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2025-02-02

理系だけど日本古典文学を割と読んだから語る⑤

【前】anond:20250202181229

以下、池澤夏樹文学全集には出ていないが、重要な物や自分が読んだものについて書く。

蜻蛉日記

川村裕子訳注で読んだ。著者は藤原道綱母で、夫である藤原兼家に対して激しい執着が描かれている。当時の僕は報われない愛情を扱ったフィクションにどっぷりとハマっていたので、かなり共感的に読んだ。男性が通ってくるのを待たされる側だった女性立場が見えて、あちこちに通う相手がいる光源氏に対しては「お前、お前お前お前!」以外の感想しか出てこなくなる。というか、藤原兼家みたいに、手紙LINEはそこそこまめなくせに、会いに来ない言い訳もやたら細やかで、会ったときも会ったときで真面目な話をせずこちらをからかうばかりという男性結構いるよな。モテる奴ってこんなのばっかってイメージがある(偏見)。

こういう時に面白いのは別の人の感想で、田辺聖子は先に書いた百人一首の本で、道綱母は夫を愛しているくせに、何をされても怒るかわいげのない女なのだと言っている。確かにせっかく通って来たのに寒空の下待たせちゃうんだけれど、つれない人に対してはそれくらいしてやりたくならないか

田辺聖子と考えが違って面白かったのは、「儒教道徳は男女の色気のあるやり取りも批判して世の中をつまらなくする」って発言だ。「春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ」の解説で述べていたことだ。コンプライアスに厳しい時代の子である自分としては首をかしげるが、彼女にそういわせたのは、おそらく彼女青春と重なった第二次世界大戦空気だろう。

後半は道綱のなかなかうまくいかない恋路が出てくる。

余談だが、平安時代著名人は大抵何らかの親戚関係がある。だから因縁話は大抵どこかとつながっているし、それなら言い出せない思いが積もり積もって怨霊生霊の類が出てもおかしくない気持ちになってくる。

話を戻すと、どうしてモテたり権力を持った人ってどんどん嫌な奴になっていくのだろう。これは推測だが、人間が何か行動をしたとき、多少なりとも権力、少なくとも力を行使するのが理由だろう。力を行使して何かがうまく行くのは喜ばしいが、そのたびに堕落ポイントが蓄積される気がする。つまり政治家であれ社会活動家であれ、世の中を良くしたという実感が少しずつ慢心に繋がっていく。かつては理想燃えて清廉に悪を糾弾していた人が、どんどん人の話を聞かない・フィードバックを受け付けない傲慢な人になっていく。まっとうな批判を受けても、自分が正しいから叩かれるのだと思い込んでいく。そうやって晩節を汚していく。具体例がたくさん浮かぶと思う。

なので、自分が一番偉いわけじゃない、権力も何もなくて謙虚にならざるを得ないコミュニティ所属しないと、どんどんダメになっていくのではあるまいか趣味も含めたコミュニティがたくさんないとおかしくなる。

これは以前、どこかにいたこである

人の話を聞かないことをテーマにしているのがカズオ・イシグロで、読むたびに嫌な気持ちになる。これは褒め言葉である

和泉式部日記

元カレの弟(帥宮敦道親王からアプローチされて、「手枕の袖」というフレーズ和歌を交換してイチャイチャして、遂に宮廷に迎えられるんだけど、巻末に帥宮挽歌群を持ってくるこの構成よ。悲しい。近藤みゆき訳注

注釈者の解釈の精度と深さがすごいので、やっぱり自分文学研究することなど到底できまいと思わされた。どの節で和泉式部感情がどう深まったかなどといった、字面を追ってしか読めない自分にはとても気づかないポイントが多数ある。所詮自分は楽しむことが主である素人である生活の種には到底できまい。

まりにも気に入ったため、メモをした和歌が膨大である。いつか深い悲しみに沈んだときに読み返したら、喪失の痛みにグサグサに刺されながらも慰められるだろう。和歌集は読んでいて面白いのだろうが、短い解説文で背景が説明されているよりも、こういう物語の中に和歌が含まれているほうが、著者と長く付き合ってきた分だけ、心に来るものがある。古典は知を刺激する部分と情緒を刺激する部分があるが、これはかなり後者に寄っている。

やはり文学が好きだが、近頃はあまり読みたいとは思わないのである。久しぶりに三島由紀夫を手に取ってパラパラとめくっていたら、感情を揺さぶられて過ぎてしんどくなってきた。これは好きすぎで苦しいということなのかもわからない。好きすぎて近づけないとこじらせ文学オタクになってしまっているのか。三島由紀夫のことは、近頃は文章が人工的過ぎると思って遠ざけていたのだが、やっぱりこの人、マッチョな肉体の中の繊細な精神がいつもピリピリしているよ。好きだけれど、読み返したくない。でも、生きているうちに「豊饒の海」を読みたい。

ところで、僕はどうも女性の手による日記文学が好きらしい。ドナルド・キーン日本人日記好きを注目すべき事項だとしていたが、僕もその例に漏れない。日記を読み返すのは自己愛だが、いがらしみきおぼのぼの人生相談で「世界で一番面白い本は自分日記」という趣旨のことを言っている。実際、何が自分に刺さったかを振り返ると、将来傷ついたときにどこに戻ればいいのかが見えてくる。

思うのだが、本を読む男性文学少女に憧れるのにも、自己愛という側面がある。もちろん、同じ趣味を持っている人に親しみを持つのは当たり前だけれども、陽キャのような押しつけがましさがないと勝手に期待してしまうのだ。そういう風に、実際に相手がどんな人かを見ようともせずに、活字が好きだという相手属性ばかり見ている。挙句の果てにそんな相手と深い理解に達し、イチャイチャしまくることに憧れる。そういう人間の恋がうまくいかないのは、今になって振り返ってみれば、残念ながら当然であろう(それでもうまくいく恋愛があるという指摘は無視する。認めないぞ、そんなものは)。だから、本は読むけれど優しくないタイプ女性片想いをして、勝手に傷ついてきたことが何度もある。以下、自分片想い歴や、彼女たちからされた非常に失礼な仕打ちを延々と書いたが、阿呆らしいのですべて削除した。客観的に見れば、当時の僕も結構痛い奴だったんだろう。わかっているが、恨みの気持ちゼロにはならない。

やれやれ。こうしたひがみっぽい、すべて主語が「自分」になっている感覚をすべて卒業してしまいたい。こういうわかったような口のきき方も気に食わない。だからこうして、匿名しか書けないような感情をあえて言語化し、脳内から叩き出す。こんな青臭い感情を二度と思い出さなくてもいいように、放流してしまう。

INTERMISSION⑤

困ったことに、他人批判的なことを書いている時にはやたらと楽しかった。悪口依存性のある娯楽だとよくわかる。なので、この悪癖にハマらないよう、かなりの部分を削った。リクエストがあったら出すかもしれないが、原則としてお蔵入りにするつもりだ。そう、恨みつらみなんていくらでも反芻できる。やめよう、やめよう。

実際、これでもまだ意地悪な記述が多い文章だ。すっきりするけれど、かっこ悪いのでそうそう頻繁にやるべきことじゃない。

かに、見苦しい愚痴をこうして捨ててしまうのが増田の使い方の一つではあるのはわかる。すべて吐き出せば身軽になれる。だから、こうして好きなことと嫌いなことをないまぜにした混乱した文章を書いてしまった。ひがみも怒りもドロドロした感情も、一度文章にすれば冷静になって振り返れる。

なんてみっともない文章だろうと思うのだけれど、書いていてこれは私小説の真似事なのだとわかった。かつて書いていた小説は、過去を変形して書き直し、つらい出来事に直接向き合わないようにするための緩衝材にしていた。あるいは、こういう恋がしたいという、ただの感傷マゾだった。だが、ここで過去を直接吐き出してしまえば、自分感情と筆をコントロールできるようになり、新しく真っ当な小説が書けるのではないか。そんな夢想に浸りたくなる。

実際、今は過去出来事よりも、今は自分の中の荒々しい本能暴力衝動をどう扱うかに関心が移りつつある。あるいは、欲望や執着についてだ。読みたい本もこういうテーマの物に近づいている。混乱していた十代と二十代から、三十代を終えそうになって、好みが変化しているのが明白だ。今こそ、良いものが書けるときではないか

最終選考電話がかかってきたのに、そして編集者と話ができたのに、結局は小説家として芽が出なかった悔しさは、ときどき自分をこんな夢想の中に閉じ込める。だから、発作的にこういう長文を書きたくなる。

だが、若い頃は創作によって自分感情を整理できたのは確かだけれど、ある時点で、僕はこのまま創作を続けてもどこにもたどり着けないのではないかという疑いにさいなまれるようになった。それよりは、虚構で変形されない事実直視したほうがいい。事実日記に断片的に書くことでさえ、ひがみ根性を薄れさせてくれる。小説に限らず、何かを言語化して分析するって本当に救済なんだ。

今後読みたいもの

結構読んできたな」と思いながらも、まだまだ読んでいない作品もかなり多い。大学時代から少ない年でも年に一冊か二冊くらいのペースで古文を読んできたので、そのペースなら生きているうちにもうちょっと読めるだろう。直近で気になっているのは(「カンタベリー物語」のように海外文学は別として)、池澤夏樹リストにあったもの神話物語歴史書それから江戸時代物語だ。

まず、他のところでも述べた通り、「宇治拾遺物語」「発心集」「日本霊異記」がある。特に日本霊異記」はKADOKAWA現代語訳を出している。それから神話物語でいえば「風土記」がある。これも角川ソフィア文庫で出ているので読みたい。

歴史ものでは「大鏡」「栄華物語」がある。それから吾妻鏡」も気になっている。この並びから大河ドラマを想起するだろうが、あまり関係はない。とはいえ自分は「ニンジャスレイヤー」が流行っているときにもまず「ニューロマンサー」に手を伸ばすような人間なのである。ただし、めっちゃ長い。

あとは「東海道中膝栗毛」。パラパラとめくったら、原文でもギリギリ読めそうな、しかし読むのには時間がかかりそうな、近い時代であるが故の厄介な文体であった。そう、なんでもいいので月に十冊は必ず読むという漠然とした目標など放棄して、精読したほうが良い読書ライフが送れるのだが、手を出すかどうか迷ってしまう。というか、これも含めて、原文で読むか現代語訳で読むかは迷う。なるべく原文に当たりたいのだが、池澤夏樹日本文学全集現代語訳が訳者個性も含めて面白かったのと、意地を張って原文にこだわって、中身を浅くしか読めなかったら嫌なのとで、迷っているのである

好色一代男」「春色梅児誉美」もそのうち。寛大な気分のときになら、色男の生涯につきあってやっても良い。他の近松門左衛門とかも。

あとは、時間をかけて和歌を楽しむ。「万葉集」とか「新々百人一首」とか。

あとは、「御伽草子」とか。「青砥稿花紅彩画」とか。

まとめ

読書ログをたどりなおすと、自分がその時に何を感じていたのかを想起できる。読んだときの喜びも、読んだ当時感じていた閉塞感も、どちらも生々しく想起してしまった。だから卒業したはずの怨念に対して、こんなに愚痴ってしまっている。

同時に、自分感受性ゆっくり時間をかけて変化してきたのもよくわかった。一つの強迫観念に凝り固まっている時には、何を読んでも同じ感想を持ってしまうのだろうけれど、十年かけていろんな本を読んでいくと、自分に起きた変化が見えてくる。これから古典を読み続けるだろうし、さらに十年経ったらどんな感想を持つかが楽しみだ。

そして、自分にどんな変化が起きたか、いつかこれらの本を読み返して、確かめてみたい。

かに、かつて読んだときほど心惹かれなくなってしまうことも多いだろう。現にあらすじを振り返っただけで、「なんでそんなにハマったんだ?」と感じるものあった。これは寂しいことだが、既に興味を失った作品があるということは、自分が変化したこと意味する。むしろ、生きていくにつれて成長していくのなら、興味がなくなる物が出てくるのが当然だ。この寂しさは歓迎すべきものだ。実際に、ある作品に心惹かれていた理由が、既に卒業してしまった不安だとしたら、当の作品が色あせて見えてしまうのも無理はない。個人的な収穫は、叶わぬ恋の歌だけでなく、生きているが故の寂しさを歌った歌に好みが移り変わってきたとわかったことだ。

叶わない片想いをするだけが人生ではない。ただ生きていること、目の前の相手に耳を傾けて敬意を払うこと、それが文学以上に自分幸せにしてくれる。

そして、僕を大切にしてくれる人のことだけを考えて暮らしていきたいのである。これは創作よりも遥かに尊く、最も創造的なことだ。

以上。

2024-11-11

高知だいすきポケモン良すぎる・・・

ちょうど司馬遼太郎風土記立ち読みして土佐に興味が湧いてたんよねぇ

2024-09-11

anond:20240910152134

日本に関して言えば、奈良時代に書かれた『風土記』という地理の本には、あちこちの山の高さも書いてある。

書いてあるんだけど……間違っている。

当時、既に、理論的に正しい地上からの山の高さの測り方は知られている(ような)んだけど、実際に精確に測るのは難しかった。

単に高さがあっていないだけでなく、相対的な高低も間違っている。

2022-01-20

anond:20220120085859

戦国時代は未開墾? それは間違い。

常陸国風土記西暦713年)の時点ですでに「常世の国極楽)」と呼ばれるほど豊かな状態だった。

茨城県内各地の遺跡貝塚などを見る限りでも、縄文時代以前から肥沃な土地に多数の人間が住んでいたことが分かる。

2022-01-10

2000年代韓国とは「個人として仲良く付き合える人はいても、歴史観でどうしても埋められない溝がある」と感じていた

今、同じ日本人に対してそう感じることになった。ネットウヨクの登場だ。

https://twitter.com/toshio_tamogami/status/1480277533870665728

こういうちょっと各地の風土記民俗資料を紐解けば嘘だとわかるような、

何の根拠もない誇大妄想が多くの人の自尊心くすぐり、もてはやされている。

 

この甘美な妄想は巡り巡って自らを毒すことになるのは明らかだが、

なにぶん一見すると攻撃先が外国のように見えるために誰も声を上げようとしない

2021-07-10

日本歴代天皇 1~50代

1.神武天皇

 奈良一帯を征服して大和建国

2.綏靖天皇

 欠史八代の一人目。兄タギシミミを殺して即位

3.安寧天皇

4.懿徳天皇

5.孝昭天皇

6.孝安天皇

7.孝元天皇

8.孝元天皇

9.開化天皇

10.崇神天皇

 実在する可能性のある初めての天皇大物主神祭り、疫病を治めた。武埴安彦の乱を鎮圧し、各地に四道将軍派遣。戸口を調査課役を課した。

11.垂仁天皇

 愛妻が兄狭穂彦王の乱に連座し焼死する憂き目に遭った。伊勢神宮を建立した。彼の代に相撲埴輪誕生したとされる。

12.景行天皇

 息子の日本武尊熊襲蝦夷を平定させた。

13.成務天皇

 国郡県邑を定めた。

14.仲哀天皇

 熊襲より先に新羅を討つべしと言う神託無視したため、病没した

15.応神天皇  

 神功皇后三韓征伐中に誕生。彼の治世に大和政権は国力を伸ばし、倭の五王讃と同一視される。八幡神として祭られる。

16.仁徳天皇

 民の貧しさを嘆き3年間一切の税を廃した。好色であったため木崎嫉妬に悩まされた。倭の五王讃と同一視される。

17.履中天皇

 帝位を狙う住吉皇子暗殺されかけるも、端歯別王(後の反正天皇)にこれを殺させ即位国内情勢調査のため国史を設置した。倭の五王讃と同一視される。

18.反正天皇

 身長3mで綺麗な歯並びの美男子であったとされる。倭の五王珍と同一視される。

19.允恭天皇

 刑部を定め、死傷の混乱を避けるため盟神探湯を行った。倭の五王斉と同一視される。

20.安康天皇 

 允恭天皇皇子暗殺して即位大草香王を殺して妻を娶るが、その息子の眉輪王に殺された。倭の五王興と同一視される。

21.雄略天皇

 眉輪王と履中天皇の子を殺して即位渡来人を重用して王権を強化した。倭の五王武と同一視される。

22.清寧天皇 

 生まれつき白髪で妻子はなかった。

23.顕宗天皇

 履中天皇の孫。父を雄略天皇に殺されたため、播磨に逃れたが、清寧天皇に迎えられ即位した。

24.仁賢天皇

 履中天皇の孫。弟顕宗天皇に位を譲りその死後即位した。

25.武烈天皇

 妊婦の腹を裂く、人を木に登らせて殺す等の暴君であったとされる。

26.継体天皇(507~531

 慈悲深い君主であったが、朝鮮での日本勢力が弱体化し、磐井の乱が起るなどその治世は乱れた。

27.安閑天皇(531~535)

 即位わずか4年で崩御。その治世に犬養部が設立された。

28.宣化天皇(535~539)

 任那支援のため狭手彦を派遣した。

29.欽明天皇(539~571)

 在位中に百済から仏教が伝来し、任那が滅んだ

30.敏達天皇(572~585)

 任那復興を目指して新羅交渉国内では物部氏と組んで排仏運動を進めた。

31.用明天皇(585~587)

 初めて仏教を受け入れた天皇。その治世は物部氏蘇我氏対立が激しく、天皇崩御直後に物部氏が滅んだ。

32.崇峻天皇(587~592)

 蘇我馬子と組んで即位したが、後に対立暗殺された。

33.推古天皇(592~628) 

 日本初の女帝。甥の聖徳太子摂政に任命した。

34.舒明天皇(629~641)

 初の遣唐使派遣百済宮を建立した。

35.皇極天皇(642~645)

 女帝。在位中に乙巳の変が起きる。弟の孝德天皇日本初の譲位を行った。

36.孝德天皇(645~654)

 甥の中大兄皇子皇子として大化の改新を進めた。

37.斉明天皇(655~661)

 皇極天皇重祚阿倍比羅夫蝦夷を討たせた。百済救済のため軍を派遣し、自ら九州に赴き現地で死去した。

38.天智天皇(668~671)

 日本初の全国的戸籍庚午年籍を制定。近江令を発令した。

39.弘文天皇(671~672)

 天智天皇皇子壬申の乱に破れ自殺した。

40.天武天皇(673~686)

 甥の弘文天皇を倒して即位八色の姓を創始、律令の制定、国史編纂など律令国家の確立に尽力した。

41.持統天皇(690~697)

 女帝天武天皇の妃。夫の制作を引き継ぎ、飛鳥洗御原令を制定し、藤原京を造営した。

42.文武天皇(697~707)

 大宝律令を制定した。

43.元明天皇(707~715)

 女帝平城京遷都し、風土記古事記編纂、和同開珎を鋳造した。

44.元正天皇(715~724

 女帝三世一身の法を制定。その治世に日本書紀が完成した。

45.聖武天皇(724~749)

 奈良の大仏を建立。その治世に天平文化が栄えた。

46.孝謙天皇(749~758)

 女帝。その治世に奈良の大仏が完成し、鑑真来日した。藤原仲麻呂を重用したため、橘奈良麻呂の変が起きた。

47.淳仁天皇(758~764)

 孝謙上皇道鏡を寵愛すると、藤原仲麻呂と結託して乱を起こすが敗れ淡路島に流された。

48.称徳天皇(764~770)

 孝謙天皇重祚。在位中は道鏡の専横が激しく、宇佐八幡神託事件が起きた。

49.光仁天皇(770~781)

 道鏡追放し、和気清麻呂召還するなど綱紀粛正に努めた。

50.桓武天皇(781~806)

 平安京遷都空海最澄を登用した。勘解由使の設置、兵役廃止など農民負担軽減に努めたが、蝦夷討伐には財力を惜しまなかった。

 

2019-03-25

大日本初の元号

列滴(BC290年):和漢年契・茅窓漫録

継体(517):二中歴

善記(522):麗気記私抄・如是院年代記・襲国偽僭考

善化(522):海東諸国

法興(591):法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘・伊予国風土記

2017-05-28

学問に自信ニキ教えて

先祖書簡とか地域風土記管理してるオッサンのところへ研究者が訪ねてそれをもとに論文発表したけど

その後に関係悪化して書簡とか全部燃やしてしまうっていうドラマよくあるけど

実際に書簡とか燃やされたときってその研究結果とかその後の検証どうなるの?

 
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