです。減点じゃなくて少ない人数を取る方式にすればよかったのにとか思うところはあるけれど、私立だし、別に良いんでない?