はてなキーワード: 行為とは
https://note.com/hima_kuuhaku/n/nb1bdf94871c6
トレーダーなおもそうだけど
なんでこう言う口悪い系のやつって
「暗黙の同意」がもんだいなのは、それが言語的に同意内容を限定できないことだ(したがって、後出しで言い訳がいくらでも可能)。しかし、それは何らかの行為を依然として束縛している・いた。
たとえば、あなたが友人の家に招かれる、椅子に座る、友人は何も言わない。「椅子に座る」ことは同意されているとみなされる。では、冷蔵庫を開けて勝手に物を食べることは?友人のベッドに寝そべることは?友人の妻とセックスをすることは?
「行為」に同意していたかどうかで責任が問われることがある。偽医師に「診察」された場合、犯罪とされるのは、「詐欺的な情報」に基づいて「処置」されたからなのか、それだけでなく、診察への同意の無効も理由になるからなのか。
ある文脈ではある行為が「強要に基づくもの」とされ、別の文脈では同意があるとされるかもしれない。これは、「同意しなかった」の真理は文脈によって変わりうる真理相対主義の主張ではない。「私の下に豚がいる」が別の人の視点では「上にいる」ことが真になるように、文脈において同意の意味をめぐる交渉によってその有無が変わりうるという意味だ。
ストリーマーとの接触とか最大級のNG行為なのに普通にあるから、質の低いよりの地下アイドルみたいなもん。
YouTuber界隈は感覚麻痺してるけど、ストリーマーってホストとか若手の劇団、芸人、バンドマンみたいな界隈と同列
ケガレっすわ
それがアイドルの真似事してるとか悪貨もいいところ
違法じゃない「白バス(自家用自動車)」とは、対価(運賃)を得ずに無償で、自社スタッフや関係者(ホテル、学校、スポーツチーム等)を送迎する行為です。
逆に、対価を得て送迎する「緑ナンバー」以外の車両(白ナンバー)は、道路運送法違反(白バス行為)となり、刑事罰の対象となります。
でも実際のところ1億人の誹謗中傷者がいたとしても全員に開示請求して全員に対してチマチマ訴訟するなんて現実的じゃないし。
第一誹謗中傷に当たるかわからないものもある「その行為は迷惑」っていってるだけの書き込みとか。
なんでずっと母に感謝しなければいけないの
母は私に感謝なんてしない人だ
私は中間子で服なんてずっとお下がりしかもらえなくて何ならもらった子にずっとバカにされてきたし、すぐ体調崩すの責められてたし、授業参観は親が来ないが当たり前だったし
宗教で嫌な思いたくさんしたのに、何にも私の気持ちを聞いてくれない
姉と兄のほうが大切で進学もあきらめたし、高校生からバイトして家にお金いれてた私より、下の兄弟のほうが大切にされていたし、
私はいつも二の次だったよ、家族のアルバムで写真が一番少なくてアルバム一冊に満たないのが私(確かに私は生意気だったから扱いづらかったのは認めますよ)
辛い目に遭っても寄り添ってもくれないことばっかりで、母は私が嫌いだったことに小学生のときから知っていた
だけど、私は母親はかわいそうな人間だし嫌われたくないし、母親は未熟な人だから仕方ないと思って接していた
父親の不倫、離婚するべきか相談、親友に縁を切られた話、姉の婚姻の文句、職場の気に入らない人の話、会ったこともない親戚の悪口、同居している兄から金を盗まれる話、
愚痴ならともかく、延々と喋ってくるし手紙まで寄越すし、LINEまで逐一長々と送ってくる
その一連の流れに疲れてしまった
私は母親に相談したら一蹴されて、暴力行為すら聞いてもらったことなんて無かったんだよ、全部自己解決してきたの
母に嫌われていることを知っていたけど、ずっと気づかないふりをして親孝行という名で、去年まで花を贈っていた自分
でも昨日は贈るのを辞めた
許せない気持ちが強くなっている自分がいる、母は無事に私を育ててくれたけど、常に夫でも男でも宗教でも縋っていないとだめな人だと私は気がついている
いい歳をして表向きだけでも取り繕え無い自分が悲しい
をわざと同一視してるから話が噛み合ってない。
でもあなたは、
質問する
説得する
みたいな行為まで全部まとめて
「脅しだ」
に変換してる。
それだと結局、
で、その結果として、
取れる供述が減る以上、
と言ってるだけ。
なのに毎回、
「脅して自白させたいんだ!」
それ、議論というより、
これを単なる「放課後のスポーツや文化活動」と解釈しているうちは、日本社会の本質を捉えることはできない。部活とは、教育という美名の下に偽装された、日本独自の「空気」の醸成機関であり、極めて強固な「小宇宙」としての共同体なのである。
西洋的なスポーツの概念では、それはあくまで個人の「楽しみ」であり「技術の向上」を目的とする「遊び(Game)」である。しかし、日本の部活においては、それが「野球道」や「剣道」といった具合に、容易に「道」へと転化してしまう。
ここで言う「道」とは、論理的なルールを超越した絶対的な規範である。そこには、外部の人間には到底理解しがたい、以下のような特質が見て取れる。
儀礼の絶対化: 挨拶の角度から、道具の手入れ、グラウンドへの一礼に至るまで、機能性とは無関係な儀礼が最優先される。
「連帯責任」という戒律: 一人の部員の不始末が部全体の活動停止に繋がる。これは近代的な法治主義(個人責任)ではなく、村社会の「縁座」の論理である。
山本七平が喝破した「空気」の支配が、最も純粋な形で現れるのがこの部活という空間だ。
例えば、真夏に水を飲まずに練習を続ける(かつての常識)、あるいは怪我を押して出場するといった行為が「美談」とされる背景には、生理学的な合理性など存在しない。そこにあるのは、「ここで水を飲んではいけない」「休んではいけない」という、その場を支配する「空気」への絶対服従である。
この空気(臨在感的把握)に抗う者は、非国民ならぬ「非部員」として、共同体から事実上の追放(シカトや疎外)を余儀なくされる。ここでは「個」の意志は、共同体の維持という至上命題の前に、完全に抹殺されるのである。
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このシステムを維持する「司祭」の役割を担うのが、教師(顧問)である。
彼らは本来の職務である教科指導を二の次にしても、部活動の指導に没頭することを「徳」とされる。土日を返上し、無給に近い状態で奉仕するその姿は、近代的な労働者のそれではなく、一種の宗教的情熱に突き動かされた修道者のそれである。
生徒もまた、その「自己犠牲の精神」を空気として吸い込み、「先生がこれだけやってくれているのだから」という情緒的な絆によって、さらなる規律へと縛り付けられていく。
それは、日本社会という巨大な「空気の組織」に適合するための、高度な精神的訓練所なのである。理不尽な上下関係を、論理ではなく「身体的感覚」として受け入れ、組織の論理を個人の論理に優先させる――この「日本教」の洗礼を、彼らは多感な思春期に徹底的に叩き込まれるのだ。
この「珍妙な制度」が温存されている限り、日本人が真の意味で「個」として自立し、論理的な組織運営を行うことは、おそらく今後も至難の業であろう。
いや、そこまで行くと完全に極論。
↓
って、間の段階全部すっ飛ばしてる。
その上で、
「だから供述を得ようとする行為自体を極端に制限したら、立証困難な事件は増える」
と言ってるだけ。
なのに毎回、
「即決裁判!」
まで飛ぶ。
あと、
本当に10人逃していい前提だけでは動いてない。
社会には、
完全黙秘を徹底されても、
は普通に難しい。
そこを指摘しただけで
まで飛ばすのは、
さすがに議論として雑だと思う。
ただ、ウサギみたいに単純に怠けていたからでもなく、構造上の問題があるわけでもなく、
私の考えでは、否が応でもこうなる運命だったというか、経済学的にもそうなる運命だったと実証されるのではないか、
と考えている、つまり、みんな悪くて、みんな悪くないのである…😟
ただ、そのどさくさに紛れて、ブラック企業したり、政府や大企業が弱者を切り捨ててきたのは許せない、
それは第二次大戦中に大政翼賛だった大人たちが、終戦後にくるっと手のひらを返して、教科書に墨を塗るような行為である…😟
ソニーでは開発が中止され、人材はボストンダイナミクスとかに移ったように思うし、
東芝なんかも、ドイツ人の研究者が冷遇されて追い出されたりしてる、
よく、金をケチって白タクしちゃった北越高校と同志社国際が似てるって書かれてるの見るけど、全然違うと思う。
同志社国際はむしろ金をかけて危険を買いに行ってしまったよね。透明化されているマイノリティの主張に耳を傾け、
気高い市民運動への理解をしめすべきだっていう、高邁な精神で危険行為に巻き込まれに行っちゃったよね。
揶揄でなく、なんの底意もなく、立派な教育理念だと思います。沖縄県民としてはありがたい事です。
でも沖縄県民は子供を辺野古の海に連れていかないし、戦没者の遺骨収集の活動とかも学校主導でやらないんですよ。
そういうことは、ある程度自分の意思が固まって、信頼のおけるゼミの教授の指導のもとでやるくらいの高度な社会学習じゃないですか。
自分は沖縄の左派だからこそ、事故を起こした団体に対し腸が煮えくりかえってます。ワジワジーどころじゃなくて、頭に血が上るような
カッカした怒りです。彼らは未必の故意の殺人罪で問われても仕方のないことをしてしまった。
同時に学校に対しても、勘弁してくださいよと。
平和学習って何スか。単に戦争は悲惨ですよという話なら平和祈念資料館で体験者の手記を読めばいいんじゃないかな。ガザやウクライナの映像を見たらいいんじゃないかな。
どうしたら戦争を防げるかという壮大な話なら、日本がかつて中国へ侵略していったこと・それが欧米との国際的な約束を破った形になり制裁を受けたこと
制裁を突破するためにやぶれかぶれで東南アジアへ燃料を探しに行き、あほ見たいな日米戦争を始めた・・・っていう日本の戦争の歴史をしっかり学べばいいよね。
表現の法規制は、一度導入されると対象が拡大する傾向がある。 これは歴史的に繰り返し確認されてきた事実である。
この構造を理解せずに「嫌いな表現だけ規制してほしい」と主張することは、自らの首を絞める行為になりうる。
以上の諸問題を貫くのは、「自分(たち)の表現・欲望・不快感は正当であり、他者のそれは不当である」という非対称的な自己正当化の構造である。
| 自陣営の行為 | 自己正当化の論理 | 他陣営の同種の行為に対する態度 |
| 未成年キャラのR-18 BL | 「フィクションだから問題ない」 | 「ロリコンは犯罪予備軍」 |
| 男性キャラの性的客体化 | 「女性の手によるものだから搾取ではない」 | 「女性キャラの性的客体化は性差別」 |
| 実在男性のRPS | 「愛情表現の一形態」 | 「実在女性の性的画像は性的暴力」 |
| コミュニティ内の嫌がらせ | 「自浄作用」「マナー違反への指摘」 | 「男オタクのハラスメント文化」 |
この表が示すのは、同一の行為を自陣営と他陣営で正反対に評価するダブルスタンダードである。
本稿で検討した問題群は、いずれも「自分の欲望に対する無自覚と、他者の欲望に対する不寛容」という同じ根から生えている。腐女子文化には豊かな創造性と共同体的な連帯があり、それ自体は文化的に価値のあるものである。しかし、その内部に存在する暴力性・排他性・ダブルスタンダードを直視しなければ、自らが攻撃してきた「不寛容な社会」の鏡像になるだけである。
そして何より、性的表現の法規制という刃は、一度抜けば自分にも向かう。この認識なくして表現規制を軽々しく求めることは、腐女子文化を含むオタク文化全体の存立基盤を自ら掘り崩す行為であることを、すべての当事者が理解すべきである。
BL(ボーイズラブ)文化は、男性同士の恋愛・性愛を描くフィクションを中心に発展してきた。しかし、その消費構造が実在のゲイ・バイセクシュアル男性を素材として搾取しているのではないかという批判は、当事者コミュニティから繰り返し提起されてきた。
具体的には以下の論点がある。
これらの主張には一定の妥当性がある。しかし、「フィクションだから無関係」という論理は、RPSや実在コミュニティへの侵入行為には適用できない。また、「理解の入口になった」という功利的正当化は、当事者が現に被る不快や搾取を帳消しにする根拠としては不十分である。
より深刻なのは、この問題が指摘されたとき、腐女子コミュニティの一部が「ホモフォビアと戦ってきたのは我々だ」という自己正当化に走り、当事者の批判を封殺する力学が働くことである。マジョリティ(異性愛女性)がマイノリティ(ゲイ男性)の表象を占有し、かつその批判に対して「我々こそ味方だ」と主張する構造は、植民地主義的な知の収奪と相似形をなしている。
『イナズマイレブン』(主要キャラクターは中学生)、『忍たま乱太郎』(忍術学園の生徒は10歳前後の設定)など、明確に未成年と設定されたキャラクターのR-18 BL二次創作は、pixiv・同人誌即売会・SNSなどで大量に流通している。
| 論点 | 現行法の状況 |
| 著作権侵害 | 二次創作は原著作物の翻案権・同一性保持権を侵害しうる。権利者が黙認しているに過ぎず、合法ではない。いわゆる「グレーゾーン」は法的に保護された領域ではなく、権利者の好意に依存した状態である。 |
| 児童ポルノ該当性 | 日本の「児童買春・児童ポルノ禁止法」は実在の児童を対象としており、創作物(絵・小説)は現行法上は児童ポルノに該当しない。ただし、国際的にはフィクションも規制対象とする国がある(豪州、カナダ等)。 |
| わいせつ物該当性 | 刑法175条のわいせつ物頒布罪の適用可能性は理論上残るが、同人誌に対する摘発例はほぼない。 |
法律上「違法ではない」としても、10歳や13歳に設定されたキャラクターの性行為を詳細に描写し、それを大量に流通させる行為が倫理的に問題ないと言えるかは別の問いである。
腐女子コミュニティ内では「キャラクターは絵であり実在しない」「被害者がいない」という論理で正当化されることが多いが、この論理は男性向けの「ロリコンもの」に対しても同様に適用されなければ一貫しない。にもかかわらず、後述するように、男性向けの未成年キャラクター性的表現には激しく反対しつつ、自陣営の同種の表現には寛容であるというダブルスタンダードが指摘されている。
一部の権利者はガイドラインで性的二次創作を明示的に禁止している。しかし多くの場合、個別の対応コストや炎上リスクを恐れて黙認しているに過ぎない。この黙認を「許可」と読み替える文化的慣習は、権利者に本来不要な負担を強いている。
近年、英語圏の社会正義運動(いわゆる「Woke」)の言説——特にジェンダー論、ポストコロニアル批評、インターセクショナリティなど——が、日本のSNS上で選択的に翻訳・引用され、特定の表現を攻撃するための武器として使用される事例が増加している。
Woke言説そのものが問題なのではない。ジェンダー論やポストコロニアル批評は学術的に重要な知的伝統である。問題は、それらの理論が本来持つ複雑さや内部批判を捨象し、自陣営に都合の良い部分だけを切り出して「正義の棍棒」として使用する態度にある。
これは理論の誠実な適用ではなく、権威の借用による言論封殺である。そして、この手法が最も頻繁に向かう先が、男性向けのオタクコンテンツである。
「マシュマロ」「Peing」などの匿名メッセージサービスを利用した攻撃的メッセージ(通称「毒マロ」)は、腐女子コミュニティにおいて深刻な問題となっている。内容は以下のようなものである。
毒マロや晒し(SNS上で特定の作者・作品を名指しで批判すること)の結果、創作者がアカウントを削除し作品を非公開にする「筆折り」は日常的に発生している。これはコミュニティ内部の表現弾圧に他ならない。
特に注目すべきは、加害者もまた女性であり、被害者もまた女性であるという点である。「女性が女性を潰す」構造は、フェミニズムの言説では説明しにくいため、しばしば不可視化される。
腐女子コミュニティでは、特定の行動規範(「検索避け」「鍵垢での運用」「R-18はワンクッション」等)について定期的に激しい議論が発生し、「学級会」と呼ばれる。これ自体はコミュニティの自治として機能しうるが、しばしば規範の押し付けと逸脱者への制裁に変質する。
腐女子コミュニティの一部には、以下のような暗黙の序列意識が存在するとの指摘がある。
この序列は、「BLは高尚なフィクションだが、夢小説や男女の恋愛は自己投影で低俗」という偏見に基づく。
ここに深刻な矛盾がある。腐女子コミュニティの一部は、自らの表現が社会から偏見を受けてきた歴史を語りつつ、同じ女性向け創作者コミュニティ内で別のジャンルを蔑視・攻撃している。被抑圧者が別の被抑圧者を踏みつける構造であり、「連帯」の理念とは正反対の実態である。
近年、以下のような事例が繰り返し報告されている。
これらの運動に共通するのは、主観的な不快感(「お気持ち」)を客観的な権利侵害であるかのように主張する論法である。「私が不快に思う」→「それは社会的に有害である」→「規制されるべきだ」という三段跳びは、法的な権利論としては成立しない。
しかし、SNS上の炎上は企業にとって実害をもたらすため、法的根拠がなくとも事実上の表現制限として機能している。これは私的検閲(private censorship)の問題である。
最も深刻な問題は、男性向けの性的表現を攻撃する主体が、自らは第2章で述べたような未成年キャラクターのR-18 BLを消費している場合があるという点である。
オシャレさ・センスの良さ・高尚さを誇示するために作家の名前を挙げてポケモンバトルする文化がキモい。
気持ちは分からんでもないが、いい歳してやってるのはマジでキモい。
とか書いてて思ったが、それだけじゃないな。そもそも他人の書いた本を読んでるだけの100%受動的な行為に「読み方」とか言って自己表現っぽさを醸し出してるところがキモいんだな。
Microsoftストアで2千数百円だったかで買ったアプリの話
今どきTV番組を録画してBDに焼くなんてのは時代遅れなマイナー行為なんだそうだけどw
不適切な内容だとかで炎上したりして2度と放送もされないしネット配信にも乗らないであろう番組とかは、いつオシャカになるかもわからんHDDに置いとくより、BDに焼いて保管した方が安心(かもしれない)ww
ウチにあるHDD/BDレコーダーは、10年以上前のヤツで、古いせいなのかメーカー違いで仲が悪いのか、最近買ったTVの方で録画した番組はそのレコーダーにダビングできないのよねー。なので、PCに「BDレコ」入れてTVからダビングしようと思ったワケ。
とりあえず「貴重な映像」を後々見返したい(こともあるかもしれない)って目的なので、画質優先よりもメディアの枚数優先で、なるべく長時間入れておこうという設定にしてディスクに書き込み開始させると1分少々たったあたりで「致命的エラーが発生したので終了します」だってよ。
そのまま「終了」だか「OK」だか忘れたけどボタンクリックしたら終了するだけで、何が原因なんだかまったく情報がない。エラーコード的なモノも表示されないし、ログファイルも出来てないし、Windowsのイベントログにも何も出てないっぽい。
BDメディアには、番組の冒頭から30数秒くらいまで書き込みされて突然プッツリ切れている。
AIに聞いてみても、まぁ学習材料に「BDレコ」がらみの情報はなかったんだろう。ドライブの電源が容量不足?か不安定?とか、メディアとドライブの相性がどうたらとか、たぶん違うなーと思う答えしか出てこない。普通に検索しても、BDレコで致命的エラーがうんぬんいうWebページは見つからないしな。
何度かリトライしても同様なので、そして書き込み中にPCのCPU使用率が90%以上に高騰してたので、コレはもしかして動画エンコードの性能がイッパイイッパイで、ドライブの書き込み速度に負けてる(いわゆるアンダーフローってやつ?)のでは。ということで、画質優先(再エンコードせず)の設定で1枚に収まる長さの番組だけ書き込ませてみたら、無事ダビング終了まで行けたよw
チクショー、このPCもう7年くらい前?のCore i3で非力だからなーw
だったら、ダビング開始する前にCPU性能を判断して、これじゃエンコード速度が追っつかないみたいなエラーなり警告なり出してくれよ。
科学捜査が重要なのはその通りだし、DNA鑑定や監視カメラ解析で救われてる事件も多い。
でも「科学捜査があるから供述は不要」はかなり現実離れしてる。
そもそも凶器が見つからない、遺体が見つからない、共犯構造が分からない、証拠隠滅されてる事件なんて普通にある。
そういう時に、
「どこに捨てた」
「誰が関わった」
「何があった」
監視カメラが無い場所もあるし、DNAが残らない事件もあるし、鑑定結果だけでは犯意や役割分担まで確定できないケースも多い。
そこを、
まで飛ばすと、
オタクと「正常な人間(一般人)」のコンテンツ消費姿勢には、「物語の楽しみ方」「目的」「読解力と品性」において大きな乖離があると指摘されています。
最も大きな違いとして、コンテンツに性的な要素を過剰に求めるかどうかが挙げられています。
コンテンツを消費する「目的」についても明確な対比がなされています。
ソース内では、オタクの「読解力」の欠如が痛烈に批判されています。
総じて、一般人が「社会生活の一部として豊かに作品を楽しむ」のに対し、現代のオタクは「性欲を優先し、歪んだ解釈や攻撃性を伴いながら閉鎖的に消費する」という対照的な姿勢が強調されています。
その後の展開は、さらに教育心理学的にも示唆に富むものだった。Aが一度は口にした「昨日の非礼について、重ねてお詫び申し上げます」という謝罪。それが内省によるものではなく、単に対話を強制終了させるための「終了ボタン」に過ぎなかったことが、その後の豹変で露呈することになる。
Bが依然として拭い去れない不快感(前日に「ソープへ行け」と人格を否定するような暴言を吐かれたことへの余波)を口にすると、Aは即座に攻撃に転じた。
「わたしは蒸し返されてだるいよ」「謝罪すべきはしっかり謝りました」と、自らの不適切な言動が招いた紛糾を、あたかもBが一方的に「終わったことを蒸し返す迷惑行為」であるかのようにすり替える。
再口論の最中、Aは「すまん任せた」と他のメンバーへ丸投げし、場を放棄した。
これは、自分が有利な時だけ「指導者」として振る舞い、形勢が悪くなると「自分は被害者だ」と逃げ出す、極めて不誠実な態度だ。
Aは、Cによる再度の指摘に対しても、結局「伝わって欲しかった(自分の善意を汲み取れ)」「その謝罪は一度は受け入れられた認識だ」という自説を繰り返すに留まった。
現代のコミュニケーションにおいて「情報のアップデートができない」ことは致命的な欠陥だ。
自分の振る舞いが「ハラスメント」や「仕様不備」であると客観的にデバッグされた際、速やかに自己のプロトコルを更新できない人物は、周囲に有害な環境を撒き散らす。Aは過去の成功体験や独自のドグマに固執するあまり、フラットかつ論理的な対話プロトコルをインストールすることに失敗した「古いOS」のような状態に陥っていたと言える。
今回のCや他のメンバーによる介入は、単なる口論への横槍ではない。それは、コミュニティというシステムの健全性を維持するための「免疫反応」だった。
人格否定や強権的な指導という毒素が蔓延しないよう、論理の光を当てて「それはNGである」と公にラベルを貼ること。
「コミュニケーションの主体は受け手にある」という原則を徹底することで、送り手の「善意(意図)」という逃げ道を封鎖し、受け手の安全を確保すること。
Cが最後までこの原則を捨てなかったのは、B個人の救済であると同時に、「論理の通じない強権的なコミュニケーションを許容しない」というコミュニティの防衛線を引く行為だった。
情報のアップデートを拒み、自らの手法の欠陥を「善意」や「謝罪済み」という言葉で塗り潰そうとする者は、いずれ健全なコミュニティのプロトコルによって「仕様不備」として弾き出される。Bが最後に「基礎の部分で齟齬がある」と冷徹に断じ、関係を断つ決断ができたのは、この徹底したデバッグのプロセスがあったからに他ならない。
(了)
なんか中国人の妻がいる漫画家につっかかって炎上している人達がいるらしいですが(どうでもいい)。
なんか世の中に「他人が気にいらないから行為を叩く」種類の人がいて、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、じゃないけど、誰がそれをやっているかで良し悪しを判断して他人にその憎悪を撒き散らす人がいるんだなと思っている。
身近にもいるんだけど、どうしたもんかなあ。とても嫌。私が特定の行為(地域の治安が悪化する条例違反っぽい話)を警察に通報したりすると、「隣のアイツもそうなんだよ!」って(実際には違う)話をしはじめる。その行為は条例違反とまでは断言できないのだが、私の話聞いてるのかな...
自分は自分で憧れの好きな子とあたってうれしいんだけど、ちょっとだけ気になっていた友達以上恋人未満くらいの幼なじみの初体験の様子も見えてしまうのが、寝取られみたいな気持ちがしてモヤモヤする。
さて、ここで問題です。
2 イケメン
3 自分と仲が悪いイヤなやつ
どれが一番、興奮するでしょうか?