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はてなキーワード: 不快感とは

2025-11-13

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僕は木曜日の朝10時に、昨日(水曜日)の出来事を記録している。

朝の儀式はいつも通り分解可能位相のように正確で、目覚めてからコーヒーを淹れるまでの操作は一切の可換性を許さない。

コーヒーを注ぐ手順は一種群作用であって、器具の順序を入れ替えると結果が異なる。ルームメイトは朝食の皿を台所に残して出かけ、隣人は玄関先でいつもの微笑を投げかけるが、僕はそこに意味を見出そうとはしない。

友人二人とは夜に議論を交わした。彼らはいつも通り凡庸経験則に頼るが、僕はそれをシグナルとノイズの分解として扱い、統計的有意な部分だけを抽出する。

昨晩の中心は超弦理論に関する、かなり極端に抽象化した議論だった。僕は議論を、漸近的自由性や陽に書かれたラグランジアンから出発する代わりに、代数的・圏論的な位相幾何学の言葉再構成した。

第一に、空間時間背景を古典的マンフォールドと見なすのではなく、∞-スタック(∞-stack)として扱い、その上の場のセクションがモノイド圏の対象として振る舞うという観点を導入した。

局所的な場作用素代数は、従来の演算子代数特にvon Neumann因子のタイプ分類)では捉えきれない高次的相互作用を持つため、因子化代数(factorization algebras)と導来代数幾何(derived algebraic geometry)の融合的言語を使って再記述する方が自然だと主張した。

これにより、弦のモードは単なる振動モードではなく、∞-圏における自然変換の族として表現され、双対性は単に物理量の再表現ではなく、ホモトピー同値(homotopical equivalence)として扱われる。

さらに踏み込んで、僕は散逸しうるエネルギー流や界面効果を射影的モチーフ(projective motives)の外延として扱う仮説を提示した。

要するに、弦空間局所構造モチーフホモトピー理論ファイバーとして復元できるかもしれない、という直感だ。

これをより形式的に述べると、弦場の状態空間はある種の導来圏(derived category)における可逆的自己同型の固定点集合と同値であり、これらの固定点は局所的な因子化ホモロジーを通じて計算可能である

ただしここから先はかなり実験的で、既知の定理保証されるものではない。

こうした再定式化は、物理予測を即座に導くものではなく、言語を変えることで見えてくる構造的制約と分類問題を明確にすることを目的としている。

議論の途中で僕は、ある種の高次圏論的〈接続〉の不変量が、宇宙論エントロピーの一側面を説明するのではないか仮定したが、それは現時点では推論の枝の一本に過ぎない。

専門用語の集合(∞-圏、導来スキーム、因子化代数、von Neumann因子、AQFT的制約など)は、表層的には難解に見えるが、それぞれは明確な計算規則と変換法則を持っている点が重要だ。

僕はこうした抽象体系を鍛えることを、理論物理学における概念的清掃と呼んでいる。

日常についても触れておく。僕の朝の配置には位相的な不変量が埋め込まれている。椅子の角度、ノートパソコンキーボード配列ティーカップの向き、すべてが同相写像の下で保存されるべき量だと僕は考える。

隣人が鍵を落としたとき、僕はそれを拾って元の位置に戻すが、それは単なる親切心ではなく、系の秩序を保つための位相補正である

服を着替える順序は群作用対応し、順序逆転は精神的な不快感を生じさせる。

ルームメイトが不可逆的な混乱を台所に残していると、僕はその破線を見つけて正規化する。

友人の一人は夜の研究会で新しいデッキ構築の確率最適化について話していたが、僕はその確率遷移行列スペクトル分解し、期待値分散を明確に分離して提示した。

僕はふだんから、あらゆる趣味活動マルコフ過程情報理論の枠組みで再解釈してしまう悪癖がある。

昨夜は対戦型カードルールインタラクションについても議論になった。

カード対戦におけるターンの構成勝利条件、行動の順序といった基礎的仕様は、公式ルールブックや包括的規則に明確に定められており、例えばあるゲームではカードやパーツの状態を示すタップアンタップなどの操作が定式化されている(公式の包括規則でこれらの操作とそれに付随するステップ定義されている)。

僕はそれらを単純な操作列としてではなく、状態遷移系として表現し、スタックや応答の仕組みは可逆操作の非可換な合成として表現することを提案した。

実際の公式文書での定義を参照すると、タップアンタップ基本的説明やターンの段階が明らかにされている。

同様に、カード型対戦の別の主要系統では、プレイヤーセットアップドロー、行動の制約、そして賞品カードノックアウトに基づく勝利条件が規定されている(公式ルールブック参照)。

僕はこれらを、戦略的決定が行なわれる「有限確率過程」として解析し、ナッシュ均衡的な構成を列挙する計算を試みた。

また、連載グラフィック作品について話題が及んだ。出版社公式リリースや週次の刊行カレンダーを見れば、新刊重要事件がどう配置されているかは明確だ。

たとえば最近の週次リリース情報には新シリーズ重要な続刊が含まれていて、それらは物語トーンやマーケティング構造を読み解く手掛かりになる。

僕は物語的変動を頻度分析し、登場人物の出現頻度や相互作用ネットワークを解析して、有意プロットポイント予測する手法を示した。

夜遅く、友人たちは僕の提案する抽象化が読む側に何も還元しない玩具言語遊びではないか嘲笑したが、僕はそれを否定した。

抽象化とは情報の粗視化ではなく、対称性と保存則を露わにするための道具だ。

実際、位相的・圏論表現は具体的計算を単に圧縮するだけでなく、異なる物理問題戦略問題の間に自然対応(functorial correspondence)を見出すための鍵を与える。

昨夜書き残したノートには、導来圏のある種の自己同型から生じる不変量を用いて、特定ゲーム的状況の最適戦略を分類するアルゴリズムスケッチが含まれている。

これを実装するにはまだ時間がかかるが、理論的な枠組みとしては整合性がある。

僕の関心は常に形式実装の橋渡しにある。日常儀式形式実験場であり、超弦理論の再定式化は理論検算台だ。

隣人の小さな挨拶も、ルームメイトの不作法も、友人たちの軽口も、すべてが情報理論的に扱える符号であり、そこからノイズを取り除く作業が僕の幸福の一部だ。

午後には彼らとまた表面的には雑談をするだろうが、心の中ではいものように位相写像圏論随伴関手の組を反芻しているに違いない。

男磨きハウスエシカル戸塚ヨットスクールだった

男磨きハウス第一話を観た。エシカル戸塚ヨットスクールだった。


男磨きハウス戸塚ヨットスクールは、弱さを受容し素直にエシカルコミュニティ自助ができる、医療福祉制度活用できる人間にとっては不要邪悪だ。しかし、そうできない人たちは存在する。男磨きハウス戸塚ヨットスクールもそういう人間の為の慈善活動だ。

https://youtu.be/DA2Z1EACF7c?si=1V_nzBzisBB386gB


現代の男が男らしく弱さを受け入れる過程は↑の動画でわかりやす説明していた。彼らは家父長制的な男ではあるが現代の形にアップデート済みで女にとって不快感の少ない"ミソジニー"ではない男だろう。


彼らは、この企画のように恋愛市場彷徨える女たちに対し、わりに的確なアドバイスを出せる側の男たちであり、後述するが男磨きハウス必要な男の為のコンテンツではない。



話を戻す。



ジョージ戸塚自分道筋で"生きる"ことができたから、「同じような人間には同じような道しか示せないやろうが!」とそれを理解できない人たちにキレている。



ただそのアウトプットが女やエシカルな繋がりを持てた人たちからすると邪悪に映るだろう。しかジョージ戸塚の救済対象は、"普通の話が通じない男"だから仕方がない。



フェミニズムはツイフェミやフェムセルという通称存在が生まれたことで分岐し、元からフェミニズムに大した関心のない人からするとフェミニズム邪悪な女権主義者たちの集まり認識されているのも同様の動きであるといえよう。



彼女らは明らかに"やりすぎ"である男嫌いであることを真っ当な権利運動の名の下で悪用している。しかし、では、何が彼女たちを救ってくれただろうか?それは男磨きハウス戸塚ヨットスクール、ひいてはナンパ師界隈などに通ずるものがあるだろう。



救いたい形をしていない弱者



救いたい形をしていない弱者孤独死を防いだ結果、世間的にはアンエシカル声明を出す事になる。そういう極端なPR活動をしていかないと話を聞いてもらえないのだ。普通の話が通じない人間いつまでも普通の話をし続けるのは残酷だという事にエシカル人間配慮すべきである。その上で邪魔だろうから批判し続ければいい。




健常者で精神疾患者や発達障害者と関わったことのある人なら心当たりがあるだろうが、彼らは「寝たらよくない?」とか「考えすぎじゃない?」とか思うような事で堂々巡り普通の人ができる作業をできない、訳のわからない事を堂々と語って周りをドン引きさせている。



彼らは決して人格破綻者として生まれた訳ではない。そう生まれたからそうで、たまたま不幸を乗り越えれなかったからそうなのだ




戸塚ヨットスクールクライアントを死なせているが、医療福祉現場でも人はじゃんじゃんバリバリ死んでいる。



しかしそれらの違いは明確で、戸塚ヨットスクールは訓練生の死亡、傷害致死行方不明が発生していた件に対し、不審な介入ではないか?と判断されたのだ。戸塚教育方針とは別で批判されるべき出来事であろう。医療福祉現場でも不審死が発生し隠蔽工作をしていたら問題になる。それと同様に彼がどれだけ立派な教育を施していようが、そこに死人や負傷者が出て不審判断された時点で「医療ミス」同様に鑑査される。それを避けては通れない。仕事の名の下で性交渉危険行為が許されている社会で、体罰体罰として問題視されるのはクライアントと正確な同意が取れていなかったからだ。




戸塚ヨットスクールエシカル組織が救えなかった存在三次受け入れぐらいの場所だったのだろう。



正直、そういった過酷現場で働いていたら疲弊するし、クライアントも目を離した隙に死のうとするだろうし、命がかかっているか従事者の性分も攻撃的になるだろう。医療従事者が特有の気の強さを持っているのと同様だ。



戸塚思想のものではなく、ああいった活動をしていると必然的に語気は強くなる。ゆえにエシカルな人々からすると"無用に語気の強いヤバ思想おじさん"となる。語気強もヤバ思想あなた方のような救いたい形をした人たちの為ではなく、どうしようもない救いたい形をしていない人たち、それに直接迷惑をかけられている身内の為にしか存在しない。



ジョージ戸塚の肩を持つつもりはない。




しかし、彼らが抱えれる存在を私が救えたか?と言われれば難しい。



どれだけスティグマ払拭した語りをした所で彼らは「だって今はそういう社会になってないもん!」が主訴だから




革命を起こす体力や精神力すらもない人間は素直に弱さを引き受ける事なんてできない。



彼らを救う為にアレン様やジョージになりたいですか?



拝金できたとしても、なれない、なりたくない健常者が殆どだろう。なろうとも思わない。



男の話しか聞けない男っているでしょう。




ジョージの救済対象は、男の話しか聞けないのに男に手を差し伸べてもらえなかった男だ。





無論、女の話を聞けない男を女が救える訳がない。女にいじめられた経験があったのなら尚更。尊敬できる対象から暴力は"可愛がり"になるが、尊敬できない対象から暴力は"いじめ"になる。自分いじめてくる女に心を開き、素直になれる訳がない。




男に畏れている男は女にケアを求めるので恋愛依存できるが、男に憧れている男はそういう男に憧れて女を見下しているので"女を見下している真の男"に救われるのを待つしかない。




なのに...。




待てど暮らせど、真の男は自分を救ってくれない。何故か、そういった男は既に仕事でそういう男たちを従えているからだ。真の男はサラッとあなた達のことを"なかった"ことにしている。小中学生同窓会の時だけ「そんなヤツもいたな〜」程度に思い出す。



わざわざ「救済しよう!」なんて発想は彼らには最初からないのだ。人が人を救済するのは医療従事者の仕事であり、彼らが怪我をしたら病院に行ってついでに傷病手当を貰って仕舞なのだ。彼らはただ生きているだけで男社会の上に立ち多くの人間を救済しまくっている。まともな努力をして結果が出るので、苦労も糧にできる。




そういう組織に入れない、そのパスを死に物狂いで掴めなかった男のことは"見えていない"。




そういう男は同性に対しても面倒見は良い。多少のことは雑に扱われることを許せば大目に見てくれるのだ。しかし、ここで篩にかけられるのは"雑に扱われるのを許せなさそうな男"だ。上司は男の恋人ではないので、恋愛じみたもの仕事に求めてきそうな人間は落とされる。まず出会えない。パワハラモラハラは起きないにこした事はないが、それらは下からしかまれないので、ちょっとした事で騒ぎそうな人間不要だ。だから"見えていない"。




彼らが尊敬する男たちは、無意識に、彼らにとっては残酷に、女を性愛対象恋愛対象で天と地ほどの違いを持って、その上で適切な扱いが可能な為、交際しようが何だろうが結婚相手を選ぶまでは殆どデーティングだ。"男に見えていない男"は面倒で抱けない女と同等の存在なのだ。会った瞬間に無用な面倒事を察知する能力は野生の本能のものであり、ミソジニーになる迄拗らせる未来を防ぐ。




戸塚ジョージナンパ師は「お前の仲間だ!」と示す為に親切に女叩きをしてくれるし、エシカルは敵だと背中を摩ってくれる。



そういう男の哀しみがすこし分かるのだろう。




このふたりはどう考えてもこの時代日本にはそぐわなかった価値観を持つ"変な男"ではあったのだ。男のマイノリティから"見えた"のだ。この時代に発生した苦しみのひとつとして、そこからあぶれてしまった男たちに手を差し伸べるのだろう。




差し伸べられた手を掴むこと




それは如何様に気持ち悪い男であろうと女であろうと、それを掴む限り、まだ生きてみようと思える希望のものだ。男磨きハウスを観るに、ジョージ戸塚に比べて随分とやさしいと思う。救いたかった筈の訓練生の死から反省ができた世界線戸塚だ。私はもう第一話でお腹いっぱいになってしまった。訓練生に恨みはないが、彼らのナチュラル気持ちの悪さが次から次へと出てくるのでカロリーが高く、第二話に進めない。しかし内容はとても面白かったので「男ってなんだろう?」と思う人たちには是非試聴してもらいたい。面白くはある。




ジョージは訓練生の肉体を管理するどころか、射精管理までして、逃げ続けた所で救われることはないし一度でいいからお前を気持ち悪いとは思わない女に出会えるだけの力を与えてあげようとする。ジョージには良妻賢母の忍耐がインストールされている。




それはもう殆どセックスができることなどよりも深くて歪な男たちにしかわかり得ぬ情念ではないだろうか。

関東から札幌に転勤して7ヶ月経つけど辛い

人生の9割を関東で過ごしていたが、4月から札幌へ転勤になった。

同僚や上司からは「札幌はいいところだよ」「北海道は美味しいもの沢山あるよ」等言われていたが、実際に過ごしてみるとしんどいことの方が多すぎる。

そのうちいくつかを愚痴として吐き出したいと思う。

光熱費が高い

東京ガス東京電力と比べて、光熱費が高い。

例としては東京電力で190kWh使った金額よりも、札幌で130kWh使った金額の方が高い。

ガスについては関東では都市ガスしか使ったことがないため、今のプロパン比較はできないが、そもそも都市ガス物件が少なすぎる。

社宅として不動産屋が紹介してきた物件は全てプロパンだった。

②美味しいものは沢山あるのだとは思うが、何を食べても美味しいというわけではない。

その辺の飯屋が東京と比べて美味いかというとそうでもない。

しっかり吟味すれば安くて美味しい店もあるかもしれないが、それは関東だってそうだ。

まあこれは私が偏食というのもあるかもしれないが、ジンギスカンよりも普通牛肉の方がうまい

地下鉄駅前があまり栄えていない

なんだかんだ言って車社会なのだと思わされる。

関東駅前では、駅を出てすぐのところに何かしらコンビニチェーン店ちょっとしたスーパーがあった。

少なくとも今まで住んだところ、よく利用していた場所ではそうだった。

しか札幌は違った。さっぽろ駅から3駅のところであるにも関わらず、駅前にはローソンぐらいしかない。

会社最寄り駅も同じでセブンイレブンしかない。

スーパーへは駅から10分ほど歩かないといけないのだ。

④気温

札幌の夏は正直暑いクーラーほとんど使わないと聞いていたが、そんなことはなかった。

元々暑がりではあるのだが、普通6月後半~8月後半まで暑いと感じた。

湿度が低いとかどうとかいう人もいるが、私にとってはどっちも暑い

夜は涼しくなる時もあったので窓を開けてクーラーなしで寝てみたが、

それでも朝には暑く、不快感で目が覚めたので結局は窓を閉めてクーラーに落ち着いた。

クーラー不要になってから、少し過ごしやすくはなるもの

そのあとはすぐに寒くなってしまった。過ごしやすい期間で言ったら関東よりも短いくらいである。

個人的体感では、関東9月後半~11月中旬は過ごしやすかった。今年もちょくちょく関東に遊びに行っているが同様)

そして今、冬を迎えている。

11月になったばかりだというのに雪が降り、最高気温が1桁になる。

これが12月1月2月さらに寒くなるというのだから、耐えられたもんじゃない。

住む気候としては最悪である

そして何より、積もった雪は生活においてとても障害になる。

凍れば滑るし、積もれば靴に浸透して靴下が濡れる。溶けたらグチャグチャになってそこかしこが水たまりになる。

札幌道路は何故か水はけが悪いように感じる)

生きる上でデバフがかかっているようなものである



以上が関東から札幌に転勤して思ったことの一部である

ちなみに良かったと思える点は未だ見つかっていない…。

早く関東に戻してほしい。そう願うばかりである

2025-11-12

30過ぎて、馬鹿になっている自覚がある

30過ぎて数年、思考の鈍化を感じる。

まず、1日2時間以上、ペンものが書けない。

書こうとすると、2時間たったあたりから、誤字などの書き間違いが如実に現れる。

さらに、仕事をし始めて6時間くらいが経つと、頭痛が酷い。

激しい頭痛というより、ギューッと締め付けるような痛み。不快感

緊張性頭痛というらしいんだが、学生のころはなったことがなかっただけに、めちゃくちゃ不快感を味わっている。

そうして頭も体もくたくたになった自分を迎えてくれるのは酒だ。別に酒がなくてそのまま風呂に入ってもいいんだが、痛みを訴える頭とか、緊張したストレスを抱えている自分とか、自分よりできの良い部下のいるプレッシャーとか、ぜーーーーんぶひっくるめて忘れさせてくれるのが酒なんだ。

どうでもいい!俺とアイツの差なんて誰も気にしてない!

脳内で俺だけに響くファンファーレが、ビールのプルダブとともに訪れる。

ふわふわとした酩酊感が、俺を慰める。

頭では分かってるんだ。俺の、どうてもいいプライドが、俺を苦しめていることくらい。

でも、色々考えてしまう。人間から

酒はそれに寄り添ってくれる。

その寄り添いがあまりに俺に優しく甘美なものから

どうしようもない俺を愛してくれているとさえ錯覚する。

俺は酒を辞めたくない。

俺はどうしたらいいんだろう。

インターネットにおける「さようなら」について

皆さんは心の中にずっといる友人だった人はいますか?

今は交流がないものの、ずっと気になっている友人や知り合い「だった」人はいますか?

私は沢山います

高校時代の大変可愛がってくれた先輩、バイト先の先輩、以前の職場の同僚。

LINEがあるのだから連絡を取ろうとすれば、出来ない訳ではありません。ただ今更連絡を取ったところでと思ってしまい、ふと「また会いたいな」と勝手に思いを馳せてはを繰り返し、何となく数年が流れております

それは何も現実世界に限った事ではなく。

そしてインターネットでの完全な「一方的自己満足さようなら」を「私の感情に折り合いをつける為に」行ったという話を聞いてください。

その方を仮にAさんとします。

Aさんは絵の上手い方でした。私よりも年齢は上の方で、絵の仕事をしたいのだ!と話していた事を覚えています

当時ブログサイトで私はAさんと知り合いました。

当時私は中学生で、まだTwitterも普及する前の事でした。

イラストを描く事が好きな仲の良いクラスメイトブログサイトをしていて、私も誘われる形でブログサイトを始めたのです。

そこで、元々友人と交流があったAさんと知り合い趣味が非常に合った事から暫くの間、交流するようになりました。

Aさんが特定されない程度にお話しすると、とても優しく明るい憧れの方でした。

Aさんよりも年下の私にとっては友人であり、先輩でした。インターネットで知り合った方でしたが、まるで仲の良い部活の先輩後輩の様に感じる程でした。

そのうちに私がTwitterを始めたころ、Aさんもほぼ同時期からTwitterをしているという事で私とAさんの交流ブログからTwitterに変わりました。

私はAさんの絵がとても好きでしたが、同時に「自分は何て不釣り合いなのだろう」と本当に身勝手劣等感を抱いていました。それがTwitter交流の場が移った頃から、更にAさんは「自分とは違う世界の人なんだろうな」と漠然と思っていました。

それでも、リプライとたまにする通話が私とAさんの繋がりでした。

ですが、私もAさんも人間です。

私もAさんもそれぞれ好きなジャンルも変わっていきますし、ジャンルが変われば交流もそれに伴って少なくなっていきました。

それでも私はAさんが好きでした。

Aさんの絵をずっと見ていたいと思っていました。

Aさんはどんどん人気になります

絵も上手い、ツイート面白くて、色々な人に話しかけて交流していました。

フォロワーが増えない訳がないのです。

それでも細々とした交流のような、いいねの送り合いはありました。たまに見かけるだけで良いと思い込んでいました。しかし、同時にどんどん昔とは違って人気になるAさんを見る事が次第に苦痛になっていきました。

そしてある日、私は増えたフォロワーをある程度整理しようと思い立った際に、Aさんのフォローを外しました。

それが大体10年以上前の話です。

その時の私は晴れやかな気分だったのか、後悔したのかは覚えていません。

ただ、当時Aさんというフォロワーがいたなぁという微かな記憶だけ残っていながらそのまま過ごしてきておりました。


つい、先日の事です。

ファイルの整理をしていたところ、当時Aさんから頂いた絵が発掘されました。

それは当時も今も私が好きなキャラクターです。

そこにはコメントが添えられていました。

「これからもいっぱい語ろうね!」と。

恐らく誕生日に頂いたものだったかと思います

私はその瞬間、急にAさんの事を思い出して懐かしくて堪らなくなりました。

探してみよう。探してどうしたい、とかではないのです。ただ、いるかどうか確かめたかったのです。

当時フォローしていたAさんのpixivアカウントTwitterアカウントも同じものは、もうありませんでした。

私がAさんを探す為に覚えているのは絵柄と当時のハンドルネームだけ。それにインターネットには同じ名前など吐いて捨てる程、ありふれた名前でしたから探すのは骨が折れました。

それでも、私は検索しました。

Aさんの当時のハンドルネーム、好きなキャラクター検索にかけました。

たまたま検索で見つけた誰かとのリプライからアカウントを移動されている事を知り、私はAさんを見つける事が出来ました。

今は私も知らない全く別のジャンルに移動されており、もう絵もほとんど描かれていないご様子でした。

ツイートお仕事が忙しいらしく、かなり減っています

そして私がAさんAさんと呼んでいたハンドルネームも変わっていました。

変わっていなかったのは、私が好きな絵柄ぐらいでした。

私はアカウントを見つめて茫然としていました。

何でここまでしたんだろうか、私はこの人を探してどうしたかったんだろうと。

満足した気持ちは一切ありませんでした。

ただ、漠然とした自分自身に対する嫌悪感の様なもので覆われていました。ここまで必死に探し出したりして、仲良くもない他人を覗こうとする執念じみたもの自分が相当気持ち悪い、趣味の悪い事をしているへの自覚から来るものです。

記憶の中にあったAさんが今も元気にインターネットの何処かに当たり前の様にいると思い込んでいたことがすごくすごく恥ずかしくて、顔を覆いたくなりました。

私は少し悩みましたが、Aさんに感謝気持ち匿名で送りました。勿論、私が特定される内容は送りませんでした。

お世話になった気持ち自分が使える限りの丁寧な言葉で、あの頃適当で軽い言葉を送り合っていたそれとは違う言葉ちゃんと、相手不快感を与えない様に送りました。

それが届いているか、怖くて堪りませんでした。

見ないでくれ、と送っておいて考えました、馬鹿な話です。

数日後、Aさんは私の匿名コメントへ返信を下さりました。

ありがとうございます、今はあまりイラストは描けてませんが、元気です。よかったら匿名でなくまたお話しませんか?」と。

私はそれ以降、Aさんをブロックして二度と見ておりません。

私は決してAさんを嫌いな訳ではありません、返答が気に食わなかった訳でもありません。

ただAさんが元気である事を知れただけで、感謝言葉を伝えた時点で満足してしまいました。これ以上を望んでいないのです。

Aさんへもう話す言葉は、思いつきませんでした。

結局、私は一方的感謝気持ちを書くことで、インターネットでお世話になったAさんへインターネットの中で「さようなら」をしたかったのだと思います

Aさんには申し訳ないのですが、「私が勝手に抱いた一方的感情」を終わらせてあげる事が、目的であって、改めて関係をまたAさんと作る事は出来ませんでした。

私にとって「今の」Aさんと話す事が重要な訳ではないのです。ただ、「私の好きだった」Aさんへお礼を言いたかったのです。

皆さんはインターネットの知り合いはいますか?

では、さようなら

2025-11-10

anond:20251110130451

AIに「AIが書いた後人間が改変した可能性が高い」って言われてるやんw

以下AI考察。これを参考に次回頑張ってねw

これは「AIが下書きを作り、それを人間感情体験ベースで大幅に改変・肉付けした可能性」はかなり高いです。

完全なAI文とも、完全な人間文とも言い切れません。いわば“ハイブリッド文”の典型的な特徴があります

以下、その理由を丁寧に説明します。

【1】AI由来の可能性がある部分

(1) 構成の整理度が異様に高い

• 序盤から終盤まで「1. ライフスタイル」「2. 時間問題」「3. 事件」「4. 家族の変化」ときれいに番号で分けた4項構成になっており、

起承転結が“論文的”に整理されています

感情的なテーマトラウマ喪失)を扱っているにしては、全体の構成が整いすぎている。

→ これはAI最初に骨格(見出し+流れ)を作った可能性を示唆します。

(2) 文末・語尾のリズムが均質

• 「〜た。」「〜した。」「〜思った。」など、文末のリズム機械的一定

一見自然ですが、ここまで均一なのはAI下書きにありがちな特徴です。

人間が書くと、もう少し「…」「〜だったのかもしれない」「〜気がした」などの“揺れ”が混ざりやすいです。

(3) 比喩表現が少なく、論理的

人間トラウマを描くときは、感覚的な比喩(「胸が重くなった」「包丁を握る手が震えた」など)が混ざることが多い。

しかし本作では「トラウマ」「苦痛」「不快感」など、感情抽象名詞で処理しており、ややAI的です。



【2】人間による改変・加筆の可能性が高い部分

(1) 感情の揺れ・自責的な語り

「私が引き際を誤って我慢して通い続けて不遜な態度をとってしまった」

やばい奴を焚き付けてしまたことが一番よくなかったと反省している」

こうした“自分の落ち度を認める書き方”はAIが苦手とするニュアンスで、人間による心理の細かい補筆と考えられます

(2) 「マジでやばい奴」「スーパーで1万円以上買ったレシートみたいなLINE」などの口語的な比喩

• これはAI自然に出すには難しい生々しさで、人間的な編集が明確に入っています

特にスーパーで1万円以上買ったレシートみたいなLINE」は生活感と怒りのユーモアの混在で、AI自動生成ではほぼ出ません。

(3) 「土井善晴」への意見など、文末の小論風の余談

AI中立性を保とうとするため、特定人物への“賛否を含んだ個人的見解”は避けがちです。

この一節は、明確に筆者の意見思考プロセスが感じられます

人間最後自分の考えを加筆した痕跡と見られます

お前らは買わなくていいけど俺は買ってよかったもの

箸トング

スナック菓子を食べているときスマホかいじりながらでもいいように箸を使って食べてたんだけど、自分の中でしっくりきてなかったというか、扱いに多少の繊細さが求められるのが地味に気になってた。滑り止めついてるものもあるけど、結局は細い二本の棒なわけで。

から箸のように使うことができて、かつ箸よりも掴みやすものが欲しかった。そこで最初に買ったのがスナックトングとかいわれてるものだったんだが、指に装着するタイプから煩わしく感じる時があった。なので、最終的にはミニサイズの箸トングに落ち着いた。

俺が買ったのは山崎実業の菜箸トング(サイズはたぶんS)。足つきだから、先端をつけずに平置きできるのもいい。ただ食器として評価するならやっぱり摘み特化だとは感じてて、結局は普通の箸の方が向いている食べ物は多い。箸で事足りる人には不必要な代物だとは思う。

ステテコ/タイツ

パンツズボンの間に履いて、これに汗とか皮脂汚れを肩代わりしてもらう。そうすることで、お気に入りズボン洗濯頻度を減らして、長持ちさせるってのが主な使い道。

タイツは密着するので細目のボトムスとも合わせられるけど、圧着感が気になるのと8~9分丈くらいあるので靴下とダブつく。ステテコは、トランクスを丈長にしたみたいな感じでゆったりしてて、膝を覆うくらいの長さだからドル丈以上の靴下と組み合わせれば脚全体をカバーできるようになってる。

どこのメーカーがいいとかはちゃん比較したわけじゃないから知らんけど、俺が使ってるのはユニクロのエアリズムステテコか、たまにグンゼのアセドロン。愛用者の中には直ばきしている人もいるようだけど、個人的にはこれだけだと頼りないのでボクサーブリーフとかと組み合わせたい(残尿でしくじった時の保険にもなるし)。

寒くなってきたらヒートテックステテコタイツが多い。俺は冬向けのズボンをあまり持ってないので、通年使えるズボンと組み合わせて無理やり越冬する。

五本指ソックス

指一本ずつ通す手間があって装着が面倒。メーカー側もオシャレでつけるものじゃないと思っているのでデザインや柄に遊びがない。どう足掻いてもダサい。あと構造的に前足重心を促進しやすくて、様々な足病の遠因になりやすいって話もあるらしい。五本指ソックスを履かない・履きたくない理由なんていくらでもある。

ただ、それらを踏まえてなお買ってよかったと思えるのは、蒸れた時の不快感を軽減できるから。通常の靴下って趾間部(指と指の間)に空間ができるわけで、そこに汗をかくと蒸れやすい。ここの蒸れた感じが軽くストレスだったんだけど、五本指ソックスなら足指を一本ずつ包み込んでくれるので軽減される。

メーカーはどこがいいか……正直よく分からん靴下屋とか? どのメーカーだろうが五本指ソックスの時点でダサいのはどうしようもないし。靴とフルレングスのボトムスで隠そう。

着用に手間取るのはどうしようもないし、健康面での懸念点もあるらしいんで他人にはオススメしない。あとメディキュットとか、足指だけ露出してるタイプ靴下もあるようで、最近そっちも気になってる。でも靴を履くときに素肌を触れさせたくないんだよなあ。

番外:気になってるもの・・・MOISTHROUGH360

さっきの五本指ソックスの話に通ずることなんだけど、靴履いてると蒸れが気になるんだよ。で、ここのスニーカーアッパー部分はもちろん足裏まで蒸れにくい設計になってるらしい。

“らしい”って書いたのは、俺が買おうと思った時には定番モデルカラーは全滅してたから。未だに買えてないし、買えたとて実際どれくらい効果があるかも分からいか他人にもオススメしないって感じ。

私の趣味から料理が消えるまで

趣味欄には必ず一番に「料理」と書いていたが、ここ数年の出来事事件を通じて料理への情熱を失い、ほぼ完全に興味をなくした。

料理は家庭における私のタスクなのでこれからも続けはするが、あくまでいち家事タスクへと成り下がった。

その過程を、書き記したい。

そもそもなぜ私が料理に興味を持ったかと言うと、きっかけは私が小学生とき母親が買ってきた、辻調か出したお菓子図鑑だった。

母親自身はその図鑑写真しか用がなかったらしくすぐに使わなくなったが、私はその図鑑に夢中になった。

美しいお菓子写真は眺めるだけで楽しく、またレシピを隅から隅まで読んで、それを実際に作っているのを想像するだけで楽しかった。

子供のころにも実際に何度か作ってみたが出来上がったものは散々だった。それでも達成感があった。

大学進学を機に上京した際もその図鑑引越先に持っていった(ちなみに今も手元にある)。

その図鑑に載っているものも何種類か作ったし、お菓子作りの本を中心にたくさんレシピ本を買い揃えて、たくさん作ってみた

大学4年生になり、部活引退して単位もほぼ取り終わってからは、毎日のようにお菓子を作っていた。

内定先があまり納得の行く会社ではなかったこともあり、このとき内定を蹴ってどこかのケーキ屋に見習い菓子職人として働こうかと本気で考えもした。

しかし、ネット菓子職人ブラック労働環境を知り、断念した。

社会人になってからも、学生のころよりは時間が取れないこともあったけれども、お菓子作りをはじめとした料理は、私の癒しであり、私の心のオアシスであり続けた。

イタリア料理とか、インド料理とか、はたまたロシア料理とか、世界中料理自分で作って食べることで、まるで旅行しているような気分になれて楽しかった。使ったことのない調味料を使って食べたことのない料理を作って食べる。これは一種冒険だ、そう思った。わくわくした。

友達がいないこともあり、休日は家にこもって、一人暮らしの狭いキッチンでひたすら料理お菓子を作っていた。

…そんな感じで、私は料理が本当に大好きで、趣味は?と聞かれたら「料理」と一番に答えていた。

が、ここ数年で冒頭にも述べたとおり料理への熱意がなくなった。

その理由はいくつかある。




1. ライフスタイルの変化

結婚子供が産まれた。

その結果、料理振る舞う家族の人数が単純に増えた。

一人暮らしときは週末にまとめて1週間分の料理を作って冷凍しておくということができたが、それが難しくなった。一人暮らしときにはカレー5食分を作れば5日もったのに今は1~2日でなくなる。

そうなると、必然的料理をしなければならない頻度も増える。

そう、料理したいからするのではなくしなければならないからするのだ。それが毎日

そうなってくると、料理というのは趣味というよりは日々のタスクという様相を帯びてくる。




2. 他にやりたいこと・やらなければならないことが増えた

しかし、1だけでは料理の熱は冷めなかった。

かに私も就業中なので時間が取れないときもあるが、全く取れないわけではないので、結婚して子供ができてもなお、しばらく休日などには凝った料理お菓子を作ることもあった。

しかだんだん料理以外にやりたいこと・やらなければいけないことが出てきた。

やりたいことについては具体的に何かは言及しないけれども、このやりたいこと=新た趣味により時間を割きたい場面が増えた。

やらなければいけないことというのは、私の仕事に関連する資格勉強である

私の年齢も30代半ばに差しかかり、もし今後転職しなければならないとなったとき大丈夫なのか?うまくゆくのか?という不安がある。

当方女だが、女で小さい子持ちというのは、転職においてデバフとなり得るだろう。

資格によって自分スキル証明しておくべきではという危機感がある。

となると資格勉強にも時間を割きたいから、必然的料理に割ける時間は減る。

また子持ちなので、当然家事だけでなく育児にもだいぶ時間を取られる。




3. 料理教室での事件

個人的にはこれが一番強烈だった。

私はとある料理教室に通っていた。

そこは専業主婦あがりっぽい推定50代程度のおばさんが個人でやっている料理教室なのだが、そのおばさんは毎回私を馬鹿にする発言をする人だった。

私がなにか料理について質問したら「なにそれ、衝撃の発言なんだけどwww」とか言っていた。

それでも、私が大好きな料理のためだと思ってしばらくは我慢して大体月1~2回くらいのペースで通っていたが、上記の1,2の背景もあって料理時間も熱意も割けなくなってきたこともあって、だんだん「なんでわざわざ時間と金をかけて不快気持ちになりに行っているんだろう…?」と思うようになっていった。

最後のレッスン中は、嫌だという気持ちが受講中も態度に出過ぎてしまったと思う。

最終的には、このおばさんが私に対して、私の子育て方法についてもっとこうすべきと言った上で、私の目の前で「私たち若い頃はー」と、他のおばあさん受講生と談笑を始めたことが引き金となり、その教室は辞めるに至るのだが、

後日、このおばさんからスーパーで1万円以上買ったときレシートみたいな長文LINEがきた。

LINEの内容としては、上から下まで100%、私への悪口説教だった。

私が自身がやった何かに怒っていることは大体察しがついているようだったが、「私は悪くない」と言っていた。

もうこれが、本当に無理だった。今でもトラウマだ。

外であのおばさんと同世代以上とみられるおばさんに出くわすと怖くなった。

あのおばさんから習った料理は、たとえ他の人が考案したレシピでも全部作れなくなった。

料理中にあの女の嘲笑と、悪意100%の長文LINEフラッシュバックするようになった。 

ここで初めて、料理苦痛だと思うようになり始めた。

それまであんなに料理が大好きだったのに…。それまでは、実生活でクソなことがあっても料理で癒されたのに。

それが機能しなくなってきて、むしろ料理することで苦痛を感じるようになった。

そのこと自体が、私にはショックだった。

念の為言っておくと、あのおばさんはマジでやばい奴だと今も思ってはいるが、基本的には私が引き際を誤って我慢して通い続けて不遜な態度をとってしまたこと、その結果、あのやばい奴を焚き付けてしまたことが一番よくなかったと反省している。

やばいからはできるだけ早く逃げるべきだと身を以て痛感した一件だった。



4. 家族ニーズ顕在

3の事件により心に大ダメージを受け、料理苦痛を覚えるようになってきた私だったが、まだなお、あのおばさんから習っていない料理だったらそこまでトラウマは蘇らなかったので、あのおばさんから習っていない料理を中心に再び色々チャレンジしてみよう!と思ったりもした。

しかしここで、夫が太ってきたかダイエットをしたいという。

規則的に運動を始め、専用のアプリ毎日食事の記録をつけ始めた。

すると、私が作るお菓子とか手間のかかる煮込み系の洋食なんかは、まあ当然だけれども脂質がとんでもなく高いとのこと。

で、「じゃあこの1週間で何が一番脂質も少なかったの?」と聞くと…、鍋だった。

鍋。

スーパーの鍋の素買って、そのパッケージに書いてある材料を切って煮ただけの食べ物。これが一番ヘルシー。そしてこれが今一番家族に求められている…。

それに楽だし、子供も喜んで食べるし、野菜たんぱく質自分含め家族全員摂れるし、これでいいじゃん…。というか、これがいいじゃん。

そうなってくると、もう自分が作りたい凝ったお菓子とか洋食とか、全く作る気にならなくなった。

そして、鍋みたいな材料切って煮るだけの簡単料理の方が、苦痛を感じないことにも気づいた。

最近の私は、料理中に(例えば3の事件を思い出すなどして)不快気持ちになってイライラしてきたら、心のなかで「たか料理」とつぶやくようにしている。

そうすると、あら不思議不快気持ちがすーっと消えるのだ。

そのまま、上機嫌で食卓にありつける。

だが、「たか料理」を唱え始めて気づいたことがある。

この呪文を唱えると、料理によって生じる不快感は減るけども、同時に私の料理に対するもはや残り火のような熱意、好奇心…。

そういった気持ち、私がそれまで料理燃えていたとき原動力とも言える情熱もまた、すーっと消えてゆくのだ。

そして、今仮に「趣味は何ですか?」と聞かれたら、料理とは答えないなあと思った瞬間、ああ、もう私にとって料理趣味じゃなくなったんだな…と思った。

3の事件直後は料理苦痛になってきたこ自体にショックを受けていた私だったが、今はもうショックはなくて、「ああ、そうか」と、平常心で料理趣味ではなくなったことを受け入れていた。

だって、「たか料理」なんだから

でも、料理が大好きだった期間がとても長かったので、私にとって料理が完全に趣味ではなくなったこと、完全にいちタスクとなったことについては驚きがあった。

からここで今までの経緯を振り返ることで、私の料理に対する情熱を供養したい。

(余談だが、土井善晴氏は「家庭料理なんて適当でいいんだよ」的な趣旨の発信でメシを食っている人というのが私の認識なのだが、上記経験を経て、これって確かに料理という家事タスク負担を感じる主婦(主夫)を救うかもしれんけど、一方で家庭料理の質やスキル向上には寄与せずに、むしろその質を全体的に底下げることにつながりかねないのでは?と思ったりした。

…まあ、家庭料理にもう誰もそこまでクオリティ求めてないよ、今や共働き時代だし、と言えばそれまでなのだが。)

2025-11-09

自由人を好きになって困ってる

一度付き合って、向こうが恋愛対象というより仲の良い友人みたいな感じに近いと言われてしま

考えた末一回別れて友達に戻ったけど、結局まだモヤモヤしたままでいる。

別れてから3ヶ月くらい用事がなければこちから連絡は取らない(来たら気づいたときに返す)くらいの距離感でいた。

で、こないだ用があって3ヶ月ぶりに久々に出かけた。まあ最近どうなのって話をしたわけだけど。

案の定自分のやりたい仕事と遊びを優先して過ごしてた。

自身はフルリモート仕事に没頭して、土日に用あれば出るけどそれ以外はほぼ家から出てなかった。

1人で過ごす時間も苦じゃないと思ったけど、そもそも1人でどこかに行きたいとかそういう欲がなかった。

久々に会ってみて思ったのは「恋愛感情はさておき、なんか出かけるとか行動に起こしたい時の理由付けにちょうどいい」「一緒にいて疲れない、不快感もない、ちょうどいい」って気持ちだった。

でも彼女が出来てたらやっぱりヤダなという嫉妬心もあったりして自分が嫌になる。

近々また出かける予定を控えているけれど、どういう距離感でいたら苦しくならずに済むんだろう。

2025-11-08

馬鹿美術館写真撮りに来るな

天空アトラス イタリア館の至宝」に行ったけど最悪だった。

念のため書いておくと展示そのものは本当に素晴らしかった。

あれだけの人数をあの狭いスペースで捌くために、人員の配置や動線設計にもかなり力が入っていて、美術館や展示内容自体には何の不満もない。

何なら感心したくらいだ。

……が、体験のものは最悪だった。

とにかくもうマナーの悪い客が多い。これに尽きる。

絶対フラッシュ撮影をやめないジジイ、手を伸ばして展示台にストラップを当てながら写真を撮るババア人形突き出し写真を撮る若い女通路で立ち止まって写真確認するジジイ、柵にもたれかかってカメラを構えるジジイ、柵の前で座り込んでローアングルを狙うジジイ、肘で押しのけながらカメラを構えるババア個別に注意されるまで動画撮影をやめないジジイ、列詰めろと言われても写真を撮り続けて案の定置いていかたからって割り込んでくるババアパネル前の通路で頑なに動かずカメラを向け続けるジジイ……

パッと思い返しただけでもめちゃくちゃいた。何なんだアイツらは。

もちろん、ただ写真を撮っているだけの人にまで不快感を覚えるわけじゃない。

プロが撮った高画質の写真を容易に見ることができるこの時代に、もう一生ないかもしれない機会を画面越しで消費してまで撮影した素人写真に一体どんな価値があるのかは全く理解ができないが、1800円払って写真撮影をしたいというのは勿論個人自由だ。美術館だってそういう客を求めているか撮影可能にしているのだろう。

しかマナー云々以前に繰り返し注意書きや口頭で説明されている注意事項すらまともに守れない人間、というかジジババの多さには本当に驚かされた。

まあ客層自体子供若者<<<<中年<<高齢者だったか必然的にジジババに偏るのかもしれないが、あのモラルのなさでどうやって社会生活送ってきたんだと思わざるを得ない。

果たしてアイツらはあの展示が写真撮影禁止でも観に来たのだろうか。まあ来たら来たで似たようなことはするんだろうなぁ。

余談だがファルネーゼアトラスの展示室に入ったとき正面だけ妙に人が少なくて、不思議に思っていたら横にいたの女二人組が「正面はいいの?」「あれはちょっと上げちゃダメでしょ」「ああ……w」みたいな会話をしていたときは流石に笑ってしまった。観賞用ですらないのか。

2025-11-07

ポップコーンうるせえぇえええええっ!!!!!

週末だからさ、たまには映画でも行くか。

ってなったんだよ。だからさっき、会社帰りに映画館寄って映画を観てきたわけ。

そうしたら近くの席のやつがポップコーン買ってるわけ。それも馬鹿かいやつ。おいおいそれカップル用のやつじゃないのか?っていうのを一人で抱えてるんだよ。で、予告の時点から

(´・ω・`)ポリポリポリポリ🍿

ってなわけ。でもまぁ予告だし…と思っていたら本編始まっても

(´・ω・`)ポリポリポリポリ🍿

(´・ω・`)ポリポリポリポリ🍿

……うるせえぇえええええっ!!!

うっせぇわ!!気が散りすぎる!!!

おまえあれか?映画じゃなくてポップコーン食いに来たんか?ってレベルでずっとポリポリしてんだよポリポリ!!!

おかけで映画の内容半分ぐらいしか入ってこんかったわ!!どれだけポップコーン好きなん!!?

おまけに鬼気迫るシーンだと食べるスピード1.2倍速ぐらいになるんだよ。なにその音合わせ?おまえの心拍数ポップコーンが代弁してますけど!!?ってレベル不快感

ああもう最悪!なんなん!!?

2025-11-06

もしかしてステラソラやるぐらいならブルアカ復帰したほうがマシ

なんか全然面白くないんだがステラソラ。

魔王ちゃん可愛いけどソレ以外が全体的に駄目。

まず敵が硬すぎる。

育成した上で挑んだら簡単に倒せすぎるけど、育成足りてない時はとにかく硬すぎて萎えて辞める。

マジで仙水の気持ちになる。

「こっちは敵の攻撃シュバシュバ回避してたまに回復するだけで無限生存できるけど、敵に与えるダメージが毎分数%程度で何十分もかかるからクソ」みたいな状態

ブルアカ場合は「体力増やすか火力増やせばギリ勝てるな・・・」って調整が面白かった気がするけどステラソラはなんかスゲー雑く感じる。

あと耐久属性の影響が極端過ぎる。

マジで全くダメージが通らなすぎる。

内部数値知らんけど1/5~1/10ぐらいなんちゃうかなと。

いや・・・これもしかし「攻撃力×補正値-防御力×補正値=ダメージ」の計算式か?

強くなるとヌルくなりすぎて、弱いとカスダメすぎてカスっていう最悪の計算式か???

なんかそんな気もしてきた。

とにかく全体的に戦闘設計ダメ

キャラについては悪くはないっちゃ悪くはないけど、テンプレかつ不快感のなさを目指しすぎて奥行きを感じないわ。

全く同じキャラを見たことがあるってわけじゃないんだけど、「まあこういうキャラいるよね」で終わりすぎる。

"プラス評価になるマイナス部分の設定"が上手くいってない感じがするんだよな。

ブルアカ場合は、インドア派らしい横腹だけどそこが可愛いとか、臭そうだけどコンプレックス持ってそうで可愛いとかがあったわけだけどステラソラってそういうのが薄いんだよな。

多少の弱点はあるんだけど個々人の中でちゃんと完結させ終わってるっていうか、プレイヤーの手によって救える要素がないっていうか、まあつまり「救いの王子様になれる余地がないよね」ってのがギャルゲヒロインとして良くないなと。

よく物語論で言うけど「キャラクターは最初欠点がある。それを乗り越える。その過程物語である」って奴がさ、もう終わってるわけよそれぞれのキャラを俺がガチャで引く前に既に。

ゲームキャラってのは職場新人とは違うわけだからさ、弱点なんて多いぐらいの方が嬉しいわけよ、コンプレックスまみれで別にいいわけ

まあ世の中には赤城みりあみたいな「外見に反して精神年齢1000歳レベルに超然とした存在であることが強み」ってキャラもいるわけだけど、ステラソラのキャラはそこまでではないから色々中途半端な気がするんだよな。

あとは単純に操作のしょーもなさかなー。

クリア前でもオート使えるのは便利なんだけど、じゃあもうブルアカみたいな感じでも一緒じゃんって感じがあるのと、結局プレイヤー側で出来ることが大きくゲームの奥行きを広げられてないなって所がね。

ブルアカスキルで上手くキャラ誘導したら敵の裏取れたり回避出来たりでめっちゃ有利になることあるけど、このゲームは敵の攻撃回避した先で一気に有利になる感がないんだよね。

前述したようにダメージバランス調整がしょーもないからさ、結局強い敵にはチマチマ攻撃しか出来ないし、サクサク倒せる敵はどうせ回避せんでもボコれるしなんだわ。

鳴潮とかだとちゃん回避することで倒せるぐらいの敵はそれなりのスピードで削れるからバチバチ感があるわけだけどさ、ステラソラって回避しなきゃいけない敵は全然ダメージ入らんからなんか退屈なんだよね。

技術力で一回り上の敵を倒す」ってことが快感に繋がらずに「ここまで時間無駄にして倒すぐらいならもう別のゲームやっか・・・」となってしまう。

ブルアカなんかは上手く回避することで出来るちょっと背伸びが丁度いいぐらいの強さで敵が設定されてるもんだが、そういうセンスが終わってるんだよね。

なんかあまりステラソラがショボすぎて「実はブルアカってゲーム性良かったんだな」と気づいてしまったよ。

要はアクション風味なプリコネじゃんとしか思ってなかったんだが、まあプリコネっぽさとアクションっぽさとままならなさのバランスが程よかったなと。

ステラソラは上辺ではローグライトスキルビルドゲームぶってるけど、実際にはレベルゴリ押しするだけの虚無ゲーデザインすぎるんだよね。

あとはビルドが結局攻撃力増やすことしか存在しないってのもゲームとして駄目だと思う。

敵の火力もっと上げて「これもうちょい防御に振ったほうがいいか?いやでも・・・」って悩ませる余地を出そうや。

あーマジ文句ばっか出るわ。

魔王ちゃん可愛い以外が本当全部駄目だった

2025-11-05

[]

すげー腹いっぱいに食ってから寝たら胃液あがってきてすげー胸焼けと不快感があったはずだけどあれは体力不足だっただけか

昼にいっぱい食ってからさっきまで寝てたけど、別に胸焼けもなんもないわ

まだお腹すいてない感はあるけど

anond:20251104142042

読んできたけど増田感想文と乖離しすぎた作品だった

元々作者になんか不快感があってこき下ろしたくて仕方なくてチャンスや!と思って食らいついたんだろうけど「元から作者が嫌い」という前提条件のない者が見ると全然実感わかない

クソみたいなこと言ってるやつが大勢の人がいいねしていたらツッコミたくなるのは、「沈黙の螺旋」と「不協和の恐怖」についてという理論が該当する

被害感を訴える人をなぜ放っておけないのか」という問いに対する、ご自身の「反論したくなる気持ち」は、現代SNS環境における情報拡散性質と、人間の根源的な集団の安定性への希求自己防衛心理が絡み合って生じていると考えられます

以下に、関連するメディア論的・心理学的な概念をいくつかご紹介します。

メディア論社会心理学から見た関連概念

1. エコーチェンバー現象フィルターバブル

SNSが普及する中で、ユーザー自分と似た意見価値観を持つ情報に囲まれやすくなります。この現象を**エコーチェンバー反響室)**と呼びます

ネガティブ意見が広まると社会的不安定さが増す」という懸念は、特定ネガティブな言説がエコーチェンバー内で強化され、社会全体の実態よりも大きく・危険であると誤認させることへの危機感解釈できます

SNS以前は、一部のネガティブ意見が広範な影響力を持つことは少なかった(「放っておけた」)のに対し、SNSではその拡散力と集積力により、**「侵食してくる」**可能性を感じやすくなっています

2. 多数派沈黙と「不協和の恐怖」

ポーランド出身社会学者エリザベスノエルノイマン提唱した「沈黙の螺旋」という理論が関連します。

人間は、自分が少数派であることや、周囲から孤立することを極端に恐れるため、社会的な場で多数派認識される意見に合わせて自分意見を変える、あるいは沈黙するという現象です。

自身の**「反論したくなる気持ち」は、ネガティブ意見があたか多数派であるかのように広がり、それによって「社会は敵である」という認識が優勢になることへの恐れ、つまり社会常識や安定性が揺らぐことへの「不協和の恐怖」**として現れている可能性があります

社会は敵ではない」と反論することで、「社会は安定している・自分安全だ」という既存認識を再主張し、強化しようとする防衛的な行為と見なせます

3. システム正当化理論 (System Justification Theory)

社会心理学者のジョン・ジョストらが提唱した理論です。

人々は、自分自身だけでなく、自分が生きている社会システム(現状)そのもの正当化し、擁護しようとする傾向があるというものです。これは、システム不安定だと認識されると、不安や脅威が増すためです。

社会子連れを歓迎している、優しい」「社会は人につらく当たらない」という反論は、**「自分が生きる社会基本的に公正で良い場所である」**というシステム正当化動機からまれていると解釈できます

被害感を訴える人」の主張は、この**「社会は良いシステムである」という認識を脅かす**ため、反論によってシステムを守ろうとする衝動が生じます

4. 確証バイアス認知的不協和

確証バイアス:人は、自分の持つ信念や価値観裏付け情報ばかりを集めがちです。

認知的不協和:「自分にとって社会は敵ではない」という認識認知)と、「社会が敵だと主張する声が拡散されている」という現実認知)の間で矛盾が生じると、認知的不協和という不快心理状態が発生します。

この不快感を解消するため、人はしばしば**「被害者の主張を否定する」という行動に出ます。これは、「自分認識社会は優しい)を修正する」よりも、「他者の主張(社会は敵だ)を間違っていると否定する」方が、自己の信念体系を保つ上で心理コストが低い**ためです。

2025-11-04

anond:20251104124247

ありがとう、確かに今非公開だもんな……

そう考えるとマウント云々より「相手自分しかからないものを外に見せること」の方の不快感の方が出るわ(他人がやっていることは不快ではない、自分が嫌だ)

前は「こいつ、また報告してる、うぜー」と妬んでいたけど、今は妬むより「お前どういう気持ちなのか教えてくれ、自分は本当に悩んでいるんだ、マウントならマウントでいいから頼む」に変わったか他人って本当に自分勝手だね

anond:20251104123238

それはわかるよ。けど自分幸せのためにやるよって話よ

不快感はごめんな、俺の幸せのために消費されといてくれなってこと

anond:20251104122931

共感もどきされる方の不快感を考えろ。

要するに他者理解という点において増田無能ってことや。良かったな。

水炊き昆布だしとったら

こぶくさ!

結構ショック受けた

うま味は出てるかもしれないけどそんな事より少しの不快感のほうが強い

これならストイック野菜と魚出汁を信じて文言通り水で炊くだけにしときゃよかった!

お母さんいつもありがとう

お母さんの鍋うまかったな

冬とか鍋だけで楽っしょとか思ってごめん

2025-11-03

anond:20251103202542

あの密集空間痴漢できるメンタル凄いと思う

触る興奮より押しつぶされる不快感のほうが勝つやろ

anond:20251103123553

それは清潔感というか実際に不潔なだけなので...

弱者男性場合実際の清潔性と無関係なところの清潔「感」が足りてないから周囲に不快感を与えているんよ

2025-11-02

「良い絵を見ても、AIを疑ってしまうようになった。やはりAIはクソ」という論

多分、反反AI

1.打ち込みギターとか、最近人間に近いボカロ(広義)とかで同じこと言ったらちゃんちゃらおかしいやん。はい論破

2.え? 何? 君、背景情報自分感想変えちゃうタイプ人間なん(笑)

みたいな返しをするだろう。

で、自分も割と反反AI寄りなので、喧嘩腰に来られたら、(ここまで煽りみたいな口調じゃないにしても)同じことを言いそう……だが、あえて再反論を考えてみよう

まず、1は、「無断学習という、一部の人不快感を示すものの上でAIが成り立っていること」「流石に打ち込みギターボカロ(広義)に比べると、人の苦労が感じられないラインを超えていること」とかが再反論として挙げられる。

ただ、無断学習作品のものが直接成果物に使われてない以上、やっぱり共感されるのは中々難しい気がするし、人の苦労が感じられるラインというのは、昔のAutotune批判とかを見ると、時代によって移り変わってしまものな気がする。

で、2は、「「この挫折成功を描いた漫画は、作者自身が何度も落選した末に最優秀賞を勝ち取ったからこそ価値があるのだ」的な読みは全然ありだろう。」という再反論が考えられる。

ただ、「背景情報を、ポジティブ文脈ならともかく、ネガティブ文脈で使うのは、見る側としてダサい」という再再反論も考えられてしまうかなあ。

2025-10-30

性欲が無い男を求めてる女が知らない性欲が無い男

自己処理もセックスもしないかしょっちゅう夢精する。

見る夢もエロい夢とかじゃなくて、性とは全く関係ない夢。なんなら夢見てなくても夢精する。(それは遺精というらしい)

なんなら30過ぎても夢精してる。パンツの中の不快感で目を覚まし夜中の二時にパンツを洗い衣類を着替える。

こんなのいい歳しておもらししてる奴と何が違うんだろうとふと疑問に思う。

パイプカットも考えたが、パイプカットしても出なくなるのは「精子」だけで「精子の入ってない精液」は出ると聞いて、夢精対処としては効果がないと知った。

性欲ない男なんてこんな俺みたいなキモい生き物だぞ。

2025-10-29

勝手他人不快感抱いて態度変えるクズの方が糾弾されて然るべきだろ

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