はてなキーワード: 肖像とは
これまでのアメリカによる多大な支援はほぼバイデン政権によるものなので、バイデン政権が最悪だったことにしたいトランプを前にアメリカからの支援全体に対して感謝するのは実は悪手。かといって、トランプにおもねってバイデン政権を批判することなんてもちろんできない。でも、「特に、開戦初期の最も困難な時期に、(戦前の)トランプ政権がもたらしたジャベリンが多大な力となった」ことをめちゃくちゃ強調してあげれば、誰に嘘をつくこともなく、トランプ政権の自尊心を大いにくすぐってあげられたろうね。(手土産も、ボクシング世界チャンピオンのベルトより、聖ジャベリンの肖像がよかったんじゃないか)
口論が始まってから、そのことをトランプ自ら強調しだしたけど、会見の最初のほうでゼレンスキーの口から言ってあげていたら、話の流れは天と地ほど違っていたんじゃないかな。少なくともヴァンスが「感謝の言葉がない」なんて言い出すことはなかった。もっとも、それで取引がまとまっていれば未来が明るかったかというと、それはわからないけど。
会見映像の口論シーンを見ても、「ここで○○がこう言っていれば…」みたいな道をなかなか見いだせずにモヤモヤしていたんだけど、口論の前に打てる手立てがあったんじゃないかという話。
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(追記1):
私は揉め事が嫌いなので、主軸は「どうすれば穏便に会見が終わっただろう?」という問い。口論はトランプが記者からの最後の質問を呼びかけたあとにヴァンスが割って入ったところから始まっているので、何事もなく会見が終わるチャンスは十分にあった。
「それで取引がまとまっていれば未来が明るかったかというと、それはわからない」と書いたのは実は言葉足らずで、そもそもその前段で、「急所を突いて会見が穏便に終わっていれば、直後の協議で取引がまとまっていたかというのも、やはりわからない」というのが正直なところ。もともと安全保障を求めていたゼレンスキーとの取引がまとまるはずがないという指摘はその通りかもしれない。
そしてまた、結局取引がまとまらないならば、形式上はどの段階で破談になっても変わらないという指摘もあるだろう。むしろ、アメリカに頼れない現実を知らしめ、ウクライナやヨーロッパの決意を促したという点では、口論になったことはプラスだったのかもしれない。
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https://x.com/ZelenskyyUa/status/1896948147085049916
We do really value how much America has done to help Ukraine maintain its sovereignty and independence. And we remember the moment when things changed when President Trump provided Ukraine with Javelins. We are grateful for this.
ゼレンスキーがツイートでジャベリンに言及したけど、できれば口論の前にこちらから言いたかったし、このツイートでも "especially" "do remember" くらい強調してもいいんじゃないかなぁ。("do really value" のほうじゃないのよ…)
https://anond.hatelabo.jp/20250217215312
https://anond.hatelabo.jp/20250218205326
https://anond.hatelabo.jp/20250219195748
第四章 喪のファンファーレ
清明節の雨が黄浦江を鈍色に染める。水滴がオフィスの窓を伝う軌跡が、経理ソフトのグラフ下落線と重なる。シュレッダーが咽びなうように回転する音が、リンユイが歌った「夜来香」のメロディと奇妙に同調す。「山田さん、監査チームがエレベーターに乗り込んだ」内線電話の雑音が、あの夜のKTVマイクのハウリングを想起させる。
廊下の警備員ブーツ音が秒針になる。燃えさかる伝拝の炎が、リンユイと香港の会話録音を飲み込む。「日本人経理は最高の傀儡よ」彼女の笑い声が炎の中で高周波に歪む。灰が地鉄駅の「安全出行」アナウンスに乗って舞い、警備員の制帽に降り積もる。
新鍳真フェリーの気笛が霧の幕を引裂く。甲板で握りしめたスマホの割れた画面に、小春からの最後のWeChatが凍りついてる。由美子のプロフィール画が灰色の回転マアクに変わる瞬間、浦東の超高層ビル群がリンユイのイヤリングのようにきらめいて消える。
波間に浮かぶ桜の花弁が、偽造領受書の断片へと変容する。その一枚に「家族サービス残業代」の文字が滲んで見える。船底で重油が唸す音が、あの夜翡翠宮で聞いだ骰子の音に変換される。リンユイの泣きぼくろの位置を正確に記憶している事に気つき、冷たい笑いが喉から零る。
浦東空港の管制塔が水平線に沈む、制服のポケットから現れた龍刺繡のハンカチが風に翻る。あの印刷屋の男が押付けたUSBメモリの残骸が、波間に光る毛主席の肖像を呪いながら沈んでいく。
https://anond.hatelabo.jp/20250217215312
https://anond.hatelabo.jp/20250218205326
第三章 蜃気楼の帳簿
浦東空港の遅延便案内板が痙攣する。赤いLED文字が「人生の定刻」を嘲笑ふように点滅する。ノートパソコンの画面に踊る香港からの偽装送金データが、リンユイのイヤリングの揺れ方と同期する。湿気を含んだ人民元札束の束が、デスクの引き出しで黴くさい息を吐いている。指先で数えるたびに毛主席の肖像が歪む。「ふるふる」とWeChatが震える度、肋骨の裏側で心臓が監査報告書の表紙を蹴破す。
「印鑑の捺印、明朝までよ」リンユイの声が受話器を越しに蘇州琴の調べになる。領収書の改ざん作業が、街の印刷屋で刷る偽造伝票の速度に追いつかない。USBメモリの存在感がズボンのポケットで体温を帯びる。路地裏で受け渡した男の手の甲に、青い龍の刺青がうごめいでいたことを突然思い出す。
経理システムに毒を入れる瞬間、オフィスの蛍光灯が一瞬暗転する。液晶画面に映る自分の瞳が、翡翠宮KTVのシャンパングラスぞこのように濁っている。エアコン吹出口から舞い落ちた灰が、平成31年度の旅費精算書に小さな黒い星座を描す。その模様がリンユイの泣きぼくろの位置と奇妙に一致す。
監査チームの予定表が更新された通知音と共に、スマホの待受画面が娘の運動会写真に切り替わる。小春が走るトラックの白線が、偽装送金の矢印記号に変形する。汗が領収書のインクを滲ませ、2019年4月が2023年5月に化ける。
深夜のオフィスでシュレッダーが唸す。裁断された紙片が、黄浦江に浮かぶ貨物船の積荷のよう排水口へ流れ落ちる。窓外で雷光が閃いた瞬間、リンユイからの未読メッセージが3件に増えている事に気つく。雨戸が打付けるリズムが、架空発注書の承認印を押す速度と同調しはじめる。
正直言って、浜崎あゆみをお札にするなんてアイデアには賛同できない。彼女の音楽が多くの人に影響を与えたことは認めるけど、それが国のお金に肖像として載せる理由にはならない。
お札は国の象徴であり、歴史的な人物や文化的な遺産を反映するべきだ。浜崎あゆみはアイドルであり、商業主義の象徴とも言える存在。彼女の音楽は一時的な流行に過ぎず、永続的な価値を持つとは思えない。お金が彼女の顔で溢れかえったら、国の品位が下がるだけだ。
さらに、浜崎あゆみを持ち上げることは、他の偉大なアーティストや歴史的な人物へのリスペクトを欠くことになる。例えば、文化や歴史に貢献した人々の肖像は、私たちが未来に向けて進むための指針でもある。彼女の存在はその枠に収まらない。
最終的には、アイドルの顔をお札にすることで何が得られるの?一時的な盛り上がりはあるかもしれないが、国としての重みや意義が失われるのは明らかだ。もっと真剣に、この問題を考えるべきだと思う。浜崎あゆみをお札にするなんて、ただの軽薄な発想に過ぎない。強いて言えば、あのちゃんをお札の肖像に採用して欲しい。
確かに、浜崎あゆみをお札の肖像にするというアイデア、面白いね。彼女の音楽は多くの人に愛されてきたし、特に90年代は彼女がいなければ成り立たないくらいの存在感だった。
ただ、お札には歴史的な人物や文化的な象徴がふさわしいという意見もあるのも事実。お金に彼女の顔があったら、確かに「浜崎あゆみの曲を思い出す」ってことはあるだろうけど、果たしてそれが国の象徴として適切なのかは考えどころだ。
でも、日常に寄り添う存在としての彼女の影響力は認めるべきだし、そういう視点から見ると新しい形のお札のあり方も面白いかもしれない。お札に彼女がいることで、何か新しい価値観が生まれる可能性もあるよね。
最近、ふと思った。日本のお札に浜崎あゆみを肖像として採用すべきではないかと。何故かって?それは、彼女が日本の音楽シーンに与えた影響の大きさと、心に残る名曲の数々があるからだ。
浜崎あゆみと言えば、90年代から2000年代初頭の音楽界の女王。彼女の曲は青春のバイブルで、「SEASONS」や「M」、「Voyage」などは今でもカラオケで盛り上がる鉄板だ。お札に彼女の顔があれば、「トイレに行きたくなるまで歌うぞ!」と財布を開く手が止まらなくなるかもしれない。
さらに、彼女のファッションセンスや独特のスタイルは、今でも多くの人に影響を与えている。お札を見るたびに「私も頑張ろう」と勇気をもらう人もいるはず。まさに、国民のアイドルとしての存在感がある。
もちろん、賛否はあるだろう。「お札にアイドルはふさわしくない」とか「もっと歴史的な人物を選ぶべき」とか。でも、日常に寄り添い、心を豊かにしてくれる存在こそが、今の時代のお札にふさわしいのではないか。
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このようになっている。
日本の著作権法では、権利者に叱られて初めて権利侵害の疑いが発生するので、少なくとも現時点では、複製・転載ツイッターのエロ絵二次創作は法的な問題はないのだろう。
しかし男性オタクであるオレは、表現の自由戦士として戸惑っている。
このロジックは、見覚えがある。
オレは当時鼻で笑っていたし、真面目に返答もした。
愚かであると。
女子高生が性的にまなざされるようになったとして、それは実在の児童を無遠慮にみるオトコが悪いのだと。
しかし当時のオレの言葉が、唸りを上げて背後から近づいてくるのが分かる。
マクドナルドをエロい目で見始めた奴ら、ダブチ食べ美をエロ消費しているオタク、両者は無関係だろうか。
表現の自由を謳歌するとは、法を犯さない限り自由に表現する事。
・・・でも、このままエスカレートさせる事は、表現の自由のためにならない気がする。
身動きが、取れない。
他方で人格権については製造者本人が一人で楽しんでてもアウトだったりする。他人に見せなくても盗撮はダメって話。
で、肖像権や人格権だから他人に見せなくてもダメな場合がある。剥ぎコラとか。なので実在人のヌードフェイクを作ると他人に見せなくてもアウトになる可能性がある。普通はバレないけどうっかりバレたり別件で警察に記録媒体押収されたり。
パブリシティ権になると顧客誘引力を利用する行為が対象なので、公表しなければまぁセーフだけど、特化させたモデルを頒布するとアウトになるっぽい。ちなみに最高裁判所判調査官によるとパブリシティ権は顔(肖像)だけじゃなくて声とかにも認められるらしい。
注意:AI批判目的ではありません。単なる考察結果の共有です。どちらかというと私は思想的にはAI推進過激派です。また、ここでの推測はすべて外れている可能性はあります、あくまで推測です。
DMMボイスという名前から「にじボイス」という名称に変更された。主な変更点は以下。
それ以外は本記事の内容はすべて当てはまるので、以下「DMMボイス」となっている箇所は適宜「にじボイス」へ読み替えて呼んでほしい。
最近AI界隈(?)で話題になっている、20人分のアニメ調キャラクターの声で感情的な音声を簡単に生成することができるAIサービス。
それの学習元に、エロゲーのテキスト音声データが使われているのではないかという話。
まずは性能がかなり高くて楽しいのでみんな遊んでみてください。(そして知ってる声優がいないか探してみてください。)
現時点では何のフィルターもなく、どのような卑語や卑猥なセリフも発話させられる。
ただ、ある特定の雰囲気のパターンのみなぜか音声合成させると吐息のようなものになり、入力文章からかけ離れてしまう。
それは「ちゅぱちゅぱれろれろ」だ。
他にも、例えば「んじゅぷんくっちゅぱ……じゅ……れちゅはぁ……」や「ちゅぷぷっ、んちゅぅ……ちゅくくっ、むちゅぅ……ぢゅるっ、ちゅちゅぅっ」等を試してみてほしい。
ひらがなですべて書かれているので、発音は明確にはっきりしているはずだが、それでもなぜか発音できず吐息のようなものとなる。
一方で、並びはそのままのまま「ふゅととっ、んびゅぅ……こゅねねっ、むびゅぅ……ぞゅけっ、たゅたゅぅっ」や「にゅべべっ、おにゅぅ……にゅけけっ、めにゅぅ……づゅれっ、にゅにゅぅっ。」等は、きちんと文字通り発音される。
さらに、単純に全てカタカナにして、「チュパチュパレロレロ」にしてもきちんと発音される。またちょっと並び替えて「ぱちゅぱちゅろれろれ」は発音される。その他、適当な意味をなさない「ちゅかちゅほぱれもふい」等のランダムな文字列にしても発音される。
他にも、私が試してみた限りでは、上述の謎の雰囲気のテキスト群以外の文章はほぼ正確に文字通りに発音される。
以上のことから、学習データには「ちゅぱちゅぱれろれろ」やその他の上記例のような特定雰囲気のセリフに対して、「その文字の通常の発音通りでないような音声」が対応しているようなデータが使われていることが推測される。
(念の為に書いておくと、音声合成の学習にあたっては、音声とその音声が何を喋っているかというテキストのペアを、大量に学習させる。)
余談であるが、カタカナの「チュパチュパレロレロ」は発音できるがひらがなの「ちゅぱちゅぱれろれろ」は発音できないという事実からは、古くからの音声合成での「日本語文章→音素列(簡単に言えば読みのカナ列)→音声」という流れの単純な音声合成だけでなく、元の日本語からの情報も音声合成に入力していること推測できる。
元の日本語テキストに対して、その音素列に加えて、大規模言語モデルのエンコーダーモデル、いわゆるテキスト埋め込みも音声合成のテキストエンコーダ部分へ注入するというのは、近年の感情豊かな音声合成界隈での一つのトレンドである。
音声合成にあたりAIが「発音の仕方」だけじゃなくて「セリフの意味」も理解する、というわけである。
例えば「ちゅぱちゅぱれろれろ」も、単独では正常な発話ができないが、「はてなは、匿名性を活かした自由な表現が可能となる場として、ちゅぱちゅぱれろれろ、はてな匿名ダイアリーをご利用いただきたいと考えております。」等に文中に紛れ込ませると正常に発話ができること、また文章全体の示す感情によって途中の声音のテンション等が変わること等も、これらの帰結である。
さて、我々は「れろれろれろ……ちゅぱっ、ちゅぶっ……んちゅ、れろっ……ぺろ、ぺろっ……んちゅぅ」のようなテキストが文字通りの発音と対応しない、そのような状況を知っているはずである。そう、エロゲーだ。
エロゲーにはチュパ音という文化がある。これはヒロインが主人公にフェラチオをするシーンで、ヒロインの声優がそのおしゃぶりシーンを汁音たっぷりに演技をするものである。
そこでは、「あぁむ、じゅぶ……じゅぽじゅぽ……ちゅるっ、ちゅ、ちゅっ、ちゅぅぅぅぅ……んっ、んっ、んんっーー!」のようなテキストに対して、そのテキストの通常の文字通りの発音からはかけ離れた、しゃぶりまくり水音出しまくり啜りまくりの演技が音声として与えられる。
よって上記挙動から、DMMボイスの学習元の少なくとも一部には、エロゲーから抽出したデータが使われているのではないかと推測することができる。
界隈では有名な事実だが、エロゲー(R18に限らずノベルゲー一般)からは、1本だいたい(ものによるが)20時間程度の音声とテキストの両方を(多少の知識があれば)大量に抽出することができ、音声合成や音声認識等の音声に関するAIの研究においては非常に貴重なデータとなっている。
よって、大量の「テキストと音声のペア」が必要な音声合成では、特に表に出ないアングラなところで、ひっそりと学習に使われることが多々ある。また特定の声優の声を出そうという意図はなくても、いわゆる音声AIの事前学習モデルとして、すなわち日本語の発音の仕方をAIが学ぶときに必要な大量の音声データとして、そのようなデータを使うことは、一般的とまでは言わないにしても、あることである。
ましてやDMMである。エロゲープレイヤーならば、近年の衰退しつつあるノベルゲー文化はかなりの部分をFANZAに依存していることをすでに知っているだろう(いつもお世話になっております)。
以上のような理由から私はエロゲーが少なくとも学習データに含まれているのではないかと推測したが、そもそものきっかけは、それより前に、単純にいろんなキャラで音声合成させて遊んでいたら、
少なくとも私の耳には「あれこの人あの声優じゃん?」というキャラが何人かいたからである。
久世凛さん(くん?)の人はたぶん声優として有名なあの人だし、ノエラちゃんとか多分一般でも最近いろいろ有名なんじゃなかろうか?(元エロゲー声優出身でそれから表に出てきて大成功していることで有名)
月城 美蘭ちゃんのキャラは某シリーズの某キャラがめっちゃ好きです。
他にも声優に詳しい方だったら、誰の声か分かるキャラが数人はいるのではなかろうか。
さらに実験を重ねていると、エロゲーが学習に使用されていると推測されるもう一つの事象を発見した。
それは「おちんちん」という単語を含んだセリフを音声合成させると、不自然に「おちんちん」の1番目の「ん」がきれて「おちっちん」のように音声合成されるという現象である。
(実際は「おちっちん」ほど極端ではないが、明確に2番目の「ん」の音が通常の発音よりもかなり弱く、不自然に途切れた印象の発音になっている。「おちんつん」等にして比較するとより違いが明確になる。)
このことから、「おちんちん」という単語がそのまま発話されないデータが学習元に多いのではないかと推測できる。
エロゲープレイヤーならば知っているだろうが、大半の商業エロゲーでは規制から「おちんちん」という文字は「おち○ちん」と伏せ字になり音声ではピー音が入る。
このような音声の内部の音声データは、伏せ字部分が抜けて発音されていることが多い(ピー音がそのまま入っているものもある)。
このことも、エロゲーの音声データがDMMボイスの学習元として使われているという推測を支持している。
追記。ブコメ等で、「膣」がなぜか「ナカ」と発音されるという現象の報告が多くあった。また試すと「ナツ」と発話されることも多い。これについて、私よりも音声学に詳しいであろう増田の観察があったのでリンクを貼っておく: anond:20241105060042
端的に言うと、データセットに「膣内に出して……!」等のセリフで「ナカに出して!」と発音されていることが多いことから、本来の読みである「チツ」と「ナカ」との混乱がテキストエンコーダ部分で起きた結果の現象だと推測される。
引用になるが「膣はあけぼの。膣は夜。膣は夕暮れ。膣はつとめて。」を音声合成させてみるのを試してみるとよいだろう。
DMMボイスに対して学習元等の問い合わせをしている人たちが数人はいるようで、開発者サイドのそれに対するリプライの文章から抜粋する。
https://x.com/1230yuji/status/1852914053326483685
「音声学習データは音声データの大量購入、機械合成、収録で取得しています。具体的な情報は企業秘密にあたるため開示できません。」
ここで「音声データの大量購入」という箇所がひっかかる。そう、界隈にいれば知っている人が多いだろうが、音声とテキストのペアのデータセットで、大量購入できるようなものはほぼない(あったら喉から手が出るほど欲しい)。
さらにまた、DMMボイスはアニメ調のキャラクターの音声合成が売りである。そのようなデータセットで、大量購入できるようなものはほぼない(あったら喉から手が出るほど欲しい)。
つまり、ここでの大量購入はエロゲーの大量購入を指しているのではないかと推測することができる。(もしくは、少し前に触れた、すでに公開されているそのような音声データセットから流用したか)。
追記となるが、DMMボイスの利用規約自体が少しおかしいのではという議論を提起している動画があったので紹介しておく: https://www.youtube.com/watch?v=tkBGBVjOIZk
(以前ここで第8条1(1)について書いたいたが、この文言自体は利用規約で一般的なもののようだ、申し訳ない)
音声AIについて昨年5月あたりから品質が大いに向上したことで、AIカバーや声優音声の無断学習等の文脈で、様々な議論が発生している。最近では有名な声優たちがNOMORE無断生成AIというスローガンで大々的に活動している。
これは、声優たちが、自分たちの声が無断でAI学習に使用され、その上で収益化をされていることに対して反対して展開している運動だ。
(この運動に対する是非等の意見は私は持たない、最初に述べた通り私はどちらかというとAI推進過激派である。)
また、このような運動がおこる背景として、(イラストでかなりバトルが発生しているが、)AI学習における「声の権利」との法的な取り扱いが現状の法律だと不明瞭な点から、法律とくに著作権に訴えることでは現状の使われ方に対して法的措置を取りにくいところにある。
このようなAIと音声の権利については最近の柿沼弁護士の記事が参考になるので詳しくはそちらを読んでほしい。
https://storialaw.jp/blog/11344
私自身は法律の専門家でもなんでもないので法的なあれこれについて述べることはできないが、理解している範囲で述べる(間違ってたらすみません)。
音声AIの法的議論では「パブリシティ権」という概念が重要になる。これはざっくり言うと、有名女優の肖像を勝手に商品の宣伝に使ったりすると、その女優が得られたであろう広告収入が奪われたことになるのでダメ、という感じのものである。
このパブリシティ権は現在の日本の法律の文面では明文化されておらず、どこまでがパブリシティ権にあたるのかということについて、特に音声については、未だ判例がなくはっきり分からない。
しかし有名人の氏名についてはパブリシティ権は認められているので、もしDMMボイスが、「あの人気声優○○さんの声で音声合成できる!」としてこのサービスを提供していたら、正式に契約を結んでいた場合に得られたであろう声優の利益のことを考慮すると、声優の許諾がない場合ほぼ確実にダメだと思われる(判例待ちなので断言はたぶんできない)。
だがDMMボイスは、学習元の20人分の声優が誰かや、またその声優からの許諾を得て20人分の声優を使っているかを、うまい具合に言及を避けている。
声優好きな人は声のみからその声優が誰であるかを判定することができる人も多いので、そのような場合に、声優名を伏せていたとしてもパブリシティ権の侵害にあたるかは、おそらくかなりグレーで判例待ち事案である。
そのような意味で、このDMMボイスは(もし裁判等や運動が起これば)音声AIと声の権利に対する法的な解像度を上げ議論を起こすのに貢献する事例になるであろうことは間違いない。
何度か述べている通り、私はAI推進過激派寄りの人間であり、NOMORE無断生成AI等の、最近の声優たちやアンチ生成AIの人達による運動に対しては、事態を注視しているだけの中立的(むしろ逆にガンガン生成AI使っていこうぜという)立場である。
また今回のDMMボイスの公開や今後のサービス展開に対しても、ことさらそれが悪いことだとか、そのようなものは避けるべきだとか、については思っておらず、むしろ「いつか来るだろうなあと思っていたものを大きい企業がようやく出してきたかあ、これで法律や声の権利についての議論や判例が進むかもな」といった程度の感想である。
(そしてDMMボイスのような技術が可能なこと、また実際にそれを学習させてみて個人で楽しむことは、私自身一年前くらいからずっとしており、そこから音声AI界隈をウォッチしていた。)
しかし、最近の声優サイドの運動や時流を見ると、せめて生成できる20人分の声優の許諾を取っているかについて言及しないままでは、アンチ生成AIサイドの批判の格好の的になるだけなのではないかと感じている。
技術的なことになるが、最近の音声AIでは、実在する声優の声から学習させて、しかし音声合成する際には非実在の人物による声音の音声合成が可能である(例えば声優二人の中間の声等)。
それが権利的や法的や倫理的にどうか等は置いておいて、DMMボイスは少なくともそのような措置を取るのがよかったのではないかと個人的には感じている。
(ただ、私の耳が悪いだけで、ホントは「この人の声だ!」と思ったキャラクターは実は全然そうじゃなかった可能性もある。しかしこの「「誰が喋っているかが明確に100%には断言できない」ところが音声AIと声の権利の議論の難しいところである。)
公平のため、最後に「ちゅぱちゅぱれろれろ」が発音できない現象について、エロゲーがDMMボイスの学習に直接使われたという以外に他のありうる可能性をいくつか書いておく。
また端的にありえるのは、他の「ちゅぱちゅぱれろれろ」が発音できないような音声AIをそのまま流用している可能性である。一つ「ちゅぱちゅぱれろれろ」が正常に発話できない音声合成AIライブラリを知っているが、それはデモ動画に私の好きなエロゲーのセリフが堂々と出ていたことから、それの学習元にエロゲーが入っていることはほぼ確実である。
また他に、DMMボイス自体を開発する際にはエロゲーデータは使っておらず許諾を得た声優のみから学習させるが、その学習元となった事前学習モデルにはエロゲーデータが入っていた、という可能性である。前に少し触れた通り、現在の生成AIには学習に大量のデータが必要であり、まず音声AIが発音の仕方を学ぶために、無から正常に発話できるようになるまでには大量のデータが必要である。そのような学習は非常にお金と時間がかかるため、生成AIでは「まず大規模なデータで学習させて事前学習モデルを作る」「次に、その事前学習モデルに対して、話させたい話者のデータで少量追加学習する」というアプローチが取られる場合がほとんどである。この Permalink | 記事への反応(16) | 07:53
https://anond.hatelabo.jp/20241002005552
一一
このごろ与次郎が学校で文芸協会の切符を売って回っている。二、三日かかって、知った者へはほぼ売りつけた様子である。与次郎はそれから知らない者をつかまえることにした。たいていは廊下でつかまえる。するとなかなか放さない。どうかこうか、買わせてしまう。時には談判中にベルが鳴って取り逃すこともある。与次郎はこれを時利あらずと号している。時には相手が笑っていて、いつまでも要領を得ないことがある。与次郎はこれを人利あらずと号している。ある時便所から出て来た教授をつかまえた。その教授はハンケチで手をふきながら、今ちょっとと言ったまま急いで図書館へはいってしまった。それぎりけっして出て来ない。与次郎はこれを――なんとも号しなかった。後影を見送って、あれは腸カタルに違いないと三四郎に教えてくれた。
与次郎に切符の販売方を何枚頼まれたのかと聞くと、何枚でも売れるだけ頼まれたのだと言う。あまり売れすぎて演芸場にはいりきれない恐れはないかと聞くと、少しはあると言う。それでは売ったあとで困るだろうと念をおすと、なに大丈夫だ、なかには義理で買う者もあるし、事故で来ないのもあるし、それから腸カタルも少しはできるだろうと言って、すましている。
与次郎が切符を売るところを見ていると、引きかえに金を渡す者からはむろん即座に受け取るが、そうでない学生にはただ切符だけ渡している。気の小さい三四郎が見ると、心配になるくらい渡して歩く。あとから思うとおりお金が寄るかと聞いてみると、むろん寄らないという答だ。几帳面にわずか売るよりも、だらしなくたくさん売るほうが、大体のうえにおいて利益だからこうすると言っている。与次郎はこれをタイムス社が日本で百科全書を売った方法に比較している。比較だけはりっぱに聞こえたが、三四郎はなんだか心もとなく思った。そこで一応与次郎に注意した時に、与次郎の返事はおもしろかった。
「いくら学生だって、君のように金にかけるとのん気なのが多いだろう」
「なに善意に払わないのは、文芸協会のほうでもやかましくは言わないはずだ。どうせいくら切符が売れたって、とどのつまりは協会の借金になることは明らかだから」
三四郎は念のため、それは君の意見か、協会の意見かとただしてみた。与次郎は、むろんぼくの意見であって、協会の意見であるとつごうのいいことを答えた。
与次郎の説を聞くと、今度は演芸会を見ない者は、まるでばかのような気がする。ばかのような気がするまで与次郎は講釈をする。それが切符を売るためだか、じっさい演芸会を信仰しているためだか、あるいはただ自分の景気をつけて、かねて相手の景気をつけ、次いでは演芸会の景気をつけて、世上一般の空気をできるだけにぎやかにするためだか、そこのところがちょっと明晰に区別が立たないものだから、相手はばかのような気がするにもかかわらず、あまり与次郎の感化をこうむらない。
与次郎は第一に会員の練習に骨を折っている話をする。話どおりに聞いていると、会員の多数は、練習の結果として、当日前に役に立たなくなりそうだ。それから背景の話をする。その背景が大したもので、東京にいる有為の青年画家をことごとく引き上げて、ことごとく応分の技倆を振るわしたようなことになる。次に服装の話をする。その服装が頭から足の先まで故実ずくめにでき上がっている。次に脚本の話をする。それが、みんな新作で、みんなおもしろい。そのほかいくらでもある。
与次郎は広田先生と原口さんに招待券を送ったと言っている。野々宮兄妹と里見兄妹には上等の切符を買わせたと言っている。万事が好都合だと言っている。三四郎は与次郎のために演芸会万歳を唱えた。
万歳を唱える晩、与次郎が三四郎の下宿へ来た。昼間とはうって変っている。堅くなって火鉢のそばへすわって寒い寒いと言う。その顔がただ寒いのではないらしい。はじめは火鉢へ乗りかかるように手をかざしていたが、やがて懐手になった。三四郎は与次郎の顔を陽気にするために、机の上のランプを端から端へ移した。ところが与次郎は顎をがっくり落して、大きな坊主頭だけを黒く灯に照らしている。いっこうさえない。どうかしたかと聞いた時に、首をあげてランプを見た。
「この家ではまだ電気を引かないのか」と顔つきにはまったく縁のないことを聞いた。
「まだ引かない。そのうち電気にするつもりだそうだ。ランプは暗くていかんね」と答えていると、急に、ランプのことは忘れたとみえて、
一応理由を聞いてみる。与次郎は懐から皺だらけの新聞を出した。二枚重なっている。その一枚をはがして、新しく畳み直して、ここを読んでみろと差しつけた。読むところを指の頭で押えている。三四郎は目をランプのそばへ寄せた。見出しに大学の純文科とある。
大学の外国文学科は従来西洋人の担当で、当事者はいっさいの授業を外国教師に依頼していたが、時勢の進歩と多数学生の希望に促されて、今度いよいよ本邦人の講義も必須課目として認めるに至った。そこでこのあいだじゅうから適当の人物を人選中であったが、ようやく某氏に決定して、近々発表になるそうだ。某氏は近き過去において、海外留学の命を受けたことのある秀才だから至極適任だろうという内容である。
「広田先生じゃなかったんだな」と三四郎が与次郎を顧みた。与次郎はやっぱり新聞の上を見ている。
「どうも」と首を曲げたが、「たいてい大丈夫だろうと思っていたんだがな。やりそくなった。もっともこの男がだいぶ運動をしているという話は聞いたこともあるが」と言う。
「しかしこれだけじゃ、まだ風説じゃないか。いよいよ発表になってみなければわからないのだから」
「いや、それだけならむろんかまわない。先生の関係したことじゃないから、しかし」と言って、また残りの新聞を畳み直して、標題を指の頭で押えて、三四郎の目の下へ出した。
今度の新聞にもほぼ同様の事が載っている。そこだけはべつだんに新しい印象を起こしようもないが、そのあとへ来て、三四郎は驚かされた。広田先生がたいへんな不徳義漢のように書いてある。十年間語学の教師をして、世間には杳として聞こえない凡材のくせに、大学で本邦人の外国文学講師を入れると聞くやいなや、急にこそこそ運動を始めて、自分の評判記を学生間に流布した。のみならずその門下生をして「偉大なる暗闇」などという論文を小雑誌に草せしめた。この論文は零余子なる匿名のもとにあらわれたが、じつは広田の家に出入する文科大学生小川三四郎なるものの筆であることまでわかっている。と、とうとう三四郎の名前が出て来た。
三四郎は妙な顔をして与次郎を見た。与次郎はまえから三四郎の顔を見ている。二人ともしばらく黙っていた。やがて、三四郎が、
「困るなあ」と言った。少し与次郎を恨んでいる。与次郎は、そこはあまりかまっていない。
「君、これをどう思う」と言う。
「どう思うとは」
「投書をそのまま出したに違いない。けっして社のほうで調べたものじゃない。文芸時評の六号活字の投書にこんなのが、いくらでも来る。六号活字はほとんど罪悪のかたまりだ。よくよく探ってみると嘘が多い。目に見えた嘘をついているのもある。なぜそんな愚な事をやるかというとね、君。みんな利害問題が動機になっているらしい。それでぼくが六号活字を受持っている時には、性質のよくないのは、たいてい屑籠へ放り込んだ。この記事もまったくそれだね。反対運動の結果だ」
「なぜ、君の名が出ないで、ぼくの名が出たものだろうな」
「やっぱり、なんだろう。君は本科生でぼくは選科生だからだろう」と説明した。けれども三四郎には、これが説明にもなんにもならなかった。三四郎は依然として迷惑である。
「ぜんたいぼくが零余子なんてけちな号を使わずに、堂々と佐々木与次郎と署名しておけばよかった。じっさいあの論文は佐々木与次郎以外に書ける者は一人もないんだからなあ」
与次郎はまじめである。三四郎に「偉大なる暗闇」の著作権を奪われて、かえって迷惑しているのかもしれない。三四郎はばかばかしくなった。
「さあ、そこだ。偉大なる暗闇の作者なんか、君だって、ぼくだって、どちらだってかまわないが、こと先生の人格に関係してくる以上は、話さずにはいられない。ああいう先生だから、いっこう知りません、何か間違いでしょう、偉大なる暗闇という論文は雑誌に出ましたが、匿名です、先生の崇拝者が書いたものですから御安心なさいくらいに言っておけば、そうかで、すぐ済んでしまうわけだが、このさいそうはいかん。どうしたってぼくが責任を明らかにしなくっちゃ。事がうまくいって、知らん顔をしているのは、心持ちがいいが、やりそくなって黙っているのは不愉快でたまらない。第一自分が事を起こしておいて、ああいう善良な人を迷惑な状態に陥らして、それで平気に見物がしておられるものじゃない。正邪曲直なんてむずかしい問題は別として、ただ気の毒で、いたわしくっていけない」
「家へ来る新聞にゃない。だからぼくも知らなかった。しかし先生は学校へ行っていろいろな新聞を見るからね。よし先生が見なくってもだれか話すだろう」
「すると、もう知ってるな」
「むろん知ってるだろう」
「君にはなんとも言わないか」
「言わない。もっともろくに話をする暇もないんだから、言わないはずだが。このあいだから演芸会の事でしじゅう奔走しているものだから――ああ演芸会も、もういやになった。やめてしまおうかしらん。おしろいをつけて、芝居なんかやったって、何がおもしろいものか」
「しかられるだろう。しかられるのはしかたがないが、いかにも気の毒でね。よけいな事をして迷惑をかけてるんだから。――先生は道楽のない人でね。酒は飲まず、煙草は」と言いかけたが途中でやめてしまった。先生の哲学を鼻から煙にして吹き出す量は月に積もると、莫大なものである。
「煙草だけはかなりのむが、そのほかになんにもないぜ。釣りをするじゃなし、碁を打つじゃなし、家庭の楽しみがあるじゃなし。あれがいちばんいけない。子供でもあるといいんだけれども。じつに枯淡だからなあ」
与次郎はそれで腕組をした。
「たまに、慰めようと思って、少し奔走すると、こんなことになるし。君も先生の所へ行ってやれ」
「行ってやるどころじゃない。ぼくにも多少責任があるから、あやまってくる」
「君はあやまる必要はない」
「じゃ弁解してくる」
与次郎はそれで帰った。三四郎は床にはいってからたびたび寝返りを打った。国にいるほうが寝やすい心持ちがする。偽りの記事――広田先生――美禰子――美禰子を迎えに来て連れていったりっぱな男――いろいろの刺激がある。
夜中からぐっすり寝た。いつものように起きるのが、ひどくつらかった。顔を洗う所で、同じ文科の学生に会った。顔だけは互いに見知り合いである。失敬という挨拶のうちに、この男は例の記事を読んでいるらしく推した。しかし先方ではむろん話頭を避けた。三四郎も弁解を試みなかった。
暖かい汁の香をかいでいる時に、また故里の母からの書信に接した。また例のごとく、長かりそうだ。洋服を着換えるのがめんどうだから、着たままの上へ袴をはいて、懐へ手紙を入れて、出る。戸外は薄い霜で光った。
通りへ出ると、ほとんど学生ばかり歩いている。それが、みな同じ方向へ行く。ことごとく急いで行く。寒い往来は若い男の活気でいっぱいになる。そのなかに霜降りの外套を着た広田先生の長い影が見えた。この青年の隊伍に紛れ込んだ先生は、歩調においてすでに時代錯誤である。左右前後に比較するとすこぶる緩漫に見える。先生の影は校門のうちに隠れた。門内に大きな松がある。巨大の傘のように枝を広げて玄関をふさいでいる。三四郎の足が門前まで来た時は、先生の影がすでに消えて、正面に見えるものは、松と、松の上にある時計台ばかりであった。この時計台の時計は常に狂っている。もしくは留まっている。
門内をちょっとのぞきこんだ三四郎は、口の中で「ハイドリオタフヒア」という字を二度繰り返した。この字は三四郎の覚えた外国語のうちで、もっとも長い、またもっともむずかしい言葉の一つであった。意味はまだわからない。広田先生に聞いてみるつもりでいる。かつて与次郎に尋ねたら、おそらくダーターファブラのたぐいだろうと言っていた。けれども三四郎からみると二つのあいだにはたいへんな違いがある。ダーターファブラはおどるべき性質のものと思える。ハイドリオタフヒアは覚えるのにさえ暇がいる。二へん繰り返すと歩調がおのずから緩漫になる。広田先生の使うために古人が作っておいたような音がする。
学校へ行ったら、「偉大なる暗闇」の作者として、衆人の注意を一身に集めている気色がした。戸外へ出ようとしたが、戸外は存外寒いから廊下にいた。そうして講義のあいだに懐から母の手紙を出して読んだ。
この冬休みには帰って来いと、まるで熊本にいた当時と同様な命令がある。じつは熊本にいた時分にこんなことがあった。学校が休みになるか、ならないのに、帰れという電報が掛かった。母の病気に違いないと思い込んで、驚いて飛んで帰ると、母のほうではこっちに変がなくって、まあ結構だったといわぬばかりに喜んでいる。訳を聞くと、いつまで待っていても帰らないから、お稲荷様へ伺いを立てたら、こりゃ、もう熊本をたっているという御託宣であったので、途中でどうかしはせぬだろうかと非常に心配していたのだと言う。三四郎はその当時を思いだして、今度もまた伺いを立てられることかと思った。しかし手紙にはお稲荷様のことは書いてない。ただ三輪田のお光さんも待っていると割注みたようなものがついている。お光さんは豊津の女学校をやめて、家へ帰ったそうだ。またお光さんに縫ってもらった綿入れが小包で来るそうだ。大工の角三が山で賭博を打って九十八円取られたそうだ。――そのてんまつが詳しく書いてある。めんどうだからいいかげんに読んだ。なんでも山を買いたいという男が三人連で入り込んで来たのを、角三が案内をして、山を回って歩いているあいだに取られてしまったのだそうだ。角三は家へ帰って、女房にいつのまに取られたかわからないと弁解した。すると、女房がそれじゃお前さん眠り薬でもかがされたんだろうと言ったら、角三が、うんそういえばなんだかかいだようだと答えたそうだ。けれども村の者はみんな賭博をして巻き上げられたと評判している。いなかでもこうだから、東京にいるお前なぞは、本当によく気をつけなくてはいけないという訓誡がついている。
長い手紙を巻き収めていると、与次郎がそばへ来て、「やあ女の手紙だな」と言った。ゆうべよりは冗談をいうだけ元気がいい。三四郎は、
「なに母からだ」と、少しつまらなそうに答えて、封筒ごと懐へ入れた。
「いいや」
「何を」と問い返しているところへ、一人の学生が、与次郎に、演芸会の切符をほしいという人が階下に待っていると教えに来てくれた。与次郎はすぐ降りて行った。
与次郎はそれなり消えてなくなった。いくらつらまえようと思っても出て来ない。三四郎はやむをえず精出して講義を筆記していた。講義が済んでから、ゆうべの約束どおり広田先生の家へ寄る。相変らず静かである。先生は茶の間に長くなって寝ていた。ばあさんに、どうかなすったのかと聞くと、そうじゃないのでしょう、ゆうべあまりおそくなったので、眠いと言って、さっきお帰りになると、すぐに横におなりなすったのだと言う。長いからだの上に小夜着が掛けてある。三四郎は小さな声で、またばあさんに、どうして、そうおそくなったのかと聞いた。なにいつでもおそいのだが、ゆうべのは勉強じゃなくって、佐々木さんと久しくお話をしておいでだったという答である。勉強が佐々木に代ったから、昼寝をする説明にはならないが、与次郎が、ゆうべ先生に例の話をした事だけはこれで明瞭になった。ついでに与次郎が、どうしかられたかを聞いておきたいのだが、それはばあさんが知ろうはずがないし、肝心の与次郎は学校で取り逃してしまったからしかたがない。きょうの元気のいいところをみると、大した事件にはならずに済んだのだろう。もっとも与次郎の心理現象はとうてい三四郎にはわからないのだから、じっさいどんなことがあったか想像はできない。
三四郎は長火鉢の前へすわった。鉄瓶がちんちん鳴っている。ばあさんは遠慮をして下女部屋へ引き取った。三四郎はあぐらをかいて、鉄瓶に手をかざして、先生の起きるのを待っている。先生は熟睡している。三四郎は静かでいい心持ちになった。爪で鉄瓶をたたいてみた。熱い湯を茶碗についでふうふう吹いて飲んだ。先生は向こうをむいて寝ている。二、三日まえに頭を刈ったとみえて、髪がはなはだ短かい。髭のはじが濃く出ている。鼻も向こうを向いている。鼻の穴がすうすう言う。安眠だ。
三四郎は返そうと思って、持って来たハイドリオタフヒアを出して読みはじめた。ぽつぽつ拾い読みをする。なかなかわからない。墓の中に花を投げることが書いてある。ローマ人は薔薇を affect すると書いてある。なんの意味だかよく知らないが、おおかた好むとでも訳するんだろうと思った。ギリシア人は Amaranth を用いると書いてある。これも明瞭でない。しかし花の名には違いない。それから少しさきへ行くと、まるでわからなくなった。ページから目を離して先生を見た。まだ寝ている。なんでこんなむずかしい書物を自分に貸したものだろうと思った。それから、このむずかしい書物が、なぜわからないながらも、自分の興味をひくのだろうと思った。最後に広田先生は必竟ハイドリオタフヒアだと思った。
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広田先生が病気だというから、三四郎が見舞いに来た。門をはいると、玄関に靴が一足そろえてある。医者かもしれないと思った。いつものとおり勝手口へ回るとだれもいない。のそのそ上がり込んで茶の間へ来ると、座敷で話し声がする。三四郎はしばらくたたずんでいた。手にかなり大きな風呂敷包みをさげている。中には樽柿がいっぱいはいっている。今度来る時は、何か買ってこいと、与次郎の注意があったから、追分の通りで買って来た。すると座敷のうちで、突然どたりばたりという音がした。だれか組打ちを始めたらしい。三四郎は必定喧嘩と思い込んだ。風呂敷包みをさげたまま、仕切りの唐紙を鋭どく一尺ばかりあけてきっとのぞきこんだ。広田先生が茶の袴をはいた大きな男に組み敷かれている。先生は俯伏しの顔をきわどく畳から上げて、三四郎を見たが、にやりと笑いながら、
「やあ、おいで」と言った。上の男はちょっと振り返ったままである。
「先生、失礼ですが、起きてごらんなさい」と言う。なんでも先生の手を逆に取って、肘の関節を表から、膝頭で押さえているらしい。先生は下から、とうてい起きられないむねを答えた。上の男は、それで、手を離して、膝を立てて、袴の襞を正しく、いずまいを直した。見ればりっぱな男である。先生もすぐ起き直った。
「なるほど」と言っている。
「あの流でいくと、むりに逆らったら、腕を折る恐れがあるから、危険です」
三四郎はこの問答で、はじめて、この両人の今何をしていたかを悟った。
「御病気だそうですが、もうよろしいんですか」
「ええ、もうよろしい」
三四郎は風呂敷包みを解いて、中にあるものを、二人の間に広げた。
「柿を買って来ました」
広田先生は書斎へ行って、ナイフを取って来る。三四郎は台所から包丁を持って来た。三人で柿を食いだした。食いながら、先生と知らぬ男はしきりに地方の中学の話を始めた。生活難の事、紛擾の事、一つ所に長くとまっていられぬ事、学科以外に柔術の教師をした事、ある教師は、下駄の台を買って、鼻緒は古いのを、すげかえて、用いられるだけ用いるぐらいにしている事、今度辞職した以上は、容易に口が見つかりそうもない事、やむをえず、それまで妻を国元へ預けた事――なかなか尽きそうもない。
三四郎は柿の核を吐き出しながら、この男の顔を見ていて、情けなくなった。今の自分と、この男と比較してみると、まるで人種が違うような気がする。この男の言葉のうちには、もう一ぺん学生生活がしてみたい。学生生活ほど気楽なものはないという文句が何度も繰り返された。三四郎はこの文句を聞くたびに、自分の寿命もわずか二、三年のあいだなのかしらんと、ぼんやり考えはじめた。与次郎と蕎麦などを食う時のように、気がさえない。
広田先生はまた立って書斎に入った。帰った時は、手に一巻の書物を持っていた。表紙が赤黒くって、切り口の埃でよごれたものである。
「これがこのあいだ話したハイドリオタフヒア。退屈なら見ていたまえ」
「寂寞の罌粟花を散らすやしきりなり。人の記念に対しては、永劫に価するといなとを問うことなし」という句が目についた。先生は安心して柔術の学士と談話をつづける。――中学教師などの生活状態を聞いてみると、みな気の毒なものばかりのようだが、真に気の毒と思うのは当人だけである。なぜというと、現代人は事実を好むが、事実に伴なう情操は切り捨てる習慣である。切り捨てなければならないほど世間が切迫しているのだからしかたがない。その証拠には新聞を見るとわかる。新聞の社会記事は十の九まで悲劇である。けれども我々はこの悲劇を悲劇として味わう余裕がない。ただ事実の報道として読むだけである。自分の取る新聞などは、死人何十人と題して、一日に変死した人間の年齢、戸籍、死因を六号活字で一行ずつに書くことがある。簡潔明瞭の極である。また泥棒早見という欄があって、どこへどんな泥棒がはいったか、一目にわかるように泥棒がかたまっている。これも至極便利である。すべてが、この調子と思わなくっちゃいけない。辞職もそのとおり。当人には悲劇に近いでき事かもしれないが、他人にはそれほど痛切な感じを与えないと覚悟しなければなるまい。そのつもりで運動したらよかろう。
「だって先生くらい余裕があるなら、少しは痛切に感じてもよさそうなものだが」と柔術の男がまじめな顔をして言った。この時は広田先生も三四郎も、そう言った当人も一度に笑った。この男がなかなか帰りそうもないので三四郎は、書物を借りて、勝手から表へ出た。
「朽ちざる墓に眠り、伝わる事に生き、知らるる名に残り、しからずば滄桑の変に任せて、後の世に存せんと思う事、昔より人の願いなり。この願いのかなえるとき、人は天国にあり。されども真なる信仰の教法よりみれば、この願いもこの満足も無きがごとくにはかなきものなり。生きるとは、再の我に帰るの意にして、再の我に帰るとは、願いにもあらず、望みにもあらず、気高き信者の見たるあからさまなる事実なれば、聖徒イノセントの墓地に横たわるは、なおエジプトの砂中にうずまるがごとし。常住の我身を観じ喜べば、六尺の狭きもアドリエーナスの大廟と異なる所あらず。成るがままに成るとのみ覚悟せよ」
これはハイドリオタフヒアの末節である。三四郎はぶらぶら白山の方へ歩きながら、往来の中で、この一節を読んだ。広田先生から聞くところによると、この著者は有名な名文家で、この一編は名文家の書いたうちの名文であるそうだ。広田先生はその話をした時に、笑いながら、もっともこれは私の説じゃないよと断わられた。なるほど三四郎にもどこが名文だかよくわからない。ただ句切りが悪くって、字づかいが異様で、言葉の運び方が重苦しくって、まるで古いお寺を見るような心持ちがしただけである。この一節だけ読むにも道程にすると、三、四町もかかった。しかもはっきりとはしない。
贏ちえたところは物寂びている。奈良の大仏の鐘をついて、そのなごりの響が、東京にいる自分の耳にかすかに届いたと同じことである。三四郎はこの一節のもたらす意味よりも、その意味の上に這いかかる情緒の影をうれしがった。三四郎は切実に生死の問題を考えたことのない男である。考えるには、青春の血が、あまりに暖かすぎる。目の前には眉を焦がすほどな大きな火が燃えている。その感じが、真の自分である。三四郎はこれから曙町の原口の所へ行く。
子供の葬式が来た。羽織を着た男がたった二人ついている。小さい棺はまっ白な布で巻いてある。そのそばにきれいな風車を結いつけた。車がしきりに回る。車の羽弁が五色に塗ってある。それが一色になって回る。白い棺はきれいな風車を絶え間なく動かして、三四郎の横を通り越した。三四郎は美しい弔いだと思った。
三四郎は人の文章と、人の葬式をよそから見た。もしだれか来て、ついでに美禰子をよそから見ろと注意したら、三四郎は驚いたに違いない。三四郎は美禰子をよそから見ることができないような目になっている。第一よそもよそでないもそんな区別はまるで意識していない。ただ事実として、ひとの死に対しては、美しい穏やかな味わいがあるとともに、生きている美禰子に対しては、美しい享楽の底に、一種の苦悶がある。三四郎はこの苦悶を払おうとして、まっすぐに進んで行く。進んで行けば苦悶がとれるように思う。苦悶をとるために一足わきへのくことは夢にも案じえない。これを案じえない三四郎は、現に遠くから、寂滅の会を文字の上にながめて、夭折の哀れを、三尺の外に感じたのである。しかも、悲しいはずのところを、快くながめて、美しく感じたのである。
曙町へ曲がると大きな松がある。この松を目標に来いと教わった。松の下へ来ると、家が違っている。向こうを見るとまた松がある。その先にも松がある。松がたくさんある。三四郎は好い所だと思った。多くの松を通り越して左へ折れると、生垣にきれいな門がある。はたして原口という標札が出ていた。その標札は木理の込んだ黒っぽい板に、緑の油で名前を派手に書いたものである。字だか模様だかわからないくらい凝っている。門から玄関まではからりとしてなんにもない。左右に芝が植えてある。
玄関には美禰子の下駄がそろえてあった。鼻緒の二本が右左で色が違う。それでよく覚えている。今仕事中だが、よければ上がれと言う小女の取次ぎについて、画室へはいった。広い部屋である。細長く南北にのびた床の上は、画家らしく、取り乱れている。まず一部分には絨毯が敷いてある。それが部屋の大きさに比べると、まるで釣り合いが取れないから、敷物として敷いたというよりは、色のいい、模様の雅な織物としてほうり出したように見える。離れて向こうに置いた大きな虎の皮もそのとおり、すわるための、設けの座とは受け取れない。絨毯とは不調和な位置に筋かいに尾を長くひいている。砂を練り固めたような大きな甕がある。その中から矢が二本出ている。鼠色の羽根と羽根の間が金箔で強く光る。そのそばに鎧もあった。三四郎は卯の花縅しというのだろうと思った。向こう側のすみにぱっと目を射るものがある。紫の裾模様の小袖に金糸の刺繍が見える。袖から袖へ幔幕の綱を通して、虫干の時のように釣るした。袖は丸くて短かい。これが元禄かと三四郎も気がついた。そのほかには絵がたくさんある。壁にかけたのばかりでも大小合わせるとよほどになる。額縁をつけない下絵というようなものは、重ねて巻いた端が、巻きくずれて、小口をしだらなくあらわした。
描かれつつある人の肖像は、この彩色の目を乱す間にある。描かれつつある人は、突き当りの正面に団扇をかざして立った。描く男は丸い背をぐるりと返して、パレットを持ったまま、三四郎に向かった。口に太いパイプをくわえている。
「やって来たね」と言ってパイプを口から取って、小さい丸テーブルの上に置いた。マッチと灰皿がのっている。椅子もある。
「かけたまえ。――あれだ」と言って、かきかけた画布の方を見た。長さは六尺もある。三四郎はただ、
「なるほど大きなものですな」と言った。原口さんは、耳にも留めないふうで、
「うん、なかなか」とひとりごとのように、髪の毛と、背景の境の所を塗りはじめた。三四郎はこの時ようやく美禰子の方を見た。すると女のかざした団扇の陰で、白い歯がかすかに光った。
それから二、三分はまったく静かになった。部屋は暖炉で暖めてある。きょうは外面でも、そう寒くはない。風は死に尽した。枯れた木が音なく冬の日に包まれて立っている。三四郎は画室へ導かれた時、霞の中へはいったような気がした。丸テーブルに肱を持たして、この静かさの夜にまさる境に、はばかりなき精神をおぼれしめた。この静かさのうちに、美禰子がいる。美禰子の影が次第にでき上がりつつある。肥った画工の画筆だけが動く。それも目に動くだけで、耳には静かである。肥った画工も動くことがある。しかし足音はしない。
静かなものに封じ込められた美禰子はまったく動かない。団扇をかざして立った姿そのままがすでに絵である。三四郎から見ると、原口さんは、美禰子を写しているのではない。不可思議に奥行きのある絵から、精出して、その奥行きだけを落として、普通の絵に美禰子を描き直しているのである。にもかかわらず第二の美禰子は、この静かさのうちに、次第と第一に近づいてくる。三四郎には、この二人の美禰子の間に、時計の音に触れない、静かな長い時間が含まれているように思われた。その時間が画家の意識にさえ上らないほどおとなしくたつにしたがって、第二の美禰子がようやく追いついてくる。もう少しで双方がぴたりと出合って一つに収まるというところで、時の流れが急に向きを換えて永久の中に注いでしまう。原口さんの画筆はそれより先には進めない。三四郎はそこまでついて行って、気がついて、ふと美禰子を見た。美禰子は依然として動かずにいる。三四郎の頭はこの静かな空気のうちで覚えず動いていた。酔った心持ちである。すると突然原口さんが笑いだした。
「また苦しくなったようですね」
女はなんにも言わずに、すぐ姿勢をくずして、そばに置いた安楽椅子へ落ちるようにとんと腰をおろした。その時白い歯がまた光った。そうして動く時の袖とともに三四郎を見た。その目は流星のように三四郎の眉間を通り越していった。
「どうです」と言いながら、マッチをすってさっきのパイプに火をつけて、再び口にくわえた。大きな木の雁首を指でおさえて、二吹きばかり濃い煙を髭の中から出したが、やがてまた丸い背中を向けて絵に近づいた。かってなところを自由に塗っている。
絵はむろん仕上がっていないものだろう。けれどもどこもかしこもまんべんなく絵の具が塗ってあるから、素人の三四郎が見ると、なかなかりっぱである。うまいかまずいかむろんわからない。技巧の批評のできない三四郎には、ただ技巧のもたらす感じだけがある。それすら、経験がないから、すこぶる正鵠を失しているらしい。芸術の影響に全然無頓着な人間でないとみずからを証拠立てるだけでも三四郎は風流人である。
三四郎が見ると、この絵はいったいにぱっとしている。なんだかいちめんに粉が吹いて、光沢のない日光にあたったように思われる。影の所でも黒くはない。むしろ薄い紫が射している。三四郎はこの絵を見て、なんとなく軽快な感じがした。浮いた調子は猪牙船に乗った心持ちがある。それでもどこかおちついている。けんのんでない。苦ったところ、渋ったところ、毒々しいところはむろんない。三四郎は原口さんらしい絵だと思った。すると原口さんは無造作に画筆を使いながら、こんなことを言う。
「小川さんおもしろい話がある。ぼくの知った男にね、細君がいやになって離縁を請求した者がある。ところが細君が承知をしないで、私は縁あって、この家へかたづいたものですから、たといあなたがおいやでも私はけっして出てまいりません」
「ベニスでしょう」
これは三四郎にもわかった。なんだかベニスらしい。ゴンドラにでも乗ってみたい心持ちがする。三四郎は高等学校にいる時分ゴンドラという字を覚えた。それからこの字が好きになった。ゴンドラというと、女といっしょに乗らなければすまないような気がする。黙って青い水と、水と左右の高い家と、さかさに映る家の影と、影の中にちらちらする赤い片とをながめていた。すると、
「兄さんのほうがよほどうまいようですね」と美禰子が言った。三四郎にはこの意味が通じなかった。
「兄さんとは……」
「この絵は兄さんのほうでしょう」
「だれの?」
「だって、あっちのほうが妹さんので、こっちのほうが兄さんのじゃありませんか」
三四郎は一歩退いて、今通って来た道の片側を振り返って見た。同じように外国の景色をかいたものが幾点となくかかっている。
「違うんですか」
「一人と思っていらしったの」
「ええ」と言って、ぼんやりしている。やがて二人が顔を見合わした。そうして一度に笑いだした。美禰子は、驚いたように、わざと大きな目をして、しかもいちだんと調子を落とした小声になって、
「ずいぶんね」と言いながら、一間ばかり、ずんずん先へ行ってしまった。三四郎は立ちどまったまま、もう一ぺんベニスの掘割りをながめだした。先へ抜けた女は、この時振り返った。三四郎は自分の方を見ていない。女は先へ行く足をぴたりと留めた。向こうから三四郎の横顔を熟視していた。
「里見さん」
だしぬけにだれか大きな声で呼んだ者がある。
美禰子も三四郎も等しく顔を向け直した。事務室と書いた入口を一間ばかり離れて、原口さんが立っている。原口さんのうしろに、少し重なり合って、野々宮さんが立っている。美禰子は呼ばれた原口よりは、原口より遠くの野々宮を見た。見るやいなや、二、三歩あともどりをして三四郎のそばへ来た。人に目立たぬくらいに、自分の口を三四郎の耳へ近寄せた。そうして何かささやいた。三四郎には何を言ったのか、少しもわからない。聞き直そうとするうちに、美禰子は二人の方へ引き返していった。もう挨拶をしている。野々宮は三四郎に向かって、
「妙な連と来ましたね」と言った。三四郎が何か答えようとするうちに、美禰子が、
「似合うでしょう」と言った。野々宮さんはなんとも言わなかった。くるりとうしろを向いた。うしろには畳一枚ほどの大きな絵がある。その絵は肖像画である。そうしていちめんに黒い。着物も帽子も背景から区別のできないほど光線を受けていないなかに、顔ばかり白い。顔はやせて、頬の肉が落ちている。
「模写ですね」と野々宮さんが原口さんに言った。原口は今しきりに美禰子に何か話している。――もう閉会である。来観者もだいぶ減った。開会の初めには毎日事務所へ来ていたが、このごろはめったに顔を出さない。きょうはひさしぶりに、こっちへ用があって、野々宮さんを引っ張って来たところだ。うまく出っくわしたものだ。この会をしまうと、すぐ来年の準備にかからなければならないから、非常に忙しい。いつもは花の時分に開くのだが、来年は少し会員のつごうで早くするつもりだから、ちょうど会を二つ続けて開くと同じことになる。必死の勉強をやらなければならない。それまでにぜひ美禰子の肖像をかきあげてしまうつもりである。迷惑だろうが大晦日でもかかしてくれ。
「その代りここん所へかけるつもりです」
原口さんはこの時はじめて、黒い絵の方を向いた。野々宮さんはそのあいだぽかんとして同じ絵をながめていた。
「どうです。ベラスケスは。もっとも模写ですがね。しかもあまり上できではない」と原口がはじめて説明する。野々宮さんはなんにも言う必要がなくなった。
「どなたがお写しになったの」と女が聞いた。
「三井です。三井はもっとうまいんですがね。この絵はあまり感服できない」と一、二歩さがって見た。「どうも、原画が技巧の極点に達した人のものだから、うまくいかないね」
原口は首を曲げた。三四郎は原口の首を曲げたところを見ていた。
「もう、みんな見たんですか」と画工が美禰子に聞いた。原口は美禰子にばかり話しかける。
「まだ」
「どうです。もうよして、いっしょに出ちゃ。精養軒でお茶でもあげます。なにわたしは用があるから、どうせちょっと行かなければならない。――会の事でね、マネジャーに相談しておきたい事がある。懇意の男だから。――今ちょうどお茶にいい時分です。もう少しするとね、お茶にはおそし晩餐には早し、中途はんぱになる。どうです。いっしょにいらっしゃいな」
美禰子は三四郎を見た。三四郎はどうでもいい顔をしている。野々宮は立ったまま関係しない。
「せっかく来たものだから、みんな見てゆきましょう。ねえ、小川さん」
「じゃ、こうなさい。この奥の別室にね。深見さんの遺画があるから、それだけ見て、帰りに精養軒へいらっしゃい。先へ行って待っていますから」
「深見さんの水彩は普通の水彩のつもりで見ちゃいけませんよ。どこまでも深見さんの水彩なんだから。実物を見る気にならないで、深見さんの気韻を見る気になっていると、なかなかおもしろいところが出てきます」と注意して、原口は野々宮と出て行った。美禰子は礼を言ってその後影を見送った。二人は振り返らなかった。
女は歩をめぐらして、別室へはいった。男は一足あとから続いた。光線の乏しい暗い部屋である。細長い壁に一列にかかっている深見先生の遺画を見ると、なるほど原口さんの注意したごとくほとんど水彩ばかりである。三四郎が著しく感じたのは、その水彩の色が、どれもこれも薄くて、数が少なくって、対照に乏しくって、日向へでも出さないと引き立たないと思うほど地味にかいてあるという事である。その代り筆がちっとも滞っていない。ほとんど一気呵成に仕上げた趣がある。絵の具の下に鉛筆の輪郭が明らかに透いて見えるのでも、洒落な画風がわかる。人間などになると、細くて長くて、まるで殻竿のようである。ここにもベニスが一枚ある。
「これもベニスですね」と女が寄って来た。
「ええ」と言ったが、ベニスで急に思い出した。
「さっき何を言ったんですか」
女は「さっき?」と聞き返した。
「さっき、ぼくが立って、あっちのベニスを見ている時です」
女はまたまっ白な歯をあらわした。けれどもなんとも言わない。
「用でなければ聞かなくってもいいです」
「用じゃないのよ」
三四郎はまだ変な顔をしている。曇った秋の日はもう四時を越した。部屋は薄暗くなってくる。観覧人はきわめて少ない。別室のうちには、ただ男女二人の影があるのみである。女は絵を離れて、三四郎の真正面に立った。
「野々宮さん。ね、ね」
「野々宮さん……」
「わかったでしょう」
美禰子の意味は、大波のくずれるごとく一度に三四郎の胸を浸した。
「野々宮さんを愚弄したのですか」
「なんで?」
女の語気はまったく無邪気である。三四郎は忽然として、あとを言う勇気がなくなった。無言のまま二、三歩動きだした。女はすがるようについて来た。
「あなたを愚弄したんじゃないのよ」
三四郎はまた立ちどまった。三四郎は背の高い男である。上から美禰子を見おろした。
「それでいいです」
「なぜ悪いの?」
「だからいいです」
女は顔をそむけた。二人とも戸口の方へ歩いて来た。戸口を出る拍子に互いの肩が触れた。男は急に汽車で乗り合わした女を思い出した。美禰子の肉に触れたところが、夢にうずくような心持ちがした。
「ほんとうにいいの?」と美禰子が小さい声で聞いた。向こうから二、三人連の観覧者が来る。
「ともかく出ましょう」と三四郎が言った。下足を受け取って、出ると戸外は雨だ。
「精養軒へ行きますか」
美禰子は答えなかった。雨のなかをぬれながら、博物館前の広い原のなかに立った。さいわい雨は今降りだしたばかりである。そのうえ激しくはない。女は雨のなかに立って、見回しながら、向こうの森をさした。
「あの木の陰へはいりましょう」
少し待てばやみそうである。二人は大きな杉の下にはいった。雨を防ぐにはつごうのよくない木である。けれども二人とも動かない。ぬれても立っている。二人とも寒くなった。女が「小川さん」と言う。男は八の字を寄せて、空を見ていた顔を女の方へ向けた。
「悪くって? さっきのこと」
「いいです」
「だって」と言いながら、寄って来た。「私、なぜだか、ああしたかったんですもの。野々宮さんに失礼するつもりじゃないんですけれども」
女は瞳を定めて、三四郎を見た。三四郎はその瞳のなかに言葉よりも深き訴えを認めた。――必竟あなたのためにした事じゃありませんかと、二重瞼の奥で訴えている。三四郎は、もう一ぺん、
「だから、いいです」と答えた。
雨はだんだん濃くなった。雫の落ちない場所はわずかしかない。二人はだんだん一つ所へかたまってきた。肩と肩とすれ合うくらいにして立ちすくんでいた。雨の音のなかで、美禰子が、
「さっきのお金をお使いなさい」と言った。
「借りましょう。要るだけ」と答えた。
「みんな、お使いなさい」と言った。
https://anond.hatelabo.jp/20240930202150三四郎はすぐ床へはいった。三四郎は勉強家というよりむしろ※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊家なので、わりあい書物を読まない。その代りある掬すべき情景にあうと、何べんもこれを頭の中で新たにして喜んでいる。そのほうが命に奥行があるような気がする。きょうも、いつもなら、神秘的講義の最中に、ぱっと電燈がつくところなどを繰り返してうれしがるはずだが、母の手紙があるので、まず、それから片づけ始めた。
手紙には新蔵が蜂蜜をくれたから、焼酎を混ぜて、毎晩杯に一杯ずつ飲んでいるとある。新蔵は家の小作人で、毎年冬になると年貢米を二十俵ずつ持ってくる。いたって正直者だが、癇癪が強いので、時々女房を薪でなぐることがある。――三四郎は床の中で新蔵が蜂を飼い出した昔の事まで思い浮かべた。それは五年ほどまえである。裏の椎の木に蜜蜂が二、三百匹ぶら下がっていたのを見つけてすぐ籾漏斗に酒を吹きかけて、ことごとく生捕にした。それからこれを箱へ入れて、出入りのできるような穴をあけて、日当りのいい石の上に据えてやった。すると蜂がだんだんふえてくる。箱が一つでは足りなくなる。二つにする。また足りなくなる。三つにする。というふうにふやしていった結果、今ではなんでも六箱か七箱ある。そのうちの一箱を年に一度ずつ石からおろして蜂のために蜜を切り取るといっていた。毎年夏休みに帰るたびに蜜をあげましょうと言わないことはないが、ついに持ってきたためしがなかった。が、今年は物覚えが急によくなって、年来の約束を履行したものであろう。
平太郎がおやじの石塔を建てたから見にきてくれろと頼みにきたとある。行ってみると、木も草もはえていない庭の赤土のまん中に、御影石でできていたそうである。平太郎はその御影石が自慢なのだと書いてある。山から切り出すのに幾日とかかかって、それから石屋に頼んだら十円取られた。百姓や何かにはわからないが、あなたのとこの若旦那は大学校へはいっているくらいだから、石の善悪はきっとわかる。今度手紙のついでに聞いてみてくれ、そうして十円もかけておやじのためにこしらえてやった石塔をほめてもらってくれと言うんだそうだ。――三四郎はひとりでくすくす笑い出した。千駄木の石門よりよほど激しい。
大学の制服を着た写真をよこせとある。三四郎はいつか撮ってやろうと思いながら、次へ移ると、案のごとく三輪田のお光さんが出てきた。――このあいだお光さんのおっかさんが来て、三四郎さんも近々大学を卒業なさることだが、卒業したら家の娘をもらってくれまいかという相談であった。お光さんは器量もよし気質も優しいし、家に田地もだいぶあるし、その上家と家との今までの関係もあることだから、そうしたら双方ともつごうがよいだろうと書いて、そのあとへ但し書がつけてある。――お光さんもうれしがるだろう。――東京の者は気心が知れないから私はいやじゃ。
三四郎は手紙を巻き返して、封に入れて、枕元へ置いたまま目を眠った。鼠が急に天井であばれだしたが、やがて静まった。
三四郎には三つの世界ができた。一つは遠くにある。与次郎のいわゆる明治十五年以前の香がする。すべてが平穏である代りにすべてが寝ぼけている。もっとも帰るに世話はいらない。もどろうとすれば、すぐにもどれる。ただいざとならない以上はもどる気がしない。いわば立退場のようなものである。三四郎は脱ぎ棄てた過去を、この立退場の中へ封じ込めた。なつかしい母さえここに葬ったかと思うと、急にもったいなくなる。そこで手紙が来た時だけは、しばらくこの世界に※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊して旧歓をあたためる。
第二の世界のうちには、苔のはえた煉瓦造りがある。片すみから片すみを見渡すと、向こうの人の顔がよくわからないほどに広い閲覧室がある。梯子をかけなければ、手の届きかねるまで高く積み重ねた書物がある。手ずれ、指の垢で、黒くなっている。金文字で光っている。羊皮、牛皮、二百年前の紙、それからすべての上に積もった塵がある。この塵は二、三十年かかってようやく積もった尊い塵である。静かな明日に打ち勝つほどの静かな塵である。
第二の世界に動く人の影を見ると、たいてい不精な髭をはやしている。ある者は空を見て歩いている。ある者は俯向いて歩いている。服装は必ずきたない。生計はきっと貧乏である。そうして晏如としている。電車に取り巻かれながら、太平の空気を、通天に呼吸してはばからない。このなかに入る者は、現世を知らないから不幸で、火宅をのがれるから幸いである。広田先生はこの内にいる。野々宮君もこの内にいる。三四郎はこの内の空気をほぼ解しえた所にいる。出れば出られる。しかしせっかく解しかけた趣味を思いきって捨てるのも残念だ。
第三の世界はさんとして春のごとくうごいている。電燈がある。銀匙がある。歓声がある。笑語がある。泡立つシャンパンの杯がある。そうしてすべての上の冠として美しい女性がある。三四郎はその女性の一人に口をきいた。一人を二へん見た。この世界は三四郎にとって最も深厚な世界である。この世界は鼻の先にある。ただ近づき難い。近づき難い点において、天外の稲妻と一般である。三四郎は遠くからこの世界をながめて、不思議に思う。自分がこの世界のどこかへはいらなければ、その世界のどこかに欠陥ができるような気がする。自分はこの世界のどこかの主人公であるべき資格を有しているらしい。それにもかかわらず、円満の発達をこいねがうべきはずのこの世界がかえってみずからを束縛して、自分が自由に出入すべき通路をふさいでいる。三四郎にはこれが不思議であった。
三四郎は床のなかで、この三つの世界を並べて、互いに比較してみた。次にこの三つの世界をかき混ぜて、そのなかから一つの結果を得た。――要するに、国から母を呼び寄せて、美しい細君を迎えて、そうして身を学問にゆだねるにこしたことはない。
結果はすこぶる平凡である。けれどもこの結果に到着するまえにいろいろ考えたのだから、思索の労力を打算して、結論の価値を上下しやすい思索家自身からみると、それほど平凡ではなかった。
ただこうすると広い第三の世界を眇たる一個の細君で代表させることになる。美しい女性はたくさんある。美しい女性を翻訳するといろいろになる。――三四郎は広田先生にならって、翻訳という字を使ってみた。――いやしくも人格上の言葉に翻訳のできるかぎりは、その翻訳から生ずる感化の範囲を広くして、自己の個性を全からしむるために、なるべく多くの美しい女性に接触しなければならない。細君一人を知って甘んずるのは、進んで自己の発達を不完全にするようなものである。
三四郎は論理をここまで延長してみて、少し広田さんにかぶれたなと思った。実際のところは、これほど痛切に不足を感じていなかったからである。
翌日学校へ出ると講義は例によってつまらないが、室内の空気は依然として俗を離れているので、午後三時までのあいだに、すっかり第二の世界の人となりおおせて、さも偉人のような態度をもって、追分の交番の前まで来ると、ばったり与次郎に出会った。
偉人の態度はこれがためにまったくくずれた。交番の巡査さえ薄笑いをしている。
「なんだ」
「なんだもないものだ。もう少し普通の人間らしく歩くがいい。まるでロマンチック・アイロニーだ」
三四郎にはこの洋語の意味がよくわからなかった。しかたがないから、
「家はあったか」と聞いた。
「その事で今君の所へ行ったんだ――あすいよいよ引っ越す。手伝いに来てくれ」
「どこへ越す」
「西片町十番地への三号。九時までに向こうへ行って掃除をしてね。待っててくれ。あとから行くから。いいか、九時までだぜ。への三号だよ。失敬」
与次郎は急いで行き過ぎた。三四郎も急いで下宿へ帰った。その晩取って返して、図書館でロマンチック・アイロニーという句を調べてみたら、ドイツのシュレーゲルが唱えだした言葉で、なんでも天才というものは、目的も努力もなく、終日ぶらぶらぶらついていなくってはだめだという説だと書いてあった。三四郎はようやく安心して、下宿へ帰って、すぐ寝た。
あくる日は約束だから、天長節にもかかわらず、例刻に起きて、学校へ行くつもりで西片町十番地へはいって、への三号を調べてみると、妙に細い通りの中ほどにある。古い家だ。
玄関の代りに西洋間が一つ突き出していて、それと鉤の手に座敷がある。座敷のうしろが茶の間で、茶の間の向こうが勝手、下女部屋と順に並んでいる。ほかに二階がある。ただし何畳だかわからない。
三四郎は掃除を頼まれたのだが、べつに掃除をする必要もないと認めた。むろんきれいじゃない。しかし何といって、取って捨てべきものも見当らない。しいて捨てれば畳建具ぐらいなものだと考えながら、雨戸だけをあけて、座敷の椽側へ腰をかけて庭をながめていた。
大きな百日紅がある。しかしこれは根が隣にあるので、幹の半分以上が横に杉垣から、こっちの領分をおかしているだけである。大きな桜がある。これはたしかに垣根の中にはえている。その代り枝が半分往来へ逃げ出して、もう少しすると電話の妨害になる。菊が一株ある。けれども寒菊とみえて、いっこう咲いていない。このほかにはなんにもない。気の毒なような庭である。ただ土だけは平らで、肌理が細かではなはだ美しい。三四郎は土を見ていた。じっさい土を見るようにできた庭である。
そのうち高等学校で天長節の式の始まるベルが鳴りだした。三四郎はベルを聞きながら九時がきたんだろうと考えた。何もしないでいても悪いから、桜の枯葉でも掃こうかしらんとようやく気がついた時、また箒がないということを考えだした。また椽側へ腰をかけた。かけて二分もしたかと思うと、庭木戸がすうとあいた。そうして思いもよらぬ池の女が庭の中にあらわれた。
二方は生垣で仕切ってある。四角な庭は十坪に足りない。三四郎はこの狭い囲いの中に立った池の女を見るやいなや、たちまち悟った。――花は必ず剪って、瓶裏にながむべきものである。
この時三四郎の腰は椽側を離れた。女は折戸を離れた。
「失礼でございますが……」
女はこの句を冒頭に置いて会釈した。腰から上を例のとおり前へ浮かしたが、顔はけっして下げない。会釈しながら、三四郎を見つめている。女の咽喉が正面から見ると長く延びた。同時にその目が三四郎の眸に映った。
二、三日まえ三四郎は美学の教師からグルーズの絵を見せてもらった。その時美学の教師が、この人のかいた女の肖像はことごとくヴォラプチュアスな表情に富んでいると説明した。ヴォラプチュアス! 池の女のこの時の目つきを形容するにはこれよりほかに言葉がない。何か訴えている。艶なるあるものを訴えている。そうしてまさしく官能に訴えている。けれども官能の骨をとおして髄に徹する訴え方である。甘いものに堪えうる程度をこえて、激しい刺激と変ずる訴え方である。甘いといわんよりは苦痛である。卑しくこびるのとはむろん違う。見られるもののほうがぜひこびたくなるほどに残酷な目つきである。しかもこの女にグルーズの絵と似たところは一つもない。目はグルーズのより半分も小さい。
「はあ、ここです」
女の声と調子に比べると、三四郎の答はすこぶるぶっきらぼうである。三四郎も気がついている。けれどもほかに言いようがなかった。
「まだお移りにならないんでございますか」女の言葉ははっきりしている。普通のようにあとを濁さない。
「まだ来ません。もう来るでしょう」
女はしばしためらった。手に大きな籃をさげている。女の着物は例によって、わからない。ただいつものように光らないだけが目についた。地がなんだかぶつぶつしている。それに縞だか模様だかある。その模様がいかにもでたらめである。
上から桜の葉が時々落ちてくる。その一つが籃の蓋の上に乗った。乗ったと思ううちに吹かれていった。風が女を包んだ。女は秋の中に立っている。
「あなたは……」
風が隣へ越した時分、女が三四郎に聞いた。
「掃除に頼まれて来たのです」と言ったが、現に腰をかけてぽかんとしていたところを見られたのだから、三四郎は自分でおかしくなった。すると女も笑いながら、
「じゃ私も少しお待ち申しましょうか」と言った。その言い方が三四郎に許諾を求めるように聞こえたので、三四郎は大いに愉快であった。そこで「ああ」と答えた。三四郎の了見では、「ああ、お待ちなさい」を略したつもりである。女はそれでもまだ立っている。三四郎はしかたがないから、
「あなたは……」と向こうで聞いたようなことをこっちからも聞いた。すると、女は籃を椽の上へ置いて、帯の間から、一枚の名刺を出して、三四郎にくれた。
名刺には里見美禰子とあった。本郷真砂町だから谷を越すとすぐ向こうである。三四郎がこの名刺をながめているあいだに、女は椽に腰をおろした。
「あなたにはお目にかかりましたな」と名刺を袂へ入れた三四郎が顔をあげた。
「はあ。いつか病院で……」と言って女もこっちを向いた。
「まだある」
「それから池の端で……」と女はすぐ言った。よく覚えている。三四郎はそれで言う事がなくなった。女は最後に、
「いいえ」と答えた。すこぶる簡潔である。二人は桜の枝を見ていた。梢に虫の食ったような葉がわずかばかり残っている。引っ越しの荷物はなかなかやってこない。
「なにか先生に御用なんですか」
三四郎は突然こう聞いた。高い桜の枯枝を余念なくながめていた女は、急に三四郎の方を振りむく。あらびっくりした、ひどいわ、という顔つきであった。しかし答は尋常である。
「私もお手伝いに頼まれました」
三四郎はこの時はじめて気がついて見ると、女の腰をかけている椽に砂がいっぱいたまっている。
「ええ」と左右をながめたぎりである。腰を上げない。しばらく椽を見回した目を、三四郎に移すやいなや、
「掃除はもうなすったんですか」と聞いた。笑っている。三四郎はその笑いのなかに慣れやすいあるものを認めた。
「まだやらんです」
「お手伝いをして、いっしょに始めましょうか」
三四郎はすぐに立った。女は動かない。腰をかけたまま、箒やはたきのありかを聞く。三四郎は、ただてぶらで来たのだから、どこにもない、なんなら通りへ行って買ってこようかと聞くと、それはむだだから、隣で借りるほうがよかろうと言う。三四郎はすぐ隣へ行った。さっそく箒とはたきと、それからバケツと雑巾まで借りて急いで帰ってくると、女は依然としてもとの所へ腰をかけて、高い桜の枝をながめていた。
三四郎は箒を肩へかついで、バケツを右の手へぶら下げて「ええありました」とあたりまえのことを答えた。
女は白足袋のまま砂だらけの椽側へ上がった。歩くと細い足のあとができる。袂から白い前だれを出して帯の上から締めた。その前だれの縁がレースのようにかがってある。掃除をするにはもったいないほどきれいな色である。女は箒を取った。
「いったんはき出しましょう」と言いながら、袖の裏から右の手を出して、ぶらつく袂を肩の上へかついだ。きれいな手が二の腕まで出た。かついだ袂の端からは美しい襦袢の袖が見える。茫然として立っていた三四郎は、突然バケツを鳴らして勝手口へ回った。
美禰子が掃くあとを、三四郎が雑巾をかける。三四郎が畳をたたくあいだに、美禰子が障子をはたく。どうかこうか掃除がひととおり済んだ時は二人ともだいぶ親しくなった。
三四郎がバケツの水を取り換えに台所へ行ったあとで、美禰子がはたきと箒を持って二階へ上がった。
「なんですか」とバケツをさげた三四郎が梯子段の下から言う。女は暗い所に立っている。前だれだけがまっ白だ。三四郎はバケツをさげたまま二、三段上がった。女はじっとしている。三四郎はまた二段上がった。薄暗い所で美禰子の顔と三四郎の顔が一尺ばかりの距離に来た。
「なんですか」
「なんだか暗くってわからないの」
「なぜ」
「なぜでも」
三四郎は追窮する気がなくなった。美禰子のそばをすり抜けて上へ出た。バケツを暗い椽側へ置いて戸をあける。なるほど桟のぐあいがよくわからない。そのうち美禰子も上がってきた。
「まだあからなくって」
美禰子は反対の側へ行った。
「こっちです」
三四郎は黙って、美禰子の方へ近寄った。もう少しで美禰子の手に自分の手が触れる所で、バケツに蹴つまずいた。大きな音がする。ようやくのことで戸を一枚あけると、強い日がまともにさし込んだ。まぼしいくらいである。二人は顔を見合わせて思わず笑い出した。
裏の窓もあける。窓には竹の格子がついている。家主の庭が見える。鶏を飼っている。美禰子は例のごとく掃き出した。三四郎は四つ這いになって、あとから拭き出した。美禰子は箒を両手で持ったまま、三四郎の姿を見て、
「まあ」と言った。
やがて、箒を畳の上へなげ出して、裏の窓の所へ行って、立ったまま外面をながめている。そのうち三四郎も拭き終った。ぬれ雑巾をバケツの中へぼちゃんとたたきこんで、美禰子のそばへ来て並んだ。
「何を見ているんです」
「あててごらんなさい」
「鶏ですか」
「いいえ」
「あの大きな木ですか」
「いいえ」
「じゃ何を見ているんです。ぼくにはわからない」
なるほど白い雲が大きな空を渡っている。空はかぎりなく晴れて、どこまでも青く澄んでいる上を、綿の光ったような濃い雲がしきりに飛んで行く。風の力が激しいと見えて、雲の端が吹き散らされると、青い地がすいて見えるほどに薄くなる。あるいは吹き散らされながら、塊まって、白く柔かな針を集めたように、ささくれだつ。美禰子はそのかたまりを指さして言った。
「駝鳥の襟巻に似ているでしょう」
三四郎はボーアという言葉を知らなかった。それで知らないと言った。美禰子はまた、
「まあ」と言ったが、すぐ丁寧にボーアを説明してくれた。その時三四郎は、
「うん、あれなら知っとる」と言った。そうして、あの白い雲はみんな雪の粉で、下から見てあのくらいに動く以上は、颶風以上の速度でなくてはならないと、このあいだ野々宮さんから聞いたとおりを教えた。美禰子は、
「あらそう」と言いながら三四郎を見たが、
「なぜです」
「なぜでも、雲は雲でなくっちゃいけないわ。こうして遠くからながめているかいがないじゃありませんか」
「そうですか」
「そうですかって、あなたは雪でもかまわなくって」
「あなたは高い所を見るのが好きのようですな」
「ええ」
美禰子は竹の格子の中から、まだ空をながめている。白い雲はあとから、あとから、飛んで来る。
ところへ遠くから荷車の音が聞こえる。今静かな横町を曲がって、こっちへ近づいて来るのが地響きでよくわかる。三四郎は「来た」と言った。美禰子は「早いのね」と言ったままじっとしている。車の音の動くのが、白い雲の動くのに関係でもあるように耳をすましている。車はおちついた秋の中を容赦なく近づいて来る。やがて門の前へ来てとまった。
三四郎は美禰子を捨てて二階を駆け降りた。三四郎が玄関へ出るのと、与次郎が門をはいるのとが同時同刻であった。
「早いな」と与次郎がまず声をかけた。
「おそいって、荷物を一度に出したんだからしかたがない。それにぼく一人だから。あとは下女と車屋ばかりでどうすることもできない」
「先生は」
二人が話を始めているうちに、車屋が荷物をおろし始めた。下女もはいって来た。台所の方を下女と車屋に頼んで、与次郎と三四郎は書物を西洋間へ入れる。書物がたくさんある。並べるのは一仕事だ。
「来ている」
「どこに」
「二階にいる」
「二階に何をしている」
「何をしているか、二階にいる」
「冗談じゃない」
与次郎は本を一冊持ったまま、廊下伝いに梯子段の下まで行って、例のとおりの声で、
「里見さん、里見さん。書物をかたづけるから、ちょっと手伝ってください」と言う。
「ただ今参ります」
箒とはたきを持って、美禰子は静かに降りて来た。
「何をしていたんです」と下から与次郎がせきたてるように聞く。
降りるのを待ちかねて、与次郎は美禰子を西洋間の戸口の所へ連れて来た。車力のおろした書物がいっぱい積んである。三四郎がその中へ、向こうむきにしゃがんで、しきりに何か読み始めている。
「まあたいへんね。これをどうするの」と美禰子が言った時、三四郎はしゃがみながら振り返った。にやにや笑っている。
「たいへんもなにもありゃしない。これを部屋の中へ入れて、片づけるんです。いまに先生も帰って来て手伝うはずだからわけはない。――君、しゃがんで本なんぞ読みだしちゃ困る。あとで借りていってゆっくり読むがいい」と与次郎が小言を言う。
アメリカ20ドル札がアンドリュー・ジャクソンの肖像でさ、こいつがヒトラーの先輩みたいなやつなんだけど、アメリカでは未だに尊敬されてるわけよ。
コロンブスぶっ叩きはコンセンサス取れてる感じあるけど、じゃあアメリカの価値観を否定してまでアンドリュー・ジャクソンぶっ叩けるのか、お前ら?的な突っ込みは当然あると思う。
最近はアンドリュー・ジャクソンも相当「ポリコレ」に押されてるみたいだけどね。