「片手落ち」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 片手落ちとは

2024-12-15

anond:20241215090049

LINEヤフー給料でフルリモートからええんやろ。

しょぼい企業でフルリモートやっても片手落ちからなぁ。

2024-12-10

anond:20241210221133

何が琴線に触れたのか知らんがお前の言ってることには何の価値もない

そもそも私が言及した内容は今起きている現象を書いたものであり原因を書いたものではない

原因を書かないのは片手落ちだと思った可能性を僅かにでも汲んでやるがそんな原因は書かなくとも分かっていることであり明記する必要はないんだよ、皮相的に過ぎる

ただの貧困少子化貧困理由を見出すならば次は「なぜ貧困に至ったのか?」だ

答えは簡単


既得権益を手放したから」あるいは「既得権益を持とうとしなかったから」だ


この原因については3手詰の詰将棋すら覚束ないだろう皮相的な君への宿題

これが解けたら次はそこからさらに深堀りしたまえ

2024-11-26

ディードリットを語るとき布の話をしないのは片手落ちだという話

ディードリットといえば長耳エルフ元祖という紹介だけど

当時もっと偉かったのはビキニアーマー要素を残しつつ肌の露出が少ないデザインだったことで

胸だけ守って腹を守らない、胸当てだけ鎧はビキニアーマー要素を引き継ぎつつ、腹や腰は服で隠す

これ新しかったんですよ

出渕といえばイングラムの「ロボット関節を布で隠す」だけど、

ファンタジー鎧でも「布で隠す」で新鮮なデザイン提供してくれた

ここ外すと当時のインパクトが薄れる気がするんですよね

2024-11-18

anond:20241118133748

ひろゆき風にいうとリハックは偏差値50以上に向けてやっている

双方の意見を並列に並べてさああとは視聴者判断してください!と

それを受けて立花偏差値50以下に向けて不倫ゴシップを強調する戦略に出たわけ

この二つの相乗効果で起こったことなのに

立花のやったことばかりにフォーカスするのは片手落ちなんだよな

偏差値50以上の層は立花に騙されたわけじゃないんだよ

2024-11-10

anond:20241110123821

最適解なら男も30で去勢するべきでは?適齢期すぎるんだから

その点も最適解としては片手落ちですな

2024-11-04

アメリカ大統領選挙、次の大統領はどうなるか[2024年版]

いよいよ明後日大統領選挙本番ですよ! むっちゃドキドキしてきた……有権者の皆さん、今日くらいは選挙に備えますよね?

そういうことで、4年前(anond:20201105075811)に引き続いて、次の大統領はどうなるかを書いてみる。

トランプが勝ったら

アメリカ史上最高齢就任した大統領

これまでの史上最高齢での就任記録は、現職ジョー・バイデン大統領の78歳2ヶ月だが、ドナルド・トランプ就任したら、78歳7ヶ月での就任となり、史上最高齢。この場合、「史上最高齢で1期目を開始した大統領」と「史上最高齢就任した大統領」は別人になる(前者がバイデン後者トランプバイデン就任前は、前者がトランプ後者ロナルド・レーガンだった)。

132年ぶり2人目の「非連続の2期を務めた」大統領

アメリカ大統領任期は最大で2期8年だが、2期務める場合はたいてい連続した2期を務める。しかし、トランプは2017~2021年、2025~2029年という非連続の2期を務めることになる。これは、19世紀グローヴァー・クリーヴランド(1885~1889年、1893~1897年)以来、132年ぶり2人目。

弾劾裁判にかけられた大統領が再選されるのは史上初

歴史上、弾劾訴追され弾劾裁判にかけられた大統領は3人いる。このうち、アンドリュー・ジョンソンは再選を断念し、ビル・クリントンは2期目の途中だったのでその後の大統領選挙に出る資格を持っていなかった。トランプは、弾劾裁判にかけられたにもかかわらず再選された初めての大統領ということになる。

1人の大統領に2人以上の副大統領が仕えるのは半世紀ぶり

大統領副大統領ペアで選ばれる。したがって大統領1人につき、彼に仕えた副大統領も1人というのがふつうだが、トランプは今回の選挙にあたって副大統領マイク・ペンスからJ・D・ヴァンスに入れ替えた。1人の大統領に2人以上の副大統領が仕えることになったのは、リチャード・ニクソン大統領時代1973年スピロアグニュー副大統領汚職疑惑で辞任して、ジェラルド・フォード下院議員副大統領に任命されて以来、およそ半世紀ぶりである選挙タイミング副大統領を交代させた結果としてそうなったのは、1944年フランクリンルーズヴェルトヘンリー・ウォレス副大統領降板させてハリー・トルーマン上院議員副大統領候補にすげ替えて以来、80年ぶり(なお、1976年大統領選挙ではフォード大統領ネルソンロックフェラー副大統領勇退させてボブ・ドール上院議員副大統領にすげ替えたが、負けたのでここではカウントしない)。

ハリスが勝ったら

初の女性大統領

カマラハリスは、ヒラリー・クリントンが成し遂げられなかった悲願を達成することになる。

初のアジア系大統領

個人的には南アジア系と東アジア系を「アジア系」でごっちゃにするのはどうかと思うが、それはそれとして、彼女インド系なので、初のアジア系大統領となる。

16年ぶり2人目の黒人大統領

ハリス黒人でもあるので、バラク・オバマ以来2人目の黒人大統領となる(アメリカの闇は、オバマハリスがいずれも「奴隷の子孫」ではない点だろう。オバマケニヤ移民の子供、ハリスジャマイカ移民の子供であって、アメリカ南部で綿を摘まされていた人たちの子孫はまだ副大統領にもなれていない。どんだけ彼らへの差別が激しかったのかという話である)。

16年ぶり2人目の非ヨーロッパ系の名前を持つ大統領

ハリスの下の名前カマラ」はサンスクリット語に由来する。ヨーロッパに由来しない名前を持つ大統領は、オバマ以来2人目(上で書いたように、彼ら2人が移民の子供だという事情もあるだろう。奴隷の子である黒人はたいてい英語名前を持っているので)。

民主党大統領が2人連続就任するのは半世紀ぶり

民主党は、ジョン・F・ケネディの跡を襲ったリンドン・ジョンソン以来、2人連続ホワイトハウスを手にしたことはない。ハリス勝利した場合ケネディ暗殺以来半世紀ぶりに、民主党から2人連続大統領が出ることになる。

現職副大統領大統領選挙で勝つのは36年ぶり5人目

副大統領要職だが、選挙に強いかというとそういうわけではない。大統領の死亡や辞任によって昇格した副大統領はこれまでに9人いるが、大統領選挙に勝ってその座を手にした副大統領経験者は6人しかいない。しかも、そのうち2人(ニクソンバイデン)は副大統領退任後に間を置いて大統領になっているので、現職副大統領として大統領選挙に勝ったのは、これまでに4人だけであるジョン・アダムズトマスジェファソン、マーティン・ヴァン・ビューレンジョージ・H・W・ブッシュ)。ハリス大統領選挙勝利したら、歴史上5人目となる。

追記

ハリス父はジャマイカ移民なので奴隷の子孫じゃないって言う人、南米カリブ海諸国に多くの黒人が住んでいる理由について考えたことないのかな?この増田なんか歴史に関して論じてるのにあまり片手落ちじゃない?

不正確な記述でスマソ。もちろんジャマイカ系ということはカリブ海に連れてこられた奴隷の子孫。そこは間違いない。ただ、

という2点があるので、やっぱり本来アメリカ奴隷の子孫とその他の黒人とを区別することは必要だよなと。不正確なものいいなっちゃったのは申し訳ないけれども。

2024-11-02

選択夫婦別姓❷同姓ハラスメント禁止

「なんで同姓にしたの?」

などの氏名の選択へのツッコミは、ハラスメントとして明確に禁止すべき。

でなきゃ片手落ち

同調圧力によって強制的夫婦別姓になってしまう。

2024-10-17

子どもが生まれるせいで転職できない。日本死ね

転職を決意して辞表を提出したあとに、妻の妊娠が発覚した。

半年ほど妊活していたが、このタイミングで来るとは思わなかった。

転職前の企業じゃ子育てできるほどの賃金の余裕はないし、かといって転職を待っていたら、精子卵子かどっちかがダメになってしまうと思って並行して進めたのがマズかった。

いくつかカジュアル面談はしてみたのだけど、どこも1年未満は育休取らせないための労使協定が組まれてる。

育休取得妨害違法になったとはなんだったのか。こんなん片手落ちじゃん。

育休しないという選択肢はない。

妻にばかり負担をかけたくないし、なにより新生児に夜中叩き起こされた状態で、昼間まともなパフォーマンスが出るとも思えない。

それにケチくさい条件を出してる経営者の下で働きたくない。奴隷じゃないんだから


どうやら日本ではキャリア子どもどっちか諦めないといけないらしい。

せーのっ、

日本死ね

2024-10-14

anond:20241013172029

ด็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็ด้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้้้้嫌いな人になんで嫌いなのって聞いた所で、普通酸味だの食感だの何だのって答えしか帰って来ないと思う。

それって具体的な要素を並べているに過ぎなくて、「どこ」が嫌いか説明にはなっても「なぜ」の説明にはなってない。

じゃあ結局その要素はなんで嫌いなの、ってのを何度も繰り返せる。それが止まるとしたら、どっかで「なんか嫌い。舌と脳がそういう風になってるから」としか言いようがねえと思う。

ひいてはด็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็ด้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้้้้が嫌いなのも「そういう風になってるから」という話になる気がする。

ด้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้้้้ด็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็漫画世界みたいに「誰もが感動する本物」なんてないだろうし。

こういうの考えてると、芸術批判なんかが論理的なもんだってのもホントかよって思う。

好みというか価値判断というか、そういう個々人の身体と脳に基づいた資質抜きにしては語れない。その前提が共有されてなかったら、なんぼ論理を展開した所でその理屈は足元から簡単に崩れる。

よしんば事実認識だけで語った所で、それは片手落ちな感じがする。

じゃあ最初から好きな者は好きな者同士、嫌いな者は嫌いな者同士で語り合うしかねえのかな。

じゃなきゃ理屈の前提が揃わない。

でも部分的には共感出来る所なんかもあるのかな。

同好、同嫌(?)とて一枚岩ではないのだろうし。

倫理学って延々とこんなような話を捏ねくり回してる印象がある。どこに前提を定めるのか。それってむしろ理屈というよりは政治的問題って感じだけど。

まらんと思ってたものを、理屈立てて面白さを追求するという事も出来んのかな。

味覚の好みほど強烈に好き嫌いが分かれるもんばっかでもないだろうし。

その味覚だって案外慣れによるところが大きいかもしれない。でもマジで無理なもんはマジで無理だしな。

好きでも嫌いでもないを好きに引き上げる、くらいの事は出来んのかな。思い込みスパイスにするのもまあよくある事だし。

弱者男性が嫌いな人に「なんで嫌いなの?」って聞いても、返ってくるのは大抵、外見だとか、態度だとか、社会的立場だとか、具体的な要素に過ぎないだろう。

それは「どこが嫌いか」を説明しているに過ぎなくて、「なぜ」嫌いなのかの説明にはなっていない。

結局、その要素がどうして嫌いなのかと何度も問うことができるだろう。でも、最後には「なんとなく嫌い。自分感覚価値観がそういうふうに反応するから」としか説明できないところに行き着く。

ひいては、弱者男性が嫌われるのも、最終的には「そういうふうに感じるから」という話になる気がする。

普遍的評価なんてあるのか?

「誰もが感動する本物」なんて、まるでグルメ漫画世界のようなもので、現実には存在しないのではないだろうか。

こういうことを考えると、社会的評価個人に対する批判論理的だと言われても、それって本当なのか?と疑問に思う。

価値判断や好みというのは、個々人の身体や脳に基づいたものであり、それ抜きにしては語れないものだ。その前提が共有されていなければ、どれだけ論理を展開しても、その理屈簡単に崩れてしまうだろう。

価値観のすれ違い

仮に事実だけで議論しても、それだけではどこか片手落ちな印象が残る。

結局のところ、最初から好きな者同士、嫌いな者同士でしか話が通じないのかもしれない。さもなければ、議論の前提が揃わない。

それでも、部分的には共感できるところもあるかもしれない。好き嫌いが一致するからといって、一枚岩というわけではないだろう。

倫理政治の交差

倫理学の議論って、どこに前提を置くかという話を延々と捏ねくり回しているような印象がある。それって、理屈というより、むしろ政治的な問題に近い気がする。

まらないと思っていたものを、理屈面白さを追求することができるのだろうか。好みの分かれる問題だって、すべてが強烈に対立するわけではないし。

好きと嫌いの間

好みというのは案外、慣れによるところが大きいのかもしれない。だが、どうしても無理なものは本当に無理だということもある。

好きでも嫌いでもないものを「好き」に引き上げることはできないだろうか。思い込みを「スパイス」にするのも、よくあることだし。

2024-10-13

トマト嫌いな人になんで嫌いなのって聞いた所で、普通酸味だの食感だの何だのって答えしか帰って来ないと思う。

それって具体的な要素を並べているに過ぎなくて、「どこ」が嫌いか説明にはなっても「なぜ」の説明にはなってない。

じゃあ結局その要素はなんで嫌いなの、ってのを何度も繰り返せる。それが止まるとしたら、どっかで「なんか嫌い。舌と脳がそういう風になってるから」としか言いようがねえと思う。

ひいてはトマトが嫌いなのも「そういう風になってるから」という話になる気がする。

グルメ漫画世界みたいに「誰もが感動する本物」なんてないだろうし。

こういうの考えてると、芸術批判なんかが論理的なもんだってのもホントかよって思う。

好みというか価値判断というか、そういう個々人の身体と脳に基づいた資質抜きにしては語れない。その前提が共有されてなかったら、なんぼ論理を展開した所でその理屈は足元から簡単に崩れる。

よしんば事実認識だけで語った所で、それは片手落ちな感じがする。

じゃあ最初から好きな者は好きな者同士、嫌いな者は嫌いな者同士で語り合うしかねえのかな。

じゃなきゃ理屈の前提が揃わない。

でも部分的には共感出来る所なんかもあるのかな。

同好、同嫌(?)とて一枚岩ではないのだろうし。

倫理学って延々とこんなような話を捏ねくり回してる印象がある。どこに前提を定めるのか。それってむしろ理屈というよりは政治的問題って感じだけど。

まらんと思ってたものを、理屈立てて面白さを追求するという事も出来んのかな。

味覚の好みほど強烈に好き嫌いが分かれるもんばっかでもないだろうし。

その味覚だって案外慣れとかによるところが大きいかもしれない。でもマジで無理なもんはマジで無理だしな。

好きでも嫌いでもないを好きに引き上げる、くらいの事は出来んのかな。思い込みスパイスにするのもまあよくある事だし。

2024-10-04

anond:20241003163441

ブコメトラバ理解力というかもののあはれを愛でる心がなさすぎる

元増田のは

っていう奇跡的な組み合わせなんだから挙げてる例はぜんぶ片手落ちだろう

これわからない人おるんか

anond:20241004184156

で、増田はどうすりゃいいと思ってんの?

そこが無いと片手落ちだろ。それとも盗まれても仕方ない手の打ちようはありません、て立場

2024-09-27

anond:20240925173522

「一昔前は」じゃないよ。今現在もそうだよ

やばい老人を取らないところはスタッフ大事にしているマトモな施設だよ

うちなんか「来れば必ず何発かスタッフを殴る利用者」とか平気で受け入れてるよ

こんなん訴訟もんだと思うんだけど

はやくこのイカれた状態是正されますように

そして投薬で「脳と体の状態を同程度にする」のがスタンダードになりますように

(体だけピンピンしてて脳イカまくりって状態を正すべき)

薬のせいでマトモに食事が出来なくなって弱って儚くなっても「それが本来寿命」だと思うね

「拘束=虐待」っていう凝り固まりまくり業界なので介護服すら着せられない現場では、Faが投薬に積極的じゃない限り何も手立てが無いわけよ

(ちなみに鎮静目的の過剰な精神薬の投与も「拘束」だ。はぁ?像が倒れるくらいの強い薬じゃないと効果がねんだよ。もうね、認知症患者は「超人」だからね。気休め程度の精神薬なんて効きゃしない。ふらつき出て転倒リスク上がるだけっていう最悪な状態だよ)

病院は良いよなー。拘束しちゃえるもん。まあ、それでもぶっ千切ってベッドから落ちるんだけどな

「拘束禁止」って声高に叫ぶなら、対案示してからしろって思うね。実際には拘束が必要利用者職員が一人密着出来る現場づくりしてから言えよって思う

利用者尊厳云々綺麗事ばっか言って、片手落ちもいいとこ

から現在、暴れる利用者・転倒・転落リスクのある利用者は人力で押し止めるしか手が無い。そしてそんな人手は無い

「心ある」お医者さんによって投薬を禁じられるのなら、セクハラだろうが暴力だろうが1万回の繰り言だろうがトイレ異常なまでの頻回だろうが付き合えるロボが介護するように技術革新するしかないよ

人間には無理だよ

ちなみに、急激にセクハラ性器弄り等が始まった利用者さんが居たけど内服薬替えたらすんなり落ち着いたよ

元々飲んでたのがアリセプトだったかなあ。いろんな副作用があるよな

ほんと脱抑制系の周辺症状はきつい

良い施設が見つかるか、症状が落ち着くと良いね

2024-08-25

北村紗衣と須藤にわか論点はずれているが、共通問題あぶり出している

太田出版Webマガジンにおける北村紗衣氏の連載に対して、須藤にわか氏という映画ブロガーが異議を唱え、それに対して北村紗衣が反論してホッテントリ入りしている。

私は須藤にわか氏のように映画を多く見ているわけではないし、北村紗衣氏のように多数の先行研究に実際にあたったわけではないが、発端となった連載と二人のやり取りをみて、話の主眼がずれていると感じた。同時に、二人とも結局、「ニュー・ハリウッド」という批評の枠組みに問題があることを浮き彫りにしているとも思った。

発端となった元連載の内容

まず連載の企画趣旨は以下の通り

映画を見た後に「なんかよかった」「つまらなかった」という感想しか思い浮かばない人のために、フェミニスト批評家・北村紗衣さんが、初めて見る映画感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載

北村紗衣氏の主な論点は以下の通り

①初めて見た『ダーティハリー』はサスペンスとして全然面白くなかった

自分アメリカン・ニュー・シネマが好きではない

60年代後半から70年代に、アメリカン・ニュー・シネマ英語ではニュー・ハリウッド)という潮流があった

④ニュー・ハリウッド反体制的な要素と、あからさまな暴力セックス表現が主な特徴として挙げられる

アメリカン・ニュー・シネマはかなり男性中心的な潮流

⑥『ダーティハリー』はニュー・シネマの影響下にある警察映画

北村紗衣氏の素朴な感想は、末尾にある「名作と言われてみんなに愛されている作品でも今見て面白くなかったらけなしていい!」と結びつくが、③~⑥の知識を持っていると『「なんかよかった」「つまらなかった」という感想しか思い浮かばない人』でも理解が深まる、というのがこの連載の趣旨みえる。

須藤にわか氏の異議

これに対して、須藤にわか氏の主張は以下の通り。

①「あからさまな暴力セックス表現が主な特徴」という認識は実際のアメリカン・ニューシネマからズレている

アメリカン・ニューシネマフィルム・ノワールと同様に映画批評家らによって作られた映画分類のカテゴリー

アメリカン・ニューシネマは「ヌーベルヴァーグ」や「ドグマ’95」のような映画運動ではない

④「アメリカン・ニューシネマ」と「ニュー・ハリウッド」は分けて考える

⑤ニューシネマは「暴力セックス」の映画ではない

⑥「ニュー・ハリウッド」もしくは「アメリカン・ニューシネマ」というカテゴリーは(白人の)批評のために作られた作為的カテゴリー

⑦「アメリカン・ニューシネマ」もしくは「ニュー・ハリウッド」が差別的に見えるとすれば、それはそもそも批評カテゴリー自体差別的

北村氏の反論

須藤にわか氏の異議に対する北村氏の反論は、目次にわかやすくまとまっている

①New Hollywoodの特徴のひとつセックス暴力があげられるのは当たり前

②New Hollywoodが男性中心的であるということは1970年代からずーっと言われている

③広く使われているジャンル用語勝手に変更しない

論点のズレ

須藤にわか氏の明確な誤り

須藤にわか氏は

例の著者は自分で決めた「これがニューシネマ」というカテゴリー自分で見て「このカテゴリーには黒人映画女性主人公映画が入ってないか差別的」だと言っている

と述べているが、これは明らかに違っていて、

北村氏がいうように、

決めたのは私じゃなくて今までの批評

まり北村氏は一般的な「New Hollywood」解釈を述べているだけなのだ

ただし、須藤にわか氏が本当に主張したいところは上記にあるのではなく、「New Hollywood」というカテゴライズのものに反発している。

北村氏は出典をたくさん挙げているが、須藤にわか氏の主張であるそもそも『ニュー・ハリウッド』が作為的カテゴリー」への反証ではない。須藤氏のいう北村氏本人への批判、「知ったかぶりして、しか知ったかぶりした上でこれは差別的だとかなんとか非難」への反証である

(「たくさんの出典があってすごい!」的なブコメの反応は、ただマウント取りたいだけのリアクションに見える)

さらなる食い違い

須藤氏は北村氏の姿勢について、

「ニュー・ハリウッド」もしくは「アメリカン・ニューシネマ」というカテゴリーが(白人の)批評のために作られた作為的カテゴリーであることを度外視した上でそれを非難している。

と言っており、

北村氏は

「(白人の)批評のために作られた作為的カテゴリー」なんだから批判されて当然ですよね?

という。ここは互いに噛みついていながら二人とも同じことを言っているように見えて混乱したが、批判対象範囲が違うようだ。

須藤にわか氏はそもそも、「ニュー・ハリウッド」というカテゴリーのものが、当時の映画作品群を評価するのに適切ではないと主張している。一方の北村氏がいう「批判されて当然」の対象は、須藤氏と同様にカテゴリーのものであると同時に、カテゴリーに含まれ作品群も含まれると私は解釈した。

須藤にわか氏の論の本質と、北村紗衣氏の指摘

須藤にわか氏の論で一番重要なのは、元の北村紗衣氏の連載にあった以下の部分への反論ではないだろうか。

60年代後半から70年代の潮流であるニュー・シネマは、それ以前にあったいろいろな制約が外れ、暴力セックス描写ができるようになり、そしてアメリカの秩序を問うような映画がたくさん作られた時代です。

そのくせに、結局は男性というか、主に白人男性が中心であることは問い直してないんですよ。

これに対して須藤氏は、

だいたいニューシネマは映画運動ではないのだから「問い直していない」って誰に対して言っているんだろうか?運動実態がないもの運動責任を問うたところで、まるで意味がないと思うのだが。

アメリカン・ニューシネマ」もしくは「ニュー・ハリウッド」が差別的に見えるとすれば、それはそもそもそうした批評カテゴリー自体差別的

この点、北村氏も、

>>New Hollywoodを決定づける作家主義的な監督の大半が白人男性であり、白人男性主人公にした物語代表作として受容され、研究白人男性監督だけを対象としてきたこはいたるところで指摘されています<<

と述べているように、「ニューシネマ」というカテゴリーのもの問題があることは認識しているように見える。

まり、二人とも、「ニュー・ハリウッド」というカテゴライズ問題があるという点では、共通認識がある。そのうえで、北村氏は、「須藤氏のニューシネ解釈一般的ではないから、私を嘘つき呼ばわりするのではなく、自分で論を立ててね」としている。

しかし、「ニューシネマ」というカテゴリーのもの問題があるなら、北村氏の連載における「『ダーティハリー』はニュー・シネマの影響下にある警察映画」という紹介の仕方も、「ニュー・シネマが男性中心的だ」というのも、安易に見える。元の連載において、ミステリサスペンス的にいまいちという北村氏の感想にはうなずけるが、「ニュー・シネマ」という潮流の紹介は片手落ちで、「研究白人男性監督だけを対象としてきた」ことも含めて紹介すべきだったのではないだろうか。

なお、北村氏のいう「問い直してない」というのは文系学問によくあるレトリックで、須藤にわか氏の「運動実態がないもの運動責任を問う」ているように見えるというのは、本質を突いていると感じた。

「問い直してない」論法は、レッテル貼りに使いやすい。

ダーティハリー』含む「ニュー・シネマ」と呼ばれる作品群は、「男性白人中心主義」的であることを「問い直せていない」からダメ作品だという、作品ファンが反発を覚えるのも無理はないだろう素人批評を容易に生み出す。(なお、これは北村氏の主張ではない。北村氏はあくまでニュー・シネマが好きではないだけだ)

須藤にわか氏が作品擁護する姿勢理解できる。

増田感想

文系学問特に文学社会学)においてありがちな、世の中の傾向や潮流を仮構して、ミクロ作品人間を論じるスタンスは、使い方を間違えると、色々なことを損なう。その作品人間もつ、複雑さや豊かさが捨象されるし、俗流に応用されれば簡単差別につながる。「この時代に生まれ人間は●●である」と決めつける世代論などを見ればわかりやすい。もちろん社会を論じるなら、そういう傾向を仮定して話を進めざるを得ないが、学者でもない人間が個々の作品人間評価するのであれば、マクロ的な枠組みでは拾えない面白さや豊かさにも目を向けるべきだろう。

少なくとも発端となった連載は素人映画をより深く鑑賞する視点提供するものだったはずだ。北村紗衣氏の視点須藤にわか氏の視点を踏まえて、もっと映画を楽しみ人生を豊かにしたり、世の中を考え直すきっかけを得たりするのが、私のような素人にとってはいいのではないだろうか。

たとえば北村紗衣氏がいうように、

「やっぱり、この映画ハリーのことをどう捉えているのかの解釈が難しい」

というところが、「ダーティハリー」を考える上でおもしろそうな部分で、北村紗衣氏は第一印象がつまらなかったため深堀りすることはないだろうが、「ダーティハリー」をこれから見て逆に「面白い!」と感じた場合には、ハリーを起点に「ニューシネマの影響下に本当にあるのか」などを考えるとまたおもしろそうだ。

あるいは、須藤にわか氏のいうように

そういう自分の知らないものとたくさん出会えるのがニューシネマの面白さで、あえて一時代アメリカ映画をニューシネマとして括る意味があるとすれば、それはその作品群がこうした「新しさ」を観客に与えてくれるから

ということを踏まえて、様々な作品に触れれば見えてくるものもあるだろう。

須藤にわか氏のエントリについたクソブコメ

serio フェミニストはありとあらゆる事象フェミニスト視点から語ってしまうので、たまにホームランを打つことがあっても、バットキャッチャーを殴って三塁に走り出すみたいな大外しをすることがよくある。

→元連載は「フェミニスト批評家・北村紗衣さんが、初めて見る映画感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載」なので、北村紗衣氏が好きに「ありとあらゆる事象フェミニスト視点から語ってしまう」わけではなく、そういう企画趣旨に基づいて仕事としてやっている

hazlitt アメリカン・ニューシネマってカテゴリーとして昔からよくわからんなとは思っている。わりとどうでもいいが野次馬的には町山某が反応すべき話題だな

→「わりとどうでもいい」と保険かけながら野次馬根性さらけ出しているのがキモい

jassmaz 文学理論批評理論を知らないオタクの見当はずれな批判。この時代アメリカ価値観完膚なきまでに破壊したことは十二分に暴力である。87年出版アラン・ブルームアメリカン・マインド終焉』を読もう。

→「この時代アメリカ価値観完膚なきまでに破壊したことは十二分に暴力的」北村紗衣氏も須藤にわか氏も言っていない新たな論点。見当はずれはこのブコメでは

北村紗衣氏のエントリについたクソブコメ

tokuniimihanai あちらの記事批判相手職業を間違えている時点で無知あるいは礼儀知らずなので読む価値がないと判断したが、やはり読まなくてよかったな。引用部分だけでも論外とわかる

→読まずに断じているゴミ

takeda25 こういうの、詳しくなければとりあえず態度を保留するのが賢明なはずだけど(現にこちらのブコメはそういうのが多い)、女性叩き側のブコメでは調子に乗って叩く人間大量発生するのが歪み

→態度を保留するって、どういう立場後出しジャンケンに勝ちたいだけの姿勢が見えてキモい

ponkotsupon 須藤氏の批判記事は出典やら参考文献やら先行批評への言及が何もなかったのに対し、北村氏は複数の出典と研究史を出してるので、学術的には(須藤氏が再反論で論拠となる文献を示せなければ)これで勝負ありよなぁ

そもそも商業媒体ブログ応酬で、学術的な議論ではない。かつ、出典と研究史さえ出せば「勝ち」というのは学術的でもないだろう。

どちらのブコメにも共通していえること

二人に対するクソブコメの数々は

権威主義的で映画のものにも映画史にも興味がなく、自分では頭を使わず他人が貶されるのを娯楽として消費するだけを生きがいとする、野次馬根性と異常マウント欲、ハエ以下の精神性で駆動する人工低能

ではないか、ということを己に“問い直して”みてはいかがだろうか。

2024-08-09

anond:20240809150149

虐殺辞めろよの前に、ハマス民間人盾にするなって言えないようじゃ片手落ち

ハマス民間人盾にしなければ、単なるテロリスト殲滅なんだから

2024-08-02

anond:20240802130136

児童性的に見る」という価値観問題、という前提が成立してないか個人的に嫌いだし悪影響な気がするから排除していいんじゃね、にしかなってないように思う。

性加害が「児童性的にみる価値観肯定されてるから」おこるというほど単純なものではなく、支配欲などの影響が大きいといわれたり複雑なものなのは白だし

そもそも児童性的にみる価値観肯定されてなければ児童性的にみない」なんてことはありえない。

影響しだいでどちらでもいいライト層、カジュアル層みたいなのはいるかもだが強い動機は持たないし、自暴自棄になった結果選択された犯罪だとしてもそうなるまでの状況や犯人主観的に思い描く成功率などのファクターが大きい。

児童を)性的にみない価値観絶対的教育されてる聖職者でも性犯罪件数問題になってるのだから、「ある価値観社会全体が否定肯定すれば解決する」というのは戦中日本精神論のようなファンタジーしかない。

悪いフィードバック可能性をいうならば、良いフィードバック可能性に言及しないのは片手落ちだし、

「実際に事件がおこってる」から価値観肯定が悪いと結ぶのも極めて非論理的

お餅などの死因との因果関係が明確なものですら規制されてないのに、因果関係が極めて不明瞭なものが軽々しく扱われるのは異常。

頭文字D被害

あの創作の後、峠にはキャッツとかポールがバシバシ配置された

創作現実、卵と鶏、言おうと思えばどうとでも言えるが

少なくとも86が人気なのは創作の影響だろう

近隣住民は、違法改造車騒音に悩まされ

峠では事故が多発


不良漫画が不良を産むとは言わんし、尾崎豊バイクを盗ませたとも思わんが

創作フィードバックされる事象絶対にある


児童ポルノ現実児童保護目的とした立法なので

現実児童に(被写体等としての)犠牲者は居ないというのは真であり

二次元フィクション児童ポルノにするなという主張も頷けるが

問題は、「児童性的に見る」という価値観の話だからハイ論破、という簡単な話ではない

二次元フィクション児童ポルノにするな」という主張は

少なくとも、現実世界の振る舞いとして、それが許される品行方正さが必要なんじゃないだろうか

ジョーカー映画普通社会であれば何の問題もない物だろう

(逆に言えばだれにも実感として刺さらない架空物語しかない)

ジョーカー問題になる社会というのは、相応の問題を抱えている

この現実への対応という視点抜きで、「とにもかくにもジョーカーという表現規制してはならぬ」となるのは

何か片手落ち

YesロリータNoタッチはいうが、実際に事件は多く起こっている


二次元フィクション児童ポルノにするな」という主張だけが先行するのは

社会合意形成しにくいだろうなと感じてしま

2024-07-29

anond:20240729091653

アニメニワカな俺でもベルばらは知ってるしアニメ配信で全部見たし

なんなら「文句があるならベルサイユへいらっしゃい」とか「今日ベルサイユは大変な人ですこと」とかの名台詞は隙あれば使う

アニメオタク名乗っててベルばら知らないのは片手落ち

2024-07-22

三大差別発言になる言葉

・手短に言う

片手落ち

・足がない

足切り

びっこ

めくらまし

ガイ

色盲

植物人間

父兄

・片親

サラリーマン

女医

女流作家

婦警

未亡人

・女々しい

・土方

百姓

床屋

町医者


あと一つは?

 

2024-07-13

anond:20240713021916

出産結婚しなくてもできるから関係ないでしょう?ああ、日本シングルは凄まじい偏見に晒され、シングルマザーはマミトラックに阻まれ福祉片手落ちで、生きていけないほどの貧困国なんだっけw

2024-07-11

エクソシスト 信じるもの

伝説ホラー映画エクソシスト正式続編。

被害者2倍!怖さも2倍!

というわけにはいかなかったね……残念。

 

今回の被害者黒人少女アンジェラとその友人で白人少女キャサリン

この二人がココット占いかいう明らかにヤバい儀式を行った結果

悪魔に取り憑かれるという話。

 

この作品の明らかな問題点は2人の被害者のうちの白人の方、

キャサリンバックボーンを完全にオミットしている点だと思う。

 

アンジェラ母親妊娠中に亡くしていて父親との関係は友人のように好調

ちょっとおませなティーンちゃんだけど、母の愛に飢えているといった風に

詳しく描写されているがキャサリンに関してはその描写マジで一切ない。

なんでこいつがアンジェラの友人なのかも不明だし、なんで儀式をやろうとしたのかも不明

アンジェラは死んだ母と話をしたくて儀式を行った。

どんな性格で何が好きかとかも不明

一人娘が悪魔に取り憑かれて苦しむキャサリンの両親が描かれるけど

キャサリンと両親の関係も全く不明。1秒も描かれない。

 

この作品では最終的に悪魔が「2人のうちどっちかを選べ。選ばれなかったほうを殺す!」と宣言

キャサリン父親キャサリンを選び、アンジェラは死亡。

たかと思ったら、アンジェラは復活してキャサリンが死亡!

全て悪魔の掌の上だったのだ!

という感じで終わるのだが、そもそもキャサリンに何一つ感情移入できる要素がないか

アンジェラが生き残ってキャサリンが死んでしまった!と言われても「でしょうね」としか思えない。

このへんは完全に片手落ちだなーと思ってしまった。

 

神父牧師祈祷師、医者セラピストが集まって悪魔祓いに挑むのは

マイフェイバリットホラーの「来る」の除霊フェスを思い出して胸が熱くなった。

そんだけ集まってまったく手も足も出ないのも「来る」リスペクトを感じられてよい。

 

ハロウィンもそうだったけど、伝説的な作品登場人物の「その後」を登場させて

正式続編ですよとするリブート作品増えてるけど、ハリウッドネタないんだなぁ。

 

総じて60点くらいの映画だった。

2024-06-28

Macは正しい色が見られる←間違い

はしょって書くので正確性の観点ではツッコミどころのある文章になりますがざっくり

デバイス依存カラーと非依存カラー

RGBCMYK:実際の見た目の色を表すものではない。色材の出力値を表したもの。同じRGB値・CMYK値でも異なるモニタープリンタで出力すると色が異なる。

CIEXYZやLab:この値が同じであれば見た目の色が同じと言える物差し的な値(Labは光源も定める必要があったり、発展的なCIECAMの話もあるけど省略)

異なるデバイスで色を近づける仕組み(カラーマネジメント)

モニター機種Aの色をモニター機種Bで似た色で再現したいとする

1)モニターAであるRGB値を表示した時、CIEXYZやLabでは何の色なのか

2)1)のCIEXYZをモニターBで表示するには(もともとのRGB値でなく)どんなRGB値で表示すればいいのか

要は機種AとBで色々なRGB値で表示した際の実際の色(CIEXYZやLab)がわかれば良い。

この様にデバイス依存カラーと非依存カラー対応けができるものプロファイルといい、規格化されている(いわゆるICCプロファイル

対応付けは線形計算する場合と、ルックアップテーブルを使う場合がある

用途として1)はターゲットプロファイル/ソースプロファイル、2)はデバイスプロファイル/ディスティネーションプロファイルなどと呼ばれる

CMM

1)2)は色を近づけるために入力RGBを異なるRGBに変換し出力する操作であり、色変換・カラー変換などと言う。

これが行われるモジュールCMMMacはColorSync、WinはICM/WCS/ACM3rdパーティCMMとしてAdobeCMMがある(Adobeアプリで見るときはこれが使われる)

Mac基本的に常にOSレベルでColorSyncが働いている状態Winアプリによって入力RGBをそのまま表示するものやICMが働くものがある

これが「Macで見る色は正しい」と捉えられることがある一因だと思うけど、同じプロファイルでもCMMにより変換結果が異なるし、プロファイルが適切でなければ色は合って見えないので片手落ち未満。

色変換に関していうと、Adobeツールを使っていればAdobeCMMで変換・表示されるのでOS間の色の差は少ない。

まとめ

MacWinワークフローでは混在しており実質Adobeアプリでの表示が標準=OSによる変換差は極小

・正しい色を見るのにはそもそも正しいプロファイル必要モニター場合は基本キャリブレーションすれば同時に作られる)で、かつアプリで適切に設定されている必要がある

 Macから正しく見え、Winでは正しく見えない訳では無い

・色評価用光源の導入

・それでも分光値が一致する訳ではないので、突き詰めるとCIEXYZやLabが同じでも見た目の色は違う…という世界になってくる

2024-06-19

少子化から犬に権利を与えよう

少子化の一番困る部分

なんだ?

そりゃあれだろ

生産も消費も出来ない

する人が減るから

からどんどん国がパイが小さくなるんだ

そんな国には未来投資なんかされないから、何もかもが古いままで朽ちていく

そう考えるとロボット解決片手落ち

ロボット生産手段だから

いくら生産しても、需要がないとデフレまっしぐら

経済とは市場であり、消費なんだ、アメリカ証明してる

ロボット少子化解決しないが供給は支える

対して、犬は消費だ

どんどんフードを食べる

何も生産しない

我々を笑顔にするくらい

からロボット生産させて

犬に消費させればいいんじゃない

巨大なマーケットを作ろうじゃないか

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん