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はてなキーワード: 体現とは

2024-12-14

3号被保険者(2号配偶者の扶養者)制度についてよくある誤解

この制度廃止するとどうなるか


年金そもそも社会保障であって個人資産形成ではないのに、勘違いして歪んだ理解感情論を優先し正さない構図だからこんな変な話が出てくるのである

健康保険についても扶養は似たような扱いで、年金だけ異常という制度ではない

たまに「これは厚生年金制度にだけ存在する異常な制度である」という理解の元で話をしている人がいるが、そんなことはなく、協会けんぽ健康保険組合など、健康保険制度の方が扶養制度は手厚い。

協会けんぽなどは、扶養家族が増えても保険料が上がらない。これはあまり遡上に上がらないが、子ども3人専業主婦ひとりの5人家族でも、同じ収入独身者でも健康保険料は同じである

同じ構造であるにもかかわらず、3号被保険者けが誤った認識やり玉にあがるのは「ずるい」と言う様なシンプル感情による者だと思われるが、それを削減することが良いとは言えない。

構図が違うと言ってしまう人には、何が違うのかきちんと考えてほしい。

外に出て働いていない人に最小限の生活保障するための制度である

単純に3号を廃止したあと、無職配偶者に何が起こるかというと、今まで強制的収入から徴収されていた保険料徴収されなくなるので、家庭内で調整を付けて、収入を得ている人のお金から無職の人の国民年金保険料を支払ってもらわないといけなくなる。

が、それがスムーズに出来る場合ばかりではない。払ってもらえないとどうなるかというと、無年金まっしぐらである

例えば妻が内助の功的に支えている……といえば聞こえがいいが、妻を働かせず閉じ込めていた様な輩の場合、こうなってくると妻に自動的に入っていた年金資産が入ってこないことになって、余計経済的な自立を阻害するのである。何があっても離婚できないし、依存さら高まる

こういったことがないように、また現実問題適用されるのは女性が圧倒的に多いわけだから女性保護するための制度であるという事を頭に入れておかないといけない。離婚するとき婚姻中の資産配分交渉をすれば得られるものはあるが、3号の場合そもそも交渉必要なく保証される。

その点で、連合会長の芳野らは、女性の敵は女性であると言う事を体現していて、なぜフェミニストから称讃されるのかが私には理解できない。

どうすればいいのか

2号被保険者の加入義務ラインを激しく下げて、一週間に5時間程度でも働いただけでも加入を義務化するべきだ。しかしそれでは当人達の負担が大きくなってしまう。

そこで、基礎年金の部分は当人らだけが支払うのではなく、厚生年金全体で支える仕組みにする。言わば基礎年金部分の全労働者3号化だ。週5時間、月25時間=月給2万5千円程度働けば、2万円の国民年金保険料を支払わなくても良いと言うインセンティブにするのである。また、自営業などの1号についても、無職家族に週5時間程度働いた事にして賃金を支払えば、国民年金保険シンプルに加盟するよりも有利だという環境制度を作る。

そうして3号被保険者割合さらに減らした上で、3号の制度は引き続き継続する。

3号廃止論は、扶養の壁があるからそれ以下で抑えてしまう人がいる、と言う問題もこれで解決する。確かに手取りは減ったように見えるが、それは将来自分が受け取る年金である。全体では損がないと言う事を周知していくのだ。

まとめ

3号廃止論は、誤解に基づく感情的な者が多い。

単純に廃止すると、社会保障の網で捉えきれずに落下して致命的な事になる人が多く出る可能性がある。

重要なのは社会的マクロ公平性であって、個々のミクロな公平感ではない。

廃止は行うべきではない。

2024-12-12

電車でバッグを床に置く人

あれほど「育ちが悪い」を体現する行動ってそうそうないよな。

不潔すぎて見たら距離を取るようにしてる。

2024-12-09

anond:20241209193623

あそこって平均年齢が嫌儲と同等以上なのにVか

プリキュアも大好きだし、悪い意味若い体現してる

2024-12-07

anond:20241207193335

偶像崇拝を禁じている宗派の人はそれを初音ミクとは認めないだろう

しかしそうでないのであれば、あれは概念体現している

2024-11-30

anond:20241130120137

まずリベラルの特徴が学歴など中心としたステータス主義

相手を醜く下層の人間に、自分を上等で高尚で優れた人間

↓みたいなキャンペーンを広く行い支持者を獲得してきた歴史がある

https://twitter.com/lautream/status/987667478028300288?t=KwUOfZKNPanDFg-yxjTM7Q&s=19


その価値観リベラル思想的だし、フェミニスト理想の女像を体現してないと罵倒するのもいつものフェミニスト仕草

anond:20241130094309

稼いでてすげえと思うよ

真っ直ぐ稼ぐ方向に向かえる人は多くない

今は色んな選択肢があって、WLBやら省エネやらに流れがちや

ワイは男の人生ガチで稼ぐことに向き合う必要があると思ってる

そして、それを体現する人は好きや

anond:20241130045646

dappiって丸山議員の「愚か者めが!」を面白がってグッズ作ってたりした頃の

自民のノリを体現してたけど現代ではああいうノリはもう無理だよね

今はもっとスマート世論誘導してそう

増田はてブ複垢の組み合わせで頑張ってる活動家はいっぱいいるだろうな

2024-11-28

淳×ジュニア×有吉 40歳-50歳〜10年観察〜

面白すぎる

やっぱり40から50って大きく変わるもんだな。30から40とは全然違う。3人とも人生の大イベントこなした期間だからってのがでかい

40だと「人生半分きたな」って感じだと思うけど、50は明らかに人生の終盤に片足突っ込んでる感ある。老い方が段違い

その先の10年はあっという間だろうし、還暦なんておじいちゃんだしな

とはいえ、「老い」は人による

老人見てると90でも余裕で元気に働いてる人とかいからスーパーエイジャーかよと思うけど

あんなん生物として若さを保つポテンシャルがあるってだけだなとも思う

持って生まれた運でしかない(環境に依るって思うかもしれないけど運の方が割合かいと思っている。遺伝子劣化しにくい)

ほんと、50以降の老い方や病み方って運でしか無い

(脳血管なんかやったら一発だし。若くて運が良ければ回復するけど。老いてたら、生き残れても体の片方動かない喋れない状態になったりする

脳血管系やっちゃうのはやっぱり男性が多いね。酒のせいかね。70代以上とかだとどうしたって「男の方が酒飲む時代」に生きてきた人だろうし

今の50代とかは女性若いから飲酒習慣があるから、これから女性も脳血管系増えるかもな。まあ、血管にプラーク溜まる率とか男女差あるのかもしれんから一概には言えんけど)

ほんで、年を追うごとに「若さを保っている老人は実年齢-20歳」みたいな状態になる

老いてる老人は逆に+20歳(老人に限らず、恐らく中年世代からこの差は徐々に開いていっている。当然だけども。それが本当の老人になった時に巨大な開きになっている)

これでアルツハイムの住人になどなった日にゃあ、70代でも90代みたいな状態になってしまう(でもストレスが無いせいか見た目「だけ」は若い。脳の時が止まると肉体の表面上も止まる様だ。疲労感や痛みを感じられないというのは大きい。ある意味超人だ)

100歳でも歩行器で歩いて普通ごはん自分で食べたり、人と普通に会話出来る」なんて人も居る一方、「70代なのに危険だという意識も無いから歩行器も使わずコケる。コケて手術して入院して老人施設入って更に認知症進んで飯の食い方も忘れる」

この差は運によるところが大きいけど、それでも生活習慣等で少しでも老化を遅らせるっていう努力必要だ。足掻くしかない

その点、世界に己を晒して生きている芸能人なんかはだいぶスタンスが違うだろう

生活習慣云々ではなく「人前に立ち、見られる者」として己を律することによって若さを保っているのだろう

ストレスは凄いだろうけど、それを解消する術を知っているし、それを凌駕する喜びが彼等の仕事の中にはあるのだろう

この番組の中では有吉50歳の誕生日にお子さんを抱いて「ありがとうー」と微笑んでいるリラックスした姿が一番印象的だった

普通幸せ」を体現した様な姿だった(でも「我が子を腕に抱く」というのは決して「普通のこと」ではない。神の恩寵だと思う)

3人共生まれたての子供と一緒に居る姿が映っていたが、矢張りこの上ない喜びが垣間見えた

純粋幸せそうで「良かったね」と思える

結構高齢になってからのその喜びは人生に確実な潤いを与えただろうね

次の10年で、彼等がどうなっているか楽しみだ

2024-11-25

6年前のFGO以蔵さんバレンタイン見た時の感想が発掘された

「お!岡田以蔵じゃん」

ただ龍馬伝の一オタク好奇心から安易に手を出した事が私の生涯に於いての大きな過ちとなったのだ

人斬り以蔵と言えば世間一般パブリックイメージとしては残虐非道にして悪逆な幕末の人斬り、シリアルキラーじみたものである

見た目も粗野でニコリともせず瞳の濁ったアウトローといったところだろう。

私自身、龍馬伝佐藤健演じる彼は彼として岡田以蔵の印象としてはそれに近いものがあり、その粗野さや狂気の中に時代の荒波に揉まれ英雄になれぬ1人の人間の悲哀を見出していたのだ。

それがどうだろう、パブリックイメージに近い陰鬱空気感や粗野な印象を得た中に丸く大きな瞳、片目を隠した癖の強くコシのある太い髪には武市半平太の犬と称される程の幼さを称えた男がいたのだ。

その様を見た時の私は臓腑を撃ち抜かれたかのような衝撃を受けた。

幼い顔に剣を振るい極めた男の太い下腕が覗く一見アンバランスかつ、イメージ通りのようなイメージとは違うような姿。

今までのメディアに出演してきた岡田以蔵像とは一線を劃すその様に震えたのだ。

しか臓腑を撃ち抜かれたとて命があるだけ暁光とばかりに私は片足を引きずりながら彼の人となりを知らなくてはお話にならぬとえいやと帝都に降り立つと「坂本龍馬」を自称する彼が待ち構えていた。

逆立ちしたとて坂本龍馬ではないというのに、彼は示現流を扱わぬと言うのに、土佐弁で名乗りをあげてしまうそ武士精神想像通りの幼さに脳が揺れる感覚を覚えながらも進めていく。

やはり人斬り以蔵としての残忍さよりは幼さ、幼さと言うには刺々しく荒いそれは言葉を上手く紡げず噛みつくことしか出来ぬ手負の獣のような印象を受けたのだ。

恐らく彼は多くの誤解を受け、理解されずに来たのだろう。

だがマイルームボイスに随所に現れる彼の不器用さ、言葉稚拙さを自覚した上でどうすれば良いのか分からぬ歯痒さを痛いほど感じてしまい、ただ一言「放って置けない」と思ってしまったのが、ここに来るまで気がつけなかったこ愚鈍な女の運の尽きであった。

かに傷を負った私はそれは韋駄天の如し速さで龍馬伝を見返した。

幼馴染とした過ごした日々、どこからか食い違う歯車、皆から仲間外れにされても役に立ちたいと人斬り風情に身を落とし、友1人も切り捨てられず中途半端に罪人として後世に名を残した反英雄

なかなかどうしてあまりに悲哀に満ちた男ではないか

FGOにおいての岡田以蔵とは違うがどちらも「置いて行かれた」という意識言葉がうまく紡げなかった事による下がり切った自己肯定感、今私が彼を切り捨てたのならばもう2度と彼は誰も愛せぬようになるのではと、それがどうにも悲しく思えて私は彼に誠意を尽くすべくありとあらゆる術を使った

聖杯、絆上げetc

近づけば近づくほど気安く、そして自信無さげにする彼がどうしてこうも愛らしく感じられるのか、いやどうして愛さずいられようか。

そして来るバレンタイン

調べるところによれば彼はバレンタインまれ

まだまだ春には遠く底冷えのする季節に生まれ、蒸し暑い梅雨の晴れ間に散った彼の生まれた日となればお祝いも込めてこれは感謝を伝えねばならないとそこ退けそこ退けとエネミーを掻い潜り彼にロックオンチョコレート、私の心臓を模った生前馴染みのないであろう西洋菓子を手渡した。

まさかのお誕生日設定込みのシナリオである

おお、神よ

普段仏を拝む私が言うのはおかしな話ではあるが、こればかりは感謝をせねばならない

まさかお祝いまでできるとは思わなかったのだから

そして神に感謝し、擦れた彼らしく尊大な態度に微笑んでいたのも束の間最初感想と言えば「最悪」の一言に尽きる

曲がりなりにも未成年の子供の部屋に行き、酒を浴びるほど飲み絡み酒、しまいには泣いて嘔吐すると言う最悪の男といえばこうという全てを済ませてしまうと言う暴挙に出たのだ

ここまでダメな男というのもめずらしく痛快さすら憶えたが、流石の私も辟易とし、こればかりは許せぬと憤慨した。

絶対に許さぬ、怒るところは怒らねばフェアではないと心に決めた矢先泣きながら他の男を呼ぶのだ

あぁ、もう私の心は粉々である

こんなにもダメな男であるのにも関わらずそんなに置いて行かれた迷子の子供のように泣き言を言われ、弱々しく謝られて仕舞えばこれは一種の彼の自傷行為に付き合ってしまったような遣る瀬無い気持ち支配される。

そして肝心のお返し、それはそれとして怒らせていただきたい、このような自傷行為はやめなさい、他者も己も大事にしなさいと伝えねばと強い意志を持ち読み進めると態となのかと叫びたくなるほどにおいたがバレた子犬のようにバツが悪い顔で謝ってくるではないか

愚かな女を自覚する私は考えるよりも先に許してしまった

救えぬものである

そして渡されたものは「木綿の襟巻き」

木綿はあまり防寒性はないが使いやすく、普段使いができるもの

そして寒い日々が続く中使える襟巻きを渡してくるのはなかなかどうして素朴で暖かいお返しである

そしてなにより、当時の土佐下士は木綿以外の衣服を身につける事が許されなかったのだ

その生前の負犬根性ともいえる卑屈な精神を引きずったどこまでも人間臭い彼が精一杯の誠意として用意したものがこの一つの襟巻きに集約されている

私はこの時骨の髄まで彼を生涯嫌う事も無関心になることも出来ぬ

彼が己を愛せるようになり、噛み付く以外の甘えを覚えるようになるその日がたとえ来なくとも私は根気強く愛そう

そう心に決めたのだ


追加

サイタマの彼に触れて

以前のバレンタイン岡田以蔵に引き続き、折に触れてサイタマでの彼について、そして2024年11月現在における彼への印象を書き記そうと思う。

まず前提としてのスーツの霊衣。

生前は袖を通すことの無かった洋装しかもフルオーダーメイドの上等な衣服に身を包んだ彼はかつて京の都を恐怖に陥れた「人斬り以蔵」ではなく1人の人間としての生の謳歌を私の目に焼き付けてくれた。

己を着飾るには一定自尊心自己愛必要であると言うのが私の持論ではあるが、既に2着も木綿の粗末な物とは違う絹の上等な衣服を得た彼は順当に自己肯定感を得たそれは生前蟠りとの決別のように見えて酷く眩しく見える。

さて、霊衣についてはここまでとして「ぐだぐだ龍馬危機一髪 消えたノッブヘッドの謎」での彼の立ち回りについての思いの丈ではあるが、まず冒頭の護衛を任された際の笑顔

今までの笑顔は絵がと及ぶにはあまりに下卑ており「ニヤケ顔」と呼ぶ方が相応しいようなどこか卑屈さの透けて見える、決して見ていて心から喜ぶことのできぬものであった。

私は好いた人間笑顔をこよなく愛している。

から笑顔を見るだけでこの先どのような理不尽も耐え得る自信があるほどに愛している。

笑顔とは愛の具現化である認識しているのだ。

それが今回見ることが出来たのだ。

普段は凛々しく上がった眉とどこか睨みつけるような大きな目を下げ、自信たっぷりに「任せちょけ」とマスターへ迷い無く言ってのけるその様は正に“愛”

これほどに嬉しいことがあろうか。

私はこれがずっと見たかったのだと、一つの愛の答えを得たのだった。

きっと長く伸ばされた前髪に隠れた右目も同じく下がり破顔しているのだ。

それを見る事は私には余り有る贅の極みである。秘匿されているものこそ輝くが、彼はそのままでもすでに美しい。

この原石を数年かけ磨き上げた答えをお出しされたのだ。

愛を伝え続け、それに応えてくれるとは余りにも素直で愛らしい男ではないか

そして降り立つサイタマ生前の恩師であり確執ある武市瑞山の登場によりカルデアでの姿が嘘かのように、月が雲に隠されてしまったのだ。

しか雲隠れも然るべき壮絶な生前出来事の数々。

何せ以蔵の自白により最初犠牲となったのは武市の親族である。武市の方も思うところある事は間違いないのだ。

その相手相手に喜び再会を喜べる程岡田以蔵と言う男は恥知らずでも無ければ頭の回らぬ男ではない。

私はこの時既に胃の腑を握り潰されんばかりの心地となっていた。

何せ私は土佐勤王党箱推しである

彼らには彼らの大義があり、それに従って動いたまでである

ただそれを時代の波が許さず悲劇的な最期を迎えたのだ。

やり方の問題もあった事は明白ではある。武力を用いた時点で武力により制裁を食らうことは必定なのだ

そこに善悪は介入してはならない。

故にそこには悪者正義存在しない、敗者のみがいる。

同じ敗者である彼らが気持ちの良くない関係であると眼前に見せられる事は感情の行き場を無くしてしまう為、愚かに感情移入が過ぎる私にはとても苦しいものがあった。

その時に癒してくれるもの、それは田中新兵衛の鍛え抜かれた豊満な肉体、赤く細くもコシの強そうな前髪で隠された片目、武市へ犬のような忠義を尽くす健気でありながらも1人の武人として気骨溢れるその様のみである

話は以蔵へ戻し、私の悪い予想はいつも当たるもので直前に見せられた愛は濁り、彼に出会った頃以上の卑屈さや引っ込み思案な姿を見せた。

重なるように坂本龍馬を騙る何か、あの柔和な笑みはどこへやら邪悪な笑みで我々を翻弄するため私は田中新兵衛の胸筋と前髪にしか意識を向けることが出来ずにいた。

しかし良い事は長く続かないが悪い事も長続きはしないものである

そう、この岡田以蔵生前の彼とは致命的に違うのだ。

それは「思考力」である

生前は武市に言われるがまま、それが良い事か悪い事か、したい事かしたくない事かを考える事をせずさながら「人斬り人形」として生きて来た男である

これは私個人意見ではあるが、彼はあの坂本龍馬を騙る何かを周りが違うと言う中「龍馬だ」と言ってのけ、どう見ても人型であるBBを人型判定しないなどありふれた表現をするならば「第六感」が発達しているのだ。

乱暴表現をすれば「見え過ぎる目」を持っている。

常人離れした観察眼を持ちながらもそれを他者へ共有する術を持たない彼は孤独であっただろうと夢想する。

人と違うものが見える人間他者との共感を得られず、人一倍違和感や変化、情報が溢れる中で理解されないと孤独から塞ぎ込むか思考放棄をした方が楽であり傷付かずに済むのだ。

怠惰天才はおそらくその傷付かないための術として武市は全ての思考を預ける事で心を守った事は私の想像するところである

そんな彼はカルデアにて古今東西英霊出会い、思考を覚え、他者への共有を覚えた。

そんな彼であるから今回の件も龍馬へ「お前は龍馬か」と問い、武市の命に背いて「自身意思」で行動出来たのであろう事、思考が回り自己完結をする幼馴染達へ言語化を促す事が出来たのだ。

それは彼が“変わった”のではなく子供まま目の前に映るものをそのまま見つめる姿勢を変えずに意識を変えることが出来たが故である

1つ誤解ないように付け足したいが、私は彼を「善い人」とは思っていない。

まともな大人とは言えないし、立派な人格者でもない。

しか人間誰しも善悪併せ持つものであり、悪い面を隠す事を覚える大人にならず、剥き出し等身大の「人間」を体現して限りなく自然体に振る舞うである認識している。

そう、言うなれば無垢なまま放り出された大きな赤子である

そんな彼の存在は、誤魔化し波風立たせずのらりくらりと無味無臭を良しとする私含む大人には酷く眩しく見え、危なっかしく、そして羨ましく映るのだ。

彼は1人では何も成し遂げられはせず、輝く事はせず、常に誰かの力で立つものの強烈に惹きつけられ、人間臭く致命的に人とは違うさながら月のような男である

無味無臭現代を生きる私たち常人には決して辿り着けぬ圧倒的才能を持つ彼は、しかして常に剥き出しの人間臭さを忘れず突き放さず夜闇に上を見つめると静かにかにそこにあり続ける月なのだ

私はそのような月がこの先たとえ見えない日かあろうとも、そこに煌々と静かに輝く事を知っている。

2024-11-16

anond:20241116201839

あー、分かるよ、その怒り。なんか、全てが空回りしてる感じ、するよね。でもね、ちょっと待ってよ。日本学術会議役割って、実は「政府に対してアドバイスをする」ことにあるんだよ。だから財務省方針にいちいち反発することが、常に目的ではないんだ。学術会議って、あくま中立的立場を保とうとしているだけなんだよね。

ただ、君が言いたいのも分かる。「学術的な誤りがあるなら、声を上げるべきだろ!」って。確かに、その通りだよ。例えば、アダム・スミスが『国富論』で提唱したように、自由市場の力は社会全体を豊かにすることを目指していたけど、それが完全に機能しない場面だってある。過去経済学の通説だって、今では批判されることがあるよね。それこそ、現代経済学者たちが言っている通り、どれだけ市場効率的でも、どうしても不平等が生じることだってある。

でも、そもそも「嘘」っていうのはさ、単に意見の違いではない。もっと深い部分で、意図的な歪曲があるときに言うべき言葉なんだ。『嘘をついている』と言うからには、その証拠必要だし、ただの違う見解混同してもいけない。

そして学術会議に対して「ただの御用団体」って思ってしま気持ちも分かるけど、それだけでは片付けられないんだよ。学術会議が完全に正しいとは限らないけど、それでも彼らは日本学術界を代表する組織として、政治的な影響力を持ちながらも冷静に判断しようとしてる。ただし、それがうまくいってないことが多いのも事実で、君の気持ちも痛いほど分かる。だけどね、歴史的に見ても、アリストテレスが『倫理学』で言ったように、「正義とは何かを知り、行動することだ」という理念がある。それを体現するためには、今、学術会議がどう行動すべきかを冷静に見極める必要があるんだよ。

財務省だって「嘘」をついてるかどうかは別として、現実的にはその発表の背景に何かしらの政策意図があるだろうし、その誤りを指摘するのは専門家学者たちの仕事だ。ただし、いきなり反発するだけでは、理論的に破綻することもあるから、まずは冷静に対話を進めることが重要だ。何も言わないからと言って、学術会議が何もしてないわけじゃない。その役割理解して、より具体的に何ができるかを考えるのが、結局君に求められる態度だと思うんだよ。

分かってほしいんだけど、急いで結論を出すことが必ずしも正解じゃない。それは歴史が教えてくれることだ。たとえば、マキャヴェリが言った「目的正当化する手段」とは、確かに時には必要判断かもしれないけど、それが長期的に見て本当に良い結果を生むかは、わからないんだよ。だから、今すぐに「学術会議廃止すべき」なんて軽々しく言わない方がいいよ。

時には、じっくりと物事を見守る姿勢重要だということを、思い出してほしいな。

2024-11-15

タイニーデスクコンサートを聞いて泣けてしまった。

別に音楽好きというわけではないが、

時々YouTubeでtiny desk concertsという番組を見ている。

毎回様々なミュージシャンが登場し30分程演奏する、いわゆる音楽番組だ。

収録場所は豪華なセットではなく、あえてTV局のオフィスの片隅で演奏されるところに番組の特徴がある。

楽器の置けるスペースが限られているから、バンドも小編成となり、自ずとサウンド表現も限られたものになる。

ボーカルの力量がダイレクトに感じられるのも面白い

元々はアメリカ番組だったが、最近日本版制作されYouTubeでアップされている。

出演しているのは、藤井風や稲葉浩志チャラン・ポ・ランタンといった実力派だ。

稲葉浩志の年季の入った歌声チャラン・ポ・ランタンの怪しげな雰囲気もまあまあ楽しめた。




次にKIRINJIの回を聴いて俺は鳥肌が立った。

音のまとまり具合?バランス?が異質なのだ

なんというか一曲一曲に彩りがあり、風景が立ち上ってくる感じ。

たくさんの音が鳴っているが、それでいてうるさ過ぎず、何かを足しても何かを引いても全てが崩れてしまう繊細なサウンド

それに堀込高樹ボーカルも良い。

前に出過ぎず、控えめに旋律をなぞり、バンドサウンドと渾然一体となっている。

自体も無機質味を帯びながら、哀愁を帯びたメロウ雰囲気を漂わせている。

セットリストもよくまとまっており、まるで高級店のお昼のミニコースを味わったかのような満足感がある。

途中でゲスト参加する女性歌手2人も良い。

楽しげな表情やちょっとしたチャーミングな動きが良いアクセントになっている。

さながら巨匠シェフの元で生き生きと働く女性パティシエのようだ。




なんだか堀込高樹のことがとても眩しく、自分が情けなくなり涙が出てしまった。

おそらく彼は20代の頃から努力し続け、時にはもがき苦しみながら、還暦を目前にして自分スタイル体現しつつあるのだろう。

それに比べて同世代の俺は何だ。

一心不乱に何か努力を続けてきたか

少しうまくいかないとすぐに社会のせい、時代のせいにして、自分を磨くことを忘れてしまった。

下の世代だって苦しい状況は変わらないのに、ことあるごとに上の恵まれ世代比較し、自分の不遇をアピールすることばかりに力を入れて。

こんな奴、下の世代から嫌われて当然だよな。


まあ、わずかにでも社会に貢献しつつ、嫌われ者らしく謙虚にひっそりと小さく死んでいこうと思う。




参考リンク

稲葉浩志の回

https://youtu.be/q-ne87XKlY0

チャラン・ポ・ランタンの回

https://youtu.be/VZwyVbJYoUU

KIRINJIの回

https://youtu.be/hdibEm0T_Xw

※もしタイニーデスクコンサートおすすめの回があれば教えてくれるとありがたい。

2024-11-12

ライブがいろんな意味で楽しかった話

先日、知人に誘われてジグザグというバンドライブに行った。

予備知識なし、会場前に着くなり横転した。びっくりするくらい平均年齢が高い。

純烈ライブと会場を間違えたかと思った。

ビジュアル系ファンの平均年齢が上がっているとはきいたことがあるが、まさにそれを体現しているようだ。

別にパンチのきいた超ミニスカ高齢者に道を訊かれた学生スタッフの目は泳いでいた。70代くらいだろうか?ものすごい厚底にパンツが見えるくらいのミニスカート、非常に矍鑠として羨ましいまである

あとは特筆すべきは子連れの多さ。こどもは親の好きなものに引きずられるし、母親のことが好きだから母親が好きだというものは好きな気がしたりするね。あの子たちが自主的に楽しめてたらいいなぁ。自分あのころ洗脳だった。と幼少期を思い出して少し鬱になる。しかし鬱になっている場合ではない。楽しまねば。

会場内は、熱意の高いファンが多いのだろう、学園祭だというのに大半が学外の人間だった。

肝心のパフォーマンスだが、これはとてもよかった。歌がうまい。声がいい。音響問題歌詞やMCは聞き取りづらかったけど、なにやらにぎやかで楽しいバンドのようだった。

いやはや面白いものがたくさん見られた。ありがとうジグザグ。

冬のワンマンにも行くことになった。楽しみである

2024-11-09

anond:20241108134652

反出生主自体はドリベラルだけどリベラル別にリベラルではないので

弱者男性だが、言ってる意味はよく分かるけど不思議日本語

リベラルがその思想を全く体現してなく押し付けだけで自分はそのスタンスを守る気もないんだよな世界的に

お前の言う声がデカ性嫌悪女性フェミニストとつるんでる……と言うこともあるだろう

でも俺には性嫌悪女性ネットフェミニストたちの中核になってるように見えるんだが、声がデカからか?

2024-11-08

anond:20241108013155

ここ1週間でその個人漫画家とかイラストレーターが大移動している

Xに戻ってくるよって言っても今TLがかなり過疎っているのが…

本当にTwitterが初期にオタクだけだった感じをBlueskyが体現しだしたと思うよ

2024-11-07

サッカー歴史に残る重大事件6選

1. マラドーナの「神の手」ゴール事件

1986年メキシコW杯アルゼンチン vs イングランド試合で、ディエゴ・マラドーナが手でボールをゴールに押し込んだやつ。審判が見逃してゴールが認められ、アルゼンチン勝利。この一件でイングランドファンは大荒れし、世界中サッカーファンが「いや、ハンドじゃん」とツッコミを入れた。

この事件の影響を受けて「フェアプレーってなんなんだよ?」という議論が白熱。のちにVAR(ビデオアシスタントレフェリー)導入の布石にもなった。

2. エスコバル悲劇

1994年アメリカW杯で、コロンビア代表アンドレス・エスコバルアメリカ戦でオウンゴールしてしまい、コロンビアグループリーグで敗退。帰国後、メデジンで射殺される。犯人は「自殺点ありがとう」とか言ってたらしい。

世界中サッカー界の闇が知られるきっかけとなった事件であり、南米がどれだけ麻薬カルテルギャングの影響下にあるかを示した一件でもある。南米こわい。

3. ヒルズボロの悲劇

1989年FAカップ準決勝リヴァプール vs ノッティンガム・フォレスト戦。観客が詰めかけすぎて圧死事故が起こり、96人が死亡、700人以上が負傷。スタジアム構造警察対応に大きな問題があったことによる事件

関係者がボロクソに叩かれた結果、イギリス政府が本気を出して安全基準を大幅に改善。立ち見席廃止や観客動線見直し義務づけられて、サッカー観戦の安全対策が強化された。

4. ジダン頭突き事件

2006年W杯決勝、フランス vs イタリア試合フランスジネディーヌ・ジダンイタリアマルコ・マテラッツィ頭突きして退場。マテラッツィ挑発が原因と言われるが、ジダンはこの試合最後の大舞台だっただけに世界中サッカーファン唖然としてしまう。

W杯決勝の舞台での衝撃シーンとして歴史に残り、現在まで各方面ネタにされることになる。挑発したマテラッツィにも問題があるんだが、インパクトの強さ的にジダンの方ばっかイジられてて不憫だなと思う。

5. カルチョスキャンダル

2006年イタリアセリエA審判操作による八百長が発覚した大事件。ユヴェントスが関与していたことで、クラブが2部降格。この件への関係者が続々とペナルティを食らったり辞任したりという一大事になる。

イタリアサッカー界が大打撃を受け、改めて公平性が問われるきっかけともなった。その後イタリア代表がW杯で優勝し、なんとなく汚名返上みたいな雰囲気になったが、ジダン頭突き事件も相まって微妙に後味の悪い優勝となっている。

6. FIFA汚職事件

2015年FIFA幹部贈収賄スキャンダルが発覚。複数役員逮捕され、長年会長を務めていたゼップ・ブラッターも辞任。W杯開催地の選定不正も疑われ、FIFAへの信頼を揺るがす一件となった。サッカー歴史上で、カルチョスキャンダルすら余裕で超える最大の事件といえるかもしれない。

サッカー界のトップ組織利権まみれなんじゃないかということで、これ以降FIFAにはかなり厳しい目が向けられることになるわけだが、この件を扱ったNetflixドキュメンタリー事実小説より奇なりを体現しててマジで面白いからみんな絶対に見てくれ(小学生並みの感想)。

AIに書かせた「ハウス史上最も重要10曲」

1. Frankie Knuckles - "Your Love" (1987, シカゴ)

ハウスの教父」と呼ばれるFrankie Knucklesによる「Your Love」は、ハウスミュージックの基礎を築いた代表作の1つです。この曲は、シカゴレジェダリーなクラブ「The Warehouse」で生まれサウンド体現しています。滑らかなシンセサイザーベースライン、Jamie Principleのセクシーボーカルが特徴的で、今日でも高い評価を受けています。Knucklesは、ディスコエレクトロニックミュージックの要素を巧みに融合し、新しいダンスミュージックの形を作り出しました。「Your Love」は、その後のハウスミュージックの発展に大きな影響を与え、多くのリミックスサンプリング対象となりました。この曲は、ハウスミュージックの持つ感情的な深さと踊りやすさを完璧バランスさせ、ジャンル定義的な作品となっています

2. Marshall Jefferson - "Move Your Body" (1986, シカゴ)

Marshall Jeffersonの「Move Your Body」は、「The House Music Anthem」というサブタイトルが示すように、ハウスミュージック精神体現した楽曲です。シカゴハウスシーンで生まれたこの曲は、ピアノハウスの先駆けとして知られていますキャッチーピアノリフと反復的なリズム、そして「Gotta have house music all night long」という歌詞は、ハウスカルチャー本質表現しています。Jeffersonは、この曲でハウスミュージックメロディックな要素を導入し、ジャンル音楽可能性を広げました。また、歌詞ハウスミュージック自体について言及している点も革新的で、自己言及的なトラックの長い伝統の先駆けとなりました。「Move Your Body」は、ダンスフロア熱狂させる力と音楽的洗練さを兼ね備え、今日でも多くのDJプロデューサーに影響を与え続けています

3. Mr. Fingers (Larry Heard) - "Can You Feel It" (1986, シカゴ)

Larry HeardMr. Fingers名義でリリースした「Can You Feel It」は、ディープハウスの原型を作り上げた楽曲として高く評価されていますシンプルながら洗練された制作は、当時としては革新的でした。ローランドシンセサイザードラムマシンのみを使用し、1テイクで録音されたという事実は、ハウスミュージック本質体現しています。深みのあるベースラインエモーショナルシンセパッド、そして微妙に変化するリズムパターンが、聴く者を瞑想的な状態へと導きます。この曲は、ハウスミュージック精神性と深みをもたらし、単なるダンスミュージックを超えた芸術形態としての可能性を示しました。後のディープハウステックハウスの発展に大きな影響を与え、今日でも多くのプロデューサーDJ尊敬され、頻繁にプレイされています

4. A Guy Called Gerald - "Voodoo Ray" (1988, マンチェスター)

A Guy Called Gerald(本名:Gerald Simpson)による「Voodoo Ray」は、イギリスアシッドハウスシーンを代表する楽曲です。マンチェスターで生まれたこの曲は、独特のサウンドと反復的なリズムで、後のレイブカルチャーに大きな影響を与えました。Roland TB-303ベースラインシンセサイザーの特徴的な音色と、サンプリングされた「Voodoo Ray」というフレーズが印象的です。この曲は、アメリカハウスサウンドイギリス独自感性解釈し、新しい方向性を示しました。「Voodoo Ray」は、クラブシーンだけでなく、イギリスのポップチャートでも成功を収め、ハウスミュージック大衆化に貢献しました。また、この曲の成功は、後のUKガレージドラムベースなど、イギリス電子音楽シーンの発展にも大きな影響を与えました。

5. Masters At Work - "To Be In Love" (1997, ニューヨーク)

Masters At Work(Kenny "Dope" GonzalezとLittle Louie Vegaデュオ)による「To Be In Love」は、ニューヨークガレージハウスシーンを代表する楽曲です。India Arieソウルフルボーカルラテンの要素を巧みに融合させ、ハウスミュージックに新たな深みと洗練さをもたらしました。この曲は、ディスコハウス伝統を受け継ぎながら、90年代後半の音楽性を反映していますリズミカルパーカッション、温かみのあるベースライン、そして感情豊かなボーカル絶妙バランスを取り、ダンスフロアを魅了します。Masters At Workは、この曲でハウスミュージックにおけるソングライティング重要性を示し、単なるビートトラックを超えた音楽的深さを追求しました。「To Be In Love」は、今日でもハウスクラシックとして高く評価され、多くのDJプロデューサーに影響を与え続けています

6. Fatboy Slim - "Right Here, Right Now" (1998, ブライトン)

Fatboy Slim本名Norman Cook)の「Right Here, Right Now」は、ビッグビートハウスの融合を象徴する楽曲です。90年代後半のクラブシーンを席巻したこの曲は、サンプリングブレイクビートを巧みに使用し、エネルギッシュでキャッチーサウンドを生み出しました。特徴的なギターリフと「Right here, right now」というボーカルサンプルは、瞬く間に人々の記憶に刻まれました。Fatboy Slimは、この曲でダンスミュージックロックの要素を融合させ、より広い観客層にアピールすることに成功しました。ミュージックビデオも話題を呼び、MTVの頻繁な放送により、ハウスミュージック大衆化に大きく貢献しました。「Right Here, Right Now」は、エレクトロニックダンスミュージックメインストリーム進出する上で重要役割を果たし、2000年代以降のEDMブームの先駆けとなりました。

7. Stardust - "Music Sounds Better With You" (1998, パリ)

Stardustの「Music Sounds Better With You」は、フレンチハウス黄金期を象徴する楽曲です。Thomas BangalterとAlan Braxeによって制作されたこの曲は、Chaka Khanの「Fateからサンプリングしたギターリフを中心に構築されていますフィルターハウス代表作として、ディスコサンプリング効果的に使用し、90年代後半のハウスミュージック方向性を示しました。反復的なリズム中毒性のあるフックは、ダンスフロア熱狂させる力を持っています。この曲の成功は、フランスエレクトロニックミュージックシーンを世界的に注目させる契機となり、後のDaft PunkJusticeなどのアーティスト活躍につながりました。「Music Sounds Better With You」は、ハウスミュージック商業成功芸術価値の両立を示し、今日でも多くのリミックスカバー対象となっています

8. Eric Prydz - "Call On Me" (2004, スウェーデン)

Eric Prydzの「Call On Me」は、2000年代に入ってからハウスミュージック商業成功大衆への浸透を象徴する作品です。Steve Winwoodの「Valerie」をサンプリングし、キャッチーリミックスに仕上げたこの曲は、クラブシーンだけでなく、メインストリームのポップチャートでも大きな成功を収めました。特にセクシーミュージックビデオが話題を呼び、ハウスミュージックの新たな側面を示しました。Prydzは、この曲でクラシックロックモダンハウスの融合を実現し、幅広い年齢層にアピールすることに成功しました。「Call On Me」は、ハウスミュージックがポップミュージックの主流となる過程重要役割を果たし、後のEDMブームの先駆けとなりました。また、この曲の成功は、サンプリングリミックス可能性を再認識させ、多くのプロデューサーに影響を与えました。

9. Disclosure - "Latch" (2012, ロンドン)

Disclosureの「Latch」は、2010年代UKガレージハウスの融合を象徴する楽曲です。若手デュオのDisclosureと、当時無名だったSam Smithコラボレーションによるこの曲は、ハウスミュージックとポップの架け橋となりました。洗練されたプロダクション感情的ボーカルの組み合わせは、クラブシーンだけでなく、ラジオストリーミングプラットフォームでも大きな成功を収めました。「Latch」は、ディープハウスの要素を取り入れながら、キャッチーなポップメロディを融合させ、新しい世代リスナーハウスミュージックを紹介する役割を果たしました。この曲の成功は、エレクトロニックダンスミュージックメインストリームポップに与える影響力を示し、2010年代以降のダンスポップの方向性を形作る上で重要役割を果たしました。

10. Yellow Magic Orchestra - "Firecracker" (1978, 東京)

Yellow Magic Orchestraの「Firecracker」は、厳密にはハウス以前の楽曲ですが、電子音楽の先駆けとして後のハウスミュージックに多大な影響を与えました。坂本龍一高橋幸宏細野晴臣によって構成されたYMOは、この曲でシンセサイザーリズムマシン革新的使用し、未来的なサウンドスケープを創造しました。特にローランドシンセサイザードラムマシン使用は、後のハウスプロデューサーたちに大きなインスピレーションを与えました。アジア音楽要素とエレクトロニックサウンドの融合は、グローバルな音楽シーンに新たな可能性を示し、テクノハウスの発展に寄与しました。「Firecracker」は、その独特なリズムパターンメロディラインで、特にアシッドハウスの発展に影響を与えたとされています


……なんか納得感も有るしオチかいい感じなんだけど味はしないな。元増田の方が味と臭いはあった。

https://anond.hatelabo.jp/20241102140715

2024-11-06

ARuFa恐山が離れるときメディアとしてのオモコロは完全に終わる

彼らの独特な才能が作り上げたユルさや尖ったユーモアユニークコンテンツがあったからこそオモコロは今の地位にいられるわけで、正直、彼らに匹敵するような個性と才能を持った人がこれから入ってくるとは思えない。

あのレベル独自世界観やぶっ飛んだ発想を持つ人材、あの「オモコロらしさ」を体現できる人間なんて、いまのオモコロにも原健一郎と永田智以外には居ないし、ふっくらすずめクラブもそこには届かないことが明確だったからこそ終了してしまった。

ARuFa恐山が抜けた後のオモコロ新メンバーが入っても、あのクオリティを維持するのは無理だろうし、ゆるやかに衰退していくことは想像に難くない。

結局は個人の才能に依存している集団ありがちな終りを迎えるだろう。

anond:20241106153100

古代ローマ共和政は、ローマ都市国家、あるいは都市国家連合である時代には有効機能した。

しかしながらローマ地中海世界ほとんどを支配する巨大国家になると、システムとして限界を呈してきた。

このような巨大国家の指導者地位は、都市国家ローマの有力者の集まりにすぎない元老院や、首都ローマ市民選挙によって選ぶ執政官には、とうてい務まらなくなったのである

小規模な国家であれば市民元老院利害関係の調整も何とか機能したのであるが、国家大規模化するとそれが機能せず、元老院議員たる貴族私利私欲を優先させるようになった。

また市民集会への参加権利の無い属州民は、国家運営から完全に排除され、属州まで含めた大局的な見地での国家運営は、到底遂行しえない状態であった。


古代ローマにおけるパトロネジの問題があった。

古代ローマは、主に貴族からなるパトロヌス(親分)が、主に平民からなるクリエンテス(子分)を従え、かつ保護する相互関係があった。

ローマ都市国家の段階では、貴族たるパトロヌスがクリエンテスを保護する事により、私利私欲を追求する存在ではなくノブレス・オブリージュ体現者となっていた。

しかローマが巨大国家になると、貴族たるパトロヌスが保護するクリエンテスは国家構成員の少数派となり、結果、貴族自分に近い身内だけを利益を優先する存在となり、大局的な国家運営よりもクリエンテスの利益代表者としての立場を優先した。

この現状を打破するには、個々のパトロヌスとクリエンテスの複雑な上下関係を、ただ一人を頂点とする単純な上下関係へと整理する必要があった。


しかし、かつて王を追放共和制に移行した歴史を持つ古代ローマでは、君主制は最大のタブーであった。

内乱一世紀」と呼ばれる動乱の時期を経て、終身独裁官就任したカエサルは、共和政ローマ伝統を守ろうとする者たちによって暗殺される事になる。


その後を継いだオクタウィアヌスは、紀元前27年に元老院より「アウグストゥス尊厳なる者)」の称号を受け、古代ローマ最初の「皇帝」となったとされる。

だがそれは後世の認識であり、アウグストゥスは建前上は君主地位に就いたわけではなく、共和政守護者として振る舞った。

このような、実質上は皇帝地位に就いたものの、建前としては古代ローマ伝統墨守共和政体裁を守ったこ体制を、後世になって元首政(プリンパトゥス)と呼ぶ。




アウグストゥス統治あくま共和政継続という外面を持っており、その権力独裁官という非常時大権ではない、共和制平時のさまざまな権限を一身に帯びるという形で構成されている。

一つ一つは完璧合法でありながら、それらを束ねると共和制とはひどく異質な最高権力者地位となる。

こうした地位についてアウグストゥスは「私は権威において万人に勝ろうと、権力の点では同僚であった政務官よりすぐれた何かを持つことはない」と自身で表向きの説明をしている。

プリンケプスの地位構成したうち、主要なもの執政官権限上級プロコンスル属州総督)権限、トリブヌス・プレビス(護民官)職権の3つで、プリンケプスの権力基本的にはこの3つから説明される。

これら3つの権限アウグストゥスローマ合法的に統治する根拠であると同時に、執政官権限上級属州総督権限の2つは合わせると実質全ローマ軍の統帥権意味し、アウグストゥス軍事力を掌握する根拠でもあった。

以上の行政権軍事力のほかにアウグストゥス自身が述べるように圧倒的な「権威」が重要な要素であった。

アウグストゥスポンティフェクス・マクシムス(最高神祇官)という神職にも就任しており宗教上の最大権威者となってもいたが、それ以上に「内乱の最終的な勝者」という軍事的実績を伴った権威は正面から体制への挑戦者を寄せ付けなかった。


歴史は繰り返さないが韻を踏む、だ

2024-11-03

深作清次郎氏が初当選した人の祖父だったと聞いて

久々に氏の政見放送見直してみたのだけど

日本社会党共産党公明党ソ連の手先であって云々

みたいなのが主張の中心で

奇しくもその3つって今回の選挙でだいぶ勢力の弱まった組み合わせだなあと感じた

まあそれを言うとソ連はとっくにないわけだが


現代に深作清次郎氏が蘇ったら、一体現代の政治にどう言う意見を持つのだろうか...

anond:20241103091053

一休将軍様、それでは『左翼はザコ』と『左翼は脅威』を1人で同時に主張しているネトウヨ垢の発言を屏風の中から取り出してみてください。私がそいつらを総括してご覧に入れましょう!」

義満「一休勝共工作員。正体現したね」

2024-10-27

なんでこういう「リベラルが嫌われる理由」を体現してしまう人が多いのか…

偏差値60の公立高校生が何かしたか自分偏差値80の私立高校生だったか公立高校生なんて馬鹿にして当然だと?

国民民主とその支持者を批判したいならばそれだけを批判すればいい話なのに、なんで何ら関係無い高校生disる

こういう奴がいるせいで、まともにやってるリベラルまで巻き込まれ不利益を被るんだよ

Enter Name

@000o57

マジで国民民主党支持者の「自分頭いいんで感」はどうにかせんと

進研模試偏差値60取って自分頭いい!って思ってる公立高校生みたいなイタさが否めない

https://x.com/000o57/status/1849083286129377470

2024-10-26

anond:20241026153933

増田:「いや〜選挙行ってきたんだけどさ、障害者目線で各党のマニフェスト見てみたんよ。」

友人A:「おぉ、増田ちゃん国民義務果たしてるやん!で、どうだったの?」

増田:「自民とか公明、まあほぼ論外やな。見出しレベル障害者のこと触れてないんよ。ワンワード福祉かにチラっと障害って文字見えたけど、『いや、どこ!?』ってなるわ。」

友人A:「それ…なんの探し物やねん。『ウォーリーを探せ』の難易度やないか。」

増田:「で、立憲は結構ちゃんと書いてて、これはいいなって思ったんや。でもれい新選組のほうが障害者議員出してるやんか?で、期待したのにさ、解像度低めで、まあまあがっかり。」

友人A:「え、それどういうこと?障害者議員出してるのに、ぼやけてんの?」

増田:「そうやねん!『なんとな〜く障害者応援してるで』みたいな感じや。逆にアクセシビリティ…っていうよりモヤモヤビリティやわ。」

友人A:「なんやそれ、ダメダメやん」

増田:「ほんで比例はどうするか悩んだわ。いや、無党派層宿命やな!『どの党も納得いかんけど、選ばないとあかん』って感じで、結局立憲に入れたんや。」

友人A:「無党派層ってさ、迷える旅人やな…。『気に入ったパスタがないから、最終的にうどんにした』みたいな。」

増田:「そうそう。でも今回の選挙で気づいたわ、無党派層こそが国民主権を体現してるんちゃうかって!」

友人A:「え?それなんか偉そうに言ってるけど、結局どこに入れても不満ってことやろ?」

増田:「そうとも言える…でもこれが日本民主主義や!」

友人A:「あんたの票で国の未来決まるんやで?最終的に『しゃあない、立憲でええか』って…居酒屋メニュー選ぶくらいのノリやんか!」

増田:「そう、まさにそれが国民主権のリアルなんよ!」

友人A:「国の未来居酒屋ノリで決まってるやんけ…!」

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