はてなキーワード: 大学受験とは
今から20年以上前のことだ。わたしはとある中学受験塾に通っていた。小学四年生か五年生で、塾が主催する夏休み実験教室に参加したことがきっかけだった。受験塾の人気講師というのはたいてい話が面白く、わたしはすぐに夢中になった。それから、毎週末にテストと解説講義を受けに通うことになった。テストこそ胃が痛かったが、講義は毎週楽しみでしかたなかった。小学校の授業よりはるかに刺激的な内容を軽快なトークに合わせて教えてくれるその場所で、新しい、面白い友達もたくさんできた。
わたしは志望の中学に合格して、浮かれて報告に行った。そこで会ったいつもの友達に、手紙を渡された。帰宅途中封を開けると、内容は、平日クラスのメンバー内にはいじめがあり、自分はその被害を受けて軽犯罪を強要されたのだというものだった。それからほどなくして、私の「塾の面白い友達」の一人が、小学校でいじめの主犯格だったことも親づてに聞いた。
いまの中学受験は、20年前のそれよりはるかに苛烈であるという。本当に?あの頃すでに、12歳の目で見える範囲ですらすでに空気は澱んでいた。子供ながらに、あそこの親なんかちょっと期待がキツない?という友達も一人二人でなくいた気がする。あれよりひどくなるのか?なんのために?それで、親も名門校の教師たちも現状を是としているのか?
中学時代の級友をみていると、確かに厳しく育てられた人たちもいたけれど、「自然とそうなった」側の人間が多かった。なんか気がついたら受験していた、というような。開成出身の伊沢拓司が、ゲームボーイ欲しさに釣られて日能研模試を受けに行ったエピソードがあるが、まさにそんなもん、だったと思う。でもどうやら、聞くところによれば今はそれほど牧歌的ではないらしい。
ある大学受験講師が「中学受験はその時点での成熟を測り、大学受験は努力を測る」と言っていた。あくまで早熟を拾うためのものなのだと。偏差値の高い学校に受かることは人間の価値の証明ではなく、たまたまおまけつきの当たりくじを引くようなものだ。この子は「少なくとも子供の頃勉強が好きで得意だった」というだけのラベルだ。中学で勉強にハマるやつ、高校で、大学で、なんなら社会人になってから学び直す人だっているだろう。勉強ではない分野で伸びる子供もたくさんいるだろう。努力と自律を多少苦しんででも身につける機会は後でいくらでもやってくる。12歳じゃなくていいだろう。
たかが12歳のやることに親はマジになるなよ。中学受験の思い出なんて、あるにしても楽しいことだけでいい。人生初めて子供達だけでハンバーガーチェーンに寄って、友達が買うポテトを分けてもらったとか、お弁当の嫌いなおかずを交換しあったとか、人生初めて手にするテカテカのIDカードとか、先生につけられた変なあだ名とか、ハゲをイジられる校舎長とか、そんなきらきらしたものたちだけでよかったはずなのだ。
※身バレ防止のために内容のいくつかにフェイクをいれています。
本題に入る前にまずは少し長めの自分語りから始めさせてほしい。
昔から受け身の交友関係を築いていたので気が付いたら周りに人がいて、疎遠になれば自然と関係が切れていた。
そんな人間なので一番古い交友関係は高校時代のクラスメイト。彼らとは年一回以上は会ってご飯を食べに行ったり出かけたりする。
同時期に部活仲間というもう一つの付き合いが深い関係があったが、そちらはある時連絡がおっくうになって気分でLINEグループを抜けて、それ以来だ。
あとはネットで知り合った仲間もいる。そちらは物好きの集まりであるからかわからないが今でも付き合いがあり、学生の頃に知り合ったのに気が付けば全員社会人。大学受験がーとか話していた間柄で集まってお酒を呑んだりして不思議な感覚さえ覚える。
趣味で知り合った別の集まりも過去にはあったものの、そちらはそのコンテンツから離れたことをきっかけに自然と離れた。もう一つ理由はあるがわざわざ書くことではないだろう。
今は一人暮らしをしているがその理由も家を離れたかったから。今はそう思うこともないが、かつては家族とのウマが合わず家にいるだけでしんどかった。
中学生以降で日常的な会話をした覚えがない。あるのは聞かれたことに対して「そう」「ううん」と返事をし、どこかへ行くことがあればその行先を伝える、言わば業務連絡のような会話だけがそこにはあった。
簡単なことで口論となり、週一で言い合いをしていたような消防が出した結論としては「なるべく話さないこと」だった。結果的に口論は減ったがご飯時以外は部屋に籠る陰キャの完成である。
そんな人間が大学で上手くやっていけるわけもなく、入学してすぐに周りとのグループ形成に失敗。
一年の後半から単位を落とし続けて二年には講義すらも放棄し始め、三年に入る前に退学した。単なる金銭泥棒だった。
バイトとハローワークを繰り返してようやく就職。まぁろくでもないやつが入れるところなんてろくでもないところ。人を弾丸のように放っては補充する、そんな人材派遣会社。
運良くグループの建設会社に引き抜かれたことによってマシな生活はできたが、現場がコロコロ変わる環境に人付き合いがへたくそな人間が行けばどうなるか、その結末は誰でもわかる事だろう。
そして転がり込んだのが今の会社だ。
好きな仕事ではないし、自分に合っているわけでもないが狭いコミュニティだったおかげでなんとか続いている。
少し前に工場の集約があったり、部署移動と上司の退職と増員。社員の定着率が高くない職場ゆえに競争相手がいなかったため、チームを率いる立場になってしまったりと、環境は以前と大きく変わった。
人付き合いは相変わらず苦手だが、部署内の人間とは相談しながら仕事を進められている。上司は得意ではないが、それなりにはやっている。気が付けばもうすぐで十年。良く続いたものだ。
今私が置かれている状況と、簡単な経歴が以上の通り。
ここから本題に入る。
若い人材が中々入ってこないうちの工場に昨年一人の新入社員が入社してきた。
遠く離れた県からはるばるやってきたそうだ。大きな会社というわけでもないのに不思議なやつだと思った。
工場は同じでも部署は違う。ましてや相手は女性。特に話すことも、工場内でも会うことが少なかったために関わることは無いと思っていた。
状況が変わったのは今年の二月ごろ。それまで会話が一切なかった私たちであったが、わざわざ顔を合わせて挨拶をしてきた。
とは言えただの挨拶だ。そんなに不思議なことではない。私は適当に挨拶を返した。
それから数日すると、今度は会うたびに何かしらの話題を振ってくるようになった。
交わす言葉は週に一回一言ずつくらいだったので、特別仲良くなるとかそういったことは無かった。いたってこれまで通り。少なくとも私の認識ではそうだった。
何か趣味はありますか?ゲームが好きなんですね!もっとゲームの話とかしたいのでよかったらLINE交換しませんか?
ある時状況が一変した。コイツは何を言っているんだ。
この話を持ち掛けられたタイミングでも交わす言葉の数は変わっていない。何か聞かれてそれに応える、1ターンの攻防を週一程度行っていただけだ。
もっと話したいと思えるようなタイミングなど無かったはずだった。
しかも後々わかったことだが、彼女はわざわざほかの社員に「(私の苗字)さんともっと仲良くなりたいけれどもどうすればいいのか」と相談していたらしい。相談を受けた社員から「もっと周りの人に興味を持ちましょう」と注意されてしまった。それに関しては返す言葉もない。
別の社員に対しても「(私の苗字)さんって冷たい人なんですか?挨拶をしても反応が薄いんです」と。そう思っているのならなぜそこまで話しかけてくるのかが私にはわからない。
話を戻すと、結果的にLINEの交換はした。仕事の連絡を他の社員としていることもあって、断るのも変な話だと思ったからだ。
交換した証として某有名パズルゲームキャラクターのスタンプを送っておいた。ばたんきゅーなあいつらだ。流石にこれくらいは知っているだろうと。
その程度の知識で私とゲームの話をしたいと言ったのか。ますます困惑した。
そこから面接のようなQ&Aを数回繰り返して最初のやり取りは終わった。
以後業務時間外に何度かメッセージが届く。わざわざそのゲームを始めたらしい。なんて行動力だ。
今度一緒に喫茶店に行きたいです!
メッセージは来たら返してはいるが、職場では相も変わらず挨拶とたまに一言交わす程度だ。休日一緒に出掛けるほどの仲ではない。
このゲーム動画見ながらやってても難しくて、ケンジさんに教わりながらやりたいです!
ただうまくなりたいんじゃなくて一緒にわいわい遊びたいんです!
私からの距離感は未だに変わっていないが、何故か彼女からの距離はすぐそこまで来ているようだ。
彼女がただそういう人間であるならばそうは思わなかっただろう。しかしながら互いに一年近く何も無かった間柄だ。
その上偶然耳に入った情報が確かなら彼女は人付き合いに積極的ではなかったはずだ。
君は物好きだ。今までそういう人に会わなかったからびっくりしてる。
そう見えました?でもケンジさんと一緒なら何でも楽しそうだと思ったし、今までそういう人がいなかったのなら第一号になれて嬉しいです!
おかしい。一緒なら何でも楽しそうだと思えるようなことをした覚えは何もない。このメッセージを受け取った段階でもやってることは変わらない。
変わらないどころか彼女は別の職場へ一時異動となったのでもはや職場で会ってすらいないのだ。
実はちょっとお願いがあって...これからはケンくんって呼んでもいいですか?
改めて記すが私は十年近くこの会社に在籍している三十路超えのおっさんで、彼女は新入社員としてやってきてまだ一年。十年近い差のある先輩後輩の関係だ。
それをくん呼びしようとしているのだ。正気とは思えない。
私は記憶喪失でもしているのだろうか。知らない間に彼女と何かしらやり取りを沢山してきていないとあり得ない会話が展開されている。
ただでさえ今は自分と仕事の関係性で悩んでいるのに、これ以上変なことで悩みの種を増やされてはたまったものじゃない。
今度気の合う友人と会って相談するつもりだが、ひとまずここで現状を書き殴った。そういったところだ。
そう悩むのならなぜ最初に連絡先の交換を受け入れたのかと思われるが、流石に職場の人間相手に連絡先の交換を断るのは変だろう。
何故やり取りを続けるのか。最低限の礼儀として対応しているつもりだ。
とはいえこれ以上距離を詰められたくないと思っている。職場の人間との関係はその中だけで終わらせたい。プライベートへの干渉は私のような人間には苦痛だ。
相手は女性だ。同じ職場にいるのが気まずいから辞めるなど、変に話がこじれたら問題になりかねない。
単純に友人関係を築きたいだけなら良いのだが(いや良くない)、せめて段階は踏んでほしい。
それともこれが一般的な交友関係の築き方なのだろうか。わからないし、聞いたことも無い。
私はどうすればよいのだろうか。
私はどうすればよかったのだろうか。
あと急な行動内容の変更から考えるに彼女一人だけの行動とは考えづらいこと。
加えて呼び方に関して似たような変な呼び方をしていた本社の人間が一人いる。なおかつ彼女とも何度か話していたらしく、何か繋がりを感じるので今度会ったら問い詰めてみようと思う。
これからの行動はひとまずそれでいいだろう。過去を振り返るのはそのあとか、もしくはこれを見た方々から「こんなこともわかんねーのかよコミュ障」と叱責を受けつつ答えを貰えることを期待しよう。
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※ 英語に関係のない記事でもすべてのタイトルに「英語学習」を含むスタディハッカーの記事を除外しています。
via: anond:20260418115607 最近あまり英語の勉強法がホットエントリにならないよな
前回調査: anond:20230809103237 ※前回調査時の2022年までのデータはそのまま流用。再調査はしていません。追記: 合計usersをやめて1位記事に差し替えました。
高3のときにかかった統合失調症について自分の身に起こった症状を経過とともにまとめておく。まず秋の三者面談で担任に友達がいない=それだけコミュ力がないことを指摘された。
当時官僚に憧れていたが、そのことを知っていた他人は学力もそうだがそこを改善したところでその社交性の無さをどうにかしなければどうにもならないことを言ってきたのだ。
それに私は心底動揺したようで、母によれば帰りの電車でチック症状が出ていたらしい。そこから、受験勉強も頑張りつつ立派な人格者になろうと奮起したことでだろうか、だんだん行動と思考がおかしくなっていく。
柄にもなく今まで話したことも無いような生徒に話しかけるようになる。記憶力が良くなったような気分になる。化学式が水を吸い込むスポンジのようにすらすら頭に入っていく気分だった。
実際少しは記憶力が上がったのかもしれないが気分の部分が大きかったように思える。気分が高揚し何故か授業中でも教科書に書かれた偉人を模写するようになった。
普段の私は不器用な方で模写などできるようなタチでもなく、したとしてもゆっくり書いても線は歪にるし顔のパーツのバランスも元のようには書けなかったはずなのだが、そのときはなぜかさらさらと筆が運んだ。各パーツの境界等を線ではなく元の絵通り濃淡で表すなんて普段の私にはできないことを普通にしていた。数学の教科書のガウスを描いたときが特に印象に残っている。風邪でもないのに熱が出て学校の中で倒れるということが起こるようになった。何度か親に送り迎えされることがあった。
私は中学のころまでは学校の人間をいじめていたことがあったのだが、急にそのことを思い出し心底恥じ入る気持ちになり号泣した。そして旧友がどうなっているのか訪ねに行った。受験生なのに何をしてるのかと思うだろう?私にもわからない。
塾の特別講座や模試を受けに都心に行ったときはひどいものだった。湯島聖堂に行って人が引くような感服をした。ピンクのハトを見て神がかり的な力を感じてしまった。(ピンクのハト自体は幻覚ではなく写真に残っているしそもそもそこまで珍しいものではないと思われる)
興が乗りゲームセンターに行ってヴィクトルーパーズというゲームを体験する。プレイ時に自分の反射神経に関して今までとは違うものを感じて全能感を感じた。
そして確かリフレクビートみたいな音ゲーを他人がプレイしているところの画面をなぜかタッチした。当然苦言を呈された記憶がある。でもそのときの自分は意に介していなかったと思われる。
夜になっても秋葉原を闊歩してあるときは自分の腕力に自信を感じ筐体を動かせるかどうか試していた。
今思えば実際は持ち上げていたのではなく引っ張る程度でなんの腕力の証明にもなっていないのだがあのときはこう理詰めで考える力を失っていたように思う。
釣り合わないおっさんと若い女性が一緒に歩いている姿を見て、犯罪の匂いを感じ制裁してやろうとか思った(今思えばコンカフェのサービスに過ぎないだろう)。
街中で大学生と思しき数人の男女の組を見つけて話しかけて自分の志望大学について語る。あのときは普通に対応されたけど陰でやばい奴認定されていたのではないか。
道路にポスターが筒状に丸められたものが落ちていて、アキバでの土産として持ち帰るつもりだったのに、振り回したり膝に当てて曲げたりしていた。思考の滅裂が伺える。
結局その夜は終電を逃し、教科書等が入って10kgになっているリュックを背負ってほとんど休まず冬の夜を始発まで歩き続けていた。それは冬に露地で寝たら凍死するという、ここだけはまだ高校生としてまともなイメージによるものだった。
その最中、座って休んでいたときはとめどなく出てくる感じの英語を、どうせ誰もいないからと気持ちよく口に出した。まるで通訳ならそういう境地であるかのように、自然に英語で思考が言葉として頭に浮かんでくるのだ。これも今までにないことだった。今までの学んだことの蓄積が一気に爆発的にアウトプット可能なものへと昇華されたような感じだ。第三者がいないので、これが実は文法が滅茶苦茶だった空喜びだ可能性もある。
そうして家族には捜索願を出す迷惑をかけさせるなか帰宅した。保護入院のXデーは近い。またあるとき横浜へ行くと、キャリアになるような人間は高い志を持っていなければならないという心境で、ゴミ掃除をした。受験生なのに。
掃除しているところを見たお巡りさんから未来の官僚様へというふうな感じでブラックサンダーと栄養ドリンクをもらった記憶がある。ということは自分の希望進路をこの警官に行ったことになるのだが、だとすればこの警官の労いは奇妙な行動をする学生を生暖かい目でからかうことを意図したものだったかもしれない。自宅の近所に1000年前からあるという由緒のある神社と正一位の神格がある寺院に目を付け、この地域は稀に見る神聖な土地なのだという気持ちになる。
またその影響からかこのころから神のお達しを感じるようになったり(幻聴ではなくテレパシーのような感じ)自分に女性キャラクターが乗り移ったような感覚が現れることが起こるようになる。口調も普段から変わってしまう。
当時の社会情勢の悪さを神的なものとに結びつけ、寺社に赴いた記憶がある。おこがましくも何かを助言した記憶がある。別に神職者だって宗教を信じてないことが多いのに本物のやばい奴が来てしまったという感じだろうな。
マムシ=蛇の出没も神的なものと結び付け両側が藪の道を木の枝を下に向けて振り回しながら歩く。当時の本人にはマムシを追い払うことでマムシが持つとする瘴気を払うことを意図したものだろう。
またあるときは公園で木の枝を持ってこれが神風だという感じで大げさに振り回す。あくまで高校までの化学の知識から着想を得た「核戦争にも耐えられる強化外骨格」の設計ラフを書いた小切れなどを河原にばらまいたりもした。
夜寝てもすぐ起き上がって漢文がひらめくことが多くなりまともに寝なくなる。当時の自分としてはそれが漢文のいい訓練になるものだと思っていたことを覚えているが、志望大学は漢文の比重が重いものではないので、ほとんど無駄だったと思われる。
滑稽なのは四声も知らないのに(いや受験生としては問題ないんだが)漢詩等を次々書いて悦に入っていたことである。文法はともかく古代中国語として韻律のめちゃくちゃなものだった可能性が高い。
でもこんなことをしていたのには訓練以上に、漢文に書かれた思想に感じ入っていたところも大きい。
おかしくなった私の目標は立派な仕事に恥じない人格者になることだった。そして湯島聖堂に行ったときに孔子の深遠さに衝撃を受けた。
もちろん孔子自体は以前から知っていたが、偶然「聖地」を見つけ赴いてしまったことで、自分なりに感じた霊験あらたかさに、彼と彼の思想がいっそう素晴らしいものに感じるようになってしまった。
普通の受験生にとっては教材でしかない漢文から仁徳を感じ取るたびに感動し、過去の不徳な自分と対比して大泣きして大真面目に反省するという情緒不安定も起こっていた。
電車で、密着して二人の世界に入っている男女に話しかけたりもした。今考えれば当然のガン無視をされた。しかしやっぱり躁状態になっている私は誰とでも話せる人間になろうという思いが強かったのか意に介さないのである。
テレビでちょうどやっていたイスラム国関連のニュースの映像を見たときとてつもなく怖いものが見えたように感じ体を丸めて怯えたような記憶がある。あの心理状況はどういう原理だったか。
イスラム国はどうにかしなけばならないという義憤を感じてツイッターでアラビア語?で検索してイスラム国関係者と思しきツイートに直接リプライしたり、また当時の漢文にハマっていた自分らしくSNSのアカウント名を「莫歯牙(しがない)○○」をしたりそこで椅子子羊(イスラム)なる言葉を使って打倒を呼び掛けていた記憶がある。
世界中から反響があった感覚があったが、実際はただ日本人以外からなにがしかのリプライが来たと言うだけで、数としては数件に過ぎなかったのではないか。
でも当時は確かにカバオコピペのように「今までにない熱い一体感を感じ」ていた。
テレビのイスラム国に関する報道が自分の行動とリンクしているようにも見えていた。自分が世界に影響力を与えている気分になっていた。
調子が悪そうなことをした親に総合診療科に連れられたこともあり、そこで血液検査をしたらCK値の上昇が認められそこで筋肉が壊れてきていることを指摘された。
冬の夜通しの闊歩が祟った結果だと思われる。とはいえ今思うと自衛隊員は数十キロの装備を身に着けることもあるし、強力(ごうりき)はそれこそ100kg近くを背負って運搬するわけだから、ちょっと虚弱過ぎやしないかと思う。
しかし当時の私は筋肉が壊れるほど肉体を酷使している自分に対してこれまた全能感をこじらせ酔っていた記憶があるから滑稽だ。
また当時気になっている子がいたのだが、学校帰りに駅前のブティックに足を運んで何万、何十万かするビロードのような服を品定めしていこともあった。
そういう服を対象にしたのはすっかり自分が上流の人間の気分になっていたから。
そして将来は官僚になってこういうものを好きな子にプレゼントするんだと店員に息巻いていたと思う。
近くの受験が見えなくたって遠い不確定の可能性の低い将来を前提とした行動をとる、まさに統失仕草だったと思う。
卒業間際好意を伝えたときやんわり振られるオチまでついている。
こうしていろいろあって親は養護教諭に電話相談して、精神科への入院を勧められ、私の同意のもと保護入院することになったのだった。
※ブコメから知ったこととして保護入院とは家族の同意のもと行われる強制入院の一つだという事実があるが、私の場合入院したいか、それとも受験するどうかをあくまで私の意思を尊重する形で家族に確認されたため、法的なことはともかく実態としては任意の入院なのだった。
そこで統合失調症という診断が下されたが、診断名は変わる可能性があると言われた。
統合失調症は全段階として6か月未満の統合失調様症状というものがあり、中学のときのエピソードして、自分は悪魔になってしまったという発言や、ナイフの図鑑を買ったりポッカキットで処刑映像を見ていたことを統合失調症の期間として含めるべきかをはっきり判断できないからだということだそうだ。まあ今思えばさすがにこれはただの中二病だろうと思うが。
なお、記憶力や模写等脳の能力に関しての向上を記述したが、これが統失の症状としてあり得ることだったのか、私固有の現象だったのかはわからない。
統合失調症は服薬し続けず「治る」ケースがごく稀な病として有名だが、幸い私は薬も飲んでないが上記のような明らかな妄想も出ることなくただの発達障害(医療機関による診断済み)として暮らせている。
いろいろなことをした、「記憶はある」が、なぜそうしたのか今の自分では全く理解できないことが、過去あったその妄想と現在の現実を区別できる能力が回復している何よりの証拠だと思う。
ほんとう、記憶はあるが秩序のあるものとして理解できず、記憶を記録するにあたってはただあったことを羅列しているだけという気分が拭えないという部分は朝起きる直前の夢に似ているような感じがする。
この長文を書いたのは、統合失調症は脳機能の低下を起こすから患者になったことがある人本人に「書ける」人が少なく、このような本人直筆の体験談は貴重と考えたためで、使命感を持って書いた。
(使命感とかいうとまだ統合失調症が治ってないだろとか言う人が出てくるのかなと思いつつ)
【追記】
実はあれから既に十年以上経っている。
もし統合失調症が治っていない状態で薬をやめていた場合はだいたい長くとも1、2年で、もっとひどい状態で症状がぶり返すのが通例だ。
脳機能も一度目の急性期後より格段に落ちると聞いている。壁に自分の排泄物を塗りたくるようなレベルの廃人になるということだ。
しかし私は御覧の通りこうして記事が書ける程度の理性や知性をいまだ残せている。
それは、薬の副作用にアカシジアというものがあって、その、四肢の気持ち悪い感覚が苦痛だったからだ。
今も、断薬の承諾を得た精神科医本人から三か月おきに診察を受け経過を見てもらっているので、統失が治っていないということについては心配しないでほしい。
その医者の対応に対する違和感を書いてもらって思い出したが、それ以上に著しい倦怠感や思考の鈍麻が起こっていたことについて親が見兼ねたというのが大きかった。
統失の治療薬のイメージとしては躁的な症状をもたらす過剰な神経物質をブロックするというものだが、このころは既に陰性期あるいは寛解状態にあった。
つまり健康体の人間に投薬するのと変わらない状態で、症状を相殺するのを通り越して過度のドーパミン不足を誘発したのかほとんど寝たきりで毎日を過ごすような時期があったのだ。
こんなところにいたら殺される(滝山病院の例もあるので大げさな考えとは思われない)と心配した母親が担当医の忠告、「お母さんあなたも精神病ではないか」という苦言を振り切って入院期間を繰り上げたのだった。最初の急性期を見て薬を処方した入院先で断薬許可をもらったわけではなかったのだ。
ただセカンドオピニオンでかかった他の大学病院の医者も、以前のその病院の処方薬や量の内容を見てこれは多すぎると言っていたようだ。
今かかっているクリニックはこれらの統合失調症や発達障害の診断やそれに伴い我が家庭ではどう対処してきたかという経緯を理解したうえで、基本的にこちらの考えを尊重しときには睡眠の習慣を整えるためにロゼレム?を服用してはどうかと言われては、悪夢を見るから嫌だ、いやこれは他の睡眠薬と違って悪夢は見ないよ、でもちょっと抵抗があるから見送らせて欲しいとかああだこうだ忌憚なく相談できる関係性を築いている。
模写した絵などは残っていない。というのも数年前まで私の部屋は受験期にコレクションした参考書がずらりとならぶ、いかにも子供部屋おじさんの極致にあるような有り様だった。
しかし親に、いい加減高校時代のことに固執してもしょうがないだろうと、絵も描かれたノート類とともにすべて処分することを催促され、応じるしかなかった。化学の新研究とかぐらいは、通読してみたかったなと思っていたのだが。
絵の証拠写真を挙げないのでは一連の記述が創作と思えて仕方がないこと、もっともなことだ。信じる人が信じるだけでもこれ幸いというものだ。
少し退院後のその後の事を書くと、まず予備校に入って再度大学を目指そうとした。
しかし当時の自分は統失の余波か薬の副作用か大変疲れやすく、体験授業後にチューターには母の口から、授業中にも寝てしまうことも有り得ることが伝えられた。
また数か月か、あるいは一年ほど経った頃だったか、入院中も見舞ってくれた担任が定期的に会いに誘ってくるようになった。
と、このあたりのことを書くと俺がどこ高校出の誰かか特定される可能性が1%ぐらいは出てきてしまうと思っているのだが、そうなったらそうなったらでこの記事が創作でないことの証明にもなるわけなので、気にせず書いてしまおうと思う。
そうして職業訓練校を目指すことになった。その訓練校が試験で出す問題と同レベルのSPIとかの練習問題を解いた当時の自分としては、問題自体は大学受験とは雲泥の差の易しさだが、それでも油断はできなかった。
統合失調症と長い間机に向かっていなかった影響で、筆記スピードというあくまで肉体面の要素が著しく落ちていたからだ。
そんな私にアドバイスしてくれたり、数学の先生だったので、私が趣味で取り組んでいた数学に話を合わせ付き合ってくれた。
それに前後して北里か東海大(ここ記憶が曖昧)や、クリニックの児童精神科医にセカンドオピニオンを仰いでいた。
そこでいわゆるウェクスラーを受け、言語性IQが130で動作性が90前後という結果だった。その大学病院が役所に提出する用の親展の封筒を、やっぱり使わないと親が開けて見てしまった中身の書類の記述によると、大変頭の出来がいいというニュアンスの表現でべた褒めする内容だったそうだ。
言語性IQなんていかに成人向けに最適化されたテストといえど受験期等の蓄積で簡単に高成績が出る脆弱性がありそうでならないと私は思っているので、これは私より圧倒的に優秀な大学教授の心の余裕から来るリップサービスのようなものではないかと今は分析している。でも認知機能のテストの一種か何かで、100から次々7を引いた答えをどんどん言ってくださいという問いに自分なりになるべく速く答えたその反応に対しても早い早いと言っていたから、まんざら嘘ではなく、そういうことを総合してなのかな。
ともかくもしこの書類を出していたら障害者手帳の申請は通らなかったからこれでよかったということを親は言っていた。申請に使った診断書等はクリニックが書いたものだったと思う。そのクリニックだが今は児童 Permalink | 記事への反応(1) | 18:05
珍しいね
ちなみに夢精する前と後とで、模試の結果が悪化したというデータがあるのかな?
東大志望者なら(ましてや多浪者なら)定期的に模試を受けて合格判定を把握しているはずだけど
まあ大学受験する若い人なら夢精であろうとなかろうとほぼ毎日のペースで射精していて、それが勉強の妨げになるとはとても考えられないけどね
毎月大量出血する女性に比べたら、射精をする程度の男性の負荷はたいしたことないと思うよ
女性が月経で入学試験や資格試験で苦労するという話はよく聞くけど、男性が射精で苦労するというのは聞かないからね
うだつの上がらない中年が中高生向けのボカロ曲を作ってはMIXや編曲で生活していた
彼女は歌い手として活動しており、私が出した曲を二曲ほど歌ってくれた
もちろん私は弁えたおっさんで、中高生向けの音楽を作っていたのは、需要を満たすためでしかない
連絡を取って接触をしてきたのは向こうからで、こうなることは思ってもいなかった
でももちろん嬉しいものは嬉しいもので、相手がうちでレコーディングをしたいという申し出を断ることもしなかった
下心があった
二回、三回と家で収録するうちに向こうから付き合ってほしいと頼まれた
はじめはお父さんより年上だろうなどと拒否していたが二回目告白されたとき、断ることができなかった
はじめてキスをした
秋の出来事だった
私はそれ以上はなにもしなかった
18歳になった
私は拒絶した
受験があるだろ?それが終わったらにしよう
童貞の私には怖かった
未来ある若者を抱くことことよりも私の情けない肉体をさらけ出すことが耐えられなかった
待ちわびていた
最低だ
あれほど守りたいと言っていたのにナマで挿入した
30も離れた親子よりも遠い小娘をママと呼んで
恥じらいがありながらも幸福を感じている
大学受験の1年間を50歳の体で乗り切れるとは思えん
こんにちは。私は、2004年に現役で東大理一に入った、性別が女のものです。2026年現在はアラフォーの30代です。現在は翻訳者をしています。(特定を避けるため、年齢、科類などに少々、フェイクがあります。しかし、本質的な嘘はないです。)
まず伝えたいことですが、東大に入っても、それだけで、いいことはありません、そのために、大事な青春を割かないで欲しいです。そして、青春を割かなくても入れます。
本当に、今まで生きてきて、東大でよかったと思ったことにまだ出会えていません。まぁ、これは私の使いかたが悪いのかもしれません。もっと使う方法に聡くなるべきでしたが、とりあえず、まだいいことがありません。ただ、それでも悲観しないで人生を暮らせるのは、東大に入るために、それまでの時間を捧げては、なかったことです。そして、そんなことに人生の大事な時間をささげるのは無意味です。2年あれば、普通の人は多分受かります。
2年という具体的な数字を出しつつ、多分、というのは、私が1年家庭教師をした子たちが6人いて、その全員が東大に入学したのですが、その子たちは基礎学力があったので、基礎学力を鍛える1年を加えての2年です。
この話に、説得力を持たせるために、簡単に略歴を説明させてください。
私の父は転勤が予想されるサラリーマンだったため、過保護な両親の考えのもと、4年以内なら転校しても戻ってくることが可能な私立の小学校に入りました。
都内で中学受験をしたことのある方ならわかると思いますが、関東近辺の私立中学で、付属の小学校があるところに、基本進学校はありません。強いていうなら、四谷雙葉でしょうか。(なぜ、中受御三家を、強いて言うならというかは、後述します。)
ですので、私の出身高校からその年、東大に入ったのは、文系理系合わせてと、私だけでした。そう聞くと、きっと私が学年で1番頭がよくて、成績がいいと思われると思います。
違います。
計12年間通ったその学校で、私は本当に一回も1番をとったことがありません。そして、私より頭がいいと思う子もたくさんいました。小学校の時、100人弱いる生徒のうち、私はせいぜい15人目くらいでした。中学に入ってからは200人くらいいて、20番から50番くらいです。
では、なぜ、入れたか。それは、親戚や身内に東大生がいっぱいいたからです。
高度成長期の東大生はライバルの人数はずっと多く、入学者数は今より少ないです。そんな難しいゲームを勝ち抜いてきた身内が、まぁまぁ実生活でポンコツなわけです。たとえば、TVの配線ができなかったり、一緒にみてる映画や連ドラのオチが予想できなかったり。そういう人が身近にいることで、普通に努力したら入れそうだな、というイメージがわきます。イメージの力は大きいです。難しい!と思っているものになるのと、あの人もできたんだし!というものになるのでは、全然難易度が違います。
また、ギリギリ円周率が3.14の時代ですが、中学受験をしていないので、面積の計算にめっちゃくちゃ時間がかかります。数字を覚えていないからです。整数の二乗✖️3.14の数字のパターンを覚えていないだけでなく、実際はもっと酷くて九九ができません。必要な時は、何個か覚えているやつに、足し引きしています。これでは時間がかかりすぎるので、中学受験はおそらくタイムオーバーです。(でもさ、中学に行ったら、数学はXYで煩雑な計算量はぐっと下がる。算数で数学挫折するのよくないと思う。)
また、47都道府県も、47なのか、48なのか毎回悩みますし、県庁所在地は言えません。(しかし、東京都の県庁所在地に新宿区と書いて×だったのは、本当に納得がいきません。都庁は新宿区にあるのに。)
基本的にこれらができないと、中学受験には受かりません。でも、できなくても東大には受かります。なぜなら、これらは大学入試にでないからです。(ちなみに、私は九九ができないと公言する大人に4人あったことがありますが、その全員が理一に入学した日本人です。)
ではなぜ、中学受験の覇者である、進学校に東大合格者が多いのか。それは先程もいったように、身近に東大出身の人が多いからだと思います。先輩や先生の、あの人が入れるなら、僕も、私も、入れるだろうというイメージがわきやすいです。(一方で、自分より頭が良くないひとが入ったときの悔しさで、多浪してしまう負のループもなくはないのですが、、、)
ということで、東大に入るために、必ずしも進学校に行く必要はないと思うのです。そこで、私の知っている東大の受かり方を書きます。サンプル数は6ですが、今のところ、100%です。
1.バカにできる東大生をなるべく早く、多く見つけて、モチベーションアップ。
2.東大の古典の赤本を買ってきて、古文と漢文をやる。解こうとしない。回答・解説からやる。(入試にでる古典なんてたかがしれてる。解釈が確定してる古典の量多くない。)
3.東大の英語の赤本を買ってきて、以下同文。英語の評論文には、主題、主題を裏付ける根拠、反論、反論の反論などパターンがあるので、読めば読むだけ、パターンが頭に入る。物語文は難しいけど、東大の考える、高校生が読める範囲の物語文の難易度が過去問にしかないのでたくさん読むのがいい。(終わって暇なら、文豪シリーズの英文法楽しい。ヘミングウェイとかOヘンリーとか。)
4.あとは息抜きに、センターと東大の現代文に出てきた人たちの評論を読む。リービ秀雄とか鷲田清一とか。それだけで、文章を読む処理能力が上がる。多分高校生は。評論って生きててなかなか読まないので、読み慣れると処理スピードがあがる。その意味でも大量に読むほうが大事だけど、たまには赤本で出題傾向と解答を確認してもいいかも。
これ以外は、普通に勉強したらいいです。新学校や鉄緑会に行かなくても、本当に普通に青チャートとか化学重要問題集とかやれば。国語と英語で安定してとれてたら、理数も、社会も基礎問題を落とさなければ勝てます。
細かいコツで言えることがあるなら、
物理はなるべく微積で解く解法のものを習得するのがいいです。物理はどんなに難しいと言われる問題でも、高校生がとくためには、教科書範囲の公式に落とし込まれる必要があり、ものすごくパターンが少ないです。基本的に満点を狙えます。
化学は暗記が多いですが、計算問題を丁寧に落とさない。(計算演習をサボらない)分かってることを途中まででとも書く方法を身につける。
数学は解法を覚えようとしすぎずに、毎回、公式を導きだすくらいの気持ちで、演習をする。正直なぜか数学の難易度だけ年により当たり外れがすごい。ので、難しい年も簡単な年も、全員解ける問題を確実にとるのが大切。また、数学を得点源にしようとしても、簡単な年はそこで差がつかない。私は過去問でも模試でも2完と部分点が実力だったのに、当日は4.5完分の点数がついてた!自分でもびっくり。
ってことは本当は数学できるんじゃ?って思う方もいるかもしれないけれど、数学は本当に苦手意識が強くて、色々ミスって、数1が82点、泣きそうになりながら挽回した数2は100点。難易度と実力と点数が全て見合ってない。試験は本当焦ると実力が出せないもあるので、一教科でちょいミスしても、判断されない5教科7科目はむしろ人間的だと思う。
***
さて。なんでこんなことをツラツラと書いているかと言うと、
から、
中受で失敗したと落ち込んでいる子も、
ちょっと勉強かできるからって傲慢なまま東大に入って頭が悪い子はレイプしても仕方がないって思う間違った選民思想を持つような子も、
ちょっと勉強ができるから上のクラスにいたけど大学受験うまくいかなくて、その後やさぐれちゃう子も、
まるっといなくなったらいいなと思うので。
勉強ができるよりも素敵な人間性ってたくさんあって、勉強だけがフォーカスされ過ぎてると思う。
何かを成し遂げるには、まず、品性。次に体力。最後が知性だと思う。そして、知性は学歴とイコールではない。本当。
40手前になって、東大しか自慢できることがないのダサいし、40手前になって中受の栄光の話してるのもダサいし、自分がたまたま進学校から東大だからって中受でちょっとうまくいかなかったくらいで、娘に失望してる両親もダサい。
と、ここまで、私のお気持ち表明。
とにかく東京に行って芸能人に会いたい!みたいなノリで、何の計画性もなく上京して、カフェや服屋のバイト→給料少ないから夜職に→後は堕ちてくだけ、みたいなの山ほどいるから。
昔山口メンバーがやってた「ボンビーガール」って番組でも、まあヤラセもあるだろうがあまりにも何も考えてない子が多かったもん。
もちろん男でもそういうのいるけど、やっぱり地方の女の子はワンチャン結婚すれば自分は真面目に一生仕事しなくてもいいしって思想がまだまだ強いし、単にやるというよりはその中から結婚相手見つかれば…みたいな皮算用はあると思うよ。
男の場合はまだ(無謀だとしても)アニメ関係の仕事したいとか音楽やりたいとかあっても、田舎の女子は特にそういうのもなく、男見つければなんとかなるって思ってるのは多い。
10 users 以上のブックマークを集めた記事本数 という切り口で見ると、2010年代前半が最盛期だったと言えるのかもしれない。100 users 以上では最近になっても比較的堅調。1000 users 以上は衰退の色が見えるが、2011年 と 2012年 の突出も気になる。
| 年 | 10 users+ | 100+ | 1000+ | 1位 users |
|---|---|---|---|---|
| 2005 | lllllllll 93965 | 7417 | 182 | 7044 R25.jp |
| 2006 | llllllllllllll 146641 | 7734 | 160 | 9991 はてなブックマークをはじめる |
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| 2010 | llllllllllllllllllllllll 249693 | 16532 | 541 | 7663 20歳を過ぎてから英語を学ぼうと決めた人たちへ... |
| 2011 | llllllllllllllllllllllllllll 289418 | 18515 | 1032 | 6174 Youtubeの動画を背景に |
| 2012 | llllllllllllllllllllllllllll 287785 | 21069 | 1109 | 7115 僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった - しのごの録 |
| 2013 | llllllllllllllllllllllllllll 281561 | 27302 | 340 | 4808 【保存版】英語の勉強方法まとめ。これ見たらDUOやろう。TOEIC、大学受験... |
| 2014 | lllllllllllllllllllllllllll 274959 | 29784 | 402 | 4030 見やすいプレゼン資料の作り方 - リニューアル増量版 |
| 2015 | llllllllllllllllllllllllll 265963 | 25896 | 308 | 3050 役所があえて教えない、申請すれば「もらえるお金・戻ってくるお金」 |
| 2016 | lllllllllllllllllllllllllll 275797 | 23674 | 404 | 4061 PCデポ 高額解除料問題 大炎上の経緯とその背景(ヨッピー)... |
| 2017 | llllllllllllllllllllllllll 262811 | 23021 | 412 | 5813 誰も教えてくれない「分かりやすく美しい図の作り方」超具体的な20のテクニック |
| 2018 | llllllllllllllllllllll 225487 | 24196 | 383 | 3700 増田文学100選 |
| 2019 | lllllllllllllllllll 198663 | 23844 | 404 | 4283 「麻婆豆腐の作り方」を四川料理のスゴイ人に教わったら、目からウロコが... |
| 2020 | llllllllllllllllllll 200023 | 25630 | 454 | 7296 普通の人が資産運用で99点をとる方法とその考え方 - hayato |
| 2021 | lllllllllllllllll 176841 | 24983 | 409 | 3491 浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた.. |
| 2022 | llllllllllllllll 160971 | 24412 | 296 | 4660 【詳しすぎる2週間】親の死亡後にまずやること(行動チェックリスト付)... |
| 2023 | llllllllllllll 147495 | 23046 | 245 | 2759 新NISAは庶民に十分すぎるほどの制度 - 銀行員のための教科書 |
| 2024 | lllllllllllll 133476 | 22545 | 197 | 4351 あなたが癌になった時に最初に知ってほしい事 |
| 2025 | lllllllllll 115361 | 22798 | 149 | 3180 【保存版】親が亡くなったらやること全52項目を解説!一覧チェックシート付き... |
注:
via: ブクマカってなんではてブが衰退してることからは目を逸らすの? anond:20260312084614
幼馴染の名前はSということにする。幼馴染っていっても、俺は保育園でSは幼稚園だったから、知り合ったのは小学校に上がってから。
小学校から高校まで同じで、高二の秋から高三の春まで半年くらいつきあっていた。
別れた理由は今となってはよく覚えていないんだけど、たしか俺が大学受験を言い訳にしてだんだん連絡しなくなって、向こうから「もういいや」ってなった感じだったと思う。今から考えると、我ながらなんでそうなるんだよって感じだ。
別れた後も実家が近いから年に一、二回は顔を合わせて、最初はちょっと気まずかったけど、二十代のうちにそれもなくなった。お互い東京で就職して、たまに地元に帰ると居酒屋で旧友たちと飲む、そういう関係になっていた。
俺はSのことを「よく知っている他人」として処理していたし、向こうもそうだったと思う。
それが去年の夏、地元の同窓会みたいな飲み会でたまたま二人で外に出て、わざわざ自販機でお茶買って酔い覚まししながらだらだら話してたら、なんか急に「久しぶりに二人で飲まない?」ってなった。特に下心があったわけでもなく、本当になんとなくだった。出席してた中で一番仲良いヤツに、「ごめん後で払うから」って言ってそのまま抜けた。
何を勘違いしたのか、「頑張れよ」って言われた。結果からすると勘違いじゃなかったんだけどな。あとからペイペイで払った。
それから月一くらいあちこちで飲むようになった。Sは毎回、「ここで飲もう」って店を提案してきた。おごろうとしても毎回きっちり割り勘だったけどな。
俺はまあ友達として会ってるつもりだったんだけど、ある夜Sに「ほんとうに鈍いよね」と言われた。なんの話かと思ったら、「また好きになってるんだけど気づいてた?」と言われた。
気づいてなかった。本当に気づいてなかった。
「あとさ、店が段々君の家に近づいてることも気づいてなかったでしょ?」
そっちは実は気づいてた。
それから、当然のように「うち来る?」ってなって、殆どそのままの流れで同棲を始めて、半年でプロポーズして、来月入籍する。なんか、あっという間だった。でも三十過ぎると変なためらいがなくなるというか、「これだな」と思ったらそれ以上考えなくなるというか。
親に報告したらなんか母親がわんわん泣いて、Sの母親も泣いたらしく、二人の母親がLINEでやり取りしているという謎の状況が発生していた。なんか俺たちより周りの人間のほうが感動してる。
こうして振り返ってみると結構劇的な展開に見えるけど、当事者としては全然ドラマチックな気分じゃない。うれしいし、正直ほっとしてる部分もある。でも「感動的な恋愛をした」という感じではなくて、「やっと当たり前のことに気づいた」という感じに近い。十年以上かけて回り道して、気づいたら最初の場所に戻ってきた、みたいな。
高三の春に俺がまともに向き合っていたらこうはなってなかったかもしれないし、なっていたかもしれない。そういうことを考えても仕方ないのはわかってる。
来月、ふたりで区役所に行く。それだけのことなんだけど、なんかちょっと笑えてくる。Sが「緊張するね」と言ったので「なんで?」と聞いたら「なんでって、そりゃするでしょ」と怒られた。
そうか。するのか。じゃあ俺もそろそろちゃんとしなきゃな。