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2026-05-11

つわり中、できるようになったことが増えた。嬉しい。

初めての妊娠アラサー女。現在11週ピッタリ。5週から始まったつわりに未だ苦しんでいる。

けれど、この日約一ヶ月半ぶりにイヤフォン音楽を聴いた。

ずっと聴きたかった曲。JVKEの「golden hour」だった。

今回、この曲を聴いて泣いた。

びっくりするくらい泣いた。

当たり前のことが当たり前にできない一ヶ月半だった。

吐いて吐いて吐きまくった。トイレの裏を見て吐けるようになった。トイレ匂いでオエっとなった。

眠るだけで吐き気をもよおし、体を起こしてその刺激でオエっとなり、右向きになれば胃痛で泣き、左を向けば腹部膨満感でより気持ち悪くなった。のどづわり、食べづわり、匂いづわり、吐きづわり、痰づわり、眠りづわり、様々なつわりが私を容赦なく襲った。食べて飲んでも倍吐いた。自分のどこからこんな水分が出てくるんだと思った。胃液と胆汁を吐いて、緑と黄色と鮮やかなそれを見て泣いた。鼻に入っていたかった。咳き込めば地獄が待っていた。食道は吐きすぎて焼けるように痛み、何にも食べられないくせに吐いた後に空腹を感じて絶望した。食べて吐くなら気持ち悪くなるなよ。お腹空くなら食べさせてくれよ。理不尽すぎて泣きまくった。

制吐剤もお医者さんに「効かないと思うけど出すね」と言われた。効かなかった。漢方が飲めたら吐いてないわと思いながら飲んで吐いた。

点滴も受ける間が辛くて行けなくなった。入院絶対にしたくなかったから、吐いても飲んだ。吐く前に飲んで、飲んだ後に吐いた。

笑う数より泣いた数の方が多い、つらすぎて、もう二度と経験したくないと思う。

だってピーク時より楽になったけど、まだ辛い。出口の見えないトンネルに迷い込んで、出口を求めて彷徨う日々に、疲れ果てていた。

でも、私は久しぶりに音楽を聞けたんだ。音楽を美しいと思い、心が動いた。

まりにも久しぶりのことに、嬉しくてとんでもなく泣いた。

泣きながらオエっとなって、そういや私はまだつわり終わってなかったわとちょっと笑った。笑えた。

まだつわりは辛い。まだ終わってない。私はまだ、トンネルの中にいて、光を求めて彷徨っている。でも、少しずつできることが増えてきた。起き上がることができた。歯磨きができた。お風呂に入れた。水を飲めた。固形物を食べられるようになって、次第にご飯を少しだけ食べられるようになった。数時間でもまとめて眠れるようになってきた。そして、その最たる先に、音楽を聴いて美しいと思えた。

つわりに苦しむ女性たちにSNSアドバイスを求めれば、みんな「いつかは必ず終わるから」と慰めてくれる。

とんでもなく優しい人たち。私はあなたたちに「じゃあ一体いつ終わるんだ」と理不尽に怒りを感じることもあれば優しい言葉に咽び泣くこともあった。

あなたたちの言葉を信じてここまできた。私は、少しずつだけど良くなってきたよ。

一進一退なのかもしれないけど、できたことを忘れたくはない。

そしていつの日か、私もあなたたちのように、かつての私のように苦しむ人たちに「いつかは必ず終わりがくるから」と慰めの言葉をかけるのだろう。

あの時はありがとうございました。私は、できることが少しずつ増えてきました。

2026-05-10

地方進学校から東大に行った私が、大学一年生に祈ること

地方進学校から東大に行った人間予後が悪い。

もちろん全員ではない。

ただ、少なくとも私はそうだった。

私にとって不幸だったのは、東大に入ったことではない。

自分天井を知るのが十八歳まで遅れたことだった。

十五歳で負けていれば、私はたぶん助かった。

十八歳まで勝ってしまたから、負け方を知らないまま大人になった。

私はどこで間違えたのだろう。

若い頃の私は、自分が間違えることより、他人に合わせて間違えることを恐れていた。その恐れはたしかに私を東大まで連れていった。けれど同じ恐れが、私を社会から少しずつ遠ざけた。

私は今、四十七歳になる。

はいない。子供もいない。

三度目の転職をして、今の会社に来てから二年が経つ。

前の会社は、私から見れば理不尽理由で私を遠ざけ、最後には私の居場所を消した。前の前の会社も、その前の会社も似たようなものだった。

私は毎回、自分は正しかったと思っている。

今でも半分くらいはそう思っている。

ただ、半分はもう思っていない。

これから書くのは、その「半分」の話だ。

この文章を君に向けて書こうと思った理由を先に言っておく。

先日、ある雑誌に頼まれ大学新入生向けの短いエッセイを書くことになった。

東大卒の社会人として、若者メッセージを」というやつだ。

私は引き受けた。

引き受けながら、ふざけるなと思っていた。

社会人として何かを成し遂げたわけでもない私に、なぜそんな依頼が来るのか。たぶん編集者は、私の経歴の一行目しか見ていなかったのだろう。

地方公立高校から現役で東京大学法学部

就職先も誰でも知っている会社だった。

一行目だけは綺麗だ。

二行目以降は読まないほうがいい。

私は二日間、机の前に座った。

何も書けなかった。

自己啓発言葉が一文字も出てこなかった。

「夢を持て」とも「努力は裏切らない」とも書けなかった。

書けば嘘になる。

私は夢を持っていなかった。

努力は私を裏切らなかったが、努力以外のすべてが私を裏切った。

あるいは、努力以外のすべてが私のほうから去っていった。

三日目に編集者電話して、原稿を断った。

その代わりに、誰にも頼まれていないこの文章を書き始めた。

これは雑誌には載らない。

たぶん誰にも届かない。

けれど、もし、たまたま、これから大学に入る誰かが読んでくれるなら、一つだけ伝えたいことがある。

素直になれ。

それから性格をよくしろ

書きながら自分でも笑ってしまう。

よりにもよって私が言うことか。

私はずっと素直ではなかった。

性格も悪かった。

からこれは説教ではない。

懺悔だ。

懺悔は聞かなくてもいい。

ただ、もし君が今、自分の周りを少し愚かに感じているなら、その先に何が待っているかを、私という見本を通して少しだけ覗いてみてほしい。

第一部 正解者だった頃

私が育ったのは北関東県庁所在地だ。

地名は伏せておく。

人口三十万人ほどの、何の特徴もない地方都市だった。

父は地方銀行に勤め、母は小学校給食室でパートをしていた。

妹が一人いた。

家は古かったが、貧しくはなかった。

私の最初記憶は、小学校二年生の算数時間だ。

先生が黒板に問題を書いて、「わかった人?」と聞いた。

私はわかっていた。

手を挙げた。

当てられて答えを言った。

正解だった。

先生が褒めてくれた。

隣の席の女の子が「すごいね」と言った。

私は嬉しかった。

たぶんその瞬間が、私の人生最初ピークだった。

書きながら本当にそう思う。

あの瞬間以上の幸福は、その後の私の人生にもう一度も訪れなかった。

小学校から中学校にかけて、私は常に学年で一番だった。

二番のときもあったが、すぐに一番に戻った。

地方の小中学校で一番というのは、ほとんど何も意味しない。

後になって考えれば、競争相手絶対数が少ないだけのことだ。

けれど当時の私は、自分特別だと信じていた。

周りもそう扱った。

先生も、親戚も、近所のおばさんも。

「あの子東大に行く子だから

中学校とき、母が近所の人にそう言われているのを二回か三回聞いたことがある。

母は嬉しそうに笑っていた。

否定はしなかった。

私は、否定しなかった母を嫌いにはなれなかった。

中学まではまだ良かった。

授業はつまらなかったが、それは皆そうだった。

活動もそれなりに楽しんでいた。

私はクラスで浮いていなかった。

しろ勉強ができる優等生としてちょうど良い位置にいた。

スポーツ普通にできた。

背は普通だった。

顔は、まあ、普通だった。

すべてが普通で、勉強けが少し抜けていた。

それは十三歳の少年にとって、ほとんど理想的な配分だった。

歪み始めたのは高校に入ってからだった。

私が入ったのは、県内で一番偏差値が高いとされる公立高校だった。

OB地元選出の国会議員県知事がいる、というのが地元の自慢だった。

今思えば、それも大した自慢ではない。

けれど当時は、その校門をくぐることに確かな誇りを持っていた。

入ってみると、勉強はやはり私が一番だった。

最初中間試験で学年三位を取ったとき、私は少し焦った。

自分が一番ではないことが、十五歳の私には許せなかった。

期末試験までの一ヶ月、私は本気で勉強した。

期末試験で一番を取った。

それから卒業まで、私は一度も学年一位の座を譲らなかった。

問題勉強以外で起こった。

高校一年の秋、文化祭があった。

私のクラスお化け屋敷をやることに決まった。

決まる過程で、私は反対した。

お化け屋敷過去三年間、毎年どこかのクラスがやっていた。

もう新鮮味がない。

それに暗幕の手配や教室の改造に時間がかかりすぎる。

準備期間は二週間しかない。

私は別の案を提案した。

模擬店で何か食べ物を出すほうが客の回転が早く、利益も出やすい。

これは数字で示した。

前年度の各クラスの売上データを、わざわざ生徒会から借りてきていた。

私の提案却下された。

却下した中心は、クラスで人気のあった明るくてうるさい男子だった。

彼は私の数字を見もせずに言った。

「いや、お化け屋敷のほうが楽しいだろ、絶対

クラスの三分の二が彼に同意した。

私は食い下がった。

「楽しさを論じているんじゃない。準備期間と利益の話をしているんだ」

教室が少し静かになった。

誰かが小さく「うわ」と言った。

私はその「うわ」の意味が今ならわかる。

当時はわからなかった。

担任が温和な顔で言った。

「みんなで決めたんだから、それでいこう」

私は黙った。

黙ったが、心の中では「これは間違いだ」と思っていた。

そして二週間後、その思いは正しかたことが証明された。

私のクラスお化け屋敷は、案の定、準備が間に合わなかった。

当日の朝になっても暗幕が一部つけられず、外から中が見える状態のまま開店した。

客は数えるほどしか来なかった。

模擬店をやった隣のクラスには長蛇の列ができていた。

打ち上げの席で、誰も私に「お前の言う通りだったな」とは言わなかった。

その代わり、最初に反対した男子が笑いながら言った。

「いやー、失敗したわ。けど、楽しかたからいいよな」

クラスの全員が笑った。

私は笑えなかった。

笑えない、というのは笑顔筋肉が動かないという意味ではない。

心が笑い方を覚えていない、という意味だ。

彼らは間違えたあと、間違えたまま、楽しそうに次へ進んでいた。

私は一人だけ間違えていなかった。

間違えていないのに、その輪の中にいなかった。

その夜、私は自分の部屋で長い時間考えた。

そして結論を出した。

人に合わせると間違える。

多数派は正しさを選ばない。

から自分で考えたほうがいい。

この結論は、十六歳の私にとってほとんど真理として体に入った。

そして最悪のことに、それは半分は事実だった。

これが後で書くことのすべての始まりだ。

似たような出来事はその後何度もあった。

一つだけ、もう一つ書いておく。

高校二年の春、私は生物の授業で課題研究の班に入れられた。

班員は四人。

テーマは「学校近くの川の水質調査」だった。

私はすぐに気づいた。

このテーマでは、論文として何の新しさもない。

前の学年の先輩が、ほぼ同じテーマで発表していたからだ。

私は班員にそれを伝えた。

「だから、別の角度で攻めたほうがいい。例えば、水質と水生昆虫の種数の相関を上流と下流比較するとか、もう少しオリジナリティのある切り口がいる」

班員の三人は、ぼんやりと私を見ていた。

一人の女子が言った。

「うーん、でも、先生がこのテーマでいいって言ってたじゃん」

先生は最低ラインの話をしているだけだ。発表会で評価されるためには、もう一段必要なんだ」

別に評価されるためにやってるわけじゃないし……」

そこで私は致命的なことを言った。

今でも覚えている。

評価されないものを、なぜやる必要があるんだ?」

教室空気がすっと冷えた。

そのとき私は、自分が何かまずいことを言ったことには気づいていた。

けれど何がまずいのか、正確にはわからなかった。

今ならわかる。

彼女たちは別に手を抜きたかったわけではない。

ただ、四人で何かを一緒にやる時間のものを、彼女たちなりに大切にしようとしていた。

私はそれを「評価されない無駄」と切って捨てた。

私たち研究は、ありきたりな水質調査になった。

発表会の評価は、可もなく不可もなくだった。

私はその後、班の打ち合わせにあまり出なくなった。

彼女たちも私を呼ばなくなった。

私たち最後まで、お互いの名前フルネームで言えるような関係にはならなかった。

その夏、私は塾の自習室にこもって一人で勉強するようになった。

そのほうが効率が良かった。

私の偏差値は上がった。

この時期に、もう一つ私の中で固まったことがある。

「言い方」という言葉が嫌いになった。

正しいことを言うと、決まって誰かが「言い方がきつい」「言い方を考えろ」と言った。

私には、それが奇妙な反論に見えた。

内容が正しければ、それでいいではないか

なぜ正しい内容を、わざわざ柔らかく包まなければならないのか。

それは内容より装飾のほうが大事だと言っているに等しい。

知性に対する侮辱ではないのか。

私はそう考えた。

そして、ますます内容で押し切ろうとした。

内容が正しければ、いずれ理解される。

理解されないのは、相手の知性が足りないからだ。

「言い方」を気にする人間は、内容で勝負できない人間だ。

これは私の中で信仰になった。

この信仰は、その後の三十年間、私を支配し、私を破壊した。

ここで君に一つだけ言わせてほしい。

「言い方」は装飾ではない。

内容を相手に届けるための、内容の一部だ。

届かない正論は、正論ではない。

ただの独り言だ。

私は四十歳を過ぎてから、ようやくそのことに気づいた。

三十年遅かった。

君はこれを、十八歳のうちに知ってほしい。

東京大学合格発表は、その時代はまだ本郷キャンパス掲示板に紙が貼り出された。

私は二月の終わりに東京へ出て、安いビジネスホテルに泊まり、当日、本郷に向かった。

三月十日だった。

寒い日だった。

自分の番号を見つけたとき、思っていたほど嬉しくなかった。

これは嘘ではない。

本当のことだ。

「やった」とは思った。

「これで人生最初の関門は越えた」とも思った。

けれど、それだけだった。

なぜなら私は、合格することを最初から知っていたからだ。

模試の判定はずっとAだった。

直前の本番形式の演習でも、合格者平均より上を取り続けていた。

落ちる理由がなかった。

から合格は、驚きではなく確認だった。

掲示板の前では、合格した人たちが抱き合ったり、泣いたり、家族電話したりしていた。

私は誰にも電話しなかった。

電話する相手がいなかった、というのとは少し違う。

電話する相手はいた。

父にも母にも、塾の先生にも電話できた。

けれど誰の声を聞きたいとも思わなかった。

私は一人で本郷の門を出て、近くの蕎麦屋に入り、かけそばを食べた。

蕎麦はぬるかった。

それでも最後まで食べた。

蕎麦屋を出てから赤門のあたりをもう一度歩いた。

三月の風が冷たかった。

そのとき一つだけ、ふと思ったことがある。

この四年間、誰と過ごすんだろう。

不思議感覚だった。

喜びではなく、空白に近い感情だった。

私はこれから、知らない街で知らない四年間を過ごす。

誰も知らない

誰も私を「すごい」と言わない。

私の隣の席に座る人間は、たぶん私と同じくらい問題を解ける。

少しだけ怖かった。

けれど私は、その怖さをその日のうちに押し込めた。

「いや、俺はやってきた。一人でやってきた。これからも一人でやればいい」

そう自分に言い聞かせた。

これは合格した日に、十八歳の私が自分自身に与えた呪いだった。

その呪いに私は気づかなかった。

二十年以上、気づかなかった。

続き→https://anond.hatelabo.jp/20260510234017

部活動という珍妙制度について

日本には部活と言う珍妙制度がある。

これを単なる「放課後スポーツ文化活動」と解釈しているうちは、日本社会の本質を捉えることはできない。部活とは、教育という美名の下に偽装された、日本独自の「空気」の醸成機関であり、極めて強固な「小宇宙」としての共同体なのである

「道」という名の宗教的空間

西洋的なスポーツ概念では、それはあくま個人の「楽しみ」であり「技術の向上」を目的とする「遊び(Game)」であるしかし、日本部活においては、それが「野球道」や「剣道」といった具合に、容易に「道」へと転化してしまう。

ここで言う「道」とは、論理的ルールを超越した絶対的規範である。そこには、外部の人間には到底理解しがたい、以下のような特質が見て取れる。

儀礼絶対化: 挨拶の角度から、道具の手入れ、グラウンドへの一礼に至るまで、機能性とは無関係儀礼が最優先される。

連帯責任」という戒律: 一人の部員の不始末が部全体の活動停止に繋がる。これは近代的な法治主義個人責任)ではなく、村社会の「縁座」の論理である

空気」の支配自己犠牲

山本七平喝破した「空気」の支配が、最も純粋な形で現れるのがこの部活という空間だ。

例えば、真夏に水を飲まずに練習を続ける(かつての常識)、あるいは怪我を押して出場するといった行為が「美談」とされる背景には、生理学的な合理性など存在しない。そこにあるのは、「ここで水を飲んではいけない」「休んではいけない」という、その場を支配する「空気」への絶対服従である

この空気(臨在感的把握)に抗う者は、非国民ならぬ「非部員」として、共同体から事実上追放シカトや疎外)を余儀なくされる。ここでは「個」の意志は、共同体の維持という至上命題の前に、完全に抹殺されるのである

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日本教の「聖職者」としての顧問

このシステムを維持する「司祭」の役割を担うのが、教師顧問である

彼らは本来職務である教科指導二の次にしても、部活動の指導に没頭することを「徳」とされる。土日を返上し、無給に近い状態奉仕するその姿は、近代的な労働者のそれではなく、一種宗教的情熱に突き動かされた修道者のそれである

生徒もまた、その「自己犠牲精神」を空気として吸い込み、「先生がこれだけやってくれているのだから」という情緒的な絆によって、さらなる規律へと縛り付けられていく。

結論部活という名の「日本教」訓練所

結局のところ、日本部活とは、技術を学ぶ場ではない。

それは、日本社会という巨大な「空気組織」に適合するための、高度な精神的訓練所なのである理不尽上下関係を、論理ではなく「身体感覚」として受け入れ、組織論理個人論理に優先させる――この「日本教」の洗礼を、彼らは多感な思春期に徹底的に叩き込まれるのだ。

この「珍妙制度」が温存されている限り、日本人が真の意味で「個」として自立し、論理的組織運営を行うことは、おそらく今後も至難の業であろう。

anond:20260510153614

こういうのって直接原因が書かれてるわけじゃなくて本当の原因は容姿や家庭状況や年収だったりする。

ブサイク相手になんとか理由をつけて交際終了にしてるだけ。イケメンハイスペならカフェケーキを分け合ってもむしろ加算ポイントになることも。

ブサイクだったかお断りした」なんて言う人はいない。

から理不尽理由交際を断られ続けるブサイクにとっては恋愛スーパーハードモードに見えるというカラクリ

日本人倫理観言語化してみる

日本人倫理観特殊性を一番表しているのは、線引きの極端さだと思う。

 

日本人は、ある線の「慎みのなさ」を越えると途端に「死んでも良い命」になるという、極端な生命倫理を持っている。

例えば、親の目を盗んで深夜に外出し、コンビニの前でたむろしてる中学生

こんな程度のことでも、たとえどのような理不尽な死に巻き込まれても(例えば、たまたま通りかかった薬中に刺されても)「そんなところに近づいたから仕方ないね」と、さらもっと無惨な殺され方をしてもよかったくらいにはネットで叩かれる。

これ、異常だって気づいてる?

 

ホラー映画でも見てる感覚だろうか。主人公を作中で軽くけなしてたり(恒常的にいじめているわけでもない)、隠れていちゃついてるカップルくらいの「慎みのなさ」が、死んでもかわいそうに思わなくて良いフラグになり、当たり前のように死をエンターテインメントとして喜ぶノリを、現実でも同じ程度に内面化している。

 

これは本当に、一瞬たりとも越えたら戻れない線だ。

たとえばホームレスを、とにかくまず家を見つけられるように、仕事を探せるように、監督つきで金を借りやすくするくらいに支援するシステムでも作ったら、日本人の大半は怒るだろう。

一度ホームレスなんかになった、線の向こう側に足を踏み入れた「異物」を、こちら側に戻すことは侮辱だと感じるからだ。

日本人ホームレスを、戻るということを想定しない、戻ってきてはいけない「もう終わった存在」としてしか認識できない価値観を当たり前に日常言葉遣いとして持っている。

 

日本人にとって「まともな人間」の線引きは、一度でも越えてはいけない、一度でも越えたら命を平等に扱ってはいけない、いわば宗教的な穢れとして不可侵のものになっている。

 

これが結局のところ、日本人の「真面目さ」の根源でもあるのだろう。日本人自分でも明確に意識せず、この線に一瞬でも近づいたら終わりだと恐れている。

から、ただルールを守るという以上に、線から可能な限り遠ざかるという努力をする。

それをしない、気の緩い人間が憎くて仕方ない。

から、やはりそんな慎みのない存在は、一瞬でも気を抜いた瞬間に死んでも仕方ない、天罰だ、嬉しい、と心から思う。

 

本当に、なんでこんな精神病みたいなループに、一億人が捉えられるものかね。

不思議な話だ。

2026-05-09

anond:20260509201441

>>「笑ってる?」高校生死亡事故バス運行会社 体を揺らし、笑みも浮かべ…会見での営業担当の“ヘラヘラ仕草に疑問続出

表情コントロール訓練費用なんて出てない民間事故を起こすと「表情コントロール不備」の罪で世間から余計に糾弾されて理不尽

かと言ってこういうのに対策投資すると余計に本業から必要金銭が抜けていくという

自衛隊とか役所みたいに「メディアトレーニング(模擬記者会見の訓練)」してないのに

「笑ってる?」高校生死亡事故バス運行会社 体を揺らし、笑みも浮かべ…会見での営業担当の“ヘラヘラ仕草に疑問続出

https://news.yahoo.co.jp/articles/59f0fdf836a8d96721f2b9be901162cef6dc075a

これまじで理不尽だわ

裁判所でも裁判官はこういう事を言うのだろうか

仮に100人がまともでルールマナーも守っていたとしても、とんでもないやつが1人いたらそいつが全部をぶっ壊せる みたいなのが理不尽だしキツい

こういうのってまじでどうしたらいいの

彼女ができて

散々体触るだけ触って

セックスしなかったら

怒られたの理不尽だったな

考えてみれば「人からまれたり殴られたり蹴られたりツバ吐かれたりする」ことって、普通に生きてたら無いよね

仕事中にそんなことされるのって、反社かなんかなのかな?

アウトローでも無いのに人から殴られる経験なんてみんな無いよね

凄まじい仕事だよな

嗤うしかない

あ…そうか…どうぶつ…えん…しいくいん…か

なるほど

介護施設刑務所だと思ってたけど、動物園だったのか

せっまい檻に入れられて「そこでおとなしくしてなさい」と言われる

利用者シロクマと同じだ

そりゃ、「トイレに行きまくる」みたいな常同行動してしまうわけだわ

でもなあ

動物園動物が暴れたら吹き矢の出番だけど、介護施設利用者暴れても何も出来ないからなあ

リスパダールすら処方されてないとか、処方されてても翌日に響かないようにテッペンまでしか使えないとか

0時過ぎに暴れだしたらもう朝の職員が来るまで辛抱し続けるしかない

徒手空拳

この理不尽

2026-05-08

母性父性って性欲の一種だよね

性に関する欲だもんね

そして母性父性、性欲、全てに共通するのは「それを求めていない他者一方的に向ける姿が気持ち悪い」こと

一方通行だとどうしても気持ち悪いんだよ、性欲も母性父性

ぬい活女性のぬい活姿が気持ち悪いのもぬいぐるみという無機物、つまり確実に母性など求めていない対象一方的母性を向けているか

オタク男性二次元キャラクターという架空存在に性欲を向けている姿と同種なんだよね、気持ち悪さが

赤の他人赤ちゃん母性を向ける老婆も、若い女アイドルに性欲を向ける中年男性も、ホストに性欲を向ける容姿の劣った女性も、Vtuber父性を向ける弱者男性も、全て同種の気持ち悪さを持っている 欲を向けられている対象がそれを求めていないであろうことが想像できるから

相手が求めてさえいれば問題ないんだよね

例えば母性でも自分の子供はもちろん関係性の近しい子供、愛を渇望している孤独子供犬猫鳥などの家族的な感情交流のあるペットに向けている姿は気持ち悪くない でもハムスターなどの感情交流が極端に少ないペットに強い母性を向けている姿は正直気持ち悪い 明らかに一方的自己満足の欲だから

ただ、ぬいぐるみ架空キャラクターは生きてないし人権もないので、法律公式や店が提示したルールに従っている限りは何にどんな欲望を向けようが別に無害なんだよね ただ気持ち悪いだけで

ただ気持ち悪いだけの無害な人間関係のない第三者が叩いて潰そうとするのって普通にいじめから本当に良くない ぬい活女性萌え絵オタク無機物一方的に性欲の一種を向けていて気持ち悪い 気持ち悪いけど、気持ち悪いことは罪ではない ぬい活女性をお店が出禁にするのは当然自由だけど、迷惑を被ってない第三者が他の店でもやる権利がないと断言するのは理不尽だ 人には気持ち悪いまま生きる権利がある

anond:20260507130630

俺も一回敵対姿勢を取ってきたやつには、それを謝罪されない限り一生そういう態度で接するわ

当然、離婚とか関係を切れるならそうするけど、それができないなら、こいつはいつか寝首を搔きにくるなと思って接する

女ってヒステリーかなんかで男に対して理不尽で失礼な敵対姿勢取っておきながら、時間が経ったら「そんなことありましたっけ?ふふふふ」みたいな態度だけど

相手ちゃんと覚えてるからね?

「あの時は敵対的な態度をとって申し訳ありませんでした」って言えないなら、男の中では一生「敵」なんだよね

2026-05-06

平成の俺らは、顔出ししないしWikipediaも信用するなと教わった!」

みたいなツイートをXで散見するんだが、言うてその辺の世代JASRACとか電通理不尽に叩いてキャッキャッしてたよなあ…と思ってる

相手に無限の配慮を求める、自他境界の崩壊した人間の言動@dorawiiまとめ

https://anond.hatelabo.jp/20251006154014#

dorawii@執筆依頼募集中

二人でサイクリングしてるときに○○があるとか言われたんだけどどこにそれがあるのかわからなくて、とりあえず自分思い当たる○○を見てこれかなあと天を仰いだりしてきょどってたら、また呆れられた。

最初から何時の方向とか言ってくれればいいのにと苦言を呈したらそれではお前のためにならないとのこと。

普通人間発言者を見てその視線の方向を観察することで言及している対象場所をつかみ取るんだって

でも一つ気になったのは、なんで俺がきょどったりしているのかあのとき認識できたかってこと。

それに対しては視野は広いからとかいちいちそんなどうでもいいこと突っ込むな謙虚になれとか言われるんだけどさ。

いやいや俺がどうなってたか見えてるってことは発言した直後に既に俺の方を向いて観察していることになるかもしれないわけで、そうだったとしたらあのとき俺が相手を見てもその相手が見てるのは対象物とは無関係な俺の方向に過ぎず、発言者視線がヒントになるって助言が破綻してることになるんだよ。

でもそういうことを口頭で説明しようとしたら絶対謙虚じゃない奴扱いされるだけだししなかったけど。理不尽じゃね。

https://anond.hatelabo.jp/20260207194031#

道具あるって頼んだらその道具取りに行くからついていくじゃん?

であるところで止まれってジェスチャーされたから立ち止まるわけよ。

その人が回り込んで奥側に回り込んでケースから目的の道具をとるときに「これを覚えておくためについていかせてるんだよ」みたいなことを言ったわけだ。

道具を取ろうとするときに近寄らなかったから「ぼーっとしてる」という態度に読み取ってそう言ってきたと思うんだけど、止まれって言われたのに「今ここで道具とりそうだから近寄る」って判断するの無理ゲーがすぎないか

そこに道具があるとあらかじめ知ってるならまだ適当タイミングで近寄り始める判断もできるけどそもそも知らないからついてってるわけでさ。

dorawiiより

2026-05-04

自分戦争に行くくらいなら日本が滅んだほうがマシだと思う

ドローン兵器兵士悲惨な死に方をする動画をたくさん見た。

https://toxicstream.com/22798/

ロシアウクライナ戦争の戦場より、ロシア人をターゲットにしたドローンでの爆撃。胴体から真っ二つになるも、すぐに逝けず苦痛が続くショッキング映像

https://toxicstream.com/22354/

ロシアウクライナ戦争の戦場より、ドローン爆撃により負傷した2名のロシア兵の最期を捉えた映像話題に。ロシア兵は負傷した仲間をライフルで射殺し、その後自らも命を絶った。

正直、こんな死に方をするなら日本が滅んだほうがマシだと思う。

自分の命より国家の存続の存続のほうが大切なんてとても思えない。

これは他の人にとっても当てはまると思う。

から戦争が始まったらすぐに降伏して欲しい。

自衛隊の人も戦わなくていい。

国を存続させるためにこんな死に方をする人を生んでいいはずがない。

降伏したあとに起こるいかなる理不尽もこの死に方を正当化するものではない。

ならないよw

バカってなんで例外を探して話をガンガン広げていくんだろ

当事者がかわいそうという建前で我の強いエンジニア自己披露してるだけじゃん

anond:20260504024855

上司管理職ボランティアでやってるわけじゃないし、部下のことより家族大事。部下が仕事で不利になろうが理不尽な目にあおうが自分家族が最優先だから、部下はいつでも切り捨て対象

 

いつでもお互いを切り捨てるような立場なのになんですでに成人済みの上司の苦労がどうとかいってんの?一方通行恋愛みたい。意味不明だ。

 

上司自分の親でもなければ家族でもない。友達でも仲間でもない。自他境界狂いすぎで上司ドン引きだろ。

教科書には載らないニッポンバカ大人がよく使うフレーズ

清濁併せ呑む

濁りを正当化するために使うフレーズ

是々非々(ケースバイケース)

総合判断から逃げ、都合の良い事実の中に引きこもるときに使うフレーズ

空気を読め

多数派に従え、という同調圧力をかける時に使うフレーズ

お互い様どっちもどっち

自分責任を薄めるために使うフレーズ

それは例外

都合の悪い事実を見なかったことにするために使うフレーズ

なお、例外になる基準永遠に定義されない

大人対応大人になれ

より大きな圧力に屈することを要求するフレーズ

これも勉強

理不尽被害負担を受け入れさせるために使うフレーズ

丸く収める

筋を曲げ、不公平裁定を受け入れさせるために使うフレーズ

むかつくから吐き出す

毎度の事だが、パートナーが居る人なら

1度は経験した事があるかもしれない

何で自分はこの人と共に居るのかと

的を得ているようで得ていない事が起きて

たかもそれが真であるように見え

自信の深層心理問い掛けてくるのだ

本当にそれは自分意思なのかって

何も考えたく無くなる人の気持ちが分かる

今がそうだ

それでも時は過ぎていくし、いつしか忘れる事で次へ踏み出せる

と思いつつ、この事は忘れずに一筆記しておく

私は忘れない、決して

この吐息と怒りと理不尽さと不条理

全ては私のエゴである

2026-05-01

清潔感がなにか本気で分からないやつっていいよな

今まで誰にも指摘されてこなかったってことだもんな。それだけ恵まれ環境仕事で生きてきたってこと。

人前に出て手とか肌とか見られる仕事してると、否が応でも意識させられる。清潔感がないだけで理不尽クレームにあうこともあるし。

清潔感がなにか分からないって言えるやつ、自分は恵まれてまーすって言ってるのと同じで、なんか腹立つんだよな。今まで甘やかされてきたのに被害者ぶってんじゃねーよ

生姜焼きを作ったはいいけど

フライパンを洗うのが手間なのだ

でも、ここで洗わないで明日まで放置すると

明日のぼくがもっと手間になるので

仕方なく洗うのだ

生姜焼きのタレは醤油みりん・酒・すりおろし生姜の混合物である

これが豚の脂と混ざることにより

冷えて固まると真っ黒な汚い固まりになる

まだ温かいうちは液体に近いので

お湯と洗剤でわりと簡単に落ちるけど

一晩放置ちゃうことで

こすらないと取れない頑固な汚れへと進化するのだ

要するに今日のぼくが面倒くさがって先送りすると

明日のぼくは頑固な汚れを相手にしなければならない

これはたいへん理不尽なのだ

なので、生姜焼きを食べ終わったぼくは

満腹で動きたくない気持ちを抱えながらも

蛇口をひねってお湯を出し

スポンジにジョイを垂らし

女の子身体を撫でるようにフライパンを洗うのだ

そうして明日のぼくが助かり

ああ、昨日のぼくはよくやったな、と感謝するわけだね

めでたしめでたし

2026-04-28

ストレス耐性がさがって、いつも以上に攻撃的になっているということを客観視できてなかったかもしれない。というより、4年前からずっとこんな感じか…

いい加減、安定した生活したいな…

実家で母さんの面倒を見るのは無理だと諦めさせられる、ってことになるのかな。こんな理不尽なこと、許されるんだな。

俺が悪かったと思うしかないのかな。

そろそろ金も底を尽きるので、決断するしかない。

疲れたよ、生きるの。

謝られたって金も顔も何も元通りにならないから、せめて金くらい返してよ。

努力方向性を間違えたら時間金も無駄になるね。そんなことを繰り返さざるをえなくなってるから資格勉強もはじめてはやめての繰り返しなんだよ。

俺が悪い……って思うしかないんだろうな

2026-04-27

anond:20260427093317

あの裁判めちゃくちゃ理不尽だと思った

医者すらマニュアル守って患者が死んでも無罪だろうに教師だけ何で緊急事態結果責任を取らされるんだろうって

警察消防自衛隊戦車爆発しても結果の責任なんて取ってないのに教師けがやたら以上に重い責任を問われるし裁判にもなる

ジョジョって人間讃歌とかいって高尚ぶってるけど結局敵をタコ殴りにする場面が気持ちいいってだけのコンテンツだよな

正直もういいよ。あれは結局、胸糞悪い敵を合法的タコ殴りにする「暴力カタルシス」が本体だろ。荒木先生ドS構成は本当にエグい。今youtube放送してる6部のエルメェスとか見てみろよ。復讐こそが人間を救うみたいな理屈は確かに熱い。でも、視聴者が一番絶頂するのはそこじゃない。結局「これも!これも!」のラッシュ文字通り相手を肉塊に変えるあの瞬間の「ざまあみろ」感だ。あの爽快感に比べれば、人間讃歌がどうこうなんて後付けのスパイスに過ぎない。チョコラータボコられる場面もそう。俺がぽっちゃりした女性本能的な魅力を感じてしまうのと同じで、理不尽な悪意が物理で粉砕される様を見るのは、もはや理屈じゃない「種の保存」レベル快感なんだよ。

結局、ジョジョっていうのは「これだけ知的駆け引きをしたんだから最後は思いっきりブチのめしていいよね?」っていう読者への許可証なんだ。勇気とか人間とかの美しい言葉パッケージングされてるけど、中身は最高に純度の高い暴力エンタメ。だから俺は、これからも「あぁ、人間讃歌だなあ」なんて利口な面をしながら、クズ物理ボコボコにされるのをニチャニチャ笑いながら観ることにする。それこそが作品に対する一番正直な向き合い方だと思う。

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