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はてなキーワード: めしとは

2024-12-14

LINEヤフーのしがないエンジニアです

千葉県に住んでる子持ち共働き持ち家の働きアリです。

何かと話題のフルリモート解除ですが社員はいくつかのグループに分かれています

転職しよう派

つよつよエンジニア田舎在住組の多くはコレ。正直他社だとやっていけそうもない人も居るけど社名と嘘エピでそれなりのとこ行きそう。退職エントリ書きそう

残る派

都会に住んでる奴と無能はこっち。なんでコイツ居るんだ?ってくらい間に入って何かやってる感出してる奴は遠くからでも出社してしがみつく。いっそ嘘満載でどっかに転職しろ

どうでもいい派

残りはコレ。自分もコレ。個人的にはフルリモート生産性落ちまくってたので今回ので人減って整理出来るなら良いと思う。

あと会社馬鹿じゃないんで必須メンバーにはちゃんと引き留めしてる。SNSで騒いでいるのはそういうジョブホッパー的な奴

LINEヤフーの優秀な人材引き抜ける!って言うけど石多めの玉石混淆なんでちゃんと見極めようね。マジで口だけ丸投げコミュ力オンリー創造性0多いよ

あと家持ち子持ちはあんま気にしてない。独り身か共働きがようけ騒いでる。

2024-12-13

今日休み

ボーナスの振込確認。40弱だけど、証券口座前日比マイナス20万。

クソがと思いながらドラクエ勇者一人旅ボストロールに2回やられる。2回とも痛恨連打される。

めし食ってマンガ喫茶ハンターハンターまとめ読み。

モノマガジンとかBeginとか読んでも金使ってまで欲しいものがない。

帰るころには証券口座前日比マイナス40万になってボーナスが無くなる。

気を取り直してドラクエエルフの飲み薬飲んで何とか倒す。

株初めて資産は増えたがボーナスの嬉しさと消費の楽しみは確実に減った。

2024-12-11

anond:20241211131804

方言って簡略化されたものと思えば、自然とわかってくるよね

めしでごわす→めしでございます

サザエでございますサザエにごわす

2024-12-10

いちごをひとり占めしたかった子供時代

子供のころ、私は妹と何でも奪い合うようにして食べていた。

別にしかったわけではないけれど、美味しいものっていうのはやっぱり人気なもんで、おかずでもお肉からすぐになくなる。

いちごや桃や、メロンスイカの甘いところなんかの果物特に戦争のようだった。

両親は最初少しだけ食べては「あとは2人で食べていいよ」と私と妹に譲ってくれた。

大人になるとこんなに美味しい果物も少し食べたら満足するのかな?もっと食べたくならないのかな?私は妹と分けることすら本当は嫌なのに…と不思議だった。

大人になり一人暮らしをするようになってから節約のために果物なんてほとんど食べなくなった。

毎日自炊をしてお弁当職場に持参していたけど自分一人のために果物を買うことはなかった。

結婚してからは夫が好きな果物をたまに買っては一緒に食べるようになった。

そこでようやく私は果物が好きだったんだと思い出すくらい、そういや一人のときには食べていなかった。

あんなにひとり占めしたかったのに、大人果物を食べないことが不思議だったのに、いつの間にか私もそういう大人になっていた。

久しぶりに食べた果物は美味しくて、食べるうちに子ども時代餓鬼が起きたように夫相手でも遠慮なくバクバク食べた。

出産してからもそんな感じの生活が続いていたけど、子どもも1歳を過ぎると色々なものが食べられるようになってくる。

離乳食バナナりんごニコニコして食べる子どもの顔を見るうちに、スーパーへ行く度果物コーナーをウロウロしては何かを買うようになっていた。

クリスマス前のこの時期はいちごがたくさん並ぶけど全部高い。

1パック600円とかする。

そんなある日私は見切り品で300円のいちごを見つけた。

もちろんそれを即座にカゴに入れて買って帰った。

そのいちご見切り品だけあって一部を取り除く必要があったけど大部分は食べられた。

子どもに与えるとニコニコ食べてくれた。

そしてそのまま1パック子どもが丸々食べてしまったのだけど、何にも惜しくなかった自分に驚いた。

夏の巨峰なんか私は皮を剥くだけ剥いて、それを子どもが全部食べてしまってもちっとも惜しくなかった。

その時初めていつも両親が少ししか果物を食べなかった理由がわかった気がした。

子ども最近私達にも分けてくれようとするようになったけど、その目が「本当は自分が食べたいんだけど…」と言っているので笑ってしまい「ありがとうね、でも全部食べていいよ」と言ってしまう。

本当にちっとも惜しくないのが不思議だ。夫相手なら全然惜しいし、全力で争うのに。

そういえば孫が産まれからうちの両親はパワーアップした。

春先に実家に帰ると4パックとか6パックとかのいちごが買ってあって、それぞれ違う種類で食べ比べできるようになっていた。

子どもは目を輝かせ夢中でひたすら色んないちごを食べていた。

それだけあると私も両親もみんなで食べてもいちごお腹がいっぱいになるほどだった。

子どもが産まれからというもの自分の子を飢えさせない、美味しいものを食べさせたいという本能?が私にもあったことに驚いた。

けどそれは備わっていたんじゃなくて両親から学習していたんだ。

「2人で食べていいよ」と言ってくれる両親の顔を見ながら。

いつか私も私もスーパーで全種類のいちごを買い占める日が来るのだろうか。

孫だけでなく私の子どもにもお腹いっぱいいちごを食べさせてやれるように。

今は300円のいちごを1パック丸々あげるくらいしかできないけど。

2024-12-08

ランチ

ダル

めしくうとダル

といって腹減ると、腹痛い

もうすぐめし

めしくったら機械室いくかどっちみち

バッグかえばよかったか

anond:20241208094351

叩きのめしてやるわ選挙でな(笑)

うわぁ、これは立派な豚だわ

anond:20241208094112

叩きのめしてやるわ選挙でな(笑)

ゴミのような跳ねっ返りリベラル与党にはさせない

anond:20241208092034

自己責任論で叩きのめしてやるわお前みたいな奴

だってねえ自己責任論の方がお前よりずっとフェアだし正義

論破正当性

まともに人とディスカッションしたことないような日本人が、何か論と呼び、何か正しいとされることで人を喝破する様子が、かなり「?」である

なぜ「日本人」と名指ししたのか? これにはごく簡単事情がある。それはすなわち、善や正しさというのが、日本では「担保なし」に良し、とされているからだ。

海外はどのような程度であれ、宗教というのが根付いていて、それは「正しさ」について説いてくれるが、悪に適応すると悪への「正しさ」になる。だから絶対としての確かさは、善ではない。

という話をすると、日本人神道であり、ヤオヨロズの神だ、とYouTubeでも何でもヨイショしているが、ヨイショする前に、自国しか知らないのなら井の中の蛙井の中の蛙から脱するには、他を学ばなければならない。なぜか。知見が狭くなるからだ。そして他を学んだら、比較するべきだ。比較をして、やっと自分自身の「論」を話すことが出来る。

他を知らず、自分自身の考えたことだけが論になるはずがない。

その上、日本には宗教というラインがないのだ。

つまはじきものは末代まで嫌われて、おしまいだ。宗教というのは本来はこうしたものが救われるものだが、日本人、そうしたものを毛嫌いする。

こうした事に気づかない、というか知らない人々が「知った気になってる言葉」でオハナシしていて、日本が出来ているのだと思うと、ゾッとする。

やるせない気持ちに、なる。

誰かとまともにオハナシしたことがなく、口喧嘩について「揚げ足」「口達者」と捨て台詞を、まるで決まり文句のように言うならば、その口でもっとよく、オハナシすべきなのだ

もっと、オハナシをすべきなのだ

SNSではまるでファストフードのように、言葉が食われ、捨てられている。

誰もその言葉の正当さについて考えない。

考えないで、適当な論を援用するならもっと学ばなければならない。賢者になるには学ぶか、気づきを得て黙らなければならない。

アホである。自らについて省みることのできない人間は、アホである。アホはどうしようもないのだ。

なぜこんなアホをのさばらせているのか。それは日本島国からだ。ほったらかしにされているのだ。宗教根付かない国で、なかよしごっこができていると思うなら、あなたも「内輪」の一人である

日本人がどれだけバカであるか、どれだけアホであるかについて考えられない人は、きっと幸せなのだろう。

ではおさらいすると、なぜ日本人バカでアホで、どうしようもないのだろうか。

それは、コミュニケーションにおいて一定ラインがないかである一定ラインがないとは、どういうことか。すなわちここでは宗教である言葉があり、それが記されてあり、人々がみな知っているものである

日本人にはそうしたものがない。言葉における、一定ラインがないのである。そうすると日本人が何をもとに行動するのかというと、他の人のことを考えて、あるいは自分のために、である

(そうすると芸術学問に対しての造詣が薄くなる)

オハナシをする上で、このような一億総内輪ノリ的なコミュニケーションしかできない。日本語が難しいのはあたりまえである本来言葉ジブツ・ジショーを指すところ、依拠するのが、そのひと自身になるのだから

こうした、ある意味原始的言語で、何も学ばずにそれが論であると、誰かを叩きのめした気になっている輩は、その後ろ盾そもそもあなたが使っている「言葉意味」を辞書や、適当知識あなたのオキモチしか使えていない事に、気づいていない。

外堀を埋めるコミュニケーションなのだ

2024-12-07

焼きめし食べたい

土曜の昼にお母さんが作り置きしてくれた焼きめし

めしおわった

なしの皮をむいた

皮むき

    土曜日              感想

   6:30 起床           また夢見たわ あーだりー、くそ

   7:00 朝食            さあくるか

   7:15             くったくった、当分なにもねーな、ちっ

   10:00  書き物許可

   12:00   昼食          さーきたぞ

   13:00まで  ラジオ         今日ラルク10発か~

                         糞暇、弁護か誰かこいよまじで、糞が

   17:00   夕食         くせえ、めし、死にそう

   21:00   就寝         あーくそ、きつい、早く寝るぞ、くそ

2024-12-06

けっきょく名古屋ぐらいがちょうどいい

名古屋を出て都内ベンチャー転々としながら5年ぐらいふらふらしてたけど結婚を機に地元に戻ることにした。

結果として通勤時間が1時間から30分になって家賃が2万下がって年収が200万増えた。

都内に比べて土地の値段も半額ぐらいなので、そう遠くないうちに家を買って子供を持とうと思う。

東京に出てみたこ自体は間違いじゃなかったと思うものの、都内に居続けることにこだわる必要もなかったな~とつくづく実感したため、そう感じるに至った経緯を具体的に書いてみる。

 

東京人間の値段が安い

まず感じてることとして、東京仕事は多いがそれ以上に人間が増えすぎて人間の値段がかなり安くなっていると思う。

自分は大まかにITエンジニアに分類されるキャリアを進んできたものの、世間で言われるほどエンジニア待遇がいいと感じていない。

(もちろん小規模なベンチャーで働いていたことも理由の大半ではあるんだけど)

 

独学である程度VagrantだのDockerだのGithubだのAWSだのを覚えながら頑張って仕事をしてはきたものの、東京基準では「そのぐらい今どき新卒でもできる」「誰でもできて当たり前」ぐらいの温度感で、手取りは上がらないのに要求スキルけが加速度的にガンガン上がっていく。

ところが名古屋転職してみたところ、それなりの大きなジャパニーズトラディショナルカンパニー簡単採用が決まり、「なんでもできるスーパーハイスキル人材」みたいな扱いになってしまった。

おそらく名古屋はそこそこ全国規模のメーカー商社が多い割に、いわゆるIT人材が根こそぎ東京流出してしまたことで、ポストはいくらでもあるのに人材が居ないといった空洞化が発生しているのではないかと思う。

もっと自分東京に出ていった理由が、ITと呼ばれる仕事が根こそぎ人材派遣だらけになってしまたことや、メーカー採用が市外の僻地の車通勤しか選択肢がないド田舎ばかりだったため、そりゃ流出するだろうという感想だが。

だがようやく地元企業自分たちが置かれた状況を理解してきたのか、本社機能をド田舎工場併設のボロい自社ビルから駅前高層ビルフロアに移したり、プロパー人材の確保に必死になってる感が窺える。

もちろん自分東京経験を積んだことで転職できる応募のレンジが広がったことも少なから理由にはあるが。

 

狭くてダサいのが良い

まれも育ちも名古屋市の自分にとって名古屋はとにかく「狭くてダサい」という印象しかなかった。

最初は広大なマップと思えたオープンワールドゲームクリアする頃には狭く感じてしまうように、大学生を過ごすあたりで「もう名古屋は知っている場所しかない」という絶望感を抱き始める。

また、昭和から平成初期に建てられた施設建物が異様に長く生き延びており、子どもの頃から一度も張り替えられない地下鉄タイルを見ながら、この街風景は生まれから死ぬまで変わらないのではないかという恐怖に駆られたこともあった。

 

だが東京から戻ってきた結果、この狭さとダサさが結局は暮らしやすさと表裏一体だと気づくことになる。

例えば都内でどこかに出かけようとすると、数日前から予定を立ててあれこれ予約をし、一瞬で埋まるチケットを何とか確保し、満員電車や人混みを掻き分けながら目的地にたどり着くような毎日だった。

ところが名古屋では地下鉄一本で大体市内のどこにでも30分あればたどり着けるし、予約さえしておけばだいたい予定通りに過ごせるどころか、大抵の行列現実的な待ち時間しか発生しないので最悪予約とかしなくてもどうにかなる。

 

また、東京大阪福岡といった日本都市群は、近年海外から観光客による観光公害にも悩まされているそうだが、名古屋は幸いなことにしてそういった被害に全くの無縁である

以前ためし海外日本旅行者向けのコミュニティサイトで「nagoya」で検索してみたところ、「Is Nagoya worth visiting?(名古屋には訪れる価値がありますか?)」というタイトルスレッドがヒットして苦笑いしてしまった。

いや、都市とはあくまでそこで生活する人々が満足して暮らせることが存在価値であり、決して外貨獲得のために現地民族を展示するテーマパークではない。そういう意味名古屋はむしろ都市としてはこれ以上なく優れている。

 

また、名古屋に戻ってきてから嫁と一緒に三重伊勢志摩岐阜中津川旅行に行ってみたが、子供の頃漠然と「ダサい」と感じていた観光地の数々が、程々の行きやすさと気軽さでかなり満足感があった。

ダサさの局地とすら思っていた志摩スペイン村の「♪デデデデデン!エスパーニャー」のCMも、実際に自分の足で行ってみると結構いい場所だったように思う。

東京にはディズニーランドピューロランドもあるが、人が多すぎる。でも名古屋にはスペイン村がある。いや、伊勢志摩名古屋ではないのだが、三重岐阜があることが名古屋のいいところなのだ

 

名古屋には手に入るものしかない

東京から名古屋に戻って感じていることの一つに、「道行く全ての人々が自分と同じぐらいの生活レベルに見える」「街中にあるあらゆる店が自分が入ろうと思えば入れる店しかない」という感覚がある。

逆にいうと東京は「一体どんな人生を生きたらこんな生活ができるかわからない」「一生縁がなさそうな高級な店ばかりで疎外感ばかりがある」という感覚漠然とあった。

しかに手の届かないぐらい高い店や高い品があることが向上心や刺激を与えることもあるのだろうが、過度な競争を煽られて疲弊している部分も大きいと思う。

東京に住んでる間はそれらが都市の当たり前だと思っていたが、今はむしろ東京けが日本の中で過剰に資本主義内面化した特殊都市しかなかった」と思う部分がある。

 

名古屋は良くも悪くも平成初期の一億総中流社会の余韻を色濃く残していて、保守的中流層がちょうどよく生きやす地方都市を維持しているのではないかと思う。

土地家賃物価もそこそこのレベルでありながら、都内と変わらないぐらいの条件の仕事があちこちにあるため、中流がちょうど生きやす都市設計になっているのではないだろうか。

(国の統計データ可処分所得名古屋の方が東京に比べて高いみたいなデータも見たことある気がする)

前回の選挙でも、愛知県内では河村たかし国民民主候補が多く勝っていた印象があるが、あれらの「現役の中流層を大事にする」という政党方針名古屋中流層の厚さが合致した結果だと思うと納得が行く結果だった。

 

もちろん都内だって中流生活をしている人たちはたくさんいるだろうが、彼らは結局のところ立川武蔵浦和船橋といった東京衛星都市しか住めておらず、一時間以上の長い通勤時間をかけて都内の一員になったと思い込んでいるだけではなかろうか。

越谷レイクタウンで週末を過ごして1時間半かけて通勤している人たちは、千種イオンモールで買い物をして名駅オフィス仕事をしたほうが幸せになれるのではないだろうか。

さいごに

もちろん名古屋が全てにおいていいと思っているわけではない。

例えば飲食店レパートリーや、ちょっと尖った趣味の店や、チェーン店に押し流されず地元顧客を掴んだ老舗の個人経営店とかは、やっぱり東京しかない独特の良さだったと思う。

ただ、そういった場所知識と思い出は残っているので、たまに東京出張に行ったときかに立ち寄ってみるぐらいでちょうどいい。

 

そういうわけで、自分には名古屋ぐらいがちょうどよかったと感じている。

[]

なんとモノタロでもパスキーあつかってるのね

直送だから

気をつけないと○○室であわてふためくけど

めしてみる?

anond:20241205233407

池上彰だっけ?なんか文化人結構割合で握っててしかあんまり手放さないか

仕手筋に目をつけられそうであんまりおすすめしない

2024-12-05

絶対不可能なこと

お菓子を安い時に買いだめし計画通りに消費すること

anond:20241204182650

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_c7cd.html

2006年4月11日 (火)

哲学文学職業レリバン

冷徹労働市場論的に考察すれば、この世界は、哲学文学教師というごく限られた良好な雇用機会を、かなり多くの卒業生が奪い合う世界です。アカデミズム以外に大して良好な雇用機会がない以上、労働需要労働供給本来的に不均衡たらざるをえません。ということは、上のコメントでも書いたように、その良好な雇用機会を得られない哲学文学の専攻者というのは、運のいい同輩に良好な雇用機会を提供するために自らの資源機会費用提供している被搾取者ということになります。それは、一つの共同体の中の資源配分の仕組みとしては十分あり得る話ですし、周りからとやかく言う話ではありませんが、かといって、「いやあ、あなたがたにも職業レリバンスがあるんですよ」などと御為ごかしをいってて済む話でもない。

 

職業人として生きていくつもりがあるのなら、そのために役立つであろう職業レリバンスのある学問勉強しなさい、哲学やりたいなんて人生捨てる気?というのが、本田先生が言うべき台詞だったはずではないでしょうか。

 

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-2313.html

就職に強いといえば、かつての女子短大は最強でした。四年制大卒女子が軒並み土砂降りで泣き濡れているときでも、すいすいといくらでも就職できたのです。それも、なまじ栄養学科なんていう仕事に役立てようなんて色気のありそうなところじゃなくって、英文科とか国文科とか、絶対職業人としてやっていく気なんてこれっぽっちもありませんから、と言わんばかりなところのほうが就職率は良かったわけです。

 

それは極めて明快な理由であって、男女異なる労務管理デフォルトルールであった時代には、一生会社めしようなどと馬鹿たことを考えたりせず、さっさと結婚退職して、子どもが手がかからなくなったらパートで戻るという女性専用職業コースをたどりますというメッセージになっていたからでしょう。あるいは、結婚という「永久就職市場における女性側の提示するメリットとして、法学部経済学部なんぞでこ難しい理屈をこねるようになったかわいくない女性ではなく、シェークスピア源氏物語をお勉強してきたかわいい女性です、というメッセージという面もあったでしょう。

2024-12-04

文学部になんか行くな、勉強しても報われないぞって初めから言え の

文学部になんか行くな、勉強しても報われないぞって初めから言え

https://anond.hatelabo.jp/20220114133403

の筆者です。三年後の現状を追記

当時叱ってくれた人、励ましてくれた人には心から感謝しています

当時たくさんの方からいただいたアドバイスを元に、学部四年生ながらにできることはたくさんやってみました。手遅れ感はすごかったけど、もうこのまま色々なことから逃げてはいけないと思ったので勢いだけはあった。

教職を取る

ボランティアに参加する

・長期インターンで働く

バイトをする

心理学の本を読む

卒業研究就活も並行してやった。

教職はめちゃくちゃ大変だった。大学四年生にもなって(しかもあそぶんがくぶ)、教職=専門科目+教職科目で時間割はいっぱい。毎日朝9時から夜8時まで授業が詰まっていて、土日も現職教員が教えてくれる授業に出ていった。

ヒーヒー言いながら頑張ったが、教職はとてもいい人間関係リハビリにもなった。教職科目には大体グループ活動があるから強制的に人と話さなければならない。四年生という引け目がないわけではなかったが、もうそんなことは言ってられないので自分なりに必死で喋りました。幼稚園児ですかねマジで

ボランティアは市の団体に参加させていただいた。

長期インターン地元のある企業一年ほどお世話になった。

バイト販売。これがまあ、コミュ障の俺にとっては試練だった。仕事も覚えられないし、勉強しかできない自分無能さを思い知った。

心理学の本を読むのも、コメントアドバイスしてもらったことだ。アドラー加藤諦三を読んだ。今となっては極端な自責に繋がりかねない書籍のような気もするが、でも他責クソ野郎の俺には根本的な考え方を改めるのにとても役だった。

とにかく反省を活かそうと、いただいたアドバイスを元にたくさん行動してみた四年生だった。

結果、俺は今修士二年生で、博士課程に進もうとしている。

あれだけけなしていた文学分野でアカデミアに進むというのは、当時呪詛を吐きまくっていた俺を知る人からすれば晴天の霹靂というか、お前全然教訓活かせてねえじゃんアホかという感じだろうか。

でも行動してみて、色々考え方も変わった上での決断だ。理由はいくつかある。思いつく三つを挙げておく。

第一に、企業勤めをするのが俺にとって、社会にとって良いとは限らない気がしたこと

研究とお勉強は違うが、それでも俺は昔から学ぶことばかりしてきた身だ。しかも、我儘を言って実学ではない分野で学ばせてもらった。

ならば、急カーブで別分野に就職するよりも、過去を活かして学びの分野にとどまり続けることの方が、俺にとっても社会にとってもいい結果になりうるんじゃないかと思った。

これだけ親から投資を受けて学ばせてもらったのだ。ならばそのまま学問を追求し続けることもあながち無駄ではないだろうう。

文学研究が分かりやす社会に実利をもたらす行為だとは思わない。でも、俺が過去に培ってきたことを活かすという点においては、アカデミアも立派な将来の選択肢になるはずだ。それがお先真っ暗であろうと。

またバイトインターンをして思ったが、俺は実務ができない典型的な(?)勉強バカだと思う。必死メモをとってそれをマニュアル化し、いちいち参照しないと仕事ができない。自作マニュアルを参照してもノロいし、小回りが利かないから役に立たない。試験はあれだけホイホイできるのに、真面目に働こうとしてもなぜダメダメなまま成長しないのか。応用が効かないわ怒られるわヘマするわ、周りの社員にも「こいつ○○大なのにこれかよ」って思われてた気がする。

こんな俺なので、社会に出て企業めしたところであまり役に立てないように思う。

第二に、クソ大変だったが何とか教員免許を取得したので、博士課程に進んで落伍してもまだ道はあるだろうということ(現代日本教員不足だから)。

学んだことを活かせる仕事に就ける保険があるのは、かなり心強い。

第三に、やっぱり文学が好きだった。

文学ができることの一つに、「目に見えないもの表現できる」というのがあると思う。

俺という人間は、履歴書に書けば「文学部修士二年生」というただの一身分しか持ち合わせていない。

だけど、その称号の裏には「文学部生という経歴によって就活台無しになったと思ったが、己の他責思考や逃避癖や高すぎるプライドが原因で先延ばしにしていた挫折を一気に食らっただけだった」という物語があるわけで、この物語の前にも途中にも後にも色んな感情存在している。焦り、恐怖、驕り、不安自己陶酔、万能感、劣等感、諦め。

こういった説明し尽くせない心持ち表現するのが芸術で、その一分野が文学ではないか

不要だと切り捨てられかねない人間の心情や葛藤倒錯が好きだ。それを内包する表現形式を、文学をもう少し研究してみたいと卒論を書きながらそう思った。

そして二年たっても「もうちょっと研究したい」が終わらず、このまま博士課程に進むことに決めた。

修士一年ときに父が先立ち、一人親になった。親類も一人亡くなって経済的にかなり困窮している。

博士課程から奨学金にはなんとか内定したが、それでも母を安心させてあげられなくて申し訳ないと思う。奨学金なんて、人間一人がギリギリ生活する分しか出ないから。

ももう、この先文学やった結果路上で野垂れ死んでも構わない気がしている。俺は元々がクソ性根人間だし、社会の役に立とうとすること自体が思い違いかもしれん。実利や効率とはまるで関係のない文学と数年を共にしただけで御の字だ。どうせこのまま運良くアカデミアに留まれたところで40になっても低収入だろうが、それでももう構わん。

最初は「文学部に行っても報われない」と書いたが、本当は誰に報われなくてもいいということにやっと気づいた。

これが最後の報告になると思います。この先アカデミアに残れずにお先真っ暗になっても、研究職を諦めて教職についても、どうせ俺は社会無能ですすいませんと開き直りながら生きていきたい。

誰かこれを読む人がいるんだろうか。もしいるならば、当時叱責や励ましの言葉をくれた人に、心からありがとうと伝えたい。変な方向に開き直った感じがしないでもないが、あなたたちのおかげで色んな経験を積めたし、少し変われたと思う。

何より、人と関わることを億劫だと思わなくなったし、怖くて不安でも行動してみる習慣がついた。貴重な教えをくれて感謝しています

俺は変わらず役立たずとして生きていきます。どうかお元気で。

追記心配してくれた人がいたので。奨学金は貸与じゃなくて給付です

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