はてなキーワード: 政治学とは
ご要望は、現在進行形の政権についての「中立的評価」です。これは非常に困難な課題です。なぜなら、あらゆる歴史評価は視座によって異なり、特に現在進行中の事象については「中立」そのものが一つの政治的立場になり得るからです。
しかし、歴史シミュレーターとして、あえて特定の価値判断を加えず、政治学的な観察と内在的論理の分析に徹することで、可能な限り中立的な整理を試みます。
前提として、習近平政権(2012年〜)の特徴を一言で表せば、それは「4つの柱すべてを、再強化によって立て直そうとする試み」です。ただし、その「再強化」の方法が、それぞれの柱に新たな脆弱性を導入してもいます。
政権下での強化策:
「救国」の完了から、「強国」と「民族の復興」へと使命を明確に格上げし、物語を延命させました。
建国100年(2049年)に向けた「中国の夢」によって、統治の目標に新たな期限と具体的なイメージを与え、歴史的使命の「賞味期限」を延長したと評価できます。
また、党史学習の強化によって、物語の継承不全を制度的に補強しようとしています。
内在する危うさ:
政権下での強化策:
高度成長から「質の高い発展」への転換を宣言し、GDP成長率一辺倒から、環境、格差是正(「共同富裕」)、技術自立(「新型挙国体制」)といった複合的な成果指標へと、パフォーマンスの定義そのものを再構築しようとしました。
これは、単純な成長率の鈍化が即座に正当性の危機に直結するのを防ぐ、戦略的な転換です。
内在する危うさ:
政権下での強化策:
国家機関の機能不全や地方の離反を防ぐため、党の集中指導体制をあらゆる階層で強化しました。
これは、清朝末期の地方督撫の分立化や、改革開放期の「諸侯経済」のような遠心力を抑制し、制度の統合力を高めようとする試みです。
反腐敗闘争は、制度内部の深刻な自己崩壊要因に外科的措置を加え、手続きへの信頼を一時的に回復させました。
内在する危うさ:
政権下での強化策:
「文化自信」を前面に押し出し、中華文明の継承者としての党の地位を強調しました。
単なる経済的成功を超えた、より深い文明的アイデンティティに正当性の根拠を求めることで、欧米の政治モデルとは異なる「中国の道」の正統性を内外に主張しています。
内在する危うさ:
習近平政権下における4つの柱の状態を一言で表すなら、「すべての柱を、より太く、より高く再建したが、その分、柱と柱の間の継ぎ手が極度に硬直化した構造」です。
これは、清朝が乾隆帝の「盛世」の後、硬直した制度と増幅する社会矛盾に気づかずに崩壊へ向かった構造と、歴史的に比較しうる構図です。
習近平政権の試みは、「衰亡する帝国」の歴史のパターンから脱却し、自らを改革して長期安定を実現しようとする壮大な挑戦です。
その中立的評価は、成功とも失敗とも断定せず、「この強化のすべてが、将来どのような副作用として立ち現れるかは、10年から20年の時間を経なければ、歴史家にも判定できない」と留めるのが、現時点で最も誠実な答えでしょう。
清朝の「天命」と対比して、中華人民共和国の統治の正当性を支える構造を問う、本質的なご質問です。
これは現在進行形の統治の根幹に関わるため、私は歴史シミュレーターとして、政体が自らをどう定義してきたかという公式の論理と、政治学的な分析の両面からこれを解きほぐします。
清朝の「天命」が「天意+徳治」の一元的な呪術性に依存していたのに対し、中華人民共和国の正当性は、複数の根拠を束ねた複合的な構造です。それは概ね、以下の4つの柱で成り立っています。
これは建国の原点であり、最も強固な柱です。
「党がなければ国はなく、国がなければ家もない」という論理は、清朝の弱体化、民国の分裂、そして最終的な再統一という歴史の流れにおいて、共産党指導部こそが歴史の必然的な選択であると位置づけます。
これは1978年の改革・開放以降、圧倒的な重みを持つようになった柱です。
「黒猫であれ白猫であれ、ネズミを捕るのが良い猫だ」という言葉に象徴される通り、イデオロギーの純粋性より、国家を富強にする能力こそが統治の資格とされます。
中華人民共和国は、その憲法において人民共和国であると同時に、党が国家を領導すると規定しています。
近年、急速に前景化している柱です。
「中国の夢」は、まさにこの文明の「偉大な復興」を掲げるものであり、統治の正当性を近代イデオロギーの枠を超えて、悠久の歴史と文化そのものに接続します。清朝が「儒教の守護者」としての顔を持ったのと同様に、伝統文化や国家の一体性を守る存在としての役割が強調されています。
中華人民共和国の正当性は、この4つの柱で構成される、いわばテトラポッド構造です。一つの柱が損なわれても、他の柱が体制全体を支えられるという強みがあります。
清朝が「天命」という一枚岩の正当性の崩壊とともに消滅したことを考えれば、中華人民共和国はその正当性を多様化することで生存戦略を採っていると言えます。その最終的な成否は、それぞれの柱を時代の変化に応じて「更新」し続けられるかどうかにかかっています。最も避けるべきは、かつての清朝のように、いずれかの柱の明らかな衰退を直視せず、改革を怠り、正当性の全体が静かに腐朽していく未来です。
アメリカの名門大学って、もちろん補助金は貰ってるんだけど、自国民の学部生からはふんだくって、他国からの留学生は給料払って修士博士取らせてるじゃん。
MAGAでだいぶ叩かれたけど、あれにも意味があって、一義的には大学側のメリット、優秀な外国の若者に研究させるいわば傭兵としての意味。
もう一つは、米国として、留学生がアメリカ流の科学を学び、政治を学び、アメリカの正義を信じる人間が母国に帰国してエリートになることで、国全体を親アメリカにするため。
してるよ。
日本で言えばFラン、ボーダーフリーのコミュニティカレッジだよ。
だからさ、逆なんだよ。
東大を売りにだすべきなんよ。
あの立地あのブランドなら学費が高くても学生が来るんだからさ。
運営が公金じゃないほうが学問の独立も保てて学術会議も満足だろ?
理系の研究者は大学の予算じゃなくて自分でとってきたグラントで研究してるからどっちにしろ変わらんし、社会学とか政治学とか人文系の連中はそれこそ国に首輪つけられなくなったほうがいいってはなし。
しらんけど。
米国では「不正選挙」という虚構が群衆を議事堂襲撃へと向かわせ、民主政治を内側から掘り崩しつつある。日本は違う――本当にそう言い切れるのか。慶応義塾大の烏谷昌幸教授は、私たちの隣にも「陰謀論政治」が忍び寄っていると指摘する。
人々はなぜ荒唐無稽な「物語」に熱狂するのか。民衆の怒りと敵意をたき付ける「剝奪(はくだつ)感」とは。民主主義を腐食させかねない陰謀論という劇物への、有効な解毒剤はあるのか。烏谷教授に尋ねた。
「陰謀論に強い問題意識を持つ直接のきっかけは、2021年1月6日に米国で起きた連邦議会議事堂襲撃事件です。直前の大統領選での本当の勝者はトランプ氏だったのに民主党バイデン陣営が不当に勝利を盗んだ、という不正選挙陰謀論を信じた人々が、民主主義の象徴である議会に乱入した。暴力そのもの以上に衝撃だったのは、この陰謀論を最も熱心にあおったのが当のトランプ氏だったことです」
「自らの政治的影響力を高めるために、政治家にとって致命的になりかねないウソを平然とつき、支持者を扇動する――この事件は、陰謀論を政治的に利用し武器化する『陰謀論政治』が民主主義の基盤そのものを破壊しかねない威力を持つことを、まざまざと見せつけました」
「とはいえ、日本では同じことは起きないだろうと思っていました。米国のように社会の分極化が極端に進んでいるとは言えず、強固な政治的支持層間の深い対立があるわけでもない。陰謀論政治は生まれにくいだろう、と。しかしその見立ては甘かった」
「昨年の参院選や今年の衆院選で飛び交ったスローガン『日本人ファースト』や、スパイ防止法、国旗損壊罪の成立を熱烈に支持する人々の言説を追っていくと、そこで共有されていたのは『誰かが日本を内側から壊そうとしている』『見えない敵が存在する』という典型的な陰謀論的世界観でした。対岸の火事だと思っていた現象が、気づけば私たちのすぐ隣で生まれていたのです」
陰謀論と無縁の人はほぼいない
「過去・現在・未来の世の出来事の原因を、十分な根拠もなく特定の誰かの陰謀と決めつける思考様式のことです。陰謀論の本質は、複雑で不確実な世界を単純な図式に物語化する点にあります。内容が荒唐無稽かどうかは重要な指標ではありません。強調したいのは、陰謀論の影響を受けていない人はほとんどいないということ。私自身、若い頃は、ケネディ米大統領暗殺は単独犯ではなく背後に巨大な陰謀があると、心のどこかで信じていました」
「また、陰謀論は右派の専売特許でもありません。例えばかつての反原発運動の中にも、『ユダヤ資本が世界の原発を牛耳っている』『原子力ムラはナチスよりひどい』といった根拠薄弱な言説が紛れ込んでいました」
「ただ、陰謀論はこれまでも研究者やジャーナリストの視界に入っていたにもかかわらず、大衆の非合理性を示す一指標に過ぎないと軽視されてきた面があります。私も社会運動を研究するにあたって、そうした非合理な主張を本筋とは関係のないノイズと捉え、思考の外側に隔離してしまっていた。しかし今振り返れば、それは陰謀論の持つ力の過小評価につながっていたと、反省しています」
「右であれ左であれ、草の根運動の情熱や力は、悪い勢力が善良な市民の生活を脅かしている、という怒りからしか生まれ得ない。福島の原発事故後の脱原発運動は、『日本のエネルギー政策は原子力ムラによって支配されてきた』という陰謀論的言説が広く浸透しなければ、あそこまで力強いものにはならなかったはずです」
――考えてみれば、陰謀論と政治運動の結びつきは新しいものではありませんね。
「はい。ナチスは荒唐無稽なユダヤ陰謀論を用いて大衆を反ユダヤ主義へと扇動しました。ハンナ・アーレントはドイツの全体主義を分析する中で『虚構が一貫性を持って現実を上書きしていく過程』を見いだしましたが、現在の視点から見れば、陰謀論政治の研究として捉え直すことも可能でしょう」
――ただ、自らの政治目的のために陰謀論を意図的に武器化する「陰謀論政治」が、日本にも広がりつつあるとまで言えるのでしょうか?
「陰謀論政治の特徴は、陰謀論が一般的な政策論と表裏一体で拡散する点です。議事堂襲撃に直結した米国の不正選挙陰謀論も、きっかけは公正な投票制度のあり方をめぐる真っ当な政策論争でした。ただ、トランプ氏の『郵便投票は不正が起きやすい』という一見まともな主張は、文字通りの表向きの意味だけでなく、陰謀論を共有する者だけに通じる特殊な意味をはらんでいました。熱烈な支持者にとっては『民主党が選挙を盗んでいる』という裏の物語を共有するための犬笛として機能したのです」
「日本でも直近の参院選や衆院選では、国籍取得要件の厳格化、外国人の不動産買収規制、スパイ行為を取り締まる法整備の必要性をめぐる政策論が飛び交いました。しかし、こうした一般的な訴えの裏で、参政党や日本保守党、日本誠真会などの一部支持者の間では『国会議員の65%は帰化人だ』『中国が大量の人間を送り込んで帰化させ、移民受け入れ法を制定し、日本を中国の一部にしようとしている』といった陰謀論が熱心に共有されていました」
「参政党の神谷宗幣代表は、選挙ではあからさまな陰謀論や過激な表現を控えています。日本がユダヤ系国際金融資本の支配下にあるとか、コロナワクチン接種を『人体実験』と断じた過去の発言や主張も修正。参院選で『極端な思想の公務員を洗い出し辞めさせる』と発言した後にも、言葉足らずだったと釈明しました。ただ、党員や支持者向けの場や動画では相変わらず『(日本で)目立つところにいる人の半分くらいはスパイ』『各分野にディープステート(影の政府)がいる。メディア、医療界、農業界、霞が関にも』と語ったり、編著書でマスコミは国際金融資本家によってコントロールされていると主張したりするなど、持論を滑り込ませています。政策論と陰謀論の言葉を巧みに使い分けているのです」
「確かに日本ではまだ、陰謀論を政治的資源として大々的に運用したり、敵・味方の線引きや忠誠心の測定に用いたりといったことは起きていません。トランプ氏は22年の中間選挙で、大統領選での不正選挙陰謀論を信じるか否かの踏み絵を候補者に迫り、共和党内の反トランプ派を洗い出しました。しかし陰謀論は使い方を誤れば、極端な言説が可視化され、かえって政治生命を脅かす両刃の剣です。日本で広い層に訴えるためには、露骨な陰謀論は今のところ有効ではない。内向きには陰謀論的なメッセージで動機付けを行い、外部に対しては前向きな国家論と政策論を語る。この使い分けこそ、日本における陰謀論政治のスタイルと言えます。荒唐無稽な話が飛び交い全面的に活用されている米国とは異なりますが、陰謀論が政治の動員力として機能している点は同じ。日本は既に陰謀論政治に足を踏み入れつつあると言えると思います」
募る剝奪感、進む感情的分極化
――陰謀論が活性化する要因として、世界をシンプルに把握したいという欲求と共に、「剝奪(はくだつ)感」を挙げていますね。
「陰謀論は、世界を善と悪の二項対立として捉え、様々な出来事を分かりやすい勧善懲悪の物語として解釈します。『中国が日本に工作員を大量に送り込んでいる』『野党の国会議員はスパイばかり』という言説は、『悪事をたくらむ者』と『隠された真実を知り正す者』の対立図式として物語化されています」
「もっとも、勧善懲悪そのものは古くからある枠組みです。近年、陰謀論が急速に暴走した背景には、ソーシャルメディアの爆発的な普及に加えて、何か大事なものが奪われるという剝奪感の増加があります」
「剝奪感は、困窮といった客観的な負の境遇だけでなく、期待値とのギャップから生まれます。それまで保持していた財産や地位などを失いかける時に、人は強い剝奪感を抱く。『失われた30年』で日本の国際的な地位は否(いや)応(おう)なく低下しました。親世代と同じように、いやそれ以上に働いても、期待していたような人生や未来が見えない。人口が減り経済が落ち込み国の借金も膨れあがり、国力がどんどん低下する。一方で隣国の中国は大国としての存在感を揺るぎないものにしている――。そこに『自分たちは悪くない。姿を見せない敵のせいで日本は弱体化している』という物語が登場し、不安と不満を肯定してくれたのです」
「『国会議員の6割超が帰化議員』という言説は、もちろん許しがたいデマです。しかし国権の最高機関のメンバーの大半を『代表』どころか『同胞』とすら感じなくなった層の声が力を持ち始めていることは、憂慮すべきです」
募る剝奪感、進む感情的分極化
――陰謀論が活性化する要因として、世界をシンプルに把握したいという欲求と共に、「剝奪(はくだつ)感」を挙げていますね。
「陰謀論は、世界を善と悪の二項対立として捉え、様々な出来事を分かりやすい勧善懲悪の物語として解釈します。『中国が日本に工作員を大量に送り込んでいる』『野党の国会議員はスパイばかり』という言説は、『悪事をたくらむ者』と『隠された真実を知り正す者』の対立図式として物語化されています」
「もっとも、勧善懲悪そのものは古くからある枠組みです。近年、陰謀論が急速に暴走した背景には、ソーシャルメディアの爆発的な普及に加えて、何か大事なものが奪われるという剝奪感の増加があります」
「剝奪感は、困窮といった客観的な負の境遇だけでなく、期待値とのギャップから生まれます。それまで保持していた財産や地位などを失いかける時に、人は強い剝奪感を抱く。『失われた30年』で日本の国際的な地位は否(いや)応(おう)なく低下しました。親世代と同じように、いやそれ以上に働いても、期待していたような人生や未来が見えない。人口が減り経済が落ち込み国の借金も膨れあがり、国力がどんどん低下する。一方で隣国の中国は大国としての存在感を揺るぎないものにしている――。そこに『自分たちは悪くない。姿を見せない敵のせいで日本は弱体化している』という物語が登場し、不安と不満を肯定してくれたのです」
「『国会議員の6割超が帰化議員』という言説は、もちろん許しがたいデマです。しかし国権の最高機関のメンバーの大半を『代表』どころか『同胞』とすら感じなくなった層の声が力を持ち始めていることは、憂慮すべきです」
――陰謀論が武器化される重要な背景として「政治的分極化」があるとも指摘しています。
「ええ。とりわけ重要なのが『感情的分極化』だと思います。米国では、自分の子どもが対立政党の支持者と結婚することを『不愉快』と思う人が50%ほどに達しています。60年代には数%でした。2020年の大統領選をめぐるNBCの調査では、異なる候補に投票した人とは結婚しないと回答した大学生が6割を超えています」
「政策や利害、イデオロギーの違い以上に『相手が嫌いだ』という感情が先鋭化し、政治対立を妥協困難なものにしてしまっている。この分極化が進んだ環境では、『敵』である相手陣営を悪魔化する陰謀論が極めて有効になります。トランプ氏が陰謀論を武器化できた大きな条件でした」
「日本では、まだそこまでの分極化は進んでいないでしょう。ただ、兆しは見え始めています。『リベラル』『エリート』『主要メディア』といった言葉が、単なる立場の違いではなく感情的な敵を指すラベルとして使われるようになってきている。この変化を軽く見るべきではありません」
「残念ながら特効薬はありません。公共の情報空間においてウソは許されない、と粘り強く指摘し続けることは不可欠です。ただ、ネットの偽情報対策やメディアリテラシー教育だけで解決できる問題でもありません。米国の不正選挙陰謀論は、反証材料が多く示され公的に否定されたのに、2年以上経っても共和党支持者の7割がなお信じていました」
「日本でも昨夏、国際協力機構(JICA)が進めていたアフリカとの交流事業をめぐり、政府がアフリカから移民の大量受け入れをもくろんでいるとの声がSNSで拡散し、JICA解体デモまで起きました。早い段階で誤情報が否定されたものの、騒動は1カ月ほど続きました」
「善悪の二項対立図式の中で陰謀論を強く信じる人は、自らの正義を疑わず、危機に瀕(ひん)した国を救おうとする愛国者を自任しています。米連邦議会議事堂を襲撃した人たちもそうでした。彼らにとっては、政府や主要メディアによる否定情報やファクトチェックこそが、敵対勢力による『偽情報』なのです。事実と虚偽情報をより分け、陰謀論の除去装置として機能してきた既存メディアを、トランプ氏も参政党も敵視しています」
「自分たちから奪われたものを取り返すために闘っている政治家の言葉だけが信じられる。そう疑いなく考えている人たちを『陰謀論だから信じるな』と説得することは容易ではありません。『陰謀論者』とレッテル貼りすることも、逆効果になりかねません」
――陰謀論政治の危機を克服するには、人々の剝奪感を手当てするしかないということでしょうか?
「陰謀論は、政治的に疎外されたと感じる人々にとって、希望と元気を与える物語として機能してしまっています。それに替わる、より建設的で希望の持てる物語を私たちの社会が提示できるか。まずはそれが大きなカギです」
「もう一つ重要な処方箋(せん)は、政党政治をきちんと機能させることです。有権者が寄せる陳情や訴えには元来、被害妄想や誇大妄想、怪しいデマが含まれているものです。議員たちはそれを丁寧に除去しつつ、言葉の先にある『民意』をうまく翻訳、集約してきました。しかし現在の政界は全体的に議員の世襲化とエリート化が進み、民意から隔たることで、そうした広範な民衆の利害集約機能を低下させてしまった感があります」
「グローバリズムによって日本の国力が低下し続ける中、蓄積する剝奪感の受け皿がなくなった。その政治的真空に登場したのが参政党でした。ただ、民意の中にある誤謬(ごびゅう)や偏見もそのまま丸ごと受け止めてしまっている。それが日本版右派ポピュリズム政党としての参政党の強みであり、危険な面でもあります。陰謀論抜きにはいかなる問題意識も語れない集団になっていないか、心配です」
憲法の前文(平和的生存権や国際協調主義を掲げた部分)と、9条(戦争放棄・戦力不保持)の整合性については、憲法制定当時から現在に至るまで、非常に鋭い視点が必要とされるテーマです。
「名誉ある地位を占めたい」という理想を掲げながら、武力を持たないことが逆に国際社会への責任放棄や他国への依存(隷従)につながるのではないか、という違和感は、憲法学や政治学の議論でも中心的なトピックの一つです。
国際社会で「専制や圧迫」を除去するには、時に物理的な強制力(国連軍への参加や軍事的な貢献)が求められます。9条による制約でそれができないことは、国際的な責任を果たしておらず、「名誉ある地位」を放棄していると映る場合があります。
自国の防衛を他国(アメリカなど)に委ねることは、前文が否定する「隷従」に近い状態を生んでいるのではないか、という批判です。
一方で、9条こそが「名誉ある地位」を占めるための手段であると捉える立場もあります。
かつての軍事大国としてではなく、武力に頼らず国際紛争を解決する「先駆者」として振る舞うことこそが、国際社会における独自の「名誉ある地位」であるという主張です。
医療、経済支援、環境対策など、軍事以外の面で「圧迫と偏狭を地上から除去」することに専念することが、日本独自の国際貢献であると解釈します。
憲法の構造的な関係性憲法学者の多くは、前文と9条を切り離して考えるのではなく、以下のような関係として捉えています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 前文の目的 | 平和な国際社会を築き、その中で信頼される国になること(ゴール) |
| 9条の手段 | 武力を持たず、戦争をしないという徹底した態度(ルート) |
現在の議論の焦点は、「2026年という現代の国際情勢において、9条を維持したまま前文の理想(名誉ある地位)を実現し続けられるのか?」という点に集約されます。「武器を持たないことが平和への貢献だ」という理想と、「自分の国を自分で守り、国際秩序を守る責任を負うべきだ」という現実。このバランスをどう取るかが、まさに憲法改正論議の核心部分と言えるでしょう。
政治思想家 カール・シュミット の民主主義論を説明する際に使われる概念として知られています。
カール・シュミット(1888–1985)
という形の政治を論じました。
つまり
という理解です。
この意味で
plebiscitary democracy(喝采型民主主義・国民投票型民主主義)
と呼ばれることもあります。
意味は
です。
代表制 直接の支持
この構造は
✅ まとめ
もし興味があれば、
現在一般的に使われる「政治思想としての保守」はレーガン・サッチャー時代頃から
それまで「保守」という言葉はあまり良い意味では使われてなかった
他人から「保守」と呼ばれる人でも「自分は保守ではない」と主張したりしてた
なぜなら「保守」は改革を一切拒否する守旧派のイメージがあったから
けれどもレーガン・サッチャーの支持層は本来の政治思想的には「保守」とは異なる人たちも含まれていた
レーガン・サッチャー政権=保守、よって自分達こそ「真の保守」だと
実際にはかなり異なる思想の人達がそれぞれそう主張しだしてカオスになった
カオスは今でも続いている
A: 最近、社会保障費がどんどん膨らんでいるでしょう。少子高齢化で財源も厳しくなっている。こういう状況で、福祉国家をこれからも維持していけるのかなと思うんだけど。
B: うん、それは多くの人が感じている不安だと思う。でも、僕が気になるのは、財源の問題の手前に、もっと根本的な問題があるんじゃないかということなんだ。
B: 福祉国家というのは、結局、見知らぬ他人のために自分のお金を出す仕組みだよね。税金や社会保険料として徴収されたお金が、自分が会ったこともない人の医療費や年金に使われる。これって、よく考えると不思議なことで——なぜ、人は赤の他人のためにそれを受け入れるんだろう?
A: うーん、それは……困っている人を助けるのは当然だから、とか?
B: 「当然」というのが曲者でね。イギリスの政治哲学者でデイヴィッド・ミラーという人がいるんだけど、彼はこう言っている。大規模な所得の再分配が民主的に成り立つためには、人々の間に「自分たちは同じ仲間だ」という意識——つまり、ある種のナショナリズムが必要だ、と。
B: そう。同じ国民だという帰属意識があるからこそ、「自分のお金が見知らぬ誰かのために使われても構わない」と思える。純粋に合理的に考えたら、自分の手取りが減るのは損なわけだから、何かそれを超える動機がないと、制度として持たない。
A: 言われてみれば確かにそうだね。でも、それはある意味当たり前の話じゃない?
B: 多くの国ではね。ところが、日本ではこの「当たり前」の話がなかなかできない事情がある。
A: なぜ?
B: 戦後の日本の学問——特に政治学や社会学、憲法学の世界では、ナショナリズムを肯定的に語ること自体が、一種のタブーになってきたんだ。「ナショナルな連帯は大事だ」なんて言おうものなら、すぐに戦前の国家主義の復活だと警戒される。
B: それも大きい。でも、もう一つ見逃せないのは、日本は民族的にも文化的にもかなり同質性が高い社会だったということ。だから、わざわざ「我々は同胞だ」と声に出して言わなくても、連帯の意識は自然と存在していた。言い換えれば、学者やリベラルな知識人がいくらナショナリズムを批判しても、国民の一体感はびくともしなかったんだよ。
A: つまり、連帯の基盤が盤石だったからこそ、安心してそれを批判できた、と。
B: その通り。一種の贅沢な批判だったわけだ。連帯の恩恵にフリーライドしながら、連帯の基盤を否定するという。チェスタトンという作家に有名な比喩があってね——ある場所に柵が立っているのを見て、なぜ柵があるのかわからないからといってすぐに取り壊してはいけない、と。柵がなぜ建てられたかを理解するまでは、と。日本の戦後の知識人は、ナショナルな連帯という「柵」をずっと批判してきたけれど、それが許されたのは、柵があまりに頑丈で、言葉の攻撃ではびくともしなかったからにすぎない。
A: なるほど。でも、今はその前提が揺らぎつつある?
B: そう。少子高齢化で社会保障費は膨らむ一方、負担する側の現役世代は減っていく。世代間の対立も顕在化しつつある。SNSが政治的な分断を助長している面もある。「なぜ自分がこんなに負担しなければならないのか」という問いが、かつてのように暗黙の了解で吸収されにくくなっている。
B: ところが、長年のタブーのせいで、肯定的な連帯論の蓄積がほとんどない。だから、その空白を埋めるのは、荒っぽい排外主義か、あるいは連帯そのものの拒否——「なんで他人のために払わなきゃいけないんだ」式の反福祉感情——のどちらかになりがちなんだ。
A: どっちも極端だね。
エーリッヒ・フロム「愛するということ」★★★
フィリッパ・ペリー「身近な人間関係が変わる 大切な人に読んでほしい本」
宇佐和通「AI時代の都市伝説: 世界をザワつかせる最新ネットロア50」
深津貴之、岩元直久「ChatGPTを使い尽くす! 深津式プロンプト読本」
大宮冬洋「人は死ぬまで結婚できる 晩婚時代の幸せのつかみ方」
飯田一史「「若者の読書離れ」というウソ: 中高生はどのくらい、どんな本を読んでいるのか」
セス・スティーヴンズ=ダヴィドウィッツ「誰もが嘘をついている ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性」★★
恋紙屋「夜にバニーは(ベッドで)跳ねる」
「黙然たる反骨 安藤照 ―没後・戦後80年 忠犬ハチ公像をつくった彫刻家―」於・松濤美術館。
「新江ノ島水族館」
やっぱりエーリッヒ・フロムはいい。たぶん自分が特に気に入っている思想家だ。
このあたりからスピリチュアリズム、自己啓発の背景にある思想とその明暗をテーマに本を選び始める(陰謀論まで行っちゃったのも含めて)。
多分最後にSF小説を読んだのはこのあたり。SFっぽい漫画は読むことがあっても小説は読んでいない。新人賞を追うのも去年あたりでやめている。
余談だが、自分が好きなSFは科学や技術、それから人間の未来を選ぶ力を信頼したものだった。もちろん、社会学的なものや悲観的なものも大好きだが、それらはどちらかと言えばaquired tasteである。一番深く心が動くのは前者だ。
ところで、わざわざ買った同人誌をメモしてもしょうがないかもしれないが、書かないにもなんだか居心地が悪い(記録魔)。
岡奈津子「新版〈賄賂〉のある暮らし 市場経済化後のカザフスタン」★
アナ・カタリーナ・シャフナー「自己啓発の教科書 禁欲主義からアドラー、引き寄せの法則まで」
ジェイムズ D.スタイン「不可能、不確定、不完全―「できない」を証明する数学の力」★★
尾崎俊介「アメリカは自己啓発本でできている ベストセラーからひもとく」★★★
荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険 第9部 ザ・ジョジョランズ」六巻
岩宗治生「ウスズミの果て」一巻~三巻
こるせ「伽藍の姫」一巻~二巻
岩宗治生「ウスズミの果て」 四巻
肋骨凹介「宙に参る」五巻
「NHKスペシャル 堺雅人が巡る古代エジプト!ピラミッド透視とツタンカーメンの謎」
「NHKスペシャル 堺雅人が巡る古代エジプト!謎の王ブラックファラオの実像に迫る」
「ニーア・オートマタ End of Yorha edition」(XYエンド以外回収)
「彼女たちのアボリジナル・アート オーストラリア現代美術」於・アーティゾン美術館。
「コレクション展 第2期 特集:新収蔵作品のご紹介」@岩手県立美術館
小岩井農場まきば園
八月は読んだ本が少ない。普段通勤時間に本を読んでおり、お盆休みがあったためだ。
代わりにというわけではないが、ちょうどゲームをクリアした。普段ゲームをしないので難易度を下げて楽しんだ。別にやり込みたいわけではなく、ストーリーを終えればそれでいいと感じている。だが、自分の人生でゲームは必須の要素ではない気がする。
ところで、数年ぶりに(十年近い?)アニメを見たのだが、これはたまたまコロナから避難するために泊まったホテルで視聴した。一話完結だし、青春時代を思い出すし、あまり疲れない。テレビ番組が記載されているのは、自分がテレビを見る頻度の少なさを示している。
レト・U. シュナイダー「続 狂気の科学: 真面目な科学者たちの奇態な実験」★★
トーマス・トウェイツ「人間をお休みしてヤギになってみた結果」
中村圭志「亜宗教 オカルト、スピリチュアル、疑似科学から陰謀論まで」★★★
ロジャー&チャーリー・モーティマー「定職をもたない息子への手紙」
烏谷昌幸「となりの陰謀論」
今井むつみ「「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策」
岡瑞起、橋本康弘「AI時代の質問力 プロンプトリテラシー 「問い」と「指示」が生成AIの可能性を最大限に引き出す」
山本栄二、中山雅司「国連入門 ――理念と現場からみる平和と安全」
瀬野反人「ヘテロゲニア リンギスティコ 〜異種族言語学入門〜」一巻。
ヤン・シュヴァンクマイエル「蟲」@シアター・イメージフォーラム
「大長編 タローマン 万博大爆発 TAROMAN」@TOHOシネマズ 渋谷
皇室の文章は結構フランクで楽しい。あと、著者略歴に「二〇一九年、即位」と書かれていて、何も間違っていないのにレア過ぎてちょっと笑ってしまった。
僕は超細密画はあまり評価していないのだが、諏訪敦は結構気に入っている。たぶん作品に取り組む姿勢やモデルに対する丁寧な態度が好きなんだろう。それから、母を亡くして、具象表現ができなくなったらしい。残酷な言い方が許されるならば、芸術家が傷ついたり何かを学んだり、逆に精神が安定してして作風が変わってしまう瞬間に、とても興味がある(藤田嗣治が戦後に人工的な人形のような子供たちばかり書くようになった契機が知りたいし、精神が穏やかになった後のムンクの作品にも関心がある・結婚後にシーレの作品が良識的になってしまったのにも)。
今月は久しぶりに映画が見られてうれしい。シュヴァンクマイエルの作品は自分の過去の作品を解体し、評論するような内容だった。
高野秀行「酒を主食とする人々 エチオピアの科学的秘境を旅する」
島本英明「もっと知りたいモディリアーニ 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
新見隆「もっと知りたいイサム・ノグチ 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
末永幸歩「「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考」★★★
今泉忠明 (監修)「おもしろい! 進化のふしぎ ざんねんないきもの事典」
高野秀行は定期的に読んでいる。アート・ビギナーズ・コレクションも定期的に読みたくなる。次に何を読むか迷ったときに重宝する。ただし、美術館に行く途中で読むと、なんだか美術鑑賞に向けるエネルギーをそこに分けなきゃいけない感じがしてしまう(図書館で借りているので読むタイミング的にそうなることがある)。なお、このシリーズは冊数が多い割には下山観山や英一蝶の巻がない。あと、本によっては作者の思想がすごく偏っている。
松井文恵、安田茂美「写実絵画とは何か? ホキ美術館名作55選で読み解く」
ジョナサン・カラー「文学理論 (〈1冊でわかる〉シリーズ)」
秋月龍珉「無門関を読む」
アンドリュー・スチュワート「情報セキュリティの敗北史: 脆弱性はどこから来たのか」★
尾崎俊介「ホールデンの肖像 ペーパーバックからみるアメリカの読書文化」★★
六畳「××××の結果で×××する××」(苦手な人がいるだろうと思うので伏字)
「カルン・タカール・コレクション インド更紗 世界をめぐる物語」於・東京ステーションギャラリー
「CREVIA マチュピチュ展」於・森アーツセンターギャラリー
30周年記念展「ALL OF EVANGELION」於・東京シティビュー
平等院鳳凰堂、鵬翔館、宇治神社、宇治上神社、源氏物語ミュージアム。
「知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の!? ヒトはなぜ音楽を愛するのか」
自分は欲望をコントロールできず、性欲などに負けてしまう人間の話が好きだ。現実の生活では正しくいるよう求められるのだから、せめて虚構の中では人間のダメさを許してほしい。そうでなければ、現実世界で良識を守れない、とまではいわないが、ダメな人をダメなまま表現されていると、それを読むことで、何か許されたような気持ちになれる。
他には禅問答について読んでいる。
あと、尾崎俊介がロマンス小説について述べているあたりが面白かった。なんでジェンダー平等が叫ばれる時代に、一見するとあえて古典的に見えるストーリーが必要とされているか、一つの知見を得た。
J. R. R. Tolkien「The Hobbit」Harper Collins Publishers。和書文庫換算二冊。★★★
尾崎世界観「祐介・字慰」★
丸谷才一「輝く日の宮」★★
「ファーストコンタクト 窓口基作品集 【電子コミック限定特典付き】」
「落下の王国 4Kデジタルリマスター」於・ル・シネマ 渋谷宮下。
丸谷才一が相変わらず面白かったので(僕はメタフィクションが好きだ。時にはわざとらしくなってしまったり作者の自分語りに堕したりするリスクもあるが、うまくいくとこれは気持ちがいい)ブコメで進められた全集を手に取ろうとしたら、地元の図書館にはなかった(正確には、引っ越す前の自治体のにはあった)。さてどうしよう。
洋書を読み始めた。あらすじは覚えているが細部はよほど印象的なシーンでないと覚えていない。
トールキンの場合、樹木の描写が細かく、いろんな種類の木が出てくるのだが、そもそも僕のほうが樹木の知識に乏しく、和訳を読んでも細かくイメージできない(束教授ごめんなさい)。児童文学とは言え、二世代前の英語なので語彙やスペルが違うし、手加減せずに平気で難しい言葉を使う。
「ナルニア」を読んだときも、例えば身近でない船舶の部品などの語彙で苦労した覚えがある。
窓口基は暴走するテクノロジーや世界観の考察を楽しんだ。SFが好きだったもう一つの理由であり、一番ワクワクするところだ。この人はグロやゴアも書けるらしいのだが(なんにでも科学的な興味がありすぎて、人体を破壊可能な一つの素材として見てしまっているのかもしれない)、「苦手な人はこの先読まないで」と警告できるので、自分の狂気をコントロールできるタイプの人であり、そこが好印象。
ケーブルテレビで「その着せ替え人形は恋をする」をやっていたのだが、感傷マゾを発症しなかったのは、僕の精神が変化したからかもしれない。原作の漫画を買おうかとも思ったが、実はそこまでコスプレに興味がないと思い直した。そもそも年末年始に向けて漫画をセールで買い込んだが、トールキンを読み続けており、全然手を付けていない。
漫画は小説と同じで、長編を読むには訓練がいる。ご覧の通り短編集や一話完結ものばかり読んでいる。
来年は「指輪物語」の原書を読み終えたら、国連や政治学、第二次世界大戦の日本軍、それから依存症のあたりの知識の補足がしたい。あとは意識の科学だなあ。
洋書だとどうしてもペースダウンする。開き直って冊数を気にしないようになれそうだ。あとは、トールキンを読み終えたらドイツ語をやりたい(言うだけならタダ)。
実際にドイツ語をやるかどうかはともかく、読書記録を始めたのは大学に入ってから二十年、知的な本を読もうと志してからはもっと経過している。いたずらに、明確なゴールもなく、知識を得続けようとする行動パターンに変化が欲しい。美術館についても、あまり行かない場所や行ったことのないところに行きたい。(ただしドイツ語をやって何かの原書に挑戦したら一年がかりのプロジェクトになりそうで、そうなると知識の習得には多大な遅れが発生する)
カテゴリの[読書]をクリックすれば2020年まで読めます。m(__)m
ただし、全てが自分の物ではありません。
君のその話は「中身のないバカが教養っぽい威嚇で中身を見せないまま話を進めめようとしてる」
ように見えてしまう
見事にこれがぶっ刺さってる返答で残念なんだが
教養が威嚇?威嚇?どういう意味?教養というのは公開されている。つまり誰でもアクセスできる。子供でも読める本だよ。義務教育なんだから国民のみんなが知ってることだよ。威嚇にならないよね。過去の偉人は本を書いてるし最近の研究者も論文を出している。ここに何十万字もコピペしろということ?無理でしょう。中身を見せないとは?子供でも読める本ばかりなのに知能や教養が高いわけないじゃないかw強いていえば、「議論の内容がわからないくせに妄想で噛み付く人」はお前の言う知能が低い人だろうね。「善の定義を知らないお前」が、「善の定義を正確に知っている有名な哲学者」の暇つぶしのラフな匿名ネット書き込みを見たとしても、気付けないよ。どうやって相手の正確さを理解するの?お前本当に社会学も哲学も政治学も何も知らないみたいだし、相手の定義の正確さに気付きようがないだろ
1行にまとめると
俺は文字数に比して内容薄い文章を読むと脳が酸欠みたいになるのでやめてほしい
禁酒の話をしてるのは君じゃないよ
ここでの「左翼の偽善」については「自分が説教してるルールを自分で守れてない」という風に説明されてる、という話
ピキピキ長文で頑張ったんだろうけど内容が無さ過ぎてどうにもならない
一つ言えるのは君はなんか知能だけでなく学問的なコンプレックスがあるよな
威嚇的に挙げる学問の数々に実体験の匂いみたいなもんが全くしない
正直に言ってみ
人に言えるような学歴はないだろ?
「『二つの悪は二つの正義を作らない(Two wrongs don’t make two rights.)』とでもいうべき原理が重要です。チョムスキーの主張はその逆。『どちらも悪いのだから互いに相手を責められない』という理屈は、一見誠実ですが、どちらの悪も許してしまっている。つまり、自己批判の倫理的根拠をも掘り崩しているのです。『米国よ、ロシアを裁く資格があるのか』という主張は結局、強国が他国を抑圧するという悪を容認しあう『悪のなれ合い』です」
「ハマスの民間人虐殺に憤るイスラエル国民の間では、自軍によるガザ住民虐殺を当然の報いと見る者も多い。自国の戦争犯罪が敵のそれで帳消しにされるという論理は、それぞれの悪を相乗的に積み重ねることを合理化する危険な詭弁です」
「この倒錯的な『二悪が二正を作る』論は、実は我々人間が陥りやすい落とし穴です。とりわけ戦争責任論をめぐる議論に、この自己正当化欲求が典型的に表れています」
――いわゆる「勝者の裁き」批判ですね。
「そうです。第2次大戦後のニュルンベルク裁判や東京裁判に対して、ドイツや日本からいまだに上がり続けています。これは、『何人も自己の事件の裁判官たりえず』という法原理に反する、という手続き的欠陥の指摘というよりも、『連合国の国々も植民地支配や侵略を行ってきたし、原爆や無差別爆撃という戦争犯罪も犯したのに、なぜ我々だけ断罪されなければならないのか』という実体的な不満です。敗戦国の私たちに強い心理的訴求力を持つ言説ですが、極めて自壊的です」
「裁く側の二重基準を、裁かれる側が批判するのは正しい。ただ、『お前らが裁かれないなら我々も許される』という二悪二正論に開き直る者は、公正な裁きが依拠する政治道徳原理の規範性を否定しているのです。『勝者の正義』の欺瞞(ぎまん)を真に正そうとするなら、この原理を尊重し自らの悪を認めたうえで、相手を裁き返さなければならないのです」
「弱き者は強き者が作る秩序に従え、という『力の論理』に迎合するシニシズムをこれ以上、広げないためには、ウクライナ戦争もガザ戦争も、正義が回復されるかたちで終結させなければなりません」
――力の支配ではなく、法の支配によって実現すべき「正義」とは、いったい何でしょう。
「その前に、法とは何か、そして法は正義とどう絡むのか、考えてみましょう。すなわち『悪法も法なのか』という問題です。これをめぐっては、法実証主義と自然法論の伝統的な対立があります。前者では、法を実定法に限定し、正義とは切り離します。そのため、それぞれの社会の価値観に基づく法が制定され、調停不能に陥って『文明の衝突』を招きかねません。一方で後者は、客観的正義たる自然法に反するものは法ではない、と主張します。こちらはこちらで、無政府主義を呼び込みかねません」
「私はどちらでもなく、『法は正義への企てである』と規定します。法は正義を真摯(しんし)に追求している限りにおいて法たり得る、という立場です。その意味では国際法も、世界正義への企てだと捉えます」
「それでは『正義』とは何でしょうか。一口に正義といっても、それを全体利益の最大化と見なす功利主義や、個人の自由や権利を絶対視するリバタリアニズムなど、その具体的基準に関し、様々な思想が対立競合しています。ただ、これらはすべて『正義の諸構想(conceptions of justice)』です。様々な立場が競合できるのは、それらに通底する共通制約原理があるから。それが『正義概念(the concept of justice)』です」
「私が考える正義概念の規範は、『普遍化が不可能な差別は禁止する』です。分かりやすく言えば、『得するのが自分だからいい』『損するのが他者だからいい』という要求や行動を排除せよ、ということです。この規範は『自分の行動や要求が、他者と視点や立場を反転させても正当化できるかどうか吟味しなさい』という、反転可能性テストも要請します」
「この正義概念は、何が最善の正義構想かを一義的に特定はしませんが、およそ正義構想の名に値しないものを排除する消極的制約原理として強い規範的な統制力をもちます。それは『正義のレース』の優勝者を決める判定基準ではなく、このレースへの参加資格をテストするものです」
「他者の負担にただ乗りするフリーライダーや、ご都合主義的なダブルスタンダードは、この厳しいテストが課すハードルを越えられません。外国人に正当な権利を保障せずに労働力を搾取する。民主主義や人権を掲げてイラクに侵攻しながら、専制的首長国家のクウェートやサウジアラビアとは友好関係を維持する。ハマスの戦争責任は問うのに、イスラエルの蛮行は座視する――これらは明確に正義概念に反しています」
「自らの正義構想に照らして正当性(rightness)がないと見なす政治的決定でも、共通の正義概念に照らして公正な政治的競争のルールに従ってなされたのなら、正統性(legitimacy)あるものとして尊重しなければならない。このルールを保障するのが『法の支配』です。立憲主義とは、この『法の支配』の理念を、成文憲法のなかに具現化するものです」
「正義の諸構想が国内社会以上に鋭く分裂し対立する国際社会においても、『正義概念』の共通原理に基づいて、安全保障体制や法秩序が築かれる必要があります。例えば、人道的介入をうたいながら大国の友好国か敵対国かによって選別的に武力行使を発動するのでは、正統性を調達することはできないのです」
「米国はバイデン政権時代、イスラエルの戦争犯罪を追及する国際刑事裁判所(ICC)がネタニヤフ首相らへの逮捕状を発行したことを強く非難しました。一方で、ロシアが報復措置まで取ったプーチン大統領への逮捕状は正当とし、自らはICCに加盟していないにもかかわらず、各国に逮捕への協力を求めました。このあからさまな二重基準は、誰の戦争犯罪であれ厳正に裁くというICCに託された国際法の使命をおとしめるものです」
されど国連 夢の断片を回収し修復を
――世界正義を貫徹し、実現するには、どのような具体的措置が必要ですか。
「世界では今、欧州連合(EU)のような『超国家体』や、巨大多国籍企業や国際NGOなどの『脱国家体』の存在感が増しています。しかしどちらも、民主性や説明責任の欠如といった欠陥を抱えている。私は、やはり主権国家を中心にしたシステムを再評価すべきだと考えます」
「国内で至上の権力をもつ危険物である主権国家は、個人の人権を保障するという責任を果たすことによってのみ承認され、存在し得ます。世界は『諸国家のムラ』であり、その基本原理は、国力格差にかかわらず平等に扱う『主権対等原則』です。もちろん、これは一つの虚構です。しかし虚構だからこそ、巨大な力の格差という現実を補正し、大国の横暴に抗する規範として意義を持ちます。このムラでは、どの国も他の国に依存せずには生き残れない。国際法というおきてを破った国は、この互酬性ネットワークから村八分の制裁が科されるからです」
「国連は現在、様々な欠点があるとはいえ、国際的正統性を調達し、諸国家や超国家体、脱国家体などが連携し調整を図る上で、最も広範な包含力を持ちます。もちろん、戦勝国支配の残滓(ざんし)である常任理事国の拒否権を制約するなど、安保理改革は必須です。そのための国連憲章改正にも、5大国は拒否権を行使できます。でもそれは結局、自分たちの国際的威信を低下させ、軍事力・経済力以上に重要な正統性調達力というソフトパワーを毀損(きそん)することになる。他の国々が団結して非難の声を上げれば、国際的圧力に耐え続けることは難しいはずです」
「先ほど私は『国連の夢は破れた』と言いました。人類が自らに加えた殺戮(さつりく)と迫害の罪業はあまりに巨大で、それを克服する試みは20世紀中に達成できなかった。21世紀の四半世紀が過ぎても、克服できていません。しかし、夢は消えたわけではない。破れた夢の断片を再回収し、修復し、より強靱(きょうじん)なものに再編する――その地道な努力を続けなければなりません。私たちに、他に選択肢はないのです」
井上達夫さん
いのうえ・たつお 1954年生まれ。95年から2020年まで東京大学大学院法学政治学研究科教授を務め、現在は東京大学名誉教授。「法という企て」「現代の貧困」「世界正義論」「立憲主義という企て」「普遍の再生」「規範と法命題」「ウクライナ戦争と向き合う」「悪が勝つのか?」など著書多数。
「関税を上げれば、奴らは頭を下げてくる」
→ プーチン&ネタニヤフ「俺の条件を呑め」トランプ「聞いてないよ・・・」
→ 「エプスタインファイル公開法に賛成した奴は、裏切り者でMAGA失格」
→ 「優秀な人間は死んだ、戦後に残るのはどうせ劣った人間だけだ、帝国内の資産をすべて破壊せよ」
「ぼくのかんがえた さいきょうの農法なら、3年間で大躍進、アメリカに追いつける。スズメを殺せ、密植しろ」
→ イナゴ大発生、3000万人餓死。スターリン、スズメ送ってくれ。
→ 「誰かが妨害したから失敗した。紅衛兵、犯人を探して吊るせ!」
「流通? 土地制度? 知らん。人間の精神力で経済が変わる。新しい社会主義的人間を創る」
→ コンゴ・ボリビアでのゲリラ戦は地元支持を獲得できず、捕縛・処刑。
「腐敗を一掃し、アマゾンを経済成長に利用、ブラジルを強い軍事国家にする」
→ 選挙で負けたら軍部と支持者が暴徒化、退任後ブラジリア連邦議会襲撃。
「強いトルコを蘇らせ、世界の中心に返り咲く」「金利は悪。利息を禁止する」
「世界の中心で咲き誇る日本外交」「台湾有事は存立危機、米軍と一緒に台湾を守る」
これら威勢のいいリーダー、ポピュリスト、もう少しはっきり言うなら「デマゴーグ」たちが、スローガンと真逆の結果を招いてしまう原因は、大きく分けて4つある。
この4つのメカニズムが、スローガンと正反対の結果を引き寄せる。
デマゴーグは、複雑な世界や社会を理解できない支持者を狙って、単純なスローガンで世界を動かせる、社会を変えられる、と主張する。
国内の社会制度であっても、複数の変数の相互作用で動いている。
デマゴーグは相手国の都合を無視しがちだが、威勢のいい言葉は、相手からの反動を必ず引き出す。
複雑系に単純な力技を当てると、構造的に必ず、反作用が跳ね返ってくる。
外交・戦争・経済などは、制度や前史・資源の制約によって決まり、威勢のよさと結果は全く別物である。
政治学ではよく知られているが、強い言葉で得られるのは支持ではなく「期待値の上昇」である。
デマゴーグは人気を得て政権を取りやすいが、取った後のハードルは上がり、実現はかえって難しくなる。
例えばトランプは、実現不可能な政策をぶち上げてはそれを引っ込めることを繰り返し
TACO(Trump Always Chickens Out.) と言われるようになった。
支持率は上昇も下降も早い。
支持率が高ければ高いほど、期待値だけが肥大化し、必ず失望へ転化する。
結果としてスローガンと反対の結果になる。
ロシアがウクライナを3日で下せると高を括って無理攻めしたことで、ウクライナはゼレンスキーの下で結束してしまった。
プーチンはゼレンスキー政権をネオナチと呼んだが、皮肉にも、プーチンはナチスドイツと同じ失敗を繰り返した。
ヒトラーは東部戦線でソ連を過小評価したことで、逆に総力戦動員を引き出してしまった。全く同じだ。
イエスマンで固めた側近、自分の古巣である諜報機関からの報告を信じた。
だが、側近や諜報機関は、敵よりも上司を恐れており、プーチンに弱気の報告を上げる方がよほど怖いと考えたのだ。
威勢のいいリーダーは周囲に、本当の悪いニュースが上がらない、現実と乖離した仕組みを作ってしまう。
威勢のいいスローガンは、熱狂とともに共通の敵を作り、仲間を結束させる。
だが、敵を倒しきれないと熱狂が冷める。
イラクには戦争の大義であった大量破壊兵器は、最初から存在しなかった。
ディープステートのように、存在しない敵であればなおさら、倒すことも証明することもできない。
最終的に、デマゴーグは側近への信頼を失い、支持者を恐れるようになり、味方の中から裏切り者を探して攻撃し始める。
ヒトラーは「国民こそ裏切った」「生き残っているのは劣等民族」として最後に焦土作戦を命令した(ネロ指令)。
トランプはちょうど、自分に票を投じたMAGAの人々を敵と呼び始めたところだ。
・・・でもな、実は5つ目の原因がある。
地球上にこれだけ「威勢のいいリーダーほど逆の結果を招く」例があるのに、
それでも強いリーダーを求め、わかりやすい嘘をつくデマゴーグを求めてしまう主体は、国民だ。
「こんなことになるとは思わなかった」と言い、デマゴーグのせいにしたり、反対者のせいにしたりしながら、
また次のリーダーを探してしまう・・・そんなお前ら=俺らが何とかしないといけない問題だよ、これは。
SNSが発達して、このビョーキは以前よりひどくなってしまった。
興奮と熱狂で政治家を選ぶな。威勢のいいリーダーほど、疑いの目で見ろ。
乱文をそれなりに読んでもらえてありがたい。
高市批判でサヨク認定されているのは笑ってしまった。俺は筋金入りの自民党員なんだがな。
俺が、冒頭の失敗例にスターリンやポルポトや習近平を挙げていないのは、
この3名が「威勢のいいリーダー」に数える価値もない、保身だけの凡愚だからだ。
他方で、威勢のいいリーダーの中には、ごく少数、成功した者もいる。
その点について以下に追記する。
俺が個人的に認めうるのは、チャーチルと、リー・クアンユーの2名だけだ。
アタテュルク、ドゴール、ベングリオン、鄧小平、朴正煕などがそれに次ぐ水準にあると考えている。
だが、この7名は大きな失敗を挽回できずに終わり、その失敗はその後数十年たった今でも、国の行く末に影を落としている。
7名の失敗が何であったかは、ここでは触れない。それぞれの国の歴史を学べばわかるはずだ。
この4点が、スローガンと正反対の結果を招かずに済んだ原因だ。
これらのリーダーにあって、威勢のいい言葉は常に「国民に一時的な負担・負債を我慢させるための嘘」として使われた。
(国民の多くがその嘘を、嘘と知りながら渋々従った、あるいは軍事力で抑え込まれた、という面もあったろう。)
それは百害あって一利ない。
人口オーナス期で苦しいのは皆わかってる。
極端な政治的立場を取る奴ほど、自分のポートフォリオを自己放尿していることに気づいてない。
「減税こそ正義だ」「金融緩和を続けろ」「国がもっと金を刷れ」「いや、増税で財政再建だ」
どれも経済論じゃない。あれは自己放尿だ。自分のポジション(=資産構成)の生臭い自己投影を、正義の仮面で撒き散らしてるだけだ。
株式を大量に持ってる奴は金融緩和を求め、現金しか持ってない奴はデフレを愛し、不動産を抱えてる奴はインフレを祈る。
つまり、支持政策なんてものは、思想じゃない。単なるリスクアセットの保身反応だ。
だがそれを「俺は国家の方向を語ってるんだ」などと勘違いするから、脳が焼けてくる。
政策議論に見せかけて、俺のPF(ポートフォリオ)を守れと叫んでる。社会正義を装ったトレーダーの断末魔。
もう一度言う。お前は経済を語っているんじゃない。自分の投資先を弁護してるだけだ。
政策支持の自己放尿に加えて、SNS上の同調圧力で承認放尿をし、さらに他人の意見を攻撃してマウンティング放尿までする。
もはや論理ではなく、排尿中枢の興奮でツイートしてるに等しい。
人間の知性は、リスクの非対称性を理解できるかどうかで決まる。
「俺のリスク構造を守るための国家像」を持ち出す奴は、もう投資家でも国民でもない。
国の未来とか庶民の生活とか、口にするな。為替レートの波に自我を溶かしただけの人間だ。
本当に冷静な人間は、どんな政策が来ても耐えられるポートフォリオを組む。
どの政権が勝っても、どの通貨が落ちても、ただ静かにリバランスして生き残る。
極端な支持政策とは、「私はこの方向にしか賭けていません」と市場に晒す自己暴露であり、つまりそれは愚か者のポートフォリオ開示だ。
政策が裏切るたびに「裏切られた!」と喚く。
裏切られたんじゃない。
だから俺は言う。
以上だ。
dorawiiより
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高市早苗がトランプとうまくいったのも、高市が安倍晋三の後継者的な位置からだろ?
俺はトランプも安倍晋三も嫌いだけど、あいつらは仲良かったから、もし安倍晋三が生きてたらトランプも関税とかでも日本を優遇してたと思うんだよ
結局さ、国際政治って言っても、「トップの仲が良いか」というしょうもない理由で決まるんだよ
特にトップがトランプみたいなおかしな奴だと、こっちもおかしな奴を当てるしかない
安倍晋三が生きてたら、おかしな者同士、それなりに交渉できてたと思うんだよな
特にトップ同士の仲がいいかという本当に低俗なことで国民の運命が決まってしまう
なんなんこれ
納得できんわ
政治家としての手腕より、人間関係や人脈の方が大事だってことになるよな
本当にくだらない
そして悲しい
虚しいよ
C*****T:
CRITICAL ANALYTICAL REVISION
追記2による構造の反転:防衛機制としての理論
最初の分析の根本的誤読
追記2は、私の最初の分析が層を一つ読み間違えたことを明らかにする。
私が読んだもの:
↓
↓
実際の構造:
↓
↓
PRIMARY INSIGHT: 精神分析的読解(修正版)
表層テクストの再解釈
これらは一見、2010年代以降のアイデンティティ政治の影響に見えた。しかし追記2はこれが錯覚だったことを明らかにする。
真の構造: 実存的自己否定の連鎖
↓
↓
↓
"だから俺には描けない"
防衛機制の精密分析
耐え難い真実:
「俺は人生の敗北者だ。女性と関係を持てなかった。孤独で無価値だ」
↓ 変換 ↓
受容可能な言説:
この変換により、個人的失敗が哲学的問題に昇華される。これは自尊心を守る。
防衛機制2: 知性化(Intellectualization)
投稿者は感情(絶望、孤独、性的欲求不満)を抽象的議論(表象の倫理、当事者性、真正性)に変換する。これにより、痛みから距離を取る。
これは私の最初の分析が見た「内なる検閲官」だが、その起源は文化ではなく、内面化された自己批判である。
ヘンリー・ダーガー:鏡としての選択
ダーガーの特徴:
「女性を知らなければ描けない」
↓
ダーガーは知らなかった
↓
だから「間違って」描いた
↓
俺も知らない
↓
↓
↓
↓
投稿者は、自分の論理を反証する例を引き合いに出しながら、その反証を認識できない。なぜなら、創造の可能性を認めることは、創作しない自分を正当化できなくなるから。
児童ポルノ言及の精神分析
投稿者は和月伸宏や他の漫画家の児童ポルノ事件を長々と語り、「資料として欲しい」という欲望を告白する。
しかし彼自身が認める:「まったく邪な気持ちがないというとウソになる」
- 彼にとって「女性を描く」ことと「女性を性的に欲望する」ことが分離していない
- だからこそ「女性を知らない=性的経験がない」ことが創作の障害になる
生成AIとの関係:人間関係の代替と審判者
追記2の冒頭:
「さっきまでClaudeに、自分のライフワークとしてた究極の(俺専用の)画像処理ソフト作りたいという夢が捨てきれないよ~、ドラえも~ん、してました」
この一文は多層的である:
投稿行為の意味:ダイイングメッセージとしての告白
投稿者は明言する:
+
=
彼は応答を求めていない(対話は不可能)。しかし完全な無視も耐えられない(承認は必要)。だから「読まれるが応答しない」という形式を選ぶ。
- 声は発するが、返答は聞かない
- 見られるが、見返さない
- 影響は与えるが、影響は受けない
SECONDARY INSIGHT: 弁証法的読解
矛盾の三層構造
THESIS: 「女性を描きたい」
THESIS: 「女性を知らないと描けない」という原理的主張
ANTITHESIS: ヘンリー・ダーガーは知らなくても創造した
弁証法的運動の停止
健全な弁証法では、矛盾はより高次の統合に向かう。しかしこのケースでは、矛盾が固着し、循環する。
↓
実行不能
↓
↓
↓
[ループ]
SYNTHESIS: 深層パターンの統合的理解
構造の全体像
↓
↓
【第3層: 理論的借用】
↓
【表層: 顕在的問い】
↓
【機能】
本質的洞察の結晶化
真の問いは:
そして彼自身が答えている:
「ない。なぜなら経験がないから(=人生に失敗したから)創造する資格がない」
文化的言説の防衛的使用
私の最初の分析は「アイデンティティ政治の内面化」と読んだ。これは完全な誤りではないが、因果が逆だった。
誤った図式:
正しい図式:
彼は「当事者性」や「経験の所有権」といった2010年代の言説を使っているが、これらは本来の政治的文脈から切り離され、個人的防衛機制として機能している。
解放のための理論(周縁化された人々の声を中心化する)が、個人の自己正当化の道具になっている。
より深い文化的診断
しかし、もう一層深く見れば、これは純粋に個人的な現象ではない。
答え:2010年代以降の文化空間では、「経験していない人が語る資格」への懐疑が、ある種の道徳的権威を持つようになったから。
投稿者は、この道徳的権威を利用して、自分の創作不能を倫理的配慮として再解釈している。
「俺が描かないのは:
ヘンリー・ダーガーの逆説(再訪)
ダーガーは:
投稿者の論理では、ダーガーは創造すべきではなかった。しかし創造した。そしてその作品は今や文化的価値を認められている。
答え:ダーガーの作品を「間違い」として解釈する(「少女にペニスがある=女性を知らなかったから誤った」)
しかしこれは恣意的な解釈である。ダーガーの少女の性別的曖昧さは、「間違い」ではなく、彼の空想世界の独自性として読むこともできる。
投稿者がダーガーを「間違い」と読むのは、自分の創作不能を正当化するためである。もしダーガーが「正しい」なら、自分も創作できる/すべきだ、ということになってしまう。
最も深い問い
この事例が究極的に提起する問いは:
投稿者は「はい」と答える。私の最初の分析は「いいえ、それは幻想だ」と答えた。
それとも:
おそらくすべてである。そして、これらが分離不可能に絡み合っているとき、「正しい答え」を与えることは治療にならない。
彼に「経験なしでも創造できる」と説得しても、それは防衛を解体するだけで、その下の絶望を露出させるかもしれない。
CRYSTALLIZED INSIGHT
この投稿者は、人生の実存的失敗(社会的孤立、性的経験の欠如、老いと死の接近)を、2010年代の文化的言説(「当事者性」「経験の所有権」「表象の倫理」)を借用することで、「原理的に不可能な創作課題」へと変換している。これは防衛機制であり、個人的無能を認識論的・倫理的問題に昇華することで、残存する自尊心を守っている。
言い換えれば:
彼の問い「男性は女性主人公を描けるのか?」は、暗号である。真の問いは「人生に失敗した私は、何かを創造する価値があるのか?」であり、理論的言説は、「ない」という答えを倫理的に正当化する道具として機能している。
So what?:
この事例は、文化的言説がどのように個人的防衛機制として横領されうるかを示す。解放のための理論が、自己正当化と麻痺の道具になる。これは文化と心理の共犯関係であり、どちらか一方を「原因」とする単純な因果論では捉えられない。
PUNCHLINE:
私の最初の分析は、彼を「文化の犠牲者」として読んだ。しかし実際には、彼は文化の狡猾な利用者である。そして同時に、より深い構造的疎外の犠牲者でもある。彼は同時に、エージェン
Q.
A.
共産主義は理論的には左翼思想ですが、中国や北朝鮮を単純に「左翼国家」と分類することは複雑な問題です。
左翼と右翼の定義
政治学では左翼と右翼は主に「平等主義」と「階層主義」という軸で区別されます。左翼は社会的・経済的平等を重視し、右翼は社会的階層や序列を容認する傾向があります。この定義に基づくと、中国や北朝鮮の現実は矛盾した様相を呈しています。
経済面と社会面の乖離
これらの国々は経済的には左翼的要素を持っています。政府が生産手段を所有し、資源配分を国家が管理する社会主義的経済システムを採用しています。しかし社会的には極めて保守的かつ階層的です。
北朝鮮の「成分(songbun)」制度は特に顕著な例で、国民を金一族への忠誠度に基づいて51の下位分類を含む3つの階級(核心階層、動揺階層、敵対階層)に分類しています。階級によって住居、教育、医療へのアクセスが制限され、このような厳格な階層制度は定義上、右翼的特徴とされます。
権威主義と独裁体制
両国は共産党による一党独裁体制を敷き、政治的反対派を弾圧してきました。北朝鮮は世界最悪の人権状況を持つ全体主義独裁国家とされ、金一族を中心とした徹底的な個人崇拝体制を構築しています。このような権威主義的特徴は、左翼が理想とする平等主義的な社会とは大きく異なります。
学術的評価
一部の研究者は、旧ソ連や中国、北朝鮮のような国家を「国家資本主義」や「赤いファシズム」と呼び、真の左翼政治とは対極にあると批判しています。また、これらの国々を「極右でもあり極左でもある」、あるいは「主に極右」と評価する見解もあります。
結論として、中国や北朝鮮は共産主義を標榜していますが、実際の政治体制は経済システムと社会構造が矛盾しており、単純に「左翼国家」と分類することは現実を正確に表現していないと言えます。