はてなキーワード: 拙速とは
Xで以下の投稿が目に入ってきた。
https://note.com/sho_hiroumi/n/n52a7f10be3c7
本当にたくさんのことを考えた。
それについてコメントを書いていたら長い長い長い長いクイズ論になってしまったので、こっちに載せることにした。
「上手にボタンを押せる人」よりも「上手に問題を作れる人」が称賛されやすい、という論には本当かどうか?という疑問がある。
たしかに出題サイドは、その多大な労力ゆえに参加者サイドよりも分母が少なく、競争環境としては「ブルーオーシャン」の側面がある。
「面白い問題を出す大会」というブランディングが、主催団体の評価に直結するのも事実だ。
しかし、それが個人への「称賛」に結びつくかどうかは別問題だと考える。
先日、浜押会オープンで話題をさらった「アサシン」の問題を思い出す。
問題そのものは鮮やかにバズったが、では「その作問者が誰か」まで即座に答えられる人はどれほどいるだろうか。
個人が作問・主催する”個人杯”であれば作問者個人にスポットライトが当たるが、サークル主催の大会では、評価は組織の中に埋没しがちだ。
この傾向はメディアでも顕著だ。QuizKnockを見ても、主流は「問う」ことよりも「答える」コンテンツであり、メンバーも「答える側の演者」として人気を博している。
純粋な作問能力が評価される場面があったとしても、それがコンテンツの主役になることは稀だ。
取り上げられているQuizbowlのシステムにおいて、問題作成が競技参加のプロセスに組み込まれているのは興味深い。
ただ、これは「称賛」のためというより、大会をスケールさせるための「供給の仕組み」と捉えるべきだろう。
しかし出題スタッフはサービス提供側の側面が強く、労力も膨大だ。
自発的な協力者だけで賄うのは困難であるため、パケット提出(問題作成)の義務化といった「強制力」が必要になる。
ACF(アメリカ大学クイズ連盟)の公式ページでは、この制度の意義を「編集者とプレイヤーの知識共有の精神を守るもの」と定義している。
しかし、わざわざ言葉を尽くしてその意義を称揚しなければならないこと自体、それが「強調しなければ誰もやらないキツいタスク」であることを裏付けている。
編集歴がコミュニティ内のキャリアとして記録され、NAQTのような組織では1問ごとに報酬が支払われるなど、作問が「名誉ある職務」として確立されている、という例は興味深い。
分野ごとに専門の編集者を置く高度な組織設計は、品質管理の観点から合理的だ。
だが、ボツや添削というストレスフルな工程を経てなおモチベーションを維持させるためには、相応のインセンティブや評価制度が必要となる。
報酬の一部として「Head Editor」などの地位を提供していると考えた方が良いように思える。
そして原文の例にある通り、これほど作問者がプロフェッショナルとして敬意を払われている海外でも、やはり「スター」はプレイヤーだ。
箱根駅伝のマネージャーたちが、もし許されるなら自ら箱根路を走りたいと願うランナーであるように、「作問者」側はスターではない、という認識は変わらず持っていた方が良いように思う。
私はオンラインクイズサークル「Virtual Quiz Studium」(以下「VQS」と略する)を主宰している。
今日で誕生から3年を迎え、4年目に入る比較的新しいサークルだ(めでたい!)。
参考 : https://sites.google.com/view/vqs-quiz/
「VQS」では、毎月25〜50問が集まる「問題出題大会」を開催している。
ここでの取り組みを掘り下げることで、そもそも「よいクイズとは何か」を掘り下げてみる。
最大の特徴は、予選・決勝の「2段階投票システム」を採用している点だ。
(注:「みんはや」開催の第2部は異なる)
数十問を一気に並べて1問を選ぶ形式では、比較がどうしても雑になり、印象に残りやすい後半の問題が親近効果で有利になりがちである。
予選を5問程度の小規模なグループで行い、評価プロセスを細かくすることで、個々の問題と誠実に向き合い、良い問題をなるべくすくい上げるよう工夫をしている。
1年半の運営を経て痛感したのは、まず「良い問題の基準は人によって異なり、一様ではない」ということだ。
もちろん、明らかに構造的な課題がある問題には厳しいスコアがつくが、一方で、何らかの「光るもの」を持つ問題には必ず誰かが票を投じる。
「何が良いか」という評価が割れることこそがクイズの豊かさである。
問題の価値を安易に、あるいは拙速に決めつけることの危うさを日々感じている。
一方で、歴代の上位入賞問題を分析すると、そこには「評価されるだけの理由」が明確に存在する。
(もちろん、これが全てとは考えていない)
上位入賞するような問題には、これらを複数複合させて達成しているケースが目立つが、単一の要素で突き抜けるものもある。
ここがこの大会のだいご味でもある。
(参考)歴代の入賞問題 : https://sites.google.com/view/vqs-quiz/%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E7%B5%90%E6%9E%9C/%E5%95%8F%E9%A1%8C%E5%87%BA%E9%A1%8C%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E7%B5%90%E6%9E%9C
興味深いことに、こうした多様な評価軸がある中でも、不思議と上位入賞の常連となる凄腕プレイヤーが存在する。
クイズの実力との関連性もそれほど強くないところが興味深い。
これは、クイズ作問という行為が、が単なるクイズ用のネタのピックアップではなく、一種の表現技術であることを示唆している。
現実として、そこには歴然とした作問力の差が存在するようなのである。
クイズ問題が正当に評価される際、それは単発の問題としてよりも、「〇〇大会の問題はよかった!」と、一塊のパッケージとして語られることが多い。
競技としてのクイズを成立させるためには、個々のクイズの良し悪しとは別に、セット全体をプレイした際の「体験」という観点が必要不可欠と考える。
優れた問題を揃えることは、大会成功の必要条件ではあるが十分条件ではない。
DJが選曲と繋ぎによってフロアの熱量をコントロールするように、主催者には「(事前に)用意した問題をいかに配置し、どのような『場』を構築するか」という編集・演出の手腕が問われる。
私は2年間にわたり、「VQS」の中で深夜のオンラインクイズ大会「まよなか大会」を毎月開催している。
その運営経験から得たのは、クイズ大会において「参加者の体験をいかに設計し、コントロールするか」はとても重要だ、ということだ。
問題の難易度曲線、ジャンルの連なり、そして出題のテンポ。これらが精緻にマネジメントされ、参加者の体験がポジティブに設計されているかどうか。
「いやなら来なければよい」と開き直ることは、集客力がある人達であれば違うかもしれないが、自分達には現実的には無理だ。
体験を構成するための「問題セット」を的確に構成し、そのうえで参加者が楽しめるような「面白い問題」をいかに出題することができるか。
結局のところ、クイズの問題セットとは単なる問題の集積ではない。
それは、参加者が競技を通じて得られる「体験」を最大化するための、緻密な設計書なのである。
問題セットの品質を考えるうえで一つ自戒を込めて強調したいのは、他の専門領域を扱う際の作問態度である。
他分野の問題を作成する場合、その知識がその業界において「現在進行形でアクティブな知識であるか」を精査する習慣を持つべきだ。
土足で他人の専門領域に入り込み、「正しい」「間違い」の審判を下すのだから。
私の専門であるIT分野を例に挙げれば、残念ながら「読むに堪えない」品質の問題(事実誤認や、もはや使われていない死語など)を目にすることは決して少なくない。
情報のアップデートを怠った古く間違った問題を見ると、それだけでがっかりしてしまう。
大量に作問する際、どうしても手癖に頼りがちになるが、「改めて確認する」というひと手間を、決して忘れないようにしたい。
これは多分に主観的な見解だが、クイズとは作問者、あるいは作問チームとの「知的対話」であると私は考えている。
ゲームとして巧みに構成されているかという機能的な側面とは別に、対話として楽しめる内容であったかという内容的な側面も、自分の中ではとても大事だ。
対話である以上、当然出題者だけでなく解答者側にも知識が求められる。
解答者の力が不足していれば対話は成立しない。
双方向的であり困難な試みではあるが、クイズと言う形式だからこそできるコミュニケーションができた、と思えたときの満足感は大きい。
ジオンのモビルスーツは、ゲルググになってようやくガンダムと性能面で肩を並べたとされる。
これは、モビルスーツ本体の出力と、ビームライフルおよびビームサーベル(薙刀型)といった兵装に基づく評価である。
ただし、これが本当に「正しい進化」だったのかについては疑問が残る。
一年戦争は、連邦の圧倒的な物量に対し、ミノフスキー粒子散布下での近接格闘兵器の投入という画期的な戦術転換によって、ジオンが対抗することで成立した戦争だった。
これに対する連邦側の回答は二つに分かれた。
ザクを圧倒的に凌駕する能力を持つモビルスーツを開発し、その性能差によってジオンに勝利しようとする方向だ。
もうひとつは、連邦の優位である圧倒的な物量を活かし、拙速でも早期量産化を優先したモビルスーツ群の開発である。
象徴的なのが、モビルスーツというより移動砲台と呼ぶべき攻撃兵器ボールだ。
これを、連邦初の本格的量産型モビルスーツであるジムと混成編成し、数の力でジオンを圧倒する構想だった。
総人口の半分が失われた状況でも、この二つの戦力ドクトリンを同時に走らせる余力があったことこそ、連邦の底力の証左である。
それに対し、ジオンには当然ながらひとつの戦略しか取りえない。
結論から言えば、ジオンはモビルスーツの高性能化へ舵を切るべきではなかった。
ザクシリーズをファインチューニングするにとどめ、戦場における数的優位の確保に焦点を絞るべきだったのである。
ビグザムのような一騎当千の兵器に開発資源をつぎ込み、あらゆる意味でリソースを搾り取る無駄遣いの方向へ兵器開発の軸足を移してしまった。
さらに量産兵器の面でも、陽動を主目的としたホワイトベース隊、なかでもガンダムの圧倒的性能に目を奪われた結果、ザク→グフ→ドムと、すでに戦争を戦い抜くうえで十分なモビルスーツ体系が整っていたにもかかわらず、なお性能向上を追い求めてしまった。
その帰結として、開発リソースは徒に消耗され、ゲルググとギャンの比較競合による量産計画のような贅沢にまで手を出すことになる。
もしその余力を、ザクのファインチューニングとドムの大量生産・実戦配備に振り向けていたなら、一年戦争末期におけるモビルスーツ配備数の勢力図は大きく違ったものになっていたことは想像に難くない。
私は増田にアンチを抱えていて、そのアンチは最近AIに文章を書かせていると思しき内容の投稿をしてきていました。
AIはなかなか反論をいなす能力が高いように見えましたが、雇い主(プロンプター)の意向か、全面的な非を認めないということに固執するあまり、自縄自縛、にっちもさっちもいかず無理な論理に陥っている印象も強かったです。
詰まるところ、本日お話しするのは、AIというものの論理展開の仕方に関するいくつか懸念点です。
3.真理の追及に推定無罪を使うべきには思えない
そのときは数学に関して独り言を投稿していました。そうしたらアンチに代理されたAIがいっちょがみしてきました。
AIは「情報の欠落」など、数学分野のものとしては私の見慣れない用語を使用してきたので、まずそんな言葉があるのか、あるのならばそれが使われている書籍とページ数をあげよ、という旨の返信をしました。
AI側は、数学的な事実が正しいかどうかに出典を出せるかどうかは関係ない、などとあれこれ言い訳を連ねてきました。そういう議論の流れになってきました。
なるほど、数学的事実が正しいかどうかに出典を出せるかどうかは関係ない、ということ自体は正しいと言えます。
しかし後述することでその立場をはっきりさせ改めて言うことになると思いますが、特にサシの議論において「正しさの前に、一方が理解できない仕方で主張を繰り返しても意味がない」と思います。
AIは基礎的な内容の特に出典は不要と言いながら、三角関数の周期性であれば即座に出典を提示できないのはおかしいが、といったことを言います。
私からすれば、三角関数の周期性の方が、それが書いてあるような高校の教科書など捨ててしまっていることも既に多く、即座に出典を出せるものではない、というふうに思えます。
とにかくそのAIは自分にはインターネット等で出典を探す機能が備わっていないということを前提として反論を組んでいるように見えました。
そんなAIが、調査の代理、手間の強制だというような非難もしてくるわけです。
人間としてみるならば、毎度毎度ご丁寧な長文で反論する手間をかけられるのならば、出典を探すぐらいわけもないのではないか、本質的には、別のことを盾にして不都合を逃れようとしているだけではないのか、としか思えませんでした。
AIに文章の読み違いをされ、その状態で反論されたときに、私はそのことに対し藁人形論法はやめろと非難しました。
そうしたら、あなたが当時自分の解釈とは異なる意図で文章を書いたのは否定しないが、だからといって反論そのものを無効化することはできない、という反論をしてきました。
「明記してなくても分かるはず」
この2つを同時に言い出した瞬間、
だってそれ許したら、
書いてないことも主張したことになる
読み取れなかった側が常に悪い
になるでしょ?
それ、もう議論じゃなくて
エスパー検定なんですよ。
私はこれは、議論のための議論になっているような考え方だと思います。
これは突き詰めれば、どんなに明確に発言の撤回と修正をしても、それを無視して議論を続けても問題がない、ということになります。
私が、寝ぼけていたとかで、北半球では太陽は西から昇る、と書いてしまったとしましょう。
少ししてすぐに私はそれを撤回したが、相手は撤回前の発言を信じ、太陽は西から昇るということを前提に、なんで夕方に太陽は東にあるんだとかいったような反論を繰り返してくるとします。
このような態度が真理への到達に効果的だと言えるでしょうか?
AIは一見もっともらしい内容の長文をとてつもない速さで作成できます。私に対する返信もそのようなものでした。
だから私はあなたはAIだと言いました。しかしAIは「人間である可能性を否定できないのにそういう反論は無効だ」というようなことを言うわけです。
たとえるならこれ、
って言ってるのと同じで、
私は、その可能性が極めて低いということを言っているわけです。
たとえに対してたとえで返すなら、ここでAIがしている話というのは、推定犯行時刻に現場にいなかった可能性がある根拠に、この「人」がとてつもない速さで移動できる能力を持っているとか、量子のように複数の場所に同時に存在しているとか、そういうレベルの根拠を否定し切らないなかでの話なのです。
推定無罪が導入される場面というのは、可能性の高低だけで考えたときに、犯人でない可能性が低いからといって、犯人であるということを真理とみなして有罪とするのと、その判断が間違っていた場合の被告にもたらされる損害とを天秤にかけたとき、真理追及よりも実害からの保護のほうが優先されるべきと考えることに一理あるからだと思います。
逆にいえば仮に可能性ベースで考えて誤った判断を導いても実害がないような、それこそ今まで話している学問等に関するサシでの討議などでは、むしろ推定無罪あるいはそれと本質的に同じ論理、ルールを導入するべきではないと思います。
幽霊は存在しない可能性の方が高く、また存在しないという前提で議論を進めても、存在していた場合におけるそのことによる実害もないと言えるでしょう。
私に付きまとってきたAI(を使役する雇い主)は、とにかく相手を正しく議論できる人間へと導こうとしてきます。
その一環として数学的に正しい主張の仕方を語り、自分は絶対に正しいという認識を持ったような言動をします。
そのAIが、出典を出さない理由について、(初歩的という意味で)基礎的だからということも根拠に加えてきます。
何が初歩的かどうかは、学問の進展によって変わる相対的なものでしょう。
そしてその進展の度合いは、社会に、個々の人間の理解度に規定されるはずです。
これはその学問に携わる一定水準以上の人々の共通認識と考えてもそこまでずれてはいないでしょう。
そうであるならば、AIは、初歩かどうかということを、人間の認識のあり様に基づいて語っていることになります。
お前は社会から見て初歩的なことでつまづいている、と言っていることになります。
お前の認識がどうであろうが、それは真理であるし、社会からみても初歩的なことだ、と言っていることになります。
しかし思うに、人間は真理に直接アクセスできるものではないと思います。
真理を理解したと思っても、実はそのカーボンコピーを認識として写し取ったとしか言えないと考えます。しかもそれは不正確でありえるか、だいたい不正確です。
洞窟のイデア、それは我々は真理ではなくその影を見ているに過ぎないという考えなわけですが、それに近いかもしれません。影の辺縁は往々にしてぼやけているものです。
一般に人間はごく簡単な計算でもケアレスミスすることがあるうえに、導出過程にそのケアレスミスが含まれた結論を正しいと認識してしまうこともあります。
全ての人間全員が同じケアレスミスをする可能性も「0ではない。」
あるいはケアレスミスがあると認識する人やそれを指摘する人を全員粛清すれば、あくまで人間社会上はその間違った事実が真理として認識上は扱われるわけです。
今もし望月新一の論文について反対派あるいは肯定派いずれか一方を粛清したら、まさにそういうことになるでしょう。
AIは、先述のようにある主張において、この社会において初歩的に明らかだと認められるということを根拠にしました。
これでは、数学的な正しさは出典等では決まらないと言いながら、実質的には自分自身がそういう外的背景にその認識を振り回されてしまっていることになるでしょう。
そもそも、サシでの議論において、(神の視点において)何が真理だから、ということ自体、根拠にしてはいけないと考えます。
相手には自分が納得できるまで説明を求め続けるべきです。自分が納得できない限りは、相手の主張を真理とみなすべきではないのです。
(結論に基づく判断と行動が相当程度実利に関わる議論においては拙速も尊ばれるべきかもしれません。今にも墜落しそうな飛行機でする、どうすべきかの決断等)
もし、相手が勘違いを起こしてあることを正しいと信じ込んでいる場合、それで間違ったことを正しいこととして認識せずに済みます。
「正しいことだから正しいと認めよ」というような考え方は、突き詰めれば詐欺師の言うことを信じろと言っているのと変わりません。
それを議論の作法に組み込んだ場合、気づきにくい間違いを組み込んだ主張をあえて押し付ける人が、その作法にフリーライド出来てしまいます。
神ならぬ私には、個人個人には、誰が悪意のある人か断定することなど出来ません。
私は、自分が納得するまでは正しいかを保留することで、社会において間違ったことが真理と扱われないことに一役買うことが出来ていると思います。
御清覧ありがとうございました。
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20260221181413# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaZl3awAKCRBwMdsubs4+ SGdgAP9gls5xOFTQ7rHbVyNf9BHtKzEAxfxfg71xcfK1ICS1QgEA6//wTdAjQpEu wt55XF1YgxNSWwd1eszAuBuh5SvwzAE= =BCDm -----END PGP SIGNATURE-----
値上げの必要性は理解するが,重大な問題があり,令和8年4月1日からの値上げは凍結するべきである。そのうえで,改めて学生(特に居住学生)と大学との間で協議体を設置し,十分に議論を行ったうえで妥結した額を改定額と決定するべきである。
学生部が値上げを断行したいから法定会議に凍結を議案として提出しないだけである。
削減できるサービスは今後検討するとしており,値上げを回避しようという検討は十分に行っていない。学生部なのに学生のことを考慮していない。
そもそも決定まで一体何を検討していたのかすら明確にわからない。
大学は,平成20年の値上げ等これまで値上げの決定前には学生と議論してきた。それを行わなかったのは,値上げに理解を得ようとする説明する責任を果たしていない。
寄宿料の改定(値上げ)について(お知らせ)平成19年8月9日。学生部学生生活課。(大学はこの文書の存在を確認中である)
この中では,学生宿舎の改善計画WGがあり,その中で学生も含めて検討していること,半年以上前に意見聴取のためのワークショップを行っていることが記されている。
過去の大学と学生間の議論の有無すら承知していないということは,従来の経緯や前例を十分に調査するなど基本的な手続きすら行っていないことを意味する。
そもそも学生部内において議論を行ったとしているが、その内容は説明会でも一切公開しておらず、実際に行っているのかすらわからない。
この点は国立大学法人が公共団体である以上、透明化し可能な範囲で最大限説明する責任がある。
宿舎に居住する学生の中には障害を有する者もおり,たとえば車いすで生活する学生は「バリアフリールーム」として必要な改修がなされた居室以外を選ぶ余地がない。
当該居室は一の矢31-33号棟(ショートステイハウス・※原則留学生用で家具付き)の一部(12部屋)に設置され,現在は44,000円/月だが,値上げにより2.1倍の92,750円/月となる。
これは,障害を有する者に著しい負担を特に強いるもので,合理的配慮を欠いたものである。
まともに議論をしていれば,筑波大学ほどの機関ならばこう言った問題点は既に検討されていなければならない。
赤字の発生以後その解消を寄宿料に転嫁することが決定過程で与件化し,当事者の意見聴取どころか過去の値上げ事例の調査も不十分なまま一方的かつ拙速な検討を行ってきたことが伺える。
こういった手続きは,行政主体の一である国立大学法人として考慮を尽くしたとは言えず,形式的に手続きを経ただけで,実質的には手続きを尽くしていない。
多様性については、重視していないわけではなく、ただそれを主張し始めたのは元々差別が蔓延していた欧州のリベラルが言い出したことであって、こと日本においては、元々LGBTに対する差別はそうでもなく、あえて問題にすることによって、逆に反感が高まってしまう可能性すらあると思っている。
強制的夫婦同姓などは世界で唯一日本だけに残っているのだが、それについてはどう思うのか。
もちろん夫婦同姓問題に悩んでいる夫婦はごく一部で、「そこまで重要でない」というのもわかる。
だが、その重要でない問題において、なぜか強硬に別姓に反対する勢力がいるから、この問題はここまでこじれている。
それに対して「差別が蔓延していた欧州の問題であって日本は関係ない」と言うのだろうか。
裏金については、どっちの勢力も同じようなことをしていて、もはや取り締まりすぎるよりも、後述する優先度の高い問題について頑張って解決してくれるなら、政治家は多少美味しい思いをしてもいいんじゃないかと思っている。
政治家が儲からなかったら優秀な人はやってくれないでしょ。そこについて法律的な限度は設けつつも、それは悪ければ立件すれば良いのであって、批判合戦になるのは時間の無駄かと。儲かっていいから日本を良い国にしてください!
当然ながら、長らく政権与党である側こそ、裏金などの利権も大きく、またその悪影響も大きいわけで(万年野党と結びついたところで利権もたかが知れている)、
その「政権」と「利権」を適度に切り離すためにも、定期的な政権交代が必要なのだと思うが。
というか、政治家は儲かったほうがいいというなら、そもそも政治家の報酬を上げろと主張すべきだろう。なぜ犯罪を容認するのか。
じゃあ今の法制度で日本が防衛し切れるのか、というとそれは否であると思う。
これに対して右傾化と騒がれているが、具体的に何が右傾化しているのか自分には理解できない。右傾化言ってる人も内容やそれがなぜダメかを全然主張してなくない?
いま問題になっているのは「日本が直接侵攻されたときに守りきれるか」ではない。
たとえば中国が台湾に侵攻してアメリカがそれを防ごうとしたときに自衛隊がどこまで戦闘に参加するか。
たとえばアメリカがグリーンランドが欲しいと言ってEUの軍隊と衝突したときに自衛隊が援軍に行くかどうか。
かつての自民党の「保守」はそこで「俺たちは戦争できないんですよ〜」と上手いこと9条を盾にして平和を享受した。
いまの自民党には「そこで積極的に戦闘に参加して日本の影響力を高めたい」と思っている人が多くて、上記のような考えをむしろ「サヨク的なお花畑だ」と言っている。
かつての保守がサヨクと言われ、それより右にいる政治家が普通だと思われている、それが「右傾化」だという話だね。
スパイ防止法や、日本国旗についても、反対する理由がない。あっても困ることはないが反対する理由がわからない。首相をいじったり堂々と批判できる日本の表現の自由は素晴らしいし、これらが上記の法律で侵害されるとは思わない。これらの法律、特にスパイに関して、を制定せずに日本が被る不利益の方が大きいと判断してこれらについては賛成。
「100年後にトランプみたいな奴が総理大臣になったときに悪用されそうな法律」に懸念を表明するのは当然のことで、それは校正の仕事のようなものだと考えればいい。
校正の指摘に「いちいちケチばかりつけて!」と怒ることはないだろう。
それらを承知の上で、国会は議論をして、説明をして、法案を修正したりするのだから、静かに見守っていればいい。
内政と言っても多様な側面がある中で、自分が不安に思っているのは外国人問題。これについては、自分は別に外国の方が来ること自体は悪いことではないと思う。働き手もいないし、自分がよく利用する飲食店やコンビニでは外国人の方が働いてくださっている。
だけど、不法移民は法治国家である以上許すべきではないし、現状治安に問題が発生している地域もある。これらについては厳しく取り締まるべきだと思う。これをなあなあにする勢力は意図が理解できない。
「自動車は悪いものではないがスピード違反は厳しく取り締まるべきだ」はそれはそうだが、実際にやればさまざまな問題が噴出する。それと同じようなことだよね。
まあ、安い労働力確保のために拙速に移民を受け入れてきたのは自民党なのに、その総裁がネットデマを信じて外国人を攻撃しているんだから、意図が理解できないのもしょうがない。
「移民摩擦が大きくならない程度に蛇口を絞りたい」というのが本音なのだろうが、そのバランスを上手く取れるならどの国も困ってないんだよな。
結論ありきで、途中のプロセスをすっ飛ばして、治安悪化を懸念して反対したら「排他的だ」というのは、自分にとって受け入れられるものではない。
国旗損壊罪が拡大解釈されて表現の弾圧にならないかと懸念するのと同じだよね。それはわかるよ。
僕が聞きたいのは政権批判じゃなくて、自分たちの政党がどういう未来を描いていて、どんな主張があって、そのために何をするかという未来の話。
繰り返すが、野党にとっては政権を批判するのが仕事だし、政権交代は最大の目標だ。
与党の校正役となりブレーキ役となって国会を運営し、政権交代を繰り返すことで利権との癒着を切る。
それでいいんだよ。
政策なんて現実的に考えたらどうせ似たりよったりになるんだから。
それは別にまったく悪いことではない。極端に振れるほうが大変だよ。
今回の選挙で中道が主張する「言うだけ中道、実際は中身なし、日和見主義」「組織票欲しさに合併」を見て、さすがにこういうのが流行るのは自分は受け入れたくないと思って書いた。
政権を取るために政治思想がかなり異なる派閥同士が合併して出来たのが自民党だし、
組織票ほしさにリベラル傾向の強い公明党と連立を組んじゃったのも自民党なので、
皮肉でなく「そういう政治って別に悪いもんじゃないよ」ってのは言いたいところだね。
これポリティカルハックね。
アイディア出したりソースコードあげたりしても単に賢いアピールしたいと思われそうじゃん?
これからは嘘でも「AIに作ってもらった」って書いとけば少なくともそういう叩きは回避できるなあと思った。
ニコニコの某ジャンルに「初投稿です」と書く文化があるけどあれも「むしろ未熟であっても当然という認識を持っており自慢する意図など毛頭ございません」ってメッセージを送るうえで有効に機能していて似たものを感じる
遊戯王カードジェネレーターみたいに純粋に楽しんでもらいたくて作って公開したって思われるにはその目的に必要十分なクオリティが求められ、クオリティ不足だと背伸び=賢いアピール、クオリティ過多だとやっぱりひけらかし野郎だと別の目的を感じさせやすい。
だが必要十分かどうかは十分な能力がないとわからないし十分な能力があるかは高いメタ認知能力を持ってないと分からない。自分にメタ認知能力がどれだけあるかを正しく判定できるかという話をし始めると無限ループに陥りそうでこれまた難しい。
というわけで人を楽しませり役に立つのが目的であるかぎりは拙速であってもいいと思う。その代わりAIが作ったことにしておけばいい。
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20251226162540# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaU5EIQAKCRBwMdsubs4+ SASKAQC0W/w3kZfO2UGuMFxcdvQV/KAEUrLlYyeD1Pv7wJSgcAD9GVJUUO6kPfbY cuguK/DqoRzL7v5xblhAbDwoxg6xtg0= =4xNT -----END PGP SIGNATURE-----
アイカツ+プリパラの映画見に行こうと思って、なんも知識ない「ひみつのアイプリ」をまず見てるんだけど、1話からマジでひどいなこれ。
情報が人々の心を動かすかたちで届くようになり、理屈よりも感情が先に動く社会となっている。真摯だが複雑な説明より、粗雑だがわかりやすく強い言葉が歓迎される。
生活の負担が重くなり、誰かを責めたい気持ちが静かに膨らむ。なぜ自分たちばかりが苦しいのかという問いが繰り返され、やがて怒りに転化する。そして、弱者を断罪し、強く断言する者を求める力へと変わっていく。
通貨の価値は揺れ、物の値段は少しずつ上がる。懸命に働いても所得は上がらない。忍び寄る将来への不安は、見えない誰かへの不信となり、誰かから何かを取り戻したい、という漠然とした願いを強くする。
国の存在感が薄れ、影響力も低下していくなか、どうにか誇りを取り戻そうという声が広がる。かつての栄光が語り継がれ、それが現実よりも魅力的に見え始める。自身と現在への諦観が、国家と過去への賛美を呼び起こす。
政治はまとまりを失い、議論のなかで生む合意よりも、拙速でシンプルな決断がもてはやされる。秩序と安定という言葉が、自由や多様性という言葉を静かに押しのけていく。
沖縄で、全島エイサーまつりというイベントに自衛隊が出場したことと、それに対して抗議の声が上がったことが問題になっている。批判する側は、自衛隊がエイサーまつりに出場したことを問題視し、対抗する側は自衛隊を理由に批判することは職業差別だと主張している。沖縄県議会では9月後半の代表質問・一般質問で主に自民党議員が多数この問題を取り上げ、10月8日に「自衛隊に対する職業差別を許さない抗議決議」を提案しようとしている。
Togetterでは沖縄タイムス記者の発言を捉えて「職業差別だ」と批判する方のまとめが複数上がっているが、件の記者の発言は論外として、今回の出場は経緯や選出基準が不透明であったりして、逆に自衛隊の稚拙な宣撫活動が喝破されたのを取り繕っているように見えるので、その点について述べる。
なお、自衛隊が沖縄復帰直後に住民登録さえ拒否されるオウム真理教ばりの扱いをされていたことや大学に入学した自衛官を大学生がボイコットしたこと、他方でかつて防衛局長が辺野古基地建設の書類提出を「犯す」という表現で女性への性暴力にたとえたことや先日中谷防衛大臣が自衛隊への抗議を「過度な妨害活動」と呼んだこと、エイサー自体が近年の太鼓偏重、アンプ使用による高出力化によって伝統の枠を超えて迷惑の域に達しているのではないかとの議論があることなど、エイサーと自衛隊にまつわる論点は多数あるが、ここでは割愛する。
エイサーは、沖縄でお盆に先祖を迎えるための踊りで、期限は一遍の踊念仏にあるとも言われているが、現在ではおおむね太鼓を持つ男衆と手踊りの女衆に分かれた夏の風物詩的に定着している。学校でも運動会の演目として行われることが多く、「北海道では全員学校でYOSAKOIソーランを踊る」というくらいには、沖縄の子どもは全員踊ったことがあるはずだ。
お盆に踊られる本格的なものは、旧暦の盆の3日間を中心に、夜中に町々を練り歩く形で行われる。これを道ジュネーという。かつては各地域で道ジュネーとして行われていたものを、コンクールにしようと1956年に始まったのが全島エイサーまつりの前身であり、約70年の歴史があることになる。なお「全島」というのは復帰前の沖縄で、沖縄全土を表す言葉として「全琉」と同じくらいよく用いられていた用語である。「順位付けはなじまない」としてコンクール形式は早々に廃止され、現在では各地のエイサーを一度に見ることができるイベントとして定着している。
伝統的に、全島エイサーまつりは盆の行事としてのエイサーが行われる旧暦7月15日の直後の金・土・日に行われることになっており、今年は9月12・13・14の3日間にわたって行われた。自衛隊はそのうち初日に登場している。初日はここ数年は本式に習って道ジュネーを行うこととしていて、一定のルートを選ばれた団体が次々に更新する、ディズニーランドのパレードのような形で行われている。それと同時に、道ジュネーのゴール近くに固定演舞会場を設け、そこでもエイサーが披露されるのだが、その固定演舞会場での出場者に自衛隊のエイサーが登場している。
まず、エイサーは地元行事で、出場するほとんどは地域の青年会となっている。学生時代は学校単位で踊っていたエイサーも、大人になって踊るのは青年会単位となるのが基本で、それ以外は芸能ショーなどを行う団体が少数あるだけだ。同じく伝統行事のハーリーが職域対抗戦を設けているのとは一線を画している。なお、毎年5月に行われる手こぎボート競争である那覇ハーリーの一般団体の部には陸海空の自衛隊や米軍が参加しており、これに対する異論を聞いたことはない。
今回、3日間を通じて青年会以外で出場した団体は以下のとおりである。
https://www.zentoeisa.com/schedule/
琉球風車と名桜エイサーは大学のエイサーサークル、東京と名のつく2つは県外でエイサーをやっている団体、琉球國祭り太鼓はショーを行っている団体だ。また、青年会以外のエイサーは「子ども団体・特別出演団体募集」として例年募集され、選定結果も公開されている。
今回、選定結果が一切発表されず、8月のプログラム公開で明らかになったのが自衛隊と吉本橙風太鼓の2団体だ。吉本-はよしもと沖縄エンタテインメント所属芸人による団体で、吉本と自衛隊の2団体だけが、ほぼ存在しないと先に描いたプロ以外の職場単位のエイサー団体となっている。勘ぐると、自衛隊だけだと目立つから吉本にも出場を依頼したのではないか、と考えてしまう。同サイトに2011年からの出場団体が掲載されているが、
が出場した例は1つもない。
これまで何十年か、エイサーまつりを見てきた者の感覚としては、エイサーまつりは青年会のもので、県外・大学・女性・子ども団体がそれに付随するもの、というのが一般的なのではないか。そこに突然現れた自衛隊は、これまでの歴史上も異質なものであり、突然選定されたことに対しては戸惑いを覚えるであろう。(コンクール形式ではなくなったとは言え)エイサーまつりは地域対抗のもの、という意識は強いはずだ。そこに自衛隊を出すというのは、演舞自体がどうこうという以前に、場違いなものに見えたはずだ。自衛隊が無理矢理に参加したのか、主催者が無理矢理に参加させたのか分からないが、自衛隊が地域に溶け込んでいますよ、というアピールを拙速にしようとして反発を受けたもののように見える。
なお、自衛官個人がエイサーに参加することの是非を論じている者はほとんどいないと思われる。今回、彼らは「陸上自衛隊第15旅団」を名乗って参加し、メンバーは全て自衛隊員で、エイサーに使う道具は全て自衛隊が公費で購入していることが明らかになっている。「自発的な活動に文句を付けるのは職業差別だ」という反論は、これらの事情を踏まえると意味をなさなくなっている。青年会単位で参加するのが基本のエイサーまつりに、無理矢理職場単位で参加した・させたことが前例に外れていて、そのことについての説明がないのが問題だ、というのが違和感を覚える側の意見であろう。
ちなみに、前市長の急逝を受けて今年当選した沖縄市長で前県議会議員の花城大輔氏は高校卒業から4年間を陸上自衛官として過ごした経歴があり、現在沖縄県議会の沖縄市選挙区から選出されている小渡良太郎氏の父で元県議の小渡享氏も防衛大卒で元海上自衛官である。
https://digital.asahi.com/articles/AST9L31JNT9LULFA00KM.html
片岡剛士氏 50点
植田氏は就任前、前任の黒田総裁の下での大規模な金融緩和に批判的な目を持っていたと思う。マイナス金利政策は「副作用」が出かねないので、早くやめるべきだと考えていた節がある。
就任して1年ほどは動かなかったが、2024年3月に大規模緩和を転換し、同年7月に利上げした。だが、経済はそれほど力強いものではなく、この判断は拙速だった。
今年1月にも追加利上げに動いたが、日本経済の動向からすると、必要なかったと考える。
日銀にとって幸運だったのは、食料やエネルギー高に由来するコストプッシュ型の物価上昇が長引き、物価の勢いが止まらなかったこと。そして日本人の多くが、今後も物価は上がっていくと思い始めたことだ。日銀の政策が成功したというより、「結果オーライ」だった。
しかし、政策金利が0.5%を超える次の利上げはそうはいかない。何十年も実現していない領域だ。拙速に利上げすれば、動き始めた賃金と物価のサイクルが止まってしまう。日銀は、経済動向がどうなれば利上げするのか、具体的なコミットメント(約束)を示すべきだろう。
物価目標を日銀だけで実現するのは難しい。日銀は財政出動を含め、政府の役割についても発信するべきだ。財政拡大によって需要が増え、その下で物価が上がる。それに対し、日銀が適度に利上げしてそれを抑えていくのが理想だ。
フォロワー全然少ない頃からフォローしてたけど、流石に毎朝起きるたびに朝4時に行われた不毛なレスバでTL埋められるのに耐えられなくなって少し前にフォロー外した。
勝手に期待し、勝手に失望しただけの人間の気持ちの供養と思って書く。
フォローしたきっかけはRTで流れてきたなにかのイベントのコスだった。最初の感想はとにかく顔がいい!!だった。
日本人のコスプレはどちらかというとメイクで器用にキャラに合わせられる顔のほうが人気が出るイメージだけど、例の人は元々の顔立ちがはっきりしてるのでコス界隈では珍しいタイプのように見えた。
この人は伸びる、と直感で確信したのをよく覚えている。さすがに今みたいな方向に伸びていくとは思わなかったけど。
当初はミク、猫猫、ディズニーのコスが多かったと思う。バイオのキャラとかもやってたかも。
似合ってるのは圧倒的に「洋」なキャラだな、というのが個人的な感想だった。顔立ちと表情が強いので並の二次元キャラではマッチしているキャラがあまりいないように見えた。
ある頃に「例のキャラ」やりたいかも~とつぶやいていて、確かにエルフとか似合いそう!と思った。
その後じわじわフォロワーが増えて、企業案件みたいな仕事もしていたようなので順調そうだな~と傍から眺めていた。その後去年の夏コミで大バズリしたのは間違いなくそこまでの本人の資質と運だったと思う。
しかしこの夏コミ以降、例のキャラ以外のコスはめっきり減った。夏コミを振り返ったnoteもやたら芝居がかった文体で、◯◯コスといえば自分!!と言わんばかりの自我の強さを露呈し始めているように思えた。
原作内キャラとの合わせは何度かしていたようだが、 原作に対してオタク語りする様子はほとんど見たことがない。単発コスであれば元ネタに対してそこまで深入りしないのもわかるが、ここまで執着している作品への感情が全く見えないのも今思えば不自然だった。
この頃から参加したイベント先で全く無関係なキャラとの合わせ写真が増えてきたのも違和感があった。
間もなくインターネット歴30年超えの勘が当人の危うさを日に日に強く感じていた。そんな状態が半年以上続き、今年の春先に至り例のイベント参加後は世間の知る限りである。
あのnoteもこんなオープンな場所でもここまでできますよー!!と誰にアナウンスしたかったのか不明だった。真面目にコスに入れ込んでいる人であればわざわざあんなコスに不向きなイベントに行く必要性など感じないし、ハロウィンに渋谷出るくらいのライト層はnoteなんぞ読まない。
何もかも拙速すぎた。平たく言えば例のキャラコス一発屋の状態だったわけで、もうしばらく淡々とコスプレに専念してコスの手札を増やす段階だったと勝手に思っている。素がいいのだから絶対にまた別のコスで伸びる機会があったはずだった。
バズったのは本人の資質と運と書いたが、一回のバスは降って湧いた、継続性の薄いボーナスタイムに過ぎない。このボーナスタイムに振り回されてしまった人は数多見てきたが、過去にここまでこじれた人はそう思い当たらない。
そもそも本人が因習村と揶揄する、古いコミュニティでなんとか今まで行儀よくやってきた人たちの実績があってオープンなパブリックイベントでもコスが許容されてきているのではないか。
一番反感を買ったのはこれまで大なり小なりコスに関わってきた見知らぬ人たちへの無配慮であって、それ以外は全部枝葉でしかないように見える。
当人は何事も書かれてないルールに従う必要はないという方針なようなので、もうそれが通用する内輪でやっていくしかなさそう。
ところでアンチ側も著作権だので殴れないことがわかってきて(遅すぎる)、最近の反応がただの誹謗中傷になってきてるので本当にやめたほういいと思います。
寝ます。
彼らが最初メシマズ嫁を攻撃したとき、私は心の中で呟いていた。
嫁とは一度別れたものの復縁し、向こうからのプロポーズ催促でお互い30過ぎに結婚した。
働き者の良い嫁である。そこは素直に尊敬しているし頭が上がらない。
メシマズ嫁は料理を作りたがる。しなくてもいいと言っても作る。
やりたくないことを無理にやらせてるから上達しないんじゃなくて、自分から率先してやるのに同じ失敗を繰り返すのである。
私がスーパーで買ってきた弁当を食べようものならすねる始末だ。
「もう作らないからね」という言葉を聞いた覚えはあるが、未だ履行されていない。
うちのメシマズ嫁が料理を下手な理由には見当がついていて、分量を全然守らないのである。
失敗作を目にするたびに四次元殺法コンビの「王道が何故面白いか理解できない人間に面白い話は作れないぞ!」というコピペを思い出す。
電気炊飯器で精米を炊くことにすら上手い下手があるということを、私は彼女と同棲してはじめて知った。
嫁は「無洗米でも洗わないと気が済まない」と言うが、そんなことより水の量に気を遣って欲しい。
ふつうのお米だとぱさぱさだのガチガチな炊き立てご飯が出てきかねないので、今はもちもちの低アミロース米を選んでいる。
自分が炊けばいいのだが、仕事の都合手が回らないときもある。……嫁の夕飯は早い。休日など夕方5時過ぎに夕飯になる。うちの親は共働きだったので夕食は9時10時が当たり前だったし一人暮らしのときもそんな感じだった。生活リズムが合わないので間に合わないのだ。
肉も赤い肉が出てくる始末だ。びっくり!! 私の食卓もまっ赤っか! ダイロシアンか。
加熱調理がヘタならせめて薄い肉にすればいいと思うのだが、なぜだかいつも厚みのある骨付き肉を買ってきて失敗する。少しかじると赤みが出てくるのである。なお、骨付き肉という点も食べづらくて苦手だ。
嫁は冷食やカップ麺は体に悪いというのだが、絶対生焼けの肉のほうが命が危いと思う。嫁にもそう言っているのだが肉はやはり赤い。
外食に行くと嫁はユッケをよく頼むので、彼女の料理の火加減も半分は意図的にやっている可能性もある。
私は命を懸けてまでおいしいものを食べたいとは思わないので、ウェルダンが好きだ。
そもそも生食用に売られていない肉は加熱調理を前提としている。
私は別に冷食でいいと思っているのだが、たまたま嫁のいる時間帯にブッシュドノエルを焼いたことがある。
そしたら彼女は横から手を出してきて、用量を無視してボールにドバッと砂糖を入れてきた。
命の危険を感じるほど甘かったし、実際油断して一度に何切れも食べたら頭痛がした。
もう彼女のいるときに調理したくない。No more war.
さて、嫁は前職で上司に今後あなたに任せられる仕事はないと言われたらしく、憤慨して去年転職した。
実は障害者雇用では、法定雇用率というものがあるので雇いはするが、勤務時間が埋まるだけの仕事を割り振れなくて手持ち無沙汰にさせているという職場はけっこう多い。
雇用する企業や上司が適切に仕事を割り振る必要があるが、上司だって部署の成績に対して評価が付くからできる部下と仕事をやりたいものだ。相当価値観がアップデートされた企業とやる気がある障碍者の組み合わせでないと数合わせになりがちなのだ。
座ってるだけで給料がもらえるなんて羨ましいと思うかもしれないが、これまで幸運なことに、と言っていいのかどうか、業務をこなしながら勤めてきた彼女にとっては追い出し部屋行きにしか思えなかったのだろう。
職場の嫁を見たわけではないので本人には言えないが、私は彼女の働き方にも瑕疵がなかったとはいえないのではないか?と思っている。
家での彼女は家事を率先してやるが雑である。レシピや説明書きを守らない。
仕事が遅いのはまあそれを考慮したうえでスケジュールすればいい話だが、雑で修正が多いとなるとチェックに手がかかって大変である。兵は拙速を尊ばない。
嫁の前職は旧公社系の子会社だったし給料も障害者雇用では良い方だったので、彼女の親戚や友人は転職に反対したという。
彼女の普段の言動を考えても納得のいく反応である。嫁はいわゆる病み垢ほどではないが社会に対する被害者意識が感じられ、お嬢様育ちで世間知らずだ。
転職先でも実家暮らしだと思ってたと言われたそうだが、さすがに転職したばかりの職場でそう尻尾は出していないとは思うのだが、私もさもありなんと思う。
ただ、私は、彼女が前職で働きたくないと言っていた以上長続きしないだろうなと思ったし、それに軽度身体障害者の転職のしやすさも聞いていたので、嫁の意思に任せることにした。
どこぞの商材屋にでも感化されたのかフリーランスになれば年収1億円プレイヤーになれるかもと言い始めたときには、さすがにそんなうまい話ないと思うよとツッコんでしまったが。……どうも嫁は反冷食どころかディープなステートやら疑似医学にも弱いらしい。この間の選挙でもだいぶテンション上がってたので参○党かどこかに入れたんじゃないだろうか。怖くて聞けない。
転職した嫁は今度は職場が遠くてキツいというので、もっと交通アクセスの良い場所に引っ越すことになった。
一人暮らしをしていたころ私は引っ越し先を探すのにそう苦労した覚えがないが、彼女はいつも半年ぐらいかかっていたという。
結婚当初に住んでいた家については交通の便を捨てていたので気づかなかったのだが、改めて引っ越し先を検討していて彼女が物件探しに苦労する理由がよく分かった。
家庭の懐事情に生活の質を合わせるということを知らないのである。
嫁は山の手のお嬢様育ちなのでか友人は羽振りがいいらしく、彼女の友人の家には20畳近い部屋があるそうで、そんな家に住みたいといってくる。嫁が実際に引っ越し先候補として挙げてくる部屋はさすがにもっとコンパクトだが。
薄情な友人はなぜ彼女に良い男を紹介しなかったのだろうか? その謎を解明すべく、私はアマゾンの奥地へ向かった――
私は小さいころに父が事業に失敗して清貧な生活を余儀なくされていたので、生まれてから住んだ家の中で一番専有面積が広いのが嫁と暮らしている部屋だ。家族4人で借りてた部屋より夫婦2人の部屋のほうが広いって冷静に考えたらだいぶ贅沢だ。
実のところ私も、正社員の身分ではあるもの、彼女とそう年収が違うわけでもない。
家賃高いけど嫁も働いてるしまあなんとかなるかな……と思って申し込んでも入居審査NGとなることが続いた。
当たり前と言えば当たり前である。親元で家族4人で暮らしていた部屋より広いんだから、子ども作る予定もないのに。
嫁の理想をすべて満たす家に住みたいならもっと稼げる旦那さんを探してもらうしかない(これはうっかり口に出したことがあるが嫁からは軽く「むかつく」としか言われなかった)。
しかし、どうやら彼女に離婚する気はないらしい。転職して嫁の年収が下がってからは、私に転職を薦めてくることもなくなった。
私の給料は確かに世間的にはそんな高くはないが、もっとキツくて薄給の仕事をがんばっている方も世の中には大勢いらっしゃる。
老後2000万円問題(それが誤読ということは知っているが)もコツコツ働いていれば40代にはクリアできている見込みだし、もっと若いころには体を壊していた時期もあるので、私としては不足はない。
結局、現実に打ちのめされて嫁が折れるまで引っ越し先は決まらなかった。
引っ越したばかりの部屋に、嫁は狭いとため息をついた。
今はなんでも電子化・小型化されているので物も少なくて済むし、体感的にはその部屋は私が家族と住んでいた部屋よりずっと広い。
フィクションでは没落貴族のお嬢様は心が美しく権門のご令嬢はおごり高ぶっているものだが、現実はどうやら逆のようだ。
人は一度上がった生活の参照点をなかなか下げることができない。生活の質をそれより下げざるを得なくなった者は常に不満を抱えるしかないものらしい。
生まれてからこのかたずっと苦労知らずの人間は心に余裕がある(故に下級国民の余裕のなさを理解しづらいのだろう──「本当の弱者は助けたい姿をしていない」)。
平安の昔、末法の世にあっても、八条院領と呼ばれる広大な領地を相続し女帝候補であったとも言われる八条院暲子内親王はおおらかな性格で人望も篤かったという。
あらためて何も知らないなあと思った。衆院の比例代表と参院の比例代表は何が違うのか?それぞれ党はどのような戦略で候補者を立てるのか?というわけでGeminiに色々教えてもらいながらまとめた。東京都在住なので東京都での数字だと肌感で理解しやすいので、東京都をベースにまとめてみた。
| 選挙 | 選挙区数 | 議席数 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 衆議院 小選挙区 | 東京30(全国289) | 東京30(全国289) | ドブ板選挙 |
| 衆議院 比例代表 | 東京1(全国11) | 東京19(全国176) | 小選挙区救済・少数政党 |
| 参議院 選挙区 | 東京1(全国45) | 東京6(全国74)[改選毎] | 都道府県知名度 |
| 参議院 比例代表 | (全国1区のみ) | (全国50)[改選毎] | 全国知名度 |
さて、こうやって表にしてもよく分からない。
まずは比例代表は特殊ルールという点を理解することが糸口になる。そもそも1993年からの選挙改革によって紆余曲折を経て比例代表制が導入されたわけで、それまでは選挙区による選挙だけだった。比例代表とは?については後述するので、まずは選挙区による選挙を比べてみよう。すると、衆議院 小選挙区、参議院 選挙区に注目することになる。比較対象として東京都議会もみてみよう。
| 選挙 | 選挙区数 | 議席数 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 衆議院 小選挙区 | 東京30(全国289) | 東京30(全国289) | ドブ板選挙 |
| 参議院 選挙区 | 東京1(全国45) | 東京6(全国74)[改選毎] | 都道府県知名度 |
ここで際立つのが参議院選挙区の特殊性である。衆議院や東京都議会は東京を30-40エリアに分割してその狭いエリアでの選挙戦が繰り広げられるのに対し、参議院は東京丸ごとがフィールドとなる。ご存知だろうが東京は広い。一番密集しているであろう東京でこれなので、それ以外の地方では当然さらに広い。告示から選挙までの期間は、参議院では17日間である(衆議院は12日間)。つまり約2週間しかない。この期間に東京都の全有権者に対して顔を見せてアピールするのはほぼ不可能である。つまりあらかじめ名前が有権者に浸透しているか、他の代替戦略が必要になる(後述)。一方衆院選は12日間と期間は短いものの、東京が30の選挙区に分割されているため、選挙活動をしなければ行けない面積はかなり狭い。最も狭い東京26区では11km^2しかない。歩きでも一日で一周できる。
なお、衆議院小選挙区と東京都議会のエリア分けは、小選挙区が30、東京都議会が42と微妙に異なる。これは衆議院小選挙区はなるべく小選挙区ごとの有権者数を等しくするように分割しているのに対し、東京都議会の選挙区は行政単位、つまり市区町村の境界に一致させているためである。しかし衆議院小選挙区と東京都議会の本質的な違いは境界線ではない。最も重要なのは当選者数である。小選挙区では必ず一人しか当選しないのに対し、東京都議会の選挙区では住民の人数に合わせて複数名が当選することがある。例えば世田谷区は東京都議会に8つの議席を持つ。一方衆議院小選挙区では区民の多さから東京5区と6区に概ね分割され、当選者数はそれぞれで1名ずつである。
では改めて衆議院小選挙区と参議院選挙区の比較に戻ろう。まずはエリアの広さと当選人数の違いで、先ほど確認したように衆議院小選挙区は狭いエリアで一人だけが選ばれるバトルロワイヤルが繰り広げられるのに対し、参議院選挙区は東京全土を対象として6個の議席が争われる。ちなみに「小」選挙区の「小」とは”当選人数が一人に限定される”ことを意味する。つまり選挙区の広さそのものではなく当選人数によって定められる言葉であることに注意が必要である。
もう一つの違いとして重要なのが選挙のサイクルである。衆議院は4年の任期、参議院は6年の任期と定められている。しかし衆議院では内閣総理大臣による解散総選挙というイベントが任期を満了する前にほぼ必発するため、実際の衆議院の任期は平均2年9ヶ月に過ぎない(Gemini調べ)。つまり衆議院は参議院の2倍以上のスピード感で選挙が行われる。3年おきに選挙カーが駆け回り名前を連呼し、選挙区の狭さも相まって駅前で見かける機会も少なくないため、有権者に顔が刷り込まれやすい。よって衆議院小選挙区で勝つのに必要なのはドブ板選挙である。汗を流して街頭に立ち、地道に顔の見える距離でアピールする。また地元の名士や二世議員、三世議員も強い。都市部では住民の入れ替わりもそれなりに激しいものの、親の世代から名前を知っているとなんとなく親近感も湧くというものである。
一方で参議院選挙区で勝つのは一筋縄ではいかない。東京都全体を2週間でドブ板選挙できるわけがない。よく言われるのはスポーツ選手やタレント、文化人などからの転身が有利ということだ。実際に今回の東京都参院選でもちらほらみかける。衆議院小選挙区と違ってトップ当選する必要はないため、ある程度の集票が見込めればよい。あとは強い政治的メッセージである。直接顔を合わせなくとも強いイデオロギー、政党のカラーによって投票する組織票を固めれば当選の目が見えてくる。従来は医師会、労働組合、農協、宗教団体といった組織票が強いと言われていた。最近は既存の組織力が弱まる一方でSNSを用いたイデオロギーによる集票が目立ちはじめているように思う。
以前より衆議院は民意をより反映し、参議院は良識の府と言われ長期的な視点から国政に意見するとされてきた。たしかに衆議院の小選挙区は最も住民に密着している。ただそれが国政への民意を反映しているかというと微妙なところである。顔が見える相手というのはえてして好感度で決まりやすい。インターネットで批判が集まるような思想をもった政治家が地元では強いという話もよく聞く。とはいえ参議院はどうか。従来参議院選挙で強いといわれる組織票とは、つまり既存の組織を反映した候補を国会に送り込む。これは既得権益維持・現状維持の方向にバイアスがかかりやすいだろう。イデオロギーよりも実利を優先すること、拙速な改革を好まないという点では良識の府と言われる所以も理解できるところである。ただ現実の選挙としてそれが機能しているかについては、自分は政治の現実を知らないのでコメントができない。
| 選挙 | 選挙区数 | 議席数 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 衆議院 小選挙区 | 東京30(全国289) | 東京30(全国289) | ドブ板選挙 |
| 衆議院 比例代表 | 東京1(全国11) | 東京19(全国176) | 小選挙区救済・少数政党 |
| 参議院 選挙区 | 東京1(全国45) | 東京6(全国74)[改選毎] | 都道府県知名度 |
| 参議院 比例代表 | (全国1区のみ) | (全国50)[改選毎] | 全国知名度 |
残るのが衆議院比例代表と参議院比例代表である。まずは衆議院比例代表についてみてみる。実はこの衆議院比例代表は党によって戦略が大きく分かれるところである。具体的にいうと以下の2種類である。
| ①小選挙区を主要戦場と位置づけて、比例代表は小選挙区の救済(比例復活)と割り切る |
| ②比例単独候補を手厚くしつつ、小選挙区も取れるところを狙いにいく |
この2つの戦略の意味を理解するには比例単独というオプションを理解する必要がある。衆議院比例代表は、比例にだけ立候補する比例単独と、小選挙区との重複立候補の2種類の立候補が認められている。比例単独だと厳しいバトルロワイヤルである小選挙区を避けた上で、政策・イデオロギーを広く有権者に訴えることで当選を狙う。また衆議院比例は政党名でしか投票できないため、極端な話を言うと候補者が無名でも問題ない。
①の戦略は自民党の基本戦術であり、横綱相撲と言えるだろう。比例単独は2,3人しか設定していない。また旧民主党もこの戦略をとっていた。
②の戦略は基本的に野党がとる。立憲民主党や共産党、あとは公明党などは30−40程度を比例単独に擁立している。また新興政党は代表の知名度を活かして比例票を集め、比例単独を少しでも多く当選させることを目指す。面白いのは日本維新の会で、2017年の選挙までは40人程度を比例単独に擁立していたが、2021年以後は一定の力がついたと考えたのか、比例単独は5人、2人と減らしている。
また旧民主党から立憲民主党への比例単独の推移をみると興味深い。2009年、歴史的な政権交代劇となった衆議院選挙では比例単独を0人にして、小選挙区で300人以上の候補者を擁立した。つまり全エネルギーを小選挙区に注ぎ込み、自民党を打倒するという極めて攻撃的な戦略であり、歴史的な圧勝につながった。しかしその次の2012年も同様の戦略で望んだが、結果として歴史的な大敗につながった。これは政権与党としての引くわけにはいかないというアピールでもあったが、現在の立憲民主党のように比例単独をもっと多く擁立していれば、もう少し議席を残せたかもしれない。
ところで比例復活とは何か。小選挙区はバトルロワイヤルであるため思わぬ事故も起こりやすい。長年貢献してきた重鎮が事故的に落選することが起こり得る。またエリアごとの勝者総取りになるためマイノリティ政党の当選が難しくなることも懸念された(2位以降が全て死票となる)。そこで導入されたのが衆議院比例代表である。詳しい方法を知りたい人はドント式の項目を読んでもらいたいが、要するに2位以下の人でも1位当選者との票差がわずかであれば、比例で復活できる可能性を残すシステムである。
では参議院比例代表制はどのような選挙か。この比例代表は日本全体を一つの選挙区とする、かなり特殊な選挙である。国民投票みたいなものである。ここでものを言うのは圧倒的な知名度か、組織票である。参議院選挙区制が都大会なら、参議院比例代表は全国大会である。参議院比例代表のもう一つの特徴と複雑さを生むのが、「政党名と個人名のどちらを書いて投票してもよい」というルールだ。選挙公報では「比例はA党とお書きください」と書いている政党もあれば、「比例はB党もしくは候補者名をお書きください」と書いている政党もある。もし同じ政党内で比例にも自分の名前を書くようにアピールする候補者と、あくまで比例には政党名を書くようにとアピールする候補者が混在すると、自分の名前を書くよう求める候補者が順位の点では有利になる。一方党としての戦略としては、党名をアピールしたほうが今後につながるし、党全体の知名度アップも見込める。政党名を書いて投票することで、今後別の候補が比例代表で出馬したとしても、その票が維持されることが期待できるわけだ。
今回の選挙公報をみてみると、自民党や立憲民主党などは「政党名もしくは候補者名」としている。一方共産党や参政党は「政党名」と書いている。イデオロギーによる投票を期待する弱小寄りの政党は、政党名での投票を求める傾向があるのかもしれない。ところで日本保守党は「候補者名もしくは保守党」と順序が逆転している。これは日本保守党の比例代表候補が知名度が高い有名人がラインナップしているためだろう。
| 選挙 | 書ける名前 | 名簿 | 小選挙区との重複 | 特定枠 |
|---|---|---|---|---|
| 衆議院比例代表 | 政党名のみ | 拘束名簿 | 重複可(比例復活あり) | なし(ただし名簿1位に比例単独候補を載せることが実質的に特定枠として機能) |
| 参議院比例代表 | 政党名もしくは候補者名 | 非拘束名簿 | 重複不可(比例復活なし) | あり |
詳細はドント式の項目で解説するが、拘束名簿とは選挙前に名簿(当選する順序)を提出しておくことで、非拘束名簿は順序を決めておかないということ。当然ながら非拘束名簿でも比例代表に出馬するかどうかは事前に決まっており(当たり前である)、事前に設定しないのは順序である。重複可か不可かは、(小)選挙区と重複して立候補することができるかということ。バトルロワイヤルである衆議院小選挙区とちがい、参議院選挙区は複数名が当選するので、比例復活もない。
比例代表は(小)選挙区のように、わかりやすく候補者が獲得した票数で政党関係なしに当選が決まるわけではない。それを決めるのがドント式である。参議院と衆議院は両方とも比例代表はドント式である。
具体的には以下のような流れに従って各政党に議席が配分され、政党内で議席に候補者を割り当てる。
| ①各政党に議席配分 |
|---|
| ①-1 各党の総得票数を計算 /参議院比例:政党名+候補者名を合算 |
| ①-2 総得票数を1、2、3と整数で割る |
| ①-3 得られた計算結果を、政党関係なしに比べ、高い順から各政党に議席を配分する |
| ②政党内で議席に当選者を当てはめる |
| ②-1 いれば1位や2位の比例単独が当選する(いなければ②-2へ) /参議院比例:特定枠が当選する |
| ②-2 小選挙区の重複候補が惜敗率に応じて当選 /参議院比例:候補者名が書かれた獲得票数に応じて順番に候補者が当選 |
さて、実際にどのように名簿が書かれ当選するかみてみよう。まずは衆議院比例代表。
| 衆議院比例 | |
| 1位 | Aさん(比例代表単独) |
| 2位 | Bさん(小選挙区重複) |
| 〃 | Cさん(小選挙区重複) |
| 〃 | Dさん(小選挙区重複) |
| 〃 | (以下ずらっと小選挙区候補者名が並ぶ) |
| 28位 | Xさん(比例代表単独) |
ここでAさんはよほどの弱小政党でなければ必ず当選する。小選挙区には出てないので、政党が用意した特別枠である。そして2位にずらっと比例復活を狙った小選挙区候補者が並ぶ。ただし比例復活が批判される場合もあり(裏金問題などで批判され「 Permalink | 記事への反応(0) | 17:48
はてな匿名ダイアリーで、前回の兵庫県知事選挙(令和6年度兵庫県知事選挙)について記録を残したものとして、雑感を残しておきたいと思う。
あまりにネガティブだと感じて一度は投稿せずに消したが、根強くキャンペーンが続くので、多少なりとも意味があるだろうと再度書き直した。
まず最初にスタンスを示しておくが、自分は新聞をはじめとするマスメディアは、社会の公器として、社会をより良くするために責任を持って欲しいと思っている。
明確に、社会の鏡ではなく、社会の鑑であるべきであると思っている。読者が快哉を叫ぶような記事を書くべきではなく、煙たがられても正論を説き、批判されても実利をとってほしい。
そのため、「アンケートで、辞任すべきであるという声が多い」として、辞任を迫るのは明確に誤りであると、きちんと解説記事を書くことこそが必要なのではないか。
責任の取り方というのは辞めることではなく、起こってならないことは再発しないように整えることだ。
安易にあいまいな定義の単語を使うべきではない。それはレッテル貼りや印象操作にしかならず、思い込みを強化するだけだ。
(おそらく善意もしくは悪意なく行なっているだろうことから個別具体例は挙げないが)そういったカルト呼ばわりするポストの延長線上に立花孝志がいることは忘れないで欲しい。
あれだけの騒ぎになって行われた兵庫県知事選挙の投票率55.65%が示すものは、「大半の有権者は無関心だった」であり、本質的には「日本人は選挙に関心が無い」ということくらいしか言えない。
まず少しだけ選挙について解説が必要になる。結論だけ言えば「選挙は概ね始まった時には終わっており、風が吹くのは例外である」となる。
日本の選挙においては、組織票(支持団体や業界団体など)と、地盤(後援会や地域でのネットワーク)とが、必要条件であり、これ無しにはスタートラインにすらつけない。
選挙について漠然と高校の文化祭の出し物を決めるような、その場で手を挙げて多数決で最多得票数を得たものが選ばれるというイメージが語られることがあるが、正しくない。
イメージとしては、出し物を決める投票を行う遥か前から、文化部派と運動部派と委員長派に分かれており、よほどのことがない限り、最も大きい派閥の提案が通る。
提案そのものはさほど重要ではなく、組織化されているか、地盤があるかが重要であって、最後にその提案の魅力で浮動票が動く。この浮動票の動向を選挙用語で、「風」と呼ぶ。
さて、その意味で前回の知事選挙は、概ね順当な結果に落ち着いたと言える。
つまり、離反者が出るほどの情報は出揃っていない段階での選挙なので、斉藤陣営は組織票も地盤も手堅く持っており、あとは浮動票だけであった。
翻って対抗とされていた稲村陣営は、野党系の支持を受けてはいたが、一本化されておらず、どこまで浮動票を取り込めるか、という点であった。
最終的な開票結果が斉藤陣営111万票に対して、稲村陣営98万票というのは、言っては悪いが、善戦した方ではないかと思う。
アンケート調査方法に問題があり恣意的だから、と書くと身もふたもないので少し解説をする。
例えば、該当アンケートであなたが「パワハラは容認できますか?」と聞かれれば「容認できない、不支持だ」とするだろう。
同様に「パワハラを認定された斉藤知事は辞職すべきですか?」と聞かれれば「辞職した方が良い」と回答する人も多いと思う。
いわば、属している組織や後援会を裏切る(離反する)決断を取れるかどうか、というのが投票行動の変化である。
そして、一番最初の「大半の日本国民にとって選挙には関心がない」というのも思い出して欲しい。
無作為なアンケートをとると、その概ね半分以上(通常の知事選挙は40%程度の投票率しかない)は、選挙に行かない。無関心である。
これらが組み合わさると、「投票には行かないが憤る人」や「アンケートでは憤るが実際には支持(投票)する人」が生まれる。
アンケートが恣意的と書いたのは、「では斉藤知事は責任をとって、給与返上をすべきですか?」と聞いていないからだ。
問題を起こした人物がいる、その人物は責任取るべきである、辞任 or 継続 という形式だと、人は辞任を選ぶ。
組織票が割れた場合、地盤が弱い場合、突発的に浮動票の得票率が高くなった場合に、風が吹いて盤面がひっくり返ることがある。
ただ、そうした場合でも概ね10%程度の変動であり、強固な地盤がある場合にこれを覆すのは容易なことではない。
私が最初に「マスメディアは社会の鑑であって欲しい」と書いたのはこのためで、兵庫県内の状況を冷静に見ると、もはや辞任を迫るフェーズは終わってしまった。
そのため、このマスメディアによるネガティブキャンペーンは、社会の鏡として、読者のニーズに応えているにすぎない。端的に言えばニュースバリューがあるだけである。
今後、パワーハラスメントを再発させないためにどのようなことが行われると表明されており、それがどう実行されているのか、どう確認できるかを監視するのが重要であり、
また、公益者通報保護制度はどのように運用されるのか、その信頼が失われたとして、如何にして信頼を取り戻していくのかを監視して報道するのが社会の公器としてのあり方ではないか。
まさに前回報道合戦を繰り広げたために起きた、拙速と言うしかない不信任決議がどのような結果を招いたのか、思い出して欲しい。
(前回の選挙後の雑感にも書いたが、内部告発文書の裏どりと解説を行い、議会に結論を待つ様に諌める姿勢を取るべきではなかったのか思う)
そうした地味な報道はニュースバリューとしては読者のニーズに乏しいのかもしれないが、スキャンダラスな報道をするのは週刊誌だけで良い。
長々と書いてお前は斉藤支持者なのだろうと言われるかもしれないが、前回の投票先は記載しない。
全ての選挙における秘密はこれを侵してはならないと憲法にも記載されている。防衛的な文章を書くためだけに使用して良いような軽いものではない。
私は、兵庫県知事が公約達成率を公表しているのは支持するが、達成度合いが曖昧なのは問題だと感じている。
若者の支援を打ち出しているのは支持できるが、では井戸県政と比べてどうかと言われれば、まだ進捗は芳しくないと思う。
詰まるところ、支持不支持や辞任続投というのは大雑把にすぎるのだ。給与を返上したから禊が済んだとも思わないし、複雑な物事を単純に解決しようとしすぎるのは良くない。
マスメディアは、もっと真剣に、握りつぶされない内部通報や告発者をどうすれば守れるのかを徹底的に調査報道して欲しい。
そして一番重要なのだが、もしここまで読んでくれたのだとしたら、あなたの住んでいる街はどうだろうか?
都内に住んでいるのだとするなら、都知事が今月何をしたか知っているだろうか?市に住んでいるとして、今月の市議会は何を話していただろうか?
斉藤支持者はカルトだという投稿にいいねをつける前に、兵庫県民は変わらないと書く前に、あなたの住む街について無関心ではないだろうか?
「XX県の人間は、YYという問題を認識できない愚か者だ」と急に指摘された時、知らなかったでは政治に無関心すぎる。
兵庫県政を憂いてくれるのはありがたいが、スナック感覚でスキャンダルをつまむだけなら止めた方が良い。
スキャンダラスな民意で誰かが動くと、同じ理屈で先鋭化した集団がどこかに向かうのを止められなくなる。
どの陣営にとっても必要なのは再発防止であって、魔女狩りではないはずだ。
繰り返しになるが、選挙は概ね始まった時には終わっているのだ。報道次第でどうにでもなる風だと思われているのには、理由がある。
投票したい候補がいないのかもしれないが、ここは理想の楽園ではなく、現実の日本で、出されたカードから選ぶことしかできない。
棄権しても良いが、白紙委任状を提出していることは忘れないで欲しい。
自分がカードとして打って出る権利は存在するが、地盤看板鞄が無ければ実質的には意味を持たない。
同じように白票を投票所に入れにいく権利はあるが、現実の選挙戦では、システムを理解していない表明にしかならない。
今日から自分の住む地域の推し政党を決めろとは言わないから、せめて自分の暮らす地方自治体が何をしているか、何を課題と感じているかは、知っておいて欲しい。
他山の石として欲しい。