はてなキーワード: 都市伝説とは
実行されててワロタ
謎❗
新宿区議会の共産党区議団が私の年収や年金について職員に問い合わせに来たとのこと‼️
給与は公開情報で給与所得者だし、副業もやっていないので隠すこともないので構わないですが…
気味が悪いですね😅
以下は「『島国根性』という単語・概念はイギリスが起源だという“風説” についての整理と解説です。
■ 結論
『島国根性』という言葉も概念も、日本で作られたものであり、イギリス起源ではありません。
「英語に island mentality のような語があり、日本語の“島国根性”はそれを輸入した」という説は誤りで、歴史的根拠がありません。
日本では「島国=孤立性・排外的」という イメージ分析の文脈で しばしばイギリスと日本が比較されてきた ため、
「イギリスにも同じ概念がある → 日本語の“島国根性”の原型もそこから来たのでは?」
ただし、実際には以下のとおり:
英語の “insular” や “insularity” には「島国的」「視野が狭い」という意味合いがある
しかし 英語に固有の定型句“island mentality/character” が歴史的に広く使われていたわけではない
まして日本語がそれを借用して作られたという証拠は見つからない
「島国根性」という言い回しは日本語の明治〜大正期に定着した表現で、
内向性・閉鎖性への自己批判として「島国根性」という言葉が使われ始めた、という流れです。
insular(閉鎖的)
ここから「イギリスにも島国根性がある」→「イギリス発では?」という誤解が広まった可能性はあります。しかし、
🔹言語的にも歴史的にも、日本語の「島国根性」と英語の“insular”や“Little Englandism”には直接の語源関係はない。
■ まとめ:風説の正体
イギリスにも“insular”“Little Englander”のような語がある
それが日本語の由来だ、という誤った飛躍
これは実は人類が長年隠してきた「腸内ガス国家機密」の一部にすぎない。
人間の腸の中には、平均して約200mlのうんこが存在する(排便直後でもゼロにはならない)。すると単純計算で、腸内に存在するオナラの総量は約6リットル。
大人一個分の腸に、500mlペットボトル12本分のガスが詰まっている計算だ。
しかも驚くべきことに、この6リットルのガスは「常時循環型」である。
古くなったオナラは肛門から排出され、同時に新しいオナラが大腸で製造される。まるで腸内が巨大なオナラ工場のように24時間稼働しているのだ。
人間は一生のうちに平均で約35,000回オナラをするが、これは「表オナラ」だけをカウントした数字。
実は寝ている間に無意識に出している「闇オナラ」が約70,000回あり、合計10万回以上になる。これを一生(約80年)で割ると、1日に最低3回は布団の中でこっそり爆発していることになる。
医学界ではこれを「深夜の尻爆弾」と呼び、夫婦間で最も多い離婚原因の第3位にランクインしている(1位は歯ぎしり、2位は寝言で元カノの名前を呼ぶ)。
そして極めつけは、
人類史上最大のオナラは、1945年8月6日午前8時15分、広島上空で記録されたという都市伝説がある。
あの閃光の直後、生存者の一人が「ものすごい臭いの風が吹いた」と証言しており、歴史家の一部は「実はあれは誰かの朝イチ特大オナラが爆風に乗って拡散したのではないか」と真剣に議論している。
……というわけで、
みなさん、今この瞬間もあなたの腸では6リットルのオナラが「次の出番」を待ってウズウズしているのです。
どうか優しく扱ってあげてください。
彼らだって、いつか大空に旅立ちたいだけの純粋なガスなのですから。
(完)
これ酷すぎないか?
なんで広島の話が出てくるんだ?
イーロンマスクしっかりしてくれよ
https://anond.hatelabo.jp/20251118185100
最後に、今回なんで「"너는 구제불능인 의심암귀다."/疑心暗鬼の闇の中だ」が話題になっているのかを書いておく。
このセリフが世に出たのは21年12月15日。約4年前のことなんだけど、ここにきて最新のストーリーで先生=プレイヤーキャラクターが「あのとき酷いこと言ってごめんね」とナギサに謝る展開が出てきたのよ。
でも、どうもそこで 「『酷いこと言ってごめん』って何?酷いことなんて言ったっけ?」 と不思議に思う人もけっこういたっぽい。
なにせ4年前だから記憶も薄かろうし、そのセリフを言われたシーンでのナギサは物語上で悪役を担っており、厳しく批判されてもやむなしでもあった。先生がそこでナギサを批判するのは間違ってなかったとも言える。
だから「酷いことなんて言ったっけ?」と感じる空気もあったっぽいのよ。
その「なんだっけ?」という空白に、
いやそんなことねーから!韓国語版でパラノイアなんて言ってないだけでなく、日本語版の「君はいま疑心暗鬼の闇の中だ」もちゃんと大概酷いから!
改めて並べるけど、
"너는 구제불능인 의심암귀다."
パラノイアなんて言ってない以上、日本語版も韓国語版も、疑心暗鬼呼ばわりしてる点はまったく一緒だから!!!
韓国語の「救済不能」が日本よりもキツいのは間違いないが、これが「救いがたい食欲だなハスミ」「救いがたいペロロファンだなヒフミ」だったら言うほどキツくないわけで、本質は「疑心暗鬼」の方だよ。そしてそれは日本版も同じだよ!!!
ここは、ナギサが先生=プレイヤーに「ある手助け」を求めて、それに対して「君はいま疑心暗鬼の闇の中にいる」と求めを突っぱねるシーン。
説明は省くけど、ここで疑心暗鬼なんて「お前、あることないこと見えちゃってんだわ」と相手の視点を否定する言葉だから、日本語版でもナギサに対して酷いこと言ってるって!!
韓国語ではそこに「救済不能」がついてより強いってだけで、日本版でも酷いこといってるから!!
だいたいさ、『韓国語版の「救済不能の疑心暗鬼」を、日本版では「疑心暗鬼の闇の中」に意訳して公開したことからズレが生じてるんだ、「酷いこと言ってごめん」は韓国語版のプレイヤーしかわからないんだなあ』は矛盾を起こしてるって!
だって、日本版のスタッフは「疑心暗鬼の闇の中」に意訳するだけの権限をもってるってことでしょ?
仮に日本語版に「酷いこと」が存在しないとしたら、「酷いこと言ってごめんね」って謝るくだりも合わせて意訳するだけじゃん!
「苦労かけたねごめんね」とかにすればそれで解決するんだから!!!
意訳したから食い違うと言うなら、意訳してないことが矛盾するんだって!!!
意訳する権限があるのに「酷いこと」を残してるのは、日本版にも「酷いこと」があるからだと思うよ!!!
「酷いこといってごめん」はちゃんと日本版のストーリーの中で通じるセリフだよ!!
ここで誤解してほしくないのは、俺は別にストーリーを議論したいわけじゃないってこと。
誰かが「私は酷いことなんて言ってないと思う…。あのセリフは言うしかなかったよ…」、そう解釈したっていい。
それはストーリーの読みようであって、人それぞれの領域だと思う。
でも!!!!
でも、「酷いことなんて言ったかなあ…」という空白に、「韓国語ではパラノイアって言ったらしいぞ!これか!!」というのがスポッとハマって、都市伝説的に成立しちゃうのはなんか違う気がするぞ!!!!!!!
言ってねーって!!少なくとも元の韓国語ではパラノイアなんて言ってねーんだって!!!
~~~~~
以下余談
ここについてちょっと。俺も何とも言い切れないからぼんやりとした話だけど。
そうね、救いようがないは言い過ぎだと思う。
担当ライターが「このシーンはナギサが悪いんだから、ナギサに対峙するような言葉を向けるのはシーンとして間違ってない。だけど救済不能という表現は強く伝わりすぎてしまった」と後に反省してるほどには強い。
https://www.inven.co.kr/webzine/news/?news=275674
なんなら同じシナリオライターのインタビューの中で、「プレイヤーキャラクター"先生"は正にプレイヤー自身であって、容姿や性別を描くつもりは無い」と語ったものがある。先生=プレイヤーと思って遊んでいいんだと指針がみえるもので、たぶんブルアカファンの間ではもう無数に引用されたと思う。
https://www.thisisgame.com/articles/169336
そのくだりで、「ときに先生は時に色々な姿に見えることもあるだろうけど、あくまでプレイヤーとして描いている」という話をしていて、こうも言ってる。
어떤 시나리오에서는 구제불능의 오타쿠처럼 보이기도 하고... 引用元:https://www.thisisgame.com/articles/169336
ほらあるでしょ、구제불능救済不能。
でも誰もこれまでここを「オタクネタにしたって言いすぎだ!酷い!韓国語は言葉が強い!!!」なんて言ったこと無かったと思うのよ。
それは自然な話で、途中で言ったように問題は「疑心暗鬼を救済不能とした」ことであって、「救済不能」そのものは文脈次第で軽くも重くもなるんだろうね。
しつこいけど、ナギサに対して「救済不能の疑心暗鬼」はきついと思うよ。
救!済!不!能! 救!い!が!た!い!
もしこの単語自体が重いと感じる人がいたら、まあこういう可能性もあるかもねって話。
この辺りの重い軽いの感性はネイティブしか分からないけど…でもネイティブの韓国人スタッフが自分で使ってて、そこの批判は見たことなかったなあ…っていう話よ!!
って話というか説明をするよ!!!読みたくない人はこの1行だけ持って帰ってくださいね!!!!言ってない!!!
これはどうもSNS上で話題になってるらしいことなので、じゃあ増田で言ってどうすんだよって話なんだけど
俺が今からSNSアカウント作っても誰も見ないだろうし、多少は人目につくここで書くしかないんだ…
気が向いたら拡散でもしてくれたら嬉しい
いや拡散しなくていいけど
韓国で開発され日本でも運営されているスマホゲーム「ブルーアーカイブ」。
多くの海外製スマホゲーと同様、たまに日本語版と韓国語版の訳の違いが話題になったりする。
まあそれは何のメディアでもある。小説だって映画だってドラマだって字幕派と原語派がいる。ハリーポッターは英語で読まなきゃダメだよね~みたいな人もいるじゃん。これは普通。
なんだけど今回、先生(プレイヤーキャラクター)がナギサというキャラクターに対して、韓国語版では下の2つのセリフを言ったらしいと広まっている。
「お前は救いようがないパラノイアだ」
「お前の陰謀は私が打ち砕く」
2文目はあとで触れるけど、まずパラノイアの方ね。
これ言ってないの!!!!!
日本語版ではそこは「今の君はきっと、疑心暗鬼の闇の中だ」と訳されていて、「疑心暗鬼だよね~、なんか周りが疑わしく見えちゃうよね~」というニュアンスになっている。
ところが韓国語版では「お前は救いようがないパラノイア」だと言ったらしい!!!!なんだと!ナギサを病気だって言いたいのか!!!ひどすぎるだろ!!!と日本のSNS上で話題になってるらしいんだけど
ちょっと紛らわしいのは「先生がナギサに対して酷いことを言った」のはあってる。
これは韓国語を読まずとも、日本国内で読める日本語版でも同じ(ストーリーは同じなんだから、そりゃそうだ)
確かに酷いことは言ったよ。ここは正しい。
先生が「救いがたいパラノイアだ」と言ったとされる部分、韓国語ではこういうセリフ。
"너는 구제불능인 의심암귀다."
たったこんだけだぜ!このくらい辞書引けばすぐわかるでしょうよ!!!言ってないことを言ったと思ってる人も読んでみてくれよ!!!
ここの의심암귀は正に熟語の『疑心暗鬼』のこと。中国の『列子』に由来するとされる疑心暗鬼そのもの。
つまり、解釈の可能性はこの後するけど、まず原文で『パラノイア』なんて言ってるかどうかについては議論の余地がない。
"너는 구제불능인 의심암귀다." "君は、救済不能の疑心暗鬼だ。"
そんで、これを日本語版と比べてみると
ね!!
パラノイアなんて言ってないから、日本も韓国も「疑心暗鬼」扱いなのは同じ。そこは日本と違わない。
これが文章だったなら分かるよ。
「君は救いがたいな。何もかも全てを疑った挙句、いもしない敵を自ら作り上げてしまった。今すぐ入院して医学的処置を受けるべきだ」とか言ってたなら「うーん…パラノイアって訳しておくか!」となるのも分からなくもない。
でも違うじゃん、의심암귀疑心暗鬼って言ってんの。パラノイアなんて言ってねーんだって!!そんな単語も文もないんだもんって!!
ネットで広まってる言い方なら「救いがたい」のほう。これは実際に言ってるの。これは確かにキツイね。救えねえわって言ってんだからキツイよ。
でもパラノイアは言ってないから!!의심암귀はそのまんま疑心暗鬼だから!!ナギサを病的だなんて言ってないから!!
確かにパラノイアって単語は無いけど、意訳すればパラノイアでしょ? 疑心暗鬼がひどくなったのがパラノイアでしょ?と思ったあなた。
じゃあそれはストーリーがどうこうじゃなくて、韓国語版との違いがどうこうてもなくて、「意訳がどうこう」いう所じゃん!
スタートとゴールが疑心暗鬼で真ん中にだけパラノイアがあるなら、それは韓国語版由来でなく意訳由来では!?
意訳はニュアンス変わるよ。試しに俺が
どれがより適切かは文脈によるんだけど、原文から100%全くの別物にまではしていない。どれも意訳と言い張れる範囲だと思う。
これは何か恣意的にねじ曲げようってんじゃなくて、俺がどうストーリーを受け止めているかがあって、そのフィルターを通って変換されてる。
決して、パラノイアと訳されたのが悪いとか言いたいんじゃない。人それぞれの読み方があって、人それぞれのフィルターがあるから。
だけど「パラノイア」は原文にはなくて、フィルターの中にある言葉じゃないのってのはあるかもなの。
誰か個人の訳なのかネットで自然発生したものなのかは分からないし、それについてはどっちでもいい。原因探しじゃなくて、そんなこと言ってないよ!!!が重要だし。
先に断わっておくと、この項はパラノイアと訳した人が悪いぞ!という話ではないです。
で話に移ると、小説でも映画でもなんでも「海外ではこう書いてあるんだぜ」と日本語訳をみたとき、そこには必ず訳した人がいるって意識は必要です。
例えば英語の"good morning."だって、訳はどんだけでもある。
「おはよう」「はよう!」「おはようございます」「良い朝だね!」「今日もよろしく」「はよざーっす」「ザぁっす」、どれも正しい訳だけど、話し手の雰囲気は変わって見える。日本語だとひらがなとカタカナを使い別けるから、「ざぁっす」「ザァっす」「ザァッス」でも雰囲気は変わる。あくびしながら「ザァっす」は眠そう。キラキラした目で「ザっす」は元気そう。ァ1文字抜いただけだけど。
本来は文脈によってある程度絞られてくるけど(例えば清楚なお嬢様キャラは「ザぁっす」とは言わないだろう)、1文、2文を抜き出して訳すときはどんだけでも幅が出る。
文脈によっては、何もおはよう要素がないかもしれない。誰かに朝から会いに行ったなら「どうもどうも」とか「すみませんね」と訳せる状況もあるかもしれない。
状況によっては「夜が終わった」とも訳せるかもしれないし、窓を見てれば「陽が昇ってきた」とも訳せるかもしれない。夜通し騒動に巻き込まれるストーリーだったら「逃げ切ったね」「終わったか」「助かった」くらいまで意訳できるシーンもあるかも。100億円貰える日の朝なら、「さあゴキゲンが始まるぜ!」になるシーンもあり得る。
大きく意訳するのはなしにして、good morningを「良い朝だ」と訳すとしよう。語尾をちょっとだけ変えてみる。「良い朝だね」「良い朝だぜ」「良い朝だ」「良い朝だよ」「良い朝ですよ」、ほんの数文字変えただけで、シチュエーションも性別も変わって見える。
でも、ここまで挙げたすべては、ぜーんぶ、"good morning."から出せる。
ブルーアーカイブのプレイヤーキャラクター"先生"には性別も容姿も設定されておらず、プレイヤーの自由に解釈できるようになっている。だからこのフィルターの影響は大きい。
"先生"は僅かな言行からのみ解釈されるけど、ちょっと女っぽいと言われることもある。この雰囲気に一役買っているのは「~よ」「~ね」を基本にした優しい口調だろう。ちょっとそこらを見てみよう。
日本版はこんな口調。ブルアカファンには有名なセリフだけど、まずそもそもこの時点で韓国語版から変わってる。
「야만 해」のニュアンスを入れるなら「私が負わなければならない」なんだから。
"責任は、私が負うさ"
すこしカッコツケを感じる…
"責任は、私が負う"
少し強くなって来た
"責任は、私が負うとも"
より強く聞こえるね
"責任は、私が持つ"
"責任は、俺が負うよ"
これは語尾じゃないけど、「私」を「俺」に1文字変えるだけで、性別が男に見えてくる。
別に女が俺と言ってもいいんだけど、一種の役割語として機能している
"ケツは拭いてやらァ、俺に任せとけ"
おっ、別人だこれ
最後はともかく、ちょっと語尾を変えただけでもう"先生"は変わる。
んで何が言いたいかって言うと、「海外版は別人みたいだ…」というとき、それは別人のように訳してあるのでは?という目線も絶対に必要だってこと。これは悪い意味では無くて。
例えばこんなのもある。正に同じ文章を、同じ翻訳家が、別の作品で訳しただけなのに、まるで別人のようになる。まあ実際別人なんだけど。1つの文章から、コロンボとコジャックという全く性格が違う人間ができあがる。
同じく、「海外の先生の口調は怖いらしい…」っていうとき、それは怖いように訳してあるのでは?という目線は必要。
しかもこれ、「訳してある」とは言ったものの、そこに悪意があるから疑おうという話じゃない(もちろん悪意をこめて訳す人もいるかもしれないが、ここでは違う)。人は無意識のうちにも言葉を選択しているから、だから「訳してある」意識が必要だと言う話。
もちろん、件のシーンの言葉は実際に強い。なんせ上に書いたように救済不能とまで言ってるんだから間違いなく強い。だから個人だかネットの集合知だか分からないけど、訳した人は「強いこと言うんだなあ」と思って、強いように訳したかもしれない。
これは何も悪くない。その人はそういう雰囲気を感じ取ったからそういう日本語が出て来たわけで、決してデマやガセではない。
でもそれを読むときは、韓国語版のテキストだけでなく、フィルターも読んでるという目線は要る。
「救いようがないパラノイア」はそもそもパラノイアって言ってねーって!と思うけど、
これとセットで「お前の陰謀は私が打ち砕く」というセリフも「韓国版は怖い」として広まってる。こっちもちょっと試してみよう。
"너의 음모는 내가 깨부수겠어."
これが「お前の陰謀は私が打ち砕く」くらいの感じで広まってるらしい。
「お前の陰謀は私が打ち砕く」
日本版では「君を、そこから出してみせる」(※そこ=疑心暗鬼の闇)というセリフだから、全然違うじゃん!韓国語版は怖い!って言うんだけど。
とりあえず、「お前」を「君」に訳してみよう。「너」は状況次第でどっちにも訳せるから間違ってない。
普段先生は「お前」なんて言わないんだから、韓国語から翻訳しようと思ったとき何気なく「君」を選択する人も多いはずだ。
君の陰謀は私が打ち砕く
ほら、この時点でなんかもう違うでしょ。
너は状況に応じて「お前」でも「君」でもいけるけど、「お前」と「君」はちょっと話し手の雰囲気が変わる。
ブルアカプレイヤーの知る先生は生徒を「お前」なんて言わないから、「お前」に訳すだけで激怒してる気がする。
このセリフに限らない。机の上のお菓子を見て「これ、ユウカが買ってきたの?」なんて穏やかな一場面でも、「これ、お前が買って来たの?」にするだけで先生は別人になる。
お前と訳すか、君と訳すか、無意識のフィルターがはっきりと機能しているのが分かる。
続ける。
語尾を~よにしてみよう。日本版の先生は~よなんだから、比較するなら揃えてみたいよね~
君の陰謀は私が打ち砕くよ
陰謀って言葉はあまりに強いから、ブルアカの温度感に合わせて変えよう
君の企みは私が打ち砕くよ
もうだいぶ印象が変わってきたけど、もうすこし。
韓国と違って日本ではあまり「打ち砕く」は言わない。日本語だと劇的になるから、もっとありがちな表現に整えよう。
君の企みは止めてみせるよ
ぐっと変わった気がするけどもう一歩。
そもそもこの「企み」はどこから来てるかって、ナギサの疑心暗鬼から来ている。
韓国語版でも疑心暗鬼って言ってるんだから、これは置き換えてもいいはずだ
君の疑心暗鬼を止めてみせるよ
これはナギサ自身を縛り付けている疑心暗鬼を取り払うぞという宣言なんだから、もっと直接言ってあげようぜ!!!
君をそこから出してみせるよ
終盤は強引だったのは認めるけど、俺は内容そのものは大きく変えてない。意訳だと言える範囲。
この方向のフィルターで意訳して、
「韓国版は"너의 음모는 내가 깨부수겠어."って言ってるよ。
えーっとつまり…「君の企みは止めるよ」みたいな感じ?」
とする説明がネットに広がっていたら印象は全く変わったろう。「ふーん、言い回しは違うけど、日本版と同じような温度かねえ」ってなったろう。
これが正しいとは言っていない。
これにもフィルターが掛かってるし、「お前の陰謀を打ち砕く」にもフィルターが掛かってる。
韓国語版のニュアンスが強いのは確かだけど、でも俺のフィルターに通すとこうなるんだよ!と言ったとき間違ってはいない。このフィルターにウソは入ってないから。
「海外の文章を日本語で読んだとき、そこには必ず訳した人がいる」というのはこういうこと。
日本語で読んでるとき、それは韓国語版だけを読んでるんじゃない。誰かのフィルターを読んでいる。
今回ネットで広がっているフィルターを通すと「お前の陰謀は私が打ち砕く」になる
上に書いたフィルターだと「君の企みは止めてみせるよ」くらいになる。
行くとこまで行くなら日本版と同じになるし、
念のためいうと、「お前の陰謀は私が打ち砕く」を批判する訳でないよ!正実な訳だと思う。単語ごとに辞書を引いたら間違ってないから。
だけど、辞書に従ったところで、最初にやったように「君」を選ぶか「お前」を選ぶかだけで印象はだいぶ違う。
良い悪いではないけど、無意識にでも「ここは"お前"って感じだな…」と誰かが選ばないと日本語になっていないんだから、フィルターがそこにあるのは間違いない。
日本語をみて「そんなに韓国語版は言葉が強いの!?」と思ったとき、あなたは韓国語のテキストだけでなく、フィルターも読んでいるんです!!!!!!それは意識していこうぜ!!!!!!!!!!!
話をもどして、パラノイアなんて言ってねーって!!
知らん…わかんない…
英語版だと、同じシーンの別の台詞に「I'm not going to waste my time being paranoid.」はある。
このparanoidはパラノイアではないし、直接はナギサを指してもいないし、別の台詞だけど、ここ以外にパラノイアらしき部分がない。
もしそうだとしたら、もう韓国語版がどうこうどころの話じゃなくないか!!?!??
意訳しつつ
混ざった
訳には幅があるといったけど、なんでも文章の意味は変わらないかって、そうでもない。
訳には幅があるから、의심암귀を「疑心暗鬼」と訳すか、「疑り深い」と訳すか、「人を信用しない」と訳すかはグラデーションになっている。
だから「原文では『疑り深い』とは言ってねーって!!!『疑心暗鬼』だって!!!単語が違うって!!!」なんて俺は言う気はない
拾うべきは文章が伝えたいものごとであって、「疑心暗鬼か、疑り深いか」なんて単語だけにこだわるのは違うと思うから。
でも、パラノイアは病気の名前、お医者さんの使う名前という印象があるので、俺だったら疑心暗鬼からのグラデーションとは繋がってないと感じる。
友人に「疑り深いな」は言えるじゃん
友人に「疑心暗鬼だな」は言えるじゃん
友人に「パラノイアだな」は言えないじゃん、そこは壁があるじゃん
パラノイアと言った瞬間に「病気だぞお前、病院行くレベルだぞ」のニュアンスが急に入ってくる。それまで無かったのに!
実際ネットでも、「パラノイア呼ばわりしたの?ナギサは病気ってこと?酷い…」みたいな反応を多々見る
ここで長々とパラノイアって言ってないよ!!!!!と愚痴る理由も分かるでしょ!?!?分かってくれ頼む!!!!
パラノイアと意訳するのは良いと思う。誰かが訳したときのフィルターにおいて間違いではないと思うし。
でも言ったか言ってないかなら原文では言ってねーって!!!言ってねーって!!!!!
「人生の原則」などという時、本人にはしっかりした根拠があるように思っているが、実際に見てみるとその基盤が危ういということがある。
例えば私の知人は「お金の余裕は心の余裕」という原則をお守りのように主張し続けていたが、それを見ると、もっとこう「知足」みたいな内面を充足させる方法だってありうるようにも思えてしまうわけだ。
私の人生の原則の一つに、「睡眠薬のストックを確保しておけ」というものがある。これは、私が特殊なタイプの統合失調症を患っており、錯乱する時は睡眠のトラブルを抱えているケースがほとんどであるためである。
しかし、物事を一般化するとおかしなことになりかねない。「備えあれば憂いなし」という格言があるが「日本終了に備えろ!」と主張する都市伝説Youtuberの言うことを聞くべきとも思わない。
そうすると、極端な原則というのは脆弱になりうるという話だ。もし睡眠不足で錯乱したら、睡眠薬を致死量飲んでしまうことも考えられるという話で、ストックを持つにしても適量というものがある。
では「中庸」は原則となりうるかというと、そうでもない。やはり「極端に避けるべきこと」というのは存在する。
非合法な薬物には一切手を出してはならないし、他人に対する暴力もいけないし、あるいは何が善であるかがわかるならそれを追求すべきだろう。
中庸とは「一方の側が善でもう一方の側が悪である」とは言えない事象に適用可能な概念である。MBTIのテストをするとき、「内向的か外向的か」などと問われるが、どちらの側面もバランス良く持っていて良いのである。
「自分はこういう人間だ」とか「自分はこういうものを原則にしている」というのは、つまるところ遺伝や環境などの諸々の条件において生きやすいと感じた行動傾向ではないだろうか。
自虐に使ってる言葉を他人に言われたらなぜか反発する奴って、いるよね
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20251114171640# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaRblaQAKCRBwMdsubs4+ SAhcAP9fXgayVlkZ0g5tVQFG4Z6EZgjibhcxjhokGbB5d5E9VAD/YmknBDcKJVpy BAfuR+NNfJ6fZA2VYlCXFzQSRseA5AE= =8lo0 -----END PGP SIGNATURE-----
FF14数年前にやってたなあ
友達と零式やってたんだけど、俺があんまりにも下手なもんでACTでDPS確認してた友達に「お前のDPSが低すぎるからタンクを練習した方がいい」って言われちゃったんだよな。
それで、なんでこんなゲームやってんだろうってすっかり萎えてどうでもよくなって、その友達とも喧嘩して疎遠になってそれっきりだ。
増田は元々MMOが好きだった、いやどちらかというと一緒に協力することが楽しかったんだと思う
ヒカセンしてた頃は零式とか絶とかのエンドコンテンツを楽しんでたけど、オメガをクリアした後くらいで辞めてしまった。
増田はレンジだったけど散々レンジは簡単って言われ続けて萎えた。ならやればいいじゃん。
あとどうせ攻略するなら楽しく進めたい。けどそういう固定に限って同じミスを続ける人が多い気がする。
零式ならいいけど絶だとなー…ってなる。
友達とやればいいじゃんって話だけど、その友達を作ることすら億劫になってる。何喋ればいいのかもうわかんない。
久々に零式やりたい気持ちもなくはないけど、2年くらいブランクあるから今更入れる固定もなく。
戦闘系コンテンツから離れてミラプリやらハウジングやらで自キャラを愛でる楽しみ方もあると思うけど、増田はTシャツジーパンかパーカージーパンでいいやって思うくらい服装がワンパターンだからセンスない。
都市伝説解体センターとか魔法少女ノ魔女裁判とかのストーリーゲーは面白かったな。テンポ良くて。
よく考えたらこれゲームの問題じゃなくて人と関わるかどうかの問題だわ。
小学生の時にミスったら「なんでそんなこともできないの?」って責められた時に近い怖さに近い。
仕方ないから協力する系のゲームはストリーマーの配信見てる。仕事だからギスギスした雰囲気もないし。
けどまたいつか人と一緒に色々やるゲームしたい。
【追記】
今までROM専でここに書くの初めてなんだ、拙い文章で申し訳ない。
【追記2】
思ってたより反応あってびっくりしてる。同じこと思う人いるんだな。なんか安心した。
増田は元々MMOが好きだった、いやどちらかというと一緒に協力することが楽しかったんだと思う
ヒカセンしてた頃は零式とか絶とかのエンドコンテンツを楽しんでたけど、オメガをクリアした後くらいで辞めてしまった。
増田はレンジだったけど散々レンジは簡単って言われ続けて萎えた。ならやればいいじゃん。
あとどうせ攻略するなら楽しく進めたい。けどそういう固定に限って同じミスを続ける人が多い気がする。
零式ならいいけど絶だとなー…ってなる。
友達とやればいいじゃんって話だけど、その友達を作ることすら億劫になってる。何喋ればいいのかもうわかんない。
久々に零式やりたい気持ちもなくはないけど、2年くらいブランクあるから今更入れる固定もなく。
戦闘系コンテンツから離れてミラプリやらハウジングやらで自キャラを愛でる楽しみ方もあると思うけど、増田はTシャツジーパンかパーカージーパンでいいやって思うくらい服装がワンパターンだからセンスない。
都市伝説解体センターとか魔法少女ノ魔女裁判とかのストーリーゲーは面白かったな。テンポ良くて。
よく考えたらこれゲームの問題じゃなくて人と関わるかどうかの問題だわ。
小学生の時にミスったら「なんでそんなこともできないの?」って責められた時に近い怖さに近い。
仕方ないから協力する系のゲームはストリーマーの配信見てる。仕事だからギスギスした雰囲気もないし。
けどまたいつか人と一緒に色々やるゲームしたい。
赤ちゃんは本能で母親を求めるという話がネット上の会話で見られるがこれの根拠・出典ってどこだろう?
専門的な団体などでもこのような話が書かれているがどうも信じがたい。
・赤ちゃんは本能で母親を求めるというのを誰が確かめたのか、どこかに書かれている様子がない
・父親の育児が広く行われるようになったが、父親では赤ちゃんとの愛着形成は難しいとか、対応が難しいなどと言われているのは見た記憶がない
・一人では生きて行けず周りの人の力が必要な赤ちゃんが、父親より母親が良いなんて無駄なことをする余力があるとは考えにくいのでは
・地方公共団体などの資料を見ると母親とではなくて、養育者と愛着を形成するなどのように書かれている
・三歳児神話は社会的には科学的な根拠がないとされているが、赤ちゃんが本能で母親を求めるならば、母親の優位性が認められてしまうのでは?
根拠って流石にアカゲザルを用いた愛着形成の研究じゃないよね・・?
・針金製の代理母と布製の代理母で比較したものであり、代理母と代理父で比較したものではない
・ジョン・ボウルビィの愛着理論が日本では誤って広まってしまった説
・乳児や幼児の子育てが母親重視になってしまい、後天的だったり社会的な要因で「ママがいい」になってしまった説(因果関係が逆である説)
頂いた解説
ボウルビィとアインズワースの愛着理論の研究で初期研究では確かに研究対象を母親にして研究していたけど、それは当時の「養育者」がほぼ母親に限定されていたからで、その後の追加検証として父親、祖父母、里親などで全く同じ条件で検証したところ母親と同じ結果が出たことが報告されている。
時代背景もあったんですね。
このスーツって人、一見するとヤベーことを言ってるが、俺だということがわかった
正確に言うと、俺が主観的に見る俺ではなく、統合失調症の患者である俺を世間が見たシンボル的なものがこのショーである
最近、こういうことが多い
例えば、都市伝説Youtuberコヤッキーが話していた「自販機に聴診器を当てて引き寄せの法則を実現しようとする人」という話も俺の過去の体験と酷似しているし、
このスーツという男の「普段パチンコ屋などには入らないが、そんなことはどうだっていいということに気がついたので入ってみたりした」というのも俺の過去の体験と酷似している
トゥルーマンショーなのか?とも思うが、この男の言うように「そう思い込むことによってピカチューが存在する世界を体験することも可能」という話を俺自身が体験している可能性もある
つまりトゥルーマンショーが本当だと思えば、トゥルーマンショーが本当であるという確率を引き寄せることになるのかもしれない
だが、より本質的な部分では、そもそも観測の能力は限界があり、自分の認識からオーバーフローした部分は切り捨てられる
だから自分が見る情報は自分に関連することが含まれる可能性が高くなるし、あるいは単に現象として客観的に確率が変化したのではなく、注意としてそういう情報を観察するようになるのだろう
この男の「第一の脳、第二の脳」というメタファーは俺にも幾分かは備わっている
俺が何かを発言する時、第一の脳がレコメンドし、第二の脳が修正しようとする
おそらくこの部分にスーツと俺との違いがある
スーツのイカれている部分は第二の脳であり、第一の脳は正常であるということ
それに対し、俺にとってイカれているのは第一の脳であり、第二の脳は正常である
まあ、俺のブログからアイデアを得たテレビマンが「これは面白いアイデアだ」といって俺を模倣した台本を書き、スーツにその役をやらせた可能性もあるが、
ポケモンのギガスが原爆モチーフだとかメタモンがミュウツーの失敗作だとかいう説がある
(最近は終の洞窟とエンドケイブの関係からジガルデとアクジキングが同一説が熱いとか)
前者を信じていると妄想と言われる
これは説を支える状況証拠の質や量の違いなのだろうが、だったら信じても妄想と言われない境界線はどこなのか?
非狂信者に擬態したいから、妄想扱いされやすい都市伝説は信じたくても信じないふりをしなくてはいけないのだ
dorawiiより
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