はてなキーワード: 植民地支配とは
イギリスの成功、特に18世紀から19世紀にかけての経済的繁栄は、確かに奴隷貿易が大きな要素の一つであったことは歴史的に指摘されています。イギリスは三角貿易と呼ばれる奴隷貿易のシステムで、アフリカから奴隷をアメリカ大陸へ送り、アメリカ大陸から農産物や資源をイギリスに輸入し、それをもとに工業製品を生産して他国へ輸出するという形で莫大な利益を上げました。
しかし、イギリスが成功した理由は奴隷貿易だけではありません。産業革命によって工業化が進み、生産力が飛躍的に増加したこと、広範な植民地支配を通じて世界各地から資源を手に入れたこと、そして金融や貿易のネットワークを拡大していったことも重要な要因です。また、法制度や議会政治といった国内の安定的な統治体制も、経済成長の基盤を支えました。
もちろん、奴隷制度は深刻な人権侵害であり、その歴史的な影響は現在でも議論され続けていますが、イギリスの成功は複数の要因が組み合わさった結果といえます。
明治維新(めいじいしん)は、1868年から始まった日本の大きな変革のことや。
江戸時代が終わって、武士の時代から近代国家へと移り変わる大改革やったんや。
まず、江戸時代は長いこと続いたけど、外国が日本に「開国せぇへんか?」って迫ってきたんや。
特にアメリカのペリーさんが「ドン!」って黒船でやってきたんが大きなきっかけやな。
その後、薩摩藩や長州藩を中心に「このままじゃアカン!新しい政府を作ろう!」ってなって、徳川幕府を倒す動きが強まっていったんや。
それで、天皇を中心にした新しい政府ができて、これを「王政復古」言うんや。
明治維新では、封建制度が廃止されて、武士の特権もなくなったんや。
さらには、学校も作って、外国の技術や文化をどんどん取り入れていったんやで。
簡単に言うたら、江戸時代の古いシステムを壊して、新しい時代を作ったんが明治維新やな。
これで、日本は急速に近代化していって、世界の仲間入りを果たしたんや。
戊辰戦争は1868年から1869年にかけて起こった戦いやねん。
徳川幕府を倒して新しい政府を作ろうとする側(薩摩藩や長州藩が中心やった)と、幕府側の勢力がぶつかり合ったんや。
この戦いは京都の鳥羽・伏見から始まって、東北地方まで広がったんやで。
特に会津戦争や函館戦争が有名やな。会津藩は幕府側を支援して戦ったんやけど、最終的には負けてしまったんや。
また、函館では旧幕府軍の榎本武揚(えのもとたけあき)が五稜郭(ごりょうかく)で最後の抵抗をしたけど、こちらも新政府軍に敗れてしまったんや。
この内乱は、ただの権力争いだけやなくて、日本全体が新しい時代に進むための大きな痛みとも言えるんや。
結果的に、天皇を中心にした新政府が勝利して、日本は中央集権化と近代化に向かって進んでいったんやな。
(その時西郷隆盛は何してたの?)
西郷隆盛(さいごうたかもり)は、明治維新の中心人物のひとりで、戊辰戦争の間もめちゃくちゃ大きな役割を果たしてたんや。
まず、西郷は薩摩藩のリーダーとして、新政府を作ろうとする側に立ってたんや。
鳥羽・伏見の戦いでは、幕府側と戦って新政府軍を勝利に導いたんや。
彼は戦術にも長けてたし、部下たちにも慕われてたから、戦争の勝利に大きく貢献したんやな。
戊辰戦争が進む中でも、西郷は東北地方や函館方面に派遣される新政府軍の指揮を取ったり、旧幕府側との和平交渉にも関わってたんや。
特に江戸城無血開城(江戸城を戦わずに明け渡すこと)では、西郷と勝海舟(かつかいしゅう)が話し合って、江戸を戦火から守ることができたんや。
これは西郷の人間的な魅力や度量があったからこそ、実現できたもんやね。
ところが、明治維新が進んで新しい政府ができたあと、西郷は新政府の方針と対立するようになってくんや。
特に西郷は、急速な近代化や中央集権化の進み方に対して反感を抱いてたんや。
そして、最終的には西南戦争(1877年)で政府に反旗を翻すことになったんや。
この時、西郷は薩摩の士族たちを率いて、武士の伝統や誇りを守ろうとして立ち上がったんやけど、結果的には政府軍に敗れてしまい、自ら命を絶つことになったんや。
簡単に言うと、西郷隆盛は維新の立役者でありながら、最終的にはその維新の流れに反発して戦った、というめっちゃドラマチックな人生やったんやな。
(あと伊藤博文についても解説して。なんか悪いイメージもあるよね)
伊藤博文(いとうひろぶみ)は、日本の初代内閣総理大臣や憲法の制定に深く関わった人物やけど、確かに彼に対する批判的なイメージもあるんや。
まず、伊藤博文は明治政府の中で「近代化」を進めた立役者やけど、その一環として朝鮮半島への介入や植民地政策に深く関わってたんや。
特に、伊藤が朝鮮に対して行った政策や、朝鮮を日本の保護国にしたことで、彼は後の日本の植民地支配の基盤を作ったと言われてるんや。
伊藤は、1905年に日本が韓国を保護国化した際、初代韓国統監(かんこくとうかん)に就任したんや。
この統監府は、事実上日本が韓国を支配するための機関で、伊藤はそのトップとして韓国の内政に強く介入したんや。
この時期に韓国の独立や自主権が大きく損なわれたことが、彼に対する批判の大きな要因や。
その結果、1909年に伊藤博文は韓国のハルビン駅で、独立運動家の安重根(あんじゅうこん)に暗殺されてしまったんや。
安重根は伊藤を、韓国を侵略し独立を奪った人物として憎んでおり、この暗殺は日本と韓国の歴史に深く影響を与えたんや。
また、国内でも彼が明治政府の中枢で権力を握ってたことから、一部の人々からは「藩閥政治」を進めたと見られ、権力を一部の有力者たちで固めたことに対する批判もあったんや。
つまり、政治が一部の人たちの手で動いていて、庶民の声が届きにくいっていう不満があったんや。
総合的に言うと、伊藤博文は日本の近代化に大きく貢献した一方で、朝鮮や韓国との関係、そして国内外での権力集中に対する批判があるから、マイナスのイメージが残ってるんやな。
(女癖も悪かったと聞いてるけど)
ああ、そういう話もあるな!伊藤博文は「女癖が悪い」って噂がよく出る人物でもあるんや。
彼は若いころからかなり遊び好きで、特に女性関係にはだいぶ自由奔放やったらしいで。
彼は明治時代の政治家の中でも、遊び人として知られとったんや。例えば、若い頃から遊郭に出入りしてたし、いろんな女性と関係を持ってたっていうエピソードも多いねん。
噂によると、50歳を超えてからも若い女性に夢中になってたとか、何度も結婚と離婚を繰り返したりして、結構な数の女性と浮名を流してたんや。
特に彼の「芸者好き」は有名やったんや。政治家としての公の顔とは別に、夜はよく芸者遊びをしてたというエピソードがたくさん残ってるんや。
これが「女癖が悪い」という評判の元になってるんやろな。
さらに、晩年でもそうした生活を続けとったみたいやから、一部の人々からは「品がない」とか「節度がない」とか批判されることもあったんや。
ただ、そういう奔放な生活があっても、政治家としては一流やったんやけど、そのプライベートの部分があまり良いイメージを持たれてないってことやろな。
だから、伊藤博文には偉大な政治家としての側面と、ちょっとだらしない私生活の一面があって、それが「女癖が悪い」という評価に繋がってるんやろうな。
https://anond.hatelabo.jp/20240908082812から続く
おしんがドラマとして優れている点は、登場人物が自然体、未来を知らずただひたすら前を向いて行動していることである。
現代の価値観を登場人物に投影せず、今の人が言いそうなことはまったく口にしない。
憎まれ姑になるおしんの描写にしても、素で無神経な女性になっているのであり、それを客観的におしんはすっかり変わってしまったなどと、神の目線でナレーションが入ることもない。
さて、最後に初子についてのメモを残しておく。その2で触れたおしんが生きた「植民地支配の時代」の考察はひとまず置いて、おしんの人間的成長のきっかけとなった初子の存在について触れておきたい。
初子は9歳で山形から奉公に来た後、田倉家で実の娘のように育てられ、戦後はおしんを常に支えてきた人物である。物語においても、竜三と並んで重要な役割を果たしている。終戦後、竜三の自決をきっかけに、おしんの人生に一区切りがついたと多くの視聴者が感じた。しかし、20代の初子役として田中好子が登場したことで物語は新たな展開を迎えることになる。
田中好子は、持ち前の包容力のある演技で、初子の内面を見事に表現した。中年期以降の初子は佐々木愛が演じ、その深みのある演技は、初子の内に秘めた感情を的確に伝えた。特に田倉家での初子の居場所探しの苦悩は、彼女の表情や視線に表れている。おしんにとっては実の娘のように思っていた初子であるが、初子自身は戦死した雄への思いを抱えながらも、自分の居場所に悩み続けていたのである。
ところで一視聴者として、初子が養女であるかどうかについて疑問があった。公式には養女として扱われているものの、養子縁組が明確に描かれていないため、その法的地位が不安定だといつも感じてきた。それはさておいても、初子の存在は田倉家の中でも微妙で、特に仁の妻・道子からは「初子とかいうわけのわからないひと」と陰口をたたかれることもあった。この表現は、初子が抱えていたアイデンティティの危機を象徴している。
初子にとっての転機は、八代希望(のぞみ)の妻の交通事故死だった。彼女は希望の息子、圭の世話をしながら、希望の家で新たな居場所を模索していたのである。しかし、おしんが初子と希望の結婚を仲介しようとしたことで、結果的に両者を傷つけてしまう。この出来事を通じて、おしんの人の気持ちを理解する力が衰えていたことが露呈したが、同時に初子の独立が真剣に考えられるきっかけとなった。
おしんは年齢を重ねるにつれ、いまでいう老害のような昔の感覚を若い世代に押し付けるだけの年寄りになっていたのである。
それをいつも優しくたしなめてきたのが初子であった。しかし、初子の心情そのものは決して台詞には表されず、表情のみによって表現されてきたのが、今回、視聴しての発見だった。初子には常に表のセリフと裏の表情がセットになっていたのである。
戦後の田倉家で、初子の存在は常に微妙なものであり、彼女は嫁としても小姑としても、お手伝いとしても、内心では本当の居場所を見つけることができずにいたのが初子のほんとうの心情である。おしんはしばしば自分の肩をもんでくれる初子の言葉を背中越しに聞いていることが多かった。しかしおしんには気づけなった。初子の表情はおしんの目に入っていなかったのである。
最終的に、田倉家が初子の独立を支援するに至ったのは、これまで初子と二人で暮らしてきたおしんが次男の家族に同居することを決めたことがきっかけである。おしんの決断で、初子の居場所問題はついに崖っぷちに来てしまった。初子の居場所がないこと、そしてこれまでも初子は悩み続けてきたことににようやく気が付いたおしんは、あたらめて初子の長年の苦悩に思いをいたし、独立に向けて尽力することになる。老害化して久しいおしんがようやく初子の気持ちに気が付いたよと。視聴者は、この初子の救済の瞬間に感涙せざるを得ない。
この一件以降、おしんは悟りを開いたかのように、人間の心情をくみ取れるようになってゆく。自分を痛めつけた佐賀の姑の思いも、故郷の父親の思いも、そして兄と兄嫁・とらの思いも、そこには自分の立場からはみえなかった思いがあることに気が付いてゆく。私もこんな年の取り方をしてみたいとおもうけれど、老害のままで終わってしまうんだろうな。
1983年夏放送に放送されたおしんと同時代を生きた女性たちへの当時の貴重なインタビュー。
主演の田中裕子が撮影中、過労のため失神し、一ヵ月近く撮影が中断したのは有名な話。インタビュー番組はその穴を埋めるために制作された。
日本めんどくさくね?
老人、まあ養うのはいいよ。そのうち自分たちも老人になるんだし。
でも長老支配なの嫌じゃね。なんつーかたぶん若い世代だけでできるよ。
いいよもう老人は放置で。いったん東京だけで独立しよう。東京にみんな集める感じで。
東京周辺は「いやいや俺たちも東京に入れてくれ!」っていう地域だけ東京に入れよう。千葉とか絶対東京入りたがるよ。
もともとの日本の中心は京都や大阪行ってもろて。みんな喜ぶでしょ。これだよこれこれって。
老人たちもその方がいいでしょう。自然豊かな町とわびさび文化で無限の安定の老後を楽しんでください。
その東京に入るにはパスポートが必要な感じにしよう。パスポートは日本人なら誰でもとれる。ちょっと簡単な常識的なテストが課されるだけ。
別にこのテストで老人を排除しようっていうんじゃない。老眼などの対策はちゃんとしてある。テストの内容が次世代向けなだけ。
昔東大闘争とかあったじゃん。たぶん今なら達成できる。余裕でしょ。
日本弱いもん。警察も弱い。ぬるいぬるい。市民ボコボコにできる気配ない。
あとこれはクーデターじゃない。
「まあわれわれは東京国なんで」と言う。「日本は残ってますよ。国会議事堂には日本国の政治家通してますよ」って感じ。
東京以外は日本国の政治家になんとかしてもらう感じで。知らんし。
その代わり軍事力は全部もらう。これは大事なんで。全部ね。全部もらう。
東京だけじゃなくてもちろん日本も防衛する。日米安全保障条約みたいな感じ。東日安全保障条約を結ぶ。
他国も長老支配嫌ってるからね。「東京国に続け!!!」と思わせる。他国は内乱にいっぱいいっぱいになるだろう。その間に経済成長だ。
効率化しまくって結果的に日本も良くする。最初日本は植民地支配されているみたいな感じで怒ってくると思う。でも東京国って結局子どもだから、親子喧嘩みたいなもんだよ。
そうこれは壮大な親子喧嘩なんだ。
b:id:kowyoshi 兵庫滅亡の始まり
b:id:beresford めでたく大阪の植民地になりました。本当にありがとうございました。/井戸の度重なる失言失政が吉村松井竹中に兵庫を明け渡すきっかけを作った。万死に値するとしか言いようがない。2025年に追い出せればいいが…
b:id:ryun_ryun 名古屋に続き、兵庫県民にもガッカリ。
b:id:take-it 関西はマゾが多いんかいね。政治的にどうにも兵庫もあまり良いイメージないし、うーん、なんというか自滅していくんだなぁと。
b:id:anigoka 兵庫も腐海に沈んだか…
b:id:motsu-sk 何でやねん!!!!アホばっかりか自県民は!!!!!!維新だけはないやろが!!!!!!…マジでどないなってんねん…憂鬱でしかない…(投票に行ったけど入れた候補者は落ちた兵庫県民)
b:id:sek_165 次の神戸市長選で維新が勝ったらいよいよ神戸市は終わりだな。
b:id:robokichi よりにもよって維新推薦を選ぶとは。お隣の県は大阪の何を見ていたんだろうか。この1年だけ見ても相当ひどいのに...
b:id:repon 植民地支配の始まりか
b:id:tecepe 神奈川も他人事じゃないなあ…うちの周りこの1年で吉村洋文知事のバカ面貼ってるポスターぐんと増えて本気で危機感感じてる。
b:id:nicottowatch 維新が出張ってくるやん。移住しよかな
b:id:oyagee1120 神戸市長も維新系になったら、実家に帰る夢もいよいよ絶たれてしまうな…対抗候補があまりにも碌でもなさ過ぎた
b:id:pgohannote わたしは維新だけはNGと思って金沢のおっさんに入れたよ!上手くやってくれたらラッキーやし、ダメでもすぐ引退かなと思ったから。これから兵庫でバタバタ人が死ぬかなぁ。。。
b:id:miyauchi_it こうなるのは予想してたけどやはり実現してしまうと辛い。医療や福祉や教育が疎かにならないでほしい……。
b:id:hearthewindsing 維新の食い物にされる自治体が増えた。県民がチンピラに何を期待してるのか分からん
b:id:z1h4784 井戸前知事が酷すぎたからこうなるだろう。さらに酷い知事でなければいいけどね。ただ淡路島の住民は奴隷として玉ねぎ栽培に従事させられる前に逃げ出す算段が必要かもしれない
b:id:gmkzmrn はてぶの意見は世間と相当ずれてるからな
b:id:Ad2Jo はてぶ民いつも負けているな
b:id:georgew ブコメは怨嗟の声で満ちていたが、「井戸知事が全面的に支援した前副知事の金沢和夫氏」よりはマシだと思った。井戸県政の継続は最悪。刷新は必要、って言ってもどう転ぶかはわからんが...
b:id:stand-out はてなー、いつも通りの敗北に愚民コールですか。選挙結果を一番軽んじてるのはあなた達ですよ。
b:id:nuara 勤勉に維新ディスブコメを毎日付けてるのは、明らかに大阪自民か市役所労組とかでしょう。共産かもしれんが。そういう、少数が毎日書き込めば、このサイズのコミュニティの世論誘導など簡単にできる事を示している。
b:id:taizomaru1123 クソハテブざまあwww
b:id:fishma しかし本当にはてブって世論に全く影響してないというか、別の地平にいるんだな
b:id:high-speed-soba 維新って字を見ただけでビクンビクンするはてブ民、予想通りの反応←8割が関東人、昨夜のニュースまで兵庫知事選の存在すら知らなかった印象
b:id:asahiufo はてなの選挙大敗北者達が馬鹿な有権者は今後酷い目に合うであろうと顔真っ赤、涙を流しながら必死に言って、星一生懸命付けてるわ。チョロくなくてとっても賢い誇り高き少数派の皆様は絶望して国外に引っ越しては。
https://anond.hatelabo.jp/20240906234755から続く
この出来事は、1983年から1984年にかけての現代編に関連している。。おしん83歳の頃、たのくらスーパーの拡大事業は、大手スーパーの進出によって経営難に陥り、倒産寸前まで追い込まれていた。過去におしんが初恋した相手、並木浩太の息子が経営する並木商店が、大手スーパーの土地買収における重要な場所にあり、その売却次第でたのくらは助かる状況であった。私は以前、おしんが浩太を説得し、並木がその情に応じて救済が成功したと思い込んでいたが、実際にはそうではなかった。
なぜそのように思い込んでいたのか。もしかすると、失踪から戻ったおしんに、並木を説得してくれと仁が土下座して頼み込んだシーンがあったからかもしれない。
「おしん」は全297話もあるドラマだが、その第1話は、たのくらスーパーの新店舗開店祝いにおしんが出席せず、家出する場面から始まる。おしんの失踪理由が明らかになるのは、終盤の第290話。ドラマの伏線回収が時代を経て行われることが多く、おしんの家出の理由も最終週で回収される最大級の伏線のひとつであった。この巧みな構成は、橋田壽賀子や演出家のすごさを感じさせるもので、まさに名作と呼ぶにふさわしいものである。
特に佐賀編では、あまりの過酷さに倍速で視聴したこともあったが、終盤に近づくにつれ、ポーズしてでもじっくりと次の展開を予想しながら見入っていた。
第1話から第3話にかけては、おしんが並木商店の大旦那に恩義を感じていたため、新規スーパーの出店に反対していたことが示唆されていた。そのため、多くの視聴者はおしんが息子の恩知らずな商売拡大に恥じて家出したと理解していたはずである。ぢかし終盤になってその真の理由が明かされるという展開が待っていたのは正直、超絶長い伏線回収である。
実際には、おしんは失踪直前に浩太を訪れ、仁の事業拡大による不義理を詫びていた。その際、聞かされたのが大手スーパーの進出についての話である。並木商店の大手への売却は、並木商店の生き残り策であり、たのくらへの防衛策でもあった。おしんはすべてを理解したうえで、浩太に対して大手スーパーへの土地売却を進めるように頼んでいたのである。
その後、おしんが戻ってきた際も、並木はまだ売却を逡巡していた。仁はおしんに土下座して、まだ間に合う、並木を説得してくれと頼んだが、おしんは改めて浩太に売却を進めるよう頼むのである。おしん厳しすぎるだろ。
おしんは大手の進出によってたのくらの事業が立ち行かなくなることはわかっていたが、ひととしての恩義を忘れ、家族を顧みず金儲けに走ってきた田倉家の再生のために、そして恩人の浩太の一家のためにも並木の土地の大手売却への契約を進めてくれと願い出る。相変わらずおしんさんは厳しいお人だと微笑む浩太は、ついに売却を決意する。
仁は、母のおしんが交渉に失敗したと思い込み、失望して母を責める。妻の道子も、夫に失望し、ついには離婚を宣言する始末。家族の崩壊が進む中で、おしんはその様子を静かに見守ってゆく。
おしんは仁に、離婚を再考するよう促し、仁はようやく家族の大切さを思い出す。この姿は、かつて佐賀で竜三を立ち直らせるために試みたおしんの姿と重なる。仁と竜三は、いずれも実家の甘えを捨てきれずにいた共通点があった。おしんは仁の田倉商店を倒産させてでもその甘さを排除しようとしていたのである。
事業整理のため自宅売却を進め、引っ越しの準備のさなか、家族は徐々に絆を取り戻してゆく姿は橋田壽賀子の夢の世界なのかもしれない(正直、ここはちょっとうーんと思うところはあるが)。しかしこれが橋田ドラマ流の大団円なのだろう。
前述したように、田倉商店は浩太によって救済される。というより人の縁によって救われる。それはまさにおしんが商売において大切にしてきた価値観なのである。しかしそれは、全297話、一年近く放送してきたおしんのドラマの終盤最終話、終了わずか10分前の出来事である。すごい。
橋田壽賀子がこの物語を書き始めた理由は、バブル経済前夜にあった80年代の人々が、お金儲けに走り、大切なものを見失っているのではないか、という思いからであった。物語のラストにはそのメッセージが強く反映されている。
竜三と息子の仁は、おしんから見て「甘い」性格であり、竜三は何かと佐賀の実家に頼るところがあった。しかし、竜三が「俺についてこい、命を懸けて大きな仕事をするんだ」と前に進もうとする時の屈託のない笑顔を、おしんはたまらなく愛していたのだろう。
竜三が敗戦時に自決した際、おしんはその死を「立派だ」と称した。今回全篇通してみる前は、残された家族を顧みない自殺は自分勝手で情けないものだと思っていたものの、物語全体を通じて竜三の死に対するおしんの思いが腑に落ちる瞬間があった。
私は後悔しているんじゃないよ。私は私なりに信じて戦争にも協力してきた。軍のおかげで初めて仕事らしい仕事もさせてもらった。男として存分のことしてきたんだ。むしろ精一杯生きられたことをありがたいと感謝しているよ。ただ、ひとは私の生き方を間違っていたというだろう。私は軍と手を結んで仕事をしてきた。隣組の組長として戦争への協力も押し付けてきた。私の勧めで志願兵として少年航空隊に入った少年もいる。その中にはもう帰ってこない少年もいた。国債だって随分買わせてしまった。それも今となっては反故だ。私が無視する事だってできたんだ。だが私はそれをしなかった。もちろん私には私の信念があってやった事だ。それを悔いる気持ちは全くない。しかし戦争に協力して罪もない人たちを不幸に陥れてしまった責任は消えやしないんだ!
これが自殺直前の竜三のつぶやきである。竜三の言葉のなかに隣組という言葉が出てくる。
明治から終戦にかけての日本は、天皇を頂点とした「家制度」を仮構し、その枠組みの中で国民国家が成り立っていた。この「家」の概念は、戦時中には配給制や隣組といった組織を通じて等しく苦労するフィクションを生み出し、社会の不平等を覆い隠していた。田倉家もその影響を受け、軍部からの委託で工場を経営していたが、周囲からは「軍と結びついて甘い汁を吸っている」と陰口を叩かれていた。仁がある日突然、少年航空隊に志願した背景には、そうした噂への嫌悪感があったのかもしれない。
その後、仁は終戦の日も戻っては来なかった。田倉家では仁は戦死したものと想像していたのである。
日本が「ひとつの家」として観念された時代において、家族を守ることと国を守ることは同義であった。竜三にとって、隣組の子供たちの死や戦争の責任を負うことは、家制度の枠組みの中で重要な役割であっただろう。彼が自決した理由も、家制度に基づく責任感から来ていたのである。おしんが竜三の死を「立派だ」と称したのは、竜三が自らの信念に従い、天皇を頂点とした「家」への責任を全うしたと理解したからかもしれない。
語弊を承知でいえば、竜三の自決は、個人としての責任を取る行為であり、家制度における「切腹」にも通じる感覚だったと言える。
おしんが育った山形の貧困農家では、口減らしが普通だったし、姉のはるが死んでも母が死んでもまともに葬式もできない窮状だった。女性を犠牲にして平気な顔してきた作造も長男の庄司があまりにもひどかったことを思い出すと、隣組の責任を感じて自殺するなんて、むしろ立派なことに思えてくる。
しかし、どうだろうか。
竜三のこれまでの数々の挫折経験のように、ふるさとの太い実家に戻るというような、逃げ道はなかったのだろうか。しかし思えば伊勢にきて魚屋になった頃からの20年間、竜三は佐賀の実家へ依存する思いがほとんど消え去っていたように思う。竜三の佐賀依存が消えていったことはおしんにとってはうれしいことでもあった。
禎の疎開のときですら、佐賀疎開という選択肢は排除された。疎開先で虐待され逃げ帰ってきた禎をみたときには、さすがに佐賀という選択肢はあってもよかったと思うが。竜三はそれもしかなった。
太い実家をあてにしない、それはおしんが望んでいた竜三の自立の証でもあったはず。竜三は魚屋からの次のステップとして伊勢で軍の納入業者になることに挑戦した。そしてようやく家族を養う自信が付き始めた頃のこと、おしんは竜三が佐賀の実家を頼らず、雄、仁、禎、希望、初子の5人の子供のために大きな仕事に夢を託していると思うとたまらなくいとおしくなった、とナレーションが述懐している。
しかし、竜三が太い実家という表象の代替として知らず知らずのうちに依存していたのは、天皇を頂点とする日本国という「巨大な家」だったのである。
おしん自身は、国家という家のフィクションを完全には信じてはいなかったが、なんとなく空気には流されていた。しかし竜三は深く信じていた。信じていた以上、潔くその家の責任を取ったということだ、おしんはそう理解したのだろう。そうであれば、軽々しく天皇制などというフィクションを捨て戦前の考え方などなかったかのように、これからは自由な社会だ、などとふるまうことはズルいことだと思ったかもしれない。しかし、国が家族であるという考え方を捨てさえできれば、なんだったら太い実家に戻ってもいいのだ。しかし竜三はそれを逃げ場にはしなかった。だから立派だといったのではないだろうか。
敗戦直後の225話では、父と兄を失った仁の感慨として、潔く死を選ぶか女々しく図太くたくましく生き残るかの二者択一として人生観が総括されてゆく。その後の長い戦後の物語では、昭和58年、物語の終盤に至るまで、たびたび竜三と雄の仏壇に手を合わせるシーンが出てくる。これも地味だけど見逃せない。おしんが田倉竜三への思いを忘れずにいるという、竜三への愛と敬意がここに見て取れる。かつて伊勢の海岸で、逃げようとする竜三をタックルをしてでも捕まえたおしんの心情がオーバーラップしてくる。
ちなみに、この竜三の自決は、80年代90年代、翻訳、放送された海外ではどう受け止められたのだろうか。それはとても気になっている。
おしんのドラマは橋田寿賀子の反戦思想が色濃く反映しているといえるが、そのなかに侵略や植民地支配の反省という視点は希薄である。それは竜三の自決動機のなかでも軍部に寄り添い、同胞を死に追いやった責任は感じても、侵略に手を貸した自画像はみえてこない。しかし、植民地支配への反省についてはそれ自体は動機にはなっていないものの、それにつながりうるイエ観念を読み取れるように感じた。隣組を他人ごととしてとらえていたのであれば、竜三の自決はなかったはずである。そうであれば拡大されたイエ観念により実効支配された地域に考えが及んでもおかしくはない。実際にはそこまで思いは至らずに死んでしまうのだが。
同じ昭和時代の作品である五木寛之の「青春の門」では、筑豊炭田で差別的な扱いを受ける朝鮮人労働者が大きなテーマとして描かれている。石炭鉱業会社の経営者が、朝鮮人労働者たちから待遇改善を求められた際、「他の山は知らんが、生きるも死ぬも一緒に炭を掘ってきた家族同然だ。私が親でお前たちは子供だ」と言い返すシーンがある。
この台詞は、日本を親、植民地を子と見立てる当時の日本人の感覚を象徴している。家族になることで遠慮がなくなり、苦労を強いても平気になるという現象は、まさに家族観の持つ影の部分を示している。(ちなみに映画「青春の門」筑豊編1980年で経営者と交渉した朝鮮人労働者リーダー役を演じた渡瀬恒彦は、おしんでは浩太役を演じている。)
この真理を見事に表現しているのが、初子の存在である。八紘一宇における植民地と田倉家における養子初子は入れ子構造なのである。初子の境遇は、創氏改名を強いられ皇民化の果てに敗戦を迎えた朝鮮民族の運命と二重写しに見える。植民地をいかにわが子供のように見立てようともいざ状況が変わればあっさりと切り捨てられてしまう。
初子の抱えていた不安というのはまさにそういうものだった。おしんの長男・雄の戦死を契機に山形へ帰郷するよう初子に伝えたおしんの行動は田倉家以外に居場所のなかった初子にとって残酷なものであったといえよう。自殺を思いとどまり、米軍相手の娼婦となった初子は誰にも消息を知らせないまま、3年もの間、田倉家に送金を続けていた。おしんの言動は初子を養女とみていたとはいえない一方、初子は養女としての行動をとっていたのがいじらしく泣ける場面である。
まるて植民地支配は悪くないって言いたそうだな
こういう人は出てくると思いました。しかし考えてみてください。元増田さんの主張には誤りがあります。
"物欲も性欲も抱くこと自体はコントロールできないが、そこから犯罪という手段で解決しようとすることをコントロールしている"という元増田さんの主張には同意します。
現在の社会通念上、物欲そのものが気持ち悪いとは見做されてはいません。
一方で、"気のない相手から恋愛感情を抱かれたり欲情されたりすること自体が気持ち悪い"と考えている人は多数います。
つまり、物欲を持つ内心の自由は他者の人権を侵害していませんが、性欲を持つ内心の自由そのものが相手の幸福追求権を侵害することはあります。
こういうことを言うと"いや、内心の自由は絶対に保護される"と言うかもしれません。しかし、憲法にそのように明記されているわけではありません。あくまでそのように解釈されているだけです。
つまり、"内心の自由は絶対に保護される"というのは"自衛隊は憲法9条に違反していない"や"死刑は憲法36条の定める残虐な刑罰に該当しない"と同様に解釈にすぎないのです。
将来、"性欲を持つ内心の自由そのものが相手の幸福追求権を侵害しているから性欲を持つ内心の自由は公共の福祉に基づき規制される"という解釈になる可能性も十分にあります。
Ⅱ.そもそも全ての人の内心の自由を保護することが人類の幸福や発展に繋がるかを思考停止せずに考えるべき
性欲そのものが理性でコントロールできないならば強制的に薬で抑えろという主張は、「『性的なことを考える』という内心の自由そのものを奪え」と主張しているのと同じであり断じて認められない。
しかし、私がⅠで書いたことが成立しないとしても、元増田さんは"内心の自由だから守らなければならない"というところで思考停止しています。
そもそも、内心の自由を含めた基本的人権は決して自明のことではありません。トマス・ジェファーソンは自明のことであると主張するかもしれませんが、そのように主張したジェファーソン自身が奴隷を所有していたことからも決して自明ではないことが明らかです。
当初は"白人男性は自由・財産・生命などの権利を持つべきである。そのように設定することが人類の幸福につながる"と考えられ、それが”女性を含む白人は”となり、やがて”全ての人は”へと発展していったのが20世紀までの人権の歴史です。
しかし、全ての人に基本的人権を設定することで人類は本当に幸福になり発展してきたのでしょうか。私にはそれは自明のことであるとは考えません。
むろん、"フルスペックの人権を持つ人と持たない人がいる"という考えが差別や奴隷制や植民地支配を生んできたことは確かです。しかしながら、それは人類が"フルスペックの人権を持つ人と持たない人の区別"を自分に都合よく設定してきたからである可能性もあります。
たとえばAIに評価させることなどにより、"フルスペックの人権を持つ人と持たない人"を中立的かつ人類の幸福と発展のために区別できるようになるかもしれません。そのようなことも元増田さんには考えてみて欲しいです。