はてなキーワード: 怨嗟とは
沢山あるじゃん
特に今は女がー男がーっての多いけどさ
それ言ってよしよしされたとしてもさ、何になんの?っての多いよね
特に非モテ過去増田でヘテロだけどゲイに掘られてまで穴モテしたけど女はやっぱりズルい憎いっての見てさ
そうだねって言ってもらっても元増田が女にモテるようにはならないし、穴モテしたところで女が幸せになってないの元増田が証明しちゃってるしさ
穴は求められるが欲しくない人から好意持たれた元増田 みんな異性モテなら誰でもいいとかないよね?
自分で自分に呪詛重ねがけして強化(狂化?)してんよなとしか思えないんだけど
右から左に流れてくる選択肢を否定することで選んでる気分になるんだね
他人のなにかに文句をつけることで自分の存在を確認できるくらいに希薄で
自分の感情をさらけ出そうとしてもなにもない所から辛うじてだれかの成功談にすり合わせる
自分が出来もしない事やろうともしない事を高潔だからみんなしていこうなとリーダーを気取って
なにも失う気がないのになにかを得ようなんてのは、他人の押し付けた選択肢だらけで
汚部屋のゴミ屋敷になった自分の中になにかを得る機会があったとしても入るわけないじゃん
他人の何が嫌いとかこれが許せないとかこうあるべきだとかこうしていればいいのに
なんて嫉妬の怨嗟が産まれてくる事こそが生産だと思って埋めてきた心の隙間を
開放しないとなんにも得られるものを入れるスペースがないじゃないか
認めてもらえないものや評価をしてもらえないものをあなたにあげたいと誰が思う?
自分だって差し出したものが否定され酷評されたら、いやな思いを抱いて手を引くでしょう?
なぜ反発することで、それほどの人だからもっといいものを差し出そうと相手が考えるなんて想像するのかしら
他人を認めたり評価をしたり手を差し伸べたり多少の犠牲を払ったりするのはもったいなくて恥ずかしいかもしれないけど
それを差し出して交換しないとなんにも得られないのは、与える側になったら自分がどう判断するか考えたらわかることじゃない
たまに無償で配られ回ってくる幸運を期待して、常日頃我慢していこうねという宣言は
一体なんのためにしているのかしら
庵野が思う本当にカッコいいヒーロー像は生き辛さを抱えている弱者男性じゃないとなれないんだろう
そして能力が高ければ弱者男性的な生き辛さから解放される訳ではないという主張も一貫している
既婚子持ちでも有能でもラスボスでも社会的にすこぶる強くても弱者男性からは逃れられない
庵野は弱者男性が好き過ぎるのか弱者男性に向けた作品作りが多く、その解像度の高さも凄まじくゲンドウは特に弱者男性キャラクターとして傑作
奇人変人の類も
クレヨンしんちゃん「非理谷充」
放映時に弱者男性を悪役として描いてる!とお気持ち表明があったキャラ
その扱いの良さはクレしん映画の中でも随一なので、その人は映画ちゃんと見てないと思う
クレしんにあるまじき辛気臭さだが、キャラクターはよく出来ており意外と家族連れにも高評
オカルト「江野」
見たことないけど嫌儲民が絶賛してたんだから弱者男性なんでしょ多分
他にも色々いるけど、この辺で